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本格的な量稽古が始まる
新規事業だけをつくる会社
2002年、私は10年勤めたミスミを離れ、田口さんがつくった「エムアウト」という会社で新たな事業を始めることとなった。
田口さんからのお題は、「新規事業だけをやる会社をつくる」ということだった。そこで私は、どうしたらそれが実現できるのかを必死で考え、行き着いた答えは、「自社の社員、自社の資金、自社のアイデアで事業を生み出し、うまくいったら売却し、その売却益でまた新規事業をつくる」というビジネスモデルであった。
理由は、新規事業をつくってうまくいくと、それが本業となってしまうからだ。本業をもってしまうと、それ以降の新規事業は常に本業の影響を受けることになる。たとえば、いくら素晴らしい新規事業だとしても、自社のマーケットを喰ってしまうようなビジネスは、そもそも本気でできない。
だから、うまくいってもいかなくても、 一定の段階で手放すことで、常に新規事業だけをやり続けられる環境をキープすべきである、と考えたのだ。
さらに、田口さんからは、「当たるか失敗するかの博打のようなやり方ではなくて、再現性をもって新規事業をつくってくれ」というオーダーもあった。
これまで繰り返し述べているとおり、新規事業は多産多死で簡単には成功しない、厳しいものだ。だから、新規事業でメシを喰うプロ集団として商売をするために、新規事業の成功確率を上げる「基本の型」をつくって再現性をもて、ということを、エムアウトヘの参画当初から、何度も何度も、指摘を受けていたのだ。
たとえば、こんなエピソードがある。当時、高齢者を対象にした訪問歯科診療の事業と、キャリア女性向けのアパレル事業の2つのプロジェクトを抱えていた私は、田口さんから、
「君、いま2つの新規事業をやっていると思っているだろうが、それじゃあダメだ」と指摘されたのである。
「経理の担当者が3つの事業の月次決算を抱えているとき、私は3つの事業をやっていますとはいわないだろ。君は新規事業を専門でやっているんだから、2つの事業を抱えてるのではなくて、1つの新規事業しかやっていないんだ」
「でも、業種も業態も顧客も違いますから…」
「違うところに注目したら、そりゃ違うものに見えるだろ。でも、それぞれ違うと思った瞬間に量稽古にならなくなるじゃないか」
「じゃあ、同じところはどこですか?」
「だから、君は新規事業だけをやっているんだから、それが同じところだろう。そう思えなくても、そう思うんだ。すべて共通だと思えば、やがて、本当に共通項が見えてくる。そうすることで、起業専業企業としての勝ち戦のポイントを見極めていくんだ」
そのときは、「はい、わかりました」とは言いつつも、心の奥底では「やっぱり1つのことをやっているとは思えない」と困惑したが、それでもエムアウトの社員たちは皆、連続起業・同時起業を繰り返し、失敗が重なったときには、「なぜこんなにも失敗ばかりするのだろうプロジェクト」や、たまにうまくいったときには、「なぜ今回はうまくいったのだろうプロジェクト」というような、組織的に知見を蓄積していくプロジェクトを立ち上げて、「型化」に邁進したのである。
そういう意図でやっていたので、何度失敗しても田口さんからは、「いくら損したと思っているんだ」という叱責を受けることはなかった。
しかし代わりに、「この失敗で何がわかって、まだわかっていないことは何だ」「次、どうす
「違うところに注目したら、そりゃ違うものに見えるだろ。でも、それぞれ違うと思った瞬間に量稽古にならなくなるじゃないか」
「じゃあ、同じところはどこですか?」
「だから、君は新規事業だけをやっているんだから、それが同じところだろう。そう思えなくても、そう思うんだ。すべて共通だと思えば、やがて、本当に共通項が見えてくる。そうすることで、起業専業企業としての勝ち戦のポイントを見極めていくんだ」
そのときは、「はい、わかりました」とは言いつつも、心の奥底では「やっぱり1つのことをやっているとは思えない」と困惑したが、それでもエムアウトの社員たちは皆、連続起業・同時起業を繰り返し、失敗が重なったときには、「なぜこんなにも失敗ばかりするのだろうプロジェクト」や、たまにうまくいったときには、「なぜ今回はうまくいったのだろうプロジェクト」というような、組織的に知見を蓄積していくプロジェクトを立ち上げて、「型化」に邁進したのである。
そういう意図でやっていたので、何度失敗しても田口さんからは、「いくら損したと思っているんだ」という叱責を受けることはなかった。
しかし代わりに、「この失敗で何がわかって、まだわかっていないことは何だ」「次、どうすればうまくいくのか考えろ」と徹底的に詰められて、「よし、次行け」と言われ続ける。
オーナー社長に「お前のせいで、なんぼ損させられたと思っているんだ」という責め方をされたら、サラリーマンとしては責任の取りようのない話で、「じゃあ、止めます」とも言えるのだが、田口さんのように、「失敗しても、絶対に止まるな」「次はどうするんだ」と詰められると、前進するしかなくなる。
私としては、失敗するたびに「ああ、またダメだった」と落ち込むのだが、こちらが意気消沈していてもお構いなしに、「その失敗で得た学びを、次に生かせ」とやられるので、ある意味では責任を追及されるよリキツいものがあった。
