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2章 鎌倉殿から現総理まで「天下人」のしくじり力!

日本史上もっとも神社をうまく活用した「神社の達人」は誰でしょうか? 起業家にくわしい人なら、パナソニック創業者の松下幸之助氏、出光興産創業者の出光佐三氏、西武鉄道を始めとする西武グループ創業者の堤康次郎氏など思い浮かべるかもしれませんね。 芸能界にも神社をお好きな方は多数いますが、お笑いタレントなら小籔千豊さんや、南海キャンディーズの山里亮太さんは有名です。山里さんは俳優の蒼井優さんとご結婚されて、公私共に大活躍ですよね! しかし、日本史上もっとも神社をうまく活用した人は「鎌倉殿」でしょう。 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の 13人」でもおなじみ、鎌倉殿と呼ばれた鎌倉幕府初代将軍・源頼朝です。頼朝は、神社参拝で天下人になったと思えるほど、多くの神社に参拝や寄進をしました。 頼朝が活躍した時代は、政治の中心地が京都から鎌倉へ、天下人が皇族・貴族から武士へと変わった「大変革の時代」。 この大変革時代の主役は、誕生から神社とご縁が深かったのです。 生まれは、愛知県名古屋市の熱田神宮西門前です。 熱田神宮は、天皇の証「三種の神器」のひとつ「草薙剣」がご神体で、伊勢神宮に次ぐ権威ある神社。剣の神社ですから、武家の棟梁にはピッタリですね。 じつは、頼朝の母方の祖父は、熱田神宮の大宮司(神職のトップ)。 さらに、その祖父の父が尾張国の目代、祖父の母が熱田神宮を創建した宮簀媛の子孫で、代々熱田神宮の大宮司を務めてきた尾張氏の出身でした。 宮簀媛は、「草薙剣」を用いて諸国を平定した伝説の英雄ヤマトタケルの妻です。 ヤマトタケルから「草薙剣」を預けられ、ヤマトタケルの死後、宮簀媛が「草薙剣」をお祀りしたのが熱田神宮の始まりでした。 そんな宮簀媛の血を引く頼朝は、とくに「草薙剣」のご利益を託されやすい人物だったでしょう。草薙剣のご利益のひとつは、ヤマトタケルのような諸国平定。 熱田神宮の神職では諸国平定と縁遠いですが、平氏と並ぶ軍事貴族である源氏の後継者候補「頼朝」にはピッタリ。 そして世は「大変革の時代」と、時と人がそろったのです。 しかし、頼朝 13歳のときにとんだ災難にみまわれます。 当時の源氏トップであった父・源義朝がクーデターに失敗し、惨敗しました。 世にいう「平治の乱」です。乱の勝利者は平清盛で、以降、平氏の天下が来ます。 父・義朝は殺害され、その首は京都で獄門に懸けられます。頼朝も捕まり処刑されるところを、清盛の継母・池禅尼の嘆願で助命されました。 これは「不幸中の幸い」。死をまぬがれた頼朝は、罪人として伊豆国へ流刑になりました。 いわゆる島流しです。伊豆国は島ではありませんが、遠方への追放全般を島流しといいます。「もう人生終わった……」「若くして気の毒に……」という感じですよね。 ですが、 1章でお話しした「イザナギの知恵」を思い出してください。「悪いことがあったら、良いことがある」 最悪なときにこそ、チャンスが訪れます。伊豆国への流刑は、長い目で見れば頼朝に大きな幸運をもたらしました。 20年間の流刑中、頼朝は亡父・義朝や源氏一門を弔うため、毎朝 2時間の読経を欠かさず、近場にある、 ◉走湯権現(現静岡県熱海市・伊豆山神社) ◉箱根権現(現神奈川県足柄下郡・箱根神社)に、深く帰依しました。ちなみにこのころは、神仏習合といって、神様も仏様も、神社もお寺も合体していました。神仏が分離したのは明治時代以降ですね。 話を戻すと、頼朝は、伊豆の豪族・北条時政の長女である政子と結婚。政子の弟は北条義時です。北条親子らの協力により伊豆で旗揚げした頼朝は、平氏政権を打倒し、朝廷から独立した武家政権を立てたのでした。 1189年、天下人となった源頼朝は正月に「二所詣」を始めます。 ◉頼朝の旗揚げを助けた伊豆山神社・箱根神社 ◉源氏再興を祈願した静岡県三島市・三嶋大社「三社参拝するのに二所?」と混乱しますが、伊豆山神社と箱根神社を合わせて二所権現といい、そこに三嶋大社も加えて参拝するのが二所詣です。 この二所詣、頼朝の死後に天下を握った政子・義時の姉弟も続けました。

