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PART3人を説得する十二原則

1議論を避ける2誤りを指摘しない3誤りを認める4穏やかに話す5〝イエス〟と答えられる問題を選ぶ6しゃべらせる7思いつかせる8人の身になる9同情を寄せる10美しい心情に呼びかける11演出を考える12対抗意識を刺激する

1議論を避ける第一次世界大戦直後のこと、私はある夜、ロンドンで貴重な教訓を得た。

当時私は、サー・ロス・スミスのマネジャーをしていた。

ロス・スミスは、大戦中パレスチナの空中戦に輝かしい武勲を立てたオーストラリアの空の勇士で、終戦直後、三十日間で世界半周飛行の偉業を成し遂げ、世界を驚かせた人である。

当時としては破天荒の試みで、一大センセーションが巻き起こった。

オーストラリア政府は彼に五万ドルの賞金を与え、イギリス国王は彼をナイトに叙し、彼は大英帝国の話題の中心となった。

ある夜、彼のお祝いのパーティーに、私も出席していた。

皆がテーブルについた時、私の隣にいた男が〝人間が荒けずりをし、神様が仕上げをしてくださる〟という引用句に関係のある面白い話をした。

その男は、これは聖書にある文句だと言った。

しかし、それは間違いで、私はその出典をよく知っていた。

そこで、私は自己の重要感と優越感を満たすために、彼の誤りを指摘する憎まれ役を買って出た。

「何?シェイクスピアの文句?そんなはずはない!馬鹿馬鹿しい!聖書の言葉だよ!これだけは間違いない!」彼は大変な剣幕でそう言い切った。

その男は、私の右側に座っていたのだが、左側には私の昔からの友人フランク・ガモンドが座っていた。

ガモンドはシェイクスピア研究を長年続けてきた人だったので、ガモンドの意見を聞くことになった。

ガモンドは双方の言い分を聞いていたが、テーブルの下で私の足をそっと蹴って、こう言った。

「デール、君のほうが間違っているよ。

あちらの方のほうが正しい。

確かに聖書からだ」その晩、パーティーからの帰り道で、私はガモンドに向かって言った。

「フランク、あれはシェイクスピアからだよ。

君はよく知っているはずじゃないか」「もちろんそうさ。

〝ハムレット〟の第五幕第二場の言葉だよ。

だがね、デール、僕たちは、めでたい席に招かれた客だよ。

なぜあの男の間違いを証明しなきゃならんのだ。

証明すれば相手に好かれるかね?相手の面子のことも考えてやるべきだよ。

まして相手は君に意見を求めはしなかっただろう。

君の意見など聞きたくなかったのだ。

議論などする必要がどこにある?どんな場合にも鋭角は避けたほうがいいんだ」この友人は私に生涯忘れられない教訓を与えてくれた。

私は面白い話を聞かせてくれた相手に気まずい思いをさせたばかりか、友人まで引き入れて当惑させてしまったのだ。

議論などしないほうがどれほどよかったかわからない。

生来私は大変な議論好きだったので、この教訓は実に適切だった。

若い頃、私は世の中のあらゆるものについて兄と議論した。

大学では論理学と弁論を研究し、討論会に参加した。

おそろしく理屈っぽくて、証拠を目の前につきつけられるまでは、めったに降参しなかった。

やがて私は、ニューヨークで討論と弁論術を教えることになった。

今から考えると冷や汗が出るが、その方面の書物を書く計画を立てたこともある。

その後、私は、あらゆる場合に行なわれる議論を傾聴し、自らも加わってその効果を見守ってきた。

その結果、議論に勝つ最善の方法は、この世にただ一つしかないという結論に達した。

その方法とは──議論を避けることだった。

毒ヘビや地震を避けるように議論を避けるのだ。

議論は、ほとんど例外なく、双方に、自説をますます正しいと確信させて終わるものだ。

議論に勝つことは不可能だ。

もし負ければ負けたのだし、たとえ勝ったにしても、やはり負けているのだ。

なぜかと言えば──仮に相手を徹底的にやっつけたとして、その結果はどうなる?──やっつけたほうは大いに気をよくするだろうが、やっつけられたほうは劣等感を持ち、自尊心を傷つけられ、憤慨するだろう。

──「議論に負けても、その人の意見は変わらない」ずっと前のことだが、私の講習会にパトリック・オヘアという男が参加した。

教育はないが大変な議論好きだ。

以前はおかかえの運転手だった。

トラックのセールスマンを志して、やってみたが、うまくいかないので、講習にやってきたというわけである。

二、三質問してみると、いつも客に議論を吹っかけたり、逆らったりしていたことがわかった。

売り込もうとしているトラックにちょっとでも客がけちをつけると、おそろしくいきり立った。

そして、議論をすると、たいてい相手に勝てた。

彼は、のちにこう述懐している──「相手の事務所を引き揚げる時、『どうだ、参ったろう』とひとりごとを言ったものです。

確かに参らせたのですが、トラックは一台も買わせてはいませんでした」私の最初の仕事は、パトリックに話し方を教えることではなく、彼を黙らせて議論をさせないようにすることだった。

そのオヘア氏が、今ではニューヨークのホワイト・モーター社の花形セールスマンとなっている。

そのやり方を、彼の言葉によって紹介しよう。

「今、仮に私が売り込みにいって、相手から『ホワイトのトラック?あれは駄目だ!ただでくれてもお断りだ。

買うなら○○社のトラックにするよ』と言われたとする。

『ごもっともです。

まったく○○社のトラックはいいですからね。

あれは、お買いになって間違いはありません。

会社は立派だし、販売係も皆いい人ばかりです』と私は答える。

これには、相手も二の句が継げない。

議論の余地がないわけだ。

相手が○○社は一番いいと言い、こちらがそのとおりだと答えるのだから、相手には言うことがなくなる。

こちらが同意しているのに、まだそのうえ『○○社が一番だ、一番だ』と一日中言い続けるわけにはいくまい。

そこで、今度は話題を変えて、ホワイト社のトラックの長所について話しはじめるのである。

昔の私なら、こんなことを言われると、すぐむきになって、○○社のこきおろしをやりはじめる。

私がむきになればなるほど、相手は○○社の肩を持つ。

肩を持っているうちに、こちらの競争相手の製品がますます良く思えてくる。

今から考えると、あんなことで、よくも商売になったものだと、我ながら不思議なくらいだ。

私は長年、議論と喧嘩で損を続けていたのだ。

しかし、今はしっかりと口をつぐんでいる。

おかげで商売は繁盛する」ベンジャミン・フランクリンはよくこう言っていた──「議論したり反駁したりしているうちには、相手に勝つようなこともあるだろう。

しかし、それはむなしい勝利だ──相手の好意は絶対に勝ち得られないのだから」だから、ここでよく考えていただきたい。

理論闘争の華々しい勝利を得るのがいいか、それとも相手の好意を勝ち得るのがいいか──この二つは、めったに両立しないのである。

ボストン・トランスクリプト紙に、ある時、次のようなふざけた詩が出ていたが、なかなか意味深長だ──「ここにウィリアム・ジェーとこしえに眠る──正しきが上にも正しき道を歩みて眠る──正しからざる道を歩みし者と同じく眠る」正しきが上にも正しき議論をいくらしたところで、相手の心は変えられない。

その点、正しからざる議論をするのと、何ら違いはない。

所得税の顧問をやっているフレデリック・パーソンズという男が、ある時、税務監査官と一時間にわたって議論を闘わせていた。

九千ドルの一項目が問題になったのだ。

パーソンズの言い分は、この九千ドルは事実上貸し倒れで、回収不能であるから、課税の対象にされるべきではないと言うのである。

「貸し倒れ!馬鹿馬鹿しい!当然、税金の対象になるよ」監査官は、どうしても承知しない。

その時の話を、パーソンズは、私の講習会で公開した。

「その監査官は冷酷、傲慢、頑迷で、いくら理由を述べようと、事実を並べようと、全然受けつけない。

議論をすればするほど意地になる。

そこで私は、議論をやめて話題を変え、相手を賞賛することにした。

私は、『本当に、あなたのお仕事は大変ですね。

この問題などはほんの些細なもので、もっともっと重要な難しい仕事をなさってるんでしょう。

私も商売がら租税の勉強をしていますが、私のは、書物から得た知識にすぎません。

あなたは実際の経験から知識を得ていらっしゃる。

私も、あなたのような仕事につけばよかったと思うことがよくあります。

きっといい勉強になるでしょう』と言ったが、それは、私の本心でもあった。

すると監査官は、ゆったりと椅子にかけ直して、得々と自分の仕事について長談義をはじめた。

自分の摘発した巧妙な脱税事件の話をするうちに、その口調も、だんだんと打ち解けてきた。

しまいには、自分の子供のことまで私に話して聞かせた。

帰りがけに彼は、問題の項目をよく考えた上で、二、三日中に返事をしようと言い残した。

三日後、彼は私の事務所にやってきて、税金が申告どおりに決定したことを伝えた」この監査官は、人間の最も普遍的な弱点をさらけ出して見せたのである。

彼は重要感を欲したのだ。

パーソンズと論争している間は、権威を振りまわすことによって重要感を得ていた。

ところが、自分の重要性が認められて議論が終わり、自我の拡大が行なわれると、たちまちにして彼は、思いやりのある親切な人間に変わったのだ。

釈尊いわく──「憎しみは、憎しみをもってしては永久に消えない。

愛をもってしてはじめて消える」誤解は、議論をもってしては永久に解けない。

気転、外交性、慰め、いたわり、そして、相手の立場で同情的に考える思いやりをもってして、はじめて解ける。

リンカーンはある時、同僚と喧嘩ばかりしている青年将校をたしなめたことがある。

「自己の向上を心がけている者は、喧嘩などするひまがないはずだ。

おまけに、喧嘩の結果、不機嫌になったり自制心を失ったりすることを思えば、いよいよ喧嘩はできなくなる。

こちらに五分の理しかない場合には、どんなに重大なことでも、相手に譲るべきだ。

百パーセントこちらが正しいと思われる場合でも、小さいことなら譲ったほうがいい。

細道で犬に出会ったら、権利を主張して嚙みつかれるよりも、犬に道を譲ったほうが賢明だ。

たとえ犬を殺したとて、嚙まれた傷は治らない」

『片々録』と題した本に、意見の不一致から口論が生じないようにする方法が書いてある。

〝意見の不一致を歓迎せよ〟──「二人の人間がいて、いつも意見が一致するなら、そのうちの一人はいなくてもいい人間だ」という言葉を銘記すべきだ。

思い及ばなかった点を指摘してくれる人がいたら感謝しなければならない。

この指摘は、重大な失敗をあらかじめ防ぐきっかけをつくってくれているのだ。

〝最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはならない〟──不快な状況に直面した時、まず現われてくるのは、自分の立場を守ろうとする本能だ。

気をつけねばならない。

冷静に構え、最初の反応を警戒する必要がある。

あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄が隠れてしまうかもしれないのだ。

〝腹を立ててはいけない〟──何に腹を立てるか、それで人間の大きさが決まってくる。

〝まず相手の言葉に耳を傾けよ〟──相手に意見を述べさせ、最後まで聞く。

逆らったり、自己弁護したり、争論したりすれば、相手との障壁は高まるばかりだ。

相互理解の橋を架ける努力こそ大切で、誤解の障壁をかさ上げするなど愚の骨頂である。

〝意見が一致する点を探せ〟──相手の主張を聞いたら、まず賛成できる点を話す。

〝率直であれ〟──自分が間違っていると思う点を探し、率直にそれを認めて謝る。

それで、相手の武装がとけ、防衛の姿勢がゆるむ。

〝相手の意見をよく考えてみる約束をし、その約束を実行せよ〟──相手のほうが正しいかもしれない。

自分の言い分を通すのに急なあまり、あとになって「あの時言ったのに、こちらの言うことを聞こうとしなかったではないか」などと言われるはめになるより、はじめに相手の主張をよく考えてみる約束をしたほうが、はるかに事は簡単だ。

〝相手が反対するのは関心があるからで、大いに感謝すべきだ〟──わざわざ時間をかけて反対意見を述べてくれるのは、あなたと同じ事柄に関心を持っている証拠だ。

相手はあなたの手助けをしたいと願っているのだと考えよ。

そうすれば、論敵は味方になる。

〝早まった行動を避け、双方がじっくり考え直す時間を置け〟──たとえば、のちほどもう一度話し合って、問題点を総ざらえしてみようと提案せよ。

この話し合いのために、次のような質問を自分に向けてみることだ。

相手のほうが正しいのではないか?少なくとも正しい部分もあるのではないか?相手の主張に正当性、長所はないか?私の反論は問題の解決に役立つのか、それともただ溜飲を下げるだけのものか?私の反論は相手を遠ざけることになるか、それとも引き寄せることになるか?私の反論は善意の人々から評価が得られるか?私は勝てるか、それとも負けるか?勝てるとしてその代償に何を失うか?私が反論しなかったら、この論争は収まるか?この難関はむしろ好機ではないのか?オペラ歌手ジャン・ピアースは、結婚して五十年になるが、ある時、こんなことを話してくれた。

「私たち夫婦は、昔一つの協定を結び、どんなに腹の立つことがあっても、これを守り続けてきた。

二人のうちどちらかがどなりはじめたら、もう一人は黙ってそれに耳を傾けるという取り決めだ。

なぜかと言えば、二人ともどなりはじめたら、たちまち意思の疎通は吹っ飛び、あとはただ騒音で空気が震動するだけだから」人を説得する原則❶|議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける。

2誤りを指摘しないセオドア・ルーズヴェルトが大統領だった時、自分の考えることが、百のうち七十五まで正しければ、自分としては、それが望み得る最高だと、人に打ち明けた。

二十世紀の偉人がこのとおりだとすれば、我々はいったい、どうなのだろう。

自分の考えることが五十五パーセントまで正しい人は、ウォール街に出かけて、一日に百万ドル儲けることができる。

五十五パーセント正しい自信すらない人間に、他人の間違いを指摘する資格が、果たしてあるだろうか。

目つき、口ぶり、身ぶりなどでも、相手の間違いを指摘することができるが、これは、あからさまに相手を罵倒するのと何ら変わりない。

そもそも、相手の間違いを、何のために指摘するのだ──相手の同意を得るために?とんでもない!相手は、自分の知能、判断、誇り、自尊心に平手打ちを食らわされているのだ。

当然、打ち返してくる。

考えを変えようなどと思うわけがない。

どれだけプラトンやカントの論理を説いて聞かせても相手の意見は変わらない──傷つけられたのは、論理ではなく、感情なのだから。

「では、君に、そのわけを説明しましょう──」こういう前置きは、禁物だ。

これは、「私は君より頭が良い。

よく言い聞かせて君の考えを変えてやろう」と言っているに等しい。

まさに挑戦である。

相手に反抗心を起こさせ、戦闘準備をさせるようなものだ。

他人の考えを変えさせることは、最も恵まれた条件のもとでさえ、大変な仕事だ。

何を好んで条件を悪化させるのだ。

自ら手足をしばるようなものではないか。

人を説得したければ、相手に気づかれないようにやることだ。

誰にも感づかれないように、巧妙にやることだ。

これについてアレクサンダー・ポープ(一六八八─一七四四、イギリスの詩人)は、こう言っている。

「教えないふりをして相手に教え、相手が知らないことは、忘れているのだと言ってやる」三百年以上も昔、ガリレオはこう言った。

「人に物を教えることはできない。

自ら気づく手助けができるだけだ」チェスターフィールド卿(一六九四─一七七三、イギリスの政治家・外交官)が息子に与えた処世訓の中に、次のような一節がある──「できれば、人より賢くなりなさい。

しかし、それを、人に知らせてはいけない」ソクラテスは弟子たちに、こう繰り返し教えた──「私の知っていることは一つだけだ──自分が何も知っていないということ」私は、どう間違ってもソクラテスより賢いはずがない。

だから、他人の間違いを指摘するような真似は、いっさいしないことに決めた。

この方針のおかげで、ずいぶんと得をしてきた。

相手が間違っていると思った時には──思うばかりでなく、事実、それが明瞭な間違いだった時にも、こんな具合に切り出すのがいいと思うがどうだろう──「実は、そんなふうには考えていなかったのですが──おそらく私の間違いでしょう。

