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4章時間と幸せ──時間を制した者が、幸せを制する

「飢え」の脅威と闘ってきた人類

将来の不安とか、過去への後悔だとか、僕はあまり考えたことがありません。そういう人はみんな、ヒマな時間にあれこれ考えてしまうんじゃないかと思います。

そもそも、人類にとって「考えること」は、常に「飢え」など生存の危機に対する不安や脅威に対処するためのものでした。

たとえば、「獲物をどうやって狩ったらいいだろう」「冬の間は食料が不足するから、夏や秋にとったものをどうやって保存しよう」「狼や熊から身を守るにはどうしたらいいだろう」などなど。

僕たちは、こんなふうに「生き残るために考えてきた人たち」の子孫なのです。

だから、生存の危機なんてそうそう感じない現代でも、放っておくと、思考が不安や脅威と結びつきがちです。

特に不安や脅威がなくても、ヒマな時間があると、ムダに頭を働かせ、わざわざ不安材料を探し出してきて、「なんとかしなくちゃ」と、感じる必要のないストレスを抱えてしまうのでしょう。

これが意外と不幸のもとだったりするので、無用な不安や脅威が生じないようにするだけでも、だいぶ生きるのが楽しく、ラクになると思います。

もともと存在しないものに苛まれる必要はないわけです。

僕は毎日、忙しい

今も言ったように、無用な考えはヒマな時間に生まれがちです。だとしたら話は簡単ですよね。感じる必要のない不安や脅威から自由になるには、ヒマな時間を作らなければいいわけです。

自分の自由時間は必要だけど、何もせずムダに考えてばかりいる、ヒマな時間はないほうがいいんです。

日本帰国中は何かと予定が詰まっている僕ですが、パリでは基本、予定はありません。

「この時間にこれをしなくちゃいけない」ということも特になく、寝たいときに寝て、起きたいときに起きて、好きなように生活しています。

強いて言えば「アパートのことで大家さんと話さなくちゃいけない」「宅配便が届くから家で待機していなくちゃいけない」「数時間ごとに、ソシャゲーの宝箱を開けなくちゃいけない」くらいでしょうか。

これらを「予定」と呼ぶならば、ですが。朝、起きてから「さて、今日は何をしよう」とかも考えたことはありませんし、目覚ましもかけません。

では、僕が「ヒマ」かというと、まったくそんなことはないのです。むしろ毎日、けっこう忙しくしていますよ。

たとえば、映画を観たり、マンガを読んだり、ゲームをしたり、その合間にメールをチェックしたり、LINEやSkypeで仕事仲間や友だちとやりとりをしたり……。

これを全部パソコン上でやっています。映画は、別のことをやりながら、とりあえずその横で映像を流しておきます。

つまらない恋愛シーンとかなんでもない情景描写とかは「はいはいはい」と横目で見過ごして、面白そうな雰囲気になってきたら、別のことを中断して映画に集中する。

ストーリーがつかめなかったら、巻き戻す。

最後まで面白そうな雰囲気を感じなくて、気がついたらエンドロールまで終わっていた、なんてこともしょっちゅうです。

感覚的には、ひと昔前の人たちが、テレビをつけっぱなしにして家事とかをやっていたのと同じかもしれません。

テレビがパソコンに取ってかわって、しかも今はパソコンで全部できるようになっているだけです。

「飽きた、次はこれ、これも飽きた、次はこれ」っていう感じで、あまりひとつのことをずっと続けることはないのですが、「何もすることがない」っていう時間は、たぶん一生ないんじゃないかと思います。

起きてる限り、僕は何かをしている

それに「今日は何もできない、したくない」って思うことも、ほとんどありません。

疲れていたら寝るだけだし、書類仕事などでストレスを感じた後は、何もしないより、むしろゲームや映画など何かに没頭したほうが、ストレス解消になります。例外があるとすれば二日酔いのときくらいでしょうか。

