1誠実な関心を寄せる 友を得る法を学ぶには、わざわざ本書を読むまでもなく、世の中で一番優れたその道の達人のやり方を学べばいいわけだ。
その達人とは──我々は毎日路傍でその達人に出会っている。
こちらが近づくと尾を振りはじめる。
立ち止まって、なでてやると、夢中になって好意を示す。
何か魂胆があって、このような愛情の表現をしているのではない。
家や土地を売りつけようとか、結婚してもらおうとかいう下心はさらにない。
何の働きもせずに生きていける動物は、犬だけだ。
鶏は卵を産み、牛は乳を出し、カナリヤは歌を歌わねばならないが、犬はただ愛情を人に捧げるだけで生きていける。
私が五歳の時、父が黄色の子犬を五十セントで買ってきた。
その子犬の存在は当時の私にとって、何物にも代えがたい喜びであり、光明であった。
毎日午後の四時半頃になると、子犬は、決まって前庭に座り込み、美しい目でじっと家のほうを見つめている。
私の声が聞こえるか、あるいは、食器をぶら提げている私の姿を植込みの間に見つけるかしようものなら、まるで鉄砲玉のように息せき切って駆けつけ、ほえたり、跳ねまわったりする。
それから五年間、子犬のティピーは、私の無二の親友だった。
だが、ある夜、三メートルと離れない目の前で、ティピーは死んだ。
雷に打たれたのである。
ティピーの死は、終生忘れがたい悲しみを私の子供心に残した。
ティピーは心理学の本を読んだことがなく、また、その必要もなかった。
相手の関心を引こうとするよりも、相手に純粋な関心を寄せるほうが、はるかに多くの知己が得られるということを、ティピーは不思議な本能から知っていたのである。
繰り返して言うが、友を得るには、相手の関心を引こうとするよりも、相手に純粋な関心を寄せることだ。
ところが、世の中には、他人の関心を引くために、見当違いな努力を続け、その誤りに気づかない人がたくさんいる。
これでは、いくら努力しても、もちろん無駄だ。
人間は、他人のことには関心を持たない。
ひたすら自分のことに関心を持っているのだ──朝も、昼も、晩も。
ニューヨークの電話会社で、どんな言葉が一番よく使われているか、通話の詳細な研究をしたことがある。
案の定、一番多く使われるのは、〝私〟という言葉であった。
五百の通話に三千九百九十回使われたのである。
大勢と一緒に自分が写っている写真を見る時、我々は、まず最初に誰の顔を探すか? 自分が他人に関心を持たれていると思っている人は、次の問いに答えていただきたい──「もし、あなたが、今夜死んだとして、何人の人が葬式に参加してくれるか?」 また、次の問いにも答えていただきたい──「まずあなたが相手に関心を持たないとすれば、どうして、相手があなたに関心を持つ道理があろうか?」 単に人を感服させてその関心を呼ぼうとするだけでは、決して真の友を多くつくることはできない。
真の友は、そういうやり方ではつくれないのである。
ナポレオンが、それをやった。
彼の妻ジョセフィーヌと別れる時、彼はこう言った──「ジョセフィーヌよ、わしは、世界一の幸運児だ。
しかし、わしが本当に信頼できるのは、そなた一人だ」 そのジョセフィーヌすら、彼にとって、信頼できる人間であったかどうかはなはだ疑問だと歴史家は言う。
ウィーンの有名な心理学者アルフレッド・アドラーは、その著書でこう言っている──「他人のことに関心を持たない人は、苦難の人生を歩まねばならず、他人に対しても大きな迷惑をかける。
人間のあらゆる失敗はそういう人たちの間から生まれる」 心理学の書はたくさんあるが、どれを読んでもこれほど私たちにとって意味深い言葉には、めったに出くわさないだろう。
このアドラーの言葉は、何度も繰り返して味わう値打ちがある。
私は、ニューヨーク大学で短編小説の書き方の講義を受けたことがあるが、その時の講師は一流雑誌の編集長だった。
彼は、毎日机の上に積み上げられるたくさんの原稿のうちから、どれを取って読んでも、二、三節目を通せば、その作者が人間を好いているかどうかすぐにわかるという。
「作者が人間を好きでないなら、世間の人もまたその人の作品を好まない」 これが、彼の言葉である。
この編集長は、小説の書き方の講義の最中に、二度も講義を中断して、こう言っていた──「説教じみて恐れ入るが、私は、牧師と同じことを言いたい。
もし諸君が小説家として成功したいならば、他人に関心を持つ必要があることを心にとめておいてもらいたい」 小説を書くのにそれが必要なら、面と向かって人を扱う場合には、三倍も必要だと考えて間違いない。
ハワード・サーストンといえば、有名な奇術師だが、彼がブロードウェイにやってきたある夜、楽屋を訪ねたことがある。
彼こそまさに奇術師の王者、四十年間世界の各地を巡業し、観客に幻覚を起こさせ、不思議がらせ、息をのませた奇術界の長老である。
六千万人以上の客が、彼のために入場料を払い、彼は二百万ドルに及ぶ収入を得た。
私は、サーストン氏に、成功の秘訣を尋ねてみた。
学校教育が彼の成功に何の関係もないことは明らかだ。
少年の頃、家を飛び出し、浮浪者になって、貨車にただ乗りをしたり、干し草の中で寝たり、他人の家の前に立って食べ物を請うたりしていたのである。
字の読み方は、鉄道沿線の広告を貨車の中から見て覚えた。
彼は、奇術について特に優れた知識を持っていたのかというと、そうではない。
奇術に関する書物は山ほど出版されており、彼と同じ程度に奇術について知っている者は大勢いるという。
ところが、彼は、他の人に真似のできないものを二つ持っている。
第一は、観客を引きつける人柄である。
彼は、芸人としての第一人者で、人情の機微を心得ている。
さらに、身ぶり、話し方、顔の表情など、微細な点に至るまで、前もって十分な稽古を積み、タイミングに一秒の狂いもない。
次に、サーストンは、人間に対して純粋な関心を持っている。
彼の話によると、たいていの奇術師は、観客を前にすると、腹のうちでこう考えるのだそうである──「ほほう、だいぶ間の抜けたのが揃っているな。
こんな連中をたぶらかすのは朝めし前だ」 ところが、サーストンは、まったく違う。
舞台に立つ時は、彼はいつもこう考えるという──「私の舞台を見にきてくださるお客さまがいるのはありがたいことだ。
おかげで、私は日々を安らかに暮らせる。
私の最高の演技をごらんに入れよう」 サーストンは、舞台に立つ時、必ず心の中で「私は、お客さまを愛している」と何度も繰り返し唱えるという。
読者は、この話を、馬鹿馬鹿しいと思おうが、滑稽と思おうが、ご自由である。
私は、ただ、世界一の奇術師が用いている秘法を、ありのままに公開したにすぎない。
ペンシルバニア州ノース・ウォーレンのジョージ・ダイクは、新しいハイウェイができるので、三十年間経営していたガソリンスタンドが立ち退きになり、
それを機に引退した。
ところが、毎日ぶらぶらしているのが退屈で、古いバイオリンを取り出してひまつぶしに鳴らしはじめた。
そのうちに、近隣の土地をまわって、演奏を聴いたり、バイオリンの名手たちとつきあったりしはじめた。
ジョージは、その名手たちの経歴や好みに誠実な関心を示していろいろと尋ねた。
その結果、同好の友人が大勢でき、コンクールにも出場した。
やがて東部では〝キンズア郡のバイオリン弾き、ジョージじいさん〟と呼ばれ、カントリー・ミュージックの有名人になった。
現在七十二歳の彼は、余生の一刻一刻を十二分に楽しんでいる。
ジョージは、他人に絶えず深い関心を寄せることによって、普通だったら「我が人生は終わった」とあきらめる時期に、まったく新しい人生を花開かせたのである。
セオドア・ルーズヴェルトの絶大な人気の秘密も、やはり、他人に寄せる彼の深い関心にあった。
彼に仕えた黒人の使用人ジェイムズ・エイモスが『使用人の目から見たセオドア・ルーズヴェルト』という本を書いている。
その本に、次のような一節がある。
ある日のこと、私の妻が大統領にウズラはどんな鳥かと尋ねた。
妻はウズラを見たことがなかったのである。
大統領は、ウズラとはこういう鳥だと、嚙んで含めるように教えてくれた。
それからしばらくすると、私たちの家に電話がかかってきた(エイモス夫婦は、オイスター・ベイにあるルーズヴェルト邸内の小さな家に住んでいた)。
妻が電話に出ると、相手方は大統領ご自身だった。
今ちょうどそちらの窓の外にウズラが一羽きているから、窓からのぞけば見えるだろう、とわざわざ電話で知らせてくれたのだ。
この小さな出来事が、大統領の人柄をよく示している。
大統領が私たちの小屋のそばを通る時は、私たちの姿が見えても見えなくても、必ず「やあ、アニー! やあ、ジェイムズ」と、親しみのこもった言葉を投げていかれた。
雇い人たちは、こういう主人なら好きにならざるをえないだろう。
雇い人でなくても、誰でも好きになるはずだ。
ある日、タフト大統領夫妻の不在中にホワイト・ハウスを訪ねたルーズヴェルトは、自分の在任中から務めている使用人たちの名を残らず覚えていて、台所のお手伝いにまで親しげにその名を呼んで挨拶をした。
これは、彼が目下の者に対して心からの好意を抱いていた証拠になるだろう。
調理室でお手伝いのアリスに会った時、ルーズヴェルトは、彼女に尋ねた。
「相変わらず、トウモロコシのパンを焼いているかね?」「はい、でも、私たち使用人が食べるのに時々焼いているだけです。
二階の人たちは、誰も召し上がりません」 アリスがそう答えると、ルーズヴェルトは、大きな声で言った。
「物の味がわからんのだね。
大統領に会ったらそう言っておこう」 アリスが皿にのせて出したトウモロコシのパンを一切れつまむと、それを頰ばりながら事務室へ向かった。
途中、庭師や下働きの人たちを見ると、以前と少しも変わらない親しみを込めて、一人一人の名を呼んで話しかけた。
彼らは、いまだにその時のことを語り草にしている。
ことにアイク・フーヴァーという男は、うれし涙を浮かべてこう言った──「この二年間こんなにうれしい日はなかった。
このうれしさは、とても金には代えられないと、皆で話し合っています」 これと同じように、あまり重要でない人物に関心を示したおかげで、大切な客を失わずに済んだセールスマンの話を紹介しよう。
ニュージャージー州チャタムのエドワード・サイクスの話である。
「かなり昔だが、私はジョンソン&ジョンソン社のセールスマンで、マサチューセッツ州を担当していた。
ヒンガムという町のドラッグストアと取引があって、この店へ行くたびに、喫茶カウンターの店員たちに声をかけ、しばらく世間話をしたあとで店主と商談をしていた。
ある日、店主が『あんたの会社は、ちっぽけなドラッグストアなんかは問題にしてないようだ。
大きな食料品店やディスカウントストア相手の商売にばかり力を入れているらしい。
そんな会社の品物はお断りだ。
帰ってくれ』と言う。
とりつく島もなく、すごすごと引き揚げ、数時間その町をまわっていたが、やがて気を取り直し、もう一度店主に我が社の真意を聞いてもらおうと決心した。
再び店に入ると、いつものように店員たちに声をかけ、店主のところへ行った。
意外にも店主は笑顔で私を迎え、いつもの倍の注文をくれた。
『先ほどうかがってから、まだいくらもたってないのに、いったいどうしたんですか』と尋ねると、店主は若い店員を指さして、『あの男の話で気が変わったのさ。
セールスマンは何人もくるが、店員たちに挨拶をしてくれるのはあんただけで、あんたの他に、この店の注文をとる資格のあるセールスマンはいないと言うんだよ』。
こうして店主は、それからも引き続き注文をくれるようになった。
それ以来、私は他人のことに深い関心を持つことこそセールスマン──いや、セールスマンに限らず、誰でも──が持つべき大切な心がけだと信じて疑わない」 私の経験によると、こちらが心からの関心を示せば、どんなに忙しい人でも、注意を払ってくれるし、時間も割いてくれ、また協力もしてくれるものだ。
例を挙げてみよう。
私はブルックリン芸術科学学院で小説作法の講義を計画したことがある。
私たちは、有名な作家、キャサリン・ノリス、ファニー・ハースト、アイダ・ターベル、アルバート・ターヒューン、ルーパート・ヒューズなどの話を聞きたいと思った。
そこで、私たちは、彼らの作品の愛読者で、彼らの話を聞いて成功の秘訣を知りたいのだという意味の手紙を、作家たち宛てに出した。
それぞれの手紙には約百五十名の受講者が署名した。
作家たちが多忙で講演の準備をするひまがないだろうと思い、手紙には、あらかじめこちらの質問を表にして同封しておいた。
このやり方が先方の気に入ったらしい。
作家たちは、我々のために、はるばるブルックリンまできてくれたのである。
同じようにして、私は、セオドア・ルーズヴェルト内閣の財務長官レズリー・ショーや、タフト内閣の法務長官ジョージ・ウィカシャム、フランクリン・ルーズヴェルトなど多数の有名人に働きかけて、話し方講座の受講者のために講演をしてもらった。
人間は誰でも皆、自分をほめてくれる者を好くものだ。
