1給与の仕組みづくりが社長の最重要業務
◆昔は年功序列でもよかった
給与制度を変更する場合、何を評価対象とし、どのようなルールにするのかは、最も悩む部分です。
また、同業他社の制度やトレンドなども気になるでしょう。
高度経済成長期に最も採用されていたのは、ご存知の通り年功序列です。
入社して間もない新人は最も少ない給与からスタートし、勤務年数に応じて少しずつ昇給していきました。
これは、右も左もわからない新卒採用の新入社員が、先輩社員に仕事のやり方を教わりながら次第に成長していく、という共通認識があったためです。
しかし、現代においては、段階的な成長よりも即戦力が求められます。
個人の優れたパフォーマンスを十分に発揮させ、さらに伸ばしていくための環境づくりが重視されています。
ただし、すべての組織に「年功序列はもう古い」などと言うつもりはありません。
私が経営者として会社を設立したばかりの頃は、従業員の給与よりも「利益を増やして、経営を軌道に乗せる」ことに、思考の大部分を割いていました。
スタートアップ時の従業員は「自分の力でこの会社を発展させる」という気概を持った少数精鋭部隊でしたから、ある程度の方向性を私が決めても、みんなの同意を得られ、問題に気づけば、あとからでも修正を加えることができました。
そうすることで会社の業績はどんどん上がりました。
それを可視化させて伝えることで、従業員たちは各々に「仕事に対するやりがい」を見出し、自主的にさらなる研鑽に努めるようになっていったのです。
会社全体のパフォーマンスが上がり、経営が軌道に乗って右肩上がりの成長を続けるようになり、当然の帰結として支払える給与の金額も増えていきました。
従業員のモチベーションの源は、昇給よりも「自分の努力が会社の業績アップにつながった」という自己評価にありました。
たとえ、賞与や昇給がわずかであっても、その背景に自分が出した成果があると実感し、充実感を得ることができたのです。
災害や増税など、社会情勢の一時的な変化によって売上が落ちたとしても、また、業績が横ばいで昇給が難しい場合でも、小規模(平均従業員数4~5人程度)の事業所であれば、経営者の懐、すなわち役員報酬を削ることで、昇給分の原資を確保することが可能でした。
このため、スタートアップ企業であれば、年功序列の給与制度に代表される、在籍年数に応じて一定の昇給が約束されている制度でも問題はないと考えています。
ただし、経営が軌道に乗って会社が成長し、規模が大きくなれば、年功序列の限界が訪れます。
◆従業員が増えると、昇給を役員報酬でまかなえない!
順調に売上が増加すれば、組織は大きく成長します。
同時に、お金のコントロールが難しくなっていきます。
たとえば、利益が横ばいで、従業員数に変動がない場合、昇給するべきでしょうか。
通常、昇給はありません。
しかし、先ほど述べたように、経営者が身銭を切れば従業員の昇給分はカバーが可能です。
仮に従業員が5名の会社で、一人あたり10万円の昇給を行っていたのなら、社長の役員報酬を50万円削減すれば、昇給を維持できます。
そして、多くの経営者が借入金を増やしたりするなど、やりくりをしています。
なぜ、そのような行動をとっているのでしょうか?なぜ、そこまでする必要があるのでしょうか?それは、従業員の不満を抑えるためであり、事業の継続にあります。
昇給は従業員にとってうれしいことであり、モチベーションの源泉です。
ですが、長年続くとそれが「当たり前」の感覚になり、現在の収入から見れば〝ワンランク上〟の車や住宅を購入する、生命保険プランの見直しを行うなど、昇給する前提で生活設計を立ててしまう従業員が出てきます。
「前々期も前期も昇給したから、今期も間違いないだろう。
念願のマイホームを購入できたし、これからも頑張るぞ!」そのような状態での「昇給なし」は、かなりのインパクトを与えてしまいます。
会社の状況を説明すれば頭では理解してくれるでしょうが、計画が狂ったことに対する不満は残りますし、毎月のローンがなくなるわけではないため、生活も苦しくなるでしょう。
従業員のモチベーションを下げないために、社長が身銭を切る。
その経営判断は間違いではありませんが、いつまでも続けることはできません。
たとえば、社長の年収が2400万円の場合、所得税や住民税、社会保険料などを差し引くと、手取りは1500万円ほどになるでしょう。
生活費に約1000万円が必要なら、切れる身銭は500万円程度です。
