4・1長期的ビジョンに立つ
「企業目標の設定はどのようにして行ったらいいか」という問いに対しては、目標の本質が答えてくれる。
それは、「まず、わが社の生き残る条件を明らかにせよ、これを土台としトップの意図をこれに上のせせよ」ということである。
だから企業目標は、「トップおよびトップ層だけで検討し、決定しなければならない」ということを、ここで再確認しておきたい。
客観情勢に基づいて、これに対応して生き残る条件を検討するときに、内部のものの意見はむしろじゃまになる。
内部のものの意見をきくと、「過去の実績からみて、実現可能な目標」に傾いて、生き残る条件が忘れられてしまうおそれがある。こうなったら、企業はおしまいである。
とはいえ、心しなければならないのは、内部の者の意見をやたらと、とりあげるのがいけないのであって、逆に客観情勢のきびしさやトップの立場を認識させるために、トップの会議に出席させるのも手である。
目標は、まず長期的なビジョンに立たなければならない。
企業というものは、ある決定が下されてから、それが実際に業績に影響をおよぼすまでに、短くとも二~三年、長きは一〇年、二〇年かかる場合もあるのだ。
手を打って、すぐ効果のあらわれるのは、企業の運命にはたいして関係のない戦術的な決定である。
だから、企業が危険に直面してからでは、どのような対策をとろうと、その効果は知れたものであり、企業を救う力はないのである。
だからこそ、企業は将来を見越して早く手を打たなければいけないのである。
こう考えてくると、景気の変動というのは、長期的な計画においては、意志決定のためには、そのサイクルが短すぎる。
設備投資にしても、三~四年先だけ考えればいい、というわけにはいかないからだ。設備投資にみられるように、企業の長期目標は、景気変動を超越して設定されなければならないのである。
景気変動は、あくまでも短期的な施策について勘案するものなのである。
長期的な見通しといっても、一〇年はおろか三年先さえ、だれにもわからない。
しかし、わからないといっても、大きな流れの見当ぐらいはつくはずである。
たとえば、一〇年後のオートバイ業界を考えてみたら、とにかくそれはバラ色のものでないことはわかるし、労働集約的な産業や中下級の商品は次第に後進国にその分野を浸されてゆくことは間違いない。
反対に、重化学工業、電子産業の比重は大きくなってゆくであろう。道路や住宅、そしてわれわれの生活がどのように変わってゆくか、などについては、たんなる予想や夢物語だけでなく、相当な調査や根拠に基づく未来像などが発表されている。
それらはいずれも、あくまでも推測であるとしても、多くの示唆をわれわれに与えてくれるのである。
その示唆は、わが社の業種・業態・製品に結びつけて検討され、いまの業種のまま進むのか、それとも転換を必要とするのか、いまの製品の将来はどうなのか、という「わが社の将来の方向づけ」がなされるのである。
この方向づけいかんで、企業の将来はまったく違ったものになってゆく。
日東化学の悲劇は、硫安の斜陽化を見抜けなかったことにあり(*1)、東洋レーヨンや帝人は、レーヨンの前途にいち早く見切りをつけて高収益を誇っている。
フランスベッドは下請企業の運命を見越して自社製品を開拓して、業界に独占的な占拠率を獲得したのである。
化学合成技術の前進は、つぎつぎに合成原料をつくり出しているのをみれば、天然原料に頼っている企業は安閑としてはいられないのだ。
客観情勢の変化があるかぎり、わが社の製品に対する顧客の要求も変わり続けるのだ。
だから、たとえ現在の事業を続けるにしても、そこにどのような革新が必要なのかを、たえず考えてみなければならないのである。
大きな転換はいうまでもなく、現在の事業の中での革新でさえも、長い時間がかかる。ということは、早く出発しなければならないことを意味している。
ローマは一日には成らないのだ。以上が、客観情勢の推測という質的な領域である。
質的な領域は意味がわかるだけで数量化できない。しかし、長期的な予測には、量的な領域がある。予測を数字であらわすことができる要因である。
その主なものをあげてみると、一世界経済ならびに国別の成長率二国民経済の成長率三業界の成長率四物価の上昇率五賃金の上昇率六人口動態と年齢構成などであり、これから絶対量が算出できるわけである。
企業は、世界経済・国民経済の一環として存在するものであり、その中での斜陽化・限界化は、企業の存続を危くすることはすでに述べた。
物価上昇率は、原価をつりあげるし、賃金上昇を無視して経営はできないのである。量的な予測は、必要な売上げと利益を少なくとも三~五年先までたててみるのである。
そしてその売上げと利益をあげるための条件としての、必要な売上げ、外部費用、付加価値、内部費用、人員のわくなどを計算してみる。
そこには、おそらく、思いもかけなかったような数字があらわれるであろう。
一方、過去の実績をそのまま延長したらどうなるかを試算してみる。三年後に赤字にならぬ企業はあまりないと思われるのである。
以上の二つの数字を比較してみると、そこに大きな差がある。この差こそ、「なんとしても埋めなければならないもの」なのである。
