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3章いい質問、悪い質問

目次

知識と教養は違う

質問は、自分に向かって、あるいは、他者に向かってするものです。

人間に質問するときは、コンピューターに質問するときとは違って、「質問」と「答え」の関係が簡単ではありません。

コンピューターに質問するときは、「明日の天気はどうですか?」「降水確率40%です」「喫茶店はどこにありますか?」「(グーグルマップが出てきて)ここと、ここと、ここにあります」というように、彼らは、まるでテストにでも答えるように、的確な答えを出してきます。

つまり、「知識」そのものを返してきます。

ところが、人に質問するときは、質問する側も自分がなにを聞きたいのかよく分かっていないことがあったり、答える側もテストに答えるのとは違って、相手によって異なった回答をしたり、今、思うことを会話中ただ一生懸命に伝えようとするだけです。

決して正解などないし、相手にとっても自分にとっても「予想外」の回答であればあるほど、発見があるし、喜びがあります。

考えてみれば、会話は質問の連続です。

常に適切な、正しい答えだけを出してくる相手というのは、会話においては、むしろ嫌われるかもしれません。

中国の賢人孔子は『論語』の中で、こんなことを言っています。

「たくさんの本を読んだとしても、どこへ行って、誰と会っても、適切に応対ができる、ということにならなければたとえどれだけ読んでいたとしても意味がない」(『論語』子路第十三、著者意訳)

孔子は、他者との応対にこそ「人間の知性が表れる」と言っています。

質問があれば「正しい答えが一つあってそれを答えればいい」という単純な関係では、人間の会話は成り立ちません。

  • 「この人には、こういう言い方をしたほうがいい」
  • 「あの人だったら、これを知ったら喜ぶだろう」
  • 「こんな職業の人がこの場にはいるから、この話題に配慮しよう」
  • 「この人はプロだから、これをやったら失礼だ」

個人に合わせて、状況に合わせて、答えが変わってくるのが「教養」です。

「知識」と「教養」は違います。われわれが磨きたいと思っている「いい質問」「いい答え」というのは、この「教養」の側に属します。

質問とはカウンセリング力

心理カウンセラーは相手の隠し持っている気持ちを引き出すプロです。

その中でも、ユング心理学を学ばれ、箱庭療法を日本に導入し、文化庁長官を務められた、故河合隼雄さんを私は敬愛しています。

河合さんがタクシーに乗ると、運転手さんが自分の身の上話を始めて、目的地を通り過ぎてなお、いつまでも話をしてしまうことがよくあったそうです。

運転手さんは、もちろん相手がそんな心理学の大家だなんて知らないし、河合さんも、「そうですか」とうなずいているだけです。

河合さんには、そこにいるだけで、なぜか人の内面を引き出してしまう力がありました。

河合さんが言っていたことで私が忘れられないのは、次の言葉です。

「人の話は自分の中心を外さないで聞く」

喫茶店の中で、女性二人が失恋話などをしていて、「そうなの?ひどーい!」と相手にピッタリ寄り添うような言葉が漏れ聞こえてくることがよくあります。

意外なことに、河合さんは、カウンセリング中、そういう共感的態度を絶対にとりませんでした。

「私はこうだけど、あなたはこうだったのだね」自分の中心を絶対にずらさないのだそうです。

そういう聞き方をしないと、実際に患者さんが治らなかったのです。

大事なのは、「自分とまったく同じように感じてくれること」ではなくて、「自分の話をよく聞いてくれるけれども、自分とは違う存在がいること」なのではないでしょうか。

世界が自分と同じになってくれることではなく、自分とは違う文脈が確かに存在していることに救われる。

河合さんのように、どっしりと中心を外さない安定した人間を目の前にすると、安心して、まるでロープにしっかりつながって、深みに降りていくように、不安定な自分の核心にまで降りていくことができるのでしょう。

質問することは、正しい答えを得ることではなくて、質問する人が、自分で質問をしたことによって、気づきを得ることです。

その意味では、質問力はカウンセリング力でもあります。

先ほどから言っているように、自分が本当のところなにに困っているのか、なにが知りたいのかは、分かっていないことが多いものです。

河合さんのように、「答えない」でどっしりいてくださることが、「解決」を導く場合があります。

直接答えを与えてもらうばかりが解ではないのです。

人生の問題に関しては、「ちゃんとした質問があって、答えがある」という構造にはどうもなっていません。

面白いのは、自分が意識的に質問していなくても、全然関係ないところで突然答えに出合うことがあることです。

「なんだ、これは!こういうものが欲しかったのだ、私は!」突然の出合いによって、自分が知りたかったことの中身が初めて見えてくることがあるから、質問と答えの関係は、本当に複雑です。