でも、頭が痛かったり気持ち悪かったりしたら寝るだけなので、やっぱり「何もできない、したくない」と時間を持て余す状態になったことは、ほぼありませんね。

こんな具合で仕事もプライベートも区別なく、とにかく何かしらやっているから「さて、次に何をしようか」とか思う間もない。

トイレに行くときも、スマホか本を必ず持ち込むので、読むなり見るなり、何かしらをしています。というわけで、見てのとおり、僕にヒマな時間なんてないのです。

僕が、あまりストレスを感じることなく生きていられるのは、案外、このことが一番大きいのかもしれません。

たいていはノートパソコンを持ってベッドの上にいるせいか、奥さんからは、ぜんぜん忙しそうには見えないようですけど。

「没頭できる人」の人生は幸せ

たとえば、どうしても何かが欲しくなって、しょうもないものだったり、じつはあまり必要じゃなかったりするのに、大金をはたいて買ってしまって後悔した、みたいな話は割とありますよね。

だったら、「欲しい」という感情を自分で制御してしまえばいいのですが、それができない人はけっこう多い気がします。

我慢せずに買うと決めれば、ストレスは溜まらないかもしれません。

でも、それを永遠に続けるのは不可能だから、結局は買えないストレスに行き着きます。よく買い物を「自己実現」なんて言う人はいますけど、実際はこんなにもストレスが潜んでいます。

