通称ク佐藤塾クという勉強会がある。わたしが塾頭をつとめ、地元静岡市の熱心な若手経
営者が集まって、長期計画を実践する会である。
E建設の専務が佐藤塾に入ってきた当時、彼の会社は年商五億円であった。専務の父親が
社長で、失礼ながら旧いタイプの土建屋さんに典型の、毎晩、料亭で酒を飲みながら談合で
仕事をとることが社長業と思い込んでいるような方であった。
息子のE専務は、なんとかこの旧い体質を打破したいと思っているが、おやじも頑固で、「経
験不足のおまえに何が分かるというのか」と取り合ってくれない。時には親子ゲンカまでい
くが、いつも腕力でねじ伏せられてしまう。頑団おやじに対抗するには、とにかく実績をつ
くらなくては、と悶々とする毎日が続いていた。あるときの勉強会で、わたしは、次のよう
にアドバイスした。
「いきなリゼネコンを目指しても、なれるわけがない。そうかといって、社内に設計部門
だけおいて、あとは下請けをどう安く叩くかというのでは、ピンハネ屋だ。どうだろう、何
か製造する、ものを造る、ということを考えては」と。ピンハネ屋とは、ひどいことを言っ
たものだ。それというのも、わたしを慕ってくれて本当に真剣に勉強しているE専務に、わ
たしも本音から忠告したかったからである。まるで若いときのわたしをみる思いであった。
「体質を一新するために、自分のところでものを造る仕事をやれ」というテーマを、専務
は考えて考えて、考え抜いた。あれはどうか、これはどうか、とわたしのところに持ち込む
が、パッとしたものがなかなか見つからない日々が続いた。
頑固社長は、「そんなものがあれば、ワシがとっくに手掛けている。バカなことを考えて
いないで、お前もゼネコンの接待の勉強でもやれ」と白い日である。
しかし専務はあきらめなかった。そして遂に手掛かりをつかんだのである。旧来の工法で
は、冬場になると作業現場でコンクリートを流し込むと凍ってしまって仕事にならない。だ
から、オフとオンのシーズン差が極端でもしょうがないというのが業界の常識であった。そ
こで、コンクリートの柱を工場で造る仕事を考えついたのである。いわゆるプレコンの製造
は、今では珍しいことではないが、当時大手でもようやく着手したころで、しかも地方では
だれも考えていなかった。
結論から言うと、これが大成功し、急激にE建設の体質を変えていったのだ。もちろん成
功するまでにはさまざまな苦労も紆余曲折もあった。しかし、季節変動を解消し、設計部と
工場が一体となってプレコンの規格統一を図るなどして、付加価値が飛躍的に向上し、もは
や談合によるピンハネ屋などと呼ばれるいわれのない事業へと脱皮したのであった。さしも
の頑固おやじも、息子の実績には兜を脱がぎるをえなかった。やがてE専務は、父親の後を
継いで社長に就任、プレコンによるアパートの建設の大手として、全国に商圏を広げ、会社
をさらに大きく伸ばしていった。
現在のE建設は、売上高六〇〇億円を超え、毎年発表される申告所得ランキングで、つい
にわたしの会社を追い抜いたのであるから、まさに「出藍の誉れ」というべきであろう。
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