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4章 虚言者?たち

4章 虚言者?たち

Case 42 南アフリカの手話通訳者 Case 43 金メダリスト A氏の性犯罪 Case 44 小保方晴子氏あとがき

Case 42 南アフリカの手話通訳者 マスコミの情報に頼る以外ないので、もちろん 100%間違いないとまでは言えない。

だがまず間違いないとまでは言える。

まず間違いなく彼には病的な虚言がある。

世界に向かって大嘘をついた虚言者である。

南アフリカ、ネルソン・マンデラ元大統領の追悼式( 2013. 12. 10.)で、オバマ大統領のスピーチの際に彼の横に立って、手話通訳のふりをした男、ジャンチー氏( Thamasanqa Jantjie)のことである。

CNNはジャンチー氏が、オバマ大統領だけでなく、他の参列者のスピーチを「通訳」する場面を配信している。

その一部には同じスピーチを本物の手話通訳者が通訳する動画が同時に映し出されており、ジャンチー氏の「通訳」はでたらめ(ただでたらめに手を動かしているだけ)であることがありありとわかる(さらによく見ると、同じ手の動きの繰り返しが全く別の場面で見られることがわかる。

すると全くでたらめというより、彼なりのパターンを適当に繰り返しているということになるのだろう。

だとしても通訳としては「全くでたらめ」ということに変わりはないが)。

後にこのことを問い詰められたジャンチー氏は、自分は統合失調症で、マンデラ元大統領の追悼式の時は統合失調症の症状が出たためあのようなことをしてしまったと弁解している。

こう弁解したことは、日本の新聞にも報道された。

上記 CNN配信動画の中には、ジャンチー氏のインタビューの音声も公開されており、彼が口ごもりながらこう弁解している言葉を聞くことができる。

Well, well, eh, yes I am currently a, a patient… receiving a treatment in schizophrenic.(ええ、ええ、・・そ、そうです。

私は今、か、患者なんです・・・統合失調症で治療を受けてるんです) 虚言である。

まず虚言に間違いない。

ここまでの情報だけでも、ジャンチー氏の弁解が虚言であることはまず間違いない。

統合失調症の症状が、そう都合よく(ジャンチー氏にとって都合よく、という意味である)、特定の場面で特定の形で出るはずがないからである。

いやしかし、もしかすると例外的にそのようなことが起きたのかもしれない。

そういう可能性が万に一つもないとは言ない。

もう少し彼の言い分を聞いてみよう。

New York Times( Web版)では、ジャンチー氏の次のような肉声が報道されている。

「あのとき私は、天使が降りてくるのを見た」「またあれが出たなと思った。

こういうとき、私は暴れてしまうこともある」「私は追跡されていると感じることもある」「あのとき、大統領や、そのほか、周りの人が、みんな武装した警官だと私は思ってしまった。

でも私があの場でパニックになったら大変なことになるので、祖国のために我慢した」 また、 BBCが配信している動画でも彼は、あのとき自分は天使が降りてくるのを見た、信じてほしい、と話している。

とても信じられませんね。

幻視。

追跡されているという妄想。

周りの人々が迫害者であるという妄想。

これらは、一つ一つを取り上げてみれば、確かに統合失調症で出現し得る症状だ。

だがこれらの情報をあわせると、ジャンチー氏は統合失調症ではなく、虚言だという可能性が逆にさらに高まる。

「可能性」と言ったが、それは慎重な表現をとったまでで、ほぼ 100%に限りなく近い確率で、彼は嘘をついている。

虚言である(統合失調症かどうかは厳密にはわからない。

治療を受けていれば、統合失調症であっても病気でない人と区別がつかない状態まで改善し得るからだ。

だが、あの通訳の際に、統合失調症の症状が出ていたという説明は、 100%に限りなく近い確率で、虚言である)。

そう判断できる理由の第一は、先に指摘したように、そう都合よく(ジャンチー氏にとって都合よく、という意味である)、特定の場面で特定の形で統合失調症の症状が出るはずがないからである。

ジャンチー氏のこのような弁解は、犯罪者が、自分は本当は統合失調症ではないのにもかかわらず、犯行の時は幻聴の命令に従ってやってしまったなど、統合失調症を装って罪を逃れようとするときに典型的になされるものである。

この際、本などで聞きかじった統合失調症の症状を持ち出して、自分にはこんな症状があったと説明するのもまた典型的である。

理由の第二は、動画に見られる彼の話し方である。

あの通訳場面での自分の状態を冷静に振り返り、精神病の症状だったとはいえ申し訳なかった、と語る彼の様子は、つい数日前に重篤な症状が出たばかりの統合失調症の人のものとしてはまずあり得ないものである(十分な期間にわたって治療を受けた後なら、十分にあり得ることであるが)。

さらに CNNは数日後、彼が力強く弁解する様子を配信している。

これも、つい数日前に、統合失調症の重篤な症状があったばかりの人物の様子とは到底考えられない。

ジャンチー氏が虚言者であることはまず間違いない。

ところで、上記 CNN配信動画の中、ジャンチー氏が、自分は正式な手話通訳の資格を持っている、疑うのなら南アフリカの手話通訳に問い合わせればわかる、と言っているのを聞くことができる。

しかし実際に問い合わせれば、逆に彼が実際はそんな資格を持っていないことがわかることになるのは自明で(現に、南アフリカ手話通訳者協会は、ジャンチー氏に手話通訳者の資格などないことを公式に述べている)、このように、すぐにばれる嘘を堂々と言うのも、病的な虚言者の特徴の一つである。

そもそも、オバマ大統領の横ででたらめな「通訳」をすれば、世界中で膨大な数の人がそれを見るわけで、そうすればでたらめであるとばれるのは自明で、そうなれば自分が窮地に陥ることもまた自明である。

にもかかわらずそうしてしまうのも、「すぐばれる嘘を堂々と言う」という、病的な虚言者らしい行為であると言える。

その後も、ジャンチー氏の経歴などが次々に明らかにされているようだが、彼の行った「通訳」と、その後の彼の弁解だけを見ても、ジャンチー氏が虚言者であることはまず間違いない。

もちろん 100%間違いないとまでは言えない。

だがまず間違いないとまでは言える。

言える。

まず間違いなく彼は虚言者である。

世界に向かって大嘘をついた虚言者である。

後日、ジャンチー氏には殺人を含む複数の犯罪で起訴された過去があるとアメリカの Fox Newsなどが報道した。

するとジャンチー氏にはおそらく反社会性パーソナリティ障害の診断がつき、虚言はその一症状ということになるであろう。

病的な虚言は反社会性パーソナリティ障害にしばしば伴うものだ。

Case 42は、でたらめな手話通訳の報道によって、病的な虚言であることが世界中に示され、そして後から追加された情報によって、反社会性パーソナリティ障害であることが明らかになった例である。

他の虚言者についても、追加情報が蓄積されるにつれて、診断がつく場合は多いと思われる。

Case 43 金メダリスト A氏の性犯罪内柴容疑者を逮捕 2011年 12月 6日、読売新聞夕刊社会面に大きく出た見出しである。

同記事から引用する:教え子の女子柔道部に酒を飲ませて暴行したとして、警視庁は 6日、アテネ、北京五輪の柔道男子 66キロ級金メダリストで、九州看護福祉大で客員教授として女子柔道部コーチを務めていた内柴正人容疑者( 33)を準強姦の疑いで逮捕した。

日本オリンピック教会( IOC)によると、日本人の金メダリストが逮捕されるのは初めてだという。

発表によると、内柴容疑者は 9月下旬の深夜から未明の間、合宿先の東京都内のホテルで、酒に酔って寝込んでいた未成年の女子柔道部員に暴行した疑い。

内柴容疑者は事件直前まで、ホテル近くの飲食店で、この部員を含む複数で酒を飲んでいたという。

女子部員が事件後、同庁に被害を届け出た。

同庁は熊本県玉名市の内柴容疑者の自宅を捜索し、裏付けを進める。

そして 2013年 2月 1日には内柴被告の有罪判決が出る。

懲役 5年だ。

同日の読売新聞記事から引用する:公判で内柴被告は「女子部員は起きており、乱暴ではない」と犯意を否定したが、鬼沢裁判長は「被害者が酔いつぶれていたのは明らか」と指摘。