僕は買い物にまつわるストレスとは無縁ですが、こうやって生活の中で、ストレスっていうものは知らず知らずのうちに溜まっていくのです。

ストレスにさらされながらも、へこたれずに生きてる僕たちって、けっこう偉いですよね。

僕は自分に甘いので、「やらなくてはいけないことがあるのに、ずっとゲームをやってしまう」みたいなこともよくあります。

じつはこれは、ストレスから意識をそらすために、なかば意識的にやっていることです。

抱えているストレスは人それぞれですが、ストレスに時間を食い潰されるのは誰だってイヤでしょう。

ならば、ストレスをゼロにするために、僕がゲームしたり映画を観たりするみたいに、何かしら没頭できることに時間を費やしたほうがいいと思います。

集中とストレスは共存できない人は、何かに集中していると余計なことは考えません。

たとえば、ドラマを観るのが大好きな人だったら、何か嫌なことがあったとしても、ドラマを観ている間は、その嫌なことを忘れられますよね。

集中状態とストレス状態は共存できないのです。

もちろん、観終わった後に思い出すことはあるでしょうが、ドラマを観ることで脳内のストレスレベルをいったんゼロ近くまで下げてリセットすることが重要です。

でないと嫌なことの記憶をずっと引きずって、脳内のストレス値がマックスにまで上がってしまいます。

そんな状態が続いたら、心身に支障をきたしてもおかしくありません。でも、何かに集中すれば、ストレスは一時的でもゼロにできて、また一からの積み上げになります。

僕は宗教にもそういう役割があると思います。

仏教で言えば念仏を唱えることがそうだし、キリスト教ではゴスペルを歌ったりしますよね。

じつは、これらにも「集中している状態を作る」という作用があるようです。

つまり、念仏や歌詞の内容そのものよりも、それらに集中して唱えること、歌うことで無心になれるという点に意味がある。

宗教は、人々の心を救済する仕組みを、上手に作ってきたんですね。

というわけで、ストレスを溜め込まないためにも、自分のために、何かに没頭できる自由な時間を確保することは、やっぱり常に意識したほうがいいと思います。

その時間にドラマを観るなら、いつも以上にセリフのひとつひとつに集中する。

マンガを読むなら、いつも以上に1コマ1コマに集中する。

こんなふうに、「今この瞬間」に集中している間は、他のことを考えずにすむので、嫌なことも忘れてしまいます。

あるいは、今という瞬間に集中できればなんでもいいので、とにかく今、目の前にあるものに意識を注ぐというのもアリです。

たとえば、目の前の食べものに意識を集中させて、彩りや味、香りを堪能する。

ちょっとしたことだけど、ストレスがあるときは、何かしら集中して無心になる状態を作ることが大事なのです。

「掃除が楽しい人が最強」説

時間を確保できないと、人は往々にして、お金で不安や不満を解決しようとします。

たとえば大きな買い物をしたり、男性だったら女性がいる飲み屋に行ったりして、ストレス解消を試みるわけです。

でも、それを一生続けたら、ものすごい額の損失になることは明らかですよね。

しかも、お金がなくなったら「ストレスはあります。でも、それを解決するためのお金がありません(涙)」という状態になってしまいます。

そうなればもう、メンタルを病むしかありません。

だったら、何かイヤなことがあったとしても「ああ、楽しかった」と思えるような生活習慣を持って、そこでストレス解消したほうが、毎日ラクだろうと思います。

知り合いに、「風呂掃除が好き」という男がいます。

僕には理解できない趣味ですけど、丹念にカビを取ったりして風呂場をピカピカにしていく感覚が好きで、ストレス発散になるんだそうです。

カビを削り取れば風呂場は必ずきれいになるので、短時間で目に見える成果が出るし、基本的に失敗がないんですよね。

そういう、すごく手軽に成功体験が得られるという点でも、理にかなったストレス解消法だなと思います。

彼の場合は、嫌なことがあったら風呂掃除をする。つまり嫌なことがあるたびに風呂場がきれいになるわけで、一石二鳥ですよね。

まあ、これは、そういう特異な人もいるという話に過ぎませんが、何であれ、お金をかけずに楽しむ時間を持つというのは、誰にとっても重要なことです。

ヒマな時間を、お金をかけずに楽しむ習慣僕の場合は、ゲームだけでも、やることがいっぱいです。

「Steam」というパソコン向けのゲームを配信するプラットフォームがあって、そこでたまにタダでゲームを配っていたりとか、友だちがゲームをくれたりとかで、まだやったことがないものが次々に溜まっていきます。

Steamだけでも300を超えているので、1日1個やったとしても、ゲームをするだけで、ほぼ1年が埋まってしまいますね。

そんなわけで、タダで遊べるものが、すでに一生困ることはないんじゃないかっていうくらい、たくさんあるのです。

ストレス解消と聞いて、お金を使うことばかり思いつく人は、そもそも、お金をかけずに楽しむという発想が足りないのかもしれません。

だとしたら、ヒマな時間を、お金をかけずに楽しむ練習をしたほうがいいでしょうね。

目の向け方次第で、街中にいるだけでも、お金をかけずに楽しめますよ。

たとえば僕は、道で前を歩いている人を見て「この人はどっちに曲がるだろうか」なんて考えたり、電車の中にいる人の動きを見ながら「次に降りる人は誰なのか」を予想したりします。

想像するだけなら、まったくお金はかかりません。

人ってけっこう意外な行動をとることも多いですから、そのたびに何か発見があって、案外楽しめますよ。

だから、ストレスが溜まったら街を散歩する、というのもいいんじゃないでしょうか。

こんな具合で、お金を浪費せずにストレス解消できる時間を持てたら、それだけでも、人生かなりラクになると思うのです。

逃げたぶんだけプラスが増える前にも言いましたが、僕は、何かをするための時間を無理やり確保しようと思ったことはありません。

ただ、「イヤなことに時間を使わない」ということは昔から意識しています。

日本でひとり暮らしをしていたころ、僕はバイクに乗っていたのですが、これもイヤなことに時間を使わないようにするためでした。

たとえば、夜にミーティングがあった場合、終電を逃してしまうと、「もう帰りたい」と思っても朝までいる羽目になります。

バイクなら「じゃあ、そろそろ帰りますね」と言って、自分が帰りたいタイミングでさっさと帰れます。

要するに、当時の僕にとって、電車は自分の行動を制限するものだったので、自由に行動できるようバイクに乗っていたわけです。

イヤなことをする時間は、間違いなく自分にとってマイナスです。

そこから逃げればゼロになるし、きっと逃げた先では楽しいことに時間を使うはずだから、プラスになる。

ということは、とりあえずイヤなことから逃げ続ければ、自動的にプラスが増えていくんじゃないかと思うのです。

ジワジワ系のストレスが一番厄介

生活コストが上がる理由の第1位は、おそらくストレスです。

たとえばキャバクラで働いている女性は、赤の他人の酒臭い息を浴びたり体を触られたりと、基本的にストレスが多い仕事です。

そのぶん、もらえるお金も多いのですが、ストレス解消のために高い洋服を買ったりとか、ホストクラブに通ったりとかするから支出も多くなる。

支出をまったく増やさずに暮らせるタイプだったら、相当お金が貯まるのでしょうけど、実際問題どうなんですかね。

こんなふうに、自分にとって「イヤな思いが伴う仕事」をしている人は、たとえ給料がよくてもストレス発散のための支出が増えて、結局、生活コストが上がってしまう場合が多いのです。実際問題として、ストレスには、いいところがひとつもありません。

