アボリジニの IQは高い 学力ランキングはよくて I Qランキングは差別? 知能の基準はサン人 寒冷地への移住で知能が上がる ヨーロッパはなぜ北にいくほど I Qが高いのか? 宗教改革と知能 科挙が東アジア系の知能を上げた? 稲作というイノベーション
産業革命と勤勉革命 アメリカ黒人の知能は高い ユダヤ人の知能は高くない? パレスティナ人はイスラームに改宗したユダヤ人 キリスト教の誕生とユダヤ人の知能 差別から生まれた「高知能集団」 バラモンの知能 ヨーロッパ人とインド人は同祖集団 言語的知能が低いと保守的になる? 知能の高い国はリベラルになる? 制度決定論は「空白の石版」
4 国別知能指数の衝撃 アボリジニはオーストラリアの原住民で、 17世紀にヨーロッパ人によって「発見」されるまでは文明世界から孤立して暮らしていた。──ちなみに「アボリジニ」に対しても「差別語」との批判があり「インディジーニャス・オーストラリアン」が一部で使われるようになった。 Indigenousは「土着の」という意味だが、「アフリカン・アメリカン」や「ネイティブ・アメリカン」と同様にこうした PCな(政治的に正しい)新語が定着するとは思えないので本書では従来どおり「アボリジニ」を使う。 アボリジニの IQは高い 伝統的社会に暮らすひとたちの IQを測ると、それが生得的なものか文化のちがいによるものかは別として、かなり低いことが知られている。アボリジニの IQは 1960年代から何人かの認知科学者が計測しているが、 55 ~ 60程度とされている。 1981年に西オーストラリア大学のジュディス・カーリンズが、アボリジニと白人の子どもの知能を比較して興味深い発見をした【 46】。 色や形のちがう 20個の積み木を子どもの前に置き、 30秒間でその場所を覚えさせる。その後、いったんばらばらにし、元の位置に戻すよう指示する。 空間記憶能力を測るこのテストで、アボリジニの子どもは同い年の白人の子どもをはるかに上回る成績をあげた。白人の子どもの知能を 100とすれば、アボリジニの子どもは 1標準偏差以上も高い 119だったのだ。 カーリンズは、アボリジニの空間記憶能力がきわめて高いのは砂漠地帯に暮らしているからだと考えた。砂漠で自らの場所を見失わないようにするには、わずかな目印のちがいを正確に記憶できなければならない。 カーリンズは触れていないが、この推測が正しいとすれば「加速化する進化」の有力な証拠になる。なぜならアボリジニは、もともと砂漠には住んでいなかったから。オーストラリア沿岸部の緑ゆたかな場所で暮らしていた彼らは、 1770年のオーストラリア「発見」以降、植民者(侵略者)である白人によって砂漠へと追い立てられたのだ。 アボリジニの高い空間記憶能力は、 I Q(知能指数)が知識社会への適応度を測っているにすぎないことを明確に示している。知識社会(文明世界)とは別の環境であれば、伝統的社会のひとたちのほうがずっと〝賢い〟のだ。 学力ランキングはよくて I Qランキングは差別? このことを強調したうえで、イギリスの認知心理学者リチャード・リンの著書『 Race Differences In Intelligence(知能における人種的ちがい)』から各国別の IQを紹介したい。リンは世界各国で行なわれた知能テストのデータを精力的に収集し(ときには自ら実施し)、その結果を 2006年にまとめた。ここで掲載するのは 2015年の第二版のもので、新たなデータが追加されている。 あらかじめ断っておくと、このデータはそうとうに衝撃的だ。当然のことながらリンは欧米のリベラルから「白人至上主義」「人種主義」のレッテルを貼られてはげしく攻撃されており、実際、「アフリカ系アメリカ人の肌の色と知性に相関関係がある」とするかなり微妙な研究もある。 個々のデータの取り扱いについても批判があるが、その一方でリンが収集した 800ちかい I Qデータのすべてが間違っているとするのは困難で、反対派は(グールドのように) I Q =一般知能そのものを否定するほかなくなっている(データが偏向しているのなら、正しいデータセットで再集計すればいい)。日系アメリカ人の進化心理学者サトシ・カナザワなど、専門家のなかにも(少数ながら)リンの仕事を評価する者もいる。──すくなくとも原書(『知能における人種的ちがい』)を読んだかぎりでは、白人至上主義・人種主義的な主張は見受けられなかった。 さらにいうならば、プロローグで紹介した PIAAC(国際成人力調査)や、日本でも大きく報道される PISA(国際学力調査)のように、国際的な公的機関が国別の学力ランキングを公表している。 I Qと学力は同じではないが、その相関がきわめて強いことは認知科学では常識だ。学力ランキングは問題なくて、「 I Qの国別比較は差別だから許されない」との主張はバカげている。──日本では「リベラル」を自称するメディアが、高校や大学の偏差値ランキングをさかんに商業化していることも付け加えておこう。 原書では、それぞれの国で行なわれた知能テストの結果が個別にリスト化されている。テストの形式が異なることと、被験者が子どもから学生、成人まで多岐にわたるからだが、膨大な量になるため、本書ではデータ数を表示したうえで国別の平均を計算した。正確性にはやや欠けるが、大学生対象など明らかに母集団に偏りがあるものははじかれており、著者も本文中の説明では同様の平均を使っているので全体の傾向を知るには有用だろう。詳細を知りたい方は原著にあたってほしい。アメリカでは一般書としてふつうに販売されており、私もアマゾンの電子版で購入した( 2018年 11月現在、レビューでは平均 4・ 0の高評価を得ている【 47】)。 データ数が少ないものは極端な値が出ることがある。たとえばミャンマーの IQは 107、カンボジアは 65となっているが、いずれもデータは1つだけで、周辺の国と大きく異なっているため結果には疑問が残る。いわずもがなだが、ゼロポイント単位のわずかな数字のちがいに意味はない。 当初は主要国だけをリスト化することも検討したが、本書で取り上げなければ今後も日本では一般に紹介されることはないと考え、すべての国の IQを掲載することにした(図表 7)。同じ国が異なる地域に出てくることがあるが、原書に準じそのままにした。
