自我意識の問題
瞑想の実践では、思考が考え事を始める前にできるだけ意識のチャンネル変える練習をしてきました。
この章では、思考が悩みやそもそも、なぜ私たちは怒りや不安を起こしてしまうのでしょうか?瞑想を深めていくとき、単に起こった感情や思考を受け流すだけではなく、不安や怒りの原因についてよく理解しなければいけません。
つまり、その原因さえ取り除いてしまえば、これらの感情は起こらないからです。そして、そのとき初めて、私たちは深く瞑想に専念することができるようになるのです。
では、この問題について考えてみましょう。
まず、怒りの原因とは「私」です。
「私とは何か」という問題についてはすでに考えてきたように、ヨガの教えでは「私とは心でも体でもなく、それらを見ている意識だ」と考えます。これは一つの理解ですが、一方で「この体こそ私だ」「私が考えている」という認識がいつも生まれています。
例えば、誰かがあなたの容姿を馬鹿にして、「あなたブスだね」と言えば腹が立ちます。もし、「私は体ではない」とはっきり理解しているなら、あなたがこのように自分の容姿を馬鹿にされたとしても怒る道理はありません。体は私ではなく、私でないものを馬鹿にされても怒る必要がないからです。
同様に、心もあなたではない訳ですから、例えば誰かに「君の意見は間違ってるよ」と言われたとしても、恥ずかしくなったり腹を立てる必要もないはずです。
あなたの思考はあなたそのものではなく、あなたの心が作り出したものだからです。このように考えてみると、私たちの心には体や心を「私」だと思わせる精神的な作用があることが分かります。
これを自我意識、ヨガではアハンカーラと呼びます。この自我意識は何か自分に近い対象を見つける度に、「これが私だ」と言い続けています。
それは単に体や心だけではなく、様々な対象に及びます。
「これは私のお金だ」「これは私の仕事だ」「これは私のアイディアだ」「これは私の家族だ」。このように、自我意識は日々様々な対象と「私」を結び付けてしまいます。これが、私たちを悩ませる原因なのです。
具体的に考えてみましょう。
悩みや怒りの原因例えば、大勢の家族でバーベキューに行きました。ある家の車はベンツのような高級車で、自分の家の車は中古の軽自動車です。
このとき、「うちの車が古い軽自動車なんて恥ずかしい。うちが貧乏だと思われてしまう」というように、劣等感が起こります。また、「あなたの車安物ね、汚いわね」と笑われれば腹が立ちます。
このとき、笑われたのはあなたの「車」であり、「あなた自身」ではありませんが、「車」と「私」が同一化しているために恥ずかしさや怒りが起きてくるのです。
つまり、自我意識が「この車は私だ。この車が笑われたら、私が笑われているのと同じだ」という認識を起こしているのです。
このように、私たちが何かと比べて悩んだり、怒ったりする原因はこの自我意識が「私」という対象を作り出している点にあります。
自我意識によってある対象が私と深く結びついていると、それが馬鹿にされたり、あるいは失ったときに深く動揺することになります。
また別の例について考えてみましょう。
長年勤めた会社で部長にまで昇格しました。その会社の部長である間は、部下に色々と指示を出したり、おだてられたりします。しかし、会社が倒産して、自分の立場を失ってしまうとどうでしょう。まるで自分の価値がなくなってしまったかのような喪失感や不安を感じます。
また、次の仕事に就いたとき、自分より若い人に指示されたり軽く扱われたりすると、「私は前の仕事では人に指示する立場だったのに、今度は自分より若い人に指示されなくてはならないなんて不愉快だ」と思います。
このような場合、自我意識が〇〇会社の部長という立場を「私」だと認識させているため、不安や怒りを感じるのです。実際、このような自我意識は日常の中でよく起きています。
「あいつは年下なのに生意気だ」と思うなら年齢と「私」が、「あいつは女なのに出しゃばっている」と思うなら性別と「私」が同一化しているのです。
このように、私たちは様々な対象を「私」だと認識し、その「私」を通して怒りや不安が起きています。以上のように、何かについて悩んだり怒ったりするときには、必ず「私」という対象があります。では、この「私」からそれらの対象を取り去ってしまったらどうでしょう。
「体は私ではない」「仕事などの社会的な立場は私ではない」「心も私ではない」と念想し、自我意識の対象となるものを切り離してしまうのです。
ヨガで「私は心でも体でもなく意識である」と言うとき、「私」の対象となるものは本来何もないということを意味します。このように「私」からあらゆる対象が切り離されてしまえば、心に怒りや不安が起きる原因はなくなってしまうのです。
「私」から対象がないとき、なぜ怒りや不安がなくなるのかという点について少し解説しておきたいと思います。私たちが怒りや不安と呼んでいる感情の多くは思考が作り出しています。では、思考が活動するために必要なものは何でしょうか。
思考が働くには何か対象が必要です。つまり、思考の動きにはその原因となる「もの」や「こと」があるのです。皆さんの思考を少し観察してみてください。
「あれが欲しいんだけど、どうすれば手に入るだろう」「あの人にこんなこと言われたんだけど、どういう意味だろう」というように、そこには必ず何か対象があるはずです。対象のない思考はありません。
ですから、以上のように「私」からあらゆる対象を離してしまえば、「私」に対して思考が働くことがなくなるのです。したがって、「私」から対象がないとき、怒りや不安が起きてこなくなります。
これが『ヨーガ・スートラ』が目的としている状態です。瞑想でこのような状態が保たれるとき、私たちの心は完全な静寂を得ることができるからです。
なかなか理解が難しいかもしれませんが、ヨガの経典である『ヨーガ・スートラ』を読み解きながら、この点についてもう少し考えてみましょう。

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