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PART Ⅴ すべての記憶は「偽物」である

PART Ⅴ すべての記憶は「偽物」である

37 トラウマ治療が生み出した冤罪の山 38 アメリカが妄想にとりつかれる理由 39 トラウマと PTSDのやっかいな関係 40 人類がトラウマから解放される日付論 1 PTSDをめぐる短い歴史付論 2 トラウマは原因なのか、それとも結果なのか?あとがき参考文献

37 トラウマ治療が生み出した冤罪の山 1980年代のアメリカで奇妙な事件が頻発するようになった。子ども(ほとんどが成人した娘)がある日突然、幼い頃に性的虐待を受けていた記憶を回復し、実の親(ほとんどは父親だが、母親が共犯の場合もある)を訴えたのだ。 なかには、両親が悪魔崇拝の儀式に参加し、 25人かそれ以上の赤ん坊の手足を切断して生贄とし、娘の胎内にいる赤ん坊をハンガーで搔き出し、手足をもぎとった胎児の血みどろの死体を娘の裸の身体にこすりつけたという告発もあった。 驚くのは、アメリカの裁判所が、なにひとつ物的証拠がないにもかかわらず、荒唐無稽な証言だけを根拠に有罪を宣告したことだ。こうして多くの父親が投獄され、全米を揺るがす「記憶戦争」が幕を開けた。 第二次大戦後、とりわけベトナム戦争の精神的後遺症に苦しむ帰還兵が大量に現われたことで、心因性の大きなショック(トラウマ)がさまざまな精神疾患を引き起こすという理解が広まった。これが PTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。 するとここから、患者がうつなどの精神的な症状で苦しんでいるのなら、その背景には、なんらかのトラウマがあるに違いないという「逆転」の発想が生まれた。幼い頃の過酷な出来事が〝抑圧された記憶〟というトラウマとなり、成人した後になっても多くの女性を苦しめているというのだ。 この主張が広く受け入れられたのは、その圧倒的なわかりやすさにある。子ども時代に繰り返し性的虐待を受け、こころに深い傷を負ったものの、「このことをけっして口外してはならない」ときびしくいわれ、その記憶は封印されてしまった。だが〝傷〟は大人になっても生々しく残り、それがうずくたびに精神的な混乱に襲われ、やがて社会生活が破綻してしまう……。「そうか、わたしの人生がなにもかもうまくいかないのは、抑圧された記憶のせいなんだ!」 いうまでもなくこれは、「ひとは受け入れがたい記憶や欲望を無意識に抑圧している」という〝俗流〟精神分析理論の焼き直しだ。うつや神経症の背後には幼少期の性的外傷が隠されており、この症状は〝抑圧された記憶〟を回復することでしか消すことはできないのだという。 この理論を受け入れたセラピストたちは、催眠療法やグループ療法で患者の「記憶」を回復し、〝ほんとうの自分〟を取り戻すべきだと主張しはじめた。そればかりか、トラウマ体験を思い出した〝被害者〟に〝加害者〟である親を訴えるよう促した。 1980年に出版された『ミシェルは覚えている』では、催眠療法を受けてトランス状態だったときに抑圧されていた記憶が蘇ったとする 30歳の女性が、「幼児期に悪魔崇拝カルトによって性的虐待を受けた。母親もカルトの一員だった」と告発し、センセーションを巻き起こした。この本が出版されてから約 3年間で、「託児所が実は悪魔崇拝カルトの一員で、預かった子供たちに性的な虐待を行っていた」という訴訟が全米で 100件以上提起された。 88年に出版され発売後数年間で 75万部を超えるベストセラーとなった『生きる勇気と癒す力』では、「性的虐待を受けたという記憶が蘇ってから 3年以内であれば訴訟を起こすことができ、和解金の範囲は 2万ドルから 10万ドル」という弁護士のコメントと、こうした訴訟を専門とする弁護士の連絡先リストが掲載されていた。 きわめつきは、「ヒロインが子供時代に使ったベッドに寝転んだときに、父親から性的虐待を受けていた記憶が蘇る」という物語仕立ての『広い場所』が 92年のピューリッツァー賞を受けたことだった。それからの 3年で「蘇った記憶」の訴訟はピークに達し、年間 100件を超えるようになった( 33)。 記憶回復療法が全米で大ブームを巻き起こすと、一部の専門家から疑問の声があがりはじめた。 だが当初、彼らは「蘇った記憶」を支持する一派から「幼児と女性に対する犯罪を擁護する学者たち」としてヒステリックな抗議を浴びた。とりわけ、記憶研究の大家で記憶回復療法を厳しく批判したエリザベス・ロフタスは「懐疑派」の筆頭とされ、殺害の脅迫状が送りつけられるなど、一時は身辺警護のためにボディガードを雇わなければならないほどだった。 ロフタスは、催眠療法は抑圧されていた記憶を取り戻すのではなく、記憶を捏造しているのだと主張した。そして、きわめて簡単な方法で偽りの記憶を埋め込めることを実証してみせた。それが「ショッピングセンターの迷子記憶実験」だ。 ロフタスの学生の一人は、 14歳の弟に子どものときに起きた出来事を4つ示し、それについて思い出したことを毎日、日記に書くように求めた。そのなかに、 5歳のときにショッピングセンターで迷子になったというつくり話をまぎれ込ませておいた。 すると弟は、早くも 1日目の日記で「親切なおじさん」を思い出し、数週間後には、そのおじさんが青いフランネルのシャツを着ていたことや、頭がすこし禿げて眼鏡をかけていたことなど、細部を説明するまでになった。 兄から、ショッピングセンターで迷子になった記憶が偽りだと告げられても、弟は信じようとしなかった。それに対して、実際に起きた出来事の1つは、最後までまったく思い出せなかった( 34)。 なぜこんなことになるのか。それは記憶が、パソコンのハードディスクに保存されているようなものではなく、流動的でつねに書き換え可能だからだ。 誰でも子ども時代に迷子になって不安に思ったことや、家族と一緒にショッピングセンターに行った思い出があるだろう。すると、実際に起きていない出来事であっても、ちょっとしたきっかけで、こうした記憶の断片が簡単に結びついてしまう。