私はよく間違います。

間違っていましたら改めたいと思いますので、一つ事実をよく考えてみましょう」この「おそらく私の間違いでしょう。

私はよく間違います。

一つ事実をよく考えてみましょう」という文句には、不思議なほどの効き目がある。

これに反対する人間は、どこの世界にも、まずいないはずだ。

モンタナ州ビリングスで車の販売をやっているハロルド・レインクという男が、このやり方を応用した。

彼によると、車の販売は、毎日の精神的疲労が大きく、客の苦情に対しても、つっけんどんになりがちだという。

思わずかっとなって商談は壊れ、不愉快な気分だけがあとに残ることがよくあるとのことだった。

「こんな調子で続けていたら、お先真っ暗だと気づいた私は、新しい手を使おうと考えた。

たとえば、客にこう言ってみる。

『お恥ずかしい話ですが、私どもの店でもこれまでにへまをしたことが何回かあります。

今度も、何か考え違いがあるかもしれません。

お気づきの点がありましたら、どうぞおっしゃってください』これで、相手側も気を許して、胸にあることを率直に話し、最後には物わかりよく決着をつけてくれる。

私の〝理解のある態度〟に対して、客から礼を言われることもあった。

新車を買いたいという友人を店まで連れてきて紹介してくれた人が二人もいた。

競争の激しい自動車業界では、そういう客が何よりもありがたい。

客の意見を尊重し、客を大切に扱うことだけが、激しい競争に勝つ道だと私は思っている」「おそらく私の間違いでしょう」と言って、面倒の起きる心配は絶対にない。

むしろ、それで議論が収まり、相手も、こちらに負けず寛大で公正な態度をとりたいと思うようになり、自分も間違っているかもしれないと反省する。

相手が明らかに悪いとわかっている場合、それを露骨に指摘すれば、どんな事態が生じるか、そのいい例を話そう。

ニューヨークの若い弁護士S氏が、アメリカ最高裁判所の法廷で弁護を行なっていた。

その事件には、相当多額の金銭と重要な法律問題とが含まれていた。

論戦の最中に裁判官がS氏に「海事法による期限の規定は六カ年だったね」と言った。

S氏は、しばらく黙って裁判官の顔を見つめていたが、やがて、ぶっきらぼうに「閣下、海事法には期限の規定はございません」とやった。

その時の様子を、S氏は私の講習会で、こう語った──「一瞬、法廷は水を打ったように静まり、冷たい空気があたりにみなぎった。

私のほうが正しい。

裁判官が間違っているのだ。

私はそれを指摘したまでだ。

だが、相手は、それで私に好意を持つだろうか?──否。

私は今でも自分のほうが正しかったと信じている。

その時の弁論も、めったにないほどの上出来だったと信じている。

だが、相手を納得させる力は、皆無だった。

間違いを指摘して、一流の有名人に恥をかかせるという大失策をやってのけたのだ」理屈どおりに動く人間は、めったにいるものではない。

たいていの人は偏見を持ち、先入観、嫉妬心、猜疑心、恐怖心、ねたみ、自負心などにむしばまれている。

自分たちの主義、宗教、髪の刈り方、そして、クラーク・ゲイブルが好きだとか嫌いだとかいった考え方を、なかなか変えようとしないものだ。

もし人の間違いを指摘したければ、次の文章を読んでからにしていただきたい。

ジェイムズ・ロビンソン教授の名著『精神の発達過程』の一節である。

「我々は、あまりたいした抵抗を感じないで自分の考え方を変える場合がよくある。

ところが、人から誤りを指摘されると、腹を立てて、意地を張る。

我々は実にいい加減な動機から、いろいろな信念を持つようになる。

だが、その信念を誰かが変えさせようとすると、我々は、がむしゃらに反対する。

この場合、我々が重視しているのは、明らかに、信念そのものではなく、危機に瀕した自尊心なのである……〝私の〟という何でもない言葉が、実は、人の世の中では、一番大切な言葉である。

この言葉を正しくとらえることが、思慮分別のはじまりだ。

〝私の〟食事、〝私の〟犬、〝私の〟家、〝私の〟父、〝私の〟国、〝私の〟神様──下に何がつこうとも、これらの〝私の〟という言葉には同じ強さの意味がこもっている。

我々は、自分のものとなれば、時計であろうと自動車であろうと、あるいはまた、天文、地理、歴史、医学その他の知識であろうと、とにかく、それがけなされれば、等しく腹を立てる……我々は、真実と思い慣れてきたものを、いつまでも信じていたいのだ。

その信念を揺るがすようなものが現われれば、憤慨する。

そして、何とか口実を見つけ出してもとの信念にしがみつこうとする。

結局、我々のいわゆる論議は、たいていの場合、自分の信念に固執するための論拠を見出す努力に終始することになる」高名な心理学者カール・ロジャースは、『人格の形成』の中でこう述べている。

他人を真に理解することが、どれほど難しく、どれほど大きな価値があるかはかり知れないものがある。

私たちは、他人からいろいろなことを聞かされるが、その時、どう反応するだろうか?相手の言ったことに対して理解ではなく、価値判断をまず与えるのが普通である。

誰かが何かについて、感想、意見、または信念を述べると、それを聞いた私たちは、即座に、「そのとおり」とか「馬鹿らしい」とか「突拍子もない」とか「無茶だ」とか「間違いだ」とか「ひどすぎる」とか評価して決めつけてしまう。

相手の真意が、どこにあるのか正確に理解しようと努めることはきわめてまれである。

ある時私は、インテリア・デザイナーに、部屋のカーテンをつくらせたことがある。

請求書が届くと、息の根が止まるような気がした。

数日後、ある婦人がやってきて、そのカーテンを見た。

値段を聞かせると、彼女は、まるで勝ち誇ったような調子で叫んだ。

「まあ、ずいぶんなお値段ね。

だいぶ儲けさせたんですよ」実は、彼女の言うとおりだった。

だが、自分の愚かさを暴露するような事実に好んで耳を傾ける人間はほとんどいない。

やはり私も大いに自己弁護をやった。

良いものは結局安くつくとか、上等な芸術品は、特価品よりも高価なのは当然だとか、いろいろと言い立てた。

次の日、もう一人の婦人が訪ねてきて、同じカーテンを見ると、しきりにそれをほめそやし、自分も、金さえあれば、ぜひほしいものだと言った。

それに対する私の反応は、前とはまるきり違っていた。

「実のところ、私にも、こんなものを買う金はありません。

どうも、ぼられたような気がします。

注文しなければよかったと後悔しているんです」我々は、自分の非を自分で認めることはよくある。

また、それを他人から指摘された場合、相手の出方が優しくて巧妙だと、あっさり非を認め、むしろ自分の率直さや腹の太さに誇りを感じることさえある。

しかし、相手がそれを無理やりに押しつけてくると、そうはいかない。

南北戦争の頃、全国に名の聞こえた編集長でホレス・グリーリーという男がおり、リンカーンの政策に大反対を唱えていた。

この男は論駁、嘲笑、非難などの記事によって、リンカーンの意見を変えさせようと何年間も頑張り続けた。

リンカーンがブースの凶弾に倒れた日にさえ、彼は、リンカーンに対する不遜きわまる人身攻撃をやめなかった。

で、効果はあったか?もちろんない。

嘲笑や非難で意見を変えさせることは不可能だ。

人の扱い方と自己の人格を育てる方法を知りたければ、ベンジャミン・フランクリンの自叙伝を読めばよい。

読みはじめると、夢中になることはうけあいである。

また、アメリカ文学の古典でもある。

この自伝で、フランクリンは、いかにして自己の議論好きな悪癖を克服し、有能さと人当たりの良さと外交的手腕にかけてはアメリカで一流の人物になれたか説明している。

フランクリンがまだ血気盛んな青年の頃、彼の友人でクェーカー教の信者がいたが、その男に、誰もいないところで、手厳しい説教を食らった。

「ベン、君は駄目だよ。

意見の違う相手に対しては、まるで平手打ちを食らわせるような議論をする。

それが嫌さに、君の意見を聞く者が誰もいなくなったではないか。

君がそばにいないほうが、君の友人たちにとってはよほど楽しいのだ。

君は自分が一番物知りだと思っている。

だから、誰も君には物が言えなくなる。

事実、君と話せば不愉快になるばかりだから、今後は相手にすまいと皆がそう思っているんだよ。

だから、君の知識は、いつまでたっても、今以上に増える見込みはない──今の取るに足りない知識以上にはね」この手ひどい非難を素直に受け入れたのが、フランクリンの偉いところだ。

この友人の言うとおり自分は今破滅の淵に向かって進んでいるのだと悟ったあたり、彼は偉大であり賢明だったわけだ。

そこで、彼はまわれ右をした。

従来の傲慢で頑迷な態度を、たちどころに投げ捨てたのである。

フランクリンは次のように言っている──「私は、人の意見に真っ向から反対したり、自分の意見を断定的に述べないことにした。

決定的な意見を意味するような言葉、たとえば、〝確かに〟とか〝疑いもなく〟などという言葉はいっさい使わず、その代わりに『自分としてはこう思うのだが……』とか『私にはそう思えるのだが……』と言うことにした。

相手が明らかに間違ったことを主張しても、すぐそれに反対し、相手の誤りを指摘することをやめた。

そして、『なるほどそういう場合もあるだろうが、しかしこの場合は、少し事情が違うように思われるのだが……』という具合に切り出すことにした。

こうして、今までのやり方を変えてみると、ずいぶんと利益があった。

人との話し合いが、それまでよりもよほど楽しく進む。

控え目に意見を述べると、相手はすぐ納得し、反対する者も少なくなった。

私自身の誤りを認めるのがたいして苦にならなくなり、また、相手の誤りも、たやすく認めさせることができるようになった。

この方法を用いはじめた頃は、自分の性質を抑えるのにずいぶん苦労したものだが、しまいには、それがやすやすとできるようになり、習慣にさえもなってしまった。

おそらくこの五十年ほどの間、私が独断的な言い方をするのを聞いた人は、誰もいないだろう。

新制度の設定や旧制度の改革を提案すると、皆すぐに賛成してくれたのも、また、市会議員になって議会を動かすことができたのも、主として、第二の天性となったこの方法のおかげだと思う。

もともと私は口下手で、決して雄弁家とは言えない。

言葉の選択に手間取り、選んだ言葉もあまり適切でないことが多い。

それでいて、たいていの場合自分の主張を通すことができたのである」このフランクリンのやり方が、果たして商売に役立つかどうか、例を挙げてみよう。

ノースカロライナ州キングズ・マウンテンのキャサリン・オールレッドは、ある製糸工場の技術主任をしている女性である。

彼女はある時、私の講習会に参加する前と後とで、問題の扱い方がどう変わったか、次のように話した。

「私の仕事の一つは、従業員が毛糸を増産して自分たちの収入を伸ばす奨励制度と作業目標をつくり、それを管理運営することだった。

糸の種類が二、三種に限られていた時代は、これまでの制度でうまくいっていた。

ところが最近は業務が拡大して十二種類以上の糸を生産するようになった。

今までの制度では実績に見合った賃金を公正に支払って増産の意欲をかき立てることが難しくなってきた。

そこで私は、新しい制度を工夫した。

一定の時間内に生産する毛糸の等級に応じて賃金を支払うことにしたのだ。

私はこの新しい制度をたずさえ、重役連中を説得しようと大いに意気込んで会議に臨んだ。

まず私は、これまでの間違いを事細かに説明し、自分の考えた制度が解決策としていかに優れたものであるか、とうとうと力説した。

ところが、結果は、みじめな敗北に終わった。

自分の考えた制度を推進することに急で、従来の制度の欠陥を素直に認めるゆとりを、重役たちに持たせる配慮に欠けていたのだ。

それで、この案は廃案と決まった。

この講習会に参加して、私は、自分の間違いがはっきりわかった。

そこで、もう一度役員会を開いてもらい、今度は、まず出席者に問題点を探し出してもらった。

次に、指摘された問題点を取り上げて議論し、今後の処置をどうするか、皆の意見を聞いた。

それから、適当な間をおいて提案を行ない、それについて議論をしてもらい、修正を加えながら固めていった。

会議が終わりに近づいて、私の考えた制度そのものを提示した時は、全員が賛成するところまできていたのである。

この経験から、私は、相手の間違いを頭から決めつけるやり方は、効果がないどころか、結局は、相手の自尊心を傷つけ、皆からも敬遠されて、話し合いもできなくなるのがおちだと悟った」もう一つの例を挙げよう。

この種の話は世間にはざらにあるはずだ──ニューヨークのある木材会社のセールスマン、R・V・クローレーは、長年、取引先の頑固な木材検査係たちを向こうにまわして議論し、議論するたびに相手をやり込めてきた。

しかし、それで、決していい結果は得られなかった。

クローレーの説によると、木材検査係などという連中は、野球の審判と同じで、いったん判定を下すと決してそれを変えようとはしないのだそうだ。

彼は議論には勝ったが、おかげで会社は数千ドルの損害をこうむった。

彼は、私の講習会に参加し、今までのやり方を変え、議論はいっさいすまいと決心した。

それで、どのような結果が得られたか、講習会で彼が語った体験談を聞こう。

「ある朝、事務所の電話がけたたましく鳴った。

発送した一車分の材木の品質が悪く、受け取るわけにはいかぬと、ある得意先の工場から苦情を言ってきたのである。

荷おろしを中止してあるから、早く引き取りにこいという。

およそ四分の一ほど荷物を下ろしてから、検査係が、この材木には半分以上不合格品がまじっていると報告したので、こういう事態になったのだそうである。

私は早速相手の工場に出向いていったが、その途中、一番適切な処置を考えてみた。

こういう場合、いつもなら、長年にわたって蓄えた木材に関する知識を傾けて、等級判定基準について相手方の検査係の誤りを指摘したことだろう。

だが、今度は、この講習会で教わった原則を応用してみようと考えた。

その工場に着くと、購入係と検査係がふくれっ面をして、今にも食ってかかりそうな様子だった。

私は、相手と一緒に現場へ行き、とにかく材木を全部おろして見せてくれと頼んだ。

そして、今までやっていたとおりに合格品と不合格品を選り分けて別々に並べてみてくれと検査係に頼んだ。

検査係が選別するのをしばらく眺めているうちに、彼のやり方が厳格すぎ、判定基準を誤っていることがわかった。

問題の材木は白松材だが、彼の知識は堅木材に限られており、白松材の検査係としては落第であることもわかった。

白松材は私の専門である。

だが私は、彼のやり方に対して、あえて異議は申し立てなかった。

しばらく黙って見ていたが、やがて、少しずつ不合格の理由を聞きはじめた。

しかし、相手の間違いを指摘するような態度は決してとらず、今後どういう品物を送れば満足してもらえるのかそれが知りたいのだと言った。

相手のなすがままにまかせて、協調的な親しい態度で尋ねているうちに、相手の気持ちもなごみ、今までの険悪な空気も薄れてきた。

私が時おり発する注意深い質問が、相手に反省のきっかけを与えた。

あるいは自分が不合格品としてはねている材木は、注文どおりの等級のもので、むしろ自分が等級以上の基準を適用しているのかもしれないと、彼は思いはじめたらしい。

私としては、まさにそこを言いたかったのだが、そんな気配はおくびにも出さなかった。

次第に彼の態度が変わってきた。

とうとう彼は私に向かって、実は白松材についてはあまり経験がないのだと言い、積みおろす材木一本一本について、質問しはじめた。

私は、その材木が皆、指定の等級には合格しているのだと説明したかったのだが、それをやめて、お気に召さないのは喜んで引き取ろうと申し出た。

ついに彼は、不合格品を増やすごとに自責の念を覚えるところまできた。

そしてとうとう、誤りは彼のほうにあることを認め、はじめからもっと上等の等級を注文すべきだったと言った。

結局、彼は、私が帰ってからもう一度検査をやり直した上、全部買い入れることにし、全額を小切手で支払った。

ちょっとした心遣いと相手の誤りを指摘しないという心がけによって、この例だけでも、すでに百五十ドルの収益を上げ、他に金銭には代えがたい善意までも手に入れることができたのである」マーティン・ルーサー・キング(一九二六─六八、アメリカ黒人解放運動指導者)は、平和主義者として世に知られていたが、当時アメリカの黒人として最高位をきわめた軍人、ダニエル・ジェイムズ空軍大将を崇拝していた。

平和主義者が軍人を崇拝する矛盾を指摘されたキング博士の答えはこうだった。

「人を判断する場合、私はその人自身の主義・主張によって判断することにしている──私自身の主義・主張によってではなく」これと似た話だが、ロバート・リー将軍(一八〇七─七〇、アメリカ南北戦争の際の南軍の総指揮官)はかつて南部連盟の大統領ジェファーソン・デイヴィスに対して、自分の部下の将校のことを最大級の賛辞でほめた。

そばで聞いていた将校が驚いた。

「閣下、今おほめになった人物は、事あるごとに閣下のことを中傷していますが、ご存じないのですか?」リー将軍は答えた。

「知っている。

だが、大統領は、彼を私がどう思うかと尋ねられた。

彼が私をどう思っているかとお尋ねになったのではない」本章に述べた事柄は、決して目新しいものではない。

千九百年前にキリストは、「すみやかに汝の敵と和解せよ」と教えている。

紀元前二千二百年の昔、エジプト王アクトイが彼の王子を、「人を納得させるには、外交的であれ」と諭している。

つまり、相手が誰であろうと、口論をしてはいけない。

相手の間違いを指摘して怒らすようなことはせず、いささか外交的手法を用いよということだ。

人を説得する原則❷|相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。

3誤りを認める私の家のすぐ近くには原始林があって、この林の中では、黒イチゴが春になると一面に白い小さな花を咲かせ、リスが巣をつくって子を育てており、雑草は馬の背丈ほどに生い茂っている。

