プロローグ 幸福になる「働き方」
「本当に価値のある人生」を送るために
この国は今、「道しるべのない時代」を迎えています。
確かな指針を見出せない中にあって、少子高齢化や人口減少、地球環境問題など、過去に経験したことがない問題に直面し、人々の価値観そのものが、大きく揺らいでいるように見受けられるのです。
人生の中でもっとも多くの時間を費やす、「働く」ということに関する考え方、仕事に対する心構えも、その一つなのかもしれません。
「なぜ働くのか」「何のために働くのか」――多くの人が今、働くことの意義やその目的を見失っているようです。
日々の仕事を進めるための技術やマニュアルは、あふれるほど用意されているのに、働くということに込められた、根本的な価値を明らかにすることは、ないがしろにされてきました。
そのため、今、若い人たちの間で、労働を嫌い、厭い、できるだけ回避しようとする傾向が顕著になっています。
たとえば、「一生懸命働く」「必死に仕事をする」といったことを意味がないとか、格好悪いと冷笑する人さえ少なくありません。
そのため、株の取引などで「楽して儲ける」スタイルに憧れを抱く人や、ベンチャーを起業するにしても、上場で一攫千金を果たし、若くしてリタイアすることがゴールだという人も増えているようです。
一方、働くことを怖がる傾向も多く見られます。社会へ出て働くことは、自分の人間性を剥奪されてしまう苦役でしかない。だから、就職もせず、親の庇護のもと、ぶらぶらと過ごす。さもなくば目的もなく、アルバイトで食いつなぎながらイヤイヤ働く。
ニートやフリーターなどの増加は、労働に関する考え方、心構えの変化がもたらした、必然的な結果だと言えるのかもしれません。
働くことを「必要悪」ととらえる考え方も、さも常識であるかのようにささやかれるようになってしまいました。本当は働きたくない、しかし食べていくためには、やむを得ないから働く。だから、できるだけ楽に稼げればいい。
本当は、会社に縛られず、プライベートな時間を大切にして、自分の趣味に没頭していたい。そのような生き方は、豊かな時代環境を背景に、今や若い人の間に浸透してしまったようです。
このようにして、今多くの人が、「働くこと」の根源的な意味を見失い、「働くこと」そのものに、真正面から向き合っていないように思うのです。
私はそういう人たちに、「せっかくこの世に生を受けたにもかかわらず、果たして本当に価値ある人生であったのか」と問うてみたい。
いや、問うだけではなく、そのような若い人たちに、なんとしても、私の考える正しい「働き方」を教えてあげたいのです。
働くことの意義を理解し、一生懸命に働くことで、「幸福な人生」を送ることができることを――。
この本では、「働く」ということに関する私の考えと体験をお話しすることを通じて、労働が人生にもたらす、素晴らしい可能性について、ぜひ述べていきたいと考えています。
働くことは「万病に効く薬」
私は、働くことは「万病に効く薬」――あらゆる試練を克服し、人生を好転させていくことができる、妙薬(素晴らしい薬)だと思っています。
私たちの人生は、さまざまな苦難から成り立っています。自分が望んだり、招いたりしたわけでもないのに、思いもかけない不幸が次々に襲ってきます。
そのような苦難や不幸に翻弄されるとき、私たちは自らの運命を恨み、つい打ちひしがれそうになってしまうものです。
しかし、「働く」こと自体に、そのような過酷な運命を克服し、人生を明るく希望あふれるものにしていく、素晴らしい力が秘められているのです。
それは、私自身の人生を振り返ってみても、明らかです。私は若いときに、多くの挫折を経験しました。まず、中学の受験に失敗しました。そして、結核にかかり死線をさ迷うことになりました。病気を押して受けた再度の中学受験にも失敗しました。
そのうえ、戦災で家まで焼かれてしまいました。十歳代前半の幼心にも、自分のツキのなさに暗然とする思いでしたが、試練はその後も続きました。
大学への進学や就職活動も思うに任せなかったのです。志望大学の医学部の受験に失敗した後に、地元の大学の工学部に入学することになりました。
気を取り直し、猛勉強に励み、学校から太鼓判をいただいていたものの、大手企業への就職活動がことごとくうまくいきません。
やむなく先生の紹介で、京都にあった小さなガイシ(電線を支持し、絶縁するために、鉄塔や電柱などに取り付ける陶製の器具)製造会社に就職しました。
