◇見出しと段落の目立ち効果を活用する◇本題の一本道を同じスピードで説く
チャーチルの原則
第二次世界大戦序盤の1940年、苦戦していた英国にて、首相チャーチルは次の通達を政府の全部署に出した。
「我々の誰もが、職務を遂行するために膨大な報告書を読まねばならない。その報告書のほとんど全部が極めて長すぎる。どこに要点が書いてあるのかを探すのに、時間と体力を無駄にしている。報告書を短く書くように、私は同僚職員諸君に次の点を求める。
- ①報告書は、短く、仕分けの利いた段落を並べて作れ。
- ②報告の根拠となる、詳細な分析や、複雑な事情、統計データなどが添付できる場合でも、それらは別紙付録に追いやれ。
- ③表題と見出しだけのメモ書きは、長文の報告書にしばしば勝る。メモ書きでは不足する情報は口頭で補えばよい。
- ④曖昧な言い回しはしない。
「次のような懸念もまた留意することが重要と言える」や、「この懸念が現実味を帯びることについて検討があってしかるべきであろう」などだ。
これらはただの水増しであり、削除できるし、一単語で置き換えることもできる。短い表現をためらうな。くだけた言い回しでも構わない。
この原則で書かれた報告書は、はじめのうちは従来のお役所言葉に比べて粗く見えるかもしれない。しかし、大いに時間を節約できるし、重要点をきれいに記述することは明晰な思考を助ける。」要は「繁文縟礼」を戒めているのだ。
この考えは、現代でも輝きを失っていない。英語圏で出版されている作文術の教科書では、たびたび引用され続けてきた。むしろ現代の方が、極めて悲惨な状況である。
電子メールなどの長文が職場で乱発されるようになり、メールの読み書きをするだけで、一日の仕事時間が尽きてしまうこともある。紙の書類も多すぎる。
あるオフィスビルでボヤがあり、火元の階はスプリンクラーが作動して水浸しになってしまった。
机の上ばかりでなく棚や通路際にも書類の山が積んであったが、それらはぐっしょり濡れてしまい、廃棄せざるを得なかった。
だが、それらが片付けられて職場がスッキリし、むしろ仕事がはかどるようになったという。積んである書類は、おそらく捨てられるし、捨てるべきということである。
チャーチルの原則を踏まえつつ、マニュアルの書き方を詳しく述べていこう。
◆文書は短くシンプルに。
◇全てを1ページ以内に収める
マニュアルは、全ての内容が「A4判1ページ片面」に収まるようにコンパクトに作る。どんなに長大で複雑な作業であっても、1ページに収める。
1ページ以上の長さのマニュアルは、読み手が内容を覚えきれなくなる。複数ページのマニュアルは、作業中にページをめくらせることになり、それが原因で、気が散ってミスが増える。
だが、この説は、明らかに無理だと思われるのではないだろうか。たとえば、大型飛行機の製造工程のマニュアルを、たった1ページに収められるとは到底思えない。
しかし、機械工学の世界では、「たとえ大型飛行機であっても、あらゆる機械の設計図は一枚紙に収めろ」という原則がある。
まず、全体図を一枚紙に収めて、全体がいくつの部分で構成されているかを大雑把に理解する。
全体図では、縮尺の都合上、各部分の詳細は描き込めていないが、それはその部分用の一枚紙を別に用意して、そこに描けばよい。
世界地図は、一枚の図面となっているからこそ、世界各国の位置関係が理解できる。
仮に、世界地図に日本のある県の情報も詳しく併載しようと欲張ると、縮尺の倍率をぐっと上げるしかなく、総勢数万枚の世界地図が出来上がるが、これでは情報の洪水になってしまう。
「モンスという町は世界のどこにあるか?」と言われても、広い地図の中からは探し出せまい(ちなみに答えはベルギー)。世界地図と分県地図とは分けて作ればよく、それなら両方ともそれぞれ一枚紙に収まる。
機械設計図が1ページ以内の原則で運用されているならば、マニュアルだって1ページに収まるはずである。
1ページに仕事の全情報を載せようとすると無理であるが、仕事全体の大局的な流れを指示するページと、特定作業の細かい手順の指示をするページとを分けて書けばよい。
作業員が自分の担当部分である1ページを見るだけで事足りるようにできるはずである。
千利休は、ある人から茶道の極意を教えてほしいと乞われ、次のように答えた。
「茶は服(飲み加減)のよきように。炭は湯の沸くように。夏は涼しく冬は暖かに。花は野にあるように。刻限は早めに。降らずとも雨の用意。相客に心せよ(客に関心を向け、丁寧にもてなしなさい)。」有名な「利休七則」である。
問うた人がそれくらい誰でも知っていますと返すと、利休は「これができるのなら私が弟子になりましょう」と答えたという。ここでは、たった7つのルールしか述べていない。
作業中の人間が頭の中に留めて置ける情報量は、これくらいが限界である。この本もマニュアルであるから、当然、1枚に収めるべきである。
マニュアル作成の勘所を抽出し、巻頭に一枚紙として配置した。また、各項の末尾には要約を付け、枠で囲った。忙しい方はこれらだけを読めば事足りる。
◆マニュアルは一枚紙に収めよ。それであふれた情報は、別の一枚紙に分担させよ。
◇現場の「虎の巻」を採取する
自分の職場が、全何十冊にも及ぶ長大なマニュアルを使っているとする。これを一枚紙に縮めることは不可能だと思える。
しかし実際には、マニュアルが長ければ長いほど、一枚紙に収める作業は簡単になるという逆説的な現象が起こる。
「うちの仕事は、ものすごく複雑なんだ。マニュアルを一枚紙に収めるなんて、到底不可能だ!」と、お嘆きの方ほど、すでに職場には一枚紙マニュアルが存在しているという有利な立場にいる。
長いマニュアルは、誰も読み切れないし、そもそも読んですらいない。狭い机に分厚いマニュアルを置いて、忙しい仕事の最中にページをめくることなど非現実的である。
そんなことをしている作業員など、実際の職場でほとんど見かけない。
たまに例外的な仕事に当たった人が、その例外的な手順を調べるため、本棚からマニュアルを引っ張り出す程度である。
熟練の作業員なら、仕事の要領を丸暗記しているから、マニュアルを見ないで仕事ができる。
新人の作業員はそうはいかないので、先輩から「虎の巻」や「カンニングペーパー」と呼ばれる紙片をもらって、それを頼りに仕事をしている。
