01変革は「D」から始めなさい
どん底での社長就任前章ではPDCAを回す手帳の使い方について述べましたが、本章では、もう少しマネジメントの視点、経営者の視点から、PDCAと手帳について考えていきたいと思います。
私が良品計画の社長に就任したのは、業績がどん底の2001年でした。
2000年2月末に、1万7350円だった株価は、2001年2月末には2750円まで下がりました。
時価総額が約4900億円あった会社が、1年間で約6分の1の約770億円に、つまり、約4100億円も会社の価値が下がってしまったのです。
私が社長になったのは、そんなときでした。
実行あるのみの日々PDCAは、「Plan」、つまり計画から始めるのが一般的ですが、私が社長になったときは、会社の危機ともいえる状況。
悠長に計画を立てる余裕などはありませんでした。
とにかく、立て直すためにできることからやる。
実行(Do、以下D)、あるのみです。
社長に就任するまでは、当時まだ新規ビジネスだったネット販売を手がけるMUJIネットの社長を任されており、営業の本筋には身を置いていない状態です。
良品計画全体を覆う業績不振の真の原因は、すぐにはわかりません。
実際に店舗に足を運ぶ機会も少なかったので現場がどういう状況なのかも、把握できていない状況でした。
したがって、私がまずやったことは、とにかく、すっかり遠のいていた「現場」に足を運ぶことでした。
これはすぐにやらなければならない……。
駆り立てられるような思いでした。
PDCAだからといって、律義に「P」から始める必要はなく、危機的な状況のときは、まずやれることをやる、つまり「D」から始めて、D→C→A→P→D→C……と、PDCAを回せばいいというのが私の考えです。
02最初の「D」で現場の声を拾う
なぜ一番に全国行脚に発ったのか?まず立て直しに当たって「全国行脚」を選んだわけですが、目的は視察と全国の店長との面談です。
北海道エリア、北日本エリア、東京西エリア、中京エリア、京滋北陸エリアなど、9つのブロックに分かれていましたので、ブロックごとに店長を集めて会社の状況を伝え、現場のリアルな話を聞きに行きました。
不振の原因は外部のライバルたち──ユニクロやニトリ、100円ショップやドラッグストア──によってもたらされたものではなく、自らの内部に問題がある。
たとえば、商品開発の方法が限界を迎え、お客様の期待に応えられる商品がつくれなくなっていること、官僚的な組織になっていて風通しが悪く、問題の本質にメスが入っていないなど、組織の現状や、赤字を止めるための処方等について話をしました。
ただ、この時点では正しく現状もわかっていませんから、漠然とした話になっていました。
したがって、何よりもまずは現場の現状について店長の話を聞くことが目的でした。
ここで大切なのは、単なる店舗視察で終わらせないということ。
社長や常務が来たからといって、いきなり現場の店長たちが本音で話をしてくれるわけがないのです。
なまじっか本音を漏らして、それがラインを伝って取締役会で報告される内容と違うと、後から上に立つ中間管理職にお灸をすえられるのは、現場の店長たちです。
いままで何度もそうやって痛い思いをしてきたのですから、急に心のうちを語ってくれるはずもないのです。
そこで、店を早めに切り上げてもらい、場所を変えて会社の現状を伝え店長たちの意見を聞き、一杯飲みながら話をしました。
いわゆる、飲みニケーションです。
最初は当たり障りのない話から始まるのですが、アルコールがほどよく入ってくるころから本音が飛び出してきます。
店長たちの本音の意見は、やはり本社で報告されていた内容とは違うこともあります。
たとえば、会社の状況と対応等の本質は正しく伝わっていませんでした。
マネジャーが正しく把握していないこともあったのですが、マネジャーの関心によって伝えることがバラバラだったためです。
そこで、店長会議には社長自らが出席し、直接店長たちに伝えることにしました。
もちろん、取締役会で報告される内容がウソだらけということではないのです。
ただ、100%真実でもないということです。
販売を担当するマネジャーは、自ら「できていない」という報告は絶対にしません。
