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2章 新規事業版「7つの大罪」の原体験

目次

学生起業で1億円を稼ぐ

バブル時代のパーティー屋が起業の原体験

話は、私が19歳のとき、大学に入学して、先輩がつくった学生ベンチャーに参画させてもらったときから始めたい。

「昔話はあとにして、とにかく直ぐに事業開発のテクニックを教えてくれ!」と思う読者もいるかもしれないが、じつは、本章で述べることは、新規事業の成功に絶対に欠くことのできない「意志や姿勢」とは何かを中心に話している。

というのも、新規事業には失敗がつきものだが、経営者や担当者が抱える多くの悩みや悪戦苦闘が、「企業経営では正しいが、新規事業では正しくない行動、思考パターン」に起因していることが多いからだ。

前章でも述べたが、新規事業と既存事業はまったく違うものであり、たとえるならば野球とサッカーくらい、方針や方法が異なる。

しかし、新規事業の経験が少ない企業は、その違いがわからずに悩み、悪戦苦闘し、新規事業に注ぎ込む大切なカネや時間をムダにしてしまっている。

したがって、まずは既存事業の枠組みにとらわれた「思考のクセ」や「姿勢」がいかに新規事業の成功を阻害するかを、より臨場感や手触り感をもって皆さんに理解・納得してもらうために、私がこれを身をもって体得したエピソードを、ストーリー仕立てで紹介しようと思う。時はバブル真っ盛り。いまの若者には想像がつかないかもしれないが、日経平均株価が当時のレートで3万8千円までいって、山手線の内側の土地を全部売ると、アメリカ全土が買えるような、ちょっと異常な時代であった。

異常な時代だから、何をしてもうまくいった。2回連続で失敗したとしても、次に3連勝すればよくて、それができた時代である。なぜなら、全員が上りのエスカレーターに乗っていたからだ。要するに、黙って立っていても上にあがる時代だったのである。

そのときに、たまたま運のめぐり合わせで、先輩がつくった学生ベンチャーに「お前も入れ」と入れてもらい、そこでいろいろな商売をするようになった。

最初の商売は、いわゆるパーティー屋だ。当時は若者が夜な夜な集まる有名な大型ディスコがあり、そこを借りきって学生に卸す。たとえば、50万円で仕入れたディスコを学生のサークルに70万円で卸せば20万円の儲けが出る。これを春と秋のパーティーシーズンを中心に、多いときには1日に50ハコ(=店舗)くらい卸したこともあった。

それだけの規模になると、1日の学生動員数が5千人にもおよび、マーケティングロ的の企業も巻き込んで、ビールやたばこのサンプリング、化粧品や旅行会社から協賛金を集めるようになった。

当時のディスコに来ていた学生は人一倍おしゃれや流行に敏感で、目立った存在だった。

いまでいうインフルエンサーのような影響力をもっていたので、そこをターゲットとしている企業に、「僕たちなら19歳、20歳のトレンドリーダーを一日で5千人集められます」と売り込み、マーケティング費の予算の中から協賛金を捻出してもらうというわけだ。

これは私が編み出した方法ではなくて、当時、すでにその仕組みは確立していて、先輩から「こうやってやるんだ」と教えられてやっていたに過ぎないが、時流を捉えていたことにより、4、5名の仲間だけで年商1億円という世界になった。

それが楽しくて楽しくて、日の前の事業にのめり込んでいくうちに、「失敗を怖れず一歩を踏み出す」「リスクを負って自由なことをする」という、新規事業にとって大切な習慣が身についたように思う。

たとえば、当時私たちの会社でバスを30台チャーターして、とあるスキー場の大規模ホテル2館を貸しきり、800人弱を送り込むスキーツアーをやったことがある。もし誰も来なかったら、それを被るのは私たちだ。だから絶対に満杯にしなくてはいけない。当然、そのために後輩たちをめちゃくちゃ動かす必要もある。

そのときに「誰を客にして」「何をやって」「いくら費用が掛かり」「最終的に手残りどれくらいなのか」ということを、全部自分のリスクとして何回も計算した。

改めて考えれば、これは立派な経営である。しかも、自分たちでハンコを押してフルリスクを負っている。なんでそんなリスキーなことを平気でチャレンジできたのかといえば、失敗してもすぐに取り返せると思っていたから。もっというと、失敗するなんてことは考えていなかったからだ。

また、キャッシュフローにも自然と関心がいくようになっていた。たとえば、某パソコン会社に学生を斡旋するビジネスを当時やっていたのだが、この案件では企業側の支払いサイトが長いことを考慮に入れなければならなかった。

ビジネスの流れはこうだ。まず、各大学の学食で女子学生に声を掛け、某パソコン会社がやっているパソコンスクールにどんどん送り込む。

彼女たちに「まだパソコンは普及してないけど、今後はぜったいに必要になるから習ったほうがいいよ」「僕たちがパソコンスクールを紹介するね」「授業料、安くするし、そのあと割のいいバイトも紹介するから元はすぐに取れるよ」と口説いて、習ってもらうのだ。

そうして彼女たちにパソコンの技術を身につけてもらった後、イベントコンパニオンとしてパソコンのショーに送り込み、パソコン会社からキックバックをもらう。彼女たちにとっては良い実入りになるし、我々としても元手のかからないオイシイ仕事なのだが、唯一の難点は企業側の支払いサイトがすごく長いことだった。

しかし、私たちはパーティーの売上により、十分な支払い余力があったため、企業側の支払いサイトを呑み込めたうえに、キックバックが入ってくる前に即金でイベントコンパニオンたちにアルバイト代を支払うことさえもできた。支払い条件が良いから、どんどん学生が集まってきて、キックバック収入も増えていった。

