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9割がバイトでも最高の成果を生み出すディズニーのリーダー【改訂】

◉目次

プロローグ

いくつもの試練を乗り越えてきた東京ディズニーランド!

CHAPTER1→「マネジメントリーダー」とは何か

01人を導き、成果を生み出す

ディズニーの〝課長〟は大企業の経営者並み/「マネジメントリーダー」とは誰のことか/マネジメントリーダーの4つの条件

02「業績」よりも「人」を重視・優先する

ディズニーでいちばん魅力のあるアトラクションはキャスト!/なぜディズニーのキャストは手を抜かないのか/業績を伸ばすのは「人」

03部下を「堂々と」よく見る

キャストにしっかり注意するディズニーのリーダー/注意するときの2つのステップ/リーダー間で基本的見解を一致させる/パーク内に寝泊まりしていたウォルト・ディズニー

04部下と緊密にコミュニケーションをとる

「部下との時間」を常に大事にする/ミーティング、面談を活用する

CHAPTER2→自分の「マネジメントリーダー力」を伸ばす

01まず自分を振り返ってみよう!

部下と苦楽を共にするディズニーのリーダー/部下から信頼されているかどうかを知る方法/自分を知ることがレベルアップにつながる/こうすれば自分を知ることができる

02「どうすればできるか」思考で行動する

ディズニーで「できない」は禁句!/「できない」のではなく「やっていない」

03部下に「ストローク」を与える

部下がつらいときにこそ「声をかける」ディズニーのリーダー/ストロークが部下のやる気を高める

04「自分の目」で判断・評価する

うわさを信じ込んだリーダーの失敗/うわさは「信用しやすい」ので要注意!

05流ちょうでなくてもいいから「熱く語る」

「兄ちゃん、頑張ってるなあ!俺も頑張るから!」/ヘタでも本気で伝えれば、必ず伝わる/伝えたい言葉を文章にしておく

06必ず理由を伝える

「弁当持ち込み禁止」をゲストに伝え続けたキャスト/ゲストに不快に思われない伝え方/優先順位があれば、理由を説明しやすい

07怒りはコントロールし、厳しく叱る

ディズニーでは、たとえ個人的な事情があっても厳しく叱る/叱るときは、この3つのポイントを押さえる/怒りをコントロールする方法

08部下同士の〝ケンカ〟を解消する

新人正社員とアルバイトが大ゲンカ!/ケンカ状態を解消する3つのステップ

09他部署と〝ケンカ〟する

ディズニーでは小雨が降ると2つの部署が〝ケンカ〟する!?/〝ケンカ〟でもディズニー哲学を伝える

CHAPTER3→「マネジメントリーダー力」で部下を伸ばす

01部下の力を活かす

キャストと共に考えるディズニーのリーダー/自分流を押しつけない

02部下への対応を改善する

対応を変えたとたん、キャストの行動が変わった/部下への対応を改善するのはカンタン!

03部下の気持ちに寄り添う

「大丈夫だよ。いちばん責任を感じてるのは、お前だろ」/「やっぱり、カヌーは疲れるんだね。頑張ってくれて、ありがとう」

04企画立案段階から参画させる

エレクトリカルパレードの誘導法を考案したのはキャスト!/キャストが参画するメリット

053つのステップを踏んで提案を受け止める

積極的に提案するディズニーのキャストたち/提案を受容する3つのステップ

06時間を捻出し、有効に活用させる

「部下に十分な時間を与えなければ損をする!」/ミーティングを支援するときのポイント/失敗を財産に変えるディズニーのキャスト

07部下に権限を委譲する

ディズニーでは権限委譲が当たり前!/なぜディズニーでは権限委譲がスムーズに行えるのか/部下に権限を委譲するときの3つのポイント

08失敗を成長につなげる

ディズニーには失敗を未然に防ぐ「しくみ」がある/失敗した部下とその原因・改善策を考える

09部下のモチベーションを高める

正社員への道を拒み、アルバイトであり続けるキャストたち/ポストやカネによるモチベーションは長続きしない/人間関係がモチベーションを維持するカギ!/よい人間関係が根づいた職場は変化に強い

CHAPTER4→成果を伸ばす「しくみ」をつくる

01自信を持たせる「教育のしくみ」をつくる

ディズニーのトレーニングは「マンツーマン」が鉄則!/ディズニー式「マンツーマン」トレーニングのメリット/トレーニング・研修の成果を「最終テスト」で確認する/部下が自信を持つことのメリット/新人キャストを職場に配置するときの3つのポイント

02「成長に合わせて対応するしくみ」をつくる

ディズニーでは、キャストの経験・成長に応じて対応する/「入社後6カ月未満のキャスト」への対応は?/「入社後6カ月~1年のキャスト」への対応は?/「入社後1~3年のキャスト」への対応は?/「入社後3年以上のキャスト」への対応は?