できているように報告してきます。
しかしながら、現場の状況を正しく把握しないと経営判断を誤ってしまいます。
直接、店長に聞いて、営業会議等で本部を叱責すると、せっかく正直に現場の状況を報告してくれた店長が「チクったな」とあとでいじめられるのです。
したがって、その後、毎日店を回る監査室の人たちに報告してもらうように改めたのです。
現場に足を運んで得たものとは業績の悪化に伴って、本部は会議に次ぐ会議。
しかも数字もいいはずがありませんから暗い沈んだ空気が蔓延しています。
ところが現場、つまり店の風景や、そこで働く店長はじめスタッフたちは少し様子が違います。
「会社が危ないときだからこそ、自分たちががんばるんだ」そんな活気すらありました。
これはあとで知ったことですが、カネボウが破綻したときも現場の販売員の方々は元気があったそうですし、JALが破綻したときもキャビンアテンダントたちの活気は失われなかったそうです。
現場の第一線の人たちは、自分たちががんばることで会社を再生しようと明るく元気にお客さまに接しようとするのです。
良品計画もまた同様に、店長たちは明るく元気でした。
そんな店長たちに最初に会ったことで、私自身、元気と勇気をもらったことは間違いありません。
店長は日々お客さまに接し、お客さまに満足してもらうことを第一に考えています。
したがって、目の前にいるお客さまに全力かつ最優先で対応しています。
会社の危機への対応は、その後になります。
しかし、危機は認識していますから、さらにがんばってお客さま満足度を上げようとしてくれるのです。
目標とやるべきことがはっきりしているので元気だったのです。
現場に元気があることは再生への一筋の光明でした。
0338億円の不良在庫処分も小さな「D」
「大きな決断」も即断したわけ店舗をくまなく行脚し最初に気づいたのは、不良在庫の多さです。
2月ですから、すでに春物が店頭に並び始めているのですが、売場を奥へと進んでいくと、1年前、2年前の春物・秋物の売れ残りが大量に積まれている状態です。
セール品として処分を試みているわけですが、売場としてはやはり汚い。
現場は今年の春物を売る、あるいは、これから出てくる夏物を売るという状況にないのだと、すぐに気づきました。
そうなると、物流倉庫の様子も想像がつくというものです。
さっそく足を運んだ新潟の物流センターには、大きな段ボールに入った衣料品の不良在庫がビルの3階分くらいはある天井まで山のように積んでありました。
そんな倉庫が3つ、4つ……。
圧倒される量でした。
「これをどうにかしないと何も始まらない」そう考え、約38億円分、売価約100億円分の不良在庫の焼却処分を決め、新潟県小千谷市にある最新鋭の焼却炉に持ち込んで燃やしてもらったのが2001年3月の中旬のことでした。
後に、その量と金額の莫大さから、さも大きな「決断」のように語られることの多かった多額の不良在庫の焼却ですが、実のところ、その実行についてはまったく悩みませんでした。
なぜなら、論理的に考えて他に選択肢はなかったからです。
セール品にして価格を下げてもなかなか売れない商品が、倉庫に山積みされていたのですから、処分するしかありません。
寄付や埋め立て処分といった選択肢も検討しましたが、現実とすり合わせて論理的に考えると焼却処分しか選びようがないのです。
「燃やす」と決めたら、あとはその手配を粛々と行うだけです。
この不良在庫の焼却も、目の前のやるべきことをまずやるという「Do」でした。
金額としては確かに大きいですが、やると決めてしまえば、不良在庫の焼却自体はそれほど難しいことではなく、小さな「D」と同じでやるだけです。
04「C→A」が自動化する仕組み
経営改革プロジェクトの開始社長になって、まず、エリアごとに店長の本音を聞くとともに店舗を回ることで現場の把握に努め、不良在庫が店にも倉庫にもあることがわかったので、それらを焼却処分する……。
一連の「D」を終えて、ようやく次の段階の「C」が見えてきます。
なぜ、それほどまでに不良在庫が山のように積み上がってしまったのかを検証する必要があります。
そこで立ち上げたのが、「経営改革プロジェクト」です。