知能の基準はサン人 データを一覧すればわかるように、 IQは地域(大陸系統)によって明らかなちがいがあり、周辺国の値は民族や文化、社会・政治制度のちがいにかかわらずよく似ている。これをどのように理解すればいいのだろうか。 以下、認知心理学者リチャード・リンの見解に私自身の解釈を加えて説明してみよう。 サハラ以南のアフリカの項目で「ブッシュマン」とされているのはカラハリ砂漠に住む狩猟採集民で、いまはサン人と呼ばれている。ピグミーはアフリカ赤道付近の熱帯雨林に住む狩猟採集民で、いずれも身長 150 ~ 155センチの低身長が特徴だ。近年の DNA解析ではサン人は「最古のヒト(サピエンス)」と見なされ、ピグミーは 7万 ~ 6万年前にサン人の系統から分岐したと考えられている。彼らの IQは、先進諸国と同様の知能テストを行なうことはできないため推計だが、 55 ~ 60程度らしい。 この知見を前提とするならば、私たちは「知能」についての考え方を根本的に見直さなくてはならない。 現在の知能テストはグリニッジ標準時と同様に、それが開発されたイギリスを 100として標準化されている。だがサピエンスの進化の過程を考えるならば、知能の基準はサン人やピグミーであり、それが 77万 ~ 55万年のあいだに、さまざまな淘汰圧を受けて上昇していったのだ(同様に身長も伸びていった)。 サブサハラ(サハラ以南)のアフリカ(俗に「ブラックアフリカ」と呼ばれる地域)では、ヨーロッパ人と遭遇するまで大規模な農耕文明を生み出すことはなかったが、それでも I Qは 75程度と 1標準偏差以上高くなっている。狩猟採集を主とする伝統的社会でも I Qが高くなる理由をリンは、人口が増えたことで、共同体内でより「賢く」振る舞う性質が選好されたからではないかと推測している。サン人やピグミーは人口が少なかったことで、こうした淘汰圧が弱かったのだ。 寒冷地への移住で知能が上がる「出アフリカ」を果たしたサピエンスはユーラシア大陸に広がり、約 4万年前に東の果ての日本列島に到達し、のちの「縄文人」の先祖になった。一部はシベリアからベーリング海峡を渡り、アメリカ大陸で独自の文明を築くことになる。 アフリカを出たごく少数( 1000 ~ 2000人程度)のサピエンスが最初に定住したと思われるナイル川流域(エジプト)やティグリス・ユーフラテス川流域(イラク、イラン)、東地中海(シリア、ヨルダン)の IQは 85程度で、サブサハラのアフリカ諸国より 1標準偏差ちかく高くなっている。 それぞれの国の IQにはかなりの幅があるとしても、はっきりしていることがひとつある。ユーラシア系(南北アメリカなどを含む)のうちで、 IQでアフリカ系を下回る国はひとつもないのだ。 このことは、出アフリカ後の比較的早い段階で、なんらかの要因で知能が上昇したことを示している。リンはその理由を、端的に「ユーラシアはアフリカより寒いから」だという。 サピエンスは無毛なので、寒くきびしい冬を乗り越えるには毛皮を身にまとい、あたたかな住居をつくり、夜通し火を焚きつづけなくてはならない。こうした「テクノロジー」はいずれも、熱帯や亜熱帯に属するアフリカの暮らしには不要なものだ。 四季がはっきりしているユーラシア大陸では、寒暖によって食料の獲得方法が変わる。とりわけ冬から初春にかけて動物は冬眠し、植物も実をつけないため、食料を効果的に貯蔵できなければ餓死するほかはない。冬でも活動する少数の大型動物(マンモスやオオツノシカ)はサバンナの動物よりはるかに狩るのが難しかっただろう。 こうした自然環境の変化による淘汰圧が高い知能を選好させ、数万年のあいだに徐々に I Qを引き上げていった。この仮説に説得力があるのは、狩猟採集生活の伝統的社会でも、エスキモーの IQは 88、アメリカ大陸のインディオ/インディアンも 85 ~ 87で、サブサハラのアフリカ人より高いからだ。 その後、 1万 ~ 1万 2000年前に北アフリカと西アジアで小麦が栽培され、次いで揚子江流域で米がつくられるようになる。インドには西から小麦作が、東から稲作が伝わった。こうして四大文明が誕生するのだが、そのためには I Q 80 ~ 85程度でじゅうぶんだったようだ。 もちろん現代のエジプト人やイラク人が、古代エジプト人、バビロニア人と遺伝的に同じとはいえない(「日本人の起源」も同様だが、このあたりのことをいいはじめるとものすごくややこしい議論になる)。だがヒトの知能が趨勢的に上昇しているとすると、古代エジプト人やバビロニア人の知能が現代人よりはるかに高かったとは考えにくい。 アメリカ大陸の原住民の IQが中近東のひとたちと変わらないことは、「(南北に長いという)地理的制約さえなければ彼らもユーラシア大陸に匹敵する大文明をつくることができた」というジャレド・ダイアモンドの主張の傍証になるだろう【 48】。 ヨーロッパはなぜ北にいくほど I Qが高いのか? 国別の I Qデータでは、ヨーロッパに顕著な特徴がある。それは「北にいくほど知能が高くなる」ということだ。この表では省略されているが、南北に長いイタリアではシチリアやナポリなど南部の IQが低く、ミラノなど北部に行くにしたがって I Qが高くなる傾向が確認できる。 ヨーロッパにおける南北の I Qのちがいは、それ以外の地域に移住した白人にも反映されている。 19世紀後半からおよそ 1世紀にわたって、シチリアなど南イタリアから大量の移民が押し寄せたアルゼンチンのヨーロッパ系白人の IQは 95だ。それに対してイギリス、フランス、ドイツなど北ヨーロッパからの移民が多かったアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどでは、白人の IQはどこも 100前後になっている。これは、集団の知能が文化的・社会的なものというより遺伝の強い影響を受けている強力な証拠になる。 ではなぜ、ヨーロッパでは北に行くほど I Qが高くなるのか。リンはここでも自然環境を持ち出す。地中海沿岸のギリシアや南イタリア、スペインよりも北海沿岸のイギリスやドイツ、北欧諸国・ベネルクス三国の方が寒く、それに対処するため知能が高くなったというのだ。ほぼ同じ気候条件でもエスキモーの IQが北欧より低いのは集団の人数が少ないからで、知能を引き上げるのに必要なイノベーションを起こせなかったためだとされる。 だが私は、この説には懐疑的だ。ユーラシアの他の地域や南北アメリカでは「寒くなるほど知能が高くなる」という傾向は確認できないし、「蛮族」と扱われたケルト人やゲルマン人が古代ギリシア人や古代ローマ人より知能が高かったとか、「野蛮人」の典型とされたヴァイキングが、イスラーム支配下のスペイン(当時、ヨーロッパでもっとも高度な文明を誇った)の住民より知能が高かったというのは信じがたい。 近年の DNA解析によって、北ヨーロッパの白人はもともとそこに住んでいたのではなく、わずか 5000年前に東から移住してきたことがわかっている。 約 1万年前、中東の肥沃な三日月地帯で農耕が始まると、新たなテクノロジーを手にしたひとびとは農耕可能な土地を求めて東西に移住していった。しかしなかには農耕に適さない森林地帯や草原(ステップ)地帯もあり、そこには依然として狩猟採集民がいた。農耕民と狩猟採集民は、時に交易し、時に殺し合いながら暮らしていた。 遺伝学的には、 8000年前頃の西ユーラシアの狩猟採集民は青い目に濃い色の肌、黒っぽい髪という、いまでは珍しい組み合わせの風貌だったと推定されている。ヨーロッパの最初の農耕民のほとんどは、肌の色は明るかったが髪は暗い色で茶色の目をしていた。典型的なヨーロッパ人の金髪をもたらした変異の最古の例として知られているのは、シベリア東部のバイカル湖地帯でみつかった 1万 7000年前の古代北ユーラシア人だ。 