高い所得をもたらす性格とは? 内向的な脳と外向的な脳 セロトニンとうつ病 楽観的な脳・悲観的な脳 敏感と鈍感の進化論 日本のリベラルは睾丸が小さい? なぜ日本人は子どもとまちがえられるのか? 日本人は「ひ弱なラン」 咲ける場所に移りなさいあとがき註釈:参考文献
6 「置かれた場所」で咲く不幸──ひ弱なラン アジア系アメリカ人の IQは白人とほぼ同じだが、医師、科学者、会計士などの専門職についている割合が白人より高く、これがアジア系の世帯年収が白人より 25%も高い理由だとされている。知能とは別に、努力、勤勉、信頼性などの要素(自己コントロール力)が付加価値になっているのだ。──ようするに、真面目に頑張れば報われるという話だ。 このようにしてアメリカでは、社会的・経済的に成功するためには認知スキル(知能)だけでなく性格スキル(やる気)も必要だとされるようになった。 高い所得をもたらす性格とは? 経済学者のジェームズ・ヘックマンが就学前教育の重要性を説いたのは、「認知スキルは 11歳ごろまでに基盤が固まる」からだった。しかしこれは逆にいうと、「それ以降はなにをしても知能は伸びないのだから、教育に税を投入するのは無駄だ」ということになる。 この批判はきわめて強力で、行動遺伝学のエビデンスとも整合的だから、安易に退けることはできない。こうしてヘックマンは、仕事に必要な性格スキルを養成することの重要性を説くようになった。認知スキルと同様に性格スキルの形成にも幼年期がもっとも重要だが、性格スキルは 10代以降でも伸ばせるので、青年時の矯正は性格スキルに集中すべきだというのだ。 このことは、性格の遺伝率(約 50%)が知能の遺伝率(約 80%)より低く、そのぶんだけ環境の影響を受けやすいという行動遺伝学の知見からも裏づけられる。性格ももちろん親から受け継いでいるが、訓練によって伸ばすことが(知能よりは)期待できるのだ。 心理学では人格の「ビッグ・ファイブ」を開放性、真面目さ、外向性、協調性、精神的安定性としているが、これらの性格と仕事の成果(業績)の関係をみると、すべての仕事においてもっとも影響が大きいのは真面目さで、次いで外向性、精神的安定性となっている。「真面目で明るく、落ち着いている」ひとは、どんな職場でも信頼されるのだ(図表 8)。
外向性(社交性・明るさ)が高い影響力をもつのは管理職・営業職など対人関係が必要な業種で、学者・医者・弁護士などでは相関係数がマイナスになっている。専門職は内向的なほうが成功しやすい。 協調性については、日米で際立ったちがいが観察されている。日本の場合、男性では年間所得と協調性が正の相関関係なのに対し、アメリカでは男性、女性ともに負の相関関係になっているのだ【 80】。 これをわかりやすく解釈すると、アメリカでは協調性がない =個性的なほうが高い所得を得られるが、日本の会社は個性を押し殺して滅私奉公しなければ出世できず、しかもこの努力が報われるのは男だけで、女性社員がいくら組織に協調(奉公)してもムダ、ということになる。 開放性は仕事の成果に対する影響がもっとも低いが、これは「ネオフィリア(新奇好み)」のことで、クリエイティブな仕事には必須のスキルだ。なんにでも強い好奇心をもち、経験に対して開かれていなければ、斬新なアイデアなど出てこないだろう。 このようにしてみると、アメリカ社会でなぜ東アジア系が経済的に成功しているかがわかるだろう。 日本人・中国人・韓国人は(白人と同程度に)知能が高く、性格的に真面目で内向的だから、ポジティブ志向のアメリカ社会ではリーダーにはなれないかもしれないが、賃金の高い専門職にもっとも向いているのだ。 内向的な脳と外向的な脳 発達心理学者のジェローム・ケーガンは、生後 4カ月の赤ちゃんを 45分間観察するだけで、将来、外向的になるか内向的になるかを予測できると豪語した。これを証明するために、ケーガンは 500人の赤ちゃんに、録音した声を聞かせたり、色鮮やかなモビール(紙やプラスチックを吊るしたオモチャ)を見せたり、先端をアルコールに浸した綿棒を嗅がせたりした。 こうした未知の刺激に対し、全体の 20%の赤ちゃんは手足をばたつかせて元気よく泣き、 40%はときおり手足を動かすもののさほど大きな動きはしなかった。