たとえばドイツ皇帝の場合だが、第一次世界大戦に敗れた時、おそらく彼は世界中で一番嫌われていただろう。
命が危なくなってオランダへ亡命する頃には、自国民でさえも、彼の敵にまわった。
何百万という人間が彼を憎み、八つ裂きにし、火あぶりにしてもなお飽き足りないと思っていた。
この憤激の嵐の最中に、一人の少年が、真情と賛美にあふれた手紙を皇帝のもとによこした。
「誰がどう思おうとも、僕は、陛下をいつまでも僕の皇帝として敬愛します」 これを読んで、皇帝は深く心を動かされ、ぜひ一度会いたいと返事を書いた。
少年は、母親に連れられてやってきた。
そして、皇帝は、その母親と結婚した。
この少年は、本書を読む必要がない。
生まれながらにして〝人を動かす法〟を心得ていたのである。
友をつくりたいなら、まず人のために尽くすことだ。
──人のために自分の時間と労力を捧げ、思慮のある没我的な努力を行なうことだ。
ウインザー公が皇太子の頃、南米旅行の計画を立てた。
外国へ行けばその国の言葉で話したいと考え、公は、出発前何カ月間もスペイン語を勉強した。
南米では、公の人気は大変なものであった。
長年、私は、友達からその誕生日を聞き出すように心がけてきている。
もともと私は占星術などまるで信じない男だが、人間の生年月日と性格、気質には何らかの関係があると思うかどうか、相手にまず聞いてみることにしている。
そして、次に相手の生年月日を尋ねる。
仮に十一月二十四日だと相手が答えたとすると、私は心の中で十一月二十四日、十一月二十四日と何度も繰り返し、隙を見て相手の名と誕生日をメモに書きつけ、家に帰ってから、それを誕生日帳に記入する。
毎年正月には、新しい卓上カレンダーにこれらの誕生日を書き込んでおく。
こうしておけば、忘れる心配がない。
それぞれの誕生日には、私からの祝電や祝いの手紙が先方に届いている。
これはまことに効果的で、その人の誕生日を覚えていたのは世界中で私一人だったというような場合もよくある。
友をつくりたいと思えば、他人を熱意のある態度で迎えることだ。
電話がかかってきた場合にも、同じ心がけが必要で、電話をもらったのが大変うれしい
という気持ちを十分に込めて「もしもし」と答えるのである。
深い関心を示すことによって、個人的に友をつくることができるだけでなく、相手が我々の勤める会社の顧客であれば、会社への忠誠心とも言うべき気持ちを育てることすらできる。
ニューヨークの北米ナショナル銀行のパンフレットに、マデリン・ローズデールという女性の預金者から寄せられた手紙が掲載されている。
「行員の皆さまへ感謝を込めて一筆差し上げます。
皆さまとても丁寧で礼儀正しく、ご親切で、長い間、順番を待ったあとなど、愛想のよい応対を受けると、たちまち気持ちがなごんでしまいます。
去年、母が五カ月入院していましたが、その間、出納係のメアリー・ペトゥルセロさんの窓口へ行くと、必ず母のことを心配して、病状を尋ねてくださいました」 ローズデール夫人が他の銀行に預金する恐れは、まずないだろう。
次に、ニューヨークのある大銀行に勤めているチャールズ・ウォルターズの例を紹介しよう。
彼はある会社に関する信用調査を命じられた。
ウォルターズはその会社の情報に通じている人物を一人だけ知っていた。
ウォルターズがその人物を訪ねて社長室に通された時、若い女秘書が部屋をのぞいて、社長に言葉をかけた。
「あいにく、今日は差し上げる切手がございません」「十二歳になる息子が切手を収集していますので……」 社長はウォルターズにそう説明した。
ウォルターズは用件を述べて質問をはじめたが、社長は言を左右にしていっこうに要領を得ない。
この話題には触れたくないらしく、彼から情報を引き出すことはまず不可能と思われた。
会見は短時間に終わり、何も得るところはなかった。
「正直なところ、私もあの時はどうしていいかわからなかった」 ウォルターズは当時のことを述懐して、そう言った。
「そのうち、私は、ふとあの女秘書が社長に言ったことを思い出した。
郵便切手、十二歳の息子……同時に、私の銀行の外国課のことが頭に浮かんだ。
外国課では、世界各国からくる手紙の切手を集めているのだ。
翌日の午後、私は、その社長を訪ねて、彼の息子のために切手を持ってきたと告げた。
もちろん、大変な歓迎を受けた。
彼が議員に立候補中だったとしても、あれほど愛想よく迎えてはくれなかったろう。
相好をくずした社長は、大事そうに切手を手に取り、『これは、きっとジョージの気に入る』とか『これはどうだ! たいした値打ち物だ』とか口走って、夢中になっていた。
社長と私は、それから三十分ほど、切手の話をしたり、彼の息子の写真を眺めたりしていたが、やがて社長は、私が何も言い出さないうちに、私の知りたがっていた情報を話しはじめた。
一時間以上にわたって、知っている限りのことを教えてくれ、さらに部下を呼んで尋ねたり、電話で知人に問い合わせたりしてくれた。
私は、十二分に目的を達したわけだ。
いわゆる〝特ダネ〟を手に入れたのである」 もう一つ例を挙げよう。
フィラデルフィアに住む C・ M・ナフルという男が、ある大きなチェーン・ストアへ数年来石炭を売り込もうとして一生懸命だった。
そのチェーン・ストアでは燃料を市外の業者から買い入れ、そのトラックがいつもナフルの店の前をこれ見よがしに通っていた。
ある晩、ナフルは、私の講習会に出席して、チェーン・ストアに対する日頃の憤懣をぶちまけ、チェーン・ストアは市民の敵だとののしった。
それでいて、彼は売り込みをあきらめていたわけではなかった。
私は、何か別な策を考えてみてはどうかと彼に提案した。
その話を簡単に説明すると、こうだ。
すなわち、講習会の討論の議題として、〝チェーン・ストアの普及は国家にとって果たして有害か〟という問題を、我々は取り上げたのである。
ナフルは、私のすすめで、否定の立場をとった。
つまり、チェーン・ストアを弁護することを引き受けたのである。
彼は、日頃目の敵にしていたチェーン・ストアの重役のところへ、早速出かけていった。
「今日は、石炭を売り込みにきたのではありません。
別なお願いがあってきました」 彼はそう前置きをして、討論会のことを説明した。
「実は、チェーン・ストアのことについて、いろいろと教わりたいのですが、あなたより他に適当な人はいないと思いましたので、お願いにあがったわけです。
討論会にはぜひとも勝ちたいと思っています。
ご援助をお願いします」 以下、ナフル自身の言葉を借りて述べよう。
私は、この重役に、正味一分間だけ時間を割いてもらう約束だった。
面会はその条件で許されたのである。
重役は私に椅子をすすめて話をはじめ、一時間と四十七分、話し続けた。
彼は、チェーン・ストアに関する書物を書いたことのあるもう一人の重役まで呼んでくれた。
また、全米チェーン・ストア協会に照会して、この問題に関する討論記録の写しも手に入れてくれた。
彼は、チェーン・ストアが人類に対して真の奉仕をしていると信じ切っており、自分の仕事に大きな誇りを感じているのだ。
話しているうちに、彼の目は輝きを帯びてきた。
正直言って、私は、今まで夢想さえもしなかった事柄に対して目が開けてきた。
彼は、私の考えを一変させたのである。
用件が済んで帰ろうとすると、彼は私の肩に手をかけ、ドアのところまで送り出しながら、討論会で勝つように祈っていると言い、さらに、その結果をぜひ報告しにきてくれと言った。
「春になったら、またいらしてください──石炭を注文したいと思いますから」 これが、別れ際に彼が口にした言葉だった。
私は、奇跡を目の当たりにしたような気がした。
私が何も言わないのに、彼のほうから進んで石炭を買おうと言うのだ。
私の店の石炭に関心を持たせようとする方法では十年かかってもやれないことを、彼の関心のある問題にこちらが誠実な関心を寄せることによって、わずか二時間でやってのけることができたのである。
ナフルは、別に新しい真理を発見したわけではない。
紀元前一〇〇年に、ローマの詩人パブリアス・シラスがすでに次のごとく説いている──「我々は、自分に関心を寄せてくれる人々に関心を寄せる」 他人に示す関心は、人間関係の他の原則と同様に、必ず心底からのものでなければならない。
関心を示す人の利益になるだけでなく、関心を示された相手にも利益を生まねばならない。
一方通行ではなく、双方の利益にならなくてはいけない。
ニューヨーク州のマーティン・ギンスバーグは、入院していた時、一人の看護師から特別な心遣いを受け、それが、どんなに自分のその後の人生に深い影響を及ぼしたか、次のように報告している。
「感謝祭の日のことだった。
私は十歳で、市立病院の社会保険病棟に入院しており、その翌日整形外科手術を受けることになっていた。
そのあと何カ月もの病床生活、肉体的苦痛などに対する覚悟もできていた。
父はすでに亡くなり、母と二人っきり、小さなアパートで生活保護を受けて暮らしていたが、手術の前日というのに、母は忙しくて病院に来ることもできなかった。
時間がたつにつれて、さびしさ、絶望、そして手術への恐怖で気が滅入ってきた。
母は一人で私のことを心配しているに違いない。
話し相手もなく、一緒
に食事をする人もいない。
感謝祭だというのに、ごちそうをつくるお金もない。
そう思うと涙がとめどもなく湧いてきて、私は枕の下に頭を突っ込み、毛布をかぶって声を立てずに泣いた。
悲しさはますます募り、体中に苦痛が走った。
すすり泣きの声を聞きつけた若い見習い看護師が近づいて毛布を持ち上げ、涙で汚れた顔をふいてくれた。
そして、自分も感謝祭の日に家族から離れて働くのは、とてもさびしい。
だから、今晩は一緒にお食事をしましょうと言って、二人分の夕食を盆にのせて私のベッドへ運んできた。
七面鳥やマッシュポテトやクランベリー・ソース、それにデザートのアイスクリームまで、感謝祭のごちそうが揃っていた。
彼女はしきりに話しかけて、手術への恐怖心を紛らそうとした。
勤務時間は午後四時までだというのに、十一時頃私が寝入るまで、ゲームをしたり、お話を聞かせたりして、つきあってくれた。
十歳だったあの日から、何回も感謝祭がめぐってきた。
そのたびにあの日のこと──絶望と恐怖と孤独感、そして、それを克服する力を与えてくれた見知らぬ女性の優しさ──を思い出す」 人に好かれたいのなら、本当の友情を育てたいなら、そして自分自身を益し同時に他人をも益したいのだったら、次の原則を心に刻みつけておくことだ。
人に好かれる原則 ❶|誠実な関心を寄せる。
2笑顔を忘れない 先日私はニューヨークで開かれたある晩餐会に出席した。
来客の一人に莫大な遺産を相続した婦人がいたが、彼女は何とかして皆に好印象を与えたいと懸命になっていた。
豪華なミンクの毛皮やダイヤモンド、真珠などを身につけていたが、顔のほうは放ったらかしだった。
顔には、意地悪さとわがままさがありありと現われていたのである。
身につける衣装よりも、顔に現われる表情のほうが女性にとってどれほど大切かしれないという、男なら誰でも知っている事柄を、彼女は知らなかったわけだ。
チャールズ・シュワッブは、自分の微笑みには百万ドルの価値があると言っていたが、ずいぶん控え目に評価したものだ。
彼の並々ならぬ成功は、もっぱらその人柄、魅力、人に好かれる能力などによってもたらされたものであり、彼の魅惑的な微笑みは、彼の人柄をつくり上げる最も素晴らしい要素なのである。
動作は言葉よりも雄弁である。
微笑みはこう語る──「私はあなたが好きです。
あなたのおかげで私はとても楽しい。
あなたにお目にかかってうれしい」 犬がかわいがられるゆえんである。
我々を見ると、犬は喜んで夢中になる。
自然、我々も犬がかわいくなる。
赤ちゃんの笑顔も同じ効果を持つ。
病院の待合室は、順番を待つ人たちの陰気な顔が並び、暗い雰囲気に包まれているものである。
ミズーリ州レイタウンの獣医、スティーヴン・スプラウル博士の話だが、ある春の日、診療所の待合室には、予防注射のためにペットを連れてきた人たちが詰めかけていた。
皆、黙りこくっている。
無駄な待ち時間を持てあまし、いら立っているのだ。
その時のことを博士はこう話してくれた。
「客はまだ六、七人いたと思いますが、生後九カ月ほどの赤ちゃんと子猫一匹を連れた若い母親が入ってきました。
先ほどから不機嫌な顔つきになっていた紳士の隣に、この母親が偶然腰をかけました。
すると、抱かれていた赤ん坊が、満面に笑みをたたえてこの紳士を見上げたのです。
この紳士は、どうしたと思います? もちろん、微笑み返しました。
そして、若い母親と、赤ん坊のことや自分の孫のことなど、あれこれとおしゃべりをはじめました。
やがて、待合室にいた全員がおしゃべりに加わり、それまでのいら立った空気がほぐれて、楽しい雰囲気に一変しました」 心にもない笑顔──そんなものには、誰もだまされない。
そんな機械的なものには、むしろ腹が立つ。
私は真の微笑みについて語っているのである。
