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永守流 経営とお金の原則

まえがき私が自宅の納屋を改造してモーターメーカーの日本電産を立ち上げたのは1973(昭和48)年7月、28歳のときである。創業メンバーは私を含め4人。お金も設備も知名度もない。大きな夢とロマン、ほとばしるような情熱だけを持ち、まったくのゼロからのスタートだった。創業以来、私は絶えず高い目標を掲げ、確実に成長を実現してきた。これまで60社以上のM&A(合併・買収)を成功させ、今では世界の40数カ国・地域でビジネスを展開し、グループ従業員も11万人を超えた。連結売上高は2021年度に1兆8000億円、2030年度には10兆円を目指している。だが決してすべてが順調だったわけではない。とりわけ創業期の資金繰りでは大変な苦労をした。融資を求め訪ねた銀行に門前払いされたことも一度や二度ではない。破綻の危機に直面し、会社をたたもうと考えたこともあった。

今も忘れられない出来事がある。創業ほどない時期に取引先の企業が倒産し、資本金を上回る多額の不渡り手形を食らった。さすがの私も絶望的になり、一時は真剣に自殺を考え、工場への道すがら死に場所を求め車で走り回った。そんな姿を見かねた母親が私に預金通帳とはんこをくれた。「このお金を使いなさい」というのである。通帳を開いて愕然とした。残高はわずか10万円である。それでも母は自分の大事な貯金で私を少しでも助けようとしてくれたのだ。死のうとした自分が情けなくなり、涙が空っぽになるまで泣いた。そして私は固い決意を心に刻んだ。「母親がくれた人生だ。ここでくじけるわけにはいかない。日本中の銀行を駆けずり回ってでも会社を守ってみせる」。死ぬ気になってやれば活路は開けるものだ。その後、資金繰りになんとかメドをつけ、日本電産は窮地を脱することができた。創業まもないベンチャー企業は日々、生き残るか、つぶれるかの瀬戸際での戦いを迫られる。その中で実際に成長し、飛躍できるのはごくわずかである。生き残って成長の花を咲かせるにはどうすればよいか。他にはない技術や高い志、それを実現するためのハードワークなどが必要なのはもちろんだが、何よりお金まわりの戦略、財務の戦略が不可欠である、と私は考えている。私も技術者出身で財務の専門家ではないが、創業時の資金調達、金融機関との付き合い方、危ない取引先の見極め方など、何度も荒波にもまれ、時には死ぬ思いをしながら自分なりの財務戦略を体当たりで身につけてきた。その核心は「絶対に会社をつぶさないための財務戦略」であり、「会社を成長に導く土台となる財務戦略」である。緻密で揺るぎない財務の戦略、原則があってこそ、企業は成長できる。お金まわりの戦略をおろそかにしては、とても成功はおぼつかない。本書で訴えたいのは何よりもこのことである。1986年、私は『技術ベンチャー社長が書いた体あたり財務戦略』という本を出版した。日本電産がまだベンチャーと言われていた時代である。今回、これを底本としつつ、最新の状況を踏まえて、全面的に書き改めた。これから会社を興そうと考えている人、あるいは起業したばかりで奮闘中の若い経営者にぜひ本書を読んでいただきたい。会社をつぶさず成長に導くために必要な財務戦略、経営の基本原則について詳しく解説した。経営や財務の専門書にはない実践的な知識やノウハウをふんだんに盛り込んだつもりである。本書では資本市場の活用、M&A、海外展開についても私独自の考え方、基本の戦略を紹介している。企業の経営者だけでなく、経営や財務に関心のある一般のビジネスパーソン、個人投資家にも参考になるはずである。本書は金融機関の方にもぜひご一読いただきたい。企業を育てるのは金融機関の大きな役割であり、金融パーソンの醍醐味でもある。企業の成長性をどう見極め、企業とどう付

き合えばよいか。本書を通じヒントを得ていただければと思う。近年、日本では急成長し世界が驚くようなベンチャー企業がなかなか見当たらなくなっている。そもそも会社を興そうとチャレンジする若者が海外に比べて少ないのではないか。それは日本経済にとっても好ましくないだろう。私が運営法人の理事長を務める京都先端科学大学でも起業家の育成を一つの目標にしている。また、特に技術者向けにグローバルに通用する実践的な経営を教えるため、2022年4月にビジネススクールを設立する予定だ。本書を参考に、起業にチャレンジし、世界を代表するグローバル企業に導くような若者が日本で一人でも増えれば、望外の喜びである。2022(令和4)年1月日本電産株式会社代表取締役会長永守重信

永守流経営とお金の原則目次まえがき

目次

序章お金の戦略が必要だ──会社を絶対つぶさないために

経営は夢とロマンと「怖がり」財務への無頓着が破綻を招くバランスシートを頭にたたき込むトップ自らマーケティングを金融機関をパートナーに株式投資で学んだお金の仕組み数字を駆使し自分の言葉で語る経営者は財務の感覚を磨け

第1章キャッシュこそ企業価値の源泉──コスト意識を鍛えよう

売値はマーケットで決まる、原価は自ら決められるゴミ箱から分かる赤字企業の課題「1円稟議」「M(まけてくれ)プロジェクト」……購買にこそ優秀な人材をおく年収ダウンでも人材をスカウト部材コスト、世界一安い値段を知る京セラ・稲盛さんの徹底ぶりに学ぶ将来見通しから売値を決める「赤字は罪」、成功導く永守3大経営手法

第2章会社を成長へ導く財務戦略──創業期に重視すべき指標とは

「ベンチャーは自己資本比率にこだわるな」創業期から「一株当たり利益」を意識キャッシュ化速度に注目しようCCCは不正の防止にも役立つ損益計算書から成長性を見抜く

バランスシートの表現法に工夫をバランスシートにも目標を設定するCFOの役割「健全な利益」の検証を

第3章創業期の資金の集め方──やっぱりお金から始まる

最初のハードルは資金調達資本金は「頭金」だと思うこと借りにくいところから借りよう「グダグダ」京都銀行に恩義銀行選び、ポイントは支店長最悪の事態に備え先手を打つ立石一真さんとの出会い

第4章金融機関とどう付き合うか──「取引は人なり」で活路

金融パーソンの5つのタイプを知る理想は「使命感型」だが……金融パーソンに経営を知ってもらう金融機関は規模より「人」で選ぶすべてをオープンにする心がけとにかくあきらめないことだメンツを考え「頭越し」は避ける接待ゴルフ……ドロ沼への第一歩ベンチャーキャピタルの功罪VCとの付き合いも人が大切

第5章取引先を見極める方法──その選択が会社の命運を分かつ

不渡りを食らい得た教訓──「時間が大事」「取引選別」注文はとりにくいところから苦況下でこそ顧客を選ぶ新規取引、経営者が自ら見極めささいなことから実態を知る欠かせない「朝勝ち」の体質──社長の出社時間をチェック

代金回収は決して妥協しないリスク分散、1社の取引は2割以下に

第6章チャレンジと財務バランス──持続的成長へ変化を恐れない

リスクテイクと投機を見極める財務改善の道筋を示しておく「資金の固定化」を避けるために「借金の効用」で飛躍目指す成長過程には「踊り場」が必要大胆なビジネスポートフォリオの転換が生死を分ける

第7章いざ株式上場規律の中で鍛える──問われる発信力

株式上場、メリットと制約人が集まる株主総会を目指せ「ホラ」「夢」で未来を語る決算発表、必ずトップが説明増資は将来への自信から配当に込めるメッセージ

第8章M&Aをどう活用するか──永守流・勝利の方程式

M&Aのリスクをまず認識する成功の3条件──「高い価格で買わない」「ポリシー」「シナジー」どんな会社を買うべきか──我が社の「ハイブリッドM&A戦略」買うと決めたら何年かけてもバランスシートを隅々まで分析付加価値の追求──M&Aのはしりの取引PMIがM&Aの8割を占める買収先への敬意を忘れない

第9章海外展開は飛躍のチャンス──リスク管理は分散から

運命決めた米スリーエムとの交渉メード・イン・マーケットを徹底へ為替変動に負けない体質為替の予約はいっさいしないカネは現地調達、現地還元海外リスク回避、地域分散で海外進出のリスク・メリットを数値化カルチャーギャップとの戦いグローバル管理、仕組み作りを

第10章波乱の時代をどう乗り切るか

利益率15%、新たな必達基準に──人こそ競争力の源泉一致団結が成長のカギ──連邦経営から一体経営へ100年後も成長し続けるグローバル企業脱皮しないヘビは死ぬ創業者の先達に教えられたトップの心構え経営者のための10カ条あとがき

土下座した社長に対し、聞くに堪えないようなひどい言葉やモノが飛ぶ。会社を創業してほどないころ、経営が破綻した取引先企業の債権者集会に出席し、こうした光景を目の当たりにした。「社長というのはこんな恐ろしい目にあうものなのか」。そう思うと私は怖くなって足がすくみ、その場にへたりこんでしまった。そして「絶対に会社をつぶしてはいけないのだ」とあらためて強く決意した。50年近く前の話だが、このときの経験は今も私の脳裏にはっきり刻まれている。会社というのは常に天国と地獄の境目にある、と私は考えている。生き残るか、つぶれるか。そのどちらかである。そして、どんな会社もつぶれる可能性を内包していると、考えておかなければならない。さらに言えば、放っておいてつぶれる会社はあっても、何もせず自動的に成長する会社はないのだ。こんな私も創業して数年の間に何度か厳しい場面にぶち当たり、一時は倒産を覚悟したこともあった。そうした中で、苦闘しながら絶対に会社をつぶさないための財務戦略を体当たりで身につけてきた。財務戦略は植物でいえば根っこにあたる。しっかりした根っこがあるから、その上に成長戦略の花が咲く。そして枝葉は変えても、根っこは変えてはいけない。より深く広く土の中に広がっていかねばならないのだ。経営は夢とロマンと「怖がり」1973年、私が日本電産を創業したころ、日本はオイルショックに見舞われ、経済は混乱し、金利も空前の高水準に上昇しつつあった。金融機関の融資態度も厳しく、夢を抱いて創業した企業の多くは早々と消えていった。私の周りにも同じ時期に起業した知人・友人が10人近くいたが、みな早い段階で会社をつぶしてしまった。会社が破綻すれば、ともに働く人とその家族は路頭に迷いかねず、融資してくれた金融機関、部品を納入してくれた取引先などにも多大な迷惑をかける。何より経営者として企業を成長させたいという夢はついえてしまう。「会社をつぶさないためにはどうすればよいか」。創業して以来、私はこのことを常に念頭におきながら経営してきた。今でも根底にはそうした考え方がある。どんなに規模が大きくなっても、経営戦略を立て実行に移すとき、必ず最悪の事態を想定するのである。私は経営者として誰にも負けないほど大きな夢とロマンの持ち主であると自負している。その反面で人一倍、肝っ玉が小さく、「怖がり」である。家族からも「なんでそんなに怖がりなのか」とあきれられるほどである。しかし経営者の素養として、この怖がり、

臆病さは極めて重要ではないだろうか。会社がつぶれるのが怖いからこそ、事前に徹底的に調査し、最悪の事態に対応できる備えをする。そして財務の足元をしっかり固め、簡単には危機に陥らない土台があるからこそ、将来に向けた成長戦略が打て、飛躍できるのである。私も最初から財務の知識があったわけではない。小切手は銀行に持って行けばすぐに現金化できるものだと思っていたし、手形などは見たこともなく扱い方もよく分かっていなかった。財務の知識やお金に対する感覚といったものは、会社が倒産しかけたりするときに学んでいった。決してそうなりたくはないが、つぶれる寸前まで行くといった危機の経験から学ぶことは多い。私はそのときに学んだことを、一つひとつ経営の原則にしていったのである。この点で最近の経営者層の人を見て物足りなく思う。経営者候補として大企業出身の人たちを募集し、面接をするが、まったく財務に弱いのである。おそらく大企業にいると、周りに財務や経理の専門家がいて、自らお金で苦しんだり、資金繰りの恐怖を味わったりした経験がないのだろう。財務の感覚が弱い「そろばんを持っていない経営者」に会社を任せるわけにはいかない。財務への無頓着が破綻を招くまず、破綻した企業がなぜ失敗したかを考えてみよう。先ほど述べたように、私と同時期に会社を旗揚げした人たちは早い段階で旗を巻き、退出していった。理由はそれぞれ違うものの、共通するのはみな経営や財務の数字に弱かったということである。ある人は決算書がまったく読めず、バランスシート(貸借対照表)が何なのかも理解できないまま、財務面を人まかせにしていた。ある人は典型的な技術屋タイプで、技術さえあればビジネスがうまくいくと思い込み、金融機関からどうすれば資金を引き出せるかなどについて、知識やノウハウがなかった。彼らが怠けていたとか、製品が粗悪だったとかいうわけではないだろう。実際、みな優秀な技術者であり、志を持った起業家だった。日々一生懸命に働いて、それぞれにいい製品を作っていたように思う。ところがお金まわりの戦略について、あまりにも無頓着だった。彼らが少しでも財務戦略に頭を使っていれば、会社をつぶすことはなかったかもしれない。今も多くの企業が生まれ、その何割かは早い時期につぶれていく。破綻した企業経営者の中には「まさかつぶれるとは思わなかった」と、人ごとのように話す人もいる。経営者が会社の数字をまったく把握していなかったのだろう。今はかつてないほど変化の激しい時代である。「まさか」という事態は、どんな大企業にも一流企業にも起こり得る。数字を常に把握し、いざというときにキャッシュ(現金)

をどう確保するかといった最悪の事態への対処法を、日頃から想定し、原則を定めておくことが欠かせない。特に企業規模が小さい創業まもないベンチャー企業は、それを何より最優先で考えるべきだろう。バランスシートを頭にたたき込むあなたがすでに起業し、会社の経営者になっているなら、一度目を閉じて自社のバランスシートを思い浮かべてみてほしい。「現金がこれだけあり、売掛金はこれだけ、一方で借入金はこれくらい……」というように瞬時に数字が頭に浮かぶだろうか。「経理担当に聞かないと分からない」と言っているようでは経営者として失格である。そう心得てほしい。技術者出身だから財務や会計の数字は知らなくてもいいと思っているとすれば、それは大きな間違いである。売上高や利益は把握していてもバランスシートにまで気が回らないという人もいるかもしれないが、とりわけ創業5年~10年くらいまでの間は、何よりバランスシートの数字をソラで言えることが大切だ。たとえ技術に関わる細かい数字などは忘れても、バランスシートの数字は常に頭に入れておかなければならない。「バランスシートの見方がまるで分からない」というのは論外で、そういう人は会社を経営するべきではないし、そもそも新たな企業を興そうなどと考えるべきではないだろう。左側に資産、右側に負債と純資産(自己資本)を並べたバランスシートは、これまでの事業活動の結果であり、企業の顔といえるものだ。企業経営者たるもの自分の会社の顔に責任を持たなければならないのである。「最後にカギを握るのはキャッシュ(現金)」というのが財務の原則である。キャッシュが尽きるから企業はつぶれる。極端に言えば、どんなに多額の赤字を出していたとしても、キャッシュに余裕があるなら絶対つぶれない。だからこそ、バランスシートの資産サイドには現預金がいくらあるのか、すぐに現金化できない売掛金や在庫が膨らみすぎていないか、一方の負債サイドで1年以内に返済する必要のある借入金の規模はどれくらいか、などといった基本の数字を常に把握しておく必要があるのだ。投資計画などを考えるうえでもバランスシートにどんな影響が出るかをしっかりとらえておくことが肝心だ。例えば研究開発投資をする場合、投じたお金を将来どのように回収するか。無理な投資でバランスシートが大きく崩れたりしないか。将来を見通したうえで、的確に判断することが欠かせない。私は今でもM&A(合併・買収)で企業を傘下に収めるとき、バランスシートへの影響をまず考える。自己資本比率はどうなるのか。負債は増えすぎないか。そこを過剰に意識

すると攻めの投資などできなくなるが、回復するためにどのくらいの期間がかかるかをきちんと見極めるようにしている。これは単純にモノを仕入れて加工するといった類いのものではなく、複雑な計算が必要である。会社全体の財務状態を把握し、その状況の中で、どれだけの資金を将来への投資に向け、それをどう回収するのか──。経営者はそのメカニズムを瞬間的に判断できる力を持っていなければいけないのである。トップ自らマーケティングをベンチャー企業を立ち上げたとき、経営トップがこれだけは他人に委ねてはいけない、というものがある。それはマーケティング(セールス)である。「我が社の技術は素晴らしい。だから製品は必ず売れ、銀行もお金を貸してくれるはずだ」。そう思い込んでいるベンチャー企業の経営者と会って、驚いてしまうことがある。こういう発想は大きな間違いである。どんなにいい技術を持っていてもモノが売れなければお金が入ってこない。お金が入らなければ企業は存続できない。市場で売れるモノを持っていない企業に対して、銀行もお金を貸さない。これは当たり前の話であるが、この当たり前のことが分かっていない経営者が多いのである。ベンチャー企業にとっての最大の落とし穴は「技術過信」である。銀行は技術に対してお金を貸すのではない。その技術によって生み出す商品の可能性に対して貸すのだ。そもそも技術が素晴らしいということを裏付けるのは、その技術で作った商品が市場で売れるという事実なのである。そう考えると、創業してまもない企業にとって大切なのは、技術よりマーケティングである。一にも二にも、三にも四にもマーケティングなのである。何をどう売るのか、実際にモノを売っていく力、販売力が問われるのだ。では、その力を誰が持っているか。誰がその力を発揮すべきか。それは当然、経営トップであろう。それを認識したうえで、立ち上がり時には、経営トップは率先してマーケティング、セールスに力を入れなければならない。何度も言うが、「私は技術者出身なので技術以外は分からない」と言っているようでは、とても成功できないだろう。経営トップは同時に営業本部長の役割も務めなければならないのである。日本電産が最初にまとまった注文をとったのは米国の化学・電気素材メーカー、スリーエムからだった。「何の実績もないところには任せられない」と言われ、日本の企業に相手にされなかったとき、私が単身米国に乗り込んで営業活動をしたのだ。自ら英語を駆使して製品の売り込みに回った。このときのやりとりについては、第9章で詳しく述べた

メーカーである以上、優れた技術が必要なのは言うまでもない。だが技術力は顧客のニーズに応えるものでなければ意味がない。市場に受け入れられない技術、商品には価値はないのである。そして一つでも市場に受け入れられる商品を持っているならば、創業して最初の5年間くらいはその商品のマーケティングに全力を挙げるべきである。研究開発はもちろんベンチャービジネスの生命といえるものであるが、最初のうちは新たな開発よりも販売に重点をおくのが望ましいだろう。さらに言えばマーケティングはモノを売って終わり、ではない。多くの注文を受けて、会計上の売り上げが立っても、きちんと代金を回収できなければ、売掛金が残ったままキャッシュは手元に入らない。現金と売掛金はバランスシートでは同じ流動資産でも、まったく異なるものだ。現金に比べて売掛金が膨らんでいるバランスシートは、財務の安定性から考えると好ましくない。マーケティングには資金の回収まで含まれている。そう考えることが大切で、営業パーソンにもそうした教育が欠かせない。いくらすぐに売り上げが立つからといって、回収状況が悪いところとは商売をしてはいけない。「回収は早く、支払いは遅く」。これがキャッシュを重視した経営の基本だ。創業まもないベンチャー企業はこういうところまで徹底する必要がある。金融機関をパートナーに「絶対につぶさない財務戦略」というと、いっさい外から借り入れをせず、ひたすら自己資金を頼りにして経営をすればよい、と考える人もいるかもしれない。もちろん、そういったビジネスも一つの選択肢であろうが、本書で想定しているのは創業後に飛躍的な成長を目指すいわゆるベンチャービジネスだ。企業の価値を高めて、世界的にビジネスを展開しようというのなら、外部から必要となる資金を導入し、それをテコに事業を拡大していかなければならない。借り入れには経営に緊張感をもたらすといった効用もある。そこで重要になるのが「よきパートナー」「よき理解者」としての金融機関の存在だ。創業時の資金調達の仕方については第3章、金融機関とりわけ銀行との付き合い方などについては第4章で詳しく説明しているので、そちらを参考にしていただくとして、ここでは企業と金融機関の望ましい関係を考えてみたい。日本を代表する企業の歴史を振り返ると、多くの場合、成長を支える金融パーソンの存在があった。例えば関西でいうと、松下電器産業(現在のパナソニック)の創業者・松下幸之助氏と、住友銀行(現在の三井住友銀行)の元頭取・堀田庄三氏との関係が有名だ。堀田氏は経営の神様と呼ばれた幸之助氏の手腕を信頼し、資金面で支え続けたと言われている。

我が社の場合、原点になっているのが京都銀行、京都信用金庫、そして政府系の中小企業金融公庫(現在の日本政策金融公庫)などである。創業時、事業拡大に必要な資金を求めて私は銀行を訪ね回ったが、まるで相手にしてくれない。今のようなカネ余り時代と違って、どの企業も産業資金を求めていた時代である。支店長に居留守を使われて門前払いされたこともあった。ようやく7カ所目で話を聞いてくれたのが、京都銀行桂支店の支店長だった。それをきっかけに京都銀行との深い関係が今に至るまで続いている。企業規模が大きくなると、取引額などはメガバンクの方が多くなったものの、京都銀行は今も精神的なメインバンクである。当時の京都銀行の経営者は、日本電産の最大の恩人の一人といってもよいだろう。京都信用金庫にも苦しい時期に融資をしてもらった。地元京都で中小企業の育成を支援するという使命感を持った金融パーソンが多くいた。製品の販売であれ、原材料の調達であれ、資金の借り入れであれ、すべて「取引は人」である。こうした志を持った人との出会いが事業を大きく左右する。金融機関と接する際の私の基本方針は、正直にすべての情報をオープンにするということである。金融機関との取引はその場限りでなく、長く続いていく。信頼関係を築き、ありのままの姿を理解してもらうべきである。そして決してあきらめないこと、すぐに腹を立てないこと、が肝心だ。金融機関に理解してもらい融資を引き出すのも経営者の重要な役割である。マーケティングと同様、これも経営トップが前面に出なければならない。そのためにも財務の知識、戦略が必要であり、それを論理的に説明する能力も経営トップには求められるだろう。かつてのホンダのように技術は本田宗一郎氏、経営は藤沢武夫氏といった名コンビがそろうのは確かに理想かもしれない。しかし、なかなかそういうパートナーを見つけるのは難しい。やはり自ら数字に強くなり、お金まわりの戦略を身につける必要がある。株式投資で学んだお金の仕組みでは私はどのようにして「お金の仕組み」を学んだのか。振り返れば16歳から始めた株式投資での学びが大きかったように思う。そもそも少年のころから将来は起業をしようという考えがあり、株式投資もその準備のために始めた。中学生を相手に学習塾を開いたりして得た資金を少しずつ株式に投資した。こうした実際の投資を通じて、株式はどのようなメカニズムで上がったり下がったりするのかについて理解し、強い企業にはどんな特徴があるのか、といったことも、だんだんと分かるようになってきた。朝から日本経済新聞に目を通し、各社の業績についてじっくりと研究した。今どの会社が伸びているのか、また、どの業種が将来成長しそうかなどを徹底的に調べることに時間

を費やした。16歳の高校生がそんなことをやるのだから、周りの大人はびっくりしていたが、新聞の経済欄のちょっとした数字をもとにして、企業の動向、将来の成長性を読もうとしたのだ。

企業のバランスシートの見方も身につけていった。株式を保有していると、毎年、決算報告書が送られてくる。それをしっかり読み込む。今でもバランスシートさえ見れば、どんな会社であっても、伸びる会社かそうでないか、すぐに予想が立てられる。それも、ただ単に財務が非常に健全だといったことではなく、「将来成長する可能性がある」とか、「この会社はダメだろう」といったことまで見えてくるのだ。もっとも株式投資は成功ばかりではなかった。当時は高度成長期で、私が買っていた電機関連の銘柄が軒並み上昇し、一時は含み益が1億円にもなった。ところが最初に買った銘柄の株価があまりにも高くなったので空売りをしたところ裏目に出た。予想に反して上がり続け、大きな損を出し、せっかく膨らんだ含み益は一気に消えてしまった。この経験を通じて「含み益など当てにならない。キャッシュしか信用できない」と思い知った。それ以来、原則を定め、信用取引には手を出さず、成長が見込める銘柄への長期投資に徹するようになった。株の空売りでの失敗の経験は、キャッシュを重視するという現在の経営にも生きている。株式投資で学んだ知識と教訓を様々な形で事業につなげていったのである。数字を駆使し自分の言葉で語る金融機関から融資を引き出そうとする際にも、必ず数字の裏付けが必要である。金融機関を説得するのはすべて数字である。後の章で詳述するが、金融パーソンのタイプのうち、「使命感型」の人、ベンチャービジネスを育てる熱意のある人が相手ならば、それなりに理解をしてくれるかもしれない。しかし、それ以外のタイプの人たちには、絶対に数字の裏付けがなければ通用しないのである。何とはなしに漠然と「こうなりそうだ」では絶対にダメである。計数感覚を発揮して将来のビジョンをはっきりと描けなければいけない。物事をすべて計数でとらえる、あるいは表していくことが大切である。「いい製品ができた。資金さえあれば、ジャンジャン作ってドンドン売ることができる」と言ったところで、ではジャンジャンやドンドンを具体的に説明しろと言われたらまったくできない。それでは説得力を持ち得ないだろう。金融機関の人たちは何より数字でものを見るという教育を受けている。技術者出身のベンチャー経営者が、門外漢には理解できないような専門用語を羅列してまくしたてても、畑違いの金融パーソンに分かるわけがない。説得というのは、相手の立場に立って、相手の理解できる方法でしなければいけない。その数字というのも世界全体をとらえたものである必要がある。世界経済は今後どのような方向に向かっていくか。それを踏まえたうえで、事業の展望を数字で示していくので

