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1章売上ゼロでも生き残れる「無収入寿命」という考え方

1章売上ゼロでも生き残れる「無収入寿命」という考え方

1何事にも動じない盤石な会社に生まれ変わる

不況とは無縁の経営を行う3つの方法2020年4月7日、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、安倍晋三首相(当時)は、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に緊急事態宣言を発令した(4月16日に全国に対象拡大)。

小池百合子都知事は、休業要請の詳細を発表し、ナイトクラブやカラオケボックスなど幅広い業種に、休業や営業時間の短縮を求めた。

多くの会社が新型コロナによって苦しみ、倒れ始めていた。

2020年4月11日、私は、ツイッターに長めのツイートをした(一部趣旨を変えずに改変)。

「今回の不況が今までと違うのは消費市場で起きているということ。

過去の不況を振り返ると、80〜90年代のバブル崩壊は土地への過剰投資、ITバブルの崩壊はITへの過剰投資、リーマンショックはサブプライムローンへの過剰投資、いずれも投資市場から起きた。

経済活動は、本来BtoC(企業と消費者の取引)の消費市場が基本だ。

消費市場を支えるためにBtoB(企業間の取引)という投資市場が存在する。

世の中は消費市場だけでも成り立つが、投資市場だけでは成り立たない。

しかし、経済の仕組み上、消費市場とかけ離れて、投資市場だけが先行して成長することがある。

これが実態を伴わない経済発生の原理だ。

投資市場の価格が上がりすぎて、消費市場価格が『高すぎて買えない価格』になった段階でバブルに突入する。

それが続くと景気は上昇し、あるときに我に返ったように一気に落ち込む。

過去の土地バブル、ITバブル、サブプライムローンの崩壊は、このパターンだった。

だから予測できる。

投資市場はあくまで消費市場の補完市場であり、投資市場で上がりすぎた価格は、消費市場の実需の価格にまで落ちて完結する。

私は23歳のときに、このパターンに気づいた。

そのためバブル的な経済不況とは無縁のまま事業を行うことができた。

具体的に不況を避ける方法は3つある。

①消費市場で事業を行う②投資市場へ投資を行う場合、投資市場の相場で考えない。

消費市場に落とし込んで計算し、割高か割安かを判断する(たとえば、広告への投資の際、『他社相場のCPOはこれくらい。

もっと出すべきです』などという意見には一切耳を貸さない。

自分たちで適正価格を計算し、投資の有無を判断する→第5章で具体的なノウハウを紹介)③借入に頼らず、手元資金で事業を行う(投資市場の崩壊は巡り巡って、消費市場で事業を行う会社に影響を与える。