しかし、その会社は今にも潰れそうな赤字会社で、初任給が給料日に支払われず、「もう少し待ってくれ」と会社から言われる始末でした。
二十三歳の私は、人生の門出にあたり、「なぜ自分にはこんなに次々と、苦難や不幸が降りかかってくるのだろう。この先、自分の人生はどうなっていくのだろう――」と、暗澹たる思いにとらわれ、自らの運命を嘆いたものでした。
しかし、私は、そのような過酷な運命に彩られていたはずの人生を、たった一つのことで、大きく塗り替えることができたのです。
それは、私自身の考えを改め、ただ一生懸命に働くことでした。
すると不思議なことに、苦難や挫折の方向にしか回転していかなかった私の人生の歯車が、よい方向へと逆回転をし始めたのです。
そして、その後の私の人生は、自分自身でも信じられないほど、素晴らしく希望あふれるものへと変貌を遂げていきました。
読者のみなさんの中にも今、働く意義を理解しないまま仕事に就いて、悩み、傷つき、嘆いている方があるかもしれません。
そのような方には、「働く」ということは、試練を克服し、運命を好転させてくれる、まさに「万病に効く薬」なのだということを、ぜひ理解していただきたいと思います。
そして、今の自分の仕事に、もっと前向きに、できれば無我夢中になるまで打ち込んでみてください。そうすれば必ず、苦難や挫折を克服することができるばかりか、想像もしなかったような、新しい未来が開けてくるはずです。
本書を通じて、一人でも多くの方々が、「働く」ことの意義を理解され、幸福で素晴らしい人生を送っていただくことを心から祈ります。
1章「心を高める」ために働く ──なぜ働くのか
私たちは「自らの心」を高めるために、働く
何のために働くのか――。その理由を、「生活の糧を得るため」と考えている人がたくさんいます。食うがために必要な報酬を得ることこそが労働の価値であり、働くことの第一義であるというわけです。
もちろん、「生活の糧を得る」ことが、働くということの大切な理由の一つであることは間違いありません。ただ、私たちが一生懸命に働くのは、そのためだけではないはずです。
人間は、自らの心を高めるために働く――私はそう考えています。
「心を高める」ということは、お坊さんが厳しい修行に長年努めてもできないほど、たいへん難しいことなのですが、働くことには、それを成し遂げるだけの大きな力があるのです。
働くことの意義が、ここにあります。
日々、一生懸命に働くことには、私たちの心を鍛え、人間性を高めてくれる、素晴らしい作用があるのです。
以前に、ある宮大工の棟梁の話を、テレビのインタビュー番組で聞いて、感動したことがあります。
「木には命が宿っている。その命が語りかけてくる声に耳を傾けながら仕事をしなければならない」「樹齢千年の木を使うからには、千年の月日に耐えるような立派な仕事をしなければならない」――棟梁は、そのようにおっしゃっていました。
このような心に染み入るような言葉は、生涯を通じて、仕事と真正面から向き合い、努力を重ねてきた方でなければ、とても口にできるものではありません。
「大工の仕事を究める」ということは、ただ単に鉋をかけて「素晴らしい建物」をつくり上げる技術を磨くことをいうだけでなく、心を磨き、「素晴らしい人間性」をつくり上げることにもある――私は棟梁のお話から、このことを実感し、深い感銘を受けました。
その棟梁は、小学校を出てから七十有余歳に至るまで、ずっと宮大工として生涯を務めてこられた方のようでした。
その長い年月の間、一つの仕事をやり通すには、つらいことやしんどいこと、もう辞めたくなるような苦労もあったことでしょう。
その苦労を克服しつつ、一生懸命に仕事に励むことで、素晴らしい人格を育み、豊かで深みのある言葉を自分のものにされたのだと思うのです。
私は、この宮大工の棟梁のように、一生を一つの職業に捧げ、地道な労働を営々と重ねてきた人物に強く魅了されます。
ひたすら働き続けることを通じて、心を練り上げてきた人間だけが持つ、人格の重みや揺るぎない存在感――そういうものに接するたびに、私は働くという行為の尊さに改めて思いを馳せるのです。
そして同時に、将来を担うべき、現代を生きる若い人たちにも、仕事で努力することを厭わず、仕事で苦労することから逃げず、ただ素直な心で一生懸命に仕事に打ち込んでほしいと思うのです。
ときに、「いったい何のために働くのか」という自問が湧いてくるかもしれません。そういうときには、ただ一つのことを思い出していただきたい。