ヨーロッパの東には中央ヨーロッパから中国へと約 8000キロにわたって延びる広大なステップ地帯があったが、 5000年ほど前にそこで馬と車輪というイノベーションが起きた。この最初の遊牧民の文化を「ヤムナヤ」と呼ぶ。 馬という高速移動手段を手にしたヤムナヤの遊牧民は、新たな土地を求めて移動を繰り返した。このうち西に向かった遊牧民が現在のヨーロッパ人の祖先だ。 だが不思議なことに、現代ヨーロッパ人の遺伝子にはヤムナヤの遊牧民と原住民(もとから住んでいた農耕民)が交雑した痕跡はほとんど残っていない。 DNA解析によれば、彼らは原住民とほぼかんぜんに置き換わってしまったのだ。 遊牧民が農耕民の村を襲ったのだとすれば、男を殺して女を犯して交雑が起きるはずだ。その痕跡がないということは、遊牧民がやってきたときには農耕民はいなかった、ということになる。そんなことがあるのだろうか。 ここでの大胆な仮説は病原菌だ。ペストはもとはステップ地帯の風土病とされているが、遊牧民が移住とともにこの病原菌を運んできたとしたら、免疫のない農耕民はたちまち死に絶えてしまったはずだ。こうして交雑なしに集団が入れ替わったのではないだろうか【 49】。 15世紀にヨーロッパ人はアメリカ大陸を「発見」し、銃だけでなく病原菌によってアメリカ原住民は甚大な被害を受けた。興味深いことに、それとまったく同じことが 5000年前のヨーロッパでも起き、「原ヨーロッパ人」は絶滅していたかもしれないのだ。 宗教改革と知能 リンは、社会的・文化的な強い淘汰圧によって 10 ~ 20世代( 250 ~ 500年程度)で遺伝的な偏りが起こりうる可能性を考慮していない。だが近年では、ヒトの進化が加速していることがさまざまな研究で示されている。そこでここでは、宗教改革( 1517年)とその後の啓蒙主義の可能性を考えてみたい。なぜなら、 IQの高い北ヨーロッパはプロテスタントの国とほぼ重なるからだ。 マックス・ヴェーバーの名高い『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』では、宗教改革が信者(プロテスタント)に勤勉・勤労と禁欲の倫理を求め、それが近代的な資本主義を生み出したとされる。だがそれと同時に、プロテスタンティズムは高い識字能力を信者に要求した。 グーテンベルクが活版印刷を発明し、「四十二行聖書」の印刷を完成させたのは 1455年で、その 60年後にカトリックを批判し、 95カ条の論題を教会の門扉に打ちつけたマルティン・ルターは、自らの主張を広めるのに印刷物(パンフレット)を縦横に活用できた。 ドイツ中世史の阿部謹也によれば、都市部を中心に宗教改革の是非をめぐる議論が沸騰したことで、 1500年から 1530年のあいだに約 1万種のパンフレットが刷られ、各 1000部としても全体で 1000万部にもなる。当時の識字率は 5%程度だが、こうしたパンフレットは居酒屋などに持ち込まれ、文字の読める者が 1人でもいればその内容がみなに知られていった。こうした「居酒屋学習」によって、無学の手工業職人が三位一体の教えについて、あるいは化体説(聖変化)について滔々たる弁舌をふるうようになった【 50】。 宗教改革は個人の信仰告白を重視したが、そのためには誰もが聖書を読めなければならず、聖書の現地語訳と初等教育のための学校の設立が求められた。その先頭に立ったのがルターのお膝元であるザクセンの諸都市で、 1514年に早くもラテン語学校が設立されている。 ドイツで最初の大学は 1409年にプラハから移住したドイツ人教師と学生によって設立されたライプチッヒ大学だが、宗教改革後の時代( 1500 ~ 1625年)にはマールブルク大学、ケーニヒスベルク大学など 18もの大学が設立された。こうしたプロテスタント系の大学は勃興する領邦国家によって支援され、国家官僚、教師、牧師を養成した。学問は同時に職業教育となり、それらがすべて信仰と結びついていた。それに対してイエズス会の司祭が嘆いているように、カトリックの大学はわずかしかなかった。 こうした事情はドイツだけでなく、スイスやオランダ、イギリスや北欧諸国などプロテスタント圏ではほぼ同じだった。宗教改革は「知は力なり」という知識社会を大衆化し、政治・宗教・社会・文化の大きな変化に適応するよう短期間にひとびとの I Qを引き上げたのではないだろうか。──本書ではこの仮説を提示しておきたい。 科挙が東アジア系の知能を上げた? 北ヨーロッパの IQは 100に到達しているが、世界ではそれ以外にも高い I Qをもつ地域がある。それが東アジアの中国、日本、韓国、台湾、香港、シンガポールに住む中国人(華人)、日本人、韓国・朝鮮人だ(北朝鮮のデータはないが、韓国人と大きく異なることはないだろう)。 リンはここでも「寒冷説」をもちだすが、やはり説得力があるとはいいがたい。中国南部は亜熱帯に属しているし、香港、シンガポール、台湾のひとたちの多くは冬でも暖かな広東省や福建省に祖先をもつが、彼らの知能は同じように高いからだ。 日本ではマックス・ヴェーバーの影響のもと、鎌倉時代の新仏教や江戸時代の儒者にプロテスタントと同様の職業倫理(勤労と禁欲)を見出そうとする試みがさかんに行なわれた【 51】。こうした議論を否定するわけではないものの、これだけでは社会・文化が日本と異なる中国や韓国も同様に IQが高い理由を説明できない。 そこでここでは、ふたつの仮説を提示したい。 ひとつは科挙で、 6世紀の隋で始まり、 10世紀の宋代になって貴族制(身分制)が廃され、家柄にかかわらず試験で高得点をとれば皇帝の側近にもなれる世俗的な知識社会が完成した。科挙制度は朝鮮半島にも移植され、両班の特権は残されたものの、李氏朝鮮時代には武科は庶民でも受験できた。一方、日本では科挙はいちども行なわれたことがない。 だが当時の東アジアは中国が「世界の中心」で、そこで知識社会が成立したことは周辺諸国に大きな影響を与えたはずだ。科挙の制度そのものは導入しないとしても、「知能が高ければ社会的・経済的に成功できる」という価値観は広まっていった。江戸時代の日本では寺院が寺子屋で町人の子どもに読み書きを教えたが、子どもは貴重な労働力なのだから、それ以上の価値が「教育」にあると親が納得しなければこんなことは起こらないだろう。 東アジアでは科挙によって知識社会が大衆化し、庶民までが「知は力なり」という価値観を受け入れるようになった。こうした社会が 500年( 20世代)から 1000年( 40世代)つづけば、上流階級(支配層)だけでなく他の階層でも「賢い子ども」が選好されるようになり、 IQが 1標準偏差ほど上がっても不思議はない。──これが第一の仮説だ。
