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3 考え方のアサーション

目次

01自己表現の心理心がけと訓練が身を助ける

アサーションを失敗した三江さんが落ち込んで浅田さんを訪ねたとき、浅田さんは「訓練するとアサーションはできるようになる」と励ましてくれていましたね(Story2)。

この言葉の通り、私たちは新しいスキルや行動を身につけようとするとき、心の働きが必要です。つまり「練習して、うまくなろう」と思うことです。

そのように心がけていると、目の前にチャンスが訪れたとき、それをつかむことができます。ときには、自らそのチャンスをつくって、練習を積み重ねようとします。

たとえば、子どもがスプーンやお箸を使えるようになるまでや、トイレット・トレーニングが成功するまでは、何度も練習しますし、楽器やスポーツの技術を身につけるときは、先生やコーチから継続してトレーニングを受けます。

心がけと励ましがあって、それに加えて練習を重ねていると、いつの間にかお箸を使うことに苦労しなくなりますし、トイレには自然に行けるようになります。

また、集中して練習すると、なかなか弾けなかった音が巧みに出せるようになり、動かなかった身体が上手に動くようになります。つまり、新しい言動を身につけるには、心がけと訓練が必要なのです。

三江さんは心がけてアサーションのチャンスを活用してきたのでしょう。

自分のコミュニケーションの変化に気づき始め、周りの人々の日常の動きの中にあるアサーションとアサーションでない表現を区別して理解できるようになっています。

とりわけ、攻撃的に見えるベテランパイロットの戸田さんとパイロットの渡辺さんのやり取りを見て、攻撃的とアサーションの違いを明確に理解します。

先輩顔してわがままを通そうとする攻撃的な戸田さんと、権力の前でもきちんと意思を伝えるアサーティブな渡辺さんを区別することができて、アサーションの真価を感じ取ったようです。

自己表現に現れるその人のものの見方・考え方

一見、戸田さんと渡辺さんは攻撃的なやり取りをしているように見えます。おそらく、2人の言い方は激しいものだったでしょう。

ところが、その表現の裏にある2人の心理を推し量ってみると、2人のものの見方、考え方の違いがあることがわかります。

ベテランパイロットの戸田さんは、「能力がある自分は正しい」、「経験がない後輩たちは、自分を見習うべきだ」、「先輩に逆らうべきではない」といった考えを持っているようです。

いわば、攻撃的な考え方が、攻撃的な表現につながっています。

一方、後輩パイロットの渡辺さんは戸田さんと比べると経験は浅いのですが、パイロットの仕事の使命の重さと、それに伴うルールを心に刻んで仕事をしようとしています。

「パイロットは人の命を預かっているので、生命の危険を冒すようなことは避ける」「規則は守るべきだ」と考えています。

それは、パイロットとしては職務上、当然の義務でもあり、きちんと伝える必要があるとも思っているので、先輩で、強引さで知られている戸田さんにも問題提起をすることができたのでしょう。

わがままを通そうとする戸田さんは、「自分の経歴と地位に他者は従うべきだ」という攻撃的な考えを持っているので、就業規則まで無視しています。

戸田さんに意見を強く言った渡辺さんは、「仕事上のルールは守るべきで、守っていないときは、注意する必要がある」という考え方があり、それを伝えています。

2人は、Part2で検討した「自分の気持ちや考えを表現していい」というアサーション権の活用をしているとも言えます。

戸田さんが薬を飲んだことを知って、「黙認できない!」と思った三江さんの考え方はアサーティブです。

しかし、「戸田さんにたてつくとまずい、今後の仕事に影響する」という考えは「上司に逆らうべきでない」という非主張的な考え方が反映しているようです。

そう考えると怖くなり、アサーション権を行使できなくなりそうでした。アサーション行動、そしてアサーション権の行使には、考え方が影響します。攻撃的、あるいは非主張的な考え方を持っていると、言動にもそれが表われます。

非主張的になるとき、「いま、アサーション権を使わない方がいい」とか「使うべきではない」という考えが働いていることもあるでしょう。

02ものの見方・考え方のしくみ

自己表現には、表現の仕方に加えて、人権を知り、それを行使することが大切でした。ただし、人権を知っても、それを自分と他者のために活用しようと思わなければ、つまり、人権を大切にする行動を取ろうという考えがなければ、自他尊重の言動はしないでしょう。