虎の巻は、ハガキ大程度の一枚紙であり、ポケットに入れられるようにしてある。そこに書かれている情報は、仕事を進める上で知っておくべき必要十分な情報である。
歴代の先輩から受け継いで改良を重ねた内容であるから、実に簡にして要を得ている。順を追ってなすべき行動を指示し、間違えやすい点を警告するが、それ以外の余計な情報は排除してある。
現場に出回っている虎の巻を採取し、それを正式なマニュアルとして認めて、大々的に配布してあげれば、作業員はずいぶんと助かる。
ただし、虎の巻は、非公式に勝手に作られたものであり、各現場の個別の事情や、先輩の独断が混入しているおそれがある。内容に間違いがないか、普遍的に通用するものかを、点検し修正してから正式版とする。
◆長大なマニュアルが存在する職場には、一枚紙がすでに存在する。
◇レシピ調で説明する
料理のレシピ本は、競争が激しいだけあって、非常に優秀なものが多い。
優れたレシピ本を真似して、自分の職場のマニュアルを書くだけで、ずいぶん使いやすいマニュアルが書けるはずである。レシピ本は工程を一手一手、順を追って記述している。
まずこうする、次にこうすると、時系列で手順を指示している。
これも、マニュアルなら当たり前ではないかと思われるであろうが、こうなっていないダメなマニュアルが多いのである。ダメなマニュアルは、ルールブックのような体裁である。
「第1条、熱湯を注ぐことは、蓋が開いているカップラーメンならば許される。第2条、作業員は未開封のカップラーメンの蓋を開けることができる。」という風に、行動の許可と不許可を、手順を無視して羅列してある。
読者は全条読み通して、自分は何をどの順ですればよいのかを逆算せねばならない。
こんなに意地悪なルールブック調マニュアルではあるが、執筆者にとっては非常に都合がよい。
第一に、書く作業が楽になる。規則や法律がすでに存在するならば、それをそのまま丸写し(コピペ)すれば事足りる。そして大抵の場合、規則や法律の類はすでに存在するのである。
また、ルールブック調をレシピ調に組み替えて説明しなおす手間を逃れることができる。ルールから手順への変換作業は簡単ではなく、作業をよく知っていないとできない。
そこで間違えてしまうと有害なレシピ調マニュアルが出来上がってしまうが、その責任は執筆者に降ってかかる。
ルールブック調ならレシピ調よりも短く書ける傾向にある。行為の許可と不許可だけしか書かないので短くて済むのだ。
道路交通法は200足らずの条文しかないが、世の中のあらゆる交通シーンでの許可される運転を指定できている。
これをレシピ調で書こうとすると、許可される運転を実現する手順まで書かねばならず、その説明は膨大になる。
このように、ルールブック調は執筆者にとって都合がよい。それゆえ、この種のマニュアルが多く世に出回っているのだ。
規則から手順へ言い換える仕事は、本来は作業を指示し監督する側が請け負うべきものだ。現場の作業員に、押し付けてはいけない。
◆「次にする行動」に説明を集中する。
◇見出しと段落の目立ち効果を活用する
文書は、多分に視覚的な要素を含んでいる。新聞の見出しが代表例である。我々は、見出しだけを読んで、ポイントを大まかに理解し、それで済ませている。
新聞の全文を一文字一文字、順に読むことが読書としては正式ではあるが、これは時間がかかり、理解も難しくなる。ポイントだけを読む方が、全文に目を通すより、頭の中がすっきりする。
小学校の作文の授業では、原稿用紙枚数のノルマに届かせようと、むやみに段落替えをすると、先生に怒られたものである。
しかし、マニュアルや社内文書では、何行も続くような長大な段落があることは、異常事態と思わなければならない。段落は、一つの主張を言ったら、すぐに替える。
こうすれば、一つのアイデアが、一つの文字列の塊に対応する。論点の状況を、文章の見た目から把握できるようになる。
普通の文書は、冒頭から終わりに向かって順を追って一直線に読むことを想定しているが、そこで説明される内容も一直線的に順を追って理解するのがよいとは限らない。
むしろ、物事は二次元や箇条書きで配置して説明する方が分かりやすいことが多いのである。
社内文書なのに、チャーチルの怒りを買うような、無駄に形式ばって、説明文を一直線的に並べているものがある。
たとえば、資料3のように、挨拶や、経緯、訓示めいたことを普通の文で書いてしまう。これでは読破するのに時間がかかる上に、要点をすくいとることが難しい。

チャーチルの言うように、ポイントを体言止めで抜き出し、見出しを箇条書きに並べてみれば、図像として内容の論理構造を理解できる。
こうすれば、速読でき、理解も簡単だし、さらには忘れにくい。視覚的効果は大事ではあるが、文字修飾だけはやってはならない。傍点や色文字、横線、下線など、一つ一つの文字を飾ることである。
これは、読者の注意力を高めることをねらって使われているが、実際には逆で、読者を混乱させる。文字修飾を使うと、整然とした行の並びが壊れ、読者の注意が拡散する。
文字修飾が乱発されている文書は、それぞれの部分が「ここは大事だから読んでくれ!」と大声で叫びあっているようで、紙面全体がやかましくなる。
大事な文字だけ赤で書くというスタイルがあるが、これは危うい。コンピューターの画面では赤い光線を放って目立つ文字も、いざ紙に印刷してみると、インクは自分では光らず目立たないことがよくある。
また、屋外や蛍光灯の光が当たる場所の看板に使うと、赤の部分だけ先に色あせてしまい、肝心な部分だけが消えてしまうという事態が起こる(資料4)。
例外的に文字修飾を使うべき場合がある。
「両国国技館の所在地は東京都墨田区横網一丁目」のように、紛らわしい文字の存在を警告するためなら、ごく少数を使うことは許される。プロは文字修飾を使わない。それが証拠に、新聞や雑誌の文章で文字修飾はほとんど使われていない。
代わりに、見出しや、段落、箇条書きというレイアウトの技を使って、読者に分かりやすく論点を整理している。
◆見出しを立てて、話の流れを「見える化」せよ。」である。
これでは誰も覚えきれない。取扱説明書は、「この目的には、こうすればよい」というメッセージであるべきだ。
掃除機は「スイッチを入れるとゴミを吸い取る機械」と紹介するべきではない。