しかしながら、トップがこういうマインドでいてくれたからこそ、私は20年間で17回もバッターボックスに立たせてもらい、負け越しながらも、5つの事業を生み出すことができたといえる。
田口さんの新規事業に対する経営感覚や忍耐力というのは、当時、一介のサラリーマンだった私にはまったく理解が及ばなかったが、連続で失敗して数億円の資金を溶かした私に、落ち着いた様子で「じゃあ、次に行け」と言ってくれたその懐の深さ、器の大きさが、いまになって身に染みるほどわかるようになった。
本当に、アタマが上がらない、いまの私を形成する一生の恩人である。
ミスミ創業者に学ぶ「新事業を成功させる経営者の役割」
田口さんのもとで新規事業をつくり続けて、「トップがこういうあり方だと、成功確率が上がる」と思ったことをもうひとつ特記すると、「俺の言うとおりにしろ、俺のやりたいことを通す」ということが一切なかったことである。
前章で述べたように、田口さんの事業に対する持論は、「事業はプロダクト起点ではなく、マーケット起点で考える」だ。
これは、時価総額で1千億円以上となるような事業を生み出すための「基本の型」のひとつで、田口さんが新しくつくった「エムアウト」の社名にもしているほど、常に大事にしている考え方だ。
社名のエムアウトはMarketout(マーケットアウト)の略である。これはマーケティング用語でいうところの、企業が自社都合でモノをつくり、その後にどのマーケットに投入するかを決める「プロダクトアウト」ではなく、ビジネスの起点そのものをマーケット(顧客)に求めなければ事業は成功しないという意味で、田口さんがつくった造語である。
ちなみに、通常のマーケティングの言葉としては、「マーケットアウト」ではなく、「マーケットイン」だと思う。もっと市場志向でなければモノが売れない、だからマーケットにもっと近づくんだ、という考え方を反映した言葉である。
ただし、田口さんに言わせれば、
「マーケットインもしょせんプロダクトアウトの延長線上で、思考の流れがつくり手・売り手側を起点にしている時点でダメだ」
「顧客の声を聞くといっても、自社に都合があったうえで聞いているから、真の意味において顧客の立場には立っていない」となる。
考え方や姿勢としてはわかるし、エムアウトの参画者として、社名の語源にもなっている考え方に、共感していないわけがない。
だが、実際のビジネスのカタチとしてつくり込むとなると話は別である。「真に顧客の立場に立ち、顧客が求める、時価総額1千億円以上に成長する事業を、早く、安く、確実に生み出す」。そしてそれを「型化し、仕組み化する」のである。
簡単ではない。というか、できない。はたしてエムアウトでは、各自が毎週、千本ノックのように新規事業のコンセプトをプレゼンしていくのだが、田口さんはほぼすべてのプレゼンに対して、
「ユーザー起点じゃない」
「その新規事業によって産業構造を変えることで、社会をどう変えるかまで意識しないと意味がない」と却下されてしまうのである。
また、既存プレーヤーとの「差別化」ではなく、顧客視点に基づいたまったく新しい価値を生み出さないと新規事業は成功しないということも、田口さんは口を酸っぱくして言っていた。
マーケティングの経験者は、口を開けば「差別化せよ」と繰り返すが、新規事業において「競合と差別化できる商品をつくろう」という発想では、プロダクトアウトのつくり手側のロジックに陥り、結果として顧客の支持を得られないものを生み出す可能性が高いというのだ。ある日の事業プレゼンの席では、私の事業構想について田口さんからこんな指摘をされた。
「守屋君、君の事業の競合はどこなの?」
「競合は、いまシェアの3割を占めているA社です」
「う〜ん。その事業、もう一度マーケットアウトの発想で練り直さないと失敗するぞ」
「なぜですか?・競合が強すぎるからですか」
「違う。競合の名を挙げている時点で、競争相手中心の思考になっていて、顧客視点で考えていないからだ。競争に負けるのが負けなのではなく、競争していること自体がすでに負けへの一歩。差別化じゃなくて独自化できる事業じゃなきゃ、最終的に失敗する可能性が高、 一―マ」
自分で「競合はどこ?」と質問しておいて、素直に答えたら「競合を挙げてる時点でダメだ」というのは、ずいぶん意地の悪いひっかけ問題だと当時は憤慨したものである。それで、「じやあ、どうしたらいいですか?」と聞くと、「それを考えるのが君たちの仕事だ。君たちは経営者なのだから」と、参画するすべての人に対して、起業家としてシビアに接していたのである。
起業の起は「己」が「走る」と書くように、育つ気のある人に挑戦できるプラットフォームを提供することが、田口さんにとっての教育なのだ。
「あれをやれ、これをやれ、そっちじゃない、こっちだ、いまは突っ込め、もう止めろ」と事細かに指示を出すのは、出すほうも出されるほうもじつは楽なやり方だ。
しかし、事業を創出するということは、経営に関するありとあらゆるすべてのことを、将来にわたって見通して手を打っていくということである。しかも、いくら考えてもわからないことが多いし、全容がわかる前に、決断して手を打っていくことが当たり前に求められる。だから田口さんは、未熟な私が一人前になれるように、経営者として考えねばならぬことを問い続けてくれたのだ。