被告の「部員の方から性的な行為をしてきた」との法廷供述について、「明らかなウソだ」と批判した。

すると内柴被告は虚言によって罪を逃れようとしたのか。

教え子を強姦しておきながら、相手が誘ってきたという主張を堂々と言い張る彼は病的な虚言者なのか。

この事件、判決文が公表されている。

詳細を見てみよう。

判決文では実名が伏せられているので、本書でも被告名を Aと記載する。

準強姦被告事件東京地方裁判所平成 23年(合わ)第 293号平成 25年 2月 1日刑事第 18部判決( LEX/ DB文献番号 25502639 より)(罪となるべき事実)被告人は、平成 23年 9月 20日午前 2時頃から同日午前 3時 15分頃までの間、東京都八王子市 × ×において、 f(当時 18歳)が飲酒酩酊のため熟睡して抗拒不能であるのに乗じ、同人と性交した。

罪名の「準強姦」とは、被害者が「抗拒不能」の状態であるのに乗じた強姦を指す。

「抗拒不能」とは、酒に酔うなどして抵抗できない状態を指す。

新聞記事に記されていた通り、女子柔道部員(被害者)が飲食店で酒を飲んだ後、連れて行かれたホテルで強姦されたという事件である。

被害者は、自分は酔いつぶれており、強姦されている最中に目が覚めたと言っている。

以下判決文より。

被害者の主張 (2)被害者は, × × ×号室に入った後の状況について,「 × × ×号室のベッドで目を覚ますと被告人がいて,酔いを覚まそうと思いシャワーを浴びますと言うと,被告人が浴びなくてもいいよなどと言ったので,そのまま寝てしまった。

目を覚ますと被告人が上にいて,下半身に違和感を感じ,被告人に陰茎を挿入されていた。

『何しているんですか』と聞くとその瞬間に手で自分の口を押さえられたので『きゃー』との叫び声を上げて顔を左右に振った。

すると被告人がテレビの音量を大きくした。

自分の両手で被告人の肩の辺りを押して抵抗したが力がすごい強かったので抵抗できなかった。

」と供述している。

これに対し被告人 Aは、自分は飲食店で被害者から性的誘惑を受けた、ホテルでも被害者は性交を進んで受け入れたと主張している。

被告人の主張 (3)これに対し,被告人は,「カラオケ店内の廊下で被害者からキスをされ,カラオケ室内で被害者から口淫されたのでさらにそれ以上のことをしたくなった。

被害者をおんぶしようとすると被害者から乗りかかってきた。

ホテルに戻り × × ×号室のベッドに被害者を下ろした後も被害者はまだ自分につかまっていたのでキスをすると被害者が応じてきたので服を脱がせた。

すぐ挿入しようと思ったが陰茎が十分勃起しなかったので横になると被害者が口淫してくれた。

その後被害者を自分の体にまたがらせて騎乗位で入れようとすると被害者から『奥さんいるのにいいんですか』などとじらすように言ってきた。

何度か体位を変えてセックスをすると被害者は大きなあえぎ声を上げていた。

」と供述する。

このように、被害者の主張と被告人の主張が真っ向から対立するのは性犯罪の常である。

性犯罪の多くが二人だけの密室で行われる以上、どちらの主張が正しいかを決定する客観的証拠は存在せず、事実は藪の中だ。

もしここで、いかにももっともらしく聞こえるという理由でどちらかの主張を正しいものと採用すれば、巧妙な虚言者の跋扈を許すことになる。

本書、「 2章 ノルウェイの森の虚言者」に記したように、「実際に体験した者でなければ語れない具体性と迫真性を持っている」というだけの理由で証言を信用するのは、病的な虚言者の巧妙さを軽視した愚行なのである。

本件はどうか。

犯行場面そのものは密室である。

だがその前後は違う。

多数の目撃者の証言などを総合して、裁判所は精密な検討の結果、 A被告の供述が虚言であると結論している。

裁判所の判断 × × ×号室内には、当時,被告人と被害者しかおらず,双方の言い分は上記のとおり真っ向から対立しているが,当裁判所は,公判審理の結果,被害者の供述は十分に信用することができ,被告人の供述は全く信用することができないと判断した。

その理由は,以下のとおりである。

なお, × × ×号室内における被告人と被害者との性行為を「本件性行為」という。

(1)被害者がアルコールの影響により酔いつぶれ,ほとんど意識を失った状態にあったことは明らかであり,これは被害者の供述する状況に一致していること関係各証拠によると〔 1〕被告人及び被害者らは,焼肉店において 7人で生ビール 15杯,巨峰サワー 8杯,焼酎 2本,ワイン 2本を飲んでいる(甲 18)が,その飲酒の方法は,被告人がグラスを片手で持ち上げることをきっかけに一気に飲み干さなければならない一気飲みのルールであり( h 4頁,被告人(第 6回) 1頁),急速に酔いが回るような飲酒方法であったこと〔 2〕カラオケ店に入店する際の被害者は,ふらついて自ら立っていられない状態であり,受付カウンターの前では hにもたれかかり, hに支えられてようやく割り当てられたカラオケ室方向に歩いていっている状態であったこと(甲 38)〔 3〕カラオケ室内でも,被害者は寝ている状態であり,被告人に連れられて一度トイレに吐きに行き,カラオケ室に戻った後も寝ていたこと( h 11頁)〔 4〕被告人に背負われてカラオケ店を出る際の被害者は,腕こそ被告人の首に巻き付けるようにしているものの,頭は深く被告人の首にもたれかけたままぐったりして一切動きの無い状態であり,ほとんど意識の無い状態と認められること(甲 38)以上の事実が認められる。

こうした被害者の状況に照らせば,被害者が本件当時,自らの意思により何らかの行動を起こすことはおよそ無理な状態であったと認められ,このような状態でベッドに寝かされた場合には,直ちに深い昏睡状態に陥るものと認められる。

そして,この状況は,被害者の供述する状況と一致している。

このように、客観的証拠によれば、被害者がいわば完全に酔いつぶれた状態であったことが明らかである。

したがって、ホテルの部屋で被害者は起きていたという Case 43の供述は虚言である。

裁判所の判断はさらに続く。

(2)被害者は,本件性行為の後,直ちに親しい部員らにその被害を涙ながらに訴え,さらにその後も深く落ち込み,その後一切柔道部の練習に参加することなく柔道部及び大学を去っているが,これは到底演技としてできるものではなく,真実,その供述どおりの被害に遭遇したからこその行動であると認められること関係各証拠によると,〔 1〕被害者は,本件性行為の後, 1年生の部員である q(以下,「 q」という。

)の部屋に行き,部屋にいた q及び r(以下,「 r」という。

)に対して,泣きながら,被告人からやられた,眠っていて気付いた時には被告人から陰茎を挿入されていた等と伝えている( q 2頁)〔 2〕その後 q及び rは,被害者を連れて, 2年生の部員である s(以下,「 s」という。

)に被害を伝え, sらは kを起こして話をしたが,その際,被害者は kに抱き付いて,言葉も出ないくらいに泣き, kが焼肉店に連れて行ったこと等を詫びると,首を振って kの責任ではない旨伝えている( q 5頁, k 3頁)。

〔 3〕さらに被害者は,当日の柔道の練習には参加せず,合宿用のバスで他の柔道部員らと一緒に大学の寮に戻った後,柔道部の中の特に親しい仲間(いつメン)に被害の状況を伝え, 9月 22日の始発で関西に戻ったまま,大学にも柔道部にも復帰していない( f 35頁以下)。

被害者が,真実はその供述のような被害に遭遇していないにもかかわらず,その被害にあったことを仮装して演技として上記のような一連の行動をとることはおよそ不可能であり,上記のような被害者の被害後の行動は,真実その供述どおりの被害に遭遇したからこその行動であると認められる。