03「やる気が出るしくみ」をつくる

ディズニーの表彰は投票数では決まらない/なかなか浸透しなかったディズニーの表彰制度/表彰制度を浸透させた3つの対策/表彰制度をつくるときの注意点

04疎外感を抱かせない「情報のしくみ」をつくる

トップ情報もアルバイトに伝える/1人のアルバイトの現場情報を全員で共有する

05部下を「癒すしくみ」をつくる

退職する仲間の労をねぎらうキャストたち/部下にサービスを提供する方法

06今すぐ職場状況をチェックしよう!

問題点があれば、今すぐ改善しよう

おわりに

オープン前に流れた「1年でつぶれる!」という悪評2013年4月15日、東京ディズニーランドはオープン30周年を迎えました。

この間、東京ディズニーランドは、アトラクションやキャラクター、イベントショーの魅力をゲスト(お客様)に提供し続けてきました。

そして、今では、ゲストに対するサービス、ホスピタリティレベルの高さを維持し続けることによって多くのリピーターを生み出し、テーマパークとして世界トップクラスの入園者数を誇り、「テーマパークとしての〝おもてなし〟世界一」という評価を得ています。

このような東京ディズニーランドの不況とは無縁の姿を見て、「東京ディズニーランドは特別なんだよ」と、東京ディズニーランドが今日まで順風満帆に歩んできたと思っている人が少なくありません。

東京ディズニーランドを訪れると、すべてのキャスト(正社員及びアルバイト)が笑顔で接してくれることもあり、そう思う人が多いのも当然かもしれません。

しかし、実際には、東京ディズニーランドもまた、ほかの多くの企業と同じように大きな壁や試練に直面してきたのです。

たとえば、オープン前には「成功するはずがない。

すぐに閉園に追い込まれるよ」といった悪評にさらされました。

私自身も、オープン前の1982年暮れ、オリエンタルランドの正社員採用試験の最終面接を終え、乗った帰りのタクシーで、運転手さんからこう告げられた記憶があります。

「オリエンタルランドか~。

就職するのはどうかな。

やめたほうがいいかもね。

東京ディズニーランドは1年でつぶれるらしいよ」追い打ちをかけるように、「土地転がしではないか?」といった噂も立ちました。

とにかく当時のオリエンタルランドの評判は、大変悪かったのです。

東京ディズニーランドがオープンしてからも、この本でご紹介するようなさまざまな試練に直面してきました。

テーマパークとして世界トップクラスの入園者数を維持し、「テーマパークとしての〝おもてなし〟世界一」に至る道のりは、決して平坦なものではなかったのです。

そして、もちろん、悪評に惑わされず、さまざまな試練を乗り越えたからこそ、今の成功があります。

では、なぜ悪評や試練を乗り越えることができたのでしょうか。

なぜアルバイトや正社員といったさまざまの立場のスタッフが一丸となって、最高の成果を生み出すことができたのでしょうか。

それは、責任あるポジションに就くリーダーたち、つまり「マネジメントリーダー(くわしくは「CHAPTER1」で解説します(※こちらを参照))」たちが、●それぞれの立場で自分の役割を自覚し果たしてきた●試練を乗り越えるために一生懸命考え行動してきた●アルバイトを含む自分の部下たちを信頼しリードしてきたからです。