「ダニや花粉に悩まされない暮らしを手に入れる機械」と目的を全面に出して、読者の使用動機を呼び覚ますべきである。
読者がその製品を使いたいと思ってくれれば、読み方が熱心になり、その後に続く操作の指示もすんなり頭に入ってくる。
目的不明のままでは、読者はあれこれ指示されても覚えきれないし、イライラすらしてくる。
文章のどの箇所も、話の詳しさが均一であるように書く。
ある部分だけくどかったり、逆に大雑把にならないようにする。
濃度にムラがある文章は、ある箇所では蛇足の情報が紙面を埋める一方で、別の部分では必要な説明が欠けているという欠陥をはらんでいる。
ためしにウィキペディアにある「司馬遼太郎」の項目を見てみると、「生い立ち」の欄に各国の銃の技術や生産台数が詳しく書いてあった。
その後にある「小説家時代」の欄は、代表作とその時期をあっさりと並べてあるだけだ。
銃の話はそもそも寄り道である上に、そこに詳しい説明を繰り広げているので、司馬遼太郎は銃に関係する小説をたくさん書いた人なのかとの誤解を誘う。
マニュアルで起こりがちな寄り道のパターンとして、念のために蛇足気味の理由を書いてしまうというものがある。
たとえば、「排煙窓を開けると、火災警報が鳴るので、火災の時以外は開けてはならない」という風に、説明を割り込ませるスタイルだ。
簡潔に書くなら、「平常時は排煙窓を開けてはならない」となる。
しかし、これでは素朴すぎる。
詳しい理由や事情も書いておかないと、勝手に開ける人が出てくる。
そもそも、窓とは開けるものであり、開けたところで警報は鳴らないという常識が我々の頭に染みついている。
常識や直感、人情に反するルールは、無視されやすい。
何かの拍子で窓を開けたくなった時、「窓は開けるもの」という常識が先立って、それに反するルールの存在を忘れてしまうものだ。
意外なルールはそれを簡単に書いただけでは読者の心に響かない。
常識には常識で対抗するのが正攻法である。
この例の場合、「排煙窓を開けると、火災警報が鳴る」と書けばよい。
読者の頭の中には、「火災警報は平常時には鳴らしてはならないが、火災の時には鳴らさねばならない」という常識が、すでにある。
よって、正しい
ルールをすぐに察する。
「普段は開けるな、いや火災なら開けろ」という長たらしい場合分けの話は、コンピューターに指図するには必要であるが、人間には不要なのである。
マニュアルで説明がやたら長くなってしまったら、それは読者の常識を活用していないからではないかと疑うべきである。
◆話の進め方は、一つのゴールへ向かって一直線。
一定速度。
◇本質を表す名前を付ける
孔子は、政治で真っ先になすべきことは、名前を正すことだと言った。
名前に欠陥があると、その名前を使う言葉も乱れてしまい、その結果、社会が混乱する。
名称は、物事の肝心な部分を言い表すように付ける。
そうすれば、マニュアルの文章は簡潔かつ正確になり、結果的に、ミスを防げる。
先の例の「排煙窓」は、そもそも「火災警報連動排煙窓」と名付けておけば、開閉についてのややこしいルール説明は不要である。
2017年に、走行中の東海道・山陽新幹線の台車に深い亀裂が走るという事故が起きた。
言うまでもなく、台車は安全に関わる重要部であり、そこに亀裂が走ることはあってはならない。
国の運輸安全委員会が重大インシデントと認定するほどの大問題となった。
事故の原因は複数あるが、部品製造上の原因について言えば、「側ばり」と呼ばれる部品を削りすぎたことにある。
「側ばり」は長くて太い棒であり、これが車両の重量を担うことになる。
これに「軸ばね座」という平らな板状の部品を取り付けるのだが、「側ばり」の方は凹凸があるので、そのままでは両部品の間には隙間ができる。
その隙間をなくすために、従来の作業での慣例を踏まえ、「側ばり」の方を削って平らに近づけたのであった。
この車種に対しては、特別に、「側ばり」は削ってはならないという作業指示が存在していたが、現場の作業者がそれに気付かなかった。
こうして「側ばり」は薄くなって、強度を落とし、亀裂を生じさせることになる。
「側ばり」という名称は、重要な部品につけるものとしては貧相にすぎる。
名前が貧相なものは、馬鹿にされ、粗略に扱われるのである。
貧相な名前の部品がまず壊れて、それに引きずられて機械全体も壊れるという事故のパターンは珍しくない。
機械設計の世界には『続々・実際の設計失敗に学ぶ』(畑村洋太郎編著・実際の設計研究会著、日刊工業新聞社)という教科書がある。
そこに、超精密加工で丁寧にこしらえた部品なのに、名前が「ブランク材」という貧相な名前だったので、工場ではポイッと投げて扱われ、傷だらけとなって故障が連発したという事例が載っている。
もっと偉そうな名前だったらどうだろう。
日本語には「お」や「ご」という、付けるだけで何でも敬称にしてくれる便利な接頭語がある。
まずは「御梁」くらいは簡単に思いつく。
もう少し頭をひねると、「主梁」や、「特製側ばり」、「特殊側ばり」などという名称も、それなりに特別感が出てくる。
「厚み管理タイプ側ばり」や、「特殊形状重量支持体」「超高応力耐久精密構造体特級品」などという設計者の意図を込めた名前にすれば、これを削るのに躊躇するだろう。
人間の理解力は良かれ悪しかれ、ものの名前に引きずられる。
「精神分裂病」という病名を見れば、精神が分裂する病気だと勘違いしても無理はない。
しかし実際に多いのは、
妄想や幻聴の症状はあるが、自己の精神は一体性を保っている患者である。
今は「統合失調症」という名称に改称されている。
◆工夫のない名前はミスの元。
◇断言する
マニュアルの中では、何をなすべきかを、はっきりと断言する。
曖昧な言葉では読者を惑わせる。
具体的な行動を挙げて、実施を命じる書き方が正しい。
それは当たり前である。
この当然の理とは裏腹に、断言を避けたマニュアルが世の中にあふれている。
マニュアルの執筆者は断言したくないのである。
断言してしまうと、自分に責任が生じてしまうからだ。
甲子園の高校野球を見ていたら、あるチームの監督が勝利後のインタビューで、こう語っていた。
「今日は、相手の投手が非常に好調で、カーブがよく曲がっていた。
だから、うちの選手には『カーブは見送れ』と指示しました」選手が「見送れ」という指示に愚直に従うと、打てるかもしれないカーブが来ても、見送るだけである。