事件後の被害者の言動は、この通り、強姦被害者の言動として矛盾がない。

合意の性行為であったとは考えられない。

したがって、被害者が性行為を受け入れていたという Case 43の供述は虚言である。

だが逆に、被害者のほうが病的な虚言者である可能性はどうか。

ノルウェイの森の Case 25、美少女 Lのように、すべては被告人を陥れるための巧妙な作り話であった可能性はどうか。

上の判決文にある「被害者が,真実はその供述のような被害に遭遇していないにもかかわらず,その被害にあったことを仮装して演技として上記のような一連の行動をとることはおよそ不可能」というのは被害者が普通の女性だった場合に言えることにすぎず、病的な虚言者であればこの程度の演技は十分に可能であろう。

裁判所はしかし、この点も慎重に検討したうえで、虚言は被害者でなく Case 43の方であると結論している。

(3)被害者には,虚偽の事実を述べてまで被告人を陥れようとする動機が存在しないこと被害者は,オリンピックの金メダリストである被告人にあこがれ,被告人から柔道を教わるためにわざわざ g大学を選んで女子柔道部に入部している( f 2頁)。

そして,柔道部内では,「いつメン」と呼んでいる友人たちにも恵まれて柔道に打ち込み( f 60頁),柔道をやめようかと思った際にも,被告人から,それはやめる理由ではなくて頑張る理由にできるなどと励まされて柔道を続けており(被告人第 5回 77頁), 19日も練習後に被告人らと食事をするなどしていたのであるから,被告人に対して悪感情を抱いていたとは認められず,むしろ柔道家として尊敬していたといえる。

そのような被害者が,被告人と何らかの事情で同意して性交し,仮に自己の行動を正当化する必要に迫られたとしても,被告人を悪者にするような嘘をつくまでの動機になるものは想定しがたい。

美少女 Lが虚言によってレイコを陥れたのは、恨みという動機があってのことであった。

一方、この準強姦事件では、元々は被害者は Case 43を尊敬しきっており、陥れようと考える動機は全くなかった。

したがって、事件後に手の込んだ巧妙な演技をしなければならない理由はどこにもない。

(4)被告人は,本件性行為の直後,被害者から話を聞いた sらに対し,被害者がカラオケ室内で口淫行為をして誘ってきたから性交した,と説明しているが,カラオケ室内における被害者の口淫行為という話は明らかな嘘であり,被告人がこのような嘘をついてまで被害者の同意をとりつくろわなくてはならないこと自体,被害者に同意がなかったことを裏付けること ホテルに行く前に、被害者のほうから Case 43を性的に誘惑した。

それが Case 43の主張だが、誘惑の具体的な説明として「被害者がカラオケ室内で口淫行為をして誘ってきた」という嘘をついたことが、逆に Case 43の首を絞める結果となった。

「明らかな嘘」と

裁判所が断じる理由は次の通りである。

関係各証拠によると,本件性行為の後,被害者の話を聞いた k及び sは,被告人と会い,被害者が被告人にやられたと言っている旨伝え,その話の真偽を確認したところ,被告人は,当初は性交自体を否定したが,その後,被害者と性交したことを認め,被害者がカラオケ店で口淫をして誘ってきたと述べたことが認められる( k 5頁)。

しかしながら,( 1)で検討したとおり,被害者はカラオケ室内ではほとんど酔いつぶれて寝ている状態であり,自らの意識で何らかの行動をできるというような状態になかった。

さらに当時被告人が履いていたハーフパンツの裾は股下が約 14センチメートルとやや長めのものであり,裾にゴムが入ったブリーフ型インナーが付いたものであるから,座って裾いっぱいに太腿が広がった状態で裾から口淫できる程に陰茎を出すことは極めて困難である。

これに加えて,当時,カラオケ室内には, h及び iがいたところ,同人らはいずれも被害者による口淫行為を目撃していない( h 12頁, i 12頁)。

カラオケ室内での口淫行為という異常な行動がとられれば,同人らの目にとまらないはずがない。

同人らは被告人の親しい後輩であって,被告人に不利に虚偽供述をするとは考え難い。

したがって,カラオケ室内で被害者による口淫行為がなかったことは明らかである。

被告人の発言は,被害者が当時酔いつぶれていて意識を失っていたことを利用しての虚言といわざるを得ない。

本件性行為に真実被害者の同意があったとすれば,わざわざこのような虚言を弄してまでその同意のあった経緯を sらに説明する必要はないのであるから,被告人がこのような嘘をついている以上,被害者に本件性行為に関する同意がなかったことを裏付けるものである。

Case 43の「被害者がカラオケ室内で口淫行為をして誘ってきた」を裁判所が虚言と断じた理由は三つ。

第一は被害者が酔いつぶれていて、そんな行為ができる状態ではなかったこと。

第二は「当時被告人が履いていたハーフパンツの裾は股下が約 14センチメートルとやや長めのもの」だったこと。

14センチあったらちょっとね。

第三は衆人環視の中でのそんな行為が人の目にとまらないはずはないことである。

したがって、被害者のほうが性的に誘惑してきたという Case 43の供述は虚言である。

被害者は他にも誘惑的な行為をしてきたと Case 43は主張している。

被告人は,これに加え,口淫行為の前にカラオケ店の廊下で被害者がキスをしてきた, × × ×号室内においても被害者の方から積極的に性行為をしてきた旨供述している。

しかし,被告人は,カラオケ店の廊下におけるキスの状況についてその前後関係を全く具体的に供述することができていない。

また,上記( 1)で認定した被害者の状況から,被害者が × × ×号室内において,自らの意思に基づいて積極的に何らかの行動をとるとは考えられないし,( 2)で認定したような本件性行為の後の被害者の行動を考えると,被害者が被告人の供述するように積極的に性行為を行ったと考えることはできない。

したがって、飲食店の外やホテル室内で被害者が性行為に積極的であったという Case 43の供述は虚言である。

裁判所の締めの一行はこうである。

よって,被告人の公判供述は信用することができない。

ところが Case 43の弁護人は、被害者の供述の方こそ信用できない点がいくつもあると反論している。

これはホテル室内外の実に多数の項目にのぼっているが、いずれについても裁判所は事実を精密に検討・考察して退けている。

その中のいくつかを示す。

mらに被害を伝えていないこと弁護人は,被害者が,本件性行為中に部屋に来た mに助けを求めていない点が,準強姦被害者の行動と整合しないと主張する。

たしかに,関係証拠によれば,被告人と被害者が部屋にいる間に,カラオケ店から戻ってきた mが, nを連れて被告人を捜しており, × × ×号室に内線電話を掛けたり,部屋を複数回訪れてドアをどんどんとノックするなどしたため,被告人は性行為を中断し,自らはベッドの脇に隠れた上,被害者に応対させ,被害者は mから被告人がいるかと問われて,いない旨答えたという事実を認めることができる。

mは被害者の友人の女子柔道部員である。

強姦されていたのならそのとき部屋に来た mになぜ助けを求めなかったのか。

裁判所は次のように判断している。

しかしながら,尊敬する柔道の指導者から突然,性的な被害を受けたという狼狽と混乱の中で,被害者がどのような対応をとるべきかとっさに判断できず,とりあえず指導者である被告人の指示に従ってしまったということは十分にありうることである。

また,被害者は被告人とは既知の間柄にあり,見ず知らずの者から襲われる場合とは異なる上, mに対する羞恥心もあるのであるから,被害者が直ちに mに対して助けを求めなかったとしても,不自然ではない。

また,弁護人は,被害者が,本件性行為後に部屋を出た際に, mや nに会ったときにも被害を伝えていない点を指摘するところ,関係各証拠によればそのような事実も認定することができる。

しかしながら,被害者は,その後まもなく,最も仲が良く,信頼できる友人である rや qを特に選んで被害を伝えている。

そして,その告知の仕方は,泣き崩れながら話をするなど,被害事実を訴えるというよりも,準強姦被害に遭遇して自分では抱えきれない衝撃を受け,その感情を爆発させるようにその心情を吐露しているのであって,被害者が当時置かれていた状況としてよく理解できるものである。

仲の良い友人の中でも被害者の述べるように親しさに程度の差があることは当然であって,はじめに人を選んで被害を伝えている点は,むしろ真に準強姦の被害にあったという供述の信用性を高める事情と評価することができる。