つまり、「攻撃的でもいい」とか「非主張的になっても仕方がない」などと考えているとアサーティブな自己表現はしないことになります。

アサーションには、「アサーティブになりたい」「自分と相手を大切にするアサーションは必要だ」と考えることが大きな助けになります。

ものの見方・考え方は社会の中でつくられる

ところが、アサーションの方法や人権の考え方に心を動かされながら、なかなかアサーションができない人は多くいます。

その理由のひとつは、人は、ある行動に慣れてしまうと、新しい行動をとることが難しいことがあります。

新しい言動を身につけるには心がけと練習が必要だったように、古い考えを取り除き、変えるにも、心がけと練習が必要なのです。

2つめの理由としては、周囲の環境に対応できるような価値観、行動がしみついていることが挙げられます。

ものの見方・考え方は幼いころから周囲の人々との交流と社会的、文化的環境の中で教えられ、身につけるので、その環境では認められていたことになります。

所属している家族、集団、組織、地域社会、国にうまく適応するには、周りの人たちの見方やふるまいを見習い、従って動く必要があり、それをしないと受け容れてもらえなかったり、排除されたりします。

あなたは幼いとき、「そんなことをすると人から嫌われるよ」とか「親の言うことは聞くべき」「お姉さんだからがまんしなさい」と言われませんでしたか。

あるいは、言い張ったり、乱暴をしたりすると、自分の言い分が通った経験はありませんか。

その言動が周りの人々に受け入れられると、たとえば、「嫌われないようにすべき」「大人に従うべき」「がまんすべきときがある」とか、「わがままを言えば通る」「攻撃すれば人は従う」と考えるようになっていくでしょう。

このように、人は環境に適応するために一定の行動をとり、その理由を考え、自分の言動の指針にするようになります。

「強い者には反抗しない方がよい」「人から愛されるためには、従順であったほうがよい」、「気に入らないことがあったら、騒げばよい」「年齢や地位が上がったら、命令してもよい」といった考え方がルールのように身についていくのです。

それらは、たとえ自分にとって苦しく、自分らしい行動や考え方でなくても、社会に適応するには正しいことになっています。考え方が行動に影響していくことがわかるでしょう。

私たちはみな、異なったものの見方・考え方を身につけている

幼いときの経験の例でもわかるように、同じ社会の中では同じような立場の人々が似かよった考え方を身につけていきます。それはその人の環境と周囲の人々との交流の中で身についているので、その環境では通用します。

また、人生の先輩の知恵や社会の規範はものごとを判断するときの重要な基準となります。それを身につけることを「社会化」と言い、それは社会の安定や平和には欠かせないことでもあります。

ただし、それらはどこでも通用するとは限らず、異なった集団や社会では、ときに全く反対の考え方やルールが通用していることがあります。

家では言いたい放題で主張を通していた子どもが、学校に行くと周囲から「わがまま」だと言われたり、個性も家庭環境も多様な公立小学校で過ごした子どもが私立女子校に入学して校風に馴染めなかったり、クラスで自由に発言し、討論することを奨励されていたアメリカの学校から帰国した高校生が「しゃべりすぎ」「生意気」と言われたりするなどがその典型的な例です。

異なった環境や社会には異なったものの見方があり、ある環境で「正しい」言動が他の環境では通用しないというのが現実です。

私たちは、好むと好まざるとにかかわらず自分が生まれ育った社会の中で自分がよいと思った情報・知識を取り入れ、ものの見方・価値観をつくっていきます。

人は与えられた環境の中で生きるために、自分の行動を選び、考え方を形成して適応していくのです。哲学者たちはこのような社会の現実を、ものの見方は社会が創るという意味で「社会構成主義」と呼びました。

ある社会で通用したものの見方は、他の社会では通用しなくなることがあっても、いずれも間違っているわけではないということです。

「違っていること」を「間違い」だと思ってしまうと、まず、違いを理解しようとしなくなります。それは多様性を受け容れないことにつながります。ひいては個性や創造性を否定することにもなるでしょう。

自分色のメガネで見たことを伝え合う人間

ものの見方・考え方は、浅田さんが電車が止まったときの人々の反応の違いで説明してくれたように、厳密に言うと、一人ひとりみな違っているということです。

Part2で指摘した、個性を大切にすることは、一人ひとりのものの見方、考え方というフィルターを通してものごとは受け取られるという前提に立ち、それぞれの考え方を大切にすることでもあります。