だが被験者は、この過程を「忘れていた記憶が蘇った」と体験するため、捏造された記憶が〝事実〟になってしまうのだ。 ロフタスの研究につづき、認知心理学者たちが次々と「記憶はつくりだせる」という研究を発表した。子ども時代の写真を加工するなどして視覚に訴えると、とりわけ効果的なこともわかった。 なんらかの理由で社会生活に失敗し、精神的に苦しんでいる女性がいたとしよう。そんな彼女は、なぜ自分だけがこんなにつらい思いをしなければならないのか、その理由を必死に探している。トラウマ理論に影響を受けたセラピストたちはこの過程に介入することで、いとも簡単に偽りの記憶を埋め込み、とてつもない災厄を引き起こしたのだ。 記憶回復療法が似非科学であることが明らかになり、幼児虐待などで懲役刑に処せられていた被告らが再審で逆転無罪になると、こんどは父親が娘を訴えるなどの事例が続発した。記憶を修復すると喧伝するオカルト心理学は、多くの家族を修復不可能なまでに破壊してしまったのだ。 欧米から「輸入」されたトラウマという概念が日本でも大流行している。幼児期の虐待の訴えだけでなく、娘が母親を「毒親」と批判するのも珍しくなくなった。だが、記憶が頻繁に書き換えられているという近年の知見は、従来の常識に疑問を突きつけている。 もちろんこれは、「トラウマは虚偽記憶」ということではない。そもそも記憶とは何か、という問題なのだ。

38 アメリカが妄想にとりつかれる理由 ドナルド・トランプとヒラリー・クリントンが争った 2016年の米大統領選挙の最中、ワシントン DCのピザ店を拠点に民主党関係者が児童の人身売買や売春を行なっているとの陰謀論が SNSで拡散された。これが「ピザゲート」として有名になったのは、この荒唐無稽な話を信じた男がライフルを持ってピザ店に押し入り、発砲騒ぎを起こしたからだ。男は、虐待されている子どもたちを救おうとしたのだと述べた。 児童虐待の噂は、幼い子どもや孫をもつひとたちを大きな不安に陥れるので、しばしばアメリカ社会に混乱を引き起こしてきた。 1980年代には、託児所で性的虐待が行なわれているとの告発が大論争を巻き起こした。発端は 1人の母親が、 4歳半の男児の夜尿や、幼い従妹と性的な遊びをしていたことに不安を募らせたことだった。彼女の弟(叔父)は子ども時代に性的ないたずらをされ、そのトラウマをずっと引きずっていた。 そこで母親と叔父は、託児所でなにか不適切なことをされたのではないかと男児を問い詰めた。最初は否定していたが、やがて託児所の男性保育士に「パンツを下げられた」と告白した。 母親がそれを社会福祉局に通報すると、その 3日後に保育士は強姦容疑で逮捕された。 この話がメディアで報じられると、他の保護者にも動揺が広がった。警察が親たちに、虐待があったかどうかを繰り返し、粘り強く子どもに訊ねるよう求めると、「裸のプールパーティがあった」「悪い道化師に〝魔法の部屋〟に連れていかれた」「肛門に 12インチ(約 30センチ)の肉切り包丁を挿入された」などの証言が次々に集まった。その結果、男性保育士と同じ託児所で働いていた彼の母親と妹も相次いで逮捕され禁錮数十年の有罪判決を受けた。 3人は犯行を強く否定したものの収監され、裁判所が「不適切な聴取および捜査方法」を理由に母親と妹を仮釈放するまで 8年かかった。男性保育士の有罪判決は覆されず、 18年後に仮釈放された。 なぜこんな異常なことが起きたかというと、子どもへの犯罪は処罰感情がきわめて強く、警察は「悪」を摘発して市民の期待に応えようとし、裁判所は世論の反発を恐れて、冤罪の可能性を検討できなくなるからだろう。 アメリカではこの当時、退行催眠で子どもの頃の抑圧された記憶にアクセスし、親からの性的虐待などのトラウマ体験を蘇らせる精神療法が大流行していた。これによって多くの親が、身に覚えのない虐待や「悪魔崇拝」で投獄される事態を招いた。 不思議なのは、こうした異常な事態は日本はもちろん、フロイトの本場のドイツ・オーストリアや、精神分析が普及したフランスでも起きていないことだ。アメリカだけがなぜ、繰り返し妄想にとりつかれるのだろうか(ただし英語圏のイギリスでは、記憶回復療法のセラピストが同様の事態を引き起こした)。 これについて有力な説明は、「アメリカは妄想的な人間が集まってつくった国だから」というものだ。 宗教弾圧を逃れて命がけで大西洋を渡ったピルグリム・ファーザーズは、 17世紀当時のヨーロッパの平均的な母集団から選ばれたわけではない。その後も多くの者たちが新大陸を目指したが、彼らを駆り立てたのは「夢と冒険」だ。保守的で堅実なひとたちは、なにもかも捨てて新天地に移住しようなどとは思わないだろう。 双極性障害(躁うつ病)の有病率は世界全体でおよそ 2・ 4%だが、アメリカ国民の有病率は 4・ 4%で世界でもっとも高い。 双極性障害をスペクトラム(連続体)と考えれば、重度から軽度にかけて大きく4つのタイプに分類できる( 35)。 ①双極 Ⅰ型:うつ状態と躁状態がはっきりとした精神疾患で、典型的な躁うつ病。 ②双極 Ⅱ型:うつ状態は重度だが、躁は軽躁状態と呼ばれる比較的軽いものになり、場合によっては単極性のうつ病と区別が難しい。 ③気分循環症(サイクロサイミア):軽躁状態と軽いうつのサイクルで、社会生活には問題ないものの、周囲からは「気分が変わりやすい」と思われる。 ④発揚気質(ハイパーサイミック):うつ状態のない軽躁状態が続くことで、「活動過多(ハイパー)な性格」とされる。 ハイパーサイミックは、「陽気で気力に溢れ、ひょうきんで過度に楽観的で、過剰な自信を持ち、自慢しがちで、エネルギーとアイデアに満ちている」「多方面に広く関心を向け、なんにでも手を出し、おせっかいで、あけっぴろげでリスクを冒すのを厭わず、たいていはあまり眠らない。ダイエット、恋愛、ビジネスチャンス、さらには宗教といった人生の新たな要素に過剰に熱中するが、すぐに興味を失う。しばしば偉業を成し遂げるが、一緒に暮らすと苦労する相手でもある」とされる。これはアメリカ人の自画像そのものだ。 