あなたの質問はナイーブかもしれない

ここまでに挙げた例で明らかなのは、「いい質問ができないのは、知識が足りないからではない」ことです。

1章でお話ししたように、むしろ自分が知らないことがまだまだあるという実感、それについてのときめき力こそが、いい質問をするのに必要なものです。

私がケンブリッジ大学に留学していたとき、よく経験したのが、「ナイーブな質問は無視される」という経験です。

そういう経験も、質問力を鍛えるのに必要な体験だったと感じています。

たとえば、学者たちが集まる大学のディナーに、別の業界の友人を連れて行ったとします。

その人が、たまたま横に座ることになった、若手の脂ののった脳科学の研究者に、こう聞いたとします。

「朝何時ごろ勉強するのが脳にいいのですか?」私は100%確信するのですが、この質問は、まるで存在しなかったかのように、スルーされてしまうでしょう。

質問をした当人からすれば、学者といういわゆる「頭がいいはず」の人に、脳のことを聞くのは最適だし、相手の学者にとっても「自分の専門の内容を聞かれるのは気分のいいことだろう」と思うのかもしれません。

しかし、これは正直に言って、ナイーブすぎる質問です。

「デザートでも取ってこようかな」といって席を立たれても仕方がない。

その質問をした人が、「頭が悪い」からでも、「脳科学の知識を持っていない」からでもありません。

そういうことでバカにして席を立つのではないのです。

席を立たれてしまうのは、「人間に対する見通しが、あまりにも陳腐だから」です。

「何時ごろ勉強するのが一番いいのか」という質問を詳細に考えてみましょう。

そもそも誰かにとっての「一番いい」はどのように決まるのでしょうか?「勉強」というのもなにを指すのか不明ですが、仮に、その人が聞きたいのが、「記憶する効率を上げるにはどうするのが一番いいのか」という意味だとしてみましょう。

科学的な実験で、記憶の効率を高めるためには、何時ごろに勉強して、何時ごろに眠るのがいいというデータがあったとしましょう。

しかし、そのようなデータは、ほかの時間帯にやるよりもたとえば10%程度効率が上がるというようなデータにすぎないものです。

自分の生活スタイルの中で、ムリをしてでも、その時間帯にやるべきなのかどうかは、人によって違います。

無理をして朝8時からやって10%効率がよくなることよりも、夜の空き時間にやって、その分ほかのことを効率的にするほうが、全体的に見て価値が高くなることもあります。

データを真に受けて、そのとおりに実行することが正しいと思い込んでしまう人は、「他人に基準を求める人」です。

「朝やるのがいい」と聞いて、朝8時から勉強をして、実際に「いい大学」の入試に通ったとしても、その人の人生は、他人に従っていくだけかもしれません。

独自に考えて、工夫して、イノベーションを興していくような人とは違う──。そういう意味で、この人は「ナイーブ(単純で未熟)」と判断されてしまうのです。

「こうするといい」と専門家なら分かっていることを教えてもらって、それに従おうとする質問は、悪い質問です。

ソクラテスならこう聞く

ナイーブな質問とは、どんな質問なのでしょうか?それをしっかり理解していただくために、いくつか例を挙げましょう。

「脳にいい食べ物はなんですか?」「睡眠時間はどれくらいがいいですか?」「能率を上げるには、なにから始めるのがいいですか?」「英語は何歳から始めるのがいいですか?」「英語を勉強したいのですが、おススメの本はありますか?」

これらを、人類の中で最高の知者と呼ばれる古代ギリシャ人ソクラテスに質問することを想像してみましょう。

ソクラテスだったら、なんと言うでしょうか?ソクラテスは、相手と質問のやりとりをして、問題の核心に気づかせるというアプローチをとったことで知られています。

私は、ソクラテスなら、まず「前提を聞き始める」と思います。

「君が前の晩たまたま仕事が忙しくて、午前5時まで起きていたとしよう。朝8時からと言うと、睡眠は3時間しかとれないことになるけれど、それでも8時からやったほうがいいと言うのかね?」

「効率よく勉強するのには、十分睡眠をとってからのほうがいいのではないのかね?そのときは午前10時からに変わるのではないかね?」

「君が住んでいる場所の緯度はどれくらいで、日の出は何時かね?北国の冬で、朝8時が真っ暗だったとしても、8時からやるのがいいのかね?」

「朝8時というのは、君が起きてから何時間後のことなのかね?起きてから8時までの間は散歩をしているのかね?それとも家でボンヤリしているのかね?」

「体の調子によっても変わるのではないのかね?」

ソクラテスはこうした前提を明示していくことによって、「朝8時に勉強するのが一番いい」という1個のデータを、純粋にそのまま信じるべき絶対のものとしてではなく、状況によって変わるものだと理解させることでしょう。

1本の木を、純粋ななにもない空間ではなく、複雑な森の中で見るように仕向けていく。どれだけ複雑な文脈を想定できるか、それが人間についての見通しの深さです。

たとえ「朝やるのがいい」といっても、一晩中働かなければならない人たちはどうしたらいいのか。

いろいろな条件で暮らしている人がいますから、「こうすべき」などと一つに決まるはずがないのです。

「世の中は複雑で、その複雑なパラメータ(変数)の中でものごとが決まっていく」これは絶対に身につけるべき教養です。

ここからはなにが悪い質問で、なにがいい質問なのか、具体的に説明していきます。

悪い質問①正解を直接求める

正解は世の中のどこにもありません。

もしあるとすればそれは、とりあえず「正解」だとされて世の中を流通しているだけのものです。たとえある条件では正しいのだとしても、そのデータは複雑な文脈の中で判断しなくてはなりません。

