質問するとき脳はどう機能しているのか
いい質問は、自分や他人に自由を与え、新しい道を切り拓きます。
このとき脳にはどんな変化が起きているのでしょうか。またどんな脳の働き方から、いい質問がつくられるのでしょうか。
この章では、それを説明していきます。
他人に質問するときは、まず、その人の気持ちになって考えることが必要です。
脳の中で人の気持ちを考える回路には、2種類があります。
たとえば今、泣いている子どもがいたとします。この子に応対するのには、二つの方法が可能です。
- ①共感から質問する
- ②論理で質問する
①の共感の質問は、「まあ、かわいそうに。どうしたの?」とその子の気持ちにピッタリ寄り添う方法です。
②の論理の質問は、泣いているのは、「おもちゃが壊れてしまった」のかもしれないし、「友達に置いていかれてしまった」のかもしれないと可能性を検討し、「この子はなにを欲しているのか」を知って具体的な解決法を提案する方法です。
①の気持ちに同調する力と、②の論理力は、どちらも必要ですが、働かせる脳部位が違います。
みなさんは、他者が痛い思いをしているのを見ているだけで、実際に自分が痛い思いをしているように感じた経験はありませんか。
他人の感情というのは、それがあたかも自分の感情であるかのように、自分の脳の中に写し取られることがあります。
これが①の共感の脳回路の働きです。
自分が実際に痛みを与えられているとき、島皮質や前帯状皮質と呼ばれる脳部位が活動します。
それと同じ脳部位が、他人が痛みを与えられているのを見ているだけで、自分には「痛いことはされていない」のにもかかわらず、活動する。つまり、相手の痛みが、そのまま自分の痛みとして感じられるのです。
「痛み」だけでなく、人間の脳の中には、他人の「行動」をただ見ているときに、その行動をあたかも自分がやっているかのように置き換えて、反応する部位もあります。
自分は実際には行動していないにもかかわらず、他人がある行動をしているのを見ているだけで、自分がその行動をするときに働く部位が活動します。
たとえば、頭頂葉の身体イメージに関わる領域が活動します。
他人の行動を直接、自分に置き換える仕組みがあるから、そういう行動をとっているときには、どういう気持ちなのかを想像できるようになると言われています。
「自分だったら、この行動をするときには、このように感じているときか、こう思っているときだな」「あの人は今こう感じているんじゃないかな?」と他者の行動を自分に置き換えたうえで、他者の心を推論するのです。
つまり、共感回路のようにダイレクトに伝わる感情もあれば、自分に写し換えて推論するしかない感情もある。
後者の、相手の行動の背後にある心の「推論」には、先ほど言った頭頂葉に加えて、内側前頭前皮質や、上側頭溝などが必要になります。
こちらの回路が②の他者の気持ちを論理的に分析する回路です。
①と②は似たようなことをやっているようにも見えますが、決定的な違いが存在します。
②は「自分と他者とは違う心の状態を持っていることを知っている」うえで他者の心の状態を推論する力なのです。
どういう意味か説明しましょう。
》「自分と他者は違う」と知ると、感情が豊かになる
「誤信念課題」と呼ばれるものがあります。
たとえば、今あなたが人形劇を見ているとします。舞台上にはサリーとアンという人形と、箱が二つ出ています。
今、サリーがアンの目の前で自分の大切なおもちゃを左の箱に入れて、舞台から出て行きました。
アンは、サリーが出て行った後、なにを思ったか、そのおもちゃを左の箱から右の箱にこっそり移し換えてしまいます。
さて、サリーが戻ってきました。
サリーは、おもちゃで遊ぼうとして、どちらの箱を開けるでしょうか?あなたが②の論理力を使って、サリーの気持ちを推し量れる人ならば、答えは「左側の箱」になります。
あなたは今、実際におもちゃが右側の箱にあることを知っていますが、サリーはアンが移し換えたことを知らないはず。
あなたは「サリーならば」と自分とサリーを切り離すことができるので、「左側の箱を開ける」と答えられるのです。
ところが、他者の気持ちを理解することが比較的苦手だと言われる自閉症の子どもたちは、「右側の箱」と答えることがよくあります。
なぜならば彼らは、自分とサリーを区別せず、おもちゃは今右側の箱にあるのだから、サリーがおもちゃで遊ぶなら「右側だ」と答えてしまうと考えられています。
