継続する力――「平凡な人」を「非凡な人」に変えるもの
人生とはつまるところ、「一瞬一瞬の積み重ね」に他なりません。
今この一秒の集積が一日となり、その一日の積み重ねが、一週間、一カ月、一年、そしてその人の一生となっていくのです。
また、「偉大なこと」も「地味なこと」の積み重ねに他なりません。
人が驚くような大きな成果、どんな天才が成し遂げたのだろうと思える偉業も、じつはごく普通の人がコツコツと一歩一歩積み上げた結果であることがほとんどなのではないでしょうか。
つまり、「こうしたい」「こうあり続けたい」と、夢を思い描いた地点まで、一瀉千里にジェット機で行くような方法はありません。
千里の道も一歩からで、どんな大きな夢も遅々たる一歩一歩の歩みを積み重ねた果てに、やっと成就するものなのです。
エジプトの巨大ピラミッドも、たくさんの名もなき人たちが、地道な作業を営々と積み重ねてきたその結果でしかありません。
大きな切り石を一つずつ積み上げていく。その数は何百万個、何千万個にも及んだかもしれません。しかし、それを一個一個運んでは積み上げていく。
ピラミッドとは、そのような気の遠くなるような作業を継続して行なった、その汗の結晶であるからこそ、悠久の歴史を超えて、今日われわれが目にするような雄姿を誇っているのです。それは、私たち一人ひとりの人生も変わりありません。
一つのことを「継続」することによって、とうてい手が届かないと思えていた地点まで到達することができるだけでなく、人間としても大きく成長することが可能になるのです。
かつて京セラの滋賀県にある工場に、一人の中学卒の従業員がいました。
「これはこうしなさい」と教えると、「はい」とうなずいて、手を真っ黒にし、額を汗まみれにしながら、言われた仕事を来る日も来る日も飽きずにやっていたものです。
工場の中ではまったく目立ちませんでした。ただ不平や泣き言は一切口にせず、地味で単純な作業をコツコツと続けていたのです。
それから二十年後――私は彼に再会しました。驚いたことに、地味で単純な作業をコツコツ続けていた彼が、事業部長に出世していたのです。私が驚いたのはその役職だけではありません。
「よくぞ、ここまで」と、思わず声を出してしまうほど、人格も見識も十分に備えた立派なリーダーに成長していたのです。
ごく目立たない存在でしかなかった、ただコツコツと愚直に仕事を続けるしかなかった、平凡な彼を非凡に変えたもの――それこそが地味な努力を厭わずに積み重ね、息長く続ける「継続する力」だったのです。
まさにトーマス・エジソンが言う通り、成功の要因に「ひらめき」や「才能」(インスピレーション)が占める割合はたった一パーセントにすぎず、残りの九十九パーセントは「地道な努力」や「汗をかくこと」(パースピレーション)によるのです。
一つのことにあせらず、腐らず、打ち込む。そして何があろうとも屈せずに続けること。それが、人間をしっかりとつくり上げ、さらには人生を実りあるものにしてくれるのです。
私は経営者として、これまでに多くの人材の採用に立ち会ってきました。その過程で、「カミソリのような人」と出会うことも少なくありませんでした。
「カミソリのような人」とは、頭が切れるのはもちろん、仕事の飲み込みも早く、いわゆる才気走った人物です。
中には、入社した段階から、「将来は会社を背負って立つ人間になってくれるだろう」と思うほど、「できる」人物もいたものです。
一方で、反対のいわゆる「鈍な人」もいます。採用してはみたものの、利発でもないうえに、気もきかない。言ってみれば、「真面目だけが取柄」といった人物です。
経営者が期待をかける人材は、当然ながら、前者であって後者ではけっしてありません。やむを得ず退職してしまうなら、前者ではなく後者であってほしいとさえ思うものです。
ただ、現実には、それとは逆のことが起こるのです。
つまり、辞めてほしくない「カミソリのような人」に限って、目先がきくためか、すぐに仕事に見切りをつけ、会社を見限り、辞めてしまうのです。
そして、会社に残るのは――言葉は悪いですが――最初から期待感の薄い「鈍な人」たちなのです。
しかし、私は後に、自分の不明を恥じるようになりました。「鈍な人」たちは、倦まずたゆまず、自分の仕事をコツコツとこなしていきます。
あたかも尺取虫の歩みですが、十年、二十年、三十年と、営々と努力を重ねることを厭わず、ただ愚直に、真面目に、地道に、誠実に働き続けるのです。