心温まる微笑み、心の底から出てくる笑顔、千金の価値のある笑顔について語っているのだ。
ミシガン大学の心理学教授、ジェイムズ・マッコネル博士は、笑顔について次のような感想を述べている。
「笑顔を見せる人は、見せない人よりも、経営、販売、教育などの面で効果を上げるように思う。
笑顔の中には、渋面よりも豊富な情報が詰まっている。
子供たちを励ますほうが、罰を与えるよりも教育の方法として優れているゆえんである」 笑顔の効果は強力である。
たとえその笑顔が目に見えなくても、効果に変わりがない。
アメリカ中の電話会社が実施している一つの企画がある。
〝電話パワー〟と名づけられたこの企画は、サービスや商品を売るのに電話を使うセールスマンたちを対象にするもので、「電話でセールスをする時は、笑顔を忘れるな」というのがモットーなのである。
〝笑顔〟は声にのって相手に伝わるというのだ。
シンシナティのある会社のコンピューター部長ロバート・クライヤーは、適材が見つからなくて困っていたポストに、うってつけの人物が獲得できたいきさつを話してくれた。
「私は、コンピューターの分野で博士号を持った部下がほしくて懸命に探していた。
パーデュー大学の卒業予定者の中に注文どおりの青年が見つかり、何回か電話で話をした。
彼にはすでに採用を申し入れている会社が数社あり、いずれも私たちの会社よりも大きく、知名度も高かった。
それだけに、彼が入社を承知してくれた時はうれしかった。
入社後この青年に私たちの会社を選んだ理由を聞いてみると、一瞬考えたのち、こう答えた。
『それはたぶんこういうわけだと思います。
他の会社の部長の電話は、どれも皆、事務的な口調で、単に取引といった感じでした。
でもあなたの場合は、私と話すのがいかにもうれしいといった感じでした。
こちらの会社の一員になってもらいたいという気持ちが声によく表われていました』。
そういえば、私は、電話をかける時に笑顔を忘れたことはありません」 アメリカ有数のゴム会社の社長の話だが、彼によると、仕事が面白くてたまらないくらいでなければ、めったに成功者にはなれないという。
この工業界の大人物は、「勤勉は希望の門を開く唯一の鍵」という古いことわざをたいして信用していない様子だ。
彼はこう言う──「まるでどんちゃん騒ぎでもしているような具合に仕事を楽しみ、それによって成功した人間を何人か知っているが、そういう人間が真剣に仕事と取っ組みはじめると、もう駄目だ。
だんだん仕事に興味を失い、ついには失敗してしまう」 自分とつきあって相手に楽しんでもらいたい人は、まず相手とつきあって自分が楽しむ必要がある。
私は、大勢の実業家に、目を覚ましている間は毎時間一回ずつ誰かに向かって笑顔を見せることを一週間続け、その結果を講習会で発表するように提案したことがある。
それがどういう効果を見せたか、一つの例を挙げてみよう。
今、手元に、ニューヨーク株式場外仲買人ウィリアム・スタインハートの手記があるが、これは別段珍しい例ではなく、同様の例は数え切れないほどある。
スタインハートの手記はこうだ──「私は結婚して十八年以上になるが、朝起きてから勤めに出かけるまでの間に、笑顔を妻に見せたこともなく、また二十語としゃべったためしもない。
世間にも珍しいほどの気難し屋でした。
先生が笑顔について経験を発表せよと言われたので、試みに一週間だけやってみる気になりました。
で、その翌朝、頭髪の手入れをしながら、鏡に映っている自分の不機嫌な顔に言い聞かせました。
『ビル、今日は、そのしかめっ面をよすんだぞ。
笑顔を見せるんだ。
さあ、早速やるんだ』。
朝の食卓につく時、妻に『おはよう』と言いながら、にっこり笑って見せました。
相手はびっくりするかもしれないと先生は言われましたが、妻の反応は予想以上で、非常なショックを受けたようです。
これからは毎日こうするんだから、そのつもりでいるようにと妻に言いましたが、事実、今も毎朝それが続いています。
私が態度を変えてからのこの二カ月間、かつて味わったこともない大きな幸福が、私たちの家庭に訪れています。
今では、毎朝出勤する時、アパートのエレベーター・ボーイに笑顔で『おはよう』と言葉をかけ、門番にも笑顔で挨拶するようになりました。
地下鉄の窓口で釣り銭をもらう時も同様。
取引所でも、これまで私の笑顔を見たこともない人たちに、笑顔を見せます。
そのうちに、皆が笑顔を返すようになりました。
苦情や不満を持ち込んでくる人にも、明るい態度で接します。
相手の言い分に耳を傾けながら笑顔を忘れないようにすると、問題の解決もずっと容易になります。
笑顔のおかげで、収入は、うんと増えてきました。
私はもう一人の仲買人と共同で事務所を使用しています。
彼の雇っている事務員の一人に、好感の持てる青年がいます。
笑顔の効き目に気をよくした私は、先日その青年に人間関係について私の新しい哲学を話しました。
すると彼は、私をはじめて見た時はひどい気難し屋だと思ったが、最近ではすっかり見直していると、正直に話してくれました。
私の笑顔には人情味があふれているそうです。
また、私は、人の悪口を言わないことにしました。
悪口を言う代わりに、ほめることにしています。
自分の望むことについては何も言わず、もっぱら他人の立場に身を置いて物事を考えるように努めています。
そうすると、生活に文字どおり革命的な変化が起こりました。
私は以前とはすっかり違った人間になり、収入も増え、交友にも恵まれた幸福な人間になりました。
人間として、これ以上の幸福は望めないと思います」 笑顔など見せる気にならない時は、どうすればよいか。
方法は二つある。
まず第一は、無理にでも笑ってみることだ。
一人でいる時なら、口笛を吹いたり鼻歌を歌ったりしてみる。
幸福でたまらないようにふるまうのである。
すると、本当に幸福な気持ちになるから不思議だ。
ハーバード大学の教授であったウィリアム・ジェイムズの説を紹介しよう。
「動作は感情に従って起こるように見えるが、実際は、動作と感情は並行するものなのである。
動作のほうは意志によって直接に統制することができるが、感情はそうはできない。
ところが、感情は、動作を調整することによって、間接に調整することができる。
したがって、快活さを失った場合、それを取り戻す最善の方法は、いかにも快活そうにふるまい、快活そうにしゃべることだ……」 世の中の人は皆、幸福を求めているが、その幸福を必ず見つける方法が一つある。
それは、自分の気の持ち方を工夫することだ。
幸福は外的な条件によって得られるものではなく、自分の気の持ち方一つで、どうにでもなる。
幸不幸は、財産、地位、職業などで決まるものではない。
何を幸福と考え、また不幸と考えるか──その考え方が、幸不幸の分かれ目なのである。
たとえば、同じ場所で同じ仕事をしている人がいるとする。
二人は、だいたい同じ財産と地位を持っているにもかかわらず、一方は不幸で他方は幸福だということがよくある。
なぜか? 気の持ち方が違うからだ。
私はニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスなどアメリカの大都会で、空調設備のある快適なオフィスに働く人たちの楽しそうな顔を目にしてきたが、それに劣らぬ楽しげな顔を、熱帯の酷暑の中で原始的な道具を使って働く貧しい農民の間でも見たことがある。
「物事には、本来、善悪はない。
ただ我々の考え方いかんで善と悪とが分かれる」──これは、シェイクスピアの言葉である。
「およそ、人は、幸福になろうとする決心の強さに応じて幸福になれるものだ」──これは、リンカーンの言ったことだが、けだし名言である。
先日私はこの言葉を裏づける生きた実例を目撃した。
ニューヨークのロング・アイランドの駅の階段をのぼっている時、私のすぐ前を三、四十人の足の不自由な少年たちが、松葉杖を頼りに悪戦苦闘しながら階段をのぼっていた。
つき添いの人にかついでもらっている少年もいた。
私は、その少年たちが嬉々とした様子を見せていることにびっくりした。
つき添いの一人に聞いてみると、こう答えた──「そうです、一生体が不自由になったとわかると、子供たちは、最初ひどいショックを受けますが、そのうちに、ショックが薄れて、たいていは自分の運命をあきらめ、ついには、普通の子供たちよりもかえって快活になります」 私はこの少年たちに頭の下がる思いがした。
彼らは、私に一生忘れえぬ教訓を与えてくれたのだ。
オフィス勤めのうちには個室に閉じこもり、一人きりでする仕事もある。
担当者は孤独に苦しむばかりでなく、同僚と親しくなる機会も奪われる。
メキシコのグアダラハラに住むマリア・ゴンザレスにあてがわれたのは、そういった仕事だった。
他の社員たちが楽しげに話し合ったり、笑ったりしているのがうらやましい。
入社の当初は、そういった同僚たちがまぶしく、廊下ですれ違っても目をそらしたものである。
何週間かたって、マリアは自分に言い聞かせた。
「マリア、あの人たちがやってくるのを待っていたって無駄よ。
あなたのほうから出かけていくのよ」 ある日、冷水器の水を飲みにいった時、精一杯微笑みを顔に浮かべ、居合わせた人たちに「こんにちは、お元気?」と声をかけた。
効果はてきめん。
笑顔や挨拶がたちどころに返ってきた。
周辺がぱっと明るくなり、仕事の流れまでスムーズになったように思えた。
顔見知りが増え、真の友情も芽生えてきた。
マリアは、仕事だけでなく、生活全体が今までよりも楽しくなったのに気づいた。
次に引用するエルバート・ハバードの言葉を、よく読んでいただきたい。
いや、読むだけでは何にもならない──実行していただきたい。
家から出る時は、いつでもあごを引いて頭をまっすぐに立て、できる限り大きく呼吸をすること。
日光を吸い込むのだ。
友人には笑顔を持って接し、握手には心を込める。
誤解される心配などはせず、敵のことに心をわずらわさない。
やりたいことをしっかりと心の中で決める。
そして、まっしぐらに目標に向かって突進する。
大きな素晴らしいことをやり遂げたいと考え、それを絶えず念頭に置く。
すると、月日のたつに従って、いつの間にか、念願を達成するのに必要な機会が自分の手の中に握られていることに気がつくだろう。
あたかも珊瑚虫が潮流から養分を摂取するようなものである。
また、有能で真面目で、他人の役に立つ人物になることを心がけ、それを常に忘れないでいる。
すると、日のたつに従って、そのような人物になっていく。
………心の働きは絶妙なものである。
正しい精神状態、すなわち勇気、率直、明朗さを常に持ち続けること。
正しい精神状態は優れた創造力を備えている。
すべての物事は願望から生まれ、心からの願いはすべてかなえられる。
人間は、心がけたとおりになるものである。
あごを引いて頭をまっすぐに立てよう。
神となるための前段階──それが人間なのだ。
昔の中国人は賢明だった。
処世の道にきわめて長じていた。
そのことわざに、こういう味わい深いものがある──「笑顔を見せない人間は、商人にはなれない」 笑顔は好意のメッセンジャーだ。
受け取る人々の生活を明るくする。
しかめっ面、ふくれっ面、それに、わざと顔をそむけるような人々の中で、あなたの笑顔は雲の間から現われた太陽のように見えるものだ。
特にそれが、上司や、顧客や、先生、あるいは両親や子供たちからの圧迫感に苦しんでいるような人であれば、「世間にはまだ楽しいことがあるんだな」と希望をよみがえらせる。
何年か前、ニューヨークのあるデパートが、繁忙をきわめるクリスマス・セールの期間中に、次のような素朴な哲学を広告に出していた。
クリスマスの笑顔 元手がいらない。
しかも、利益は莫大。
与えても減らず、与えられた人は豊かになる。
一瞬の間、見せれば、その記憶は永久に続く。
どんな金持ちもこれなしでは暮らせない。
どんな貧乏人もこれによって豊かになる。
家庭に幸福を、商売に善意をもたらす。
友情の合言葉。
疲れた人にとっては休養、失意の人にとっては光明、悲しむ人にとっては太陽、悩める人にとっては自然の解毒剤となる。
買うことも、強要することも、借りることも、盗むこともできない。
無償で与えてはじめて値打ちが出る。
クリスマス・セールで疲れ切った店員のうちに、これをお見せしない者がございましたら、恐れ入りますが、お客さまの分をお見せ願いたいと存じます。
笑顔を使い切った人間ほど、笑顔を必要とするものはございません。
人に好かれる原則 ❷|笑顔で接する。
3名前を覚える 一八九八年、ニューヨーク州のロックランド郡で、痛ましい出来事が起こった。
一人の子供が死んだので、この日、近所の人たちは、葬式に行く支度をしていた。
ジム・ファーレーは馬小屋へ馬を引き出しにいった。
地上には雪が積もり、寒気はことのほか厳しかった。
馬は何日も運動不足だった。
水槽のところへ連れていく途中、馬が暴れ出し、後ろ足を高く跳ね上げてジムを蹴り殺してしまった。
ストーニー・ポイントというその小さな村では、その週、葬式が一つ増えて二つ出すことになったのである。