先ほどの例のように、一人当たり10万円ずつの昇給であれば、社長がカバーできるのは50人までとなり、それ以上の補填は不可能です。
毎年昇給を続けて、社長の懐に限界がきたときに「昇給なし」とすれば、従業員のモチベーションダウンは避けられません。
小規模の会社であれば、年功序列の給与制度でも問題はありません。
しかし、会社を大きくしたいのであれば、年功序列とは異なる給与制度をつくる必要があるということを、覚えておいてください。
◆コロナショックで経営環境は大変化した
帝国データバンクの調査(2020年8月)によると、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、累計1066社の上場企業が業績予想の下方修正を行いました。
中小企業ではさらに厳しい業績低下が起こっており、窮状を訴えるメッセージがあちこちから発信されています。
では、具体的にどのようなことが起きているのでしょうか。
厚生労働省の「毎月勤労統計調査」からは、1回目の緊急事態宣言が発令されていた2020年4~5月は、残業代や深夜勤務手当などの「所定外給与」の著しい減少が見て取れます。
一般労働者は前年比で4月が12・8%減、5月が26・6%減でした。
さらに業界別で見ると、5月は製造業が35・5%減、飲食サービス業等が54・2%減、生活関連サービス等(クリーニング、理美容、旅行、冠婚葬祭、映画館、スポーツ施設など)が58・6%減となっており、飲食サービス業等は基本給にあたる所定内給与も6・3%減という数字になっていました。
2020年夏季賞与の支給状況を見ると、前年比で、飲食サービス業等は21・3%減、鉱業・採石業等が13・7%減、生活関連サービス等が13・1%減、卸売・小売業が10・4%減となっており、金融、不動産、建設、教育、医療以外の業種は、ほぼマイナスに転じています。
11月においても、一般労働者の現金給与総額は2・0%減、所定外給与は10・9%減のままでした。
12月後半から2021年1月にかけて感染者が急増し、2回目の緊急事態宣言が発令されたことから、この社会情勢が短期で好転することは考え難いでしょう。
このような中で、2021年度は多くの企業で昇給率の引き下げが行われると考えられます。
しかし、売上の低下や業績悪化を理由に十把一絡げに昇給率を下げてしまうと、これまで企業の成長を支え、苦しい状況下でも奮闘して成果を出した優秀な従業員は、高い確率で転職を考え始めるでしょう。
それらを防ぐには、次のことを行う必要があります。
成果を出している従業員には、その成果に見合った給与を支払う。
成果を出さなかった従業員は、据え置きか降給にする。
これを実現するためには、一刻も早く、現在の人事評価制度と給与制度を見直さなければなりません。
◆社長の本当の役割とは「予算と人事のみ」
離職率が高く、従業員の入れ替えが激しい会社には、ある傾向が見られます。
社長が「前職の給与制度を流用している」、または「同業種の給与制度をそのまま適用している」というものです。
当然、それは自社のために作成した制度ではありませんから、多くの従業員にとって納得できる内容ではありません。
しかし、社長は離職の原因が給与への不満であることに薄々気づきながらも「日々の業務が忙しい」という理由で、なかなか見直しを行いません。
給与制度の整備に対する優先順位が低いのです。
社長の役割とは、何でしょうか。
私は、究極的には「予算と人事のみ」と考えています。
なぜなら、予算編成、従業員の採用、給与の決定には、お金が動きます。
100名規模で10億円の粗利の会社であれば年間の人件費は5億から10億円程度、一人の従業員を1年間雇用すれば500万から800万円の予算が必要になります。
それほどの大金を投入す
るのですから、失敗は許されません。
最も重要で、最も難しい業務といえます。
それ以外の業務──たとえば営業や開発、企画などは、他の従業員に任せれば良いのです。
適切な人材がいなければ、新たに雇うのもひとつの手です。
仮に、外注したデザインが使い物にならなかったとしても、自社商品のプロモーションに失敗して見込んだ利益が得られなくても、その損失は数十万から数百万円といったところでしょう。
優秀な従業員がいれば、それくらいは補ってくれるはずです。
他の業務をしながら給与のことを悩むのは、もう止めましょう。