それを、VA、能率向上、経費節約などの合理化で、どれだけ埋められるかを検討してみると、それは問題にならない少額であって、合理化で埋めることなど不可能であることが、実感としてわかるのである。
ここに、事態の容易ならざることが判明する。これが長期計画の、まず第一の効用なのであり、ここまで検討しなければダメなのである。
たんに、希望的な数字をならべるだけではなんにもならないのだ。ここに新たな覚悟をもって、革新に取り組むことになる。もはや合理化は頼みにならないことを思い知らされる。
どうしても、経営の構造的な変革をはからなければならず、しかも、いますぐ出発しなければならないのだ。
「明日では遅すぎる」ことを悟るのである。〝決定的瞬間〟がここにあるのだ。これだけではまだたりない。
それは、景気の変動である。
過去の経験からでいいから、不況によって、必要利益をあげる数字がどのような影響を受けるかをみるのである。
五年のうち不況が二年あれば、それによってどれだけの収益低下があるか、三年だったらどうか、を算出してみる。
不況に耐え、企業が発展するために必要な利益を、好況時に生み出さなければならないとしたならば、好況時の数字は、不況時とは別の意味で、きびしいものなのである。
そして、それを実現してゆくための新事業やその規模と収益、必要な革新についての目標などが、簡単な数字と要約した文章によって具体的に表現され、決定されてゆく。
これが長期経営計画である。
この段階で、それを実現するむずかしさと苦しさをヒシヒシと身に感ずるのである。
このようにして、「生きるための条件」が企業の内部事情とは無関係に、机の上で検討され、決定されてゆく。
目標は本質的に机上論なのである。
この机上論を実現させてゆかなければならないのが、企業の任務なのである。
私が長期経営計画の樹立をお手伝いした某社の社長は、「長期経営計画をたててみて、私がいままで頭の中で考えていたことが、いかにあまいものであったかということを思い知らされた。
私はもう、社内のことをあれこれいうことはやめます。社内のことは、目標を与えて、いっさいを常務に任せ、私は新事業の開拓に専念することにきめました。いや、そうせざるをえないことが、わかったのです……」と筆者に語った。
また、別の会社の社長は「現在の賃金上昇率が続くかぎり、うちの会社では最低限度、年率一五%の成長率が絶対必要だ。この調子でいったら、一〇年後はどえらい売上げを必要とする。その売上げを達成する製品をどこからもってくるか、まったくのところ見当もつかない……」といっていた。
一〇年後を考えているこれらの社長は、経営を誤ることはないであろう。
以上二つの例をみてもわかるように、長期目標は、「将来どうするか」ということを決定するためではなく、「将来を築くために、現在どのようなことをしなければならないか」という現在の決定のためなのである。
長期的な見通しに立たない現在の決定は、「思いつき決定」になってしまうものである。
4・2中小企業は「賃金」から目標をきめよ
T社は、従業員五〇〇人、創立以来二〇年。
その間、常に月商額と資本金の一致を目ざし、その中でずっと二割配当を続けてきたという、中小企業としては超優良会社である。
T社には、すでに昭和五二年の「目標貸借対照表」なるものができている。大企業といえども、一〇年先の姿を明確に画いているところは、あまり多くないと思う。
その意味からすると、まさに「おそるべき会社」である。
T社の長期計画も短期計画も、すべてその「目標貸借対照表」に基づいている。その長期目標は何を根拠にしているかを、筆者はトップに質問した。
その答えは、……「目標の根拠は賃金です。昭和五〇年には、わが国の賃金水準が、現在のEEC(*2)と同じになるであろう、という見通しのもとに、わが社の方針とにらみ合わせて設定しました。
それによると、収益性が変わらないとして、現在の二倍の人員で五倍の売上げを達成しなければなりません。
わが社は一〇年計画を基にして、三年計画をたてていますが、過去の実績をそのまま伸ばすと、三年後には赤字転落します。それを計画の線までもってゆくためには、これこれの収益力をもつ新製品を、これだけ開発してゆかなければならないのです……」という返答なのである。
なんというりっぱな態度であろうか。
優秀な企業は、トップの考え方が優秀なのである。賃金を根拠にしているとは、心憎いばかりのツボの押さえ方である。
中小企業では、装置工業などの少ない人員ですむものは別にして、賃金こそ最もおそろしい費用であり、最も高い信頼度で予測できる数字なのだ。
これに、これまた非常な確実さで計算できる経費を合算すると、内部費用の総額がつかめる。
しかし、その確実に発生する内部費用をまかなって、そのうえ、利益を出してゆくための収入のほうは、まったく不安定で保証などどこにもないのだ。
企業というものは、放っておけば赤字になり、倒産するようにできているのである。それを黒字にもってゆき、存続させなければならないのが経営者なのである。
最もおそろしく、最も信頼できる予測賃金に根拠をおいて、ここから出発して目標を設定するということは、中小企業にとっては、最も賢明な道であろう。