ある。今でも私はモーター事業の展望について世界全体を視野に入れつつ、数字を交え自分の言葉で語るようにしている。例えば次のようにである。「電気自動車(EV)が2025年に分水嶺を迎え、本格的な普及期になる。その時点で当社のEV用駆動モーターシステムの出荷台数は350万台に達する。そして2050年には、世界中の工場が無人化・自動化され、500億台のロボットが動く。そこに使われるモーターは天文学的な数字になるだろう」──。経営者は何より長期の視点を持ち、借り物ではない独自の言葉、考えで語ることが大切である。これは将来、株式を上場し、より幅広いステークホルダーに会社の成長性を訴えていく際にも非常に重要になってくる。経営者は早い段階から数字を踏まえたうえでの発信力や表現力を鍛えていくべきである。経営者は財務の感覚を磨けところで日本に財務に弱い経営者が多いのは、日本の教育にも原因がある、と私は考えている。とりわけ技術者はお金のことを考えてはいけない、お金のことを考えるのは恥だといった風潮すらあるように感じる。学校教育でもお金の仕組みをきちんと教えることは少ない。ましてや経営者を育てようというようなプログラムも日本にはないのだ。起業して成功しようと思ったら、会社を興した初期のころから財務の感覚を磨いておかなければならない。何度も言うが、いくら意欲があっても、製品がよくても、きちんとした財務戦略がなければ会社はつぶれるのである。私の言葉でいうならば「そろばんを持たない経営者」にはなってはいけない。そして様々な経験から、教訓を導き出し、自分なりの原則、戦略を作っていくことである。私は物事が起こるたびに原則を決めていった。その原則から外れたことをやると、必ず不具合が生じ、失敗につながったりするものだ。残念ながら、こういった原則は経営の教科書、財務の教科書にはどこにも書かれていない。私が本書を書いた理由もそこにある。序章の最後にこれから起業しようとする若い人たちに強調しておきたい。会社を興してからすべてが順調に進む、といったことは決してない。最初は多くの失敗や挫折があるだろう。しかし努力した分だけ、リターンがある。経営者の能力は挫折とジャッジの回数によって鍛えられる。これはベンチャーと言われる時代を過ぎ、企業規模が大きくなっても、常に肝に銘じておくべきである。

キャッシュ(現金)が企業価値のすべての源泉であり、様々な経営判断をする際の最も重要な基準である。私はこう考えて経営をしてきた。社員に給料をどれだけ払うか、年間の休日を何日にするか、自社ビルを建てるかどうか。こうした判断をする際の基準になるのも、突き詰めれば、蓄積したキャッシュの量であり、そのキャッシュを生み出す力なのである。キャッシュが十分にないのに、「歴史のある無借金経営の隣の会社と同じ給料にしよう」とか「ライバル社に負けずに立派な自社ビルを建てよう」などと考えるのは、経営者として大きな間違いである。売り上げより利益、利益よりキャッシュというのが財務の基本であり、経営の原点である。当然のことであるように思うが、これを十分に認識していない経営者が意外に多いのではないだろうか。もちろん売り上げがなければ、利益もキャッシュもないわけであるが、売上高を増やすことばかり考えていると、成長ではなく膨張になってしまう。利益を高めることは重要だが、利益ばかり求めていると「開発費を資産に計上しよう」などと、キャッシュが入ってこないような利益を探そうとしてしまう。会計上は認められていたとしても、あくまで道のど真ん中を歩くべきである。何より重要なのはキャッシュがきちんと得られる利益を継続して出すこと。その仕組みを作ることである。この章ではキャッシュを生み出し続けるための稼ぎのメカニズムについて考えたい。売値はマーケットで決まる、原価は自ら決められるモノを作って売る。いくらで製造して、どういう価格で売れば採算がとれて利益が出るのか。これを考えるのが経営の基本である。いや経営などというたいそうなものではなく、すべての商売、ビジネスの原点がここにあると言ってよい。私の経験では、特に技術者出身の経営者は技術至上主義に傾き、コスト意識というものが十分に根付いていない人が多いように思う。しかしキャッシュを継続して稼ぎ、競争に勝とうと思ったら、コスト競争力の徹底が不可欠である。私の考え方の基本はこうである。売値は市場で決まる。マーケットプライスである。ここでは競争がある。だから思い通りにはならない。経営が苦しいからといって、5000円の製品の価格をいきなり1万円にはできない。だが原価は自分たちの努力によって下げられる。自分たちだけで決められる原価をいかに安くするか。これが利益を出し、キャッシュを確保するためのカギになる。特に起業したばかりのベンチャー企業にとってはコスト感覚を徹底させることが極めて

重要である。既存の産業に後から参入する場合、ハンディキャップを多く持っている。競争相手は立派な会社であり、人材も豊富で、ブランド力もある。そこに入っていくには、やはり売価を安くする必要がある。競争力のある売価にすれば、顧客は買ってくれる。しかし売価を下げると普通は利益が減る。原価を気にせずにバーゲンセールのようなことばかりやっているような会社はつぶれる。赤字にならないよう仕入れの原価を注意深く見なければならない。それを誰がやるのかといえば、やはり経営トップである。ゴミ箱から分かる赤字企業の課題かつて私の朝の日課の一つとして「経費チェック」があった。電気代や水道代、さらにコピー代から事務用品の代金まで、私が自ら会社の伝票を一枚一枚すべてチェックするのである。経費伝票というのは実に雄弁である。会社の状況がすべて見えてくる。経費のムダは一つひとつは小さくても積み重なると収益を確実に圧迫する。不要なお金はいっさい使わない人を京都で「始末屋」というが、企業経営にも「始末」が大切だ。そのために時には1円単位に至るまで経営トップが関与するべきである。企業の規模が大きくなってきてからは、さすがに一枚一枚、伝票を見ることはなくなった。それでもM&A(合併・買収)で経営不振の赤字企業を傘下に収めたときなどは、社内にコスト意識を徹底させ、それを定着させるために、ショック療法的な対応をすることがある。我が社はこれまで60社以上の企業をM&Aで傘下に収めてきたが、とりわけ国内の場合、その多くは経営が悪化した赤字企業だった。こうした企業に共通しているのがコスト意識の低さである。コストに対する意識を浸透させるために、例えばこんなことをやる。まず部屋にあるゴミ箱の中のものを新聞紙の上にすべて出してもらう。まだ使えるものが捨てられたりしていないか、チェックするのである。日本電産では裏紙もすべて使うが、赤字企業では裏が白いままの紙が捨てられていることが多い。まだ書けるペンなどの事務用品があったりする。「節約しているつもりでもこんなにムダがある」と認識してもらうのである。一つの基準として、ゴミ箱に3割以上使えるものがあった場合、コスト意識を徹底するだけで、すぐに黒字化できる会社だと考えてよいだろう。それだけムダが多いということである。原始的なやり方のように思われるかもしれないが、コストについて考えてもらうために非常に効果的な方法である。「1円稟議」「M(まけてくれ)プロジェクト」……

買収した赤字企業に対しては「1円稟議」をやる。経費について1円単位から私がすべてチェックしたうえで承認するのである。「兆円企業がそんなことまでやるのか」と冷ややかに見る人もいる。確かに1円稟議をやる方がむしろコストの負担になるかもしれない。しかし重要なのはコストへの意識を社内に浸透させ、それを定着させることである。コスト競争力の強化策として、我が社の中で「Kプロ」「Mプロ」と呼ぶプロジェクトがある。「Kプロ」は経費削減のためのプロジェクトである。赤字企業に行くと、こうした経費の管理が極めて甘くなっている。「Mプロ」は購買費削減のためのプロジェクトだ。「まけてくれ」のMである。取引先と交渉したり、調達先を絞り込んだりして、部材の購入費をなるべく下げる。同時に設計や生産方法も見直して、部材のコストを抑えるのである。M&Aで傘下に収めた赤字企業を再建する際にも、こうした「Kプロ」「Mプロ」のチームを作る。コスト管理が極めて甘かった企業なら、この2つのプロジェクトが動き出すだけで、黒字化はもう時間の問題だ。コスト削減への意識が社内の隅々まで浸透した企業は、稼ぎのメカニズムが機能し、利益・キャッシュがきちんと出せ、成長につながっていく。購買にこそ優秀な人材をおく一般の会社では営業部門に優秀な人材を持っていき、購買部門には営業では十分な成果を上げられない人材が行くというようなケースも多いようだ。それでは購買に力は入らなくなる。そうではなく購買にこそエース級の人材を配置するべきだ、というのが私の考えである。日本電産もそうだが、私が付き合いのある会社でも、利益率の高いところほど購買部門が強く、原価に対して厳しい。一方で、部材の原価を決めるのは、購買部門だけではない、ということも忘れてはいけない。原価を決めるのは技術である、と私は言っている。例えば、競争相手の部品点数が25だとする。それを18に減らす。それが技術の力である。多くの企業は技術の力でいい性能のものをいかに作るかしか考えていない。だから過剰品質のものができてしまう。「まけてくれ」も大事だが、それだけでは中国企業などとの競争には勝てない。技術を駆使して、設計や生産方法を見直し、より少ない部品、より安いコストで製造できる仕組みを作る必要がある。我が社もこれまで折に触れコスト構造を見直してきた。2008年のリーマン・ショックの際に世界中で需要が急減したときには、ダブル・プロフィット・レシオ(WPR=利益率倍増)というプロジェクトを始め、コスト改革に取り組んだ。売上高が半分になっても営業損益が黒字になるためのコスト改善策で、売上高が以前の水準に戻れば、利益は2

倍になる仕組みだ。このとき、社員から幅広く集めた業務の改善案は数万項目にもなった。製造現場でのライン構成の見直しや設備の削減、原材料費の調達方法の変更など幅広い内容である。単にケチになれというだけではない。コストを本当に下げようと思ったら、事業のやり方を根本的に見直す必要が生じる。これまでのやり方を絶えず見直すことで、収益性が磨かれていくのである。このWPRはその後、2012年度に第2弾、19年度には第3弾、20年度に第4弾と、経営環境が厳しくなるたびに発動した。「WPR」という名称は商標登録まで行った。年収ダウンでも人材をスカウトベンチャー企業も創業時から常にコスト意識を高め、それを社内に定着させていく必要がある。では具体的にどうするべきか。「人件費」「経費・原材料費」などに分けて、私の考え方をさらに説明しよう。企業価値を左右するのは人材である。私を含め4人で始めた日本電産もその後、新卒社員の採用に加えて、多くの人材を外部からスカウトしてきた。取引先の銀行、電機大手、自動車メーカーなど様々な業種の人に来てもらっている。失敗しているベンチャー企業の一つの大きな特徴は、人件費への感覚が鈍いことである。なぜそうなるのか。それは急成長する過程で人がなかなか集められず、そのためにお金で人を釣るようなことをするからである。「お金でやって来る人はお金で去っていく」と私は常々思っている。ベンチャー企業は人を他社からスカウトする際、以前の職場の年収を下回ってでも呼んでくるというくらいでなければダメである。これが私の持論だ。例えば人材をスカウトする場合に、「現在の会社で30万円の月給をもらっているのなら、うちは40万円出そう」というやり方をする。こういった安易なやり方ならば誰でもできるだろう。これでは当然、コストの上昇につながり、結果として企業の収益性は下がってしまう。外部から人を採る場合の基本的な考え方はこうである。例えば、大企業で1000万円の年収を得ていた人をそのままの待遇で呼んできた場合、その人がすぐに年収1000万円に見合う収益を稼いでくれるだろうか。それを冷静に見極める。可能であるならば当然それでよいだろう。しかしまったく違う業界からやってきて、一から教育したり、新たな業務に習熟してもらったりしないと力を発揮できないのなら、最初から1000万円を稼げる道理がないだろう。そうであれば当初はやや低い年収で働いてもらうべきではないか。年収ダウンでも人を集める、そういった経営感覚が必要である。日本電産が創業してまもないころ、中途入社組はほぼ全員、入社時点の年収が前職より

ダウンしていた。30%も減った人もいた。ただ、それは入社時に限ったことで、一定期間を経たのちは大半が以前の給料を上回った。きちんとした教育を受け、稼ぐ能力が向上していけば当然、給料は上がっていく。ちなみに日産自動車の副最高執行責任者(副COO)からスカウトした関潤社長兼最高経営責任者(CEO)も、入社当初は日産時代と比べ収入が下がったはずである。それでも実績を上げることですぐに上回ってくる。

ベンチャーの場合、株式を上場した際に大きなキャピタルゲインが得られるとか、高いポストへの距離が短いとかいったメリットがある。新たな人材には今後の可能性をきちんと説明して、それを理解してもらう必要がある。人件費コストに敏感になれというのは、人件費をとにかく減らせ、ということではもちろんない。2020年には私は社員の賃金を今後3年間で3割増やすと宣言した。ただし、今やっているのと同じ仕事に対して3割増しの賃金を払うというわけではない。一方で実力主義の賃金体系を導入するなどして生産性を上げていく。そうなれば十分に3割増しの賃金を払えるはずだ。重要なのは、世間の相場とか過去の年収に左右されるのではなく、社員の実際の能力、生産性を十分に見極めて、それに応じた賃金にすることだ。業績に貢献し始めたら、きちんと評価し、年収もそれに見合った水準にしていく。人件費についても将来を見通したうえで戦略的な発想が必要なのだ。ともあれ、ベンチャー企業の経営が成功するため重要なのは、人件費コストへの感覚を磨くことにあるように思う。その人がこれからどういった仕事をし、業績に貢献してくれるのか。その働きにふさわしい賃金はいくらか。そういった判断が的確にできない経営者は失敗する確率が高いといえるだろう。部材コスト、世界一安い値段を知るビジネスパーソンなら名刺を持っているだろう。あなたはその名刺を1枚作るのにいくら費用がかかっているか、ご存じだろうか。大半の人は知らない。だが、これから起業して経営を始めようというのなら、あるいは企業の経営幹部として会社を運営していく立場にあるのなら、身の回りにある事務用品、日頃使っている備品などのコストに一度目を配ってみてほしい。赤字企業を買収した際、私は会社の経営層に対して、社内で使っているトイレットペーパーの値段がいくらかと質問したりする。社長はまず知らない。経理担当の部長や課長もたいてい答えられない。実際に購入した担当者ですら把握していない場合もある。そして、よくよく調べてみると、ほかよりも2割ぐらい高い値段で買っていたりするのである。これもコスト意識を徹底してもらうためのショック療法のようなものだ。製品の設計は素晴らしい。開発力も高い。しかし、コスト感覚に乏しく、一つひとつの部品にいくら費用がかかるかは知らない。塗料がいくらで、輸送費がいくらか──といったことがぜんぜん分かっていない。赤字企業の経営者にはこういうタイプの人が多いようである。製品に使う重要な部品についてなら、おおよその数字くらいは頭に入っているかもしれ

ない。例えば「このベアリングは一個500円くらいか」といったようにである。だが大切なことは、300円で仕入れている会社もあると知っているか否かである。世界一安い値段はいったいいくらなのか。それを知っておかなければいけないのだ。もちろん、自分の会社は現金で払えないからとか、仕入れの数量が少ないからといった理由で、500円でなければ買えないというケースもあるだろう。しかし、現状はどうあれ、ベアリングを世界でいちばん安く仕入れている会社が例えば300円で買っているなら、その事実をやはり知っていなければいけない。自分の会社がやむを得ない事情から500円で買っている場合、絶えず問題意識を持って450円、400円へと値下げしていく方法を考えるべきだ。そこまでする必要があるのかと思う人もいるかもしれない。しかしベンチャーというのは、まったくのゼロからスタートするわけだから、基本的に「世界一のもの」を持っていなければならない。それがなければ成功しない。コスト意識でも世界一といえる水準が求められるのである。京セラ・稲盛さんの徹底ぶりに学ぶこのコスト意識に関して京セラの創業者・稲盛和夫さんからかつて指摘されたことが今も頭に残っている。稲盛さんは私より一回り年上、私がずっと尊敬し、同時に超えるべき目標として闘争心を燃やしてきた経営者である。日本電産が2003年、創業30周年で今の本社ビルを建てたときの話である。ちなみにこのときに建てた新社屋は高さが約100メートルあり、京都でいちばん高いビルである。その何年か前に約95メートルのビルを京セラが建てたのに対抗して、5メートル高いビルを建てた。当時はまだ業績で京セラに遠く及ばなかったが、これから業績は伸ばせても、ビルの高さは修正できないと考え、先に高くしておいたのだ。それだけ京セラを、稲盛さんを意識してきたのである。その本社ビルの竣工式に稲盛さんにも来ていただいた。「社長室を見たい」と言われて案内したら、稲盛さんは部屋の中にある一つの植木に目をとめた。そして「社長室になんで植木がおいてあるのか」と質問された。「これは買ったものではなくて、新社屋のお祝いでいただいたんですよ」と私が説明したら、稲盛さんはこうおっしゃったのだ。「もらったものだといっても、この植木に毎日、水をやらないといけない。この植木が枯れたときは捨てに行く必要がある。それは誰がやるのか。そんなムダなことをしていたら、日本電産はいつまでたっても京セラを追い越せないよ」最初は驚いたが、すぐ「なるほど」と思った。お祝いでもらったものではあるが、そこからコストが発生する。そういう発想は私にはなかった。そこまでコストに敏感な稲盛さんの姿勢に、京セラの強さをあらためて感じた。

将来見通しから売値を決めるここまでコスト意識について述べてきたが、次は原価に基づいて売値をどう決めていくか、その基本の考え方を説明したい。ここでも将来のコストやマーケットの情勢などを数字で裏付けながら見ることができるかがカギになる。ある製品の売値を決める際、最も重要なことは「将来性」という項目をどのように原価計算の中に取り入れていくかである。とりわけベンチャー企業の場合、この「将来性」が何よりも大切になる。その製品を顧客がどれくらい買ってくれるようになるのか、あるいはその製品のマーケットがどのように推移していくのか、顧客の構成がどうなっていくのか──それらを一つひとつ的確に判断する。そのうえで、将来的に儲けられる部分と、現在確保しなければならない利益のバランスを考えていくのである。例えば、ある製品を2万個受注し、それを今、単価2000円で売れば収支がトントンだったとしよう。つまり原価は2000円である。一方で近い将来、大口の取引先から10万個の発注が確実に見込める状況にある。生産量が増えると効率的に作れるようになり、一製品当たりの原価は1500円に下がる。それならば、今回は利益がなくても売値を2000円にしておき、次の注文で500円×10万個の利益を目指そうではないか。こういうふうに発想していく必要がある。将来性のある商品であればあるほど、将来を見据えたコストポリシーを明確に持ち、マーケットを獲得していくことが大切である。とにかくユーザーというものは、自分が買う商品の適正価格というものには非常に敏感である。ひとたびこれを誤ると、顧客が離れていき、商品の寿命を短くしてしまいかねない。先ほどの例だと、足元の利益の確保を狙って2500円の売値にした場合、顧客はどう動くだろうか。高すぎると考えれば、顧客は離れてしまう。そこへ競合他社が出てきたらどうなるか。そういったことまで考えて、売値を設定することが重要なのである。「赤字は罪」、成功導く永守3大経営手法赤字は罪である──。私は社内外でこう公言してきた。多くの人が働き、金融機関にもお金を出してもらって事業を行う。株主もいる。それでありながら利益が出せずに、税金も払わないというのは許されないのである。今、社内的にはもっと厳しいハードルを課している。売上高営業利益率で10%を基準に、それ以下は赤字である、と判断するのである。仮にある事業部門が8%の営業利益率

だったとすれば、2%分の赤字ということになる。利益を上げることによってキャッシュを得られ、それを使って新たな設備投資や研究開発ができるようになる。人材の採用や賃金増などで人への投資も可能になる。それによって売り上げが伸び、さらに利益が増える。こういう経路で成長していくと考えれば、経営者は何よりまず稼ぎのメカニズムを機能させ、それを定着させていくことが必要になる。とはいえ、経営環境は常に順風満帆とは限らない。逆風が吹く厳しい環境の中で、どうやって荒波を乗り越え、利益=キャッシュを確保していくか。日本電産には創業以来、継続して実践し、成功を収めてきた3つの経営手法がある。①井戸掘り経営、②家計簿経営、③千切り経営──である。この章の最後に、マーケットが刻一刻と変化する中でも着実に成果を出していくために私が自らの体験から生み出した「永守3大経営手法」を紹介したい。①井戸掘り経営まず井戸掘り経営は、幼いころの母親の教えからヒントを得た。昔は水道がなく、私の家では井戸から水をくんで使っていた。母親がお風呂に入れる水を井戸から大量にくんでいる様子を見て、私が「こんなにたくさん水をくんだら明日使う水がなくなってしまうんじゃないか」と聞いたら、母親はこう答えた。「心配しなくてもいいよ。井戸の水というのは、くめばくむほど湧いてくるから」。次の日に井戸をのぞいてみたら、確かに水が元に戻っているのである。経営改善のアイデア、コスト抑制のアイデアも、この井戸掘りと同じである。たくさん掘るほど、新しいアイデアが出てくる。リーマン・ショックのときもそうである。全従業員から改善アイデアを募集した。ここまで改善したのだから、もう出ないだろうと思っても、やはり新しいものが出てくる。キャッシュを生み出すための新たなアイデアが出てくるまで、とにかく徹底的に掘り続けることだ。②家計簿経営これは家計になぞらえて、危機時の経営手法を示したものである。例えば不況が来て、ある家庭で30万円の給料が25万円に下がったとする。30万円のときは3万円の貯金をしていた。25万円になってもその10%の2万5000円をちゃんと貯金したい。そのために何をするべきか。これまでビールを2本飲んでいたのを1本にする。タイやヒラメなど白身の魚を食べていたのを、サバやアジなどより安い魚にする。つまり使うお金を少しずつ節約するのだ。そうすれば給料が下がっても、10%の貯金(=利益)を確保できるのである。これは当たり前のことなのだが、できていない会社が多い。会社がつぶれかかっているのに、経営幹部がずっと新幹線のグリーン車に乗っていたりする。私が聞いた話だが、高

収益で鳴る機械メーカーでは、不況になったときに、出張時にホテルに宿泊するのを禁じたそうだ。その出張した地域にある営業所に布団を持ってきて、そこで寝るというのである。これこそ家計簿経営である。もちろん危機を乗り越え、経営状態が改善してくれば、元に戻せばよい。2008年のリーマン・ショック時、私は国内グループ社員全員の賃金カットをどの会社よりも早く決断した。その結果、2009年1~3月期は従来予想で300億円の赤字だったところを、わずかとはいえ10億円の黒字を確保できた。その後、業績は一気に回復し、そして2009年10月、私は9カ月続いた賃金カットの解除に踏み切った。その期間の減額分については、年度末の賞与で金利をつけて返している。売り上げが急変したときには、大きく変わる勇気が必要だ。③千切り経営重機で運べないような大きな荷物でも、いくつかに分解すれば手でも運べるようになる。経営上の大きな問題に直面するとびっくりしてしまうが、小さくして考えれば解決できるはずだ。1億円の赤字というと驚くかもしれないが、月にすれば約800万円、1日にすれば数十万円である。人間の知恵は無限大だ。千切りのように小さく刻んでいけば、必ず解決策が見つかるだろう。こう考えていけば、赤字を出さず、一定以上の利益を上げるのに必要なのは、当たり前のことを、当たり前にやり続けることである。利益率が10%に届かないのは、その当たり前のことすらやっていないのである。

私は基本的に成長論者である。企業は存在する限り、常に成長を続けなければならないし、成長なしには企業の活性化は図れないと考えている。「スモール・イズ・ビューティフル」という考え方は、私の信条にはない。創業時に売上高1兆円という大きな夢を掲げ、それを達成した今は、2030年に向け10兆円の売上高を目指している。とはいえ、単に規模を求める膨張論者ではない。私が目指すのは強い会社である。強い会社を目指すうえで、私が最も大事にしている数字は株式の時価総額だ。単に会社の規模が大きいとか、小さいとかではなく、市場からの評価も含めて総体的な企業価値を示すのは時価総額である。我が社の時価総額は1988年11月の上場以来、100倍以上に拡大した。売上高で10兆円を目指すと言っているが、より重要なのは時価総額である。売上高が1兆円でも時価総額が10兆円になった方がいい。その逆はいけない。私は創業してほどない時期、株式を上場する前の段階から、こうした株価や時価総額につながる指標を重視してきた。第2章では創業期・飛躍期にどんな財務指標を重視すべきか、ベンチャー企業にとっての財務諸表の活用の仕方などについて述べたい。

「ベンチャーは自己資本比率にこだわるな」数ある財務指標の中で最も基本的なのは自己資本比率である。財務の健全性を示す指標で、「自己資本比率を高めるべきだ」とよく言われる。まったく正論であろう。この数値は高い方が当然いいわけである。しかし私はあえて「創業期は自己資本比率にこだわるな」と申し上げたい。ベンチャー企業の優先命題はなんといっても「成長すること」である。成長を目指すには将来への布石を先手、先手で打っていかねばならない。まとまった注文が見込まれ、今生産能力を高めればもっと成長できるという局面で、「借金が増えると自己資本比率が低下してしまう」と考えて投資を抑えていたら企業は飛躍できない。ベンチャー企業においては、成長を遂げていくと自己資本比率がどんどん落ちていくというケースも多くある。創業5年間くらいは財務の健全性を示す指標にこだわるより、成長を優先する構えが大切だろう。利益率も同様である。第1章で私は「赤字は罪である」と述べた。基本的な考え方はそうだが、急成長する途上のベンチャー企業の場合、あえて赤字にしなければならないケースも生じてくる。将来の成長に向けての設備投資や研究開発など、出ていく費用の方がどうしても多くならざるを得ない状況があるのだ。これは覚悟のうえでの投資である。「政策コスト」と呼んでもよい。企業が重視するべき経営指標は成長ステージによって変わってくる。私が今の日本電産が重視するべき財務指標は何かと問われれば、「自己資本比率」を挙げるだろう。規模が大きくなり、グループの従業員も増えた。投資も海外向けが多くなり必然的にリスクが高まる。そして何より世界中の投資家から資金を集めている。責任も大きくなり、それに見合った財務の基盤が必要だ。企業の規模が小さく、株式もまだ非公開のときは株主も限られており、基本は自己責任である。金融機関との関係をしっかり作り、いざというときに備えたうえで、何より成長を目指す方が得策である。現時点で最も重視するべき財務指標は何か。それをきちんと見極めることも経営者としての一つの重要な能力である。創業後は5年おきぐらいに、どの財務指標を重視していくか基本方針を決めておくのが望ましいだろう。創業期から「一株当たり利益」を意識私が創業期から成長期にかけて何よりも重視してきたのは「一株当たり利益」を高める