「英語は何歳から始めるのがいいのですか?」幼いうちからやったほうがいいというデータは、あります。

大人になってからでは、頭の中で母語が確立されてしまっているから、新しい言語学習が母語によって邪魔されてしまうことがあるのかもしれません。

しかし、英語を本気で学びたいと思ったのが、大人になってからだったら、みなさんは、このデータがあるからといって、あきらめるべきなのでしょうか?英語を本当に学びたいと思ったら、「学びたい」と思ったその時点からやるしかありません。

イギリスの小説家ジョセフ・コンラッドは、ロシアに生まれ、20歳を過ぎて初めて英語という言語に触れたと言われています。

つまり、かなり大人になってから、本気になって自分で勉強して、英語の小説を書くようになったということです。

代表作『Heartofdarkness』(『闇の奥』、あの名作映画『地獄の黙示録』の原作です)は、英文学史に残る傑作です。

大人になってからでも英語を学ぶことは可能です。ネイティブ以上のプロになることもできます。

「何歳からやるのがいい」というデータを真に受けて、「もう遅い」とあきらめる必要はありません。理想的なことがたとえあるとしても、今の自分にできることをやっていけばいいのです。

「何歳から始めるべきか」に対する私の答えは、これです。

「人の数だけ、答えがあります」正解を他人に求める質問は、悪い質問です。

悪い質問②おススメを聞く

「英語を勉強したいのですが、おススメの本はありますか?」これは私がよく聞かれる質問ですが、その人がどういう趣味の人で、今までどんな生活を送ってきたのかということを、私は知りようがありません。

私が好きで読んできた本、いいと思った本が、その人にいいとは限りません。

そんなことは人に聞かずに、本屋の洋書売り場、アマゾンの洋書売り場を覗いて見るほうがよほど早い。

科学の世界では、文献はほとんどすべて英語で書かれています。

論文を英語で書いたら、日本の人だけでなく、世界中の人に自分のアイデアが届く。

そういう場所で生きているからこそ、自分の伝えたいアイデアを輸出するために、私は英語力を磨かなければなりません。

だから、科学書から、新聞、小説まで、自分の読みたいと思ったものを、英語の原文で手当たり次第に読んできました。

私は、英語を勉強するために、これが一番いいかどうかなど分からずに、少しでも自分に読めそうなもの、興味を引かれたものを手に取って、苦しみながら読み進めるしかありませんでした。

自分が好きな本の英語の原書や、本屋に行ってなんとなく気になった本を、とにかく1冊最後まで読み通してみる。

人のおススメを絶対視するのではなく、他人から見たらたとえ「よくない本」であっても、「これを読んでみようかな?」と、自分が思えたものを読むことで着実に勉強は進みます。

悪い質問③相手に同意を求める

私が講演会で「子どもの教育に本当に大事なのは、その子の熱中していることを大切にすることだ。偏差値では人間の能力は測れない」という話をした後のことです。

わが子の受験で一生懸命になっているお母さんたちから、次のような質問をされることがよくあります。

「でも先生、今から受験して偏差値の高い学校に入っておくことは、子どもの後々の人生のために重要ですよね?だから、テストの点数を上げるにはどうしたらいいのですか?」

これでは、私が1時間話してきた内容が完全に無視されてしまいます。

もともとの考えを崩さないで、自分が正しいと思うことの中でしか話をしようとしない人がいます。それは、他人の意見を必要としているというよりは、自分の偏見、自分の価値観を承認してほしいだけの質問ではないでしょうか。

私は、自分と違う意見の話を聞いたときに黙り込んでしまう人を見ると、素直に「いい人だな」と思います。呆然としている、あるいは黙り込んでいるのは、話を聞いて心の中でなにかが動いている証拠です。