経営改革プロジェクトの目的は大きく2つ。
構造改革と商品開発改革でした。
現在のやり方を評価し、改革していく、つまり、「C→A」を行うのが目的です。
手帳を見ると、「経」と書いてあります(次の写真)。
そもそものスタートは2001年2月28日水曜日。
以後、役員や部門長の会議の予定がなく全員が揃うことのできる毎週水曜日の2~4時が経営改革プロジェクトの時間となりました。
出席するのは全役員と全部門長、約30人。
役員、役職者を集めるとなると、どうしてもこのくらいの人数になります。
大人数を集める分手間暇もかかります。
しかし、平等に情報を流すことと、決められたことを確実に実行することを考えると、この規模、陣容をここで一本にまとめておくのが一番効率がいいのです。
この後も、私はいろいろなプロジェクトや会議を立ち上げますが、基本的には全役員と全部門長を毎回必ず出席させるようにしていました。
経営改革プロジェクトでとりあげるテーマは、衣料品の立て直しや、生活雑貨をどうするのかなど。
その都度、いろいろな経営課題がテーマとして話し合われるわけですが、大事なのは毎週同じ曜日の同じ時間に実施すること。
定例の重要な会議の予定があると出席者たちは出張など、他の予定を入れられなくなります。
なぜなら経営改革プロジェクトは、改革のメインの舞台だからです。
全役員と全部門長が出席する必要があり、そのためには曜日と時間を決めてしまうのが一番です。
毎週水曜日の2~4時と決めておけば、手帳でスケジュール管理をしていない人でも忘れることはないでしょうし、別の予定を入れてしまうことも避けられます。
何より、経営改革プロジェクトが経営幹部の現在の仕事の中心であることを、社員全員に共有できます。
経営改革プロジェクトでは、現在のやり方(D)を評価(C)し、改善案(A)を決めます。
決まった改善案を日々のスケジュールに落とし込み、実際にやってみて、その結果をまた経営改革プロジェクトで評価し、改善していく。
この繰り返しと積み重ねが構造改革と商品開発改革の実現につながると考えていました。
PDCAの「C」「A」を行う会議を毎週必ず実施することで、PDCAが会社全体で自動的に回る仕組みにしたのです。
結局、この経営改革プロジェクトは、水曜日の午後は外に出たいという声を受けて火曜日の午後に時間を移し、3年間くらいやり続けることになります。
経営改革委員会は緊急時の対応が主ですから、その後は営業会議や業務標準化委員会、人材委員会など課題ごとの会議に移行していきました。
05「C」で、ダメな「D」をあぶりだす
一人ひとりはベストでも組織力につながらないわけ前項に続き、経営改革プロジェクトについて具体的な例を紹介しましょう。
衣料品のつくり過ぎをいかに防止するかが話し合われたときのことです。
婦人服は婦人服の担当者が商品管理を行い、紳士服は紳士服担当が、子供服は子供服担当が、というように、それぞれの担当者がそれぞれの商品管理を行っていました。
みな、表計算ソフトで管理シートをつくっているのは同じなのですが、そのフォーマットはバラバラ。
しかも、担当者が辞めてしまったので、昨年の実績がわからないというケースまでありました。
これもまた「個人主義」「経験主義」の弊害です。
一人ひとりはベストなものをつくっているつもりでも、組織としてのベストがなく、組織力になっていないのです。
経営改革プロジェクトでは、個々が表計算ソフトで管理シートをつくることを禁止し、衣料品だけでなく、生活雑貨も、食品も、全商品、同じフォーマットの帳票をつくることを決めます。
これでジャンルを超えて商品の売れ行きがわかりますし、比較もできます。
発売から3週間のところにフラグを立て、その段階で増産するのか、減産するのか、現状維持なのかを判断する仕組みにすることで、つくり過ぎを防止するように改善しました。
「何だ、その程度のことをやっていただけか」と思われた人もいるかもしれません。
そのとおりで、一つひとつの実行状況を把握し、評価し、改善するといっても、特別すごいやり方に変えることなどできないのが現実です。