5年先、10年先の未来をベースに「あるべき姿」を探る
田口さんからミスミのグローバル化を託され、その後ミスミの躍進を現実のものとした三枝匡さんは、田口さんとは異なるスタイルの経営者だった。
これはどちらが正しくて、どちらが間違ちているという話ではなく、「0←1」をやるんだったら田口さんのスタイルで、「10、100」と一気にスケールさせるためには三枝さんのスタイルが適しているということだった。田口さんは、「人は自分で勝手に育つもの」と考え、三枝さんは、「組織に戦略志向を吹き込み、経営者人材として育成する」と考えたのだった。
三枝さんが田口さんから引き継いでミスミの社長となったのち、私が立ち上げた動物病院向けのカタログ事業について、二人きりでミーティングをしたことがあつた。
私としては、業界における従来のやり方を一新するようなビジネスをつくり、それを6年で20億円規模まで伸ばしたという実績があるわけだから、動物病院の現場については人一倍詳しいと自負があったし、実際、三枝さんよりも市場や顧客に対する解像度が高かったことは間違いない。
しかし、わずか1時間ほどのミーティングの中で、三枝さんに「お前は視点が低い」と一刀両断、話にならんと言われてしまったのである。
ショックであり、受け入れがたい指摘であったものの、じつは反論できず、触れられたくないところを触れられてしまったような、敗北感のようなものを感じてもいたc
経営というものには一本の軸があり、事業内容が変わっても共通の部分がある。三枝さんにはその軸が見えていて、ぐちゃぐちゃと私が話すことには本質が抜け落ちていると、すぐに見抜かれたのだろう。
私としては動物病院の先生方にどんな商品があったらいいのかを聞いて、それを一所懸命カタログに反映していたのだが、結局のところそれだけだった。
「来期も予算は達成させますから大文夫です」と言ったら、そつではなくてわヽがヽ国ヽのヽ動ヽ物ヽ医ヽ療ヽ産ヽ業ヽをヽどヽつ`しヽたヽいヽのヽかヽを聞いているんだ経営ヨ´徊として、器が小さすぎる」と、三枝さんにガツンと言われてしまったのである。三枝さんに問われた「構想力」ともいうべき視点は、事業を創出するために無くてはならないものだ。
なぜなら、いま台頭している新しいビジネスの多くは、既存のプレイヤーが築いてきた構造や秩序を破壊し、市場そのものを「再定義」したからこそ、多くの顧客に熱狂的に支持され、一気にスケールすることができたからだ。
もしあなたの会社が年商1億円、2億円ほどのスモールビジネスをつくるのならば、既存の市場に対してより良いものをより安く提供することが大事な課題となるが、自社の収益の柱となる新規事業を構築したいのであれば、まだ顕在化していない市場や課題を発見して、そこに対して独自の価値提案をおこなっていくことが重要になる。
そしてこれは、「いま、何が流行っているか」「今期、来期の売上利益をいかに上げるか」というような短期的な視点ではなく、5年、10年という中長期のスパンで外部環境の変化を捉え、「時代が変化したら、○○の市場の顧客は△△の課題解決を望むようになる。その潜在的なユーザー(市場規模)はこれくらい見込める。だから、わが社はそれを実現するために××というソリューション(解決策となる商品・サービス)を開発していく」という発想なくしては実現できないものだ。
たとえば、現在は日本でもすっかり普及したcσΦ「問”一∽という事業を生み出したcσo「社が創業した2009年の段階では、携帯端末のうちスマートフォンが占める割合は微々たるものでしかなかった。
加えて、精度の高いGPSテクノロジーも搭載されていなかったため、スマホひとつで飲食店に注文して、これを配達してもらうオンデマンドサービスに対する需要も少なかった。しかし、創業者のトラビス・カラニック氏が見ていたのは未来のマーケットである。
彼は3〜4年先にスマホ利用は成熟期に入ると予測し、そのほかにもハイブリッド車の価格が安くなるとか、GPSの精度が向上するという見立てのもとに、2008年の段階で数億円の資金調達に成功し、事業を構築した。社長に求められるのは、まさにこの「構想力」だ。
もちろん、10年の未来をこれほど明確に見通すことは非常に難しいことだが、これは社員に任すことのできない社長の仕事である。
まずは仮説でいいので、大きな全体構造を描いてみる。そして、その全体の枠組みの中で、ゴールからの逆算でロードマップを描く。これができないかぎり、新規事業の成功はあり得ないということを、私は三枝さんから学んだのである。
起業家人材は「いない」のではなく「埋もれている」と思え
結局のところ田口さんも三枝さんも、私の経営者としての未熟さや矮小さに対して、それぞれの手法で引き上げてくれようとしていたのだと思っている。
田口さんは「君は何がしたいんだ? どんな経営者になりたいんだ?」と問うてくる。三枝さんは、「戦略のシナリオを示せ― 経営者としての気概はあるのか!」と問うてくる。
いずれにしても、時代を代表するトップランカーお二人とのやり取りは、経営者としての本質的な鍛錬であり、社会人になってからの20年、ミスミ、エムアウトと2社に跨りながら、その鍛錬をやり続けてくれた田口さんには感謝してもしきれないでいる。