困難や逆境は、後から「あの出来事があったから今があるんだよね」と思える可能性もありますが、ストレスは、それとはまったく別種のものです。

たとえば、どこかに頭をぶつけると痛いですよね。

こういう強い痛みを感じるとき、脳内ではアドレナリンが分泌されて、瞬間的にストレスが消える作用があるんだそうです。

それと同じで、困難や逆境などダメージの度合いが大きいとき、むしろストレスは溜まりません。

一度に受けるダメージは大きくても、必死に乗り越えたり過ぎ去って忘れたりしてしまうので、気持ちをリセットできる場合が多いんだと思います。

厄介なのは、日々、ジワジワと自分を苛むストレスです。これは、まず精神、さらに肉体へと悪影響を及ぼします。

「貧乏だけど幸せ」な人は無敵

よりラクに暮らすために、給料のいい仕事を探すのもひとつの方法ですが、そこで生じるストレスのためにお金がなくなるとしたら本末転倒じゃないでしょうか。

仕事のストレスを抱えていると、「パーッと買い物しよう」とか「レジャーに行こう」「おいしいもの食べに行こう」とか、必ず気分転換したくなります。

前にも話したように、ストレスは、お金をかけずに楽しむことで発散できるといい。これはとても有効な方法です。

だけど、もうひとつ踏み込んだ考え方として、そもそもストレスがなければ、お金を使ってストレス発散する必要もないわけです。

となると、ストレス発散のための支出が増えないから、それほど給料が高い仕事じゃなくても幸せに暮らしていけます。

ストレス発散にお金を使えるくらい、給料のいい仕事を探すよりも、それほどストレスを感じずにすむ道を探る。

取り組む順序を逆にしてみるのも、いいんじゃないかと思います。

「お金が好き」は不幸のもと

「あの人はお金が好き」と言われる人が、「お金を貯めるのが好き」と考えていることはあまりありません。たいていの場合、貯めるためではなく、使うためにお金が欲しいわけです。

「あるだけお金を使う」というクセがある限り、当然、お金は貯まりません。そんな人が少しでも収入が減ったら、以前のようにお金を使えなくなって、ストレスが溜まります。

つまり、「お金が好き=お金を使うのが好き」な人たちは、すでに多かれ少なかれストレスや不安を抱えていることになります。

「欲しいものが買えないストレス」や「収入が下がったら使えるお金が減ってしまうという不安」がつきまとっているわけです。

こんな具合に、幸せにお金を介在させると、不幸になる率は確実に高くなります。

お金を使うことがそれほど好きでなければ、こんな不幸は最初から味わわずにすむんじゃないでしょうか。

だとしたら、「お金があると、お金を使える。すると楽しくて幸せになれる」という魔の公式から、早めに抜け出したほうがいいと思います。

月3万円で生きていける

実際、お金を大して使わなくても事足りることは多いし、前のほうでも話しましたけど、楽しい思いだって十分できますよ。

たとえば僕は、飛行機に乗るときはエコノミーシートを選びます。

仮にパリから東京に飛ぶとして、シートに座っている時間の長さは同じなのに、ビジネスクラスとエコノミークラスとでは10万円以上、値段が違います。

見方を変えれば、25万円のビジネスクラスではなく10万円のエコノミーを選んだことで、「15万円トクした」とも言えるわけです。

たしかにビジネスクラスのほうが乗り心地はいいだろうし、機内サービスも充実しているだろうとは思います。

でも、少なくとも僕は、ちょっといい席とサービスのために、15万円もの差額を払う気には到底なれません。

それよりも、エコノミークラスを選んだことで「よし、最低限のコストで目的を果たした」というトクした気分で乗れてしまう。

「ビジネスクラスだったら、もっとよかったのに……」とは全然思いませんね。

あと、日本で友だちと飲んだりして終電を逃したときなども、たいていは歩いて帰ります。

歩いていれば、その時間にいろいろ考えられるし、健康的だし、タクシー代が何千円も浮いてトクすることだらけだと思うと、3時間とかでも平気で歩けてしまいます。

こういう考えだと、生活費もあまりかかりません。

1日1食程度で外食もほとんどしないし、遊びと言えば家で好きなことをやることなので、僕の生活コストはかなり低いですよ。

僕ひとりだったら、海外旅行や東京への渡航費などイレギュラーな出費を除いたら、生活費としては月に3万円もあれば十分楽しく暮らせます。

「欲しい」の本質を考えてみる

お金と幸せを切り離して考えるっていうのは、こういうちょっとした見方とか暮らし方の違いなんじゃないかなと思います。

たとえば、すごく欲しい高級ブランドの洋服があるけれど、自分の給料では買えないとします。

「その洋服を自分のものにしたい」と思っている限り、「買えない」という事実を不幸せに感じてしまいますが、「自分は、その洋服を着て外出したい」「だったらレンタルでもよくない?」という見方ができれば、不幸は感じないでしょう。