ことである。一株当たり利益は文字通り最終利益を発行済み株式数で割った値である。なぜ私がこの値に注目したのかといえば、若いころの株式投資の体験からである。当時、売買のよりどころにしていたのは、ほかならぬこの一株当たり利益だった。上場企業の場合、一株当たり利益にPER(株価収益率)を掛け合わせたものが株価になる。PERはいわば市場の期待値である。私は創業当初より、株価につながる指標にいちばん留意してきたわけだ。一株当たりの利益を増やそうと思ったら当然、利益を上げていかなければならない。そのために売り上げを増やす必要がある。つまり経営を考えるうえで重視する数値にあえて順番をつけるとするならば、まず「一株当たり利益」、次に「利益」、そして「売上高」という順になる。私が創業した1973年当時、この一株当たり利益に着目するベンチャー経営者などほとんどいなかったように思う。そうした中でも私は一株当たり利益が増えるか減るかということを最優先で考え、行動するようにした。そして一株当たり利益を下げるようなことはできる限りしないように努めたわけだ。一株当たり利益が重要なのは、株価の算定に影響してくるからである。マーケットで株の取引がされていない非上場企業の場合、「株価」の水準は一定の株価算定方式によってはじき出される。これが第三者割当増資をしたり、ベンチャーキャピタルから出資を受けたりするときの基準になる。当時、株価算定の際に重視されたのが一株当たり利益である。今は将来の予想キャッシュフローから現在価値をはじき出す方法が主に使われたりするが、基本の考え方は同じだろう。成長につながる収益性が基本になるわけだ。将来、増資する際に自社の株を高い値段で買ってもらおうと望むならば、この仕組みをよく理解しておく必要がある。自社株を高い値段で買ってもらって資本を拡充できれば、自己資本比率など一気に上昇するのである。当然のことながら自社の発行株数がどれだけあるかも常に念頭においておかなければならない。その際、利益が少なくても発行株数が少なければ「一株当たり利益」は高くなる──という考え方が出てくるかもしれない。しかし、将来的に上場していこうと思えば、最低限必要な株数というものがある。また大きく成長しようと思えば、土台となる自己資本も拡充が必要である。将来の上場も見据えながら、「株価」を上げるにはどうすればよいかを創業段階から考えていくことがベンチャー企業の経営者には望まれる。キャッシュ化速度に注目しよう「企業価値の源泉はキャッシュ(現金)」という、すでに述べた財務の基本に立ち戻って

みよう。企業の存続のカギを握るのはキャッシュであり、投資を可能にするのもキャッシュである。日本電産グループで今重視するのがキャッシュ・コンバージョン・サイクル(CCC)という指標である。原料の調達から生産、販売して資金回収するまでの期間を示し、資金効率の指標になる。これは2012年度に導入したものだ。こういうキャッシュ化の速さを重視する考え方は、企業の創業期の段階からしっかりと経営戦略の中に取り込んでいく必要があるだろう。原材料を仕入れて製品を作り、一定の在庫を確保しながら販売して現金を回収する。これがモノ作りをする企業の基本の事業活動である。この現金化までにかかる日数が早ければ、効率的にお金を使えるようになる。この日数を減らすためには、原材料費の支払いを遅らせ、在庫を減らし、販売代金の回収を早める必要がある。利益は好調であっても、CCCの日数が増えれば経営にひずみが出ている証拠である。数字をきちんとフォローしながら、その原因をいち早く突き止め、的確に指示を出す必要がある。生産地の適正化で中間在庫を減らす取り組みをしたり、資金回収を徹底したりするなど、CCCを改善させるために様々な手段があり得る。キャッシュの創出力向上に向けて、絶えず経営改革を進めていくことである。CCCは不正の防止にも役立つ経営トップは経理部門が作った決算書を見て納得していてはいけない。利益が出ているのに、キャッシュが増えていない。そんな疑問があれば、きちんと原因を分析し、すみやかに対策をとる必要がある。表向き業績は好調だが倉庫に行ってみたらムダな在庫が積み上がっていた、ということにもなりかねない。売上高や利益は操作しようと思えば操作できるが、キャッシュはそうはいかない。CCCという指標は不正防止という観点からも役立つ。社員を信じないわけではないが、「善人を悪人にしてしまう」ことがないようにしなければならない。そのためにはきちんとした管理体制をとる必要がある。日本電産でも事業部門ごとにキャッシュ化の速度を把握するようにしている。たいてい不正が起こるのは在庫と売掛金である。期末にムダな在庫を積み上げていたり、資金回収に不安が残る企業に販売して売掛金が膨れ上がったりしていれば要注意である。買掛金の場合は、支払いを遅らせていると取引先が文句を言ってくるはずなので、大きな問題にはならないものだ。ここで会社を強く健全にするための永守流の3つの極意を紹介しておこう。「ハンズオン(直接把握すること)」「マイクロマネジメント」「任せて任さず」である。ハンズオンは経営者や管理職層が実際に現場に行ってやってみせることである。そして

徹底して細かいチェックをするのがマイクロマネジメント。M&Aで傘下に収めた赤字企業を再建する際の「1円稟議」などもこれにあたるだろう。そして「任せて任さず」は、現場や部下に権限を持たせても、完全に任せきりにはせず、きちんと管理するということである。この言葉は外国語には訳しにくく、「任すのか任せないのかどっちなんだ」と言われるかもしれないが、権限委譲しても放任はしない、そのバランスが重要である。極端なことを言えば、経営者はキャッシュだけをしっかり見ておけばよい。キャッシュの動きを見ながらマイクロマネジメントをする。細かい事業単位ごとに管理をするわけだ。その仕組みを早いうちに構築することである。損益計算書から成長性を見抜くそもそも損益計算書やバランスシートといったものはいったい何のために作るものなのだろうか。ただ単に経営者が現状を把握して、記録として残すだけならば無用の長物であろう。むしろ自社の財務戦略を有利に進めるために、銀行や株主、取引先に対して財務諸表を積極的に活用していくことが重要である。世の中には財務諸表の読み方といった本があふれている。基本の仕組みなどについてはそちらを参考にしていただくとして、ここではベンチャー企業の経営者が財務諸表をどう活用すべきか、私が創業してまもない時期から実践してきた方法を紹介したい。最初は損益計算書の読み解き方についてである。まず人件費がどれくらいかかっているか、これを読み解きたい。これが第一のチェックポイントである。そして次に開発費の占める比率である。企業のコストには、すぐに消えてしまうコストと、将来生きてくるコストがある。それがどんな割合で使われているかを、損益計算書から分析するのである。また重要なのは、その会社では販売価格を決定するのにどのような数字を基本にしているか、これを損益計算書から読み取ることである。もちろん損益計算書にそれが明確に示されているわけではないが、必ずヒントが隠されている。例えば販売費及び一般管理費が多い会社であれば、管理部門に多くの人員が配置されていたり、相当数の営業担当者を雇っていたりしている──ということが分かってくる。この販管費が逆に少ない会社は、技術力が高く、製品自体の魅力で売り上げを伸ばしているのだろうと推察できる。一般的には成長しているベンチャー企業は販管費が少ないのが普通である。そんなところにお金を使っているようでは、その会社は伸びないと思って間違いないのではなかろうか。なかには販管費がゼロに近いような会社もある。そういったところは経営者自らが営業にあたっていると見てよいだろう。コストの内訳を見て伸びる会社かどうかを見分けることもできる。例えば製造原価のう

ちに占める材料費の比率が高い会社は、自社で内製化できない材料を多く買っていると見られる。例えば材料費が製造原価の80%にも達しているようなら、合理化の余地は極めて乏しいと考えられる。逆に、外注加工費の負担が非常に高くなっている会社の場合、いずれ自社で製造設備を整えて内製化すれば収益性を高められる可能性があると判断できる。金融機関が企業を見る場合も単に売り上げや利益の規模だけではなく、コストの内訳といったものを重視しているはずである。バランスシートの表現法に工夫をバランスシートを作る際も工夫をしたい。作成上のテクニカルな問題にすぎないかもしれないが、それでも確かな効果は見込める。我が社も創業期以来、バランスシートの表現方法には様々な工夫をした。例えば固定資産のうち、含みのある土地を大きくアピールしたい場合は、「有形固定資産」という形で一本化しないで、建物とか土地などと明記する。在庫についても、棚卸し資産でまとめてしまわず、製品がどれだけ、材料がどれだけ、といった内訳が分かるようにすればよい。一般に製品の在庫が少ない会社は、勢いがある会社であると考えられる。ところが材料の在庫などと一本化してしまうと、製品在庫が積み上がっているのかと警戒されかねない。銀行をはじめ、資金を貸してくれるところにどう安心してもらうか。バランスシートを作成する際にも、常にこれを考える必要がある。借り入れにしても、長期借り入れの中に社長個人のものがあれば、それは社長個人のお金だということを明記しておくことである。その分は自己資本のようなものだからである。日本電産ではこれまで何人もの銀行出身者を採用してきた。会社創業当初、経理の専従者が必要だということでスカウトした人物は、我が社の担当だった銀行員である。当時の銀行員というのは、銀行という立場からのバランスシート、決算書の読み方は理解できても、歴史の短いベンチャー企業の生きた経営を読み取ることのできる人は少なかった。だからこそ、そういった人たちにも理解してもらえるようなバランスシートの表現方法に工夫を凝らしたのである。ともかくベンチャー企業は銀行が安心して付き合ってくれるようなバランスシートを作成していくことが大切である。もっとも、そのことばかり考えていると、思い切った投資ができなくなる。そのへんのところを、銀行を説得しながらいかに乗り越えていくか──この点が重要な課題となるだろう。バランスシートにも目標を設定する

バランスシートのあるべき姿も常に念頭においておきたい。私の場合、同業種で最も優秀な会社のバランスシートを絶えず自社のものと比較するようにしていた。劣っている点があれば、その原因を徹底的に考えてみる。そのために、規模の大小にかかわらず、同業種や取引先の株式を持つようにしていた。株式を保有していれば、定期的に決算報告書を送ってきてくれるし、より詳細な資料もたやすく入手が可能になるからである。そして他社の財務諸表をじっくり分析する。例えば、歴史が短く、蓄積が少ないからといった、将来的には解決できそうなことが理由ならば、いつごろ、どういうふうに比較対象の会社に近づいていくかを考える。また、財務バランスなどの面で自社の成長を阻害するような因子を見つけ、手を打っていくのである。起業した段階から当面の目標となる企業を設定し、どうすればそれに近づくことができるか、といった問題意識を持つことが重要である。これは企業としてのペースメーカーを持とうということである。経営はロングランの競争だから、全力疾走だけでは周囲が見えなくなるし、息切れしかねない。創業ほどないころ、私が「こうあらねばならない」と考え参考としてきたのが日立製作所であり、当時の松下電器産業(現パナソニック)である。これらの企業が我が社と同規模のときには、どういったバランスシートであったか、そして我が社の現状はどうか、どうすればそれに近づいていけるのか、追い越していくにはどうするかといった発想で、バランスシートを見直していった。通常、売り上げ目標というものは誰もが立てる。しかし、バランスシートの目標となるとなかなか考えが及ばないものである。バランスシートは企業の顔である。理想的な姿はどうあるべきか、常に思い描くことが重要である。CFOの役割「健全な利益」の検証を米国の企業ではCFO(最高財務責任者)からCEO(最高経営責任者)になるケースが多く、米国ではCFOはCEOになるための重要なコースになっている。しかし日本ではまだこうした例は少ない。キャッシュを生み出し続ける方法を常に追求し、理想のバランスシートの姿を模索するうえで、CFOという役割は、これからますます重要になっていくのではないだろうか。ところが日本でCFO候補を探すと、なかなかいない。経理や財務に詳しい人はいるが、みな経理部長候補であって、CFO候補としては物足りない。私が考えるCFOの役割は以下の通りである。①リスクを事前に把握し、その対応に知恵を出す。そして結果に対して、CEOとともに数値責任を負う。

②売り上げに対して健全な利益がついてくるかどうかの検証や、CCCの改善のための具体的な行動を主導する。③M&Aをはじめとする将来の中長期成長戦略を厳しく見据えた全社行動指針をCEOとともに立案し、実行していく。④持ち得る資金を有効に活用し、健全な成長が加速できるように主導していく。⑤投資家や銀行、格付け機関などに対して説明責任を果たす。変化の激しい時代である。財務戦略だけでなく、コンプライアンスの問題への対応も含めて、これから日本でも欧米企業並みのCEOと同格の優秀なCFOが欠かせないのではないだろうか。ベンチャー企業の経営者も将来を見据えて、CFOになり得る人材を早いうちから育てる必要があるだろう。

1973年に日本電産を創業したとき、私は28歳、私についてきてくれた他の3人もみな20代だった。実績もなければブランドもない。もちろん設備や資金もない。あるのは将来への大きな夢と情熱、そして精密小型モーターの技術ではどこにも負けないという、若さゆえの自信だけだった。だが、創業当初はその自信さえも粉々にされ、心がペシャンコになるような思いをした。最大の難関はやはり資金調達、「お金」である。創業して我々はまず、経営の基本原則を作った。「初めに志ありき」と考え、「同族企業にはならない」「下請け企業にはならない」「インターナショナルな企業を目指す」という「経営3原則」を掲げたのである。この「経営3原則」を抱え、銀行に融資の申し込みに行ったところ、まるで相手にされないのだ。それどころか変人扱いされるような仕打ちも受けた。どんな立派な経営理念があっても、「当社はまだ何もしていません。これから会社を作っていくんです。技術には自信があります」という会社に融資してくれるほど金融機関は甘くはない。「君の技術は素晴らしいじゃないか」と言ってくれたとしても、それでポンとお金を出してくることは決してないのである。創業期は誰しも多かれ少なかれお金で屈辱を味わうだろう。私はそれでもあきらめず、苦闘しながら、銀行との付き合い方、資金調達のすべを身につけていった。あのとき、あきらめていたら今の日本電産はなかっただろう。我が社が創業した時と比べ、今の金融環境は様変わりした。市場金利はほぼゼロ近辺まで低下し、空前のカネ余りが続いている。とはいえ創業してまもない企業が、まとまった資金を借り入れるのは簡単ではない。創業期に直面する資金面での苦労をどう乗り越えていくか。これが成功の最初のカギになる。

最初のハードルは資金調達「ヒト」「モノ」「カネ」──。この3つが起業するうえで重要な要素だと言われる。私の場合、志を持つ仲間・同士が集まって会社を立ち上げたわけで、「ヒト」については創業時、あまり問題にならなかった。最初から大きな組織を動かすわけでもない。会社が立ち上がってから一人、二人と、少しずつ補充していけばよいのである。「モノ」、つまり工場や設備など物理的な問題についても、私のように最初は自宅の一部を利用するとか、小さな工場を借りるとかでそれなりに対応はできる。最近では機械のリースもあり、製造業でもなんとかなるだろう。ベンチャービジネスを始める際に、いちばん最初にぶつかるのは、なんといっても「カネ」、資金の問題である。この点について十分に認識し、よほどの覚悟を持っておかないと、日を経ずして退却を余儀なくされるだろう。では創業時、どれくらいの資金を用意すればよいか。もちろん業種によって事情は異なるだろうが、一般的には初年度の売上高を見通して、その12分の1、すなわち月平均の売上高に相当するくらいの資本金が必要であろう。我が社の場合、2000万円の資本金でスタートをした。なぜ2000万円にしたのかというと、まず個人経営ではなく成長を目指す企業として事業をやる以上、最低でも億単位の売上高が必要であると考えたからだ。数千万円程度の年間の売り上げでは、とても事業とは呼べない。当初は年間1億~2億円を目指すこととして、若干の余裕をもたせて2000万円の資本金としたのである。私はこれを自己資金で用意した。独立して社長になるため貯蓄に励んでいたサラリーマン時代、大学を出て勤めたティアックという企業が株式を上場し、保有していた自社株のキャピタルゲインが思わぬ形で入った。当初、貯蓄で2000万円をためるには12~13年かかるだろうと考え、35歳くらいで独立する計画だったが、非常にラッキーな立ち上がりだった。資本金は「頭金」だと思うことこの最初に用意した資本金は、当面のやりくり用である。例えば、数カ月分の人件費だとか、事務所や工場を借りるための資金である。いわば食いつなぎのためのお金だ。これだけは自分で用意する必要がある。私の場合、2000万円の資金を用意したことで、最初の6カ月間ぐらいはなんとかやっていけた。原材料費などもこの資金で支払った。4カ月目ぐらいから徐々に売り上げが

立ち始め、事業としての形が整ってきた。次は、さらに事業を拡大し、成長させていかなければならない。そのための資金は最初に用意したお金ではとても足りない。自己資金の範囲で無理なく経営しようと考える人もいるかもしれないが、本気で成長を目指すなら創業して半年ぐらいの間に、何らかの形で新しい資金を得なければならない。私の経験では、ひとまず約12カ月分、つまり年間の売り上げ相当の資金が必要になる。新たな資金を得る一つの手段はもちろん売り上げを伸ばし、事業でキャッシュを生み出すことだが、それが思うにまかせなかったり、それでは間に合わなかったりした場合、銀行やベンチャーキャピタルから資金を導入することになる。あくまでベンチャービジネスにおける資本金というものは、次の資金にスイッチするための頭金と考えておかなければならない。いよいよ次なるステップである。新たな資金をどのように調達するか。まず頭に浮かぶのはやはり銀行である。自社の技術に自信があり、経営者が意欲満々である場合、銀行から借り入れができて当然だと考えるかもしれない。あらためて強調しておきたい。銀行はそんなに甘くない。これまで述べてきたように、技術そのものに融資することなどありえないのだ。「世界一の技術がある。だからお金を貸してくれる」と考えるのは間違いだ。銀行はその技術から生まれる製品が市場でどれだけ売れるか、その可能性に対して貸すのである。担保があればお金を借りることもできるだろう。しかし担保などは望むべくもないベンチャー企業にとっては、どのような点をアピールして資金を引き出すか。十分に対策を練っていかなければならない。借りにくいところから借りよう銀行からの借り入れを巡っては、私もさんざん悔しい思い、つらい経験をした。最初に行ったのは地方銀行のS銀行である。サラリーマン時代に家庭の預貯金を預け入れたりして取引があった。そのS銀行の支店長が以前から「独立されるならぜひ応援させてください」と言っていたので、早速挨拶に行った。ところが、である。「ぜひ応援したい」と話していたはずの支店長は、面会するどころか私の前に姿すら現さない。居留守を使われたのである。銀行の支店の入り口で若い行員に門前払いされるという屈辱を味わった。話を聞いてから判断するのならまだしも、最初から相手にしないというわけである。ついたての向こうに支店長が座っているのかと思うと、はらわたが煮えくり返る思いがした。つい先日まで甘い言葉で私に接し、預金を取りに来ていた支店長の対応には怒りすら覚えた。それ以来、私は公私ともにいっさい、この銀行との付き合いを絶った。S銀行の看板を

見るのもイヤになり、遠くにその看板が見えてくると、わざわざ遠回りして別の道を通ったほどである(もっとも、その後、同銀行のトップから「ぜひ和解したい」との申し入れを受け入れ、今は大変お世話になっている)。こうしたことはほんの一例である。実績がなくて信用力が乏しく担保もないようなベンチャー企業に銀行はなかなか資金を貸してくれない。追い返されたり、門前払いを食らったり、イヤな思いを数多く経験した。しかし、それにくじけていては成功できない。創業から5年、あるいは10年ぐらいは、資金、資金、資金で苦労するものだ。お金の苦労をやり抜く覚悟がなければ、ベンチャービジネスなどやるべきではないと心得るべきだ。それでは資金はどこから調達すればいいか。「借りにくいところから借りろ」というのが鉄則である。私の経験からもその通りだと思う。何より借りにくいところほどコスト、つまり金利が安いからである。借りにくいところからお金を借りるには、きちんと相手を説得する材料が不可欠である。「今お金を貸せば将来、大変な収益になる」と納得してもらわなければならない。それだけの説得力がなく、金融機関をいくら回っても融資が得られないまま、知人や親戚などの安易なお金に頼るようでは、そもそもその事業、その経営者は失敗する確率が高いと言わざるを得ない。借りるのが難しいところから資金を調達できるかどうかは、ベンチャーの将来性を占う試金石になるのである。お金を借りるのがいちばん簡単なのは身内だろうが、銀行でも一般に都市銀行より地方銀行、地方銀行より信用金庫の方が借りやすくなる。とにかく、安易なお金は後回しにし、まず難しいところに挑戦するべきだ。創業ほどない時期に私が目をつけたのが、政府系の中小企業金融公庫(現在の日本政策金融公庫)である。当時は審査が極めて厳しかった。他の民間の銀行から「もし中小企業金融公庫から融資を受けられたなら、我々も同じ額を出します」と言われたほどである。京都市や京都府など地方自治体の融資制度も利用した。公的なお金を貸し付けるのだから、やはり審査は極めて厳しい。まず診断士という人がやってきて、貸し倒れにならないか、公共の利益に反する企業ではないか、こと細かに調査する。財務状況についても重箱の隅をつつくように細かくチェックされる。書類もイヤというほど書かされ、さらにご高説まで頂戴したりもした。屈辱感を味わっても、頭を下げていく気持ちがあればなんとかなる。頭を下げるのはイヤだ、我慢するのもイヤだ──となると、コストの高いところへ行かざるを得ない。そうなると資金繰りが行き詰まる可能性は高まってしまう。「グダグダ」京都銀行に恩義

公的な機関からの資金調達の一方で、民間の銀行もいろいろと回った。門前払いされたS銀行から始まって、7軒目に行ったのが京都銀行の桂支店である。ここでようやく話を聞いてもらえた。このときのご縁がきっかけで、その後、京都銀行から多くの支援をいただき、それによって我が社は倍々のスピードで成長することになる。企業規模が大きくなるにつれて都市銀行との取引がだんだん増えていったが、京都銀行には今も恩義を感じている。精神的なメインバンクといってもよい。もっとも、最初から友好的だったわけではない。取引の過程では何度も「けんか」をした。今でも講演会で言うのだが、京都銀行のことを私は「京都グダグダ銀行」と呼ぶ。昔からお金を貸すときにそれこそ「グダグダ」と問題点を指摘し、リスク要因を挙げ、注文をつけてくるのである。そのグダグダに対して経営者は論理的に説明し、相手を説得する能力を持っていないといけない。こうした銀行との真剣勝負のやりとりを通じて経営力が鍛えられる。「貸してください。お願いします」を連呼するだけではダメなのだ。面白いことに京都銀行が融資する際にグダグダ言った案件はすべて成功している。企業規模が大きくなり、簡単に借りられるようになると、当たり外れが出てきた。「もっとグダグダ言ってくれ」と京都銀行にお願いしたほどである。もう一つお世話になったのは京都信用金庫である。担保もなく、資金調達に四苦八苦しているときに、積極的に支援をしてくれた。当時、京都銀行には中興の祖と言われた栗林四郎頭取、京都信金には中小企業の育成に理解の深い榊田喜四夫理事長がいた。オムロンや京セラ、大日本スクリーン製造(現在のSCREENホールディングス)といった、今では日本を代表する企業が京都で相次ぎ育ったのも、お二人のような立派な金融機関の経営者がいたからである。こうした志の高い人たちに後押しされながら、日本電産は創業期のお金の苦労を乗り超えていった。銀行選び、ポイントは支店長金融機関との付き合い方については次章で詳しく述べるが、ここでは銀行を選択する際のポイントを指摘しておきたい。第一のポイントは支店長である。現場で融資に関して権限を持つのは支店長だからだ。どの銀行がいいとか、悪いとかいう前に、何よりも支店長の人物を見極めることが大事である。まずチェックするべきなのは任期である。銀行では通常2~3年ほどで人事異動がある。着任して2年以上が経過している場合、苦労して支店長との関係を作っても、いざ融資という段になってから人事異動でいなくなってしまうということがあり得る。そうなってしまうと、それまでの努力がムダになる。支店長との関係を築き、実際に融資を受けるようになるまで一定の期間が必要だ。そう考えると、着任してから半年ぐらいというのが

ベストといえるだろう。できれば年齢が若い支店長がいるところの方がいいだろう。若い人ほど新しいことにも張り切ってチャレンジする意欲が強い。少なくとも私の経験ではそうだった。支店長が若いと、支店の雰囲気も生き生きしているようだ。もちろん年齢がすべてではない。ベテランであっても、一つの企業を担当し、育てていくというロマンを持った金融パーソンを見つけることが肝心だ。第2のポイントとして、相手が中小企業であっても親身になって相談に乗ってくれそうなところを探すべきである。そうなると、例えば同じ地方銀行でも本店より支店、都市銀行ならなるべく小さな支店へ行くのがよいだろう。私が創業したころ、関西では松下電器産業(現在のパナソニック)が大手電機メーカーとして圧倒的な存在だった。そうした大企業を得意先に持っている大規模な支店を選ぶと、優先順位は下がってしまい、相手にされないことになる。つまり管轄内にたいした企業がないような支店を選ぶのが得策だろう。その意味で新設の店舗などは狙い目になる。新店舗開設の準備委員長としてやってきてそのまま支店長に抜擢されたような人は、年も若いし開拓意欲もあることが多い。ベンチャー精神にあふれていて、気心も通じやすい。住宅地にある店舗もいいだろう。こういった支店だと、企業の取引先をそれほど多くは持っていないケースが多い。個人相手だけでなく、成長性のある企業と取引をしたいと思っているはずである。優れた融資先を開拓したいという気持ちも、新店舗並みにあるだろう。私が京都銀行の桂支店で話を聞いてもらえたというのも、この支店が住宅地にあって、ほかにはあまり大きな取引先がなかったからである。いずれにせよ、たまたま会社に近いとか、店舗が大きいからといった理由で取引する銀行を選ぶのではなく、今述べたような点に十分留意してほしい。メガバンクであっても信用金庫であっても、融資を判断し決断するのは生身の人間である。人との出会いが成功を左右することを忘れるべきではないだろう。最悪の事態に備え先手を打つ日本電産に初めてまとまった注文が入ったのは1974年、創業して1年がたったころだった。私が米国へセールスに出向きスリーエム社から初めてダビング用録音機向けのモーターを受注したのだ。大量の注文に応じるには工場が必要になる。当時は京都・桂川のそばの染め物工場の一角を借り、家主の洗濯物がはためくような場所でモーターを製造していた。取引先が我が社の生産現場を見ると、びっくりして注文を取り消すような貧相なところである。だから私はきちんとした工場が欲しくて仕方がなかった。そのためには資金の調達が不

可欠だ。飛躍できるかどうかの正念場だった。目標の金額は1億2000万円。ターゲットにしたのは中小企業金融公庫、そして京都銀行である。当時はオイルショックが日本経済を襲い、大企業でも減収減益に陥ったと騒いでいた。相手は貸せない理由をこれでもかと示してくる。「月々の返済額が400万円にもなりますよ。売上高月間で400万~500万円ではとても返せないでしょう」。それに対して私は「工場ができれば生産性が上がります。そうすればさらに注文も増えて、売上高も月間3000万円まで拡大できます」と必死に、そして理屈立てて説明していった。結局、中小企業金融公庫と京都銀行から3000万円ずつ計6000万円の資金を借り入れることができた。1億2000万円の目標には届かなかったものの、3000万円を土地、もう3000万円を建物にあてることにした。ここで私が考えたのは、この6000万円の資金を1年間据え置きにしてもらうことだ。そうすれば実際に融資を受けてから返済するまでに猶予ができる。その間に必要な投資をして売り上げ規模を一気に拡大するのだ。さらにもう一つ考えたことがある。「経済の混乱期でもある。売り上げが思ったように伸びない最悪の状況が続く可能性もある。それが1年間続いた場合はどうなるか。少し余計にお金をつくっておこう」。つまりワーストケースを想定して、さらに資金を確保しておこうとしたのである。元本の返済を1年間猶予してもらっても、利息は払う必要がある。その利息分として、京都信用金庫から1200万円を借りておいた。備えあれば憂いなし。大量受注で売り上げ増については確かな見通しはあったが、それでもつまずいてもころばないような対応をとった。常に最悪の事態を念頭におき、その場合にいったいどれぐらいのお金が必要かを考え、資金繰りで先手を打っておく。危機にあわなければ、返済していけばよいのだ。思わぬ事態に直面したとき、心の余裕、時間の猶予があるかどうかが重要になる。ピンチに立っても、時間があれば対策を立てることができる。最悪の事態を想定しておくのは、とりわけ創業期に欠かせない心がけだろう。

