事業の青年期は、人手が必要だと感じたときから始まる。起業から何年後に青年期が始まるといった決まりはないが、処理能力を超えるような仕事を抱え込むようになったころからである。
こうなれば、経営者は必ずといってよいほど、人手が欲しいと考えるようになる。
大量の仕事を抱えるようになつた職人タイプの起業家には、どんな助けが必要となるだろうか?その答えはとても簡単で、専門的な能力をもっている人材が必要になるのである。
似たような会社で働いた経験がある人、そして起業家が自分ではやりたくない仕事を、代わりにやつてくれる人が必要となるのだ。
営業が得意な経営者は、生産畑の人を探しに行く。生産畑の経営者は、営業が得意な人を探しに行く。そして面白いことに大半の経営者は、帳簿をつけてくれる人を探そうとする。
なぜなら、ほとんどの経営者は経理の仕事が大嫌いで、なんとかしてその仕事を避けたいと思っているからである。
初めての従業員を雇う
こうして、あなたは最初の従業員、ハリーを雇うことになった。彼は六十八歳の経理担当者だ。十二歳からずつと経理の仕事を続けていて、八カ国語で帳簿をつけることができる。
何よりも大切なことは、ハリーは似たような会社で二十二年間も帳簿をつけていた経験があるということだ。そんな人物があなたの会社の一員になったのである。
頼りになる人物が現れたことで急に世界が明るく思えてきた。これまでは、一人で背負い込んでいた経理の仕事をハリーに任せられるのだから。
かくして月曜日の朝にハリーはやってきた。あなたは彼を温かく迎え入れる。正直に言えば、「温かく」というよりは、「熱烈に」といったほうがよいかもしれない。
この瞬間のために、週末に準備を進めてきた。もちろんきれいに掃除をすませたし、広々としたスペースを彼のために空けておいた。
机の上には、「ハリー」の名前が入ったマグカップと帳簿が置いてある。どんな事業にも、経営者がやりたくない仕事やできない仕事を代わりにやつてもらうために、従業員を雇うときはやってくる。
特に最初の従業員を雇うときは、とても大切な瞬間である。あなたの事業では、ハリーが初めての従業員で、月曜の朝がその大切な瞬間なのだ。考えてみてほしい。あなたは大きな一歩を踏み出した。帳簿はあなたの机ではなくハリーの机の上にある。
そしてハリーは、あなた以外の人間としてはただ一人、あなた自身とあなたの事業のことを詳しく知るようになるのだ。最初で、かつ最も重要な従業員であるハリーは、帳簿を手に取ろうとしている。
そして、企業秘密――あなたがわけのわからないままに帳簿をつけてきたという事実――を知ろうとしているのである。心配なのは彼の反応である。
笑い出すだろうか?・泣き出すだろうか?・いきなり辞退するかもしれない。それとも働いてくれるだろうか?もし、ハリーが経理の仕事をやってくれなかったら、誰がやるのだろうか?こんな心配をよそに、ハリーの机から電卓をたたく音が聞こえはじめる。
ハリーは働きはじめてくれた―ハリーがあなたの会社に勤めてくれるのだ―・あなたは自分の幸運が信じられない。もう経理の仕事をしなくてもよいのだ。
この一瞬で「会社を経営する」という言葉の意味が身にしみてわかるようになる。
「もうあんなことはしなくていいんだ―」ついに、経理という面倒な仕事から解放され、職人からマネジャーヘと立場が変わったのである。
もう心配をしなくても、これからは代わりの人が働いてくれるのである。しかし、あなたにはマネジャーとしての経験がないために、ここで失敗を犯してしまう。
つまり、ハリーに帳簿を渡したまま、経理の仕事から逃げてしまうのである。これを「委任」と呼べば格好はよいが、私から見れば管理を「放棄」しただけなのだ。
カギを握る「起業家」と「マネジャー」の人格
面倒な仕事を放棄したおかげで、しばらくの間、良くも悪くもあなたは自由の身となる。結局のところ、他の仕事に追われていることに変わりないが、これまでよりは自由になる。
それにハリーがいるおかげで、ずいぶんと様子が変わった。なぜなら、経理の仕事をしていないときには、電話に出てもらうこともできるし、ちょっとした配達の仕事やお客さんの応対を頼むこともできる。
あなたの生活は楽になつた。まるで夢のような生活だ。昼食の休憩も十五分から三十分に延ばすことができた。仕事が終わるのも夜の九時から八時になった。ハリーはときどき、報告をするためにあなたのところにやつてくる。
でも、やつぱり忙しいあなたは、「ハリーの思い通りにやつてくれ」と言うだけである。ハリーがどんな仕事の進め方をしていても、あなたの邪魔さえしなければそれでいい。
自分には他にもっと大切な仕事があるのだから。あなたはこんなふうに考えているにちがいない。事業が成長しはじめると、ハリーにも部下が必要になってくる。
相変わらず忙しいあなたは、「人を雇うように」とだけ指示を出し、彼はその通りにする。ハリーはすばらしい人だ。自分で仕事を進めてくれるし、その進め方を心配する必要もない。
決して不満も言わないし、熱心に働いてくれる。何といっても、あなたが嫌がるような仕事はみんなやってくれる。
