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3章「高い目標」を掲げて働く ──誰にも負けない努力を重ねる

目次

「高い目標」を掲げ続ける

京セラは、京都市中京区の西ノ京原町という京都のはずれにあった、ある配電盤メーカーの倉庫を間借りして、従業員二十八名で創業しました。

当時、私はそのわずかな従業員たちを前に、「この西ノ京原町で一番の会社になろう。西ノ京原町で一番になったら、中京区で一番の会社を目指そう。中京区で一番になったら、次は京都で一番。京都で一番が実現したら、日本一になろう。日本一になったら、もちろん世界一だ」 と、ことあるごとに語りかけていました。

ただ実際には、「世界一」はおろか、町内で一番も、そう簡単なことではありませんでした。狭い町ではありましたが、当時、西ノ京原町には、立派な会社があったのです。

最寄りの駅から京セラへ来る道すがらに、自動車の整備に使うスパナやレンチをつくっている、京都機械工具というメーカーがありました。

そのころ、勃興しつつあった自動車産業に歩調を合わせ、朝から晩まで一日中、機械がうなりを立てているような、活気のある会社でした。

創業したばかりで意気に燃えていたばかりか、努力を怠ればもう明日はないという危機感もありましたから、私たちは夜を日に継いでがんばっていました。

しかし、ようやく夜中に仕事を終えて、その会社の前を通りかかると、いつも煌々と灯りがつき、多くの人が働いているのです。

京セラよりはるかに大きな会社がそこまで働いていたわけですから、「西ノ京原町で一番」になることさえ、並たいていなことではありませんでした。それでも私は、「西ノ京原町で一番の会社になろう」と従業員に語り続けました。

さらには、「西ノ京原町で一番になったら、今度は中京区で一番の会社になろう」と、より大きな夢を語り続けました。

中京区には、当時すでに京都を代表するメーカーであり、近年もノーベル賞受賞者を出したことで知られる、島津製作所がありました。中京区で一番になるには、その島津製作所を抜かなければならないのです。もちろん、確かな目算などあったわけではありません。

当時の京セラの規模や力量から言えば、まったく身のほど知らずのものでしかありません。しかし、たとえ身のほど知らずの大きな夢であっても、気の遠くなるほどの高い目標であっても、それをしっかりと胸に抱き、まずは眼前に掲げることが大切なのです。

なぜなら、人間には、夢を本当のものにしてしまう、素晴らしい力があるからです。京都一、日本一の企業となると思い続けているうちに、いつのまにか自分自身でもそれが当たり前のように思えてきました。

また、それは従業員にとっても同様で、いつのまにか、とてつもない目標を私と共有し、果てしのない努力を日々重ねてくれました。

そのような日々が、私たち京セラを、創業当初、誰も予想だにできなかったところまで導いてくれたのです。

高い目標とは、人間や組織に進歩を促してくれる、最良のエンジンなのです。

まず「思わなければならない」

私は若いころ、松下幸之助さんが講演会でおっしゃった言葉に、たいへん感銘を受けたことがあります。それは「ダム式経営」についてのお話でした。

京セラを創業したころ、私は経営の素人でしたので、成功した経営者から経営の秘訣を学びたいと考えていました。

ちょうどそのころに、幸之助さんの講演会の案内をいただき、「経営の神様」と言われる方は、いったいどのような考え方で経営をしておられるのか、それを知りたいという一心で申し込み、期待に胸をふくらませて講演会場に出かけていきました。

当日は、仕事の都合で着くのが遅れ、私は会場の一番後ろで、立って講演を聞くことになりました。

「景気がよいときに、景気がよいままに経営するのではなくて、景気が悪くなるときのことを考えて、余裕のあるときに蓄えをする。つまり、水を溜めておくダムのように、景気が悪いときに備えるような経営をすべきだ」――。

幸之助さんは、このような趣旨のお話をされました。

雨が大量に降って、それがそのまま川に流れ込めば、川は氾濫して洪水を引き起こし、大災害を招いてしまいます。

だから、雨水をいったんダムで堰き止め、それを必要に応じて放流すれば、洪水の発生を抑えるだけでなく、川の水を絶やすこともなくなり、有効に水を使うことができる。

「ダム式経営」とは、このような治水の考え方を経営に応用したものです。講演が終わって質疑応答になったときのことでした。

後ろのほうにいた人が手を挙げて、「そういうダム式経営、つまり、余裕のある経営をしなきゃならんことはよくわかります。何も松下さんに言われなくても、われわれ中小企業の経営者はみんな、そう思っているんです。しかし、それができないので困っているんです。どうすれば余裕のある経営ができるのか、その方法を具体的に教えてもらわなきゃ困ります」

