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2章 ノルウェイの森の虚言者

2章 ノルウェイの森の虚言者

Case 25 緑 Case 26 美少女 L

『ノルウェイの森』は、村上春樹が 1987年に発表しベストセラーになった長篇小説である。

『ノルウェイの森』には二人の虚言者が登場する。

本書では一人目を Case 25、二人目を Case 26とする。

まずは一人目が出てくる場面。

主人公にあたる男子学生ワタナベの大学の同級生である小林緑が、家族のことをワタナベに語る。

上 p. 133(村上春樹『ノルウェイの森』(上) 講談社文庫 1991年。

以下、本章の引用はこの文庫本の(上)または(下)から)お母さんが死んだとき、お父さんが私お姉さんに向ってなんて言ったか知ってる? こう言ったのよ。

『俺は今とても悔しい。

俺はお母さんを亡くすよりお前たち二人を死なせた方がずっと良かった』って。

私たち唖然として口もきけなかったわ。

だってそう思うでしょ? いくら何でもそんな言い方ってないじゃない。

この場面に登場しているのは三人。

父。

姉。

緑。

この中に虚言者 Case 25がいる。

この後の父の行動を緑が語る。

上 p. 133「お父さんは去年の六月にウルグァイに行ったまま戻ってこないの」「ウルグァイ?」と僕はびっくりして言った。

「なんでまたウルグァイなんかに?」「ウルグァイに移住しようとしたのよ、あの人。

馬鹿みたいな話だけど。

軍隊のときの知りあいがウルグァイに農場持ってて、そこに行きゃ何とでもなるって急に言い出して、そのまま一人で飛行機乗って行っちゃったの。

私たち一生懸命とめたのよ、そんなとこ行ったってどうしようもないし、言葉もできないし、だいいちお父さん東京から出たことだってロクにないじゃないのって。

でも駄目だったわ。

きっとあの人、お母さんを亡くしたのがものすごいショックだったのね。

それで頭のタガが外れちゃったのよ。

それくらいあの人、お母さんのことを愛してたのよ。

本当よ」 緑の父は最愛の妻を失った後、軍隊時代の友人のいるウルグァイに移住すると言い出したのだ。

そして。

上 p. 134「そしてウルグァイに行っちゃったの。

私たちをひょいと放り捨てて」 父は本当にウルグァイに行ってしまったのだ。

その後、父からの便りはと言うと。

上 p. 134「一度だけ絵ハガキが来たわ。

今年の三月に。

でもくわしいことは何も書いてないの。

こっちは暑いだとか、思ったほど果物がうまくないだとか、そんなことだけ。

全く冗談じゃないわよねえ。

下らないロバの写真の絵ハガキで。

頭がおかしいのよ、あの人。

その友だちだか知りあいだかに会えたかどうかさえ書いてないの。

終わりの方にもう少し落ちついたら私とお姉さんを呼びよせるって書いてあったけど、それっきり音信不通。

こっちから手紙を出しても返事も来やしないし」 父から来たのは絵ハガキ一枚。

その後は音信不通。

一体ウルグァイで何をしているのか。

娘である緑は、緑の姉は、父に会いにウルグァイに行く意思はあるのか。

上 p. 135「それでもしお父さんがウルグァイに来いって言ったら、君どうするの?」「私は行ってみるわよ。

だって面白そうじゃない。

お姉さんは絶対に行かないって。

うちのお姉さんは不潔なものとか不潔な場所とかが大嫌いなの」「ウルグァイってそんなに不潔なの?」「知らないわよ。

でも彼女はそう信じてるの。

道はロバのウンコでいっぱいで、そこに蠅がいっぱいたかって、水洗便所の水はろくに流れなくて、トカゲやらサソリやらがうようよいるって。

・・・」 ウルグァイの実情がどうであるかはともかく、姉は行く意思なし、緑は行く意思ありだ。

すると緑は父が好きなのか。

そう聞かれた緑は、とくに好きってわけではないと答える。

ではなぜわざわざウルグァイまで行くと言うのか。