そしてもうひとつ、「ウチの会社には、社長と同じ熱意や視座をもって事業を生み出してくれる起業家人材がいない」と思っている経営者に対して言いたいことは、起業家人材はけっして社内に「存在しない」わけではなく、「埋もれている」可能性が高いということだ。
社長に求められるのは、そういう資質のありそうな人材をしっかりと発見して、適切な環境と正当な評価を与えることだ。私にしても、田口さんの根気強い鍛錬なくして、いまの自分はなかったと断言できる。
【私が得た教訓】
o型をつくって量稽古しないと成功確率は上がらない
成功と失敗の知見を溜めることで、新規事業の再現性が高まり成功確率が上がる。
o経営者の役割は、新規事業の生存確率を知り、失敗を成功につなげるよう導くこと放任・丸投げ、1分の1で成功を求めるやり方では、人も新規事業も育たない。
・経営者は未来を構想し、自社の方向性を定めなければ、自社の収益の柱となるような新規事業は生まれない未来構想は社長にしかできない仕事。
・成功する事業はプロダクト起点(自社都合o本業都合)ではなく、ユーザー起点(市場・顧客のニーズ)で生み出されている顧客視点の欠落した事業に未来はない。
苦しみ抜いた暗黒時代
ステップを踏むことで確実に勝ち筋に至る
エムアウトでは「再現性をもって新規事業をつくれ」という田口さんのオーダーに応えるべく、事業開発の進め方にも型をつくった。
それは、「仮説←実証←参入」という3つのステップを踏むことで確実に勝ち筋に至る、という手法であった。
「仮説」は計画立案。2か月の時間軸の中で、参入市場の目星をつけ、想定顧客にインタビューをおこない、パワポとエクセルに事業計画を落とし込む。つまり、最初の最初、アタリをつけるフェーズである。
次の「実証」は現場検証。5千万円の予算と6か月の時間が与えられた中で、「仮説」に基づいて仮参入し、現場で実証しまくる。たとえば、仮説フェーズで、男性向けと女性向けの2つのシナリオを想定したら、実証フェーズでは両方とも試す。
前工程で考えたあらゆる仮説を、試して試して試しまくることで、最初に机上で考えた事業計画に隠れている「現実とは違う何か」をあぶり出すのが実証フェーズである。
最後の「参入」は本格参入。ヒト・モノ・カネを積極的に投入して事業を軌道に乗せ、ビジネスモデルを確立するまでを担うフェーズだ。1億5千万円の予算が与えられて、2年以内に黒字化したら晴れて売却、となる。
「仮説」でたくさんの人に「こういう商品・サービスがあったらどうですかね?」と聞いて、「それ、いいですね」と答えた人に「じゃあ」と仮注文書にサインを求めたら、「もうちょっと考えるのでサインはまた今度で…」なんていうのは、よくあることだ。
だから「実証」でとにかく実際に試して試して試しまくり、「よし、これなら勝てる」という確信がもてたものだけに、1.5億円を追加注入して、本格的に「参入」するという流れである。
ただ、生存確率からいうと、事業アイデアを100考えても、最終的に参入フェーズをまっとうして売却までたどり着けるのは、せいぜい1つか2つだ。だから、連続かつ同時起業を繰り返し、膨大な失敗を経験し、その知見を得てまた挑戦する…ということを、来る日も来る日も繰り返していくのだ。
しかし、そうした日々が続く中で、いつしか私は精神的に追い込まれてしまった。あと一歩のところで勝ち筋を見つけきれず、3連敗で大金を溶かしてしまい、ほとほと自分に嫌気がさしてしまったのである。
「サザエさん症候群」という言葉を聞いたことがあるだろうか。日曜日のサザエさんを観る・つつと、月曜日に会社に出社したくない思いが強まり、鬱う々つとするあの状態だ。
私の場合、 一週間のうちで一番気持ちが落ち着きラクになるのは、金曜日の夜だった。 一週間が終わり、土日と会社に行かなくて済むからである。
しかしながら、当然に時間は過ぎ去り、2回寝たら日曜日の夕方になってしまう。サザエさんが始まると、明日からまた一週間が始まる、と思ってココロとカラダが重くなり、翌日、月曜日の朝はさらに具合が悪くなっていて、歯を磨こうとすると「オエッ」となってしまう。私はいつの間にか、そんな状態に陥っていたのだ。負けが混む中で逃げ腰になっているので、新たに手掛ける事業案もうまくいくはずがなかった。
「自分の担当案件はこのような難所があるんです」「うまくいくか微妙なところですが…」
と、最初から予防線を張るようなコミュニケーションを取るようになり、当時、プロジェクトベースで社内でいくつも事業が立ち上がっていたのだが、中には、「守屋さんは連敗続き。ハズレクジだ」と陰口をたたき、露骨に私を敬遠する者も現れた。
まともな思考で考えてみれば、失敗を匂わすような発言ばかりすれば人心が離れて当たり前、起きていることは自責でしかないのだが、その当たり前にも気づくことができない。
最終的には、田口さんから「いまの君には、部下はついてこないだろ」とまで言われ、現場と田口さんからの往復ビンタみたいな悲惨極まりない状態を、みずからつくり出してしまっていたのである。