ケーガンは、これを「高反応」と「低反応」に分類した(残りの 40%はその中間)。 その後、同じ赤ちゃんが 2歳、 4歳、 7歳、 11歳のときに研究室に呼ばれ、ガスマスクをかぶって白衣を着た女性や無線で動くロボットなど、見知らぬひとやはじめての体験に対する反応をテストされた。 この実験でケーガンは、子どもたちの成長に一貫した傾向があることを発見した。生後 4カ月の赤ちゃんのときモビールを見て泣き騒いだ「高反応」の子どもの多くは思慮深く慎重な性格になり、手足をあまり動かさなかった「低反応」の子どもの多くはおおらかで自信家に成長したのだ。 ケーガンは、子どもたちの心拍や血圧、指先の温度や神経系のさまざまな数値を測定し、「高反応」と「低反応」のちがいは大脳辺縁系の奥に位置する扁桃体にあると考えた。扁桃体は脳内の感情スイッチの役割を担っており、その機能のひとつは、外界の新しいものや脅威になるものの存在を素早く感知し、瞬間的に闘争/逃走反応の引き金を引くことだ。「高反応」の子どもは生まれつき扁桃体が興奮しやすく、外界からの刺激に強く反応するため、成長すると初対面の人間に対して用心深く接するようになる。それに対して「低反応」の子どもは扁桃体が興奮するのに強い刺激が必要で、成長すると見知らぬひとに会っても動じなくなる。 だがケーガンの研究は、「高反応」が内向的な恥ずかしがり屋で、「低反応」が社交的・外交的だといっているわけではない。扁桃体は、アルコールを含ませた綿棒や破裂した風船に対しても同じような反応をするからだ。内向的なのは人間ぎらいではなく、ひとであれモノであれたんに刺激に敏感なだけなのだ。 ケーガンの実験は、「高反応」の子どもがただ怯えているわけではないことも示した。 カードを 1枚見せ、次に似たような絵柄のカードを 6枚見せて、同じ絵柄のカードを選ばせると、「高反応」の子どもたちは決定を下す前に時間をかけて選択肢を比較し、「低反応」の(衝動的な)子どもよりも正答率が高かった。彼らは絵柄のちがいを見分けるために時間をかけていただけだった【 81】。 アメリカの文化人類学者エドワール・ホールは、言葉に表現された情報のみが意味をもつコミュニケーションを「低コンテクスト」、言外の意味やニュアンスを大事にするコミュニケーションを「高コンテクスト」と呼び、前者の典型をドイツ語、後者の典型を日本語だとした。この分類を使うならば、刺激に対して敏感な(高反応の)脳は、微妙なニュアンスや複雑な感情を読み取らなければならない「高コンテクスト」の社会に向いているのだ。 セロトニンとうつ病 セロトニンはドーパミンなどとならぶ脳内の重要な神経伝達物質のひとつで、「ハッピーケミカル」と呼ばれるように、気分の安定に重要なはたらきをすることがわかっている。 セロトニンの機能がうまくはたらかないと不安症や抑うつ症に陥るという原理を応用したのが、現在、世界じゅうでもっとも使われている抗うつ剤 S SRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)だ。脳内で合成されたセロトニンがニューロンに取り込まれて分解されないよう、受容体に蓋をすることで(再取り込み阻害)、脳内のセロトニン濃度が上がってうつが寛解するとされている。 日本人のあいだでうつ病が多いことは広く知られており、「うつは日本の風土病」という精神科医もいる。「真面目」「几帳面」「責任感が強い」「周囲の目を気にする」「人間関係のトラブルを嫌う」などの日本人の典型的な性格は、ドイツの精神医学者テレンバッハが提唱したうつの病前性格「メランコリー親和型」そのものなのだ【 82】。 しかしなぜ、日本人は「メランコリー親和型」なのか。そのもっとも説得力のある仮説は、「脳内のセロトニン濃度が生得的に低いから」だ。 セロトニンを運搬する遺伝子(セロトニントランスポーター)には L型と S型があり、この遺伝子が組み合わされて、「 LL」「 SL」「 SS」という3つの遺伝子型が決まる。 L型の(長い)遺伝子はセロトニンを運搬する能力が高く、 S型の(短い)遺伝子は運搬能力が低い。すなわち、 LL型の運搬遺伝子をもつひとは脳内のセロトニン発現量が多く、 SL型、 SS型とセロトニン濃度が低くなっていく。 