他者の心を「推論」するのには、まず、自分と他者が違うことを理解していなくてはなりません。
意外なことに、自分と他者を切り離せる人のほうが、最終的に他者の気持ちを推し量る力が高くなるのです。
脳は他人の心を読み取れる
周りの人とうまくやれなかったり、周りに困った人がいたりしたら、この質問をしてみるのがとても有効です。「この人はどうしてこのようにふるまっているのだろうか?」
先ほど他人の心を読み取るには、共感を使った方法と、論理を使った方法の二つのルートがあると言いました。
多くの人が、困った人に対して間違ってしまうのは、「なぜ私はこの人に共感できないのだろうか?」と思ってしまうことにあります。
「まったく共感できない。嫌いだ!」と拒絶してしまう。
共感できないと、「相手のことが理解できない」と思ってしまうのは、非常に危険なことです。
理解できる他者が、ほんの少ししかいなくなってしまうからです。
世界には、違う国の人、違う宗教の人、違う考え方の人がいて、そちらのほうが圧倒的に多いのです。
自分と似た人だけを理解できないとしたら、ほんのひと握りの人のことしか知ることができません。
共感できない相手に対しては、いったん自分と切り離して、「この人はなぜこういう言動をとっているのだろう」と冷静に分析して理解する必要があります。
私も、退官された大学教授にお会いしたときなどに、「○○大学を定年で退官しましてね」とわざわざ強調されると、違和感を覚えることがあります。
だからといって、縁を切ることもありません。
「この人は、○○大学という肩書きがすごく大事で、定年退官してそれを手放したのが、残念で仕方がないのだ。
それを手放してしまったことで、ただの人になった気がして不安だから、みんなの前で確認しているのだ」このように冷静に分析したら、自分にも理解できるところがあるし、腹も立たなくなりました。
「共感」だけでなく、「冷静な分析」を通して理解することで、自分の頭の中に住む他人のレパートリーを、飛躍的に増やすことができます。
「他人に優しい」というのは、結局、冷静な分析を積み重ねていくことでなれるものです。自分の中の他者を増やすことによって、自分の人生の参考も増やすことができます。
他人には、共感ではなく、質問をしてください。
このアプローチの最終目標は、「この人はこういう場面になると、こうふるまうだろう」という予測ができるようになることです。これができると、本当にラクになります。
会社の中でも、この部長は、「こういう条件が揃うと、怒る」「こういうときは企画が拒絶される」と読めていると、どういう根回しをすれば、その人が「YES」と言う確率を上げられるかが分かってきます。
「なぜ、この上司の下で、働いていなければならないのだろう。もうイヤだ。会社を辞めたい」このように共感を使うだけではつらくなるだけです。
「この人がこういう状態でいるときに、こういう言い方で持ちかければ、うまくいくのではないか?」と、まるで日食を予測するかのように、人の行動を冷静に予測する質問をすることによって、うまくやっていく方法が見つかります。
他者のことを100%予測することは不可能ですが、それでも、ずっと円滑にコミュニケーションできるようになります。
脳は細かいところまでよく見ている
他人にいい質問をするのには、相手のことをよく見ていなければなりません。
自分と会話をしていて、表情や声色、姿勢、動きの速度などがどう変わるか、すべてを統合して、「あ、今、なにかためらいが生じたな」「今は楽しんでくれているな」と相手のことを理解するから、次にどんな質問をすべきか判断できます。
側頭葉のウェルニッケ野を中心とする、感覚統合を行っている場所は、視覚情報、聴覚情報、身体感覚情報などの感覚情報をすべて集めて、意味づける働きをしています。
一番大事なのは、そもそも相手の発するさまざまな情報に注意を向けようという意識です。
これには前頭葉を中心とする注意の回路がかかわっています。
最近、「マインドフルネス」と呼ばれるトレーニングが、世界中で注目を集めています。
仏教の「禅」の修行がもとになってつくられたトレーニング法なのですが、仕事の切り替え能力、効率、創造性、幸福度が格段に上がると言われ、グーグルやフェイスブックなどさまざまな企業で取り入れられています。
これは、質問力を上げるためにも最適ですので紹介しておきましょう。
マインドフルネスとは、現在、環境の中で起こっていること、また、自分の中で起こっていることをありのままに見られる心の状態のことをいいます。ふだんわれわれは、なにかに気づくと、すぐに「いい」「悪い」を言いたがります。