立石一真さんとの出会い資金調達に苦労していたこのころ、忘れられない人との出会いがあった。立石電機(現オムロン)の創業者、立石一真さんである。もう亡くなられて30年になるが、同じ京都のベンチャー出身の経営者として、今も心から尊敬している。立石さんは当時、立石電機を率いるとともに、創業まもない企業を支援する京都エンタープライズデベロップメント(KED)という日本初の民間ベンチャーキャピタルのトップも務めていた。私は「ダメでもともと」いう気持ちで、KEDに出資をお願いしに行った。それが立石さんとの出会いのきっかけだった。門前払いも覚悟していたが、思わぬことに立石さんが「工場を見に行きたい」と言うのである。私は慌てた。先ほど述べたように、当時の日本電産は染め物工場の一角を使った工場とも言えないようなところでモーターを作っていた。立石さんに来てもらっても座るところもない。「こんな工場を見られたら断られてしまうのではないか」。私はそう思って気が気でなかった。ところが予想に反して、実際に工場を見学した立石さんは「立派なものですよ。私が創業したころを思い出します。製品も楽しみです」と言ってくれた。私はとっさに「夢だけは大きいんです。必死で頑張ります。ぜひ投資をお願いします」と訴えていた。その1カ月後、KEDは我が社に出資を決めた。この出資がKEDの第2号案件で、新聞でも大きく報道された。金額は500万円だったが、KEDの出資の効果は大きかった。周りからの信頼が高まり、銀行から借り入れをする際にも役に立った。そして私にとって仰ぎ見るような存在だった経営者からの励ましの言葉は、その後、会社を経営していくうえで大きな自信になった。少し脇道にそれるが、立石一真さんとの付き合いから創業者としてのあり方も教わった。あるとき、昼ご飯を一緒に食べようと誘われ会社に呼ばれた。昼前に行って応接室にいたら、立石さんが来て「少し待っていてくれ」と言う。しばらくすると近くの社長室で話をしているのが聞こえてきた。ちょうど立石電機が駅の自動改札機の開発・実用化を進めていたころである。「もう無理です。限界です」と報告する部下に対し、立石さんは「できるはずだ」と決して譲らない。そうしたやりとりが延々と続いた。立石さんがようやく部下との話を終えたのは、お昼ご飯時をすっかり過ぎた午後3時ごろだった。ベンチャー企業は無から有を生み出す。それは簡単ではない。そして何より創業者があきらめてしまうと、できるものもできなくなる。このときの立石さんからは創業者の執念

のようなものを感じた。周知の通り、立石電機が開発した自動改札機はその後、全国に普及し、事業として大成功を収めるのである。実は日本電産の経営が厳しいとき、立石さんから「オムロンの下請けにならないか」と誘われたこともあった。だが「いかなる企業の傘の中にも入らない、下請け企業にはならない」というのは、創業時に我々が定めた経営3原則の一つである。丁重にお断りしたら、立石さんも理解してくれた。こうした多くの人と出会い、時にはいさかいもありながら、様々な支援を受けて、創業から1年半がたった1975年2月、日本電産は京都府亀岡市に新工場を完成させた。草創期から飛躍期へと向かう転機となっていくのである。

「銀行でのあの屈辱を思えば、休みの日だろうと正月だろうと、いくらでも身を粉にして働ける」。若い頃、こんな思いを抱きながら、仕事に励んだ時期があった。創業期、融資を巡ってそれだけつらい経験を味わったのだ。「担保がない」「実績がない」「年齢が若い」と言っては融資を断られ、話すら聞いてくれないことも珍しくなかった。若気の至りだが、ある銀行の支店の玄関先で、担当者と激しい応酬を繰り広げた。たまたま見ていた近所の人が「息子さんが銀行で何やら大声で怒鳴っていましたよ」と私の家に行って伝えたものだから、母親が慌てて銀行にやってきたこともあった。私が創業したころ、金融機関の融資態度は極めて厳しかった。まさに「晴れの日に傘を貸し、雨の日に取り上げる」と言われた時代である。オイルショックの影響もあり、日本経済も混迷していた。中小企業やベンチャーにやすやすと資金を出してくれる銀行などなかったのである。今はカネ余りの時代である。資金調達手段も広がり、金融機関の態度も昔とは大きく変わっている。それでも創業したばかりの企業の資金繰りはやはり厳しいものがあるだろう。ベンチャー企業が大きく飛躍するために金融機関との関係が重要であるのは今も同じである。事業の将来性を冷静に見極め、時には課題や問題点も指摘してくれるような緊張感を持った関係が欠かせない。振り返ると、会社が成長する過程で、私も様々な金融パーソンとの幸運な出会いがあった。つらく悔しい思いをしたこともあったが、簡単には融資してもらえなかったからこそ、企業としてより強くなれたのだと、今では感謝している。この章では私の経験を踏まえて、成長に向けたパートナーとしての金融機関、とりわけ銀行とどう付き合っていくかについて考えたい。金融パーソンの5つのタイプを知る相互の理解を深めるためには、まず相手を知ることが必要であろう。私の経験では金融パーソンには以下のような5つのタイプがあるように思う。①「」②「」③「」④「」⑤「」

これは創業時から長く金融機関と付き合ってきた私なりの分類法だが、現在でもおおむね当てはまるのではないか。それぞれのタイプを見ていこう。最初の「金貸しタイプ」は文字通り、お金を貸すと利息がいくら生まれるのか──ということだけで融資の判断を下すタイプである。その企業、商品の持つ社会的な意義などにはあまり関心がない。相手が誰であれリスクが限定的で高い収益を望めるようならお金を貸す。こうしたタイプの人たちは、熱い使命感こそないものの、条件さえ合えば融資してくれるだろう。第2の失敗恐怖症タイプは少しやっかいだ。「融資した企業が倒れてしまうのではないか」「審査でミスをしていないだろうか」「相手にだまされているのではないか」などと、何でもかんでも心配して、お金をなかなか貸そうとしない人たちだ。「企業は何か隠しているはずだ」「見えていないリスクがあるに違いない」といった「性悪説」にとらわれている。このタイプにあたったときは、相手が悪かったとあきらめるしかない。取引する金融機関を速やかに替えた方がよいだろう。かくいう私も創業期、ある大手銀行の副支店長でこのタイプの典型のような人物にあたってしまい、右往左往させられたことがあった。いくら情熱を傾けて事業計画を説明しても、まったく話が進まない。彼が怖がってしまって、上に話が上がっていかないのである。融資の審査畑にいた人物で、「貸してやっている」という昔ながらの銀行員の気質がしみ込んでいたのであろう。理想は「使命感型」だが……第3の「サラリーマンタイプ」は多数志向型で、みんながベンチャー企業に目を向ければそちらに目がいく。周囲が「繊維業界はダメ」と騒げば自分も「繊維はダメだ」と言うようなタイプである。繊維業界の中にもいい企業がある──といった発想ができずに、世の中の大勢に流されてしまう人たちだ。第4の「ギブ&テイク型」。銀行のエリートにはこうしたタイプが多いのではないか。私の経験ではそう思う。「では融資しましょう。そちらは何をしてもらえますか」と、常に「見返り」を期待するタイプである。目先だけを考えがちな金貸しタイプとはまた違い、将来を見据えたうえで取引しようとする。優秀な人たちは先を見る力に自信があり、「今からあの会社にお金を貸しておけば、必ず将来には大きな取引が生まれる」といった考え方で判断をする。第5のタイプの「使命感型」こそ、ベンチャー企業の経営者にとって理想の金融パーソン像といえるだろう。「あの会社を育てあげて、社会に貢献したい。それができるのは私だけだ」と使命感に燃え、人生をかけて取り組むタイプだ。リタイアしたのちは「あの会社をあそこまで育てあげたのはほかならぬ私だ」と自分の子どもや友人たちに言い聞かせるような人である。

残念なことに、こうした使命感型の人は極めて少なく、私の経験でもめったにお目にかかれなかった。千人に一人もいれば──といったところだろうか。おまけに日本の金融機関では昔から、こういったタイプは必ずしも出世していないのである。これが我が国でベンチャーを育成できなかった大きな原因の一つではなかろうか。我々が創業した当時の銀行は「減点主義」の傾向が強かった。何か失敗でもしようものなら、過去にどんな大きな成功があったとしても、人事考課上でバツをつけられる。私は銀行と付き合う際、このことを絶えず念頭においていた。私の場合、これら5つのタイプは、最初の対面でほぼ判別がついた。3回も会えば間違いなく分かったものだ。ベンチャー企業としては、できるだけ使命感に燃えた人を選ぶべきであるが、先にも述べたように、そういった人はあまり高いポストにはついておらず、たいてい決定権を持っていない。そう考えると、第4の「ギブ&テイク型」で、わずかなりとも使命感を持っているような金融パーソンと付き合っていくことが理想ということになろう。金融パーソンに経営を知ってもらう私の古くからの友人にも銀行員が何人かいた。彼らに共通していたのは、学生時代の成績が極めて優秀だったこと。そして金融機関に就職した動機についても、社会に何らかの形で貢献したい、世の中に貢献できる企業を育てたい、という志を持っていた。しかし、長く勤めている間にマンネリに陥り、「使命感型」から安全第一の「失敗恐怖症タイプ」、周囲に流される「サラリーマンタイプ」になってしまった人も少なくない。どんな仕事でもそうだが、最初の志を貫くことは簡単ではないのである。日本電産には今も銀行の出身者が数多くいる。創業期から急成長期に移行する時期には、成長を支える人材が不足しており、取引する銀行から当社に人を出してもらっていた。現職の支店長代理を3年期限で預かったこともあった。ピーク時には全体で80人ぐらい銀行から来ていたのではないか。彼らを迎え始めたころに感じたのは、企業の経営の実態を意外に知らない、ということである。銀行にとって企業は本来、顧客であるはずだ。その企業が頭を下げてやってくるというのに慇懃無礼な態度をとる。しかしそれは彼らの人格の問題ではなく、あまりにも企業を知らないからだ。私はそう考えるようになった。大半はメーカーなどの企業で実際に働いたこともないわけで、こうした人たちが本当の経営を知らないのも無理はないのである。我が社で経験を積んで再び銀行に戻ると、ずいぶんと物の見方も変わるようだ。財務諸表などに出てくる数字だけでなく、経営者の熱意や現場にいる人の働きぶりなどを踏まえて、判断するようになる。かつて日本興業銀行(現みずほ銀行)は数多くの行員に産業界で経験を積ませていたが、そのような銀行に優秀な金融パーソンが多かったのもうなずけ

る。最近は日本全体がカネ余りの状態にあり、金融機関もかつてのような「貸してやる」と言わんばかりの対応は影を潜めているようだ。だが創業したばかりの企業、中堅・中小の企業の多くが資金繰りに四苦八苦している状況には変わりがない。そして残念なことに、生きた経営なり、経営者の苦しみなりを十分に理解していない金融パーソンが今も少なからずいるのである。だからこそ金融機関に対し正面からきっちりと対応できるだけの用意を日頃からしておく必要がある。ベンチャー企業のトップたるものは、バランスシートが読めて、数字に強くなければならない。このことは再三再四、強調しておきたい。そうでなければ、いつか取り返しのつかない場面に遭遇しかねない。金融機関は規模より「人」で選ぶ50年近く企業の経営に携わってきてあらためて思うのは、どんな人と出会うかが事業の行く末を大きく左右する、ということである。取引する金融機関を選ぶ際にも、規模や知名度に惑わされず、どういう人と、どういう付き合いができるか、という面から考えるべきであろう。人と人との関係が、その組織全体の相互関係に大きな影響を与える。「組織は人」であり、「取引は人」なのである。そのうえで「自分の会社をいちばん大事にしてくれるところを選べ」とあらためて指摘しておきたい。そうした中で、日本電産では創業以来、一貫して京都銀行と深いお付き合いを続けてきた。前章でも少し述べたが、創業時の資金調達に苦労して、あちこちの銀行を回っていたころ、最初に私の話を聞いてくれたのが当時、京都銀行桂支店の支店長をしていた人物だったからである。それがすべての始まりだった。京都銀行がよかったというより、この最初に会った支店長がよかったのである。どこも相手にしてくれなかったときに話を聞いてくれた──ただそれだけのことだが、この人物にはたいへん感謝している。メガバンクと取引をしたり、資本市場で多額の資金を自力で調達できるようになったりした現在でも、京都銀行への思いは基本的に変わらない。すべてをオープンにする心がけ私の場合、金融機関に対しては経営上の課題、問題点など隠し立てせずにすべてオープンに話してきた。ウソをついたり、ごまかしたりしてお金を借りようとは決してしなかった。オープンに話をして相手が逃げてしまうようなら、それはそれで仕方がないと覚悟することも重要だろう。

ところが「それは間違いだ」という意見もある。かつて銀行に勤める友人たちに聞いたところ、みな口をそろえて「一般的なことなら何でも話した方がいいが、伏せておいた方がいい事実というものもある」と言うのである。例えば取引先から大口の売掛金がなかなか回収できずに困っているときに、それを正直に金融機関に話してしまえば、担当者は警戒する。本来なら借りられたお金も借りられなくなるかもしれない。交渉でも不利になる。だからこんな話は絶対に口にしてはいけない──と友人の銀行員たちは言うのである。なるほど一理あるだろう。しかし、私は今でも銀行に対しては正直に何でも話をしておいた方がよいと思っている。何かことが起きてから急にいろいろと話をしても遅いわけで、日頃からなにかと時間を作って会社やマーケットの状況を話しておき、会社のことを十分に理解しておいてもらう方が得策だろう。いざというときに援助の手を差し延べてもらえないのは、やはり日頃の意思疎通が不十分だからと考えるべきではないだろうか。急成長して人材が足りない時期に、当時のメインバンクだった京都銀行からも人に来てもらったことがある。そうすると「メインバンクから人を入れたら、情報が何もかも筒抜けになってしまいますよ」と心配してくれる人もいた。だがメインバンクに何もかも知られたとしても、そんなことはかまわない。すべて知っておいてくれた方が、こちらとしてはかえって安心というものだ。実際、私が何か報告に行っても、京都銀行の方では先刻ご承知──といったケースも少なからずあった。ただ金融機関にも注文がある。取引先が現状を正直に話したとき、過剰に反応してすぐに融資停止だと言われたりすると、それならウソをつこうかと考えてしまう企業経営者も出てくるだろう。杓子定規な対応をとるのではなく、相互の信頼関係に基づいて、企業側と真摯に向き合ってもらいたい。とにかくあきらめないことだもちろん取引の過程では衝突することも何度かあるだろう。しかし、取引を始めて50年近くたった今でも、私が京都銀行を気に入っているのはなぜか。それは過去に数え切れないくらいのいさかいがあったからである。金融機関は元来、変わり身が早い。特にリスクには敏感で、危ないと思うとすぐ方針を変更してしまう。一方でベンチャー企業は我が道を突き進もうとする。経営者は自らの事業に誇りと自信がある分、わがままでもある。そもそも性格の異なる両者が向き合うのだから、すべてがうまくいくはずがない。だからこそ言うべきことははっきりと言う。イヤなことを言われ、黙って帰ってくるようでは何も前進しない。ふてくされたり、投げやりになったりするのではなく、自分の信念に基づいて、はっきり主張すればそれでいいのである。金融機関との付き合いにおいて何より大事なことは、あきらめないことである。創業ほ

どない企業の場合、「融資交渉は断られることから始まる」というぐらいに考えておいた方がよいだろう。ひとたび断られたからといって、捨てゼリフを残して他の銀行へ駆け込んでいては、道が開けてこない。人との付き合いを突破口にすれば、物事が進み始めることがある。そのためには幅広く人脈を作っておくことが肝心だ。支店長だけでなく、次長とも、担当者とも付き合う。さらには本店の幹部とも付き合う。絶えず人脈を広げ、考えを伝え、理解者を増やしていく。私の場合はとても恵まれていて、多くのよき理解者と出会うことができた。人と人との出会いというものは運に大きく左右されるものかもしれないが、その運を呼ぶものこそ、努力であると私は考えている。そして若い時代に正面からぶつかり合って築いた人間関係は、のちのち思わぬところで役に立つものである。メンツを考え「頭越し」は避ける「私個人としては、社長の意欲に常々大変敬服しており、ぜひご融資申し上げたいのですが、本店がどうしても首をタテに振ってくれません」私の経験では、金融機関は企業の融資の依頼を断るとき、必ずこういう答えを用意している。こういうセリフは断り方の代表的なパターンである。こう言われたなら普通は「しょうがありませんね。よそへ行ってみます」となる。あるとき、私はその足でくだんの銀行の本店へ直行した。そして審査部へ行き、「いったい私の会社のどこがダメなのか聞かせてください」と斬り込んだ。こっちも必死で、それこそ刺し違える覚悟だった。ところが審査部の担当者は「ちょっと待ってください。そんな書類は上がってきていませんけどね」と言う。肩すかしをくって一瞬あぜんとした後、一気に頭に血が上った。大急ぎで支店にとって返し、支店長相手に大立回りとなった。「いったいどういうことだ。本店に書類が上がってないそうじゃないか」「社長、ほんとに行かれたのですか」と支店長はあきれ顔だ。再びひざ詰め談判し、ようやくお金を貸してもらえることになった。結果オーライではあったが、やはりこれはよくなかった。支店長としてのメンツまでつぶしてしまった。頭越しは気分のいいものではない。まして官僚的な色彩の濃い銀行では、場合によっては相手の立場をなくしてしまいかねない。接待ゴルフ……ドロ沼への第一歩金融機関との付き合いでは「ギブ&テイク」ということも忘れてはいけない。自分の方

では銀行からお金を借りておいて、銀行には何の見返りもなく、文句ばかり言っているようではいけないということである。私の場合、創業時の恩義を感じている京都銀行に対しては、代金の決済から外為取引まで、何から何まで任せていた。熱狂的ファンを自称し、京都銀行に口座を持ってないところには振込みをしないと言って、新たに口座を作らせたこともある。これも一つの「ギブ&テイク」だろう。だが、お金を貸してくれた金融機関に対してできる最も大きなお返しと言えば何であろうか。それは業績を上げることにほかならない。ひたすら経営努力をして、企業を成長させることである。株式を上場して以来、京都銀行には長く日本電産の株主になってもらっているが、今では日本電産の株が上がり、大きな含み益をもたらしているはずである。ほかにも京セラやオムロン、任天堂などの大株主でもある京都銀行は全国の地銀の中でもトップクラスの含み益を誇っている。この「ギブ&テイク」を「接待」と勘違いしている人もいるようだ。自慢ではないが、資金繰りが厳しかった創業期でも、我が社では融資を受けたからといって銀行の担当者を接待したことは一度もない。接待費を使わない会社ということでは、我が社はつとに有名だったのである。そもそも銀行員をゴルフに連れて行ったり、マージャンをしたりという習慣自体がおかしいと私は常々思ってきた。今でもその考えは変わらない。そんなことをしなくても、我が社はこれまでやってこられた。もちろんゴルフやマージャン自体が悪いわけではない。趣味としてやるならいいが、それがないとビジネスでの関係が築けないと考えるのはやはり間違っている。残念ながら、暗にそういったことをほのめかす銀行の担当者がいたことも事実である。そうした人たちとは断固として付き合わなかった。企業の経営は実に泥臭いもので、それは否定しない。だが経営者はいささかなりとも自らの身にやましさをまとってはいけない。とりわけ金融機関とは適度な緊張感が必要である。過ぎたる接待はドロ沼への第一歩であると警告しておきたい。接待などに煩わされないようになるには、金融機関の方から「取引させてください」と頼まれるような企業にならなければいけない。銀行にこちらから頼みに行くのと頼まれるのでは、それこそ雲泥の差がある。我が社の場合も企業規模が大きくなってからは「株式を持たせていただきたい」と、大手金融機関の役員クラスの方が訪ねてきてくれるようになった。創業時に銀行の店先で担当者と融資を巡って激しくやり合ったことを思い出し、実に感慨深いものがあった。ベンチャーキャピタルの功罪

我が社が1973年に創業したころから、日本にも本格的なベンチャーキャピタル(VC)が出始め、その後急速に広がっていった。我が社が接触したのはその中の一つ、野村證券系の日本合同ファイナンス(現ジャフコグループ)である。1981年、当時の今原禎治社長が京都にやって来て私の話を聞いてくれ、そして驚くべき速さで出資を決断してもらった。この投資によってハードディスクドライブ(HDD)スピンドルモーターの新工場が完成し、次々と受注を拡大できた。銀行の担保要求も緩くなり、都市銀行との取引も始まった。このときの恩義は強く感じている。経営がある程度、軌道にのり、出資を受けても株主に迷惑がかからないという段階になれば、ベンチャーキャピタルのお金を受け入れるのもよい。ただベンチャーキャピタルの資金には功罪があることを認識しておくべきだ。ベンチャーキャピタルが多数乱立し、あまりにも安易に資金を出す状況になると、やはりよくないのではないか、というのが私の考えだ。ライバル会社にも出資するのを見ると、後味の悪さが残る。彼らとしては多くの企業に出資し、そのうち一つが大化けすればよい、という発想なのかもしれないが、こうした資金を安易に受け入れると、かえって成長を阻害するのではないだろうか。銀行の場合にはちゃんと担保物件を押さえるので、借りる側も「このお金はどうしても返さなければいけない」という気持ちがある。しかしベンチャーキャピタルからの出資金を受け入れると、そういう緊張感もなくなってしまいかねない。借金というものが経営者を心理的に圧迫するものであることは確かである。しかし緊張感を伴わないような資金は安易に使うべきではない、というのが私の考えである。もちろん企業にとっては全体的な財務バランスというものがある。借金が過剰になるとそのバランスが崩れ、非常に不安定になってしまう。それを見ながらベンチャーキャピタルの資金をどの程度まで導入すべきか、あるいはどのへんが限度かといったことを、慎重に考えていく必要がある。長期的に固定化する資金に関しては、ある程度ベンチャーキャピタルの投資を受けるのもいいだろう。ところが、運転資金などの短期的な資金にまでそうしたお金を使おうとするのは、非常にまずい。やはり、利息を支払ってでも利益を出していけるような方策、企業体質を目指していくべきである。VCとの付き合いも人が大切ベンチャーキャピタルから資金を受け入れる際に、注意しておく必要があるのは、投資である以上、彼らが株主になるという事実である。自分の方から「経営が安定してきたので株を返してください」と言うわけにはいかない。株価が上がって第三者へ譲渡される場合も、どんなところが保有するようになるのかと

いった点にも気を使わなければならない。銀行に返済すればそれで終わりという借り入れとは違うのである。ベンチャーキャピタルの資金を導入する場合、時期というのが非常に大切である。例えば「一株当たり利益」が大きくなり、純資産を大きく上回る価格で株式を買ってもらえるようになったときに初めて、ベンチャーキャピタルを考えるべきである。創業してしばらくの間は、とても苦しいかもしれないが、借り入れでやっていくのが賢明であろう。ではベンチャーキャピタルを選ぶ場合、何を基準として選ぶか。何よりも自分たちの会社を最もよく理解してくれることが大事である。有名であるとか、規模が大きいといったことではなく、自社の商品、企業としての特性を総合的に判断し、十分に理解してくれるところと付き合うべきだ。銀行の場合と同様だが、相手とよい人間関係を作れるかどうかが重要だ。

日本電産を創業して5年ほどの間に3度、会社をつぶしかねない危機に陥った。すべては取引先の企業が倒産し、手形が不渡りになったためだ。しかし、この3度の不渡りから私は大きな教訓を得た。日本電産の財務戦略の骨格はこのときの経験によって築かれたものといってもよい。どの企業と取引するかはベンチャー企業の命運を分けるといってもよいだろう。自分たちも中小企業なのだから、注文も同様の中小企業からとって共存共栄を図ろう──。創業したばかりの経営者がそう考えているとすれば、はっきり言って間違いである。この章では取引先をどう選ぶか、そして危ない企業をどう見極めるかについて、私が経験から得た手法、ノウハウを紹介する。そして取引先の倒産などの事態にどう備えるべきか、財務上の基本戦略についても考えたい。不渡りを食らい得た教訓──「時間が大事」「取引選別」約束した手形の期日に資金を用意できない状態が不渡りである。取引先が不渡りを起こしてしまうと、あてにしていたお金が得られなくなる。それだけでなく、取引先の企業も倒産し売り上げもダウンしてしまうわけで、二重に打撃だ。最初は創業2年目、1974年の夏、750万円の不渡りを食らった。創業初年度の営業利益が1000万円ほどだったから、年間の利益が吹き飛びかねないような大変な打撃であった。このとき、債権者集会に出席し、社長が出席者から袋だたきのように攻められるのを目にした。怒号の中でモノを投げつけられ、それでもなお社長は頭を下げ続けている。この光景を見て、将たるものの厳しさをあらためて思い知った。私自身もこの不渡りの際には、資金繰りでずいぶんと苦労した。銀行の態度が急に冷たくなっていくのを肌で感じたものである。このことがあって以来、私は一つの方針を定めた。手形、特に一流企業の手形は絶対に割引に出さないという原則である。それはなぜか。窮地に陥ったときに資金繰りをつなぐ時間を稼ぐためである。信用がある一流企業の手形はどんな金融機関に持ち込んでもすぐに割り引いて資金を出してくれる。そうした手形は金庫にでもしまっておいて、当面の資金繰りは短期で借り入れをすればよい。そう考えたのだ。短期の借り入れも手形割引も、金利はほとんど変わらない。利息の負担が多少増えたとしても、緊急時への備えを優先するべきであろう。企業の盛衰は決して目先の損得だけでは決まらないのである。そしていざ資金繰りに窮した時に、一流企業の手形を活用して時間を稼ぐのである。不