ワタナベの問いに緑はこう答える。

上 p. 136

「信用してるからよ」「信用してる?」「そう、たいして好きなわけじゃないけど信用はしてるのよ、お父さんのことを。

奥さんを亡くしたショックで家も子供も仕事も放りだしてふらっとウルグァイに行っちゃうような人を私は信用するのよ。

わかる?」 わかる? 何となくわかるような気もする。

ワタナベもそう答えている。

上 p. 136僕はため息をついた。

「わかるような気もするし、わからないような気もするし」緑はおかしそうにわらって、僕の背中を軽く叩いた。

「いいのよ、べつにどっちだっていいんだから」と彼女は言った。

二人の会話はここでいったん終わる。

それから何ヶ月かが過ぎたある日曜日、ワタナベは緑に誘われてお茶ノ水に行く。

そして歩きながらどこに行くのかと緑に尋ねる。

行き先と目的を聞いて、ワタナベは驚愕する。

下 p. 64「病院よ。

お父さんが入院していて、今日いちにち私がつきそってなくちゃいけないの。

私の番なの」「お父さん?」と僕はびっくりして言った。

「お父さんはウルグァイに行っちゃったんじゃなかったの?」「嘘よ、そんなの」と緑はけろりとした顔で言った。

「本人は昔からウルグァイに行くんだってわめいてるけど、行けるわけはないわよ。

・・・」 そして二人は緑の父が入院している大学病院に着く。

緑の父は脳腫瘍で、「はっきり言って時間の問題ね」と緑は言う。

実際に病院で緑の父を見たワタナベは、彼にはもはや生命力というものが殆どないと感じる。

事実、まもなく緑の父は他界する。

つまり、父はウルグァイに行ったという緑の説明は、嘘だった。

縁が Case 25である。

嘘と言っても、誰も何の被害も受けていない。

まあ罪のない軽い嘘だ。

罪のない軽い嘘に見える。

『ノルウェイの森』に登場するもう一人の虚言者 Case 26と比べてみよう。

発端はレイコという中年女性の話だ。

レイコは自分の体験をワタナベに語る。

彼女は若い頃はプロのピアニストを目指していた。

だが紆余曲折あった後(その間にレイコは精神科病院に 2回入院している)、近所に住む中学 2年生の女の子にピアノを教えることになる。

こんな子だ。

上 p. 223天使みたいにきれいな子だったわ。

もうなにしろね、本当にすきとおるようにきれいなの。

あんなきれいな女の子を見たのは、あとにも先にもあれがはじめてよ。

髪がすったばかりの墨みたいに黒くて長くて、手足がすらっと細くて、眼が輝いていて、唇は今つくったばかりって言った具合に小さくて柔らかそうなの。

私、最初見たとき口きけなかったわよ、しばらく。

それくらい綺麗なの。

『ノルウェイの森』に登場する二人目の虚言者 Case 26とは、この美しい少女に違いないと予想されるであろう。

その通り、正解である。

レイコは語る。

上 p. 225「まあ順番に話していくとね、その子は病的な嘘つきだったのよ。

あれはもう完全な病気よね。

なんでもかんでも話を作っちゃうわけ。

そして話しているあいだは自分でもそれを本当だと思いこんじゃうわけ。

そしてその話のつじつまをあわせるために周辺の物事をどんどん作りかえていっちゃうの。

でも普通ならあれ、変だな、おかしいな、と思うところでも、その子は頭の回転がおそろしく速いから、人の先にまわってどんどん手を加えていくし、だから相手は全然気づかないのよ。

それが嘘であることにね。

だいたいそんなきれいな子が何でもつまらないことで嘘をつくなんて事誰も思わないの。

私だってそうだったわ。

私、その子のつくり話を半年間山ほど聞かされて、一度も疑わなかったのよ。

何から何まで作り話だって言うのによ。

馬鹿みたいだわ、全く」「どんな嘘をつくんですか?」「ありとあらゆる嘘よ」 この少女――便宜上、以後は「美少女 L」と呼ぶことにする――は、「ありとあらゆる嘘」をつき、「なんでもかんでも話を作」り、「話しているあいだは自分でもそれを本当だと思いこんじゃう」。

