第5章【特別対談】「偉大なる親父・一倉定」一倉健二と舛田光洋
今日は親父も一緒だよ
舛田光洋健二さん、本日はよろしくお願いします。
一倉健二よろしくね。これいいでしょう。(作務衣の上に召されている羽織を指して)舛田なかなか上品なお召し物ですね。生地がいいですね。一倉これさ、親父の着物。
ほらあの『一倉定の経営心得』のさ、写真あったでしょ。あの時の着物をさ、親父の形見なんだけどね。仕立て直したんだ。
舛田そうなんですか。
それは貴重ですね。その下は、作務衣ですか?一倉そうそう。舛田また質の良い作務衣ですね。一倉先生の形見のお着物と合っていてとてもお似合いです。
一倉そういうことでね。今日は親父も一緒ということだね。
舛田おお、何だか緊張してきました。
『一倉定の経営心得』のお写真も、たしかパレスホテルで撮影されたものでしたが、まさにこの場所ですね。
パレスホテルと一倉定の関係
一倉そうそう。ここパレスホテルは改築前は5階建てだったんだよね。俺の大学が神田だからさ。よくこの前を通ったんだよ。その当時、この建物が一番高かったんだよ。それが今やね、さらに立派になったね。
舛田一倉先生は、改築前からこの場所で講義をされていたのですね。
一倉そう。以前の建物では地下一階に飲食店や喫茶店があってね。その一角に小さな体育館くらいのローズの間っていう部屋があったの。そこで2月から講義が始まるわけね。タイトルが「社長の姿勢」ってやつでね。
舛田おお!あの社長の姿勢ですね(一倉定の社長学第9巻『新・社長の姿勢』)。そうお聞きしただけでピリッとします。ここでは何回も講義されていたんですか?一倉他の会場でもやったんだけどね。
「社長の姿勢」の時は、いわゆる一年の一番初めの講義だっていうことで、多い時で800人が集まった。会場に詰められるだけ詰めてね。当時1人3万5000円の受講料だから、800人でしょ。すごいよね。その時代に、主催元が言ってたけどね。
1人の講師がこれだけ集められるのは、親父とあとは松下幸之助氏しかいないということだったよ。
舛田松下幸之助さんは経営の神様と言われてますが、私は一倉先生は社長の神様だと思っているんです。または、会社復活の神様ですね。赤字会社を黒字化するのですからすごいことです。そういう意味でこれからもっともっと世界に一倉定の名前とその思想を広げていきたいと思っています。当時の講義で何か覚えておられるエピソードなどはありますか?
一倉親父の講義の会場に行くとね。話が始まるとカシャ、カシャって音がするんだよね。参加者が録音してるんだよ。普通ああいうような講義をしている時は、録音は控えてくれって言うでしょ。親父にそれでいいの?って聞いたら、全然構わないよって。いくらでも録音していい、それを困っている社長仲間にでも聞かせてやってくれって。一般的にはさ、録音禁止の講師なんかいるでしょ。
それについて親父は、「あいつらはな、ネタがそれしかねえんだ、だから録音されたら困るんだ」って言ってた。ただし一つだけ駄目なものがあったんだ。それは写真は撮らないでくれって。
舛田それ、わかります。講義中は動いていますから。写真だと白目になって写ったり、顔が歪んでしまったりしますからね。それは広めて欲しくないですよね。
それでも内容においては経営に困っている人がいるなら伝えてくれっていう気持ちだったんですね。
一倉親父は、口は悪いが困っている社長がいたらほっとけないんだよね。舛田一倉先生はとても厳しいコンサルタントでしたが、多くの社長たちに慕われていたのは、先生の心の根本に困っている社長を救いたいという愛情があったからですね。
その結果が指導社数1万社ですね。1万社はすごいですよ。この指導社数も強調しておかなければなりませんね。
1万社を指導した一倉定の想い
一倉日本経営合理化協会も、本に書いてあるのは5000社ってことでね。その実績というのが親父が比較的若い時なんですよ。それでね。平成の初期にはね、親父が自分で言ってたんですよ。指導社数は8000社を超えるだろうなってね。
舛田一倉先生ご自身でおっしゃっておられたんですね。
一倉はっきり言ってたね。こっちも5000社ってのが頭にあったから、余計その違いでね、8000社以上ってのが頭に残っていてね。
親父はさ、困っている社長がいれば会社の大きさ関係なく、お金のない会社は出世払いで指導してたからさ。
それで親父が亡くなったのが平成11年だから、それまで10年あるわけね。そこで、小さな会社まで入れたら全部で1万社は超えるだろうと。それでね、今回の復刻版の『マネジメントへの挑戦』から正式に1万社ということにしたの。
舛田1万社ってすごいですね。一つの会社には社員がいて、そのご家族がいるわけですから、しかも一倉先生、赤字会社を中心に指導されておりましたものね。
一倉赤字会社を救いたかったんだろうね。それに親父は、一つの会社と顧問契約をしなかったんだよ。
舛田今の一般的なコンサルタントは専属契約ですよね。1年間で数百万円という契約が多いですよね。
一倉先生は、単発だったんですね。
一倉そうなんだよ。1回1回だよ。必要であれば、2回3回と、業績が回復してきたらもう大丈夫ということで次の赤字会社を指導するスタイルだった。
困っている社長をほっとけない〝鬼倉〟
舛田だから1万社なんですね。必要な分だけのコンサルタントなので、さまざまな業種の会社を数多く見ることができたんですね。一倉とにかく親父は、困っている社長を助けたい一心でね。
舛田『マネジメントへの挑戦【復刻版】』の健二さんの「復刻に寄せて」にもありましたが、一倉先生が〝鬼倉〟になったエピソードがあります。一倉そうそう、親父がコンサルタントを始めた頃にね。
指導した社長が言われたことを実践しなくて、その会社は倒産してしまってね。たとえ怒鳴りつけてでも実践させていれば良かったと親父の中で悔いたんだろうね。それから鬼倉になったんだ。
舛田一つの会社が倒産すると、社員、その家族、関連会社と大きな影響が出ますからね。絶対に会社は倒産させない!という一倉先生の信念が鬼倉を誕生させたのですね。
社長の心に革命を起こす一倉哲学の普遍性
舛田今回この本を執筆するにあたり、改めて一倉定の社長学シリーズを勉強し直させていただきました。
特に社長学シリーズの講話の音声を聴き込んだのですが、一倉先生の声で聴けば聴くほどわかってきたことがあるんですよ。
それは、「一倉哲学」って健二さんが先日おっしゃっていましたよね。「一倉哲学」っていうのがすごく腑に落ちてきたんです。
社長学っていうのは、もちろん社長という専門職に必要な技術ではあるんですけど、もっと本質的な……、何て言うのだろう?経済活動をするリーダーの魂のあり方、自己責任から始まる資本主義精神の根本の部分を説いている。
一倉先生の言っていることはすべて原理原則です。つまり、すべての人に当てはまる法則なんですよね。
だから普遍性があって古くならないですし、どんな人が読んでもとてもわかりやすいし、応用ができる。
一倉あのね。つくづく最近、それを思うんだよね。親父は、ビジネスコンサルタントという一つの手段を使ったけれども、その中身はそれを越えているんだよね。
もっと人間の深いところから湧き上がってきたものであった。それを俺もだんだんわかってきたんだよ。いやぁ大変な人を親父に持っちゃったなって。
舛田ほんとに大変な方だと思います。これからますます、企業にとって厳しい時代が続きます。世界的パンデミックで大きく世の中も変化しています。