渡りにあって以降、こうした方針を徹底することにした。今では手形の取引は少なくなり、多くが売掛金のビジネスになっているが、絶対に会社をつぶさないために「最悪の事態を想定しながら資金繰りを考える」という点では参考になるだろう。緊急の場合に必要なのは、何よりも時間である。時間があれば、資金繰りを間に合わせられるし、資産を売ることもできる。そして時間を稼ぐためには、やはり手元資金をまさかのときのために一定水準、確保しておかなければならない。これも業種や企業によって違うだろうが、我が社の場合、この手形の不渡りにあってから、月商の2カ月分以上のキャッシュを持つことも原則にした。最初に不渡りを食らって以来、取引には神経を使っていたが、その後ほどなく、2回目の不渡りにあってしまった。1974年の12月、取引先の企業が会社更生法の適用を申請したのである。新工場の建設を進めていた時期でもあり、資金繰りは非常に厳しくなり、ボーナスどころではない状況になった。そして3回目の不渡り。今度はさらに大型を食らってしまった。金額は9000万円である。当時の資本金が3000万円だから、その3倍である。取引先の倒産で売上高も大きく減り、「いよいよつぶれるか」と覚悟を決めたほどだった。このときは最初の不渡りの経験から手形は絶対に割引しないという方針を固めていたのが、大いに役に立った。当面の資金繰りもさることながら、対策を講じる時間を持てたというのが大きい。在庫を減らす、出費を極限まで抑える──といった、ありとあらゆる手を打ち、なんとか窮地を脱することができた。これを機に営業に号令をかけて問題がありそうな取引先からいっせいに撤退させた。切ったのは20社ほどだっただろうか。我が社ではその後、顧客をすべて優良企業に絞るという方針を徹底させることにした。今から振り返ると、不渡りにあった結果、こうした貴重な教訓を得られ、経営体質をより強くするきっかけになった。当時は大変な思いをしたが、将来に向けて授業料を払ったといえるかもしれない。少し脇道にそれるが、本当に会社がつぶれてしまうかもしれないと思い悩んでいたとき、不思議な体験をした。ある人から京都市左京区にある九頭竜大社に行くことを勧められ、わらにもすがる思いで訪ねたら、開祖の人から「来年の節分のころに大きなことがある」と告げられた。そしてなんとか新年の1月を乗り越え、節分を迎えたころ、米国のIBMからフロッピーディスク用モーターの大量発注が舞い込んだのである。これで資金繰りの窮地を脱した。私が九頭竜大社に通うようになったのはそれ以来である。もちろん神頼みの経営ではいけない。自分の決意を神様の前で誓うのである。運というものが成功を左右するのは確かで、私はよく「運が7割」と言ったりする。しかし、その運は努力が呼び込むのだ。これ以上やれることはない、というところまで努力を極めて、

初めて運が近づいてくるのである。注文はとりにくいところから日本を代表する優良企業にしかモノを売らないと決意し、危なそうな取引先からはすべて手を引く──。これは実際には非常に厳しい決断である。なぜなら優良企業ほど敷居が高く、新たに取引を始めるのが極めて難しいからである。ひたすら日参して、頭を下げて、そうしてやっとのことで注文をもらう。それから支払い口座を作ってもらうのも、またひと苦労である。さらに審査、検査といった関門もくぐり抜けなければいけない。一流企業との取引が始まると、いろいろな面でレベルの向上も要求される。工場にもっといい設備、機械を入れないと取引できないとか、工場を拡大して生産能力をもっと増やせといった要求が次々と舞い込んでくるのである。すべてお金が必要なことばかりで、また資金繰りに走り回ることになる。しかし、そうしたことを一つひとつクリアしていくうちに、我が社は鍛えられ、経営体質の強化につながっていったわけである。確かに一流企業よりも中小の規模の企業からの方が注文を取りやすいであろう。しかし、お金も借りにくいところからこそ借りるべきなのと同様、注文もとりにくいところからこそ、とるべきである。人間でも企業でも痛い目にあわなければ思い切った転換ができないものだ。逆境に立たされたとき、それをチャンスにできるか否かは、まさに経営者の決断と、それを果敢に実践していく行動力にかかっている。こうした失敗と精進を経て、現在の我が社を支える経営の原則や財務戦略が作り上げられてきたのだ。苦況下でこそ顧客を選ぶ創業時には利益を上げる一方で、ある程度は利益を度外視してでも顧客を広げていかなければならない。こういったジレンマにしばしば陥る。そうした場合にいちばん重要なことは、顧客をきちんと選別することである。私はいつも「分相応」ということを言う。逆説的だが、これは自社よりも優れたものを持ち合わせている相手とお付き合いをしろ、という意味である。格上の相手こそがベンチャー企業にとっての「分相応」なのである。創業ほどない時期、ある営業担当者が名も知らぬベンチャー企業から注文をとってきた。私はそのとき「ベンチャーは非常にリスキーだ(危険性が高い)」と言って突っぱね、「そんな注文はとってはいけない」と彼をいさめた。その営業は口をとがらせて、「ウチもゼロから出発してここまできたわけで、彼らも一

生懸命頑張っているじゃないですか」と反論する。もっともらしい反論のように思えるかもしれないが、彼の言い分は間違っている。自分のところがベンチャーでやってきたからこそ、その危険性、不安定さを認識しておかねばならない。そもそもベンチャー企業というものは、トップの人間がよほどしっかりしていないと、綱渡りの危険をはらんでいる。ましてや、私がそのトップに会って、「必ずつまずくだろう」と判断を下した企業は、案の定ことごとく姿を消してしまった。「同類相憐れむ」ほど、ビジネスの社会は甘くはない。何もかも自社以下のところと付き合ったとしても、いったいどんなメリットがあるだろうか。そこのところをシビアに見ていくことが大切なのである。ある意味でいえば、こうした「逆転の発想」こそ、ベンチャー企業の経営者としての資質に関わってくるといっても過言ではない。創業期に一流の企業と取引しようとするのは一見すると「分不相応」のように思われるだろうが、それは逆である。自社が小さいからこそ、自分の持っていない資金を持っている企業、自分たちが持っていない技術を持っている企業と取引するべきだ。そんな発想こそが必要なのである。バーゲンセールのように売値を安くして顧客を確保したい。そういった切羽詰まった状況にも出合うかもしれない。そこでひとふんばりが肝要である。単に安く売るだけならば、なにもベンチャーを気取る必要などなかろう。新規取引、経営者が自ら見極めさて新規に取引を始めるような場合には、経営者が自らの目で相手先をしっかり調査する必要がある。私は必ず営業担当者とともに相手先に出向き、様々な面からつぶさにチェックするようにしていた。その際には自分がその会社の経営者になったつもりで、気がつく不備な点を挙げてみるのである。いわゆる信用調査などを行う場合もあるにはあるが、そうしたものは実際には役立たない。銀行や信用調査会社に頼んでみても、残念ながら不良な取引先を未然に発見することにはつながらないようだ。そもそも取引先のことを悪く言うような銀行はまず皆無だからである。「非常にいい会社です」とか「堅実にやっている会社です」といった微妙なニュアンスの違いはあるだろうが、そんなことではなかなか分からない。だから実際に自分の目で見ることがいちばん手っ取り早く確実である。現場に行けば、すぐに分かることはいくつかある。まず売り上げの規模に比べて立派な建物に入っている会社は注意した方がよい。事業によって稼ぐ以外のところに余計なお金を使っている可能性がある。工場が立派すぎる企業

も気をつけておかなければならない。新規の取引に限らず、古いなじみの得意先であっても、相手の状況というものは折に触れて把握しておく必要がある。「危ない会社」はシビアに選別していくことが自社のサバイバルにつながる。ささいなことから実態を知る大企業ならともかく、上場もしていない中小企業のバランスシート(貸借対照表)など、簡単には入手できない。そこで目についた様々なファクターから、その会社が信用できるか、危険かを見極める必要がある。かつて我が社では営業パーソンに「初めて訪問する会社へは午前10時に行け」と教えてきた。応接間に入ってまず灰皿をチェックする。前日の吸い殻が残っているようならば、その会社とは絶対に取引をしてはいけない──と。そういう細かなことに気がつかない会社というのは、すべての業務に関して大ざっぱな可能性がある。そのほかクモの巣が張っているとか、窓ガラスの割れたところにテープを貼ったままになっている会社も要注意といえる。なぜガラスを取り替えていないのか考えると、それができないほど経営が切羽詰まっているか、あるいは窓ガラスが割れていることに気がつかないほどに心の余裕がないか──のどちらかである。私にも経験があるが、創業期に資金繰りに奔走しているようなときは、会社のガラスなど目につかない。経営者に余裕がなければ、社内の細かな点には気が回らないものである。1週間ほどして再度訪問したときに、まだガラスが直っていないようならば、もうその会社は絶対にダメである。それ以外にも実際に会社を訪問すると分かることがいろいろある。アポイントをとっているのに、客を平気で30分、1時間と待たせるような会社も要注意である。このような会社は何事につけ迅速に対処できない可能性がある。当然、お金の支払いに関してもルーズであることが多い。私は今でも仕事上、多くの取引先を訪問するが、一流企業と呼ばれる会社に行くと、社内の行き届いた清掃や整理整頓の素晴らしさに驚く。受付での対応やすれ違う社員の様子、身だしなみ、言葉遣いまで感心する。工場や製品そのものを見なくても、この会社の製品が信頼できることが分かるのだ。取引先の選択が命運を左右しかねないベンチャー企業の経営者は、目に見えるささいなことから取引先の信用度を見極める眼力がより必要である。欠かせない「朝勝ち」の体質──社長の出社時間をチェック

創業ほどない時期、日本電産はある有名な経営コンサルタントから診断を受けたことがあった。その彼が最初にやったのは、会社の玄関先に立って社員の出社時間を調べることだった。そして、こう言われたのだ。「あなたの会社のように朝の早い会社は、何か問題があっても必ず解決できるパワーがある」。何事も先手必勝、である。特に朝のスタートが早く「朝勝ち」ができるかどうかは、会社の競争力、信用力を左右すると私は考えている。朝は誰でもつらい。仕事は本来、決して楽しいものではない。もし遊園地や映画館のように楽しいなら、私は会社の玄関に立って、社員の一人ひとりから入場料を徴収するだろう。楽しい場所ではない会社に毎朝早く来るのは、社員の士気が高いということであり、そういう会社は少々の困難があっても乗り越えていくに違いない。取引先の状況をつかもうとする場合、その会社の社長を見ることも大切である。かつては社長が朝何時に出社しているかを、さりげなく聞いてみたりした。社長の出社時間はその企業の経営力を見る重要な手掛かりになる。社長の出社時間が遅い会社ほど取引先として危険と考えられる。もちろん何事も例外はあるだろうが、私の経験では大体においてそうした傾向があった。先に述べた9000万円の不渡りを出した会社も、社長が毎朝10時という遅い時間に出勤していた。そこに若干の危惧を覚えていたが、銀行に照会してみると、長い社歴もあり過去の蓄積もあるので、つい気を許してしまった。一部上場企業のように信用をチェックできる会社ならば、こんなことをする必要もないだろう。相手が中小企業の場合には、信用状況もつぶさには分からないので、こうしたささいな兆候もチェックしなければならないわけである。相手の会社がどういう売り先に商品を売っているのか。それをチェックすることも重要である。いくら商品が多く売れていても、その売り先がつぶれてしまえば、こちらにまでその余波が及んでくる。連鎖的な倒産ということがあり得ると念頭におく必要がある。9000万円の不渡りを出した企業について、私の最大のミステイクは、その会社の取引先をきちんとチェックしなかったことだ。一応聞いてはいたのだが、それがまるでデタラメだった。一流企業の名前ばかりを挙げていたが、実際の取引先は経営基盤が弱い危ない会社がほとんどだった。代金回収は決して妥協しない創業期から営業担当者に徹底している原則がある。代金の回収というものは絶対に妥協してはいけない──ということである。代金回収の際には必ず朝一番に出向く。先方の会社の始業が9時ならば、9時前に行って待っているのである。「回収は早く、支払いは遅く」。世知辛いように感じるかもしれないが、これがキャッシ

ュフロー経営の基本であり鉄則である。1日ぐらい遅くてもいいと妥協してしまうと、のちのち大変なことになりかねない。私も若いころはお酒も飲み、行きつけの飲食店もそれなりにあったが、繁盛していて経営がうまくいっている店ほど、ツケの催促が厳しかった。ついつい支払いが遅くなると「もう来てくれなくてもいい」と言われたほどである。営業担当者もこうした姿勢を学ぶべきだろう。営業はモノを売って終わりではない。回収までが仕事である。そもそも回収状況が悪いところには売ってはいけないし、手を切るべきであろう。朝一番に代金回収に行くと「そんなに資金繰りが苦しいのですか」などと言われることも再々あったが、そんなことを気にしてはいられない。実際、朝早く回収に行ったおかげで、小切手の不渡りを免れたことが何度かあった。一番に行った我が社の払い分だけ決済してもらえたのである。ほんの1、2時間の違いで不渡りを免れるということは実際にあるのだ。こういう場合に備えて、かつては取引先の近くの銀行に口座を作ったりしたものである。受け取った小切手などをすぐに決済するためだ。もっとも取引先を優良企業に絞っていけば、そういうこともなくなっていく。「決断は非情に、措置は迅速に」というのが、取引の原則である。様々な状況から危険を察知したなら、その会社との取引を速やかに見直すべきである。それなりに恩義がある場合、若干の心苦しさを感じないわけではないが、ビジネス社会を生き抜くためには、そうした非情な措置も必要である。どういうところと取引をするかは、どういう商品を作るかと同じくらい重要である。取引先を見極める目を磨き、冷静な選択が必要だ。そうして翻って、自分の会社にそうした症状が出ていないか、危険な兆候はないか、常にチェックしていくことが大切である。リスク分散、1社の取引は2割以下になぜ企業が発展するのか、現在発展している企業を研究しようとするのは誰もが思いつくことである。しかし私が思うには、つぶれた企業を見て、なぜその企業が敗退したのかを研究することの方が、より大切なのではなかろうか。なぜその企業がつぶれたのかをじっくりと考えてみると、個々のケースによって直接的な原因は異なるだろうが、共通した症状があることが分かる。病気と同じで、いろいろな倒産症状が現れてくるのである。だから、そうした症状をできるだけ早く察知できれば、被害を最小限にくいとめられるか、あるいは回避することができる。ともかく、灰皿や窓ガラスといった細部にも気がいかないほど、心の余裕がなくなってしまっているようならば、当然赤信号である。とりわ

け、支払いの約束期日を守らないとなったら、もう末期的症状といってさしつかえない。そしてリスク管理の基本はやはり分散である。日本電産では1社の取引が全売り上げの20%を超えないようにするという方針を掲げた。これも9000万円の不渡りにあった経験からである。1社の取引比率が20%を超えそうになれば、マーケティングを強化して全体の売り上げを伸ばすようにした。日頃からのリスク管理を怠らないことが何より重要だ。

ベンチャー企業というのは成長する過程においてはチャレンジすることが肝要である。日本電産の場合、創業から約10年の間に3回ほど、そうしたチャレンジの決断に直面している。大規模な投資を実施すれば、一時的に財務のバランスが崩れてしまう。自己資本比率も大きく低下しかねない。チャレンジと財務バランスをどう両立させるか。その時々で様々な判断があり得るだろうが、やはり核となる原則を作っておく必要がある。会社の経営は何より「原理原則」が大事なのである。一方で成長を続けるためには、変化を恐れないことだ。どんな事業にもピークアウトがある。これを最大のリスクと考える嗅覚が経営者には欠かせない。会社は一度赤字になってしまうと、黒字にするには大変な努力と時間が必要になる。そうならないために、原理原則を守り、基礎を強くするとともに、起こり得るビジネスリスクを敏感に察知し、先手、先手を打っていくことである。我が社もこれまで事業構造を大きく転換し、大規模な海外投資やM&A(合併・買収)を実施するなど、果敢にチャレンジしてきた。第6章ではチャレンジと財務バランス、成長に向けたリスク管理について考えたい。リスクテイクと投機を見極める1973年に日本電産を創業した際、自宅を使って事業を始めたため、そのときに買ったものといえば製図用具がせいぜいで、設備投資はゼロといってもよかった。その後、桂川の土手のそばに30坪ほどの工場を借り、そこに旋盤と研磨機を一つずつ入れ、生産を始めた。最初のチャレンジといえるのは創業して1年あまりが経過した1974年9月、きちんとした自前の工場を持とうと決めたときである。工場を建設するためにはまとまった資金を調達しなければならない。必要な資金はさしあたり1億2000万円。このときの資金調達の苦労については第3章ですでに述べたが、結果として借り入れられた金額は目標の半分の6000万円だった。それでも当時の日本電産にとっては大変な借金だった。2回目のチャレンジは、将来さらに生産能力が必要になることに備え、2万坪の土地を購入して峰山工場(京都府京丹後市)を建設したときである。

3回目は1983年から84年にかけて資本金の10倍以上という35億~36億円の投資を実施したことである。そのころは米国企業の買収、峰山工場での設備投資、滋賀工場の新設と、短い期間のうちに矢継ぎ早にチャレンジを続けた。その後も海外への進出、海外工場の建設、M&A(合併・買収)など、その時々で大きなチャレンジをしてきた。大規模な投資をすると、借入金が増え、自己資本比率は低下し、流動比率や固定比率も変化してしまう。バランスシートは理想とする形から乖離してしまう場合がある。償却負担が増し、利益率が低下するなど収益性にも影響がある。もちろん投資の効果が出てくれば、売り上げが伸び、利益、キャッシュも増える。それにつれてバランスシートも正常な状態に戻っていくはずだ。それでも取引先の金融機関などは足元の財務の悪化に対して神経をとがらせるだろう。大規模な投資が経営に致命的な打撃にならないように、しっかりと原則を決めておく必要がある。私の場合は次のように考えている。経営にはリスクはつきものである、成長に向けて必要なリスクはとる。ただし、最悪の事態になった場合は、どのくらいの損失になるのか、財務にはどのくらいの影響が出るのか、それらをきちんと事前に計算し、把握しておく。そのうえでリスクテイクをするのである。一方で最悪の場合の損失、財務への影響がまったく読めない、計算できない場合、そういう投資案件には決して近づかない。それは「投機」だからである。この経営判断としてのリスクをとった投資と、投機とを分ける必要がある。M&Aの場合、最悪の事態は傘下に収めた会社が破綻することであろう。買収のために費やした金額がすべてムダになる。その最悪の事態になっても財務に決定的な影響が出ることはないか。それを考えたうえで決断する。買収額は最大で自己資本の2割までにする、といった基本のルールも決めておくことだ。経済全体が混乱状態にある場合は、最悪の事態が見えてこない可能性がある。最近では2020年の春に新型コロナウイルスの感染症が広がった際、私は「キャッシュ・イズ・キング(現金こそ王様)」と表明し、投資をすべて凍結するように指示した。感染症による経済への影響が読めず、そういう状況の中で投資してもリスクのコントロールが難しいと判断したからである。財務改善の道筋を示しておく創業後、約10年の間に行った3回のチャレンジの際、やはりというか、そのつど、銀行の担当者からクレームの洗礼を受けた。そのときのやりとりを振り返っておこう。銀行からいろいろと言われるのは分かっていたので、あらかじめどう応答すればよいか

考えておいた。一問一答式にマニュアル、疑似問答を作っておいたのだ。その想定にほとんど間違いはなかった。当時、銀行側がとりわけ気にしたのが流動比率である。短期の借入金などの流動負債に対して、すぐに現金化できる流動資産がどれだけあるかを示す比率である。これが高いほど企業の資金繰りは安定しているとされる。貸し倒れを何より心配する銀行が、この流動比率に神経をとがらせるのは理解できた。経営者としても無視できない数字であるのは確かだ。とはいえ、一時的な悪化を過度に気にしていては成長に向けた投資はできない。先ほど述べた3回目のチャレンジのとき、1984年3月期の決算で流動比率が一気に落ちてしまった。米国企業の買収などに多額の資金を使ったため、借り入れが増えたからだ。そこで銀行にはこちらから「流動比率が落ちているが、増資も計画しており、それで借り入れは返済する予定で、来期には戻るはずです」と先手を打った。こうしたやりとりで重要なことは、必ず将来の見通しを付け加えることである。現時点で若干、財務バランスが崩れていても、取り返す見通しがはっきりしていれば、説得力が増すのは間違いない。日頃から何でもきっちりと報告していれば、銀行との間にいざこざが起こらなくてもすむというのは、これまでに述べた通りである。銀行との取引関係に気を使いすぎてチャレンジしなければ、もはやベンチャー企業とは呼べない。成長するために変化していくベンチャーと、変化に不安を覚える銀行。この関係を埋めていくのは、きちんと説明できる計数的な管理、説明できる根拠であり、それを経営者は熱意を持って伝えていくことだ。「資金の固定化」を避けるために設備投資の決断というものは非常に難しいものである。バランスシートの中の「資金の固定化」という問題とつながってくるからだ。日本電産の場合、創業してしばらくの間は建物については半分を現金で支払い、残りの半分は24カ月(2年)の手形をあてていた。手元にはなるべく資金を多めに持つようにして、いざというときに備えようとしたわけである。そして2年間稼いで建物の代金を支払うという考え方だ。機械を購入する場合も借り入れの返済は36回や48回の分割払いにした。銀行からは機械の導入という目的で全額分の借り入れをするわけだが、様々なケースに備え、絶えず手元の流動性を厚くしておこうとしたのである。これも会社を絶対につぶさないための財務戦略の一環といえよう。機械を現金で買う目的で1億円の借り入れができたとして、実際の支払いを48回の分割で行えば、手元の現金には余裕ができる。そのようにして、絶えずワーストケースに備えておくようにしたわけ

だ。生産設備をリースで調達したり、持たざる経営で固定資産を流動化したりするなど、現在では様々な方法がある。いずれにせよ、ベンチャー企業が設備投資をする際は、手元資金を少しでも手厚くする手段を考えるべきである。銀行が特にシビアなことを言うのも設備投資に関してである。銀行は元来、担保主義で、土地や建物など担保となり得る物件に対する投資については審査も比較的穏やかだが、機械を購入するとか、研究開発にお金を使う、といった場合には、先行きが明確でないため、銀行も不安になるようだ。設備投資や研究開発投資の際には、はっきり見通しを説明できるようにしておくことが肝心だ。創業期を過ぎ、企業規模が大きくなっても、成長投資に必要なお金をどう調達し、その投資からどうリターンを生むかについては常に気を配る必要がある。日本電産が今重視している指標の一つが投下資本利益率(ROIC)だ。2025年度を最終年度とする中期戦略目標「Vision2025」で、売上高4兆円の達成とともに、ROIC15%以上を目標に掲げた。ROICは事業に投じた資産からどれだけ効率よく稼いでいるかを示す経営指標である。2030年度に10兆円の売上高を目指すうえで、これから資金調達が増えてくる。これまで以上に資本効率性を厳しく見る必要がある、と考えている。「借金の効用」で飛躍目指す日本電産が創業した1970年代と、2020年代の現在では金融環境は大きく変わっている。現在は空前のカネ余りで、資金を持て余す上場企業も多く、新規の資金調達もしやすくなっている。資金調達の選択の幅も広がり、ベンチャーキャピタルのように若い企業に出資する機関も数多くある。ここで借り入れがいいか、増資がいいかという議論がある。借り入れの場合には金利を払わなければいけないが、増資ならば利益が上がるまでコストがかからない。利益が上がってきてから配当をすればいいのである。それなら増資の方がいいではないか──という考え方が当然あるわけだが、私は必ずしもそうは思わない。なぜかといえば、借金をすれば当然、利息を支払う必要がある。そのためには利益を上げなければならない。そうした緊張感が経営の規律を高める、いわば「借金の効用」というものがあるからだ。それも利息を払うのに精一杯の水準ではなく、高水準の利益を出さなければならない。こうしたいい意味でのプレッシャー、いわば「背水の陣」をしくことが、企業に緊張感をもたらし、いい結果につながることになる。早くから自己資金だけでやっていて借金がない会社は、無借金経営だと喜んだはいいが収益が下がりがちになる、ということにもなりかねない。利息を支払っても、なおかつコ

ンスタントに利益が出せるという強い企業体質を作っておけば、無借金の状態となったとき、より大きな飛躍が可能となるはずだ。会社を健全に発展させていこうと思うならば、あまり早い時期からベンチャーキャピタルの資金を導入したりするのは好ましくないのではないか。成長過程には「踊り場」が必要階段に踊り場がなければ、足を踏みはずしたときにまっ逆さまに下まで転落してしまうだろう。同様に、ベンチャー企業もその成長過程においては、踊り場に相当する期間を設定する必要がある。もちろん事業活動を継続し、これまでのように注文をとったり製造したりするわけだが、大規模な投資といったチャレンジをいっさいしない期間を設けるのである。事業は順調で注文もたくさんある。だが注文があるからといってどんどん生産を拡大し、売り上げを増やせばいいというものではない。それでは人もついてこないだろう。時には「休む」ということも大切である。ところが、一般にベンチャー企業の経営者というものは、どうしたことか休みたがらない。会社を興して、事業が順調に拡大に向かい始めると、どうしても「行け行けドンドン」になってしまうのである。3年周期くらいでそうした踊り場の期間を設けるべきであろう。我が社の場合、踊り場の期間として休んでいたときも、売り上げは伸びていた。ただ、先行投資をやらないだけのことだ。踊り場がなく、うっかり足を踏みはずして、いちばん下まで一気に階段を転がり落ちるのはなんとしても避けたい。ではどういうときを踊り場にするべきか。これを経営トップは的確に判断する必要がある。私は明るいところで休むべきである、と考えている。つまり経営状態がよいときにこそ、立ち止まって考えるのである。日本電産の過去の業績を見ると、世の中が不景気のときにこそチャレンジし、大きく成長している。そもそも会社を作ったのはオイルショック時だったし、1990年代の金融危機のころ、2008年のリーマン・ショックの後など、世の中全体が非常に厳しい時代に伸びている。ところが世の中全体が好景気のときには意外に成長していない。多くの会社は景気がよいときに、高いものを買ったり、過剰に人を採用したりする。そしてバブルの崩壊やリーマン・ショックなどの経済危機が起こると、リストラを迫られる。そうではなく、好景気のときにこそ浮かれず、苦しいときでも成長できる土台をしっかり固めるべきである。私は創業以来ずっと「足元悲観、将来楽観」という考え方を基本にしてきた。これは「このままだったら危ない。えらいことになるぞ」と今を悲観している限り将来は明るい、という考え方だ。