それが原因で見逃し三振となって試合に負けたとしたら、それは監督の一存の結果である。
忠実な選手には何ら責任はない。
これがダメな監督だと、「カーブに注意しろ」と言ってしまう。
「注意しろ」なら、手を出すか出さないかは選手の判断となるが、それならば監督の曖昧な指示はもともと不要である。
むしろ、変に緊張させる分、余計なお世話である。
しかし、監督としては、選手が見逃し三振になるにせよ、凡打に倒れるにせよ、「注意しろと言っただろ」と言えるし、幸運にもヒットとなれば「ちゃんと注意して打ったな」とも言えるので、責任を回避できるズルい仕組みになっている。
指示を断言で通すという当たり前のマニュアルを書くには、執筆者には責任を負う度胸が求められる。
責任を負える地位にいる人でなければ書けない。
資格も度胸もない人にマニュアルを書かせると、曖昧マニュアルが出来上がる。
曖昧な指示として頻出するパターンを挙げて、その書き直し方法を考えてみよう。
・「〇〇した方がよい」:行動が必須であるなら「〇〇する」に書き直し、実行させる。
省略可能な行動だが、実行するとメリットを得られることもあるならば、「△△の場合は、〇〇する」と、実行する条件を明記する。
・「〇〇に注意する」:注意とは心の中での行動である。
体を大きく動かすわけではないし、具体的な結果も残りにくい。
このように漠然とした行動を指示しても、読み手は何をすればよいのか分からない。
本当に注意をさせたいのならば、「メーターを指さして、数値を声に出して読め」という指示になる。
だが、注意するだけで十分ということは、実際にはありえない。
注意した結果、何か
をすべきはずなのだ。
「メーターを指さし確認し、値を記録帳に書き取る。
40度以上ならば、ヒーターの電源を切る。
」という、注意と行動のセットで指示するのが正式である。
行動の中身が自明ならば、注意の指示だけでも誘導はできるが、セットでの指示の方が確実である。
・「〇〇も参照のこと」:マニュアルに従って作業をしている途中で、マニュアルの別の部分を参照しろというパターンである。
これは、参照した後に何をするかの指示がない。
参照先をよく読めば行動の指示があるのかもしれないが、現時点では何を要求されているのか、読者には不明である。
執筆者としては、「参照せよ」と書いておけば、何かあった時に「ちゃんと注意しておいた」と言い訳ができるので、責任逃れに都合がよい。
この種の参照は一切廃止して、マニュアルの各部分に、そこで必要な全ての情報と指示を書くようにする。
◆「注意する」は禁句。
◇単文で書く
マニュアルは単文で書くことが基本である。
単文とは、主語と述語が一つずつという最も構造が単純な文のことである。
一度に一つの事柄しか言わないので、読者があれこれ記憶せずに済む。
単文は書き手の意図を明確にする。
戦国武将の本多重次が書き残した「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」という手紙は、マニュアルの文体としてもよい例である。
ここまで短いと逆に強い自信を感じさせる。
仕事で長い電子メールを書いてしまう人がいるが、時間がとてもかかるので避けるべきである。
住友商事の常務だった鈴木朗夫は、外国で交渉中に日本の上司に宛てて、「事態複雑。
一任を乞う」という大胆な電文を送ったことがある。
上司も豪放で「一任する」と返した。
これがサラリーマンにとって会心の電文往来だと彼はいう。
状況が複雑であるからと言って、長いメッセージを書くべきだとは限らない。
単文でないものに、重文と複文がある。
重文は「ボタンを押して、レバーを倒せ。
」という、主語と述語が2組以上ある文を言う。
このような文は「ボタンを押せ。
次にレバーを倒せ。
」と分離する。
ボタンとレバーのどちらが先かを明らかにする。
複文は、複数の主語述語のペアが入り組んでいるものであり、「ボタンを押した人がレバーを倒せ。
」や「ボタンを押した後にレバーを倒せ。
」といった文である。
これではレバーを倒すための前提条件を述べているだけで、ボタンをいつ押すべきなのかは明言していない。
複文だと全体を命令文で通せないからである。
「肉に火が通るまで5分間煮る」という複文は、「肉に火が通る」と「5分間煮る」という、2つの文が組み合わさっている。
これでは複数の命令が並立し矛盾する恐れがある。
まだ火が通っていないが5分経過した場合、何をすればよいのか判然としない。
「まず5分間煮る。
それでも火が通ってなければさらに煮る」と書き直すべきであろう。
1972年11月6日未明、福井県の北陸トンネル内を走行中の急行列車「きたぐに」で、食堂車から出火した。
北陸トンネルは全長約14キロメートルもある世界屈指の長大トンネルである。
運の悪いことに、そのほぼ中央部を通りかかっている時に火災が起きたのである。
当時の火災対処マニュアルでは、車両火災が発生したら、原則として直ちに停止して消火すべきだが、煙のこもりやすいトンネルは努めて避けよ、というものであった。
乗務員はマニュアルの前半の方に従って、列車を止めてしまった。
その結果、煙が充満し、一酸化炭素中毒により30人が死亡した。
相反する原則と但し書きを併記することは、法律調で格調高いのかもしれないが、大きなリスクを呼び込むことになる。
優先順位をはっきりさせて、車両火災ではトンネルを通
り抜けてから停車せよとしておけば、まだしも被害は抑えられたかもしれない。
一般の文章では、重文や複文は珍しくない。
むしろ、伝統的な日本語では文を区切らずに、重文で続けていくスタイルが標準であった。
新聞も大正時代頃までは、一つの記事は長い重文一本だけで書かれている。
文芸や論説には重文や複文がなじむのであるが、マニュアルには持ち込んではいけない。
◆主語と述語は一つずつ。
◇大和言葉を使う
単語は、簡単で直感的な言葉を選ぶ。
漢語ではなく大和言葉を使う。
「歩行する」ではなく「歩く」と言えば分かりやすい。
「歩く」と言えばいいところを、「歩行する」や「歩行を行う」「歩行行動を発生させる」「歩行行動の実行を行う」などと持って回った言い方にしてはならない。
「行う」という語は禁句である。
ためしに、職場にあるマニュアルで「行う」の使用回数を数えてみるとよい。