「あの人がこんなことをしている、イヤだな」「私は今こう思ってしまっている、恥ずかしい」マインドフルネスでは、ただ起こっていることに「気づく」だけに留めて、一切「いい」「悪い」の判断をはさまないようにします。
「あの人が今こう言っている」「私は今こう思っている」「虫が飛んでいった」「足がかゆい」今、周囲で起こっていること、自分の中で起こっていることのありとあらゆることに気づいては、流していくように訓練するので、これをやることで、前頭葉を中心とする注意の回路が鍛えられます。
簡単に言えば、いろいろなことに気づけるようになります。
それがどうして創造性や幸福度にも関係するのかと言えば、たとえば、人は大きなストレスにさらされると、「どうしてこうなってしまったのか?」とそればかり考えて、身動きがとれなくなりがちです。
そればかりに執着してしまうから、不幸になってしまうのです。
マインドフルネスでは、「あの人はこう言った」けれど「自分はこう感じている」「ほかの人はこうしている」「あれ、鳥が鳴いている」と、「いい」「悪い」でなく「気づく」ことに重点を置いています。
世界には複数の文脈があることに自然に気づき、一つのことにこだわらなくなって、受け流す力がついていきます。
簡単に判断を差しはさまないことによって、いろいろな状態があることが分かるようになります。
それで人の気持ちを推論するときに役に立つ情報を記憶に蓄えることもできるし、発見もしやすくなります。
すぐに判断をしないことによって、脳の中の体験値が上がります。
これはもちろん他人についてだけでなく、自分自身の状態を自覚する「メタ認知」能力を上げるためにも役に立ちます。
記憶を蓄えて予測する
質問は、会話中にせよ、会議中にせよ、時間の中で展開されるものなので、どういう展開になるかを予測しなくては、うまくできないものです。
たとえば、パーティーの仕切りをするのなら、現在の状況をよく見て、「そろそろデザートが欲しいころではないかな?」と人の気持ちの動きや、これからの展開を予測していくことで、みんなに「いいパーティーだった」と言ってもらうことができます。
いい質問とは、いい展開をつくる質問だとも言えるでしょう。
「今こうで、みんなこういう気持ちでいるから、こんなことをしてみたらいいかもしれない!」計画力と、質問力は無関係ではありません。
いろいろな感情、状況に気がついたうえで、展開を先読みする力には、先ほども出てきた内側前頭前皮質を中心とした前頭葉の働きが重要です。
これは、観察した事実に基づいて「推論する力」です。また展開を読むのには、現在の状況だけでなく、過去の経験も参照することが有効です。
「前は、こんな状況で、こんなことをやったら、失敗した!」「あのときは、あの人がこんなことをやった!」似たような状況を思い出すことで、これからどういう展開になるかが予想しやすくなります。
内側前頭前皮質は、記憶の中枢海馬と連携して働いています。いい質問をするためには、たくさんの経験を蓄えることがどうしても必要になります。
現在の状況をありのままに見て、過去を参照し、未来を予測する。脳の総力戦で、いい質問が生み出されます。
意識に無意識の邪魔をさせない
2章の感情と論理の仕組みのところで、「認知的不協和」について触れましたが、これは「自分で出した答えが本当の答えではないことがある」という話でした。
同じ仕事でも、お金をたくさんもらった人と、そうでない人とでは、仕事の楽しさの感じ方に違いが生じました。
お金をたくさんもらった人たちに比べて、あまりもらえなかった人たちは、「面白い仕事だったからこそ、自分はやったのだ」と合理化していました。
自分の居心地の悪さをありのままに見るのではなく、すぐにラクになろうとして、意識が都合のいい解釈を採用してしまっています。
自分の生活を本当に変えたいと思ったら、問題をありのままに認識することが必要です。自分の「本当の問題」を知りたいと思ったら、意識に邪魔をさせないほうがいいのです。無意識はすでに答えを知っています。
だからこそ、それを「なかったこと」にしようと合理化するのではなく、自覚するように努めます。
お金儲けに執着している人がいるとしましょう。
その人が、「子どものころにお金がなくて、不安だったからこうなってしまったのですよ」と自分で告白したら、私は、その人のことを「素敵だなあ」と思います。