ジム・ファーレーは、妻と三人の男の子とわずかな保険金をあとに残して死んだ。
長男もやはりジムといったが、まだようやく十歳になったばかりで、煉瓦工場へ働きに出された。
砂をこねて型に入れ、それを並べて日光で乾燥させるのが仕事だった。
ジム少年には、学校に通うひまがなかった。
しかし、この少年は、アイルランド人独特の快活さを持っていて皆に好かれ、やがて政界に進出したが、人の名前を覚える不思議な能力を発揮しはじめた。
ジムは高校などのぞいたこともなかったが、四十六歳の時には四つの大学から学位を贈られ、民主党全国委員長になり、アメリカの郵政長官になった。
ある日、私はジム・ファーレーと会見した。
彼の成功の秘訣を尋ねると、答えはこうだった──「勤勉」「冗談はいけません」。
私がそう言うと、彼は、逆に私の意見を求めた。
「では、あなたは、どう思います?」「あなたは、一万人の名前を覚えておられると聞いていますが……」。
私が答えると、彼はそれを訂正した。
「いや、五万人です」 フランクリン・ルーズヴェルトが大統領になったことについては、ジムのこの能力が大いに助けとなったのである。
ジム・ファーレーは、石膏会社のセールスマンとして各地をめぐり歩いたり、また、ストーニー・ポイントの役場に勤めたりしていた間に、人の名を覚える方法を考え出したのである。
この方法は、はじめはきわめて簡単なものだった。
初対面の人からは、必ずその氏名、家族、職業、それから政治についての意見などを聞き出す。
そして、それをすっかり頭に入れてしまう。
すると、次に会った時、たとえ一年後でも、その人の肩をたたいて、妻や子供のことを聞いたり、庭の植木のことまで尋ねたりすることができた。
支持者が増えたのも当然である。
ルーズヴェルトが大統領選挙戦に乗り出す数カ月前、ジム・ファーレーは、西部および西北部の諸州の人々に宛てて、毎日数百通の手紙を書いた。
次に彼は、汽車に飛びのり、十九日間に二十州をまわった。
行程は実に一万九千キロ、その間、馬車、汽車、自動車、小舟など、あらゆる乗り物を利用した。
町に着くと、早速その町の人たちと食事やお茶をともにして心を開いて話し合い、それが済むと、また、次の町へまわるという忙しさだった。
東部に帰ると、今度は自分がまわってきた町の代表者に早速手紙を出し、会合に集まった人々の名簿を送ってくれるように頼んだ。
こうして彼の手元に集まった名前の数は数万に及んだが、名簿に載った人は一人残らず、民主党全国委員長ジェイムズ・ファーレーからの親しみのこもった私信を受け取った。
その手紙は〝ビル君〟とか〝ジョー君〟ではじまり、署名には〝ジム〟(ジェイムズの愛称)となっていて、親しい友人間の手紙の調子で書かれていた。
人間は他人の名前などいっこうに気にとめないが、自分の名前になると大いに関心を持つものだということを、ジム・ファーレーは早くから知っていた。
自分の名前を覚えていて、それを呼んでくれるということは、まことに気分のいいもので、つまらぬお世辞よりもよほど効果がある。
逆に、相手の名を忘れたり、間違えて書いたりすると、厄介なことが起こる。
例を挙げると、私は、かつてパリで弁論術の講習会を開いたことがある。
在留アメリカ人に案内状を出したが、英語の素養のないフランス人のタイピストに宛て名を書かせたのが失敗だった。
あるアメリカの大銀行のパリ支店長から、名前の綴りが違っていると、大変な抗議を受けた。
人の名前は、なかなか覚えにくいものだ。
発音しにくい名前だと、特にそうだ。
たいていの人は、覚える努力もしないでそのまま忘れるか、ニックネームで間にあわせたりする。
シド・レヴィは、ニコデムス・パパドゥーロスという難しい名前のお得意さんを持っていた。
たいていの人は〝ニック〟と通称で呼んでいたが、レヴィは正式の名で呼びたいと考えた。
「彼に会う日は、出かける前に名前を繰り返し唱えて練習した。
『こんにちは、ニコデムス・パパドゥーロスさん』とフル・ネームで挨拶した時の彼の驚きようと言ったらなかった。
数分間、物が言えなかった様子である。
やがて、こう言った──涙で頰を濡らしながら──『レヴィさん、私はこの国にきてからもう十五年、今の今まで誰一人、ちゃんとした名前で私を呼んでくれた人はいなかったんです』」 アンドリュー・カーネギーの成功の秘訣は何か? カーネギーは鉄鋼王と呼ばれているが、本人は製鋼のことなどほとんど知らなかった。
鉄鋼王よりもはるかによく鉄鋼のことを知っている数百名の人を使っていたのだ。
しかし、彼は人の扱い方を知っていた──それが、彼を富豪にしたのである。
彼は、子供の頃から、人を組織し、統率する才能を示していた。
十歳の時には、すでに人間というものは自己の名前に並々ならぬ関心を持つことを発見しており、この発見を利用して他人の協力を得た。
こういう例がある──まだスコットランドにいた少年時代の話だが、ある日、彼は、ウサギをつかまえた。
ところが、そのウサギは腹に子を持っていて、間もなくたくさんの子ウサギが小屋にいっぱいになった。
すると、餌が足りない。
だが、彼には素晴らしい考えがあった。
近所の子供たちに、ウサギの餌になる草をたくさん取ってきたら、その子の名を、子ウサギにつけると言ったのである。
この計画は見事に当たった。
カーネギーはその時のことを決して忘れなかった。
後年、この心理を事業に応用して、彼は巨万の富をなしたのだ。
こういう話がある──彼はペンシルバニア鉄道会社にレールを売り込もうとしていた。
当時、エドガー・トムソンという人が、その鉄道会社の社長だった。
そこで、カーネギーは、ピッツバーグに巨大な製鉄工場を建て、それを〝エドガー・トムソン製鋼所〟と命名した。
ペンシルバニア鉄道会社は、レールをどこから買いつけたか──それは、読者のご想像にまかせる。
カーネギーとジョージ・プルマンが寝台車の売り込み競争でしのぎをけずっていた時、鉄鋼王はまたウサギの教訓を思い出した。
カーネギーのセントラル・トランスポーテーション社とプルマンの会社は、ユニオン・パシフィック鉄道会社に寝台車を売り込もうとして、互いに相手の隙を狙い、採算を無視して泥仕合を演じていた。
カーネギーもプルマンも、ユニオン・パシフィックの首脳部に会うためにニューヨークへ出かけた。
ある夜、セント・ニコラス・ホテルで、この両人が顔を合わせ、カーネギーが声をかけた。
「やあ、プルマンさん、こんばんは。
考えてみると、私たち二人は、お互いに馬鹿なことをしているようですなあ」「それは、いったいどういう意味かね?」
プルマンが、問い返した。
そこでカーネギーは、前から考えていたことを彼に打ち明けた。
両社の合併案だ。
互いに反目しあうより、提携したほうが、はるかに得策だと熱心に説いた。
プルマンは注意深く聞いていたが、半信半疑の様子だった。
やがてプルマンは、カーネギーにこう尋ねた──「ところで、その新会社の名前はどうするのかね?」 すると、カーネギーは、言下に答えた。
「もちろん、プルマン・パレス車両会社としますよ」 プルマンは急に顔を輝かせて、こう言った──「一つ、私の部屋で、ゆっくりご相談しましょう」 この相談が、工業史に新しいページを加えることになったのである。
このように、友達や取引関係者の名を尊重するのが、カーネギーの成功の秘訣の一つだった。
カーネギーは自分のもとで働いている多数の労働者たちの名前を覚えていることを誇りにしていた。
そして、彼が企業の陣頭に立っている間は、ストライキが一度も起こらなかったと自慢していた。
テキサス・コマース・バンクシェアズの会長ベントン・ラヴによれば、会社というものは大きくなればなるほど冷たくなる。
「冷たい会社を温かくするには、一つの方法がある。
人の名前を覚えることだ。
重役たちの中には名前が覚えられないという人もいるが、つまりは重要な仕事が覚えられない、すなわち仕事の基礎ができていないことを告白しているのだ」 TWA航空のスチュワーデス、キャレン・カーシュは、乗客の名前を素早く覚え、その名で乗客に呼びかけることにしていた。
その結果、おびただしい賛辞が直接本人宛て、また、航空会社宛てに寄せられた。
次のような手紙をくれた乗客もある。
「私はこのところしばらく TWAに乗りませんでしたが、これからはもっぱら TWAに乗ることにします。
あなたの飛行機に乗りあわせて、あなたの会社が、きめ細かく客に気を配る会社になったと痛感させられたからです。
実に素晴らしいことです」 人間は自分の名に非常な誇りを持っているもので、何とかそれを後世に残そうとする。
頑固な雷親父 P・ T・バーナム(一八一〇─九一、アメリカの興行師、サーカスの創始者)でさえ、自分の名を継いでくれる息子がいないのを苦にしていたが、とうとう孫の C・ H・シーレーに、バーナムの名を継いでくれるなら、二万五千ドル出そうと申し入れた。
かつて王侯貴族の間では、芸術家、音楽家、作家たちを援助して、その作品を自分に〝捧げ〟させる習わしがあった。
図書館や博物館の豪華なコレクションのうちには、自分の名前を世間から忘れられたくない人たちの寄贈によるものが多い。
ニューヨーク市立図書館のアスター・コレクションやレノックス・コレクションがそれであり、メトロポリタン美術館ではベンジャミン・アルトマンや J・ P・モルガンの名を永久に伝えている。
また、教会のうちには、寄贈者の名を入れたステンド・グラスの窓で飾られているものが多い。
大学のキャンパスには、個人の名をつけた建物がよくあるが、この人たちは自分の名前を記憶してもらうために多額の寄付をした場合が多い。
たいていの人は、他人の名前をあまりよく覚えないものだ。
忙しくて、覚えるひまがないというのが、その理由である。
いくら忙しくても、フランクリン・ルーズヴェルトよりも忙しい人はいないはずだ。
そのルーズヴェルトが、たまたま出会った一介の機械工の名を覚えるために、時間を割いている。
それは、こうだ。
クライスラー自動車会社が、両足麻痺で普通の車を運転できなかったルーズヴェルトのために特別の乗用車を製作したことがある。
W・ F・チェンバレンが、機械工を一人連れて、その車を大統領官邸に届けた。
その時の様子を、チェンバレンが、私に宛てた手紙の中で、次のように述べている──「私は、大統領に、特殊な装置のたくさんついている自動車の操縦法を教えましたが、彼は、私に素晴らしい人間操縦法を教えてくれました。
官邸にうかがうと、大統領は大変な上機嫌で、私の名を呼んで話しかけてくれましたので、とても気が楽になりました。
特に感銘深かったのは、私の説明に、心から興味を示してもらえたことです。
その車は両手だけで運転できるようになっていました。
見物人が大勢集まってきました。
大統領は『これは素晴らしい。
ボタンを押すだけで自由に運転できるんだから、たいしたものだ。
どういう仕掛けになっているんだろう。
ひまになったら、分解して、とっくりと中を見たいものだ』と言われました。
大統領は、自動車に見とれている人々の前で、私に、『チェンバレンさん、こういう素晴らしい車をつくるには、日頃の努力が大変でしょう。
本当に敬服しました』と言って、ラジエーター、バック・ミラー、時計、照明器具、車内装飾、運転席、トランクの中のネーム入りのスーツケースなど、一つ一つ点検して、しきりに感心しておられました。
大統領は、私の苦心をすっかり理解してくださったのです。
また、大統領は、夫人や労働長官のパーキンスなど、周囲の人たちにも、この自動車の新しい装置を見せて説明することを忘れませんでした。
そして、わざわざ年をとった使用人を呼び寄せると、『ジョージ、この特製のスーツケースは、よく気をつけて取り扱ってもらわなければならんね』と言っておられました。
運転の練習が済むと、大統領は私に向かって、『チェンバレンさん、先ほどから連邦準備銀行の人たちを三十分も待たせているので、今日はこれくらいにしておきましょう』と言われました。
私は、その時、機械工を一人連れていっておりました。
官邸に着いた時、彼も大統領に紹介されましたが、そのあとは黙っていました。
大統領は彼の名前を一度しか耳にしなかったわけです。
元来が内気なたちで、この男はずっと人の陰に隠れていました。
ところが、いよいよ我々が辞去する時になると、大統領はその機械工を探し出し、彼の名を呼んで握手をしながら、礼を言われました。
しかも、その言い方は、決して通り一遍のものではなく、心からの感謝があふれていました。
私には、それがはっきりとわかりました。
ニューヨークに帰ってから数日後、私は、大統領のサイン入りの写真と礼状を受け取りました。
大統領は、こういう時間を、いったいどうして見つけ出すのでしょう。
どうも私にはわかりません」 フランクリン・ルーズヴェルトは、人に好かれる一番簡単で、わかりきった、しかも一番大切な方法は、相手の名前を覚え、相手に重要感を持たせることだということを知っていたのである。