そんなにすぐに人の話は分かるものではないのですから、黙り込んだっていいのです。違う意見を聞いて、すぐに捨ててしまうようなら、話を聞きにいく必要はありません。

自分が正しいと思うことだけを突き詰めていかないと、大事なところへたどり着けないような気がするかもしれませんが、むしろ逆なことがあります。

自分を忘れて相手の話を聞くことで、知らなかった世界が自分のものになるものです。

悪い質問④相手を問い詰める

質問は、人間あってのものなので、相手を無視してはいけません。

それはこんな例でも言えます。

夫がリストラされて、家に帰ってきたとします。

そのとき家で待っていた妻が、開口一番、こんな質問をします。

「こんなことになっちゃって、この先どうなるの?」「お金はどうするの?」リストラされた人が、そのことについて悩んでいないはずがありません。

さらには会社から自分の能力について厳しい判断をされて、自信も失っているはずです。

こんなときは、「大変だったわね。大丈夫?」と質問できたなら、その後の夫婦の展開がまったく変わるのではないでしょうか。

奥さんも、夫のリストラによって今後の生活の見通しがきかなくなって、不安になっているのでしょう。奥さんもまた「つらい」に違いありません。

それでも「今一番つらい状況にある人は誰か?」「帰ってきた瞬間に言うべきことなのかどうか?」を考えなければなりません。

「これからどうするの?」は相手を追い詰めるだけで、「次の仕事をしよう」という意欲にはつながりません。

それに対して、「大変だったわね」と言えば、「仕事はダメになったけど、家族は変わっていない。

自分には安心できる場所がある」と相手に安全基地を与えて、また仕事に出ていく力を引き出せるかもしれません。

自分の子どもが受験に落ちて帰ってきたときも同様です。

第一声で言うべきことは、「これからどうするつもりなの?浪人するの?」ではありません。

「よく頑張ったわね。大丈夫?とりあえずゆっくり休んでね」という相手を思いやる言葉であるべきです。

相手を思いやる質問よりも自分の都合を優先させる質問をして、安全基地を奪っている人は意外と多いものです。

安全基地というのは、イギリス人のジョン・ボウルビィという精神科医が提案した概念です。

子どもの観察をしていると、母親のような、自分を守ってくれる存在が側にいるときは安心して新しいおもちゃで遊んだり、知らない人とかかわってみたり、自分なりに世界を探索しています。

しかし、母親がいなくなると、途端に世界を探索するどころではなくなって、泣き叫んでしまうことがよく見られます。

そういう知見から、人間が(つまりは大人でも)、自由に世界を探索するためには、「これがあれば自分は大丈夫」という安全基地が必要だということが示されています。

ボウルビィはまた、人間は、自分に安全基地を与えてくれる存在、すなわち、世界を自由に探索させてくれる存在に、愛着を感じることを示しています。

愛されたいと思うならば、相手を自由にさせてあげなければならないのです。すなわち、人を自由にする質問が、いい質問と言えます。

悪い質問⑤どちらかを選ぶ

どっちが好きか。あるいは、どっちがいいと思うか。

こういう二者択一は、相手の好みを知るために聞くならいいのですが、強制的に答えを要求してしまうのは好ましくありません。

あなたも「どっちなの?」と追及されて、答えに窮したことがあるはずです。

この典型例は、男女間のケンカです。

仕事が忙しくて、デートをしてくれない男性に、女性はよくこう言います。

「仕事と私、どっちが大事なの?」こう聞かれた男性のほとんどは、こう答えます。

「どっちも大切だよ!」こう返答された女性は、もちろん、納得はしません。

それでも、心のどこかでは、それが男性の本音だと感じているのではないでしょうか。

自分自身が「大切にされている」と実感できないから、ついつい「どっちが大事なの?」と追及してしまいますが、この女性が男性に問うべきなのは、こういう質問です。

「仕事と私のどちらも大切にするには、なにを変えればいいと思う?」そう問われた男性は、自分自身が仕事優先にして、目の前の彼女をおろそかにしていることをハッキリ自覚するはずです。

自分自身のワークスタイルを根本的に変えることを考えるでしょう。

もしそれをしなかったら、彼女が自分のもとを去っていくだけです。

こういう不自由なことは、日常生活の至るところで行われています。

たとえば、日本を代表する映画監督、黒澤明と小津安二郎はどちらがすごいかという論争。

私は、どちらかと言えば小津安二郎が好きなのですが、だからといって、黒澤明が好きな人と、どっちがよいのかと議論しても、仕方がないでしょう。

自分の中では感覚的に小津が一番だということがハッキリしているのですが、ほかの人の中では感覚的に黒澤が一番だということがハッキリしています。

こういう論争は経験上、なにかを学ぶことはできますが、決着はつきません。

「こんなふうに見ると黒澤のよさが分かるのだなあ」「でも小津もやはりこういうところがすごい」素直に相手の意見を聞けば学ぶことができますから、決着をつけるのは保留にしておいたほうがいい。

自分は小津のほうが優れていると思ったとしても、それは信念の問題であって、論理的に「こちらのほうが本当にすごい」と結論が出ることはあり得ません。

ビートルズとU2だったら?私はビートルズ。

モーツァルトとベートーベンだったら?私はモーツァルト。

「きのこの山」と「たけのこの里」だったら?私は「たけのこの里」。

私は、「きのこの山」が好きな人と何度言い合いをしてきたか分かりません(笑)。

「きのこの山」が好きな人たちは「絶対的に『たけのこの里』のほうが優れていると証明されました!」などということがあったら、途方に暮れてしまいます。

自分の好み(あるいは他者の好み)を認識しておくことは、それがあなたという(その人という)人間を知ることなので、非常に重要です。

しかし、同意を求めて、どちらが正しいか決着させようとするよりも、両方の意見をよく聞いて、第三の選択肢を導く質問ができるまで保留にするほうが、お互いにとってプラスになるものです。