欠点であれ、汚点であれ、醜さであれ、能力不足であれ、暗い過去であれ、素直に意識化ができている人の人生は、少なくとも精神的に安定しているように見えます。自分で自分を許せています。
普通は隠蔽してしまう、一番向き合いにくいところを客観的に眺められている人は、意外にモテます。
お笑い芸人が、自分のルックスや、性格的な欠点を笑いにしているのをよく見かけます。彼らがモテるのは、自分の欠点がよく分かっていて、それが相手に安心感を与えるからです。
「悪いところを必死に隠そうとしているけれど他人にはバレバレ」そういうことはよくあって、それだと「なんか触れてはいけなさそうだ」と人は遠ざかってしまいます。
逆に、自分の欠点が許せている人は、相手に緊張を強いないし、「こちらの欠点も許してくれるのではないか」と安心して側にいられるものです。
人生を安定させ、うまく進めていくためには、自分の問題と正直に向き合うほうがいいのです。
しっくりくるまで時間をかける
私が学芸大学付属高校に通っていたときのことです。
ある日アメリカに留学していた、Sさんという女性が私たちのクラスに入ってきました。
彼女は2日目に「あなたたちのやっている勉強には、まったく意味がない!」とみんなの前で演説して、その日に学校を辞めてしまいました。
私たちはただ、呆然とするほかありませんでした。
あまりにも唐突すぎて、彼女がなにを言いたかったのかまったく分からなかったのです。このときは、自分のやっていることを否定されて悔しい思いもしたものです。
その一方で、入った次の日に実際に学校を辞めてしまう行動というのは、「自分を否定された」などという感情を超える、感動のようなものがあったこともまた確かです。
「あれは一体どういうことだったのだろうか?」「アメリカはどんな教育なのだろうか?」「私たちが受けている教育が『ダメ』ってどういう意味なのだろうか?」彼女のおかげで私は日本の教育について考え続けることができました。
もし「私たちを否定するなんて、Sさんはひどい。Sさんのほうが間違っている!」と妙な合理化をしていたら、私は日本の教育について「質問」して、「もっとよくしよう」などと考えることはなかったでしょう。
当時すぐには彼女の言うことが分からなかったけれど、外国に出ていた分、私たちの状況が見えていて、「人間は『偏差値』なんかで測れるよりももっと大きい」と教えてくれていたのではないかと、今では思っています。
たいていの大事なことは、すぐには分からないものです。本当に大事なことを教えてくれていても、今の自分と違う考えは、やはり受け入れるのが難しいものです。
脳の中では、さまざまな体験が蓄積されないと、その意味がハッキリしてきません。記憶同士が結びついて、ようやく意味がつくり出されてきます。
すぐには分からないで、拒否感を覚えるものこそ、判断を停止してずっと覚えておくという努力をするとよいでしょう。
いつか分かるときがくるかもしれないし、そういうものこそ自分を広げてくれるものなのかもしれません。
気になる言葉。拒否したくなる言葉。それをずっと頭の中に持っていて、折に触れて思い出すこと。それが人生の転機、必要なときの答えになってくれることがあります。
脳は新しいことにすぐ慣れる
結局、脳がなぜ質問をするのかというと、「終わりがない」からです。
脳の中では、うれしいことがあるとドーパミンという物質が放出されます。このドーパミンは、新奇性があるものでなければ出ない仕組みになっています。
たとえば、誕生日のプレゼントをもらうとき。「なにが欲しい?」と聞かれて、自分が答えたものが当日にプレゼントとしてもらえる。
あるいは、まったくプレゼントの話題が出ることがなく、「忘れてしまっているのではないか」と不安なまま当日を迎えたら、自分が思ってもみなかった、しかし自分の趣味をよく考えてくれたことが分かる素敵なものを贈られる。
どちらのほうがうれしいでしょうか?多くの人は、後者だと思います。
「どうなるか分からない」という不確実さや、新しさがあるときに、よりたくさんドーパミンが出るようになっています。
決まったことが決まったとおりに運ぶことには、安心感がありますが、自分にとって予測できないことがないと、脳は本当には喜びません。
脳は、新しい海に出ようとするものなのです。面白いことに、脳は「新しさ」にすぐに慣れてしまいます。
たとえば、1969年のアポロ11号の月面着陸。「人類ついに月に立つ!」と世界中が熱狂しました。