変革や改革というと、現状を全否定し、一気にすべてのやり方を大幅に変えて、魔法のように組織を一変させるイメージがありますが、私は魔法使いではありませんし、何か特別な技術やアイデアを持っているわけでもありません。
ですから、できる範囲で、確実に良くなるように地道に変えていく、それを積み重ねていくことで改革を行うしかないと考えていました。
06「D」の先頭にはトップ自ら立つ
1年で1割の店を閉鎖する経営改革プロジェクトを行いながら、同時並行で進めたのが不採算店舗の閉鎖です。
会社の業績が悪いということは、店で商品が売れていないということです。
当然ながら、赤字の店がいくつもありました。
商品開発の方法を変えて、実際に商品が変わるまでには1年以上かかります。
それまで赤字を垂れ流すわけにはいきませんので、店舗の運営費用を何とか下げようと考え、私自身が先頭に立ち、役員全員で手分けして家賃の値下げ交渉にディベロッパーのもとへ足を運びました。
もちろん、通常運転時であれば担当者に任せるところですが、このときは状況が異なります。
非常時はトップが自ら動かないと、こうした難しい交渉は実を結びません。
店の大家にあたるルミネやアトレ、パルコ、イオン、イトーヨーカドーなどに家賃の値下げ交渉に行くのですが、多くで「もう家賃は下がっているんだ」と言われてしまいます。
というのも、変動家賃なので、売上が下がると家賃も下がる仕組みだったのです。
だから逆に、「もっと売上を伸ばして、家賃を上げてくれ」と言われる始末でした。
こちらは「下げてくれ」、相手は「上げてくれ」ですから、何回交渉しても話が噛み合いません。
そうなると、最後は、「それでは出ていってくれ」と言われてしまい、結論から言うと、1年間で店を1割閉めることになりました。
もちろん、こちらの無理を聞き入れてくれ、存続した店のほうが多かったのですが、どれも難しい交渉でした。
これも不採算店舗を1割閉鎖するという計画「P」を立ててから実行したのではありません。
とにかく赤字額を少しでも減らそうと、目の前の家賃の値下げ交渉を行うという「D」の結果、1割の店舗が閉鎖になったということです。
それを踏まえて、店舗の評価「C」を行い、新たな店の出店「A」へとPDCAを回していくことになります。
「膨張」ではなく「成長」のために大切なこと不採算店舗が多かったのは、無理な急拡大に原因がありました。
90年代後半、良品計画の業績は好調で株価も高かったのですが、セゾングループは風前の灯火でした。
そのセゾングループ再建の最後の原資が、ファミリーマートと良品計画の株式だったため、高株価政策をとらざるを得なかったのです。
株を買う投資家は、企業の成長性に注目します。
好業績の良品計画が、さらに新店を続々オープンすれば、それだけ売上も伸び、利益の増加も見込めるだろうと普通は考えますので、高株価を維持するために急激な新店計画が組まれました。
新店のウエイト構成比は、一般的には売上の4~5%なのですが、このときは40%、通常の10倍の出店攻勢が行われました。
急激にアクセルを踏んだわけです。
これは海外も同じで、ヨーロッパに5店舗しかなかったにもかかわらず、10倍の50店にするという無謀な方針が打ち出されます。
質のともなわない急拡大、いわゆる「膨張」ですから、新店は赤字の不採算店舗になっていきます。
経営で一番難しいのが、攻めるときです。
当時の良品計画のようにイケイケどんどんで攻めてしまうと痛い目を見ることが多いのです。
「膨張」ではない、質をともなった「成長」をするためには、巡航速度を超えるような急拡大は行ってはいけない。
これがこのときの教訓です。
ですから、私が社長となり業績回復したあとも、海外に100店舗つくれる状況であっても、50~60店舗に抑えました。
これは「成長させるときが一番難しい」ということが身に染みてわかっていたからです。
072回目、3回目の「C」「A」の持つ意味
あえてつらい焼却に担当者を立ち合わせるすでにお話ししたとおり、経営判断としては「小さなD」ではありましたが、38億円分の衣料品の不良在庫の焼却は一度ではとても終わらず、何回かに分けて行われました。
その何回目かに、衣料品のカテゴリーマネジャー(課長)とマーチャンダイザー(開発担当者)を全員、焼却炉に連れて行きました。
