会社の真の支配者はお客様である
会社というものは、その会社の商品(サービスは無形の商品である)がお客様に売れて、はじめて経営が成り立つ。という、何とも当り前のことを、私は絶えず叫びつづけている。というのは、お客様を無視し、無視しないまでも第二義的にしか考えない、という会社が世の中に多すぎるからである。
我社の技術を第一に考える。社員の管理が最も大切だと思いこんでいる。同業者間の牽制に憂き身をやつす。能率とコストと品質だけで経営がうまくいくと信じている。自分の好みをお客様に押しつけようとしている。
そして、それらの会社の業績は決して芳しいものではないことを、私は自分の経験から知っている。当り前である。会社の収益はお客様によって得られるのであり、そのお客様は、自分の要求に合わない商品は買わない。たとえ一度は買っても、三度と買おうとはしないのだ。
こんな当り前すぎることが分からないのか、何故こんなことをいわなければならないのかと腹立たしくさえなるのである。
世に、ゴマンとある経営学とか、マネジメントとか称する書物を見ても、「お客様こそ会社の支配者」と主張しているものがどれだけあるか。あまりにも少ないのに驚くのである。反対に、「社員の管理」にばかり目を向けよ、と主張するものが多すぎる。
直接目に見えるのが社員だから、こう思うのだろうが、社員が会社を支配しているのではないことは、考えるまでもないのである。
直接目に見えないお客様こそ、会社の本当の支配者である、という当り前でしかも基本的な認識がなくて、経営はできない。
この認識の上に立って、お客様を考えてみよう。
まず第一に、この支配者は、被支配者である会社に対して、何も命令しないということである。何も命令されないものだから、そこにお客様が会社の支配者であるという感じが生れないのである。
命令はしないけれど、自分の意に副わない時には「無警告首切り」をやる。つまり、だまって、その会社の商品を買わない、ということである。そのために会社は業績不振に陥り、倒産への道を歩まなければならないのである。
たまに、クレームをつけるお客様がある。このようなお客様こそ、本当に有難いお客様である。『お前の会社は、そんなことをしていたらつぶれるぞ』という警告を発してくれる人だからである。
その有難いお客様を、会社の人々は「ウルサイお客」として、とかく敬遠しがちである。こういう間違いをおかしてはならない。大切にしなければならない有難いお客様なのだ、という認識をもたなければならないのである。
第二には、お客様には「過去の実績」は一切通用しない、ということを忘れてはならない。
「あの会社は、過去において優れた商品を提供してくれた。だから、現在の商品には不満だけれど、過去の実績に免じて買ってやる」とはいってくれない。
過去において、どのような優れた商品を提供しようと、現在の商品が自分の要求に合わなければ、サッサと他社の商品に乗りかえてしまうのがお客様というものなのだ。お客様は、あくまでも、現在の満足、未来の満足への期待でその会社の商品を買うのである。あの会社には実績があるから大丈夫だ、と思いこんで安
易感にひたっていたら、たいへんなことになるかも知れないのである。何も命令せず、過去の実績は一切認めてくれないお客様を、しっかりとつかまえ、さらに新しいお客様をつくりあげてゆくこと。これが企業の生きる道であり経営なのである。
ここに、経営とは、顧客の創造であるという思想が生れるのである。では、いったいク顧客の創造クとは、具体的にはどのようなことなのであろうか。どのように考え、どのように行動したならば、ク顧客の創造クができるのであろうか。
このことについては、実例に学ぶのが最上である。経営学とは実証の学問だからである。そして、その実例としてシアーズ。ローバックの歴史に教わることにしよう。
シアーズ・ローバックの教訓
シアーズ。ローバック社は、 一九八〇年代の終りごろまでは世界一の小売商であった。
シアーズ社は、今から約一〇〇年前には農村を相手に、時計と宝石の通信販売を細々とやっていた小さな小売商でしかなかった。
そのシアーズ社が、世界第一の小売商になったのには、どのような経営を行ったからであろうか。そこには二人の偉大な経営者によって行われた優れた革新があったのである。
その革新を通じて、「顧客の創造」ーつまり経営とは何かを学びたいと思うのである。
そして、世界第一の小売商が、一九八〇年代の終りごろ、ウォルマート社にトップの座を奪われてしまったのは、何故だろうか。どこで間違ってしまったのだろうか。それは、次節の″シアーズ。ローバックの凋落クのところで述べることとする。
本節では、まずシアーズ社の躍進について述べることとする。シアーズ。ローバック社の第一の革新は、一八九五年、シアーズ社の実権を握ったジュリアス・ローゼンワードによって行われた。
ローゼンワードは、まずアメリカのマーケットに目を向けたのである。当時のアメリカは、都市と農村が、それぞれ独自の要求をもつ、全く違った二つの市場を形成していたのである。
そして、農村に大きな潜在需要のあることを見てとったローゼンワードは、この潜在需要を呼び起すための、革新の目標を設定したのである。
まず第一に、農村の要求に合う商品を多量につくりだすメーカーを育成するとともに、数力所の通信販売工場をつくることであった。この通信販売工場には、オットー・ドウリングという傑物が現われ、世界ではじめてのコンベアー・システムが導入された。フォードに先立つこと五年である。
第二には、商品カタログの発行である。このカタログは、誇大な宣伝文句は一切使用せず、あくまでも客観的、具体的に商品を説明するものでなければならないという方針が打ちだされたのである。
このカタログは、しまいにはどの家庭にも、バイブルとならんで置かれるというほど普及したのである。
アメリカのスーパーは、シアーズ社のカタログを金を出して買っていた。買ったカタログは焼き捨てるのである。それ程スーパーにとって、シアーズ社のカタログはこわいのである。
第二に、「万一ご不満の節は、委細なくご返金申しあげます」という販売方針を打ちだしたのである。通信販売であるから、カタログを見ただけで注文しても、もしも現物を見て気に入らなかった場合に、返品できるということは、お客様にとっては、安心して注文できるということなのである。
これは、お客様にとって都合がいいだけでなく、シアーズ社にとっても正しい姿勢をとらせることになったのである。返品が多すぎれば経営が成り立たないわけだから、仕入商品をよく吟味するということになったのである。そして、これを文字通り実施することによって、シアーズ社の信用は大いに高まったのである。
第四には、毎日数十万通にのぼる郵便注文を迅速に処理するシステムの開発である。
この革新の理念は、「お客様の要求を迅速に満たす」ということである。このような考え方は、従来のマネジメントの思想には全くといっていいほど欠けているのである。従来のマネジメントの思想は常に「我社の都合」だけしかないのである。