アメリカ人の躁うつ病(双極 Ⅰ型)の罹患率が 25人に 1人だとすれば、ハイパーサイミックは 10人に 1人、あるいはもっと多くても不思議はない。彼ら/彼女たちはモチベーションが高く、創造性にあふれ、リスクを冒して大胆な行動をとるので、社会的・経済的に成功しやすい。 だが、よいこともあれば悪いこともある。一つは、ハイパーサイミックは躁うつ病へと至る連続体で、強いストレスが加わると(より重度の)サイクロサイミアから双極 Ⅱ型に移行するかもしれない。このことは近年、経済格差の拡大するアメリカでうつ病が急増し、大きな社会問題になっていることと符合する。 もう一つは、妄想(パラノイア)につながる負の側面があること。アメリカは建国以来、至るところで「ファンタジー(魔術思考)」が噴出し、セーラムの魔女裁判から宇宙人に誘拐されたという「 UFOアブダクション」、記憶回復療法によって告発された悪魔崇拝など、しばしば「狂乱」に陥ってきた( 36)。世界は「ディープステイト(闇の政府)」に支配されているという Qアノンの陰謀論や、「選挙は盗まれた」としてトランプ支持者が米連邦議会議事堂を占拠した事件は、その最新のヴァージョンだ。 これに関して興味深いのは、日本人の双極性障害の有病率は 0・ 7%ほどで、世界でもきわめて低いことだ。そうなると裾野を形成する双極 Ⅱ型やサイクロサイミア、ハイパーサイミックの割合も低くなるはずだ。 だがその一方で、日本人の自殺死亡率はあいかわらず先進国のなかでは(韓国に次いで)もっとも高く、アメリカと同様、うつが大きな社会問題になっている。 あくまでも私見だが、これはアメリカが「軽躁社会」で、日本がメランコリー型うつ病(単極性うつ病)に罹患しやすい「抑うつ社会」だと考えれば、うまく説明できる。 日本人は内向的で神経症傾向が高く、改良は得意だがイノベーションが苦手で、時刻表通りに電車が運行しないと許されず、感染症は「同調圧力」で対処する。 個人でも社会でも、目に見えるちがいの背景には遺伝的・生物学的基盤がある。これをわたしたちは個性や国民性と呼ぶのではないだろうか。

39 トラウマと PTSDのやっかいな関係 わたしたちはつねに、因果関係を探している。これは脳の「基本設計」で、なにか悪いことが起きると、そこには原因があるはずだと(無意識に)考える。なぜなら、理由もなく不吉なことに出合うのはものすごく不気味だから。神話や宗教などは、この「実存的不安」を抑えるためにつくられたのだろう。 リベラルな社会では子どもへの暴力が忌避され、幼児がひどく怯えたり、性的なことに関心を示すと、虐待が疑われるようになった。 そこで研究者が、実際に性的虐待を受けた子どもたちを調べたところ、 33%になんらかの恐怖心があり、 53%に PTSD(心的外傷後ストレス障害)の一般的な症状が、 28%に不適切な性行動が見られた(重複あり)。だがその一方で、対象となった子どものおよそ 3分の 1にはなんの症状もなかった。 この結果は、同じような虐待を受けても、それが精神医学的な症状につながるケースと、そうでないケースがあることを示している。研究者は、「『性的虐待を受けた子どもの症候群』というものは存在せず、心に傷を負ったあとの過程はひとつではない」と述べている。 性的虐待と心理的な症状のあいだに単純な因果関係がないのなら、特定の症状を一律に性的虐待の結果と見なすことはできない。だがアメリカでは、この思い込みから、無実のひとが長期にわたって投獄される悲劇が繰り返し起きている。「辛い体験の記憶(の痕跡)が心理的な症状を生み出す」という因果論は、ほんとうに正しいのか。 高所恐怖症は、子どもの頃の転落体験が無意識に「内面化」されたのだと考えられていた。この仮説を検証するためにニュージーランドの研究者は、 5歳から 9歳までのあいだに転落によるケガをしたことのある子どもたちを探し出し、転落体験のない子どもたちと比較した。 その結果はというと、子ども時代に転落を経験したグループでは、 18歳になった時点で強い高所恐怖をもつ割合は 2%だったのに対し、転落を経験していないグループでは 7%だった。仮説とは逆に、転落体験のある子どもの方が高所恐怖症になりにくかったのだ。 なぜこんなことになるのか。それは因果関係が逆だからだ。「転落を経験する →もう一度転落したらと考えて、高いところが怖くなる →高所恐怖症になる」のではなく、「もともと不安を感じにくい →高いところを怖がらないので転落を経験する →〝不安の欠如〟は変わらないので、大人になっても高所恐怖症にはならない」だったのだ。 PTSDも同様に、単純な因果関係では理解できない。 デトロイトにある健康維持組織の会員 1007人を対象にした調査では、対象者のうち 39%がトラウマ体験をしたことがあり、そのうち 24%は PTSDを発症した。 PTSD患者は、発症しなかったひとたちに比べて、幼年期の両親との別れの経験や不安障害の家族歴、 PTSD発症以前の不安障害やうつ病の経験がある割合が高かった。 この研究が興味深いのは、同じ対象者を 3年後にもう一度調査していることだ。すると、全体の 19%が 3年間で新たなトラウマ的出来事を体験しており、そのうち 11%が PTSDを発症していた。より詳しく調べると、「 PTSDを発症する予測因子のうちもっとも強いものは、トラウマ的出来事を過去に体験していること」だとわかった。 これをわかりやすくいうと、「たまたま(不幸にして)トラウマ的出来事に遭遇したひとが PTSDになる」のではなく、「もともとトラウマ体験をもちやすいタイプがあり、このひとたちは子ども時代も大人になってからもトラウマ体験をする確率が高く、 PTSDになりやすい」のだ( 37)。 トラウマ体験をしやすいパーソナリティは、性格分析のビッグファイブでいう「外向性」と「神経症傾向」だとされる。外向性が高いと、強い刺激を求めてリスク行動をとりやすい。神経症傾向が高いのは「悲観的」なタイプで、あらゆる出来事をネガティブに解釈する。この組み合わせによって、「辛い思いを感じやすいひとが、もっともトラウマを体験しやすい」という残酷なことになってしまうのだ。 