セロトニン運搬遺伝子の型は、人種によって大きく異なることがわかっている。傾向としてはアフリカ人に LL型が多く、白人、アジア系と少なくなる。図表 9を見ればわかるように、とりわけ日本人は LL型保有者が 4%と世界でもっとも少なく、 SS型の保有者は 65・ 3%と世界でもっとも多い【 83】。日本人の 96%が S型の保有者であり、 3人に 2人が SS型で脳内のセロトニン発現量が少なく、不安感や抑うつ傾向が強い。これが、うつを日本の「風土病」にしているのかもしれない。──同様の傾向は中国や韓国も同じで、ここからいずれの国でもうつ病や自殺が大きな社会問題になっていることが説明できるだろう。
意志力や自制心にはさまざまな心理的要因があるだろうが、たしかなのは、不安感が強い人間は将来を心配し、そのため現在の快楽を先延ばししようとすることだ。東アジア系は遺伝的・生得的に脳内のセロトニンが少ないことで不安を抱きやすく、強いストレスにさらされるとうつ病を発症するが、その代償として必死に勉強し、真面目に働いて倹約にいそしむことで、アメリカ社会で経済的な成功を手に入れたのだ。 楽観的な脳・悲観的な脳「セロトニンの運搬量が少ない S型の遺伝子がうつ病を引き起こす」というのは強力な仮説だが、ここには大きな疑問がある。進化の過程では L型の遺伝子が先にあり(だからアフリカ人に多い)、その後、 S型の対立遺伝子が登場したが、これだとヒトはうつ病になるよう進化したことになってしまうのだ。 同様の疑問は、セロトニン運搬遺伝子の型が「楽観的な脳(サニー・ブレイン)」か「悲観的な脳(レイニー・ブレイン)」かを決めると主張したオックスフォード大学感情神経科学センターのエレーヌ・フォックスを悩ませていた【 84】。 そこでフォックスは学生の楽観性尺度を調べたのだが、これまでとまったく異なる結果に困惑することになる。 SL型(実際にはそれと同じ効果をもつ遺伝子型だが簡略化する)の遺伝子をもつ学生は、 LL型の遺伝子をもつ学生よりもむしろ楽観の度合いが高かったのだ。さらに驚いたことに、回答の結果、全体のなかでもっとも楽観的傾向が強かったのは SS型の遺伝子型をもつ学生だった。 SS型がストレスによって抑うつ状態になりやすい脆弱性をもっていることは、数々の実験で確かめられている。ところがその SS型が、もっとも楽観的だった。なぜこのような矛盾した結果が出るのだろうか。 それを知るためにフォックスは、次のような実験を行なった。 ポジティブな画像とネガティブな画像を同時に見せられ、それが消えたあとにどちらかの側に印が現われる。被験者はこの印をできるだけ素早く見つけてボタンを押すのだが、じつはこの実験にはちょっとした細工がほどこされていて、何人かの被験者には嫌悪をもよおす画像(若い女性が首にナイフを突きつけられている)のあとに印が現われ、別の被験者には幸福そうな画像(恋人同士が語らっている)のあとに印が現われるようになっていた。 これによって被験者は、無意識のうちにネガティブもしくはポジティブな方向への偏りを身につける。印がいつもネガティブな画像のあとに現われたら、被験者の注意はすぐにネガティブな画像に集まるようになる。 フォックスはこの実験で、ネガティブな方向に被験者を誘導した場合、セロトニン運搬遺伝子の発現量が低い被験者は、恐怖を感じさせる画像を素早く探し当てることを確認した。「悲観的な脳」をもつ SS型が扁桃体の活動を活性化させ、恐怖に対してより強く反応させるのだ。 ところが被験者をポジティブな方向に誘導したとき、きわめて興味深い結果が明らかになった。「楽観的な脳」である LL型の持ち主はネガティブなものを避け、ポジティブなものに反応しやすいのだから、ポジティブな画像に素早く注意を向けるようになると予想された。だが実際には、ポジティブな画像をもっとも素早く探し当てたのも SS型の「脆弱遺伝子」をもつグループだった。 セロトニン運搬遺伝子の発現量が低い「悲観的な脳」の持ち主は、ネガティブな画像と同様にポジティブな画像にも敏感に反応したのだ。 敏感と鈍感の進化論 この結果を受けてフォックスは、セロトニン運搬遺伝子についての新しい仮説を提示した。