ちょっと脱線して実例で考えてみよう。
S商事をお手伝いした時に、大方の例にもれず穴熊社長だったので、外に出ることをすすめた。(穴熊社長については後述)
私のすすめによって、お得意先を訪問した社長は、数々の新発見をしたが、そのうちの一つに、納入残の納入日間合せに満足な答えが得られない、という不満が数多くあった。しかも、以前はそんなことはなかったというのである。社長は、ハッと思い当ることがあった。それは、二年前に行った帳票改善である。
二年前までは、得意先別の受注伝票に、種々の商品を列記した複写伝票で、これを業務係と倉庫係がもって、出荷済の品を消しこんでいた。だから、いつでも納入残がつかめていて、直ちにお客様の問合せに返答できたのである。
それを、二年前の改善(?)で、一品一葉の複写式にかえたのである。この瞬間から、商品別の管理になってしまい、個々の得意先別の納入管理ができなくなってしまったのである。どの得意先から何と何をいくつ受注しており、そのうち何と何を納入し、何が残っているかを知ろうとすれば、その一品一葉式の伝票を得意先別にまとめ直さなければならない。それではかえって繁雑になって、とてもこなしきれるものではなかったからである。
お客様の要求を満たすという、企業本来の任務を忘れて、仕事の管理を優先するという間違いをおかし、その結果としてお客様の不評を買ってしまったのである。
これは帳票管理の例であるけれども、さきにのべたように、あらゆるマネジメントの思想に共通する致命的欠陥である。
企業の任務がお客様の要求を満たすものである限り、企業内のすべての仕事はお客様へのサービスを第一とすべきで、そのために社内の仕事が面倒でも、それは我慢するのが正しい態度なのである。
― 閑話休題、話を軌道にのせよう。
ローゼンワードの四つの革新はすべて市場と顧客の要求にもとづき、この要求を満たすことを狙いとしていたのである。
このような革新の結果、シアーズ社の売上げは急速に伸び、業績は大いに上がったのである。
その理由はただ一つ、「お客様の要求を満たしたから」であった。
とはいえ、この革新は容易なことではなかった。というのは、このような革新を行うための経験も組織も人材も、当時のシアーズ社にはなかったからである。
メーカー育成の経験はなく、膨大な商品を仕入れる購買のエキスパートも、その在庫を管理できる人もいなかった。
カタログをつくるための商業デザイナーも、日に数十万通も舞いこむ注文の手紙をさばくシステムをつくりあげる能力をもった人も、いなかったのである。ないない尽しのその中で行われた革新は、ただ一つの理由― それはお客様の要求を満たすため― というのであった。
我々は「我社の現状にもとづいて物を考えよ」と常に教わってきた。しかし、シアーズ社は我社の現状にもとづいて物を考えたのではなく、お客様の要求にもとづいて物を考えたのである。
まず、マーケットを眺める。そして、その中からお客様の要求を見つけだす。次に、お客様の要求を満たすための条件を研究し、それをそのまま我社の目標とする。その目標に向かって、我社をつくりかえてゆく。
というふうに考え、行動したのである。この考え方が正しいことは、シアーズ社の実績がこれを証明している。
この実績から生れる教訓は次のようなことであろう。
優れた企業は、顧客の要求にもとづいて目標を設定する
凡庸な企業は、我社の現状にもとづいて目標を設定する
そして、従来のマネジメントの思想は、凡庸な企業の態度を、正しい態度だと教えているのである。
こうして、大躍進を続けたシアーズ社にも、やがて業績の頭打ちの時期がきた。
そして、 一九二九年の不況にあって、業績は全く停滞し、深刻な経営危機に見舞われたのである。
ここに、シアーズ社は、新たな戦略を展開する必要性を痛感し、ローゼンワードはこの戦略を行う後継者を探しだした。
その後継者が、退役の陸軍主計准将、ロバート・ウッドである。
それまで、ウッドは、モンゴメリー・ワード社に在職していた。そこで、ウッドは新しい企業戦略を提唱していたのである。
それは、アメリカのク都市化″の進展と自動車の発達による市場の変化である。
その頃のアメリカは、もう都市と農村とが、それぞれ独立した市場ではなく、アメリカ市場そのものが、 一つの要求をもった市場になっていたのである。
農村の人達は、自動車を運転して、気軽に町へでかけて買物をするようになっていたのである。
ウッドがこれに気づいたのは、彼がパナマ運河の建設に、資材担当責任者として在勤中に、米国統計年鑑を読む、という風変わりな趣味の中からであった。
アメリカの全市場が、 一つの要求をもつように変わってしまったにもかかわらず、シアーズ社は依然として、都市と農村とは別個の市場である、という考え方にもとづいた通信販売を行っていたことに、シアーズ社の業績不振の根本原因があったのである。
会社の考え方と、市場、つまりお客様の要求が食違ってしまっていたのである。
私は職業柄たくさんの会社に接している。そして、業績不振の会社の原因を探ると、究極において、必ずその会社の考え方と、お客様の要求が食違ってしまっていることに気がつくのである。
ウッドのこの発見にもとづく新販売戦略の提案は、モンゴメリー・ワードの社長セオドア・マーセルズに受け入れられず、 一九二四年にウッドはモンゴメリー社をやめた。
そこを、ウッドの慧眼に目をつけたローゼンワードがスカウトしたのである。ウッドは、ローゼンワードの意をうけて、かねての持論にもとづいた新戦略を展開していったのである。
それは、シアーズ社の事業を、小売店中心に大転換することであった。お客様が、気軽に自動車を運転して、町に買物にきてくださるのだから、通信販売の必要性は小さいのである。
それよりも、町に店舗をかまえて商品を陳列し、お客様に商品を自由に手にとって見てもらった上で、買ってもらうほうがいいのは論をまたないからである。
今日の、シアーズ社の小売店中心主義こそ、この時のウッドの革新に始まるのである。この戦略を推進するために、まず必要なことは、新たにおこってきた都市市場のお客様1 ‐産階級の需要を満たすための商品の開発であった。
例えば、冷蔵庫などは、それまでは上流社会向けだけの商品であった。これを、不要な装飾をはぶいて、中産階級の手の届く値段にまで下げる、というようなことである。
次には、小売店の経営能力をもつ店主の養成であった。これについて、ウッドは十五年間にわたる異常な努力を続けたのである。
その次には、権限の委譲である。通信販売では、中央集権的に、いくつかの通信販売工場で間に合ったが、全米に小売店をばらまいた状態では、本社の指令一本で小売店を経営することはできなかった。
広いアメリカの市場では、地域によってお客様の要求が大きく違うからである。