そして、それだけの年月がたつと、それら「鈍な人材」はいつのまにか「非凡な人材」に変わってしまっていることに気づかされ、たいへん驚くのです。
もちろん、ある瞬間に、彼らが生まれ変わって、素晴らしい能力を身につけたわけではありません。
人一倍苦労を重ねながら、それでも一生懸命に「働くこと」で、次第に人間をつくっていったのです。
豹のようなめざましい俊敏な動きではなく、牛のように、ただ不器用に、愚直に、一つのことを継続してきたことが、彼らの能力のみならず、人格をも磨き上げ、素晴らしい人間をつくり上げていったのです。
もし今、「真面目に働く」ことしか自分には能がないと嘆くような人がいたら、その「愚直さ」こそを喜べと言いたい。
つまらないように見える仕事でも、粘り強く続けることができる、その「継続する力」こそが、仕事を成功に導き、人生を価値あるものにすることができる、真の「能力」なのです。
世の「天才、名人」と呼ばれる人も、この「継続する力」を生かした人たちです。果てしのない努力を長年にわたり継続していくことで、素晴らしい技と人間性を自分のものとしていったのです。
努力を「継続する力」――それは「平凡な人」を「非凡な人」に変えることができるほど、強大なパワーを持っているのです。
昨日より「一歩だけ前へ出る」
人生では、つねに迷うものです。真剣に仕事に取り組んでいればいるほど、その迷いも大きくなるのかもしれません。
「自分は、なんでこんなことをしているのだろう」「何のためにこの仕事をするのか」などと、真面目な人、一生懸命な人ほど、働くことの意味、仕事の目的などといった、根本的な問題で悩み、答えのない迷路に入ってしまうものです。
私も、かつてはそうでした。最初に勤めた会社の研究室で、試行錯誤を繰り返していたころの話です。
当時、無機化学の研究者の中にも、私と同じような年齢であっても、奨学金をもらってアメリカへ留学する者もいれば、立派な会社で最新鋭の設備を駆使して先進的な実験をしている者もいたことでしょう。
それに比べて自分は、まともな設備さえないオンボロ会社で、日がな一日、ただ粉末の原料を混ぜるだけで毎日が終わってしまう。
「こんなことばかりしていて、どれだけの研究成果を上げられるのか」――。さらには、「自分の人生はどうなってしまうのか」――。ともすると、気が萎えてしまいそうな日々を過ごしていたのです。
このような迷いを解消するには、「先を見ることがいい」と一般に言われます。
つまり、目先のことにとらわれず、長期的な視点に立って、自分の人生設計図を描き、今の自分の仕事を長いスパンの中で位置づけるというやり方です。それが理に適った方法なのかもしれません。
しかし、私が行なったのは、それとはまったく逆の方法でした。あえて短期的な視点に立って、自分の仕事を位置づけようとしたのです。将来、どれだけの研究成果を上げられるのか。
自分の人生はどうなってしまうのか――このような「遠くを見る目」は持ち合わせなかったので、足元だけを見ることにしました。
つまり、今日の目標は、今日必ずやり遂げることを誓い、仕事の成果や進捗を、一日の単位で区切り、それを確実にやり遂げていくことにしたのです。
一日のうちに、最低限、一歩だけは前へ出よう。今日は昨日より一センチだけでも前へ進もう。そう考えたのです。
また、単に一歩前に進むだけでなく、今日の反省を踏まえ、明日は「一つの改良」「一つの工夫」をその一歩に必ず付加していこうと考えました。
そして、この一日ずつの目標達成と創意工夫を、雨が降ろうが、槍が降ろうが、何があっても、必ず毎日積み重ねていくことに全力を注いだのです。
まずは一カ月続け、次に一年続けてみる。さらには五年、十年と続けてみる。そうすれば、当初想像もしなかったような地点まで進んでいくことができるはずです。
今日一日を「生きる単位」として、その一日一日を精一杯に生き、懸命に働くこと。そのような地道な足取りこそが、人生の王道にふさわしい歩み方なのです。
今日一日を精一杯努力しよう
中身の濃い「今日」を、毎日毎日続けていく――。この姿勢は、京セラの経営にも反映しています。京セラという会社は、これまで長期の経営計画を立てないでやってきました。
インタビューなどで新聞記者からもよく、中長期の経営プランについて聞かれたものです。
私が「長期経営計画は立てないことにしている」と言うと、よく不思議な顔をされたものです。なぜ、長期計画を立てないのか。それは遠くを見る話というのは、たいていウソに終わるからです。