「今は調子がいいから、このままで行こう」と思っていたら、決して明るい未来は訪れないだろう。市場はさらによいものを求め、技術はどんどん向上する。今売れている商品もあっという間に陳腐になってしまう。今を悲観していち早く準備すれば、変化した市場に一番乗りできるはずだ。大胆なビジネスポートフォリオの転換が生死を分ける経営においては、事業が順調なときほど、次の一手を考えることが重要である。そのためには、常にマーケットの動きを察知し、次に訪れる世界を読むことだ。頂点を極めたビジネスにしがみついていては、必ず会社はダメになる。新たなビジネスへの挑戦こそが、会社を若返らせ、成長への活力を生む。大胆なビジネスポートフォリオの転換は企業の生死を分けるといっても過言ではない。日本電産もこれまでたびたび、新たな成長に向けて事業構造を変えてきた。創業して10年になる1983年、私は大きな決断をした。それまでの主力製品だったフロッピーディスクドライブ(FDD)用モーターから撤退し、ハードディスクドライブ(HDD)用モーターに専念すると決めたのだ。このとき私が注目したのはパソコンの薄型化、ダウンサイズ化の流れである。当時の精密小型モーター市場では、FDD用モーターが伸びており、受注量が少なく技術的要求も厳しいHDD用モーターの開発に着手するメーカーなどなかった。しかし、いずれコンパクトで大容量のHDDが求められるようになり、このニーズを先取りすれば、必ず勝機がある。これが私の読みであった。そしてHDDトップメーカーの米シーゲイト社からの受注獲得に奔走した。トップメーカーは必ず攻略しなければならない。これは私の信念である。競合他社に勝つためにすべきことは顧客志向の徹底、具体的には「絶対にノーと言わないこと」「可能な限り納期を短縮すること」「得意先を頻繁に訪問すること」の3つ。これを徹底することで突破口を開いていった。1980年代後半から、パソコンの薄型化、ダウンサイズ化の流れは一気に加速し、HDD用モーターは日本電産の主力ビジネスになっていく。HDDサイズも5・25インチから3・5インチ、2・5インチ、1・3インチと小型化が進んでいくが、HDD用モーターの小型化でも日本電産は世界をリードしてきた。そして時代は下って1990年代後半、私は再び大きなチャレンジの決断を下した。HDD用モーターの新たな軸受けの構造として、流体動圧軸受(FDB)の開発をスタートさせたのである。HDDは高密度化、高容量化、高速化が求められるようになり、精度に限界のあるボールベアリングに代わる構造が必ず必要になると、私は読んだのである。次世代のHDDでは必ずFDBモーターが標準化されるとにらみ、私は研究開発を急がせた。そして1998年にHDDメーカーにサンプルを提供、高い評価を受けて、タイ日

本電産での量産をスタートさせるのである。このFDBモーターはやがて我が社に大きな収益をもたらした。そして今まさに、我が社は新たな事業構造の変革に向け大きなチャレンジに取り組んでいる。HDD向けなどの精密小型モーターに代わり、「脱炭素社会」が追い風になる電気自動車(EV)用駆動モーター、家電用省エネ型モーターなどを事業の主力に据えようとしているのだ。精密小型モーターは現在も利益率が高い「キャッシュカウ(安定収益源)」の事業だが、そこに安住せず、マーケットの変化をにらみながら、将来に手を打つわけである。企業を大きな木に例えるなら、その製品は花であり実である。顧客の嗜好にしたがって、花の色を変え、実の形を変えていかねばならない。もっとも木の根にあたる経営の原則や財務戦略の基本方針は変えてはいけない。しっかりと地中に根を張らなければならない。これは何度でも強調しておきたい。

日本電産は1988年11月7日、大阪証券取引所第2部と京都証券取引所に株式を上場した。1973年に創業してから15年目である。そのころは創業してから上場までに通常30年はかかると言われていたから、かなりのスピード上場だったといってよいだろう。何度もいさかいがありながらも多くの金融パーソンらに育てられ、借金一辺倒の経営から脱却できるところまで来た。もっとも、当然のことではあるが、企業にとって株式の上場はゴールではない。最近はそう考える経営者もいるようで驚いてしまうのだが、上場はむしろ出発点であり、自動車でいえばようやく運転免許をとった段階にすぎない。この章では企業にとっての株式公開の意義、上場後の財務戦略について考えたい。株式上場、メリットと制約上場当日、私は大阪北浜の大証で初値がつくのを見守った。初値は5150円だった。時価総額にすると500億円台である。その後、株式の時価総額が2021年の2月に約9兆円にまで拡大、日本の上場企業の中で上位10位内に入るほどの市場の評価を得たが、思い起こせばここが出発点だった。

上場審査のために大証の担当者と面談した際には、大学受験に挑むような気持ちでかなり緊張したのを覚えている。彼らはなんとか落とそうと、企業としての不備や落ち度を探しているかのようだった。上場の挨拶文は巻物に自筆で、創業して以来いかに苦労してここまできたかを綴った。我が社の上場によって最も安堵したのは京都銀行かもしれない。目前まで私個人による株式の取得資金の融資をお願いしてきた。それらのお金は上場の際に自分の株を一部売って返済した。もちろん創業以来、リスクもある中で自らの将来をかけた融資で支援してくれたことには感謝の気持ちしかない。1998年9月には東京証券取引所の第1部に上場、大証でも1部に昇格した。さらに2001年9月にはニューヨーク証券取引所に上場した。当時、ニューヨークへの上場は日本企業としては15社目だった。創業時からインターナショナルな企業を目指してきたが、これにより日本電産グループは世界中に知られる企業となったのである。その後、日本の証券市場で外国人投資家の取引が活発になり、上場の合理性が低下したため、ニューヨーク上場は廃止したが、情報開示、会計監査、株主への対応などで厳しいチェックを受け、そこでもまれたことは我が社にとっても貴重な経験だった。1998年の東証1部上場のとき、当時大学院生だった次男から手紙をもらった。お祝いの言葉とともに「お父さんのような親を持って誇りに感じる」との一文があった。創業以来、私は年中無休で家にいる時間はほとんどない生活で、次男が小さいころの作文に「こんな父で不幸だ」と書いていたのを思い出し、感慨深かった。東証1部上場企業の経営者というのは息子にも誇りに思える存在だったのだろう。上場は一流企業へのステップである。ところで気がかりなのは、我が社が上場したころと比べて、今は上場の価値、上場企業のステータスが下がっているように思えることだ。かつては東証1部上場で売上高1000億円、営業利益で100億円が相場だった。今は赤字企業でも上場させ、一部昇格のハードルも下がっている。2022年から東証の上場区分も見直されるが、「東証上場」というステータスをあらためて取り戻す努力をするべきだろう。大きな企業を育てるためには、簡単に上場させるのは決していいことではない、と私は考えている。日本電産が上場したとき、いよいよこれからだという高揚感もあったが、同時に私が感じたのはこれまでにない大きな責任だった。大証・京証に上場した直後、私は社内報に次のように書いている。「株式を公開するということは、多くの利点を有するものの、他面ではその責任を含めて、厳しい制約や欠点すら有するものです」上場は資金調達の幅が広がるだけでなく、優秀な人材の確保、社内の士気、世界の一流企業と取引していく際の信用など、メリットは大きい。一方で上場すれば個人投資家から外国人投資家まで様々な人が株主となる。株価が下が

れば迷惑をかけるし、仮に会社の経営が悪化すれば、金融機関だけでなく、一般の人に至るまで多くの人に影響が及びかねない。我が社の場合、社員も株主になっていたので、株価が下がると士気にも関わってくる。もちろん責任が重くなるからといって、ひるむ必要はない。そうした厳しい規律の中でこそ、強い経営体質が鍛えられるのである。経営者にとって大切なのはより厳しい規律、より厳しい会計基準などを自ら求めていく気概であろう。人が集まる株主総会を目指せ私はこれまで、金融機関との交渉にあたって、融資を引き出すために数字を駆使しながら論理的に説明する力、情報を発信する力の重要性などについて説いてきた。そうした能力は上場してから一段と重要になる。金融機関との交渉のように1対1ではない。相手は何万という株主、海外も含めて無数といっていいほどの投資家である。できるだけ長期の視点を持ち、企業としてのこれからの成長ストーリーを発信していけるか。もちろん数字も交えて説得力を持たせる必要がある。こうした発信力が市場価値を大きく左右するといってよいだろう。年に1回の株主総会は上場企業にとって大きなイベントである。昔の総会屋対策から始まって多くの企業は無難に過ぎることばかりを考えがちだが、個人のファンを取り込んでいくチャンスだと前向きにとらえるべきだ。経営者は「総会が待ち遠しくてしょうがない」というくらいの気持ちが必要である。1998年に東証1部に上場したころ、日本電産は株主総会のあり方を大きく変え、総会自体を活性化させるため、いろいろと対策を打ち出した。まず6月末の総会集中日を避け、株主が参加しやすくした。多数の人が入れるよう、大きな会場を使うようにした。お金を幅広く調達する以上、株主にいささかなりとも疑問や不信感を抱かれるようなことがあってはならない。総会でのやりとりはすべてオープンにし、会場には記者が取材できる報道席も設けた。株主総会では私が企業戦略を含めて全部自分の言葉で話すようにした。想定問答集は作らず、予行練習もいっさいしない。他の会社では役員に回答や説明を振って経営トップがほとんど発言しなかったり、「貴重なご意見として承ります」とだけ言ってお茶を濁したりするケースもあるようだが、経営トップこそ会社のすべてを把握し、何を聞かれても自らの言葉で答えるべきであろう。たとえ翌朝までかかっても質問を打ち切ることはしない。そういう心構えでやる。いつまでも終わらないのではないかと思われるかもしれないが、心配する必要はない。たいてい最後は株主のみなさんの方が疲れてしまうものだ。お昼が過ぎ、おなかがすくころには質問も途絶える。大切なのは経営者が正々堂々と質問を受け、逃げるような姿勢を決して見せないことだ。

株主と正面から向き合い、信頼を得ることができれば、長期のファンの育成につながり、株主の裾野も広がる。目指すべきは「人が集まる総会」だ。私の場合、株主のみなさんとのやりとりでは熱くなって、時には声を荒らげてしまうようなこともあった。それだけ真剣勝負でやっている証しでもある。「ホラ」「夢」で未来を語る私は16歳で株式投資を始め、個人として60年に及ぶ投資経験があり、株主や投資家が何を求めているのかを知り尽くしている。経営者は夢を語らないといけない。それも独創的に借り物ではない自分の言葉で語ることだ。計数感覚を磨いて数字に強くなる必要があるとこれまで説いてきたが、それは上場後、株主や投資家と向き合う際も同じである。なるべく具体的な数字を挙げて、将来の姿を示し、聞いている人の心に響くように努める必要がある。私もこれまで「売上高1兆円」や「時価総額5兆円」を目標として掲げたり、株主の裾野を広げたいと考えたときに「株主3万人計画」といった方針を打ち出したりした。現在は2030年に売上高10兆円を目指している。銀行との交渉の部分でも述べたが、「成長に向けてこれからガンガンやります」では通じない。投資家はその「ガンガン」の中身が具体的に知りたいのである。私は将来の姿を「ホラ(法螺)」「夢」「目標」の3段階で語るようにしている。「ホラ」はそれこそ人が聞いたら笑われるようなレベル。このホラにも「大ボラ」「中ボラ」「小ボラ」の段階がある。もう少し現実味が出てきたら「夢」である。そして必ず達成する必要があるのが「目標」だ。1973年の創業時、「精密小型モーターで世界一になる」という夢を抱き、50年計画で売上高1兆円を目指すと宣言した。この段階では確かに「大ボラ」で、周囲から「1億円の間違いですよね」と聞き直されたほどだった。それがやがて中ボラになり、小ボラになり、夢にまできて、実現が見えてきた。2014年度、実際には創業50周年より約10年早く1兆円に乗せた。私のことを「ホラを現実にする男」と呼んでくれる人もいる。

2019年8月、私は75歳の誕生日に「新50年計画」を立てた。売上高で100兆円、時価総額も100兆円超と、世界のトップ10入りを目指す。私が125歳の年だ。現時点では「大ボラ」といってよいだろう。ホラには周囲を明るくし、その言葉を口にすることで実現に向けて自らを奮い立たせる効果もある。今でも私は、ホラを吹けない若者は大成しないのではないかと考えている。これから起業を目指す方々も、若いうちから小さくまとまってしまわず、周囲が驚くような大ボラを吹いて、夢を形にする努力をしていってほしい。もちろん私のホラは口からでまかせ、というわけではない。そこに至る道筋、そのための戦略は自分なりにきちんと描いている。長期の展望を口にする際には、それこそ「怖がり」になって、事前に徹底的に調査し、分析する。私の「ホラ」はそれなりに根拠のある「ホラ」なのである。上に立とうとする者は、常に高みを目指す志が必要である。何歳になろうが、企業がどれほど成長しようが、志は大きく広がる。これは永遠に続くものなのだと思っている。決算発表、必ずトップが説明上場すれば毎期ごとの決算発表が必要になる。この決算会見などもトップが行って説明するのが鉄則だと私は考えている。海外の企業でもやはり発信するのは最高経営責任者(CEO)である。最高財務責任者(CFO)にすべて任せたりはしない。トップが自ら経営の現状、方向性、リスクの在りかなどを説明してこそ、みんなが納得し、企業価値にもプレミアムがつくのである。今の日本電産の場合、決算後のIR(投資家向け広報)ミーティングには投資家やアナリストら何百人という人が集まる。おそらく上場企業として最大規模ではないだろうか。のぞいてみればその熱気に驚かれるかもしれない。決算説明会には日本電産の幹部やグループ会社の経営者が出席することがあるが、私は彼らに「先行きは不透明」という言葉を使って説明することを禁じてきた。確かに先行きは誰にも分からない。常に不透明なのである。その中でもきちんとした見通しを持ち、戦略を立てなければならない。それが経営者の役割である。事業を行う経営者は解説者ではない。「不透明」で逃げていては、経営者として先を見る目がいつまでたっても育たないだろう。経営者は世の中の大きな流れをくみとり、それを経営に生かしていくことが求められる。幅広い視野と長期の視点。それに基づいて的確な決断ができるかどうか。投資家はそうした経営者の素養を厳しく見極めようとしているのだ。IRミーティングも株主総会と同様、経営者にとっては真剣勝負の場である。時には証

券会社のアナリストたちと激しくやり合う。実際、私に怒鳴りつけられたアナリストも多い。もちろん互いに信頼感があるからこそだが。アナリストや投資家と意見が対立する場面はたいてい同じである。私にとっての不満は、彼らの質問や関心が、中長期の成長戦略よりも足元の収益動向にばかり向いているように思えることだ。その点はメディアも同様である。特に四半期決算が導入されてからその傾向が強まっているようだ。もちろんアナリストも企業分析のプロである。足元の業績動向に目を光らせ、収益性や成長性に変化はないか、顧客である投資家に伝えようとするのは理解できる。しかし経営者は5年先や10年先、さらにもっと先の姿を描き、経営戦略を練っている。そして企業価値を考えるうえでも長期の戦略が重要であるはずだ。こうした時間軸の差は粘り強く議論し、埋めていく必要がある。例えばこれから成長が見込まれる電気自動車(EV)用のモーターなども長い開発期間が必要である。収益の圧迫要因になって、仮に市場がそれを懸念したとしても、将来に向けて投資の手を緩めるわけにはいかない。株主には長期で報いる。この点は何度でも強調しておきたい。増資は将来への自信から株式上場の大きなメリットは、資本市場からまとまった資金が調達できることである。2004年に日本電産は、500万株の公募増資をして、約600億円の資金を調達した。1989年以来、15年ぶりだった。バブル崩壊後の日本企業の公募増資としては当時最大規模で、調達資金は設備投資や負債返済にあてた。2003年に三協精機製作所(現日本電産サンキョー)を買収した直後で、自己資本比率が20%台に低下していた。この大規模増資で自己資本比率は40%程度に上昇、再び攻めの体制が整った。公募増資をすると、株式数が増える。利益がそのままであれば、一株当たりの利益は下がってしまう。これに失望することがないよう投資家に今後の成長ストーリーを分かりやすく示すことが肝要だ。いずれにせよ、攻めるときと守りを固めるときのバランスが大事である。追い込まれてから資本を増強するのではなく、先手を打って財務基盤を固める。もちろん幅広く資金を集めるのだから、責任は重い。増資は将来への自信があるからこそできる。それを市場にも納得してもらう必要がある。上場企業は基本的には株主を選べないが、公募増資の際には販売先のターゲットを定めることができる。2004年の増資では申込単位を100株にし、個人投資家向けに大半を販売した。株主数を増やしたいと考えたからだ。持続的な株価上昇には外国人投資家や機関投資家だけでなく、個人も含めた幅広い投資

家層に株式を持ってもらうことが重要だ。海外IRや個人向けのIRなど、情報発信の面でも様々な工夫する余地があるだろう。配当に込めるメッセージ最後に配当政策について触れておこう。日本電産の場合、純利益のうち何%を配当に回したかを示す配当性向は30%を基準としている。予想よりも利益が大きく伸びて、配当性向がこの基準に達しない場合も多い。株主への配当はもちろん剰余金を原資にして、業績動向に応じて支払うわけだが、最後は経営者の判断で決められる。配当には経営者の意思が込められると言われるゆえんである。成長への投資を何より優先するべきベンチャー時代は、配当はゼロでもかまわない。我が社もかつては配当にほとんど重きをおかなかった。今でも成長投資に優先して資金を回したいという気持ちの方が強い。一方でだんだんと企業が大きくなると、お金もたまっていく。そして長期で株式を持ち続ける株主も多い。そういった人たちには配当で報いていく。そうしたことを考えると配当性向30%という水準に落ち着いた。いずれにせよ、企業の成長段階に応じて、基本の配当方針を決めていくことが必要だ。私は今、個人として日本電産の筆頭株主である。日本企業の経営者は自社の株をほとんど持っておらず、海外からは不思議に思われているようだ。私は買収した会社にも個人で出資をする。経営トップが個人で株を持つのは、その会社に対する責任、他の株主に対する責任をはっきり示す証左だと考えている。自社株を持っていない経営者が、なぜ自社の株を買えと言えるだろうか。そんな経営者がIR説明会などで「我が社はこれから成長します」と言っても説得力がない。「私財をなげうってまで経営に情熱を注げない」と考えているとすれば、そういう企業は投資家からそっぽを向かれ、早晩、衰退していくだろう。私ほど自社の株価や時価総額について語る企業経営者もいないかもしれない。常に自社の株価の動きに目配りし、1日に10回くらいはチェックする。これまで述べたように、私が最も重視する数字は時価総額である。証券市場を意識し、株価を意識してこそ、経営に緊張感が生まれ、成長にもつながる。そう信じているからである。それこそ上場の意義であろう。

我が社が最初にM&A(合併・買収)を実施したのは創業して10年あまりが経過した1984年だった。軸流ファンを手掛ける米トリン社を買収したのである。それ以来、国内外合わせて67社のM&Aを実施してきた(2021年9月現在)。これまでのM&Aの成果を勝ち負けでいうなら「67勝0敗」である。つまりすべて成功、失敗はゼロだ。買った企業を再建できずに破綻させてしまったり、のれん代の減損処理に追い込まれたりしたことは一度もない。すべての案件で日本電産グループの企業価値の向上につながっている。M&Aは成長のために時間を買う戦略である。市場がグローバル化し、各分野のトップ企業に利益が集中する時代、歴史の浅いベンチャー企業であっても、得意分野をさらに強くするために、M&Aで技術や人材を取得するのは非常に重要な戦略といってよいだろう。我が社の場合、50%をオーガニックな自力の成長、残りをM&Aによる成長という両輪でやってきた。それをシナジー、相乗効果で高めていく。2030年にグループで10兆円の売上高を目指している今もそれは変わらない。M&Aをどうやって成功させ、成長に導くか。この章では、私の経験を踏まえて、永守流のM&A成功の極意を紹介したい。M&Aのリスクをまず認識するまず述べておきたいことは、M&Aほどリスクが高い投資はない、ということである。一つ間違えれば、自社にも大きな影響が出る。私がこれまで67社の買収を成功させたといっても、どの案件も簡単なものはなかった。とりわけ重要なのは買収後の統合作業、つまりPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)である。統合効果を最大限にするために経営トップが全力で取り組む覚悟がないと成功は難しい。そういうリスクをはらんだ戦略である、ということをまず十分に認識しておく必要がある。ではベンチャー企業はどのタイミングでM&Aの戦略に動けばよいか。やはり自分が作った会社が一定のレベルにまで成長し、収益性が軌道に乗ってからやるのが無難だろう。一つの目安でいえば、例えば営業利益率が10%前後に達し、安定して利益を出せるようになってから動くのが望ましい。少なくとも相手の企業より、収益性や財務の健全性など総合的な力が上回っていない状態では厳しいだろう。自分の会社をまず一人前な状態にしてから、よその会社を買いに行くのがやはり原則である。小が大を飲むようなM&Aも世の中にはあるにはあるが、難しいケースが多いようだ。

自社より格上の海外企業を買収し、コントロールできないまま、失敗に終わる例もある。やはり買収先の企業の経営指導をする場合にも、自社の経営の方がしっかりしていないと、うまく進まない。我々は経営が悪化した企業をM&Aで傘下に収めた後も、相手先の従業員を解雇せず、意識改革によって経営体質を改善させて再生につなげる手法をとっている。外科手術ではなく「漢方薬」の手法である。本体の経営に余裕がないと、十分な経営再建はできないだろう。先ほど述べたように、日本電産の場合もM&Aに動き出したのは創業して10年が経過してからだった。最初の案件も資金的に支援してくれたのは京都銀行である。日本の銀行員の多くは当時、M&Aが何なのかも十分に理解していないようだった。当時はまだ、日本企業にとって、M&Aという戦略が広く認知されていなかったのだ。成功の3条件──「高い価格で買わない」「ポリシー」「シナジー」私は「M&A成功の3条件」と言っているが、1つ目は価格である。絶対に高い価格で買ってはいけない。2つ目は会社のポリシー。日本電産のポリシーに合わない会社を買ってもうまくいかない。3つ目がシナジー。技術や顧客網などが相乗効果を示して収益を高められるかどうか。この3つがそろわないと成功は難しいだろう。そして最も重要な条件はやはり価格である。海外の事例を見ても、M&Aの多くは失敗している。9割近く失敗というデータもあるほどだ。失敗する理由は様々であるが、大きな要因は高すぎる価格で買っているためだと私は考えている。だから買収価格には徹底的にこだわる。適正価格を十分に見極め、ここで折り合いがつかないと買わない。重視するのはEBITDA(EarningsBeforeInterest,Taxes,DepreciationandAmortization)倍率という指標だ。税引き前利益に支払い利息や減価償却費などを加えた金額(EBITDA)と買収額を比較する。買収額がEBITDAの10倍を超えるものには手を出さないと決めている。買収価格が高いというのは、企業価値に対するプレミアム分である「のれん代」が高いということを意味する。それだけで買収後にのれんの価値を引き下げる減損処理を実施するリスクが高まる。私が見る限り、日本企業のM&Aはほとんどが高い価格で買っているのではないだろうか。最後は価格、どんなにいい案件でも価格で折り合わないと買わない、という覚悟をまず固めることだ。買収価格を巡っては厳しい交渉が不可欠だ。時には「はったり」も必要である。米国企業を買収した最初の案件でそのことを学んだ。トリン社を買収した1984年当時、日本企業にとってM&Aはまだ珍しく、外国企業相手ならなおさらであった。それでもモーター事業を強化するためにも、トリン社のファ

ン技術を手に入れたかった。創業以来、モーターを企業に売り込みに行くと、「ファンは扱っていないのか」と言われることが多かった。ファンは電子機器や部品の熱を冷ますための機器だ。当時、ファンの主力メーカーは欧米にしかなく、そこで私が目につけたのが米国のトリン社だった。まず合弁会社の設立を働きかけ、その後、トリン社が別の企業に買収されたのを受けて、M&Aに動こうと決意した。「ファン事業を売ってくれませんか」。トリンの親会社になったクリーブパックという会社にそう持ちかけ、交渉が始まった。最初に提示してきた価格が1000万ドル。当時は1ドルが200円台前半で、円換算で20億円を超える。とんでもない高い価格だと思ったら、交渉の仲介のために同席していた邦銀の担当者が「あれは演技で、最初に高い価格をふっかけているだけです」と、私の横でささやいてくれた。それでこちらから買値を下げようとしたら、相手はものすごい勢いで机をたたいて怒り出し、そして席を蹴って部屋を出て行くようなそぶりも見せた。内心はドキドキしながら「これも演技なのだ」と自分に言い聞かせて、なんとか平静を装った。こうしたギリギリの交渉の末、買収価格は最初に向こうから提示された価格の半分、480万ドルにまで下がった。米国企業の交渉の現場を目の当たりにして、私もビジネスの流儀を学んでいった。その後のM&A交渉では私自身が「はったり」をきかせたりしている。本当に机をたたいたり、席を蹴ったりまでする必要はないだろうが、M&Aの成否を左右する価格交渉はそれこそ真剣勝負で挑まなくてはならない。そしてその重要な交渉役を担うのはやはり経営トップであるべきだろう。どんな会社を買うべきか──我が社の「ハイブリッドM&A戦略」トリン社買収の5年後の1989年には、ハードディスクドライブ(HDD)用スピンドルモーターの分野で熾烈な競争を繰り広げていた信濃特機を傘下に収めた。私がM&Aを進めた理由は、文字通り「時間を買う」ことにあった。グローバル展開と事業の多角化を進めていけば、競争環境が激化するのは必然である。大競争の時代に勝ち残るには、何よりも確かな技術が必要である。さらに価格競争を制するためには、部品加工の内製化が不可欠だ。その時点で我が社が持っていなかった精密加工技術、プレス技術、塗装技術をグループ内に確保し、原価低減を図らなければならない。だが社内で技術や人材を育てていては時間がかかりコストも合わない。合理的に考えて、M&Aは必然の流れだったのである。どういう会社を買うべきか。ここはしっかり固めておく必要がある。規模を大きくする