働くことは人間を鍛え、心を磨き、「人生において価値あるもの」をつかみ取るための尊くて、もっとも重要な行為であることを――。
働くことが「人をつくる」
「よく生きる」ためには、「よく働くこと」がもっとも大切なことです。それは、心を高め、人格を磨いてくれる「修行」であると言っても過言ではありません。
今から十年くらい前のことでしょうか、ドイツ領事の方と対談をさせていただいた折り、次のようなお話をお聞きしました。
「労働の意義は、業績の追求にのみあるのではなく、個人の内的完成にこそある」 働くということの最大の目的は、労働に従事する私たち自身の心を練磨し、人間性を高めることにある。
つまり、ただひたむきに、目の前の自分のなすべき仕事に打ち込み、精魂を込めて働く。そのことで、私たちは自らの内面を耕し、深く厚みのある人格をつくり上げることができると言われるのです。
「働くことが、人をつくる」――すなわち日々の仕事にしっかりと励むことによって、自己を確立し、人間的な完成に近づいていく。
そのような例は、古今東西を問わず、枚挙にいとまがありません。世の偉人伝をひもとくと、必ずそのような事実に行き当たります。
功成り名を遂げた誰もが、例外なく、努力を惜しまず、辛苦を重ねながら、自分のなすべき仕事に没頭しています。
そして、その果てしのない努力を通じて、偉大な功績を成し遂げるとともに、素晴らしい人間性をもまたわがものとしているのです。このような話もあります。
南太平洋・ニューブリテン島のある未開部族の村落では、「労働は美徳」という考え方があるそうです。
そこでは、「よく働くことが、よい心をつくる」「よき仕事は、よき心から生まれる」というシンプルな労働観を中心に生活が営まれているというのです。
その村落のおもな労働は、焼畑農業によるタロイモの栽培です。そこには「仕事は苦役」という概念がまったく存在しないのです。
村人たちが働くことを通じて目指すものは、「仕事の美的成就」と「人格の陶冶」、つまり、美しく仕事を仕上げること、そして、それを通じて人格を磨くことだと言います。
村人たちは、畑の配置、作物の出来ばえ、土の匂いといったものを評価し合うのだそうです。
たとえば、よい匂いのする畑は「豊穣」であり、悪い匂いのする畑は「不毛」であるといった具合です。このようにして、畑作を立派に仕上げた人は、村人全員からその「人格の高まり」について、高く評価されることになります。
つまり、労働の結果である畑や作物の出来ばえを通じて、その人間の人格の高さが判断されるのです。
畑仕事を立派に行なった人、すなわち「いい仕事」をした人は、人格的にも「高い人」であり、まさに「人格者」であるという評価を受けることになります。
彼らにとって、働くことは生活の糧を得る手段であると同時に、心を磨き、人間性を高める手段でもあるのです。
「いい仕事は、いい人間によってなされる」という、シンプルですが大切な労働観が、厳然と原始社会から生きているというわけです。
こういう話を聞くと、懸命に働かなければ生きていけない原始社会のほうが、労働の本来の意義を正しく理解しているように思えます。
一方、人類に近代文明をもたらした西洋の社会には、キリスト教の思想に端を発した、「労働は苦役である」という考え方が基本にあります。
聖書の冒頭にあるアダムとイブのエピソードを見ても、それは明らかです。人類の始祖である彼らは、神から禁じられていた木の実を食べたため、楽園であるエデンの園から追放されてしまいます。
楽園にいる間は働く必要はなかったわけですが、追放されたことで、食べ物にありつくためには苦しい思いをしながら働かなくてはならなくなったのです。
この有名な話には、人間はいわゆる「原罪」を償うために、労働という罰を与えられたとする、働くことに対する否定的なイメージや意識がつきまとっています。つまり、欧米の人にとっては、働くことはもともと苦痛に満ちた、忌むべき行為なのです。
そこから「仕事はなるべく短い時間にすませ、なるべく多くの報酬を得たほうがいい」とする、近代の労働観が生まれてきたようにも思えます。
しかし、日本にはもともと、そのような労働観はありませんでした。それどころか、働くことはたしかにつらいことも伴いますが、それ以上に、喜びや誇り、生きがいを与えてくれる、尊厳ある行為だと考えられてきたのです。
そのため、かつて日本人は、職業の別を問わず、朝から晩まで惜しみなく働き続けました。
