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第五章経営者の役割とは何か

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第五章経営者の役割とは何か

「丹さん、経営者の仕事も大変でしょう。普段はどういうことをしているの?」こんな質問をされることがあります。確かに、経営者が何を考え、どのような仕事をしているのか、知っている方は少ないでしょう。

ましてや、富士そばの会長なんて、普段お店で見かけることもないし、イメージが全く湧かないという方も多いはず。そこで本章では、私が経営者として、普段どのように考えて何をしているのか、少しだけ紹介することにしましょう。

経営者には、やらねばならぬときがある

リーダーシップを振るうべきとき第一章でお話ししたように、富士そばでは、メニューは基本的に従業員の提案を採用します。私はあまり口出しをしないのですが、珍しく私が主導したメニューがあります。

それが煮干しラーメンです。ラーメン屋で初めて煮干しラーメンを食べたとき、味にインパクトがあると感じました。ダシが煮干しというのも面白い。これはそば屋にも合うんじゃないかとひらめき、「富士そばでも展開しよう」とすぐに指示を出しました。

富士そばでラーメン自体が珍しいわけではありません。昔ながらのオーソドックスな醬油ラーメンは、以前から売っていました。その後、食品メーカーと話しあったり、スープをいろいろ開発したりと試行錯誤し、富士そばの煮干しラーメンが完成しました。

しかし、そうしてできた煮干しラーメンは試験的に数店舗でチョコチョコと販売されただけだったのです。それを知って私は、「一店舗や二店舗で売ったって、たかが知れている。これは全店舗でやらなければ意味がないよ」と、すぐに全店展開させました。

別に、自分が発案したメニューで愛着があったから固執したわけではありません。たとえば、かつて私が考えたサラダうどんは、数店舗で試験的に展開したところ売上が伸びなかったので、他の店舗に広がることなくメニューから消えていきました。では、なぜ煮干しラーメンは全店舗で展開するように指示したかといえば、それはヒットするのが読めていたからです。

近年、外食のラーメンはとんこつスープが市場を席巻しています。脂がギトギトで、きっと身体には良くないだろうとうすうす感じながらも、みんなが食べている。一方で、世の中全体は健康志向です。

どう考えても時代に合っていないから、とんこつブームはそんなに長く続かないだろうなと予測したわけです。時代の流れを読むことの大切さ時代には流れがあります。それを痛感したのは、昔、不動産業で土地を売っていた一九六四(昭和三九)年ごろのことです。

私は、別荘地を開発し、それを売る仕事を担当していました。とは言うものの、始めてから数カ月間は全くの空回り。しかし、ちょうどそのころ、日本は戦争による焼け野原から復興し、国民の心も落ち着き、安心感を求めるようになっていました。さらに、少しさかのぼって一九六〇(昭和三五)年には池田勇人首相が所得倍増計画を提唱。

これらの要素が重なり、何はなくても土地さえ所有していれば幸せになれるという「土地神話」が、まさに日本中に浸透していたのです。そんな背景もあり、別荘地の購入は一度火がつくと止まりませんでした。私一人で、三カ月のうちに六一件の契約をこなしたこともあります。一件、また一件と、土地は流れるように売れ続けました。

社員は一〇〇〇人を超え、入金が多すぎて、近所の銀行が専属の窓口まで置くようになったほどです。時代の流れに乗れば、すごいことになるのです。私は煮干しラーメンを食べたとき、別荘地を売ったときのような時代の流れを察知しました。

だから全店展開を指示したわけです。普通、新しいメニューが追加されると、パイを食いあって、他の既存メニューの売上が減ってしまうものです。

しかし煮干しラーメンの場合、その分の売上だけが純粋にあがり、他のメニューの売上が影響を受けて減ることはありませんでした。

時代の流れを味方にした商品は強い。そして流れを察知したなら、大きく勝負に出るべきなのです。義父から学んだ、会社のあるべき姿ある商店で、旦那様と奉公人の伝七との間で交わされたやりとりをご紹介しましょう。

「伝七や、伝七や。あの沖ゆく船を見よ」旦那様が言います。すると、伝七がこう答えました。「東風吹けば、よけもしょうかい」これは、私の義父が正月になると繰り返し口にしていた話です。

