16「儲け」は社会からの事業依頼儲けた金は、社会からの事業依頼の金である。そう考えることで新たな事業への考え方も力強いものになる。 ――松下さんは、たとえ私企業といえども会社の財産は〝公〟のものと考えるべきだと主張されていますが、いつからそのように考えるようになられたのでしょうか。松下 商売を始めた当時は、自分自身の生活というものが非常に心配でしたが、二、三年もすると、今度は商売とはどういうものかを、ひょっと考えてみたんです。 結局社会と関連して、相互の生活を向上させることに一つの使命がある。そう考えてみると、商売であがった利益は、法律上は個人のものであるけれども、しかし実質的には社会の共有財産である。したがってその一部は自分の良識で使うことが許されるけれども、大部分は社会から預かった金である。その事業をもっとたくさんするために、という意味で預かった金だ、と解釈したんです。 したがって、私は三、四十人しか使っていないときから、個人の生活と店の経理を別にしてきました。それは法人であればむろん当然ですが、個人商店の場合は、昔のことですから店の金も自分の生活費も一緒やった。 けれども私はそれをやらなかったんです。そして毎月決算をすることにした。その考えがだんだん強くなって、個人の財産も本質的には全部社会の共有のものである。したがって自分の財産は、みだりに使うことは許されない。むしろ財産があることは、それでさらに事業をしなければならんと考えるにいたったんです。 その意味で、儲けた金は、社会からの事業依頼の金であると解釈する考えをもちました。そうなってくると、事業に対しても、公共性をもっているというはりあいで、仕事に精神的な面で非常に強みができてくる。自分が儲けるためにだけでは弱いんです。また、経営上の信念も非常に強くなってくるんです。 だから工場とか施設を建てるのには非常に大胆でした。自分個人の金を損せんか、損せんかという心配はない。利益は、当然また使うために社会から投資されているんだということです。 実際、いくら金を儲けても個人であの世までもっていけない。いつかはだれかに、または国に還元しなければならない。結局そう考えていいわけです。一部は報酬として自分が使うことを許されるが、大部分は勝手に使うことは許されないのです。〔一九六一〕
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