「何年後には売上をいくらにして、人員はどのようにして、設備投資はこうして……」といった青写真をいくら描いても、必ず、予想を超えた環境の変化や、思いもかけない事態が起こります。
そして計画変更や下方修正を余儀なくされ、ときには計画そのものを放棄しなくてはいけなくなってしまうのです。
そうして計画変更が続けば、どのような目標を立てても、従業員は「どうせ途中で変わるんだろう」と、目標をあなどるようになり、従業員の士気や、仕事への意欲を削ぐことにもつながっていきます。
また、目標が遠大であればあるほど、到達するまでに気の遠くなるような努力を続けることが必要です。
しかし、人間はがんばってもがんばっても、なかなかゴールに近づけなければ、途中で気持ちが萎えてしまったり、「目標は未達成だが、まあ、このへんでもいいだろう」と妥協してしまったりすることになりがちです。
そのような人間の心理的な側面からも、目標に至るプロセスが長すぎる、つまりゴールが遠すぎる目標というのは、往々にして挫折で終わることが多いものなのです。
途中で反故になってしまうような計画なら、はじめから立てないほうがいい――私はそう考えて、京セラの創業当初から、たった一年だけの経営計画を立てるよう心がけてきました。
三年先、五年先となると、誰も正確な予想はできません。
しかし、一年先なら、そう大きな狂いもなく読むことができるはずです。そして、その一年だけの計画を、月ごとの、さらには一日ごとの目標にまで細分化して、それを必ず達成するように努めてきたのです。
今日一日を精一杯努力しよう。今日一日を懸命に働けば明日が必ず見えてくる。今月を精一杯がんばろう。今月を精一杯がんばれば来月が見えてくる。今年一年を充実させよう。今年を充実させれば来年が見えてくる。
そのように、瞬間瞬間を充実させ、小さな一山ごとに越えていく。その小さな達成感を連綿と積み重ね、果てしなく継続していく。
それこそが一見、迂遠に見えるものの、高く大きな目標にたどり着くために、もっとも確実な道なのです。
能力を未来進行形で考える
目標を立てるときには、「自分の能力以上のもの」を設定する――それが私の考えです。
今の自分では「とてもできそうもない」と思われるほどの困難な目標を、「未来の一点で達成する」ということを決めてしまうのです。
そして、その「未来の一点」にターゲットを合わせ、現在の自分の能力をその目標に対応できるまで高める方法を考えていくのです。
現在の自分の能力で、「できる」「できない」を決めてしまったのでは、新しいことにチャレンジし、より高い目標を達成していくことはけっしてできません。
「現在の能力ではできないものを、なんとしても成し遂げよう」という強い思いがなければ、新しい分野を切り開き、高い目標を達成することなどできないのです。
私はこのことを、「能力を未来進行形で考える」と表現しています。これは、「人間は無限の可能性を持っている」ということを意味します。
つまり、「人間の能力は未来に向かって限りなく伸びていく可能性を持っている。このことを信じて、自分の人生に夢を描こう」ということを、私は言いたいのです。
しかしながら、多くの人が「自分にはできません」という言葉を、仕事や人生で、いとも簡単に口にします。現在の自分の能力で考えて、「できる」「できない」をすぐに判断してしまうのです。そうではありません。人間の能力は、未来に向けて必ず成長し、進歩していくものなのです。
実際にみなさんの今の仕事は、数年前には、「とても自分にはできそうもない」と思われた仕事であったのではないでしょうか。
しかし今では、それがいとも簡単にできるようになっています。人間というのは、すべての点において進歩するように、神様がつくってくれたもの――そう考えるべきです。
「私は勉強もしていないので、知識も技術も持ち合わせません。だからできません」と言うのではなく、「私は勉強していないから、知識も技術もありません。しかし、やる気はありますから、必ず来年にはできるようになるはずです」と考えていくべきです。
そして今この瞬間から、勉強をし、知識を獲得し、技術を習得すれば、未来には秘められた能力を開花させ、素晴らしい成長を遂げていけるはずです。人生をあきらめ、今のままで一生を終わろうなどと思っている若い人は少ないでしょう。