昔、奉公に出ていたとき、そこのご主人から聞いたそうです。義父・高助は実子が生まれてからというもの、私に対して辛く当たるようになり、当時は何度も嫌な思いをしました。

しかし、さすがは商売人というべきか、折にふれて口にする言葉には、独特の重みがありました。振り返れば、そんな義父の言葉の数々から、私は商売のコツを少しずつ学び取っていたのかもしれません。

このやりとりも、当時は何を言っているのかわからなかったのですが、大人になって自分なりにいろいろ調べた結果、こういうことではないかと解釈するようになりました。

帆掛け船が、風を受けて沖を滑るように走っている。船に積まれているのは、北の紅花、昆布、鮭……。文字通り、〝順風満帆〟の状態です。

伝七は、「ああ、旦那様は『うちの店もあの船のように、悠然と走って繁栄しているぞ』と言いたいんだな」と考えるわけです。それでは、伝七の返事はどういう意味か。

東風とは、冷たい風です。その風が吹いたら稲は枯れ、りんごは落ち、八百屋は雨戸を閉めて、店じまいしてしまうといいます。

つまりここでの東風は、不景気風を表しているということになります。続く「よけもしょうかい」は関西弁です。標準語で言えば、「避けもしてやろうかい」ということになるでしょうか。丁寧に言うならば、「私が風を避けてもあげましょう」。

つまり伝七の言葉は、「世の中が変わって不景気になっても、私たち従業員が一丸となって防波堤になりますから、一緒に頑張りましょう」――困ったときは、みんなが協力しなくてはいけないことを伝えようとしているわけです。

心に残る、とても良い言葉です。この話から推測するに、従業員も経営者も一体となって不景気に負けず、会社を盛り上げていくという風潮が、日本には昔から伝統としてあったのでしょう。

そんな精神が、どうも昨今の一部の企業には欠けているように思えるのは残念なことですが……。

雨降りには、経営者は傘になれ

そんな東風が吹くような不景気に、誰よりも頑張らなくてはいけないのが経営者です。私はこんな言葉を考えました。

「雨降りには、経営者は傘になれ」どこかで聞いたことがある、と思った人は勘が良いですね。これには元になった言葉があります。それは「銀行は、雨の日には傘を貸さない」です。

ドラマ『半沢直樹』で同じ趣旨のセリフがあったので、記憶に残っているという方も多いのではないでしょうか。会社の業績が好調であるときには、銀行は快く融資をしてくれます。

しかし、ひとたび経営が悪化して苦しくなると、回収できなくなるかもしれないと、お金を貸すのを渋る。つまり晴れの日には優しく接してくれるけれど、雨の日に困っていても、手を差し伸べてくれないという皮肉です。

経営者はこの逆の姿勢でなければいけません。もし従業員が雨に降られて困っていたら、真っ先に飛んでいって、傘を差し出す。傘がなければ、自分が雨を引っかぶっても傘になるぐらいの覚悟が必要です。

従業員を守るのが経営者の役目なのです。昔、富士そばの業績がふるわなかったときに、役員から報奨金制度をやめようという案が出たことがありました。お金に余裕がないわけですから、もっともな話です。

しかし私は苦しい状況を十分理解しながらも、存続を訴えました。なんなら自分の報酬をカットしても良い、ぐらいの心中でした。ここで傘を引っ込めたら従業員はずぶ濡れになり、風邪をひいてしまうかもしれませんから。

一方、晴れの日には、経営者は傘を閉じて、静かにしていれば良いのです。あれをやれ、これをやれと出しゃばると、かえって従業員が動きづらくなるだけ。経営が順調なときは、経営者は必要ありません。傘を閉じて、物陰で静かにしていましょう。

威張ると運は逃げていく

運は情報だ「会長は強運の持ち主。ギャンブルをすると、いつのまにか勝っていますよね」社員からそう言われたことがあります。どうも私は運が強い、というイメージを持たれているようです。

確かにこの商売でここまで大きくなれたのは運が良かったからかもしれません。そう思う反面、普段の生活で宝クジに当たったこともないし、道端で落ちている大金を見つけたこともありません。