やはり国全体を動かす人は神社に参拝しますね! また何か、いかつい声が聞こえてきました(笑)。 もちろんそうですが、ウワサでは「俺の前世は頼朝」と言っていたなんて、耳にしたこともあるので、頼朝公が先でいいかなと思ったのですが……。 どなたがお出ましか、もうおわかりですね。 江戸幕府初代将軍の徳川家康公です。 家康も頼朝と同じく、苦労多き青少年時代を過ごした人。 家康 6歳のときに、今川氏へ人質に出されます。ところがその道中で拉致され、織田氏の人質に。家康の生まれた松平家は、今川氏と織田氏の間に領地があり、両勢力から「今川に従え」「いや織田に従え」と板挟みにあっていたためです。この板挟みのため家康の母は離縁され、家康は母と 3歳で生き別れになり、今度は拉致です。 家康は、織田氏の家臣宅に 2年預けられました。 イザナギの知恵「悪いことがあったら、良いことがある」が、ここでもはたらきます。 幼き家康が幽閉された家は、熱田神宮から徒歩 10分ほどの場所にあったのです。 鎌倉幕府を開いた頼朝の生誕地に加えて、江戸幕府を開いた家康の居住地まで熱田神宮のそばにあったのですから、草薙剣の諸国平定のご利益は大きいですね。ちなみに室町幕府を開いた足利尊氏についても、足利氏の初代当主・足利義康も、熱田神宮大宮司の娘と結婚しています。 幕府を開きたい人は、ぜひ熱田神宮へ!(笑)。 家康といえば、有力者が迫害した神社の再建を何回もしています。

この「有力者が迫害した神社仏閣を再建すると大きな後押しを得る法則」を、家康そして後継者の 2代将軍・秀忠、 3代将軍・家光は存分に活用しました。 拙著『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』でご紹介したのは、織田信長の嫡男・信忠が、武田氏を攻撃する際に諏訪大社上社本宮(現長野県諏訪市)を焼き討ちしたこと。 諏訪大社を厚く信仰していた武田氏は滅亡します。しかし諏訪大社の焼き討ちから 3か月後、「本能寺の変」で、信長・信忠親子は死亡。織田氏の天下も終了しました。 信長といえば延暦寺・日吉大社(どちらも現滋賀県大津市)の焼き討ちも有名ですが、延暦寺・日吉大社を再建した豊臣秀吉が天下を統一し、次いで諏訪大社の一部を再建した家康が天下を統一。信長の焼いた神社を再建した人が、続けて天下を取ったのです。 一度ならただの偶然でも、二度続けば偶然ではないでしょう。 さらに家康は、信玄が迫害した神社仏閣も復興しています。 ◉信玄が当主のとき武田軍が秩父神社(現埼玉県秩父市)を焼き討ち。その後、家康が再建 ◉信玄と上杉謙信の合戦で破壊された戸隠神社(現長野県長野市)に、家康は 1000石の所領を与え手厚く保護 信玄の指示かは不明ですが、武田軍が秩父神社を燃やしたのはまずかった。 焼き討ちから 4年後の進軍中に信玄は亡くなり、長野県の阿智村に埋葬されたのですが、この場所が意味深。なぜなら阿智村は、秩父神社のご祭神オモイカネ(思金神)が降臨したとされる地で、秩父と並ぶオモイカネ信仰の拠点です。オモイカネは戸隠神社のご祭神でもあり、信玄は自身が迫害した神様の地に墓をつくられたのです。 信玄の死、その後の武田氏の滅亡は、オモイカネの祟りかもしれませんね。神様がバチを当てる、なんて、そうそうないですが、さすがに社殿を燃やすと報復されるようです(汗)。 逆にいえば、祟る力のある神様は、手厚く尊重するのが賢いです。 味方にすると頼もしいですからね。 家康は、秀吉が迫害した神社仏閣も復興しています。 秀吉は日光山(現栃木県日光市)の輪王寺と二荒山神社の所領を没収しました。 日光山は頼朝が親族を長官にするほどとくに崇敬し、関東を代表する寺社でしたが、秀吉により消滅しかけます。 対して家康は遺言で、死から 1年後に自身を日光山に祀るよう指示します。 2代将軍の秀忠は家康を祀る日光東照宮(現栃木県日光市)を創建し、二荒山神社を再建。 3代将軍の家光は輪王寺を再建し、日光東照宮と二荒山神社をより豪華にしました。 