アメリカの調査では、およそ 90%が人生のどこかの時点で潜在的トラウマ体験に遭遇し、その 8・ 3%は人生のどこかで PTSDと診断されるほどの症状が現われた。 PTSDの罹患率は国や文化によってかなりのちがいがあるが、この病名がもっとも普及したアメリカでも、トラウマになるような経験をした 10人のうち 9人は PTSDを発症することはないようだ。 近年の心理学では、レジリエンス(反発力)が注目されている。がんのサバイバーが典型だが、困難な状況を乗り越えると、人間的により成長したり、ストレスに強くなったりする場合があるという(「トラウマ後成長」とも呼ばれる)。 だがこれも、努力や訓練によってレジリエンスを獲得したというより、もともと神経症傾向が低い(楽観的な)ひとが、トラウマ体験を成長につなげているのではないか。 すべてが遺伝で決まるわけではないが、行動遺伝学は、人生のあらゆるところに遺伝の長い影が落ちていることを半世紀かけて明らかにしてきた。「生得的にトラウマになりやすいひとと、なりにくいひとがいる」という事実を、もはや否定することはできないだろう。「トラウマ体験は実際に起きた出来事なのか」という疑問もある。タイムマシンがない以上、これを確実に知ることはできないが、トラウマを報告した本人が、それが現実の体験でないことを自覚していることはあり得る。 家族が(事故や天災などで)死亡した場面に居合わせることはできなかったが、そのときの様子が繰り返し脳裏に浮かぶというのはよくある話だ。強盗に襲われそうになり、被害はなかったものの、相手が凶悪犯だということをあとで知ってトラウマになったケースもある。 大学生を対象にアメリカで行なわれた調査では、トラウマ的な記憶があると申告した者(被害者もしくは目撃者)のうち 15%が、その記憶が実際に起きたことを誇張していると認めた。だとしたら、無意識のうちに記憶を書き換えているケースはずっと多いにちがいない( 38)。 誤解のないようにいっておくと、これは「トラウマは偽物だ」ということではない。「すべての記憶は偽物」なのだ。 近年の脳科学のもっとも大きな発見のひとつは、脳には記憶が「保存」されていないことだ。 脳はビデオカメラのように、起きたことを正確に記録し、いつでも再生できるようにしているわけではない。脳にハードディスクが埋め込まれているのではなく、なんらかの刺激を受けたとき、そのつど記憶が新たに想起され、再構成される。 記憶はある種の「流れ」であり、思い出すたびに書き換えられているのだ。

40 人類がトラウマから解放される日 ヒトにかぎらず、多くの生き物が記憶をもっている。なぜなら、それが生存と生殖にきわめて有利だから。 嗅覚のある生き物は、特定のにおいと食料の獲得や捕食者に襲われた体験を結びつけて記憶することで、記憶をもたないライバルより多くの子孫をつくることができただろう。こうして記憶は進化してきた。 この進化論的な観点からは、強いストレスによって記憶が「抑圧(なにが起きたのかまったく覚えていない)」されたり、「解離(体験が断片化されていたり、他人事のように感じる)」する理由を説明することは難しい。生命の危機に直結する体験を覚えていなければ、次に同じ事態に遭遇したときに的確に対処できないだろう。こうした〝バグ〟は、自然淘汰で消失していくはずなのだ。 近年の研究によれば、衝撃的な出来事の記憶は時間を経ても一貫性があり、特徴の大部分がほとんど変わらない。心によい影響を与えた経験に比べ、悪影響のあった経験の記憶は時間を経ても著しく安定していることもわかった。これは「トラウマ優位効果」と呼ばれるが、記憶の進化論的な役割と整合的だ。 記憶の「抑圧」や「解離」が実際に起きるのかを知るには、強いストレス体験をしたひとたちを調べてみればいい。第二次世界大戦のホロコーストの生存者は、強制収容所の体験の過酷さでも、その後の徹底した記録でも、あらゆるケーススタディのなかで群を抜いているだろう。 記憶についての精神分析学的な主張が正しいのなら、ホロコースト生存者のなかに、広範に記憶の抑圧や解離が観察されるはずだ。 だがヴィクトール・フランクル(『夜と霧』)を引くまでもなく、ホロコーストのサバイバーは生涯にわたって鮮明な記憶に苦しむことになった。こうした苦悩は思春期以降の子どもにも共通して見られたが、強制収容所の〝ストレス体験〟では抑圧や解離には不足だとでもいうのだろうか。 1980年代にトラウマの概念が精神医療の世界で認知されるようになると、ホロコーストの生存者に対し、トラウマを発見し、治療しようとする「善意」の努力が始まった。だがサバイバーのなかには、それを〝異常〟のレッテルを貼るものだと感じ、強く反発した者も多かった。トラウマ理論は、「心的外傷を負ったのだから〝正常〟であるはずがない」と決めつけてしまうのだ( 39)。 トラウマ的な体験をしたときは、その体験を言葉で表現したり、同じ出来事に遭遇したひとたちと体験を共有することが〝癒し〟になると主張する精神療法家もいる。記憶の抑圧や解離が PTSDの原因なのだから、それを意識化・言語化して一貫した説明を与える必要があるのだという。 だがこの「精神的な応急処置」は近年、脳科学者から「破滅的な心理的影響を与えかねない」と批判されている。 潜在的なトラウマ体験をしたとしても、その対処法は個人のパーソナリティによって異なる。明晰な記憶に苛まれるひとがいる一方で、はっきり覚えていないか、その記憶を負担に感じないひともいるだろう。 だが精神療法家は、あいまいな記憶しかない患者にも「言語化されたトラウマ体験」を植えつけようとする。すなわち、人工的に〝心的外傷〟をつくりだしているのだ。 それに加えて、記憶は他者の体験と簡単に融合する。事故・犯罪の被害者や災害の被災者を少人数のグループにしてそれぞれの体験を語らせると、他者のより印象の強い(残酷で悲惨な)経験が自分の記憶に取り込まれて、それがトラウマ体験になってしまうことがある。 記憶のあり方は一人ひとり異なっているので、ある体験が一律に同じ心理的影響を与えるわけではない。