銀行から借入しにくくなる。

投資市場は10年に一回崩壊する。

それを想定し『借入しないと回らない』事業は行わない)自分も含め人間は愚かだ。

同じ失敗を繰り返す。

だからこそ経済は失敗を繰り返すことを前提に、会社を経営しなければならない。

今回のコロナ不況はこれまでと違い『消費市場』で起きた。

『消費者がモノやサービスを買わない(買えない)』ことで経済が回らなくなった。

前述した不況対策の①と②は機能しなかった。

しかし、③については、万能の不況対策であると痛感した。

光明はある。

消費者の実需が『消失』したわけではない。

『停滞』しているだけだ。

必ず復活するし、復活したときには反動で大きくなるかもしれない。

それがいつになるかはわからないが、耐えた企業は復活時にひとり勝ちする。

手元資金がある会社はすでに勝ち組路線にいる。

手元資金がない会社は手元資金がある会社の傘下に入ることで勝ち組路線に入るのも一手だ。

そしてそこで『勝ち組』のやり方を学ぶことだ。

なんとか耐え、借入に頼らず、自分の手元資金で回せるビジネスモデルを再構築することが大事だ。

どんな手を使ってでも生き抜こう。

そしてこの不況から学び、乗りきることで何事にも動じない盤石な会社、そして自分に生まれ変わるのだ」以上が私のツイートだった。

このツイートが大反響を巻き起こし、取材や講演依頼が殺到した。

売上ゼロでも現状維持できる「無収入寿命」とは経営者の最大の使命は会社をつぶさないこと。

企業は期間限定のものではない。

将来にわたって事業を継続し、発展していく。

これが「継続企業の前提(ゴーイングコンサーン=GoingConcern)」と呼ばれる考え方だ。

前述のようにコロナショックはこれまでの不況と違い、BtoC市場から起きた。

特殊なケースだが、商品が売れなくなるリスクは常にある。

私はそうした事態に常に備えてきた。

それは「無収入寿命」を長くすることだ。

無収入寿命とは、売上ゼロになっても経営の現状維持ができる期間を指す私の造語だ。

現状維持とは、減給などのコスト削減なしで全従業員の雇用を維持し、家賃の支払いができること。

無収入寿命は、簡単に言うと、借金などを差し引いた純粋な手元資金で、家賃や給料などの月額固定費を、何か月分賄えるかということだ(詳しい計算方法は後述)。

世の中の景気が悪くなったとき、社員から「社長、うちの会社、大丈夫ですか」と聞かれることがある。

そのとき私は、「1円の入金がなくても、24か月は全社員の給料を払えます。

家賃も払えます。

その間に新規事業を軌道に乗せましょう」と即答する。

そのために無収入寿命を正確に把握し、少しずつ無収入寿命をのばしていく。

「無収入寿命」をのばす4つの考え方では、どうしたら無収入寿命をのばすことができるか。

答えは次の4つだ。

1無収入寿命を何か月にするか目標を決める目標の目安になるのは、事業の立て直しにかかる期間。

会社が何らかの理由で売上ゼロになったとき、何か月あれば立て直せるか。

売上ゼロになった理由にもよるが、現在の事業が継続不能になったら、別の新規事業を立ち上げることになる。

想定する事業規模が小さければ短期間で復活できるが、大きければ長期間かかる。

このように何か月で立て直せるかを考え、無収入寿命の目標を決める。

当社の場合、「無収入寿命は24か月」と決めている。

2月次決算時に無収入寿命を算出する当社の場合、管理会計指標に「無収入寿命」という項目がある。

これを月次決算時に、幹部社員と共有している。

たとえば、月額固定費1000万円の会社が、無収入寿命の目標を「12か月」と定めたとする。

必要な純手元資金は1億2000万円だが、月次決算の結果、純手元資金は5000万円であることがわかった。

つまり、目標値に対し7000万円の不足だ。

これを幹部社員と共有し、純手元資金を増やす方法、すなわち利益を貯める方法を考えるのだ。

3純手元資金の目標額が貯まるまで、大きな投資をせずにコツコツ貯める多くの経営者は手元資金が少ないのにもかかわらず、次の投資に踏みきる。

そのため、純手元資金が貯まらない。