「大人の言うことは、守らなければならない」と考えている子どもと「大人の言うことは、守る必要はない」と考えている子どもでは、大人に対する反応は違うでしょう。それぞれの反応を、子どもの考え方と違う大人が見ると、間違っていると言いたくなります。

しかし、子どもの反応がどこから来たのかを聞いてみると、その理由がわかります。

たとえば「お母さんが言ったことを守っていたらうまくいった」体験と、「お母さんが言ったことを守った結果、先生に叱られた」体験の違いから形成されたものの見方だったりするのです。

簡単に言うと、私たちは自分色のメガネをかけて、ものごとを受けとめているということです。

幸いなことに、人は成長するにつれ、環境も変わり、多様な人々と関わるようになって、世の中には異なった考えや価値観があることがわかります。

その人なりの考え方や動きが、社会と自分の相互作用の中でつくられていくことにも気づきます。

「価値観が違う人とつき合うのは難しい」し、「引っ越し・転校・部署の異動など異なった環境に入るとき、不安になる」のもわかります。加えて、違った考え方に出会うと、私たちは身構えてしまうのも確かです。

ここに「自分も相手も大切にするアサーション」の出番があります。

異なった考えやものの見方は「間違い」ではないのですから、ともかく、その考えを互いに理解しようとすることが大切であり、そのためには互いが「話す」「聴く」アサーションが必要になるでしょう。

異なった環境で生活してきた人々が互いにその思いを伝え合うと、「あなたの立場だったらそう考えるのも無理はない」とか「フーム、そんな考え方もあったのだ」とうなずけることが出てきます。

たとえ同じ考え方にはならなくても、相手を受け容れることができるようになります。また、そのとき、自分の考え方が少し変わるかもしれません。

異なったものの見方や考え方は、自分の視野を広げてくれるからです。全面的に同意できなくても、納得することはあります。つまり、同感しなくても共感はできるのです。

それこそ「自分も相手も大切にすること」であり、そこから、「ではどうしましょうか」と話し合いが始まるのです。

03考え方をアサーティブにするには

相手のものの見方を理解する

人が自分色のメガネをかけて生きていることがわかれば、それぞれが自分の見方を伝え、それを理解することが重要だとわかります。

同じ考え方になろう、同意しようとするのではなく、ともかく相手の見方に耳を傾け、聴いてみよう、理解してみようとし、また、自分の考えも聴いてもらおうとすることです。

「聴く」とは、相手の立場に立って理解しようとすることですから、相手の話を聴くときは、しばらくの間、自分の考えを横に置くことが大切です。

「それは違う」「私は、私は…」と思っていると聴くことはできません。

わかってもいないのに「考えや価値観の違う人とはやっていけない」と思うことは、言わば、誰ともやっていけないと言っているようなものです。そして、お互いに理解し合うと、自分のメガネの色が少し変わります。

その少し変わっていくところを互いに増やすことがアサーティブに話し合うことであり、その変化の中に一緒にやっていく可能性が広がるのです。

激しいやり取りでしたが、渡辺さんと戸田さんのやり取りはその例でしょう。

いずれも「当然」「べき」と思って主張したのですが、渡辺さんが考えをきちんと伝え、戸田さんがその言い分を理解したことで、あの場は治まったと思われます。言わないで黙っていると伝わらないのです。

アサーティブでない考え方

ここで、私たちが日常生活の中で陥りやすいアサーティブでない考え方の例を挙げて、その心の動きを見ておきましょう。例の中にはこれまで信じていた考え方があるかもしれません。

浅田さんが示した「失敗したら責められて当然」という例に対して三江さんが「そう思う」と言ったように、以下の考え方がアサーティブではないと思わない人もいるでしょう。

ただ、浅田さんも言っているように、その考え方が「べき」「当然」と極端になると、自分や相手を縛る「思い込み」になります。

思い込み①「過ちや失敗をおかしたら責められて当然」

この考えを持っている人は、ものごとをうまく解決できないことは能力がないことであり、「そう見られることは耐えられない」とか、「そんな人は厳しくとがめていい」と考えている可能性があります。