あなたの会社が、もしも中小企業であるならば、長期経営計画では、急騰する賃金をまかなって、会社を存続させるためには、どの数字がどのようにならなければならないかを、最低三年間、もう一つ欲を出せば五年先までつくってみるところから出発することを、おすすめする。
こうしてみると、それはたんに賃金だけ考えていてもダメなことがよくわかる。いやでも外部・内部の諸条件を分析し、合成してゆかなければならないことに気がつく。
そして、それが、新たな視野から企業を長期的にながめることになるのだ。
「わが社の方向づけ」ということは、具体的な数字の上に立って考えるのでなければ、抽象論になるおそれがあり、抽象論では経営はやれないのである。
4・3短期経営計画
短期経営計画は、長期経営計画から導き出された六カ月(一期)または一年の計画である。
六カ月でも悪いというわけではないが、筆者は一期六カ月の会社は二期分、つまり一年単位の経営計画がよいと思う。(*3)
その理由は、経済活動は一年を一サイクルとしており、各種の資料も一年を単位としているので、それらとの関連で、一年のほうが何かと便利である。
もう一つの理由は季節的変動である。そのために、閑散期と繁忙期では業績に大きな違いがある。だから、その期だけを考えていては情況判断を誤るおそれがある。
閑散期と繁忙期を併せて考えなければならないことを知っていても、現実によい数字やかんばしくない数字を見せつけられると、それにつりこまれるおそれがあるのが人間なのだ。
この意味で、有価証券報告書を見るときに、「前期比」という数字に惑わされないようにしなければならない。短期経営計画は、長期経営計画からみたら、中間目標である。
しかし、長期経営計画がなければ、短期経営計画がたてられないというものではない。
筆者は、経営計画をたてたことのない会社に対しては、まず短期経営計画をたてることを、おすすめしている。これでまず一年、目標による経営をやってみる。
そのうえで、三年なり五年なりの長期計画に進むというほうが実際的である。
経営計画は、会計年度と一致させたほうがよい。六カ月一期の会社なら二期分という手もある。むろん、六カ月単位の計画でもかまわないのである。
経営計画は、計画年度の一~二カ月前には決定されて、少なくとも計画年度の始まる前には、来期計画として、社内に周知徹底させる必要がある。
経営計画は、それが長期であっても短期であっても、会議で検討され、決定されるのが普通である。出席者は、トップ層だけで十分である。どんなに譲歩しても、部内の最高責任者までである。
それ以下のものが出席する必要はない。
会議は、あらかじめ経理部内または企画部内の担当者によって、作成された原案に基づいて審議をするというやり方が、一般に行われている。
このやり方は、間違っているわけではないけれども、少なくとも賢明な方法ではない。掘り下げた検討は、まずのぞめないからである。
他人がおぜん立てしたことは、なかなかピンとこないものである。自分では何もしていないからである。
しかも、それが担当者によって検討され、それなりの根拠をもった数字であることを説明されると、「なるほどそうか」ということになってしまう、という実例に筆者はいくつもぶつかっているのだ。
人は、自分で苦しんでつくりあげた数字でなければ、本当に自分のものにすることはできないものなのである。
会社の方向をきめる重大事が、「ああ、そうか」ですまされてはたいへんである。あらかじめ原案をつくって、会議にかけるという考え方は、間違った能率の思想である。
つまり、こうすれば会議が円滑に進行し、時間が節約されるというのだ。これでは本末顚倒もはなはだしい。会議で大切なのは、時間を節約することではなくて、その目的を達することなのである。
時間を節約するために、目的の達成が犠牲にされるのでは、まったくのお笑いである。まして、ことは経営計画に関することである。
「時間を節約する」という考え方自体が、まったくの間違いなのである。必要とあれば何回どころか、何十回でも会議を開いて、十分計画を練るべきである。
この会議の目的を達するには、十分に数字を検討し、その数字をつくりあげる方策を、じっくりと考えてみることである。
この会議できまったことが、会社の将来の運命をきめてしまうのである。
企業の将来の運命は、「どのような能率的な運営をするか」できまるのではなくて、「どのような決定をするか」できまるのである。
「決定」こそ、経営にとって根本であることを忘れてはならないのだ。
それにもかかわらず、伝統的な経営学と称するもろもろの手法や理論は、この根本問題にほとんどふれていない。
管理者として、「部下とその仕事を管理する」ことは教えても、「トップの意志決定」に関することについては何もふれていないのだ。
このような教育を受けると、幹部は部下のほうばかり向いてしまい、経営者は外を向くことを忘れ、経営担当者は上司のほうを向くことを忘れてしまう。
まことに困ったことである。
そもそも、もろもろのマネジメントの理論には、「意志決定は常に誤りなく行われている」という大前提がある。その大前提の上に立って、実施についての能率を論じているのである。
しょせん、それらは管理学ではあっても、経営学ではないのだ。
むろん広い意味では、管理も経営の一部である。