ためだけにM&Aを実施するのではない。売上高を増やす目的だけで会社を買うわけにはいかない。より強い企業グループを作る。そのためのM&Aである。結果として企業規模が大きくなる。そういう発想が大切だ。私の頭の中には常に理想とする事業ポートフォリオがある。その完成図に近づけるために、ジグソーパズルのピースを埋めていくように会社を買う。2030年の10兆円に向けて、買うべき会社はすでに決まっている。欲しいと思う会社は常に10~20社あり、いつでも機動的に動ける体制をとっている。M&Aは必ず企業価値に寄与できるものでなければ成功といえない。我が社のM&Aは城の石垣に例えられる。大きな石を積み上げるだけでなく、間に詰める小さな石も大事にしているのである。詰め物に相当する企業を買わずに、大きな石を載せるだけだと、収益はなかなか上がらない。小規模ながら得意な技術やマーケットを持った会社を買うことで、将来はシナジー効果を発揮して、グループの収益に大きな貢献をしてくれる。例えば500億円の会社を買って、次に詰め物に相当する50億円の企業を買うと、1000億円の価値が出る。製造・販売以外に設置サービス、修理、メンテナンスなども自前で行えるようになったりすることで、アフターサービスによるトータルな顧客満足度の向上が見込まれる。これが日本電産流の「ハイブリッドM&A」であり、M&Aで連戦連勝をする秘訣である。経営者がM&Aを手掛けようと考えるなら、それによってどういう企業グループにしたいか、まずそれを思い描くことだ。ジグソーパズルでいうなら完成図が頭の中にないといけない。不要なピースを買っても意味はない。買うと決めたら何年かけても誰から買うか、ということにも神経を使うべきだろう。私の場合、基本的には国内でも海外でも一流の企業からしか買わない方針だ。特にファンドが持っているような会社はなるべく手を出さないようにしてきた。そして買いたい会社があれば、まず何らかの手を打つことだ。私は毎年1月1日に、会社まるごとであれ、事業部門であれ、これから買おうと思っている企業のトップに対して手紙を出すことにしていた。その手紙の中で「ぜひ買わせてください」と提案するのだ。手紙の数は毎年、数十通にも及ぶが、もちろん、いきなり買収提案を受け取ってすぐに「はい分かりました」という会社はない。それでも、ひとたび声をかけておくと、いざというときに向こうから最初に話がくることがある。そのときに備えて、毎年欠かさず手紙を書き続けるのである。海外企業の中には「買いたい」という手紙を私が出すと「関心を持ってくれて感謝します。ただ今のところは売る考えはありません」という丁寧な返事が帰ってくる場合もある。M&Aが日常の経済活動の中に定着しているからだろう。日本企業なら「失礼な話

だ」と思うところも多いかもしれない。声をかけて何年もたってからM&Aに結びつけたケースはこれまでにいくつかある。2010年に米電機大手エマソン・エレクトリックのモーター事業部門を買収した。エマソンは1890年創業の名門企業である。世界の家電大手などと深い関係があり、そのモーター事業はぜひ手に入れたいと思っていた。最初にエマソンに買収を持ちかけたのはその10年前だ。ところが当時は「買収資金は本当にあるのか」と言われ、けんもほろろだった。まだ脆弱だった我が社のバランスシートに不安を感じていたのだろう。しかし2010年に再び買収を提案すると、温かく迎えられた。こちらの企業としての実力も認めてもらえたということだろう。買収合戦は激しかったが、先に手を打っていたことが奏功し、無事買収ができた。2007年に日立製作所から買った日本サーボ(現日本電産サーボ)も16年がかりだった。その間に日立の社長が4人も替わった。粘り強い交渉でようやく名門企業を動かしたのだ。企業を買うと決めてからそれが実現するまでに平均するとざっと5年かかっているだろうか。このように買うと決めた会社は何年かけてでも買う。そう簡単に買える企業などない、と心得るべきだ。こうした点では創業者、オーナー経営者に有利な面がある。経営の時間軸が長いからだ。高い価格に飛びついてしまってM&Aで失敗するのは、時間に限りのある中で自分の任期中になんとか成果を出そうとするからかもしれない。M&Aは焦って実行すれば、取り返しのつかない失敗をしかねない。そうした点には重ね重ね注意が必要である。バランスシートを隅々まで分析M&Aの相手先を分析するときはバランスシートをじっくり読み込む。PL(損益計算書)は悪くても立て直せるが、バランスシートの修正には時間がかかるからである。どこを直せば会社がよくなるのか、健全な財務状況になるにはどのくらいの時間がかかるのか、はっきり分からないうちは買えない。2019年にオムロンから車載電装部品会社「オムロンオートモーティブエレクトロニクス」の譲渡を受けたが、その際もバランスシートが決め手になった。買う直前の収益性はよくなかったが、バランスシートの中身は非常にいいと思った。買った当初は価格が高いのではという声もあったけれど、それでも1年ほどの間に収益性は改善し、かつてない利益率を上げるようになった。潜在力があったわけで、それがバランスシートからうかがえた。反対に足元のPLはいいけれど、負債が多いなどバランスシートが悪い会社には慎重に

なる。本書で一貫して主張してきたことであるが、経営者はバランスシートを見て、その本質が理解できなければならない。M&Aという企業の命運を左右しかねない投資でも、そうした力がまさに試されるのである。特に重要なのが資産の中身をきちんと分析できるかどうかである。日本電産にとって23社目のM&A案件となった三協精機製作所(現日本電産サンキョー)のケースでは、買収を決断する直前まで資産内容を徹底的に検証した。赤字が続き、累積債務もかさんでおり、一つ間違えば債務超過に陥りかねない状態だった。同社の有価証券報告書を常に脇に置き、隅々までチェックした。バランスシートを注意深く見ると「隠れ負債」のようなものもうかがえた。そうした点も踏まえると、いきなり連結子会社化するのは影響が大きいと判断した。当初の出資比率は40%以下に抑え、まず持ち分法対象の企業にして、その後、経営状況を見ながら段階的に出資を増していき、連結化するという選択をした。リスク管理を優先したのである。付加価値の追求──M&Aのはしりの取引今から振り返ると、私は創業ほどない時期にM&Aのはしりともいえる行動をしている。1974年12月、我が社の取引先の一つであるユニゾン社が倒産した。ユニゾン社は半導体メーカーで、ホール素子と呼ばれる特殊な半導体をモーターに応用したホールモーター(ブラシレスDCモーター)を生産しており、そのモーターの機構部分を、我が社が納めていた。第5章で述べた通り、この取引先企業の倒産は、創業したばかりの我が社の経営を大きく揺るがしたが、このとき、私はユニゾン社に対してある思い切った提案をした。債権をすべて放棄する代わりに、ホールモーターに関わる技術スタッフを我が社に移籍させてほしい、と依頼したのである。そのころの主力商品は各種のAC精密小型モーターだった。ここにブラシレスDCモーターを加えれば、商品ラインアップにこれまでにないカテゴリーができ、顧客に新たな付加価値が提供できると考えたのである。マネジメントが悪くて経営が悪化した場合でも、高い水準の人材と技術を持つ企業は多い。私はそこを狙ったわけで、その後のM&Aにつながる面があるといえるだろう。「ノイズが発生せず、周辺回路に影響を与えない」「長寿命で、ほとんど保守を必要としない」といった特徴のあるブラシレスDCモーターは、極めて付加価値の高い製品である。私はその市場が将来、大きく広がると予想した。実際にその後、魚群探知機用や磁気ドラム記憶装置用などブラシレスDCモーターの用途は広がっていく。今ではこのモーターは、コンピューター機器、車載向けなど、各分野

で使われる大きな市場となった。我が社はそのトップメーカーとして、様々な用途のブラシレスDCモーターを製造・販売している。時代の流れにいち早く対応すれば、顧客に対する付加価値の提供につながる。M&Aも含め、あらゆる機会において、こういう姿勢が欠かせない。PMIがM&Aの8割を占めるこれまで会社を買う段階までを説明したが、M&Aの成功のカギを握るのは買収後である。買うまでが2割、買ってからが8割であると私は常々言っている。どこまでシナジーを高められるかは、買ってからの施策で決まる。そしてこのPMIにこそ、経営者は力をより入れなければならない。私が国内のM&Aで主に対象としたのは、優れた技術を持ちながら経営不振に陥っている企業だった。技術そのものが低いレベルであれば簡単にはいかないが、技術がありながらマネジメントに問題があるために経営がおかしくなっているのであれば、改革を進めていくことで立ち直らせることができる。23番目のM&Aとなった三協精機製作所も、私はその技術力を高く評価していた。技術さえあれば、他の部分は私が直す。それが経営者の責任であり仕事である。こうした企業を再建し、日本電産グループの戦力とする際に、絶対に欠かせないのが、相手先の経営陣と社員の意識改革である。奇をてらった策を施すわけではない。「赤字は罪悪である」との意識を植え付け、そして日本電産流の「3Q6S」を徹底するのだ。QはQualityの頭文字で、3Qは「良い社員」「良い会社」「良い製品」を指す。6Sは「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「作法」「しつけ」である。6Sを徹底して3Qを目指すという「3Q6S」は我が社の基本理念だ。これがなぜ再建につながるのか。6Sによって工具や物品がきちんと整理されると、ムダな作業がなくなる。社員が6Sを常に意識することで、作業が効率化されコスト削減につながる。社員の士気も高まり、おのずと収益も上がってくる。まず手掛けるのが「事務所や工場の整理整頓」と「出勤率のアップ」である。これを徹底することで、効果はすぐに出てくる。そして経費を減らしたり、購買力を強化したり、営業担当者の訪問回数を増やしたりして、基本的な改革を進めていく。その中で赤字企業もみるみる回復していく。三協精機の場合、出資が発表された後、すぐに再建に着手したが、当初、6Sを採点すると結果は100点満点中わずか5点だった。工場は汚れ放題、作業員の作業服は真っ黒、床にネジが落ちていても誰一人拾おうとしなかった。そこで全員参加による朝の掃除から始め、6Sの精神を一つひとつ学んでもらった。当たり前のことを当たり前にやれば利益が出る。しかしそこへ向けて経営陣や社員の意

識改革をするためには、当たり前ではない努力が必要だ。だからM&Aを実施したらPMIに心血を注ぐ覚悟が欠かせない。買収先の企業を再建する力がないと、下手をすれば共倒れになる。それだけM&Aはリスクが高いものなのである。逆に言うと、ひとたび買収企業の再建を経験すると、経営者としての能力は大きく高まる。どんな立派な研修をやるよりも有効であろう。PMIをスムーズに進めるためには、「ポリシーが同じ会社」「シナジーが得やすい会社」を選ぶことも重要だ。その点、米エマソンなどは「米国でこんなきれいな工場を見たことがない」というくらい製造現場の清掃が行き届いていて、社員の勤続年数が長く日本的な経営スタイルをとるなど、共通点が多かった。M&Aを判断する際には、自社の財務バランスに気を配ることも欠かせない。M&A後に自社のバランスシートがどうなるかを常に見極めながら実施する必要がある。借金が増え、自己資本比率が低下してきたりしてバランスシートが崩れたら修正が必要になる。そこをシビアに考えすぎると、新規の企業買収などできないのだが、今からこの会社を買うと、何年先に元のバランスシートに戻せるか、と考えながら資金計画を立てるのである。我が社も三協精機を買収した後に、大型の公募増資をした。自己資本比率が20%台にまで下がり、財務基盤を整える必要があったためだ。攻めの投資と守りを固める資本増強のバランスが大切である。買収先への敬意を忘れないM&Aで絶対に忘れてはいけないことが一つある。それは買収先の企業の経営陣、社員への敬意である。赤字企業を買収したときも、再建のために何が必要か、私自身がその会社に出向いて、社員全員に自分の言葉で私の思いを伝え、志を訴えてきた。そして原則として経営陣の入れ替えはせず、人員の整理にも手をつけない。各社の個性と独立意識を大事にするため、基本的に会社のブランドは残す。これが私の方針である。歴史の浅い新興企業が歴史のある名門企業を買収するときには、とりわけ配慮が必要だろう。我が社が1995年に傘下に収めたシンポ工業(現日本電産シンポ)は、私が小学生のときに社会科見学に行っていたような名門企業である。三協精機も長野県で超名門だった。ほかにも一流会社の子会社をたくさん買っている。みんなそれぞれにプライドを持っているのだから、すぐに名前を消す、合併するというようなことをしてはいけない。資本の論理という刀は相手の前で決して抜いてはいけないのである。無理にやれば社員の士気が落ち、かえって再建が遅れるだろう。10年ぐらい時間をかけ、日本電産流の経営スタイルを浸透させていくのである。

我が社の成長の歴史はグローバル化とともにあった。最初の大型受注も、海外の有力企業からだった。海外進出で成功するには、用意周到な戦略が欠かせない。これまでの財務戦略と同様、きちんとした原則を決めて対応する必要がある。運命決めた米スリーエムとの交渉創業して約半年後の1973年12月、私は米ミネソタ州セントポールにあるスリーエムの本社にいた。当時、スリーエム社ではダビング用録音機に使う小型のモーターを探していた。私が持参したサンプルを見て、技術部長のリー・パスター氏はこう尋ねた。「性能を落とさずにどこまで小さくできますか」。「3割小さくします」と私は即答した。このやりとりが日本電産の運命を決めたといってもよい。このときに「少し考えさせていただきたい」と逡巡したり、「できるだけ小さくするように頑張ります」と精神論で答えたりしていたら、今の日本電産はなかったかもしれない。具体的な数字で即答したことが、相手の心をつかんだのである。

帰国後、我々は寝てもさめても試作品作りに追われた。ようやく1974年7月、パワー、スピード、ノイズ、耐久性などいずれの面でも性能を落とすことなく、3割のサイズ縮小を実現し、スリーエムに無事、納入できた。「本当に作ったんだな。素晴らしい」とパスター氏も製品を見ながら絶賛してくれた。この海外の有力メーカーとの取引をきっかけに、国内での信用度も増していった。まさに日本電産が飛躍する礎になる取引だったのだ。28歳のとき、わずか4人で会社を旗揚げして製品を世に出したが、国内では「実績がないところには任せられない」と断られ続け、どこにも相手にされない状況が続いた。日本の企業はそのころ、過去の実績や資本金の規模、経営者である私の年齢など、枝葉の部分にばかりに厳しい目を向け、肝心の製品についてはまともに評価してくれなかったのだ。当時はモーターを作る会社がひしめき合っていて、系列取引のような感じで入る余地がなかった。そんなとき、私はまさに生き残りをかけて単身で米国に乗り込み、熱意をこめて様々な企業に対して営業活動をした。そして最初に目をとめてくれたのがスリーエムだったのである。米国ではたとえ実績がなくても品質やサービスがよければ買ってくれる。「あなたのその勇気を評価したい」。スリーエム側からそう言われたのを今でも覚えている。さすがはパイオニア精神の旺盛な国だ。日本ではなかなか考えられないことで、懐の深い米国社会に感銘を受けた。これをきっかけに、私も企業としてやっていける手応えを感じたのである。我が社は今では世界の40数カ国・地域でビジネスを展開している。海外売上高の比率は90%前後にまで達した。企業規模の大小にかかわらず、日本企業が成長するうえでグローバル展開は欠かせない、と私は考えている。むしろ国内では実績のないベンチャー企業が飛躍する大きなチャンスである。通信手段や交通手段は私が創業したころに比べて格段に発達し、マーケティングにしろ、生産にしろ、研究開発にしろ、グローバルな舞台に展開しやすくなっているはずだ。大きく成長しようと考えるのなら、創業したときから海外戦略を頭に入れておくべきであろう。メード・イン・マーケットを徹底へスリーエム社との取引を始めてからも、私は米国での営業活動を積極的に展開し、いくつかのメーカーから各種ACモーターの受注に成功している。受注までこぎつければ、次は顧客満足度を高めて、さらなる拡販を目指すことが課題になる。そのためには顧客と常にダイレクトに接していなければならない。しかし米国の国

土は広大で、自社単独で販売店網を整備するのは難しい。まして我が社は当時、まだ創業2年目であり、海外支店を出す余裕はなかった。そこで私が目をつけたのが、米国ならではの制度「セールス・レップ(SalesRepresentative)」だった。メーカーに代わって製品の販売を行うセールス会社のことで、特定の販売エリアで、様々なメーカーの製品を販売する。1カテゴリーには1社だけというのがルールで、競合メーカーの製品は販売せず、我が社の製品を大切に扱ってくれた。知名度が低く、資金力も乏しい当社にとって、セールス・レップは理想的なシステムである。その後、アジアや欧州へと進出先を広げた際にも、各地でセールス・レップと同様の販売代理システムを活用していった。そんな中で生まれたのが、メード・イン・マーケット(MadeinMarket)を徹底する姿勢である。すなわち「顧客の近くで物を作り、供給する」「品質に問題があれば、直ちに出向いてしかるべき対応をとる」といったことを徹底していき、海外の顧客からの信頼を得ていくのである。ところで日本企業が本格的に海外に進出を始めた1970~80年代、産業界では米国に行くべきか、東南アジアに行くべきか、という議論があった。当時、東南アジアで作る方が労務費はあきらかに安く、生産コストの負担も安くすんだ。同じアジア人として労務管理の面でもやりやすかった。一方で米国に進出すると、生産コストが当然高くつく。のちに述べるようにカルチャーギャップは大きく、労務管理は難しさを極める。それでも当時、米国はなんといっても世界の最大市場であった。有力な企業もひしめく中で鍛えられれば、企業としての地力も高まるだろう。生産コストはもちろん安い方がいいが、私にとって海外進出の狙いはマーケットをとりにいくことである。そう考えると、モノが売れるところでモノを作るのが基本だ。何のための海外戦略なのか。これから成長を目指すベンチャー企業もそういった基本方針をしっかりと固めておくことが重要であろう。1983年、我が社は米コネティカット州トリントンに「ニデックトリン」を設立した。これが日本電産にとって最初の海外現地法人である。その翌年の84年、精密ファンを手掛ける旧トリン社をクリーブパック社から買収し、工場、従業員、営業のネットワークなどをすべて譲り受けるのだが、その事業をニデックトリンで引き継いだ。日本電産にとって初となるこのM&A(合併・買収)で学んだ教訓については、第8章で詳しく述べたのでここでは繰り返さない。創業して約10年で米国に足場ができ、そして私自身が米国人の経営スタイルに触れたことは、その後の日本電産の成長に大いに役立ったのは間違いない。為替変動に負けない体質

日本電産を1973年に創業したころ、外国為替市場は変動相場制に移行したばかりで、円相場は1ドル=300円前後だった。その後、1980年代の半ばに1ドル=200円を突破し、さらに1ドル=100円台前半まで上昇した。そして90年代に入ると一時100円を上回る円高になったのは周知の通りだ。この円高は当時の日本の産業界を直撃し、とりわけ輸出を主力にしている中小規模の企業には大きな打撃になった。創業期から飛躍に向かう中で、日本電産はまさにそういう厳しい経営環境にあったのである。円高が進む中で、各企業、各経営者によって様々な対応が見られた。いつまでたっても「日本政府の対応が悪い」と文句ばかり言っている経営者もいた。どう対処したらよいか分からず、右往左往しているだけの経営者もいた。何をやっても手の施しようがなく衰退していった企業も少なくなかった。反対に「円高もマイナスの面ばかりではない。プラス面もある」と考え、円高に負けない経営体質作りに取り組んだ企業も少なくない。どちらが経営者として優れているのかは言うまでもないだろう。特に為替変動のような大きな課題については、小手先の対応では通用しない。為替変動に負けない経営体質をどう作るか、根本的な対策が必要になる。当時、円高の根底にあったのは積み上がる日本の貿易黒字である。こうした世界経済の潮流の中で、私自身はかなり早い時期から本格的な円高の時代がくるだろうと予想し、対策を考えてきた。米国の現地法人を作ったのもその一環だ。当時、「そんなに急いで海外に進出する必要があるのか。ムダな投資ではないか」という声もあった。実際、すぐには円高はやってこなかったが、1985年9月のプラザ合意を一つのきっかけに円は急速に上昇を始める。すると「先見の明があった」などと言われ出すのだから、周囲の評価など実に気まぐれである。私の方針ははっきりしていた。世界経済の大きな流れを踏まえつつ、「最悪のケースにも備える」ということである。創業時の資金調達で学んだ教訓を、こういった場面でも生かしているのである。もっとも為替については当初の私の見方も甘かったと言わざるを得ない。せいぜい進んでも1ドル=190円くらいまでではないかと考えていたからだ。為替の予約はいっさいしないところで為替対応というと、多くの人が思い浮かべるのが、為替の予約だろう。我が社も以前、為替の変動リスクを回避しようとして、為替予約の取引を実施していた時があった。だが、今はいっさいやっていない。結論から言うなら、それで正解だったと思うし、今もまったく必要がないと考えている。

その理由はいろいろあるが、為替リスクを抑制するメリットよりも、弊害の方が大きいのではないか、と考えるからである。為替相場の行方は結局のところ誰にも分からない。金融機関の為替アナリストが相場の先行きを占うリポートを多く出しているが、分からないからこそ分析リポートを書くのだろう。もし本当に為替相場の行方が分かるのであれば、誰にも言わずに自分で取引して大儲けしているはずである。どうなるか分からない相場に頭を悩ませても得るものは少ない。円高への対応が社内に緊張感をもたらすという効用もある。我が社の場合も、円高のたびにコスト削減を徹底し、収益体質を強くしてきた。予約をしていると社員が危機感を抱かず、真剣に原価改善などに取り組まなくなる可能性もある。また取引も複雑化しており、円とドルの対応だけではカバーしきれなくなっている。ユーロもあるし人民元やタイバーツなどのアジア通貨もある。すべてを予約して、変動リスクに備えるなどはそもそも不可能だ。こうした小手先ともいえる対応よりも、グループ全体で取引を均衡させ、円高になろうが円安になろうが、影響が出ない体制を整えることの方が大切だ。債権・債務のバランスをとるようにするのである。同じ外貨での収入と支払いが均衡すれば、為替の変動があっても影響はプラス・マイナスでゼロになる。もちろん最終的に円ベースで決算をすると、どうしても為替の影響は出てくるが、それは評価の問題で実損ではない。そもそも現地通貨ベースで業績が好調な海外の現地法人に対して「円で換算すると売り上げや利益が目減りしているのでもっと頑張ってくれ」と言うのはおかしな話である。米国ならドル、タイならバーツ、中国なら人民元、欧州ならユーロと、その国の通貨で見て、最高の売上高、最高の利益を上げてもらう。為替の変動を気にせずに本来の業務に取り組むのが、最善の為替対策である。カネは現地調達、現地還元1984年に米国で現地法人の運営を始めたとき、「ここで稼いだお金は1セントたりとも日本に持ち帰らない」と宣言した。それこそ子どもを抱きかかえるようにして大事に育ててきた海外子会社である。だからこそ、そこでの儲けを親会社がやすやすと吸い上げるべきではない。現地で稼いだ利益はすべて現地で再投資するのが原則である。新しい工場を作るとか、製品の開発をするとか、会社をさらに大きくするために使う。多くの利益が出れば町のホテルに日本食レストランを作ると約束したこともあった。海外現地の事業によって稼いだカネは、現地で落とすのが自然であろう。そもそも何のために海外で事業をやるのか。海外で稼いだお金を大きなかばんで日本に

持って帰り、金庫に入れてどれだけ積み上がったかを確認しながら楽しむためでは決してない。我々の目的は事業を発展させ、企業として成長していくことである。海外の現地法人を単なる利益の吸引口ぐらいの感覚で運営していくのは正しくない。ベンチャーだからこそ長期の視点でていねいに育てなければいけないのだ。海外子会社の設備資金に対しても、同様に現地調達を心がけてきた。少し横道にそれるが、当時、米国の銀行員と付き合って驚かされたのは、企業の「赤字」をほとんど気にしないということである。その点については日本の金融機関との違いは極めて大きかった。彼らは過去の業績よりも将来に重点をおいて企業を見る。日本ではその逆で過去の業績にばかりこだわっていた。米国では企業も1年ぐらいの赤字は気にせず、必要であれば在庫処分も一気にやってしまう。それでも将来の計画がしっかりしていれば、銀行は企業をとがめたりしない。あくまで将来の成長力を考えて融資する。そうした米国の金融機関の態度を思い起こせば、確かにベンチャー企業を育てる土壌があったように思う。海外リスク回避、地域分散で我が社の海外生産比率がどんどん高まっていくのは1990年前後からである。89年にアジア圏初の進出先としてシンガポールに現地法人を設立した。90年以降はタイ、中国、ドイツにも相次いで海外法人を設立していった。2000年代に入ってからは、海外M&Aも加速し、今では世界で330社以上を擁するグローバル企業になった。海外進出は様々なリスクを伴う。最悪の場合、撤退ということもあり得る。創業してまもないベンチャー企業や中堅・中小企業の場合、経営に致命的な影響が出ないようにする必要がある。いざとなれば、すべてを捨て去るという覚悟が必要になるわけで、まず、それができる範囲内で進出を考えるべきだと思う。最初の段階では土地は借地にして、工場の設備も最低限に抑える、といったことも必要だろう。我が社の場合も、初めは規模が大きくなくても、現地生産をやっていくのが長期で見ればいちばんいいと考えて、それを実践してきたのである。そもそもベンチャーが海外へ進出する場合、現地の会社を買収するのがいいか、それとも自社で一から始めるのがよいか、という問題がある。私の経験では中小の企業が海外で一から始めるのは極めて成功率が低いのではないかと思う。人を採用するところから始めなければならないし、土地や建物も現地を回って押さえる必要がある。慣れない土地で煩雑な作業に追われると、貴重な時間を浪費しかねない。チャンスがあるなら、まず既存の企業をM&Aで傘下に収めることを考えるべきだろう。

海外進出のリスク・メリットを数値化海外進出に伴うリスクとメリットはできるだけ客観的に見るようにしたい。我が社では、進出候補の国を「インフラ整備度」「為替リスク」「労働者の質」「経済成長の可能性」「税制」など計20項目について評価し、それぞれ5点満点で点数化している。評価を合計するとどの国もたいてい70~80点になる。「人件費は安いが、インフラが悪い」「インフラコストは高いが、税制の優遇がある」というように項目ごとに凸凹があって、総合すると突出した点にはならない。それならどうすればよいか。その凸凹に合わせて、進出する形態を変えていくのである。「労働者はまじめだが、インフラが整っていない国」であれば、単純作業の工場を作ればよい。「人件費は上がってきたが、消費が拡大している国」ならば、人海戦術で大量生産し輸出していた拠点を、その国の中で売れるものに次第に変えていけばよいのである。さらに私は、進出した現地政府との関係も重視している。簡単に言えば、元首クラスの人に我々が会えるかどうかである。2011年10月、我が社はこれまで経験のないほど大きな自然災害の被害を受けた。タイで大洪水が起こり、主力工場が被災したのである。このときは、タイの軍隊と交渉してイカダを手に入れた。遊覧船もチャーターし、潜水士も雇って、工場内の生産設備などをイカダで被害の少ない工場に運び込んだ。こうした迅速な対応ができたのも、現地政府と親密な関係があったからである。洪水のような災害や経済危機など大きな問題が起きたときに素早く動いてもらう。こちらが望むことを直接訴えられる関係はとても大事である。そのためにも、進出先に利益を還元することだ。経済が発展していない国には雇用で報い、人件費が上がったらハイテク化して技術でその国に貢献する。そういう姿勢がいざというときに自らを救うのである。私が今最も警戒しているのは、やはり政治のリスクである。2021年現在、アジアの主要国・地域で進出していないのはミャンマー、ラオス、そして北朝鮮の3カ国だ。ミャンマーからはさかんに進出を促され、実際に進出した日本企業も多かったが、政治リスクが気になった。北朝鮮も同様だ。ラオスは海側の立地がないうえ、人口が少なく、条件に合わなかった。私は国際政治の専門家ではないが、こうして振り返ると正しい判断をしているのではないかと思う。近年では米中の覇権争いが取りざたされている。まず言っておきたいのは、私は政治的な立場にはまったく関心がないということである。ただビジネスという観点からは米国も中国も大事な国であるのは間違いない。一人の経営者として、経営環境がよくなる方向に進むことを願うばかりである。海外進出にはリスクがつきもので、それを完全になくすことはできない。しかし、ある