社長は、最も金銭面のインパクトが大きい予算編成と給与制度づくりを、自身の最優先業務として考えてください。
◆「成果」「成長性」をみて給与をあてがう
そのためには予算と人事にエネルギーを集中させます。
それでは、具体的にどのように給与制度を見直せばいいのでしょうか。
キーワードは「成果」と「成長性」です。
左の図をご覧ください。
ここでは従業員を3つの層に分類し、人件費を集中させるべき層を明確にします。
①著しい成果をあげた従業員②あまり成果をあげていないが、成長性が認められる従業員③成果が少なく、成長性もあまり見られない従業員「昇給あり」「据え置き」「降給」の選択肢があれば、①は昇給あり、②は据え置き、③は降給とするのが、一般的には妥当かもしれません。
ただし、最終的にはその会社の文化に沿った選択をするべきです。
なぜなら、成長性と成果のどちらを重視するかは、組織によって異なります。
①に対してはすでに大きな成果を出しているのですから、成長性を考慮に入れる必要はありません。
②の層に対しては、たとえば、多くの従業員が「成果をあげられなかったのなら、給与を下げるのは当然だ」と考える会社であれば、成果重視の給与制度が適しています。
「今期は成果が出なかったが、前期の成績を考慮に入れて今後に期待する」という価値観を持つ会社であれば、成長性重視の給与制度がなじむでしょう。
「成長性と成果、どちらを重視すべきか?」という二者択一の答えを求めるのではなく、
従業員の感覚や社長の価値観に沿った制度であることが重要なのです。
「営業職は成果主義にすべき」「技術職は成長性を重視すべき」といった、業種や業態、職種による最適解なども、ありません。
会社と従業員をしっかり観察し、自社にふさわしい制度作成に全力を注ぎましょう。
より多くの従業員が納得する人事制度であれば生産性が上がり、利益率の向上も期待できます。
◆給与で従業員は辞めるが給与だけで留められるわけではない
ここまで給与制度の大切さ、人件費の最適化の難しさと重要性の話をしました。
「わかった、成果を出す優秀な従業員には、どんどん給与を支払えばいいんだな!」そう感じたかもしれませんが、ちょっと待ってください。
単に「給与を支払えば従業員は満足する」というわけではありません。
社会人が労働によって得られるものは、給与だけではありません。
自身の能力向上や人間的な成長などの喜びも含まれます。
つまり、働くことによって得られる報酬は、会社から与えられる給与や昇進、社会的地位といった「外的報酬」と、仕事を通じて得られるやりがいや能力の向上、新たな交友関係の獲得などの喜びである「内的報酬」に大別されます。
従業員は、外部報酬が少なければ不満を抱きますが、多く与えられても、それだけでは満足しません。
どれほど高い給与をもらっていても、やりがいのある別の仕事を見つけてしまったら、転職する可能性があります。
では、外的報酬と内的報酬は、どのようなバランスとなるのがベストなのでしょうか。
結論を先に言います。
「外的報酬は適度に、内的報酬は大きく」です。
ノーベル経済学賞を受賞したプリンストン大学のダニエル・カーネマン名誉教授は「年収7万5000ドル(日本円にして約800万円)までは、収入の増加に比例して幸福度が上昇する。
ただし、それ以上増えても幸福度はほぼ変わらない」ことを、科学的に証明してみせました。
さらに、アメリカの臨床心理学者、フレデリック・ハーズバーグが提唱した二要因理論によると、仕事の満足感を高める要因(動機付け要因)は達成感、承認、責任、自己成長などであり、それらは「なくてもすぐに不満は出ないが、あればモチベーションが高まるもの」とされています。
そして、不満をもたらす要因(衛生要因)は給与、福利厚生、経営方針、監督などであり、これらは「整備や改善されていなければ不満を感じるが、改善されても満足感につながるとは限らない」と言われています。
ですから「成果や成長性に見合った適切な給与」を支払うとともに、仕事に対するやりがいや喜びが高まるように、たとえば、成長の機会を提供する、挑戦できる環境を整えるといったアプローチも重視しなければなりません。
2給与の上昇コントロールは本当に難しい
◆「去るもの追わず」経営では会社は成り立たない
「利益に応じた人件費のコントロールは重要だが、転職を考える従業員が出てしまうのは仕方ないことだ。
去るもの追わずの姿勢でいいのでは?」と考えていませんか。