国にしてもどう対応していいかわからない中でやってますから、世の中を恨んだり、何かに頼ったところから会社も個人も倒れていきますよ。
そんな中で、一倉先生の社長学は「すべては自分の責任と受け止める」ところから始まります。未来を創る覚悟を叩き込んでくれます。
一人ひとりから始まる環境整備、地域に広がる挨拶一倉
最近、うちの事務所の隣の空いていたところに企業が入ってきたのよ。20人くらいで職人みたいなのが出入りしているからさ。顔を合わせる度に挨拶したの、こっちからね。そうしたら返事しないんだ。2ケ月間……誰も一言も返さない。この会社大丈夫かなと心配になっちゃったよね。
舛田挨拶一つですけど、それですべてがわかってしまいますよね。一倉先生も、挨拶のない会社に業績がいい会社はないとおっしゃっていますものね。
以前、娘が進学塾に通うことになり、いくつか候補があったのですが、その中で、最近進出してきてすごく宣伝をかけて、洗練されたビルに入っている勢いのある塾があったので、見学に行ったんです。
そうしたら、先生たちが挨拶しないわけですよ。学習システムとかはすごくて、知名度も人気もある塾なんですが挨拶ができない。それでいて、フロアにゴミが落ちているんですよ。そしてそれを拾おうともしない。
さらにトイレの手洗いカウンターが水浸しだったり、窓ガラスが手垢だらけだったりと、やっぱり挨拶ができないところは働く場所も汚いんだなって思いましたね。
それだけで、もうちょっと信用ができなくなる。もう一つの塾は、建物は古いんですけど挨拶が素晴らしいんです。そして、話を聞いてみると、先生たちが生徒の机を拭いているというんですね。結局そっちの塾にしたんですけど。
そうしたら間もなく挨拶のできないほうの塾が問題を起こしましたね。一倉初めての会社に行っても汚いオフィスだとさ、二度目はないんだよね。こんな会社と仕事したくないって思っちゃうよね。
親父がね。古い狭いが恥ではないって。汚いことが、恥なんだって。
舛田そうですよね。まさに「汚いこと」を放置している心が恥ですね。
一倉そうそう、それは汚い心が恥。挨拶しないのも恥なんだよな。
親父の門下生のね、女性の社長さんが言ってたんだけどね。その人がね、ある地域に新居を建てて、引っ越したんだけど。
そうしたらね、一ケ月くらい経ったら、近所の顔役のような人にお礼を言われたんだって。何をしたかって言ったら、その女性の社長が、毎朝、自宅の植木に水をやるんだって。
その時に道行く人に声をかけて、挨拶をしてたのね。そうしたら、知らないうちに大きな変化が出てきた。
何と近所の人たちがお互いに挨拶をするようになったって言うんだよ。それを顔役がわざわざお礼に来たって。
それでね、彼女も仕事で植木に水をあげられない時があるんだけど、お隣の人が面倒を見てくれるようになったんだって。
舛田いい話ですね。一人の挨拶が、地域を変えていくんですね。挨拶が広がっていって、信頼が広がり絆が深まっていく感じですね。
一倉たしかにいい話だよね。だから親父も言ってるけどさ、環境整備している会社は、社員が変わる。その第一として社員が挨拶できるようになるんだよね。
舛田一倉先生の門下生さんですものね。環境整備が土台にありますものね。
一倉そうそう、環境整備をやっていけば、社員教育はいらないって言ってるからね。
神社で出逢った奇跡
一倉舛田生前、健二さんのお母様の千枝様にお会いしたことがあるんですよ。とても可憐な方でした。
その頃もう80代の後半だったと思うんですけど、とても印象深かったのは、もっと学びたい、というようなことをおっしゃっていました。
今日も新しいことを勉強して、毎日発見があって学ぶことが楽しくてしかたがない、もっと早くから勉強をしたかったっておっしゃっていて。
僕はすごくびっくりしました。はつらつとされていて、すごい方だなと思いました。
一倉ああ、そうなの。お袋は晩年、水彩画を書いていたんです。ずいぶんあるんですよ。残っているんです。一度それをね、「本にしようじゃないか」と。
自費出版でね。ところが、印刷会社から言われたんですよ。こんなに淡い色は出せないって。色使いが上手かったんじゃないかな。
舛田私がお伺いした日も水彩画を描いておられました。
その頃、ちょうど私は2作目の『「そうじ力」であなたが輝く!』を出版したあとで、3作目の『成功を加速する「そうじ力」』を執筆していて、創作に苦しんでおりました。
ちょうどその頃、一倉先生に指導されていた知り合いの社長さんに「一倉神社に行こう!」と言われて。
私も「もう、神社ができたのですか?」とか言って、ついて行ったら川崎のご自宅でした。それでご仏壇にお線香をあげさせていただいたんです。そして私が、北海道出身だと話すと、お母様が驚かれたんです。
「意味のある人が家に来られる場合は、前の日に夢に主人が出て来るんです。そして昨夜がそうだったの。あなただったのね」と言われて。
その日の午前中に描いた水彩画を見せてもらえたんです。それが、お二人で旅行に行った、思い出のある小樽運河の水彩画だったんです。一倉そんなことがあったんだね。驚きだね。
舛田そうなんですよ。その後、2作目、3作目とヒットが続きまして、何と4作目の『3日で運がよくなる「そうじ力」』が国内だけでミリオンセラー(100万部)になりまして。
一倉神社のおかげだと思っているんです。一倉それはあるかもしれないね。
舛田お母様は、芸術に満ちた素敵な晩年でしたよね。
一倉たしかにそういう面は、才能と言ったらいいのかな。持っていたみたいだね。あとは詩集が残ってますけど。詩集っていうか、短歌。こうやって考えてみると、結構お袋も多才だったなって。お茶とお花は師範でした。
舛田お母様あっての一倉先生のご活躍だったのですね。支える側は目立たないですけど、お母様も優しい中に芯の強さを感じました。
一倉あのね、芯は強かったね。こういう親父を支えたんだからね。普通じゃできないですよ。
家族のエピソード~机の上のものを庭に放り投げられる
舛田『マネジメントへの挑戦【復刻版】』での敏子さん(一倉先生の長女)の、「父、一倉定を想う」の中で、「机の上を片付けないで寝ると夜中に起こされ、庭に放り出された教科書を裸足で拾いに行きました。」とあったんですけど……。
一倉何度かやられたなあ。
舛田それはごきょうだい皆さん、経験あるんですか?一倉妹と俺はよくあったんだけど、兄貴はどうだったろうね。その時は庭に裸足で飛び出していってね。拾って片づけた。
舛田僕のところも、次女がなかなか片づけなくて……舛田家としては、リビングは家族の共用の場だから、そこに朝まで私物を放置していたら捨てられる決まりがあるわけです。
そんな決まりがあるにもかかわらず、次女はランドセルを片づけない。何度注意しても直らないので、僕もランドセルを庭に放り投げたことがありました。彼女が朝起きてくるとランドセルがないわけです。慌てて探すんです。
「朝までリビングに放置してあったから庭に捨てたよ」って。季節は札幌の真冬でしたから、降り積もった雪の中にランドセルが埋もれているんですね。次女は泣きながらランドセルを救出に行ってましたね。
でも僕は早朝に、ランドセルが雪で濡れないようにとビニール袋に入れて、少し雪を掘って穴を作って、いい感じに埋もれているように見せて、やってるわけですよ。それが教育ですよね。1回それをやったら、もうしなくなりましたけど。健二さんのエピソードを聞いていたら思い出しました(笑)。
舛田敏子さんのエピソードを読んで、ご家庭では一倉先生はかなり厳しかったのかな、と思ったんですけど、どうだったんですか?