自分たちがつくった商品が売れずに焼却される。
時間をかけ、思いを込めてつくった商品が焼却炉に投げ入れられ、燃やされ、どんどん灰になっていくのを見るのは、もちろん私にとってもつらい経験でした。
ましてや、それらの商品をつくった当人であるマーチャンダイザーにとって、それがどんな体験だったのかは想像にかたくありません。
しかし、それが厳しい現実であり、この厳しい現実を自分たちの力で乗り越えていくしかない以上、マーチャンダイザーには、商品が燃やされるその現場を自分の目で見てもらう必要があると考えたのです。
後々のミーティングで、「とてもショックだった」と言う人もいました。
それはそうでしょう。
さぞや悔しかったことでしょう。
その悔しさを、次の商品づくりに活かしてほしかった。
しかし、実際には、さらに厳しい現実を突きつけられることになります。
1回の失敗ではなかなか学べない焼却処分によって一度はゼロになった不良在庫ですが、その後また増え始め、半年後の2002年2月には、また不良在庫の山になってしまったのです。
当時は、100の売上を上げるためには、欠品などを防ぐために150くらいの在庫を持つ必要がありました。
しかし、衣料品は売上が対前年比66%まで落ちていましたので、150マイナス66で84と、半分以上が売れ残りました。
たまった不良在庫は再び焼却処分です。
人は、1回の失敗だけではなかなか素直に学べないものです。
たとえ自分の見通しが甘かったとしても、「ゴールデンウイークに雨が多かったからだ」とか、「梅雨が長かったからだ」などと、さもそれらしい原因を外に見つけ、うまい言い訳をします。
たまたま運が悪かっただけだと考えてしまうのです。
そして、2回目の失敗を犯します。
ですが、2回失敗すると、さすがに言い訳ができなくなります。
ここでようやく失敗は自分のせいだと認め、何が悪かったのだろうかと原因を真剣に考えます。
問題の本質に気づくためには、人は2回失敗する必要があるのかもしれません。
PDCAにおいても、1回目の「C」「A」には、問題の本質に向き合う真剣さに欠けるところがあり、2回、3回と「C」「A」を行うことで問題の本質に気づき、その改善ができることが多々あります。
その意味でも、PDCAはサイクルとして何回も回し続けることが大切なのです。
08逆算して早期にスケジュールを決める
8月末の良品集会は6月から始まっている良品計画には年に2回、「良品集会」と呼ばれる半期の経営方針発表会がありました。
社長になった2001年の手帳(次の写真)を見ると、8月31日に良品集会を実施しています。
そして、翌日の9月1日、2日に合宿を開いています。
これから始まる下期の方針発表を各部門長が良品集会で行い、それを踏まえて、翌日からの合宿で、その実行スケジュールを具体的に決めていったのです。
この良品集会と合宿をセットで行うためには、準備のために、少なくとも1カ月以上前には実施を決めて、全役員と全部門長に知らせなくてはなりません。
しかもこのときは、下期から組織を変える必要がありました。
これまでの組織で結果が出ていない以上、組織を変え、各部門長を変える必要があったのです。
そう考えると、逆算して、7月末までに新しい組織と各部門長を決めなくてはならず、決めるのに約1カ月かかると見積もれば、7月に入ってすぐに新組織のための会議を行う必要があります。
7月はじめに会議を行うためには、参加者には少なくともその2週間前には連絡する必要があります。
こうした逆算したスケジュール管理も、手帳を見ながら行うことで、スタートで出遅れることがないよう、早め早めに行っていました。
このときも、余裕をもって、6月初旬には7月から新組織に関する会議を行う旨を関係者に通知し、準備をしてもらったと記憶しています。
このスタートが遅れてしまうと、時間に追われるスケジュールになります。
会議自体ももちろん大事ですが、同じくらい、その会議のための準備が大事になります。
いいかげんな準備で行われる会議では、いい結論も出ないのです。
09戦略的な会議の予定の組み方
一度で結論が出ないことを想定しておく経営改革プロジェクトや営業会議のような毎週行う会議や2週間に一度開かれる取締役会といった定期的な会議以外に、あるときまでに結論を出すために何度か開かれる会議というものがあります。