たとえ日用品をつくる職人であろうとも、自分の技を磨き、素晴らしい日用品をつくることに、なんとも言えない誇らしい充実感のようなものを感じていたのです。
それは、働くことは、技を磨くのみならず、心を磨く修行でもあり、自己実現や人間形成に通じる「精進」の場であるとする、深みのある労働観、人生観を、多くの日本人が持っていたからと言ってもいいでしょう。
しかし近年、社会の西洋化に伴い、日本人の労働観も大きく変貌を遂げてしまいました。
それが、この章の冒頭で述べた、生活の糧を得るために働くという、いわば「労働」を必要悪ととらえる考え方です。
そのため、多くの日本人が、労働を単につらく苦しいだけのものとして、さらに忌み嫌うようになってしまったのです。
ど真剣に働く――「人生を好転させる」法
もちろん、かく言う私も、もともと働くことが好きだったわけではありません。ましてや働くことで遭遇する苦労などとんでもないと考えていました。
子どものころは、両親から「わけときの難儀は、買てでんせえ(若いときの苦労は買ってでもしなさい)」と鹿児島弁で諭されれば、「難儀など、売ってでんすな(苦労など、売ってでもするな)」と口答えするような、生意気な子どもでした。
働くことの苦労を通じて、自分という人間を磨くといった修身(道徳)臭い話は、今の多くの若い人たちと同様に、歯牙にもかけない少年であり、青年であったのです。
ところが、大学を卒業し就職した松風工業という京都にあるオンボロ会社は、そんな若者の甘い考えを打ち砕いてしまったのです。
もともと松風工業は、日本を代表するガイシメーカーの一つとして立派な会社だったのですが、私が入社したころはその面影もなく、給料の遅配など日常茶飯で、いつ潰れてもおかしくない会社でした。
おまけに、オーナー一族の内輪もめや、労働争議が絶えず、会社近くの商店に買い物に行くと、「あんた、たいへんなところによく来たな。あんな会社におったら、嫁も来よらんで」と店主から同情される始末でした。
そのため、私たち同期入社の者は、入社したそばから、「こんな会社はイヤだ。もっといい会社があるはずだ」と、そんなことばかり考えるようになり、寄ると触ると愚痴をこぼし合っていました。
不況のさなか、恩師の紹介でやっと入れてもらった会社です。本来であれば、「ありがたい」と感謝し、会社の悪口などとても言えた義理ではないはずです。
それなのに、若く未熟な私は、紹介してくださった方への恩義を忘れ、また自分たちがまだなんの成果も上げていないにもかかわらず、不平不満だけは一人前以上に抱えていたわけです。
そして、入社して一年もたたないうちに、同期入社の者は次々に会社を辞めていきました。
最後までオンボロ会社に残ることになってしまった私は、もう一人残った九州天草出身で京都大学出の俊才と相談して、自衛隊の幹部候補生学校の試験を受けることにしました。
結果は、二人とも合格。ただ、入学するには戸籍抄本が必要ということなので、鹿児島の実家に送付を頼んだところ、待てど暮らせど送ってきません。
結局、その同僚だけが幹部候補生学校に入学していきました。実家から戸籍抄本が送られてこないのには訳がありました。
後で知ったことですが、私の兄が、「苦労して大学まで進ませ、やっと先生の紹介で京都の会社に入れてもらったというのに、半年も辛抱し切れんとは情けないやつだ」と怒って、戸籍抄本を送ってくれなかったのです。
結果的に、私だけが、オンボロ会社に取り残されることになってしまったのです。私は一人、思い悩みました。会社を辞めて転職したからと言って、必ずしも新しい職場で成功するとは限りません。
「会社を辞めて人生がうまくいった」という人もいるかもしれませんが、「会社を辞めたために、かえって悲惨な人生を送ることになった」という人もいるはずです。
また、「会社に残って一生懸命にがんばったことが功を奏し、人生がうまくいった」という人もいるかもしれませんが、「会社に残ってがんばったけど、人生は思い通りにはならなかった」という人もいるはずです。
会社を辞めるのが正しいのか、会社に残ることが正しいのか――私はたいへん悩んだあげく、一つの決断をしました。
それが、「人生の転機」を呼び込むことになったのです。たった一人、オンボロ会社に取り残されるまで追い詰められて、目がやっと覚めたのです。
「会社を辞めるには、何か大義名分のような確かな理由がなければダメだ。漠然とした不満から辞めたのでは、きっと人生はうまくいかなくなるだろう」ということに、私は思い至ったのです。