まずはコツコツ貯める。

売上を上げようとして、利益につながらない投資をするのが一番まずい。

第3章では、利益につながらない投資が一目でわかる「5段階利益管理」を紹介する。

4純手元資金の目標額が貯まったら、安心してチャレンジする経営者は、純手元資金のある・なしで、チャレンジするときの精神状態が変わる。

会社の血液(お金)が日々借金で回っている社長は、常に落ち着かない。

私は「売上ゼロになっても24か月は大丈夫」と無収入寿命を軸に経営しているので、常に精神状態は安定している。

松下式「ダム経営」と「無収入寿命」の関係無収入寿命の考え方は、家計を預かる人の立場で考えたら、当たり前のことだろう。

働き手が何らかの理由で失業してしまった。

突然、会社がつぶれてしまった。

こうしたアクシデントに備え、生活費を貯めているだろう。

4人家族の平均的な1か月分の生活費を家賃込で40万円程度とした場合、預貯金が400万円あれば、無収入寿命は「10か月」となる。

預貯金がほとんどない状態(無収入寿命が1か月など)なら、借金してまで住宅や自動車を買わないだろう。

だが、会社では平気でそれをやる。

多くの経営者は「売上を上げるには投資が必要」と思い込み、手元資金がないのに銀行などから借入をして設備投資をする。

家計では絶対やらないのに、経営でやってしまうのは、「経営にはカネがかかる」「投資が必要」という思い込みがあるからかもしれない。

また、多くの経営者は、在庫などの棚卸資産の適正処分ができない。

棚卸資産があると、損益計算書(P/L)上は儲かっているように見える。

儲かっているように見せないと、銀行から融資が受けられない。

そもそも銀行から借入しようと思わなければ、そうする必要もない。

悪循環なのだ。

手元資金がないのに借金して投資するのは、はたして「永続的経営」なのだろうか。

無収入寿命をのばすという考え方は、パナソニックの創業者・松下幸之助氏が言う「ダム経営」と同じだ。

松下氏はある講演でこう語った。

「好景気だからといって、流れのままに経営するのではなく、景気が悪くなるときに備えて資金を蓄える。

ダムが水を貯め、流量を安定させるような経営をすべきだ」(1965年2月の講演)聴衆の一人が、「ダム経営の大切さはわかるが、そのやり方がわからないから困っているんですよ」と尋ねた。

松下氏は、「まず、ダムをつくろうと思わんとあきまへんなあ」と答えた。

聴衆は落胆したり、顔を見合わせて苦笑したりした。

しかし、「これをやったから松下は大企業になったのだ」と気づき、実践した人がいた。

京セラ、第二電電(KDDI)を創業し、日本航空の経営を再建した、あの稲盛和夫氏だった。

無収入寿命を正確に算出する正確な無収入寿命は、貸借対照表(B/S)があれば、簡単に計算できる。

一度エクセルなどで計算表をつくり、経理担当者が数字を入れれば、自動的に正確な数字が算出できる。

無収入寿命の算出式は、次のようになる。

無収入寿命=純手元資金÷月額固定費(図表2の左側)

まず、「純手元資金」とは、純粋な手元資金と長期負債だ。

貸借対照表は大きく3つに分かれている。

「資産の部」「負債の部」「純資産の部」だ。

ここで注意すべきことは、貸借対照表の「流動資産」のトップにある「現金預金」には借金も含まれているので、純粋な「手元資金」=「純手元資金」とは言えないということだ。

また、「純資産」にも土地、建物など、すぐに現金化できない固定資産が含まれるので、「純手元資金」とは言えない。

商品在庫などの棚卸資産も売上が止まればすぐには現金化できない。

買掛金、短期借入金などの流動負債は返済義務がある。

よって固定資産、棚卸資産、流動負債も「純手元資金」とは言えない。

したがって「純手元資金」とは、「総資産」から「固定資産」「棚卸資産」「流動負債」の3つを引いたものとなる。

純手元資金=「総資産」-「固定資産」-「棚卸資産」-「流動負債」(図表2の右側)この「純手元資金」を、家賃、人件費、光熱費など売上ゼロでも毎月必ずかかるコストである「月額固定費」で割ると、無収入寿命が算出できる。

