新規事業の一番必要なものを体得する
ミスミで新規事業に10年間任命され続けた中で、 一番記憶に残っているのは、27歳のときに手掛けた動物病院向けの業務用カタログ通販事業だ。
この事業は、機械工業系の専門商社であるミスミにとって、初めて手掛ける、既存市場・既存製品とは縁もゆかりもない「飛び地」の新規事業であり、私にとっても初めて「業界に革命を起こした!」と感じられる新規事業だった。
商売としては動物病院向けのアスクルみたいなもので、注射器やガーゼ、包帯、ペットフードなど、動物病院で必要となるエトセトラを紙のカタログで販売する事業である。
この新規事業を1997年に2名で立ち上げ、初年度3億円の売上、その5年後には総勢6名の体制で、全国8千件の動物病院のうち6千件を顧客とし、売上20億円までもっていくことができたのだ。
だが、じつはこの事業の立ち上げに至るまでに5年の年月を要していて、且つその間に、私は2度の大失敗を起こしていた。いま振り返ると、その失敗から起業家人生で一番大事なことを学んだので、その学びを、時系列に述べていきたいと思う。
「参入のモノサシ」とは
1つ目の学びは、「なぜ新規事業をやるのか」を明確にして、「なんの事業をやるべきか」の判断ができるモノサシが必要だということである。
当時、ミスミの顧客である工場がどんどん海外へ進出していたため、それに足並みを揃えてミスミも海外へ事業展開を進めていた。結果的に、グローバルには成長を遂げているが、お客様がみんな海外へ出て行ってしまうため、国内の成長は鈍化することが明らかだった。
そこで、これまでの機械工業系の専門商社という本業から、飛び地への展開を目指すこととなるのだが、困ったことに、ミスミには飛び地で新規事業をスタートした知見がなかった。
そこで、「どうせなら、 一番アタマのいい人に新規事業のやり方を教えてもらおう」ということで、なんと田口さんは、世界のトップコンサルティング会社マッキンゼー日本支社にコンサルを発注したのだった。
ちなみに、当時のミスミはまだ上場もしておらず、従業員も250名程度の中堅商社といったところだ。昼休みには、本社の屋上でバレーボールをしている牧歌的な雰囲気で、どこにでもある、ほのぼのとした昭和の会社という雰囲気である。
そんな会社がマッキンゼーに、「ウチの新規事業を手伝ってよ」と発注したわけである。
それだけ田口さんが飛び地での新規事業に本気だったとはいえ、これは普通のことではない。マッキンゼーのコンサルタントたちも、「僕たち、普通はこの規模の会社からのオファーは受けません」と言っていたほどだ。
「普通は受けません」と堂々と言ってしまうマッキンゼーには苦笑するしかなかったが、彼らが示した新規事業のモノサシはすさまじく納得のいくものだった。
それは、これまでミスミの中になんとなく漠然とありながら、誰も示すことのできなかった我々の強みを、切れ味鋭く可視化していた。それは、以下のとおりである。
■武器をもたずに飛び地に飛ぶな。
■本業で培った強みをもとに飛び地に展開しろ。
■ミスミには「勝ち方の型」がある。
■「勝ち方の型」は、非効率が散在していて、その非効率を集約できて、そこに経済原則が働いていたら、カタログ通販で参入するのだ。
このマッキンゼーの示した「新規事業のモノサシ」が、新規事業のスタートとしてどれほど重要かをご理解いただくために、ミスミの経営戦略やビジネスモデルを、ここで簡単に説明しておきたい。
「販売」代理店から「購買」代理店ヘ
「非効率が散在していて、その非効率を集約できて、そこに経済原則が働いていたら、カタログ通販で参入する」という、マッキンゼーが示した「勝ち方の型」は、田口さんがミスミを売上500億円規模に育て上げる中で確立した、「ミスミモデル」の骨組みを言い換えたものである。
ミスミは1963年に電子機器やベアリングなどを販売する小さな商社として誕生した。創業後間もなく、プレス用の金型部品としてノックピンという商品を取り扱いはじめるが、当時の役割は、自動車や電機メlヵlなどの顧客に対し、金型部品メーカーに代わって商品を売ること、つまり「販売代理店」であった。
しかし、工具屋と呼ばれる中小販売会社は当時全国に1万社近くあり、扱っている商品はどこも同じで、工場に言われた製品をメーカーから取り寄せてもってくるだけ。自然、価格競争となり、薄利多売の商売であった。
そんな中、昔ながらの駆け引き中心、酒を酌み交わしながらモノを売っていく商習慣が苦手だった田口さんは、「お客さんの欲しいものを調達(買う)して、それを売る」という発想に商売を転換しようと思い立った。