程度コントロールはできる。恐れず油断せず、進出国や地域の動きを素早くとらえ、リーダーが自ら前に出てリーダーシップを発揮することだ。そして海外進出に伴うリスクを避ける有効な方法は、やはり地域の分散である。決して生産拠点を1カ所に集中させたりしないことだ。日本電産が世界中に拠点をおいているのも、そうした狙いが大きい。2011年のタイの大洪水で、グループの経営に大きな打撃を与えるまでにならなかったのは、現地当局の支援もさることながら、中国やフィリピンでも生産をしていたことが大きかった。地域分散をしていたから助かったのである。海外における地域分散という原則は、創業まもない時期に取引先から手形の不渡りを食らった事件の教訓から得たものだ。前にも述べたように、9000万円の不渡り事件にあって会社をつぶしかけた際、1社との取引が売上高の20%を超えないようにするといった原則を打ち出した。分散というのは平時には効率が悪いが、いざというときには助けになる。海外展開でも同様である。リスク対応についてさらに見直す必要もある。2020年春、世界的に新型コロナウイルスの感染症が広がり、国境をまたいだ部品のサプライチェーン(供給網)が分断された。グローバル化の限界という声もあったが、むしろ逆だろう。部品の供給体制も含めて、さらなるリスク分散を考えるべきである。カルチャーギャップとの戦い現地法人を経営するようになってみると、物の考え方、仕事への取り組み方、生活習慣の違いといったことについて、しばしば考えさせられた。先に述べたように、創業ほどない時期、日本電産にまとまった発注をしてくれたのは米国のスリーエム社で、その開放的な精神には感服した。「米国は素晴らしい社会」だという気持ちはその後も変わらなかったが、実際に米国人と一緒に仕事をしてみると、とまどうことが多くあった。最初に買収した米国の企業では「工場を清潔にする」「経営トップ層は一般社員よりも早く出社する」といった100項目以上の改善を要求した。しかし、その多くは「文化が違う」といって拒否された。1980年代にフィラデルフィアで合弁事業を興したことがあったが、週末の業務を巡る考え方の違いからトラブルが絶えず、結局、全株式を買い取った。とにかく当時、米国側のパートナーは仕事上でどんな懸案があったとしても、毎週金曜日の夕方になると「HaveaniceWeekend!(よい週末を)」と言って、さっさと仕事を切り上げ帰ってしまう。日本人は仕事の都合とあれば土曜でも日曜でも関係なく働く。そんな具合でまったくかみ合わなかったのである。全株式を買い取った後は運営を米国側に全面的に委ねて、それからは相互に信頼関係が

確立されるようになった。しかしそれでも文化的な溝は大きく、彼らの業務のやり方には驚くことも多かった。このように海外に進出する際には、多かれ少なかれ必ずカルチャーギャップに直面するだろう。だからといって、外国人に対して不信の目を向けるのが得策でないことは論をまたない。我が社の場合、ダメだったらどんどん解雇して、新しい人間と入れ替えるという方法はとらなかった。日本式の長期雇用を取り入れて経営するようにし、そのための社員教育も行った。「優良企業になるための合理的なやり方は洋の東西を問わない」ということを、時間をかけ説得するように努めていった。もっとも無理に日本化を進める必要はないだろう。私の経験では、買収した欧米の会社で日本人がトップを務めるのは難しいのではないかと思う。日本からお目付け役のような人を送るにしても、事業の主体は現地の人に任せるべきだ。その後、海外企業を多く買収するようになって見えてきたこともある。土日は出勤せず、残業もしない、それでも日本企業より優れた企業が海外には多くある。むしろ日本の働き方の方がおかしいのではないかとも思うようになった。いずれにせよ文化の違いを認め、お互いを尊重し、よいところを取り入れながら、信頼関係を築くことが大事だろう。グローバル管理、仕組み作りをグローバル化が進む中で、世界中に広がる会社をどう管理するのか。これからますます重要な問題になっていくだろう。日本電産の場合、2010年代に入り米州、欧州、中国、アジアなど地域ごとに海外統括会社を設け、そこと日本の本社が密に連絡をとりながら管理する仕組みを整えた。例えば欧州ではオランダに地域を統括する会社をおく。そこで資金の一元管理をし、為替の管理などもする。域内で稼いだ資金はここで管理し、同じ地域内で投資をする。アジアではシンガポールに同様の統括会社をおいた。監査部門もおいて不正がないかのチェックなどもする。現地の人を信用しないわけではない。チェック体制が不十分で「善人を悪人にしてしまう」というのがいちばん問題で、そうしたことがないようにするための監査である。第2章で述べたキャッシュ・コンバージョン・サイクル(CCC=キャッシュ化速度)による管理も海外で同時に導入した。キャッシュフロー経営はもちろん国内だけでなく、世界に広げる必要がある。多様な地域にまたがる会社、従業員をきめ細かく管理するためには、きちんとしたシステムを作ることが何より大事になる。またモノ作りの場合、現地に根付くのには、最低20年くらいはかかると覚悟しておく必

要がある。日本国内の人事異動のように3~4年ごとに職場が変わると、現地に根付いて腰を落ち着けて取り組める人がいなくなる。海外で通用する人材も時間をかけて育てていくことも大切だろう。私はかつて海外法人に赴任する幹部に対して「そこで永住しろ。日本に帰るときは戒名がつくときだ」と言って送り出していたが、そのぐらいの覚悟が必要なのである。

新型コロナウイルスの感染症の影響で出張ができなくなった2020年初めから、私は『創業者通信』というメッセージを日本電産グループの経営者や幹部らに定期的に送り始めた。その中で繰り返し主張してきたのは「現状に満足していてはダメだ。危機感を持て」ということである。企業の規模が大きいから安心ということが通用しない時代である。過去とはまったく違うという危機感を共有しないといけない。大企業であれ、ベンチャー企業であれ、技術革新やマーケットの変化に素早く適合していかなければ勝ち残れない。創業して約50年、私は今、かつてない緊張感を持って経営にあたっている。何より変化のスピードが以前とはまったく違う。これほど変化の激しい時代はかつて経験がない。「築城3年、落城3日」という言葉があるが、今は落城は3時間、いやほんの3分あれば十分かもしれない。変化の時代はチャンスの時代でもある。創業したばかりの企業や規模が小さい企業であっても、飛躍の可能性があるということだ。私の望みは何よりもこの変化の時代に、新たな成長企業が次々に登場し、日本経済、そして世界の経済に活力をもたらすことである。最終章では変化の時代を勝ち抜き、飛躍するための戦略、心構えを考えたい。利益率15%、新たな必達基準に──人こそ競争力の源泉激変の時代に企業にとって重要なのはより収益性を高めることである。日本電産はこれまで営業利益率で10%を必達基準にしてきた。各事業部門にその利益率の達成を求め、それ以下は「赤字」と考えてきた。しかし今や、それでは十分ではない。利益率15%の水準が必要になる。それが実現できるようになれば、最終的には20%まで高めたい。そうしないと変化の荒波を乗り切れず、グローバルな競争には勝てない。どうやって利益率を高めていくか。競争力、収益力の源泉は人である。社員の能力を高めて、生産性を上げることだ。そのために2020年4月に人事評価制度を大きく改めた。年齢や勤続年数などにも関係していた従来の賃金制度を実力実績主義に刷新し、1~5点の5段階の相対評価にした。業績に貢献し評価が高い人ほど給与が高まる仕組みだ。相対評価なので、最低の「1点」の評価がつく社員が必ず出てくる。もちろん従来と比べ給与が大きく下がるというわけではないが、最低評価がついた社員は危機感を持つ。新評価制度を導入して以来、これまでを見ていると、「1点」だった社員は次の機会に奮起して評価を上げるケースが多いようだ。

求めるのは「プロダクティブ(Productive)」「プロアクティブ(Proactive)」「プロフェッショナル(Professional)」を備えた「3P人材」である。短時間の労働であっても高い成果を出す。自分で進んで仕事を探して実行に移す。そして、高い専門性を持ち、それを仕事に生かす。社員の能力、仕事のレベルが上がっていけば、確実に生産性が高まり、収益性の向上、企業の成長につながるはずだ。強い企業集団となる条件の一つは、「高賃金・低労務費」の実現である。すなわち、売上高に対する労務費全体の比率はどこよりも低いが、個々の社員の給料は他のどこの企業よりも高い。そんな「少数精鋭集団」を目指すことだ。経営の効率化を図るには、機械の導入による自動化・コンピューター化などが重要だが、何にもまして、企業全体のモラールの高さ、そして社員一人ひとりの意識、しっかりした基本的な物の見方、考え方が大切になってくる。社員の意識を高め、仕事のレベルを上げていくためには、何より上に立つ人間が一生懸命に働かなければならない。トップがいちばん努力し、頑張っている背中を社員に見せることである。一致団結が成長のカギ──連邦経営から一体経営へ私は常々、会社が成長するカギを握るのは、一人の天才ではなく、凡才たちの絆だと考えている。例えば100人の社員がいたとする。そのうちの一人が非常に優れていても、みんなとの絆を乱す社員であれば、一人で仕事をする職場に行ってもらうだろう。一人ひとりが危機感と緊張感を持って自らの能力を磨き、そのうえで全社員が一致団結できたとき、その組織は勝てる集団になる。そして荒波を乗り越えていくには、グループ一体となった経営がますます重要になる。我が社が連邦経営から一体経営にかじを切ったのは2013年のことである。2013年3月期、創業40周年の記念すべき年に、大幅な減益に沈んだ。バブルが崩壊した1992年3月期以来の大誤算だった。精密小型モーターに依存した一本足打法のリスクについては以前から認識しており、私は事業ポートフォリオの転換を急いでいた。しかしながら、市場環境の変化が予想を上回ったのである。これではいけない。そう考えた私は強烈な危機意識のもとに、事業構造の大転換を一気呵成に進めた。その際のキーワードが「グループ一体経営」だった。個々の会社の自主性を重んじ、グループ内といえども競い合いながら成長をする「連邦経営」はもはや限界に達していた。個別最適ではなくグループの全体最適を徹底しなければならないと判断したのである。例えばそれまで日本電産と日本電産サーボはほぼ同じような製品を作っており、ある分野では競合していた。これではグループ内で足の引っ張り合いになり、ムダが生じる。そ

こで製品ごとの交通整理をしたのである。さらに日本電産グループが一体となって、工場や施設を融通し合う仕組みを作らせた。これにより設備投資が合理化され、総投資額を大きく減らすことができる。例えば、グループ14社が集まる中国の浙江省平湖市では、一部の会社で増産に取り組む一方、別の会社では人員・設備が余るといった事態がしばしば起こっていた。そんなときに会社同士で連携して、融通し合うようにしたのである。購買情報もグループ全社で共有できるデータベースを整備し、また技術情報についてもデータベース化を図っていった。企業グループが大きくなると、全世界の市場を相手にビジネスを展開することになる。海外展開を加速するには、全体最適によりシナジー効果を出せる、グループ一体化経営が強力な武器となるのである。2023年にはグループ会社の社名もすべて「Nidec」を冠したものに統一する予定だ。それぞれ何をやっている会社かが分かるような社名にする。日本電産本体もNidecとなる。もはや社名に「日本」が必要な時代ではない。名実ともにグローバル企業グループに脱皮するのである。100年後も成長し続けるグローバル企業2008年のリーマン・ショック以来、2011年の東日本大震災、タイの大洪水など、予期し得ない波乱、経営課題が次から次へと襲ってくる中で、私は会社の目標を一新し、従来とは異なる新しいステージに立った。それは「100年後も成長し続けるグローバル企業」である。規模の拡大だけを追うのではなく、長期の視点から内容を充実し、100年を超えても隆々とした姿でいられる強いグローバル企業になることを第一目標にしたのだ。そのためには何が必要か。私は100年以上の社歴を持つ海外企業を3社買収した際に、現地に赴き、現地社員と接し、そのことを考え続けた。「慌ててはいけない」これがそのときに得た結論である。この3社はいずれも目先の株価や利益には惑わされず、将来を見据え、必要な投資を粛々と行っていた。開発投資や人的投資を怠らず、盛衰を見越して次の事業を育て、その繰り返しで長く会社を繁栄させていたのだ。できるだけ時間軸を長くとり、遠い将来を見通し、それに向けた戦略を考える。こうした姿勢はますます重要になっている。100年後もなくてはならない企業を目指す以上、100年後の地球環境にも責任を持って取り組みたい。モーターは電気で動くあらゆる製品の中核部品である。世界の電力の50%以上がモーターを動かすために使われている。我々が高効率のモーターを世界に提供し、普及させていけば省電力につながる。

脱炭素化の波の中で今後、自動車の電動化が本格化する。そうした中で、我が社が手掛ける電気自動車(EV)用の駆動モーターシステムは大きな役割を果たすのは間違いない。いつの時代も社会の要請に的確に応える企業に未来がある。日本電産グループも変化への対応を不断に続け、事業を通した社会貢献活動を行っていきたい。脱皮しないヘビは死ぬ季節が移り変わるように、私たちを取り巻く環境も時代とともに刻一刻と変化している。季節が変わっても同じ服を着続けている人が滑稽であるように、経営環境の変化に鈍感で、いつでも同じ経営スタイルを押し通している企業は滑稽であるばかりか、様々な支障、不具合が出て、衰退に向かいかねない。「脱皮しないヘビは死ぬ」と言われる。企業もその成長の節目において、脱皮がその都度求められるのである。この四十数年を振り返ると、私自身の働き方、仕事のスタイルも大きく変わった。かつては朝6時台に家を出て、誰よりも早く出社し、夜遅くまで会社にいるのが日課だった。今はさすがにそういう働き方はしていない。新型コロナウイルス感染症の影響も大きかった。人の命、健康が最も重要であるのは当然のことだが、あらためてそれを認識した。ハードワークをする心構えはもちろん大切である。しかしそれはイコール長時間労働というわけではない。国境の壁、年齢の壁、男女の壁などを乗り越えて、誰もが働きやすい会社にすること、そして環境への配慮、社会への貢献、コンプライアンスの順守、こうした面でも一番の会社を目指していきたい。創業者の先達に教えられたトップの心構え50年近く経営に関わる中で、私も様々な人に出会った。多くのいさかいもあったが、資金繰りが極めて厳しかった創業期に粘り強く支援してくれた金融機関の方々には今も深い恩義を感じている。創業して最初の10年くらいは、オムロン創業者の立石一真さんから大きな影響を受けた。第3章でも述べたが、ベンチャー経営者の先駆けである立石さんの姿を見ながら、創業者の執念、覚悟のようなものを学んだ。京セラの創業者、稲盛和夫さんも私にとってやはり大きな存在である。同じ申年の生まれで、年齢は一回り上の稲盛さんには、同じ創業経営者として尊敬するとともに、超えるべきライバルとして闘争心を燃やしてきた。最初に出会ったのは、私が日本電産を1973年に創業して10年ほどたったころであ

る。京都銀行の常務だった方に「一度会っておいた方がいい」と言われて紹介され、会食をしたのが出会ったきっかけだ。1959年創業の京セラは、そのころすでに大変な勢いがあり、稲盛さんの名前も轟いていた。そしてなんといっても驚いたのは稲盛さんのハードワークぶりだ。会食が終わっても当然のように会社に帰って仕事をする。成長企業のトップはこうでなければならないのだと、私もさらに仕事への情熱を燃やした。「情熱、熱意、執念」「知的ハードワーキング」「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」という日本電産の経営の原点である「三大精神」も、京セラを追いかける中でできてきたものだ。もっとも経営観などはまったく同じ、というわけではなかった。M&A(合併・買収)への考え方も違ったし、「経営とはもっと泥臭いものだ」とも思っていた。しかし最近は稲盛さんの経営哲学に共感できる。企業経営にとって正しいことが何より大事、そう考えるようになった。いつのまにか稲盛さんと同じ道を歩んでいるのかもしれない。日本電産の連結売上高は2021年3月期に約1兆6200億円となり、京セラ(約1兆5300億円)を上回った。長く背中を追いかけていただけに感慨とともに複雑な気持ちもあるが、遠い存在だった京セラを目標にし、闘争心を燃やしてきたことで、ここまで成長できた。これから会社を興し、企業の経営者として羽ばたこうと考えている若者へあらためてエールを送りたい。企業の経営には困難がつきものだ。リーマン・ショックやコロナ危機など、10年に1回は荒波がくる。その困難から逃げないことだ。困難は必ず解決策とともにやってくるのである。そして目標は高く持つ。高い壁に挑んでいくことで、人は鍛えられる。上場して満足するのではなく、より高い山を目指すことだ。時には失敗もあるだろうが、本当に強い人間は挫折の数と深さから生み出される。挑戦を続ける中で尊敬する経営者、闘争心を刺激するようなライバルと出会えればなおよいだろう。経営者のための10カ条最後に経営者として成功するための資質や心がけ、そして会社を絶対につぶさず、持続的な成長につなげる極意を10カ条にまとめておきたい。①ベンチャー経営者の資質を鍛えよう企業経営にはリスクがつきものである。大胆な人間が経営者に適しているというわけではない。必要なのはむしろ「繊細さ」や「緻密さ」である。ベンチャー経営者にとっての重要な資質の第一は「大胆にして繊細であれ」である。

第二が将来に夢を持てる人間であることだ。私の好きな言葉は夢とロマンである。夢というものは元来、荒唐無稽なものであるが、その夢に向かって一直線に進んでいくのがロマンである。私は少年時代に「社長になりたい」という強い願望を持った。非常に大きな夢であった。その後の私は、常にその夢の実現から逆算して身を処してきた。カマボコと言われるほど机にかじりついて勉強し、会社ではどんどん提案してアイデアを磨き、部門のリーダーとして事業感覚を鍛えた。すべて夢の実現のために全力を尽くしてきたのである。私は今も誰にも負けない夢とロマンの持ち主であると自負している。第三に、自分のできないことは、他人を信頼して任せる度量が必要である。何でもかんでも自分が、自分が──ではダメである。そして第四に、これは言うまでもないことだが、仕事が大好きだということだ。仕事が嫌いでは話にならないだろう。ただひたすらに仕事、仕事、仕事──というぐらいでなければ成功するのは難しい。さらに精神年齢が若いこと。これが第五である。若さとは革新性であり、挑戦であり、フランクさである。社長になったら立派な社長室に入らなければならない、というようにメンツを重んじるのは、年老いた人間の発想である。第六に、人に好かれるようでなければならないし、説得力も重要である。私の好きな歴史上の人物は豊臣秀吉である。彼は才覚と努力だけで一から成り上がって天下をとった。「人たらし」と言われるほどに、人心掌握にたけ、説得力も群を抜いていた。私はそんな秀吉に憧れる。最後の第七。経営者は自己の健康管理を厳重に行うべきである。私はずいぶん前に酒をやめ、たばこもやらない。とにかく体に悪いと言われるようなことはすべてやめた。トップが元気でなければ、組織に活力は生まれない。②何でもするという覚悟を「絶対に会社をつぶさない」ために、経営者はどんな泥でもかぶる覚悟が必要である。私も創業期にいくら門前払いされても銀行を回り、取引先に手形の不渡りを食らった際は必死で資金を工面した。カネを借りられなければ会社がつぶれるというときは、たとえ土足で踏みつけられても帰らない、という気合が必要である。死ぬ気でやれば必ず活路が開けてくるのだ。③スペシャルマーケットを狙えたとえ売値を高くしても買ってくれる客を探すこと。そのために付加価値が高く、ほかにはない商品やサービスを提供することだ。品質や性能に差がなければ、納期のスピードで勝負する。この場合は時間が「付加価値」になる。ベンチャーはそういった市場、ニーズを開拓していくべきである。単価の安さだけで戦うような分野には安易に参入するべきではない。

④技術だけで会社は伸びない何度も繰り返し述べてきたが、技術を過信して消えていった企業の数ははかり知れない。技術屋というものはたいてい、数字に弱く文章もヘタ、おまけに頭を下げるのが嫌いである。「技術は五番目、六番目。一から四までマーケティング」という発想を肝に銘じたい。対外的に「技術、技術」と叫んでも、経営者は常に「マーケティングがいちばん大事」と考えるべきだ。⑤基本方針は常に反芻・確認する創業以来、失敗も含めて様々な出来事に出合うたびに、基本の方針、原則を定めてきた。そうした基本は常に反芻し、確認することが肝心だ。私は大きな決済は月曜日に行うと決めていた。日曜日に一日かけてじっくり一人で考えるのだ。それ以外の通常の意思決定は原則、1分以内でやる。基本的な方針、考えを体に染み込ませ、素早い決断をすることだ。⑥創業後5年間の財務戦略は安全第一会社はまず伸ばそうと考える以前に、絶対につぶしてはならないと考えるべきである。そのために経営者は絶えずワーストケースを想定し、それに備えることだ。これが創業して最初の5年間の財務戦略の基本である。利息が損だとか得だとかは成長してから考えればよい。ムダと思っても流動性の高い資金を常に用意しておく。こうした基本を徹底しておこう。⑦社員に数字感覚を植え付ける経理・財務のスタッフはもちろん、エンジニアにも数字的センスを植え付けなければならない。特にコスト意識、原価意識を鍛える必要がある。常に数字で考え、数字で語れるように粘り強く教育することが肝心だ。大企業から中途入社で加わった人たちには、安全第一、絶対につぶさないというベンチャー企業の財務戦略の基本を徹底して教え、たたき込むことだ。⑧よきハンターはよき調教師たれ私は創業して以来、いい人材を見つけるとどんどんスカウトしてきた。大企業や銀行から多くの人を招き入れた。能力の高い優秀な人材を採用するとともに、彼らに対し会社の将来性について全精力を注いで説明し、チームワークで企業を発展させることの大切さを力説していく必要がある。腕のよいハンターは、同時に優れた調教師でなければいけないのである。⑨コスト意識を社内に徹底させる

かつて私の朝の日課の一つに経費チェックがあった。会社の伝票をすべて自らチェックするのである。目に見えにくい間接経費は、ちょっと目を離すとすぐに増えてきてしまう。こうした小さなムダが生じてそれが積もり積もると、バカにできない量となり、収益を圧迫する。経営者は絶えずムダに目を光らせて、コスト意識を社内に徹底させていく必要がある。⑩経営者としての倫理を守る経営者としての倫理には、とりわけ神経を使うべきである。絶対に公私混同をしてはならない。会社のお金で大変なご馳走をするより、社長が自分のポケットマネーで赤ちょうちんの一杯飲み屋で安物の酒と焼鳥をふるまう方がはるかに大切である。お金の出どころを社員はよく分かっている。ガラス張りの経営のために、まず経営者の懐をオープンにすることだ。

あとがき2021年、私は大きな決断をした。最高経営責任者(CEO)の地位を降り、関潤社長にその役割を託したのだ。経営の一線から離れてしまうわけではないが、一つの節目を迎えたことは確かである。1973年に日本電産を創業して以来、私が最も長く悩み続けたこと、それは後継者の問題だった。現在もその悩みは続いている、といえるかもしれない。創業者の後継を巡っては、どんな名門の企業も苦労しているようだ。創業者の存在感が大きければ大きいほど、なおさらであろう。私が後継者を真剣に探し始めたのは今から10年前、67歳のころである。本来は70歳でCEOを後継者候補に譲る予定だった。私は何事にも決断が早いことで有名だが、この問題だけはなかなか結論が出なかった。後継者候補として社内外の人を100人ぐらい面接した。だが、日本電産グループの経営を任せられると思う人はなかなか見当たらなかった。本書で詳しく述べた財務の感覚、俊敏で的確な判断、ハードワークの心意気、そして人を引きつける人格・リーダーシップ。これらがそろった人はそうそういない。そもそも日本の産業界にはプロの経営者と呼べる人がほとんどいないのではないか。生え抜きを重視するうえ、年功序列で経営者選抜のスピードが遅いため、厚みのある経営者市場がないのである。日産自動車出身の関社長には多くの条件がそろっている。あとは実績である。人は地位では動かない。その人の実績を見て動くのである。さらに経営者としての力量を磨き人がついてくる実績を示して、2030年の売上高10兆円へ力を尽くしてほしい。真の経営者を育てるには15歳くらいから教育が必要である、というのが私の持論だ。ところが日本の学校教育では経営についてはほとんど教えないし、お金の仕組みについてすらきちんと学ぶ機会がない。会社に入っても、管理者は育てても、経営者を育成する土壌は整っていないようだ。私がこの本を書いたのも、日本の中から真の経営者と呼べる人がこれから多く育ってほしい、という切なる願いからである。私は77歳になったが、幸いまだまだ元気である。会長という立場で、この本の主なテーマである財務戦略を含め、体当たりで築いた永守流の経営哲学、経営手法をグループに広く深く根付かせていくことが、大きな課題だと考えている。

私は28歳の創業時に50年計画を作って1兆円企業を目指し、それを達成した後、75歳の誕生日に新50年計画を立てた。最終年度は私が125歳のときである。次は売上高100兆円、時価総額も100兆円超が目標だ。「なぜ企業を大きくしたいのか」。こんな質問をよくされる。私の望みは何より国内外に数々の事業を残していくこと、そして事業を通じて社会に貢献していくことだ。その挑戦を私は心から楽しみ、わくわくしながらやっている。人間を中心とした社会にあって、人が多く集まる集団を作ること、それも目的を同じくする人の集まりを大きくし、一人でも多くの人が働ける会社を作ることが、経営者としての永遠のテーマだと思っている。我が社には毎年、多くの新入社員が入ってくる。これからの日本電産グループを作っていく彼らに、自分が40歳、50歳になったとき、どんな企業になっているかを示さなければならない。会社は若い社員に夢を与えることが大事である。人は将来に夢があるから頑張れるのである。寿命を決めるのは神様だから、新50年計画の行く末を私が見届けられるかどうかは分からない。それでも命ある限り、私は第一線で経営を続けたいと思っている。それは若い社員たちの夢の実現を一つでも多く見守りたいからである。2022(令和4)年1月永守重信

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