というような、質問とも抗議ともつかない発言をしたのです。そのとき、幸之助さんはたいへん戸惑った顔をされ、しばらく黙っておられました。

そして、ポツリと、「いや、それは思わんとあきまへんなぁ」 と言って、そのまま黙ってしまわれたのです。答えにもなっていないと思ったのか、聴衆の間から失笑がもれたことを覚えています。

しかし、私はその瞬間、身体中に電撃が走るように思いました。

幸之助さんのつぶやきとも取れる「思わんとあきまへんなぁ」という一言に込められた、万感の思いのようなものに打たれたのです。

「思わんとあきまへんなぁ」──この一言で、幸之助さんは、こんなことを伝えようとしていたのではないでしょうか。

「あなたは、そういう余裕のある経営をしたいと言います。でも、どうすれば余裕ができるかという方法は千差万別で、あなたの会社にはあなたの会社のやり方があるでしょうから、私には教えることができません。

しかし、まずは余裕のある経営を絶対にしなければならないと、あなた自身が真剣に思わなければいけません。その思いがすべての始まりなんですよ」 つまり、「できればいいなあ」という程度であるならば、絶対に高い目標や夢は成就しない。

余裕のある経営をしたいと本気で思っているかどうか。

本気であれば、そのための具体的な方策を必死で考え、必ず「ダム」を築くことができるということを、幸之助さんは言いたかったのです。思わなければ何も実現しない、このことは仕事のみならず、人生における鉄則でもあるのです。

願望を「潜在意識」に浸透させる

思いは必ず実現する。

それは、人が「どうしてもこうありたい」と強く願えば、その思いが必ずその人の行動となって現れ、実現する方向におのずから向かうからです。ただそれは、強い思いでなければなりません。

漠然と思うのではなく、「何がなんでもこうありたい」「必ずこうでなくてはならない」といった、強い思いに裏打ちされた願望、夢でなければならないのです。

寝食を忘れるほどに強く思い続け、一日中、そのことばかりをひたすら繰り返し考え続けていくと、その思いは次第に「潜在意識」にまで浸透していきます。

「潜在意識」とは、自覚されないまま、その人の奥深く潜んでいるような意識のことです。普段は表に出てきませんが、思いもかけないとき、またいざというときに現れて、計り知れない力を発揮します。一方、常日ごろから発揮しているような意識のことを、「顕在意識」と言います。

人間の意識の中では、「潜在意識」の領域のほうがはるかに大きく、過去に繰り返し体験したことや、強烈な経験などが入っていますから、それを活用することによって、瞬時に正しい決断を下すことが可能だと言われています。

この「潜在意識」が寝ているときにさえ働いて、私たちの行動を目標が実現する方向へと導いてくれるのです。「潜在意識」が持つ素晴らしい力は、自動車の運転を例に考えると、イメージしやすいかもしれません。

運転を覚えたてのころは、手でハンドルを握り、足でアクセル、ブレーキを踏んでというように、動作の一つひとつを頭で考えながら、つまり「顕在意識」で運転をしています。やがて慣れてくると、いちいち操作の手順などを考えなくても、無意識に運転ができるようになります。

ときには、仕事上の問題などについて、考えごとをしながら運転をしていて、ヒヤッとすることさえありますが、それでも事故を起こすことなく運転できるのです。

運転技術が「潜在意識」に浸透したため、「顕在意識」を使わなくても、身体が勝手に動いてくれるようになったわけです。仕事でも、この「潜在意識」を有効に使うべきなのです。

たとえば、「自分の仕事をこうしたい」と強く思っていると、突然素晴らしいアイデアがひらめくことがあります。これも「潜在意識」です。毎日、一生懸命に考えているうちに、その思いが潜在意識に透徹していきます。

するととくに意識をしなくても、思いもかけない場面で「潜在意識」が働いて、素晴らしい着想が得られるのです。

しかも、そのような「ひらめき」は核心を突いていて、今、自分が遭遇している問題を一気に解決してくれることもよくあることです。

それは、まさに「神の啓示」としか、たとえようがありません。私にも、そんな経験がよくありました。

たとえば、京セラが新しい事業に取り組もうとするときのことです。新規事業と言っても、私たちにその新しい分野の専門技術があったわけではありません。

ただ、その新しい分野に京セラの技術を持ち込めば、素晴らしい事業展開が可能になる――そのような確信があるものの、現実に自分たちが持っている人材や技術とのギャップに悩んでいる。