こんな状況で社内に居場所がなくなった私は、社外に逃げることになる。きれいな表現をすると、「世の中の社会課題を探りに行った」ともいうことはできるが、当時の私は完全に「逃げ」たのである。しかし、その社外に逃げる行為が結果的にプラスに働いた。
きっかけは「いい事業があったら投資します」というエムアウトの活動を、ある新聞記事で知った歯科医師A氏から、「魅力的な事業があるので、 一緒に開業しませんか」と声をかけてもらったことだ。
A氏が勤めていたのは、「訪問歯科」を主力としていた歯科医院で、東京郊外の、けっして一等地という場所ではないにも関わらず、単独の歯科医院としては類いまれな売上を誇っていた。
一般的な歯科医院は、患者がクリニックを訪れて治療をしてもらう「外来」が中心だが、訪問歯科というのは、歯科医が患者の自宅や介護施設へ計画的に訪れて治療にあたる。
朝、歯科医師と歯科衛生士、そして診療支援のコーディネーターの3職種がチームを組んで、訪問診療の道具を車に積み込んで医院を出発。あらかじめ訪間のアポをとっている高齢者施設や個人宅を回り、すべての訪問予定が完了したら夕方過ぎに医院に戻ってくる、というシンプルな事業だ。
診療の内容は、虫歯を治す、歯を矯正するというような一般的な目的よりも、日腔機能を回復させるための各種処置が主となる。
たとえば、歳を取るとあごが痩せてくるので入れ歯が合わなくなり、義歯の調整が必要になる。あるいは、飲み込みが悪くなるので、国に入れた飲食物を咀疇し胃まで送り込む、廉下リハビリをおこなう必要がある。
こうした、通常の外来歯科とは違う高齢者特有のニーズに、その訪問歯科は応えていたのだ。
では、なぜそんなに儲かるのかというと、ひとつは「診療報酬点数の高さ」にある。
たとえば、高齢者の飲み込みが悪くなり、誤曝性肺炎を起こしてしまうと、医療費が大きくかさむことになる。国としてはそれをなんとかして防ぎたい。そこで訪問歯科事業の診療報酬点数を高め、参入する歯科医院を増やしていこうと考えたのだ。
さらに聞くところによると、老人ホームなどに入居している高齢者100人に歯科検診をおこなうと、80〜90人は口腔内に何かしらの問題が見つかる。
それをご家族に報告すると、結果として60人ほどが治療を受けてくれる。普通に考えて、6割のコンバージョン(=顧客獲得)をとれる事業というのはそうはない。かつ、日からものを食べなくなるまで継続的におこなっていく必要のある診療なので、LTV(顧客生涯価値)が非常に高いビジネスということだ。
では、なぜこれほど儲かる事業に競合がいないのかという疑間が出てくるが、外来中心でやっている歯科医院が訪問歯科事業に参入するには、3つの大きな参入障壁があったのだ。
参入障壁の1つ目は、通常の診療、つまり外来診療をしている歯科医院が訪問歯科を始めるということは、訪問するための車や、訪問先での診療に使う専用のポータブル医療機器などの装備一式を、改めて買い揃える必要がある。
つまり、すでに外来診療に投資をしているのに、さらに訪問診療のために、高額な二重投資が必要になってしまう、ということだ。
2つ日は、「訪問診療しませんか?」という顧客候補先への新規開拓営業が必要、ということだ。
外来診療しかやったことのない歯科医師は、開院したら患者が来るのを待つだけで、みずから営業に出向くことに慣れていない。歯科医師がわざわざこちらに出向いてきて、日の中を見せてくれませんか、と営業してくるなんて、皆さんも想像がつかない話なのではないかと思う。
しかも、営業に出ている間は、外来診療を受け付けることができない。つまり休診せざるを得ないということで、これは、大きな経営ダメージである。そして3つ目は、訪問診療の現場の主役は歯科衛生士である、ということだ。
訪問歯科診療の利用者である高齢者が必要とするサービスは廉下のリハビリなどであり、このサービス提供の主役は歯科医師ではない。
人一倍勉強し、せっかく歯科医師となって開業をしたのに、高額の二重投資をおこない、慣れない営業をおこない、せっかく得た診療の主役がみずからでない。だから、多くの歯科医師は訪問診療に注力しきれていなかったのだ。
業界への理解が進むほどに、「この事業は、いけるぞ」と思った私は、A氏が勤めていたB歯科医院の院長と不可侵条約を結び、競合する地域への事業展開をおこなわないことを約束したうえで、A氏を独立させて、広範囲にわたる訪問歯科サービスを立ち上げることを承諾してもらった。
さらに週1回、A氏をB医院に派遣し、人件費はこちら持ちという条件で働かせてもらい、常にB医院の最先端ノウハウをこちらの事業にも取り入れさせてもらったのである。かつ、A氏のツテを駆使して、訪問歯科で長年の実績のある頼もしい歯科衛生士を回説き落とし、盤石のスタートメンバーを揃えることができた。
彼女は本当に優秀な歯科衛生士で、彼女が訪問診療していた大手の特別養護老人ホームが、「だったら、これからはそちらの歯科医院に依頼します」とスイッチしてくれたおかげで、我々の訪問歯科事業は、初月から黒字という幸運なスタートを切ることとなったのだ。
「対象市場のプロ」と「新規事業のプロ」の掛け合わせ
この事業の成功の第一は、話をもちかけてくれたA氏という「対象市場のプロ」なくして、絶対に成し得なかったということだ。
私が一人で悶々と考えたり社内でいくらアイデア会議をしていても、おそらく一生思いつくことなく、たとえ思いついたとしても、地に足のついたサービスやオペレーションを短期間で構築することはできなかった。