そこまで人並み外れて運の強さを感じたことはないのです。その運に関して、私にはある一つの考えがあります。まず、一般的に運というものは存在するのかどうかはっきりせず、とらえどころのないイメージを持たれていますが、確実にあるものだということ。そしてその正体は、つまるところ情報だと思うのです。

たとえば山で遭難してしまったとします。そのときに助かった人は、周りから「あの人は運が良い」と評されるものです。もし山中をがむしゃらにさまよって、たまたま救助隊と遭遇したというのならば、幸運だったと言えるかもしれません。しかし中には自らの力で、助かる確率を高めた人もいるはずです。

山道で迷ったとき、普通であれば元のルートに戻ろうとして、あわててあちこち動き回ってしまうのではないでしょうか。しかし本当は、「その場に留まり体力を温存する」というのが助かる可能性を高める一つの方法だそうです。その情報を知っている人であれば、むやみに動かずに待ち続けるでしょう。その結果、救助隊に救われたのであれば、単純に運が良かったわけではなく、情報があったからこそ助かったと言えるでしょう。

情報を持っておくことで、運は拾えるものなのです。第二章で書いたように、私は二度目の上京の際、東京から大宮を目指しました。

しかし電車を間違えてしまい、乗った電車は大宮ではなく、福島県東部の平行き。まだ若かった私は、そのままどこかで下車して、そこで働くことに決めました。途中、大きな集落がいくつもありましたが、私は降りませんでした。結局、下車したのは、湯本という駅。駅前には一本の道路だけが通り、ビル一つありませんでした。

これには理由があります。車中で話したおばあさんが、「湯本のあたりには炭鉱と温泉街があるんだよ」と教えてくれたからです。それより前に愛媛県松山の道後温泉に行ったとき、温泉のあるところは栄えていることを学んでいました。

結局、駅前は寂れていたけれど、私は最寄りの炭鉱まで行って職を得ることになります。砂利の運搬をして働いた後、倉庫番に抜擢され、高校の夜間部に通うようになり、さらに東京の高校へ転校しました。

「たまたま湯本で降りて、ラッキーだった」というわけではありません。情報があったおかげで、より良い道へと進めたわけです。

運が強いというのは、いろんな情報が入ってきているということ。心がけである程度、コントロールできるものなのです。偉ぶると人は逃げていくところが世の中には、てんで情報が入らない人もいます。それはどういう人かといえば、つねに威張っている人です。趣味でゴルフに行って、友達とスイングについてアドバイスをしあうことがあります。

しかし「こうした方が良いよ」と声をかけても、「うるさいな、そんなのわかってるよ」とふんぞり返るような人間には、誰も正しいスイングを教えたいとは思いません。

仕事も同じです。昔、知人を富士そばに入社させたことがありました。ずるをしてでも一番になりたがるし、自分一人で独善的に物事を進めようとする性格で、その我の強さが仕事ではプラスに働くかもしれない、と期待をして誘ったのです。

しかし読みは見事に外れました。とにかく威張るのです。下についた社員から、すぐさま「あんな威張る人にはついていけません」という苦情が届きました。

威張る人には情報が入ってこないし、運もつかない。会社にとってプラスになることは、ほぼありません。早々に見切りをつけて、お暇してもらいました。こんな経験もあります。

不動産業をしていたころ、口からツバを飛ばすぐらいの勢いで、ひたすらしゃべりまくる営業マンがいました。そのとき、常務だった私は「お客様の前では、あまりしゃべらない方が良いんだよ」と注意しました。

しかし、その男は私の忠告に顔をしかめると、「常務に指導してもらいたくないですね。私は私のやり方でやります!」と一蹴したのです。対照的に、口下手な営業マンもいました。

しかし彼はかなりの数の契約を取ってくる、なかなかの腕利きでした。「しゃべりが得意ではないのに、どうしてだろう?」と最初はふしぎだったのですが、そのうちわかりました。

彼はとにかく人の話をよく聞くのです。セールスに行っても、自社の商品の話をするよりも、相手の話や要望を根気強く聞いている。

一方、しゃべりまくる営業マンは、上司である私の意見もいっさい聞きませんでした。どんな話でも「俺はすごいんだ」という態度で、自信満々に説明されたら、相手は聞く気になりません。