三代の徳川将軍は、全員「大きなしくじり」を経験しています。 初代将軍の家康は、信玄との戦いで死傷者多数の惨敗をし、逃げる途中、恐怖のあまりにもらした(大きい方)とか。直後に信玄が病に倒れて死亡したため助かりましたが、もし信玄が元気なら、家康はおそらく降伏したでしょう。 家康公から抗議の声が聞こえてきました(笑)。 家康が立派だったのは、信玄を尊敬し、武田氏の滅亡後、その家臣を多く雇って、武田流の軍事制度を大いに取り入れたこと。 家康は自身に勝った相手を尊重し、よく学んだのです。 2代将軍の秀忠は、天下分け目の合戦「関ヶ原の戦い」に、間に合わない大失敗をします。 4万人近い大軍を率いながら、 3000人もいない真田昌幸軍と戦って惨敗したのです。 江戸幕府公式の歴史書で、秀忠の兄 2人や弟が、父・家康に似て武勇や知略に優れるとされる一方、秀忠は思いやりがあって慎み深いと、 2代将軍にもかかわらず「でもあいつ良いやつなんだ」とフォローされるほど(苦笑)。 しかし秀忠は自身の戦下手を自覚しているからこそ、多くの大名の力を政治的手段で削り、朝廷や寺社も厳しく管理し、綿密な支配体制を築きました。戦で大失敗した秀忠は、家康のような戦に強い将軍ではなくとも、徳川の天下が続く体制にしたのです。 3代将軍の家光は、病弱・外見あまり良くない・勉強が苦手、吃音で内気でした。一方、弟は健康・イケメン・頭も良く快活。両親は弟の方が優秀と溺愛して家光に冷たく、家臣も家光を軽く扱いました。 弟との比較や劣等感に悩む家光は、思春期に自殺未遂をしたほど苦しみます。 将軍になり、父・秀忠が死んで天下人になってからも、家光は「うつ病」らしき症状で、 2年ほど療養しました。 このように肉体も精神も弱い家光だからこそ、多くの人を頼り、活かしました。 政治面では、頭脳明晰な松平信綱や、父の隠し子だった異母弟の保科正之など、優秀な人物を登用し任せます。彼ら優秀な人材によって、官僚機構や参勤交代、鎖国制度といった幕府の基盤がつくられ、島原の乱などの難題への対応、さらに 4代将軍・家綱の治世の安定も実現しました。 私的な面では、弟との後継者争いで乳母の春日局が活躍して無事、将軍に。そして、将軍になってからも、女性に性的興味のなかった家光が後継者をつくれるよう、春日局は大奥制度を設けました。 このように、江戸幕府といえば誰もが思い浮かべる制度の大半は、家光の時代につくられます。それが実現したのも、自身が弱いことを認めて、優秀な人材に任せることができた家光だからこそです。

ここからは、現代日本を見ていきましょう。 2021年9月、自民党総裁選に関するあるニュースが目に留まりました。自民党総裁選( 29日投開票)に出馬している岸田文雄前政調会長は 27日、必勝祈願のため、日枝神社(東京都千代田区永田町)を参拝した。境内で記者団の取材に応じ、「最後まで強い思いで総裁選を勝ち抜くという強い覚悟を伝え、ご加護をお祈りした」と述べた(産経新聞社・産経ニュース 2021年9月 27日 11時 45分より)。 この翌日 2021年9月 28日昼、同じく総裁選に出馬していた高市早苗前総務相も、永田町の日枝神社に陣営幹部と訪れました。 高市氏は祈願した内容を問われ「仲間と一緒に今日まで良い選挙戦を戦わせていただいた。そのお礼だけ申し上げた」と答えます。「岸田さんも高市さんも、神社のことをわかっているな ~」と私はうれしくなりました。 同時に「河野さんはどうしたのだろう?」と気になりました。 総裁選立候補者の中で、国民人気ナンバーワンともっとも注目されていた河野太郎氏のことです。 ですが残念ながら、神社に参拝した情報は見つかりませんでした。もうひとりの立候補者である野田聖子氏についても、同じく神社に参拝したとの情報は見つからなかったです。 結果はご承知の通り。 岸田氏は新総裁に選出され、さらに第 100代総理大臣に選ばれました。 河野氏が予想以上に支持を得られなかった一方、岸田氏と高市氏は予想以上に支持を得た総裁選でした。 日枝神社への参拝が、明暗を分ける少しの違いになったのでしょう。 