稲作というイノベーション 第二の仮説はこの因果関係を逆にして、中国(東アジア)ではもともと知能が高かったからこそ、身分にかかわらず試験によって官吏を選抜するという、ヨーロッパや中東、インドなど他の文明社会では想像すらできない奇抜な発想が生まれたのだと考える。 私たちはごく自然に、「アジアは貧しくヨーロッパはゆたかだ」と考えている。中国やインドはどこもひとで溢れているが、ヨーロッパの都市は路地を一本入れば人影はなくなる。これだけを見れば、貧富の理由は、乏しい稼ぎをたくさんの家族で分け合っている国と、少数の国民で富を分配している国のちがいに思える。 だがこの「常識」は、 18世紀半ばの産業革命以降に生まれたものだ。 当たり前の話だが、人口が多いのはそれを養うだけの食糧を生産できるからだ。食糧が乏しければ家族を増やすことはできない。中世ヨーロッパでも女性はたくさんの子どもを産んだが、飢饉になればほとんどが栄養失調で死んでしまった。 なぜ洋の東西で人口がこれほどまで違うのか。この謎はものすごく簡単に説明できる。アジアが稲作なのに対し、中東からヨーロッパにかけては小麦がつくられてきたからだ。 同じ作物を毎年植えると、土地が瘦せて生育が悪くなる。これが連作障害で、小麦栽培ではずっとこの難題を解決できなかった。農家は、小麦を収穫したら翌年は羊などを放牧し、その翌年は休耕することで地力を保つしかなかった。──灌漑や機械化、品種改良、化学肥料などの「緑の革命」で小麦の単収が大きく上がったのは 1960年代になってからだ。 それに対して水田は、水といっしょに土壌に溜まった毒素を洗い流すから連作障害とは無縁だ。日本でも暖かい地方で二期作が行なわれてきたが、亜熱帯の中国南部や東南アジアでは三期作も可能だ。 同じ面積の土地があったとして、そこで小麦を栽培すると 3年に 1回しか収穫できない。ところが水田で米をつくれば毎年収穫できる。水耕栽培というのは農業におけるとてつもないイノベーションで、養育可能な人口を一挙に増やした。 アジアの人口が多いのは、稲作によってたくさんの子どもを育てることができる、ゆたかな社会だったからだ。だがそれは同時に、狭い地域に多くのひとが暮らす社会でもあった。これほどまで人口密度の高いムラ社会は、狩猟採集社会や遊牧社会はもちろん、小麦作のヨーロッパにも存在しない。だとしたら、これが知能に関係しているのではないだろうか。 産業革命と勤勉革命 アジアとヨーロッパのちがいを人口動態から読み解いたのが歴史人口学の速水融で、 18世紀イギリスで起きた産業革命が、より少ない労働者でより多く生産する資本集約型の生産革命であったのに対し、江戸時代の日本では、多くの人口を効率的に配置する労働集約型の生産革命、すなわち「勤勉革命」が起きたと述べた【 52】。 日本の人口は 1600年の関ヶ原の合戦の頃が 1000万で、それが江戸時代の最初の 100年で 3000万と 3倍になった。人口が増えれば、当然、そのぶんだけ食糧を増産しなければならない。 徳川幕府は埋め立てや灌漑事業で新田開発を行ない耕地を増やしたものの、島国で平地の少ない日本では限界があった。それでは、 3倍にも増えた人口を江戸時代の社会はどのように養ったのだろうか。 速水はここで、日本の農業が家畜を使わないことに注目する。日本には牛も馬もいたから、家畜を農作業に活用すればより大規模で効率的な農業が可能になる。だが不思議なことに、江戸時代になって社会が安定すると農村から家畜が消えていく。 その理由は、より少ない人手で米をつくると失業者が溢れて村の秩序が崩壊するからだ。それを避けるために日本では、農地を家ごとに細かく分割し、土地の所有権を絶対化して大規模農家が生まれないようにしたうえで、村人全員が日々〝勤勉に〟農作業に従事することで食糧の増産を図った。システム化(工業化)によって生産力を増大させる産業革命 Industrial Revolutionに対して、日本では豊富な人口を活用した労働集約型の勤勉革命 Industrious Revolutionが起きたのだ。 これはきわめて興味深い説だが、考えてみれば、日本人はそれまでも人口稠密なムラ社会で暮らしていた。江戸時代の人口の急増で大規模な「勤勉革命」が始まったとしても、そのずっと前から小さな「勤勉革命」は繰り返し起きていたのではないだろうか。 勤勉性は、言葉を変えれば、ムラ社会でうまく生き延びていくための〝知恵〟でもある。微妙な人間関係の綾を読んで適切に対処できなければ、たちまち「村八分」にされ生活の糧を奪われてしまう。それに対して遊牧民は、仲間と喧嘩したら家畜を連れてほかに移動すればいいだけだ。小麦作のヨーロッパや中東でもムラ社会の苦労はあっただろうが、一家族あたりの耕作面積が広く人口密度が低ければ隣人と接触する機会も少なかったはずだ。 東アジアの稲作型ムラ社会では、複雑な人間関係が強い淘汰圧になり、それに対処できる高い知能(コミュ力)が選好された。それが何千年もつづいたことで、孔子などが活躍した紀元前 500年頃にはすでに中国(黄河・揚子江流域)の知能はじゅうぶん高くなっていた。──これが第二の仮説だ。 ちなみに私は、古代社会でも特定の集団はきわめて高い知能に達していたのではないかと考えている。それは、プラトン、釈迦、孔子などの賢人が存在するからだ。彼らの哲学・思想はいまも繰り返し参照されるほど高いレベルにある。 知能は集団内で正規分布するので、賢人(天才)が登場するためには、集団の知能の平均値が高くなければならない。古代ギリシア、インド、中国で知能が高くなった理由はさまざまだろうが(古代ギリシアは航海術と交易、古代インドはカーストなど)、農耕のはじまりから 5000 ~ 1万年経つ頃には、科学とテクノロジーの支援なしに考えられることはすべて考えつくされてしまった。その後の哲学・宗教は古代の思想のたんなる再解釈だ。 稲作の東アジアでは、人口稠密なムラ社会の淘汰圧でさまざまな遺伝的偏りが生じ、文明の発達とともに、そうした遺伝的特徴に適した政治・社会制度がつくられていった。この遺伝と文化の共進化によって東アジアの知能は引き上げられていったのだろう。 アメリカ黒人の知能は高い アメリカにおいて「人種と知能」は最大のタブーで、 1960年代のジェンセン・スキャンダルや 1990年代の『ベルカーブ』がはげしい論争を巻き起こした。そこに、「黒人が経済的に成功できないのは遺伝的に知能が低いからだ」との含意があると見なされたからだ。ヘッドスタート(貧困層への教育援助)やアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)を批判する保守派は、これは差別ではなくたんなる科学だと反論する。それが終わりのない罵倒の応酬になっていくのは、昨今の日本のインターネット空間で見られるのと同じだ。 だが認知心理学者のリンが収集したデータを見るかぎり、アメリカの黒人の IQはけっして低くはない。 I Q 85というのはサブサハラのアフリカ人( I