ところで、それを知っている人が、世の中に何人いるだろうか? 初対面の人に紹介され、二、三分間しゃべり、さて、さようならをする時になって、相手の名を思い出せない場合がよくあるものだ。
「有権者の名前を覚えること──それが、政治的手腕というものである。
それを忘れることは、すなわち、忘れられることである」──これは、政治家の最初に学ぶべきことである。
他人の名前を覚えることは、商売や社交にも政治の場合と同じように、大切である。
ナポレオン三世は、大ナポレオンの甥に当たる人だが、彼は、政務多忙にもかかわらず、紹介されたことのある人の名は全部覚えていると、公言していた。
彼の用いた方法──それは、しごく簡単だ。
相手の名前がはっきり聞き取れない場合には、「済みませんが、もう一度言ってください」と頼む。
もし、それがよほど変わった名前なら、「どう書きますか」と尋ねる。
相手と話しているうちに、何回となく相手の名を繰り返し、相手の顔や表情、姿などと一緒に、頭の中に入れてしまうように努める。
もし、相手が重要な人物なら、さらに苦心を重ねる。
自分一人になると、早速紙に相手の名を書き、それを見つめて精神を集中し、しっかり覚え込んでしまうと、その紙を破り捨てる。
こうして目と耳と、両方を動員して覚え込むのである。
これは、なかなか時間のかかる方法だが、エマーソンの言によると、「良い習慣は、わずかな犠牲を積み重ねることによってつくられる」ものなのである。
人に好かれる原則 ❸|名前は、当人にとって、最も快い、最も大切な響きを持つ言葉であることを忘れない。
4聞き手にまわる 先日、私は、あるブリッジの会に招待された。
実は、私はブリッジをやらない。
ところが、もう一人、私と同じくブリッジをやらない女性が来ていた。
私は、ローウェル・トーマスがラジオに出て有名になる前に、彼のマネジャーをしていたことがある。
彼の絵入り旅行記の出版を手伝うために、二人で広くヨーロッパを旅行したことがあったが、それがわかると、この女性は、その話をしてくれという。
「カーネギーさん、あなたのご旅行なさった素晴らしい場所や美しい景色などのお話、ぜひうかがわせてくださいな」 私と並んでソファーに腰をかけると、彼女は、最近夫とともにアフリカの旅から帰ったばかりだと私に告げた。
「アフリカ!」 私は、大きな声を上げた。
「それは、面白い! アフリカは、前からぜひ一度旅行したいと思っていたところです。
私はアルジェにたった二十四時間いただけで、アフリカのことは、その他に何も知りません。
猛獣のいる地方へいらっしゃいましたか? ほほう、それはよかったですねえ! まったく、うらやましい! 一つ、アフリカの話を聞かせてください」 彼女は、たっぷり四十五分間、アフリカの話を聞かせてくれた。
私の旅行談を聞かせてくれとは、二度と言わなかった。
彼女が望んでいたのは、自分の話に耳を傾けてくれ、自我を満足させてくれる熱心な聞き手だったのである。
彼女は変わり者なのだろうか? いや、そうではない。
ごく普通なのである。
たとえば、こういうことがあった。
ある日、私はニューヨークの出版業者、 J・ W・グリーンバーグ主催のパーティーの席上で、ある有名な植物学者に会った。
私は、それまで、植物学者とは一度も話をしたことがなかった。
ところが、私は彼の話にすっかり魅せられてしまった。
珍しい植物の話、植物の新種をつくり出すいろいろな実験、その他、屋内庭園やありふれたジャガイモに関する驚くべき事実など、聞いているうちに、私は文字どおりひざを乗り出していた。
私の家には小さな屋内庭園があり、屋内庭園に関する疑問を二、三持っていたのだが、彼の話を聞いて、その疑問がすっかり解けた。
私たちはパーティーに出席しており、客は他にも十二、三人あった。
だが私は、非礼をも顧みず、他の客たちを無視して、何時間もその植物学者と話したのである。
夜も更けてきたので、私は皆に別れを告げた。
その時、植物学者はその家の主人に向かって、私のことをさんざんほめちぎり、しまいには、私は〝世にも珍しい話し上手〟だということになってしまった。
話し上手とは、驚いた。
あの時、私は、ほとんど何もしゃべらなかったのである。
しゃべろうにも、植物学に関してはまったくの無知で、話題を変えでもしない限り、私には話す材料がなかったのだ。
もっとも、しゃべる代わりに、聞くことだけは、確かに一心になって聞いた。
心から面白いと思って聞いていた。
それが、相手にわかったのだ。
したがって、相手はうれしくなったのである。
こういう聞き方は、私たちが誰にでも与えることのできる最高の賛辞なのである。
「どんなほめ言葉にも惑わされない人間でも、自分の話に心を奪われた聞き手には惑わされる」 これはジャック・ウッドフォードの言葉だが、私は話に心を奪われたばかりでなく、〝惜しみなく賛辞を与えた〟のである。
「お話をうかがって、大変楽しかったし、また、とても得るところがありました」「私もあなたぐらい知識があればいいと思います」「あなたのお供をして野原を歩きまわってみたいものです」「ぜひもう一度お会いしたいと思います」 私は、こういった賛辞を口にしたが、すべて心底から出た言葉であった。
だから、実際は、私は単に良き聞き手として、彼に話す張り合いを感じさせたにすぎなかったのだが、彼には、私が話し上手と思われたのである。
商談の秘訣について、チャールズ・エリオット博士は、こう言っている──「商談には特に秘訣などというものはない……ただ、相手の話に耳を傾けることが大切だ。
どんなお世辞にも、これほどの効果はない」 エリオット自身、人の話に耳を傾ける名手だった。
アメリカ最初の世界的作家ヘンリー・ジェイムズは、次のように述懐している。
「エリオット博士は、人の話を聞く時、ただ耳を傾けるのではなくて、しきりに活動する。
まっすぐ背筋を伸ばし、腰をかけたひざの上で両手を組み合わせ、両手の親指を、時には速く、時にはゆっくりと、糸を繰るようにまわしながら、話し手に注目していたが、相手の話は心で受け止め、その一言一言を玩味しながら耳を傾けていたのである。
だから、話し手は、すべて言い尽くした満足感を最後には味わった」 これは、まったくわかりきった話だ。
別に大学を出なくても、誰でも知っているはずだ。
ところが、高い賃貸料を払い、商品を上手に仕入れ、ウィンドーは人目をひくように飾り立て、宣伝広告に多額の経費を使いながら、肝心の店員は、良き聞き手としてのセンスに欠けた者を雇うデパート経営者がいくらもいる。
客の話の腰を折り、客の言葉に逆らって怒らせるなど、客を追い出すに等しいことをする店員を平気で雇っているのだ。
シカゴのあるデパートでは、女店員が客の言うことに耳を傾けなかったために、年間数千ドルの買い物をしてくれる得意客を失いそうになった。
ヘンリエッタ・ダグラス夫人は、このデパートの特売でオーバーを一着買った。
家に持ち帰って、裏地が破れているのに気づいた。
翌日デパートへ行って取り替えてほしいと頼んだが、女店員は夫人の説明に耳を貸そうとしなかった。
「これは特売の品でございます。
あれをよくお読みください」 女店員は、壁に張り出された注意書きを指さして、声高に言った。
「〝返品お断り〟と書いてありますでしょう? お買い求めになった以上、そのままお納め願います。
破れた箇所はご自分で修理してください!」「でも、これは、最初から破れていた欠陥商品よ」「関係ございません。
お取り替えはできません」 二度とこんな店に来てやるものかと、心の中でののしりながら、ダグラス夫人が店を出ようとした時、顔なじみのこの店の支配人が、にこやかに挨拶して近寄ってきた。
ダグラス夫人は事の次第を話した。
支配人は夫人の話を最後まで注意深く聞き、オーバーを調べて、こう言った。
「特売品は、季節の終わりに在庫品の整理の意味で〝返品お断り〟としてお売りしております。
しかし、傷物は例外です。
もちろん、この裏地は修理するか、新しいものにつけ替えるかいたします。
もしご希望なら、お代金をお返ししてもよろしゅうございます」 何という違いだろう! もし支配人が居合わせず、客の言葉に耳を傾けなかったら、このデパートは長年の上客を失うことになったかもしれない。
人の話をよく聞くことは、ビジネスの世界だけでなく、家庭生活でも同じように大切だ。
ニューヨークのクロトン・オン・ハドソンに住むミリー・エスポシト
夫人は、子供が話をしかけてきた時は、必ず話をよく聞いてやることにしていた。
ある日の夕方、夫人は息子のロバートと台所で話をしていたが、ロバートがこんなことを言った。
「僕、わかっているよ──お母さんが僕をとても愛してくれているってこと」 エスポシト夫人は、これを聞いて胸が熱くなった。
「もちろん、とっても愛しているわよ。
そうじゃないとでも思ったことがあるの?」「ううん、お母さんが僕を愛してくれていることはよくわかっている。
だって、僕が何かお話ししようとすると、お母さんはきっと自分の仕事をやめて僕の話を聞いてくれるんだもの」 些細なことにも、躍起になって文句を言う人がいる。
なかには相当悪質なのもいるが、そういう悪質な連中でも、辛抱強くしかも身を入れて話を聞いてくれる人──いくらいきり立ってコブラのように毒づいても、じっと終わりまで耳を傾けてくれる人に対しては、たいてい大人しくなるものである。
数年前のことだが、こういうことがあった。
ニューヨーク電話局区内に、手に負えない交換手泣かせの電話加入者がいた。
聞くに堪えない悪口雑言を交換手に浴びせるのだ。
受話器の線を引きちぎってしまうとおどかしたり、請求書が間違っているといって料金を払わなかったり、新聞に投書したり、あげくの果てには、公益事業委員会に苦情を持ち込んだり、電話局を相手どって訴訟を起こしたりした。
電話局では、ついに、局内きっての紛争解決の名人を、この厄介な人物に会いにいかせた。
この局員は、相手に思う存分鬱憤をぶちまけさせ、その言い分をよく聞いてやり、いかにも、もっともだと同情の色を示した。
それについて、この局員は、こう言っている──「はじめは、彼がどなり散らすのを、三時間近く、じっと聞いてやりました。
その次も、やはり同じで、彼の言い分に耳を傾けました。
結局、前後四回会いにいきましたが、四回目の会見が終わる時には、私は、彼が設立を計画している会の発起人になっていました。
その会の名称は、電話加入者保護協会というのですが、現在でも私の知る限りでは、彼の他に会員は私一人しかいないようです。
私は相手の言い分を終始相手の身になって聞いてやりました。
電話局員のこういう態度に接したのは、彼としてははじめてで、私のことを、まるで親友のように扱いはじめました。
彼とは四回会いましたが、彼を訪ねた目的については、一言も触れませんでした。
しかし、四回目には、目的は完全に達せられていました。
滞っていた電話料金も全部払ってくれましたし、委員会への提訴も、取り下げてくれました」 この厄介な男は、苛酷な搾取から公民権を防衛する戦士をもって自任していたに違いない。
だが、本当は、自己の重要感を欲していたのである。
自己の重要感を得るために、彼は、苦情を申し立てた。
局員によって重要感が満たされると、彼の妄想がつくり上げた不平は、たちまちにして消えうせたのである。
デトマー毛織物会社といえば、今日では世界でも有数の会社だが、創立後まだいくらもたたない頃、初代の社長ジュリアン・デトマーの事務所へ一人の顧客がどなり込んできた。
デトマー社長は、その時のことを次のように話してくれた──「その客には、少額の売掛金が残っていた。
しかし、当人はそんなはずはないと言い張る。
当方では、絶対間違いはない自信があったので、再三督促状を送った。
すると、彼は怒って、はるばるシカゴの私の事務所まで駆けつけ、支払いどころか今後デトマー社とはいっさい取引をしないと言い切った。
私は、彼の言い分をじっと我慢して聞いた。
途中、何度か言い返そうと思ったが、それは得策でないと思い直し、言いたいことを残らず言わせた。
言うだけ言ってしまうと、彼は、興奮も冷め、こちらの話もわかってくれそうになった。
そこを見はからって、私は、静かにこう言った。
『わざわざシカゴまでお出かけくださって、何とお礼を申し上げてよいかわかりません。
本当にいいことをお聞かせくださいました。
係の者がそういうご迷惑をあなたにおかけしているとすれば、まだ他のお客さまにも迷惑をかけているかもわかりません。
そうだとするとこれは大変です。
あなたがおいでくださらなくても、私のほうから聞きにあがるべき問題です』 こういう挨拶をされようとは、彼は夢にも思っていなかった。
私をとっちめるためにわざわざシカゴまで乗り込んできたのに、かえって感謝されたのだから、いささか拍子抜けしたに違いない。
さらに、私は、こう言った。
『私どもの事務員は、何千という取引先の勘定書を扱わねばなりません。