まずは、相手の話を聞くこと。それによって相手は「自分は受け入れられた」と感じて、初めて目の前の相手のことも受け入れようと考えるようになります。

絶対に威張ってはいけないし、人の話には必ず耳を傾ける。これは仕事だけでなく、夫婦間でも、どんな人間関係においてもつねに守りたいルールです。

情報は人付き合いの中から

普段、情報をどこから得るかといえば、私は人付き合いの中から多くを得ています。本や雑誌に目を通すという人もいるでしょうが、私にはそんなにたくさんのものを読む時間はありません。

それに、日常生活の中でいろんな人と会って、いろんなことを教えてもらう方が心に残るような気がします。しかし例外はあって、いくら会っても情報をくれない人もいます。

それは、経営者です。私はこれまで、たくさんの経営者と会ってきました。会う人すべてを魅了してしまうような性格の良い人から、嫌われすぎていて、後ろを向いた瞬間にみんなから石を投げられるだろうと言われるような人まで、さまざまなタイプを見てきました。

性格が良かろうと悪かろうと、ビジネスで良い話を持ちかけてくれる経営者はまず存在しません。経営者というのは計算高いものです。良い話があったら、どう考えたって自分でやるに決まっています。

甘い話は流れてこないのです。どうしても腹の探りあいになってしまいますから、私は経営者とは距離を置き、あまり積極的には会わないようにしています。

もちろん向こうも、私のことを「食えないヤツだな」と同じように見ているでしょうが……。よその会社を訪問したときは、社長よりもむしろ、働いている従業員に話しかけます。ホテルだったら清掃員のおじさん。

旅行会社だったらカウンターで接客しているスタッフ。最近どうですかと聞けば、「女性一人だけでの宿泊客が増えています」「アジアよりヨーロッパ方面が人気なんですよ」など、明快な答えが返ってきます。

現場の方が事業の実情や真実をよく知っているもので、こうした情報の方が仕事のヒントになることが断然多いのです。私がよく行く床屋さんは、おしゃべり好きなおばさんが切り盛りしています。床屋は近隣に住んでいるお客様とよく話すから、自然と情報が集まってきます。

先日も周辺の地域一帯について、あれこれと教えてくれました。「丹さんねえ、この地域は雷が落ちにくいんだよ。なんでかっていうと、近くに通信会社があるでしょう。そこを雷が直撃したらシステムトラブルが起きるから、避雷針を立てているんだって」さらにその話を発端に、周囲に比べるとこの地域は標高が高いとか、地盤が固いとか、話は多岐にわたりました。

なんてことのない世間話のようですが、おかげで近隣の地形がよくわかりました。今後、その近所で出店を検討する際に役に立つかもしれません。

東京の人は心に壁をつくって、知らない人に話しかけるのが苦手なようですが、幸い、私は田舎者だから人に話しかけるのは苦ではありません。

私以上に田舎の地域から出てきた知人の男性は、それこそ誰彼構わずに話しかけています。でも情報を得ることを考えたら、そうやって声をかける面の皮の厚さや勇気は大事でしょう。

結果的にその方が、何かを教えてもらったり、仲良くなったりして運につながりますから。これが、もし「俺は富士そばの会長だ。どうだ、偉いだろう!」と威張っていたら、誰も何も教えてくれなくなります。だから私はいつも腰を低くして、「友達のような関係」になるよう心がけているのです。

経営者だからと特別扱いを求めない

店舗を見回っていたときのことです。ある店長が、私が店内に足を踏み入れるやいなや、「会長、いらっしゃい!」と威勢よく出迎えてくれました。お客様の前で、わざわざ会長なんて言わなくても……と思いながら、席に着きました。

そのとき、私は天ぷらそばが食べたい気分でした。しかしお店は混んでいます。早くつくれるメニューの方が迷惑がかからないだろうと判断し、きつねそばを頼みました。

注文してすぐに、その店長は他の注文を差し置いて、「お待たせしました!」と大きなお盆を持って来ました。お盆を覗き込むと、きつねそばだけでなく、水の入ったコップ、さらにつゆだけが入った小皿が置かれています。