多いマニュアルは、書き方に難があるとみなしてよい。
漢語にはいろいろとメリットがあるので、使いたがる人が多い。
たとえば「見る」を、あえて「視認する」と書くと、高級そうに見える。
また、敬語を使うのが苦手な人が、「ご覧になってください」という表現を思いつかなくても、「目視してください」と書けば、一応の格好はつく。
漢語はこうして文章の格調をそこそこ整えてくれるが、その引き換えに、読みにくくなる。
役所の文書には、「整備する」や「~に係る」という、他では滅多に見られない言葉遣いが多い。
堅苦しくて、格調高く見える。
同時に、幅広い意味を内包でき、論点をぼかすことができるので都合がよい。
「○○施設を整備する予算」とは、建物を建てるための予算かもしれないが、何かを修理するのに使うかもしれないし、施設で働く人の人件費かもしれない。
「X問題に係る施策」とは、X問題を解決するものかもしれないが、しないのかもしれない。
これだけぼけていれば、後日、書いてあることと実態が違うなどと怒られる心配がない。
さすがに公務員や法務関係者であっても、実務的な作業マニュアルを書く時に、「カップラーメンに係るマニュアル。
まず、熱湯を整備する。
」といった言い回しはしないと思うが、「電話する」を「架電する」と言う程度の特殊な表現は見かける。
会社の法務部が作るとそうなりがちである。
◆「行う」は禁句。
◇肯定形で書く
否定形は、文が意味することを頭の中でイメージさせにくくする。
よって、マニュアルでは極力避ける。
「猫ではない場合は、牧草を与える」と言われても、何ら具体的なイメージは浮かばない。
肯定形で「牛や馬には牧草を与える」と指示すれば、明快である。
否定形は、この抽象性という欠点にもかかわらず、書き手にとっては便利なことがあるので使われがちである。
否定形を肯定形に置き直すと長くなることが多いのである。
「猫ではない」を「牛あるいは、馬、羊、山羊……」と長く具体的に列挙して書くのは、字数が多くなってしまう。
だが、読者には否定形は害悪であるので、長くとも肯定形で書くべきである。
否定形のもう一つの難点は、多重否定が起きてしまうことだ。
「猫ではない場合は、カツオ節を与えない」という二重否定の指示は、「猫にはカツオ節を与えるべき」なのかについては不明確である。
「嫌いではない」イコール「好き」とは限らないが、「日本国外ではない」イコール「日本国内」である。
二重否定を肯定とみなすルールを、論理学では排中律と呼ぶが、排中律が成り立つか否かは、状況によるので明確に決まらない。
二重否定は、マニュアルには非常に使われやすい。
二重どころか三重否定も珍しくない。
たとえば、次のような否定の連続が起こりうる。
「住宅手当について説明します。
あなたの住居は次のどれですか?①持ち家→持ち家のページをご覧ください。
②それ以外の住居の場合、次のもの以外の場合は、賃貸のページをご覧ください。
家族の所有の家、社宅(ただし独身寮以外のもの)。
」独身寮の人は、持ち家でなく、「次のもの」でもなく、独身寮以外でもないという、3つの否定を相手にせねばならない。
果たして独身寮の人は何をすればいいのか、分かるだろうか。
このような異常な文章であるが、これくらい複雑な書類は世の中に珍しくない。
否定形はマニュアルの書き手にとって好都合なのである。
部分ごとに既存の規則やマニュアルがある場合、安直にそれを寄せ集めれば、全部に対応するマニュアルが一応はできあがる。
しかし、それは否定にまみれたものになる。
冒頭で、「Aの場合はAの規則を読め」と書いた後には、「Aではない場合は、Bの場合はBの規則を読み、そうでないならばCの規則を読め」と、マトリョーシカのように入れ子構造で書いてしまいがちだ。
こうして否定が出現する。
既存のマニュアルをだらだらと積み上げる時に、否定形は接着剤として安直に使われている。
◆否定形は肯定形に書き直す。
◇一発退場方式で読者を早期解放する
マニュアルは、読者をできるだけ早く解放してあげるように作る。
冒頭だけを読めば、自分に関係があるのかや、自分は何をすべきかが、最速で分かるように文章を組む。
読了時間の短さは、マニュアルの性能のひとつである。
自分に関係の無い文章を長々と最後まで読まないと、何をすればいいのか分からないようでは、マニュアル失格である。
さらに悪いのは、途中まで読んだ段階では、自分が何をすればよいのかだんだんと予想が形作られてきたのに、最後の最後で「ただし、○○の場合は除く」などとドンデン返しを食らわせるものだ。
法律には「ただし~除く」のドンデン返しが頻出するのが伝統で、極めて読みにくい。
民間の約款やマニュアルでも、格好付けて法律の文体を真似て書くと、難解な文章になってしまう。
早く読者を解放するには、「一発退場方式」でマニュアルを書けばよい。
「この場合の人は、もう先を読まなくてよいですよ」と、ふるい落とすのである。
たとえば「体調良好で、臓器移植を受けておらず、最近外国旅行していなければ、可能」という指示は、3つの条件を読んだ上で総合しないと結論が出ない。
前の条件を覚えたまま、後ろの条件も読まねばならず、読者の記憶力には負担となる。
そこで、次のように一発退場方式のチェックリストに改造する。
□体調不良なら不可。
□臓器移植を受けたことがあるなら不可。
□最近外国旅行しているなら不可。
全ての条件に該当しない場合だけ可。
□今回は可である。
これならば、ある割合の読者は、全部読む前に結論が出るので、早めにマニュアルを閉じられる。
工夫して、該当者が多そうな選択肢から尋ねるようにすれば、より多くの読者が早期に解放される。
また、条件を一つずつ個別に尋ねているので、記憶力は必要なく、シンプルであり、読みやすい。
最大の利点は、退場の条件を箇条書きにすることで、論点が視覚的に見やすくなって、マニュアルが何を求めているのかが分かりやすくなることである。
込み入った条件を一つの長文にだらだら書かれると、何が作業の要点であるのかを察することが難しい。
◆大多数の読者には用無しの部分がマニュアルには多い。
そこを読ませるな。
ふる
い落とすべし。
◇暗記を助ける
マニュアルの内容は、誰でも暗記できなければならない。
読者が暗記できない事柄は、作業中には忘れられてしまう。