ところが、あなたは、几帳面な上に、勘定書は私どもからの分だけに注意していればいいわけで、どうも間違いは、こちらにあるように思います。
売掛金の件は取り消させていただきます』 私は、彼の気持ちがよくわかり、もし私が彼だったら、やはり同じようにしただろうと言った。
彼は私の会社からはもう何も買わないと言っているのだから、私としては、彼に他の会社を推薦することにした。
前から、彼がシカゴに出てくると、いつも昼食をともにしていたので、その日も、彼を昼食に誘った。
彼は、渋々私についてきたが、昼食を済ませて事務所まで一緒に帰ってくると、今までにないほど多量の品物を私たちに注文した。
機嫌を直して帰っていった彼は、それまでの態度を変えて、もう一度書類を調べ直し、置き忘れていた問題の請求書を発見して、わび状とともに小切手を送ってよこした。
その後、彼の家に男の子が生まれた時、彼はその子にデトマーという名をつけた。
そして彼は、死ぬまでの二十二年間、私たちの良き友人であり、良き顧客であった」 昔の話だが、貧しいオランダ移民の男の子が、学校から帰るとパン屋の窓ふきをしていた。
家が貧しく、毎日籠を持って町の通りで石炭車の落としていった石炭のかけらを拾い集めていた。
少年の名はエドワード・ボックといい、学校へは六年足らずしか通わなかったが、後年、アメリカでも屈指の雑誌編集者になった。
彼の成功の秘訣は、要するに本章に述べた原理を応用したことである。
十三歳の時、彼は学校をやめてウェスタン・ユニオン電報会社の給仕に雇われた。
彼は向学心に燃えていたので独学をはじめた。
交通費を節約し、昼食を抜いてためた金で、『アメリカ伝記全集』を買うと、それを使って前代未聞のことをやった。
有名人の伝記を読み、本人に宛てて手紙を書き、少年時代の話を聞かせてほしいと頼んだのだ。
彼は良き聞き手であった。
有名人に、進んで自己を語らせたのである。
当時、大統領選挙に立候補中のジェイムズ・ガーフィールド将軍に手紙を出して、少年時代に運河で舟を引いていたというのは本当の話かと問い合わせた。
ガーフィールドからは返事が届いた。
グラント将軍(南北戦争で北軍の総司令官、第十八代大統領)にも手紙を書いた。
ある会戦について聞かせてほしいと書いたのであるが、グラント将軍は地図を書いて説明した返事をよこし、この十四歳の少年を夕食に招待して、いろいろと話を聞かせた。
この電報会社のメッセンジャー・ボーイは、やがて多くの有名人と文通するようになった。
エマーソンをはじめ、オリヴァー・ホームズ(一八〇九─九四、生理学者、詩人)、ロングフェロー(一八〇七─八二、アメリカの詩人)、リンカーン夫人、ルイーザ・メイ・オルコット(一八三二─八八、アメリカの女流作家)、シャーマン将軍、ジェファーソン・デイヴィス(一八〇八─八九、アメリカの政治家)などが、そのうちに含まれていた。
彼は、これらの有名人と文通しただけではなく、休暇になると、その人たちを訪問して温かい歓迎を受けた。
この経験によって得た自信は、彼にとって貴重なものだった。
これらの有名人は、この少年の夢と希望を大きくふくらませ、ついには、彼の生涯を一変させてしまった。
重ねて言うが、これは、ほかでもない、本章に述べてある原理を応用したにすぎなかったのである。
アイザック・マーカソンは、数多くの有名人にインタビューしてきた記者だが、彼の説によると、好ましい第一印象を与えることに失敗するのは、注意深く相手の言うことを聞かないからだという。
「自分の言おうとすることばかり考えていて、耳のほうが留守になっている人が多い……お偉方は、とかく、話し上手よりも聞き上手な人を好くものだ。
しかし、聞き上手という才能は、他の才能よりはるかに得がたいもののようである」 彼はこう言っているが、聞き上手な相手をほしがるのは、何もお偉方だけに限らない、誰でも同じだ。
リーダーズ・ダイジェスト誌に、ある時こういうことが載っていた──「世間には、自分の話を聞いてもらいたいばかりに、医者を呼ぶ患者が大勢いる」 南北戦争の最中、リンカーンは故郷のスプリングフィールドの旧友に手紙を出して、ワシントンへ来てくれと言ってやった。
重要な問題について、相談したいというのである。
その友人がホワイト・ハウスに着くと、リンカーンは、奴隷解放宣言を発表することが、果たして得策であるかどうか、数時間にわたって話した。
自分の意見を述べ終わると、今度は投書や新聞記事を読み上げた。
ある者は解放に反対し、ある者は賛成している。
こうして数時間の長談義が終わると、リンカーンは友人と握手をし、その意見は一言も聞かずに帰してしまった。
はじめから終わりまで、リンカーン一人がしゃべっていたのだが、それですっかり気が晴れたらしい。
その友人も、リンカーンは言うだけのことを言ってしまうと、よほど気が楽になったようだと、あとで述べている。
リンカーンには、相手の意見を聞く必要はなかったのだ。
ただ、心の重荷を下ろさせてくれる人、親身になって聞いてくれる人がほしかったにすぎない。
心に悩みがある時は、誰でもそうだ。
腹を立てている客、不平を抱いている雇い人、傷心の友など、皆よき聞き手をほしがっているのである。
偉大な心理学者ジグムント・フロイトは、偉大な聞き手であった。
かつてフロイトと話す機会のあった人が、次のように説明している。
「フロイトのことは生涯忘れられない。
彼には、私がこれまでに会った誰にもない資質が見受けられた。
彼の目は穏やかで優しかった。
精神分析の時の〝魂を見通す目〟などまったく感じさせない。
声は低く、温かで、身ぶりはほとんどない。
私の言葉に注意を集中し、下手な言いまわしにも耳を傾け、それなりの評価を与えてくれた。
このような聞き方をしてもらえたことが、私にとってどんなに素晴らしい経験だったかご想像にまかせる」 人に嫌われたり、陰で笑われたり、軽蔑されたりしたかったら、次の条項を守るに限る── 一、相手の話を、決して長くは聞かない。
一、終始自分のことだけをしゃべる。
一、相手が話している間に、何か意見があれば、すぐに相手の話をさえぎる。
一、相手はこちらよりも頭の回転が鈍い。
そんな人間の下らないおしゃべりをいつまでも聞いている必要はない。
話の途中で遠慮なく口をはさむ。
世間には、この条項を厳守している人が実在するのを読者は知っているはずだ。
私も、不幸にして知っている。
有名人のうちにも、そういう人がいるのだから驚く。
そういう人間は、まったく退屈でやりきれない相手だ。
自我に陶酔し、自分だけが偉いと思い込んでいる連中だ。
自分のことばかり話す人間は、自分のことだけしか考えない。
長年コロンビア大学の総長を務めたニコラス・バトラー博士は、それについて、こう言っている──「自分のことだけしか考えない人間は、教養のない人間である。
たとえ、どれほど教育を受けても、教養が身につかない人間である」 話し上手になりたければ、聞き上手になることだ。
興味を持たせるためには、まず、こちらが興味を持たねばならない。
相手が喜んで答えるような質問をすることだ。
相手自身のことや、得意にしていることを話させるように仕向けるのだ。
あなたの話し相手は、あなたのことに対して持つ興味の百倍もの興味を、自分自身のことに対して持っているのである。
中国で百万人が餓死する大飢饉が起こっても、当人にとっては、自分の歯痛のほうがはるかに重大な事件なのだ。
首にできたおできのほうが、アフリカで地震が四十回起こったよりも大きな関心事なのである。
人と話をする時には、このことをよく考えていただきたい。
人に好かれる原則 ❹|聞き手にまわる。
5関心のありかを見抜く セオドア・ルーズヴェルトを訪ねた者は、誰でも彼の博学ぶりに驚かされた。
ルーズヴェルトは、相手がカウボーイであろうと義勇騎兵隊員であろうと、あるいはまた、政治屋、外交官、その他誰であろうと、その人に適した話題を豊富に持ちあわせていた。
では、どうしてそういう芸当ができたか。
種を明かせば簡単だ。
ルーズヴェルトは、誰か訪ねてくる人があるとわかれば、その人の特に好きそうな問題について、前の晩に遅くまでかかって研究しておいたのである。
ルーズヴェルトも、他の指導者たちと同じように、人の心をとらえる近道は、相手が最も深い関心を持っている問題を話題にすることだと知っていたのだ。
随筆家でエール大学の文学部教授のウィリアム・フェルプスは、幼い頃すでにこのことを知っていた。
彼は『人間性について』と題した論文の中で、こう書いている──「私は八歳の頃、ある週末に、ストラットフォードのリンゼイ叔母さんのところへ遊びにいったことがある。
夕方一人の中年の男の客が訪ねてきて、しばらく叔母と愛想よく話し合っていたが、やがて私を相手に熱心に話しはじめた。
その頃、私はボートに夢中になっていたので、その人の話がすっかり気に入ってしまった。
その人が帰ると、夢中になってその人のことをほめた。
『何て素晴らしい人だろう! ボートがあんなに好きな人は素晴らしいよ!』 すると叔母は、あの客はニューヨークの弁護士で、ボートのことは何も知らないし、ボートの話など、ちっとも面白くなかったのだと言った。
『じゃあ、なぜ、ボートの話ばかりしたの?』『それは、あの方が紳士だから。
あなたがボートに夢中になっているのを見抜いて、あなたの喜びそうな話をしたのです。
気持ちよくあなたのおつきあいをしてくださったの』と、叔母は教えてくれた」 フェルプス教授は、この叔母の話を決して忘れないと書いている。
現在ボーイ・スカウトの仕事で活躍しているエドワード・チャリフからきた手紙を紹介しよう。
「ある日、私は、人の好意にすがるより他に方法のない問題と取り組んでいました。
ヨーロッパで行なわれるスカウトの大会が間近に迫っており、その大会に代表の少年を一人出席させたいのですが、その費用を、ある大会社の社長に寄付してもらおうと思っていたのです。
その社長に会いに出かける直前に、私はいい話を聞きました。
その社長が百万ドルの小切手を振り出し、支払い済みになったその小切手を額に入れて飾ってあるというのです。
社長室に入ると、まず私はその小切手を見せてくれと頼みました。
百万ドルの小切手! そういう多額の小切手を実際に見た話を、スカウトの子供たちに聞かせてやりたいのだと、私は言いました。
社長は喜んでその小切手を見せてくれました。
私は感心して、その小切手を振り出したいきさつを詳しく聞かせてもらいたいと頼みました」 読者もお気づきのことと思うが、チャリフ氏は、話のはじめにボーイ・スカウトやヨーロッパの大会、あるいは彼の希望などについては、いっさい触れていない。
相手が関心を持っていることについて話している。
その結果は、次のようになった──「そのうちに、相手の社長は『ところで、あなたのご用件は、何でしたか』と尋ねました。
そこで、私は用件を切り出しました。
驚いたことに、社長は私の頼みを早速引き受けてくれたばかりでなく、こちらが予期しなかったことまで申し出てくれました。
私は代表の少年を一人だけヨーロッパへやってくれるように言ったのですが、社長は、五人の少年と、それから私までも行かせてくれました。
千ドルの信用状を渡して、七週間滞在してくるようにといいます。
彼はまたヨーロッパの支店長に紹介状を書き、私たちの便宜をはかるように命じてくれました。
そして彼自身は、私たちとパリで落ちあい、パリの案内をしてくれました。
それ以来彼は、私たちのグループの世話を続け、貧しい家庭の団員に仕事を与えてくれたことも何度かあります。
それにしても、もし私が彼の関心が何にあるか知らず、最初に彼の興味を呼び起こさなかったとしたら、とても、あんなにたやすくは近づきになれなかったことでしょう」 この方法が、果たして商売に応用できるかどうか、一例として、ニューヨークで一流の製パン会社デュヴァノイ商会のヘンリー・デュヴァノイ氏の場合を取り上げてみよう。
デュヴァノイ氏は以前からニューヨークのあるホテルに自社のパンを売り込もうと躍起になっていた。
四年間毎週、支配人のもとに足を運び続けた。
支配人の出席する会合にも同席した。
そのホテルの客となって逗留もしてみたが、それも駄目だった。
デュヴァノイ氏は、その時の努力をこう述べている──「そこで私は、人間関係の研究をしました。
そして、戦術を立て直しました。
この男が何に関心を持っているか、つまり、どういうことに熱を入れているかを調べはじめたのです。
その結果、彼はアメリカ・ホテル協会の会員であることがわかりました。
それもただ会員であるばかりでなく、熱心さを買われて、その協会の会長になり、国際ホテル協会の会長も兼ねていました。
協会の大会がどこで開かれようと、飛行機に乗って野越え山越え海越えて出席するという熱の入れ方です。
そこで、次の日彼に会って、協会の話を持ち出しました。
反応は素晴らしいものでした。
彼は目を輝かせて三十分ばかり協会のことを話していました。
協会を育てることは、彼にとって無上の楽しみであり、情熱の源になっているらしいのです。