したがって、被害者がホテル室内から助けを求めなかったことは、準強姦被害者の言動として矛盾はない。

被害者が事後に被告人と 2人で話をしていること弁護人は,被害者が被告人からの呼出しに応じて被告人の部屋を訪れ,その後ファミリーレストランで 2人で過ごしていることが,準強姦被害者の行動と整合しないと主張する。

被害から一夜明け、被害者はファミレスで Case 43と 2人で会っていた。

するとホテルでの出来事は「被害」ではなかったのか。

裁判所は次のように判断している。

しかし,被害者は,被告人の指示に応じて被告人の部屋を訪れる際には,念のために親しい友人である qにエレベーターの前まで同行してもらい,携帯電話の電話帳の qの番号を開きっぱなしにしていつでも連絡ができるように準備して被告人の部屋に行くなどしており( f 32頁),被害者が被告人の部屋を訪れる際にも,相当な警戒感をもって被告人の部屋を訪れたことが認められる。

また,ホテルをチェックアウトした後,付近のファミリーレストランに二人で行っていることを認めることができるが,被告人は,被害者とレストランにおいて向き合っている最中に被害者に対し「大丈夫?」といったメールを送っている。

これは,被害者が,被告人とレストランに入ったものの無言のまま下を向いているために被告人が何とか被害者に話をさせようと送っているものと認められる( f 47頁)。

以上のように,被害者は,被告人の部屋を訪れ,また,ファミリーレストランに同行しているものの,これは柔道部指導者である被告人からそのように言われたために渋々それに従っているもので,その実体は,被告人が自ら犯してしまった行為について,黙りこくる被害者に何とか話をして事態を収めようと懸命に努力をしていた時間帯に過ぎない,と認めるのが相当である。

したがって、被害後に被害者がファミレスで被告人と 2人で会っていたことは、準強姦被害者の言動として矛盾はない。

さらに弁護人は執拗に、二人の性行為は同意のもとに行われたにもかかわらず、女が後になって強姦だったと言っているのだと主張する根拠を挙げている。

被害者に虚偽申告の動機があること弁護人は,被害者の証言は,当時の交際相手 t(以下,「 t」という。

)に被害を打ち明けた状況や時間帯等に関して客観的な通話やメール受送信の履歴と矛盾する,被害者がこのように客観的な通信履歴と矛盾した供述をするのは,被害者が tから送られてきていたメールを見て同人が極度に心配していることを知り,かつ,被告人にカラオケ店から連れ帰ってもらったことが他の柔道部員に知られていて,本件性行為中に mが部屋に訪ねていたことから,被告人との関係が周囲の柔道部員から tに伝わることを恐れ,同意の下で性交したことを隠し,準強姦被害をねつ造したためであるなどと主張する。

性交は同意の下で行われた。

被害者はしかし、自分と Case 43の親密な関係を隠すため、「我こそは被害者なり」という虚言で準強姦被害をねつ造した。

これが被告人側の反論である。

もしそれが事実なら被害者は虚言者。

事実でないなら被害者に対する酷い侮辱である。

裁判所は次のように判断している。

確かに,被害者は,「本件性行為の後,誰かに助けを求めたかったが携帯電話がなかったので部屋の外に出ると, mがいて,携帯電話が nの部屋にあることを聞き, nの部屋に行って携帯電話を受け取った。

2台とも充電が切れていたので × × ×号室に戻って充電し, 2台とも置いたまま qの部屋に行って qと rに被告人にやられたことを話した( f 18ないし 21頁)。

」と述べている。

他方,被害者の携帯電話には,午前 2時 22分及び 23分に合計 18件のメールが受信されており,この中に tからのメール 5件及び rからのメール 1件が含まれており(弁 17, 117頁),これらのメールは, tが被害者の状況を心配して送信したメールであると考えられる。

したがって,被害者が被害を打ち明ける前には, tのメールは既に被害者の携帯電話に届いていたことになる。

しかしながら,この受信時間は,まさに nが被害者の携帯電話を持ってカラオケ店を出た時間であり(甲 17, 9ないし 11頁,写真番号 12番,甲 45),誰も被害者の携帯電話のメールの受信操作をするはずがないのであるから,この時間に上記のようなメールが受信されているということは,被害者の携帯電話はメールの受信が自動受信の設定になっており, nがカラオケ店を出て,電波が通じるようになったことから,上記メールが自動受信されたと考えるのが相当である。

そして, qの供述によれば,同人及び rが被害者から被害内容を聞いた後, qの方から被害者に対して tに被害を伝えるかを尋ね,その結果,午前 4時 8分頃,被害者に頼まれて qから tに電話をかけて本件被害を伝えており( q 9頁),この点で qが殊更虚偽の供述をするような事情はない。

また,その後の午前 4時 15分に被害者の携帯電話の 1台が 4件のメールを一斉受信しているから(弁 17, 117頁),被害者の携帯電話は,午前 3時 20分にメール受信して以降に電源が切れ,その後に被害者の手元に戻り,午前 4時 15分の時点で電源が入れられたものとして被害者供述とよく整合する。

そうすると,被害者は tへの連絡とかかわりなく qらに被害を申告していると認められるのであるから,弁護人の指摘する点は本件被害に関する被害者の供述部分の信用性を左右しない。

また,前記 3( 2)に認定したとおり,本件性行為後の被害者の行動はとても演技としてできるようなものではないのであるから,この点からしても弁護人の主張は採用できない。

以上、裁判所は客観的な証拠である携帯電話の履歴の精密な検討に基づき、被害者が被害当日に正しく被害申告をしていると指摘している。

したがって、準強姦被害をねつ造したというのは、被害者に対する酷い侮辱である。

判決文は次のように結ばれている。

(量刑の理由)被告人は,指導者の立場にありながら,教え子である未成年が,共に飲食した際に酔って寝ているのに乗じ,性的欲求を満たすためだけに姦淫したのであり,被害者の心情を無視した被告人の行為は悪質である。

被害者は,事件のことなどを夢に見て眠れなくなり精神科を受診するなどしており,その衝撃は大きく,被害者が厳罰を望んでいるのも当然である。

また,被告人の行為によって,被害者は,それまで打込んできた柔道を奪われ,友人らとも別れ大学を離れなければならなくなり,人生を一変させられた。

それにもかかわらず,被告人は,被害者の名誉を傷つける内容の不合理な弁解に終始し,反省の態度がおよそ認められない。

オリンピック二連覇という輝かしい実績を持ち,今後の日本の柔道界を指導していくことが期待される立場でありながら,その立場を慕って指導を仰いできた女子学生の意に反してその性的な自由を侵害し,その心を踏みにじったのみならず,その後の言動により被害者の心と名誉を深く深く傷つけ続けた責任は極めて重い。

よって,主文のとおり判決する。

主文は次の通り。

判決は求刑通り、懲役 5年である。

主文

被告人を懲役 5年に処する。

未決勾留日数中 240日をその刑に算入する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

被告は判決を不服として控訴したが、 2013年 12月 11日、東京高裁が控訴棄却、有罪が確定している。

解説被告人の供述は全く信用することができない被告人は,被害者の名誉を傷つける内容の不合理な弁解に終始し,反省の態度がおよそ認められない という判決文記載の通り、 Case 43はたくさんの嘘をついている。

そして彼の嘘の内容は具体的である。

あらためて引用するのもどうかと思うので控えるが、カラオケ店からホテルに至るまで、二人がああなったそもそもの原因は被害者の行為にあるという主張を裏づけるため、虚言によって被害者の行為を実に具体的に創作し、事実無根の作り話によって被害者を酷く侮辱するという結果は、およそ普通では考えられない嘘であるといえる。

