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25  経験によるカンを磨く

25経験によるカンを磨くカンと科学。どちらにかたよってもよくない。その二つを車の両輪のように使っていくべきではないか。 ――会社の今後を大きく左右する決断を迫られています。私は体験上、必ず成功すると確信しているのですが、事前に行なった調査の結果はあまり芳しいものではありませんでした。私のカンを信じて行うべきか、調査結果を重んじてもう少し様子を見たほうがよいのか、迷っているのですが……。松下  カンでものを考えていいか悪いかという問題ですね。私は両方だと思いますね。しかし、いろんなことを科学的に決めていっても、やっぱり最後に、そこにカンが働かなかったらいかんのやないかと思います。実は、多少それとは違う例ですけど、最近私は会社に行きまして驚いたことがあるんです。自分の会社の内情を言うていかがかと思うんですが、いちばんよく知っている例ですのでお話しします。  本社が地方の事業場から、報告書を取っておるんですな。それが二百四十種類あるんです。事業場の数は百ぐらいあり、一つひとつみな仕事が違うんですね。内容が違うんです。製品の種類も何千種とありますから、多少ややこしくなっています。それにしても二百四十種類の報告書を取っているんです。毎日取るものもあれば、月一回取るものもある。  それで私は驚いたんですよ。なんでこんなに報告書が要るのか。だれがこれを読むのか。つくる人もたいへんやし、読む人も読めるのか。あした会社がつぶれるというなら別だ。それに関係のないものは、全部やめてしまってくれと、こういう話をした。そうしたら四十二に減りました。そういうことを起案した人は大学を卒業した人ばかりですわ、(笑)どっちかというと。つまり理論的にものを考える人ですね。  そのうちのいちばん顕著な例は何かというと、電子計算機を使っていたんですね。営業本部にはきょうの全国の売上げが、翌日の朝ピチッと出ますのや。それで、「これなんぼ費用要るんや」と聞くと、「月に三百六十万円要ります」と。そこでね、ぼくは「これはムダやな」と言うたんですよ。「いやこれ便利ですよ」「便利やいうたって、きのうの売上げがきょうの朝ピシッと手もとに来て、それによってつぎは何をなすべきかというときにのみ、それが必要である。しかしただ集めただけで何もしてないやないか。うちの商売はそんなことしなくても、五日に一ぺん報告があったらだいたい分かるし、毎日売る品物だったら、だいたいどれぐらい売れてるかということはカンで分かる。カンで分からんような人間はもうあかんのや」と。(笑)  それでぼくはこれをやめさせたんです。電子計算機は要らんと。それは非常に便利のいいものです。だから、朝その数字を握って、昼からこういう手を打つというような商売であれば、これは必要ですわ。うちは、そんなことをする必要はないんです。電子計算機をおいてみると、そういうことをしなくてはならんようになってくるんですな。便利やからというて、要らんものはやってはいけない。私のような会社は、九〇パーセントは経験によるカンで正確にものができます。そのうえに一〇パーセントの科学的なものを乗せたらそれでいいというわけです。  しかし将来、何百万というお得意先を一カ所でピチッと統制して販売していくについては、電子計算機も必要やと思いますね。そういうときになったらまた使おうやないか、それまでは電子計算機はお預けで、経費を浮かしてくれと言うているんです。  私はカンでいいときと、科学的にしていかないといかんときがあると思います。しかしわれわれの商行為においては、カンのほうがまだ役立つんやないかと思いますね。  また科学においても、カンのない科学者はダメやそうですな。ほんとうの偉大な発明をする人とか、またエジソンのような神のごとき人でも、結局はカンによるところが大きい。彼は汽車の車掌のようなことをやったり、かま焚きなんかをやったりしているうちにホッホッと浮かぶひらめき、カンですな、そのひらめきによって科学というものをつくりあげたわけです。私はそういう意味においてカンが必要であるというような感じがしますね。  カンと科学というものはやはり車の両輪だと思いますね。カンにかたよってもいかんし、科学にかたよってもいかん。われわれ経営者というものは、その二つを車の両輪のように使っていったらいいという感じがしますね。〔一九六四〕

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