そのうちに彼は、私にも入会をすすめにかかりました。
彼と話している間、パンのことはおくびにも出しませんでした。
ところが数日後、ホテルの用度係から電話があって、パンの見本と値段表を持ってくるようにとのことです。
ホテルに着くと、用度係が『あなたがどんな手を使ったのか知らないが、うちの親父は、馬鹿にあなたが気に入ったらしいですよ』と私に話しかけました。
考えてもみてください。
彼と取引したいばかりに、四年間も追いまわしていたのです。
もし、彼が何に関心を持っているか、どんな話題を喜ぶか、それを見つけ出す手数を省いていたとしたら、私はいまだに彼を追いまわしていたことでしょう」 メリーランド州ヘイガースタウンのエドワード・ハリマンは兵役を終えたあと、メリーランド州の風光明媚なカンバーランド地方を選んで住むことにした。
だが、そのあたりには、当時ほとんど働き口がなかった。
会社は数社あるが、いずれも R・ J・ファンクハウザーという変わり者が実権を握っていた。
この男が貧しい生まれから巨万の富を築くに至った経歴に、ハリマンは興味を持った。
ところが、ファンクハウザーは、求職者を寄せつけないことで有名だった。
ハリマンは次のように書いている。
「私は人に会っていろいろと聞き出したところ、この人物は、権力と金が最大の関心事だとわかった。
彼は求職者を遠ざけるために、忠実で頑固な女秘書を置いていた。
そこでまず、この女秘書がどんなことに関心を持ち、何を目標に暮らしているのか調べ上げてから、はじめて彼女の事務所を前触れなしに
訪問した。
彼女は、ファンクハウザーのまわりを十五年もまわり続けている衛星のような存在だった。
この秘書に、私は『ファンクハウザー氏にとって経済的および政治的に有利な提案があります』と切り出した。
案の定、彼女はひざを乗り出してきた。
さらに、私は、彼女の協力とファンクハウザー氏の成功との関係についても、いろいろと話した。
このあと、彼女は私のためにファンクハウザーと面談する手はずを整えてくれた。
こうしてファンクハウザーの豪勢な事務室に案内されることになったが、間違っても仕事がほしいなどとは言うまいと心に決めていた。
彼は彫刻を施した巨大な机の後ろから、大声でこう言った。
『どうしたんだね、君?』『ファンクハウザーさん、あなたは金儲けができますよ』。
彼はすぐさま立ち上がって、大きな革張りの椅子を私にすすめた。
そこで私は自分の考えを述べた。
それを実行する際、私に何ができるか、さらに、それがファンクハウザー氏個人およびその事業にどう役立つか詳しく説明した。
〝 R・ J〟──その後、私は彼のことをこう呼ぶようになった──はその場で私を採用し、今日まで二十年以上、私は彼の企業の中で成長し、彼も私も繁栄を続けている」 相手の関心を見抜き、それを話題にするやり方は、結局、双方の利益になる。
従業員間コミュニケーションの指導者ハワード・ハージッグは、常にこの原則を守ってきた。
その成果について、ハージッグ氏はこう述べている。
「相手次第で成果も違うが、概して言えば、どんな相手と話をしてもそのたびに自分自身の人生が広がる──それが、何よりの成果だ」人に好かれる原則 ❺|相手の関心を見抜いて話題にする。
6心からほめる ニューヨークの八番街にある郵便局で、私は書留郵便を出すために行列をつくって順番を待っていた。
書留係の局員は、来る日も来る日も、郵便物の計量、切手と釣銭の受け渡し、受領証の発行など、決まりきった仕事に飽き飽きしている様子だった。
そこで、私は考えた──「一つ、この男が私に好意を持つようにやってみよう。
そのためには、私のことではなく、彼のことで、何か優しいことを言わねばならない。
彼について私が本当に感心できるものは、いったい、何だろう?」 これはなかなか難しい問題で、ことに相手が初対面の人では、なおさら容易でない。
だが、この場合には、偶然それがうまく解決できた。
実に見事なものを、見つけ出せたのである。
彼が私の封筒の重さをはかっている時、私は、心を込めて、こう言った──「美しいですねえ、あなたの髪の毛──うらやましいです!」 驚きをまじえて私を見上げた彼の顔には、微笑みが輝いていた。
「いやあ、近頃はすっかり駄目になりました」 彼は謙遜してそう言った。
以前はどうだったか知らないが、とにかく見事だと、私は心から感心して言った。
彼の喜びようは大変なものだった。
さらに二言三言愉快に話し合ったが、最後に彼は「実は、いろんな人がそう言ってくれます」と本音を吐いた。
その日、彼はうきうきとした気持ちで、昼食に出かけたことだろう。
家に帰って妻にも話しただろう。
鏡に向かって「やっぱり、素晴らしい!」とひとりごとを言ったに違いない。
この話を、ある時私は公開の席上で持ち出した。
すると、そのあとで、「それで、あなたは、彼から何を期待していたのですか」と質問した者がいる。
私が何かを期待していた!! 何たることを言うんだろう!! 他人を喜ばせたり、ほめたりしたからには、何か報酬をもらわねば気が済まぬというようなけちな考えを持った連中は、当然、失敗するだろう。
いや、実は、私もやはり報酬を望んでいたのだ。
私の望んでいたのは、金では買えないものだ。
そして、確かにそれを手に入れた。
彼のために尽くしてやり、しかも彼には何の負担もかけなかったというすがすがしい気持ちが、それだ。
こういう気持ちは、いつまでも楽しい思い出となって残るものなのである。
人間の行為に関して、重要な法則が一つある。
この法則に従えば、たいていの紛争は避けられる。
これを守りさえすれば、友は限りなく増え、常に幸福が味わえる。
だが、この法則を破ったとなると、たちまち、果てしない紛争に巻き込まれる。
この法則とは──「常に相手に重要感を持たせること」 すでに述べたように、ジョン・デューイ教授は、重要な人物になりたいという願望は人間の最も根強い欲求だと言っている。
また、ウィリアム・ジェイムズ教授は、人間性の根元をなすものは、他人に認められたいという願望だと断言している。
この願望が人間と動物とを区別するものであることはすでに述べたとおりだが、人類の文明も、人間のこの願望によって進展してきたのである。
人間関係の法則について、哲学者は数千年にわたって思索を続けてきた。
そして、その思索の中から、ただ一つの重要な教訓が生まれてきたのである。
それは決して目新しい教訓ではない。
人間の歴史と同じだけ古い。
三千年前のペルシアで、ゾロアスターはこの教訓を拝火教徒に伝えた。
二千四百年前の中国では、孔子がそれを説いた。
道教の開祖、老子もそれを弟子たちに教えた。
キリストより五百年早く、釈迦は聖なる川ガンジスのほとりで、これを説いた。
それよりも千年前に、ヒンズー教の聖典に、これが説かれている。
キリストは千九百年前にユダヤの岩山で、この教えを説いた。
キリストはそれを次のような言葉で説いた(世の中で最も重要な法則と言えよう)──「すべて人にせられんと思うことは人にもまたそのごとくせよ」 人間は、誰でも周囲の者に認めてもらいたいと願っている。
自分の真価を認めてほしいのだ。
小さいながらも、自分の世界では自分が重要な存在だと感じたいのだ。
見えすいたお世辞は聞きたくないが、心からの賞賛には飢えているのだ。
自分の周囲の者から、チャールズ・シュワッブの言うように〝心から認め、惜しみなくほめ〟られたいと、私たちは、皆そう思っているのだ。
だから、あの〝黄金律〟に従って、人にしてもらいたいことを、人にしてやろうではないか。
では、それを、どういう具合に、いつ、どこでやるか?──いつでも、どこででも、やってみることだ。
ウィスコンシン州オークレアのデイヴィッド・スミスが、あるチャリティー・コンサートの体験談を話してくれた。
主催者の依頼で会場の喫茶コーナーを受け持ったのだった。
「その晩コンサート会場の公園に着くと、すでに老婦人が二人、喫茶コーナーに立っていた。
どちらも大変ご機嫌斜めで、それぞれ自分がこのコーナーの主任だと思い込んでやってきた様子だった。
さて、どうしたものかと思い悩んでいると、実行委員がまわってきて、私に手提げ金庫を渡し、私の協力を感謝して、二人の老婦人がそれぞれローズとジェーンという名前で、私の助手を務めてくれることになっていると紹介したまま、そそくさと走り去った。
そのあとに、気まずい沈黙が残った。
やがて私は、手提げ金庫が、ある種の権威の象徴だと気づき、これをまずローズに渡して、『お金勘定は苦手でして、あなたにお願いできれば助かります』と言った。
次にジェーンには、サービス係のティーンエイジャー二人にソーダの機械の扱い方を教えて、サービスのほうを監督してほしいと頼んだ。
こうしてその晩は実に楽しく過ごせた。
ローズは上機嫌で金の勘定を、ジェーンはティーンエイジャーたちの監督を、そして私はゆっくりとコンサートを、楽しむことができた」 この賞賛の哲学は、外交官や地域集会の会長になるまでは、応用の道がないなどというものではない。
日常に応用して大いに魔術的効果を収めることができる。
たとえば、レストランで、給仕が注文を間違えて持ってきた時、「面倒をかけて済みませんが、私はコーヒーよりも紅茶のほうがいいんです」と丁寧に言えば、給仕は快く取り替えてくれる。
相手に敬意を示したからだ。
こういう丁寧な思いやりのある言葉遣いは、単調な日常生活の歯車に差す潤滑油の働きをし、同時に、育ちのよさを証明する。
もう一つ例を挙げよう。
ホール・ケインは『キリスト教徒』『マン島の裁判官』『マン島の男』など、二十世紀のはじめ頃、次々とベストセラーになった小説を書いた有名な作家だが、もともと鍛冶屋の息子だった。
学校には八年そこそこしか行かなかったが、しまいには世界でも指折りの富裕な作家になった。
ホール・ケインは、十四行詩や物語詩が好きで、イギリスの詩人ダンテ・ゲーブリエル・ロゼッティに傾倒していた。
その結果、彼はロゼッティの芸術的功績をたたえた論文を書き、その写しをロゼッティに送った。
ロゼッティは喜んだ。
「私の能力をこれほど高く買う青年は、きっと素晴らしい人物に違いない」 ロゼッティは、おそらくそう思ったのだろう──この鍛冶屋の息子をロンドンに呼び寄せて、自分の秘書にした。
これがホール・ケインの生涯の転機となった。
この新しい職につくと、当時の有名な文学者たちと親しく交わることができ、その助言や激励を得て、ホール・ケインは新しい人生へ船出し、のちには文名を世界に馳せることになったのである。
マン島にある彼の邸宅グリーバ・キャッスルは、世界の隅々から押し寄せる観光客のメッカとなった。
彼の残した資産は、二百五十万ドルにのぼったといわれているが、もし有名な詩人に対する賛美の論文を書かなかったとしたら、彼は貧しい無名の生涯を送ったかもしれない。
心からの賞賛には、このようなはかり知れない威力がある。
ロゼッティは自分を重要な存在だと考えていた。
当然のことだ。
人間は、ほとんど例外なく、そう思っている。
世界中どこの国の人間でも、そう思っているのだ。
自分は重要な存在なのだと思うように仕向けてくれる人が誰かいたら、おそらく大勢の人の人生が変わるのではないかと思われる。
カリフォルニアのカーネギー・コースの講師ロナルド・ローランドは美術工芸も教えているが、工芸の初級の生徒クリスの話を次のように伝えている。
クリスは物静かで、内気な、自信のない、したがって目立たない男の子だった。
私はこの初級クラスの他に上級クラスも受け持っているが、上級クラスに進むことは、生徒にとっては大きな誇りであった。
ある水曜日、クリスは自分の机で熱心に作品と取り組んでいた。
彼の心の奥に燃えさかる情熱の火を見る思いがして、私は、強い感動を覚えた。
「クリス、どうだね、上級クラスに入れてあげようか?」。
私の言葉を聞いたクリスの顔は見ものだった。
十四歳の恥ずかしがり屋の感激にあふれた顔! うれし涙を懸命にこらえている様子だ。
「え! 僕を? ローランド先生、僕にそんな力がありますか?」「あるとも。
君には十分それだけの実力があるよ」 それだけ言うのが精一杯だった。
私の目にも涙があふれてきそうになったのだ。
教室を出ていくクリスは、心なしか背丈が五センチばかり伸びたように思われ、私を見る目は輝き、声には自信が満ちていた。
「ありがとうございます。
ローランド先生」 クリスは私に生涯忘れ得ない教訓を与えてくれた。
人間は自分が重要な存在だと自覚したいのだという事実に対する教訓がそれである。
私は〝あなたは重要な存在だ〟と、この教訓を記した標示板をつくり、皆の目につくように、また、私自身が、生徒はそれぞれ等しく重要な存在であることを常に忘れないように、教室の入口に掲げた。
人は誰でも他人より何らかの点で優れていると思っている。
だから、相手の心を確実につかむ方法は、相手が相手なりの世界で重要な人物であることを率直に認め、そのことをうまく相手に悟らせることだ。