すると A氏は病的な虚言者だろうか。

もしこれらの虚言が日常の中でなされたのであれば、 Case 43が病的な虚言者である可能性は濃厚である。

しかし、法廷での供述となると、話はだいぶ変わってくる。

ここに、本書の他のケースとの大きな違いがある。

法廷とは、非日常の空間である。

真実を明らかにする。

正義を貫く。

裁判というとそういうイメージが一般的だが、法的な争いの実態は、「真実か否か」よりも「証明できるかできないか」という側面の方が強い。

特に刑事裁判では、有罪を証明されない限り、被告人は無罪である。

言い換えれば、限りなくクロに近い灰色でも、それが灰色にとどまる限り、被告人は無罪である。

すべてはこのルールを前提に進められる限り、法廷は、日常感覚から見れば、倫理的異次元空間になる。

罪の自覚があれば、素直にそれを認める。

この日常の倫理が、法廷では必ずしも有効には機能しない。

だから、「私はやっていません。

私は犯人ではありません。

冤罪です。

」 これが被告人の定番の主張の一つになる。

証明されなければ無罪であるというのがルールである以上、このような主張は必ずしも非難にはあたらない。

また、被告人の罪を可能な限り軽くするのが弁護士の仕事である以上、罪が証明されないという見込みがあれば、被告人とともに無罪を主張することは、弁護士の倫理にかなっていると言えよう。

しかも、性犯罪は特に証明が難しい事件の一つである。

行為は密室で行われるのが常だ。

だから目撃者はいない。

そして客観的な行為自体は犯罪ではない。

そこに「合意がない」という主観的事項が加わって初めて犯罪として成立するのである。

だから、「合意はありました。

強姦ではありません。

和姦です。

」 これが性犯罪の被告人の定番の主張の一つになる。

Case 43の主張もそうであった。

そしてこの主張を裏付けるために、細部まで具体的な作り話を創作した。

先にも述べたとおり、日常生活の中であれば病的な虚言の疑い濃厚だが、裁判という非日常の空間では病的とは言えず、特に性犯罪ではむしろ定番ともいえる争い方なのである。

さらに言えば、 Case 43の主張のすべてが純粋に彼自身の言葉か否かも、明らかでない。

法廷での被告人サイドの主張は、大きく次の 3つに分けられる: (1)純粋に被告人自身の言葉そのままの主張 (2)被告人自身の言葉を、弁護士が承認ないしは着色した主張 (3)弁護士の案を、被告人が承認した結果としての主張 法廷での被告人の主張とは、相手方の主張の信用性を攻撃し、自分を無罪に導くという目的を持ったものであって、弁護士がその道のプロである以上、また、公判に臨む前には被告人と弁護士が綿密な打ち合わせをしている以上、法廷での主張は上記の( 2)( 3)が主になるのが常である。

だからたとえば、「被害者が同意の下で性交したことを隠し、準強姦被害をねつ造した」のだという主張は、状況を精密に分析した弁護士から出た案すなわち( 3)であると推測でき、「カラオケ店内の廊下で被害者からキスをされ」たという主張は、 Case 43の言葉を弁護士が承認したすなわち( 2)であると推測できる。

一方、どう見ても虚言でそんなことを法廷で言ったらかえって裁判では不利になるような内容が出てくる場合の多くは( 1)の「純粋に被告人自身の言葉が主張になったもの」で、「カラオケ室内で被害者から口淫された」などはこれにあたると推測できる。

もっとも、最後の最後まで被告人の言葉を信ずるのもまた弁護士の倫理にかなった姿勢であるわけだから、実はこの裁判の被告人サイドの主張がすべて Case 43の虚言で、弁護士は代理人としての責務を粛々と果したに過ぎないという可能性も完全に否定することは出来ない。

そうであれば Case 43は病的な虚言者ということになるが、判決文からそこまで読み取ることには無理がある。

判決文に刻まれている Case 43のたくさんの嘘の供述。

弁護士の、結果としては被害者の名誉を著しく傷つける主張。

これらを読むと、 Case 43サイドはいかにも悪辣という印象を禁じえないが、この印象もまた日常空間内でのことであれば悪辣であるというのにすぎず、裁判という非日常空間では決して悪辣と非難されるような所業ではなく、むしろ自然、いや、「どこまでも被告人を擁護する」という刑事弁護人の使命からすれば逆に道徳にかなった行為であるとも言えるのである。

しかしそうは言ってもどうかと思うところはある。

弁護士は Case 43のために、不合理な主張を次々に繰り出した。

それは被告人サイドに立つ弁護士の倫理にそった行為なのかもしれない。

だがそれは虚言を促進する外的要因になったことは否めない。

そして判決が出てみれば「不合理な弁解に終始し,反省の態度がおよそ認められない」と、かえって Case 43への非難を強める結果になったことは否めない。

有罪を証明できなければ無罪。

無罪こそが最終目標。

だから無罪に向けてあらゆる手段を用いて戦う。

被告人のためだったはずの弁護が、結果的には被告人への非難をさらに強めたという一例が、この Case 43「金メダリスト A氏の性犯罪」である。

Case 44 小保方晴子氏第 3の万能細胞 2014年 1月 30日、若い女性研究者の写真とともに、読売新聞一面に大きく出た見出しである。

さらに理研チーム作成刺激与え「初期化」 STAP細胞 iPSより簡易がん化リスク低く と、明るい見出しが並んでいる。

以下、 Case 44の記載は 2014年 8月 13日までの信頼できると考えられる報道に基づいている。

すなわち、すべての記載はこれら報道が正しいという仮定の下にある。

この一面記事には、山中伸弥教授の、「重要な成果誇りに思う」というコメントも付されている。

山中教授が iPS細胞でノーベル賞を受賞してから 1年 4カ月。

その iPS細胞に続く第三の万能細胞が作成されたわけで、「ノーベル賞級の快挙」と報道されたのもまた当然の、華々しいニュースである。

だがこの 1ヵ月後の 2014年 3月 2日、 STAP細胞の論文の中に他の論文と酷似している箇所が指摘され、 3月 4日には学会が理研に事実関係の調査と公表を要求、 3月 11日には共同研究者の教授が論文撤回を提案、以後、話は急転開し、さらに 1ヵ月後の 4月 1日には、論文の画像は捏造であったとの結論が出された。

その論文の著者、一面の写真の若い女性研究者が、 Case 44、小保方晴子氏である。

では Case 44とはどのような人物か。

STAP細胞が華々しく発表された 2014年 1月 30日の読売新聞の別の面には次のように紹介されている。

リケジョ常識覆す という、一段と大きな見出しの下、かっぽう着姿の Case 44が笑顔でピペットマンを持つ大きな写真が掲載されている。

リケジョとは何か。

「理系の女子」である。

なぜかっぽう着姿なのか。

「祖母のかっぽう着愛用」と紹介されている。

同じ面にはさらに、山中教授の講演で奮起ピンクや黄色の研究室 とある。

つまり「山中教授の講演で奮起した理系女子が、ピンクや黄色の華やかな研究室で、白衣の代わりに祖母のかっぽう着を着て日夜研究に励んだ結果、快挙を成し遂げた」というのがこの紹介記事の要約になる。

女性の科学者を「リケジョ」と言い換えることにさしたる意義はなく、かっぽう着を愛用していることを前面に出すことに至ってはさらに何の意味もない、というのは Case 44の捏造が明らかになってから言えることであって、当時はこれら一つ一つが何か特別な輝かしいとことであるかのような雰囲気が日本社会に漂う状況にあった。

もちろん記事には Case 44の具体的な経歴も記されている。

早稲田大学大学院卒。

ハーバード大学などを経て、理研・再生科学総合研究センターユニットリーダー。

STAP細胞の論文が認められるまでは、論文を投稿した一流の科学雑誌から「細胞生物学の歴史を愚弄している」と痛烈な批判を浴びるなど苦労の連続だったが、めげずに努力を続け快挙を成し遂げた。

「 10年後、 100年後の人類社会への貢献を目指して一歩一歩進みたい」という Case 44の抱負で、記事は結ばれている。

この日の新聞各紙は STAP細胞の記事満載である。

読売新聞の別の面には最短 2日で作製日本の再生医学 確実に厚み生物学の常識覆る

という見出しの下、多くの傑出した科学者の驚き、期待、賞賛の声を添えて、 STAP細胞がいかに画期的で、患者の治療応用への希望がいかに大きいかが解説されている。

大阪読売新聞にはノーベル賞級の快挙専門家 驚きと称賛 という見出しの下、 Case 44が研究熱心なだけでなく、仲間とのコミュニケーション能力にも優れていたことが紹介されている。