この自然のままの森は、フォレスト公園と呼ばれている。

この森の姿は、おそらくコロンブスがアメリカ大陸に到達した時と今もあまり違っていないのだろう。

私はレックスと呼んでいる小さなボストン・ブルドッグを連れて、この公園へよく散歩にいく。

レックスは人なつこくて決して嚙みついたりしない犬だ。

それに、公園ではめったに人に出会わないので、私はレックスに鎖も口輪もつけずに連れて歩く。

ある日、園内で騎馬警官に出会った。

この警官は、自分の権威を見せびらかしたくてむずむずしていたらしい。

「口輪もつけずに、犬を放すとは何事だ。

法律に違反していることを知らんのか」と警官に叱られると、私は、穏やかに答えた。

「はい、よく知っています。

しかし、あの犬は人に危害を加えるような犬ではないから大丈夫だと思いましたので」「思った!思ったとは何事だ!君が何と思おうと、それで法律が変わったりはしないのだ。

君の犬は、リスや子供に嚙みつくかもしれないではないか。

今日のところは見逃すが、次にこういうことがあると、裁判所へ行ってもらわなくちゃならん」私は、以後気をつけますと、素直に約束した。

私は約束を守った。

しかし数日後には、犬が口輪を嫌がるし、私もしいてはめたくもないので、見つかったら見つかった時のことと覚悟を決めた。

しばらくは、それでうまくいった。

ところが、ある日、とうとう来るべきものがきた。

私とレックスが坂道を駆けのぼっていくと、いきなり行く手にいかめしい法の守護者が栗毛の馬にまたがって現われた。

私はあわてたが、レックスは何も知らず、まっすぐ警官のほうへ走っていく。

いよいよ事は面倒になってきた。

私は観念して、警官の発言を待たずに先手を打った。

「とうとう、現行犯で押さえられましたね。

私が悪いのです。

何も言うことはありません──先週、あなたから、二度とこういうことがあれば罰金だと注意されたばかりですから」「うん、だが、まあ、あたりに人がいない時には、こんな小さな犬のことだし、つい放してみたくなるのも人情だろう」警官の声は穏やかだった。

「まったくそのとおりです。

だが、法律は法律です」「しかし、まあ、こんな小さい犬は、誰にも危害は加えないだろう」警官は、そう言って逆に異議を唱える。

「いや、リスに嚙みつくかもしれません」「それは君、考えすぎだよ。

それでは、こういうことにしたらどうだ──坂の向こうへ連れていって、放してやるんだよ。

そうすれば、私の目も届かないからね。

それで万事解決ということにしよう」警官も人間だ。

やはり、自己の重要感がほしかったのである。

私が自分の罪を認めた時、彼の自負心を満足させる唯一の方法は、私を許して太っ腹なところを見せることだったのだ。

だが、もし私が言い逃れをしたとすれば──警官と議論をすれば、どんなことになるか、読者もご承知のはずだ。

警官と渡りあう代わりに、私は、先方が絶対に正しく、自分が絶対に悪いと認めた。

即座に、潔く、誠意を込めて、認めた。

すると、互いに譲り合いがはじまり、私は相手の身に、相手は私の身になって話し合い、事件はめでたく解決したのである。

前に法の権威でおどしつけたこの警官が一週間後に見せた優しい物腰には、誰もが驚かされたことだろう。

自分が悪いと知ったら、相手にやっつけられる前に自分で自分をやっつけておいたほうが、はるかに愉快ではないか。

他人の非難よりも自己批判のほうがよほど気が楽なはずだ。

自分に誤りがあるとわかれば、相手の言うことを先に自分で言ってしまうのだ。

そうすれば、相手には何も言うことがなくなる。

十中八九まで、相手は寛大になり、こちらの誤りを許す態度に出るだろう──私とレックスを許した騎馬警官のように。

商業美術家フェルディナンド・ウォーレンがこの方法を使って、気難し屋の買い手に気に入られたことがある。

「広告や出版用の絵は、綿密で正確であることが大切なのだ」ウォーレン氏はこう前置きをすると、話をはじめた。

「美術編集係の中には、注文の仕事をやたらにせき立てる者がいる。

そういう場合には、些細な誤りが、よく起こりがちだ。

私の知っている美術監督に、いつも、わずかな誤りを見つけて喜んでいる男がいた。

私は、この男の批評の内容ではなく、批評の仕方が癪に障っていた。

最近、急ぎの仕事を彼のところへ届けたことがある。

しばらくすると、事務所まですぐ来いと電話がかかってきた。

苦情があるのだという。

事務所へ駆けつけると、案の定、彼が手ぐすね引いて待ち構えており、私を見るとさんざんな酷評を浴びせかけた。

かねて研究していた自己批判の方法を応用する機会がやってきたわけだ。

そこで私は、『もし、あなたのおっしゃることが本当なら、私のほうが間違っているに違いありません。

何とも申しわけございません。

あなたには長い間お世話になっているのですから、これくらいのことは十分に承知していなければならないはずですのに、まったくお恥ずかしい次第です』と言った。

すると彼は、たちまち私をかばい出した。

『それはそうだが、なあに君、たいした間違いでもないんだ。

ただ、ちょっと──』私は、すぐ口をはさんだ。

『どんな間違いにしろ、間違いは重大です。

実に嫌なものです』彼が何か言いたそうにしたが、私はそうはさせなかった。

愉快でたまらなかった。

自己批判をするのは生まれてはじめてだが、やってみるとなかなか面白いものだ。

私は続けて、『もっと慎重でなくてはいけなかったのです。

これまで、あなたには、仕事をたくさんいただいていますので、私としては、当然最善を尽くすべきです。

この仕事は、もう一度はじめからやり直します』と申し出た。

彼は『いや、そんなにまで、面倒をかけようとは思っていないんだ』と譲歩して、私の絵をほめ、ほんの少しだけ直してもらえばいいのだという。

私の犯した誤りで損害が生じたわけでもなく、結局はつまらない細部の問題なのだから、それほど気をもむこともなかろうとのことだった。

私がむきになって自己批判をはじめると、相手の意気込みがくじけてしまったのである。

結局、彼が私を昼食に誘うことになって、この事件は終わった。

そして、別れる前に、彼は小切手と別な仕事の注文をくれた」自分が犯した誤りを認める勇気には、ある種の満足感が伴う。

罪悪感や自己防衛の緊張がほぐれるだけでなく、その誤りから生じた問題の解決にも役立つ。

ニューメキシコ州アルバカーキのブルース・ハーヴェイは、ある時、病気で欠勤していた従業員に、誤って賃金を全額支払ってしまった。

ハーヴェイはその従業員に間違いを説明し、次の賃金から過払い分を全額差し引くと言い渡した。

従業員は、それでは生活に困るので、月賦で返済するようにはからってくれと懇願した。

そうなると、部長の承認が必要である。

それでどうなったか?ハーヴェイ自身に語ってもらおう。

「部長のところへこんな話を持っていけば、雷が落ちるのは目に見えていた。

あれこれと思案していたが、結局は自分のミスなのだから、まずそのことを部長に話そうと腹を決めた。

部長に自分のミスを話し、一部始終を報告すると、部長は語気激しく、人事部のミスだと言った。

私が自分のミスであることを重ねて説明すると、部長は怒り狂って、今度は経理部の不注意をなじった。

私はもう一度、すべて自分一人のミスだと説明した。

すると今度は、私の同僚二人を槍玉に挙げた。

そのつど私は、自分一人の責任だと申し立てた。

やがて部長は、私に向かってこう言った。

『よろしい、君のミスだ。

君の責任で処理したまえ』。

こうしてミスは正され、誰にも迷惑はかからなかった。

私には、責任逃れをせず、勇気を持って難関に対処した満足感があった。

このこと以来、部長は前よりもいっそう私に目をかけてくれるようになった」どんな馬鹿でも過ちの言い逃れぐらいはできる。

事実、馬鹿はたいていこれをやる。

自己の過失を認めることは、その人間の値打ちを引き上げ、自分でも何か高潔な感じがしてうれしくなるものだ。

その例として、南北戦争の南軍の総司令官ロバート・リー将軍の伝記に記された美談の一つを紹介しよう。

ゲティスバーグの戦闘で、部下のピケット将軍が行なった突撃の失敗の責めを、リー将軍が一人で背負った話である。

ピケット将軍の突撃作戦は、西洋の戦史に例を見ないほど、華々しいものであった。

ピケット将軍はさっそうたる軍人で、赤褐色の頭髪を長く伸ばし、それが肩まで届きそうだった。

イタリア戦線におけるナポレオンのごとく、彼は毎日のように戦場で熱烈なラブレターを書いた。

運命の日の午後、彼が馬に打ちまたがり、帽子を斜めにかぶった粋な姿で進撃をはじめると、彼を信頼する部下たちは大喝采を送った。

彼らは軍旗を風にひるがえし、銃剣をきらめかせながら続々と将軍のあとに従った。

まことに勇壮な光景だった。

この堂々たる進軍を望み見て、敵陣にも賛嘆の声が起こった。

ピケット突撃隊は敵弾を物ともせず、野越え山越え、ひた押しに進撃した。

セメタリー・リッジに到達した時、突然、石垣の陰から北軍が現われ、ピケット隊に猛烈な一斉射撃を浴びせかけた。

セメタリー・リッジの丘は、一瞬にして銃火の海となり、恐ろしい修羅場と化した。

数分のうちに、ピケット隊の指揮官のうち生き残っている者はただの一人となり、五千の軍勢のうち五分の四が失われた。

アーミステッド隊長が残りの兵士を率いて最後の突撃を敢行した。

石垣にまたがって剣の先に帽子を掲げ、大声で「突っ込め!突っ込め!」と叫んだ。

石垣を乗り越え敵中に躍り込んだ南軍は、大乱戦の末、ついに南軍の軍旗をセメタリー・リッジにひるがえした。

だが、それも束の間だった。

その束の間が、南部勢力のはかない頂点だったのである。

ピケットの突撃作戦──華々しい、壮烈な作戦だったが、実はそれが、南軍敗北への第一歩だったのである。

リー将軍は失敗したのだ。

北軍に打ち勝つ望みは、ついに消えうせたのである。

南部連盟の運命は定まった。

すっかり気を落としたリー将軍は、時の南部連盟の大統領ジェファーソン・デイヴィスに辞表を出し、自分よりも若くて有能な人物を任命するように建言した。

もしリー将軍がピケットの突撃作戦の失敗の責任を他に転嫁しようと思えば、いくらでも言い逃れる余地はあったのだ。

配下の司令官のうちに彼の命令に反した者もいた。

騎兵隊も突撃の時間に遅れた。

その他いろいろと理由を挙げることができたのである。

だが、責任を転嫁するには、彼はあまりにも高潔な人物だった。

敗れたピケット隊の兵士をただ一人で前線に出迎えにいったリー将軍は、ひたすらにおのれを責めた。

まさに崇高とも言うべき態度である。

彼は、兵士たちに向かって、「これはすべて私が悪かったからだ。

責任は私一人にある」とわびた。

この言葉を口にするだけの勇気と人格を備えた将軍は、古今東西の戦史を通じて、そうざらには見当たらない。

エルバート・ハバードはまことに独創的な著者だが、彼ほど国民の感情を刺激した作家は珍しい。

その辛辣な文章は、何度か世論の猛烈な反撃を受けた。

ところが彼は、まれに見る人扱いの名人だった。

敵を味方に変えてしまうことがよくあった。

たとえば読者からひどい抗議が持ち込まれた場合、彼はよく次のような返事を出した。

「実は、私自身も今では例の問題については大いに疑問を感じています。

昨日の私の意見は、必ずしも今日の私の意見ではありません。

貴殿のご意見を拝読、まことに我が意を得た思いがいたしました。

当地へお越しの節は、ぜひとも小生宅にお立ち寄りください。

改めて互いの意見の一致を祝したいと存じます」こんな具合に出られると、たいていの者は何とも言えなくなるだろう。

自分が正しい時には、相手を優しく巧妙に説得しようではないか。

また、自分が間違っている時──よく考えてみると、自分の間違っている場合は驚くほど多いものだ──そういう時には、すみやかに自分の誤りを快く認めることにしよう。

この方法には予期以上の効果がある。

そのうえ、苦しい言いわけをするよりも、このほうが、よほど愉快な気持ちになれる。

ことわざにも「負けるが勝ち」と言う。

人を説得する原則❸|自分の誤りを直ちに快く認める。

4穏やかに話す腹が立った時、相手を思い切りやっつければ、さぞかし胸がすくだろう。

だがやっつけられたほうは、同じように胸がすくだろうか?喧嘩腰でやっつけられて、気持ちよくこちらの思いどおりに動いてくれるだろうか?ウッドロー・ウィルソン大統領はこう言う──「もし、相手が拳を固めてやってくれば、こちらも負けずに拳を固めて迎える。

だが、相手が『お互いによく相談してみようではありませんか。

そして、もし意見の相違があれば、その理由や問題点をつきとめましょう』と穏やかに言えば、やがて、意見の相違は思ったほどでもなく、互いに忍耐と率直さと善意を持てば、解決できることがわかる」このウィルソンの言葉を、誰よりもよく理解していたのは、ジョン・ロックフェラー二世である。

一九一五年のロックフェラーは、コロラド州の民衆からおそろしく嫌われていた。

アメリカ産業史上まれに見る大ストライキが二年にわたってコロラド州を揺るがせ、ロックフェラーの会社に賃上げを要求していた従業員たちが、極度に尖鋭化していたのである。

会社の建物は破壊される、軍隊は出動する、ついには発砲、流血騒ぎとなった。

このような対立激化の最中に、ロックフェラーは何とか相手方を説得したいと思った。

そして、それを成し遂げた。

どうやって成し遂げたか、それを紹介しよう。

彼は数週間にわたって和解の工作を行なったのち、組合側の代表者たちを集めて話した。

この時の演説は一点非の打ちどころのない立派なもので、思いがけない成果を収めた。

ロックフェラーを取りまいてたぎり立っていた憎悪の大波を静め、多数の味方ができたのである。

ロックフェラーは、その演説で、友情にあふれた態度で事実を諄々と説いた。

すると労働者たちは、あれほど主張してきた賃上げについては何も言わずに各自の職場へ復帰していった。

その時の演説のはじめの部分を引用してみよう。

いかにそれが友情にあふれているか、よく味わっていただきたい。

ロックフェラーは、つい先ほどまで彼をしばり首にしても飽き足りないと思っていた連中を相手に、きわめて友好的な口調で、穏やかに話しかけた。

たとえ慈善団体に向かって話す時にも、こうまで穏やかな態度は示すまいと思われるほどだった。

「私は、この席に出たことを大変誇りに思います」「皆さんの家庭を訪問し、家族の方々にお会いしたので、私たちは、見知らぬ他人ではなく、友人としてお会いしているわけです」「我々相互の友情」「我々の共通の利害」「私が本日この席に出ることができたのは、ひとえに皆さんの好意の賜物と考えています」こういった言葉が、彼の演説を飾っていた。

ロックフェラーは口を開くと、こう言った──「本日は私の生涯で特に記念すべき日であります。

この大会社の従業員代表並びに幹部社員の皆さまにお目にかかる機会を得たことは、私にとってはかつてない幸福に恵まれたものと思っています。

そして、私は、この席に出たことを大変誇りに思います。

この会合は末長く私の記憶に残ることと確信しています。

もしこの会合が二週間前に持たれていたら、おそらく私は、ごく少数の方を除いて、大部分の方々とは顔なじみのない存在にすぎなかっただろうと思います。

私は先週、南鉱区の職場をくまなく訪ね、おり悪しく不在だった方を除いて、ほとんど全部の代表者の方々と個々に話し合い、また、皆さんの家庭を訪問し、家族の方々にお会いしたので、私たちは、見知らぬ他人ではなく、友人としてお会いしているわけです。

このような我々相互の友情に基づいて、私は、我々の共通の利害につき、皆さんと話し合いたいと思います。

この会合は、会社の幹部社員と従業員代表の方々が持たれたものと聞いております。

幹部社員でもなく、従業員代表でもない私が本日この席に出ることができたのは、ひとえに皆さんの好意の賜物と考えています。

私は幹部社員でも従業員でもありませんが、しかし、株主と重役の代表者という意味において、皆さんと密接な関係があると思います」これこそ、敵を味方にする方法の見本とも言うべき例であろう。

もしロックフェラーが別な方法をとって、議論を闘わし、事実を盾にとって、間違いは労働者側だと言わんばかりに弁じ立てるか、あるいは、彼らの誤りを理論的に証明しようなどとしていたら、いったい、どうなっただろうか?それこそ、火に油を注ぐ結果になったに違いない。