私がそばつゆの味を確認することを想定して、あらかじめ分けてくれたようです。心遣いはわかりましたが、私は敢えて注意しました。

「忙しいときに、わざわざこんなことしなくていいよ!他のお客様にも失礼だろう!」別にゴマをすっているわけでもないでしょうし、よかれと思ってやったことでしょう。

後で聞いたところ、直前に勤めていた飲食店では、会社の上層部が見回りに来たらこのように特別扱いして迎える習慣だったようです。

私が店を訪ねるのは、店内が清潔であるか、味はしっかりしているか、みんな元気に一生懸命働いているかを確認するためです。

いつも通り、普通にやってもらえば良いのです。極論すれば、私のことなんて一番後回しで構わない。平等に接するようにしないと、お客様や他の従業員は「この人だけ特別扱いされているな」と敏感に感じ取ります。

たとえそれが会長や上司だからといって、自分の順番を飛ばされるようなことがあったら、あまり良い気持ちはしないはずです。

偉ぶることや、特別扱いを求めることには百の害はあっても、一の利もありません。

社長室なんて必要ない

「鳥ぎん」は戦後、銀座で初めて釜めしを常設メニューにしたことで知られ、今もなお愛される老舗の料理店です。釜めしと焼き鳥をメインに提供し、今は都内を中心に全国で一四店舗を展開しています。富士そばの経営をするにあたって、「鳥ぎん」には強い影響を受けました。

まだ若い時分、社長と知り合って、銀座の本社に遊びに来いと誘われたことがあります。そこで銀座へ行ってみると、会社がどこにあるかわかりません。さんざんうろついた後、路地裏の奥にある小ぢんまりとした建物を見つけました。住所は確かに合っています。

しかし、全国展開しているチェーン店の本社にしては、建物がずいぶん小さかった。間違っているのではないかと思いながら、半信半疑で中に入ってみました。

ビルの三階に上がると、フロア一面が何やら薄暗い。従業員が忙しく働いている光景を想像していたのですが、実に静かです。しばらくして目が慣れると、奥の方の小部屋で社長が私を手招きしていました。

その横には事務員が一人か二人いるだけ。こんなに狭くて暗いところが本社で、社長室さえもないということに私は衝撃を受けました。「鳥ぎん」の社長は、その理由を説明してくれました。

「今まで、儲かった飲食店が規模を拡大した途端に、事務所を大きくして潰れる例をたくさん見てきた。事務所を立派にするなんて、無駄でしかない。儲けが出たら、商品開発や従業員の待遇改善に使った方が良いんだよ」この言葉に感銘を受けた私は、さっそく真似をしました。

それから長年、立地の良い渋谷駅近くに事務所を置いてきましたが、事務所は地味なもので、社長室も置きませんでした。

「ずいぶん質素な事務所ですね」と好奇の目で見られても、「応接セットを揃える資金があったら、その分を店の床の大理石に回したい」と思っていましたから。

ちなみに「鳥ぎん」はその歴史と規模のわりに、名前を知らない方も多いように思います。それはお金を派手にかけて宣伝をしていないためで、富士そばが宣伝に走らないのもその影響です。

ただし、二〇一五(平成二七)年にそれまで都内各地に点在していた会社を一カ所に集めた際、さすがに必要だろうと感じて今の二代目社長が使う社長室をつくりました。

私は会長になりましたが、相変わらず専用の会長室はありません。作業をするときは社長の机の前にある小さなテーブルを使わせてもらっています。

富士そばの物件同様、間借りです。応接セットでもあれば箔がつくかもしれませんが、偉く見られたところで別にメリットはありません。

経営者の最も大切な仕事とは

経営者の仕事は究極的にはたった一つ

「本社の事務員は、何時から何時まで働いているんだ?」先日、近くにいたスタッフに聞いてみました。「事務員は九時から一七時、係長や常務は一〇時から一八時までですが……」スタッフは「まさか会長、知らなかったんですか?」とでも言いたそうな顔をしていました。