この 2014年 1月 30日の新聞各紙での Case 44は文字通り輝いており、明るい希望が溢れ出さんばかりの華やかな紙面になっていた。

その後も、少なくとも各新聞紙面は、「リケジョの快挙」に酔ったかのごとく様相を呈していた。

だが前述の通り、 1ヵ月後には論文に疑いが投げかけられ、さらに 1ヵ月後の 4月 1日には、論文の画像は捏造であったとの結論が出された。

希望は紙面から文字通り溢れ出し消え去った。

輝いていた紙面は、虚偽データ、虚偽論文の証拠を記す惨めな紙面となって残された。

経緯を要約してみよう。

日付は新聞記事(一部テレビ放映)の日付、年号はすべて 2014年である。

1月 30日「第三の万能細胞」として STAP細胞が、 Case 44とともに華々しくデビュー 3月 2日 STAP細胞論文に疑問が投げかけられる 3月 4日学会が理研に迅速な調査と結果公表を要求 3月 11日 Case 44の共同研究者が論文撤回を提案 3月 15日理研が会見、 STAP細胞の論文は「極めてずさん」であり、 Case 44を「未熟な研究者」という言葉を用いて批判した。

理研の野衣理事長は「科学社会の信頼を揺るがしかねない事態。

多くの皆さんにご心配やご迷惑をおかけし、おわびします」と謝罪した。

これに対し Case 44は「単純な間違いだった」と主張した。

4月 1日理研最終報告。

Case 44が論文の画像を捏造した、研究不正があった、と断定された。

理研最終報告によれば、 STAP細胞論文掲載の画像は、 Case 44の博士論文と酷似しており、画像を取り違えることは考えがたく、「重要なデータの信頼性を根本から壊す危険性を認識しながらなされた」として、捏造と判断した。

華々しいマスコミ発表。

ところが一転、データが虚偽であることが暴露される。

当事者への称賛は非難に急転直下。

ここまでは本書 Case 22と同じパターンのストーリーである。

iPS治療の Case 22はその時点で事実上話は終わった。

だが STAPの Case 44はそれで終息することはなかった。

画像捏造・研究不正という理研最終報告が掲載された 4月 1日の新聞に掲載された Case 44のコメントより: 4月 1日「驚きと憤りの気持ちでいっぱい」「到底容認できません」「近日中に理研に不服申し立てをします」「改ざんの意図を持って作成する必要はなく、見やすい写真を示したいという考えから掲載したにすぎません」「単純ミスであり、不正の目的も悪意もありませんでした」等が新聞には掲載されている(この時点で Case 44には代理人弁護士がついている。

したがってこのコメントは弁護士を通してのものと思われるが、それについての明確な記載は記事にはなされていない)。

Case 44からの徹底抗戦宣言である。

そして数日後、 Case 44から理研最終報告書に反論する申立書が提出され、さらに Case 44自身が弁護士とともにテレビに登場し会見が行われた。

それらの要旨は次の通り。

4月 9日・自分の未熟さについての謝罪(「未熟」という言葉は何回も繰り返された) ・「 STAPはあります」・論文の画像の切り貼りは行ったが、見やすくするためであって、不正や捏造ではない。

・理研調査委員会の調査手続きには不適切な点がいくつもある。

(この他、情緒的側面や演出効果が認められ、それらも重要な所見であるが、省略する)

かくして Case 44問題は、いつ終わるとも知れない延長戦に突入する。

2014年 8月までの主な展開は次の通りである: 7月 1日理研が STAP検証実験を開始 (Case 44もこの実験に参加)(この検証実験は平成 26年 11月を目処に結果を公表すると、理研は「小保方研究ユニットリーダーが参加する「 STAP現象の検証計画」の進め方」と題する文書で述べている) 7月 3日 STAP論文撤回の文書がネイチャア誌に掲載 7月 4日日本分子生物学会理事長が、 Case 44の論文をめぐる研究不正の実態解明と、同解明完了までの STAP細胞再現実験の凍結を希望する表明を発表(理事長声明『 STAP細胞論文問題等への対応について、声明その 3』) 8月 5日 STAP論文共著者の理研発生・再生科学総合研究センター副センター長・笹井芳樹氏が自殺 8月 13日 STAP論文共著者の米ハーバード大バカンディ教授が 9月 1日付けで所属病院を辞任し 1年間の休暇に入ると発表解説 Case 44をめぐる事項は 2014年 8月 13日現在、進行形であり、軽率な論評や判定は控えなければならない。

そこで、本解説では、最も重要かつ確実な事実を出発点とする。

二点ある。

第一は、 画像の切り貼りは、科学論文の世界では、捏造と呼ばれる行為であり、明白な不正である。

という点である。

したがって、「切り貼りは行ったが、不正や捏造ではない」という Case 44の説明は意味不明である。

なぜ彼女はそんな意味不明の主張をしているのか? Case 44は会見で、自分は「未熟」と何度も繰り返しているが、いかに未熟な研究者であっても、画像の切り貼りが捏造・不正であることを認識していないなどとは考えられない。

そこで重要な出発点の第二が必須になる。

それは、 Case 44の主張として発表されているものは、弁護士を通しての間接的なものか、本人からの直接的なものであっても事前に弁護士との入念な打ち合わせがなされた上でのものであることは確実 という点である。

ひとつ前の Case 43の「金メダリスト A氏の性犯罪」で、法廷での被告人サイドの主張は、純粋に被告人本人の主張とは限らないことを指摘した。

すなわち、次の 3つに分けられる。

(1)純粋に被告人自身の言葉そのままの主張 (2)被告人自身の言葉を、弁護士が承認ないしは着色した主張 (3)弁護士の案を、被告人が承認した結果としての主張 これを便宜上「弁護士関与主張の 3型」と呼ぼう。

いやもちろん Case 44は被告人ではないし、裁判になっているわけでもない。

だがすでに代理人弁護士がついている以上、彼女の「切り貼りは行ったが、不正や捏造ではない」という説明は、弁護士の色がついた主張であり、したがって上の( 1)から( 3)、すなわち、純粋に彼女がそう言っているという可能性から、弁護士の案が彼女の口を通して語られているにすぎないという可能性までの幅がある。

弁護士が組み立てる戦略が裁判を模した形になることは当然に予想できるし、さらには弁護士は、将来裁判になることまで見据えた上で、現在の戦略を展開していることは間違いないとみていい。

で、本論に入る。

「小保方氏は病的な虚言者か?」 という質問を受けることは多い。

答えは「不明」である。

報道された情報からそこまでわかるはずがない。

本書で、基本的に Case 44という呼び方をしているのは、本書ではあくまでも報道されている情報が正しいと仮定して話を進めているためでもある。

報道されて

いる内容と、本人の実像が異なることはしばしばあると思われるから、いかに実名報道に基づくものであっても、 Case 44という呼び方を維持すべきであろう。

では 「Case 44は病的な虚言者か?」 という質問に対する答えはどうか。

これに対しては、次の A、 Bの二つの場合に分けて考えるのが適切であろう。

仮説 A 彼女は自分の行為が捏造・不正であることを認め、深く反省している 申立書や会見での、「不正でない、捏造でない」という強弁は、 Case 44の本意ではなく、実は彼女は深く反省しているのではないか。

つまり、「切り貼りは行ったが、不正や捏造ではない」という Case 44の主張は、先の「弁護士関与主張の 3型」の中の、 (3)弁護士の案を、被告人が承認した結果としての主張 なのではないかという仮定がこの Aである。