つまり、自分たちのつくったものをお客さんに売るという、販売者側に立った「販売代理店」から、顧客の困りごとやニーズを起点に商品をつくって売る「購買代理店」へと、そもそもの事業の視点を移したのだ。
もともと金型の素人だった田口さんは、とにかくお客様の意見を聞いて回り、その中から最大公約数的なものを抽出して商品を開発し、それをもってお客さんに「これでいいか」と尋ね、良ければ注文をいただくというやり方でしか売ることができなかったために、顧客側に立つ「購買代理店」の考え方が自然と萌芽したという。
ちなみに、ミスミが飛躍する最初のきっかけとなったヒット商品「ウレタンスプリング」というウレタンゴムを使ったバネも、従来のゴム製のスプリングだと油に弱くてすぐダメになるというお客さんからの要望をもとに田口さんが開発したものであり、以後、ミスミの事業開発は終始一貫、この考え方に基づいている。
そして、この購買代理店という発想で金型の業界を見てみると、従来の仕組みでは供給側の都合で買い手側に不都合を強いた仕組みゆえの、おびただしい非効率が散在していた。顧客にとっての最大のムダは、部品調達に膨大な時間がかかるという点につきる。それまでの金型部品は、金型部品メーカーが顧客ごとそれぞれのカスタム仕様で製造するのが通常であった。
たとえば印刷機械のトナーカートリッジを製造する設備は、約1500点の部品から成っている。したがって、この設備をつくるためには、まず設計者が1点1点の部品について図面を1枚ずつ描いていくところから始まる。
平均すると1枚につき30分はかかるので、1500点の作図には750時間も費やされる計算になる。設計者の負担は大変なものだ。
そうして図面がすべて完成してようやく、部品をつくってくれる加エメーカーに何社も相見積もりを取るのだが、その回答が返ってくるのにも1週間程度はかかってしまう。その後、選定メーカーに発注してから納品までさらに2週間かかる。
つまり、作図と合わせて約1000時間を要するわけだが、この実態をもう少しマクロの視点で考えてみると、製造業は日本国内に約38万社あり、各社が年1つの設備を更新すると仮定して、38万社×1000時間×時給3000円という計算で、年間約1兆円の間接コストが「部品調達」に浪費されていることになる。
製造業は日本のGDPの約2割を構成する基幹産業なのに、時間とコストにおけるムダがこれほど存在しているのは大きな問題である。
この課題解決のために、ミスミでは部品の標準化をおこない、これをカタログに載せて売った。これまで特注品としてすべて図面を描いて設計しなければならなかった部品それぞれの共通仕様をまとめ、部品の寸法や仕様一覧表から選ぶだけで発注できる、通信販売のカタログをつくったのである。
機械などの回転軸となるシャフトを例にとると、お客様が必要なシャフトの長さ、太さ、形状、材質、表面処理などの仕様をそれぞれカタログに沿って選んでいくと型番ができ上がり、その型番のみで発注ができるので作図が不要になる。
さらに、このカタログ内に掲載されている各々の商品には、定価と納期を明示しているので、営業マンがいなくても顧客は注文できる。見積もりにかかる労力も不要となった。
そうなると、買う側としては値引きなしの定価販売だとしても、部品調達にかかる膨大な時間を短縮できることを考えると、欲しいものを圧倒的な短納期で納めてくれるミスミに注文しようということになる。
結果として、売り込みや価格交渉は不要となり、お客様からは「ミスミは営業に来ても売り込もうとしない。ただ、何か困ったことはないか、不満はないか、必要なものは何かと、根掘り葉掘り聞き出そうとするだけだ」と珍しがられながらも、我々を選んでくださるのだ。
その一方で、金型部品をつくるサプライヤー側にも革命を起こした。部品を半完成品の状態で在庫し、顧客の注文があってから最終工程を仕上げる「ハーフメイド製造」という仕組みを構築することで、多品種少量の注文にも短納期で応え、かつ在庫を軽減できるという大きな価値を提供したのである。
仕組みの概要はこうだ。まず、仕様に合わせて海外のローコストカントリーの大規模な工場で半完成品を大量につくる。
それを船で国内各地の最終仕上げ工場に送っておき、ミスミ経由でお客様の注文が来てから、消費地の工場で少し削ったり、先端だけ斜めにカットしたりするなどの最終加工をおこない、注文どおりに最終仕上げをして出荷するという流れだ。