この考えを自分に向けると、失敗などあってはならないので、できそうもないことは止めておこう、叱られたり、償う責任が生じたりする事態は避けよう、となるでしょう。

この考え方が子どもに向けられると、親はテストやスポーツの試合での失敗を厳しくとがめることになるでしょう。

いっぽう部下に向けられると、その上司は自分の思い通りに仕事ができない部下を軽蔑したり、怒鳴りつけたりすることになるでしょう。

浅田さんの「失敗をしながら、練習すればいい」という考えは、「責めるだけでは、能力を発揮したり、潜在能力を伸ばすことはできない」という考え方から出た言葉でもあります。

「過ちや失敗は責めてもいい」と一般化にしてしまうと、自分や相手の失敗にこだわり、極端になると、有能で成果を上げない者は価値がない、非難されても仕方がないとなって、自分を卑下したり、相手をパワハラの対象にしたりすることにもなります。

このような考え方をする人の多いところでは、親や先輩、上司の評価を気にして、斬新な案や挑戦する心は生まれず、他方で、戸田さんのような権力者のルール違反がまかり通ったりすることにもなりかねません。もちろん、失敗しないに越したことはありません。

しかし、誰もが失敗しようとして故意に過ちをおかすわけではないのですから、私たちはそれを責めるのではなく、解決の方法、失敗しない方策を立てることが大切です。

思い込み①は、「ものごとはうまく解決すべきで、それができない人はダメ」という考え方にも通じ、「罪を憎んで、人を憎まず」という考え方にも反します。

アサーション権の中には「過ちをする権利」があり、神様でない人間の不完全さをどう支え合うかを考える基礎にもなっています。

思い込み②「ものごとが思い通りにならないとき、いら立つのは当然」

私たちは、ものごとが期待した通りに進み、思い通りに運ぶことを望みます。そして、予想外のことが起こると戸惑い、がっかりし、慌てたり、いら立ったりすることもあります。

世の中の欲求不満の原因は、思い通りにものごとが運ばないことにあると考えると、その原因を探して、追及したくもなるでしょう。

「コーヒーを取ってこない」といらだつ渋谷部長、妻が言う通りにしなかったとか、夫が勝手なことをすると憤る夫や妻、子どもの成績が悪いと怒る親などは、相手が原因で気分が悪くなったと思っている可能性があります。

終わりのない夫婦ゲンカや親子ゲンカをふり返ってみると、あるいは外から観察していると、両者が相手を思い通りに動かしたい気持ちだけを言いつのっていることが見えてきます。

そこには「思い通りにいかないとき、頭に来るのは当然」「自分の欲求不満は相手の言動から起きる」という思い込みがあり、その原因を相手のせいにして、相手を変えようと攻撃的になりかねません。

これまで見てきた攻撃的な自己表現の背後には、この思い込みがあることが想像できます。やがて「私の不幸は相手がつくったこと」になっていきます。

アサーション権から見ても、自分色のメガネから考えても、人は違った意見を持ち、見方をするので、ずれは起きるのです。

自分の思い通りに相手やものごとが動かないとき、がっかりしたり、不便だと思うことはあるでしょう。だからと言って、それが相手のせいだと思うとしたら、それはこの思い込みから来ています。

浅田さんが「電車が止まった例」で伝えたように、他者の言動や出来事に誰もが同じ反応をするとは限りません。

コーヒーをいれるよう命令する人とそれに従う人の組み合わせは、「上司の命令には従うべき」という考え方がたまたま一致したのですが、戸田さんと渡辺さんのように考え方が一致しないときもあります。

私たちは、いずれの場合にも対応できることが必要です。この思い込みを「他人は自分の思い通りに動くとは限らない」という考え方に変えてみると、柔軟になれるでしょう。

私たちが陥りやすい思い込みには、次のようなものがあります。それに回答してみて、日ごろの自分のものの見方をふり返ってみましょう。

そのような考え方をしていて、自分が苦しくなったり、相手に対して攻撃的になったりしているとしたら、その考え方は極端で、変えると自分も相手も楽になることがあるでしょう。