「相手の心が反抗と憎悪に満ちている時は、いかに理を尽くしても説得することはできない。

子供を叱る親、権力を振りまわす雇い主や夫、口やかましい妻──こういった人たちは、人間は自分の心を変えたがらないということをよく心得ておくべきだ。

人を無理に自分の意見に従わせることはできない。

しかし、優しい打ち解けた態度で話し合えば、相手の心を変えることもできる」右のような意味のことを、リンカーンはすでに百年前に述べている。

そしてこれも──「〝バケツ一杯の苦汁よりも一滴の蜂蜜のほうが多くのハエがとれる〟ということわざはいつの世にも正しい。

人間についても同じことが言える。

もし相手を自分の意見に賛成させたければ、まず諸君が彼の味方だとわからせることだ。

これこそ、人の心をとらえる一滴の蜂蜜であり、相手の理性に訴える最善の方法である」経営者のうちには、ストライキ側と友好的になることは大きな利益だとわかりはじめた者もいる。

一例を挙げてみよう。

ホワイト・モーター社の二千五百人の従業員が、賃上げとユニオン・ショップ制採用を要求してストライキを起こした。

社長のロバート・ブラックは労働者に対していささかも悪感情を示さず、逆に彼らが〝平和な態度でストライキに入った〟ことを、クリーブランド紙上でほめ上げた。

ピケを張っている者たちが退屈しているのを見ると、彼は野球の道具を買い入れ、空き地を利用して野球をやるようにすすめ、ボウリングの好きな者のためには、ボウリング場を借りてやった。

経営者側のとったこの友好的態度は十分にむくわれた。

つまり、友情が友情を生んだのである。

労働者たちは、掃除道具をどこからか借りてきて、工場のまわりを清掃しはじめた。

一方で賃上げとユニオン・ショップ制実施のために闘いながら、片方では工場のまわりを掃除しているのである。

微笑ましい風景ではないか。

激しい争いに彩られたアメリカ労働史上かつて見られなかった情景だ。

このストライキは一週間のうちに妥結し、双方に何の悪感情も残らなかった。

ダニエル・ウェブスターは、くらべる者のない堂々たる風采と雄弁に恵まれ、自己の主張を通すことにかけては、彼の右に出る弁護士はいなかった。

しかし、どんな激論を闘わす場合でも、彼はきわめて穏やかな態度で切り出した。

決して高圧的な言い方はしない。

自分の意見を相手に押しつけようとはせず、穏やかな、打ち解けた態度を示す。

それが彼の成功を大いに助けたのである。

労働争議の解決を頼まれたり、被告の弁護を依頼されたりする人は、めったにいないだろうが、家賃や地代を安くしてもらいたい人は、いくらもいることだろう。

そういう人に、この穏やかな話し方がどんなに役に立つかを考えてみよう。

O・L・ストローブという技師が、部屋代を安くしてもらいたいと思った。

だが、家主は評判の頑固者だった。

以下、彼が私の講習会で公開した話を紹介しよう──「私は契約期間が終わり次第、アパートを出ると家主に通告の手紙を出した。

だが、本当は出たくなかったのだ。

家賃を安くしてくれさえすれば、そのままそこにいたかった。

しかし、情勢はまったく悲観的だった。

他の借家人も皆、失敗しており、あの家主ほど扱いにくい男はいないと口を揃えて言っていた。

だが、私は心の中でこう考えた。

『私は講習会で〝人の扱い方〟を習っている。

家主に応用して、効果を試してみよう』私の手紙を受け取ると、早速家主が秘書を連れてやってきた。

私は快活な笑顔で家主を迎え、心からの好意を示した。

家賃が高いなどとは決して言い出さない。

まず、このアパートが非常に気に入っているのだと話し出した。

実際、私は〝惜しみなくほめたたえ〟たのである。

アパートの管理についても大いに敬服し、せめてもう一年ぐらいはここにいたいのだが、残念ながらそれができないのだと家主に言った。

家主は、今まで借家人からこういう歓迎を一度も受けたことがなかったのだろう。

すっかり勝手が違った様子だった。

しばらくすると、家主は自分の苦労をぼつぼつ話しはじめた。

苦情ばかり持ち込む借家人──なかには十四通も苦情の手紙をよこした者もあり、そのうちには、明らかに侮辱的な手紙もいくつかあった。

家主の責任で階上の男のいびきを止めてくれなければ契約を破棄するとおどしてきた者もいたそうだ。

『あなたのように、話のわかる方がいてくださるとは、本当にありがたいことです』と言って、私から何も言い出さないうちに、家主のほうから家賃を少し下げようと言った。

私はもっと下げてもらいたかったので、はっきりと私の払える金額を言うと、家主は直ちにそれを承諾してくれた。

そのうえ彼は、『部屋の装飾を変えてあげたいのですが、何かご注文はありませんか』と言って帰っていった。

もし私が他の借家人と同じ方法で、家賃の引き下げ運動をやったとしたら、やはり彼らと同様に失敗したに違いない。

友好的で同情的な、そして感謝に満ちた態度が、この成功をもたらしたのである」ペンシルバニア州ピッツバーグのディーン・ウッドコックは、電気会社の部長である。

ある時、部下が電柱の頂上に取りつけた器具の修理をすることになった。

この種の作業は従来、他の部の受け持ちになっていて、ウッドコックの部に移管されたのは、ごく最近だった。

すでに訓練は済んでいたが、実際に手がけるのは今回がはじめてだった。

それで、会社中がこの初仕事に注目したのである。

ウッドコックをはじめ、配下の課長たち、それに他の部の者まで加わって作業を見に出かけた。

乗用車やトラックが多数集まり、大勢の人間が電柱の先端で作業する二人の男を見守っていた。

そのうちに、通りかかった車から一人の男がカメラを手におりてきて、現場の写真を撮りはじめた。

電気会社をはじめ一般に公益事業の関係者は、いつも世評に気を遣っているが、ウッドコックも、この場の仰々しい情景が、写真を撮っている男の目にどう映るか、それを思うと不安になってきた。

二人でできる仕事に、何十人という人間が集まっているのである。

ウッドコックは、そのカメラの男のところへ歩み寄った。

「私どもの作業に興味をお持ちのようですね」「ええ。

でも、私の母には、興味どころの騒ぎではないでしょう。

母はお宅の会社の株を持っていますからね。

これを見たら母も目が覚めますよ。

馬鹿な投資をしたことに気がつくでしょう。

前から母には、お宅の会社は無駄が多いと言っているんです。

まさにこれは立派な証拠です。

新聞社だって私の撮った写真をほしがるでしょう」「確かにそう見えますね。

私もあなたの立場だったら、きっと同じように考えたと思います。

でも、これは特例なんですよ……」ウッドコックは、今日の作業が自分の部としてはじめての仕事で、そのために重役以下全社員が注目しているが、普通なら二人で十分なのだと説明した。

これを聞いて男はカメラをしまい、ウッドコックと握手をして、懇切な説明に礼を述べた。

ディーン・ウッドコックの愛想のいい応対のおかげで、会社は面倒な事態を免れ、不評を未然に防ぐことができたのだった。

ニューハンプシャー州リトルトンのジェラルド・ウィンは、やはり愛想のいい応対のおかげで、損害賠償問題を円満に処理できたと報告している。

「春がまだ浅く、大地の凍結もまだ解け切っていない頃だったが、その季節には珍しい豪雨が降り、普通なら排水溝から流れ去ってしまう水が、予想外のコースを通って、私が最近家を新築したばかりの敷地に流れ込んだ。

水の逃げ場がなく、家の土台に大変な水圧がかかることになった。

水はコンクリートづくりの地下室に流れ込み、地下室の暖房炉や温水ヒーターが台なしになった。

損害は、修理費だけで二千ドルを上まわったが、この種の損害に対する保険には入っていなかった。

しかし、調べてみると、この分譲地の造成をした時に、この種の損害を防ぐ雨水排水管の敷設を怠っていたことがわかった。

そこで地主に会見を申し入れた。

地主の事務所まで四十キロの車中で、私は、問題を整理するとともに、カーネギーの原則を思い出して、ここで怒りをぶちまけたら元も子もなくなるぞと、自分に言い聞かせた。

先方に到着すると、私は気持ちを鎮め、まず、相手が最近休暇で訪れたという西インド諸島のことを話題にした。

次に、頃合いを見はからって、水害による〝ちょっとした〟問題を取り上げた。

すると、彼は、たちどころに、問題の処理に相応の努力をする約束をしてくれた。

二、三日して、地主から、損害は補償する上に、将来同じようなことが起こらないように、排水管を敷設すると、電話があった。

確かにこの災害は地主側の手落ちによるものだったが、もし私が愛想よく話を持ちかけなかったら、全額賠償を承知させるのは、大変なことだったろう」私は子供の頃、ミズーリ州の片田舎の小学校に通っていた。

その当時、太陽と北風が腕くらべをする寓話を読んだことがある。

北風が「僕のほうが強いに決まっている。

あそこにオーバーを着た老人がいるだろう。

僕は君よりも早く、あの老人からオーバーを取ってみせる」と威張った。

太陽は、しばらく雲の後ろに隠れた。

北風は勢いよく吹いた。

だが、北風が吹けば吹くほど、老人はますますしっかりとオーバーで体を包んだ。

北風は精根尽きて、吹きやんでしまった。

そこで太陽は、雲間から顔を出し、老人に優しく微笑みかけた。

しばらくすると、老人は額の汗をふいてオーバーを脱いだ。

太陽は、優しい親切なやり方は、どんな場合でも、激しい力ずくのやり方より、はるかに効果のあるものだと北風に諭した。

一滴の蜂蜜のほうが、バケツ一杯の苦汁よりもたくさんのハエを捕らえることができる。

それを知っている人たちが、優しさと友情に満ちた行為の効用を枚挙にいとまがないくらい実証している。

メリーランド州ルーサービルのゲール・コナーは、まだ買ってから四カ月もたたない新車が三度目の故障を起こして、販売店に持ち込んだ。

その時の話である。

「サービス主任に交渉したり、議論したり、どなり散らしてみたところで、解決はとても望めそうに思えなかった。

ショールームを訪ねて、店長に面会を求めると、店長室に通された。

私は、自己紹介を済ませると、この店と取引のある友人のすすめで、最近車を買ったが、友人からは、この店のサービスは満点だと聞かされたと話した。

店長は私の話を満足げに聞いていた。

それから私は、この店のサービス部とちょっとしたトラブルがあることを話し、『お宅の評判を落とすようなことになるかもしれないので、店長としても承知しておかれたほうがよかろうと思ってうかがった』ことをつけ加えた。

店長は『よく話してくださった』と礼を述べ、早速善処すると約束してくれた。

店長自ら面倒を見てくれたばかりか、私の車の修理中、他の車を貸してくれた」イソップはクリーサスの王宮に仕えたギリシアの奴隷だが、キリストが生まれる六百年も前に、不朽の名作『イソップ物語』を書いた。

その教訓は、二千五百年前のアテネにおいても、また現代のボストンにおいても、バーミンガムにおいても、同じく真実である。

太陽は風よりも早くオーバーを脱がせることができる──親切、友愛、感謝は世のいっさいの怒声よりもたやすく人の心を変えることができる。

リンカーンの名言〝バケツ一杯の苦汁よりも一滴の蜂蜜のほうが多くのハエがとれる〟をよく心にとどめおいていただきたい。

人を説得する原則❹|穏やかに話す。

5〝イエス〟と答えられる問題を選ぶ人と話をする時、意見の異なる問題をはじめに取り上げてはならない。

まず、意見が一致している問題からはじめ、それを絶えず強調しながら話を進める。

互いに同一の目的に向かって努力しているのだということを、相手に理解させるようにし、違いはただその方法だけだと強調するのである。

最初は、相手に〝イエス〟と言わせるような問題ばかりを取り上げ、できるだけ〝ノー〟と言わせないようにしておく。

オーヴァストリート教授はこう言っている──「相手にいったん〝ノー〟と言わせると、それを引っ込めさせるのは、なかなか容易なことではない。

〝ノー〟と言った以上、それをひるがえすのは、自尊心が許さない。

〝ノー〟と言ってしまって、後悔する場合もあるかもしれないが、たとえそうなっても、自尊心を傷つけるわけにはいかない。

言い出した以上、あくまでもそれに固執する。

だから、はじめから〝イエス〟と言わせる方向に話を持っていくことが、非常に大切なのだ」話し上手な人は、まず相手に何度も〝イエス〟と言わせておく。

すると、相手の心理は肯定的な方向へ動きはじめる。

これはちょうど、玉突きの玉がある方向へ転がり出したようなもので、その方向をそらせるには、かなりの力がいる。

反対の方向にはね返すためには、それよりもはるかに大きな力がいる。

こういう心理の動きは、きわめてはっきりした形をとる。

人間が本気になって〝ノー〟と言う時には、単にその言葉を口にするだけでなく、同時にさまざまのことをやっているのだ。

各種の分泌腺、神経、筋肉などの全組織を挙げて、一斉に拒否体勢を固める。

そしてたいていの場合、ごくわずかだが、あとずさりをするか、ないしはあとずさりをする準備をする。

時によると、それがはっきりわかる程度の大きな動作として現われることもある。

つまり、神経と筋肉の全組織が拒否の体勢をとるのだ。

ところが、〝イエス〟と言う場合には、こういう現象はまったく起こらない。

体の組織が、進んで物事を受け入れようとする体勢になる。

それゆえ、はじめに〝イエス〟と多く言わせれば言わせるほど、相手をこちらの思うところへ引っ張っていくことが容易になる。

人に〝イエス〟と言わせるこの技術は、きわめて簡単だ。

それでいて、この簡単な技術が、あまり用いられない。

頭から反対することによって、自己の重要感を満たしているのかと思われるような人がよくいる。

生徒にしろ、顧客にしろ、その他、自分の子供、夫、あるいは妻にしても、はじめに〝ノー〟と言わせてしまうと、それを〝イエス〟に変えさせるには、大変な知恵と忍耐がいる。

ニューヨークのグリニッチ貯蓄銀行の出納係ジェイムズ・エバーソンは、この〝イエス〟と言わせる技術を用いて、危うく逃がしそうになった客を見事に引き止めた。

エバーソン氏の話を紹介しよう。

「その男は預金口座を開くためにやってきました。

私は用紙に必要な事項を記入してもらおうとしました。

たいていの質問には進んで答えてくれましたが、質問によってはどうしても答えようとしません。

私が人間関係の勉強をはじめる前だったら、この質問に答えてもらわなければこちらも口座を開くわけにはいかないと、はっきり言ったに違いありません。

恥ずかしい話ですが、事実、私はこれまで、そういう言い方をしてきました。

そうやって相手を決めつけることは、確かに痛快です。

銀行の規則を盾にとって、自分の優位を相手に示すことになります。

しかし、そういう態度は、わざわざ足を運んでくれた客に好感や重要感を絶対に持たせません。

私は常識にかなった態度をとってみようと決心しました。

銀行側の希望ではなく、客の希望について話そう。

そして、最初から〝イエス〟と客に言わせるようにやってみようと思いました。

そこで、私は客に逆らわず、気に入らない質問には、しいて答える必要はないと言いました。

そして、こう言い添えました──『しかし、仮に預金をされたまま、あなたに万一のことがございましたら、どうなさいます?法的にあなたに一番近い親族の方が受け取れるようにしたくはありませんか?』彼は〝イエス〟と答えた。

私はさらに、『その場合、私どもが間違いなく迅速に手続きができるように、あなたの近親者のお名前をうかがっておくほうがいいとお思いになりませんか?』と尋ねました。

彼は〝イエス〟と答えます。

私たちのためではなく、彼のための質問だとわかると、客の態度は一変しました。

彼自身に関していっさいのことを話しただけではなく、私のすすめに応じ、彼の母を受取人にして信託口座を設け、母に関する質問にも喜んで答えてくれました。

彼がはじめの問題を忘れ、結局私の言うままになったのは、最初から彼に〝イエス〟とだけしか言わせない方法のおかげだと思います」ウェスティングハウス社のセールスマン、ジョセフ・アリソンの話──「私の受け持ち区域に、我が社の製品をぜひとも売り込みたい相手がいた。