しかし筆者は、意志決定に関する学問を経営学、実施に関する学問を管理学とよびたい。同じ経営体の中でも、意志決定と実施は、質的にはまったく別のものだからである。
質的には、まったく違う管理学を経営学と称して、鳴り物入りで宣伝するものだから、多くの経営者は、それを信じて内部管理の問題に目を向けてしまうという間違いをおかしてしまったのである。
それが経営の近代化であるかのごとき錯覚を与え、経営者本来の役目である意志決定から、程度の差こそあれ、関心をそらしてしまうという罪悪をおかしているのである。
十分に数字を検討し、その数字をつくり出す方策をねるには、他人のおぜん立てではなく、自らおぜん立てしなければならない。
この労を惜しんではならないのである。
会議には、意志決定に必要な資料、たとえば貸借対照表、損益計算書、財務分析表、試算表、売上統計、賃金資料、経費明細書などをそろえ、ソロバン、計算尺、卓上計算機も用意する。
忘れてならないのは黒板である。この黒板に、会議の要点と数字を書いてゆくのである。
この数字は、用意した資料からひろい出したり、計算したりしたものであり、それを見ながら討議し、決定してゆくのだ。
会議の席上で計算するなんて、時間のムダのようでいて、実はそうではない。だれかが計算している間にも、出席者は漫然と待っているようなことはほとんどない。
他の者は考えたり討議を進めたりしているものだ。
……これは筆者の経験がいわせることなのである。……こうすることによって、一つ一つの数字の意味や根拠が理解されてゆくのである。
これこそ時間の有効な使用法である、と筆者は信じている。
短期経営計画で決定する目標の一例をあげてみよう。
まず現事業の目標として、
○年間総合目標
一損益目標の総額と月別の目標
二人員計画
三設備計画
四資金運用計画
○事業別・商品別・部門別の売上げと付加価値目標
○輸出金額と付加価値目標
○変動費率の内訳目標
○賃金目標総額・残業枠・できれば賞与枠
○経費目標統制可能費の費目別目標統制不能費の費目別目標
○直間比率と未来事業人員の目標
○労働生産性の目標販売生産性、製造生産性
○合理化目標納期確保の目標
生産期間短縮の目標
設備近代化の目標
品質向上の目標
安全に関する目標
定着率・出勤率向上の目標
○プロジェクト計画とその目標などがあげられる。
そして、それぞれの目標を達成するための戦術、方針・方策などが決定される。
以上の諸目標について、期限と日程・実施責任者が決定される。もちろん、あらためて明示しなくてもよいものは明示しなくともよい。
つぎに、定期的に行うチェックについて、それぞれのタイム・スパンを決定する。
たとえば総合成果、部門成果については一カ月に一回、合理化の成果は三カ月に一回、プロジェクト計画は個々のケースについて決定する、という具合にする。
最後に、部門責任者、プロジェクト・マネジャーに、部門計画・プロジェクト計画の提出先と期限をきめる。
そして、それは客観情勢の展望、社長の決意を冒頭にした「短期経営計画書」にまとめられるのである。
この経営計画の数字をまとめることは、容易なことではない。あちら立てればこちらが立たずの苦しみの末の「でっちあげ数字」なのである。
過去の実績をそのまま伸ばし、それに可能な改善をした「実現可能な」というようなあまっちょろいものでは、けっしてない。一回やってみればよくわかる。
でっちあげ数字といっても、それがたんなるでっちあげや数字の尻を合わせたものでは、なんにもならない。それを実現させるための具体策に裏づけされたものでなければならないのである。
そのために必死の知恵をしぼるのである。改善なんて生やさしいものではないのだ。
〝泣いて馬謖を斬る〟こともしなければならず、ときには蛮勇もふるわなければならないのである。
その苦しい決定をしなければならないのが経営者であり、不可能を可能なものに変えてゆくためには、部下の批判など気にしていたら、とてもできるものではないのだ。
とはいっても、実情を考慮した妥協があるのも事実である。
しかし、どれだけの妥協をするか、しないかが、その目標の優劣をきめる。どうすれば妥協を少なくすることができるかを考え抜かなければならない。
妥協が少なければ少ないだけ、その目標は優秀なのであり、その優劣をきめるのがトップなのである。
たとえ妥協した場合でも、それはどれだけの妥協がなされたか、真の目標に対して、どれだけ不足しているかがわかっているから、油断がないのである。
現状をもとにした、実現可能な目標には、自己満足はあっても、きびしい事態の認識など生まれるはずがない。ここに危険がひそんでいるのである。
この危険は、だれでもない、自分自身の手でつくり出した危険なのである。すぐれた目標は「生き残る条件」をもとにし、凡傭な目標は過去の実績をもとにしてたてられる。
すぐれた目標は会社の存続と発展を約束し、凡傭な目標は会社を破綻に導くのだ。
未来事業については、それが短期的なもの、たとえば機種の増加とか改良といったものは、むしろ現事業に含めたほうがよい。
長期的な未来事業については、むしろ別途に、対象・目標、方針、予算・責任者・チェックなどについて計画書を作成するほうが、その重要度を強調し、認識させるための有効な手段であろう。