初めのうちは、この地域差に気づかなかった。そのために、スキーなどのウインター・スポーツ用品を、全く需要のない南部地方に送ったり、冬季に北部のメイン州やミネソタ州の小売店へ南部地方だけしか冬季需要のない水着が送られたりしたのである。
このような苦い経験の末に、シアーズ社は購入についての権限を、大幅に小売店に委譲したのである。
このシアーズ社の権限委譲の精神は、「部下の仕事をやり易くする」という組織論の思想とは、全く違って、「お客様の要求する商品を迅速に揃えるためには、権限を委譲しなければならない」という理念なのであることを、我々は学ばなければならないのである。
ウッドの行った革新によって、シアーズ社は再び大躍進を開始したのである。
その理由はただ一つ、再びお客様の要求を満たした、ということなのである。
ローゼンワードとウッドの革新をみると、やった事は全く違うけれども、その元になる考え方は全く同じである。
つまり、まずマーケットを眺め、その中からお客様の要求とその変化をみつけだし、その要求を満たす条件は何かを考え、それをそのまま革新の目標にしている、ということである。
そして、その目標に向かって、我社を近づけてゆくという、マーケット第一主義である。
このようにして、シアーズ社はお客様をつくりだすことに成功し、今日の大をなしたのである。
シアーズ社は、われわれに「顧客の創造」、つまリ「経営」とは、変転する市場と顧客の要求を見きわめて、これに合わせて我社をつくりかえることである、ということを教えてくれるのである。
この教訓こそ、経営者をはじめとして、すべての会社の、すべての人々の、最も基本的な、そして最も大切な認識でなければならないのである。
お客様を無視する会社は、お客様から無視される。その結果は、倒産への道を歩まなければならないことになるのだ。
それにもかかわらず、お客様を無視する会社は決して少なくない。もしも我社の経営が不振であったり、行詰ってしまったならば、まず第一に反省してみなければならないことは「お客様を無視していないか」でなければならないというのが私の主張である。
何もいわないお客様なるがゆえに、お客様の無言の叱責が分からず、業績不振の対策が全く見当外れになっている例を、私は数多く見せつけられるからである。
シアーズ・ローバックの凋落
超優良企業のシアーズ・ローバック社は、それなるが故に、その上に安住して歳月を経るうちに、いつしか閉鎖的でごく内輪な文明社会になっていった。
古めかしい規則でガンジがらめとなり、お客様の要求に答えられなくなっていった。ライフ・サイクルの終った商品が多くなり、活性を失っていったのである。
それでも、「腐っても鯛」で一九六〇年代の半ばまでは無敵を誇っていた。
しかし、 一九七二年頃になると、シアーズのドル箱であった大型家具が市場の飽和によって買換え需要のみとなり、業績不振に陥ってしまった。
この虚をついて小さな小売店が逆襲を試み、お客様を奪われて利益が急減していった。
それだけではない。新鋭の大規模小売店ウォルマートの急追を受け、大きなダメージをこうむったのである。
あわてたシアーズは、本来の小売についてはごく僅かな試験的な手を打っただけで、恰好いい総合大型貿易商社をはじめ、保険、不動産、証券ブローカーなどに次々と手をだしたが、結果は思わしくなかった。
自らの本来の使命小売業でお客様の要求を満たすという正しい態度を忘れてしまっていたのである。商品の再編成などは、お座なりで、部分的にしかすぎなかった。
業績は下降の一途をたどり、ついにはレイオフまで行わなければならなくなり、これが従業員に大ショックを与え、経営者に対する信頼感を失わせる事態をひき起してしまったのである。
一九九〇年、ウォルマートにはすでに抜き去られていただけでなく、その差は開くばかりであった。この年四万人を減らし、九一年には更に三万人以上を減らさなければならなかった。
シアーズ。ローバックは、これからどうなってゆくのだろうか。
シアーズ社は、お客様の要求を満たすことによって大発展をとげ、世界一の小売商になり、その大成功の上に安住してお客様を忘れてしまったために凋落が始まり、問題会社になってしまったのである。
これは、シアーズ社に限ったことではない。時を同じくして、これもアメリカの巨大企業GM社とIBM社が、同じく自らの巨大さに心倣り、お客様を忘れて大苦境に立っている。
ちょっとこれにふれてみよう。
ゼネラル・モータース
世界の王者ゼネラル・モータースは、 一九二〇年代に大経営者アルフレッド・スローンによって、フォードのT型車を駆逐して手に入れたものである。
第二次世界大戦までは隆盛を誇ったGMも、戦後はその優位の上に安住し、次第に活力を失っていった。
経営者は、その高い地位にしがみつくようになり、会社の欠点には目をつぶり、批判者に対しては守りを固めるようになった。
デトロイトの市民が日本車を運転しているといたく怒り、日本車に敵意をいだくだけで、日本がうまくやっている情報には目をつむり、「急げばホンダに追いつけるよ」とばかり思いこんでいたのである。
経営陣には財務至上主義がはびこり、「何もかも数字で判断できる。何でも数量化できる」と考えていて、質的要因は無視されていた。
良質の車はコスト高になる思想は、Jカーの失敗を来した。これは、Xカーの外観を少し変えただけで技術開発をしたように見せかけようとした。
続いてのHカー、Eカー、Cカーと品質は劣化するばかりであった。
一九六〇年代の末に、ラルフ。ネーダーによって「どんなスピードでも安全ではない」と、コルベアを批判されたが、反省するどころか、逆にネーダーの身辺調査を行った。これがバレてGMは面目を失った。
没落のスピードは、 一九七三年のオイル・ショックによって加速された。「もはや、やたらにガソリンをまき散らす大型車の時代は去った」ことを、顧客から見放された経営陣は理解できなかった。
それどころか、「GMは偉大であり、オイル・ショックになどは影響されない」とばかり強がりをいっていたが、内心では大型車の売上げ低下を恐れていたのである。利益の下がる小型車には力を入れたくなかったからである
「自分が小型車を作らなければ、他人が作ってしまう」ことを考えなかった。その通り、日本車が大型車の特徴をそなえた小型車を作ってしまったのである。
いやいやながら作ったシボレー・ベガは大失敗だった。
一九七八年には燃費基準がきめられ、GMは小型車への全面切換えをせぎるを得なくなった。しかし、これもすでにのべるように、Xカー・Jカーその他すべて失敗してしまったのである。
市場の変化に対応できないGMに、大きな危機を感じていた経営陣の一人がロジャー・スミスである。彼がGMの会長になった時、日本のメーカーとのジョイント・ベンチャーを決意した。
一九八三年、GMはトヨタとJV契約をした。これが夕ZC〓〓H″ (ニュー・ユナイテッド・モーターマニュファクチュアリング・インコーポレーション)である。社長と最高経営層はトヨタから出した。
このJVについてのロジャー・スミスの感想を紹介しよう。