私の前任者は、十年間その男を追いかけまわしたが、駄目だった。

私もこの区域を引き継いでから三年間通いつめたが、やはり駄目だった。

それからさらに十年通ったあげく、やっと数台のモーターを売り込むことができた。

もし、そのモーターの調子がよければ、あとからきっと数百台の注文がとれるだろうと、私は期待していた。

調子はいいに相違ない。

三週間後に、私は意気揚々と彼のところへ出かけた。

ところが、行ってみると技師長は、『アリソン、君の会社のモーターはもうごめんだ』といきなり言い出した。

私は驚いて『いったいどういうわけですか?』と尋ねた。

彼は、『君の会社のモーターは、焼けすぎて、うっかり触りもできない』と言う。

逆らっても無駄だということは、長年の経験でよくわかっていた。

私は相手に〝イエス〟を言わせてみようと考えた。

そこで、私は『スミスさん、あなたがそうおっしゃるのはごもっともです。

本当に焼けすぎるようでしたら、そんなモーターを、もっと買ってくださいと言うほうが無理です。

協会の決めた基準よりも熱くならない製品を選ぶのが当然です。

そうでしょう?』と尋ねた。

彼はそうだと答えた。

最初の〝イエス〟を得たわけだ。

次に私は、『協会の規格ではモーターの温度が、室内温度より四十度まで高くなることは認められていますね?』と尋ねた。

彼はまた〝イエス〟と答えた。

そして『そのとおりだが、あのモーターはもっと熱くなる』と言った。

それには逆らわず、ただ『工場内の温度は何度ぐらいでしょう』と、私は尋ねてみた。

彼の答えは、二十四度見当だろうということだった。

そこで私は、『では、工場内の温度を二十四度として、それに四十度を加えると六十四度になります。

六十四度の湯に手を入れると、やけどをするでしょうね?』と尋ねた。

彼はまた〝イエス〟と言わざるをえなかった。

私は『そうなると、モーターには、手を触れないように気をつけないと、やけどをしますね』と言った。

彼は、『なるほど、君の言うとおりだ』と言って認めた。

それからしばらく私たちは雑談を交わしていたが、やがて彼は翌月分として約三万五千ドルの品物を注文した。

議論をすれば損をする。

相手の立場で物事を考えることは、議論をするよりもかえって興味深く、しかも、比較にならぬほどの利益がある。

考えてみると、私はずいぶん長い間、議論で莫大な損をしてきた」カリフォルニア州オークランドでカーネギー・コースのスポンサーになっているエディー・スノーは、ある店の主人から、〝イエス〟を連発せざるをえないように仕向けられて、その店の常連になってしまった話をしてくれた。

エディーは弓を使う狩猟をはじめ、土地の弓具店から、かなりの金を使って用具を買い入れていた。

ある時、弟が訪ねてきたので、その店から弓矢一式を借りて弟と一緒に狩りをやろうと思った。

ところが店員は「手前どもではレンタルはやっておりません」と断った。

そこで、もう一軒の店に電話をした。

その時の様子をエディーはこう話した。

「電話に出た相手は、大変感じのいい男だった。

レンタルの申し入れに対する応答は、前の店とはまったく違っていた。

『まことに申しわけございませんが、手前どもでは、レンタルは不経済ですので、やめさせていただいております』。

そして、今までにレンタルを利用した経験があるかどうか尋ねた。

『あるよ──何年か前に』『その時は、たぶん二十五ドルか三十ドルぐらいレンタル料をお支払いになったのではありませんか?』『イエス』『お金は活かして使うことが大切でしょう』『イエス』。

そのあと、電話の相手は、付属品が全部ついて三十四ドル九十五セントの弓矢セットがあること、したがって、レンタル料に四ドル九十五セントだけ足せば完全なセットが買えることを私に説明した。

『レンタル料を支払うことを考えれば、いい買い物だとお思いになりませんか?』。

ここでも私は『イエス』と言って、結局、弓矢セットを買うことになった。

そのうえ、品物を受け取りに店へ行った時、他に数点の品を買い求め、以後この店の常連になった」人類の思想に大変革をもたらしたアテネの哲人ソクラテスは、人を説得することにかけては古今を通じての第一人者である。

ソクラテスは、相手の誤りを指摘するようなことは、決してやらなかった。

いわゆる〝ソクラテス式問答法〟で、相手から〝イエス〟と言う答えを引き出すことを主眼としていた。

まず、相手が〝イエス〟と言わざるをえない質問をする。

次の質問でもまた〝イエス〟と言わせ、次から次へと〝イエス〟を重ねて言わせる。

相手が気づいた時には、最初に否定していた問題に対して、いつの間にか〝イエス〟と答えてしまっているのだ。

相手の誤りを指摘したくなったら、ソクラテスのことを思い出して、相手に〝イエス〟と言わせてみることだ。

中国の古いことわざに〝柔よく剛を制す〟というのがある。

五千年の歴史を持つ民族に相応しい名言ではないか。

人を説得する原則❺|相手が即座に〝イエス〟と答える問題を選ぶ。

6しゃべらせる相手を説得しようとして、自分ばかりしゃべる人がいる。

相手に十分しゃべらせるのだ。

相手のことは相手が一番よく知っている。

だから、その当人にしゃべらせることだ。

相手の言うことに異議をはさみたくなっても、我慢しなくてはいけない。

相手が言いたいことをまだ持っている限り、こちらが何を言っても無駄だ。

大きな気持ちで辛抱強く、しかも、誠意を持って聞いてやる。

そして、心おきなくしゃべらせてやるのだ。

この方法を商売に応用すると、どうなるか。

余儀なくこの方法を採用するはめになったある男の体験談を引いて説明しよう。

アメリカ屈指の自動車会社が、内装用の織物類を一年分購入しようとしていた。

三社の大メーカーが、見本を提出した。

自動車会社の重役たちはその見本を吟味したのち、メーカーにそれぞれ通知を出し、最終的な説明を聞いた上で契約するから、指定の日に訪ねてくるようにと言ってやった。

そのうちのあるメーカーの代表者R氏も、重い喉頭炎をおしてやってきた。

以下はR氏の話である。

「私の説明する番がまわってきたが、声を出そうにも出なかった。

かすれ声すら出ない始末だ。

一室に案内されると、そこには社長をはじめ、各部門の責任者がずらりと並んでいる。

私は立ち上がってしゃべろうとしたが、のどがキーキーと鳴るだけだった。

そこで、私は一枚の紙に『のどを痛めて声が出ません』と書いて差し出した。

それを見た社長が『では、君に代わって私がしゃべってあげよう』と言い出した。

そして、私の見本を広げると、その長所をほめ出した。

すると、それにつれて活発な意見が各責任者から出た。

社長は私の代弁をしていたものだから、いきおい私の味方になってしまった。

私はただ、微笑んだり、うなずいたり、身ぶりをして見せるだけでよかった。

この風変わりな会談の結果、私は四十余万メートルの布地の注文を受けた。

金額にして百六十万ドル。

私にとっては、生まれてはじめての取引だった。

その時、もし私が声をつぶしていなかったら、とてもその注文はとれなかったに違いない。

私はその時まで、商売のやり方について、とんでもない間違った考えを持っていたのである。

自分でしゃべるよりも相手にしゃべらせたほうが利益が大きい場合があることを、その時まで知らなかったのだ」自分がしゃべるよりも人に好きなだけしゃべらせるのは、ビジネスに限らず家庭内でも効果がある。

バーバラ・ウィルソン夫人と娘ローリーとの間柄は急速に悪化していた。

ローリーは静かな、おっとりした子供だったのに、親の言うことを聞かない反抗的なティーンエイジャーになってしまった。

夫人はこの娘にお説教したり、おどしたり、罰を与えたりしてみたが、全然効果がなかった。

「ある日のこと、ローリーは私が止めるのも聞かず、家の中の片づけも放ったらかしで、友達のところへ遊びに出かけました。

ローリーが帰ってきた時、いつものようにどなりつけてやりたかったのですが、もうその気力もありません。

『ローリー、いったい、お前、どうしてそうなの?』とだけ悲しみを込めて言いました。

ローリーはその様子を見て、静かな声で尋ねました。

『お母さん、本当に知りたいの?』。

私がうなずくと、ローリーは最初ためらいがちでしたが、やがて、すらすらとしゃべり出しました。

それまで私は娘の話に耳を傾けてやることなどまるでありませんでした。

命令ばかりしていたのです。

ローリーが自分の考えや、感じていることなどを話しはじめると、すぐにその言葉をさえぎって、命令するのでした。

私は今やっとわかってきました。

ローリーは母親の私を必要としていたのです。

ただし、やたらに命令する母親ではなく、気持ちを打ち明ける相手、大人になっていく過程で経験する迷いについて相談できる相手としての母親を必要としていたのです。

これまでは、娘の言うことに耳を傾けてやるべき時に自分ばかりしゃべりまくっていました。

娘の話には全然耳を貸そうとしなかったのです。

この時以来、ローリーが私に話したいことがありそうな時は、思う存分しゃべらせることにしました。

娘は自分の胸の中をすべて話してくれます。

その結果、母娘の間柄はとてもよくなりました。

ローリーは素直によく協力してくれます」つい最近、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の経済欄に〝経験ある優秀な人物〟を求める広告が出ているのを見て、チャールズ・キュベリスという男が応募した。

数日後、彼のもとに面接の通知が届いた。

面接の前に、彼はウォール街に出かけて、その会社の設立者について詳しく調べた。

面接の際、彼は「こういう立派な業績のある会社で働くことができれば本望だと思います。

聞くところによりますと、二十八年前にほとんど無一文でこの会社をおはじめになったそうですが、本当でしょうか」と社長に尋ねた。

だいたいにおいて、成功者と称せられる人は、若い頃にたどったいばらの道を回想したがるものだ。

この人も、その例外ではなかった。

わずか四百五十ドルの資金と独自のアイディアだけでもって発足した当時の苦心を長々と話しはじめたのである。

日曜、祝日も休まず、あらゆる障害と闘って、ついに現在の地位を築き上げ、今ではウォール街の一流人が、彼の意見を求めにやってくるようになったという。

彼は確かに自慢する値打ちのある成功を収めた人物で、その話を聞かせるのが、いかにも楽しそうだった。

苦心談が終わると、彼はキュベリス氏の履歴について簡単な質問をしたあと、副社長を呼んで「この方は、きっと会社のために役立つ人物だと思う」と言った。

キュベリス氏は、相手の業績を調べる手数をかけた。

相手に関心を示したのである。

そして、相手にしゃべらせて、好印象を与えたのだ。

この話とは立場が逆になるが、カリフォルニア州サクラメントのロイ・ブラッドレーは、やはり相手にしゃべらせて、優秀なセールスマンを採用することができた。

その模様をブラッドレーは次のように話している。

「自分の会社は小さなブローカーで、医療費の会社負担とか健康保険、年金といった特典がなかった。

社員は一人一人が独立したエージェントなのである。

求人募集も規模の大きい同業者のような派手なやり方はしない。

面接にやってきたリチャード・プライヤーという男は、こちらの要求にぴったりの経験者だった。

まず、副社長が会い、プライヤーが担当するはずの仕事に伴うむしろ不利な点を洗いざらい説明した。

そのためか、社長室に入ってきた時のプライヤーの顔色はさえなかった。

私は、この会社の利点は、社員がそれぞれ独立したエージェントとして扱われ、したがって各自が社長のようなものだと、話した。

私が挙げた利点について、プライヤーは、自分の意見を述べはじめ、やがて、自分自身の言葉に引きずられて、最初に持っていた否定的な考えを次々と自分の心から追い出してしまった。

彼は、私に話しているというよりも、むしろ自分自身を説得しているように思われた。

私は、言葉をはさみたい衝動に何回となく駆られたが、それを抑えているうちに面接が終わりに近づき、彼は自らを説得して、結局私の会社で働く気になっていた。

私が良い聞き手で、プライヤーにもっぱらしゃべらせたのが功を奏し、彼はこの会社の利点と欠点を公平に心の中で計算して結論に到達したのだった。

こうして私は彼を採用し、彼は我が社の有能な社員として活躍している」友達同士の間柄でも、相手の自慢話を聞くよりも、自分の手柄話を聞かせたいものなのだ。

フランスの哲学者ラ・ロシュフコーの言葉に、こういうのがある──「敵をつくりたければ、友に勝つがいい。

味方をつくりたければ、友に勝たせるがいい」その理由──人間は誰でも、友より優れている場合には重要感を持ち、その逆の場合には、劣等感を持って羨望や嫉妬を起こすからである。

ニューヨーク市の人事課職員の間でヘンリエッタは圧倒的に人気があった。

だが、昔からそうだったわけではない。

人事課に入った当座は同僚の中にただ一人の友人もなかった。

それは、彼女が毎日のように仕事上の手柄話を大得意で吹聴してまわっていたからだ。

「私は自分の担当の仕事を立派にこなしていたし、また、それが自慢でした」とヘンリエッタは講習会で報告した。

「でも、同僚は、私の手柄を喜んでくれるどころか、反発を覚えていたそうです。

私は同僚から好かれたかった。

そこで、この講習会に参加してよく考えた結果、自分のことをしゃべるのはなるべく少なくして、同僚の言葉に耳を傾けることにしました。

同僚たちにも自慢したい話が山ほどあり、それを話すほうが、私の自慢話を聞かされるより、はるかに面白いわけで、今ではおしゃべりする時間になると、同僚たちに『何か面白い話を聞かせて』と、聞き手にまわることにしています。

自分のことは、求められない限り、話をしないことにしています」人を説得する原則❻|相手にしゃべらせる。

7思いつかせる人から押しつけられた意見よりも、自分で思いついた意見のほうを、我々は、はるかに大切にするものである。

すると、人に自分の意見を押しつけようとするのは、そもそも間違いだと言える。

暗示を与えて、結論は相手に出させるほうが、よほど利口だ。

こういう例がある。

私の講習会にきていたフィラデルフィアのアドリフ・ゼルツの話だが、自動車販売の不振から、部下のセールスマンたちがすっかり元気を失っていたので、彼らを激励する必要に迫られ、販売会議を開いて、彼らの要求を遠慮なく発表するようにすすめた。

彼らの要求事項を黒板に書きつけたあと、部下たちに向かってこう言った──「諸君の要求は全部いれることにしよう。

その代わり、私にも諸君に対して要求がある。

私の要求を諸君がどうやって満たしてくれるのか、その決心を聞かせてもらいたい」部下たちは、即座に答えた。

忠誠を誓う者があるかと思えば、正直、積極性、楽天主義、チーム・ワークを約束する者、一日八時間の実働を申し出る者、なかには十四時間労働もあえていとわぬという者も出た。

会議は、勇気と感激を新たにして終わり、その後、販売成績は驚異的に躍進したという。

ゼルツはこう言っている──「セールスマンたちは、一種の道義的契約を私と結んだのだ。

私がその契約に従って行動する限り、彼らもまた、そのとおりに行動しようと決心したのだ。

彼らの希望や意見を聞いてやったことが、起死回生の妙薬となったのだ」人に押しつけられているのだとか、命令されているのだとかいう感じは、誰にしろ嫌なものだ。

それよりも、自主的に行動しているのだという感じのほうが、はるかに好ましい。

自分の希望や欲望や意見を人に聞いてもらうのはうれしいものだ。

ユージン・ウェッソンの例を引いて考えてみよう。

彼はこの真理を会得するまでに、手数料を数千ドル儲け損なった。

ウェッソンは、織物製造業者に意匠を供給するスタジオに下絵を売り込むのが商売だった。

彼は、ニューヨークのある一流デザイナーを、三年間、毎週訪問していた。

ウェッソンが語るには──「彼はいつも会ってくれたが、決して買ってはくれない。

私のスケッチを入念に見て、必ず『駄目ですね、ウェッソン君。

今日のはどうも気に入りません』と言う」百五十回失敗を重ねた末、ウェッソンは、頭を切り換える必要があると思った。

そこで彼は、人を動かす法についての講習会に、週一回出席する決心をした。

そして、新しい考え方を学び、新たな熱意を奮い起こした。

彼は新しいやり方を試すために、未完成の絵を数枚持って買い手の事務所へ駆けつけた。

「実は、ここに未完成のスケッチを持ってきていますが、これをどういうふうに仕上げたら、あなたのお役に立つでしょうか?差し支えなければ、教えていただきたいと思います」そう言って彼が頼むと、デザイナーはスケッチを無言のまま眺めていたが、やがて「ウェッソン君、二、三日預かっておくから、もう一度来てください」と言った。

三日後、ウェッソンは再びデザイナーを訪ね、いろいろと意見を聞いた上、スケッチを持ち帰り、注文どおりに仕上げた。

その結果は、もちろん全部買い上げということになった。

それ以来、このデザイナーはたくさんのスケッチをウェッソンに注文している。

デザイナーのアイディアに従って描かれたことは言うまでもない。

ウェッソンはこう言っている──「何年間も売り込みに失敗していたのも無理のない話だと、ようやくわかった。

それまで私は、こちらの意見を押し売りしようとしていたのだ。

今は逆に相手に意見を述べさせている。

相手は自分がデザインを創作しているつもりになっている。

事実、そのとおりなのである。

だからこちらが売りつける必要はない。

相手が買うのだ」セオドア・ルーズヴェルトがニューヨーク州の知事をやっていた頃、素晴らしい離れわざを演じてみせたことがある。

政治ボスたちと仲よくして、しかも彼らの一番嫌がっていた改革を断行したのだ。

その時のやり方を紹介しよう──重要なポストを補充する時には、彼はボスたちを招いて候補者を推薦させた。

ルーズヴェルトはそれについて、次のように説明している──「ボスたちが最初に持ち出す人物は、たいてい党で面倒を見てやらねばならないような、ろくでもない人間だ。

私は、そういう人物は市民が承知しないから駄目だろうと言ってやる。

二番目に彼らが推薦する人物も、どうせ党の手先で、可も不可もない役人の古手だ。

私はボスたちに、もっと市民に納得のいく、適任者を探してくれと頼む。

三番目は、どうやら合格に近いが、今ひと息というところ。

私はボスたちの協力に感謝して、もう一度だけ考え直してくれと頼む。

すると四番目は、いよいよ私の意中の人物と合致する。

そこで彼らに感謝して、その男を任命することになる。

つまり、彼らに花を持たせてやるわけだ。

最後に、私は彼らに向かって『あなた方に喜んでいただくためにこの人物を任命しますが、次はあなた方が私を喜ばせてくださる番ですね』と言ってやる」事実彼らは、ルーズヴェルトを喜ばせることになった。