そんなときに、思いもかけない出会いに遭遇するのです。ある会合で、知人に人を紹介してもらう。

すると、その人がかねてから関心を抱いていた、新しい分野の優れた専門技術者であるということがわかり、急ぎ入社してもらい、とんとん拍子で新しい事業が進んでいく。

そのようなことがありました。

このようなことは単なる偶然のようにも思えますが、私は「潜在意識」、つまり私がいつも考え続けていたために、必然的にそうなったのではないかと思うのです。

もし、「潜在意識」に達するほどの強い願望を私が抱いていなければ、打ってつけの人材が目の前を通っても、気がつかずに見逃してしまっていたに違いありません。

高い目標を達成していくには、「潜在意識にまで透徹する」ほどの、強い持続した願望を持つことが、まずは前提となるのです。

持てる力をすべて出したとき「神が現れる」

登山では、平地から自分の足で一歩一歩踏みしめて、頂上を目指していくしかありません。しかし、その一歩一歩の積み上げが、やがて八千メートルを超える、ヒマラヤの高峰を征服することにつながるのです。古今東西の偉人たちの足跡を見ても、そこには気の遠くなるような努力の跡があります。

生涯を通じて、そのような地味な一歩一歩の努力を積み重ねていった人にしか、神様は成功という果実をもたらしてくれないのかもしれません。

逆に「地味な努力などバカげたことで、そんなことをしていては短い人生で後れを取ってしまう」と考え、何かもっと楽な方法はないかと日々の地道な努力を嫌がるから、仕事で成功を収めることができないのです。

こんなことを思い出します。京セラが創業して、まだ十年もたっていないころのことです。

世界的なコンピュータメーカーであった IBM社から、ケタ外れに高い性能を持った、ファインセラミックス部品の注文を受けました。

当時の技術水準をはるかに超えた要求に苦しみながら、四苦八苦してなんとかつくり上げようとするのですが、試作品を納めるたびに「不良」の烙印を押されてしまうのです。

当時の京セラの持てる力と技術をすべて注ぎ込み、悪戦苦闘したあげく、やっと要求通りの製品ができたと思ったのもつかのま、それもすべて不良品と判定され、二十万個の製品が全部返品の憂き目に合ったこともありました。

「もうこれ以上は無理だ」――そんな空気が社内に満ちていたある夜、私はその製品を焼く炉の前で立ちすくんでいる、一人の若い技術者を見かけました。

そばに寄ると、彼は肩を震わせて泣いていました。どうしても思うような製品がつくれず、万策尽きたといった風情で、意気消沈していたのです。

「今夜はもう帰れ」 私がそう言っても、炉の前を動こうとしません。そんな姿を見ていると、私の口から思わず、こんな言葉が飛び出してきました。

「おい、神様に祈ったか?」「は?」「焼成するときに、どうかうまく焼き上げてくださいと、神様に祈ったか?」 それを聞いた彼は、かなり驚いたようです。

ただ、私の言葉を何度かつぶやいた後、「わかりました、もう一度、一からやってみます」 と吹っ切れたようにうなずいて、仕事に戻っていきました。

その後、彼を含む開発チームは困難な技術課題を次々に克服して、高い要求水準を満たす「手の切れるような製品」の開発に成功することができたばかりか、二千万個という、気の遠くなるような数の製品を期日通りにつくり上げ、お客様に納めていったのです。

「神様に祈ったか」――技術者らしくない言葉です。そのやりとりをはたで見ている人がいたら、気でも狂ったのかと思ったかもしれません。

しかし私は、人事を尽くし、後はもう神に祈り、天命を待つしか方法はないと言えるほど、すべての力を出し切ったのか。

自分の身体が空っぽになるくらい、製品に自分の「思い」を込め、誰にも負けない努力を重ねたのか。そういうことを言いたかったのです。

そこまで強烈に思い、持てるすべての力を出し切ったとき、はじめて「神」が現れ、救いの手を差し伸べてくれるのではないでしょうか。

「おまえがそこまで努力したのなら、その願望が成就するよう助けてやらなくてはなるまい」と、神が重い腰を上げるくらいまでの、徹底した仕事への打ち込みが、困難な仕事にあたるとき、また高い目標を成し遂げていくときには絶対に必要になるのです。

いつも「百メートル競走のつもりで走れ」

「誰にも負けない努力をする」――よく私が口にする言葉です。努力が大切だということは、みんな知っています。

また、「努力をしていますか?」と問われれば、ほとんどの人が「はい、自分なりに努力をしています」と答えることでしょう。

ただ、いくら人並みの努力を続けたとしても、みんなが等しく努力を重ねている中にあっては、それはただ当たり前のことをしているだけのことであり、それでは成功はおぼつかないのです。

人並み以上の誰にも負けない努力を続けていかなければ、競争がある中ではとても、大きな成果など期待することはできないでしょう。

この「誰にも負けない」ということが、大切なことです。

仕事において何かをなそうとするならば、そのような果てしもない、際限のない努力を惜しんではなりません。人並み以上の努力も払わず、大きな成功を収め、成功を持続できることは絶対にないのです。