一方で、対象市場のプロであるA氏だけでは、この事業は地域に根差した優良な訪問歯科医院で終わっていたはずだ。しかし新規事業のプロである私は、「一気呵成に全国展開する」というスケールで事業を考えた。これが成功の第二の要因である。その実現のために、私は訪問歯科事業の「勝ち筋」を構築した。私が構築した勝ち筋は、こうだ。
まず目星をつけた地域でしらみつぶしにローラーで介護施設に営業をかけ、無償で歯科検診をし、その歯科検診の結果報告書を介護施設と家族のそれぞれに送る。
ここで、あえて家族にも「口腔内に問題あり」という報告書を送ることにしたのは、問題ありと指摘を受けた家族は、当然、介護施設に訪問歯科診療の希望を出してくれるからである。入居者の家族を味方に引き込む、という作戦である。
多額の金銭負担が発生するようであれば、いくぶん考えてしまう家族もいるかもしれないが、わが国には健康保険の制度がある。新たに訪問診療が発生しても、施設も家族にも、多額の費用は発生しないのである。ゆえに、訪間診療を阻む要因は、ほぼ無い。
この営業方法に至ることができた理由は、「介護施設は介護をする場所であり、残念ながら、日腔内の問題について専門的な知識をもって日々観察しているスタッフはいない。だから、歯科検診をおこなえば、ほぼすべての施設利用者の回腔内に問題を発見することができる」ということを、A氏から聞いていたからである。
これは、あきらかに戦略のジャンプであった。対象市場のプロから戦略の手がかりを聞き出し、新規事業のプロが戦略のシナリオを書き上げる。
こうして、対象市場のプロと新規事業のプロががっぷり四つに組んだこの新規事業は、かつてないスピードでスケールし、瞬く間に事業売却までこぎつけることができたのである。素人のように考えて玄人のように行動する
いま思い返すと、私はこの訪問歯科事業の成功を機に、「新規事業を成功させるには、当たり前のことを当たり前にやればいいんだ」という、極めてシンプルな成功法則をつかんだように思う。ひとつには、「その事業に最適なメンバーと組む」ことの重要性だ。
これまでも外部の専門家にアドバイザーとして関わってもらうことはあったのだが、当時、私が社内で誰にも相手にされなくなっていたことから、訪問歯科事業に際しては、アドバイザーといったレベルではなく、「共同創業者」として外部のプロに深く深く関わってもらった。
これは、新規事業を創出する「基本の型」の3つ日となるもので、独立起業のベンチャー企業では当たり前にやっていることだが、社内起業となると、なぜか参入市場にも新規事業にも知見のない、社内人材だけでやろうとする会社が不思議なほど多い。
しかし、これが普通でないことは、立場を変えて考えてみればすぐにわかるはずだ。もしあなたが自動車メーカーで、そこにまったく畑違いの、たとえば病院のナースが「これから我々だけで自動車事業に新規参入します」と言ってきたら、「自動車のことをまったくわかっていないくせに、何を考えているんだ?」と思うはずだ。
しかもナースたちが、「風邪の時期は病院が忙しくなるので、空いた時間しか自動車事業には充てられません」、「本業の病院の今期の売上利益が厳しくなってきたので、自動車事業の予算を絞って調整します」、「本業第一なので、エース人材を担当させることはできません」な
どと言っていたら、いよいよ「いや、自動車なめるなよ」とでも言いたくなるだろう。自社にとっての新規事業は、どこかの会社の本業である。だから、その事業に適した人材を、必要なタイミングで招集し、片手間ではなく一意専心でやるという、本業では当たり前にやっていることを、新規事業でも当たり前にやるべきなのだ。
もうひとつの学びは、「わざわざ探しに行ったり、無理やリアイデアをひねり出さなくても、世の中に必要な事業は山ほどある」と気づいたことだ。
スランプに陥っていた当時の私は、自分ひとりで机の前でうんうん唸りながら、来る日も来る日も新規事業のアイデアをつくっていた。
しかし1つ目の事業が一番搾りだとすれば、2つ目の事業は二番煎じ、3つ目の事業は三番煎じと枯渇していく。さらに四番煎じ、五番煎じになると、もはや出涸らしのようなアイデアばかりとなり、それを田口さんにもっていってダメ出しをされる…という悪循環に陥っていたのである。
それでも新規事業をつくらねばならぬと、もはやなんの思い入れも情熱もないまま、もっともらしい理屈をこしらえて無理やリアタックを繰り返し、やはり失敗する。これはもはや、失敗すべくして失敗しているようなものだ。
しかし、人工的に合成化合物のようなアイデアをひねり出さずとも、もっと当たり前の目で社会を見れば、課題はあちらこちらに転がっていることを知った。
A氏との出会いは本当に恵まれた、非常にラッキーな出会いではあったが、訪問歯科ビジネスが唯一無二であるわけがない。単に私が知らなかっただけで、歯科産業にそういったビジネスがあったのと同様に、他の産業にも、いくらでもチャンスは転がっていることを知ったのだ。
大抵の経営者は本業に一意専心、それこそ寝ている時間以外はすべて本業について考えているはずだ。常に変転する市場と顧客の要求を見極め、これに合わせてわが社をどう変えていくか、先手を打つべく業界の川上から川下までアンテナを張っている。