Q 70)より 1標準偏差も高く、中東や北アフリカ、南アジア、中央アジアなど世界の多くの国と変わらない。それにもかかわらず黒人の置かれた状況が、こうした地域からの移民より劣悪だとすれば、その理由として「差別」の存在を否定できないのではないだろうか。 アメリカの履歴書には人種による選考を避けるために顔写真を貼る欄がないが、アフリカ人に特徴的な名前(イマーニやジャマール)だと明らかに面接に呼ばれにくくなる。事業者に差別意識がなくても、「黒人労働者は職場の定着率が低い」というような過去のデータから忌避されるのだ(統計的差別)。黒人の生徒に人種を意識してテストを受けさせると、自分が「黒人」だと考えただけで成績が下がってしまう「差別の内面化」や、自分は人種差別などしないという白人が、職場などで白人をえこひいきする「無意識の偏見」もさまざまな実験で繰り返し確認されている。こうした見えない差別が黒人の苦境を生み出していることはまちがいない。──その一方で『ベルカーブ』では、 IQを揃えると黒人の方が白人よりも専門職につき、高い年収を得ていることが統計的に示されている。 なぜアフリカに祖先があっても、アメリカの黒人(カナダ、イギリス、ベルギーの黒人も)の IQはずっと高いのか。 考えられる理由のひとつは教育環境、もうひとつは遺伝(混血)で、おそらくはこの両者が影響しあっているのだろう。アメリカでは奴隷制時代に多くの「混血児」(そのほとんどが男性の白人農園主と女性の黒人奴隷のあいだの子ども)が生まれ、〝純粋〟なアフリカ系はほとんどいないとされている。 リンは、データ数は少ないものの、ヨーロッパ系白人と黒人のあいだに生まれた子どもの IQも調べており、アメリカでは 93・ 5だ。これは、アメリカの白人( 99・ 7)と黒人( 84・ 3)の中間( 92)にきわめて近い。カナダも同様の比較が可能で、白人( 99・ 8)と黒人( 84)の中間は I Q 91・ 9で、それに対して白人と黒人のあいだに生まれた子どもの IQは 93だ。知能は遺伝のみで決まるわけではないとしても、この結果はそうとうに衝撃的だ。 しかしこれを、次のように考えることもできるだろう。 リベラルなひとたちは〝遺伝決定論〟を毛嫌いするが、今後、人種間結婚が増えていけば、遺伝的な要因だけでも知能は平準化していく。残念ながら私たちは目にすることができないだろうが、何十世代、あるいは何百世代たつうちに人種(大陸系統)による知能のちがいは消失するはずなのだ。 ユダヤ人の知能は高くない? このリストには出ていないが、北ヨーロッパ系や東アジア系よりも高い知能をもつ人種が存在する。ここで当然ユダヤ人を思い浮かべるだろうが、これは正しいとはいえない。イスラエルの IQは 94・ 2で、けっして高いとはいえないからだ。 イスラエルの統計では、「ユダヤ人( Jews)」は3つのグループに分けられる。「アラブ系」「ヨーロッパ系」「オリエント系」だ。アラブ系はイスラエル社会の 20%で、建国以前からこの地でユダヤ教徒として暮らしてきたひとたちだ。 40%を占めるヨーロッパ系は「アシュケナージ」と「セファルディム」で、前者はロシア・東欧、後者はスペインなど南欧で長く暮らした。セファルディムはレコンキスタ( 1492年)でイベリア半島からイスラームが撤退した際にオスマン帝国領に移住したため、ナチスによるホロコーストの難を逃れた。 残りの 40%を占めるオリエント系は「ミズラヒム」と呼ばれ、本来はコーカサス地方など東(オリエント)に住むユダヤ人のことだが、ベタ・イスラエル(エチオピアのユダヤ人)などを含め、アラブ系、ヨーロッパ系に含まれないユダヤ人のカテゴリーとして使われている。 集団別の IQを見ると、アラブ系 86、オリエント系 91に対してヨーロッパ系は 103となっている。イスラエルのユダヤ人のうちヨーロッパ系はきわだって知能が高く、オリエント系はアラブ系とヨーロッパ系のほぼ中間だ。 このうちもっとも正統なユダヤ人は、いうまでもなく「父祖の地」でずっと信仰を守ってきたアラブ系だ。彼らの I Q( 86)は中東の周辺地域と変わらず、たとえばパレスティナ人は 84・ 7だ。すくなくとも知能を見るかぎり、アラブ系ユダヤ人になにも特別なことはない。 しかし、これは不思議でもなんでもない。アラブ系ユダヤ人とパレスティナ人はまったく同じ「人種」だからだ。 パレスティナ人はイスラームに改宗したユダヤ人 オーストリアに生まれ、両親とともにイスラエルに移住して歴史家となったシュロモー・サンドは、現代ヨーロッパ史を学ぶうちに、イスラエルという国の成り立ちに疑問をもつようになった。国民国家として建国されたはずなのに、そこには「イスラエル人」という国民はおらず、「ユダヤ」という正規市民と「アラブ」という二級市民に分かれている。しかもそのユダヤ人は、世界じゅうからやってきたさまざまな系譜をもつひとびとの寄せ集めだ。こうしてサンドは、イスラエルという国家も、ユダヤという民族も、「ユダヤ人の国をつくる」というシオニズム運動のなかで創作された「神話」ではないかと疑うようになる【 53】。 イスラエルの公式史学では、パレスティナ人はユダヤ人が父祖の地を追われたあと、周辺地域から移り住んだとされている。だが歴史文献のどこを調べても、そのような記録は見つからない。だがこの謎は、彼らがもともとそこに住んでいたと考えればかんたんに解ける。 パレスティナ人がイスラームに改宗した時期についてはふたつの説がある。ひとつは 1012年で、ファーティマ朝第 6代カリフのハーキムによって「改宗か、さもなくば土地を去れ」との命令が出されたというもの。もうひとつははるかに新しく、オスマン帝国統治下の 1900年代前半に、「イスラエル奪還」のシオニズム運動を知ったスルタンが激高し、強制改宗の勅令を出したというものだ【 54】。どちらが正しいかは別として、いずれの説も、「パレスティナ人とはイスラームに改宗したユダヤ人」だということを示している。 アラブ系ユダヤ人とパレスティナ人が遺伝的にきわめて近いことは DNA解析によってすでに明らかになっており、シーア派系の少数派でレバノンなどに住むドゥルーズ派と、シリア、イスラエル、アラビア半島東部を遊牧するベドウィン(バニ・ハリド)も同様にユダヤ人と遺伝的に近接している【 55】。だがこれも、彼らはもともと同じ民族で、ユダヤ教にとどまったか、イスラームに改宗したかのちがいだと考えれば当然だ。 アラブ系ユダヤ人( I Q 86)に比べてオリエント系ユダヤ人の IQは 91と若干高いが、さまざまな地域の寄せ集めである彼らをひとつの集団として扱うのは無理がある。中東やインドに移住したヨーロッパ系ユダヤ人がオリエント系に分類されて I Qの平均値を引き上げている可能性もある。 キリスト教の誕生とユダヤ人の知能 ヨーロッパ系のユダヤ人の知能だけが突出して高い理由には大きくふたつの説がある。 ひとつは経済史家のマリステラ・ボッティチーニとツヴィ・エックスタインによるもので、紀元 1世紀のラビ時代にまでさかのぼる。ローマによる第 1回の神殿破壊(紀元 70年)のあと、ユダヤ教の主流はトーラー(モーセ五書)を重視するパリサイ人に移った。ユダヤ教徒の父親は 6歳か 7歳で息子を学校に通わせるよう命じられ、そこではトーラーとタルムード(ラビによる注釈集)が講じられた。 