岸田氏の勝利は、自民党の派閥事情を知る人なら、順当な結果です。 しかし、総裁選 1回目の投票で、岸田氏が 1位になったこと(岸田氏 256票、河野氏 255票。たった 1票差!)、高市氏が議員票で河野氏を上回ったこと(高市氏の議員票 114票、河野氏の議員票 86票)。この2つは予想外の結果でした。 岸田氏は 1回目から 1位になったからこそ、堂々と総理大臣・総裁が務められ、強力なライバルに地位を脅かされる心配もなくなった。高市氏も議員票で 2位に食い込んだからこそ、総裁選後に、河野氏より上位の要職に選ばれたのでしょう。 永田町の日枝神社は国会議員にとってとくに重要な神社です。 神社は、地域の人とご縁を結び、地域に貢献するパフォーマンスが向上する場所。 日枝神社の担当地域である永田町には、首相官邸や国会議事堂、衆参の議員会館があります。総理大臣になりたい人、国会議員になって活躍したい人にとって、日枝神社はもっとも参拝すべき神社でしょう。 河野氏も総裁選中に参拝しとけばよかったですね(笑)。 もっとも前回の総裁選では参拝されています。 2009年9月、自民党が野党に転落していたときの総裁選で、選挙当日、永田町の日枝神社で必勝祈願をされました。 結果は 2位でしたが、何せ当時は大臣経験も党幹部経験もない若手議員で、派閥の後押しもない。大健闘といってよく、河野氏の存在を知らしめた総裁選でした。 次に総裁選に出馬されるときは、河野さん、ぜひ日枝神社にご参拝ください。

「伊勢と熊野の対決」 そう、陰で評された政治家 2人の対決がありました。 2010年9月に行われた菅直人総理と小沢一郎前民主党幹事長による民主党代表選です。当時の民主党は衆議院の過半数を占める第 1党。 勝った方が総理大臣です。 この民主党代表選、なぜ聖地対決と一部でいわれたのでしょうか? ひとつは小沢氏が、 3か月前に熊野古道を散策したからです。 2010年6月 12日、小沢氏は和歌山県田辺市・滝尻王子宮十郷神社を参拝。その後、 15 ~ 20分ほど熊野古道の中辺路を歩きました。 同月 2日、小沢氏は幹事長を辞任。その直後に「よみがえりの地」と呼ばれる熊野に来訪したので、「小沢氏は復権を目指している」と話題を呼びました。 一方、菅直人氏といえば伊勢神宮(三重県伊勢市)参拝です。 (※蛇足ですがひとつ補足を! 菅直人氏の菅は「かん」と読みます。前総理大臣の菅義偉氏の名字の読みは「すが」です。混同しないよう「菅直人氏」とフルネームで書きます) 民主党が野党時代の 2003年1月、当時の菅直人代表は伊勢神宮へ参拝。 以来、党代表が初詣に伊勢神宮へ参拝する習慣ができました。 2022年1月にも、民主党の後継政党である立憲民主党・国民民主党の両代表が伊勢神宮に参拝しました。 この菅直人氏の伊勢神宮参拝、当時ちょっとした物議をかもします。 日本国憲法にある政教分離(政治と宗教の関わりを断つこと)の観点から、菅直人氏が参拝しないよう強く抗議する団体があったからです。にもかかわらずの参拝ですから、よほど伊勢神宮を重視されていたのでしょう。 こうした背景から「菅直人氏の伊勢と小沢氏の熊野が対決!」とされたようです(小沢氏も民主党代表時代は、伊勢神宮で初詣をされているのですけどね)。 結果は、菅直人総理の圧勝。一般の党員・サポーター票で大差がつきました。 伊勢神宮の方が、熊野の聖地よりご利益があるのでしょうか? 何せ伊勢神宮は日本一の神社です。しかし、事はそう単純ではありません。 伊勢神宮の神様から授かるご利益、すなわち「徳を積むお役目」と、熊野の神様から授かる「徳を積むお役目」には、違いがあるからです。 どのハローワークに行くかで、求人内容が異なるようなものですね。 総理大臣のお役目を授かるには、熊野よりも伊勢神宮の方が向いています。 総理大臣は天皇陛下が任命するお役目。総理大臣は、国民の代表として、天皇陛下とご縁を結びます。 伊勢神宮は、天皇家の先祖アマテラスをお祀りする、天皇家にとってもっとも大事な神社。 天皇家にとって格別の神社だからこそ、伊勢神宮には、天皇陛下とご縁を結ぶ「見えない求人」もあると想像できるわけですね。