いい質問①空気を変える

私がテレビ番組のキャスターを初めて務めたのは、NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」でした。

それまでテレビに出たことはありましたが、レギュラーでのメインの進行役をしたことはなく、私にとってそれは未知の挑戦でした。

第1回目の放映は、2006年1月10日で、収録は前年に済ませていました。

この番組は各界のプロフェッショナルの日々の行動をテレビカメラが追跡してVTRにまとめたものと、ご本人によるスタジオでのインタビューという二つの柱で構成されていました(現在はスタジオでのインタビューはありません)。

この番組での私はVTRを見ながら、本人にさまざまな質問をして、本音を引き出したり、隠れた素顔を引き出したりする──。

それが、キャスターとしての私の役割でした。

ゲストは、星野リゾート社長の星野佳路さんです。

スタジオでのインタビューが始まり、私の最初の質問は、これでした。

「VTRでずっとTシャツ姿だったんですが、なにか理由はあるのですか?」この番組でのインタビューでゲストになにを聞くかは、スタッフが考えた流れを踏まえて、最終的には私が考えていました。

今思うと、なぜこれが最初の質問として私の口から出たのか、自分でも理由はまったく分かりません。

星野さんは、「リゾート再生請負人」として、これまで経営がうまくいかなくなった施設の再建を多く手がけています。

実際に黒字化したところがたくさんありますし、そのアイデアが斬新で、注目を集め続けている人です。

そういう人に「なぜTシャツ姿なのか?」と聞くのは、ピント外れのように思うかもしれません。

下手をすれば、「この人はなにを聞きたいのか?」と、相手に不審に思われる可能性もあります。

だからと言って、いきなり「経営するうえで一番大切なことはなんですか?」と聞くのもストレートすぎます。

人と人が出会った最初に、自分にとって一番大切なことを話すとは思えません。

「なぜTシャツ姿なのか?」という質問は変化球ですが、経営者が、いわば「経営者らしい」清潔感たっぷりのスーツ姿ではなく、ラフな格好をしているところに、星野さんの大事にしていることが間接的に見えるような気がしました。

このときの答えは、「暑がり」だからでした。

軽井沢出身で寒いのに慣れている星野さんは、社員が大勢いるところにいると暑くて仕方がないそうです。

社員がいる現場に足を運ぶことが多いから、必然的にTシャツ姿になる──。

こんなところに、星野さんの経営者としての成功の秘訣が表れています。

結果オーライかもしれませんが、こういう質問をすると、場も和みます。

私はもちろん、星野さんにしても、NHKでこれから始まる大型の番組の記念すべき第1回のゲストとして登場し、「どんなことを聞かれるのだろうか?」と、若干緊張していたかもしれません。

いい質問をすれば、場の空気や流れ、環境を一瞬にして変えることができます。直接的で本質的なことだけがいい質問なわけではありません。いい質問は、人間と人間のかかわりの中にあります。

いい質問②相手の経験を聞く

相手の一番深いところを引き出すには、自分の主張をするのではなくて、相手の言葉に自分を共鳴させるようにして聞くことが必要です。

共鳴というのは、同調することではなくて、なにかを口に入れたら、その味が自分の口の中でどんなふうに広がるか、しっかり味わおうとするように、相手の言葉が自分の耳に入ったら、自分の体をしっかり反応させる、という意味です。

「この人は、自分の言葉をよく聞いてくれている」ということが伝われば、人はうれしくて、自然とたくさん話をしてくれるものです。

自分の主張を押しつけても、その人の意見を引き出すことはできません。

それで反対意見が出てきたり、また同意が得られたりすることで、その人の一部を垣間見ることはできるでしょうが、その人の本質は、そもそも自分の主張の周辺にあるわけではないのかもしれない。

他人と自分はまったく別の存在です。自分がその人の楽器になってこそ、その人の一番奥を引き出すことができます。

相手の話をよく聞ける人は、自分を広げることができる人です。

相手のいいところを引き出せたなら、それは自分の持っていないものをもらえた、自分にとってヒントになることを一つ知ったことになります。

だから、その人の経験を聞く質問はいい質問です。

「あなたは、こんなときどうしましたか?」「あなたの場合はどうでしたか?」「あなたはどんな感じがしましたか?」

いい質問③好きなものを聞く

映画を好きという人がいたとします。

この人に「どの映画を見ればいい?」と聞くのではなく、「どの映画が好き?」と聞くのが、いい質問です。

そういう質問だったら相手も、なにが好きなのか、どういうところがよかったのか、たくさん話をしてくれます。

自分の好きなことを聞いてくれるわけですから、しゃべりやすいのです。

グルメな人がいたとしたら、「どのレストランに行けばいいですか?」ではなく、こう聞きます。

「お好きなレストランはどこですか?」そう質問すればその人の趣味が分かるし、そのレストランのどういうところがいいと思っているのか、どう見たらそのレストランがいいと思えるのか、一人の人の味わい方を知ることができます。