図表3の左側を見てほしい。

総資産(総資本)が5億6000万円の会社があったとする。

ここから固定資産(土地、建物、機械)3億6000万円、棚卸資産(在庫)3000万円、流動負債(買掛金、支払手形、短期借入金)7000万円を引く(図表3の右側)。

総資産5億6000万円-固定資産3億6000万円-棚卸資産3000万円-流動負債7000万円=純手元資金「1億円」よって純手元資金は1億円だとわかる。

次に月額固定費はどうだろう。

月額固定費とは家賃、人件費、光熱費など、売上ゼロでも毎月必ずかかるコスト。

この会社の月額固定費が1000万円とすると、純手元資金1億円÷月額固定費1000万円=無収入寿命「10か月」この結果、無収入寿命は10か月となった。

もし不況になり、社員から「うちの会社、大丈夫ですか?」と聞かれたら、「売上ゼロでも10か月間は全社員の給料は払える。

家賃も払える。

その間に対策を打とう」と答えられる。

無収入寿命目標を達成する裏技ある会社の月額固定費は1000万円、無収入寿命の目標は24か月だった。

よって必要な純手元資金は2億4000万円だが、現在の純手元資金は1億円で、目標まであと1億4000万円足りない。

そのためには会社を利益体質に変え、利益をプールしていくのが王道だ。

ただ、このとき目標を達成する裏技が一つある。

それは残りの1億4000万円を銀行から「長期借入金」で借りること。

そして大事なのは決して使わないことだ。

これから少しずつお話しするが、私は創業以来、手元資金だけで経営を行ってきた。

銀行借入は基本的にしていない。

だが、一回だけ銀行借入をしたことがある。

これは、目標とする無収入寿命を達成させるためだった。

当社の目標「無収入寿命24か月」に達していない時期に3億円を借り入れ、目標を達成した。

これにより純手元資金を増やし、そのままプールした。

そして毎月の利益をそのまま返済に充てた。

現在では返済も終え、すべて自己資金で無収入寿命24か月を維持している。

先ほどの会社の例で言えば、利益を積み上げて1億4000万円を貯めるのがベストだ。

しかし、貯まるまでには時間がかかる。

目標との差額である1億4000万円を、毎月利益を500万円ずつ貯めても28か月もかかる。

となると、28か月間、ずっと不安な日々を送ることになる。

そこで1億4000万円を借り入れ、一時的に目標を達成する。

そして毎月500万円ずつ利益から返し、28か月後に、この1億4000万円を自己資本に入れ替える。

これなら仮に28か月経過する前にアクシデントが発生しても、手元には無収入寿命を維持する資金がある。

もちろん借入には金利がかかるが、「安心代」と思えば安いものだ。

それほど私にとって、無収入寿命目標を達成させる優先順位は高い。

だからこそ、当社の管理会計指標に入っているのだ。

売上ゼロになっても、社員に給料を払い、家賃を払い、毎日安心して働ける状況を保つのは経営者の責務。

身の丈を超えた大きな投資をする前に、何があっても社員を守り抜く財務状況をつくる必要がある。

無収入寿命について経営者に話を聞くと、「1か月分しかない」と言う人がいる。

それでは売上ゼロになったら、即、つぶれてしまう。

経営にアクシデントはつきもの。

自社の過失だけでなく、災害や感染症の影響を受けることもある。

無収入寿命の目標を達成していれば、経営者の精神的な安定度合がまったく違ってくるのだ。

私は無収入寿命という考え方を創業1年目から持っていた。

現金ベースで経営していると、手元資金がないと、すぐにつぶれる。

もちろん、創業当初はなかなか利益が上がらず、手元資金はわずかだった。

それでも松下氏が言うように「ダムをつくろう」と意識し、手元資金を少しずつ増やしていた。

企業財務のアナリストの中には、「『北の達人』は現金預金が多い。

M&Aで他社を買収するのではないか」と思っていた人がいたが、「無収入寿命のため」とわかり、驚いていた。

ある銀行の営業マンから、「御社の貸借対照表を見ると、現金預金がプールされていますね」「剰余金がずいぶんありますね」などと指摘されることがある。

その後に、「現金預金がたくさんあるのは新しい方向性を模索していない証拠です」「もっとお金を活かさなくてはなりません。

こちらの証券を購入しませんか」「新しい会社を買ったらどうですか」「もっと設備投資をしましょう。

つきましてはこんな物件がありまして……」などとある意味、「上昇志向もどき」の提案をしてくる。

だからこそ、多くの経営者は売上志向になり、「現金預金がたまっているのは悪」のように感じるのだろう。

経営者の立場から言えば、会社のピンチを救うのは現金預金しかない。

キャッシュがあれば、赤字になったときに備え、どんなトラブルやアクシデントにも対処できる。

設備投資が必要なときにも現金で買える。

借金までして大型の設備投資をしたら、会社のアクシデント耐性が劇的に下がることを意識しておく必要がある。

2手持ち資金ゼロからの出発中3の公民の授業で習った会社のつくり方子どもの頃から経営者になることに憧れていた。

小学校低学年の頃、テレビアニメ『巨人の星』を見て、「花形満が金持ちなのは父親が自動車会社の社長だからだ」と知った。

だが当時は「社長になれるのは社長の子ども」、あるいは「会社に就職し出世すること」だと思っていた。

中3のとき、公民の授業で「会社は資本と労働力があれば誰でもつくれるので、自分で会社をつくって社長になるという方法がある」ことを知った。

衝撃だった。

帰宅して父にそのことを話した。

当然ながら父は知っていた。

私は「誰だって社長になりたいはず」と思い込んでいたので、知っているのに会社をつくっていない父は、「いつかつくろうと思いながら行動に移さなかったのだろう」と思った(実際は父にはそのような志向はなかった)。