しかし、難しい課題を前にすると、ほとんどの人がつい「できません」と言ってしまいがちです。絶対に「できない」と言ってはなりません。難しい課題を前にしたら、まずは自分の無限の可能性を信じることが先決です。
「今はできないかもしれないが、努力をすればきっとできるはずだ」と、まずは自分の可能性を信じ、次に必要となる能力をいかに伸ばしていくかを、具体的に考え尽くしていかなければなりません。
それこそが、明るい未来へと続く扉を開けることになるのです。
「できない仕事」を「できる仕事」に変える
京セラは創業のころから、他社が「できない」と言った仕事を、進んでよく受注したものです。
そう言うと、まるで創業時から素晴らしい技術力を誇っていたように思われるかもしれませんが、けっしてそうではありません。
吹けば飛ぶような会社にとって、そうするしか生きる道がなかったのです。私たちが最初に手がけたのは、先にも述べた、松下電子工業向けのテレビのブラウン管用絶縁部品でした。
京セラを創業してから、順調に生産を重ねていましたが、その一つの製品だけでは、経営的に不安なものですから、その技術、実績をベースに、横展開することを次に考えました。
つまり、東芝、日立、 NECといった大手エレクトロニクスメーカーへの営業活動を開始したのです。
まずは「当社は、このようなファインセラミックスの絶縁部品をつくる技術を持っています」とアプローチしていきました。
ただ、大手企業ではすでにそのような絶縁部品は、先発セラミックスメーカーに発注していました。
また、大企業の技術者は、吹けば飛ぶような京セラみたいな会社に注文を出すことが不安ですから、先発のセラミックスメーカーにすでに依頼している製品を、京セラのような新参メーカーに切り替えることはまずありません。
そのため、必ずと言っていいほど、「そんなファインセラミックスの技術を持っているなら、こういうものはつくれるか」と、先発のメーカーさえできずに断ってきた、難しい製品の開発を打診してくるのです。
そこで、「当社ではつくれません」と言ってしまえば、それで終わりです。
本当はブラウン管の電子銃を構成する絶縁材料をつくる技術しかないのに、私はそのようなお客様のご要望にも快く、「はい、できます」と言うしかありませんでした。
そう言わなければ、相手が二度と関心を示してくれず、それではいずれ経営が成り立たなくなるわけですから、選択の余地はありません。
しかし、一度、「できます」とお客様に口にしたからには、必ず結果を出していかなければ、次の新しい仕事は来なくなってしまいます。
つまり、「できます」というウソを、なんとしても本当にしていかなければならなかったのです。
そのようにして、できもしない仕事を次々に受注してくる私に、従業員はただ驚くばかりでした。
また、「設備もないのに、できるわけがありません」と一斉に異を唱えます――従業員の言うことには、一理も二理もありました。その仕事をこなすだけの実績も技術も設備も、そのときの京セラにはなかったわけですから。
しかし、私は、みんなをこう叱咤激励したものです。
「設備は借りてもいい。中古品を買ってきてもいい。技術的にできないと思うのも、現時点での話にすぎない。やれると信じて努力を続ければ、将来、必ずできるようになる。その未来の到達点を目指し、すべての力と情熱を注ぎ込んでくれ」
「できないもの」を「できる」と引き受けて、実際に「できる」までやり続ける――不可能から可能を生み出そうという、無茶な「背伸び」かもしれません。
しかし、その無茶な「背伸び」が、京セラの技術力を伸ばし、実績をつくり、成功への道筋をつくってくれたのです。
人間の能力というのは、けっして決まったものではありません。能力とは、あくまでも「未来進行形」でとらえるべきものなのです。
到達すべき未来の一点から逆算して――現在の自分の能力を勘案しながら――どうして自分の能力を高めていくかを考えていく。
その未来の一点、つまり到達すべき目標とは、つねに自分の力の二割増し、三割増しのところに置いたハードルとする。そのようにして、未来の一点に向けて、誰にも負けない努力を惜しみなく注ぎ続ける。
そんな「能力を未来進行形で考える」姿勢こそが、高く大きな目標を達成していくために、もっとも大切なことなのです。
「もうダメだ」というときが仕事の始まり
「手がけた研究開発は百パーセント成功させる」――これは私の信念です。京セラを創業し、十五年くらいたったころでしょうか。