一倉いやーあのね、何ていうかな。厳しくされたというより、怖くて近寄れないというのが正直な感想ですね。たまに親父が家に帰ってきますでしょ。
ところがね、親父は赤字の会社を何社も抱えているわけですよ。じっと考えているわけですよ。その姿が怖くて声をかけられないんだよね。
舛田一倉先生の背中から、すさまじいオーラが滲み出ていたのでしょうね。
一倉そうかもしれない。けれども、叱られた記憶って、実は1回しかない。ちょっと妹とふざけていて、妹を部屋に閉じ込めちゃったようなことをしたの。
別に鍵をかけたわけでもないんだけど。妹も悔しいから開けないでさ。おっきい声を出していたの。そうしたら親父に怒られてねぇ。それだけだね。あとは記憶にないね。
家族のエピソード~父親として家族との時間を大切にした
舛田優しかったのですか?
一倉そうね。思い出としてはね。家族想いで、いろいろやってくれたっていう思い出が強いよね。記憶としては、小学校低学年までだけどね。
休みを作ってくれて、弁当を作って家族で近くの公園によくピクニックしに行ったな。そういうことを定期的にやってくれたよ。
舛田家族を大切にされていたんですね。
一倉そうそう。またね、ラーメンなんか、よく食べに連れていってくれたしね。すき焼きを家族で食べに行った時の思い出もあるね。
うちですき焼きなんかしたってさ、卵を3つくらい割って混ぜて、5人分に分けたわけよ。当時の自分はそれが苦痛だったよね。
ところが、お店にすき焼きを食べに行ったら、卵がなくなるとね、おかわりしてくれるんだよね。それが嬉しかったよねぇ。そういう思い出はあるね。
焼肉にもよく連れていってくれたし。それとね。俺が学生になってからかな。実はこの場所に、家族全員でね、焼肉を食べに連れて来てくれた。パレスホテルだから、普通の焼肉とは違う。
鉄板の前にシェフがいて、焼いてくれるわけよ。そういう思い出もあるしね。そういうところで色々と家族に気を遣ってくれていたのは何度もあるね。
旅行をして初めて知った親父の姿
舛田ここのホテルはそういう意味でも思い出深いのですね。
一倉先生との旅行などはどうですか?一倉親父との旅行は、1回だけかな。俺が26歳の時にね、当時のソ連と、北欧7ヶ国を回る海外視察団というのを日本経営合理化協会が組んでいたの。
その団長として親父が行っていた。その時だけだな。旅行っていうのは。あとはね。大阪の万博だ。
あの時、一緒にね、連れて行ってくれてね。まだ記憶に残っているよね。太陽の塔とかね。そのくらいしか、記憶にないなぁ。旅行っていうのは。
舛田26歳のヨーロッパ旅行は、文化の違いなどを見て衝撃のある年代じゃないですか。
一倉ヨーロッパの旅行で衝撃を受けたというよりね、あの気難しい感じの親父がね、あんなに社長さんたちに慕われているっていうのを、そこで知ったの。
俺は家でのピリピリした親父しか見ていないから、そういうのはわからなかったわけ。
ところが親父が団長で行った時の旅行には、社長が20人くらい参加していたんだけれど、どの社長も「先生!先生!」って言って、親父のことを慕っていてね。あんなにニコニコした親父を見るのは初めてだった。だからすごくショックだった。
舛田赤字会社の再建を日夜考え続け、自宅に戻っても近寄れないオーラを出している一倉先生しか見ていなかったから、社長さんたちに慕われて笑顔を見せている姿が衝撃的だったんですね。
一倉ちょっとショックだった。でね、実はね。その旅で、親父にこう言われたの。「これから2週間、いろんな社長さんと一緒に行動するけれども、食事の時に、同じ社長さんの隣に座っちゃいかんぞ」って。
日本人の悪い癖でさ。同調意識が強いでしょ。だから同じ部屋に泊まった人間は、いつまでもくっついて歩く、社長と言えどもね。
親父はそれにたまりかねていたんだね。だから俺に、必ず違う社長さんの隣に座れって言ったんだと思う。けれどもこれが難しいんだなぁ。
例えば、一番にその食事の会場に行って座っちゃったらさ、隣に誰が座るかってわかんないじゃない。一番最後に行ったら空いている席しかない。
毎日違う社長さんの隣に座るって本当に大変なんだ。しかも弱冠26歳でしょ。話題なんか何にもないわけよ。何でこんな思いをして食事しなきゃなんないのかと思ったよ。
舛田社長さんたちも、一倉先生のご子息だから気を遣うでしょうしね。
健二さんとしても下手なことも言えないし。一倉先生としては、一人でも多くの社長さんたちに接して、いろんな話を聞いて欲しかったんでしょうね。
一倉その時にね、若い社長さんが「健二さん、気を遣ってますね」って声をかけてくれてね。自分の行動を見抜いてくれていたんだね。その言葉が嬉しかったね。
兄貴が環境整備に与えた影響
一倉環境整備については一つの思い出というかエピソードがあるんですよ。実は親父の初期には環境整備という言葉はほとんど出てこなかったんですよ。少しは出てきたかもしれないけど。
舛田はっきりと前面には出てきてないですよね。それはちょっと興味深い話です。
一倉そう。ところがね。兄貴(洋)が親父のかばん持ちをするようになってから環境整備がグングンと前に出てきた。それについてこんな話があるんだよね。
兄貴が中学校の時に、俺とは3つ違いだからさ、通った中学は同じなんだけど、一緒に通うことはなかった。兄貴が卒業して、俺が入っていったからさ。
その兄貴が率先して、古い中学校で掃除をしたという話があったわけね。当時は軍隊が使っていたような木造の古い建物だから、床を雑巾がけするっていっても、つぎはぎがあるわけよ。
そこを飛び越えてまたやるというように大変だったの。
けれど、それをみんなで面白がって掃除をしたら、すごく綺麗になっちゃって。そうするとね。あの当時、不良不良と言われていた人たちがだんだん減っていっちゃった。
自分が入学した時には、すでに掃除をするという体制がしっかりできていたわけね。校内は本当にピッカピカ。
俺が中学3年で美化委員だった時、一人で早く学校に行ったら、ちょうど西側の階段を上がっていった時にびっくりした。
朝日が木製の床に反射して眩しくて目が開けられないのよ。昔の建物だからさ、材質はヒノキだったんだよね。ヒノキってのは、よく絞った雑巾で磨くと、いい艶が出るんだよな。
舛田なるほど。
ワックスとかじゃないんですね。磨き込んで磨き込んで艶が出てくるのですね。
一倉これをね、大学の時に仲間に話をしたら、誰も信じてくんなかった。床がそんなに光るわけないって。でもね、俺が行った中学校も兄貴と同じだから、確認済みなのよ。
そこはさ、授業が終わって掃除するでしょう、その時、全員体操着に着替えて。それから始めるんだもの。
舛田結構、本格的ですね。
一倉そう、徹底的にやる。
それであんまり綺麗になっちゃったからって、県の指定だったかな、優良校になっちゃったの。
そうしたら、それをさ、崩すわけにいかないからってさ、校長を始め、一生懸命やり始めちゃったの。
そんなことをやっているうちに、素行の悪い連中がどんどんどんどん、減っていった。そんなことがあって、兄貴も徹底的にやったらしいんだ。
それでその兄貴が、親父のかばん持ちを始めた時期から、環境整備を強く打ち出すようになっていった。