だが農民の父親たちは、貴重な労働力である息子を学校に通わせることは気が進まなかった。そこで彼らは、わけのわからない「教育」を強制しない簡易版のユダヤ教に積極的に改宗した。その新宗教は、イエスという名のユダヤ人を教祖としていた。──ボッティチーニとエックスタインは、紀元 65年頃には 550万人だったユダヤ教徒の数が、紀元 650年にはキリスト教への改宗によって 120万人に減ったと推計している。 その後、ユダヤ教の中心はイラクとペルシアに移り、アッバース朝カリフの時代には、ユダヤ人は都市で通商や商業活動に従事するようになった。なかには金貸しになった者もいたが、それは差別のせいではなく、大半が文盲な世界でほぼ全員が字を読むことのできたユダヤ人は、契約や簿記を必要とする職業で大きな優位性をもっていたからだ【 56】。 これはたしかに魅力的な説ではあるものの、なぜアラブ系ユダヤ人の IQが中東の他の民族と変わらないのかをうまく説明できない。 差別から生まれた「高知能集団」 ヨーロッパ系ユダヤ人の IQが高いもうひとつの説明は物理学者出身のグレゴリー・コクランと集団遺伝学者の故ヘンリー・ハーペンディングによるもので、ヨーロッパにおける激しいユダヤ人差別(ポグロム)によって一部のユダヤ人(アシュケナージ)の知能が高まったとする【 57】。 キリスト教世界の差別によって金融(金貸し)以外に生きていく術がなくなったユダヤ人は、数学的知能(計算能力)に秀でていた方が有利なのだから、平均的なヨーロッパ系白人よりほんのすこし知能が高かっただろう。だがこれだけでは、短期間に知能が急激に高まる理由にはならない。ところがこれに虐殺と追放という極端な淘汰圧を加えると、集団内の遺伝分布の大きな偏りを説明できる。 ユダヤ人はもともと多産で、ポグロムで人口が急減したときでも、裕福なユダヤ人はそれをなんとか生き延びて平均より多くの子を産んだだろう。知能の高いユダヤ人は追放先でも真っ先に経済的に成功し、大家族をつくった。 DNA分析では、今日のアシュケナージ系ユダヤ人は中東の遺伝子をいまだに 50%ちかく保有している。これは過去 2000年間における混血率が 1世代あたり 1%未満であったことを示しており、ここまで同族婚が極端だと、有利な遺伝的変異は散逸することなく集団内に蓄積される。 仮に富裕なユダヤ人が平均より 1ポイントだけ知能が高く、それによって平均的な親たちよりもより多くの子どもを残したとすると、 I Qの遺伝率を 30%と控えめに見積もっても、 40世代すなわち 1000年後には I Qが 12ポイント(およそ 1標準偏差)増加する。 セファルディムはイスラーム統治時代のイベリア半島で暮らしていたが、彼らの IQは 97でスペイン人( 97・ 6)とほとんど変わらない。これはセファルディムがスペイン人と混血したか、ユダヤ教に改宗したスペイン人であることを示唆している。それに対してアシュケナージの IQはヨーロッパで 110、アメリカで 115とされている。アインシュタインやフォン・ノイマンなど現代史に名を残すユダヤ系の「天才」はほとんどがアシュケナージだ。 7世紀から 10世紀までの約 300年間にわたって、ハザールと呼ばれる国が黒海の北岸と東岸を支配した。文献では、ハザールの帝国は 700年代中盤のどこかでユダヤ教を受容し、コンスタンティノープルやバグダードから、ハザールの貴族に信仰を説くためにユダヤの学者たちを呼び寄せたことがわかっている【 58】。 ハザールの国はやがて森深い北部と河川沿いのステップ地帯にいたルーシの諸公国に圧迫され、 900年代後半にはほとんど物理的な痕跡も残さず姿を消してしまう。故郷を失ったハザール人たちは流浪の民となり、ユダヤ教の教えを守りながらも北方ではスラヴ系と、西方(東欧)ではヨーロッパ系と交わった。この流浪の民がアシュケナージと呼ばれる東欧系ユダヤ人の祖先ではないかといわれている。 外見が白人に似ていても(あるいはそれだからこそ)、ユダヤ人はキリスト教世界ではげしい差別に晒された。そのなかでアシュケナージが生き延びるには、自分たちのささやかな優位性(識字率の高さ)にすがるしかなかった。そんな苦難を 1000年間つづけた結果、多くの天才を生み出す「高知能集団」へと変貌していった。 ここで興味深いのは、アメリカのアシュケナージの I Q( 115)が、ヨーロッパのアシュケナージ( 110)より 5ポイント高いことだ。その理由をリチャード・リンは、ナチスの迫害に気づいてアメリカに逃れることのできたユダヤ人は、ヨーロッパに取り残されたユダヤ人より裕福で知能が高かったからだとする。わずか 80年ほど前の出来事で、集団の IQは 5ポイントも変わるのだ。 バラモンの知能 シリコンバレーは知識社会の純化した形態で、人種、民族、国籍、宗教、性別、性的指向のちがいを問わず、世界じゅうから高い知能をもつ若者を集めてイノベーションを競わせている。シリコンバレーのベンチャー企業の創業者・経営幹部にアシュケナージが多いのは母集団の平均的な知能が高いからだが、次に目立つのはインド系だ(マイクロソフト CEO(最高経営責任者)のサティア・ナデラ、グーグル CEOのサンダー・ピチャイなど)。 その理由としてインドの人口の多さが挙げられるが、これは正しくない。知能は正規分布するから、人口が多くても特定のカテゴリーの人数が増えるだけで分布が広がるわけではない。極端に知能の高い人物を生み出すには、その集団の知能の平均値が高くなくてはならない。 ところが国別のデータを見ると、インドの I Qの平均は 83しかない。だとすれば(イスラエルにおけるアシュケナージのように)、インドのなかにきわめて知能の高いサブグループがあると考えなくてはならない。 それはおそらくバラモン(ブラフミン)だろう。だがこの仮説を証明するのは容易ではない。 近代インドの成立でカースト制は廃止されたと思われているが、これは誤りだ。インド憲法 17条は不可触民制の廃止とカーストによる差別を禁じているものの、カースト制そのものの撤廃を宣言しているわけではない。 インド独立を控えてさまざまな利害が対立した 1930年代、ヒンドゥー主義者は「カーストを否定することはヒンドゥーそのものを否定することだ」と頑強に主張した。彼らによれば、「ヴァルナ(カースト)は差別ではなくたんなる分業形態」にすぎない。ムスリム勢力が東西パキスタンとして分離独立し、残されたインドを「ヒンドゥーの国」として統一するほかなくなったガーンディーは、彼らに譲歩するしかなかった。 その結果インド社会は、カーストによる差別は厳然とあるものの(だからこそさまざまなアファーマティブ・アクションが行なわれている)、その差別は建前上は存在しないという微妙な均衡の上に築かれることになった。そんな社会で、カースト別の知能の測定などできるわけがない。 ヨーロッパ人とインド人は同祖集団 独立後のインドでは、「インド人とは何者か?」が大きな問題になった。 ひとつの有力な説は、ヴェーダ神話にあるように、北からやってきたアーリアがドラヴィダ系の原住民を征服したというもの。この歴史観によると、バラモンなどの高位カーストは侵略者の末裔で、低位カーストや不可触民は征服された原住民の子孫ということになる。 だがこれが事実だとすると、インドはアメリカの黒人問題と同様の深刻な人種問題を抱えることになり、国が分裂してしまう。そこでヒンドゥー原理主義者などは、アーリアももとからインドに住んでおり、神話にあるような集団同士の争いはあったかもしれないが、それは外部世界からの侵略ではないと