マニュアルの冊子と首っ引きで作業をするようでは能率が悪すぎる。
通常の職場では、作業者は何も手に持たずに仕事するのである。
作業者の記憶に残らない指示は、いくらマニュアルに書いても無視されると覚悟せねばならない。
暗記といっても、完全な丸暗記である必要はない。
何かの場面に遭遇した際に、「そういえば、これについてマニュアルに何か書いてあった気がする」という危惧が得られれば十分である。
詳細を知りたければ、マニュアルに当たればよい。
何も危惧を感じないのではダメだが、思い出しのきっかけが得られれば事足りる。
人間の記憶能力はいびつであって、意味を記憶することは苦手だが、音楽や光景を記憶するのは得意である。
意味を覚えようとすると苦労するが、語呂合わせや、歌、絵にして覚えると楽である。
大学で法律の授業を受けていた時、先生はこう言った。
刑法は、今は口語体に改正されたが、かつては文語であり、その方が暗記しやすかった、と。
たとえば、刑法38条2項はこう変わった。
文語体:罪本重カル可クシテ犯ストキ知ラサル者ハ其重キニ従テ処断スルコトヲ得ス。
口語体:重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
口語体の文を、暗記によって正確に再現することは難しい。
文節が抜けたり、順番を間違えたりしてしまう。
一方、文語体は、意味こそ難しいが、テンポがよいので、何度か暗唱を繰り返せば、音楽的に頭に染みつき、一字一句間違えずに暗記できる。
交通安全の標語などで、七五調が選ばれるのも、覚えやすいリズムだからである。
「取らぬ狸の皮算用」や、「はじめちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣いてもふた取るな」といったことわざは、七五調でなければ果たして現代まで残っていただろうか。
日本以外では、標語やスローガンは韻を踏むことが多いが、これも記憶を助ける手段である。
複数の事柄を覚えるために頭文字で語呂合わせにすることも常套手段である。
ビジネスの基本「報告・連絡・相談」は「ホウレンソウ」。
調味料を入れる順番は「さしすせそ」(砂糖、塩、酢、醤油、味噌)。
小児科で鎮静前の経口摂取制限は「2‐4‐6ルール」(子どもに麻酔をかける場合、清澄水は2時間前まで、母乳なら4時間前、軽食なら6時間前までなら摂取してもよいとするルール)。
イラストや写真、図、表、箇条書きといった視覚的に特徴のある内容も、暗記を大いに助ける。
文字だらけのマニュアルの中にビジュアルがあると、それが思い出しの手がかりになる。
また、文章の中で、特定の文字列を検索することは人の目には難しいが、ビジュ
アルを見つけ出すことは簡単である。
目次に頼らずとも、該当のページを素早く発見することができる。
ビジュアルの効果的な使用の例として挙げねばならないのは、福岡市地下鉄である。
駅ごとにシンボルマークが決められていて、路線図などの案内に使われている。
利用者の注意を引きつけ、覚えやすいばかりでなく、近隣の名所や歴史といった幅広い情報も同時に伝えている。
上には上がいて、CotéとLermanとBrianAndersonによる『APracticeofAnesthesiaforInfantsandChildren(6thEdition)』という医学書の表紙が(資料5)、私が見てきた中では最高傑作と思われる。
この本は、小児科での麻酔のかけ方の指南書である。
普通、医学書の表紙は、デザインに金をかけても仕方がないので、専門用語が並んだ表題に、素朴な幾何学模様をあしらった程度である。
また、子どもに麻酔をかけるのは重大な手術の時であるから、お堅いデザインの表紙になりがちだ。
だが、この本の表紙は、麻酔の機械の前で、患者の子どもがヒーローの変装をして勇気凜々としている大きな写真である。
ここまで印象的な表紙ならば、本の存在を忘れることもないし、本棚から見つけ出すことも簡単である。
だがこの表紙は、単なる目印の役割を超えて、患者とともに戦うという仕事の本質も指し示している。
◆いい内容のマニュアルも、読者の記憶に留まらなければ無駄。
◇写真で見本を見せ、図で論理を見せる
社内の指示書やマニュアルが、ビジュアル的要素に乏しく、下手をすれば文字だけでできているのを見るにつけ、もったいないなと嘆息せざるを得ない。
ビジュアルは決して添え物ではない。
写真や図といった視覚の世界こそが、人間の思考が最も働く場である。
人間は言葉による思考も使うが、イメージによる思考に比べれば、かなり小さい存在だ。
百聞は一見に如かず。
言葉でくどくど説明するより、ビジュアルにすれば、簡単かつ完璧に説明が伝わることがほとんどである。
知らない単語をネット検索する際には、画像検索にするのがコツである。
文による説明は下手なものが多いが、画像検索なら写真そのものや模式図が出てくるので、すぐに飲み込める。
ビジュアルには、目印となり暗記を助けるだけでなく、次の効用がある。
○作業結果の品質を安定させる。
○論理関係を素早く、正しく理解させる。
○危険を悟らせる。
○外国語話者にも意味が通じる。
作業の指示において、見本を見せることは極めて効果が高い。
良品の完成見本が目の前にあれば、それに合わせるように作ればよく、直感的で楽である。
見本を真似るという行為は人間の性分に合っている。
一方、言葉だけでものの作り方を説明しても、聞き手には分かりづらい。
特に、品質の指示という点で、ビジュアルは言葉を圧倒する。
「この面をきれいに磨く」という言葉の指示では、どこまできれいにするのか、読み手によってバラツキがでる。
見本があれば、誰もがそれに合わせるので、製造物の出来栄えが揃う。
工場なら、良品見本を現物で用意して、作業員の目の前や近くに置くこともできる。
ある会社では、とある外国に工場を作り、そこで生産しようとした。
しかしふたを開けてみると、その工場で働く人は、別の国から来た出稼ぎ労働者ばかりだった。
せっかく、マニュアルを現地の言葉に翻訳したのに、これでは使い物にならない。
そこで、言葉による説明をやめて、良品見本で指示することにした。
これは分かりやすいので非常に能率が上がった。
ついには、良品見本を日本の工場にも逆輸入して使うことにしたという。