かつて、就職氷河期と呼ばれていた頃、企業は人材を選び放題でした。
そのような時代なら「去るもの追わず」の姿勢でも、とくに問題はありませんでした。
しかし、次の2つの理由により、新たな人材を雇うこと、現在の従業員を自社につなぎ止めることは、今後ますます難しくなっていきます。
ひとつめの理由は、人口の問題です。
ご存知の通り日本は少子高齢化が進み、人口は今後、減少の一途をたどると言われています。
国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口(平成29年推計)」によれば、2053年には1億人を割り、2065年には8808万人になるという推計結果が出ています。
必然的に労働人口も減少するため、人的資源が現在よりも貴重になることは間違いありません。
ふたつめは、働き方に対する考え方の変化です。
年功序列の給与制度が主流だった時代は、入社した会社でキャリアを積み、徐々に昇進して定年退職まで勤め上げ、退職金を得て第二の人生を謳歌するというスタイルが、サラリーマンの一般的な人生計画でした。
自社で育てた優秀な人材のほとんどが、会社に残って貢献し続けてくれていたのです。
しかし、現代では、転職は珍しいことではなくなりました。
優秀な人材ほど自分の能力を発揮できるステージを積極的に探しているため、「これ以上この会社に残っても、自分にメリットはない」と判断すれば、すぐに退職願を提出されてしまいます。
その時点で転職先の目処が付いていることも多く、よほどの条件を出さなければ離職を止めることはできないでしょう。
そして、その穴を埋められる新たな人材を雇うことは、この経済環境において簡単なことではなく、決して容易ではありません。
人的資源の貴重さを認識せず、「去るもの追わず」で人材の流出に手を打たない会社は、優秀な人材が定着しないため業績向上が難しく、いずれ経営を維持できなくなります。
まずはこのことを、しっかり覚えておいてください。
ただし、優秀な人材の流出を防ぐために、毎期昇給であったり、前期と同じ成果であっても何かと理由をつけて昇給させるような制度にしてしまうと、人件費の上昇と利益のバランスが崩れ、ますます人件費のコントロールが難しくなってしまいます。
◆月給1000円の降給で人が辞める怖さ
今期は売上が落ちて、利益も減った。
しかし、従業員に転職を考えるキッカケを与えたくない。
そのようなとき、以前は多くの企業で「ボーナスによる調整」が行われていたように思います。
月給は据え置きか、下げるとしてもほんの少し。
その代わりボーナスを多めに出して、ボーナスが増えた喜びで給与の不満を打ち消すという方法です。
しかし、この作戦は、もはや通用しません。
現代のサラリーマンは月収と賞与をあまり区別せず「手取り」の数字だけを重視する傾向にあるからです。
それなら、どうすればいいのか。
多くの経営者は「成果が出ていない従業員の降給」を考え始めます。
25ページの図の、①の従業員を昇給、②の従業員を給与据え置き、③の従業員を降給とし、①と③の従業員の割合を同じにすれば、人件費の上昇を防ぐことができます。
ただし、すでに述べたように、従業員がその評価に納得しなければ不満が生じます。
「昇給は慎重に行うように」と繰り返しお伝えしてきましたが、それと同様に、降給にも慎重になるべきです。
ひとつ、事例をご紹介しましょう。
あるとき、100名規模の企業の人事担当者から、次のような相談を受けたことがあります。
「従業員を相対評価し、成果をあげていないC評価の従業員を一律減給する給与制度に変更したところ、ある部門の離職率が上がってしまった」詳しく話を聞いてみると、その部門とはコールセンターでした。
そこで、退職者にヒアリングを実施し、降給されたときの気持ちについて詳しく尋ねてもらいました。
その結果「この会社ではこれ以上、給与が増えない」と感じ、転職を決意したことがわかりました。
成果をあげれば昇給されるのに、なぜ、そう思ってしまったのでしょうか。
その理由は、コールセンターという業務の特性にありました。
コールセンターでの顧客対応は、最初はマニュアル通りの対応しかできない、うまく応えられず顧客を怒らせてしまうなど、トラブルに見舞われることがあります。
しかし、知識と経験が増えれば、1件あたりの対応時間が減り、1日あたりの対応件数も増えて、昇給につながります。