「一番いいワインはどれですか?」こういう質問だと、相手が言ってくれたワインを飲まなければならなくなってしまいます。

「どのワインがお好きですか?」この聞き方だったら、「参考にはするけれど、選ばなくてもいい」という自由があります。

話を聞いて、自分に余裕があるときだったら、あるいは、彼氏・彼女と一緒にいて特別な時間にしたいときが来たら、飲めばいいのです。

私は、小学校で講演するときは必ず「君たちはどんなものが好きなの?」と聞いて今、彼らの間で流行っているものを教えてもらいます。

大人はまったく知らないけれど、小学生の間で爆発的に流行っているものが必ずあります。

たとえば、「艦隊これくしょん」というゲームを数年前に教えてもらいました。

第二次世界大戦時の大日本帝国海軍の軍艦が女性に擬人化されていて、それを集めて戦わせるゲームだそうです(笑)。

それを聞いて、私自身が「艦隊これくしょん」にはまったり、人生の大事なものになったりしたわけではありませんが、「この子たちはそういうのが好きなのか、面白いな」と、その存在を知ることができました。

相手と趣味が違ったとき、自分も同じにする必要はなくて、「この人は、そういう趣味なんだ」と自分の記憶に蓄えておくだけでいいのです。

いつか好きになる日が来るかもしれないし、好きにならなくても、そういう人たちがいることを知ることが自分の教養となっていきます。

好きなものを聞いていくことによって、自分とは違う、多様な人たちがいること、自分が知らないたくさんの世界があることを肌で感じられるようになります。

いい質問④本心に気づかせる

自分の感情をメタ認知するのには、とても長い時間がかかります。

私の人生の中で、そんなに簡単に答えが出てこなかった質問は次のようなものです。

「なぜアメリカの大学へ行かなかったのだろう?」

18歳のとき、奨学金に合格していたのに、私は土壇場で行くのをやめてしまいました。

大学生になってからも、同じように留学する機会を得ましたが、そのときもやめました。

どうして行こうとしてはやめるのか。

自分にとって未解決の問題で、人生の中で何度も自分に質問し、そのたびに違う答えを出してきました。

50歳を過ぎた今、やっとしっくりくる答えが得られました。

それは、「アイデンティティーを失うのが怖かったのではないか」という仮説です。

高校1年生のとき、私はホームステイをしたのですが、その経験で欧米に対する猛烈な憧れと、恐怖を抱きました。

「英語をしゃべれるようになろう」「欧米の文化に適応しよう」と一生懸命になるばかりに日本人を避けて、「自分は君たちとは違う」と装うような人間になりそうで、怖かったのです。

海外の文化に強烈に憧れたり、尊敬したりするだけで留学してしまったら、自分の国のことを卑下して、自分が誰だか分からなくなりそうでした。

この問題を解決してくれたのは、世界中で尊敬される小津安二郎です。

私は小津の、極めて普通の日本の日常を描いた映画『東京物語』を大学生のときに初めて観ました。

それ以来何度も観ていくうちに、自分の中にこういう確信が生まれました。

「自分の憧れた最良のヨーロッパ文化に匹敵するものが、日本の日常にある!」小津の映画を次々観ていくうちに、「日本の文化は素晴らしい。

アメリカに行って、彼らに混じって、日本人である私が英語をしゃべっていたとしても、全然引けを取らないのだ」と、自分を納得させることができたように思います。

「アメリカ人になる努力などしなくてよい。

そのままの自分でしゃべればよい」とアイデンティティーを確立することができました。

これは要するに、「自分の文化の最良のものが、小津の映画を見るまで自分の中になかったのだ」という気づきを得たことにほかなりません。

私は、小さいころから寄席に通って落語を聞いていたし、能や歌舞伎も観ていたし、日本の映画もたくさん観ていました。

それこそ黒澤明の映画も観ていました。

それなのに、最良のヨーロッパ文化に目がくらんでいる青春時代の私にとっては、そのいずれもがなんだかしっくりきませんでした。

小津映画を観たときに初めて、「これだ!」と思ったのです。

私がそれまでに観てきた日本の作品が最良ではなかったという意味ではなく、自分にそういう気づきを与えてくれるものが、小津だったということです。

特に若者は「ここではない病」にかかるものです。

私も「日本ではないな」と思いながらも、だからといって別人になれるわけでもなく、苦しんでいたのですが、小津のおかげで「日本もいいな」と思えるようになりました。

「ここ(これ)ではないのかな?」これは、実はとてもいい質問です。

違和感を無視せず、「これは違う」「これも違う」と自分にピッタリくる「これだ!」に出合うまであきらめずに探していくことで、初めて自分の核心をつかむことができるようになります。