事務室ではそういう空間の余裕はないので、見本は写真や図で見せることになる。
通常は、リアリティが高く、図を描く手間が要らない写真が選ばれる。
が、写真では色のコントラストや微細な部分が見えにくい、あるいは隠れた重要部分が見えない、などという事
情がある場合には、図やイラストを使う。
込み入った指示の場合には、図や、表、グラフで表すべきである。
たとえば、レシピにこう書いてあるとする。
例1:調理の手順(1)はじめの8分間は、温度90~100度で煮る。
(2)5分間、温度が80~90度の間になるように弱火で煮る。
(3)温度が50度以下になるまで冷ます。
これを一目見て、意味するところが分かるだろうか?また、覚えられるだろうか?資料6のようにグラフにしてみれば、一目瞭然であり、ずいぶんと単純な論理関係であると初めて気が付く。

ビジュアルには、危機意識を呼びおこすという効用もある。
怪我や傷の痛々しい写真やイラストは、見るだけでぞっとする。

資料7のような、針が突き刺さるとか、指が切れるといった、身体が損傷する画像を目にすると、まるで自分の体がそのような目に遭っているかような不快感を引き起こす。
深く恐怖することで、読者は事故に巻き込まれないように慎重になる。
人間は、言葉でリスクを注意されても、表面的に理解するだけで、自分にも起こりうることだとまでは深刻には受け止めないものである。
また、日本ではグロテスクなものを嫌う文化がある。
何かの危険に注意させるイラストであっても、怪我をする前のシーンを描いている控えめなものが多い。
これでは効果は薄い。
アメリカの大学に行った時、実験室の安全について講習を受けたが、「レーザー光線を見るな」という注意では、レーザーが当たって焦げてしまった本物の目玉の写真を見せられた。
どぎつすぎてトラウマになりかねないので、イラストにするべきだと思う。
「危ない液体をふた無しで運ぶな」という注意では、塩酸の入ったバケツを胸の前に抱えて運んでいた人が、滑ってころび、頭から塩酸をかぶって全身が溶けるという動画を見せられた。
これは本物の事故の映像ではなく、役者を使った再現であるが、迫真の演技でグロテスクであった。
国によっては、残酷なビジュアルであっても安全のためなら活用するという考えもありえるのだ。
◆百聞は一見にしかず。
百文は見本にしかず。
◇フローチャートは使うな
もう一つ例を挙げよう。
作業工程に条件分岐が多い仕事がある。
それを言葉だけで指示すると、非常に見通しが悪くなる。
次の作業手順は、全体として何をしているか分かるだろうか?例2:旅行代金を決める手順①行き先が北米であれば②へ、そうでなければ⑦に行く。
②都市がニューヨークであれば③へ、そうでなければ⑥に行く。
③ホテルが三つ星であれば④へ、そうでなければ⑤に行く。
④12万円である。
⑤20万円である。
⑥10万円である。
⑦都市がロンドンでなければ17万円である。
それ以外は⑧に行く。
⑧ビジネス旅行であれば④へ、そうでなければ⑤に行く。
この指示を、フローチャート形式で表すとすると、資料8のようになる。
しかし、これでも矢印が入り組んでいて、全く見やすくない。

フローチャートは、50年ぐらい前までは、計算機科学の分野で多用された技法であるが、実のところ、その計算機科学分野で評判がすこぶる悪く、もはや使われていない。
未だに使う人がいたらモグリということである(もっとも、未だに大学でもフローチャートを教えているから、その人の責とも言い難いが)。
フローチャートの致命的な欠陥は、くねくねと長い矢印を引っ張ることをいとわなければ、次の手順をどこにでも指定できてしまうことである。
その結果、論理の流れをグジャグジャに描いてしまうことがしばしばあり、読みにくい上に間違いも多いプログラムを作ることにつながる。
論理を表すには早見表の形式が使われる。
計算機科学の世界では、ナッシ・シュナイダーマン・ダイアグラムという方式が代表的であるが、ここではそれを簡略化した方式を紹介する。
外食産業のマニュアル作成などで使われているものだ。
資料9のように、手順を上から下へ順序よく並べ、場合を左右の位置の違いで表す。
こうすれば、「まず方面を調べ、次に都市、そして条件をセットすれば料金決定」という、4ステップ構成の仕事であったことが明らかになる。
この早見表なくして、「全体が4ステップだ」と見抜けるものではない。

早見表は、手順の段取り構造を、表の中の層として見せてくれる。
その層を把握することこそが、手順習得の核心である。
仕事に慣れてきた人とは、自分が今、仕事の全体の段取りのどこにいて、次はどの層に取りかかるべきか、心の準備ができている人である。
つまり、頭の中に早見表ができることが「習得」なのである。
早見表は、マニュアルの更新や検査がやりやすい。
各要素が、上下左右に意味関係をもって配置されている。
すると、たとえば、ある欄の値が右隣と大きく違いすぎると目立つのである。
こうして間違いを発見しやすい。
仕事は時代とともに変わっていくものであるから、条件分岐に関わる細かな値も、適宜更新しなければならない。
早見表ならば、同種の事柄が資料9では近所に固めて書かれているので発見しやすい。
一方、文章では、各要素の場所は分散し、見落とすと更新を漏らすことになる。
仕事によっては、あまりに条件分岐が複雑すぎて、早見表では描ききれないという場合
もある。
しかしそれは、そもそも仕事の方が異常であるというべきだ。
複雑すぎる作業は、どうマニュアルで説明したところで、人間の理解力を超えているので成功しない。
また、その複雑さは本当に仕事の本質に根差したものなのかは疑わしい。
「我々は情報化社会に暮らし、ビジネスをしているというのに、省庁の本格的な再編成といえばテレビがまだ白黒だった頃になされたきりだ。
12もの省庁が貿易に関わっている。
住宅を所管する省庁は少なくとも5つある。
私が気に入っている例はこうだ。
サケは淡水にいる時は内務省の管轄だが、海に出ると商務省の管轄になる。
燻製にされるとますます複雑になる」(2011年のオバマ大統領による一般教書演説)仕事は時代とともに変化する。
何の工夫もなく、手順を追加したり改訂したりを続けていくと、手順は不必要に複雑になる。