舛田学校での掃除は最高の教育ですね。自然と人格が向上していきますからね。お兄様の洋さんの経験が、一倉先生に影響を与えたということですね。
一倉そうだね。親父も以前から気が付いてはいたんだろうけど、兄貴のそれを聞いたりして、余計確信に近づいたんじゃないのかな。
舛田なるほど、それはちょっとなかなか聞けない話です。
一倉俺はね。環境整備についてはそういう経緯があるなってみてるの。今となっては確認はできないけどね。そんなようなことがあるからね。やはり掃除ってのは本当に大切なものなんだな、というのは実感としてあるね。
親父の後継者教育と兄貴の早過ぎた死
一倉兄貴は親父のかばん持ちを3年やったあとに、コンサルタントとして二世教育を担当してたんだよね。どの社長さんも後継者問題で悩むんですよね。
兄貴自身も親父のあとを継ぐまでもいろいろあったし、だから二代目の気持ちがわかるということでね。
兄貴は大学から大学院に進学していろいろな研究をしていてね。もともとは政治経済学だったんだけど、文化人類学とか性風俗史だとか研究していたかな。
本人も何やっているかわかんないと言いながら研究してたんだよね。定期的に山村など歩き回って調査するわけ。そうするとさ、お金がかかるから、お袋のところに来るんですよ。そんな時に親父とばったり会う。そうしたら、そこで口喧嘩が始まるんですよ。
親父が「お前なんかに世の中のことがわかるか!」。
そうしたら兄貴も「世の中のことがわからないから調査しているんだ」と、こう言い返すんですよ。
親父は兄貴に対して、早く就職することを望んでいたんですよね。親父としてみれば何をぐずぐずしているんだ、早く実務に就けという気持ちがあったんだよね。そのうちにね。兄貴は研究に行き詰まってしまって、親父に申し入れるんですよ。
「親父の講義を一度聞かせて欲しい」ってね。そうしたら親父は「お前なんかに聞かせてもわからんから駄目だ」と一蹴しちゃうわけですよ。それからね、少し時間が経ってね。
そう、ちょうどこのパレスホテルで親父の講義があってね。親父はここで講義する時は前泊していたんですよ。それで講義の前日にお袋に電話がきてね。忘れものしたから明日会場に持ってきてくれと。それを兄貴に届けさせろというわけですよ。
それで兄貴は忘れものを届けたあと、親父の講義を聞いてね。それがすごくてびっくりしたって。それをきっかけにかばん持ちを3年やってさ。独り立ちする時に兄貴が俺にこう言ったんだよね。
「あのな健二、俺はショックだった、本当にショックだった」って言うんだよね。「俺は学生の頃から自分の人生の理想を求めてきたんだ。それが、すべて親父にあったんだ」って言うんですよ。
そんな兄貴は若くして病気になって、そのまま逝ってしまった。俺はね、兄貴は早く逝ってしまったけど、自分の理想に辿り着けたことは幸せだったと思うんだよな。
舛田そのことは一倉先生には伝わっていたんですか?
一倉それは言ってないと思う。間違いなく言ってないな。
舛田それでもその気持ちは、3年間かばん持ちしていく中で伝わっていましたよね。
一倉それは伝わっていたと思うね。
舛田一倉先生も嬉しかったでしょうね。それにしても早過ぎる死でしたね。
一倉そうだね。でも兄貴が亡くなった時はね。親父は毅然としててさ、ショックを絶対に表に出さなかったね。
それがさ、親父が亡くなってから部屋を片づけていたら、親父の生の原稿が1500枚くらい出てきてね。それを読み返していたらね。
1枚兄貴に対する思いを綴った原稿が出てきたんですよ。親父は辛い思いをね、何とか書こうとしたんだろうね。でもね、そこには「逆縁」としか書かれてなかったんですよ。
逆縁というのは、子が親より先に逝くということだよね。それを題にして兄貴のことを書こうとしたんだよね。だけど、1行も書けなかったんだよ。それを見てたらさ、ああ、と思ってね。
親父、これ以上は書けなかったんだよなって。
舛田胸が痛いです。
書こうとして書けなかったんですね。
親父の戦争体験と環境整備
一倉「親父と戦争」というタイトルで、少し書いたことがあるんだけど、親父は第二次大戦時代、トラック部隊の隊長だったの。
それについて親父が言っていたことなんだけれど、「一倉部隊は故障のない部隊だ」っていうことで名が通っていた。
舛田環境整備を徹底していたってことですか?
一倉そう。徹底して整備させていた。
舛田徹底的に整備させていたからこそ、故障がなかったということですね。
当時のことはわからないんですが、その話から推測するに、他では故障が多かったということですね。
一倉だって戦時中の車なんていったらさ、エンジンがよく故障していたんだから。部下が200人から300人くらいいたって言うんだよね。その時の親父は、20代半ばよ。その年齢でそれだけの人数の命を預かるってすごいよね。
だからこれ、時代がそうさせたって言えば、そうなんだけれども、やっぱり親父は目を付けていたところが違ったということだよね。
環境整備ができている会社かどうかは、◯◯を見ればわかる
舛田環境整備と言えばトイレをきれいにすることは有名ですよね。
松下幸之助さんも自社の工場を視察した時に、自ら腕をまくり、トイレ掃除をしたというエピソードが有名でした。
一倉先生は環境整備について、どこを重点的に見ますか?一倉あのね。
環境整備がよくできているか、できていないか、たった1箇所を見ればわかると言っていた。
舛田1箇所ですか!それはどこですか?一倉それはね、掃除道具が置いてあるところ。
舛田ああ、なるほど。それはもう匠の域ですね。
一倉たしかにそう言っていた。
舛田さすがです。
掃除道具をきれいにしているかどうか、なんですね。だいたいどの本もトイレか玄関って書いてありますけど、道具を置いてある場所っていうのは、それはすごいですね。
そう言われると、実は僕は清掃業をやっていたからよくわかります。掃除道具をきれいにしている職人はきちっとした仕事をします。
※プロは道具を綺麗にしている。
清掃会社は、車に掃除道具を積んで現場に行くのですが、車の中がきれいに整理整頓されていて、使う道具もピカピカだったら、この人は、後片づけをきちんとやって次の現場に臨むんだな、っていうのがわかるんです。そういう人は現場に行っても、迷いがないんですよ。
現場に行くと、いろんな清掃会社が来るんですが、その中で、車内がぐちゃぐちゃの車があるわけですよ。そういうところは必ずクレームがついてくる。仕上がりが悪かったり、汚い雑巾を現場に置いてしまったりとか。いろいろと問題が出てきます。
会社や飲食店が危機にある今、やるべきことは
舛田最近の大きな関心事として、これまで誰も経験したことのない未知のウイルスが全世界に蔓延しました。個人も企業も活動自粛を余儀なくされています。つまり、経済が止められてしまっています。
街に出れば長年あったカフェやレストランも潰れていて、飲食店などがかなり厳しい状況においやられています。観光地もかなり厳しい状況です。現場を見ると本当に困っているところが多いのだろうなと思います。
今この時に、一倉先生ならどうすると思いますか?