GMの再編成は、熱さましの丸薬を飲みこむようなものだった。ただ、丸薬の大きさは野球ボールくらいだった。飲みこむのがひと苦労だった。
いったん胃におさまって薬が作用すれば、熱は下がるんだが。
事実、最初のGMI 一〇計画がディーラーの手にわたるのに七年かかった。GM側の不協力があったからである。
GMのやり方は、製造の段階毎に分業を行い、意見の食違いは、それぞれの段階での自主性を守って相互協力は不可能であった。
日本のやり方は、デザイナーとエンジエアと製造スタッフが一台の自動車のコンセプトをきめる段階から一緒に仕事をした。
GMは、自動車は技術で作るものだと思っていたが、日本では自動車の製造は人間が行うものであるという認識をもっていた。
この違いが、日米の自動車の決定的な優劣となっていたのである。
この違いは、工場実験で日本側の圧倒的優位が証明されたが、GMの経営陣はこれを認めようとはせず、変革を怠るGMのシェアは下り続けたのである。
GMの経営陣が、いくらzC〓〓申を自眼視しようと、その実績を無視するわけにはいかなかった。ZC〓〓【に対するGMの風当りは弱まってきた。GMの経営
陣が頻繁にZC〓〓Hを訪れるようになった。ようやくその教訓が役員会にまで浸透するようになってきた。とはいえ、前途は多難である。
GMの経営陣のやるべきことは、顧客第一主義という企業本来の姿に戻り、GM中興の祖、アルフレッド・スローンに学ぶことである。それは、スローンの著書『GMとともに』の邦訳(ダイヤモンド社刊)三六一頁から左記に引用させていただく。
私は一九二〇年代と一九二〇年代を通じて、直接ディーラーを歴訪することにした。そこで鉄道の車輌を一台借りきって、これを事務所に改装し、
数人の随行者と一緒に、 一日に五軒か一〇軒の割合で、アメリカ全国の殆どすべての都市のディーラーを訪ねて回った。そして現場で直接にディーラーたちに「戸を開めた部屋で」面会し、机をはさんで話し合い、彼等と会社の関係、製品の性格、会社の政策、消費者需要傾向、将来についての見解、その他自動車事業に関する多くの事柄についてヒントの提供と批判を求めた。
その間話題にのぼったすべての点について綿密なノートをとり、本社にもどってから、それらを仔細に検討した。
I B Mコンピューター業界の大巨人だったIBM。かつては世界の占有率六〇%以上を誇り、いかなる会社もよせつけなかったIBM。
その栄光も、いまは光を失い、その巨体を持て余して減量に次ぐ減量である。
一九八六年以来五年程で三万三千人を整理してまだ足りず、九一年には一万四千人減らして三六万人体制をとった。さらにそれ以降も二年間で二万人削減するという。
急坂を転げ落ちるような衰退は、これでも納まらないであろう。
急成長業界の中での衰退、という過去の常識では考えられないことが起っているのである。
その原因はただ一つ、IBMの傲慢さである。
第二次オイル・ショックを引金として、近代工業社会の科学技術は急速に進歩し、省エネ、省資源の要請は、「小型化できるものはすべて小型化」された。
特に半導体の小型化は目覚しかった。しかも性能は向上していった。 一昔前の大型機はパソコンで間に合うようになってしまった。小型化は同時に低価格を可能にし、小型コンピューターは急速に普及し、大型コンピューターの市場を奪っていった。
これに対するIBMの戦略は、大手のとる常套手段だった。小型コンピューターの市場が拡大して、大手が進出しても採算のとれる大きさになるのを待って参入することである。
参入はしたものの、それ以後はあまり力を入れなかった。 一つは、小型機の価格は大型機にくらべるとはるかに低かったからであり、もう一つは採算性のよい大型機のほうが大切だったからである。
これが大誤算であった。というよりは、大手の傲りであった。IBMの力をもってすれば、大型コンピューターを売ることは可能であると思いこんでいたからであるc
大手のおご傲りH、これは本書でここにとりあげたGM、シアーズ、そしてIBMと全く軌を一にしている。「消費者は強大な力を持っている我社の商品を買ってくれる。いや買うべきである」という信念である。
これを、私は「天動説」と呼んでいる。「世の中は我社を中心にして回っている」という思想である。これが、いかに企業にとって危険なものであるかの実証がここにある。
会社の真の支配者はお客様なのである。いかなる巨大企業といえども、この原理は変わらない。
このことが分からないのは、お客様は社内にいないだけでなく、何の命令も下さず、気に入らなければ黙って馘をきるのがお客様だからである。
もう一つは、経営学と称し、「内部管理」こそ経営であると教える全く間違った思想の大害悪のためである。
変転する市場と顧客の要求を見きわめて、これに合わせて我社をつくりかえることが事業の経営であるならば、社長がまずやらなければならないことは、「市場と顧客の要求を見きわめる」ことである。これを見きわめることができないのでは、正しい事業経営はできない。
それにもかかわらず、多くの社長はお客様の要求を見きわめる努力を怠っている。というよりは、考えてみようともしない社長が多すぎる。
当然のこととして、トンチンカンな考えで、トンチンカンな事業経営を行っているのである。これでは、事業の経営がうまくいく筈がない。
その実例を次に紹介しよう。
お客様の要求を知らないと、会社はどうなってゆくのかを、実例によって考えていくこととする。
お客様の要求に合わせる
S社は、冷凍食品のメーカーである。ご多分にもれず、年々上昇する賃金と人手不足に悩まされながら、必死の経営を行っていた。しかし、業績は年々低下し、ついに赤字転落してしまった。悩み抜いた社長は、私のところに相談をかけてきたのである。
社長の最大の関心は、コストであった。ひまがあれば工場に入って、材料歩留りの向上、稼働率の向上、冷凍庫の有効利用などと取組んでいたのである。
「お得意様のところへでかけるか」と聞いてみると、そういうことはやらないお客様の方を向かず、つくることばかり考えている会社を、私は会社といわずに「工場」といっている。
こんなことをしていたら、会社はつぶれてしまう。
私は、設備をフル稼働した時の損益計算をしてみた。それが赤字なのだ。この計算書を社長に示して、コストと能率では会社を救えないことを、まず納得させた。
では、どうしたらいいか。私の提案は、主力商品であるシュウマイを、高級化して高く売ることであった。
この提案は、安いものでは売上げが上がらないから、高いものを売ればいい、という意味ではない。お客様の要求に合わせるならば、そうなるのが当然なのである。
お客様の要求は、年々高級化してゆく。そして個人所得の上昇がこれを可能なものにする。
所得が上がっても、生活費はそれに比例して上がらない。したがって、所得から生活費を除いた部分― ‐これをク自由裁量所得´という――の、所得に占める割合が年々高くなってゆく。自由裁量所得が少ない時には、大部分が貯蓄にまわる。