弁護士が組み立てる戦略は裁判を模した形になる。

さらには弁護士は、将来裁判になることまで見据えた上で、現在の戦略を展開している。

そして、裁判という倫理的異次元空間では、無茶な反論でもとりあえずしてみる という戦略がしばしば取られる。

常識的にはいくら無茶であっても、誤りが立証されなければ、その反論が通ってしまうことが期待できるからである。

しかし無茶といっても限度があるのだが、 STAPについては、どのくらいだと限度を超えた無茶な主張になるかは、弁護士にはわからないという特殊事情がある。

だから「切り貼りは行ったが、不正や捏造ではない」という荒唐無稽、意味不明の主張が前面に出されることになったのではないか。

いやこれは決して弁護士を非難しているわけではない。

いくら弁護士が争いのプロであるといっても、この Case 44は科学の世界の争いである(または、少なくとも、「だった」)という特殊事情がある。

それも最先端の科学の世界の争いである。

切り貼り云々が事実か否かまでは誰でも理解できても、そもそも実験そのものが適切だったかとか、 STAP細胞実在の信憑性などについては、ごく少数の専門家以外には判定出来ない。

もちろん弁護士にも出来ない。

つまり弁護士には真実はわからない。

わからないままに弁護をしている。

それは決して悪いことではない。

逆だ。

依頼人の利益のために、たとえ真実がわからなくても、最善を尽くす。

それが弁護士として当然の責務だ。

すると、弁護の戦略としては、 ・「 STAPはある」という Case 44の主張 ・「 Case 44が画像の切り貼りを行った」というもはや動かせない事実 の二点を前提としての有効な反論とはいかなるものかを考えることになる。

その結果、「画像の切り貼りは行ったが、捏造や不正ではない」という意味不明の反論が創出されたのではないか。

いま意味不明と言ったのは、科学という業界的には意味不明という意味である。

法的争いという業界的には話は違うのであろう。

弁護士としては、「捏造」「不正」について、別の観点からの定義を持ち出し、その定義上は、切り貼りは捏造にも不正にもあたらないという主張を組み立てていることが考えられる。

言葉の定義のレベル、そして立証手続きのレベルに争いのポイントを移行させるのは、裁判でよくある戦術である。

理研調査委員会の調査手法にいくつもの問題を指摘しているのも、これと同じ文脈で理解できる。

裁判での定番戦略に、相手方の主張の基礎となった手続きの不備を攻撃する というものがある。

法にそわない手続きによって得られた事実は、裁判では証拠として認められないからである。

定番といえばもう一つ、陪審員のいるアメリカの裁判では昔からの定番、そして裁判員裁判が導入された我が国の裁判でも定番になりつつあるのは、裁判員に情緒的にアピールするための演出

である。

この観点からすると、本人のテレビ出演というまたとない機会を活用するのは弁護士の方針としては当然すぎるほど当然である。

これを劇場型の争いと言い換えることもできる。

もちろん演出は情緒面に限定してなされるものではない。

会見で Case 44が繰り返し述べた自らの「未熟」という言葉。

弁護士が関与している以上、ここには少なくとも 3つの意図を読み取るべきである。

第一は、「切り貼りは行ったが、不正や捏造ではない」という主張の強化である。

すなわち、「画像の切り貼りが不正や捏造にあたるとは思わなかった」という Case 44の言葉に信頼性を付与するためには、彼女の「未熟」を強調することが必須。

弁護士はそのように考えたのであろう。

確かに論理だけで考えればこの戦術は成立するが、いかに未熟な研究者であっても、画像の切り貼りを不正や捏造でないと考えることなどあり得ないのは先に述べた通りである。

第二は、「謝罪」に伴う好印象である。

「自分の非を認めて謝罪する。

迷惑をかけた人々に謝罪する」という姿は、普遍的な好印象を持っている。

逆に、一切の謝罪を拒否すれば、それは反感を買うばかりである。

だから Case 44は劇場で謝罪する必要があった。

だが核心部分については決して謝罪せず、謝罪の対象は自らの「未熟」に厳密に限定されていた。

それでも「謝罪した」という姿は確実に人々の目に残る。

不正が曝露され窮地に追い込まれた Case 44に一人でも多くの擁護者を獲得するという目的において、この戦術はある程度の成功を収めたように見える。

第三は、責任の拡散である。

STAP細胞論文の著者は Case 44を含め 8名。

理研調査委員会によれば、捏造は Case 44単独で行われた。

では不正な論文の責任は誰にあるか。

たとえ不正・捏造が Case 44単独で行われたものであっても、科学論文のルールに従えば、責任は 8名全員にある。

法的にもおそらくそうであろう。

ここまではまず間違いない。

しかし、では 8名それぞれの責任の重みはどうなるのか。

また、科学や法律とは別の次元にある、社会の人々の目からみた責任はどうなるのか。

これらは今後の展開にかかっている。

弁護士は当然そこまで読んでいる。

この時、 Case 44の責任を、あるいは Case 44に向けられる非難を相対的に減弱するためには、「未熟な Case 44に対する指導者の監督責任」を指弾するのが、最も成功率の高い戦術である。

であれば、今の段階で「 Case 44の未熟」を強調しておく事がきわめて有力な布石になる。

「理研の共同研究者たちが負うべき責任を、若く未熟な Case 44がスケープゴートとして一身に負わされた」、これが弁護士の描く一つの最終像だ。

この戦術の実効果はどうか、それは STAP問題が最終段階にさしかかるにつれて明らかになって来るであろう。

劇場は会見のテレビ中継だけではない。

情報の出し方にも、いかにも弁護士らしい演出が認められる。

それは、 Case 44の実験ノートの一部公開である。

理研調査委員会は、 Case 44の実験は極めてずさんで、実験ノートも全く不十分であったことを指摘している。

対して Case 44の弁護士は、 2014年 5月、実験ノートの一部を公開し、「きちんと実験が行われた証拠だ」と主張した。

実験ノートの 1ページの写真は新聞にも掲載された。

これは、裁判員裁判でしばしば行われる戦術、しかも卑劣な手段として強い批判を受けている戦術に一致している。

すなわち、専門的な実験ノートを、しかもその一部を公開したところで、科学の専門家でない裁判官や裁判員に、その意味が理解できるはずがない。

したがってこの種の公開には実質的には何の意味もない。

だが、「何だか専門的なことが記録されているノートが存在する」という印象は残る。

そこから発展して、「弁護士の主張しているとおり、これはきちんと実験が行われた証拠なのではないか」と誤解される可能性がある。

これは明らかに欺瞞である。

だが、一般市民が審判員となっている劇場型の争いでは、有効打になり得る。

実験ノート全体を精密に検討した理研の専門家の判定に、一般市民の声という形で異議を唱えることが出来る可能性がある。

逆に、公開したことによる Case 44側のデメリットはまずない。

そのような計算のもとに実験ノートが公開されたと推測することが出来る。

そして最後に指摘すべきは、「 STAPはあります」という Case 44の印象的な発言である。

これも、科学の業界的には、実に奇妙な発言である。

STAP細胞が実在するかしないかということは、現在の論点とは何の関係もない。

ポイントは捏造・不正があったか否かであって、 STAP細胞の実在・非実在ではない。

科学論文とは、仮説を検証する作業の場である。

仮説を主張する場ではない。

最も重要なのは検証部分であって、そこに不正があれば、その時点でその論文は終了である。

仮説とはいかに斬新なものであってもそれ自体は放言であって、それが結果的に正しかったとしても、論文は蘇生しない。

科学の世界で発見者と呼ばれるのは、仮説の検証を実現した科学者であって、仮説を放言した預言者ではない。

にもかかわらず、 Case 44サイドは、 STAP細胞の実在・非実在を論点にしようとしているように見える。

これはおそらく、 STAP細胞が実在するということになれば、 Case 44の名誉は回復される、そういう感覚を弁護士は持っているのではないか。

「私自身のコツ、レシピがある」「第三者が再現、成功した」、こうした Case 44の発言には、弁護士との打ち合わせという雰囲気が色濃く見える。

もし将来どこかで STAP細胞の実在が証明されれば、「 Case 44は、実験の記録や論文の作成は未熟で不備であったが、自身のコツ、レシピによっていち早く STAP細胞を証明した」と、現段階の発言を裏付けることができる。

現時点で「第三者が再現、成功した」という発言も、その第三者がどこの誰であるかを伏せる限り、検証のしようがない。

2014年 4月 10日読売新聞に、労働問題に詳しいとされる弁護士のコメントがある。

「STAP細胞の存在が確認されれば解雇は重すぎるということになる可能性がある」 Case 44は解雇されたわけでもないし、このコメントは「可能性」を指摘しているにすぎないし、弁護士の自筆でない以上、元のコメントとはニュアンスが異なっていることも考えなければならないが、法の世界の人間として、 STAP細胞の実在・非実在に重きをおいていることは明らかに読み取れる。