彼らは文官勤務法案とか、独占税法案などという大改革案を支持したのである。

要するに、ルーズヴェルトのやり方は、相手に相談を持ちかけ、できるだけその意見を取り入れて、それが自分の発案だと相手に思わせて協力させるのだ。

相手の発案だと思わせて、こちらに協力させるやり方は、ビジネスや政治の世界だけでなく、家庭内でも効果がある。

オクラホマ州タルサのポール・デイヴィスがこれを応用した話を紹介しよう。

「先日、我が家では、これまでにない最高の休暇旅行を楽しんだ。

私自身は、ゲティスバーグやフィラデルフィアのインディペンデンス・ホール、それに首都ワシントンなど、名所旧跡を訪ねたかった。

バレー・フォージ、ジェイムズタウン、そして植民時代をそっくり再現したウィリアムズバーグの町などは、かねてから私の憧れの的だった。

三月頃、妻のナンシーは、夏休みの計画として、アメリカ西部のニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニア、ネバダなど各州の名所めぐりをしてみたいと私に話した。

もう何年も夢見ていた旅行だという。

だが、この二つを両方とも実行できるはずはない。

娘のアンは、中学校でアメリカ史の課程を終えたばかりで、自分の国の歴史に興味を持っていた。

そこで、私が、『どうだ、夏休みに、お前が学校で習った歴史に関係ある土地を訪ねてみては』と言うと、娘は一も二もなく賛成した。

それから二、三日後のこと、夕食の席に一家が揃ったところで、妻のナンシーは、夏休みには皆で東部の各地を旅行したいと言い出した。

特にアンにとっては素晴らしい勉強になるし、他の者にとっても意義のある旅行になるというのである。

全員が賛成したことは、言うまでもない」これと同じ心理を応用して、あるX線装置製造業者が、ブルックリンの大病院に自社製品を売り込んだ。

この病院は増築中で、アメリカ随一のX線科を創設しようとしていた。

それぞれ自社製品の能書きを並べ立ててX線装置を売り込もうと押し寄せてくるセールスマンの群れに、X線科担当のL博士は、ほとほと手を焼いていた。

なかに巧妙な業者がいた。

彼は、他の業者とはくらべものにならないほど巧みに人間の心理をとらえた、次のような手紙をL博士に届けたのである──「当社では最近X線装置の最新型を完成いたしました。

ちょうど今第一回の製品が事務所に到着したところです。

もちろん今回の製品も完全なものとは決して思っておりません。

今いっそう改良に努力したいと考えております。

つきましては、大変ご迷惑とは存じますが、一度、先生のご検分を賜わり、改良の方法につきご意見をお聞かせ願えれば、このうえもない幸せと存じます。

ご多忙のことと存じますので、ご一報くだされば、いつなりともお迎えの車を差し向ける用意をいたしております」講習会で、L博士はこの時の話をした。

「この手紙は意外だった。

意外であると同時にうれしくもあった。

私はそれまで、X線装置製造業者から意見を求められたことは一度もなかった。

この手紙は、私に重要感を与えたのである。

その週は毎晩約束があったが、その装置を検分するために、ある晩の約束を取り消した。

その装置は、見れば見るほど、気に入った。

私はそれを売りつけられたのではない。

病院のためにその装置を買うことにしたのは、私の気持ちが自発的に動いたからである。

その装置の優秀さにほれ込んで、契約を結んだのだ」ウッドロー・ウィルソンが大統領在任中、エドワード・ハウス大佐は、国内および外交の諸問題について大きな影響力を持っていた。

ウィルソンは重要問題の相談相手として、ハウス大佐を閣僚以上に信頼していた。

大佐はどういう方法で大統領の信頼を勝ち得たか?さいわい大佐自身がアーサー・スミスにそれを打ち明け、スミスはサタデー・イブニング・ポスト誌に、そのことを書いている。

「ハウス大佐は、大統領について次のように語っている──『大統領を知るようになってから、気がついたことだが、彼をある考えに導くには、それを何気なく彼の心に植えつけ、彼に関心を持たせるようにすることが、一番いい方法だった。

つまり、彼が自主的にそれを考えついたと思わせるようにすることだ。

最初、私はふとしたことからこのことを知るに至った。

ある日、私はホワイト・ハウスに大統領を訪れ、ある問題について論じ合った。

彼はどうやら反対のようだった。

ところが数日後、晩餐会の席上で彼の発表した意見が、前に私が彼に話したのと、そっくり同じだった。

これには私も驚いた』」そこで、ハウス大佐は「それは、大統領のご意見ではないでしょう。

もともと私の意見です」と反論しただろうか?大佐は、決してそうは言わなかった。

役者が一枚上だった。

大佐は名よりも実を欲した。

その意見は、どこまでも大統領のものと、大統領自身にも、また他の者にも思わせておいた。

大統領に花を持たせたのだ。

我々の交渉相手は、皆この話のウィルソンと同じ人間と考え、ハウス大佐の方法を大いに利用すべきである。

数年前のことだが、カナダのニューブランズウィック州に住む一人の男が、この手を使って、私をひいき客の一人にしてしまった。

その時の話はこうだ。

私は魚釣りと舟遊びを兼ねてニューブランズウィックへ出かける計画を立て、旅行案内所に問い合わせの手紙を出した。

こちらの住所氏名がリストに載ったのだろう、たちまち山の家や案内所から無数

の案内書やパンフレットが殺到した。

いったいどれがいいのか、さっぱりわからない。

ところが、ある山の家からきた案内状にとても気の利いたのがあった。

その案内状には、かつてその山の家に泊まったことのあるニューヨーク在住の人たちの名前と電話番号がずらりと並べてあって、その人たちに電話で、その山の家の様子を問い合わせてみてくれるようにと書いてあった。

驚いたことに、その名簿の中に知人の名が出ているではないか。

私は早速、その知人に電話をかけて問い合わせた。

そして、その山の家に予約を申し込んだ。

他の者は、私に売りつけようとしたのだが、この山の家の主人は、私に買いたくなる気持ちを起こさせたのだ。

彼の勝ちだ。

二千五百年前に、中国の賢人老子が、現代にも通用する言葉を残している。

「川や海が数知れぬ渓流の注ぐところとなるのは、身を低きに置くからである。

そのゆえに、川や海はもろもろの渓流に君臨することができる。

同様に、賢者は、人の上に立たんと欲すれば、人の下に身を置き、人の前に立たんと欲すれば、人の後ろに身を置く。

かくして、賢者は人の上に立てども、人はその重みを感じることなく、人の前に立てども、人の心は傷つくことがない」人を説得する原則❼|相手に思いつかせる。

8人の身になる相手は間違っているかもしれないが、相手自身は、自分が間違っているとは決して思っていないのである。

だから、相手を非難してもはじまらない。

非難は、どんな馬鹿者でもできる。

理解することに努めねばならない。

賢明な人間は、相手を理解しようと努める。

相手の考え、行動には、それぞれ、相当の理由があるはずだ。

その理由を探し出さねばならない──そうすれば、相手の行動、相手の性格に対する鍵まで握ることができる。

本当に相手の身になってみることだ。

「もし自分が相手だったら、果たしてどう感じ、どう反応するだろうか」と自問自答してみるのだ。

これをやると、腹を立てて時間を浪費するのが、馬鹿馬鹿しくなる。

原因に興味を持てば、結果にも同情を寄せられるようになるのだ。

おまけに、人の扱い方が一段とうまくなる。

ケネス・グードは、その著書でこう言っている──「自ら顧みて、自分に対する強烈な関心と、自分以外の者に対するいい加減な関心とを比較し、次に、その点については、人間は皆同じであることを考えれば、あらゆる職業に必要な原則を把握することができる。

すなわち、人を扱う秘訣は、相手の立場に同情し、それをよく理解することだ」ニューヨーク州ヘンプステッドのサム・ダグラスは、よく妻にこう言っていた。

「お前は雑草を抜いたり、肥料をやったり、毎週二度も刈り込みをするなど、大変な時間を芝生の手入れに費やしているが、四年前に引っ越してきた当座とくらべて、いっこうに見た目がよくならないじゃないか」当然、この言葉で、妻はがっかりし、その晩の空気も重苦しくなった。

講習会に参加して、ダグラスは、自分が何と馬鹿だったかはじめて気がついた。

妻が庭の手入れをどれほど楽しみながらやっていたか、また、その働きぶりを一言でもほめてやればどんなに喜んだか、まったく考えてもみなかったのだ。

ある日、夕食後に、妻から、雑草を抜く手伝いをしてくれと頼まれ、いったんは断ったが、考え直して、ダグラスは、妻の後ろについて庭へ出ていき、一緒に草取りをはじめた。

一時間ほど草取りをしているうちに、二人の間で大いに話がはずんだ。

その後、ダグラスは、よく庭の手入れを手伝うようになり、まるでコンクリートで固めたような裏庭を、こんな立派な芝生に育てた腕はたいしたものだなどと妻をほめそやした。

たかだか雑草取りだが、ダグラスは妻の立場に立って考えることを学んだために、夫婦の間がこれまでよりも円満になったと言うのである。

J・S・ニーレンバーグ博士はその著書『人とつきあう法』の中で、次のように述べている。

「自分の意見を述べるだけでなく、相手の意見をも尊重するところから、話し合いの道が開ける。

まず、話し合いの目的、方向をはっきりさせて、相手の身になって話を進め、相手の意見を受け入れていけば、こちらの意見も、相手は受け入れる」私の家の近くに公園がある。

私はいつもそこに出かけて気分の転換をはかる。

私は日頃から樫の木に対して敬虔に近い愛情を抱いているのだが、その若木が、不注意から毎シーズン焼かれるのを見ると、悲しくてたまらない。

火の原因は、煙草の吸い殻ではない。

たいていは原始生活に憧れて公園へやってくる少年たちが、林の中でソーセージや卵を料理したあとの不始末からである。

時には大火になって、消防署が出動しなければならないこともある。

「たき火を禁ず。

違反者は処罰する」という掲示が公園の一隅に立っているが、あまり人目に触れない場所なので、その効果は期待できない。

騎馬警官が公園の警戒に当たることになっているが、あまり厳重には取り締まらないので、失火は絶えない。

私はある時、火事を発見したので警官のところへ駆けつけ、すぐに消防署に知らせてくれと申し出た。

ところが驚いたことに、受け持ち区域外だから仕方がないという冷淡な返事だ。

それ以来、私は、公園を馬で散歩する時には、公園保安官になったつもりで行動した。

ところが、はじめの頃は、残念ながら、私は少年たちの立場を考えてみようとはしなかった。

林の中にたき火を見つけると、とても情けなくなり、正義感に燃えて、つい間違った方法をとった。

少年たちのそばへ駆けつけ、たき火をすると罰せられるからやめろと、威丈高になって命令した。

それでも聞かない場合は、警官に逮捕してもらうとおどした。

少年たちの立場など少しも考えず、ただ、自分の気の済むようにしていたにすぎなかったのだ。

その結果は──少年たちは私の言うとおりにした。

内心は怒りながら、渋々言うとおりにした。

私がいなくなると、彼らは早速また、たき火をはじめたことだろう。

大火事になって公園が全焼すればいい気味だと思っていたかもしれない。

その当時から考えると、今では私も少しは人間関係を理解するようになり、曲がりなりにも相手の立場から物事を考えることができるようになった。

今なら、さしずめ次のように言うだろう──「君たち、ずいぶん楽しそうだね。

ごちそうは何だね?私も子供の頃は、君たちのように野外で料理をつくるのが好きだったよ──今でも好きだ。

だが、君たちもよく知っていると思うが、ここでたき火をするのは危険だよ。

君たちに限って、まさか火事を起こすようなことはないと思うが、なかには不注意な子供もいる。

君たちのたき火のあとを見て、またここでたき火をする。

そして、消しもしないで家に帰ってしまう。

すると、その火が枯れ葉に燃え移って大火事になる。

よほど気をつけないと、この公園は丸裸になってしまうよ。

ここでたき火をすると罰せられることになっているんだが、君たちの楽しそうな様子を見ると、あまりきついことも言えない──君たちが楽しそうにしているのを見るのは、気持ちがいいからね。

その代わり、たき火の近くの落葉は全部遠くのほうへ押しやってくれないかね。

それから、帰る時には忘れずにたくさん土をかけて、火をよく消すことだよ。

この次にたき火をする時は、あの丘の向こうの砂地でやっておくれ。

あそこなら、心配はいらないから……じゃ、君たち、せいぜい愉快にやりなさい」同じことでも、こういう具合になると、効き目がまるで違う。

少年たちも協力する気になる。

不平不満もない。

強制もない。

彼らの面子も立つというわけだ。

相手の立場を考えることによって、私にも彼らにも気持ちのいい結果が得られるのだ。

オーストラリアのニューサウスウェールズ州に住むエリザベス・ノバークという婦人は、ローンで買った車の支払いが六週間も遅れていた。

「ある金曜日のこと、車のローンを担当している男から、意地の悪い電話がかかってきました。

月曜日の朝までに百二十二ドル用意できなかったら、しかるべき措置をとるというのです。

週末のことで、お金は都合のつけようがありません。

そのまま月曜日の朝を迎えた私に早速電話がかかってきました。

最悪の事態を覚悟しましたが、取り乱してはいけないと思い、まず、相手の立場で事態を眺めてみようと考えました。

そこで、面倒をかけたことを心からわびて、私のように何度も支払いを遅らせる客は最低の部類でしょうと言いました。

すると、相手の声が急に和らぎ、『とんでもない』と言って、なかには実に乱暴で不作法な客もあり、また、噓をついたり、逃げまわったりする客さえもあると、例を挙げて話してくれました。

私は口をはさまず、彼の言うことに耳を傾け、彼が存分に悩みをぶちまけるままにさせておきました。

やがて、彼は、私が頼んだわけでもないのに、今すぐ全額払ってもらわなくてもいい、と言い出しました。

月末までに二十ドル払い、あとは都合がつき次第、払ってくれれば結構だと言いました」他人に物を頼もうとする時には、まず目を閉じて、相手の立場から物事をよく考えてみようではないか。

「どうすれば、相手はそれをやりたくなるだろうか」と考えてみるのだ。

この方法は面倒には違いない。

だが、これによって味方が増え、よりよい結果がたやすく得られる。

ハーバード大学のドナム教授はこう言っている──「私は人と面接する場合には、あらかじめ、こちらの言うべきことを十分に考え、それに対して相手が何と答えるか、はっきりと見当がつくまでは、相手の家の前を二時間でも三時間でも行ったり来たりして、中へ入らない」本書を読んで、相手の立場になって物事を見きわめるということさえ会得すれば、本書はあなたの生涯にとって画期的な役割を果たすことになるだろう。

人を説得する原則❽|人の身になる。

9同情を寄せる口論や悪感情を消滅させ、相手に善意を持たせて、あなたの言うことを、大人しく聞かせる魔法の文句を披露しよう──「あなたがそう思うのは、もっともです。

もし私があなただったら、やはり、そう思うでしょう」。

こう言って話をはじめるのだ。

どんなに意地悪な人間でも、こういうふうに答えられると、大人しくなるものだ。

しかも相手の立場になれば、当然相手と同じ考えを持つわけだから、この文句には百パーセントの誠意がこもるはずだ。

仮に我々がカポネとまったく同じ精神と肉体を持って生まれ、まったく同じ環境に育ち、まったく同じ経験を積んだとすると、カポネと寸分違わぬ人間になり、カポネと同じことをやるはずだ。

我々がヘビでない唯一の理由は、我々の両親がヘビでなかったからだ。

我々の人となりには、自分が手を下してつくった部分は、ほんのわずかしかない。

したがって、我々の接する相手が、どんなにいら立っていたり、偏屈だったり、わからずやだったとしても、その責めをすべて本人に帰するわけにはいかない。

気の毒だと思ってやるべきだ。

同情してやることだ。

そしてこう考えるのだ。

「もし神様のお恵みがなかったら、この相手が、私自身の姿なのだ」我々が交渉を持つ相手の四分の三は皆、同情に飢えている。

それを与えてやるのだ。

好かれることはうけあいである。

『若草物語』の著者ルイーザ・メイ・オルコットの話を、私はラジオで放送したことがある。

もちろん、私は彼女がマサチューセッツ州のコンコードで不朽の小説を書いたことを知っていたのだが、どうしたはずみか、ニューハンプシャー州のコンコードに住んでいたと言ってしまった。