しかし、本業のアンテナを鋭く張り巡らせれば張り巡らせるほど、本業が身を置く業界に精通すればするほど、過去の実績や成功経験による思い込み、先入観が生まれ、その自信がかえって邪魔になることすらある。
前にも書いたが、ミスミが「ユーザーが必要とする商品を標準部品として企画。開発し、それを金型部品のメーカーに発注、カタログ通販という新しい流通システムに乗せて供給する」という、それまでの金型産業にはなかった発想でビジネスをつくったのは、金型の業界で田口さんが素人同然だったからだ。
ミスミモデルの誕生以前、生産財の流通業界はかなり未発達で、強いユーザーと強いメーカーに挟まれた商社や間屋は、ただ品物を右から左へと流すだけの存在であった。当時、消費財の流通業界では、流通経路を短縮し、価格破壊の流通革命を引き起こしたスーパーマーケットという新しいビジネスが生まれていたが、金型業界に長くいる者たちは皆、消費財で起きている変化が、生産財でも通用するとは思わなかったに違いない。企業対消費者の取引では成り立っても、企業同士はムリだと思っていたのだろう。
だから、もし金型の商社で「必要なとき、必要な量だけ、納期を守って供給してほしいというユーザー企業のニーズに応えるために、商品を標準化してカタログで売りましょうよ」という提案が出されても、傘下に多数の代理店を抱えている大手商社にとっては、代理店がいらなくなるビジネスなど論外だったから、けっして取り上げられることはなかったはずだ。
一方、金型業界の新参者だった田口さんは、特約代理店が少しもおかしいと思っていなかった「受注生産で100個単位なら売ります、規格外の製品はつくりません」という生産者中心の論理を「おかしい」と感じた。
また、世の中の変化を先入観なしに見ることができたから、金型の産業に「部品の標準化」という新しい市場を創り出し、後発ながらこの市場でトップシェアを占めることができた。このように、時代の変わり目にあっては、玄人の見通しや判断よりも、素人発想のほうが独創的なものを生み出すことができる。
大事なことは、本業の固定観念をいかに捨てて素人のように社会を見るか、である。いま成功しているスタートアップは一様に、既存の事業者が既得権益を捨てられず変化できない部分に注目し、業界の構造的な課題を解決する事業ばかりである。
凝り固まった固定観念を捨てて、対象市場のプロとしてではなく素人として世の中で起きていることを当たり前に見る。ユーザーに対し、どんなことに困っていて何が必要かと、些細なことでもイチから聞いて回る。
そうして得た課題に対しては、仮説と実証を繰り返しながら現場で徹底的に学び、追求して勝ち上がる。
「競合が一社もいないブルーオーシャンはどこだ」と、青い鳥を探すようなことをいつまでやっていても新規事業は生まれない。とにかく素人のように考え、玄人のように動くことが肝要なのである。
【私が得た教訓】
・「仮説←実証←参入」のステップを踏むことで確実に勝ち筋に至る
とにかく試しきって、勝ち筋が見えたものにだけ一気呵成で本格参入する。
・新規事業は「対象市場のプロ」+「新規事業のプロ」
事業を生み出すには、対象市場のプロと新規事業のプロの2つの人格が必要。それが社内にいないなら社外の人間を巻き込んで立ち上げるべき。
・商品・サービスをより良くするためのフィードバックをもらい改善する
事業を立ち上げたあとも、フィードバックのもらい方・生かし方を構造化し、商品・サービスの改善に落とし込み続ける。
・素人のように考えて、玄人のように行動する
アイデアをひねり出さずとも、当たり前の日で社会を見れば、課題はあちこちに転がっている。素人のように考え、玄人のように徹底的に追求して勝ち上がれ。
一意専心でやってきた本業の固定観念は根深い。
日常に転がっている課題を無意識にスルーするクセがついていると自覚せよ
3。新規事業のプロとしての成功
ラクスルの創業期に参画する
こうして、20年の量稽古という、だいぶ長い時間を掛けてしまったが、私は新規事業家として新たな事業を生み出す「型」を身につけることができた。
もちろん、百発百中の必勝法のようなものがわかったわけではないのだが、ありとあらゆる失敗を経験してきたおかげで、
「ここまではカタチになっても、その先で急激に難易度が上がりそうだ」
「カネの匂いが薄いから最終損益が苦しくなる気がする」
「市場の温まりが弱いから、販売コストの前に啓蒙コストでしばらくは体力を消耗しそう」
というように、「危険を察知する感覚器官」のようなものを身につけることができた。
結果として、早い段階で方向転換したり、ときには撤退したりと、ムダな投資を回避できる確率が、いくぶんは高められたように思っている。
また、一緒に仕事をしてきた信頼できる仲間や、先輩、後輩など、「新規事業の生態系」と呼べるような人の繋がりをつくることができ、そのおかげで必要なときに必要なヒトやカネを集めることができるようになったのである。
たとえるならば、型を身につける前の失敗が、「構造的に失敗するようなことをやってきたゆえの失敗」である一方、型が身についてからの失敗は、「正しい試行錯誤としての失敗」という感じだ。