虚言キーワード、 ○虚言の瞬間は無自覚や ○虚実の混乱にあたる。

Case 1の「嘘ばかりの夫」、 Case 2の「自分を守ろう、よく見せようとて大量の嘘をつく」、 Case 11の「自分の嘘を本当だと思ってしまう」、などにも見られた、病的な虚言者によく見られる特徴である。

そして、病的な虚言の巧妙さには様々なレベルがあるが、美少女 Lは「人の先にまわってどんどん手を加えていくし、だから相手は全然気づかないのよ。

それが嘘であることにね。

」、すなわち相当に巧妙な虚言者である。

普通なら嘘はばれて非難されることが、その後の嘘を抑制することになるが、巧妙な虚言の才能があると、そういう抑制の機会が得られず、虚言はどんどん増幅していく。

Case 10の「一度嘘をつき始めると、ストーリーやセリフがどんどんわいてきてしまう」などにも見られた一種の才能、虚言キーワードでいえば ○増幅促進(内的要因)である。

このような虚言では、「私、その子のつくり話を半年間山ほど聞かされて、一度も疑わなかったのよ。

何から何まで作り話だって言うのによ。

」ということがしばしばある。

上 p. 225

「今も言ったでしょ? 人は何かのことで嘘をつくと、それにあわせていっぱい嘘をつかなくちゃならなくなるのよ。

それが虚言症よ。

でも虚言症の人の嘘というのは多くの場合罪のない種類のものだし、まわりの人にもだいたいわかっちゃうものなのよ。

・・・」 ここでレイコが口にした虚言症 mythomaniaは、一応は医学用語だが、現代の公式の診断基準の中にはこの病名はない。

したがって公式の定義というものはないが、美少女 Lのような人物は虚言症と言って良い。

ただし「虚言症の人の嘘というのは多くの場合罪のない種類のものだし」というレイコの説明は正しいとは言えない。

罪のある種類のものもあれば、罪のない種類のものもある。

「まわりの人にもだいたいわかっちゃうものなのよ」についてはさらに正しくない。

嘘とは、ばれたときに初めて嘘とわかるものである。

虚言症の人の嘘の中には「まわりの人にもだいたいわかっちゃう」ものももちろんあるが、逆にわからない場合(ばれない場合)は、そもそもその人が虚言症であることがわからないわけだから、「まわりの人にもだいたいわかっちゃうものなのよ」というのは、虚言症の嘘の中のある一部を指した説明にすぎない。

美少女 Lの嘘は、「罪のない嘘」どころではない。

ある日、ピアノのレッスンに来た美少女 Lは、レイコに性的アプローチをかける。

レイコは拒否しようとする。

下 p. 19それで私、全身の力をふりしぼって起きあがって『止めて、お願い!』って叫んだの。

でも彼女止めなかったわ。

これに続くレイコの話。

下 p. 20その子、そのとき私の下着脱がせてクンニリングスしてたの。

私、恥かしいから主人にさえ殆どそういうのさせなかったのに、十三の女の子が私のあそこぺろぺろ舐めてるのよ。

参っちゃうわよ、私。

泣けちゃうわよ。

それがまた天国にのぼったみたいにすごいんだもの。

『止めなさい』ってもう一度怒鳴って、その子の頬を打ったの。

思いきり。

それで彼女やっとやめたわ。

そして体を起こしてじっと私を見たの。

私たちそのとき二人ともまるっきりの裸でね。

・・・ レイコはついに美少女 Lを殴った。

美少女 Lは行為をやめた。

以後、彼女はレッスンに来なくなる。

1ヶ月後、近所に住む友人が、最近レイコについて悪い噂が流れていることをそっとレイコに伝える。

下 p. 25そして、彼女の話によるとね、噂というのは私が精神病院に何度も入っていた札つきの同性愛者で、ピアノのレッスンに通ってきていた生徒の女の子を裸にしていたずらしようとして、その子が抵抗すると顔がはれるくらい打ったっていうことなのよ。