ある有名大企業の二百名くらいの研究者の方を前に、研究開発の進め方についての講演をしたことがあります。
みなさん、日ごろから高度な技術開発に携わり、その多くが博士号の肩書きを持った優秀な方ばかりでした。
講演が終了し、質疑応答に入ったとき、「京セラの研究開発の成功率はどれくらいですか」という質問を受けました。「京セラでは、手がけた研究開発は百パーセント成功させます」――。
そのとき私は、こう答えました。すると、驚きの声とともに、すぐさま反論が返ってきました。
「研究開発の成功率が百パーセントといった、そんなバカなことはあり得ない」というわけです。私は次のように答えました。
「京セラでは、研究開発は成功するまでやり続けますので、失敗に終わるということがないのです」 この答えに、会場からは失笑がもれたようでした。
しかし私は本気でした。
何か一つのことをやり始めたら、それを「成功するまでやり抜く」、その執念にも似た強い思い、また達成するまでやり続ける「継続する力」が、成功のための必須条件となると信じていたからです。
「もう無理だ」と思った時点を終点とせず、仕事の再スタート地点と考え、成功を手にするまでは絶対にあきらめない粘り強さ。
自分に限界を設け設けない、あくなき挑戦心――それこそがピンチをチャンスに変え、失敗さえ成功に結びつけることを可能とするのです。
狩猟民族は、槍一本、あるいは吹き矢一つを持ち、腰に数日分の食料と水を携帯して獲物を追い、捕獲することで一家の生活を維持しています。
ただ、彼らとて、そう簡単に獲物が捕れるわけではありません。動物が通った足跡を何日も何日も追い続け、そのねぐらをなんとか突き止めて、命がけで襲って仕留める。
仕留めたら、今度はそれをかついで、やはり何日もかけて家族の待つ自分たちの住居まで帰らなくてはなりません。こういう厳しい環境条件の中で生き抜いていくには、何より岩をもうがつような強い意志の力が必要です。
いったん狙いをつけたら、けっして最後まであきらめることなく追い続ける、まさに執念にも似た、強い意志が必要とされるのです。
この狩猟民族の持つ、食らいついたら離れようとしない執念は、同じように仕事にも求められる、「成功のための絶対必要要件」なのです。
京セラには、「もうダメだと思ったときが仕事の始まり」という考え方が根づいています。
仕事において、「もう万策尽きた。ダメだ」とあきらめたくなるような局面に追い込まれても、それを終点とは考えず、むしろ第二のスタート地点と考える。
そして、そこからさらに強い意志を持って、熱い情熱をかき立て、どんなことがあっても、とことんやり抜いていく――そのような狩猟民族にも勝るような粘りが、目標を達成していくにあたり、求められるのです。
苦難、成功いずれにしても「私たちは試されている」
つらく苦しいときこそ、チャンスだと考えるべきです。なぜなら、苦難こそが、人を育ててくれるからです。また一方、順風満帆のときにこそ、かえって過ちを犯しやすいものです。
たとえば、大成功を収めた経営者が、成功の美酒に酔って、傲慢に陥ることから過ちを犯し、それをきっかけに晩節を汚し、せっかく育ててきた会社も大きく傾かせてしまうということがよくあります。
栄枯盛衰は世のならいとはいえ、そんな胸が痛くなるような悲劇が、今は当たり前のように転がっています。
失敗や苦難に遭遇したときに、不平不満を並べ、世をすね、人を妬むことなく、その試練に耐えて、さらに努力を重ね、小さいながらも確かな成功を一つずつ引き寄せて、やがて逆境を順境に変えることができるのか。
また、成功や幸運に遭遇したときにも、おごることなく、素直に感謝して、さらに努力を重ね、その成功を長く持続させることができるのか。
苦難、成功いずれにしても、私たちは試されているのです。
最初にお話ししたように、私も会社に入って、研究に没頭し始めたころ、「自分にはなぜこんなに次々と不幸が襲ってくるのだろう。自分の人生はどうなっていくのだろう」という思いにしばしば襲われたものです。
当時の私は、研究を指導してくれる上司もなく、十分な研究設備もない中、毎日毎日、たった一人で、手探りで研究を続けていたのです。
そのころ、私は寂しさ、つらさ、孤独感……そういうものに襲われると、夜、寮の裏の小川の土手にただ一人腰を降ろして、よく空を見上げていたものです。