一倉いわゆる不況の段階の時にね、どうするかっていうことだね。親父の本にこう書いてあった。
不況は会社をしっかりと作り直すチャンスなんだって。会社の体制だけではなくて社長の意識をね、作り変える時なんだよね。市場にはお客さんはいる。
そのお客さんが変わったなら、そのお客さんに合わせて社長の意識を変えて、会社を作り直す時なんだと、親父の本を読んだらそう書いてある。だから今がその段階の時でしょう、って言うだろうね。
舛田まさに、一倉社長学の真髄ですね。身動きが取れず未来が不安な時代に、お客様に何を提供できるかですね。
それに合わせて会社を作り直す時ですね。たしかにそうですよね。
今まで通用していたビジネスが全く通用しなかったり、サービスもそうですし、まさにそういう時です。
そして、その作り直し方がわからない場合は、一倉式環境整備を徹底的にすることだと思います。
一倉親父が言っていた「すべての活動の原点は環境整備」ということだね。環境整備は、理屈抜きでできるからいいんですよ。
災害があっても何があっても復興の前にはまず環境整備じゃない?それは理屈なくやるよね。
そしてね、今、親父ならどうするかなって考えるとさ、現場主義だから、会社に行って社長の顔を見て、それで、社長が身動き取れていないんだったら、徹底的に環境整備の指導をするだろうね。
舛田環境整備することで、自分の会社が今どのような状態にあるのか、がわかってきますからね。客観的に見ることは重要です。
一倉初めての会社だとしても、こんにちはって会社に入っていって、社長室に案内されるまでに、赤字か黒字かがわかるっていうんだよね。
それで、親父はこんなことも言ってたね。車で移動している時、商店街を通るじゃない。するとシャッターが閉まっていない限り、どの店も一目見ただけで赤か黒かがわかるって。
舛田車で通るほんの数秒の時間でわかる。まさに達人の域ですね。
一倉以前、親父に、伊豆に健康のために砂浴をやりたいから連れて行けって言われて、行ったわけ。
その帰り、2時頃だったかな、昼食をとろうと店を探していたら、親父だって初めて来た土地なのに、この蕎麦屋は美味いから入ろう、って言うんだよ。
そうしたら本当に美味かったんだよ。たまげちゃったよ。あの時、外観を見て、味までわかっちゃうんだもの。
※環境整備ができていないところは、美味しくない。中華、はなみち。
舛田長年現場主義でやってきた勘が働いて、飲食店の味までわかってしまうのですね。
一倉そう思う。やっぱり現場主義をずっと貫いてきたからね。だって現場に行かなきゃさ、社員の応対の感じだってわかんないじゃない。
捨てることと一倉定の本棚
舛田一倉先生は優秀な会社の社長は「捨てる名人」であり、破綻した会社は「切捨音痴」だということをおっしゃっておられました。
コンサルタントとして、赤字会社の社長に、「最も難しく、最も急ぐことこそ、捨て去ることだ」、と納得させることが大事と言われていました。
これまで上手くいっていた事業を捨てる、これまで売れていた商品を捨てる、という決断こそ、今求められていますよね。でも、それはとても難しいことですよね。
一倉捨てるってことは、ほんとできないよ。そのものに思いがあるからさ。だってさ、捨てるってことは、その思いまで捨てるんだもの。
舛田そうですよね。個人的な特別な思いが入りますよね。
そうじ力のセミナーで人気が高いのが捨てるセミナーなんですが、ここには当然、捨てたくとも捨てられない人たちが集まってきます。
汚れを落とすのであれば、その汚れに応じた洗剤や道具があるのではっきりしているのですが、「捨てたいのに捨てられない人」には、これはもう説得しかないですからね。
これが事業経営となると、これまで利益を上げてきたサービスなり商品が売れなくなってくると直ちに捨て去る必要がありますが、苦労して立ち上げた事業はなかなか捨てられません。
一倉親父は言うだけあってよく捨てていたな。だって本棚がさ、一見するとちょっとしかないんだよ。その中にさ、ちょっと俺が関心のある本があったりするのよ。
後で借りて読もうかなと思って、ひと月後くらいに親父の本棚のたしかあそこにあの本があったなって探したら、もうない。親父は読んで頭に入れたら捨てちゃうんだ。
一倉定の決断の速さ
舛田自ら捨て去ることを実践されていたから、決断も速かったんでしょうね。
一倉それは速かったよ。あの決断の速さは、捨てることが得意だったからかも知れないけどね。とにかく直感がすごいんだよ。一瞬にして、頭が回転するんだよね。
親父が関わっていた社長の知り合いで、ある発明家が発泡スチロールを元の液体に戻すという技術を開発したというんだよね。これについて先生にお話をお聞きしたいと。
その開発者と社長2人で、川崎の親父を訪ねて来たことがあってね。
親父は「そうか、発泡スチロールを液体にするのか。すごいな」なんて言っていた。
その社長が「先生、これ、事業化できますか?」と聞くと、親父はほんの5秒、6秒考えて、「それ、事業化できません」って言ったっていうんだよ。
その理由は何かというとね、発泡スチロールを集めてくるには経費がかかり過ぎるからというんだよ。
舛田発泡スチロールを溶かす技術から、事業化のプロセスを組み立てて、その会社の規模も含めて、一瞬で答えを出されるんですね。
一倉そうそう、ただし、自治体がやるのは別だよって。考えてみればさ、2トントラックでね、発泡スチロールいっぱい積んだってさ、どのくらいの液体になるのかってことだよね。それを瞬間に答えたのは、びっくりしたな。
一倉定の原稿の書き方
舛田一倉先生はすべて根源的な原理原則で答えるため、どんな業種でも対応できたということですが、それでも、勉強しなければならないし、全国の赤字会社からお呼びがかかって家にはほとんどいなかったんじゃないですか?