深刻な精神的影響に苦しむとき、事実かどうかにかかわらず、その記憶を「トラウマ」と呼ぶのだ。 脳には 1280億のニューロンがあり、それぞれのニューロンは、他の数千のニューロンと情報をやり取りし、総体では 500兆以上のニューロン同士の結合を形成している。 脳というのは「ニューロンの活動から生じる複雑系の動的ネットワーク」で、それ以上でもそれ以下でもない。記憶を保存しておくハードディスクやメモリはどこにもないのだ。 では、記憶とはなんだろうか。それは原理的には、ニューロン間の「つながりやすさ」と「つながりにくさ」の組み合わせでしかない。脳がなんらかの刺激を受けたとき、つながりやすいニューロンが発火し、つながりにくいニューロンは沈黙する。脳にはこれ以外の機能はないのだから、こうしてつくられるネットワークのある状態が、特定の記憶を意識させると考えるほかはない。 ニューロンの結合を強くするのには、「カルパイン(カルシウム依存性プロテアーゼ)」が関わっている。ニューロンの結合が、「公園」と「木」のような連想を繰り返し強く活性化させると、その場所でカルパインがつくられ、記憶細胞の間の結合をより強くする。 ある音を聞かせると同時に電気ショックを与えたラットは、その音を聞いただけでフリーズするようになる(学習による条件付け)。ところがこのラットの扁桃体に記憶結合物質の生成を抑制する薬物を注入すると、ラットは同じ音を聞いても恐怖心を見せなくなった。すなわち、記憶を形成できなかった。 だが、より興味深いのは次の実験だ。 音と電気ショックの結びつきをつくったラットに、 1週間後と 14週間後にふたたび同じ音を聞かせたところ、電気ショックを与えなくてもフリーズした(条件付けが長期記憶として定着した)。ところがその後、記憶の結合を妨害する化合物を注入したところ、まるで記憶が消失したかのように、その音に対する反応が止まったのだ。 不思議なのはこの効果が、音を聞かせると同時にカルパイン様物質の生成を妨害したときにしか見られなかったことだ。それ以外のときに薬物を投与しても、ラットの記憶にはなんの影響も与えなかった( 40)。 だがこれは、脳には記憶が保存されていないとすれば当然のことだ。記憶は特定の刺激によってその都度、脳のネットワーク内で再構成される。それ以外のときに存在するのはニューロンの痕跡だけだ。だからこそ、記憶が生成される瞬間に、それを生理学的に阻害すると、ふたたびその記憶をつくりだすことができなくなってしまうのだろう。 こうした効果は人間でも確認されている。ロヒプノール(薬物名フルニトラゼパム)の効果は「新しい記憶を形成する能力を遮断する」ことで、手術前に投与すると、手術中はもちろん、手術直後の医師・看護師や家族との会話も思い出せなくなる。 脳科学の最先端では、脳内に電極を挿入したり、脳の特定部位にレーザー光線や超音波を当てて記憶に影響を与えたりする研究が進められている。将来的には、これによって記憶を自由に書き換えることができるようになるかもしれない。 そうなれば、もはやトラウマに苦しむこともなくなるだろう。だがそのとき、「わたし」とはいったい何者になるのだろうか。

付論 1 PTSDをめぐる短い歴史 わたしたちは「心の病」を当たり前のものとして語っているが、ヨーロッパに「狂気」という概念が生まれたのは啓蒙主義時代の 17世紀で、ミシェル・フーコーが『狂気の歴史』で述べたように、フランスで「障がい者」を病院に監禁するようになったのは 1656年だ。 デカルトによって身体と心が分離されたことで、「早発性痴呆」と呼ばれていた統合失調症(精神分裂病)などの研究が始まったものの、当時は原因も治療法もわからず、患者は劣悪な環境で拘束・監禁されているだけだった。フロイトの精神分析学は、こうした状況に風穴を開け、心の病を(まがりなりにも)科学の枠組みで語ることができるようにしたことで、大きな影響力をもつことになった。 だが、精神医学を大きく進歩させたのは戦争だった。南北戦争( 1861 ~ 65)、米西戦争( 1898)、ボーア戦争( 1899 ~ 1902)、日露戦争( 1904 ~ 05)ですでに精神医学的負傷に関する多くの症例が記録されていたが、決定的なのは第一次世界大戦で、「シェルショック」が大きな関心を集めた。 シェル( shell)は「砲弾」のことで、実際に負傷しなくても、激しい爆発の近くにいることで「神経の不安定性」が引き起こされるとされた。症状の多くは麻痺や関節の動きが制限される筋拘縮、身体の歪みで、一時的に耳が聞こえなくなる、目が見えなくなる、嗅覚や味覚を失うなどのほか、疲労、不眠症、めまいなども見られた。 当時の医学論文では、シェルショックは、今日 PTSDの典型的な症状であるとされるフラッシュバック(トラウマを引き起こした経験を突然かつ鮮明に再体験すること)や過覚醒をともなわない。さらに、シェルショックの諸症状は戦闘中に発現し、戦争に参加してから数カ月、あるいは数年後に現われるわけではなかった。 奇妙なのは、シェルショックの典型的な症状を示す患者の多くが、前線やその近辺にいなかったことだ。米軍の医師は、「戦闘にまったく参加していない数百人の兵士が、砲火によって神経障害をきたした兵士のものとほぼ同じ症状を呈していた」と書いている。その結果、詐病を疑われ、「臆病以外のなにものでもない」と処分されたケースも多かった。 第二次世界大戦では、シェルショックに特徴的だった無言症や歩行能力の喪失、姿勢のよじれなどはまれになり、その代わり頭痛、めまい、疲労、集中力の欠如などによって特徴づけられた「脳震とう後症候群」にとって代わられた。ここでも、ストレスに起因する諸症状は、戦闘中もしくは戦闘直後に明白に見られ、前線の臨床医療によって治療されていた。さらに、アメリカ軍における「神経衰弱」の症例のほぼ 3分の 2は、前線に展開された兵士ではなく、米国内にいる訓練中の兵士で占められていた。 第一次、第二次の両大戦に比べてベトナム戦争では、戦闘中のストレス反応はむしろまれで、アメリカがベトナムから撤退したあとで、帰還兵の戦争関連のトラウマの有病率が上昇した。