星空のとき、月夜のとき、どんより曇ったとき、今にも小雨が降り出しそうな暗い夜でも、私は一人、空を見上げながら、静かに故郷をしのび、両親のこと、兄弟のことに思いを馳せながら、「故郷」などの唱歌や童謡を歌っていました。
そんな私の姿を見て、寮の先輩たちがよく「また稲盛が泣いている」と噂をしていたそうです。
しかし、私はつらく苦しい自分の心を癒し、鼓舞していくことに、自分なりの方法で懸命に努めていたのです。
そして、歌い終わった後、寮に帰るときにはもう、私はつらさも孤独も感じていませんでした。明日への希望と勇気を抱いて、明るく朗らかに寮に帰っていったことを今でも覚えています。唱歌や童謡が、私に勇気と力を与えてくれたのかもしれません。苦難がずっと続くことはありません。
もちろん幸運のままであることもないでしょう。得意のときにはおごらず、失意のときにもくじけず、日々継続して懸命に働き続けることが何より大切です。
試練の中でも懸命に努力を続ける日々、それは成功の種を大事に育てているときなのです。
感性的な悩みをしない
人生では、ときに失敗してしまうことがあります。そのようなときも、けっしてクヨクヨと感性的な悩みをしてはなりません。
「覆水盆に返らず」と言うように、一度こぼした水はけっして元へは戻りません。「なんであんなことをしたのだろう、あんなことをしなければよかった」と、いつまでも悩んでみたところで詮ないことです。
思い煩う必要など一切ありません。
失敗した原因をよく考え、反省はしなければなりません。「あんなバカなことをなぜしたのだろう」と、厳しく自省をしなければなりません。
しかし、十分に反省をしたのであれば、後は忘れてしまうことです。人生でも仕事でも、いつまでもクヨクヨと思い悩むことは、百害あって一利なしです。
十分に反省した後は、新しい目標に向かって、明るく希望を持って、行動を起こしていけばいいのです。近年、日本では自殺をする人が毎年三万人を超えています。その多くが感性的な悩みが原因となっているのではないでしょうか。
たしかに、人生にはいろんな悩みがつきまといます。しかし、たとえ生きてはいられないと思うような重大なことが起ころうとも、けっしていつまでも心を煩わせてはなりません。
感性的な心の悩みを払拭し、明るく前向きに新しい方向へ新しい行動を起こしていくのです。これは、人生を生きていくうえでたいへん大事なことです。人間は失敗、間違いを繰り返しながら成長していくものです。失敗していいのです。
失敗をしたら、反省をし、そして新しい行動へと移る――そのような人は、たとえどんな窮地に陥ろうとも、後に必ず成功を遂げていくことができるのです。
厳しさこそ人を鍛える
京セラのはじめてのお客様は、先にもお話しした松下電子工業でしたが、私たちは他の松下電器産業グループの会社も含め、「松下さん」と呼んでいました。
受注した当時は、「松下さんのおかげで京セラは順調なスタートが切れた」と感謝の気持ちでいっぱいでした。
しかしその後、価格、品質や納期など、すべての面にわたっていただく要求は、どれもこれもたいへん厳しいものでした。
とくに、値段については、松下さんの購買部からは、毎年のように大幅な値下げ要求をいただきました。仕事をもらえるありがたさの半面、その値下げ要求をこなすことは、並たいていではありませんでした。
それは、私の会社だけではなく、松下さんに部品を納入している会社が集まる会合に顔を出したときなどは、「下請けイジメに等しい」などと、松下さんへの不平不満が渦巻いていました。
私もあまりの要求の厳しさに、購買担当の方とケンカしたこともあるくらいでしたから、そうした恨みに近い不満をもらす気持ちもわからないではありません。
しかし私は同時に、「鍛えていただいている」という感謝の思いも強く持っていました。厳しい要求は、やっと歩き始めた自分の会社の足腰を鍛える、絶好の研鑽の機会と考えたのです。
この程度の要求に応えられないようでは、会社も自分もしょせん二流、三流止まりだろう。
だから、なんとしても負けまい、このせっかく与えていただいたチャンスに真正面から立ち向かっていこうと考えていたのです。
ですから、松下さんの言い値をそのまま受け入れ、どうやったらその値段で採算が取れるか必死に考え、徹底的にコストダウンに努めました。
創業から数年ほどたって、京セラが、当時勃興しつつあったアメリカ西海岸の半導体産業から注文をいただき、海外に輸出するようになったときに、私は松下さんに心から感謝をしました。