話のつくりかえもすごいけど、どうして私が入院していたことがわかったんだろうってそっちの方もびっくりしちゃったわね。

虚言者が他人を中傷する際の、かなり典型的なパターンである。

このように、部分的に事実を(しかも、普通は人の知らない「とっておきの事実」を)織り混ぜることにより、話の信憑性を高めるのは非常によくあることだ。

下 p. 25彼女の話によるとある日—つまりあの事件の日よね—その子が泣きはらした顔でピアノのレッスンから帰ってきたんで、一体どうしたのかって母親が問いただしたらしいのよ。

顔が腫れて唇が切れて血が出ていて、ブラウスにわざと血をつけて、ボタンちぎって、ブラジャーのレースを破いて、一人でおいおい泣いて目を真っ赤にして、髪をくしゃくしゃにして、それで家に帰ってバケツ三杯ぶんくらいの嘘をついたのよ。

そういうのありありと目に浮かぶわよ。

殊更に自分から語るのではなく、「一体どうしたのかって母親が問いただした」というように、「言いたくなかったけど、聞かれたから言った」という形を取るのも、虚言によって人を中傷する際の常套手段である。

そして母は美少女 Lの話を完全に信じた。

そして誰かに話した。

それを聞いた誰かが誰かに話し・・・、以下同文で、レイコの信用は地に墜ちた。

絵に描いたような冤罪。

ところで、実際の裁判では、物的証拠が重んじられる。

目撃証言や被害者証言だけで起訴がなされることもあるが、証拠としては弱い。

だが弱くても、物的証拠がない場合には、そうした証言の信用性が裁判で検討されることになる。

この時、証言内容に矛盾があれば、その証言は信用性に欠けるとされるのは当然である。

部分的に事実が織り交ぜられていたとしても、プロの裁判官はそんなものには騙されない。

他方、証言内容に矛盾がなく、かつ、生き生きとしていれば、「実際に体験した者でなければ語れない具体性と迫真性を持っているから、その証言は信用できる」と判断されて有罪の判決が下される可能性が著しく高まる。