構造的に失敗するようなやり方を何百回繰り返しても、それは必ず失敗に向かうが、正しい試行錯誤を重ねれば一定の確率で成功する。
そういう意味で、エムアウトの創業期に田口さんに言われた「新規事業は基本的に全部同じだと思え」という境地にやっとたどり着いたのである。
そんな私を見て、田口さんは「そろそろだな」と思われたのかもしれない。ある日突然呼び出され、「独立したらどうだ?」とすすめられた。
ただ、私としては田口さんに添い遂げるつもりでいたので、「そのつもりはありません」とお断りしたが、「でも、田口さんが言うのなら、それが正しいのだろう」と思い直し、100日後に守屋実事務所を立ち上げることとなる。独立後、最初に参画したのは、創業間もない「ラクスル」だった。
創業者の松本恭撮さんは、起業前はコンサルティングファームで働いていた。いくつかの会社のコスト削減プロジェクトに従事することになり、そのときに印刷業界の非効率性からくる印刷コストの高さに問題意識を抱き、業界の構造を変えたいという考えに行き着いたそうだ。
そんな松本さんと守屋が出会うまでのストーリーは、こうだ。
コスト削減プロジェクトの客先企業の費用に印刷代があると、たいていは相見積もりをかけるだけで、その費用を大きく下げることができた。プロジェクトとしては成果を出しやすい都合のよい話だったのだが、その現象が度重なっていくうちに、そもそも印刷代の価格設定に疑間をもつようになった。
ちょうどそのときに、社内の勉強会でミスミの事業モデルについて学んだ。ミスミでいう持たぎる経営、時の言葉でいうとシェアリングエコノミーだ。
もしかしたら、印刷業界にミスミのビジネスモデルを適用すると、新たな道が拓けるかもしれない。集めてきた印刷の注文を印刷工場の未稼働の所に最適に分配する、印刷のプラットフォームビジネスである。
こうした構想を経て、松本さんは、「この事業を実現させるためには、ミスミモデルに詳しい人が必要だ!」ということで、伝手をたどりながらミスミ出身者を探し、たまたま私に繋がった、という縁である。
一方、私のほうでも、ミスミモデルを使った新規事業をさまざまな産業に応用することは考えていたので、松本さんが語る事業構想に、すぐさま反応することができた。
そもそも、かつてミスミで新規事業を検討していたときに、印刷業界は候補のひとつに挙がっていた。しかし、当時はまだインターネットがない時代で、自分たちでは答えが思いつかず、参入に至らなかったのである。
だから、松本さんと出会い、大まかな構想を教えてもらった瞬間に「参画したい!」と直感し、みずから資金を入れて創業期の一員として入れてもらったというのが、ラクスル参画の経緯である。
こうした経緯で参画させてもらったラクスルは、2009年の創業から9年経った2018年5月にマザーズ(現グロース)上場、その翌年には東証一部(現プライム)に市場を変更、累計のユーザー数は200万ユーザーを超えている。
ラクスルが事業の勝ち筋を見つけ、 一気にスケールした具体的なノウハウは次章以降に詳述するが、とにかく初期の初期のラクスルでは、ミスミとエムアウトで量稽古して身につけた「型」が大変役に立った。
さらにラクスルが上場した同じ年の4月、取締役として参画していた、介護業界に特化したマッチングプラットフォームを展開している「ブティックス」もマザーズ(現グロース市場)に上場を果たし、その実績をみた企業から、「2か月連続上場を果たしたその知見を生かして、新規事業の助っ人になってほしい」とオファーをいただくようになり、現在に至るというわけだ。
以上が、私が新規事業のプロとして、事業を成長に導く正しい姿勢や進め方など、基本の型を身につけるまでの軌跡である。
文中、私の新規事業の師匠であり、育ての親ともいえるミスミ創業者・田口弘さんとのエピソードや、田口さんから得た教訓をかなりの分量をさいて記してあるのは、私自身が新規事業において大事だと思っていることはすべて、田口さんから学んだからだ。
とくに、2章でも強調したとおり、事業開発の仕組みを教えることはできても、世の中に対する課題感や熱量だけは、誰かが管理したり押し付けたりすることはできない。「新規事業は意志が10割」なのに、だ。
新規事業は、どんなに量稽古をしていても百発百中とはならないものだ。その過程での苦しみはかなり強いもので、これを乗りきるには、自分の中から湧き上がってくる「事業をやりきる覚悟」と、「その領域の課題を本気で解決したい意志と熱量」が重要になる。
私があっちにぶつかり、こっちにぶつかりと、もがきながらも新規事業を生み出し続けてこられたのも、大きな志と熱意や挑戦心をもちながら、生産財の流通革命を成し遂げた田口さんに感化されながら、環境を与えてもらい、量稽古を積み続けられたことが大きい。
そういう意味で、次章以降、新規事業を生み出すための再現可能なノウハウを詳しく解説していくが、読者諸氏が「絶対に新規事業を成功させるのだ」という強い決意のもとに、自社の社員に対して、″私にとっての田口さんクのように、新規事業に邁進できる環境や姿勢を提供してやれることが、事業成功の大きな肝となることを心に留めながら、読み進めていってほしいと思う。
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