主張するようになった。 現代インド人の DNA解析は、この論争に決着をつけた。 インド人の遺伝子を調べると、アーリアに由来する北インド系と、インド亜大陸の内部に隔離されていた南インド系にはっきり分かれ、バラモンなど高位カーストは北インド系で、低位カーストや不可触民は南インド系だ。インダス文明が滅び『リグ・ヴェーダ』が編纂された 4000 ~ 3000年前に大規模な交雑があり、 Y染色体(父系)とミトコンドリア染色体(母系)の解析から、北インド系の少数の男が南インド系の多くの女と子をつくっていることもわかった。 近年のヒンドゥー原理主義は、カーストが現在のような差別的な制度になったのはイギリスの植民地政策(分断して統治せよ)の罪で、古代インドではカーストはゆるやかな職業共同体で極端な族内婚は行なわれていなかったとも主張している。この仮説も DNA解析で検証されたが、それによると、ヴァイシャ(商人/庶民)階級では、 2000 ~ 3000年のあいだ族内婚を厳格に守って、自分たちのグループに他のグループの遺伝子を一切受け入れていないことが示された。ジャーティと呼ばれるカースト内の職業集団にもはっきりした遺伝的なちがいがあり、インドは多数の小さな集団で構成された「多人種国家」であることが明らかになった。 馬と車輪を手にしたステップのヤムナヤ遊牧民のうち、ヨーロッパ系とは別の集団は南へと向かい、現在のイランや北インドに移住した。彼らはその後「アーリア」と呼ばれるようになった。 このように西ヨーロッパ人と北インドのアーリア、イラン人は同じ起源をもつ同祖集団で、だからこそ同系統のインド =ヨーロッパ語を話す。バラモンによって何千年も保持されてきた宗教もヤムナヤ由来で、ヨーロッパ文化の基層にはヒンドゥー(インド)的なものがある【 59】。 バラモンはカースト制度の頂点に君臨し、サンスクリット語の文献解釈を独占した。現代インドでも、有名大学の学生やベンチャー企業の創業者、大学教員や大企業の幹部のほとんどがバラモン出身であることは公然の秘密だ。 インターネットではバラモンの IQを 110程度と推計しているものもあるが、参照論文が示されているわけではなく、これが正しいかどうかを確認する方途はない。 言語的知能が低いと保守的になる? アフリカを起源とするサピエンスは、ユーラシア大陸に広がるなかで、(おそらくは寒さに適応するために)高い知能を獲得していった。だが、集団ごとに異なる自然環境・社会環境に直面したことで、知能の分布には偏りが生じた。大陸系統では北ヨーロッパと東アジアの IQが高く、アシュケナージと(おそらくは)バラモンという高知能集団が存在する。 だがこれは、アフリカの黒人が「天性のリズム感」や「驚異的な身体能力」をもつのと同じことだ。音楽的才能や運動能力と同様に、認知能力も集団によって大なり小なり異なっている。問題なのは、産業革命以降の「知識社会化」によって、知能のわずかなちがいが増幅され、それが個人の運命を大きく左右するようになったことだ。 認知心理学では、政治的にリベラルなひとは保守的なひとに比べて知能が高いことが繰り返し確認されている。子どものときの知能で成人後の政治的立場を予測できるとか、政治的立場はある程度生得的に決まっているとの研究もある。これについては別の本で詳述したので繰り返さないが【 60】、リベラルと保守を分けるのは言語的知能と新奇なものへの好みにある。 言語的知能が低いと(いわゆる口べただと)、世界を脅威として感じるようになる。なんらかのトラブルに巻き込まれたときに、自分の行動を相手にうまく説明できないからだ。 このことは、子ども時代に叱られた体験を思い浮かべればわかるだろう。悪ふざけをしたとき、大人は「なんでそんなことをしたのか?」と訊く。この問いに即座に納得のいく返事ができた子どもは許され、口ごもってしまう子どもは罰せられる。大人は子どもを道徳的に「教育」しようとしているのではなく、その行動を理解するための説明を求めている。なぜなら、理解できないものは不安だから。 こうした経験を子どもの頃から繰り返していると、言語的知能の高い子どもは見知らぬ他人との出会いを恐れなくなり(怒られても言い返せるから)、口下手な子どもは親族や友人の狭い交友関係から出ようとしなくなるだろう(自分の行動を説明する必要がないから)。 これが「リベラル」と「保守」の生得的基盤だとされているが、だとすれば、世界を恐れない(言語的知能の高い)子どもは、異人種の友だちや外国人との恋愛、留学、一人旅まで「新奇な体験」全般に興味を抱くようになるはずで、これが「ネオフィリア(新奇好み)」だ。それに対して世界を脅威と感じている(言語的知能の低い)子どもは、いつも同じ仲間とつるみ、知らない相手を遠ざける「ネオフォビア(新奇嫌い)」になるだろう。 これはヒトの性格で、どちらが正しくどちらがまちがっているということはないが、高度化した知識社会ではネオフィリア(リベラル)の方が社会的・経済的に成功しやすく、ネオフォビア(保守)はうまく適応できない。世界でもっとも知識社会化が進んだアメリカでは、東部(ニューヨーク、ボストン)や西海岸(サンフランシスコ、シリコンバレー、ロサンゼルス)の都市に裕福なエリートが集まり、民主党(リベラル)の牙城となる一方で、トランプ支持者はラストベルト(錆びついた地域)と呼ばれる中西部の荒廃した街に吹きだまっている。 あらゆる経済統計が示しているように、アメリカでは一部の富裕層に富が集中し急激に格差が拡大している。知識社会において、こうした富を手にしているのは、ウォール街やシリコンバレー、大学やマスメディアで働く知能の高いひとたちだ。そんな彼らが「リベラル派」として〝弱者〟の味方になり、トランプ支持者(知識社会の敗者)と対立するという皮肉な事態を私たちは目にしている。 知能の高い国はリベラルになる?「知能の高い個人がリベラルになるように、知能の高い集団(国家)はリベラルになるのだろうか?」──この疑問を検証したのが、日系アメリカ人の進化心理学者サトシ・カナザワだ【 61】。 カナザワはリチャード・リンの国別 I Qを使って、知能が社会のリベラル度とどの程度相関するかを統計解析した。リベラル度の指標として選んだのは、 ①限界税率と所得格差、 ②信仰心、 ③一夫多妻で、リベラルな国の方が高い税率を受け入れ、その結果として所得格差が小さく、世俗化が進んで宗教の影響は小さくなり、一夫一妻が徹底されて一夫多妻は忌避されると予想した。 結果は、 IQと限界税率には明らかな正の相関が、所得格差には負の相関があった。国民の IQが 1ポイント上がると限界税率は 0・ 5%上がり、その結果、所得格差が縮まるのだ。 I Qと信仰心には、明らかな負の相関があった。国民の IQが 1ポイント上がると、「神を信じる」と回答する割合が 2%ちかく下がる。それに対して経済成長や教育年数は、 IQを調整すると信仰心に与える影響が消失した。 I Qと一夫多妻にもはっきりとした負の相関があった。国民の IQが高いほど一夫一妻の社会になっていくことは誰でも予想できるが、ここで興味深い