そして、この中の予算のみは、抜き出して経営計画に未来事業費として計上するようにすればよいのである。
4・4短期経営計画の発表
短期経営計画書は、極力簡潔なものにする必要がある。筆者は一〇〇ページにもおよぶ大部の経営計画書を見たことがある。
詳細な行事予定まで入っている。
しかし残念なことに、その会社の課長のうちで、だれ一人として、今期の利益目標を知っている者はいなかった。それはまったくの飾り物だったのである。
その計画書には、何もかも盛りこもうとしたために、だれにも何も知らせることができなかったのである。
だから、重要なものであればあるほど、それは簡潔に、要点だけを記入するようにしなければならないのである。長いほど要点がぼけるおそれが多いからだ。
筆者は少なければ五~六ページ、多くても二〇ページ以内に収めるようにしたほうがよいという考えをもっている。
それで十分である。それに収まらないようならば、表現を工夫する必要がある。
短期経営計画書は、印刷されるか、またはコピーをとって、役付者以上には全員配布がよい。
そして、日をきめて説明会を開き、トップ自ら計画を説明し、決意を述べるのである。この会は、話合いの会ではない。
客観情勢のきびしさと、それに対応して生き残るための数字と、トップの決意をよく説明し、納得させ、覚悟をうながし、やる気を起こさせる
説得会なのである。話合いは、計画の凡傭化に役だつだけである。
現実との妥協は、すでに計画の中におりこみずみなのだ。だから、断じて話合いの会ではなく、説得会なのである。
だからこそ、なおのこと、納得させるための質疑応答は十分に行い、「目標を実現させるための要求」には耳を傾けるという態度が、トップには必要なのである。
この説明会を成功させるものは、トップの「説得力」である。説得力こそ、リーダーシップの第一要件であり、トップのみならず、経営担当者の最も重要な能力の一つである。
ありがたいことに、説得力はその気になりさえすれば、だれでも身につけることができるのである。その第一は、トップまたは経営担当者の不退転の決意である。
これに対しては多くの説明を要しない。これがあれば、たとえ言葉はへたであっても、人の心を動かすことができるのである。
第二は、決意のもととなった客観情勢をよく認識させることである。そのきびしさを知らせて、新たな覚悟をうながし、自己保存本能を刺激することによって、動機づけを行うのだ。
第三には、部下の能力の信頼である。
これについては、「第2章2・9」で述べた。
しかし、重複もかえりみずに、ここで再び強調したいのである。
「本人の能力に合った」というような、まことしやかな誤った考え方は、まったく捨て去られなければならないのだ。本人のかくれた能力を信じて任すべきである。
特に若い人の能力をもっと信じなければならない。
「まだまだとても」というような考え方は、老人の悪い癖である。
若いうちに重荷を負わせて鍜えることこそ、本人の幸福であり、会社にとっても有利なことなのだ。若いときに重荷にへこたれるような腰抜けは、年をとってもやはりたいした使いものにはならないのだ。
先ごろ引退した日立製作所の倉田主税氏が、「近代経営」誌一九六八年新年号における「経営者による創造的経営への提言」の中で、つぎのように述べている。
私が会社に入ってから、五年目の大正六年ごろだったが、私は自分のいい出したことが起因になって、たいへんな仕事をまかされた。
そのころ、私は電気工場の鉄板の仕事をしていたが、電気の機械に必要な電線を他社から買っていた。
しかし考えてみると、日立鉱山で原料がどんどんでるのに外から買ってきて、これを使うというのは不合理だから、なんとかして独自に作るべきだ。
私はそう考えて、夕食後に議論したり、また、当時の上司にも始終意見具申していた。
ところが、その話が具体化しその機が熟してくると、電線を作ることについては、おまえがこれを計画せい、ということになった。
むろんそんな経験はなかったが、電線を作る機械をまず設計し、適当に人間を集めてきて試運転し、とにかく作りあげることについてのすべての権限を委譲された。
その時はずいぶん失敗もし、長い間苦労もしたが、その結果やっと電線ができるようになった。
当時の私は、まだ三〇いくつの年で、会社に入ってまだ五年にしかならないときだから、これだけの仕事を全幅の信頼を受けて任されたというときに、私が感じたのは、これだけ信頼されているならば、それこそ一命を賭してその仕事を完成したいということだった。
実をいうと、最初は私にそういうことができるだろうかとひじょうに心配し、疑った。自分には経験もなければ何もないのに、はたしてできるかしらと思った。
しかし、おまえはできるからやれということをいわれてひじょうに気を強くした。そこで、全幅の信頼を受けたら、ほんとうにそれこそ心服するものだということを、私はみずから体験した。
それ以来、私も皆にそういうことを始終たたきこんできた。
ほんとうに部下を信頼して、これを任せてやるということが、いかに大事であるかということを、機会ある毎に私は説いてきた。
……かつて、本田技研で鈴鹿工場を建設したときには、ほとんど係長以下で仕事をしていた。
あの超スピードとすばらしい結果は、指導のみごとさもさることながら、若い者の活躍の力が大きかったのである。