もし聞かれたら、「うん。正確な就業時間、今初めて知ったよ」と答えていたはずです。冗談ではなく、それまで本当に知らなかったのです。

この話を聞いて、「あなたは経営者なのに、一体どんな仕事をしているんだ!」と目くじらを立てる人がいるかもしれません。

経営者といえば、会社のありとあらゆることを把握しているイメージがありますから。そもそも、経営者の仕事とは何でしょうか。

「経営に関する数字を細かくチェックする」「従業員を叱咤激励する」「株主に事業内容を説明する」……。いろいろありすぎて、挙げていけばきりがないでしょう。

しかし、私は経営者の仕事は、突き詰めていえば一つだけだと考えています。それは何かといえば「どうしたら従業員の意欲が出て、働きやすくなるかを考えること」。これが唯一無二の業務なのではないでしょうか。

「会社の財産は人だ」と第一章で書きましたが、ただ従業員の頭数が確保されているだけではダメです。彼ら、彼女ら一人一人が、心から「よし、全力で働こう!」と思ってくれないかぎり、会社は動きません。

その気持ちを抱いてもらうために動くのが、トップの最も重要な仕事であり、責務であると言えます。それに比べたら、あとは瑣末なこと。従業員の正確な就業時間も知っていた方が良いとは思いますが、別に知らなくても良い。

大胆にいえば、経営の本質は数字にはないのです。ただし、「仕事は一つ」と言い切りましたが、正確にいえば二つに分けられるかもしれません。

前半の「意欲を出してもらう」と、後半の「働きやすい環境をつくる」。特に重要なのは、前半の意欲です。どの会社でも、従業員に意欲を出してもらうための方針があるはずです。

仕事に責任と裁量を与える。「もっと頑張れ!」と励ます。成果が出たら評価する……。それぞれの方法論がある中で、大前提として必要なのは、適切な報酬でしょう。

労働の対価が十分でなければ、誰だって力が入りません。そのために、経営者は儲かる仕事を見つける。その上で業績をあげる。売上があがったら、従業員の隅々まで利益が行き渡るようにする。これが一連の業務です。

儲かる仕事を見つけるのは、当然ながら簡単なことではありません。知り合いの経営者に「あれも儲かるのでは。これも稼げるのでは」と何にでも手を出す人物がいて、最後には倒産してしまいました。

そんなにキョロキョロしないで、「これで稼ぐ!」と決めたら、腰を据えて勝負する。そうしないと、事業は儲からないものです。金銭面で見通しがつき、この会社なら食っていけると思ってもらえれば、従業員のやる気はある程度向上していきます。

そして意欲が生まれた従業員には、次のステージとして、「こんなメニューがあったら良い」「年末年始には休みが欲しい」といった要望が芽生えてきます。

経営者はそうした声に応じて「働きやすい環境をつくる」のです。この二つをクリアすると、会社全体が一丸となり、盛り上がっていきます。

人間、働きやすい職場で稼げていれば、簡単には辞めないものです。経営者の仕事は皆さんが思っているほど複雑ではなく、シンプルです。ただし、「ボーッとしているように見えても、案外難しいんだよ」とは言っておきたいです。

夢をつくる

「従業員が働きやすい環境をつくる」。経営者の役割として、これに次いで重要だと私が考えていることについても、本章の最後にお話ししておきましょう。現在、富士そばは海外に一〇店舗を展開しています。

二〇一三(平成二五)年から出店を始め、一号店はインドネシアのジャカルタに立ち上げました。その後、台湾、フィリピンにも出店し、今後は中国に進出する予定です。

まだ売上はそれほど大きくなく、利益だけで見れば、そこまで大きく会社に貢献しているわけではありません。また、将来的に売上が伸びる保証もどこにもありません。

しかし、私は国内では「出店は慎重に、撤退は迅速に」をモットーにしていますが、海外店に関しては売上をひとまずおいて、長い目で見ようと決めています。

というのも、会社は利益だけでは決して回っていかないもので、夢が必要だと考えているからです。富士そばを首都圏だけで展開しているのには、理由があります。

これまで私は、「ここなら流行る」という確信のもとで出店しながらも、結果がふるわず店を畳むという失敗を何度も経験してきました。

もうこれ以上、無駄な失敗はしたくないという気持ちが強く、確実に人のいる地域、人の通る立地に出店するという堅実な経営をしてきたわけです。

そうなると安定はしますが、大きな挑戦や夢はなくなってしまい、従業員の「なんだか面白そうだ。よし、やってやろうじゃないか」という前向きな気持ちが湧きにくくなる。そんな企業はお役所みたいなもので、活気がなくなります。