すなわち、マネジメントリーダーたちがリーダシップを発揮し、アルバイトはもちろん一般正社員たちを導き行動したからこそ、試練を乗り越えることができたのです。

その一例を、私が入社した30年前、東京ディズニーランドがオープンした当時からピックアップしてみましょう。

「手抜きは一切するな!」と、社長自ら資金調達に奔走!東京ディズニーランドをオープンさせるためには、多額の資金を必要としました。

しかし、日本初のテーマパーク建設に、金融機関が簡単に融資するはずもありません。

そこで、当時の高橋政知社長は、土地の利用について千葉県と交渉し「一部宅地として転売可能」という約束をとりつけました。

担保価値を高めないことには、金融機関から資金を調達できなかったからです。

当然、それは、宅地に転売されるリスクを背負い込むことでもありました。

前述したように、当時、マスコミからは「数年後には、宅地として転売されるだろう」とずいぶん叩かれました。

それでも、高橋社長は「とにかく、よいものをつくろう」と手抜きを一切許さず、自ら資金調達に奔走したのです。

この高橋社長の姿は、最高のショーを提供するためには一切妥協しない天才ウォルト・ディズニーの姿勢と共通するものといえるでしょう。

ただ、このため、当初予定していた資金の3倍近い1800億円もの資金が必要となりました。

当然、そのほとんどを借金で賄わなければなりませんでした。

ここまでは、どこの組織でも見られる光景かもしれません。

高橋社長がユニークなのは、この後です。

100円玉の入った大入袋を全キャストに配る1983年4月15日、社長以下経営陣の努力が実り、東京ディズニーランドはオープンしました。

しかし、客足は伸びませんでした。

土日こそ、多くのゲストが訪れましたが、平日は2

000~3000人のゲストしか入園しないことも決して珍しくありませんでした。

一方、前述したように、多くの負債を抱えてのスタートです。

経営者としては、1円でも支出を抑えたいところです。

にもかかわらず、高橋社長は、1日3万5000人以上(私の記憶が正しければ……)の入園者があった日は、アルバイトも含めたすべてのキャストに、100円玉の入った大入袋を配ることにしました。

支出によるマイナス面よりも、多くのゲストが入園した喜びをキャスト全員で分かち合い、明日の糧にするプラス面を重視したのです。

ただ、問題がありました。

それは、袋詰め作業です。

「大入袋」と白抜き文字の入った朱色の袋に100円ずつ入れ、糊で封をするのです。

その数1万袋ですから、大変な作業です。

十数人ほどの経理部のキャストがその作業に当たるのですが、当然、経理部から〝泣き〟が入りました。

そのとき、高橋社長は、こう言ったそうです。

「みんなで稼いだお金じゃないか。

特に現場で働いているキャストは、頑張ってくれているんだよ。

ちょっとした感謝の気持ちじゃないか。

力を合わせてやろうよ」社長の心意気に経理部のキャストが応えたことはいうまでもありません。

社長の目論見はみごとに当たりました。

中身はたったの100円でも、大入袋を手渡されると、すべてのキャストの頰がゆるみました。

100円玉に込められた経営陣の感謝と励ましのメッセージを感じとることができたからです。

もちろん、多くのゲストに入園していただいたことによる嬉しさや充実感も覚えました。

同時に、その気持ちをすべてのキャストで共有できる喜びもありました。

「明日も頑張るぞ」というやる気にもつながりました。

中身はたったの100円でも、開封したとたん、喜びや充実感、やる気でキャストの心をいっぱいにするものがぎっしり詰まった、まさに「大入袋」でした。

この大入袋は、オープンして3年間くらい続いたでしょうか。

ただ、ちょうど大入袋キャンペーンが終わった頃に、そのこととは関係なく、やっかいな問題が起こりました。

昇進を断った先輩キャスト私は、東京ディズニーランドオープン以降、ジャングルクルーズに配属されていました。

当時、ジャングルクルーズの現場は44人の正社員と、「ワーキングリード」と呼ばれる現場責任者によって構成されていました。

藤島(仮名)さんは、6人のワーキングリードの1人でした。

私には、藤島さんとの忘れられない思い出があります。

ジャングルクルーズのブース(当時のチケットカウンター)には、非常放送用のボタンと、ゲストが並ぶエリア(「キューエリア」と呼びます)に放送を流すボタンの2つがあります。