それも、一度ならず二度も言ったのだから言語道断だ。

たちまち鋭い非難の手紙や電報が舞い込んだ。

憤慨しているのが大多数だが、なかには侮辱しているのもあった。

マサチューセッツ州のコンコードで育ちフィラデルフィアに住んでいる一女性は、ことにひどい剣幕だった。

たとえ私がオルコット女史は人食い人種だと言ったとしても、これ以上怒れないだろう。

私は手紙を読みながら、「神様、ありがとうございます。

この女性と結婚していなくて助かりました」と心の中で言った。

私のは地理的な間違いだが、彼女は礼儀上の大間違いをやっているのだ。

そう書いて返事を出してやりたかった。

だが、それは、どんな馬鹿者にでもできる──馬鹿者はたいていそうするものだと気がついた。

私は馬鹿者にはなりたくなかった。

そこで彼女の敵意を好意に変えてみようと決心した。

いわば、一種の遊戯だ。

私は自分に言って聞かせた──「もし私が彼女だったら、やはり彼女と同じように感じたに違いない」そこで私は、相手の立場を理解しようと努めた。

その後、フィラデルフィアに行った時、彼女に電話をかけて次のような会話を交わした──私──先日は、わざわざお手紙をいただきまして、本当にありがとうございました。

電話で失礼ですが、お礼を申し上げます。

彼女──(しっかりした上品な口調で)失礼ですが、どちらさまでしょうか?私──まだお目にかかったことはございませんが、デール・カーネギーと申します。

先日、私がオルコット女史のことを放送した際、マサチューセッツとニューハンプシャーとを取り違え、とんでもない間違いをいたしましたのを、ご存じのはずですが、本当に私が至らなかったのです。

おわび申し上げます。

ご親切にお手紙までくださいまして、何とお礼を申し上げてよいかわかりません。

彼女──まあ、それは失礼いたしました。

あのようなお手紙を差し上げて──きっとどうかしていたのですわ。

私のほうこそおわび申し上げねばなりません。

私──いや、あなたがおわびをなさる必要は少しもありません。

──小学校の生徒でも知っていることを間違えたのですから。

とりあえずあの次の日の日曜日の放送でおわびしておきましたが、あなたにはじかにおわび申し上げたいと思います。

彼女──私はマサチューセッツのコンコードで生まれました。

もともと私の家はマサチューセッツでも昔からの家柄で、私は自分の生まれた州を大変誇りに思っています。

それで、あなたの放送をお聞きして、ついあのような手紙を書いてしまいました。

まことにお恥ずかしい次第でございます。

私──いや、恥ずかしいのは私です。

私が間違えても、別にマサチューセッツの名誉に傷はつきませんが、私としてはとても心を痛めました。

本当に、よく知らせてくださいました。

今後ともよろしくご指導のほどお願いいたします。

彼女──あんなに失礼な手紙を差し上げましたのに、少しもお怒りにならないのは、とてもご立派な方だと思います。

私のほうこそ、どうぞよろしくお願いいたします。

こうして、私が彼女にわびて、彼女の立場に同情すると、彼女も私にわび、私の立場に同情してくれた。

私は一時の腹立ちを我慢した甲斐があったと思い、晴れ晴れした気持ちになった。

相手をやっつけるよりも、相手に好かれるほうが、よほど愉快である。

歴代の大統領たちは、毎日厄介な人間関係の問題に直面する。

タフト大統領もその例に漏れなかった。

彼は経験によって、悪感情を中和するのに同情が絶大な力を持っているのを知った。

タフトの著書『奉仕の倫理学』の中には、興味ある実例を挙げ、どのようにして人の反感を和らげたか述べている。

その一節を紹介しよう。

「ワシントンの一女性が、息子をある地位につかせようと、六週間あまり毎日私のもとに通い続けた。

彼女の夫は政界でも多少名の通った男である。

彼女は大勢の議員を味方に引き入れ、猛運動を続けた。

だが、その地位は専門的な技術を必要とするので、私はその部局の責任者の推薦に従って他の男を任命した。

彼女からは恨みの手紙がきた。

私がその気になれば、わけなく彼女を喜ばせることができたのに、それをやらなかったのは恩知らずだという。

私が特に関心を持っていた法案を通過させるために、彼女は地元選出の議員全部を説き伏せてその法案を支持させたにもかかわらず、恩を仇で返されたというわけだ。

こういう手紙をつきつけられれば、誰でも腹にすえかね、無礼を懲らしめたくなるだろう。

そこで早速反論の手紙を書く。

ところが賢者はそれをすぐには出さない。

机の引き出しにしまい込んで鍵をかけ、二、三日してから取り出す(そういう手紙は、二、三日遅れたところで差し支えはない)。

冷却期間を置いて読み直してみると投函する気がしなくなる。

私はこの賢者の方法をとった。

私は改めて彼女にできるだけ丁寧な手紙を書き、彼女の失望は十分察するが、あの人事は実際において私の気持ちだけでは自由にできず、専門的な技術を持つ者でなければならなかったので、局長の推薦に従わざるをえないことになったのだが、了承願いたいと言ってやった。

また彼女の息子は、現在の職についていても、彼女の期待にこたえることは十分にできるはずだから、大いに努力してほしいと強調しておいた。

この返事で彼女は機嫌を直し、あのような手紙を書いて申しわけなかったとわびてきた。

ところが、私が任命することに決めた男の発令が少し手間取った。

そうしている間に、今度は彼女の夫から手紙がきた。

よく見ると、前の手紙と同じ筆跡である。

その手紙には、あれ以来、彼女は失望のあまり神経衰弱になり、胃がんの症状が現われて、現在、瀕死の状態だと書いてあった。

息子を任命してやれば、彼女の病気も治るだろうが、そうはいかない。

私はもう一度手紙を書かねばならなかった。

今度は彼女の夫に宛ててだ。

診断が誤りであることを祈っており、また、彼女の病気には同情するが、この人事は変更できないと言ってやった。

その時には辞令は出てしまっていたのである。

手紙を受け取ってから二日後、私はホワイト・ハウスで音楽会を催した。

真っ先に私たち夫婦に挨拶したのは、この夫婦だった──妻のほうは、つい先ほどまで臨終の床にあったはずだが」J・マンガムはオクラホマ州タルサのエレベーター・エスカレーター保守会社の社員だった。

会社はタルサでも有数のホテルとエスカレーターの保守契約を結んでおり、最低八時間かかる修理が必要になった。

ホテルの支配人は、客に不便をかけたくないので一回に二時間以上エスカレーターを使用中止にしてもらっては困るという。

この修理のできる第一級の整備工をようやく確保した時、マンガムは、すぐにこのホテルの支配人に電話をかけ、修理の所要時間にはいっさい触れずに、次のように切り出した。

「支配人、お宅のホテルは忙しいので、エスカレーターの使用中止時間を最小限にとどめたい気持ちは十分わかっています。

ですから、できるだけご希望に添うように努力しますが、エスカレーターの調子からいって、今完全な補修をしておかないと、損傷が激しくなって、今度はうんと長い時間止めないと修理ができないようになってしまいますよ。

何日間もエスカレーターが止まって客に不便をかけることになったら困るでしょう?」何日間もエスカレーターが止まるのとくらべれば、八時間のほうがよほどましなわけで、支配人も承知せざるをえなくなった。

つまり、支配人の気持ちに同情することで、マンガムは、やすやすと、恨まれることもなしに、支配人を自分の考えに同調させることができたわけだ。

ミズーリ州セントルイスのピアノの女教師ジョイス・ノリスが、十代の女の子に爪を切らせた経験を報告している。

彼女のピアノの生徒バベットは、人並み外れた長い爪を生やしていた。

これは、ピアノの練習には大変問題である。

「その長い爪がピアノの練習の障害になることは明らかでしたが、レッスンの前に二人で話した時は、この爪のことには全然触れませんでした。

レッスンをやめると言い出されても困るし、それに、いつも自慢にして手入れを怠らなかったものを失いたくない彼女の気持ちもわかっていたからです。

一回目のレッスンが終わり、潮時だと思った私は、彼女にこう言いました。

『ねえ、バベット。

あなたの手はとってもきれいだし、爪も素晴らしいわ。

でも、あなたが望みどおりにピアノの腕を上げたかったら、爪をもう少し短く切ってごらんなさい。

それだけのことで、どんなに速く、どんなにやすやすとピアノが弾けるようになるか、きっとびっくりすると思うの。

一度考えてみることね、いい?』。

私の言葉に彼女は顔をしかめ、反発の気配を見せました。

私は母親にも同じことを話し、娘の爪の美しさをほめました。

母親もやはり同じように否定的な反応を示しました。

母親にとっても、バベットの美しくマニキュアされた爪は大切だったのです。

その翌朝、バベットは二回目のレッスンを受けに来ました。

驚いたことに、彼女の爪はきれいに切ってあったのです。

私は『よく思い切れたわね』と彼女をほめ、また、それを彼女にすすめてくれた母親にも礼を述べました。

ところが母親の答えは意外でした。

『いいえ、私は関係ありません。

バベットが自分でやったことです。

誰がすすめたのかしら。

とにかくこの子が爪を短くしたのは、これがはじめてですよ』」ノリスはバベットをおどして、爪を伸ばした娘にピアノを教えるのはごめんだなどとは言わなかった。

むしろノリスは、バベットの爪はとても美しくて、それを切るのはバベットにとって大変な犠牲だと同情する気持ちを、相手に伝えた。

ノリスの言葉は、次のような意味になる──「私はあなたに同情しています。

爪を切るのは、さぞつらいことでしょう。

でも、結局は、それであなたの音楽の技能が向上するのです」

S・ヒューロックは、アメリカで一流の音楽マネジャーだった。

彼は半世紀近くにわたって、シャリアピン、イサドラ・ダンカン、パヴロヴァというような世界的音楽家たちと交渉を持ってきた。

ヒューロックから私が直接聞いたところによると、気難しい芸術家たちをうまく動かすには、彼らの並み外れた個性に対する同情があくまでも必要で、それを彼は何よりも先に学んだそうである。

彼はシャリアピンのマネジャーを三年間務めたが、この大歌手にはいつも手こずらされた。

たとえば夜、舞台に立つことになっているのに、昼頃、電話で「気分が悪い。

のどの具合がよくないので、今夜は歌えない」と言ってくることがよくあった。

ヒューロックは心得たもので、決して逆らわない。

マネジャーは芸術家と議論は無用だということをよくわきまえていた。

すぐにシャリアピンのホテルに駆けつけ、しきりに同情してみせる。

「お気の毒ですね。

もちろん、今夜は歌わないほうがよろしい。

取り消しましょう。

無理に歌って評判を落とすよりも、二千ドルの契約を取り消すほうが、はるかにあなたのためです」すると、シャリアピンはため息をついて「もうしばらくしてから、来てみてくれませんか。

五時頃には、出演できるかどうかわかるでしょう」と言う。

五時になると、またホテルに駆けつけて、前と同じように同情を示し、無理をしないようにとすすめると、シャリアピンは「今しばらくすれば、よくなるかもしれません。

もう一度出直してくれませんか」と答える。

七時三十分、開演直前になって、シャリアピンはようやく出演を承知する。

ただし、前もって聴衆に、かぜでのどを痛めていると断っておくという条件がついている。

ヒューロックはそのあたりの呼吸を十分飲み込んでおり、聴衆にそのとおり伝えたと、シャリアピンをだまして、舞台に立たせる。

それ以外に方法はないからだ。

アーサー・ゲイツ博士の有名な著書『教育心理学』に、こういうことが書いてある──「人間は一般に、同情をほしがる。

子供は傷口を見せたがる。

時には同情を求めたいばかりに、自分から傷をつけることさえある。

大人も同様だ──傷口を見せ、災難や病気の話をする。

ことに手術を受けた時の話などは、事細かに話したがる。

不幸な自分に対して自己憐憫を感じたい気持ちは、程度の差こそあれ、誰にでもあるのだ」人を説得する原則❾|相手の考えや希望に対して同情を寄せる。

10美しい心情に呼びかける私の生家の近くに有名な悪党ジェシー・ジェイムズの住んでいた農園があった。

この農園にはその頃ジェシーの息子が住んでいた。

私は息子の妻から、ジェシーが列車や銀行を襲った時の様子や、奪った金を近隣の貧しい農民たちに与えた話などを聞いた。

ジェシー・ジェイムズも、二丁ピストルのクローレー、アル・カポネといったギャングの〝ゴッドファーザー〟たちと同じく、自分では理想主義者だと思っていたらしい。

あらゆる人間は、自分自身を立派な没我的な人物だと思いたがるのだ。

アメリカの大銀行家であり、美術品収集家として有名なJ・P・モルガンは、人間の心理を分析して「通常、人間の行為には二つの理由がある。

一つは、いかにも美しく潤色された理由、もう一つは真実の理由である」と言っている。

真実の理由は、他の者がとやかく言わなくても、当人にはわかるはずだ。

人間は誰でも理想主義的な傾向を持ち、自分の行為については、美しく潤色された理由をつけたがる。

そこで、相手の考えを変えるには、この美しい理由をつけたがる気持ちに訴えるのが有効だ。

これをビジネスに応用するとどうなるか。

ペンシルバニア州グレノルデンでアパートを経営しているハミルトン・ファレルの経験を聞こう。

ファレルのアパートに、契約期限の四カ月前に、どうしても引っ越すという男がいた。

以下ファレルが私の講習会でした話──「この一家は、私のアパートで冬を過ごしていた。

冬は一年中で最も経費のかかる時期だ。

秋になるまでおそらく新しい入居者は見つからないだろう。

つまり、私にしてみれば、秋までの家賃収入がふいになってしまうわけだ。

私は腹が立った。

普通なら、私は契約書をつきつけて、無理に引っ越すというなら契約期間全部の家賃を払っていけ、とおどかしたことだろう。

法的な問題はなく、よほどそうしようかと思った。

だが、そういう大騒ぎをしないで済む方法はないかと考え、次のように言ってみた。

『お話はよくわかりましたが、私にはどうしてもあなたが引っ越されるとは思えません。

長い間この道で苦労した私には、人を見る目ができていますが、あなたは約束を破るような人ではないと見抜いています。

これだけは、賭けをしてもいいと思います』私は、さらに言葉を続けて、こう言った。

『ところで、一つお願いがあるのですが、この問題はそのままそっとしておいて、二、三日後に改めて考えていただけないでしょうか?それでもなお、お気持ちが変わらないようでしたら、あなたのお考えどおりにいたしましょう。

私の判断が間違っていたとあきらめるより仕方がありません。

とにかく、あなたは約束を反古になさるような方ではないと、固く信じていますが、互いに人間のことですから、思い違い、考え違いもあるかもしれません』数日後、その男は自分で家賃を払いにきた。

彼は妻とよく相談して、引っ越しを思いとどまることにしたらしい。

結論は、やはり契約を実行することが人間として一番大切だということになったそうだ」ノースクリフ卿(一八六五─一九二二、イギリスの新聞業者)は、ある時、公開したくない自分の写真が新聞に出ているのを見つけて、その編集長に手紙を書いた。

しかし、「私の気に入らないから、あの写真は、以後、新聞に発表しないでくれ」とは書かなかった。

彼はもっと美しい気持ちに訴えた。

誰もが抱いている母への尊敬と愛情に訴えて、「あの写真は、もう新聞に発表しないでいただきたい──母が大変嫌がるものですから」と書いたのだ。

ロックフェラー二世も、彼の子供たちの写真が新聞に出ることを防ぐために、人間の美しい心情に訴えた。

「子供たちの写真を新聞に発表することは、この私が不賛成だ」とは言わず、幼い子供たちを傷つけたくないという万人共通の心情に訴えた──「あなた方の中にも子供のある方がいておわかりだと思いますが、あまり世間が騒ぎ立てるのは、子供にとってかわいそうです」サイラス・カーティスは、有名なサタデー・イブニング・ポスト誌とレディーズ・ホーム・ジャーナル誌の創始者だが、メーン州の貧家に生まれ、巨万の富をなした立志伝中の人物である。

最初、彼は他社並みの原稿料を払う能力がなかった。

まして一流の作家に払うほどの原稿料はとても出せなかったので、相手の美しい心情に訴えることを考えた。

たとえば、当時の流行作家オルコット女史には、ぜひ原稿を書いてもらいたいと頼んで、百ドルの小切手を書いたが、その小切手は、彼女自身に渡したのではなく、彼女が熱心に支持している慈善団体へ送って、成功した。

読者の中には、「そういう手は、ノースクリフやロックフェラーや感傷小説の作家にはうまくいくかもしれないが、手ごわい相手から貸金の取り立てをするような場合に、果たして通用するだろうか」と疑う人があるかもしれない。