おそらく多くの法律家はそのように考えるのであろう。

そして多くの人々もそのように考えるのであろう。

第三の万能細胞への社会の期待も大きいものがある。

STAP細胞はあるのかないのか。

その方が一科学者の不正の有無よりも社会にとってははるかに大きな関心事だ。

だがこのように考えていくこと自体、 Case 44をめぐる事項から論点が逸れている。

STAP検証実験について、日本分子生物学会は、理事長声明という形で厳しく批判している。

論文不正にかかわった著者らが再現実験に参加するなど、不正に対して適切な対応をしないことは「税金という形で間接的に生命科学研究を支えていただいている国民に対する背信行為」と断じ、研究不正の実態解明が済むまでの間、「 STAP細胞再現実験の凍結」を理研に対して希望している。

私もこの理事長声明に賛同する。

いや「私も」などと偉そうなことを言うような話ではない。

理事長声明は全く当然のことを述べているにすぎない。

そもそも明白な不正によって捏造されたデータを、なぜ再現する必要があるのか。

再現実験にも相当な研究費がかかるはずだ。

そしてその研究費の源は税金である。

不正解明の前に検証実験を行うなど、愚行中の愚行だ。

と言いたいところだが、ここはどうしても解せないところでもある。

理研ともあろうものがなぜこんな愚行を? おそらくこれは「愚行」ではないのであろう。

おそらく外部からは読めない何らかの理由があるのであろう。

それは理研のいわば「大人の事情」だ。

この「大人の事情」の実態は、徐々に明らかになってくると私は予想している。

以上、「彼女は自分の行為が不正・捏造であることを認め、深く反省している」という仮説 Aを前提としての論であった。

Case 44は本当は不正・捏造を認めての謝罪したかったのだとしても、不正も捏造も認めないほうが有利であると弁護士が考えたとすれば、それは Case 44を 100%擁護する立場の弁護士としては正当で賞賛されるべきことである。

仮説 B 彼女は、一連の行為を反省していない 仮説 Aとは逆に、申立書の反論の文言をはじめとする Case 44の主張は、弁護士の案ではなく、ほぼすべてが彼女の本意であるというのが仮説 Bである。

すなわち、報道されている Case 44の強弁はすべて、先の「弁護士関与主張の 3型」の中の、 (1)純粋に被告人自身の言葉そのままの主張 にあたるという仮説である。

この場合は、 Case 44が、本書に紹介してきた病的な虚言の類型のどれかに当てはまる可能性が大きく高まる。

「虚言のキーワード」に照らして検討することもできそうだが、事実が仮説 Aか仮説 Bか不明の段階でそのような作業を行うことは適切でないと考えられるから、検討は控える。

なお、仮説 Aと仮説 Bの折衷とも言うべきもう一つの可能性が残っている。

「弁護士関与主張の 3型」の中の、 (2)被告人自身の言葉を、弁護士が承認ないしは着色した である。

すなわち、理研調査委員会調査結果発表後の Case 44の主張のうち、一部は純粋に Case 44自身の主張で、その主張を強化し、来るべき法的争いまで視野に入れて、弁護士が他の主張を追加したという仮説である。

弁護士とは代理人であって、依頼人の主張を尊重するのは当然であるから、仮に Case 44が、「切り貼りは行ったが、捏造や不正の意図はなかった」「実験は 200回以上成功した」と本当に言っているのであれば、それを最後の最後まで信じ、最大限に強化・擁護する戦術を編み出すのは、弁護士の倫理にかなった仕事であろう。

ただしこれら Case 44の主張が、仮に虚言であった場合、この弁護士の努力は、虚言の外的な増幅促進要素に、それもかなり強力な増幅促進要素になることは避けられない。

それが結局は本人のためにならないことは、本書 1章のいくつもの実例の中に見ることが出来る。

逆に虚言を虚言と素直に自覚し、自己改善努力をし、さらに周囲の協力もあれば、本書 Case 2のように、希望が視野に入って来る。

そのための周囲の協力とは、虚言を虚言と認めることであって、虚言を世の中に通用させてしまう手助けをすることではない。

仮にの話であるが、法的戦略によって黒を白と言いくるめようとする弁護がもしなされているとすれば、それは Case 44の虚言人生のプレリュードを後押しするだけの営みとなりかねないのである。

あとがき嘘は低劣で非難されるべきもの。

アリストテレスだ。

虚偽はそれ自体、低劣で非難されるべきものであり、真実は美しく、賞讃されるべきものである。

[注 1]嘘は人間としての尊厳の放棄。

カントだ。

嘘言は、自己の人間としての尊厳の放棄であり、いわばそれを撤廃することなのである[注 2]。

嘘つきは火刑に処するのが当然。

モンテーニュだ。

うそをつくというのは、呪われた悪徳である。

われわれはことばを持っているし、そのことばによっておたがいに結びついているからこそ、人間なのだ。

だから、うそをつくことのおそろしさや、重大さを認識していれば、他の罪にもまして火刑に処するのが当然だと考えるのではないか[注 3]。

嘘つきは厳しく非難される、それが人間界の掟だ。

ではもし虚言者が、あるいは虚言者の一部が、病気ということになったら、非難はどこに行くのか? 嘘の脳科学は急速に進んでいる。

米国では嘘を見抜く脳検査がすでに商業化されている[注 4]。

近い将来には、病的な虚言の脳所見が解明されるかもしれない。

病気とは何か。

精神の病気とは何か。

心の病気とは何か。

曖昧だ。

ではもし脳に所見があれば、それは病気ということになるのか。

脳の検査手法が進歩すれば、うつでも、不安でも、妄想でも、性格でも、盗癖でも、放火癖でも、そして虚言癖でも、それぞれに対応する脳所見が見出されるであろう。

すると病気か病気でないかは、一体なにをもって定義するのか。

私たちは何を非難し、何を擁護すればいいのか。

精神の病とは何か。

虚言はこの問いの難しさを正面から人につきつける現象である。

虚言癖、虚つきは病気か。

本書に答えはない。

材料はある。

44のケースが、答えを探る材料である。

その 44のケースの多くは、出版という形での公開の可能性を前提に、私のサイト「 Dr林のこころと脳の相談室」( http:// kokoro. squares. net/)にお寄せいただいた、たくさんの皆様の貴重な体験に基づいている。

心から感謝申し上げます。

また、本書の出版にご尽力いただいたアマルゴンの宮崎綾子さん、インプレスさんに深く感謝申し上げます。

2014年 8月 林公一[注] 1.アリストテレス『ニコマコス倫理学』第 4巻 第七章「ほら吹き、真実を言う人、とぼける人」朴一功訳 京都大学出版会 京都 2002 p. 185. 2.カント『人倫の形而上学』第二編「人間の、単に道徳的存在としての自己自身に対する義務 Ⅰ嘘言について」樽井正義 池尾恭一訳 岩波書店 東京 2002 p. 303. 3.モンテーニュ『エセー 1』 宮下志朗訳 白水社 東京 2005 pp. 68-69. 4. No Lie MRI, inc. http:// www. noliemri. com/

参考文献 1章 DSM-Ⅳ-TR. American Psychiatric Association 2000野村総一郎『「こころの悩み」の精神医学』 PHP新書 1998年佐村河内守『交響曲第一番 闇の中の小さな光』 文庫版 幻冬舎 2013年文春 e-books『堕ちた“現代のベートーベン” 「佐村河内守事件」全真相 神山典士 +『週刊文春』取材班』 2014年 2章村上春樹『ノルウェイの森』(上)(下) 講談社文庫 1991年 3章菅又淳 詐欺累犯者の精神医学的・犯罪生物学的研究 精神神経学雑誌 58: 458-509, 1956( Case 31)保崎秀夫ほか Muenchhausen症候群について 精神医学 14: 583-588, 1975( Case 32) Asher R: Munchausen’ s Syndrome. Lancet I; 339, 1951.

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