しかし、それが大きくなるにつれて、貯蓄に占める割合が減って、消費に向かう部分が大きくなってゆく。この消費は生活のためでなく、自分の欲しいもの、
楽しみたいものに向かう。つまり、高級品、趣味、レジャーなどである。それだけではない、生活費それ自体にも流れこんでゆくのだ。このようにして、消費者の要求が年々、質的、あるいは量的にも高級化がすすんでゆく。
たとえば、メロンやパイナップルなどの高級果物は、かつては、デパートや一流店でなければ売っていなかったのに、今はどこの果物屋にいってもお目にかかれる。花屋の店頭からは、小菊とか金蓋花とかの安物が姿を消してしまった。石鹸は、百円以上のものはいくら作っても間に合わないのに、百円以下の石鹸は売れ残る。
スーパーの衣料品――これは明らかに高級品ではない――は年々確実に値頃(一番よく売れる値段)が一割ずつ上がってゆく。そのスーパーにも、三百円以下のスリッパはなかなかお目にかかれなくなってきた。
このようなお客様の好みの変化をよそに、五年以上も同じ品質、同じ値段のシュウマイを作っていること自体が、すでにおかしい。きっと、お客様の好みからズレていると判断して、高級品転換を提案したのである。
社長は、私の提案になかなか賛成しなかった。高いものは売れない、と思いこんでいるのである。では、外に何か黒字転換の道はあるのか、ときくと、それはないという。
ないから高級品をやってみるより外に道はないではないか。やってもみないで、売れないときめつけるのはおかしい。とにかく、 一度だけやってみて、売れなければ他の道を考えよう、という私の繰り返し繰り返しの説得に、社長も、とにかくやってみようと決心した。
一個十五円のものを、二十円にするという私の案に、それではあんまり高すぎると、十八円で得意先に話をもちこんだのには私は笑いだしてしまった。よくよく安物売りの好きな社長だ。しかし、この社長を笑えない社長が、世の中にゴマンといるのだ。
ところが、得意先の仕入担当者に、はねつけられてしまった。そんな高い商品は売れる筈がない。売上げを伸ばしたかったら、十五円の品物を十二円に値下げせよ、というのだ。
スゴスゴと帰ってきて、やっぱり高いものは売れないという社長に、私はハッパをかけた。「何をねぼけたことをいっているのか。うまいシュウマイは、得意先の仕入担当者が食うのではない。お客様が召し上がってくださるものだ。お客様にきかなくて分かるものではない。
小売店の店頭にならべて、お客様が買ってくれるかどうかを見なくて、売れるも売れないもない。もう一度得意先へいって、仕入担当者を口説け。迷惑はかけないから、 一回だけ試売りさせてくれ、といって承知するまで引下がるな」と、私も必死なのだ。
そして、とにかく一ロットだけ十八円のものを試売することになった。ところが、これがアッという間に売りきれてしまった。
直ちに、十八円の正式注文がきたことはいうまでもない。それどころか、それからわずか一カ月で、十五円のものは注文がこなくなり、全部十八円のものにかわってしまったのである。
同時に、会社は黒字転換である。その理由は、「お客様の要求に応じた」からであって、能率ではないのである。
この実績をふまえて、社長に次の提案である。この次には三十円のシュウマイを作ってみよ、というのである。すると社長は「ヒエーツ、そんな高いものを作れといっても売れませんよ」という。社長はまだよく理解できないらしい。そこで、
補足説明を加える。「今、三十円のシュウマイを作っても、売れるか売れないかは、私にも分からない。だからこそ、これを作って売ってみて、お客様にきめてもらうのだ。こうしなければ、お客様の好みが、どの辺にあるか分からないではないか。アンケートなんてとっても、分かるものではない。実物でお客様に判定してもらうのが最もよい。
これを「市場実験」という。そのためには、得意先と相談して、モデル店を数力所つくって売ってみてもらう(この場合に、モデル店に対しては、実験の謝礼をしなければならない)。売れ行きがよければ、この実績をふまえて拡販はたやすい。もしも売れない場合は、いったん撤収して、来年また
実験してもよいし、継続して実験してもらう店を残してもよい。そして、お客様の好みが、いつ三十円のシュウマイに移行するかをつかまえるのだ。シュウマイだけでなく、他の商品も、これと全く同じ考え方で、絶えずお客様の好みをつかまなければならない、ということなのである。これこそ経営者の最大の関心事でなければならないのである」と。
お客様の要求を知り、これを満たす会社は必ず発展するのだ、ということをS社はわれわれに教えてくれるのである。これはシアーズ。ローバック社の例と全く同じである。
お客様の要求を無視する(一)
大量返品の原因
I商事は、洋品の製造問屋である。私がお伺いする二年前から赤字に転落し、黒字転換の見通しは全くなかった。主要商品はパラソルで、自ら製造していた。倉庫を見せてもらうと、物凄い返品の山である。きいてみると、返品率は三割をこえるというのだ。これでは赤字になるのは当り前である。
返品の理由はきいてみなくとも分かる。お客様の要求に合わないからだ。
事情をきいてみると、次のようなことが分かった。
パラソルは、もともとファッション性が最も大切なものである。 一口にいえば、柄と色である。むろん、形もであるが。ところが、社長の年齢はすでに七十歳であり、ファッションのセンスが全く古かったのである
企画担当者が新柄の許可を社長に求めにゆく。大柄をもってゆくと、『こんな大柄はあかんで、もっと小柄にせい』といわれる。華やかな色のものをもってゆくと、『なんや、こんなけったいな色、こんなもの出したらあかんで』ということになってしまう。
小柄で渋い色、これでは年寄向けだけになってしまう。お客様の大部分を占める若い女性だけでなく、最近とみに派手好みになった中年女性の要求にも全く合っていなかったのである。
社員は、社長の目をぬすみ、社長にあまり叱られない程度に派手な柄を作っていた。これがかろうじて会社の売上げを支えていたのである。
このような商品を、デパートで喜んで仕入れる筈がない。それを、営業ではデパートに日参し、三拝九拝し、贈物や夜のもてなしで、ムリヤリに押込んでいたのである。
そんなことをしてみても、お客様の好みに合わない商品が売れる筈がない。大量返品が起るのは、このようなわけだったのである。
私は社長に直言した。「社長、あなたはネクタイをしていますね。社長がネクタイを買いにいったと仮定してみましょう。社長の気に入った柄と気に入らない柄のネクタイがあって、値段が同じなら、どちらのネクタイを買いますか。いうまでもないでしょう。
お客様は企画した人のすきな柄のネクタイを買うのではなくて、自分の気に入った柄のネクタイを買うのですよ。あなたの会社の業績を回復したかったならば、まず社長自らお客様の好みはどんなものか、を調べなければならないのです。