手順が早見表に描けないということは、改革を怠っている証と言える。
◆条件分岐には早見表を使え。
◇人工知能でも読めるように書く
今後の社会では、マニュアルに限らず、あらゆる文書は、人工知能(AI)に読ませて活用されることになる。
それに備えて、文書は人工知能によって読みやすい「AIフレンドリー」な形式で書かねばならない。
進んだ職場では、マニュアルはタブレットに格納してある。
タブレットの方が、紙より軽いし、動画も使え、検索が利き、マニュアルの更新や差し替えも簡単で、他のアプリも使えて、トータルで見れば低コストだからだ。
そして、作業者がスマホに向かって「これはどうすればいいのか教えて!」と尋ねれば、マニュアルに基づいて「こうすればよい」と答えを出してくれるようになれば最高である。
管理職レベルでも、「A部の業務規程と、B部のマニュアルには矛盾があります!」とか、「A部の仕事と、B部の仕事には重複があって無駄です」と、問題点を見つけてくれる人工知能があればいいのにと思う。
しかし、現状は文書の書き方が整っておらず、人工知能が活躍するにはほど遠い。
「倉庫から原料を取り出し、作業室に送る。
」という文を読んだ人工知能が、「倉庫の原料を送る先は?」と尋ねられて「作業室」と答えることは難しくない。
主な単語を検索するだけで答えにたどり着ける。
だが、執筆者は一貫性を持って単語を選ぶとは限らない。
「倉庫から原料を取り寄せ、作業室に置く。
」は、先ほどと同等の意味内容であるが、人工知能は文意の同一性の判定が苦手だ。
「取り出す」と「取り寄せる」が類義語であると知っていれば答えられそうだが、それには単語それぞれについて類義語が何かをあらかじめ教えておかねばならない。
文意の同一性判定は、理論的には難しくないが、国語辞書を編纂するような手間がかかるので難問なのである。
主語や目的語が省略されがちという点も、人工知能の苦手とするところである。
「生地をオーブンに入れ、加熱し、焼き目が付いたら取り出す」という何気ない文ですら難問だ。
「焼き目が付くのは生地であってオーブンではない」という常識を持ち合わせていない人工知能には理解不能なのである。
人工知能が人間並みにマニュアルの意味を理解できるようになるには、まだ相当な時間を要するだろう。
「倉庫から原料を取り出し、作業室に送る。
」という指示に対し、倉庫を爆破して爆風で原料を作業室に叩き込んでも論理上は間違いとは言えない。
温度や圧力についても指定がないから、原料をわざわざ高温かつ圧縮状態にして運んでも、文句は言えない。
人間なら常識があるから、言わずもがなの事項を適切に推定してくれる。
人工知能はそれができず、全てを指定しなければならない。
そのため、マニュアルの言っていることだけは理解しても、作業全体は成功しない。
せめて検索だけでもすんなり成功するようにしたい。
それには、用語を揃えて、マニュアル内では一貫するようにする。
「電子メール」のことを「メール」や、「メイル」「eメール」「email」などとバラバラに書いていては、人工知能には分からない。
正式名称を定め、リストにする必要がある。
パワーポイントやエクセルで書かれた図表主体のマニュアルは、中にある文がぶつ切れになり、段落が断絶しがちである。
これは人工知能にとって大きな障害である。
通常の文書なら、文は段落の中でベタにつながっているので、その順序とつながりは人工知能にも分かる。
図表主体となると、ある文の次に読むべき文がどれになるのかの判断は難しい。
特に、罫線が特殊な表や、吹き出しの中に書かれた文となると、それがどこにつながっているのか人工知能には分からない。
イラストや説明図は作業の仕方を説明する上で大きな役割を持っているが、人工知能がそれを正しく認識することは難しい。
人間の読者にとっては図表の解釈は楽なのだが、人工知能には難問である。
人工知能に常識を持たせる技術自体はいろいろ提案され、インターネットの検索では使われている。
実際、かなり曖昧で誤字の多い検索であっても、大手の検索エンジンを使えば、そこそこ妥当なページを見つけてくれる。
大手は、単語の同義語・対義語の辞書作りに金をかけているし、文章構造の理解のための技術も日々研究開発している。
となれば、大手の検索エンジンに乗っかればよいという発想も出てくる。
社外に見せてよいマニュアルならば、それらを全てインターネット上に公開する。
使い方の問い合わせは、大手の検索エンジンを使ってもらうことにする。
こうすれば、難しい問い合わせもうまく処理してくれるだろう。
社外秘のマニュアルや規定類を、社員が楽に検索できるようにしたいならば、大手の検索サービスを社内専用のバージョンで買うという手もある。
こういった社内文書の整理・質問回答サービスは、業務効率化に効果があるので広まりつつある。
「AIフレンドリー」のさらに上として、「AIレディ」、すなわち人工知能がマニュアルを間違いなく解釈でき、活用できるというレベルが考えられている。
作業の段取りを、自然言語(日本語や英語といった、慣例のルールで規定された言葉)で記述すると、曖昧さが残る。
図表も各自がバラバラの流儀で作っていては人工知能には解釈が難しい。
そこで、統一モデリング言語(UML)という形式の整った表現法で記述して、仕事の流れを明らかにするのだ。
こうすれば、人工知能が職場を見渡し、人間の位置やファイル、道具などを観察するだけで、今、作業がいくつあって、それぞれどの段階にあるのかが把握できるようになる。
さらには将来を予測して、複数の作業者が同時に同じ道具を使いたい事態など、作業上のトラブルが見込まれれば、仕事の割り当てを分散させるといった指示が出せる。
現状の人工知能が、世の中にある仕事を何でもかんでも指揮できるわけではない。
だが人工知能に指揮させた方がよい仕事はすでに大量にある。
たとえば、商品をいくつ生産して、どのルートで配達して、どの店のどの棚に何個並べるべきかという、数学的な大量の計算が必要な課題は、すでに人工知能が考えて、人間は
指示に従うだけとなっている。
計算ずくで結論を出すべき、いわば情報処理の雑用は、人工知能に任せるべきだろう。
◆検索できないマニュアルはゴミ。
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