そしてそのとき、会社を辞める確固たる理由も見あたらなかった私は、まずは「働くこと」に打ち込んでみようと決意したのです。
愚痴を口にし、不満を抱くことをやめて、ともかく目の前にある自分の仕事に集中し、心底没頭してみようと、腹をくくり腰を据えて、はじめて「働くこと」と真正面から本気で格闘してみることにしたのです。
それからというもの、私はまさに「ど」がつくほど真剣に働き続けました。その会社では、最先端のファインセラミックスの研究を担当していましたが、研究室に鍋釜を持ち込んで、寝泊りしながら、それこそ四六時中、研究に打ち込んだものです。
三度の食事もろくに摂らず、昼夜を分かたず実験に打ち込む。その「ど真剣」な仕事ぶりは、端から見れば、壮絶なものだったようです。もちろん、最先端の研究ですから、ただ単に馬車馬のように働けばいいわけではありません。
ファインセラミックスに関する最新の論文が掲載されているアメリカの専門誌を取り寄せ、辞書片手に読み進めていったり、図書館で借りた専門書をひもといたりするなど、仕事が終わった夜や休みの日も勉強を重ねていきました。
そうするうちに、不思議なことが起こり始めました。
大学で有機化学を専攻し、就職のため、無機化学をにわか勉強しただけの、弱冠二十歳代前半の若僧の研究なのに、次第に素晴らしい実験結果が出るようになってきたのです。
同時に、当初抱いていた、「会社を辞めたい」「自分の人生はどうなっていくのだろう」といった、悩みや迷いがウソのように消えていきました。
それどころか、「仕事がおもしろくて仕方がない」とまで感じられるようになってきたのです。そうすれば、苦労を苦労と思わず、ますます「ど真剣に」働くようになって、周囲からさらに高い評価をいただけるようになっていきました。
それまで苦難や挫折続きであった私の人生に、思いもかけず、好循環が生まれるようになったのです。そして、私の人生において、最初の大きな「成功」が訪れたのです。
神様が知恵を授けてくれる瞬間
入社して一年ほどたった、二十四歳のときでした。私は当時、フォルステライトと呼ばれる、新しい材料の研究開発にあたっていました。
フォルステライトとは、絶縁抵抗が高く、とくに高周波域での特性に優れているファインセラミックス材料のことです。
そのころ主流であったステアタイトに比べて、当時爆発的に普及し始めた、テレビのブラウン管に使う絶縁材料としては、より適していると言われていました。
しかし、合成に成功した例がなく、私にとっても会社にとっても、このフォルステライトの研究開発は、まさにチャレンジングなテーマでした。
そのため、大した設備もない中、連日連夜、それこそ徹夜続きで開発実験を続けても、なかなか思うような結果が出ません。
私はもがき苦しみながら、自分をギリギリのところまで追い込み、昼夜を問わず実験を続けていました。そして、どうにか合成を成功させることができたのです。
後にわかったことですが、当時、このフォルステライトの合成に成功したのは、私以外には、アメリカの G E(ゼネラル・エレクトリック)だけでした。
それだけに、私の開発したフォルステライトは大いに注目を集めました。
この高周波特性に優れたフォルステライトを材料として、最初に製品開発に取り組んだのが、松下電器産業(現パナソニック)グループの中でブラウン管の製造などを担当していた松下電子工業(当時)から受注した、「 U字ケルシマ」という絶縁部品でした。
ちょうどそのころは、日本の家庭にブラウン管式のテレビが普及し始めた時期で、その電子銃の絶縁部品である U字ケルシマの材料として、私が開発したフォルステライトが打ってつけだったのです。
この U字ケルシマの開発で一番苦労したのは、原料であるフォルステライト粉末の成形でした。さらさらの粉末では、形をつくることはできません。
うどんやそばをつくるのと同じように、粘りけのある「つなぎ」が必要になるのです。従来は、粘土をつなぎとして使っていましたが、それではどうしても不純物が混ざってしまいます。
来る日も来る日も、私はこの「つなぎの問題」をどうクリアするか、考えあぐねていました。そんなある日、思いもかけないことが起きたのです。
その日、私は懸案の「つなぎの問題」を考えながら、実験室を歩いていたところ、何かに蹴躓いて転びそうになりました。思わず足元を見ると、実験で使うパラフィンワックスが靴にべっとりとついているのです。