7歳だった私も、「すごいことが起こった!」と『こちらアポロ』という同年出版の集英社の学習漫画を買うくらいに、このニュースに入れ込んでいました。ところが、アポロ12号、13号と飛んでいくうちに、周りの人たちが飽きていきました。大人たちが、「アポロなんかやっているよりも、もっと地上でやることがあるんだよな」などと言い始めたのです(笑)。
あれほどの新しいものが、アッという間に「日常」になって汚れていくのが子ども心にも、すごくショックでした。
どんなに新しいものもすぐに陳腐化してしまう。つまり、終わりがないのです。だから私たちは「次はなに?」と質問をして常に移動し続けていくわけです。
私の敬愛する夏目漱石は、似たような小説を一つも書いていません。
書くもの一つ一つが大ヒットする作家でしたが、設定がすべて違っています。
『坊っちゃん』の人気が出たからといって、『坊っちゃん2』を決して書きませんでした。
『吾輩は猫である』の次に『吾輩は犬である』なんて書きません。
常に新しい試みをしていたという意味で、漱石も移動を続けていたのでしょう。
「次はどんな挑戦をしようか?」というのが、本来、脳の求める質問だと言えます。
脳の強化学習を利用する
脳は新奇性がないと喜びません。では、脳が一番喜ぶのはどんなときでしょうか。それは、自分には「絶対にできない」と思っていたことが、できるようになるときです。
ある行動をして、快楽を司る物質ドーパミンが放出されると、脳は、その行動を「もっとやってみよう」とする性質があります。
- ①ビールを飲む
- ②それがおいしかった(つまりドーパミンが出る)
- ③するともっとビールが飲みたくなる
こういうケースもあります。
①ある人に会う
②すごく楽しかった(つまりドーパミンが出る)
③その人にもっと会いたくなる
うれしかったことをまたやってみようとする、この性質を「強化学習」と呼びます。
ドーパミンは意外性があるときに放出されることが分かっていますから、①と②の間のギャップが大きければ大きいほど、より放出されて、「またやりたい」「これがもっとうまくなりたい」という気持ちが高まります。
この性質をうまく利用していきます。
- ①苦手な英語、苦手な数学をやってみた。
- ②たまたまできてしまった(思ってもみなかったことなので、ドーパミンがたくさん出る)
- ③するともっともっとそれに挑戦したくなる
できると分かっていることをやるのではなく、自分にとっては少し難しく、できるかどうかが分からないギリギリなこと、少し新しさがあることに挑戦してうまくいけば、強化学習が起こってドンドンそれがやりたくなります。
この仕組みは、誰もが持っています。
吃音のため人前で話すのが苦手だった少年が、たまたまクラスで発言したことが受けたことをキッカケにして猛特訓する気になって、いつの間にか噺家さんになっていたという例を聞いたことがあります。
もともとは苦手だったものが、今では「一番自分の得意なものになっている」ということが人生には本当によくあるものです。
成功の見込みがゼロだとドーパミンを出すのは難しいですから、自分で「できるかどうか分からないギリギリなところ」を見極めて、「これをやってみようかな?」と新しいことに挑戦してみる。
自分にできそうなことをハッキリ見極めて、ほんの少し努力をしてみれば、いつの間にかまったく新しい海に出られるようになります。
》行動のレパートリーを蓄える
ただ、どんなに熱中できることがあるとしても、脳は一つのことだけをやっていると行き詰まってしまう性質があります。
仕事でも、勉強でも、行き詰まってきたら、次のものに移ってしまいましょう。「今日はもうできない」と思ったら寝てしまうのもオーケーです。散歩に出てしまうのもアリです。とにかく行動のレパートリーを増やしましょう。
仕事で読まなくてはならない本があるとします。
本というのは、内容の難易度や、そのときの疲労度や気分などのさまざまな原因によって、どうしても読み進められなくなることがあります。
「これを読まなければならないのに、どうしたらいいんだろうか?」その答えは、簡単です。すべての行動が止まってしまうよりは、「別の本に移る」とか、「別の仕事をする」とか、「映画を見に行く」「絵を描く」などしたほうが、世界が広がるし、気分転換になります。
同時並列的に、少しずつ進めて、行動を止めないようにしていきます。
