2025年– date –
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E建設の業種転換
通称ク佐藤塾クという勉強会がある。わたしが塾頭をつとめ、地元静岡市の熱心な若手経 営者が集まって、長期計画を実践する会である。 E建設の専務が佐藤塾に入ってきた当時、彼の会社は年商五億円であった。専務の父親が 社長で、失礼ながら旧いタイプの... -
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自社ブランド開発で飛躍した食品問屋Y社
Y社は、現在売上三〇〇億円をあげる優良な食品問屋である。 ところがY社が佐藤塾に入った当時は、地元の老舗ではあるが、売上三〇億円の典型的な 地方問屋にすぎなかった。しかも食品の問屋さんは数が多すぎて、「利益を減らしてもシェ アをとる」ような... -
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家電量販店P社の野望
わたしも向こう意気の強さでは、人に負けないと思っていたが、P社の社長の鼻息には太 刀打ちできなかった。P社長がわたしの塾に入りたいと訪ねてきたときのことである。 「先生、わたしは上場するために今の事業をやっている。上場の仕方を教えてほしい... -
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Jスポーツ社長の夢と現実
佐藤塾に入りたいと、J社長が訪ねてきた。 「今やっているスポーツ用品の小売事業を、わたしの代で何としても、売上一〇〇億円企 業にし、上場させたい。それも店頭からではなくていきなり二部上場したい。佐藤塾の生徒 に知人がいるが、しっかりと事業を... -
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「借金を返すだけ」の事業
D精機は、年商二〇億円、社員約一〇〇人の平均的な中小メーカーである。 当初は機械工具を造っていたが、四、五年前からOA機器の製造を始め、ここ数年、売上 を順調に伸ばしてきた。D社長とは、業界も近いせいか、いろいろな会合で顔を合わせるこ とも... -
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自社の機械は自分で作れ
仕事は順調であった。当時の千代田光学(現コニカミノルタ)が最初のお客となってくれ た。納品した部品は精度もよく納期も確実と好評で、注文が殺到してとてもさばき切れない ほどであった。もっと機械を入れたかったが購入資金がなかなか貯まらない。夜... -
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下請けからの脱皮
自動旋盤の自製増設をしながら、部品下請けの仕事は順風満帆であった。社員も二〇人を 超えるころであったと思う。鈴木社長がやってきて言うのには、 「佐藤君、これからは部品の下請けの時代じゃない。下請けをやっている限り会社は大き く成長しないよ。... -
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中小企業の世界進出
会社を設立して一〇年ほどたったころだと思う。また鈴木社長が突飛なことを言いだした。 「佐藤君、これからの製造業は輸出しなければだめだ。日本の国内のお客さんだけを相手 にしていたんでは伸びない。輸出を考える」と。 社長の言わんとすることは、分... -
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社長は「会社の方向づけ」をする人である
最初の輸出ができて三年後の一九六五年に、頼りにしていた鈴木社長が逝去された。 実は鈴木社長がもともとご病弱であったことや、本業として時計の卸業をされていたこと から、スターの方は非常勤の社長であった。わたしは専務という肩書で、月に一度か三... -
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業種転換しないとつぶれる
「おい、スターはこのままいくとつぶれるぞ」 山田社長が就任して二回目の役員会のときである。社長から「つぶれるぞ」と、いきなり の話だ。当時、利益が一億円以上でていて、地元の合理化モデルエ場の第一号に指定され、 少なくとも「つぶれるぞ」などと...