非常放送用のボタンはあくまでも緊急事態用です。

この非常放送用のボタンを押してスピールを行うと、ショーのオーディオが止まり、ジャングルクルーズ全体に放送が流れるため、通常の運営中は決して押すことはありません。

ちなみに「スピール」とは、キャストが、並んでいる間もゲストに楽しんでもらう、あるいは注意を呼びかける、ショーの開始を知らせるアナウンスのことです。

ある日の運営中、私は並んでいるゲストを楽しませるため、キューエリアにスピールすることにしました。

ところがその際、間違えて非常放送用のボタンを押してしまったのです。

そのため、ショーのオーディオがすべて止まった状態のなかで、「凶暴なゴリラが周辺に現れたという情報が入りました。

皆さんの周囲にゴリラはいませんか」という私のスピールが、ジャングルクルーズ全体に流れてしまったのです。

近くにいたキャストが仰天し、すぐに止めに入ってくれましたが、私にとっては、まさに〝非常事態〟でした。

当然、ジャングルクルーズの責任者のマネージャーに始末書を提出しなければなりませんでした。

そのとき、藤島さんは、「福島さん、ゴメンね。

上司である私のミスだよ。

非常放送用ボタンが簡単に押せないような工夫が必要だったね。

一緒にどうすればいいか考えよう」と言い、私と一緒に始末書を提出してくれたのです。

また、後日、非常放送用ボタンの上にプラスチック製の四角のケースを取り付け、ケースを上げないとボタンが押せないように改善してくれました。

このエピソードからもわかるように、藤島さんは、部下が失敗しても全部自分で責任を持つ一方、その失敗を必ずフォローしてくれました。

また、指示・命令が的確なのはもちろん、部下の意見を取り入れる柔軟性や、それを実現するために他部署とやり合う勇猛さも備えていました。

そんな藤島さんが、部下のキャスト全員から慕われていたことはいうまでもありません。

もちろん、上司のマネージャーも、藤島さんが非常に有能であることを知っていました。

ある日、マネージャーから、藤島さんに打診がありました。

「ジャングルクルーズだけでなく、ほかのアトラクションにも携わってみないか。

ワーキングリードではなく、ワンランク上のポジションで」昇進の打診でした。

ふつうなら「はい、ありがとうございます」と快諾するでしょう。

ところが、藤島さんは、首をタテに振らなかったのです。

というのも、藤島さんには、東京ディズニーランドオープン時のジャングルクルーズのキャスト(当時、私たちは「オープニング・クルー・キャスト」と呼んでいました)として、同僚たちと苦楽を共にしながら、ゲストにエンターテイメントを提供してきたというプライドがありました。

同時に、ジャングルクルーズの仕事への愛着もありました。

もちろん、ほかのキャストもそれは同じでしたが、キャストを直接引っ張ってきたワーキングリードのプライドと、その職への愛着は特に強かったのです。

しかし、異動を拒否し続けることは、組織人として不可能です。

結局、藤島さんは、「ジャングルクルーズで仕事ができないのであれば、辞めます」と言って退職してしまいました。

続々と辞めていく正社員の穴をアルバイトが埋める実は、藤島さんと同じような理由で退職したキャストが、ジャングルクルーズ以外のアトラクションでも少なくありませんでした。

また、大きな負債を抱えてのスタートで給料が抑えられていたこと、加えて、まだ「テーマパーク」という考え方が一般に普及・浸透しておらず、大規模な遊園地のようにとらえられがちで、キャストが将来に不安を感じたこともあるのでしょう。

オンステージ、バックステージを問わず、多くの正社員が退職していきました。

当時、辞めた正社員を補充する目的も兼ねて採用された正社員が年間500~700人もいました。

いかに多くの正社員が辞めていったかおわかりいただけるでしょう。

当然、オンステージでは、退職した正社員の穴を埋めなくてはなりませんでした。

そこで、白羽の矢が立ったのが、アルバイトのキャストです。

つまり、それまで正社員が行っていた仕事をアルバイトに移行させることになったのです。

たとえば、当時「ビッグ5」と呼ばれていたスペース・マウンテン、イッツ・ア・スモールワールド、ホーンテッドマンション、ジャングルクルーズ、カリブの海賊の5つのアトラクションは、正社員がすべてを担当していましたが、そのほとんどの仕事をアルバイトに切り替えていくのです。

当然、アルバイトの研修やトレーニングを担当するキャストや、職場のマネジメントリーダーたちに大きな負担がかかりました。

基本的に、ディズニーでは、1人のトレーナーが1人の新人キャストを相手にトレーニングを行います(くわしくは「CHAPTER4」で解説します(※こちらを参照))。

しかし、この時期は、1人のトレーナーが、2~3人の新人キャストを相手にせざるを得ませんでした。

もちろん、トレーニング日数を増やすことはできません。

そのため、トレーナーはさまざまな工夫を凝らしてトレーニングに当たりました。

その努力のかいあって、多くの新人がデビューし、オンステージのサービスやショーのクオリティ(品質)レベルを維持することができました。

この試練はメリットももたらしました。

より合理的なトレーニング方法の開発や新人アルバイトの教育を先輩アルバイトが担当するトレーナー制度の設置など、トレーニングシステムの改善・整備につながり、拙著『9割がバイトでも最高のスタッフに育つディズニーの教え方』で解説しているような教育メソッドへと進化していきました。