そのためには、社長は会社の中にいてはいけない。外に出て、自分の日でお客様の好みは何かをたしかめなければならないのです」というものであった。私の提案は無視され、会社はつぶれてしまったのである。
甘すぎる菓子バン
T社はローカルといっても、人口二十万人の都市の駅前の一等商店街に店舗を構えていた。長年の間赤字続きで、どうしたらいいか分からないからという専務の相談である。
店舗を見せてもらうと、これといって不都合な点はない。試みに菓子パンを一つ味見すると、物凄く甘い。「こんな甘すぎるものは売れない。戦前や戦後の一時期には、菓子パンのみならず、すべての菓子は甘味が強いものがお客様に喜ばれたが、いまはもっと甘味がほのかなものが好まれている。もっと甘味を減らしなさい」と勧めた。
専務の答えは次のようだった。「そのことは私自身も感じているが、肝心の社長(専務の父)がどうしてもきかない。社長が自ら工場に入っていて、菓子パンというのは甘いものだ、甘味を落としたら菓子パンではないと、どうしても私の意見を聞いてくれない」というものであった。
社長はすでに七十歳を過ぎている。もうどうにも考えを変えさせることはできないことを私は知っている。私のいままでの経験では、七十歳いや六十歳を過ぎても零細企業にしか育てられなかった社長は、決して自分の考えを変えようとしないのである。
私は専務には申し訳ないと思ったが、「解決法は社長が頑張っているうちはない」と申しあげて、お手伝いを断わったのである。
安いコロッケM社は冷凍食品のメーカーで、主要商品はコロッケであった。しかし、過当競争による安値で採算にのらず、赤字は増大する一方であった。どうしたらよいかという社長の相談に、私は次のように答えた。
「採算にのらないのは、あなたの会社の商品がお客様の要求に合っていないからだ。過当競争で安値競争をしているうちに、お客様がどこかに行ってしまったからだ。社長がまずしなければならないことは、社長自ら小売店の店頭に立ってお客様の要求を知ることである。三週間ほど売場に立ってごらんなさい」と。
私の勧告を聞いて売場に立った社長は、たちまちお客様から手痛い仕打ちを受けていることを知り、自らの誤りを悟ったのである。そこは小売の市場のようなところで、たまたま近くの売場でコロッケを売っていた。そちらのほうは値段が高いのによく売れていた。ある日、高いコロッケを買ったお客様に、恥をしのんでなぜ我社のコロッケを買っていただけないのかを聞いてみた。返ってきた答えは「おいしくないからだわよ」、だったのである。
社長は自らの誤りをお客様に教えられ、十分吟味した材料にクリームを加えたコロッケを開発した。たちまち売上げが増大し、M社は間もなく黒字転換をしたのである。
売れないジョイント家具
L社は家具の問屋であった。L社にお伺いして、そこで扱っている商品のカタログやチラシを見せてもらっている時に、某大企業の開発した「ポコ」なるジョイント家具のチラシがあった。私は「これは売れませんね」と言うと、社長は驚いて「どうして分かりますか」と、問い返してきた。私の説明は次のようなことであった。
「このジョイント家具(数枚の板を組付け、金具によって自分の好みの棚をつくりあげることができる部材)は、お客様が組み立てるものである。ところで家具の小売店に来るお客様は、すべて完成された家具を買いに来るのであって、組立て家具などには全く関心を示さないのだ。自らの着想に酔って作っても、お客様の関心外のことでは、クひとりよがり″以外の何物でもない。こういうものはDIY (日曜大工店)にでも出したら、あるいは売れるかもしれないが家具店に出すとは見当違いもはなはだしい。お客様を研究せずには、何をやっても成功はしないものだ」と。
この実例を、私の「社長のセミナー」で話したところ、ある会社の社長から「実は私のところでも全く同じものを開発しましたが、全然売れなくて往生していたところです。 一倉さんの話を聞いてよく分かりました。さっそくこんなものは捨ててしまいます」と。
低コストの「あんま椅子」
K社にお伺いした時に、社長室にパイプ製の貧弱な「あんま椅子」があった。聞いてみると、新製品の現物見本としてメーカーが持ち込んだものだという。私は言下に、「これは売れませんよ」と言うと、K社長は「その通りですが、どうして一見しただけで売れないことが分かりますか」という質問である。
私は「あんま椅子というものは誰が買うか考えてみれば分かる。これは営業用としては浴場、旅館、観光ホテル、サウナなどに備えつけるものだ。家庭用として売れる場合にも、お客様の家は少なくとも中級以上の格である。
営業用はもちろん、家庭用であっても、こんなチャチなものを買うお客様がいるはずがない。この椅子のメーカーはク安価ならば売れるクと思いこんで、こんなものを作ったが、それは全くの見当外れである。デラックスなものでなければ売れないのだ」と、答えたのである。
地盤沈下の乾麺
ここ数年間、乾麺の売上げは不振をきわめている。いくらパン食が普及してきたとはいえ、古来から日本人の主食の一角を占めてきた乾麺の地盤沈下はおかしい。日本人はもともと麺好きな人が多いのである。
四苦八苦の乾麺業者にいわせると、その原因はインスタントラーメンだという。
特にカップ物は単にお湯を注ぐだけでいい。今の主婦は手間のかかる乾麺を買わないからだ、ということである。悪いのはインスタントラーメン、なかんずくカップ物であって、製麺業者ではない、というのだ。ここにも何の反省もない。
もしも業者の言い分が本当ならば、なぜ″揖保の糸ク(兵庫県竜野産の素麺の地域共同ブランド)は、売れて売れて生産が間に合わないのか。しかも重量当りの売価は他の素麺の三倍なのである。
製麺業者の言い分は、自らの怠慢の言い訳にしかすぎないのである。
揖保の糸の売れる理由はただ一つ「おいしい」からである。お客様は手がかかっても、高くともおいしいものであれば買って下さるという実証がここにあるのだ。
製麺業者は、お客様の要求など知ろうとせずに、ただただ一貫して生産性の向上だけを指向してきたのである。過当競争のために価格競争に勝ち抜くには、生産性向上が第一だということなのだ。これが誤っているのだ。
生産時間をいかに短縮するかということのみにうつつを抜かし、そしてその点だけは成功した。これが味を落としてしまったのである。小麦粉というものは、水を入れてこねると熟成が始まるのである。この熟成は、ゆっくりと時間をかける程よい味になる。粉臭さはなくなって、旨味が出てくる。滑らかで弾力のある麺になるのである。全国的に有名な夕讃岐うどんクの製法のコツに「土三寒六」というのがある。
粉にまぜる塩水の濃さを表わしているのである。その意味は、土用(夏)は海水を三倍に薄めた濃度、寒中は海水を六倍に薄めた濃度のことだという。夏は気温が高いので熟成が速く進む、その熟成速度を遅くするために塩分を濃くするのである。昔の人はこのようにして正しい製法を研究し、これを子孫に残してくれたのだ。だからこそク讃岐うどんクとして全国に名声をうることができたのである。先人の正しい教えを守らず、生産性向上という間違った考え方をして、自らの首を自ら絞めるような結果を招いたのである。