「人はやろうと思いながら、やらなくなってしまうものだ。

夏休みの宿題もいつかやろうと思いながら最終日になってしまう。

やろうと思ったときに行動を始めなければダメなんだ」という意識が、そのときに芽生えた。

大学生になって本気でビジネスがしたいと思い、起業意識の高いメンバーが多くいた「株式会社リョーマ」という関西の学生企業に入った。

坂本龍馬へのリスペクトから名前を拝借したリョーマは、サークル情報や合宿免許情報を紹介する「サークルカタログ」で有名だった。

だが、それは仕事の一部で、私は大手広告代理店から回ってくる案件の企画書や提案書を作成していた。

毎日スーツを着て出社し、そこから授業に行き、終わったら再び会社に戻る生活をしていた。

当時、リョーマには20〜30人の大学生がいた。

現在、そのほとんどが経営者になっており、うち半分くらいは上場企業の経営者だ。

定期的に同窓会があり、そのたびによい刺激をもらっている。

リョーマ出身者には、大学を卒業したら自分で起業するか、株式会社リクルートなどの起業家輩出企業で修業した後に起業を目指すという2つの流れがあった。

私は一般企業で修業したいと考え、リクルートを選んだ。

当時はまだネットが普及していなかったが、近い将来デジタル化の波がきて、マルチメディアで世界中がつながることを想像していた。

これからはコンテンツ事業と通販事業がのびると考えていて、どちらの道に進むべきか思案し、リクルートでコンテンツビジネスを学ぶ道を選んだ。

ネット通販で起業した3つの理由リクルートに入社して5年経った頃、ネットが急速に普及し始めた。

よし!起業のタイミングがきたと思った。

私が最終的に、ネット通販を選択した理由は3つある。

1ネットビジネスであることインターネットの登場は、まさに明治維新級の革命だった。

バーチャル空間ができ、世の中の仕組みがリセットされる。

のし上がるには、まさに絶好のビジネスチャンスだと感じた。

2BtoCであることBtoCを選んだ理由は、景気の影響を受けにくいことだった。

リクルートでBtoBの営業をやっていたとき、「BtoBで動くのは、消費ではなく投資のお金」だと思った。

企業が求人広告を出すのはなぜか。

新たに人を採用し、その人材によってさらに儲けるため、つまり投資だ。

投資のお金は不況時には回らない。

どんなにすぐれた求人媒体をつくってもニーズがなければ売れない。

BtoBは景気の波をもろに受ける。

リクルートはバブル崩壊で、巨額の借金を抱え、ダイエーに買収された。

当時のダイエーは「セービング」というプライベートブランド(PB)をヒットさせていた。

BtoBではリターンが計算できないと投資しないが、BtoCでは「よいものさえつくれば売れる」ので景気の波を受けにくい。

3物販であること同じBtoCでも、ネット上で完結するコンテンツビジネスか、物販かという選択肢があったが後者にした。

創業当初の2000年頃は、ネットの利用が法律で規制される可能性もゼロではなかった。

また、技術が一変する可能性もあった。

その影響を受けないよう、マネタイズ部分はモノを介在させるほうが安全だと思った。

これなら急激な環境変化があっても、新聞やカタログなど他のメディア通販に置き換えることが可能だ。

なぜ、北海道の特産品を扱ったのかこうして2000年、北海道の特産品のネット通販である「北海道・しーおー・じぇいぴー」を大阪の自宅で立ち上げた(現在は他社へ事業譲渡)。