この方式ならば、全国の提携工場は受注があって初めて生産できる。要するに、トヨタ生産方式の一個流しと同じコンセプトなのだが、このシステムにより提携工場も流通業者であるミスミも多大な在庫をもつ必要がない。
顧客とサプライヤー双方にメリットをもたらすこの「ミスミモデル」を構築したことで、ミスミは最後発ながら金型の市場に食い込み、「標準化部品」という新市場でトップシェアを握ることとなったのである。
社長は「モノサシ」を示せ
こうして、「ロット単位でしか注文は受けません」「納期は2〜3週間かかります」という、従来は生産者の都合にユーザーがしたがう金型業界の常識を覆し、「顧客が必要なとき、必要な量だけ、納期を守って供給する」という顧客側に立った「標準化部品」という新市場を生み出したミスミであるが、これを可能にしたのが、あらゆるものを持たない「持たぎる経営」という戦略である。
持たぎる経営とは、自社の本質の活動に注力し、「他のことは、餅は餅屋にお任せします」という経営スタイルのことだ。
メーカーではこれを「ファブレス経営」と呼んでいるが、当時のミスミも同様に、自社工場はもたず、製造は全国の金型製造工場と提携して、自身はひたすら顧客のニーズに沿った商品を企画することに経営資源の多くを集中させていた。
そのため、ヒト・組織においても顧客ニーズの変化に即応するという戦略に沿って、固定化されたものをもたなかった。
これについて田口さんいわく、「部や課のような硬直した組織があると、市場の急速な変化に対応できないばかりか、組織を残すためにムリに仕事をつくり出してしまう」ということで、事業ごとに「やりたい」と手を挙げた人がメンバーを集め、目的が達成されたら解散し、また別の事業で再編成されるという「ユニット制」を採用していた。
したがってミスミでは、「辞令は下りてくるものではなく、みずからが意志をもって勝ち獲るもの」であった。
さらに、社員の給料も会社側からは生活最低保障給として支払われるが、上乗せ分はそのチームの業績次第となるため、リーダーは最小の人数で売上をいかに伸ばすかという経営者の視点でチームを見るようになり、各メンバーも自身の報酬と売上が直接結びつくことになるので、自分ごととなって必死に顧客の声に耳を傾けようとするのだ。
そういうふうに顧客価値を生み、事業を伸ばすと手取りが増える設計だったため、全社員がいわば起業家で、皆が自然と顧客志向を追求するようになっていたのである。
マッキンゼーのチームは、こうしたミスミ特有の経営戦略やビジネスモデルを分析し、鮮やかにミスミの強みをあぶり出してくれた。
それが、「ミスミは、″非効率が散在していて、その非効率を集約できて、そこに経済原則が働いていたら、カタログ通販で参入するクというやり方でこれまで勝ってきたから、飛び地でも同じようにやればいい」というものである。
たしかに、たとえばプレスという分野の担当チームはプレスのカタログをつくってプレスに参入し、ファクトリーオートメーション(FA)のチームはFAカタログをつくって参入し、切削のチームも接続部品のチームもそれぞれの分野にカタログで参入し…と、ミスミはこれまで金型の隣接地にカタログ通販で参入し、事業領域を拡大してきた。
だから、知見のない飛び地でもそのノウハウをもって飛び込めば、強みを生かすことができると納得でき、我々はすんなりと参入市場を決められたのである。
全員が同じモノサシを手に入れたことにより、「このモノサシにあてがうと、ここの産業に参入できる、ここにも参入できる」と、非常に論理的かつ前向きに参入市場を話し合うことができた。
いま思い返してみても、新規事業の成功にはこの点が大変重要で、ミスミでは全社員が、
「なぜ、自社は飛び地の新規事業をやらねばならないのか」
「どういうビジネスを手掛けるべきか」
この2点を理解していた。もしこれらが明確になっていなければ、こんなにすんなりと、有意義な議論はできなかったと断言できる。
さらに、ミスミには「新規事業で生産財の流通革命を起こす」という、明確なビジョンも掲ビジョンとは、「新規事業により、どういった世の中を実現していきたいのか?」という、プロジェクトの根本になるもので、まだ顕在化していない新たなニーズを生み出そうとしている我々にとって、新たなビジネスチャンスを考える非常に重要な助けとなった。
そもそも田口さんは、金型部品の標準化に挑戦する前夜、ミスミの社長に就任してから2年目の1971年に、「みんな、我々は未だ未整備な生産財の分野で流通革命を起こそう」というビジョンを全社員を前に掲げ、金型の世界でミスミモデルを確立して新市場をつくった。