それは、「神経伝達物質に作用するいくつかの遺伝子の発現量が低い人は、良い環境と悪い環境のどちらにも、敏感に反応しやすい」というものだ。 遺伝子と環境の相互作用を調べたこれまでの実験では、被験者に起きたネガティブな出来事やそれがもたらす悪影響にばかり焦点を当てていたため、 SS型はストレスに弱く、脆弱で感じやすい「うつ病の遺伝子型」とのレッテルが貼られることになった。しかしフォックスの実験は、この陰鬱な予言に新しい光を当てる。それは、「悪いことが起きたときに非常に不利にはたらく遺伝子型が、良いことが起きたときには非常に大きな利益をもたらす」ということだ。逆にいうと、ストレスに強く楽観的な性格に見えた LL型は、じつは「鈍感」なだけだったのだ。 フォックスのこの新しい仮説を支持する実験も行なわれている。 ワシントンにあるアメリカン大学の研究者は、 SS型と LL型のひとが同じくらい辛い出来事にあうと、その夜、強い不安にさいなまれがちなのは SS型であることを確認した。しかしその一方、非常に楽しい出来事があった日の晩、 SS型のひとが感じるストレスは LL型より明らかに少なかった。 フォックス自身が行なった学習実験でも、セロトニン運搬遺伝子の発現量の低いひとは高いひとに比べ、ポジティブなものでもネガティブなものでも感情的な背景に非常に敏感だという結果が出ている。 このことからフォックスは、セロトニン運搬遺伝子は「逆境に弱い」脆弱遺伝子ではなく、「可塑的な」遺伝子だと考えるのが妥当だという。セロトニン遺伝子の発現量が低いひとは周囲の環境に影響されて反応しやすく、虐待を受けたりまわりから支援を得られなかったりしたときは深刻な負の影響を被るが、その一方で素晴らしい環境に恵まれればそこから大きな利益を引き出せる。 これはケーガンの実験とも整合的で、野生系(オリジナル)の L型の遺伝子は「低反応」だが、 S型の遺伝子は扁桃体を敏感にすることで脳を「高反応」にするのだろう。内向的なのは「人ぎらい」なのではなく、相手の微妙な反応を読み取ろうとして疲れてしまうからで、社交的で明るく見えるのは、相手の反応を気にしない鈍感さから生まれるのだ。 ここから、なぜ L型の遺伝子から S型が現われたのかも説明できる。それは農耕社会のなかで、閉鎖的な共同体の親密でストレスフルな人間関係(高コンテクストな文化)にうまく適応するのに役立ったからだ。これが(いち早く農耕文明に移行した)東アジア系に S型の遺伝子が多く、アフリカ系に L型遺伝子が多く残っている理由だろう。ポジティブなことにもネガティブなことにも感じやすくなるよう進化することで、相手の気持ちを素早く忖度できるようになり、狩猟採集生活ではあり得なかった人口稠密な共同体を維持することが可能になったのだ。 日本のリベラルは睾丸が小さい? 動物学研究家の竹内久美子氏は「動物学で日本型リベラルを看ると──睾丸が小さい男はなりやすい!! 政治から学界まで本能の為せるワザ」という記事のなかで、三大人種によって平均の睾丸の大きさは異なるとして、(左右合わせて)「ニグロイド(アフリカ系) 50グラム、コーカソイド(欧米系) 40グラム、モンゴロイド(アジア系) 20グラム」と述べている【 85】。私が見つけた論文でも「中国人 13・ 7グラム、ヒスパニック 25・ 9グラム、コケイジャン 21グラム」というデータがあり、東アジア系の睾丸が他の人種に比べてかなり小さいのはまちがいないようだ【 86】。 この論文は人種によるステロイド性避妊薬の影響を比較したもので、なぜアジア系(中国人)の睾丸がヒスパニックの約半分、白人の 3分の 2しかないのかについては言及していないが、男性ホルモンであるテストステロンの大半が睾丸(精巣)でつくられることから、アジア系はなんらかの理由で男性ホルモンが少なくなるように「共進化」した可能性が考えられる。ここでの私の仮説はやはり自己家畜化で、人口稠密なムラ社会では「高テストステロン」