それに対して、竜野の業者は寒中製造、手延べ、自然乾燥という古来の伝えを忠実に守っている。この製法だと、寒中なるが故に熟成速度は遅く、手延べなるが故にグルテンが放射状に延びる― ‐これが弾力を生むのだ。ローラーで延ばすと、グルテンが一方向にのみしか延びないために、弾力性に欠けるのだという― 自然乾燥なるが故に時間がかかるのである。
これがク揖保の糸クをおいしくしているのである。生産性の悪さが美味の秘密なのである。そしてお客様は美味を求めているのだ。だから、自らの要求に合うが故に高くとも買うのである。高く売れるから、生産性が低くとも採算にのる。そのうえ、お客様の強い支持があるから安定売上げを確保できるのである。
バカな社長は生産性向上とばかり、多加水(水をある程度以上多くしないと熟成が不十分になる)はやりにくいからやめ、機械こね、機械延ばし、熱風強制乾燥では熟成もなにもあったものではないのである。
だからまずくてお客様から見放される。売行きが悪いから、安値でなければならなくなる。安値を補うためにさらに生産性向上という悪循環を繰り返しているのである。これでは永久にお客様の支持は得られないのである。
揖保の糸は、われわれに対して「高いものは売れない」という考え方が間違っていることを教えてくれるものである。売れないのは高いものではなくて「まずいもの」なのである。
ク揖保の糸″のさらに優れた教訓は、「お客様の要求を無視した生産性向上は誤りである」ということである。生産性向上はけっこうである。しかし、それがお客様の要求を無視した場合には大きな誤りとなるということである。
加工時間短縮、工数節減、コストダウン、配送効率、在庫回転率、訪問効率、客単価向上というような考え方も、それ自身は悪くないけれども、これがお客様の要求に優先してしまうと、大きなマイナスをもたらすことを、私は自らの職業を通じて、あまりにも多く見せつけられすぎている。
ただひたすらお客様のために
T化成は、塩化ビニールのホースの専門メーカーで、市場占有率は七〇%にも達している。競合他社がどう頑張ってみても、どうにもこれを崩すことはできないのである。同社の商品価格は、他社よりもかなり高い。したがって収益性は極めてよく、優れた業績を上げ続けているのである。
猛烈な過当競争の中にあって、他社よりも高い価格で勝負をして、相手を圧倒しているのはいったいどういうわけなのだろうか。私は、「結局は価格ですね」という考え方にこり固まっている低業績会社の社長が、いかに間違っているかを、T化成から教えられるのである。
T化成のお客様――問屋の社長は「T化成の価格はたしかに高い。しかしサービスがいいから、つい買ってしまう」というのである。T化成の高業績の秘密は、他社に比を見ない優れたサービスにあるのだ。
ただひたすらお客様のために
T化成の実質上の社長はM専務である。M専務は、 一週間のうち五日間はお客様のところを回っている。これを、私がお付き合いを始めた昭和五〇年の春から、もう二十年間も続けている。そして、これは今後も長く続けられるのはいうまでもない。M専務は、間屋やサブ店だけでなく、エンドユーザーまで回っているのである。
商品のことを一番よく知っているのはエンドユーザーである。エンドユーザーから教えられる我社の商品の欠陥を、M専務は直ちにコストを無視して改良し、これを自らエンドユーザーに持っていってテストをしてもらう。
エンドユーザーが、まず感心する。「こんな経営者はいない」と。当然のこととしてエンドユーザーがT化成というよりM専務のファンになってゆく。テストの結果がいいと、これを自ら問屋に説明して回る。問屋もその誠意と努力に打たれる。
こうして、T化成の一つ一つの商品は、その品質と機能において他社に勝ったものになってゆく。次には流通業者に対するさまざまなサービスである。
以前には、商品は一巻一〇〇メートルとして、これをクラフト紙で包装し、ラベルを貼って納入していた。これを問屋の倉庫に積み上げると、不透明包装なので、見ただけでは何だか分からない。これを見た専務は、透明包装に切り換えた。そのために、包装材料費が三倍になった。しかし、間屋では大喜びである。
また、 一メートルごとのマーキングを行った。これが付いていない時は、切売りの場合には巻いてあるホースをほぐし、曲りぐせを直してから長さを測っていた。これは手間がかかるだけではない。曲りぐせが完全には戻らないための「測りこみ」などもあり、少しくらいの儲けなど吹っとんでしまうこともしばしばあつた。マーキング後は、マークの数を数えて鋏を入れればよいために、大幅に作業が楽になっただけでなく、測りこみの心配は全くなくなってしまった。
さらに、サイズを間違うことを防ぐために、巻き始めに― うまり最後まで残るところに大きなタッグをつけた。直径一九ミリと一六ミリのものは、二つ並べてあれば間違うことはないが、 一つだけの場合にはサイズを間違うことがあったのである。
このような改良は、M専務自らの得意先訪間により、自らの目で現場を見て、その不都合を発見することによって行われるのである。
このような改良は、当然のこととして流通業者に喜ばれる。
サービスは、さらに配送におよぶ。エンドユーザーもサブ店も、ギリギリまで発注しないことが多い。ギリギリの発注は、間屋に対して明日納入して欲しいという要求になってくる。
ところが、その問屋にも在庫がない場合がこれまた多い。しかも問屋がそれらの注文をまとめるのに夜の七時、八時にもなる。明日届けてくれという要求に応ずるためには、どうしても明日の午前中に品物をメーカーから届けてもらわなければならない。しかし、そんな時刻には、どこのメーカーの営業所に電話しても、すでに終業後である。
ところが、T化成の営業所では、待機している社員がこれを受けるのである。受けた注文は、その晩のうちに積込みをしておき、翌朝交替で早朝出勤し、これを配送する。問屋では、昨夜発注したものが、翌朝始業時にはすでに会社に届いているのである。
それだけではない。午後にもう一度配送をする。 一日二回配送という、他社にできないサービスをする。他社はT化成の一日二回配送を知りながら、これをやらないのである。横着もはなはだしいといわなければならない。この横着を、配送効率の向上という、もっともらしい理由でごまかしているのである。
T化成のこのようなサービスは、問屋にとっては「在庫がなくともやれる」ということになる。問屋は全く気が楽なのである。
このサービスこそ、T化成の商品価格が高くとも売れる大きな要因となっているのだ。売上げが増加するに従って、当然のこととして倉庫のスペースが不足してくる。そこで倉庫をどこにつくる(あるいは借りる)かということになる。