ここから、「心的外傷後ストレス障害」という用語が生まれた。フラッシュバックはさらに新しく、湾岸戦争( 1990 ~ 91)まではめったに言及されることがなかった。 ベトナム戦争で戦闘中のストレス反応があまり見られなかったのは、映画(『プラトーン』など)で描かれたのとは異なって、両大戦に比べて戦争の「強度」が低かったからだとされる。多くの兵士は激しい戦闘に巻き込まれることなく軍務を終えることができたが、その間、ずっと強い不安と緊張にさらされていた。 1966年に徴募された 9万 2000人の海軍兵士を対象に行なわれた大規模な経年研究では、「ベトナム戦争中も戦後も、ストレス関連の障害で入院した兵士の割合は、非戦闘員であった帰還兵がもっとも高かった」「 PTSDの症状を報告した兵士の多くは、戦闘地帯から遠く離れた場所にいた支援要員だった」ことが明らかになった。ここでも、実際に心的外傷を体験をしていない兵士のほうが、より多くの心的外傷後の精神症状に苦しめられていたのだ。 軍事精神医学の大量の研究からわかるのは、「トラウマ体験が精神症状を引き起こす」という単純な因果関係が成り立たないことだ。 1970年代になると、戦争報道やサブカルチャー(『タクシードライバー』『ディア・ハンター』『地獄の黙示録』)によって、ベトナムからの帰還兵は「加害者」と「被害者」の両極に引き裂かれた。こうした状況のなかで、膨大な数の PTSDの訴えがなされるようになる。 1988年に行なわれた研究では、男性のベトナム帰還兵 47万 9000人のうち、 30・ 9%がいずれかの時点で PTSDを発症し、それ以外の 22・ 5%が「部分的 PTSD」を発症していた(女性の帰還兵のサンプルは 160人と少ないが、 PTSDの発症率は男性の帰還兵とほぼ同じだった)。追跡調査による分析では、部分的 PTSDと診断されたベトナム帰還兵の 78%が 20年から 25年が経過しても依然として PTSDの症状に苦しんでいた。 こうした状況を受けて A PA(アメリカ心理学会)は、軍事精神医学で「ベトナム症候群」「ベトナム後障害」と呼ばれていた病名を、現役兵士や帰還兵だけでなく、性的暴行の犠牲者など、激しいストレスを受けてきたあらゆるひとに適応できるよう PTSD(心的外傷後ストレス障害)と命名し直し、「心理的なトラウマをともなう、人間の通常の経験範囲を超えるできごと」によって引き起こされる精神疾患と定義した。 こうした歴史をまとめたうえで、文化人類学者のロイ・リチャード・グリンカーは、 PTSDが個人の経歴の差異や文化的差異を覆い隠す「万能の診断」になっていると指摘している。さまざまな精神的不調を PTSDにまとめることは、医者にとっても患者にとってもメリットが大きい。言い換えるなら、「医師と患者が共同で、特定の症状やその説明を形作っている」のだ。 第一次大戦、第二次大戦からベトナム戦争、湾岸戦争へと、戦争のたびに兵士や帰還兵の症状がさまざまに変わっていることは、 PTSDが文脈に依存する精神疾患であることを示している。脳がトラウマ的な記憶(ネガティブな強い痕跡)をもつことは確かだが、それがどのような心理的・身体的影響として顕在化するかは、時代や社会が決めているのだ。 社会的・文化的に構築された精神疾患である PTSDがまたたく間に世界中に広まったのは、「犠牲者に責任を負わせないようなあり方で特定の種類の苦痛を理解する」ことを可能にしたからだ。その結果、 PTSDは「精神的な問題を抱える人々が実際に診断されることを望む数少ない診断の一つ」になった。 それに加えて、 PTSDの診断はメンタルヘルス業界に巨大な収益機会をもたらした。こうして欧米など先進国で「トラウマ産業」が隆盛をきわめることになる。 だがグリンカーは、 PTSDの診断を適応しうること自体が、ある種の「特権」だという。 トラウマが PTSDを引き起こすのは、その体験が先進国の基準で「異常なもの」だからだ。だからこそ心は、「異常」な反応を示すことになる。「しかし、恒常的な家庭内暴力、栄養不足、予期せぬ暴力などによるトラウマが日常的に生じているような人々にとってはどうか?」とグリンカーは問う。「差別を受け続けてきた人々にとってはどうだろうか? それらのケースでは、少数の際立ったトラウマ体験について語るのはむしろ不合理である」 欧米だけでなく日本でも、トラウマは映画、小説、アニメなどのサブカルチャーで頻繁に描かれ、 PTSDはいまやごくありふれた病気になった。 専門家のなかには、「 PTSDやその他の疾患に関する用語が、苦痛や不幸を正当化する権利を主張するための手段と化している」ことを懸念する声もある。だがいったんこの概念が広まってしまうと、どれが真正の PTSDでどれがそうでないかを決めることは不可能だろう。 このようにして PTSDは、「病者の大国」の市民権となった。いまでは誰もがトラウマを抱えた「被害者」なのだ( 41)。

付論 2 トラウマは原因なのか、それとも結果なのか? 1980年代から 90年代にかけて、アメリカやイギリスで「記憶戦争」が勃発した。平凡な家庭の父親や母親が、ある日突然、成人した子どもから性犯罪や殺人罪で告発されたのだ。そのなかには、悪魔崇拝の儀式で赤ん坊を生贄に捧げ、幼い子どもを集団で強姦したというような荒唐無稽なものもあった。 その後、記憶研究の第一人者であるエリザベス・ロフタスなどの尽力によって、それが記憶回復療法のセラピストによって植えつけられた「虚偽記憶」であることが明らかにされ、現在ではようやくこの悲惨な事態も収まりつつある。いまでは、幼児期の性暴力の記憶が「抑圧」されていると考える脳科学や認知科学の専門家は(ほとんど)いないだろう。 米ソの宇宙開発競争が激しくなった 1960年代から、アメリカでは「宇宙人(エイリアン)に誘拐(アブダクション)された」と訴えるひとたちが現われた。「アブダクティー(誘拐された者)」と呼ばれる彼ら/彼女たちは、強いトラウマを抱え、明らかに PTSDに苦しんでいた。