2章の08で紹介した新組織を決める会議も、このような性格の会議でした。
手帳を見ると(次の写真)、7月3日に「下期組織打合」と書いてあり、翌週10日にも「組織」とあります。
さらに翌週の18日に「取」とあるのは取締役会です。
3日は最初なので、1~5時と、長めに4時間を予定し、そこで決まらなかった案件は各自が持ち帰り、翌週また再検討する会議を1時間実施しています。
こうして決まった新組織案が翌週の取締役会にはかられ、決定しました。
何か大きな議題を話し合って決める場合、準備にある程度時間を割いていても、たいてい1回では決まりません。
8~9割は決まっても、残り1~2割の議論が紛糾してタイムアップになることが多いのです。
したがって、1回で決めきれないことをあらかじめ考慮に入れて、2回目の会議も予定しておきます。
ただ、議論が紛糾した点は、話し合いで解決することは少なく、最後は最高責任者が決断するしかありません。
だから時間は1時間あれば十分です。
このときは、9月1日から新組織で動き出すための合宿を行うには、7月までに新組織を決める必要があり、それは18日の取締役会となるから、そのための会議を2回開くとすると、というふうに考えてスケジュールを組んでいます。
会議と会議の間を1週間空けるのは、参加者が一度頭を冷やして冷静になるためにも、新たな準備をするためにも、それくらいの期間が必要だと考えてのことです。
何か大きな議題を話し合って決める場合、1回目は長めに時間をとり、参加者には言いたいことはすべて言ってもらい、決まらなかった点は来週に持ち越してもう一度話し合い、そのうえで社長である私が決めるというパターンをよく用いました。
「松井さんは一生懸命意見を聞いてくれるけれども、結論はなんか最初から決まっているみたいですね」こう言われることもありました。
それはまあ、そのとおりなのです。
事実をベースに論理的に考えれば、8~9割は誰が考えても同じ結論になります。
違う1~2割は立場の違いから生まれるもので、それぞれの部分最適の主張です。
社長は全体最適を考えますから、自分なりの結論は出ています。
ただそれを最初から押し付けると多くの人は反発します。
だから、みんなの意見を聞いたうえでトップが決断したというステップを踏むのです。
この一手間をかけることで、一種のガス抜きができるのです。
みんなの意見を聞く場を設けるのは、ガス抜きのためだけではありません。
最大の目的は、誰がどういうことを考えているのかを知ることです。
特に、新組織をつくるための人選の話し合いなどは、Aさんという一人の人を各部門長やマネジャーがどういうふうに見ているかがわかります。
Aさんという人のことを複眼的に見ることで、私一人では見えていなかったAさんの陰の部分まで知ることができると同時に、各部門長やマネジャーがどういうふうにメンバーを見ているのか、どういう考え方をしているのかもわかるのです。
人は基本的に正面しか見せません。
特に社長とコミュニケーションをとるときなどは、自分のいい部分しか見せないように努力するでしょう。
だから人選を見誤ることもあるのです。
営業会議などでも、話し合いを観察しているとそれぞれの見方や考え方が見えてきます。
コミュニケーション不足を補うためにも、会議を社員観察の場としても活用していました。
10「P」は発表しただけでは実行されない
自分の経営方針は自分でつくるPDCAの「DCA」について述べてきましたが、ようやく「Plan(以下P)」の話をすることができます。
私が社長になって最初の「P」らしい「P」をつくったのが2001年下期の経営方針でした。
西友時代は、社長の経営方針の原稿は実際は営業企画室の室長が書いていました。
社長はそれをベースに経営方針発表会に臨みます。
そのことを社員全員がうすうす知っていましたから誰も真剣に聞いていませんでした。
それではダメだと感じていた私は、自分の経営方針は自分でつくる、自分が話す原稿は自分でつくると決め、良品集会の直前1週間ぐらいは、経営方針の資料づくりに専念しました。