のは、 IQ以外の要因の相関がきわめて小さいことだ。サハラ以南のアフリカは世界でもっとも一夫多妻の割合が高いが、文化・伝統などの地域性をもちださなくても、 I Q(の低さ)だけでこの傾向は説明できる。イスラームも同様で、一夫多妻の割合の高さは、クルアーンに書かれているからではなく、 I Qのほうがはるかに強い決定要因になる。 もちろんこれだけで、「 IQが高い国ほどリベラルになる」と決めつけることはできない。 社会的な男女格差の指標であるジェンダーギャップ指数( 2017)では、アイスランド、ノルウェー、フィンランドなど I Qの高い北ヨーロッパの国が上位に並んでいるが、 4位はサブサハラのルワンダ、 6位はラテンアメリカのニカラグア、 10位は東南アジアのフィリピンだ。それに比べて、北ヨーロッパと同程度の I Qの東アジアでは、中国が 100位、日本が 114位、韓国が 118位と世界最底辺にある。 消費税率の国際比較( 2018年1月)を見ても、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの北欧諸国は 25%でたしかにもっとも高いが、東アジアでは中国の 17%が突出しているものの、韓国 10%、日本 8%、台湾 5%とヨーロッパに比べてかなり低い。 OECD加盟 35カ国の国民負担率の国際比較( 2015年)でも、日本 28位、韓国 30位で、「 IQが高いと限界税率が高くなる」とはいえない。 このように IQですべてが説明できるわけではないとしても、カナザワのデータはヨーロッパにはよく当てはまる。ギリシア、イタリア、スペインなど南欧からドイツ、フランスを経て北欧諸国に行くほど I Qは高くなり、それにともなって男女の平等や子どもの権利、同性愛への寛容さ、動物愛護など、スティーブン・ピンカーのいう「権利革命【 62】」が進んでいる証拠は数多くある。──同様に、北に行くほど経済成長率は高く、失業率は低くなる。 北ヨーロッパでも「右傾化」が進んでいるというかもしれないが、これは押し寄せる移民から社会保障制度を守ろうとする生活保守で、リベラルな価値観が放棄されたわけではない。同性婚や安楽死の合法化、大麻解禁など、「反移民」以外ではむしろリベラル化の趨勢は強まっている。 制度決定論は「空白の石版」 第二次世界大戦が終わると、ナチスの「優生学」のおぞましい結果に世界じゅうが震撼した。断種法により〝劣性〟な遺伝子をもつとされた 40万人が強制的な断種手術を受け、安楽死プログラムでは、「重度の遺伝性および先天性疾患の科学的な登録」をされた「生きるに値しない命」 25万人ちかくが安楽死させられた。スターリン独裁下の粛清やナチスの強制(絶滅)収容所などで 600万人のユダヤ人、 20万人のジプシー(ロマニー)、数百万人のソビエトおよびポーランド市民、同性愛者、知識人、作家、芸術家、反体制派が殺された。これは「ジェノサイド genocide」と呼ばれるようになるが、「遺伝子 gene」と共通の語源をもつのは偶然ではない【 63】。 ホロコーストの「人類史的悲劇」を経たあとでは、もはや何者も優生学を弁護することはできない。身体的特徴は遺伝しても、知能や性格、精神疾患などの「こころ」は遺伝してはならないというドグマがこうして生まれた。 そこから半世紀の論争を経て、行動遺伝学や進化心理学が膨大なエビデンスをもとに「こころ」もまた(ある程度)遺伝することを科学的に証明した。 ここまでは多くのひとが同意するだろうが、それを集団に拡大し、「地域によって経済発展の度合いが異なるのには遺伝的な背景がある」という遺伝と文化の共進化論はいまも「差別」のレッテルを貼られたままだ。 しかしそうなると、遺伝をいっさい考慮しない「空白の石版」理論で世界の発展のちがいを説明しなくてはならない。 そのもっとも有名な試みがジャレド・ダイアモンドの世界的ベストセラー『銃・病原菌・鉄』で、「横に長いユーラシア大陸と、縦に長いアフリカ大陸、南北アメリカ大陸の地理的なちがい」というエレガントな説を提示した。農業は人類史を画する革命だが、このイノベーションは同程度の緯度の地域にしか広まらない。アフリカ南部もヨーロッパと同じ農業を営む条件は揃っているが、知識や技術はサハラ砂漠や熱帯のジャングルを越えることができなかった。 だがさらに考えてみると、大陸ごとに知識・技術の伝播のちがいが生じるのは地形が人の移動を制限するからだろう。ダイアモンドは「人種などというものは存在しない」と断言するが、皮肉なことにその主張は「孤立した集団(大陸系統)ごとに遺伝子頻度の偏りが生じる」という遺伝と文化の共進化論を補強している。 アメリカの経済学者ダロン・アセモグルとジェイムズ・ A・ロビンソンは、「経済発展できるかどうかは制度によって決まる」と主張した【 64】。だがこれは一種の循環論法で、社会が繁栄するためにはよい制度が必要で、よい制度をもった社会が繁栄するとしても、その制度をもつかもたないかがどこで決まるのか説明できない。 韓国と北朝鮮は人種的には同一で、文化や歴史もほとんど変わらないが、いまや一方は先進国の仲間入りを果たし、もう一方は世界の最貧国だ。なぜこのような大きな差が生じたかは、歴史的な偶然(民族分断の悲劇)によって異なる制度をもつようになったことからしか説明できない──これはきわめて説得力のある論理だが、問題はこうしたケース(旧西ドイツと旧東ドイツも同じ)を地球全体にそのまま拡張できるのか、ということにある。 わずか数十年で世界第 2位の経済大国に成長した中国は共産党独裁で、貧困に喘ぐアフリカの国々の多くは(まがりなりにも)民主国家だ。制度論をそのまま当てはめれば、「新興国では民主政より開発独裁のほうがゆたかになれる」ということになる。だとしたら先進国は、アフリカへの援助などやめて独裁国家になるよう促せばいいのだろうか。──リーマンショック後に一部の経済学者が唱えた「北京コンセンサス(政府主導の中国型経済発展)」論はこれにきわめて近い。 なぜこのようなことになるのか。それは、制度とともに国家の経済発展に大きな影響を与える要因を無視しているからだ。個人の発達を「生まれつきすべて決まっている」とする遺伝決定論が誤りなのはいうまでもないが、環境決定論(空白の石版)も同様に荒唐無稽だ。国家の発展もこれと同じで、「制度決定論」では説明できない。すくなくとも現在のところ、「遺伝と文化の共進化」を否定するだけの論拠は示されていない。
コメント