だが宇宙人による誘拐は事実ではないのだから、「虚偽記憶」によっても PTSDが発症することがわかる。「抑圧された記憶」を思い出した「(幼児期の性暴力の)サバイバー」と、エイリアンによるアブダクションの記憶を思い出した「アブダクティー」は、とてもよく似ている。これが、記憶を回復したサバイバーが、「虚偽記憶」の説明にはげしく反発する理由だろう。心を引き裂くような性暴力の記憶を、「宇宙人に誘拐されたのと同じ」といわれたのだから。 回復した記憶を主張する「サバイバー」の存在は、現実の性暴力で深刻なトラウマに苦しんでいるサバイバーを冒瀆することにもなる。虚偽記憶による冤罪の悲劇を聞かされたひとたちは、すべての性暴力の主張を疑いの目で見るようになるだろう。冷静な読者なら、ここまではじゅうぶん理解できるだろうが、これは話の半分でしかない。 近年の記憶研究は、「抑圧された記憶」がきわめて疑わしいことを明らかにしただけではない。あなたが「事実」だと確信している記憶もまた、疑わしいのだ。 自宅に侵入した黒人の男にレイプされた女性が、「襲ったのはあの男に間違いない」と警察に訴えた。男は被害者の家の向かいに住んでおり、事件当時のアリバイはなく、ビールを飲んで通りを歩いているところを目撃されていた。 警察は被害者の証言に基づいて男を逮捕した。男は犯行を否認したが、裁判によって 45年の懲役刑が科せられた。 1980年代にアメリカのワシントン DCで起きた事件だ。 だが 7年後、家族に依頼された DNA鑑定の専門家が、検察に保存されていた下着から採取した犯人の精液の DNAを調べたところ、男のものとはまったく一致しなかった。検察は州の科学捜査研究所と FBIにも鑑定を依頼したが、やはり犯人とは異なっていたため、男はようやく釈放された。 この冤罪事件では、被害者は自宅の窓から車を洗っている男の姿を見た瞬間、犯人だと確信している。そして、この記憶になんの疑いも抱いていなかった。 その後の検証で、「虚偽記憶」がどのようにつくられたのかがわかってきた。事件を担当した刑事は、容疑者としてリストアップした 7人の黒人男性の写真を被害者に見せていた。このなかには男の写真も含まれていたのだが、被害者はそのときはなにも感じなかった。 ところが、通りの向こう側で洗車している男が目に入ったとき、「どこかで見たことがある」と直感的に思った。それは「写真で見たことがある」だけだったのだが、そこまで正確に覚えていたわけではなかったため、レイプされたときに男を見たのだと思い込んでしまったのだ( 42)。 このようなとき、記憶はすみやかに再構成され、書き換えられる。それまでぼんやりしていたレイプ犯の顔は、たちまち男の顔で上書きされてしまった。そしてこのことを、本人はまったく意識することができない。 これがどれほどやっかいな事態かは、すこし考えればわかるだろう。 DNAのような客観的な証拠がなく、被害者や目撃者の証言のみに頼った判決は、すべて冤罪の可能性があるのだ。 アメリカでは 1992年、 2人の法学者によって、無罪を訴えて収監されている囚人に DNA鑑定を行なう「イノセンス・プロジェクト」が立ち上げられた。これによって 2022年までに、重大な犯罪で有罪判決を受けた 375人が無罪であることが明らかになり、そのなかには 21人の死刑囚が含まれていた。冤罪の被害者の多くは、黒人などのマイノリティだった。 性犯罪は密室で行なわれることが多く、被害者の証言以外に証拠がないことも多い。だがその証言(主観的な記憶)は、なんらかの要因で〝汚染〟されている可能性がある。これはとりわけ、子どもに対する性犯罪を立件するときに大きな問題になるだろう。「どのような性犯罪も見逃してはならない」とするならば、すべての証言を「事実」として扱うべきだ。それに対して「冤罪は一件たりとも起こしてはならない」とするならば、被害者や目撃者の記憶を犯行の証拠とすることは許されない。このようにして、2つの「正義」が真っ向から衝突してしまうのだ。 これについては、「症状」と「事実」を分けるという折衷案がある。それが仮に「虚偽記憶」であったとしても、サバイバーがトラウマによって苦しんでいることは間違いない。「その記憶は本物ではない」と第三者が否定しても、この苦しみが癒されることはないのだから、「トラウマで苦しんでいること」を事実として受け入れ、どうすれば回復できるかを考えるべきだというのだ。しかし、このように記憶の曖昧さをいったん認めてしまえば、「加害者」の責任追及をあきらめざるを得ないのではないだろうか。 アメリカの心理学者で、親など身近な親族から虐待を受けた子どもは、生きていくのに必要なケアを受けるために自分が虐待されていることに気づかないという「裏切られたトラウマ」理論で知られるジェニファー・フレイドは、虚偽記憶の問題を認めつつもこう述べている。 誤った告発の可能性に対してあまりに注目しすぎると、偏ったいい方かもしれませんが、告発によって虐待に歯止めをかけられるのだという立場からの発言が白い目で見られてしまうのではないか。そして、私たちの社会において本当に重要な大きな問題から、国民の関心をそらしているのではないか。 これは説得力のある主張に思えるが、困惑するのは、この著名な認知心理学者の両親が、子ども時代の性的虐待を理由に誤った告発を受けたひとたちを支援するための「偽りの記憶症候群財団( FMSF: False Memory Syndrome Foundation)」の創設者であることだ。 フレイドは 33歳で心理療法家の面談を受けたあと、「 3歳のときに父親からの性的虐待が始まり、 14歳からは性的な関係を強要され、大学に入学する数日前の 16歳のときにレイプされた」記憶を回復した。フレイドの母親は教育心理学者で、いまは「偽りの記憶症候群財団」の本部で夫とともに働いている。