当時の手帳を見ると、毎日夜3~4時間をその作業に使っているのがわかります。
ここまで力を入れたのは、自分の言葉で語らないと社員には何も伝わらないと思っていたからです。
自分の言葉で語れば熱もこもりますし、何よりもわかりやすく伝えることができます。
わかりやすくないとコミュニケーションは成立しません。
そして、この2001年8月までの上期は、半期で初の赤字に転落したときでもありました。
年間を通して黒字にするためには下期が非常に重要になります。
そのための経営方針づくりだったため、並々ならぬ力をこめたのです。
良品集会の翌日からの合宿では、私の経営方針や新組織の各部門長の方針を日々のスケジュールに落とし込む作業を行いました。
前にも述べましたが、経営方針を発表するだけで、それが実行される組織などどこにもありません。
会議で話した方針など、1週間後にはみんな忘れています。
経営方針という「P」は、実行できるスケジュール計画という「P」に落とし込んではじめて実行されます。
実行したら評価を行い、改善策を考え、また実行できるスケジュール計画を立て、というふうにPDCAを回すことでしか、最終的に経営方針を実現することはできないのです。
半期ごとに経営方針を発表し、各部門長もそれぞれの部門の方針を発表する方針発表会を行う会社は多いと思います。
しかし、多くの会社は発表して終わり。
方針という「P」を、実行できるスケジュール計画という「P」に落とし込む作業が行われていないのではないでしょうか。
部門ごとに方針が発表されたら、その方針を実行できるスケジュール計画に落とし込む作業を合宿ですぐに行い、翌日から実行に移す。
あとは営業会議や経営企画会議、商品戦略会議、取引先集会など、定期的に開かれる会議でそれぞれの方針を確認し、それぞれの実行の進捗を追いかけ続けます。
「100%実行」となるまで追いかけることができれば、紙の計画だった方針もすべて実行できます。
会議は、「決めて実行するところ」です。
だから決めたことには必ずデッドラインを設定し、デッドラインまでに実行できたかどうかをまた会議で確認します。
日々、その繰り返しです。
結局、経営課題の解決は日々の行動を通してしか実現しないのです。
11半期の経営方針もPDCAで回し続ける
結果が出ないなか、ただただ進むために必要なこととは半期の経営方針がどれだけ実行できたかは、半期後に必ず判明しますので、それを必ず「Check(以下C)」します。
日々、PDCAを回しながら、定期的な会議でその進捗を追いかけ続けても、なかには達成できない方針もあります。
それについては、「なぜ達成できなかったのか」を考え(C)、翌半期の方針に改善した方針として加えます(A)。
こうすることで、一度出した方針はぶれることなく必ず実行されていきます。
方針が実現できる組織となり、実行力の高い組織となります。
しかし、半年や1年こうしたことをやったからといって、すぐに結果は出ません。
それでも、必ず結果に結びつくと信じてやるしかないのです。
みなさん、こうやって、結果が出ないなか、ただただ進んでいかなければならないとき、結局経営者に必要なのは、何だと思いますか?私は、責任意識だと考えています。
引き受けると決めたからには、見通しがあろうとなかろうと、何がなんでも結果を出すまで投げ出さない。
良品計画も、私が社長になって最初の2年間は、数字が復活することはありませんでした。
2001年度は、売上こそ増えたものの当期利益は1300万円と、黒字を確保するのがやっとでした。
前年度の当期利益、56億円から急落し、増収減益で終わりました。
増収だったのは、かろうじて新店出店を続けていたからです。
2001年度の結果を振り返り、2002年度、どのような方針を打ち出すか、考えました。
まず売上は減ることが予想できました、不採算店舗の閉鎖が続いており、新店出店も見直す必要があったので、減収は避けられません。
そうなると減収減益になる可能性が大です。
2002年度が減益になると、3期連続の減益となりますし、何よりも赤字になってしまいます。
これは絶対に避けたい。
そこで、「増益にする」と決めました。