そもそもの欲求は、「その洋服を着て外出すること」です。だったら、同じものを持っている友だちを探してもいいし、もっと極端なことを言えば、友だちや兄弟姉妹にうまくすすめて買わせたうえで、自分が着たいときだけ、ちゃっかりと借りたっていいわけです。

僕も、読みたい本は友だちに借りる、というのが割と普通です。

別に狙ってやっているわけではないのですが、「こういう本があって、すげえ面白そうなんだよ」とか話すと、みんな、「へえ、じゃあ読んでみようかな」なんて言って、けっこうすぐに買ってくれます。

でも、そういう人って「積ん読」が多いんですよね。だから「すぐに読まないんだったら、貸してよ」っていう感じで、よく借りています。

自分が読んで面白かったら、本来の持ち主である友だちにもすすめるし、イマイチだったら率直にそう伝えます。

そうすれば、その友だちはイマイチな本を読まずにすむ。ある意味、「ウィン・ウィン」なのです。

まあ、面白いかどうかは、あくまでも僕フィルターだし、イマイチだった場合、その友だちは本を買った金額ぶん、損するわけですが。

成功も失敗も振り返らないたとえば失敗をしたときでも、過去を振り返って傾向と対策を練れる人はいいのですが、特に日本では、「過去を振り返る=イヤなことを思い出してストレスを溜める」というループに陥っている人が多いんじゃないかと思います。

寝るときに1日を振り返る人もいるようですが、僕には、ちょっとよくわからない習慣です。

いつも寝落ちするまで何かしているというのもあるし、そもそも過去を振り返るということがありません。

どこかに閉じ込められたりしたら、過去のことも考えるかもしれませんが、毎日忙しいから、基本的に過去を振り返っているヒマなんてないのです。

過去の失敗も、あまり振り返りません。それ以前に、まず失敗をあまり失敗と思っていないところさえあります。

そう言えば、昔、友人が瓶ビールの栓を歯で開けているのを見て、これは便利だなと思って自分でやってみたら歯が欠けてしまったことがあります。欠けてしまった歯は元には戻らない。このときばかりは大失敗したと思いましたね。

でも基本的には、うまくいかなかったら、うまくいく方法を別に考えればいいし、誰かに話を持ちかけて断られたときなんかでも、別のアプローチ法を試みるか、別の人に話を持っていけばいい。

そう考えるほうなので、僕にとって、うまくいかないことは失敗じゃないのです。もしタイムマシーンで過去に戻れたとしても、僕はきっと、また同じことをするだろうと思います。

で、同じ結果になるだろうから、「じゃ、しょうがないよね」としか考えようがない。

それに、基本的に今が楽しいので、普通は失敗と捉えるようなことも、「きっと今の楽しい状況を生み出すための布石だったんだ」と考えるほうなのです。

たとえば、詐欺に遭った経験があると、その後は簡単には騙されなくなりますよね。

その中で、騙された経験を延々と悔やんでいるだけなのか、「あそこで騙されたおかげで、もっと大きな詐欺に引っかからずにすんでいる。だとすると、あのときの被害額も、今考えればカスリ傷だ」と思えるか。

僕は、完全に後者のタイプというわけです。過去を振り返らないといえば、失敗だけでなく、成功も振り返りません。なぜなら、成功した記憶は気持ちよくても、そこに新しい情報はないから。

だったら、新しい映画を観たり本を読んだり、新しい事業を考えたりと、別のことを楽しんだほうがいいと思っているのです。

人に嫌われても「しょうがないよね」人づき合いにおいても、どう転ぼうと、本当は後悔なんて必要ないはずです。

目の前の人に好かれようと思うと、好かれなかったときに「なんでだ?」「どうすればよかったんだ?」なんて後悔が生まれますが、そんなのは正直、どうでもいいことですよ。

自分が普通にしていて好かれなかったのなら、しょうがない。それに、誰かをすごく怒らせてしまった後に、意気投合して仲よくなるなんていうのも、よくあることです。

すると「こういうことを言うと怒る」「怒らせても関係修復できる」という共通認識が生まれるから、割と率直にものを言い合えるようになります。

あるいは1回モメて、たとえイヤなやつだと思っても、仕事などで組むメリットがあると見れば、僕は割り切って組むほうですね。

こんな具合に、気を使っている間柄よりも、一度くらいモメたことがある間柄のほうが、腹を割って話がしやすい気がします。では、もし相手を怒らせてしまって、二度と連絡がこなくなったらどうするか。そういうときは、悩むだけムダ、考えるだけムダ。