「誰だ!こんなところにワックスを置いたのは!」と叫びそうになった、まさにその瞬間です。「これだ!」 私はひらめきました。
早速、手製の鍋にファインセラミックス原料と、そのパラフィンワックスを入れて、熱を加えながらかき混ぜて原料をつくり、型に入れて成形してみたところ、見事に形をつくることに成功しました。
さらには、それを高温の炉に入れて焼くと、つなぎのパラフィンワックスはすべて燃え尽きてしまうので、完成品の U字ケルシマには不純物がまったく残っていません。
あれだけ悩み抜いた懸案が、一気に解決していったのです。今思い返してみても「神の啓示」としかたとえようのない瞬間でした。
もちろん、実際に解決策がひらめいたのは私自身です。しかし、それは一生懸命に仕事に打ち込み、苦しみ抜いている私の姿を見た神様が憐れみ、憐れみ、知恵を授けてくれた、そう表現するしかできないように思うのです。
私は、そんな経験をいく度も積んできたために、その後、ことあるごとに社員をつかまえては、「神様が手を差し伸べたくなるほどに、一途に仕事に打ち込め。そうすれば、どんな困難な局面でも、きっと神の助けがあり、成功することができる」と、よく話したものです。
私が開発した U字ケルシマはその後、テレビのブラウン管の製造に欠かせない部品として、松下電子工業から大量の発注を受け、傾きかけた会社を救う起死回生の商品として、全社の期待を一身に集めることになりました。
このときの技術、実績が、その後の京セラ発展の礎となったと言っても過言ではありません。
また、この「最初の成功体験」によって、私は苦難の中にあっても、懸命に働くことが、素晴らしい運命をもたらすということを、幸いなことに実感することができました。
「あいつは、かわいそうだ」――。人間というのは、周囲からこう言われるくらい不幸な境遇に、一度は置かれたほうがいいのかもしれません。
ちょうど冬の寒さが厳しければ厳しいほど、桜が美しい花を咲かせるのと同じように、悩みや苦しみを体験しなければ、人は大きく伸びないし、本当の幸福をつかむことができないのでしょう。
私の場合も、人生において経験してきた、数え切れないくらいたくさんの苦労や挫折は、ちょうどオセロの石が一気に黒から白に返るかのように、後にすべて成功の土台となってくれました。
今、振り返ると、過去に苦しいと思えたことが、後になっていい結果を招いていることに気づかされるのです。そう考えれば、人生における苦難や挫折、それこそが私の人生の起点であり、最大の「幸運」であったのかもしれません。
たとえば、私が赤字続きの松風工業に入社し、同期の中でただ一人取り残されたとき、「稲盛君はかわいそうだ。
大学の成績もよかったし、よく勉強もしていたのに、あんなボロ会社でくすぶっている。運のない男だ。この先、彼の人生はどうなっていくのだろう」――友人たちは、そんな同情とも揶揄ともつかない言葉で、私のことを評していました。
私自身、同僚たちが自分の才覚で進路を開いていったのに比べて、自分だけが行くあてもなく、たった一人でさえない会社にくすぶり続ける他はない――この絶望感に心を押し潰されていました。
しかし、今にして思えば、この不運、試練こそが、私に仕事に打ち込むことを教え、そのことを通じ、人生を好転させてくれたという意味では、神様が与えてくれた最高の贈り物だったのです。
逆境にあっても、愚直に懸命に働き続けたことが、今の私のすべてをつくる基礎となってくれたのです。
もし、苦難や挫折を知らず、有名校に入学し、大企業に就職していたら、私の人生はまったく異なったものになっていたでしょう。
順境なら「よし」。逆境なら「なおよし」――。
自分の環境、境遇を前向きにとらえ、いかなるときでも、努力を重ね、懸命に働き続けることが大切なのです。
一見不幸なように見えて、じつは幸せなこと
懸命に働くことが、想像もできないほど、素晴らしい未来を人生にもたらしてくれるということを頭でいくら理解しても、もともと人間は、働くことが嫌いです。「仕事は嫌いだ」「できれば働きたくない」という気持ちが、どうしても頭をもたげてきます。
それは、元来人間が放っておけば易きに流れ、できることなら苦労など避けてでも通り過ぎてしまいたいと考えてしまう生き物だからです。
そのような本能に根ざした、安楽を求める習性のようなものは、戦前戦中時代に育った私などにとっても、また現代という豊かで平和な時代を謳歌する若者にとっても、基本的に変わりはないように思います。