伊勢神宮に「総理大臣の求人、本当にありますか?」とか問い合わせしないでくださいね! 私の勝手な妄想です(笑)。 しかし、総理大臣にとってとくに重要な神社なのは間違いありません。 日本が戦争に敗れてアメリカに占領されていた当時、アメリカは政治と神道(神社)の関わりを断ち、憲法で政教分離の制約をかけます。 それでも、 1965年1月 4日に参拝した佐藤栄作総理以来、総理大臣は仕事始めに伊勢神宮へ初詣に行くようになりました。佐藤政権は 7年 8か月も続き、沖縄の日本返還を実現した佐藤総理はノーベル平和賞を受賞します。民主党が 2009年に政権交代を成し得たのも、菅直人氏が始めた「党代表の伊勢神宮初詣」が陰の原動力でしょう。 アメリカの意向に反しようと、日本国のトップリーダーやその候補が参拝しなくてはならない神社。それが伊勢神宮なのです。

先ほど申し上げたように、総理大臣は仕事始めに伊勢神宮へ初詣に行きます。 もし参拝しなかったら、どうなるでしょうか? 総理大臣の伊勢神宮初詣は、民主党政権のときも変わらず行われました。 ところが例外があります。 1995年1月 4日、当時の村山富市総理は伊勢神宮に参拝しませんでした。その後、日本に最悪の凶事がダブルで起こります。 当時は自民党・社会党・新党さきがけの三党連立政権で、村山総理は社会党。社会党内では「政教分離」の観点で1月 4日の伊勢神宮参拝を問題視する声があり、村山総理は風邪をひいたと参拝しなかったのです。 1995年、何が起こったかご記憶でしょうか? 1月 17日、阪神・淡路大震災が発生。死者 6434名、負傷者 4万 3792名と、東日本大震災が起こるまで、第 2次世界大戦後では最大の自然災害でした。 3月 20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生。東京の地下鉄各線の車内で化学兵器「神経ガス・サリン」が散布され、死者 14名、負傷者約 6300名。 教祖が武力で国を乗っ取ろうとしたオウム真理教事件は、日本の犯罪史上最悪とされ、警視庁創立 140年時に行われた「警視庁全職員アンケートで選んだ首都 140年の十大事件」で 1位に選ばれました。本当に最凶最悪の 1年でしたね……。 神様のお怒りを心配したのか、村山総理は4月 7日に伊勢神宮へ参拝。 三重県知事選挙の応援がてらに行かれたとか。そして翌年1月 4日にも伊勢神宮へ参拝し、翌 5日に退陣を表明しました。 伊勢神宮に参拝されなかったのは村山総理の失態でしょう。ですが、その後よく反省し、責任を取られたのは立派だと思います。 記憶に新しいところでは、菅義偉総理も 2021年1月 4日の伊勢神宮参拝をしませんでした。 新型コロナの感染者数が急増中で、同年1月 7日に緊急事態宣言を出したのですから、参拝しにくい状況なのは理解できます。 ただ伊勢神宮に菅義偉総理が参拝しなかった 2021年1月直前から、政権の支持率と不支持率が逆転。挽回できないまま退陣に追い込まれます。 菅義偉総理が辞めるまで緊急事態宣言がほぼどこかで発令され続け、国民は健康面に加えて経済的にも大きなダメージを受けました。 しかし、菅義偉総理が退陣に追い込まれた時期から新型コロナの感染者数が激減。 菅義偉総理ことガースー(ここからは愛称で呼びます)が、自民党総裁を退任した同年9月 30日、緊急事態宣言も全面解除されます。以後、同宣言は出されておらず、自民党政権の支持率も持ち直しました。 あと 1か月粘れば、ガースー辞めなくてよかったのに……というところですが、先の村山総理と同じく、退陣しての「みそぎ」なのでしょう。 イザナギのみそぎは、穢れを水に流すものでした。この言い方は残酷かもしれませんが、国民のみそぎは、穢れた政権を退陣させることです。 ガースーは同年 10月 4日に総理大臣を退任、 10月 18日に伊勢神宮へ参拝しました。退任してすぐの参拝ですから、ガースーも参拝しなかったのを気にされていたのですね。 あなたがもし総理大臣になったら、1月の仕事始めに「何が何でも」伊勢神宮へご参拝ください!