アメリカの同業者に比べて、私たちがつくる製品は、品質において断然優れたものであるうえに、価格競争力もはるかに高かったからです。
そのことに気づいたとき私は、「松下さん、よくぞここまで育ててくれました」と心の中で手を合わせていました。
世界に通用する技術を備えることができたのは、ひとえにあの厳しい要求を課せられたおかげであり、それに応えようと必死で努力してきた結果である――松下さんが期せずして与えてくれた試練が、私たちの力を知らず知らずのうちに大きく伸ばし、世界レベルの競争力を身につけさせてくれたのだと、私は思わず拝みたい気持ちにさせられたのです。
一方、あのとき松下さんに不平不満ばかりもらし、いっこうに努力を払わなかった部品メーカーは、倒産するなどして、すでに存在しないところも少なくありません。
自分が置かれた環境をネガティブにとらえて、卑屈になり、恨みつらみを募らせていくのか。それとも、困難な要求を、自分を伸ばしてくれる機会として、ポジティブに受け取るのか――。
いずれの道を取るのかによって、行き着くところが大きく異なってしまうのは、仕事も人生も同様です。
「どんなに険しい山でも、垂直に登り続けよう」
私は最初に就職した会社で、自分の信念に基づき行動したことで、先輩、上司、さらには労働組合からも非難を受け、社内で孤立してしまったことがありました。
そのとき、私より五、六歳年上の先輩――その人は私とは違って、周囲の人と和するのが上手な如才のない人でした――がこういう意味の助言をしてくれたことがありました。
「稲盛君のやり方は、正しさ一辺倒で、ストレートすぎる。だから周囲に理解されないのだ。人生にはいい意味での妥協が必要だ。それは生きていくために不可欠な方便だよ」 それを聞いて、なるほどと納得するところも少なくありませんでした。
それからしばらく、先輩の言った「いい意味での妥協」をすべきかどうか、ずいぶん自問自答を重ねたものです。
しかし、私が出した結論はやはり、「妥協という誘惑には絶対に耳を貸すまい」ということでした。信念を曲げることなく、懸命に働き続けることしか、自分にはできない――改めて初心に返って、そう心に誓ったものです。
私はそのとき、高く険しい岩山を、垂直に登っていく自分の姿を思い浮かべました。
登山の技術も経験もあるわけではない人間が、パーティーのリーダーとしてメンバーを率いて、峻険な岩山をまっすぐよじ登っていく──怖くて足がすくむ者、途中で脱落する者が出てきても無理はありません。
安全を第一に考えるなら、そびえ立つ岩山を垂直に登るのではなく、山すそを迂回しながら、ゆっくりとゆるやかに登っていく方法もあるでしょう。
それがまさに先輩の教えてくれた「いい意味での妥協」であり、賢明な策というものかもしれません。しかし、私はそのような安易な道を取らないことにしました。
なぜなら、ゆるやかな道を行くという安全策を取った瞬間に、私は目指すはるかな頂きを見失ってしまうと思ったからです。
安全な方法で、ゆっくり時間をかけて登っていくうちに、険しい頂上をきわめようという気持ちを忘れてしまうかもしれない。
忘れないまでも、「理想は理想として、現実にはここまでしか登れなかった。もう十分努力したではないか、ここらでよしとしよう」とあきらめてしまうに違いない、そんな自分の姿が見える気がしたのです。
少しでも自分に妥協を許せば、そこで努力を継続することにピリオドを打ってしまいかねない弱い自分が想像できた――だから私は無謀を承知で、どんなに険しい山であっても、これからも垂直に登り続けよう、そう決意したのです。
ちょうどそのとき、結婚を考えていた妻に、「誰もついてこなくなったとしても、すまないが、おまえだけはおれの尻を押してくれないか」とプロポーズも兼ねて、頭を下げたのを覚えています。
妻は黙ってうなずいてくれました。
自分に妥協を許し、安易な道を選べば、その瞬間は楽でも、夢や高い目標を実現することができずに、後で必ず後悔することになります。
人生や仕事におけるどんな困難な山も、安易に妥協することなく、垂直に登り続けていくことが大切です。
強い意志を持って、一歩一歩地道な努力を日々継続する人は、いくら遠い道のりであろうとも、いつか必ず人生の頂上に立つことができるに違いありません。
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