一倉そうだね、コンサルタントが順調になってきてからは、ほとんどいなかった。多い時は赤字会社を何社も抱えていたからね。暇はなかったね。
だってあの部屋にこもっていれば、執筆だもんね。そうじゃなきゃ、あんだけ書けないよね。
舛田一倉先生は自室にこもって執筆されていたのですか。
一倉手元に親父の生原稿があってね。「コンサルタントの社長学」という原稿なんだけど、これを見ると字体がバラバラなんですよ。
書きなぐったように書かれていたり、しっかり書かれていたりとバラバラ。ということはね、電車の中でとか、ちょっとした空き時間に書いているんだよ。
しっかり書かれた文字は川崎の行きつけの喫茶店か、箱根の別荘、あとは自宅の書斎だったりね。もうどこでも書いていたんだよね。
いつも200字詰めの原稿用紙を持っててね。
これだと、かばんに入るし、どこでもすぐ取り出して書けるでしょ。とにかく移動しながら書いていたんだよ。
文字がさ、こっちは書きなぐっていて、こっちはしっかり書く。しかも全部、脈絡が合ってるわけだよね。
舛田驚いたのは、『経営の思いがけないコツ』の中で、P・F・ドラッカーの著作『断絶の時代』に対して、駄作中の駄作と痛烈な批判をされていたんです。
その理由がすごいんです。ドラッカーは、断絶の時代を過去の集大成にしようと思って1年間、山荘にこもってすべての雑念を捨てて、異常な熱意で書き上げたと。
一倉先生はそれが原因で大駄作ができたというのです。時間がない中で書く、追われながら書いていく。だからこそ緊張と集中が生まれる。そして、潜在意識も活性化されるということですよね。
一倉そこ重要だよね、親父はこう言っててね。メーカーがさ、受注するでしょ。ゆとりが欲しいから長納期でものを作る。これではいいものができないんだって言うんだ。
短納期でやるのがいいって。バタバタの中、作っていいものができるんだって。ダメなんだって、長納期のものは。間がダラダラする。まだ間に合う、まだ間に合うって思ってしまって。
舛田本当にそうですね。
時間をかければいいってもんじゃない、ってことですもんね。僕もものすごく調べて時間をかけて書いた本は売れなかったですからね。きっと頭で考えて書いてしまうからだと思うんです。
今回の一倉先生の環境整備についての本を作るのも、まずは知識を改めて入れなくてはいけないから、本を読んで頭に叩き込みました。
でも今は、一倉先生の講義の音声を寝ても覚めても聞いています。すると、本では感じられない一倉先生を感じられる。一倉先生の話し方のくせみたいなものがあるんですよ。
例えば、「だから昔の人は環境整備というものをよく知ってたんですな」というように。この「ですな」をよく使われるんですけど、これだと、ぐっと心に一倉先生が入ってくるんですよね。
言霊としてね。そのようにエネルギーが満ちてくると文章ものってきます。あとは追い込んで書くだけですね。
いつも持ち歩いていた照度計
一倉そうだ、今日はこんなものを持ってきたよ。
舛田これは?一倉これは照度計でね、光を測るものなんだ。
舛田店舗内や作業場の明るさを測るために、一倉先生がいつも持ち歩いていた照度計ですね。
『ゆがめられた目標管理【復刻版】』の「父に想う」にも健二さんが書かれてましたね。
一倉そう親父がいつもこの照度計をね、かばんの中に入れて持ち歩いていて、職場の照明を測っていた。
親父の明るさの基準はどのくらいかというと、これも有名な話だけれど、400ルクスって言ってたね。ところがね、400ルクスにするのって、結構大変よ。
舛田ここのホテルのように西洋系のところは、ちょっと暗めにしたりするんですよね。ダウンライトや間接照明を使って、心をリラックスさせるためですよね。
でも、工場や店舗は、作業するための道具や商品をはっきりと見えるようにするために明るくする必要がありますね。
僕も床の光の量を測る照度計を使ったことがあります。店舗の命は床ですから、床が光っていないと駄目なんですよね。光らせると売上が上がるんですよ。
人の入りが多くなって、自然とものが売れるんです。やっぱり、みんな下を向いて歩いて、床が一番視界に入るからなんですね。わかっている店舗は、ワックスをかけて、艶を出していますね。
それをコストカットしていったようなコンビニがどんどん潰れていったのを見てきました。
一倉親父曰く、店舗の明るさの基準は、真夏の光が強い時間帯に外から見て、その中の店のレイアウトなり商品が見えるようにしなければいけないって。
けれどね、これ、大変だよ。
舛田それはインパクトがありますよね。
やはり、明るいところに人は集まりますよね。中を隠す飲食店などがありますが、僕もよく見えるように指導します。見えないとお客様にとっては不安ですから。
考えて考えて考え抜くと何かが降りてくる
舛田『マネジメントへの挑戦(復刻版)』の長女の敏子さんの、「父、一倉定を想う」にちょっと書いてありましたが、一倉先生は寄付のほうも積極的にされていたと。
一倉川崎大社の本堂が普請された時に、「あの瓦にお父さんが寄進したものが入ってるんだよ」とお袋に教えてもらったな。あとは日本赤十字かな。そこからの感謝状はずいぶん来ていた。それと、ねむの木学園。
知恵遅れの子供に絵を描かせたりね、いろんな活動をしている施設だね。そこはね随分、多額の寄付をしていたみたい。
舛田たくさん寄付をされていたんですね。話は変わりますが、経営者は信心深い方が多くて、聞くと占いとか、風水や陰陽五行などを信じている方が思った以上に多いのですが、一倉先生はそういうものは何かありましたか?
一倉そういうものは一切聞いていない。ただ、食事をする時にね、陰陽ってのは大事だよと言ってたかな。その辺のことは『正食と人体』という本に書いてある。
あまりそういう占いのようなものを信じているというのはなかったな。ただ、こういうことは言っていたな。
社長を指導している時に、何かパッと降りてきて、その時に必要な言葉を自然としゃべると言うんだよ。
初めて行った会社でさ、初めて出くわす問題があるわけですよ。さすがに親父もすぐにはわかんないわけですよ。ところがその会社を出て行くまでに、必ず答えが出てくるっていうんだよ。
舛田すごいですね。それは叡智が開かれているという感覚を持っていたということですね。
一倉親父はよく、「これは俺の力じゃない、これは守護霊様の力だ」って言っていた。
ま、守護霊様という言葉で表現していたり、あと、潜在意識に働きかけるっていうことも言っていた。考えて考えて考え抜くと、潜在意識がまとめて降ろしてくる。そういう表現をしていたね。
舛田なるほど、考えて考えて考え抜くと、潜在意識が使えるようになるんですね。
一倉イズムの啓蒙~初めに読むべき一倉定の一冊とは
舛田一倉先生の考え方は、もう哲学ですよね。やはり健二さんは、これを広げたいと思っておられるんですよね。
一倉まあそうだな。かっこよく言えば一倉イズムの啓蒙だよね。これはやり続けなければならないね。
舛田これから一倉先生の解説本も増えてくると思いますが、そういう意味でも、本書は、「環境整備」一本でまるごと一冊解説していますし、入門書として、若い人から、個人経営者、女性の経営者の方などまで、多くの人に手に取っていただきたいと思います。
一倉舛田さんには期待しているよ。わかりやすい本に仕上がったね。
舛田はい、一倉イズムの啓蒙を頑張ります。そこでお聞きしたいのですが、一倉先生の本は、健二さんから見てどの本から入っていけばいいですか。
一倉きっかけがあればね、どこからでも、入ってもらってもかまわないけれど、まずは復刻した『マネジメントへの挑戦』『ゆがめられた目標管理』、そして21年9月に発刊した『あなたの会社は原価計算で損をする』、の復刻三部作を読んでいただきたいですね。
『マネジメントへの挑戦【復刻版】』はいいよ。「序にかえて」の始まりの文はグッとくるね。
「これは挑戦の書であり、反逆の書である。ドロドロによごれた現実のなかで、汗と油にまみれながら、真実を求めて苦しみもがいてきた一個の人間の、きれい事のマネジメント論への抗議なのである!」と来るからね。