こんな理想的な従業員がほかに見つかるだろうか?・こうして、あなたは上司となり、自分のやりたい仕事だけに集中できるようになった。
ああ、これこそが起業家の生活だ―しかし、ある日思いがけない混乱が起こりはじめる。顧客から、従業員の応対が悪いというクレームの電話が入ってきた。応対した従業員の名前を聞いてみても、顧客は覚えていなかった。
でも、また同じような応対をすれば、顧客はもう店に来てくれなくなるだろう。あなたはきっちりと調べたうえで対応することを約束する。次には、取引先の銀行から電話がかかってきた。日座の残高がマイナスになっているらしい。
驚いてその理由を聞いてみても、銀行員はよくわからないと答えるばかりだ。とはいっても、お金が借りられなくなるのは困るので、きっちりと調べたうえで対応することを約束する。
さらには、付き合いの長い仕入先から電話が入り、発注ミスが原因で、配送が十週間遅れることが判明する。そのうえ、従業員の手違いで、必要以上の数量を買い取ることになってしまった。
こんな事態になった理由を聞いてみても、仕人先の担当者にはわからないようだ。でも、発注の方法を見直さないかぎり仕入先との信頼関係は失われてしまうだろう。ここでも、きつちりと調べたうえで対応することを約束する。
あなたは担当者に事情を聞くために、事務所を飛び出して、出荷作業をしている倉庫に行ってみる。そこではハリーが雇った若者が商品を梱包しているところだった。彼の包教方を見て、思わず感情が爆発してしまう。
「誰がそんなふうに梱包しろって教えたんだ―」若者はびっくりした様子だが、あなたはお構いなしにまくしたてる。
「誰も正しい梱包の仕方を教えてくれなかったのか?・ほら、貸してみろ。私がやるよ」こうして自分で梱包作業をすることになった。
その日の午後、あなたは偶然に生産ラインのそばを通りかかるが、ここでもラインのスタッフの動きが気に入らない。
「誰がそうやれって教えたんだ?・誰も正しいやり方を教えなかつたのか?・ほら、貸してみろ。私がやるよ」今度は、生産ラインでも働くことになった。
次の朝、あなたは新しく入った販売員と話をしている。これもハリーが雇った人間だ。「お客のAさんに何が起きたんだ?」と聞く。彼女の答えを聞いたあなたは怒りはじめる。
「私が担当したときには、そんな問題は全然起こらなかったぞ―」もう泣きそうな気持ちになってきた。「もういい―私がやるよ」こうして、販売の仕事までも引き受けるようになってしまった。
急に現場で働きはじめたあなたの姿を見て、新参者の従業員は「いったいあの人は誰ですか?」とハリーに尋ねるにちがいない。きつと、ハリーは肩をすくめながら、「ああ、あれが社長だよ」と答えることだろう。
ハリーに権限を委譲したといえば聞こえがよいが、「管理」の仕事を放棄した弊害が、あちこちで噴出してきた。
これは、空中にあるボールの数があなたと従業員の能力の限界を超えたときに起きる現象で、青年期の事業が必ずぶつかる壁である。あなたはこうして、自分が犯した大きな間違いに気づくことになる。
つまり、ハリーを信用するべきではなかったのだ。いや、誰も信じるべきではなかった。
誰もあなたほど熱心に働きたいとは思っていないし、あなたのような能力や事業欲を持ち合わせていないのである。
・誰もあなたと同じようには働いてくれないのだ。
結果として、あなたは現場に舞い戻り、再び天才的な大道芸人としての活躍が始まることになる。つまり、ハリーを雇う前と同じ状態に戻ってしまうのである。事業が青年期にある経営者は、誰もが同じ状況にある。
みんな働いてばかりで、いつも忙しい、忙しいと不平を漏らしている。
せっかく給料を払つて人を雇っているのに、すべての仕事を自分でやろうとしているのだから、それは当然のことである。
さらに、あなたが働けば働くほど、従業員の仕事がなくなってしまい、従業員は働かなくなってしまう。
こんな様子を見てあなたは、やはり自分が働かなければならないと思い、従業員の仕事に口をはさむようになる。こんな悪循環が起きているのである。
大道芸人の生活に戻ってしまった後の気分は、きっと絶望的なものにちがいない。
こんな状況を抜け出すためには、今までとは違う解決法が必要となる。
その解決法こそが、自分の内側にある「起業家」と「マネジャー」の人格を呼び起こすことなのである。
これまでにあなたは、職人としての能力を頼りに事業を成長させてきた。自分がいちばん得意な部分を発揮してきたのだから、忙しいとは言いながらもそれは心地よい疲れだったのかもしれない。
だとすれば、これまでの事業の大きさはちょうど「手ごろなサイズ」だったのではないだろうか?しかし、今やあなたの事業は、職人の能力だけでは超えられない壁にぶつかるようになってしまった。
「手ごろなサイズ」を超えて成長するためには、他の能力を活用しなければならない。ここまで話して、私はサラに目を向けた。どうやら私の話は的を射ていたようだ。
「手ごろなサイズ」という言葉は、彼女の中でも思い当たることが多かったようだ。
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