の暴力的・威圧的な男性は忌避され、あるいは排除されて、子孫をうまく残すことができなかったことで集団の睾丸が小さくなっていったのではないか、というものだ。 進化論では、睾丸の大きさは性淘汰で説明される。ゴリラのオスは身体は大きいものの睾丸はきわめて小さい。それはゴリラが一夫多妻だからで、競争に勝ち残ったオスはメスを独占できるため、大きな睾丸をもつ必要がない。それに対して乱婚のチンパンジーやボノボは、身体に比してきわめて大きな睾丸をもっている。これは複数のオスが同じメスと性交するため、子孫を残す競争が膣内で行なわれるからだ。ヒトの睾丸はこの中間で、ゴリラより競争がはげしいがチンパンジーほどではない「一夫多妻に近い一夫一妻」だと説明される。 この理論を人種間の睾丸サイズのちがいにあてはめると、アフリカ社会は乱婚で東アジア社会は一夫多妻、ヨーロッパ社会は一夫多妻に近い一夫一妻ということになる。もしかしたらそうした傾向があるのかもしれないが(私は確認できていない)、地域によってそれほど極端な婚姻形態のちがいがあるとも思えず、これだけでは人種による睾丸サイズの大きな差を説明できないのではないだろうか。 ちなみに竹内氏は先の記事で「共産主義、社会主義は睾丸サイズの小さい、つまり女にモテない男にフィットした思想である」「日本人の男は睾丸サイズの小ささという点においてそもそも、これらの思想に惹かれやすい」との説を述べ物議をかもした。 これには証拠(エビデンス)が示されていないので評価のしようがないが、日本社会に蔓延する奇怪な絶対平和主義(「軍隊を放棄して丸腰で〝戦争反対〟を唱えれば平和が実現する」という極端な暴力忌避思想)が睾丸サイズに関係するかどうかは興味深い論点だ。そんな軟弱で金玉の小さい日本人が大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)になぜあれほど熱狂し、戦場で残虐な行為ができたのかも合わせて論じれば、より実りある議論になるのではないだろうか。 なぜ日本人は子どもとまちがえられるのか? 海外旅行にいったひとは経験があるだろうが、日本人はとりわけ欧米で年齢よりずっと若く見られる。私はアメリカの入国審査で、 30代半ばのときに撮影したパスポートを出したところ、「これは子どものパスポートだろう」と突き返されたことがある。以前アルバイトに来ていた女子大生は、ロンドンのデパートで社会見学の生徒たちと遭遇し、警備員から「ちゃんと列に並べ」と注意されたという。その生徒たちはロンドンの小学生だった。 ネオテニーは「幼形成熟」ともいい、幼年期の特徴を残したまま成熟することをいう。両生類や昆虫などに見られるが、 1920年代にオランダの解剖学者ルイス・ボルクが「ヒトは霊長類のネオテニーとして進化した」との説を唱えた。チンパンジーの大人の顔はヒトとは大きく異なるが、幼い時は体毛が少なく顔は扁平でよく似ている。 その後さまざまな霊長類学者が、子どものチンパンジーは性格や行動がヒトによく似ていると指摘するようになった。たとえばフランス・ドゥ・ヴァールは、幼いときのチンパンジーは好奇心が強く、柔軟性に富み、さまざまな遊びに興味を示すが、こうした性格は成長とともに消えていくと指摘している。 ヒトがネオテニーかどうかは専門家のあいだでも議論が分かれているが、この説が魅力的なのは、遺伝子の突然変異を必要とせずに「進化」できるからだ。新しい環境のなかで「好奇心」がより高い適応度をもっていたとすると、それを生み出すために突然変異を何千回、何万回、何十万回と繰り返すより、すでにあるものを利用した方がはるかに効率がいい。子どもの好奇心が強いなら、大人になってもそれを失わないよう、そこで成長を止めてしまえばいいのだ。 ヒトがこのように進化したとすると、それにともなって、生存や生殖に不利にならない他の(身体的・精神的な)子どもっぽい特徴もいっしょに保持するようになるだろう。これが「ヒトのネオテニー仮説」だが、これはそのまま東アジア系の睾丸の小ささにもあてはまるのではないだろうか。 多くの人口を養うことができる稲作は高コンテクストの社会を生み出したが、そこでは〝ムラの秩序〟を乱すような暴力的な性格は強く忌避された。こうした淘汰圧に適応するにはテストステロン値を下げるのが有利だが、そのために睾丸が小さくなるような遺伝的変異を待つ必要はない。子どもは睾丸が小さい(テストステロン値が低い)のだから、そこで成長を止めてしまえばいいのだ。 