これが、1965年の本だからね。親父の哲学は古くならないんだよ。
舛田まさに今の日本に必要な考えです。
だから、まずは復刻三部作から入っていただいて、一倉先生の思想の原点を知っていただき、それから、日本経営合理化協会の一倉定の社長学シリーズを。
まずは、お亡くなりになられる2年前に書かれた一倉定の社長学《新装版》第10巻『経営の思いがけないコツ』、それから、このパレスホテルで年度初めの講義でもあった、環境整備も収録されている第9巻『新・社長の姿勢』を読んでいただきたいです。
そして第1巻『経営戦略』。そこまでいったら社長学シリーズ全10巻を揃えていただくという流れですね。
社長学シリーズはまるで分厚い辞典のようで、かなり難しいことが書かれているように感じるかも知れませんが、まったく逆で、とても読みやすく、心に迫ってくる言葉で書かれています。
実例も多いですしね。
この間、大学生の長女が帰省していて、私の机の上に置いてあった社長学の『経営戦略』を読み込んでいました。
「この本、読みやすくて面白い!」と言っていました。
一倉それはいいね。
実例も多いからね。
若い人に読んでもらえるのは嬉しいことだね。
舛田僕としても、若いリーダーに読んでもらいたいです。一人でも、独立したら社長ですからね。ユーチューバーだって社長ですし、クリエイターや作家などの芸術家の人たち、女性経営者の方などには、一倉社長学は必須ですね。
そしてやはり、最初は環境整備から入って欲しいです。やり続けることによって、お客様の心がわかってきます。そして希望の未来が見えてきます。
それから未来の数字の作り方、経営計画書を作る技術を学んで欲しい。僕自身も実践を続けながらコツコツと一倉哲学を伝えていきます。
一倉まだ絶版になっている本もあるからね。復刻もやっていきたいね。
舛田やはり復刻は進めていきたいですね。
絶版になっている1991年発刊の『社長の販売学』も今の時代にぴったりです。また、自然治癒力を上げる一倉先生の体験的健康学である『正食と人体』。これも復刻したいです。健二さん、最後にメッセージはありますか。
一倉そうだね。
どんなきっかけでもいいから、親父の本を手にとって読んでもらいたいね。必ず黒字化することだけは約束できる。
舛田本日は本当にありがとうございました。
一倉ありがとうね。
あとがきにかえて
「新刊は一倉定の環境整備を書きたいです!」2020年9月、一倉定先生の唯一の健康学である幻の名著『正食と人体』の復刻のために、以前一緒に仕事をしたことのある日本実業出版社の編集担当の中尾淳さんに、ご子息の一倉健二さんを紹介させていただきました。
そのミーティングの最後に、中尾さんから「舛田さん、そろそろ新刊やりませんか?」と声をかけていただきました。
「それなら、『一倉定の環境整備』を書きたいです」と、頭で考えるよりも先に、口から言葉が飛び出していました。
言葉に引き上げられるように胸の奥から熱い思いが沸き起こって来ました。
それは、長年私が叶えたい夢の一つであったからです。
中尾さんは、その場におられた健二さんに、「舛田さんが、お父様の一倉定先生の環境整備について書きたいということですけど、健二さんどう思われますか?」と聞いたのです。
健二さんは、「親父から影響を受けて、そうじ力で長年やってきた舛田さんが、環境整備を書くのは面白いし、いいんじゃないか」と言ってくれたのです。
「これは今、何かが動きました。健二さんの承認もこの場でいただける奇跡が起きました。舛田さん、企画を進めましょう」ということで、本書の企画がスタートしたのです。
そして中尾さんの情熱で企画のゴーサインをもらえて出版が決定しました。
一倉社長学の解説本がほぼ皆無という奇妙さ私は、一倉式環境整備に強く感化されて、そうじ力を創りました。
一倉先生は、「多くの人々は環境整備のことをよく知らない」と言います。
それは「十カラットのダイヤモンドがゴロゴロところがっている宝の山に入り、誰でも自由にこれを拾っていいのに、これを拾い上げようとしないようなものである」とたとえます。
環境整備をテーマにした論文やセミナーなどは皆無に近く、一倉先生に言わせれば、これほど奇妙なことはないというのです。
「ならば、私がその論文を書くぞ」と決意して、一倉式環境整備に影響を受けながら、より個人が実践しやすく一般化させて生まれたのが、2005年に出版された『夢をかなえる「そうじ力」』でした。
当時、実用書としての整理整頓術やお掃除の本はありましたが、自己啓発を含んだそうじ本はありませんでした。
口コミで広がり、出版依頼も殺到し、出す本は立て続けにベストセラーとなり、シリーズ累計300万部を超えるのにそれほど時間はかかりませんでした。
業界では100万部を超えると一つのジャンルが確立され競争が激化します。
そのような意味では、その後の片づけ、掃除ブームを作ることに貢献できたと思っています。
現在では、人生をより良くするための片づけ、掃除本が数え切れないほど出版されています。
これは世界でも類を見ない現象です。
一倉先生が嘆いていた、「環境整備に対する論文もセミナーも皆無に近い、奇妙な状態」からはかなり改善されたと思います。
この成果は歴史的に見ても、そうじ力のミリオンセラーによって成されたことだと思っています。
これは、一倉式環境整備の大きな影響の力が働いていたことは言うまでもありません。
しかし、今度は私が奇妙な気持ちになりました。
それは、これほど偉大な一倉定先生の経営哲学が、あまり知られていないということです。
生前、一倉先生は、「俺の社長学を実践すれば潰れる会社はない!」と言い切っていました。そして実際に1万社以上の会社を指導し、数多くの赤字会社を黒字に変えたのです。
しかし現状は、現在でも毎年、4000社近くの会社が倒産しているのです。もっともっと一倉定の社長学、経営哲学が研究されるべきなのではないでしょうか。
P・F・ドラッカーの解説本は溢れるようにあるのに、一倉定の解説本は皆無に近い。私に言わせたら、これほど奇妙なことはないのです。
チャンスがあれば一倉先生を世に紹介する本を書くべきだと、そんな気持ちをずっと心に秘めておりました。
それが、突然、チャンスが来たのです。
一倉社長学の全体像を詳しく解説することは私にはまだ荷が重いですが、これまで20年近く、そうじ力で実績を上げてきた自分であれば、一倉式環境整備を語ることはできると思い、いや思い込んで、執筆を開始しました。
一倉山脈で遭難しかける執筆期間中、2回、一倉先生の夢を見ました。最初は、一倉定の社長学シリーズを集中して勉強し直していた時でした。
社長学シリーズは分厚く、重く、持ち運ぶ苦労があったので、外出時は、社長学講話の音声を聴きました。
また、潜在意識にも入れるために、就寝の時には、寝室でも音声をかけっぱなしにしていました。まさに寝ても覚めても一倉定です。
学べば学ぶほどに伝えたいことが多くなり、環境整備でも精一杯なのに、ワンマン経営についても書きたい、経営計画書やお客様訪問、資金運用計画についても書きたい、そんなふうに盛り込んでいくうちに、頭が混乱して書けなくなってしまいました。
自分の能力の低さに自己嫌悪に陥り、自信が持てなくなったのです。そんな時に、夢に一倉先生が出て来られました。夢の中での私は、実家の学生時代の自室にいます。夜遅くにチャイムが鳴り、出てみると、玄関に一倉先生が立っていました。
「この近くの会社を指導していて帰りが遅くなったので、泊めてくれるか」と言うのです。緊張しながらも自室に先生を案内し、布団を並べて敷きました。一倉先生は、一言も話さず布団に入り、そのまま眠ってしまいました。
翌朝、私が目を覚ますと、一倉先生は、すでに身支度ができていて、私に対して、昨日指導した会社がどのような会社だったかを説明しました。
私は夢の中で、すぐに布団から飛び出て、ノートを取り出してメモを取り始めたのですが、はっと実際に目覚めた時には、話の内容は覚えていませんでした。
この夢をきっかけに、なぜか急に書く意欲が湧いてきました。
さらに、一倉社長学的には、今の自分は絞り込みの原理に反していることもわかり、当たり前なのですが、環境整備一本に絞り込んで書き進めることにしたのです。