だから大きな夢が欲しかった私は、海外展開を、二代目社長に託したのです。そば文化さえもそれほど根づいていない外国で、立ち食いそば屋を出店して勝負するのは、一歩間違えれば荒唐無稽とも言われかねませんが、成功したら非常に夢がある。

いつか海外で働いてみたい」という志を持った従業員に、可能性を与えることにもなります。また海外だけでなく、新事業も展開しています。

それが二八の乱切りそばです。今の富士そばの小麦粉とそば粉の割合は通常六:四なのですが、それを思い切って二:八にしようという試みです。

よりコストもかかるため、通常のかけそばは三〇〇円であるのに対し、こちらは四〇〇円以上になりますが、これが非常に美味しい。

過去のものにずっとこだわっていても、いつかは飽きられます。だから基本は未来志向でありたい。海外進出や新事業があることで、会社全体がヴィジョンと希望を持って前に進んでいけるのです。

夢は大切なものです。八百屋で働いていたころは、いろいろ嫌なことも経験しました。人間関係で悩んだことも、身体中がボロボロになるまで働いたこともありました。

どれも耐えられたけれど、一つだけ耐えられなかったのが、寂しさでした。仲間がいないことが辛くて辛くて、結局、寂しさを紛らわすために、同僚が何人もいる油屋に転職したのです。

今、ふと思うのですが、あのとき、「将来これを実現したい」という夢があったら、寂しさにも耐えられていたかもしれません。これまでの人生でたくさんの障壁にぶつかってきました。

困った、もう嫌だと言って、諦めるのは簡単です。だから私はこのように考えるようにしています。「涙の川の向こうには、夢の岸辺が待っている。夢を与えられた自分は幸せ者だ。その夢を実現するために、もっと頑張ろう」夢があれば、障壁も乗り越えられるのです。

藤枝健司常務が語る「富士そば」と丹会長

私は栄養士の学校を卒業後、数年間、飲食関係の仕事をしていました。前に勤めていた会社は、二四時間動いているような環境だったんです。

勤務時間帯は朝、昼、深夜と分かれているのですが、夜の一二時過ぎまで働いた後、会社に泊まり込んで、翌朝の五時から準備をするのが当たり前というような過酷なシフトでした。そのような環境のために退職者が次々に出てしまい、慢性的に人手不足。

厨房の下働きから抜けられない雰囲気があり、栄養士として就職したにもかかわらず、いつまで経っても希望していた事務職になれない。

「こんなことをやりたかったんじゃない……」と思いながら、何もできませんでした。結局その会社を退社し、富士そばにアルバイトで入りました。

給料も良かったし、浅草店が家の近所だったから、腰掛けでしばらく働いてみよう程度の気持ちでした。ところが入ってみたら、仕事が面白い。

それにシフトが八時間で、週二日の休みがきちんと確保されていた。さらに休憩時間も時給に含まれるし、有給休暇もある。これは良い会社に入ったぞと思いましたね。

半年経ったころ、上司から「社員にならないか」と声がかかり、そのまま社員になりました。細かい縛りがないのも性に合いました。

それなりの規模で展開し、結構な店舗数があるのに、マニュアル化されていないチェーン店というのは珍しいかもしれません。

もちろん基本のマニュアルはあります。しかし端から端まで、「こうふるまわなければならない」という鉄則はないんです。

たとえば、「麵の湯切りは五回振ること」などとはどこにも書かれていません。そのときの状況によって、水気を切る回数の正解は変わってくるかもしれないし、それにいろんな街があって、立地によってお客様の好みも変わります。

だから教えられるのは大枠だけ。あくまでヴィジョンだけを与えて、教え方ややり方は個々の店に任せるという方針なのです。なので個人のカラーを出して営業して良い、というムードがあります。