もっともな話だ。

役に立たない場合もあるだろうし、人によっては通用しないかもしれない。

もしあなたがこれ以上の方法を知っていて、その結果に満足しているなら、別にこんな方法を用いる必要はない。

しかし、そうでないのなら、一度これを試してみてはどうだろうか。

いずれにしても、次の話はジェイムズ・トーマスという男が、私の講習会で発表した体験談だが、なかなか興味がある──ある自動車会社で、修理代を払おうとしない客が六人いた。

請求額全部について不承知な客はいないのだが、それぞれ、一部が不当だと言う。

会社は修理のたびごとにサインを取っているのだから、絶対に間違いはないと信じ、かつ信じたとおりに客に言った。

それがそもそも間違いだった。

つまり、集金係は次のような方法で未払い金の取り立てを行なったが、果たしてそれでよかったのだろうか──一、各顧客を訪ねて、請求書を届けてから何カ月にもなるのだから、今月は支払っていただきたいと正面からぶつかった。

二、請求書は絶対に間違っていない──したがって間違っているのはお客のほうだと、はっきり説明した。

三、自動車のことは、会社のほうが客よりもはるかによく知っている──だから、議論の余地はないと説明した。

四、その結果は──激しい議論になった。

こういうやり方で、客が勘定を払うかどうか、考えてみれば誰でもわかるだろう。

集金係はいよいよ法的な手段に訴えようとしたが、おりよく支配人がこれに気づいた。

支配人が調査した結果、問題の客は、いずれも、普段は金払いがいい客だとわかった。

どこかに間違いがあるのだ。

集金の方法に何か根本的な誤りがあるのだろう。

支配人はトーマスを呼んで、この問題を解決するように命じた。

トーマスのとった手段は次のとおりだった──一、遅滞している修理代には一言も触れず、ただ、これまでの会社のサービス状態を調査したいから訪ねたのだと言った。

二、顧客の話を全部聞いてみないことには、私としてもどう考えていいかわからないのだとはっきり伝え、会社側にも手落ちがあるかもしれないと言った。

三、私が知りたいのは顧客の車のことで、あなたの車についてはあなたが誰よりも一番よく知っており、あなたこそまさに権威だと言った。

四、相手にしゃべらせ、相手の期待どおりに同情と興味を持って、その言葉に耳を傾けた。

五、やがて、相手が冷静になったのを見定め、顧客の公正な判断に訴えた。

つまり、彼の美しい心情に呼びかけたのである。

「私どもが至らぬためにご迷惑をかけてまことに済みません。

集金人の態度には、さぞお気を悪くされたことと思います。

まったくけしからぬ話です。

会社の代表として深くおわびいたします。

お話をうかがって、あなたの公正で寛容なお人柄にすっかり感心しました。

実はお願いがあるのですが、これはあなたでないとできない、そして、あなたが一番よく知っていらっしゃることなのです。

ほかでもございませんが、この請求書です。

これをあなたに訂正していただければ、私も安心できます。

あなたが私どもの会社の社長になったつもりで訂正してください。

万事おまかせして、ご訂正どおりに取りはからわさせていただきます」これが、見事に功を奏した。

六人の客のうちただ一人だけ、あくまでも間違いだと言い張って一部の代金を払わないのがいたが、他の五人は皆、気持ちよく全額を払った。

さらに特筆大書すべきことは、その後二年間に、この六人の客から、それぞれ新車の注文を会社は受けたのである。

トーマスは、これについてこう言っている──「相手の信用状態が不明な時は、彼を立派な紳士と見なし、そのつもりで取引を進めると間違いがないと、私は経験で知っている。

要するに、人間は誰でも正直で、義務を果たしたいと思っているのだ。

これに対する例外は、比較的少ない。

人をごまかすような人間でも、相手に心から信頼され、正直で公正な人物として扱われると、なかなか不正なことはできないものなのだ」人を説得する原則❿|人の美しい心情に呼びかける。

11演出を考える何年も前の話だが、フィラデルフィア・イブニング・ブレティン紙にとって、由々しい中傷問題が起きた。

悪意のある噂が流布されたのである。

同紙は大部分が広告ばかりで、記事が非常に少ないから、読者は興味を失っており、広告を出しても効果が薄いというのが、その噂だった。

至急に対策を練って、噂の根を絶やさねばならない。

そこで、こういう方法がとられた──ブレティン紙は、平常の一日分の紙面から記事を全部抜き出して、それを分類し、一冊の本にまとめて出版したのである。

その本は『一日』と題されて、三百七ページもあり、優に二ドルはすると思われた。

それをわずか二セントで売り出したのだ。

この本は、ブレティン紙に面白い読み物が多数掲載されているという事実を効果百パーセントで知らせたのだった。

まことに鮮やかな演出ぶりと言わねばならない。

単に数字を挙げたり話し合ったりしたのでは何日かかってもできないことを一挙にやってのけたのである。

現代は演出の時代である。

単に事実を述べるだけでは十分ではない。

事実に動きを与え、興味を添えて演出しなければならない。

興行的な手法を用いる必要がある。

映画、ラジオ、テレビなど、皆この手法を使っている。

人の注意を引くには、これによるのが何よりも有効だ。

ショーウィンドーの飾りつけを専門にしている人なら、演出の効果というものを十分知っているはずだ。

たとえば、新しい殺鼠剤の製造元が、小売店のショーウィンドーに、生きたネズミを二匹使って飾りつけをやらせたことがある。

ネズミをウィンドーに入れた週は、売れ行きが普通の五倍にも伸びたという。

テレビ・コマーシャルには、劇的効果を利用しているものがたくさん見受けられる。

テレビを見ながら、広告業者たちが知恵をしぼって、商品を売り込もうとしている手法を分析してみるとよい。

試験管の中の酸の色がたちまち変わる(だが他社の薬では変わらない)制酸薬の広告、汚れたシャツをまたたく間にきれいにしてしまう(だが他社のものでは汚れは落ちない)石鹼や洗剤の広告。

あるいは、曲がり角やカーブをやすやすと走り抜け、話を聞くだけとはくらべものにならないくらいはっきりと抜群の操縦性を納得させてくれる自動車の画面。

テレビに映るうれしそうな顔は、いずれも各商品への満足感を生き生きと表わす。

これらはすべて広告されている商品の利点をドラマチックに演出したもので、事実、視聴者にその商品を買わせる効果を持っている。

ビジネスに限らず、生活全般にわたって、ドラマチックな演出は、活用できる。

しかも簡単だ。

バージニア州リッチモンドでNCR(ナショナル金銭登録機)社の販売部に所属するジム・イーマンスは、ドラマチックな演出によって販売に成功した例を次のように語っている。

「先週、私は近所の食料雑貨店を訪れたが、その店で使われているレジの機械はひどく旧式なものだった。

私は店主のところへ行ってこう言った。

『あなたのお店では、お客さんが一人カウンターを通るたびに、金を捨てているようなものですよ』そして、実際にひとつかみの銅貨を床に捨ててみせた。

これを見て店主は、にわかに私の言葉に耳を傾けはじめた。

この場合、言葉による説明だけでも店主の関心は引けたかもしれないが、小銭が床に落ちる音は、即座に彼の手を止めさせる迫力を持っていた。

それで、私はこの店の古いレジ全部を新製品と取り替える注文をもらったのである」このやり方は家庭生活にも応用できる。

昔、男性は、恋人にプロポーズする場合、ただ愛の言葉を並べるだけではなく、ひざまずいたものだ。

そして、自分の愛の言葉が本心からのものであることを演出したのである。

こんなプロポーズの仕方をする男など今はいないが、愛の告白をする男は、今でもその場に相応しい、ロマンチックな雰囲気づくりを心がける。

ドラマチックな演出は、子供にも功を奏する。

アラバマ州バーミンガムのJ・B・ファントは、五歳の男の子と三歳の女の子が、散らかしたおもちゃの後片づけをしないのに手を焼いていたが、〝汽車ごっこ〟を思いついた。

三輪車が汽車で、男の子のジョーイが機関手、そして妹ジャネットのカートを牽引する、というわけだ。

夕方になると、ジャネットは自分のカートに〝石炭〟に見立てたおもちゃを積み込み、「出発進行!」と、兄の運転する〝機関車〟に引かせて車庫に戻る。

これで、部屋は片づき、お説教も、言い争いも、おどしもまったくなしに、目的が達成できたのである。

インディアナ州ミシャワカのキャサリン・ウルフは、職場で起きた問題で上司と相談しなければならなかった。

月曜日の朝、部長に面会を申し入れたが、部長は忙しくて駄目。

それでは、週末までにアポイントメントを取ってくれと秘書に頼むと、部長の日程が詰まっているので難しいが、何とかやってみましょうという。

それからどうなったか、ウルフは、次のように説明する。

「結局、その週は待ちぼうけ。

秘書に尋ねても、部長に会えない理由を聞かされるだけです。

やがて金曜日の朝になりましたが、まったく音沙汰なし。

どうしてもその週のうちに会っておきたかったので、どうすれば会ってもらえるか、必死に考えました。

結局私が打った手はこうです──まず、正式の手紙を部長宛てに書き、『部長が今週中ずっとお忙しかったことはよく存じております。

しかし、どうしてもお話をしなければならないことがございます』と述べて、その手紙に、要点を書き込めばよいだけの回答用紙と、私自身の宛て名を記した封筒を同封しました。

返送を依頼した回答用紙は次のようなものです。

左記のとおり回答します。

記一、面会日時□月□□日午前/午後□時□分一、面会時間□□分間この手紙を午前十一時に部長室の〝未決〟の箱に入れておきました。

午後二時に私のメール・ボックスをのぞきますと、私宛ての封筒が入っているではありませんか!部長は自分でその〝回答用紙〟に記入し、その日の午後、十分間会うことを伝えてくれたのです。

私は部長に会い、しかも一時間以上相談に乗ってもらい、問題を解決することができました。

もし私がこのようなドラマチックな演出を思いつかなかったら、おそらく、今もなお部長に会えないでいたに違いありません」ジェイムズ・ボイントンは膨大な市場調査報告を提出しなければならなかった。

ある一流のコールド・クリームの製造元が、製品の値段を引き下げるべきか否かについて、至急、資料がほしいと言ってきたのである。

調査の結果をまとめて、彼はそれを依頼者に届けにいった。

この依頼者は業界の大物で、しかも、なかなかのうるさ型だった。

ボイントンが最初に報告書を持参した時は大変な失敗だった。

以下、ボイントン氏の話を紹介しよう。

「最初の時は、私の調査方法について無駄な議論をしてしまった。

議論の末、ついに私は相手をやっつけて、鬱憤を晴らしたが、残念ながら時間切れとなって、商売にはならなかった。

二度目に行った時は、私は数字の表だの資料だのにこだわらず、調査した事実を劇的に演出してみせた。

彼の部屋に入っていくと、彼は電話をかけていた。

その間に私は、鞄の中から三十二個のコールド・クリームの容器を取り出して、彼の机の上に並べた。

彼が知っている限りの製品、すなわち、彼の競争相手の製品全部である。

各容器には、調査結果を記入した札がつけてある。

それぞれの札が、そのクリームの売れ行き状態を、簡明に、かつ劇的に語るという仕組みだ。

その効果は目覚ましかった。

前回のような議論が起こる余地は全然なかった。

彼は一つ一つその容器を取り上げて、それについた札を読んだ。

彼と私の間には、打ち解けた会話が交わされ、質問といえば、ごく軽いものばかりだった。

よほど彼は興味を覚えたのだろう。

十分の会談の約束が二十分になり、四十分、一時間になっても、私たちはまだ話し続けていた。

私は前の時と同じ事実を提供したのだが、この時は、演出効果を狙った点が違っていたのだ。

興行的な手法にこれほどの効き目があるとは知らなかった」人を説得する原則⓫|演出を考える。

12対抗意識を刺激するチャールズ・シュワッブの担当している工場のうちに、業績の上がらない工場があった。

シュワッブは、工場長を招いて尋ねた。

「君はなかなかのやり手だと思っているのだが、案外、成績が上がらないのは、どういうわけだろう」「私にも、それがわからないのです。

おどしたり、すかしたり、おだてたり、あらゆる手段を講じていますが、工員たちはさっぱり働いてくれないのです」ちょうどその時、昼勤組と夜勤組の交替時間がきた。

シュワッブはチョークを手に取ると、昼勤組の工員を捕まえて尋ねた。

「君の組は、今日、何回鋳物を流したかね?」「六回です」シュワッブは何も言わずに、床の上に大きな字で〝六〟と書いて出ていってしまった。

夜勤組が入ってきて、この字を見つけ、その意味を昼勤組の工員に尋ねた。

「親分がこの工場へやってきたのさ。

今日、何回鋳物を流したか、と聞かれたので、六回だと答えると、このとおり〝六〟と書きつけていったのだ」シュワッブは、翌朝またやってきた。

夜勤組が〝六〟を消して、大きな字で〝七〟と書いてあった。

昼勤組が出勤してみると、床の上に〝七〟と大書してある。

夜勤組のほうが成績を上げたことになる。

昼勤組は対抗意識を燃え上がらせて頑張り、退勤時には〝十〟と書き残した。

こうして、この工場の能率はぐんぐん上がっていった。

業績不良だったこの工場は、やがて他の工場を圧して生産率では第一位を占めるに至った。

これについて、シュワッブ自身の言葉を紹介しよう──「仕事には競争心が大切である。

あくどい金儲けの競争ではなく、他人よりも優れたいという競争心を利用すべきである」優位を占めたいという欲求、対抗意識、負けじ魂、男の気迫に訴えるのだ。

この負けじ魂が刺激されなかったなら、セオドア・ルーズヴェルトも大統領になっていなかっただろう。

米西戦争から帰還すると、彼は直ちにニューヨーク州知事に選ばれた。

ところが反対派は、ルーズヴェルトには法的に州の居住民としての資格がないと言い出した。

これには彼も驚き、辞退したいと申し出た。

すると、トーマス・プラットが彼をどなりつけた。

「君は、それでもサン・ジュアン・ヒル戦線の勇士か??卑怯者!」ルーズヴェルトは踏みとどまって戦う決心をした。

その後のことは歴史の示すとおりだ。

ルーズヴェルトの負けじ魂を刺激したこの一言は、彼の生涯を変えたばかりでなく、アメリカの歴史にも重大な影響を与えたのである。

「人間である限り、誰にも、恐怖心はある。

だが、勇者は、恐怖心を抑えて前進し、時に死に至ることもあるが、必ず最後の勝利を勝ち取る」これは古代ギリシアの国王親衛隊のモットーである。

恐怖心を克服する機会以上に、我々を奮い立たせるものが、この世にありうるだろうか?アル・スミスがニューヨーク州の知事を務めていた時、有名なシン・シン刑務所の所長になり手がなくて困ったことがある。

刑務所の内部が腐敗して大変な悪評が起こってきた。

スミスはシン・シンを支配できる強力な人物がほしかった。

人選の結果、ニューハンプトンのルイス・ローズに白羽の矢が立った。

ローズを呼び出して、スミスは「どうだね、君、シン・シンの面倒を見てくれないか。

相当な経験のある人物でないと務まらないのだ」と快活に言った。

ローズは当惑した。

シン・シンの所長になることは考えものだ。

政治勢力の風向き次第でどうなるかわからない地位なのだ。

所長はしょっちゅう代わっている。

任期がわずか三カ月という例もある。

うっかり引き受けるのは、危険だとローズは考えた。

彼が躊躇しているのを見て、スミスはそり身になって笑いながら、こう言った──「大変な仕事だから気が進まないのも無理はないと思うね。

実際、大仕事だよ。

よほどの人物でないと務まらないだろう」相手に負けん気を起こさせたのだ。

ローズは、よほどの人物でないと務まらない仕事を、やってみる気になった。

ローズは早速赴任して大いに頑張った。

そしてのちには、名所長としての彼の名を知らぬ者はいないほどになった。

彼の著書『シン・シンの二万年』は数十万部売れた。

ラジオ放送にも出た。

彼の著書から材料を取った映画がいくつも製作された。

また、彼の囚人待遇改善論は刑務所に奇跡的な改革をもたらした。

ファイアストン・ゴム会社の創設者ハーヴェイ・ファイアストンはこう言う──「給料さえ出せば人が集まり、人材が確保できるとは限らない。

ゲームの精神を取り入れることが必要だ」偉大な行動科学者フレデリック・ハーツバーグが、これに賛同している。

ハーツバーグは工場労働者から会社重役に至るあらゆる階層の人たち数千人の仕事に対する態度を研究した。

仕事への意欲を最も強くかき立てる要件として、この行動科学者が発見したのは何であったか?金?良い労働条件?諸手当?いずれも否。

最大の要件は、仕事そのものだったのである。

仕事が面白ければ、誰でも仕事をしたがり、立派にやり遂げようと意欲を燃やす。

成功者は皆ゲームが好きだ。

自己表現の機会が与えられるからだ。

存分に腕をふるって相手に打ち勝つ機会、これが、いろいろな競争や競技を成立させる。

優位を占めたい欲求、重要感を得たい願望、これを刺激するのだ。

人を説得する原則⓬|対抗意識を刺激する。

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