二度目は、原稿をすべて書き上げた日でした。
達成感と開放感の喜びに沸いていた日の夜に、一倉先生が夢の中に現れて、一言、「60点」と言われました。
朝起きた時、「60点かぁ。そんな点数じゃ、世に出せない」とかなり落ち込みました。
それは、一倉山脈の頂上まであと少しというところで、猛吹雪にあった感じです。遭難しかけました。その日から、直しの日々が始まりました。なぜ60点なのか。
その原因は、より多くの人に一倉先生の考えを伝え過ぎて、読者層がバラバラになってしまっていたからでした。
本を執筆する時は、どんな人が読んでくださるのかというターゲットを明確にします。年令や性別、どのような職業に就いていて、どのようなことで悩んでいるかをイメージして、その方に語りかけるように書いていきます。
本書であれば、一倉定の環境整備ということですから、読者は社長と決まっているのです。
わかってはいるのですが、どうしても、より多くの人に一倉定の名前と考え方を伝えたいと思って、ターゲットが広がってしまったのです。
一倉先生の社長学、経営哲学は、お客様に販売をしているすべての人に利益をもたらします。
ですから、中小企業の社長にはもちろん伝えたいし、女性の経営者にも、飲食店オーナーにも、支店長にも伝えたい、さらに、芸術家にも伝えたい。
ミュージシャンや芸人だって、一時的な成功ではなくて、売れ続けるために、お客様の要求に合わせて、提供する曲や芸を作り変えていく必要があるし、経営を知らなければ、長く成功をし続けることは難しくなります。
才能を活かし、創作をすることで多くの人に夢や希望を与えられるアーティストやクリエイターの人たちにも、絶対に知ってもらいたい。そう考えていくうちに、読者層が広がり過ぎたのです。
中尾さんにも広げ過ぎないほうがいいとアドバイスをいただき、第1章を何度も何度も書き直しました。7回は書き直したでしょうか。そして、ようやく頂上に辿り着くことができました。一倉山脈はとにかく険しいものでした。
これが頂上かと思いきや、何度も下がったり登ったり、遭難の危機を乗り越えて、ようやく、一倉式環境整備の頂上に到達することができました。
その景色は絶景であります。そして勉強になりました。環境整備はやはり想像以上に高く、そして深かったです。
本書を書き終えた今だからわかったことは、この一倉経営哲学は、正しい資本主義の精神に戻すものです。
実践すれば、この地上から赤字会社がなくなるばかりか、黒字化の加速、つまり、発展繁栄を続けることができる、と確信できました。
さらに一倉経営哲学は、普遍的法則に貫かれているので古くなりません。
その証拠に、1965年に発刊された『マネジメントへの挑戦』が復刻してベストセラーとなっています。
これはあくまで私の予言ではありますが、これからの時代、世界中で一倉定先生の社長学、経営哲学が求められると思います。
ぜひとも、私のあとに続く、一倉定研究本、解説本を書く人が多く出てくることを願っています。最後に強くお願いしたいこと私から最後に強くお願いしたいことがあります。ぜひ、本書で学んだことを実践してください。一倉先生の最も嫌うこと。
それは、空理空論を振りかざしてわかったふりをすることです。一倉先生のご著書を読まれた方はわかると思いますが、実例の宝庫です。それは現場主義を貫き、実践することを重要視していたからです。
実際に一倉社長学を実践して業績を回復した会社の実例に満ちています。
それは、一倉経営哲学をイメージさせて、私たちの心に深く染み込ませるために、つまり実践させるのが目的だったのです。
だから是が非でも実践してください。実践しなければ、何も変わりません。行動に移さなければ、環境も変わらず、心も変わりません。知識や理論を語れたとしも、実践がなければ、変化は起きないのです。
埃を取り除けば、その体験はあなたのものとなります。血となり肉となります。環境整備をやり続ければ、知識が智慧に変わる瞬間を体験するはずです。実践を続ける中で、環境の変化とともに智慧が深まっていきます。智慧が現実を変えていきます。
一倉式環境整備を実践していれば、必ず成果は出ます。
倒産の危機から脱出できた。新しい商品がひらめきヒットした。売上が上がり続ける。このように目に見える形で成果が現れてきたら、ぜひ、その体験を、同じような悩みで困っている方に伝えてください。
あなたの実践から、未来は明るく開けていきます。あなたの心が変わり、行動が変わり、会社が変わり、豊かさが流れ出します。お客様を幸せにし、社員の人生をも変えていきます。周りの会社にもいい影響を与え、地域が活性化していきます。何と素晴らしいことでしょう。
私の願いは、これは一倉先生の願いでもあると思いますが、お客様を相手に商売を始めたすべての人、すべての組織の黒字化です。
環境整備を基本として、一倉社長学、経営哲学を学んでいただければ、赤字経営から必ず抜け出すことができます。
黒字を続けていくことができます。利益を出し続けることができます。お金が入り続けていくのです。
学校、病院や町、国家でさえ、環境整備により発展繁栄今回、社長を始めとする経営者に絞って環境整備を語ってきましたが、企業以外でも絶大な効果を発揮することを付け加えておきます。
学校法人に導入すれば、不登校やいじめがなくなります。
風紀の乱れが正されるだけにとどまらず、教育者の人格向上、生徒の人格向上、さらには学力向上が期待できます。
また、部活においても、著しく成果を上げることができるようになるでしょう。これは、私自身いくつもの実例を体験しています。
医療法人に導入すれば、患者が健康状態に戻るまでの期間を短縮することができるでしょう。また、一倉式環境整備を導入した市町村は、地域の活性化、村おこし、町おこしの原動力になります。
そして、国が本気で環境整備に取り組めば、世界中のどの国も、発展繁栄するに違いありません。学校も、病院も、村も町も、国家でさえ、環境整備によって発展繁栄することでしょう。なぜなら、「環境整備はすべての活動の原点である」からです。
本書を終えるにあたり、最後はやはり、一倉定先生の言葉で締めましょう。最後までお読みくださり、ありがとうございました。
2022年1月吉日舛田光洋
環境整備こそ、すべての人びとの活動の原点である。むろん企業にとってもそうであることはいうまでもない。環境整備のないところ、会社の発展はない。環境整備のないところ、社会秩序も住みよい世の中も、いや、国家の繁栄さえ絶対にあり得ない、というのが私の信念ともいうべきものである。
一倉定の社長学第9巻『新・社長の姿勢』より
謝辞一倉定研究会理事長の山本敏彦先生には、一倉先生の貴重な情報、アドバイスをいただきました。ここに謝意を表します。
また、谷口勝美社長、谷雅美さん、片平悦子さん、高島明美さん、新山征一さん、皆様の智慧と励ましがあって本書を書き終えることができました。ありがとうございました。
本書執筆中において相談に乗ってくれた親友である打樋洋一、タカ子夫妻には、助けられました。あなたたちの存在がどれほど私を勇気づけたことでしょう。ありがとうございました。
いつもどんな状況でも私を支え、励まし、時には厳しく、最後まで執筆を手伝ってくれた妻、麗に、最大の感謝を捧げます。あなたのおかげでこの本は完成しました。ありがとう。
また、私の3人の子供たちにもお礼を言っておきたいです。海結、愛梨、光城、何度も原稿を読んでアドバイスをくれましたね。
とくに次女の愛梨は、一倉先生並みの厳しい点数を付けてくれました。おかげでパパは奮起して何度も原稿を書き直せたよ。3人ともありがとう。
そして、舛田家の日常運営を一手に引き受けてくれている加藤征子さんにも心からのありがとうを捧げます。
私により良き人生を与えてくれた両親、父升田文夫、母栄子には、いくら感謝をしてもしきれません。ありがとう。そして最後に、一倉定先生、一倉健二さん、ありがとうございました。
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