京セラ創業時、毎晩、何時ごろに家に帰り、何時ごろに寝たのか――私にはほとんど記憶がありません。それほど、夜を日に継いで仕事に没頭していたのです。

「誰にも負けない努力」とは、「ここまでやったから OK」といったようにゴールがあるものではありません。終点を設けず、先へ先へと設定されるゴールを果てしなく追いかけていく。そんな無限に続く努力のことです。

ただ、そのようなことを続けているうちに、従業員から不安や不満の声が湧き出てきました。

「こんな際限のない努力をしていたのでは身体が持たないではないか。今にみんな潰れてしまうのではないか」と言うのです。

みんなの顔を見ると、たしかに疲れ切った表情をしています。私はよくよく考えたうえで、あえて心を鬼にして、こう言ったことを覚えています。

「会社経営とは、四十二・一九五キロの長丁場を走り続けるマラソンレースのようなものではないだろうか。そうすれば、これまでマラソンなどしたことのない素人集団のわれわれは、その長丁場のレースに遅れて参加した素人ランナーのようなものだ。それでもレースに参加するのであれば、私は百メートル競走のつもりで走りたい。そんな無茶な走り方では身体が持たないと思う人もいるだろうが、遅れて参加し、マラソンの経験もないわれわれには、それしか道はない。それができないのなら、最初からレースには参加しないほうがいい」

私はこのように従業員を説得したのです。

資金も技術も設備もない、ないないづくしで、ファインセラミックスの業界に最後発で参入した京セラのことを考えたとき、それは悠長な選択の問題ではなく、生き残っていくには、それより他に手段がないという、まさにギリギリの決断でもありました。

そして、そんな無茶とも思える私の考えを理解して、私の後を従業員はみんなよくついてきてくれました。

そのような努力が実り、創業して十年ほどたったとき、京セラは株式上場を迎えることができました。私は、次のように従業員に語りかけました。

「百メートル競走の速度でマラソンを走れば、途中で落伍することになると誰もが思い、心配をした。しかし、いざ走り出してみたら、全力疾走が習い性になって、トップスピードを持続しながらここまで走ることができた。

また、先行するランナーの速度がそれほど早いものではないこともわかってきた。そのため、さらにスピードが増して、今では先頭集団を視野にとらえている。

今後も全力で走り続けていこう」 この短距離を走る速度で長距離を走り続けるような、際限のない努力が、「誰にも負けない努力」なのです。

ただの努力では、企業も人も大きく伸ばすことはできません。「誰にも負けない努力」こそが、人生や仕事で成功するための駆動力となるのです。

誰にも負けない努力は、自然の摂理

私たちは、この「誰にも負けない努力」をするということは、特別なことだとつい考えがちです。

際限のない努力をするということを、自分たちだけに課せられた、重い命題のように考えてしまうのですが、けっしてそうではありません。

自然界を見れば、どんな動物でも植物でも、一生懸命生きていないものはありません。人間だけが、邪なことを考え、楽をすることを願うのです。春先に、家の近所を散歩したときのことです。

城跡の石垣の隙間に草が顔を出していました。

「あんなところに植物が生えるのかな」と思い、のぞいてみると、石と石の間にほんのわずかだけ土があり、そこから草が春の息吹を精一杯吸い、芽を出していました。

その後、数週間の短い春のうちに、その草は太陽の光をいっぱいに受けて、葉を広げ、花を咲かせ、実をつけることでしょう。

そうしなければ、やがて夏、石垣は灼熱の太陽に照らされ、すさまじい熱さになり、その草も枯れてしまうからです。

暑い夏がくる前に精一杯に生き抜き、子孫を残す準備をして枯れていくわけです。それは、アスファルト道路の割れ目から顔を出す、名も知らない雑草たちも同様です。

水気さえない炎熱地獄のような環境の中で、さまざまな草がもがき合いながら、必死に生きようとしています。

それぞれの草が他の草よりも少しでも多く太陽の光を受け、もっと大きくなろうとして、精一杯葉を広げ、茎を伸ばすことを競っています。

相手を負かすために一生懸命生きているのではありません。自分自身が生きていくことに一生懸命になるように、自然はもともとできているのです。

必死に生きていない植物など、絶対にありません。努力しない草は生存し得ないのです。動物にしても、そうです。必死に一生懸命に生きていかなければ、生き残っていくことはできない。それがこの自然界の掟なのです。

ところが、私たち人間だけは、「誰にも負けない努力」とか、「一生懸命に生きる」ということを言えば、何か特別なことのように感じてしまう。

成功するために、一生懸命に働かなければならないのではありません。生きていくために、「誰にも負けない努力」で働く、それが自然の摂理なのです。

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