よくしゃべる店長もいますし、あまりしゃべらない店長もいます。そのどちらがいても良い。そうなると店長の性格によって、おのずと店舗の雰囲気が変わってくるものです。

個性の強い店長が名物化していて、あの店長がいるから行きたくなる、という話もよく聞きます。それは喜ばしいことです。というのも、来店されるお客様の六~七割は常連さんで、富士そばのファンと言っても良い存在。

そのお客様が何回来てくれるか、というところが大事なポイントになり、富士そばの場合、お店にも店長にもファンがついている感覚があります。

たまにアルバイトさんにもファンがいるようですね。それも従業員に至るまで、ある範囲内で裁量が与えられ、個性が発揮できている結果ではないでしょうか。

大切なのはコミュニケーション能力

店長時代、私はスタッフの人たちとできるかぎりコミュニケーションを取るように心がけていました。富士そばは二四時間営業で、年末年始を除けば年中無休。

どれだけ優秀な店長でも、一人ではすべてを回せません。いかにスタッフにうまく働いてもらえるようにできるかが、店長としての重要な責務になります。

富士そばは、美味しい麵が打てるだとか、魚を芸術的にきれいにさばけるだとか、そこまで高い技術を要求する会社ではないと思います。

一番求められる能力はコミュニケーション能力ではないでしょうか。店長は調理など一通りの基本スキルが求められますが、コミュニケーション能力の高い人が最終的に伸びる印象があります。

最初は誰もがアルバイトからスタートして、そのアルバイトの中から社員、そして店長、さらに係長へと昇格していきます。現場を知らない人は、富士そばでは上には上がれません。

現社長ももともとは現場から入っており、そこを通ってきたことは大きな意味があります。現場の苦労を知っているからこそ、店の従業員の気持ちや求めていることがわかるわけですから。会長の背中こそがマニュアル穏やかな性格の会長ですが、お怒りになるときもあります。

それは社員のやる気が見えないときです。売上が悪い中、しょうがないといった諦めた発言をする者がいると、「じゃあ、悪い中で君は何をやったんだ?それが大事なんだよ」と言います。

いつも言われているのは、「売上は悪いときもある。だから、やる気さえ見られればそれで良いんだよ」ということ。飲食業は生活に密着して長くやる商売だから、失敗してもそこで終わりではない。

立ち上がって一歩でも半歩でも前に進んでいれば、いつかは良くなるという考え方です。あと、「長く続ける仕事だから、今頑張ってもすぐに飽きてしまうようではいけない。長く頑張れるように工夫しなさい」とも言いますね。

短期的ではなく、広く、長く、大きく物事を見なさい、というメッセージは言葉の端々から感じますし、会長自身がとにかく長い目でものを見ている方です。

会長が心配しているのは、今後は人口が減って、優秀な働き手が少なくなり、延いては富士そばの成長が止まってしまうことです。

バブルのころ、立ち食いそば屋はイメージの悪い職業として見られていて、ここでは働きたくないと言われ、人が集まらない時期がありました。

そんな時代がまた来る可能性があるから、今のうちから従業員の待遇を良くして、長く働ける環境を固めておく。それが将来、富士そばの強みになると考えられているようです。また会長は人の意見を聞く耳がありますね。

「長きにわたって経営してきたのだから、自分の思うことさえ信じておけば大丈夫だ」というトップダウン式の企業も多いと思うのですが、会長は周囲に「どう思う?」と聞いて、「なるほどね」と答えを受け入れることがよくあります。

いろいろな考えがあるから、一つの考えが正解だとは言わないし、自分の考えこそが正解だ、とも言いません。経営についても、「この形でこうやってくれ」と型にはめるようなことはせず、何事も、「そのへんは君らに任せているから、君らの好きなように、うまくやってくれ」という指示を出されることが多い。

だから逆に怖く感じることもあります。「こういう形で、この通りにやってくれ」と命令されたのであれば、うまくいかなかった場合、「いや、その通りにやったんですが……」と言い訳もできます。

しかし自由にやらせてもらって自分で意思決定している分、責任も重いですから。

そういうわけなので、細かいアドバイスを逐一もらうのではなく、会長の姿勢や態度を参考にしながら、自分たちは進んでいるのかもしれません。マニュアルは存在しませんが、たぶん会長の背中こそがマニュアルなんでしょうね。

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