当時、消費財の世界では流通経路を短縮し、価格破壊の流通革命を起こしたダイエーやイトーヨーカ堂などのスーパーマーケットが台頭し、消費者に便利で値段も安い流通システムづくりが進んでいたが、生産財の市場は依然として、生産者の都合でユーザーに不便や不利益を強いている時代であった。
しかし田口さんは、「モノ不足の時代からモノ余りの時代、工業化社会から情報化社会へと変質しているのだから、モノよりもサービスを重視し、生産者よりも消費者が中心となるシステムを構築しなければ生き残れない。生産財の世界で″何を、いつ、どのくらい、いくらで欲しいクというユーザーのニーズに対応できる付加価値の高い流通システム、生産システム、そして情報システムを構築して、生産財の流通革命を展開していこう」と、社員に語っていた。
事実、金型事業で構築した独自のビジネスモデルを生かして、ミスミはその後もFA部品関連、切削工具、自動機部品など勝手の異なる市場に進出し、新たな市場を創造することで次々と成功をおさめてきたというのは前述のとおりである。
数字でいうと、1976年から1991年までの15年間で、ミスミの売上高は27倍、経常利益率50倍へと伸びており、また利益率からみても一般の商社を大きく上回る高収益企業へと急成長を遂げている。
1991年の売上高は212億円であるが、その内訳は約147億円のプレス金型の事業を筆頭に、3つの事業が立ち上げから3年で20〜30億円規模に育ち、そのすべてが後発組として市場に参入した商品であるにも関わらず、である。
このように、「新規事業により、こういった世の中を実現していきたい」というビジョンがしっかりと掲げられ、飛び地の新規事業をやる理由が明確で、どんな事業を手掛けるべきかのモノサシを与えられたお陰で、スピードをもって事業開発に入ることができたのだ。
ただ、新規事業のスタートにおいて、ビジョンやモノサシが明確になっている企業はほとんどない。とくに大企業によく見られることだが、トップが何の方向性も示さないばかりに、いつまでたってもスタートラインにも立てない「魔の展開」が繰り返されるケースが非常に多い。
たとえば、新年度になり事業開発室という部署ができる。そのタイミングで動かせる人を集めただけの混成チームに、年度内に「何か」を生み出せと指示が飛ぶ。「何か」とはまさしく「何か」であり、実務担当者や経営者も含め、誰も強く具体的な思いを描いていないし、それに対する熱意もない。
それでも何か生み出さねばと、担当者が「こんな事業はどうでしょうか?」とお伺いを立てるも、トップや経営層が、「それはわが社でやるべきなのか」「もっとわが社の強みが生かせる事業はないのか」など、みずからが示し決断すべきことを問い返し、気づけば、「誰も答えを出せない、出さない社内会議」が続き、最終的には「生めない、生まない事業開発室」に至るという、冗談みたいな惨事が其処彼処で起きている。これが、わが国の社内起業の99%で再現されている「魔の展開」である。
ちなみに、私は田口さんのもとで、最初から当たり前のようにモノサシが示されていたが、独立後、とある他社の新規事業に参画させてもらったときに、この魔の展開に遭遇することとなり、当たり前のことが当たり前になされない状況に歯がゆさを感じてきた。繰り返しになるが、とにかく一歩踏み出してみなければ事業は生まれない。だから新規事業を本当に成功させたいのであれば、経営者はまず「決める」必要がある。
もちろん、皆さんの会社にそのままミスミのモノサシをあてがうことはできないが、いずれにしても、経営者はまず、「なぜ新規事業をやるのか」を明確にし、「何の事業をやるべきか」を判断するための、全社共通のモノサシをもたなければならないということだ。
覚悟と当事者意識をもって方針を示す。本業で当たり前にやっていることを、新規事業でも当たり前にやるべきだという話である。
【私が得た教訓】
o社長は新規事業の「モノサシ」を示し、全社員と共有せよ
「なぜ新規事業をやるのか」を明確にして、「何の事業をやるべきか」の方針を示さないと、いつまでたっても事業は生み出せない。
・新しい市場の創造にはビジョンが必要
大切なのは「未来をつくる」という意識。まだ顕在化していないニーズの発掘には、未来の「あるべき姿」からの逆算で本質的な価値に気づくことができる。
・強みを把握して生かす
何の事業を手掛けるか、という点においては、自社の強みにフォーカスする。
・新規事業を成功させるために、経営者はまず「決める」必要がある
決めれば始まる。決めないから始まらないのだ。
3
コメント