「これだけはやらなければならない」そう思って、疲労したり行き詰まったりしているのに、そこから移動しないで、「ああできないなあ。俺ってダメな人間だなあ」と、ウダウダしているのは本当にもったいないことです。
それだったら、パッと体を休めたり別のことをする。一つの行動が止まってしまったとしたら、それはたくさんあるうちの一つが止まったにすぎません。
「デザートは別腹」と同じで、主食に飽きても、デザートだったら食べられるということが、仕事でもあります。
「次はなにをしようか?」そう質問をして切り替えてみます。いろいろなところを巡ってきたら、また元の課題に取り組むことができるようになるものです。
行き詰まりというのは、一つのことをやりすぎて、頭にたまったいろいろなものを整理したいという「脳の欲求」なのです。
創造性を高める脳のバッチ処理
「昼間に一生懸命考えても解けなかった問題が、眠って目が覚めたら解けていた」「行き詰まってシャワーを浴びたら、ひらめいた」
ウソみたいな話ですが、そういうことは本当にあります。
数学者アンリ・ポアンカレは、馬車に足をかけた瞬間に問題が解けたそうです。
化学者アウグスト・ケクレは、夢で、蛇が自分のしっぽを噛んでぐるぐる回っているのを見て、ベンゼン環(六つの炭素原子からなる環状化合物)を思いついたようです。
リラックスして無意識に任せていたら、ひらめきを得たという例が数々知られています。「眠って考える(Sleeponit)」ということわざは正しいのです。
脳の中には、「デフォルト・モード・ネットワーク」という回路があります。この回路は、集中して仕事をしたり勉強したりしているときよりも、リラックスしているとき、なにもしていないときのほうがよく活動する回路です。
みなさんは、「脳はなにかしていないと働かない。集中すれば集中するほどよく働くようになっている」と誤解していませんか?もちろん集中しているときに活動する回路もあるのですが、反対に、なにもしていないときでないと働かない回路もあります。
》集中と弛緩を交互にする
私たちがなにもしていないとき、脳はなにをしているのでしょうか。集中していたときにやっていたことを、それ以前の記憶と結びつけて整理しています。
従って、眠りもしないで勉強したり、働き続けたりすると、情報をやみくもにインプットするだけで、整理をして取り出しやすい形にする時間を奪ってしまうことになります。
散歩をしたり、お風呂に入ったり、眠ったりしているときに、記憶が整理されて問題解決の糸口が見えてきます。
自分なりに徹底して考えていったら、あとはリラックスして、いわば脳に完全にお任せするのがいいのです。
コンピューター用語で言えば、バッチ処理。
昼間の長い時間に集中して、「これについての回答がほしい!」と脳に投げておくと、寝ている間に、無意識の中での処理が続いて整理がされて、欲しかった答えがポンと出てくることになります。
集中と弛緩を繰り返すことによって、いいひらめきが得られるのですから、積極的に休んでいい。無意識を甘く見てはいけません。
意識だけで問題を解決しようとすると、どうなるでしょうか。
その極端な例を挙げましょう。
授業中に、先生に質問されて立たされたら、頭が真っ白になってしまったという経験はありませんか?答えを知っているのに言えなくなったり、別に答えられない問題ではないのに考えられなくなったりしてしまう。
これは「答えを言わなくちゃ!」と意識しすぎたために、無意識の働きが邪魔をされてしまったのです。
いい質問をしていい答えを導き出すためには、無意識を尊重することが大切です。力の入れ具合は、本当に難しいものです。
4章のポイント
- 脳には、「共感から質問する」と「論理で質問する」という二つの回路がある。
- 共感できない人を拒絶してしまうと、世界が狭くなって、自分自身が苦しくなる。
- 冷静な分析を積み重ねていくと、他者とも円滑にコミュニケーションできるようになる。
- 「いい悪い」をすぐに判断しないで、「気づく」ことで脳の中の体験値が上がる。
- 新しいことを体験すると、脳の中でドーパミンが放出される。
- 脳が一番喜ぶのは、絶対にできないと思っていたことができるようになったとき。
- 一つのことをやり続けると、脳は行き詰まりがちなので、行動のレパートリーを増やしたほうがいい。
- 集中と弛緩を繰り返すことによって、いいひらめきが得られる。
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