いい質問⑤自分の生き方を問う

「自分が一番心地よくなれるのは、どんな生き方だろう?」この質問はとてもいい質問です。

私は『プロフェッショナル仕事の流儀』のキャスターを、2006年から2010年までの4年間務めていました。

この番組にかかわっている人たちの熱意、仕事のやり方というものは激しくて、この4年間、私は「これ以外のことがほとんどなにもできない」くらい、自分の時間を使っていました。

テレビの仕事に不慣れだったこともありますが、いい番組をつくるために、自分に求められることに必死に応えようとしていたように思います。

私の人生の中で、最も他人に合わせて生きていた時期でした。

他人が求めるもの、いわば「マーケット」と、自分にとって本質的なものをやることのバランスを取ることは大事ですが、この時期はそれができていませんでした。

私がここで「マーケット」と呼んでいるのは、「他人が望んでいるものをつくる」という意味だけではなくて、「こういう仕事をやると、安定した生活を得られる」「こういう仕事のやり方があって、こうするとホメられる」「みんなが帰るまで帰らないようにすると、礼儀正しいやつだとかわいがられるし、のけ者にされないで済む」という、いわゆる「常識」というものに応えようとする気持ち全般のことです。

あまりにもマーケットに付き合いすぎてしまうと、自分が何者だか分からなくなることがあります。

この4年間は、自分にとって本当に大切な時期でしたが、今、振り返ると、呼吸ができていないも同然でした。

一生懸命になっているときは、自分が窒息しそうになっていることに気づかないものです。

私はオリンピックに出場した選手に何人か会ったことがあります。

彼らは、一様に「それ以外のことをなにも考える時間がなかった」と言います。「それ以外のことはなにも知らない」というくらいに自分を追い込まないと、やはりオリンピックには出られないのでしょう。

現実には、それだけやってもオリンピックに出られない選手のほうが多いのかもしれません。

そうやって厳しく「それだけをやる」時間を送ってきた人は、引退すると呆然としてしまうのだそうです。

渦中にいるときは、「バランスをどう取ろうか?」という質問などできないのかもしれません。

みなさんにも経験があるのではないでしょうかたとえば受験勉強中。「やらなきゃ受からない!」と自分を追い込むあまり、ほかのことを考えたり、遊びにいったりする決断ができない。

ビジネスパーソンでも、やはり多くの人が、定年になるとオリンピック選手と同じように呆然としてしまうのではないでしょうか。

他人に求められたり、一つのことに打ち込んだりする時期は大事です。とはいえ、人生の時間は、その期間が終わっても続きます。その意味で、自分の心地よさはなにかと質問していくことも、生きていくうえではとても大切なことです。

アップルを率いたスティーブ・ジョブズに、有名なスピーチがあります。

現在ユーチューブ上で見られるようになっている、アメリカのスタンフォード大学で行った卒業生に向けたスピーチです。

「今日が人生の最後の日だとしたら、私は今日やろうとしていることをやるだろうか?」

この質問をして、「もしも『ノー』と言う日があまりにも長く続いたら、それは問題だ」と彼は言っています。

みなさんも、今、自分に問うてみてください。

「ノー」は続いていないでしょうか。

もし続いていたら、自分にこう質問してみます。

「たった一瞬でいいから、なんとか忙しい生活の中で自分が息をつける瞬間を持つにはどうしたらいいだろうか?」

いい質問をするためのキーワード

いい質問をしていくための言葉の選び方について、お話しします。

言葉一つ変わるだけで、いい質問になることもあれば、反対に悪い質問になってしまうこともあります。

この言葉が入ると、質問力がアップする。

そんな魔法のような言葉があるので、ご紹介します。

すぐに力を発揮してくれるはずです。

ポイントは、次の三つ。それは、「時間」「目的」「手段(方法)」です。

①時間

時間に関するキーワードは、「今」です。

「今、何が起こっているのか?」「今、自分にできる最大限のことはなにか?」「この問題について、今すぐやらなければいけないのはどんなことだろうか?」「今」を気にすることによって、観察力が上がり、具体的な対策が見えやすくなります。

②目的

目的に関するキーワードは、「なにがしたい?」です。日常では、自分の目的以外のことでもしなければならないことがたくさんあります。

目的以外のことをやるなというのではありません。

目的以外のことにまみれても、「これだけはやりたい」と思うことを着実に毎日数分ずつでもやっていくと、自分の核心を守れるので、まみれていても平気になります。

自分で自分を守れていれば、ほかの人にもやさしくなれます。

「自分が一番したいことはなんだろう?」目的を問いながら、ものごとを進めていくと、関係する人の心も一つになります。

目的を問う質問は、コンパスのようなものです。

③手段(方法)

問題が起きたときに、どうしていいか分からず、うろたえてしまうことがあります。

なにもしないでいると、事態はさらに深刻になりかねません。

キーワードは、「どのようにすれば」「どうやって」です。あまりの事態に固まってしまわないで、こう問いかけていきます。

「どのようにすれば、事態を収拾できるだろうか?」「どうやって一人一人説得していけばいいだろうか?」「どのようにすれば、精度を高めることができるか?」手段・方法は無数にあります。