フレイド家は、「米国でもっとも影響力のある機能不全家族」と呼ばれている( 43)。 トラウマの記憶をめぐる論争は、「トラウマ(性被害の記憶)が現在の精神的な不調の原因なのか」、それとも「現在の精神的な不調(生きづらさ)がトラウマをつくり出したのか」という、さらにやっかいな問題を提起する。ここまでくると、もはや誰もが納得する答えを出すことは不可能だ。 だが急速に進歩する脳科学は、いまや特定の記憶をピンポイントで消去するテクノロジーを開発しつつある。そうなれば、この論争は最終的に決着するだろう。 トラウマ理論が正しいとするならば、トラウマの記憶がなくなったとき、すべての苦しみが魔法のように消えてなくなるはずだ。だが記憶が消えてもなお、うつや神経症などの症状が残っていたとしたらどうなるだろうか。

あとがき 「バカと無知の壁」を乗り越えて SNSには陰謀論が渦巻いている。そのなかには、世界は「闇の政府(ディープステイト)」に支配されているとか、新型コロナのワクチンを接種するとマイクロチップを埋め込まれるというような荒唐無稽なものもある。 ひとびとが誤解しているのは、これをなにか異常な事態だと思っていることだ。そうではなくて、ヒトの本性(脳の設計)を考えれば、世界を陰謀論(進化的合理性)で解釈するのが当たり前で、それにもかかわらず理性や科学(論理的合理性)によって社会が運営されている方が驚くべきことなのだ。 なぜ脳が陰謀論的に考えるかというと、現実が陰謀で満ち溢れているからだ。数十万年前に人類の祖先が高い知能をもつようになってから、誰もが濃密な共同体のなかで、他者に対して陰謀を仕掛けると同時に、他者の陰謀に脅かされてきた。人間にとっての最大の脅威は、むかしもいまも、天変地異や捕食動物ではなく、自分と同じように高い知能をもつ生き物に囲まれていることなのだ。 ヒトは徹底的に社会化された動物なので、共同体を離れて一人で生きていくことはできない。このようにして、弱者に共感して支援する、仲間のために自分を犠牲にする、あるいは共同体の誇りをかけて戦うというような向社会性を進化させてきた。 だがその一方で、共同体のたんなる使い捨ての部品では、性愛競争に勝ち残ってパートナーを得、子孫(利己的な遺伝子)を後世に残すことができない。生存のためには他者と協働しなければならないが、生殖のためには他者を押しのけなければならない。これが、数十万年前から人類が直面してきた究極の矛盾(トレードオフ)だ。 その結果わたしたちは、徒党を組んで敵と対抗する一方で、表向きは協力するふりをしながら裏では足を引っ張って、仲間を陥れて自分のステイタスを上げるという複雑な戦略を駆使するようになった。ヒトの脳は哺乳類のなかでも異常に発達しているが、これは相手をだまそうとしつつ、相手にだまされまいとする「進化の軍拡競争」の結果だと考えられている(社会脳仮説)。 誰に陰謀を仕掛けられるかわからない社会では、脳は陰謀に適応するように進化したにちがいない。このようにしてヒトは、あらゆることを陰謀論で解釈するようになった。現代社会が「異常」だとしたら、それは SNSなどのテクノロジーによって、陰謀論が瞬く間に増幅されて世界中に拡散するようになったことだろう。 陰謀論的な世界では、ひとびとはみな陰謀に脅えており、だからこそ陰謀はもっとも不道徳な行為になるはずだ。狩猟採集社会では、他者に陰謀を企んでいることが暴露されると、それは黒魔術と見なされ、ただちに社会的な死(ときには現実の死)を招いた。 だとすれば、陰謀論を唱えるひとは、それが万人のための道徳的に正しい行為であることをなんとしてでも示さなくてはならない。「反ワクチン」派が典型だが、批判されればされるほど〝正義〟を振りかざすようになるのはこれが理由だろう。 進化心理学では、知能の目的は自己正当化だとされる。わたしたちは(無意識のうちに)自分の主張 =物語を一貫させようとしている。こうして賢いひとほど陰謀論にはまると取り返しがつかなくなるのだが、これはたんなる知識の欠如ではない。道徳的に誤っていることは、共同体のなかでのステイタスを大きく傷つけ、自分の物語(アイデンティティ)を崩壊させるのだ。 ひとはステイタス =自尊心を守るためなら死に物狂いになるから、いくらでも自分を正当化する理屈を思いつく。これが「見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞く」ことで、ジュリアス・シーザーの時代から人間のこうした本性は知られていた。 いったん「世界はこうあるべきだ」という強い信念をもつと、それに合わせて現実が歪曲していく。これは一部の陰謀論者だけでなく、 SNSを見ていれば、右や左の〝識者〟にもよくある特徴だとわかるだろう。共通するのは、自分(たち)を善として、なんらかの悪を告発する善悪二元論だ。 自分が「絶対的な善」ならば、自分を批判する者は「絶対的な悪」以外にない。このようにして、 SNSで徒党を組み、敵対する集団に罵詈雑言を浴びせる無間地獄に陥っていく。──これは「アイデンティティ政治」と呼ばれる。 当然のことながら、ふつうのひとたちはこんなことにはかかわろうとしない。人生に投入できる資源は有限で、その大半は仕事や家族・恋人との関係に使われるからだ。ネットニュースに頻繁にコメントするのは昼間からワイドショーを見ているひとたちだが、それは平均とはかなり異質な母集団だ。 まともなひとは、なんの「生産性」もない SNSの論争(罵詈雑言の応酬)から真っ先に退場していくだろう。このようにして、まともでないひとたちだけが残っていく。そう考えれば、いま起きていることがうまく説明できるだろう。解決にはならないだろうが。 人間というのはものすごくやっかいな存在だが、それでも希望がないわけではない。一人でも多くのひとが、本書で述べたような「人間の本性 =バカと無知の壁」に気づき、自らの言動に多少の注意を払うようになれば、もうすこし生きやすい社会になるのではないだろうか。自戒の念をこめて記しておきたい。 本書は 2021年8月から 22年6月にかけて『週刊新潮』に連載した「人間、この不都合な生きもの」に若干の加筆・修正のうえ、付論 2編を加えた。 2022年9月 橘 玲

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