ところが、その成長はすぐに限界が訪れます。
対応能力が一定値に達すると改善すべき要素が少なくなり、前期よりも成果をあげることが難しくなってしまうのです。
ある従業員が降給されたとき、その原因となったのは、自社が開発した新商品でした。
かなり独特かつ複雑な操作が必要であったため、必然的に説明時間が長くなってしまったのです。
結果「C評価」となり、月給が1000円下がりました。
そのとき「今後、新商品が出るたびに降給になる」と思い、転職を考えるキッカケになった、とのことでした。
自分ではどうにもならない部分で評価を下げられることは不本意ですし、すでに一定の能力を身につけているのですから、他社のほうが収入が安定するのであれば、そちらを選ぶのは当然です。
結果「一定の成長を遂げた従業員がどんどん流出してしまう」という、大きな損害を生み出してしまったのです。
優秀な従業員の給与を上げるために、業務内容を精査せず数字のみを見て無作為に降給すると、本来辞めてほしくない従業員が退職するなど、とんでもない落とし穴にはまってしまいます。
◆何の手も打たないと労働分配率の上昇は止まらない
安易に給与を減らすと、貴重な人的資源を失う恐れがあります。
一方で、人材の流出を防ぐために、前期と成果が変わらない従業員の昇給や、成果を出していない従業員に対する降給の見送りを継続して行ってしまうと、利益が低下しても給与を下げることが難しくなってしまいます。
本来、給与制度とは従業員の働きを評価し、その評価に応じて、会社が得た利益を適切に分配するための制度です。
それが従業員を自社に「引き止める」ためだけの制度になってしまえば、労働分配率の上昇に歯止めが効かなくなり、会社の利益がどんどん減少してしまいます。
先述したように、人件費は経費の中でも最も大きな金額を占めるものですから、他の経費を削減して利益を確保することは、きわめて困難であると言えるでしょう。
「これまで従業員の給与を減らさないように頑張ってきたけれど、もう限界だ、会社が保たない。
けれど、減らしたら従業員が辞めてしまう。
今までの努力がすべて水の泡だ……」そのような泥沼から抜け出すためには、従業員を引き止めるだけの制度ではなく、モチベーションを上げ、成果創出を促す評価制度をプラスしなければなりません。
つまり、「引き止め」と「成果創出」の双方に有効な仕組みをつくるのです。
当然、その中には「降給」も含まれています。
先ほど、降給によって従業員が退職するケースをご紹介しましたが、それはあくまで、従業員が人事評価に納得できなかったために起きた出来事です。
「はじめに」で述べたように、給与が減ることだけが不満の原因ではありません。
離職のリスクを減らし、適切な労働分配率になるよう人件費をコントロールするためには「なぜ評価が下がったのか」という疑問が解消され、努力をすれば評価が上がると期待できるような制度づくりが肝要なのです。
3給与の「透明化」はどこまですべきか
◆他人の給与でモチベーションは大きく変わる
給与を減らしても、従業員が納得する理由を説明できるのであれば、不満は抑えられます。
さらに「このような成果を出し、このランクの評価を得れば、給与がこれだけ増える」というルールを伝えることができれば、意欲がわいてくるかもしれません。
ただし、何もかもを白日のもとにさらす必要はありません。
たとえば、「自分よりも高い給与をもらっている従業員が誰かを知れば、その人を目標にしたり、その人以上に成果をあげようと頑張るのではないか」このような試みは、お勧めできません。
以前、創業5年目の30人体制の会社がまさにそのような意図で全従業員の今期の給与を公開した結果、「ほぼすべての従業員からクレームが出た」といって、私のところに相談にきたことがあります。
詳しく話を聞いてみると、クレームの内容は次のようなものでした。
「あの人の給与額は成果に見合っていない、納得できない」「上司は、部下の成果で評価されているのだから、高い給与をもらうのはおかしい。
もっと部下の給与を上げるべきだ」「営業と比べて、事務職の給与が低すぎる」整理してみると、自分と異なる職種、役職、社歴の従業員の給与に関する不満がほとんどでした異なる役職の業務内容や責任、会社における重要性などは、なかなか理解できるものではありません。
その状態で給与額のみを知らされても、それが妥当かどうかは自分自身の物差しでしか測れません。