減収減益では誰も元気になりませんが、減収増益なら、少し光が差し、またがんばれるはずです。
売上が伸びないなかで増益を実現する方法は一つしかありません。
それは、経費の削減です。
原材料や商品の仕入れ原価はもちろん、人件費、広告宣伝費、ありとあらゆる経費を削減する方針を打ち立てます。
これには多くの役員が反対しました。
「一度、膿を全部出してしまえ」と──。
しかし、膿を全部出してしまうと減益になって赤字にもなりかねません。
やはり、それでは良品計画の復活はおぼつかないと考え、このときは反対意見を押し切りました。
12夜の会食も戦略的に手帳に落とす
トップ同士の信頼関係で部下は仕事がやりやすくなる「会社は社長の器以上に大きくならない」良品計画の社長になって1年経つか経たないかの頃に気づいたことです。
まずは、ネットワークを広げるために、取引先の社長などとの夜の会食を積極的にスケジューリングしていきました。
取引先の社長と会食をすることで、やはり仕事はスムーズに進むようになります。
人間同士なので、トップ同士がつながるとお互いの情報も非常に入りやすくなりますし、何かあったときには、「ぜひ一緒に始めましょう」となりやすい。
トップ同士に信頼関係があると、部下は仕事がやりやすくなるのは間違いないでしょう。
また、他社の情報に接することで、「自社の常識は他社の非常識」ということに気づくこともあります。
自分たちでは当たり前だと思っていたことが、他社ではそうではないということに気づくことで、自分たちのやり方を見直すきっかけになります。
2002年になると、社外取締役を入れたいと考えるようになり、取引先ではない企業の社長の方々にアポイントを入れて会うようになります。
自分の器を少しでも大きくするためには、メンターが必要だと考えました。
こうしたネットワークづくり、人脈づくりも待ちの姿勢では広がりません。
手帳を見て、1週間にどれくらい会食の予定が入っているかを確認し、空いている週には、次々と戦略的にアポイントを入れていきます。
忙しい社長ほど、スケジュールは先になりますから、会いたい人に早く会うためには、早め早めに動き出すことが重要となります。
コラム悲惨だった株主総会での心救われる出会い
私が社長としてはじめて迎えた株主総会のことは、今でも思い出すことができます。
株価が6分の1に下がり、業績の回復の兆しも見えないときでしたから、株主からは強烈なバッシングの嵐でした。
そんななか、一番前の席に二十歳そこそこの女性の姿がありました。
珍しいなと思いながら見るともなく視線をやると、よく見知った顔でした。
それは、私が無印良品事業部長だった1995年、自転車事故でケガをした女性だったのです。
無印良品の自転車に不具合があり、そのために高校生だった彼女は顎を7針縫うケガをされました。
商品部と営業部を統括する責任者だった私は、すぐに自宅を訪問し、謝罪を行いました。
その後も、事故の原因の特定や再発防止策について報告するとともに、治療についての相談が続きました。
顔のケガですから、いかに傷跡が残らないように治療するかが一番の問題でした。
いろいろと調べた結果、警察病院の形成の技術が高いことがわかり、つてを頼って何とか治療してもらえるよう手配し、私も何度か同行しました。
成長過程でもあり、傷跡がどれほど残るかはわからず、残ったとしても傷跡を消す手術は20歳を過ぎてからのほうがいいだろうということになりました。
事故から4年後、すべての賠償などが終わり、示談書を取り交わしました。
この間、私の仕事と役職は次々と変わりましたが、この事故については私が一貫して対応しました。
一度決めたら最後までやりぬく。
この件はことさら手帳に書きとめたりしていませんが、本当に大切なやるべきこと(D)は、簡単に忘れたりしないものなのです。
そのときの彼女が、私が社長になってはじめての株主総会の一番前の席に座っていたのです。
おそらく良品計画の株を買ってくれたのでしょう。
そして、私が社長になったと耳にして、その姿を見に来てくれたのだと思います。
大変厳しい株主総会でしたが、自分がやってきたことは間違っていなかった、真摯に対応した誠意は必ず伝わるものだと実感した瞬間でもありました。
コメント