いっぽう、その考え方が自分らしく、自分なりの努力や頑張りで実現可能であり、相手を苦しめないものであれば、変える必要はないでしょう。

思い込みには、「当然」「べき」「はず」といった言葉が使われやすいので、その言い方に気をつけると、自分の思い込みが自分を苦しめていることがわかります。

そのとき立ち止まって考えると、非現実的な思い込みや、誰かに言われたことを鵜呑みにしていたりすることがわかります。考え方は自分で変えることができ、変えていいのです。

04考え方をアサーティブにすると気持ちが変わる

場面によってタイプは変わる

さて、「思い通りにことが進まないとき、いら立つのは当然」という思い込みは、もうひとつの重要な心理のメカニズムを伝えている例でもあります。

つまり、ある考え方をしていると、その考え方に伴った、ある感情が自動的に引き起こされるということです。

仕事をしていて地震が来たら、「怖い」「子どものことが心配」「この仕事が滞るようなことが起こらないでほしい」「この震度はいつもと同じだから大丈夫」などなど、さまざまな気持ちを起こす人がいるでしょう。

とっさにそれぞれの人が状況に反応した気持ちであり、思い込みは入ってない、その人らしい感情表現です。

先の例では、ある思い込みがあると、その思い込みに従った反応が出てきました。

「思い通りにことが進まないと、いら立つ」と考えれば、いら立つのであり、「意見の対立はよくない。それは避けるべきだ」と考えると、怖くなったり、逃げ出したくなったり、怒ったりするでしょう。

「思い通りにことが進まないことはありうる」「意見の対立はある」と考えると、そのときの状況によって自分の気持ちがいろいろ出てくるでしょう。

三江さんは浅田さんと話していて、かつて豊さんの将来について思い込みで意見してしまったことを思い出しました。

自分の思い込みによる感情の押しつけに気づいた三江さんは、感情は自分が起こしていること、それは自分の思い込みから出ていることに気づき、逆に「夢をあきらめないでほしい」という気持ちになったのです。人は考え方を変えると、気持ちも変わります。

たとえば、「あの部下の反論は自分を嫌っているということだ」と思っていた上司が、翌朝、その部下から機嫌よく挨拶されると「おや?あいつは俺を嫌っているわけではないかも……」となってホッとするように、「自分らしくあっていい」という考え方をしていると劣等感に陥ることは減り、やりたいことをあきらめなくなります。

思い込みが減ると、どんな気持ちも自分の気持ちとしてアサーティブに受け止め、必要に応じて表現することもできるようになっていきます。

もし、攻撃的な言い方に対して「けしからん」と怒ったり、「もうダメだ」と落ち込んだりするとしたら、「怒ることはよくない」「怒られると何もできなくなる」という思い込みによって、自分の感情が見えなくなっているかもしれません。

そんなとき、自分の素直な気持ちをたどってみると、まず「静かに話したい」とか「怖いのでやめてほしい」といった気持ちがあるかもしれません。思い込みをなくすと、素直な気持ちが出てくるのです。

05気持ちに素直になると、自分らしく成長する

気持ちや感情は自分のもの

本来、気持ちや感情は周囲の刺激に対する自分の独自の反応です。ところが、人間は考え方が影響して感情がつくられることもあります。

「このようなときは、このような感情を持つはず」と思わなければ、どんな感情を自分の感情として持ってもいいのです。それを表現するかどうか、どのように表現するかは、相手や状況により工夫する必要があるでしょう。

しかし、持ってはならない感情はないので、自分の感情が思い込みによってつくられていないか、自分のものかどうか、検討してみることが大切です。

自分の感情に正直になると、驚くような感情があることがわかります。同時に、それが自分のもので、そのような感情を持つのが自分だということもよくわかります。

自分の感情は自分のものであり、自分の素直な気持ちから出ている自分らしい感情だと受け止めると普段の会話の中でも、自分の感情を描写した、「がっかりする性質なんですよ」とか「私は怒りっぽくてね」といった表現が出てきます。

相手がそれを聞くと、「この人は自分のことをわかって言っている」と思えるので、万が一その人が、何かあって落ち込んでいたり、怒ったりしている場面に出くわしても、それほど慌てないですみます。

感情的になるとき、私たちは自分の感情を受け止めきれず、理解していない可能性があります。逆に感情的にならないときは、さまざまな感情を感じ、受けとめ、それらを活用して人と関わっていることになるでしょう。

自分の意見・考えや気持ちは自分のものです。そして、それを変える権利も自分が持っているのです。

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