エマーソンが、どんな人でも自分より何らかの点で優れており、学ぶべきところを備えていると言ったことを思い出していただきたい。
ところが哀れなのは、何ら人に誇るべき美点を備えず、そのことからくる劣等感を、鼻持ちのならぬうぬぼれや自己宣伝で紛らそうとする人たちである。
シェイクスピアは、そのあたりの事情を「傲慢不遜な人間め! 取るにも足りぬことを種にして、天使をも泣かせんばかりのごまかしをやってのけおる」と表現している。
賞賛の原則を応用して成功を収めた三人の人物を紹介しよう。
三人とも、私の講習会の受講者である。
まず、コネティカットの弁護士の話だが、本人は親戚に対して都合が悪いから、名を出さないでくれというので、仮に R氏としておこう。
私の講習会に参加して間もなく、 R氏は、夫人と一緒にロング・アイランドへ、夫人の親戚を訪問に出かけた。
年とった叔母の家に着くと、夫人は R氏に叔母の相手をさせ、自分は他の親類の家へ行ってしまった。
R氏は、賞賛の原則を実験した結果を講習会で報告することになっていたので、まずこの年老いた叔母に試してみようと思った。
そこで彼は、心から感心することができるものを見つけようと家の中を見まわした。
「この家は一八九〇年頃に建てたのでしょうね」 彼が尋ねると、叔母が答えた。
「そう、ちょうど一八九〇年に建てましたの」「私の生まれた家も、ちょうどこういう家でした。
立派な建物ですね。
なかなかよくできています。
広々として。
……このごろでは、こういう家を建てなくなりましたね」 それを聞くと、叔母は、我が意を得て、うれしそうに相づちを打った。
「本当にそうですよ。
このごろの若い人たちは、家の美しさなんてものには、まるで関心を持たないんですからねえ。
小さなアパートと、それから、遊びまわるために自家用車というのが、若い人たちの理想なんでしょう」 昔の思い出を懐かしむ響きが、彼女の声に加わってきた。
「この家は、私にとっては夢の家です。
この家には愛がこもっています。
この家が建った時、主人と私との長い間の夢が実現されたのです。
設計は建築家に頼まず、私たちの手でしました」 それから彼女は、 R氏を案内して家の中を見せた。
彼女が旅行の記念に求めて大切にしている美しい収集品を見た R氏は、心から賛嘆の声を上げた。
スコットランドのペイズリー織のショール、古いイギリス製の茶器、ウェッジウッドの陶器、フランス製のベッドと椅子、イタリアの絵画、フランスの貴族の館に飾られてあったという絹の掛布などが、そのうちに含まれていた。
家の中の案内が済むと、叔母は、 R氏をガレージへ連れていった。
そこには、新品に等しいパッカードが一台、ジャッキで持ち上げたままになっていた。
それを指さして、叔母が静かに言った。
「主人がなくなるちょっと前に、この車を買ったのですが、私は、この車に乗ったことがありません。
……あなたは物の良さがわかる方です。
私は、この車をあなたに差し上げようと思います」「叔母さん、それは困ります。
もちろん、お気持ちはありがたいと思いますが、この車をいただくわけにはいきません。
私はあなたと血のつながりがあるわけではありませんし、自動車なら、私も最近買ったばかりです。
このパッカードをほしがっている近親の方は大勢おいででしょう」 R氏が辞退すると、叔母は叫んだ。
「近親! 確かにいますよ。
この車がほしくて、私の死ぬのを待っているような近親がね。
だけど、そんな人たちにこの車はあげませんよ」「それなら、中古自動車の店へお売りになればいいでしょう」「売る! 私がこの車を売るとお思いですか? どこの誰ともわからない人に乗りまわされて、私が我慢できるとお考えですか? この車は主人が私のために買ってくれた車ですよ。
売るなんてことは、夢にも思いません。
あなたに差し上げたいのです。
あなたは美しい物の値打ちがおわかりになる方です」 R氏は何とか彼女の機嫌を損なわずに断ろうとしたが、とても、そんなことはできない相談だった。
広い屋敷にただ一人で、思い出を頼りに生きてきたこの老婦人は、わずかな賞賛の言葉にも飢えていたのだ。
彼女にも、かつては若くて美しく、人に騒が
れた時代があった。
愛の家を建て、ヨーロッパの各地から買い集めてきた品で部屋を飾ったこともあった。
ところが、今や老いの孤独をかこつ身となり、ちょっとした思いやりや賞賛がよほど身にしみるのだろう。
しかも、それを誰も与えようとしないのだ。
だから彼女は、 R氏の理解ある態度に接すると、砂漠の中で泉を見つけたように喜び、パッカードをプレゼントしなければ気が済まなかったのだ。
次はドナルド・マクマホンの話である。
ニューヨークにあるルイス&ヴァレンタイン造園会社の庭師の長を務めるマクマホン氏の経験は、こうだ──「講習会で〝人を動かす法〟の話を聞いてから間もなく、私は、ある有名な法律家の屋敷で庭づくりをしていた。
するとその家の主人が庭に出てきて、シャクナゲとツツジの植え場所を指図した。
私は彼に向かって、『先生、お楽しみですね、あんなに立派な犬をたくさんお飼いになっていて。
マディソン・スクェア・ガーデンの犬の品評会で、お宅の犬がたくさんほうびをもらったそうですね』と話しかけた。
このちょっとした賛辞の反響には、驚いた。
主人は、うれしそうに『そりゃあ君、とても楽しいものだよ。
一つ犬小屋へ案内しようかね』と言い出した。
一時間ばかりも彼は自慢の犬や賞牌を次々と見せ、そのうちに、血統書まで持ち出してきて、犬の優劣を左右する血統について説明してくれた。
最後に、彼が『君の家には男の子がいるかね?』と尋ねるので、いると答えると、『その坊やは、子犬が好きかね?』と聞く。
『ええ、そりゃもう、とても好きですよ』と答えた。
すると、彼は、『よろしい、一匹、坊やに進呈することにしよう』と言い出した。
彼は、子犬の育て方を説明しはじめたが、ちょっと考えて『口で言っただけじゃ忘れるかもしれんね。
紙に書いてあげよう』と言い残して、家の中に入っていった。
そして血統書と飼い方をタイプしたものとを添えて、買えば百ドルもする子犬をくれた。
そればかりでなく、彼の貴重な時間を一時間半も割いてくれたわけだ。
これが、彼の趣味とその成果に対して送った率直な賛辞の産物だった」 コダック写真機で有名なジョージ・イーストマンは、いわゆる〝活動写真〟にとって不可欠な透明フィルムを発明し、巨万の富を築いた世界有数の大実業家である。
それほどの大事業を成し遂げた人でも、なお、我々と同じように、ちょっとした賛辞に大変な感激ぶりを見せたのである。
その話を紹介しよう。
イーストマンはローチェスターに、イーストマン音楽学校とキルボーン・ホールとを建築中だった。
ニューヨークの高級椅子製作会社のジェイムズ・アダムソン社長は、この二つの建物に取りつける座席の注文を取りたいと思っていた。
そこでアダムソンは建築家に連絡をとり、イーストマンとローチェスターで会うことになった。
アダムソンが約束の場所に着くと、その建築家が彼に注意した。
「あなたは、この注文をぜひとも取りたいのでしょう。
もしあなたがイーストマンの時間を五分間以上とるようなことをすると、成功の見込みは、まずありません。
イーストマンはなかなかのやかまし屋で、とても忙しい人ですから、手早く切り上げるに限ります」 アダムソンは、言われたとおりにするつもりだった。
部屋に通されると、イーストマンは机に向かって、山と積まれた書類に目を通していた。
やがてイーストマンは、顔を上げて眼鏡を外すと、建築家とアダムソンのほうへ歩み寄って声をかけた。
「おはよう。
で、お二人のご用件は?」 建築家の紹介で挨拶が済むと、アダムソンはイーストマンに向かって言った。
「先ほどから私は、この部屋の立派な出来に感心していました。
こういう立派な部屋で仕事をするのは、ずいぶん楽しいでしょうね。
私は室内装飾が専門ですが、今までこれほど立派な部屋を見たことがありません」 イーストマンが答えた。
「なるほど、そう言われてみると、この部屋ができた当時のことを思い出します。
なかなかいい部屋でしょう。
できた当座は私もうれしかったのですが、近頃では忙しさに取り紛れて、何週間もこの部屋の良さを忘れていることがあります」 アダムソンは、羽目板に近づき、それをなでながら言った。
「これはイギリス樫ですね。
イタリア樫とはちょっと木目が違います」 すると、イーストマンは答えた。
「そうです、イギリスから輸入したものです。
材木のことをよく知っている友人が選んでくれたのです」 そしてイーストマンは、部屋の均整、色彩、手彫りの装飾、その他、彼自身の工夫した箇所など、いろいろとアダムソンに説明して聞かせた。
二人は、手の込んだ部屋の造作を見ながら歩きまわっていたが、窓のところで立ち止まった。
イーストマンが、社会事業として自分の建てた諸施設について、物やわらかな調子で控え目に話し出したのである。
ローチェスター大学、総合病院、同毒療法病院、友愛ホーム、児童病院などの名が挙げられた。
アダムソンは、イーストマンが人類の苦痛を軽減するために彼の財力を活用している理想主義的なやり方について、心から賛意を表わした。
やがてイーストマンは、ガラスのケースを開けて、彼が最初に手に入れたという写真機を取り出した。
あるイギリス人から買い取った発明品である。
アダムソンは、イーストマンが商売をはじめた頃の苦労について質問した。
するとイーストマンは、貧乏な少年時代を回顧して、寡婦の母が安下宿屋を経営し、自分が日給五十セントで保険会社に勤めていたことなど、実感を込めて話した。
貧困の恐怖に日夜つきまとわれていた彼は、何とかして貧乏を切り抜け、母親を安下宿屋の重労働から解放しようと決心したという。
アダムソンはなおも質問を続け、写真乾板の実験をしていた頃の話に耳を傾けた。
事務所で一日中、働き続けたこと、薬品が作用するわずかな時間を利用して睡眠をとりながら夜どおし実験したこと、時には七十二時間、眠る時も働く時も着のみ着のままで過ごしたことなど、イーストマンの話は尽きなかった。
アダムソンが最初イーストマンの部屋に入ったのは十時十五分で、五分間以上、手間取っては駄目だと言われていた。
ところが、すでに一時間も二時間も経過している。
それでもまだ話が尽きないのだ。
最後に、イーストマンがアダムソンに向かってこう言った──「この前、日本へ行った時、椅子を買ってきて家のポーチに置きました。
ところが、日に当たって塗りがはげたので、この間、ペンキを買ってきて自分で塗り変えました。
どうです、私のペンキ塗りの腕前を見てくれませんか?──じゃあ、一度、家のほうへいらしてください。
昼食のあとでごらんに入れましょう」 昼食後、イーストマンは、アダムソンに椅子を見せた。
一脚一ドル五十セントとはしないような椅子で、およそ億万長者に似つかわしくない代物だが、自分でペンキを塗ったというのが自慢なのだ。
九万ドルに及ぶ座席の注文は、果たして誰の手に落ちたか──それは、言うまでもあるまい。
その時以来、イーストマンとジェイムズ・アダムソンとは、生涯の親友になった。
フランスのルーアンでレストランを経営しているクロード・モーレーは、この原則を活用して幹部従業員の辞職を思いとどまらせた。
この従業員は、五年間モーレー氏と二十一人の従業員との間で重要なパイプ役を果たしてきた女性である。
モーレー氏が彼女から書留便で辞表を届けられた時のショックは大きかった。
モーレー氏は次のように報告している。
「私は驚いたが、実はそれ以上にがっかりした。
私としては、いつもこの女性を公正に処遇してきたと信じていたし、その希望はできるだけ満たすように努めてきた。
従業員というよりも友人として扱い、その結果、ややもすると彼女の好意に甘え、一般の従業員に対するよりも苛酷な要求を押しつけていたのかもしれない。
もちろん、納得できる説明がない限りこの辞表は受け取れない。
私は彼女を呼んでこう言った。
『ポーレットさん、あなたの辞表は受け取れませんよ。
わかってください。
あなたは私にとっても、会社にとっても、かけがえのない人だ。
このレストランをうまくやっていくには、私の努力は別として、あなたの協力がぜひとも必要なのだ』。
さらに、私は、全従業員の前で同じ言葉を繰り返した。
次に、彼女を自宅に招いて、家族の前でも、彼女に対する信頼の言葉を繰り返した。
ポーレットは辞表を取り下げた。
私は以前にもまして彼女を信頼し、彼女もよく働いてくれている。
今でも私は機会あるごとに彼女の働きぶりに謝意を表わし、彼女が私とレストランにとってどれほど重要な存在か、彼女自身、悟ってくれるように仕向けている」「人と話をする時は、その人自身のことを話題にせよ。
そうすれば、相手は何時間でもこちらの話を聞いてくれる」──これは大英帝国の史上最高に明敏な政治家の一人、ディズレーリの言葉である。
人に好かれる原則 ❻|重要感を与える──誠意を込めて。
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