このような遺伝と文化の共進化が東アジアで起きたとすると、性的に成熟してからも子どもっぽい特徴を多く残すようになったにちがいない。私たち東アジア系はヒト(サピエンス)のなかでもっとも〝ネオテニー化〟が進んでいて、だからこそ海外(アジア以外)では頻繁に子どもとまちがえられるのだ。──これは私の仮説だが、それなりの説得力はあると思うのでここに記しておく。 日本人は「ひ弱なラン」 セロトニン運搬遺伝子のタイプで、日本人は SS型が 3人に 2人( 65・ 3%)を占め、 SL型が 30・ 7%、 LL型はわずか 4%しかいないという事実は、 L型の遺伝子の多いアフリカ系やヨーロッパ系とは文化的・歴史的にだけでなく生得的に異なっている可能性を示している。こうした遺伝的な偏りは文化(東アジアの稲作社会)への適応から生じ、 S型の遺伝子をもつ者が増えることによって、彼らに適したより「高コンテクスト」な文化がつくられていった。こうした遺伝と文化のフィードバック効果によって、 L型の遺伝子は日本社会から急速に淘汰されていった。──日本人は世界でもっとも「自己家畜化」が進んだ民族なのだ。 エレーナ・フォックスは、日本人の大半がもっている S型のセロトニン運搬遺伝子は「不安感を強めるうつ病の遺伝子」ではなく、ポジティブな刺激に対しても、ネガティブな刺激に対しても強い感受性をもつ遺伝子だという。 現代の進化論は、これを「ラン」と「タンポポ」の比喩で説明する。 タンポポはストレスのある環境でもたくましく育つが、その花は小さく目立たない。その一方でランは、ストレスを加えられるとすぐに枯れてしまうものの、最適な環境では大輪の花を咲かせる。 そう考えれば、「利己的な遺伝子」がこの 2種類の遺伝子型を残した理由がわかる。 環境が安定していればランのような美しい花を咲かせるほうが繁殖に有利だが、不安定な環境で強いストレスがかかるならばタンポポしか生き残ることができない。日本人は遺伝的に、特定の環境では大きな幸福感を得ることができるものの、それ以外の環境ではあっさり枯れてしまう「ひ弱なラン」なのだ。 不安感の強い日本人は環境を変えることを過度に恐れ、ムラ的な組織(タコツボ)のなかに閉じこもって安心しようとする。グローバルスタンダードと大きく異なる年功序列・終身雇用の「日本的雇用」が、ガラパゴスのように日本でだけ残っているのはこれが理由だろう。 だがそれによって、日本人は「会社」というムラ社会に、あるいは「家庭」という閉鎖空間に閉じ込められてしまった。さまざまな国際比較調査で、日本のサラリーマンは世界でいちばん会社を憎んでおり、仕事への忠誠心が低いことが繰り返し示されているが、皮肉なことにそこでしか生きていくことができないのだ【 87】。
咲ける場所に移りなさい 東アジア系は知能は高いが不安感が強く、目先の利益よりも将来のことを心配する。「知能」と「意志力(先延ばしのちから)」のこの組み合わせによって、アメリカ社会では短期間で目を見張るような経済的成功を手にするようになった。医師や弁護士など専門職として成功できるのは、たんに知能が高いだけではなく、「低コンテクスト」が当たり前の社会で、患者や顧客の微妙な表情を読んで的確な応答ができる「高コンテクスト」な能力が優位性をもつからだろう。 しかしその一方で、生得的な敏感さは、変化やリスクを極端に嫌い、お互いがお互いを気にする「高コンテクスト」の社会をつくりあげてしまう。複雑な尊敬語や謙譲語で相手の立場を忖度しなければならない日本社会はその典型で、誰もが感じる生きづらさは、私たちが暮らしているのがタコツボ型の「道徳警察社会」だからだ。『置かれた場所で咲きなさい』と『嫌われる勇気』がミリオンセラーになったことは、そんな日本社会を象徴している。「高コンテクスト」の共同体に過剰適応した日本人は、世間の評価を気にし、他人から嫌われることを極端に恐れているが、自分がもっと高い評価を得られる場所に自由に移っていくことはできない。会社の上司や同僚、部下を選択することはできず、「運命」として受け入れるしかない。──これは専業主婦も同じで、子どもを抱えて離婚すれば、母子家庭として日本社会の最貧困層に落ちることを覚悟するしかない。 他人や世間を変えることができなければ、自分が「嫌われる勇気」をもつ以外ない。