「あ、私を嫌いになるタイプの人だったのね」でおしまいにしたほうがいいのです。

自分が自分として普通にしているだけで怒られて、それで二度と連絡がこなくなるのなら、最初から相性が悪かったということです。

仮に、そのとき怒られなかったとしても、いつかはモメるに決まっている。相手に気に入られようとして、いろいろと取り繕ったとしても、いつかボロが出ます。早めに切れてよかったと考えたほうがいいでしょうね。

仕事のクライアントに嫌われたりしたら、誰だって落ち込むと思います。でも、会社員であれば、クライアントに嫌われたとしても、給料が出ないなんてことはありません。つまり大したことではないのです。

そもそも、自分を嫌っている人から好かれるのは至難の業なのだから、「嫌われてしまってダメでした」で終わらせて、別のクライアントに行ったほうがラクだし、よほど建設的だと思います。

嫌いなやつは、記憶ごと抹消する自分が誰かを嫌いになった場合も同様です。

記憶力のいい人ほど、「アイツにこんなことを言われた」というのを逐一、覚えているものですが、本当は、イヤな記憶ほどさっさと忘れてしまったほうがいい。

いくら思い出しても、相手が自分にとっていい人に変わるわけではないし、思い出すだけストレスになるからです。

自分を守るために「関わったら面倒だから近づかないほうがいい人」は、ちゃんと覚えておくべきなんでしょうけどね。

僕は記憶力が悪いので、人から言われたことも、割とすぐに忘れてしまいます。

「あの人が嫌い」という感覚はあっても、何を言われたのか、どうして嫌いになったのかは忘れてしまう。

すると、そのまま「あの人が嫌い」ということ自体、忘れてしまうこともよくあります。だから、言われたことを鮮明に思い出してはストレスを溜める、ということもないのです。

これも、僕がストレスとほぼ無縁で生きられている理由かもしれません。僕を失恋から救ったピンポン球過去はどうしたって変えられません。

過去を見ている限り未来のことは見えないし、未来が見えなければ、そこでうまくいくことはないと思います。

たとえばいつまでも失恋話ばかりしていると、新しい恋人はできませんよね。そのときどきで感情が波立ってしまうのは、仕方ありません。

ただ、フラれたという記憶を辿ることを繰り返しても、単にストレスが溜まるだけです。

それよりも何か、くだらなくてもいいから別のことに集中して、フラれたことを考えない時間をできるだけ長くしていったほうが、自分にとっていいはずなのです。

僕なんかは昔、フラれたときは「ピンポン球工場」の動画をひたすら見ていました。

科学技術振興機構が運営している「サイエンスチャンネル」っていう動画配信サイトにあるやつなんですけど、デカい機械から、小さいピンポン球がすごい勢いで量産されていく感じが飽きなくて、無心でずっと見続けられたんです。

「失恋で傷つく」と言いますけど、この「傷つく」というのは、心理学的には、失恋した事実を何度も思い返して、そのネガティブな感情がストレスになってしまっている状態です。

つまり「傷」があるわけではないんですよ。そう考えると失恋から立ち直るのも簡単で、ネガティブな感情が起こらないように何かに没頭し、ストレス値をできるだけ低くすればいい。

これでストレス状態はいったんゼロにリセットできるわけです。

こういう仕組みがわかっていれば、フラれた記憶をわざわざ呼び起こしてストレスを増やしても意味がないと気づけるはずです。

もちろん失恋のみならず、どんなネガティブな記憶でも同じです。おそらく僕は、大切な人が死んだときも、またピンポン球動画を見ていると思いますよ。

それか、アクションゲームみたいに、何かを考えるヒマもないほど忙しいやつをやり続けるかですね。

同じ時間でも、マイナス感情を反芻してストレスを溜める時間とするか、ストレスをリセットするために何かに没頭する時間とするか。

このどちらを取るかで、未来は大きく変わるでしょうね。

「困っている未来像」は過去の虚構

僕の友だちに、幼いころ、父親から暴力を振るわれていた人がいます。幼い子どもが父親から暴力を受けるというのは、自分で打開する手立てもなく、ただ「困る」しか選択肢がない状況です。