今と昔が大きく異なるのは、かつて私たちの時代には、イヤイヤながらでも働かざるを得ないような状況があったということかもしれません。
私が青年時代を過ごしたころの日本は、今よりもはるかに厳しい社会環境にあって、好むと好まざるとにかかわらず、一生懸命に働かなくては、とても食べていくことさえできませんでした。
また、今のように、自分の好きな仕事、自分の適性に合った職場を求めるなどということも難しいことでした。
職のえり好みなどせず、無条件に親の仕事を継ぐか、働けるところがあれば、どんな仕事であれ従事するのが当たり前でした。
さらに一度就職した会社を簡単に辞めるようなことも、社会通念上からはけっしてよしとされていませんでした。
つまり、働くこと、働き続けるということは、本人の意思とは無関係に存在する、一種の社会的要請、あるいは義務であり、そこに個人の裁量や思惑が働く余地は、ほとんど存在しなかったのです。
そのようなことは、今の時代と比較して、一見不幸なように見えて、じつは幸せなことだったのかもしれません。
なぜなら、いやおうなく働き続けることで、誰もが知らず知らずのうちに、人生から「万病に効く薬」を得ていたからです。
すなわち、イヤイヤながらでも必死に働くことを通じて、弱い心を鍛え、人間性を高め、幸福な人生を生きるきっかけをつかむことができていたのです。
まず働くことが大切
現在は、平和で豊かな時代となり、仕事を強要されることがなくなってしまいました。
そのような現代において、懸命に働くことをせず、怠惰に生きることが、人生に何をもたらすのかということを、改めて真剣に考えるべきです。
たとえば、あなたが宝くじに当たって、一生、遊んで暮らせるだけの大金が手に入ったとしましょう。
しかし、その幸運が本当の幸福をもたらしてくれるものではないことに、必ず気づくはずです。目標もなく、働くこともせず毎日遊んで暮らせる。
そのような自堕落な生活を長年続ければ、人間として成長することもできないどころか、きっと人間としての性根を腐らせてしまうことでしょう。
そうすれば、家族や友人などとの人間関係にも悪い影響を与えることでしょうし、人生で生きがいややりがいを見つけることも難しくなると思います。
安楽が心地よいのは、その前提として、労働があるからに他なりません。毎日、一生懸命に働き、その努力が報われるからこそ、人生の時間がより楽しく貴重に感じられるのです。
懸命に働いていると、その先に密やかな喜びや楽しみが潜んでいる。
ちょうど長い夜が終わり、夜明けのときが訪れるように、喜びや幸福が苦労の向こうから姿を現してくる、それが労働を通じた人生の姿というものなのです。
今から四十年近く前、京セラがはじめて、株式上場を果たしたときのことです。
それまでの懸命な努力が社会から認められたこと、また徒手空拳で創業した会社が、一流企業の仲間入りができたことで、私はまさに感無量の思いに浸っていました。
すると、「資産もできたことでしょうから、ここらで一息入れて、これからは趣味や余暇にも楽しみを見つけられたらどうですか?」と、遊んで暮らす気楽な人生をすすめてくれる人がいました。
たしかに、最近のベンチャー企業の経営者の中には、才覚を活かし事業を伸ばして、早期に株式上場を果たし、自分の持株を市場に売り出して、巨万の富を手にする人がいます。
そして、三十歳代や四十歳代にもかかわらず、仕事からリタイアをすることを考えるのです。
私は京セラを上場したとき、自分の持株を一株も売却することなく、新規に株式を発行して、その売却益はすべて会社に入るようにしました。
また、当時私は三十歳代後半を迎えていましたが、上場を機に「これまで以上にひたむきに働こう」と思ったものです。
なぜなら、上場したからには、それまでのように社員やその家族のことばかりではなく、一般の投資家の方々の幸せまでも考えなければならなくなるからです。
「一息入れる」どころか、責任がより大きく、より重くなったわけです。
つまり、上場はゴールではなく、あくまでも新たなスタート地点であり、企業はその後もさらに発展していかなければなりません。
だからこそ、私は上場のとき、「創業のときの初心に返って、さらに社員と一緒に汗みどろ、粉まみれになって、がんばろう!」――そのように社員に説き、また自分自身、決意を新たにしたことを今もよく覚えています。
「愚直に、真面目に、地道に、誠実に」働け
人が易きにつき、おごり高ぶるようになってしまいがちなのは、人間が煩悩に満ちた生き物であるからです。
