社長として、会社としての使命感を固める。それには技術が要る。しかし、その技術の前に「芯」が要る。そのみずからの「芯」を太く強くするために、有形無形の修業をどれほど積んでいるだろうか。自問自答を繰り返し、絶えずみずからを叱り続けているだろうか。
――十人十色というように、組織の中では好みも性格も違う人たちが相寄って仕事をしています。
そんな人たちを束ね、力強い指導を行なっていくために、最も大切なものは何であると松下さんはお考えでしょうか。
松下
その人、その人の感覚によってそれは違うでしょうが、やはり、その会社の使命感に立つということが大事でしょうな。もちろん社長個人の使命感と会社の使命感とが一致しなければいけない。そういうものがなければ、力強い指導はできないですね。
ぼくでも、最初は飯を食うために働いたにすぎなかった。しかし、一年、二年たつに従って、また、人が十人、二十人集まってくるに従って、だんだん考えざるをえなくなってきた。
年じゅう、なんとなしに働いていたのではすまん気がして、これではいかん、一つの理想というか使命というか、そういうものが、ぼく自身ほしくなった。
ぼく自身を鞭撻するためにも、また社員に話をするためにも、そういうものをもたなければ始まりませんものね。
だから、必要に迫られて、そういう気分が生まれてきた。その気分がだんだん成長したわけですね。
われわれは産業人ですから、会社の定款にうたってあるような会社の筋道に従って、使命感を固めればいい。
しからば、具体的にこれをどう固めるかという問題になるが、それはその人の技術になりますな。
しかし、その技術の前に芯が要る。その芯は太いほどいい、強いほどいいと、こうなりますね。「私はこういう使命をもっているんだ」と言っても、それが口先だけの使命では、どうにもなりませんな。
人間というものは、どうでしょうか。
人に向かって強いことを言う、「わしはこうなんだ」と強いことを言う人ほど、絶えず心のうちでは煩悶していると私は思いますね。
一休さんみたいに偉い人やったら、裏表なく徹底しているかもしれませんが、そこまでいける人はまずないでしょうな。
われわれ凡人はそこまでいけないから、絶えず自問自答して、「しっかりせよ。しっかりしなくてはいけない」と、自分に言って聞かせている。
ともすればぐにゃっとなる気持ちを、自分で叱りつけているわけですよ。
社員に、「きみ、こういうことではいかんよ」と立派なことを言っている人でも、本人がそれ以上のものをもっているかというと、さにあらずですわ。人間というのはそういうものだと思います。
けれども、そういうことを、常日ごろ自分に言い聞かせていれば、何か事があったときに、パッとはっきりしたものがもてる。
それを終始一貫もち続けるということは、なかなかむずかしいですよ。まあ人生というのは修業ですね。しかし、かたちのある修業もあれば、まったくかたちのない修業もある。いつも頭にはっきりしたものをもっている人は、修業ができているから正道を歩んでいますよ。
〔一九六九〕
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