九州松下電器の佐賀工場長は、三二歳の青年が起用されているし、また、かつての「三原西鉄ライオンズ」も、初優勝をとげた「西本阪急ブレーブス」も、その優勝に若い力の果たした役割を見のがすことはできないのだ。
われわれは、若い力にもっと期待し、もっとチャンスを与えるべきであろう。以上三つの事柄は、その気さえあればだれでもできることであり、それによって、説得は間違いなく成功するのだ。
こうして、短期経営計画は、会社の幹部に理解され、納得されて、不可能への挑戦がなされるのである。
「第2章2・9」において述べた精神革命のところを、もう一度読み返していただきたいと思う。
このようにして、トップの決意と、企業の目標が明らかにされて、各部門や各製品に割りつけられた目標が正式にきまるのである。
そして、各部門の長に対しては、各自に割りつけられた目標を達成する計画書を、期限つきで提出するように命ずるのである。
蛇足ながら、ここで部門計画について、つぎのことを確認しておきたい。
- 一各部門(または成員)の目標は、自らの意志で決定するのではない。その部門(または成員)の意志とは無関係に、上司から(実は客観情勢が上司を通じて)割りつけられる。
- 二自らの意志でたてなければならないのは、割りつけられた目標を達成する計画──成果達成計画──である。
- 三この成果達成計画で、自らの方針と部下に割りつける目標を、自らの意志で決定してゆく。
のであって、自らの目標を自らたてるのではなく、目標は常に上から与えられ、自らの意志で行うのは、その目標を達成する計画なのだ。
こうすることによって、トップの目標が次第に細分化されながら、下部に浸透してゆくのである。
経営とは、あくまでも「一つの意志」をもとにして行われるものであって、各級幹部が自らの意志でたてた、「たくさんの意志の集り」ではないのだ。
ただし、部下を参画させるという形をとって、事態の認識と自分の考えを部下に知らせることはよい。
この場合も、「話合ってきめる」のではなく、「話合いという形をとって自分の意図を理解させ、納得させる」のであることを忘れてはならないのである。
この部内計画会議では、つぎのようなことを決定してゆく。
まず部内方針を述べたのちに、
- 一実施事項とその目標
- 二責任者
- 三日程
- 四目標達成の方策
- 五チェックの時期などである。
成果達成計画で留意しなければならない点がいくつかある。
まず第一に、優先順位の決定である。たんなる列挙による盛りだくさんは禁物である。
何もかもやろうとすると、何もかもできなくなってしまうからである。
かぎられた資源(人・物・金・時間)を最も有効に利用するためには、優先順位を決定し、これに投入する資源の密度を高める必要があるのだ。
この場合に大切なのは、「先にやること」ではなく、「後回しにすること」をきめることである。
これが、なかなかむずかしいのである。
施策が計画期間の前半に集中して、後半ががらあきという計画によくお目にかかる。
「そんなに前半にばかり集めてできるのか」と質問すると、「できます」という返事はりっぱだが、できないという例が多いのである。
これは真剣さのあらわれではあるけれども、企画力の不足である。このような計画書は、練りなおしを命ずる必要がある。
これが実務教育である。
「目標は五つ以内がよい」という目標管理の先生がたの主張はおかしい。階層が上になるほどやるべき事柄は広範多岐にわたるから、目標が一〇以上になることも、けっして珍しくないのだ。
したがって、目標は数で押さえるのではなくて、「どうしてもやらなければならない事柄」からきまってくるのであり、一般的には、階層が上になるほど目標の数は多く、下になるほど少なくなるはずである。
目標管理の先生がたは、目標の「ウエイトづけをせよ」とおっしゃるけれども、なんのことか筆者にはさっぱりわからない。
目標全体を一〇〇%として、A目標には四〇%、B目標には三〇%、……というやつである。
A目標に四〇%のウエイトをおけといってみても、四〇%とは、時間や労力の四〇%を費せというのか、関心の四〇%をさけというのか、それぞれの目標の達成率にそのパーセンテージをかけて全体の達成率を測定せよというのか、という具体的な質問を投げかけても、それにはなんの解答をも得られないのだ。
四〇%とはなんのことか、そんなものを測るモノサシなどあるわけがない。まったくバカバカしくて話にならないことを、まことしやかに述べているにしかすぎないのである。
ウエイトづけではない。優先順位なのだ。
優先順位をつけるということは、場合によっては、順位の後のものは、できなくなるかもしれないということを意味しているのだ。だからこそ、優先順位の決定はむずかしいのである。
優先順位について、もう一つ注意しなければならないのは、階層が下になればなるほど、「一時一事主義」に近づけるということである(*4)。
すなわち、階層が下になるほど間口は狭く、奥行は深くなるからなのだ。つまり、実戦部隊に、同時にいくつもの目標を達成せよといっても、できるわけがない。
そうでなくても、監督者などの下層幹部は、互いに関連のない種々雑多な仕事の処理に追い回されているのだから、この点をよく計算したうえで指導しなければ、成果のほどは、はなはだあやしいものになってしまうのである。