その中でとりあえず自分にやれる手段・方法が見つかったら、すぐに試してみます。

うまくいったら続けて、うまくいかなかったらまた質問を考える。こうしたことを繰り返して問題を解決していきます。

④オールマイティーなキーワード

前述した三つ以外にも、質問力を高める大事なキーワードがあります。

それは「少しだけ」という言葉です。

不思議なことにこれが現状を大きく変えていくのです。

「あと少しだけ、あの人との関係をよくするにはどうしたらいいだろう?」「あと少しだけ成長するためには、なにをすればいいのだろう?」世の中に正解はありません。

自分にできる「少しだけ」の行動をするのでかまわないのです。

子どもの「なぜ?」にどう答えるべきか

この章の最後に、自分が質問するのではなく、質問される立場になったときの話もしておきましょう。

次の二つの文章を読み比べてみてください。

A「お父さん、空はなぜ青いの?」

B「お母さん、どうして勉強しなければいけないの?」

もしかしたら、あなたも子どものころに、この二つと似たようなことを誰かに聞いたかもしれません。あるいは親になったあなたが、自分の子どもにそのように言われたこともあるでしょう。

子どもは、AにもBにも答えがあると思っているかもしれません。

Aは、一応原理のようなものがあって、物理的な説明が可能です。一方、Bは、答えがない問いです。答えはあるようでいて、ない。無数にあって、一つということはありません。

個人個人によって答えは異なるし、その人の年齢や環境によってもふさわしい答えが変わってきたりします。

子どもは、自分が知らないことを親や大人に聞いてきます。それは、子どもの知的好奇心です。

答えがある問題でも、ない問題でも、とにかく世界を知ろうとしています。

その質問は、親や大人からすれば、簡単に答えられるものではありません。

「空はなぜ青いの?」と聞かれても、親がすぐに答えられるかどうかは微妙なところです。

自分が知らなかったり、忙しくて答えるのが面倒くさかったりすると、「そんなことはどうでもいいでしょ」と、突き放してしまうことがあります。

こういう質問をされたとき、どうしたらいいのでしょうか。

あなたが、答えを知っている必要はありません。

答えを教えてあげることよりも、子どもの知的好奇心を邪魔しないで、深掘りしていく方法を教えてあげることが大事です。

今ならインターネットで検索すれば、Aの「空が青い」理由は知ることができます。

インターネットで調べる方法さえ教えてあげれば、子どもは答えを知りたくて、自分で探すようになるはずです。

Bのそもそも答えがない質問も同様です。あなた一人が正解を与えてあげなくてもいいのです。勉強する理由は、人それぞれです。

ある人は、「いい大学、いい会社に入るため」と答えるかもしれませんが、それは万人にとっての正解ではありません。「義務教育だから」も、正解ではありません。そもそも学校に行くことと勉強はイコールではありません。

今の時代、学校に行かなくても、一人でいくらでも勉強することは可能です。

インドの数学者シュリニヴァーサ・ラマヌジャンのように、完全な独学で人々を驚かせる定理を発見することだってできます。

親に言えるのは、絶対の正解ではなくて、「お母さんはこう思うけれど、あなたはどう思う?」という一人の考え方にすぎません。

絶対の答えなどないのですから、一人の意見だからといって無視はできないし、ほかの人の意見も聞いてみることも勧めて、最終的には子どもが「自分で考えるものだ」と理解することが大事です。

》子どもに自分で考える力をつけさせる

私の母親は、「勉強しろ」などと一度も言いませんでしたが、私が蝶についていろいろなことを知りたがると、ある大学の蝶研究の第一人者に引き合わせてくれました。

親は子どもが興味を持っている分野について知っている必要はありません。

確かに子どもの興味を引き出せる人物に紹介できれば、それが一番いいはずです。

このおかげで、私は、「ただ好きで追いかけているものがどんな研究に発展する」か目の当たりにできたし、追求することの楽しさや、「好きなものに終わりがない」ことを知ることができました。

私はこのことを母に感謝しています。

子どもが興味を持っていることに親が答えようとすると、かえって世界の広さを知る邪魔になりかねません。

3章のポイント

  • いい質問をするには、教養を磨いていく。「あっちのほうにあなたの求めているものはあるのではないかな?」と指し示してあげれば十分です。
  • ・「自分の知らないことがまだたくさんある」と気づくことが、いい質問をするうえでは欠かせない。
  • ・科学的データや常識を真に受けて、そのとおりに行動することが正しいと思っている人は、他人に基準を求める人。
  • 誰かが「いい」と言ったことをそのまま取り入れるようでは、イノベーションを興せない。
  • 生きていくうえではマーケットと自分のやりたいことのどちらか一方を追求するのでなく、両者のバランスを取ることが大事。
  • いい質問をするためには、「今」「何がしたい?」「どのように(どうやって)」と常に問う。
  • 子どもの「なぜ?」に答えることよりも、自分で考えさせることのほうが大切。
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