母親に助けを求めたところで、今度は母親が殴られてしまうかもしれないし、子どもの立場ではどうしていいかわかりません。

その後、彼の両親は離婚して、一応は解決したそうですけど、彼にとっては大きなトラウマになったはずです。

子どもながらに相当困難な体験をしているので、その友だちは、自分に脅威が降りかかったりデメリットを感じたりしたときは、今度こそ〝危機〟を回避するために、ものすごく心配してなんとかしようとします。

彼のように、過去に困ったことがある人は、「困った記憶」があるせいで、仕事がなくなったら困る、お金がなくなったら困る……というふうに、未来に対する不安が生じやすくなっているのだと思います。

でも、その「困った記憶」と結びついた「困っている未来像」って、本当は虚構に過ぎないんじゃないかと思うのです。

未来を見るときには、2つの道があります。ひとつは、実際に起こりうる状況を想定して、対策を考えておくこと。

たとえば、何か企画を通さなくてはいけないときに、「あの企画が通らなかったら、この企画を出そう」などと考えるということです。

よからぬ状況を思い浮かべても、対策があれば人は安心できるので、ここで「困る」ことはありません。

もうひとつは、起こるかどうかもわからない状況を想定して、ただ心配すること。

「困った記憶」と結びついた「困っている未来像」は、こっちに属します。

言ってしまえば、「心配している」だけであって、「考える」ということはしていないのだから、なんの意味もないわけです。

どっちを選べばいいかは、わざわざ言わなくてもわかりますよね。

僕には「困った記憶」がないじつは、僕自身には「困った記憶」がありません。

自分の力ではどうにもできない状況になって、頼る相手もいないっていう経験が、一度もないんです。

たぶん「これは困る」という定義のラインが人と違うのだとも思いますが、とにかく、そもそも「困った記憶」がないから「困っている自分像」も思い浮かばないわけです。

たとえば、近くにイヤなやつがいる場合でも、「面倒くさい」とは感じても「困っている」という気持ちにはなりません。

イヤなやつならつき合わなければいいだけですからね。

飛行機が墜落するとか、山で遭難するとかは、たしかに困ります。

だけど、普通に生きていて、そんなふうに生命の危機を感じるような状況になることなんて、なかなかありません。

だから死ぬとかではない限り、困る必要はない。

バイクで事故を起こしたときでさえ、僕はその慰謝料で留学したくらいですしね。

そんな考えだから、そもそも人生で困ることってそんなにないよね、という感覚で生きているのです。

もし、年収400万円の人が年収100万円になることを想像したら、「困っている」と思うでしょう。

でも、それは「日本で暮らすには困る」「都会で暮らすには困る」というだけではないでしょうか。

たとえば東南アジアの国に移住すると、貨幣価値も違いますから、それくらいの経済レベルで暮らしても特に問題なんて生じません。

こうやって考え方をちょっと変えるだけで、「困っている気分」は消えていくんだと思います。

なんとなく日々を過ごす幸せ僕だったら、たぶん年収100万円になっても困りません。

たとえお金がまったくなくなっても死ぬわけじゃあるまいし、と思います。

きっとフランスで暮らすのは難しくなりますが、それならそれで、どこか物価が激安のところに移り住めば、まったく問題なくやっていけるでしょうね。

だから年収100万円の自分を想像しても、心配にはならないのです。

もっと言えば、たとえ一文なしになったとしても、誰かが助けてくれるし、ご飯も食べられます。

ネットにつながっているパソコンさえ貸してもらえれば、僕は割と楽しく過ごせる気がします。

ちょっと極端なたとえ話だったかもしれませんが、「困っている未来像」って、だいたい虚構じゃね?と思ってみると、もっと、いろいろなことに時間を使える気がしませんか。

結局、住む場所と食べものがあって、人とコミュニケーションがとれる状況であれば、人は幸せを感じることができるのです。

たとえ失業したとしても、仕事がないほうが時間に余裕があるぶん、面白い人や出来事に遭遇するチャンスが増えるかもしれない。

会社員ではかなわないような多くの自由時間が、「強み」になると考えることもできるわけです。

ここまで読んでもらったらわかると思いますが、僕は時間に追い立てられて走り回っているわけでも、時間を確保するために頑張っているわけでもありません。

それでも僕は、なんとなく日々、楽しく過ごせています。

こんな毎日が続いたらいいなと思うし、あえて自分から壊す気ももちろんありませんが、どんな未来がこようとも、僕に見えるのは、今と同じく「楽しくしている自分」なんです。