こうして、支払いサイトの違うビジネスを複数回すことで、会社全体のキャッシュの巡りを維持していた、というわけだ。

とはいえ、それらを過度なリスク思考で熟慮に熟慮を重ねたわけではなく、「まぁ、どうにかなるだろう」という、若千過度なポジティブ思考で片っ端から手を付けていった、という感じであった。先輩たちが先鞭をつけていて、「お前たちもやれ」「はい、やります」、そういう世界だったのだ。

一方、いまのようにインターネットの発達で情報が飛び交い、リスクも想像がつくようなアタマのいい若者だったら、やる前に躊躇するのではないかと思う。しかし当時の私たちは、

「べつに失敗しても、そのあとに成功すればいいじゃん」と考えていた。だから、軽やかに一歩を踏み出すことをためらわなかった。そして、何度もこれを繰り返すうちに、それが当たり前となっていったのである。

「人は考えたようにはならなくて、おこなったようになる」。これは30年の新規事業経験からつかんだ私のひとつの持論であるが、事業をおこなう上で重要なのは「はじめの一歩を踏み出す」ことだ。

実際に動き出してみると、思いのほか簡単かもしれない。逆に思ったより難しくて歯が立たないかもしれない。でも、いずれにしても実態を肌感覚で理解することができる、ということだ。自転車の乗り方は、妄想するより乗ってみればわかる、そんな感じだ。

同じ流れで、シミュレーションもほどほどにしないと、優秀な経営者ほど、考え続けて動けない人になってしまうこともある。たとえば、最近の傾向として、「医療・介護。ヘルスケアの新規事業を考えている」という相談をよく受ける。

「では、医療をやりましょう」と言うと、「人の命を扱うのは、もし何かあったら…」と言って、結局やらない。でも、何もしないわけにいかないから検討だけは続ける。自分たちの本業以外はよくわからないから″わからないお化けクが出没し、ただ「危ない、危ない」と言うのだ。

少し強めの表現になるが、「イザとなったらどうせやらないのに、検討しているフリだけは取り繕う」というムダでしかない時間が垂れ流されている惨状に出会うことが多い。挑戦するのかしないのかでいったら、挑戦する。これを遊ぶように体得できたという意味で、私の学生時代はすごくラッキーだったと思っている。

圧倒的なビジネスアイデア数でミスミに入社

こうして学生ベンチャーにのめり込んでいた私だったが、大学を卒業後は、機械工業系の専門商社ミスミに入社することとなる。

きっかけは、私たちの学生ベンチャーが、ミスミの新卒採用イベントの仕事を受託したことだ。イベントは、10年後にどんなビジネスがあるか、そのアイデアを競う「21世紀の起業家コンテスト」というものであった。

ミスミはその年から新卒一括採用を大幅に縮小し、中途採用に力を入れる方針をとっていた。そうした中で、面白い学生がいたらそのときだけ採用しようということで、イベント形式で学生の採用を図ったのである。

ちょうど大学4年生だった私はイベントの対象学年であり、応募資格があったので、「自社が受注したイベントだから、応募総数を増やして盛り上げなくては」という気持ちで、とにかく必死でアイデアを考えて応募した。

当時はそもそもパソコンが普及していないワープロの時代だったので、パワーポイントのキレイな資料をたくさんつくる必要もなく、応募は、ハガキにアイデアを書いて出せばいいだけだった。

なので、本当にものすごい量のアイデアを書いて書いて書きまくった。そうしたら、なんと私が優勝してしまったのだ。しかも、「該当作品なし、ただし該当者あり」というなんとも不思議な結果だった。

その意味は、当時、『面接の達人』という本が大ヒットしていた中谷彰宏さんの、審査委員長からの総括の中で明らかになった。

中谷さんが、「このコンテストは、応募は1人1通までなんてどこにも書いていないのに、1人を除いて全員1個しか応募していない。新規事業は多産多死なんだ。1分の1では成功しないのに、なんで全員1個なんだ?・一方、1人だけ複数応募して、その人が全体の1割を超えていた。こういう人がイノベーターなんだ」と、要するに事業アイデアの前に「起業家としての姿勢」を評価してくれたのだ。

本当は、応募総数を増やそうとたくさん応募したわけだから、それをイノベーターと言われるとちょっと気恥ずかしいものがあったが、それでも優勝できたことは嬉しかったし、なにより、ミスミ創業者の田口さんから「うちで働かないか」と声を掛けられたことが大きかった。このイベントがキッカケで、ミスミに入社するという運びになったからである。かくして、ミスミに入社した私に田口さんは、「君は新規事業だけをやるんだ」と言った。

本書冒頭で記した「わが国には、経理のプロや法務のプロはいる。弁護士が弁護がうまいのは、弁護ばかりやっているからだ。ひるがえって、わが国の新規事業をみると…」という、あのくだりである。

田口さんの言葉には不思議な説得力と情熱があった。その情熱にすっかりあてられた私は、「なるほど、たしかにそうだ」と、ミスミで新規事業に邁進することとなる。

しかし、ことはそう単純には進まなかった。ミスミでの私の新規事業人生は、大失敗からスタートすることとなったからだ。

【私が得た教訓】

o人は考えたようにはならない、おこなったようになる

新規事業は多産多死で不確実性の塊。

だから躊躇せず、今すぐ一歩目を踏み出そう。

・予習(シミュレーション)のしすぎに意味はない

机上でいくらシミュレーションしても、クわからないお化け″が出没するだけ。

・「やり方」の前に「あり方」

新規事業はテクニックの前に「起業家としての姿勢」が一番重要。

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