そのような人間が、心を高めていこうとするときに大切なのが、悪しき心を抑えることです。人間の煩悩は、百八つもあると言われています。
中でも「欲望」「怒り」「愚痴」の三つは、卑しい心、つまり人間を苦しめる煩悩の最たるもので、心にからみついて離れず、取り払おうとしてもなかなか拭い去ることはできません。
お釈迦様は、この三つを「三毒」と呼ばれ、人間を誤った行動に導く諸悪の根源だとされています。
「人よりも多くの金銭を手にしたい」「人よりも高く評価されたい」――このような「欲望」は誰の心にも潜んでいて、それがかなわないとなると、人は「怒り」を覚え、「なぜ思った通りにならないのか」と「愚痴」や「不平不満」をこぼすようになる。
人間とは、つねにこの三毒に振り回されて生きている、因果な生き物なのです。生きていくうえで、この三毒をまったくゼロにすることは不可能なことです。
なぜなら、三毒は、肉体を持った人間が生きていくためにはどうしても必要な心だからです。人間が生物として生きていくうえで必要だからと、自然が本能として与えてくれたものなのです。
たとえば、自分という存在を守り、維持していくためには、食欲をはじめとする「欲望」や、自分を攻撃する者への「怒り」、さらには自分が思うような状態でないことに対する「不満」などを払拭することはできません。
しかし、それが過剰になってはいけないのです。
だからこそ、三毒を完全に除去できないまでも、まずはその毒素を薄めるように努めていかなければならないのです。そのための唯一無二の方法と言っていいのが、一生懸命に「働くこと」なのです。
自分に与えられた仕事に、愚直に、真面目に、地道に、誠実に取り組み続けることで、自然と欲望を抑えることができます。
夢中になって仕事に打ち込むことにより、怒りを鎮め、愚痴を慎むこともできるのです。また、そのように日々努めていくことで、自分の人間性も少しずつ向上させていくことができるのです。
その意味では、「働くこと」は、修行に似ています。
実際に、お釈迦様が悟りに至る修行として定めた「六波羅蜜」という六つの修行がありますが、その一つである「精進」とは、まさに懸命に働くことなのです。ひたむきに自分の仕事に打ち込み、精魂込めて、倦まずたゆまず努力を重ねていくこと。
それがそのまま人格練磨のための「修行」となって、私たちの心を磨き、人間を成長させてくれるのです。
そして、そのように「心を高める」ことを通じてこそ、私たちはそれぞれの人生を深く値打ちあるものにすることができるのです。
反省ある毎日を送る
人生では、心を高めていこうとしても、言うは易く行なうは難しで、実践することはけっして簡単ではありません。
悲しいかな、人間とはいくら善いことを思い、善いことを行なおうと思っても、ついつい至らぬことをしてしまうものです。よほどの聖人君子でなければ、善い考え、善い行ないを貫けるものではありません。それは、かく言う私も同様です。
ともすれば悪い心にとらわれがちな自分を戒めるために、私はいつのころからか、一つの自戒の儀式を自分に課しています。
おごり高ぶり、慢心、そういう悪い思いが、自分の中で頭をもたげてきたときには、すぐに反省の機会を持つように、若いころから努めているのです。
たとえば、少しいばったようなことや、調子のいいことを言ってしまったとき、また自分の努力が足らなかったときなどには、夜遅くホテルや家に帰ってから、あるいは翌朝目覚めてから、洗面所の鏡に向かい、「バカモンが」 と、自分を厳しく叱りつけるのです。
すると続いて、「神様、ごめんなさい」 という反省の言葉が口をついて出てきてしまうのです。こうやって自省自戒をして、明日からはまた謙虚な姿勢で、やり直そうと心に言い聞かせる。そういう習慣がいつのまにか身についてしまっているのです。
この習慣が、軌道修正の役割を果たし、私の人生は今まで、大きく逸脱することはなかったのです。大事なことは、善きことを思い、善きことをしようと努めながらも、もし悪いことを思い、悪いことをしてしまったなら、謙虚に反省をすることです。
反省することでこそ、人は少しずつでも向上することができるのです。今日、自分がやったことを素直に反省し、明日からやり直そうと心に誓う。
そんな反省のある毎日を送ってこそ、私たちは仕事において失敗を回避できるだけでなく、人生において心を高めていくことができるのです。
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