騙されたつもりでもいいから、今感じている不安は虚構なんだと思い込んでみると、トクすることはあっても、損することはない気がしますよ。

そうやって考え方を常識からちょっとずらしてみると、人生という時間の楽しさも、自由も、幸せも、増えていくんじゃないかと思います。

あとがき人間っていつか死ぬんですよね。

どうやら日本人は70歳ぐらいまで働き続けないと老後にお金に困るらしいです。

80歳過ぎが寿命なんですけど、「20歳から70歳まで、だいたい仕事してたなぁ……」ってことになる人が大半だと思います。

そのときに、楽しい仕事をしてた人と、お金のためにつまらない仕事をやり続けた人で、意味がまったく違うと思うのですね。

知能が遺伝するってのは割と知られてる話ですが、収入も遺伝するという身も蓋もない研究結果が出てきたりしてる昨今です。

親が金持ちだと子どもが金持ちになるという環境要因については、トマ・ピケティさんの『21世紀の資本』(みすず書房)で有名になった話ですが、環境だけじゃなくて、遺伝子でもそういう結果が出つつあるんですよね。

つまり、お金持ちの親を持ってると、お金持ちになる確率が高いのですが、親がお金持ちじゃないと、子どももお金持ちになれない確率が高いってことなのですね。

ただ、いくらお金持ちでも80歳過ぎで死にます。

時間というのは、基本的には誰であれ公平に与えられています。

せっかくの時間なので、自分が幸せになるために使うほうがいいと思うんですよね。

ただ、世間の常識とか上司に言われたとか、あなたの人生にはなんの責任も持たない人の意見を重視しちゃってる人はけっこう多い気がします。

言われたとおりに我慢して生きたとして、「つまらない人生だったな……」って気づいたとしても、世間の常識や上司はなんの責任も取ってくれないですからね。

もちろん、本書の内容は間違ってる!って信じて、独自の自分の時間の使い方を編み出すのもいいと思います。

ただ、他人が言ったことを真に受けると、その人が間違ってたときに、損するのはあなたなので、そこらへんは、ちゃんと考えたほうがいいと思います。

死ぬ準備を始めてる人が本書を手に取ったとしたら、そんなに意味はないかもですが、今後、何十年と生きる予定の人だったら、「自分の時間をなんのために使ってから死ぬか」ってのを考えてみるといいんじゃないかと思います。

そんなわけで、あとがきだけは自分で書いてるということが世に知れ渡り始めてるひろゆきでした。

ひろゆき

ひろゆき本名・西村博之。

1976年、神奈川県生まれ。

東京都北区赤羽に移り、中央大学へと進学。

在学中に、アメリカのアーカンソー州に留学。

1999年、インターネットの匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設し、管理人になる。

東京プラス株式会社代表取締役、有限会社未来検索ブラジル取締役など、多くの企業に携わり、企画立案やサービス運営、プログラマーとしても活躍する。

2005年、株式会社ニワンゴ取締役管理人に就任。

翌年には「ニコニコ動画」を開始し、大反響を呼ぶ。

2009年に「2ちゃんねる」の譲渡を発表。

2015年、英語圏最大の匿名掲示板「4chan」の管理人に。

2019年、SNSサービス「ペンギン村」を立ち上げる。

主な著書に『無敵の思考』『働き方完全無双』(ともに大和書房)、『論破力』(朝日新聞出版)、『1%の努力』(ダイヤモンド社)などがある。

●ひろゆき日記@オープンSNS。

http://hiro.asks.jp/●ペンギン村https://epg.jp/●Twitter:@hiroyuki_niSTAFF装丁井上新八本文デザイン・DTP伊延あづさ(アスラン編集スタジオ)撮影干川修構成福島結実子編集協力清野直マーケティング津郷浩、宮本匡高、池澤庸介、小坂聡、是澤武、相澤穂理広報・宣伝浦山真市、土橋身知子プロデュース倉上実

 

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