いまいる場所から動くことができないなら、「置かれた場所で咲く」ほかはない。だが残酷なことに、「ひ弱なラン」はどこでも花を咲かせられるようには遺伝的に設計されていない。幸福になりたければ、「咲ける場所に移る」ほかないのだ。 日本人の不幸は、遺伝的にストレスに弱いにもかかわらず、文化的に高ストレスの環境をつくってしまうことにある。そんなムラ社会の閉塞感のなかで、本来はランとして美しい花を咲かせるべき個人が次々と枯れていく。 だがこれは、絶望的な話というわけではない。自分に適した環境に恵まれさえすれば、敏感な S型は(鈍感な) L型よりはるかに大きな喜びを手にすることができるのだから。 そのことを前提としたうえで、「ひ弱なラン」としてどのような人生の選択をするのかが、すべての日本人(東アジア人)に与えられた課題なのだろう。 もちろん、どのような人生を選ぼうとあなたの自由だ。
あとがき あらためて断っておくと、私の政治的立場はリベラルだ。「普遍的な人権」という近代の発明(虚構)を最大限尊重し、すべてのひとが、人種や民族、国籍、性別や性的指向、障がいの有無にかかわらず、もって生まれた可能性を最大限発揮できるような社会が理想だと思っている。 しかしその一方で、知能を無視して知識社会を語ることはできないとも考えている。もしそれが不愉快に感じられたなら、知識社会そのものが不愉快で残酷なのだ。 知識社会とは何か? それは歴史的には「産業革命以降の世界」、すなわち近代のことだ。 経済史家のグレゴリー・クラークは、過去から現在までの 1人あたりの所得の推移を推計し、 1800年当時の中世ヨーロッパの平均的な生活水準は、紀元前 1000年のギリシア・ローマの時代はもちろん、紀元前 10万年の石器時代と比べてもほとんど変わっていないと主張した【 88】。 所得以外の指標でも、 1800年当時の平均寿命は 30 ~ 35歳で、狩猟採集の時代に比べて長くなっているわけではなく、栄養状態を示す平均身長は石器時代の方が 1800年当時よりも高かった。ヒト(サピエンス)の生活は 10万年の歴史を経ても向上するどころか、より過酷になっていったのだ。 ところが 18世紀半ばにヨーロッパの辺境にあるイギリスで始まった産業革命によって、こうした状況は劇的に変わる。技術の進歩が生産性の向上をもたらし、市場を拡大してひとびとの所得を大きく伸ばしたことで、先進諸国の所得水準はわずか 200年で 10 ~ 20倍に達した(図表 10)。
私たちは学校で習った産業革命を、ローマ帝国の興亡とか、三国志のロマンとか、織田信長の天下取りとおなじ歴史のエピソードのひとつと考えているが、これはとんでもない誤解だ。産業革命以前と以後で、世界はまったく異なるものに変わってしまった。 人類の第一の「革命」は石器の発明で、「誰もが誰もを殺せる社会」で生き延びるために自己家畜化が始まった。第二の「革命」は農耕の開始で、ムラ社会に適応できない遺伝子が淘汰されてさらに自己家畜化が進んだ。第三の「革命」が科学とテクノロジーだが、ヒトの遺伝子は、わずか 10世代程度では知識社会化がもたらす巨大な変化にとうてい適応できない。ここに、現代社会が抱える問題が集約されているのだろう。 ホロコースト以降、欧米では知能と遺伝の関係を語ることはずっとタブーだった。だがここ数年でそれも少しずつ変わってきたようだ。 その転機となったのは、ドナルド・トランプが第 45代アメリカ大統領になったことだろう。「白人至上主義者」と呼ばれるトランプの熱烈な支持者たちは、「フェイクニュース」を信じ、どのような論理的な説得にも耳を貸そうとしない。この現象を、認知能力(脳の基本設計)を無視して論じることはもはや不可能になってきている。 インターネットが引き起こしたイノベーションのひとつに、言論空間の大衆化・民主化がある。 1990年代のインターネット黎明期には、特権的なメディアによる情報の独占が崩され、世界はより自由で素晴らしいものになるとの期待がさかんに語られた。だがいまや、「真実(トゥルース)」は匿名の個人のあやしげな陰謀論(ポスト・トゥルース)によって駆逐されつつあり、よりよい未来への希望は急速にしぼんでいる。 