伊勢神宮だけでなく、もう一社、総理大臣が気を配るべき神社があります。 2011年3月 11日、東日本大震災が起こった日です。 当時の総理大臣は民主党の菅直人氏でした。 菅直人氏といえば、民主党の代表が伊勢神宮に初詣をする習慣をつくった方。当然、総理大臣になられた 2011年1月も伊勢神宮に参拝されました。 ところが、もうひとつ神社対応に特色がありました。 菅直人総理は、8月 15日「終戦の日」の閣僚(各大臣のこと)の靖國神社(東京都千代田区)参拝を終わらせたのです。 1980年、当時の鈴木善幸政権より、終戦の日に閣僚が集団で靖國神社に参拝する習慣が始まったのですが、これを終わらせたのです。 2010年と 2011年、菅直人政権で、終戦の日に靖國神社に参拝した大臣は誰もいませんでした。もちろん総理ご本人もです。 菅直人総理は、総理大臣に就任直後、国会でこう答弁しています。 「A級戦犯が合祀されているといった問題などから、総理や閣僚が(靖國神社に)公式参拝することには問題がある。総理在任中に参拝するつもりはない」( 2010年6月 15日の参議院本会議) こうきっぱり明言されては、どの大臣も靖國神社に参拝できないでしょう。 しかし翌7月の参議院選で民主党は惨敗。前月は 60%を超える支持率で圧勝が予想されたのに、菅直人総理の失言「消費税を上げる」が致命的でした。 そして、靖國神社への方針も、陰でマイナスの影響をもたらしたことでしょう。 イザナギの知恵を思い出してください。「悪いことがあったら、良いことがある」 菅直人総理の前任は、民主党最初の総理大臣・鳩山由紀夫氏。しかし鳩山政権は、対アメリカ外交や政権運営に失敗して退陣。民主党は大いにしくじりました。 だからこそ菅直人総理への交代で、災い転じて良いことが起こる「はず」ですね。実際、支持率は上昇しましたが、再びしくじり、参議院選で負けたのです。「悪いことがあったら、良いことがある」のですが、良いことが起こった途端、先の悪いことを忘れて調子に乗るようでは、またすぐ悪いことが起こります。 民主党は参議院選で負けたのですから、次は良いことが起こる順番。小沢氏との代表選に勝った菅直人氏の政権は、再び支持率が 60%を超えます。 ですが、またすぐ調子に乗ってしまったようで(苦笑)、代表選から 3か月後の政権支持率は 20%台に急低下。東日本大震災が起こる直前は支持率最低を記録し、「総理、早く退陣を!」と追い詰められている状況でした。 そこに戦後最大の自然災害「東日本大震災」が起こります。 2011年3月 11日のことでした。

国難の際に総理大臣を辞めさせるべきではないと、政権への支持率は少し持ち直します。 これも、「悪いことがあったら、良いことがある」ですが、すぐに「やっぱりダメだ」と、支持率はさらに低下。同年8月 15日、菅直人政権の大臣は 2年連続で誰も靖國神社に参拝せず、翌9月に政権は終了したのでした。 しくじった後の対応が良くないと、良い時期はすぐ終わります。 菅直人政権は靖國神社参拝を軽く見すぎて、大災害が起こってなお、閣僚の誰も参拝しませんでした。せめて菅直人総理は、「真榊」と呼ばれる榊の鉢植えを、私費で奉納されるべきでしたね。 もっとも、靖國神社に強く参拝したそうな自民党の安倍晋三政権ですら、 2017年から 2019年の 3年連続で、「終戦の日」の閣僚参拝はゼロ。靖國神社への思いが政治家全体で薄れているのかもしれません。 2021年9月の自民党総裁選で、「終戦の日に靖國神社に参拝しない」と明言した河野氏と野田氏は、パッとしない結果でした。 一方、参拝に含みをもたせた岸田氏が勝利し、参拝を明言した高市氏も健闘します。 靖國神社は、国に命を捧げた人を祀る神社です。 全国のご遺族を始め、取り分け強い思いで参拝される人が多く、その思いこそ靖國神社のパワーの源。その強い思いに応え、国民の命を守る「覚悟ある政治家」に、靖國神社の英霊も味方されるのではないでしょうか。

 

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