本社工場は富山県で、営業所は東京。大阪。名古屋の三カ所である。これに対する大方の権威者と称するトーシローの解答は、本社工場ということになる。在庫管理の便利さと在庫回転率という決まりきった理由である。この解答は、事業経営を知らないものの寝言にしか過ぎないのである。
M専務は、三つの営業所に倉庫を借り増ししたのである。M専務の考え方というのは次のようなものである。
「お客様の要求に応えて、 一刻も早くお届けするには、少しでもお客様に近いところに在庫すべきである。在庫効率の悪さや、営業所の在庫のアンバランスから発生する営業所間の在庫融通のための配送のムダは我慢する」というのである。
お客様サービスのためには、我社の都合は二の次にしているのだ。
これが大きな威力を発揮したのは、昭和五三年冬の北陸地方の大雪である。交通が大混乱して、本社工場の完成品を営業所に送ることが大幅に遅れたにもかかわらず、お客様には全く迷惑をかけなかったのである。
もしも、本社工場に倉庫を増やしていたならば、恐らくは納期遅れが発生し、お客様に迷惑をかけて信用を落としただろう。これは更に大きなマイナスをT化成にもたらす。お客様を逃がすことによる市場占有率の低下である。
以上のような大きなマイナスを防ぐことができたのは、M専務の「ただひたすらお客様のために」という姿勢である。お客様のことなど考えずに、本社工場に倉庫を造ることは全くの間違いなのであることが、お分かりいただけただろうか。M専務の正しい姿勢は、クレーム処理の態度にもよく現われている。
T化成の上得意であるN社から、「お前の会社の商品は数年にわたってクレームが一件も発生していないから、当社の創立九〇周年に際して夕無検査納入品クとする」という絶大な信頼を得た程である。ところが、この指定を受ける前日に大きなクレームが発生したのである。
取るものも取りあえず、N社に駆けつけたM専務は、お詫びと同時に、この不良品のために納期遅れのピンチに立たされたN社の事情を聞くや、直ちにその地区の営業所員を全員呼び寄せて、徹夜で全数検査をしてN社のピンチを回避したのである。
測定器など使ったこともない営業部員が、慣れぬ手つきで真剣に検査をしているその姿を見たN社の人々は、「これ程までに……」と、かえって感激したのであるcピンチを回避できたN社の担当部長は、クレームなど忘れてしまい、徹夜で検査したT化成の営業部員に、立派なおみやげの品を贈ってその労をねぎらったのである。
そのクレームは、T化成が某超一流大企業から購入している材料が不良品だったのである。それにもかかわらず、M専務は一言の言い訳も言わなかった。それどころか、その大企業が、自らの納入品によって引き起こしたクレームであることを自認して、「N社にお詫びにゆく」とまで申し出たのを、「それでは言い訳がましくなるから」と、これを断わっているのである。
M専務の態度は、「何がどうなっておろうと、それはすべて我社の責任である。材料を検査しなかったのは、我社が悪いのだ」というのである。そして、無検査納入品の指定を辞退したのはいうまでもない。ところが、N社ではこの指定を取り消さない、というのである。
それは、クレームの原因が某超大企業からの購入材料によるものであることを知っていたのはもちろんであるが、そんなことは枝葉のことであって、本当の理由は、M専務に対する絶大な信頼感だったのである。
会社の使命はお客様の要求を満たすこと私がT化成に初めてお伺いしたのは、昭和五〇年の冬のことであった。当時は石油ショック後の不況のために、T化成の売上げは低下の一途をたどっていた。
限界生産者なるがために、不況時には大手より弱かったのである。
高度成長時代とは全く違った情勢の中で、M専務はどうしてよいか分からずに、悩み、迷っていたのである。
その限界生産者が、現在は業界のトップとなり、七〇%もの独占的占有率を確保しているのである。
私がM専務に説いたのは、枝葉末節の方法論ではなく、経営者としての正しい姿勢であった。
それは「会社はお客様あって初めて存在する。会社の使命は、お客様の要求を満たすこと以外の何物でもない。我社の事情はいっさい無視して、ただひたすら、お客様のためにサービスをするのだ。その結果、高収益は自然に実現する」という要旨だったのである。
そして、「そのためにまずやらなければならないのは、M専務自らがお客様のところへ行って、自らの目と耳と肌でお客様の要求をシッカリととらえることから始めなければならない。 一週間に五日は外に出て、その大部分はお客様のところへ行くのだ」と。
私の勧告にしたがってお客様のところへ行ったことが、M専務を生れ変わった程に変えてしまったのである。
というのは、M専務がいままでセールスマンの報告を聞いて想像していた世界とは、全く違った世界があったからである。そこにはお客様の不満とT化成に対する批判が充満していたのである。
自らの会社が、いままでいかに間違っていたかを痛感したM専務は、私の勧告の意味が理解できた。そしてお客様サービスの正しい姿勢に変わったのである。
M専務がお客様のところへ行くようになってから、わずか三カ月後には、低下を続けていた売上げが上昇に転じ、それ以後は上昇し続けであり、その勢いは増すばかりである。
M専務に会って以来、私は具体的な勧告はごくわずかしかしていないc初めのうちはM専務の姿勢を確認していたが、最近は逆にM専務から経営者の正しい姿勢に対して教えられることばかりなのである。
その一例をあげれば、ある時M専務は私にこう言った。「一倉さん、私は新商品の開発には永久に困らないという自信がつきました。それは、どんなものを開発したらいいかということは、お客様のところを回っていさえすれば、お客様がいくらでも教えてくれます。私はただ忠実にお客様の教えを守っているだけでいいのです」と。
事実、次々に発売されるT化成の新商品は、いつもいずれもお客様のほうからとびついてくるのである。
お客様の、T化成というよりはM専務に対する信頼は絶大である。その信頼は年ごとに高まってゆく。このお客様の信頼に支えられたT化成の経営は、正に磐石といってよい。競合他社は全く歯が立たないだけでなく、どんな世の中になっても絶対につぶれない会社であることを、私自身信じていささかも疑っていないのである。
私が初めに勧告した「お客様訪問週五日」を今日においてもM専務はいささかも崩していない。まだ若いM専務は、これから十数年、いや二十年でも経営者の座にある限り、お客様を訪問し続けることであろう。
私がこの本で主張したいことは、実はこの専務の姿勢で全部なのである。「ただひたすらお客様のために」、これ以外に、事業の経営はないのである。
何をどうやろうと、何がどうなっていようと、お客様を忘れた会社はこの世に存在し続けることはできないのである。
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