このようにして、でき上がった成果達成計画案は、トップに提出される。
トップは、これを見れば、目標がどのように理解されたか、されないのか、そして、それをどのように達成しようとしているか、がわかるのである。
もしも、目標が理解されていなければ、この時点で事前に発見されるし、目標達成の方策についての疑問や具体性に欠ける点があれば、それらについての質問や指導ができるのである。
上下のコミュニケーションは上からは目標を示すことによって伝えられ、下からはこれに対する「成果達成計画」によって行われるのである。
このようにして、上下のコミュニケーションが基本的に行われるのだ。
上からの目標と、それに対する下からの成果達成計画によらない上下のコミュニケーションは、誤った伝達が行われる危険を常にはらんでいるのである。
口頭だけによる話合いの場合には、上司の何げない言葉が、もしも部下の得意の領域や関心の深いことにふれていたならば、部下は、「上司はこれを重視している」と思いこんでしまうことが多いのである。
上司は、何げなくいったことだから、そのことを覚えていない。
しかし、部下はこれを上司の重大関心ととる。そして、上司の意図であるとして、これに対する行動をとる。この行動を上司は「おかしい」ととるのである。
そして、それを部下にただすと、部下はむしろ、「心外なこと」と思うのである。これが上司に対する不満とまではいかなくとも、上司の言葉に対する、ある種の不安になるのである。
4・5部門目標説明会
上司によって承認された「部門目標」は、コピーがとられ、同階層の他部門に配布されたのちに、部門計画説明会が開かれる。
ここで、各部門の長は、自己に割りつけられた目標と、それを達成するための方針や施策を説明するのだ。この場合には、「持ち時間」をきめて、その時間内で説明をするという習慣をつけることが必要である。
その持ち時間は一〇分くらいで、それに対する質疑応答が五分くらいが適当であろう。
これによって相互理解が生まれ、不必要な重複が除かれ、相互援助の相談によってチームワークがよくなるのである。
横のコミュニケーションは、こうやってこそ、基本的にできるのである。良好な横のコミュニケーションは、たんなる話合いだけで、できるものではない。
たんなる話合いは、自己主張や、ご都合主義から行われることが非常に多いことを、筆者はいやというほど経験し、また見せつけられているのである。
こう書いてくると、企業目標の樹立に始まり、企業目標説明会、成果達成計画、……つまり部門計画の設定、部門計画説明会にいたるまで、「ずいぶん、めんどうくさいものだな」と思われるかたがおられるかもしれない。
しかし、考えていただきたい。ことは会社の運命に関するのである。
会社の活動とその方向を基本的にきめてしまうものなのである、めんどうくさいも何もあったものではない。
これこそ、何をおいてもやらなければならないことであり、このくらいのことが「最小限」絶対に必要なのである。
トップをはじめ経営担当者は、目標とその達成計画に、十二分の時間をさかねばならないのである。
企業の「青図」をいいかげんにしたら、それによる結果は好ましいものは得られないことを、覚悟しなければならないであろう。
上は社長から、下は監督者にいたるまで、ハッキリと定義づけされた、全社的に統一され統合された目標をもってこそ、すぐれた結果が期待できるのである。
全社的に統合された目標をもたずに、何ができるのか。これがないから、会社の中の人びとの行動と関心がバラバラになったり、あらぬ方向に走ってしまうのである。
以上のような手順をふんで、企業の目標を社内に浸透させてゆくと、トップは社内の日常の仕事にあまり時間をかける必要がなくなる。
実例で説明しよう……。
筆者が、某社に目標経営を導入したときのことである。
社長は、それまでは事務所に机をおいて陣頭指揮をしていた。
その社長が、目標経営を導入したときから、社長室に引っこんでしまったのである。なぜそうしたかを、社長に問いただしたところ、彼の答えは、つぎのような意味であった。
「いままで、仕事を任せなければいけないということを、何十回となく人にきき、本でも読んでいる。また、そうしたいと思っていた。
しかし現実にはどうすれば任せられるのかわからなかった。任せると、仕事がうまくいかなくなってしまうからである。ところが、今度こそそれがわかった。
私の意図は、目標とその方策が経営計画に示され、部下に伝えられ、それに対する部下の成果達成計画もでき、これを検討して承認した。
結果のチェックに関する方法と時期もきまった。それによって、部下の動きも変わってきたし、それが私の意図にそってやっているのがよくわかる。
こうなったら、私のやる日常の仕事がなくなってしまった。だからこうして社長室に引っこんで、将来のことを考えているのだ。部下に仕事を任せるということは、明確な目標を与えることによって、はじめて可能なのですね」
この実例が、コミュニケーション、権限の委任などにまつわる、従来の多くの問題に対する明快な解答になっていることに、あなたは気づかれたと思う。目標設定による方向づけの効果を、まざまざと、みせつけてくれるものである。