トランプ現象が明らかにしたのは、ほとんどのひとは「事実(ファクト)」など求めていないということだ。右か左かにかかわらず、ひとびとは読みたいものだけをネットで探し、自分たちを「善」、気に入らない相手に「悪」のレッテルを貼って、善悪二元論の物語を声高に語る。ヒトの脳は部族対立に最適化するよう「設計」されており、直観的にはそれ以外の方法で世界を理解できない。 これは進化によってつくられた脳の「プログラム」なので、すくなくとも今世紀中は、いやおそらくは 30世紀になっても変わらないだろう。私たちは、ずっとこの不愉快な世界で生きていくほかない。 高度化した知識社会では、高い I Qは社会的・経済的な成功をもたらす。だがもうひとつわかっているのは、知能とアスペルガーのリスクとのあいだに強い相関があることだ。 IQ 130を超えて 10上がると、自閉症スペクトラム上に乗るリスクは倍になる【 89】。 天才と統合失調症のあいだに遺伝的な相関があることも否定できなくなっている【 90】。アインシュタインの次男は統合失調症に苦しんだし、同様の例はほかにいくらでもある。さらにいえば、アインシュタインの家系はきわめて高い知能が平均へと回帰することも示している。──長男は平凡な物理学者として生涯を終えた。 高い知能が幸福な人生に結びつくかどうかもわからない。 暑い夏の喉がからからに乾いたときに飲むビールの最初のひと口はものすごく美味しいが、ふた口め、三口めとなるうちにその美味しさはだんだんなくなっていき、大ジョッキをおかわりする頃には惰性で飲むようになる。このとき、ビールの美味しさを効用、ひと口めからふた口めへの効用の変化を限界効用という。経済学の「限界効用逓減の法則」とは、(ビールの美味しさだけでなく)ほとんどの効用に慣れてしまう人間の本性のことだ。 近年の心理学では、知能の効用も同様に逓減するのではないかといわれるようになった。知識社会においては、知能が高い方が有利であることは間違いない。 IQ 100と I Q 120では、社会的・経済的な成功でかなりのちがいが生じることは、経験的にもデータからも明らかだ。 だが I Q 120と I Q 140のあいだでは、効用(幸福度)においてそれほど大きな差があるようには見えない。これは、極端に高い知能がなんらかの神経症や精神疾患と結びついているからかもしれないし、社会のなかでの少数派(マイノリティ)として陰に陽に差別されているからかもしれない。 I Q 130以上は人口の 2・ 3%、 IQ 145以上は 0・ 13%しかいない。どのような社会も、多数派(マジョリティ)である平均的な知能のひとたちがもっとも楽しめるように最適化されている。なぜなら、彼ら/彼女たちこそが最大の消費者なのだから。 そう考えれば、高知能のマイノリティは、使いきれないほどの富(金融機関のサーバーに格納された電子データ)と引き換えに、マジョリティ(ふつうのひとたち)がより安楽に暮らし娯楽を楽しめるよう「奉仕」しているともいえるだろう。 シリコンバレーでもっとも大きな成功を成し遂げた一人が、人類を火星に移住させるためにロケットを打ち上げ、次世代の電気自動車テスラを開発し、ハリウッド映画『アイアンマン』のモデルになったベンチャー起業家イーロン・マスクであることはまちがいない。 1971年に南アフリカに生まれ、裕福だが偏屈な電気技師の父親のもとで育ったマスクは、いつも夢を見ているような風変わりな少年だった。小学校に入る頃には本に夢中になり、 3年生か 4年生のときには学校の図書館にも近所の図書館にも読むものがなくなり、しかたがないので百科事典を読みはじめ細部まで暗記してしまった。 その一方で友だちはほとんどできず、深刻ないじめにあって中学や高校を何度か転校している。不良たちに暴行を受け、顔に全治 1週間の重傷を負ったこともあるという【 91】。 結婚と離婚を繰り返し、独身に戻ったマスクは 2017年、『ローリング・ストーン』誌の取材に対しこう語った。「子どもの頃から、ずっといいつづけてきた。一人ぼっちにはぜったいになりたくない。一人はイヤなんだ【 92】」 2018年 12月 橘玲
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