神戸生まれ、神戸育ちの私が、北海道の特産品を取り扱うことにした理由は3つある。

一つは純粋に「北海道が好きだ」ということ。

人気ドラマ『北の国から』の影響で、それまで20回くらい北海道を旅行していた。

北海道に関わる仕事なら一生続けられると思った。

もう一つは、北海道の特産品は他の都府県のそれに比べて圧倒的に強いことだ。

カニ、ウニ、メロン、イクラ、トウモロコシ、ジンギスカン、ハム、チーズ、ソーセージ、ラーメンなど種類も豊富。

他都府県の全特産品数より北海道の特産品のほうが多い。

アマゾン創業者のジェフ・ベゾスは取扱商品をいろいろ検討した結果、最終的に書籍をメインにした。

私も何かに特化しないといけないと考え、北海道の特産品を選んだ。

そしてもう一つは、アジアでの知名度が高いということだ。

将来的に海外に進出するにあたって北海道のイメージは、圧倒的な強みになると思った。

資本金1万円、PC1台でスタート

資本金1万円で合資会社をつくり、パソコン1台をフル回転させ、取引先を探した。

北海道の100社に個別に電話したが、「ネットでモノを買う人なんかいない」「実績のない会社には売れない」と、ほぼ門前払いだった。

当時はネット通販の成功例がなく、ネットで月に100万円売れたら「成功者」として本が書ける時代だった。

そんな中、奇跡的にアポが取れたので北海道に行って一社一社回り、「私は絶対成功します。

なぜなら成功するまでやめないからです」と宣言した。

結果、4社から卸してもらえることになった。

カニ、ハム・ソーセージ、乳製品、かまぼこなどの会社だった。

まず、自分で通販サイトをつくった。

お客様から注文をもらい、それを提携先にFAXでオーダーして、商品をお客様に直送してもらう。

お客様からの入金後に各社に支払う。

先入金なので資金がいらない。

この方法だと資金ゼロからでもスタートできた。

1年経つと月商100万円になった。

しかし、いろいろな経費がかかる。

最初の2年間は、自分自身は給料ゼロで実家暮らし。

数人のアルバイトに給料を払うと自分の給料は出せなかった。

取り込み詐欺で全財産喪失!起業して1年半が経った。

その頃になると、「北海道」「特産品」とネット検索すると、上位に表示されるようになり、他社から「うちにも卸してほしい」と話がくるようになった。

自社で製造しているわけではなく、北海道の会社から仕入れて全国のお客様に販売しているので、BtoBをしてもわずかな手数料が入るだけだ。

そもそもBtoBはやるつもりがなかったが、ここで欲が出てしまった。

ある会社から、「120万円分、仕入れたい」という注文を聞いて心が揺らいだ。

もちろん、取り込み詐欺の可能性は十分疑った。

登記簿謄本を取り寄せてみると、社歴は古く、昔からある会社だ。

相手先に足を運ぶと、社員も大勢いた。

疑うところはなかった。

品物はカニだった。

納品後にその会社に行ってみると、「今までいろんなところから仕入れたけど、君のところのカニが一番うまかった。

だからもう一回頼むわ」と言われ、有頂天になった。

さらに、「それにしても、この値段でちゃんと利益は取れているのか。

大丈夫か?」と私を気遣うそぶりを見せたので、「この人、いい人だ」と思い込んだ。

ところが、振込日に入金がなかった!急いでその会社へ行くと「倒産しました」という貼り紙があった。

「問合せはこちらの弁護士事務所まで」とあったのですぐ電話すると、「当事務所はこの案件をおります」と言うではないか。

なす術がなかった。

後でわかったことだが、取り込み詐欺のプロは、古い休眠会社を買い取り、社歴があるように見せるという。

その会社は横浜で創業していたが、創業時とは所在地も事業内容もまったく違っていた。

今思えば、いつでも引越ししやすい簡易な什器だったような気がする。

たくさんの段ボール箱が置いてあり、商品ジャンルはバラバラだった。

「無収入寿命0か月」と無一文からの再出発創業1年半、ようやく貯めた120万円がすっからかんになった。

偶然だが、詐欺に遭った金額と手持ち資金が同額だった。

120万円分のカニを仕入れ、180万円で売り、入金がなかった。

支払いをしなければならず、手元の現金120万円で支払い、持ち金はゼロになった。

周囲から心配されたが、私は意外とさばさばしていた。

「マイナスになったわけではない。

借金を抱えたわけでもない。

今から起業したことにしよう。

それに将来成功したときに、このエピソードは本を書くときや講演のネタとして使える」手元資金はゼロになったが、1年半の経験値、取引先、顧客リストもある。

経営をしていると、不況やトラブルに巻き込まれる。

これは100%間違いない。

会社が大きくなってから全資金を失ったら影響は甚大だが、この規模ならまだ巻き返せる。

長い目で見れば、この時点で経験できたのはラッキーだ。

無一文からの再出発。

無収入寿命は「0か月」だった。

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