「妥当ではない」という声があがるのは、当然の帰結といえます。
全従業員の給与を公開するのは稀なケースですが、ベンチャー系では職種別の給与レンジを公開している会社があります。
ですが、これも公開範囲を誤ると、従業員の不満を溜めることになってしまいます。
なぜなら、たとえ同じ職種であっても、上司と部下では仕事内容が違います。
そして、部下は上司の仕事がどのようなものか、正確に理解することはできません。
他の職種であればなおさらです。
そうなったとき、従業員はどのような行動を取るようになるか。
全従業員の給与を公開したケースでは、一部の従業員に次のような変化が見られるようになりました。
・給与の高さが社歴に比例すると思い込み、会社に居座るために、成果をあげる努力より
も社内政治に没頭するようになった。
・給与の高さが職種で決まると思い込み、全くの未経験であり、客観的に見ても適性はないと考えられるにもかかわらず、営業職への異動を上司に嘆願した。
他人の給与が「妥当ではない」と感じると、同時に、同じ制度が適用されている自分の現在の給与も妥当ではなく「不利益を受けている」という考えに至ります。
すると、不利益を受ける立場から脱出するために、現在とは違うポジションに異動しようとして、働き方そのものを変えてしまうのです。
上司の給与はどれくらいか、他部門の給与がどうなっているのかを知りたがる従業員はいます。
ですが、そうした情報は多くの場合、教えてもプラスの結果を生みません。
ある会社では、そのような質問をする従業員に対して次のように答えているそうです。
「職種やグレードによって給与予算は違いますが、その情報を公開しても、かえって良い気持ちにならないことがあるので、あえて公開はしていません」給与制度の透明化が社内で問題になった場合は、頑迷固陋に「公開しない!」と拒絶するわけにはいきませんが、デメリットを招く情報公開については、慎重に検討を重ねる必要があります。
◆給与公開のメリットとデメリット
給与の公開によって生じるのは、デメリットばかりではありません。
会社の状況によっては、メリットとして働く場合もあります。
そこで、給与公開のメリットとデメリットを、状況ごとにまとめました。
これらを参考に、自社の状況や、実現したいこと、実現してほしくないことを整理し、公開するか否かを検討してください。
【メリット】・評価基準がすべて数値化されており、かつ同職種に対する給与公開の場合→自分より給与が高い人物をお手本とし、従業員が業務改善に努めるようになる。
・マネジメント層の増加が求められる経営ステージにあり、かつマネジメント層がプレイヤー層より抜きん出て給与が高い場合→プレイヤー層から「マネジメント層に昇進したい」と希望する従業員が現れる。
・優秀な従業員の給与水準が、業界の水準を大きく上回っている場合→この会社で成長すれば十分な給与が与えられると感じ、転職を考えなくなる。
【デメリット】・評価基準が定性的で明確な数値化がされていない場合→給与に対する納得感が低下し、会社への不満が溜まっていく。
・マネジメント層の成果が見えづらい場合
→プレイヤー層の不満が増え、給与に見合った労働(プレイヤー業務など)を求めるなど、マネジメント層への要求が増える。
・優秀な従業員の給与水準が、業界の水準を大きく下回っている場合→従業員の転職意識が高まる。
・職種によって給与水準が大きく異なる場合→給与水準が低い職種のモチベーションが低下したり、自身の能力や適性に関係なく給与水準の高い職種に異動するための努力を始める。
◆評価の仕組みを公開しよう
このように、給与の公開を検討する場合は、かなり慎重に進める必要があります。
ただし、給与に関わるすべてのルールを非公開にする必要はありません。
むしろ、評価の仕組みについては、すべて従業員に公開すべきと考えています。
どのような働きや行動が評価の対象となるのか。
昇給した同僚や先輩はどの部分を評価されたのか。
それが明確になれば、キャリアアップの目標が明確になり、仕事に対するモチベーションが大幅に上がります。
ただし、それは従業員にとって「基準が明確でわかりやすい制度」であり、かつ「納得できる内容」でなければいけません。
では、どのような制度であれば従業員のモチベーションが高まるのか。
次章から、その説明をしていきます。
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