残業に応じてくれたアルバイトたちオンステージの仕事を正社員からアルバイトに移行することになったと前述しましたが、実は、ここでも大きな問題がありました。

肝心のアルバイトがなかなか集まらなかったのです。

特に、当時、私が所属していたジャングルクルーズやカヌーは、精神的にも肉体的にも重労働ということもあり、ほんとうに人が集まりませんでした。

そのため、アルバイトに残業を依頼せざるを得ないこともたびたびありました。

もちろん、学業で忙しい学生のアルバイトもいました。

彼らに残業を頼むのは、ほんとうにつらいことでしたし、断られても仕方がありませんでした。

しかし、幸いにも、多くの場合、アルバイトたちは残業に応じてくれました。

そのおかげで、危機を乗り切ることができたのです。

なぜ自分の都合や予定もあるはずの彼らが東京ディズニーランドの危機を乗り越えるために、自ら〝犠牲〟になることを惜しまず、心を一にして頑張ってくれたのでしょうか。

それは、オープンして数年後とはいえ、風通しのよい職場風土を通じて現場のリーダーとアルバイト・一般正社員との間に信頼関係が育まれていたからです。

たとえば、ワーキングリードは〝親〟のようでありたい、一般正社員は〝兄貴〟のようでありたいといった気持ちで、アルバイトのキャストたちと接していました。

そして、その気持ちがアルバイトたちにも通じていたからこそ、ついてきてくれたのでしょう。

もちろん、研修やトレーニングを通じて、ディズニーのゲストを第一に考える姿勢やディズニーのキャストとしての誇りを共有していたことも大きな要因でしょう。

折しも、オープン3年目の1985年には、つくば科学万博が開催されることになり、ほとんどのマスコミが、人々の関心が万博に向かい、東京ディズニーランドの入園者数は激減するだろうと予測し報道していました。

しかも、ディズニー内部では、前述したように、正社員の退社、アルバイト不足など大きな問題を抱えていました。

しかし、経営陣をはじめ、マネジメントリーダーたちに引っ張られ、キャスト全員が自分たちの役割を果たした結果、大方の予測を裏切り、万博開催との相乗効果も生まれ、万博開催中は、逆に入園者数が伸びる現象も起きました。

最高の成果を生み出す「マネジメントリーダー力」を体得しよう!どのような業種・業態であれ、試練を経験しない組織はありません。

事業開始前後は特に大きな試練に見舞われるものです。

東京ディズニーランドも例外ではありませんでした。

その試練に押しつぶされるか、試練を乗り越えステップアップさせた状況をつくり出すことができるかは、経営陣はもちろん、各部署・職場のリーダー、つまりマネジメントリーダーがいかに的確に手腕を発揮するかにかかっています。

一般社員では、権限や能力に限りがあり、すべての試練を乗り越えることはできません。

なかでも、多くの社員と直接かかわるフロントライン(現場レベル)のマネジメントリーダーの責任と役割は重要です。

では、フロントラインのマネジメントリーダーは、どう考え、どう行動すればよいのでしょうか。

この本は、9割をアルバイトが占める東京ディズニーランドのフロントラインを中心に「マネジメントリーダー力」とは何かをわかりやすく解説しています。

また、単なる知識の伝達というよりも、マネジメントリーダーとして自分が持っている強みを発見し、その強みをどんどん発揮するために必要なことは何かについて、さまざまなエピソードを盛り込むことで〝体感・体得〟していただくことを狙いとしています。

それは、あなたの組織・職場でも大いに役立つはずです。

本書を読んで、マネジメントリーダー力を確実にアップさせ、より大きな成果に結びつけていただければ幸いです。

この本のポイントCHAPTER1「マネジメントリーダー」とは何かマネジメントリーダーとは誰か、どのような役割・責任を持つかをあきらかにし、マネジメントリーダーとして必要な考え方・姿勢について解説します。

CHAPTER2自分の「マネジメントリーダー力」を伸ばすマネジメントリーダーとして、部下から信頼され、自分の能力を伸ばすために必要なことについて解説します。

CHAPTER3「マネジメントリーダー力」で部下を伸ばすマネジメントリーダーとして、部下の立場・気持ちを踏まえながら、部下のやる気を高め能力を伸ばすために必要なことについて解説します。

CHAPTER4成果を伸ばす「しくみ」をつくるマネジメントリーダーとして、部下に自信を持たせ部下の状況に応じて行う教育・指導のしくみや方法、部下の心身をケアするしくみや方法について解説します。

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