だが美少女 Lのような知能の高い虚言者がレイコについて語ったように、矛盾のない内容を生き生きと具体的に見事に虚言した場合はどうか。

現実の裁判で、虚言者の証言による冤罪が多発していなければいいのだが。

虚言の冤罪被害にあったレイコは、美少女 Lを非難する。

当然のことだ。

下 p. 26あの子は体の芯まで腐ってるのよ。

体の芯まで腐っている。

最大限の非難である。

しかしレイコはこうも言っていたのである。

上 p. 225その子は病的な嘘つきだったのよ。

あれはもう完全な病気よね。

最大限の非難。

そして病気だという判定・・・。

では Case 26、美少女 Lは病気だろうか。

少なくともレイコは「完全な病気」と言っている。

その一方で、「あの子は体の芯まで腐ってるのよ」と非難している。

すると病気であることは、非難されるべきことなのか。

他のこころの病を考えてみる。

うつ病も、統合失調症も、かつては病気とみなされていなかった。

人々から非難される対象になることも多かった。

だが現代では病気とみなされている。

病気とみなされれば、非難される理由は消滅する。

病気になったことについて本人に責任はない。

適切なのは非難でなく擁護である。

では虚言症はどうか。

病気だから非難されるべきではないということになるのか。

少なくとも現代の常識では、そうはならない。

嘘つきは、最大限の非難の対象になるというのが常識である。

ただし本書はまえがきにも記した通り、どちらの立場も取らない。

嘘つきに対し、非難も擁護もしない。

病的な虚言は非難されるべきなのか。

非難されるべきだとすれば、どのような非難が適切なのか。

非難されるべきでないとすれば、どう扱われるのが適切なのか。

この問いは読者の叡智に委ねるのが、本書の基本姿勢である。

虚言が病気かどうかについて、もう一つつけ加える。

Case 26、美少女 Lの虚言については、「あれはもう完全な病気よね」というレイコの説は、かなり納得できるものである。

では『ノルウェイの森』に登場するもう一人の虚言者、 Case 25、緑はどうか。

父がウルグァイに行ってしまったと真っ赤な嘘をついた緑はどうか。

先に私は緑の嘘を、 まあ罪のない軽い嘘だ。

と書いた。

緑の嘘は確かにそう見える。

少なくとも美少女 Lに比べれば全く罪などない。

だが私は続けてこう書いた。

罪のない軽い嘘に見える。

なぜこう書いたか。

なぜ「見える」と書いたか。

「罪のない」の部分についてではない。

事実、罪のない嘘だ。

そう「見える」のではなく、事実だ。

しかし「軽い」のほうは、そうとは限らないという意味で「見える」と書いた。

なぜか。

緑の嘘には、メリットがないからだ。

美少女 Lの嘘には、メリットがある。

自分の望む性的関係を結ぶことを拒絶したレイコに復讐してやろうという理由がある。

その意図が正しいとされるかどうかはともかくとして、「憎い相手を陥れてやる」という意図は、正常心理として理解できる。

それに対し、緑の嘘には理由が見えない。

自分の父親の動向について嘘をついてワタナベをだましたところで、緑には何のメリットもない。

「虚言のための虚言」だ。

嘘は誰でもつく。

だがそれは目的あってのことである。

何らかの利益を得るため。

たとえば名声を得るため、金銭を得るため、地位を得るため。

そうしたものがなければ、嘘をつく理由がない。

だから虚言キーワードのうち、 ○メリット欠如――虚言のための虚言 は、特に重要なものと言える。

メリットが欠如した虚言とは、すなわち「虚言のための虚言」であって、正常な嘘とは一線を画している。

このようなケースでは、なぜ嘘をつくのか、他の人には全く理解し難い。

だからこそ病的とされるのである。

1章、 Case 23の音楽家の虚言は明らかなメリットがある「自己利得のための虚言」だったのに対し、 Case 22の科学者の虚言にはメリットが見出しにくい。

あえて動機を探れば自己顕示ということになるが、あれだけの虚言を作り上げる努力に見合ったメリットがあるとは考えにくく、「虚言のための虚言」の様相を呈している。

だから Case 22の方が、精神医学的にはより病的な虚言であると言える。

Case 25、緑の嘘には、メリットがない。

Case 26、美少女 Lの嘘には、メリットがある。

するとメリット基準に従えば、病的なのは美少女 Lではなく、緑のほうである。

というのが理屈だが、現実感覚としてはこの理屈は受け入れ難い。

直感的には美少女 Lのほうが病的である。

なぜか。

虚言キーワードのうち、緑よりも美少女 Lのほうに顕著なものは何かと考えてみる。

それは ○甚大な被害

すると、美少女 Lのことを「あれはもう完全な病気ね」と言えるのは、被害の大きさ、迷惑の大きさということになるのか。

それは「虚言を非難する」時には確かに適切な基準だが、「虚言を病的と判断する」時の基準とは違うのではないか。

何をもって病的な虚言とするか、それはかなり難しい問題なのである。

さらに言えば、虚言することで本人にメリットがあるか・ないかというのも、なかなか単純には判定できない。

緑の嘘には本当にメリットがないのか。

たとえば、緑は父を深く愛しており、そんな父が、「愛する妻を亡くしたショックでウルグァイに行ってしまった」と信ずることが、緑にとって心地よかったという解釈も可能である。

そしてそんな父を「信用している」という自分を演じ、そういう自分をワタナベに見せることによって、ワタナベから好意を持たれようとしている、という解釈も可能である。

このように深読みしていけば、嘘によるメリットはいくらでも想定することができる。

すると緑の嘘は、本人にとってメリットをもたらす正常範囲の嘘という判定に転ずることになる。

しかし、ワタナベが病院で見た、死の床にある老人は、本当に緑の父だったのか。

実は父はウルグァイに行ってしまったというのが本当で、病院にいたのは赤の他人だったのではないか。

と、そこまで疑うと、なにが何だかわからなくなってくる。

レイコについてもそうである。

美少女 Lは虚言者。

だがその判断は、専らレイコの話に基づいている。

レイコ自身が虚言者という可能性はないのか。

ある。

実は性的に誘惑したのはレイコの方で、それを拒絶した美少女 Lに対してレイコは暴力をふるった。

そういう美少女 Lの話のほうが正しいという可能性を否定する根拠もまたどこにもない。

虚言の真実を追究しようとすると、どこまでも終わりのない迷路に迷い込む。

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