4・6トップから目標が示されないときはどうしたらよいか
真の目標管理は、トップの目標が示されないかぎり、ありえない。
……では、トップから目標が示されないときは、どうしたらよいか、現実にはこうしたケースが非常に多いのである。
しかし、多くの場合、トップが無目標であるということはないのである。ただそれが、トップの頭の中だけにあって、下に示されていないというケースが大部分であることを、筆者は知っている。
筆者にとっては、会社の経営のお手伝いをするのが仕事であり、その手始めが、トップの意図をきき出し、これを検討し、まとめ、経営計画に明文化してゆくことなのであり、その経験から知っているのである。
ただ、目標を示す必要性をよく認識していなかったり、「平素、ことあるごとにいっているから、わかっているはずだ、だから明文化する必要はない」と思っていたりするだけなのである。
ここで、トップのかたがたに一言申しあげたいことがある。
それは、会社の中の多くの混乱、トラブル、責任のがれ、無気力などの根本原因は、トップの意図が明確な目標となって示されていないところにある、ということである。
「いったい、うちの社長はどっちを向いているのだ。東を向いているようにみえるので、こちらも東向きで仕事をすすめていると、いつの間にか西を向いている。これではやりようがない」という意味の困惑が、成員の大きな問題なのである。
「さっぱり、自分の思うとおりに動かない」「いくらいってきかせても、わかってくれない」とお感じになっておられるのならば、目標が明文化されて示されているか、そして、それがくり返し強調されているかどうか、それに対して、下からの「成果達成計画書」が提出されているかどうかを、お考えになっていただきたいのである。
もしも、それらのことが行われていないならば、それらのことを行ってみることである。
部下の考え方と行動が、目にみえて違ってくることは間違いない。これは、トップだけのことではない。部下をもつすべての人に対していえることなのである。
それを間違った人間関係論によって、上から一方的に目標や指示をくだすのはいけない、部下の自らの意志によって起こす行動でなければ本当ではない、という思想があまりにも広く深く信じこまれてしまっているのである。
これこそ実は経営者不在、指導者不在の姿なのだ。
それがわからない亡者などには、この世の人間ではないだけに、手のくだしようがないのだ。
「下からの盛り上がり」というのは、上から明確な目標が示され、重い責任が負わされ、部下の能力の信頼という、指導に対する反応なのである。
これが本当であることは、すぐれた企業をみれば考えるまでもなく、すぐに気がつくはずなのに、それがわからない人は、亡者としかいいようがないのだ。
話をもとにもどそう。
トップが目標を示してくれないならば、トップに対して「目標を示してもらいたい」と切りこんでゆくのである。
しかし、このようなトップは、抽象的な方針やスローガンめいたものは示しても、なかなか明確な目標は示してはくれないものである。
しかし、そのようなトップの考えを、とにかくメモし、「そのためには、どれだけの売上げ、どれだけの利益をあげたいのか」だけは是が非でもきき出さなければダメである。
これさえも示してくれないトップ(古い型の経営者によくあるタイプで、それは利益をかくしたいと思っている)ならば、もう真の目標管理はあきらめるよりほかに道はない。
トップの目標の示されない目標管理はないのであるから、経営不在の目標管理……つまり、自らの目標を自らの意志できめる……でもするか、さもなければ、無目標管理……成り行き管理でもするしか道はないのだ。
しかし、少なくとも、売上げと利益が示されたならば、あとはそれを基礎とした「成果達成計画」を立案してトップに提出するのが、経営担当者の役目である。
これが補佐というものなのだ。いくらトップの批判をしてみても、事態は一歩も好転しない。自分たちでできる「事態好転の道」をさがし出すよりないのである。
こうして、トップの承認を得た計画を、自分たちで推進してゆく、という態度が決定的に重要なのである。これは苦しく、またむずかしいものであることは、筆者自身経験したからよく知っている。
赤字企業の中で、融通手形と高利の借金に追い回されながら、黒字転換のためのムリな目標達成に、悪戦苦闘した経験は、一生忘れることはできない。
もし黒字転換ができなかったら、筆者は救われなかったであろう。しかし、考えようによっては、それが自分への試練として、神が機会を与えてくれたのだ、と思ってがんばることである。
筆者もそう思ってがんばったのである。
*1日東化学は当時の有力化学メーカーで、主力にしていた肥料部門の採算悪化で経営不振に陥った。その後、三菱グループの傘下に入る。硫安とは硫酸アンモニウムのことで、肥料の一種。
*2EEC(欧州経済共同体)は、EU(欧州連合)の前身の一つ。
*3かつては半年単位の決算が大半だった。1974年の商法改正を機に一年決算に移行した。
*4一時一事とは、一度に一つのことだけを集中してすること。
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