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1章 質問は人生を変える

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はじめに質問は現状を大きく変える力子どものころ、学校の授業中に、先生に「ここまでで質問のある人はいるか?」と聞かれたことはありませんか。

そう言われたものの、クラスの誰一人手を挙げない。

不審に思った先生から「本当に分かったのか?じゃあ、○○。説明してみろ」と、なぜか指されてしまい、実はあまり理解していないため、「分かりません」とか細い声を絞り出して下を向いてしまった……。

これは、日本の学校ではよくある光景です。

もしかしたら、あなたにもそんな経験があるかもしれません。

あるいは大人になって、新入社員として入社した会社で研修を受けているとき。

熱心にメモを取りながら聞いていますが、初めて聞く言葉もあるだけに、すべてが理解できたとは言えません。

「ここまでで質問はないか?」先輩に聞かれたものの、あとで確認すればいいと思っていたので、「いいえ、大丈夫です」と答えてしまった。

研修が終わって、自分一人で仕事をすることになって、実際にやってみたら、分からないことばかり……。

慌てて先輩に「〇〇についてなんですけど、もう一度説明してくれませんか?」と頼んだら、「お前、この前『大丈夫』って言っていたじゃないか。聞いていなかったのか!」と怒られてしまう。

こんな経験をした人もいるかもしれません。

日本人は質問するのが苦手です。質問することを怖がります。なぜなら質問することは「自分は理解できていない」と白状するようなものだから。

あるいは初歩的なことを聞いて、「アイツはあんなことも知らないのか」とバカにされるのがイヤだから。

いずれにしても、他人の視線を気にするあまり、質問すること自体をためらいます。

あなたにもそんな傾向はありますか?安心してください。

この本は、そんなあなたのための本です。

質問することで自分自身を成長させ、脳の可能性を最大限に引き出すための本です。

なにか分からないことがあるとき、自分が知らないことがあるときに、人に聞く。

質問には、自分の弱さをさらけ出してしまうイメージがあります。

しかし、実は、頭がいい人ほど質問をします。「これが分からない」と言えてしまう。

質問は、頭の悪さを証明するものではありませんどんなに頭のいい人にでも、分からないことはあります。

誰もが自分の中にモヤモヤを抱えています。そのモヤモヤは、悪いものではありません。

人それぞれ中身は違って、「大学に進学するかそれとも就職するべきかどうか」という悩みだったり、セールスで「相手はどんな商品・サービスを望んでいるのだろうか」という迷いだったり、「私はこの人と結婚してもいいのだろうか」というためらいだったりします。

そのモヤモヤを解消するために、自分あるいは他人にするのが、質問です。

「どうしたらいいだろうか?」自分自身、あるいは他人にそう問うことで、前に進むきっかけや現状を大きく変えるヒントを得ることができます。

質問とは、自分の置かれた現状や自分自身を大きく変える力です。

「今と同じでいい」と現状維持を望み、「お金がない」「いい人に巡り会えない」と、ただ不満を言う人から生まれるものではありません。

今よりももっとうまくなりたい。まだ知らないものに出合いたい。今よりも社会をよくしていきたい……。

「そのためには、どうしたらいいだろうか?」と考えて、現状を打破して前に進んでいこうとする人から生まれ出てきます。

質問は、人生をポジティブにするものです。

文句を言っているだけではものごとは動かないので、「これが今、分からない」「できない」と正直に認め、質問することによって前に進んでいきます。

ただし、質問にも、いいものと悪いものとがあります。

悪い質問をしていると、自分自身の現状を維持することに尽きて、なんの変化ももたらしません。

一方、いい質問は、自分自身だけでなく周りの人をも変化させる力を持ちます。

世界が少しでもいいほうへ向かうように考えるクセが頭の中についていきます。

この本では、あなたを大きく変えていく質問や、その具体的な方法についてお話ししていきます。

大胆に言えば、質問によって、自分自身を変える、自分の環境を変える、ひいては世界を変えることを目指しています。

ここであなたに質問があります。

あなたは今、どんなモヤモヤを抱えていますか。

あなたがどんなモヤモヤを抱えているかは、私には分かりません。

またその解決の方法も人それぞれです。

それでもこの本には、それを解決するヒントがたくさん散りばめられています。

読み終えたとき、あなたに「やれることはいっぱいある!」と、自分でそのモヤモヤを解消できる力がみなぎっていてほしい。

自分自身にブレイクスルーを興してほしい。

それが、著者としての私の願いです。

それでは、早速、始めましょう。

茂木健一郎

<モヤモヤを抱えがちな人>

  • 世の中には「正解」があると思って、必死に探そうとする
  • 自分が知らないことは誰かに「教えてもらえばいい」と思っている
  • 常に完璧を目指している
  • 失敗すること、間違うことを恐れる
  • 与えられた問題を誰よりも早く解決しようする
  • 自分自身のことをよく分かっていない
  • 常識やルールなど他人がつくった基準を守ろうとする
  • 納得できないことにも「仕方ない」とあきらめる
  • 自分と考えが違う人を「どうしてあの人は……」と反発して受け入れない

<モヤモヤを解消できる人>

  • 世の中には「正解」がないと気づいて行動する
  • 自分が知らないことでも「どういうことだろうか」と考え続ける
  • 自分にできるベストを目指す
  • 失敗すること、間違うことを恐れない
  • 問題を自分で見つけて解決しようする
  • 自分自身のことをよく分かっている
  • 常識やルールなど他人がつくった基準に縛られない
  • 納得できないことにも「どうすればいいか」と考えてあきらめない
  • 自分と考えが違う人を「こういう人もいる」と冷静な分析をする

思いついたアイデアをすぐやってみるなぜ日本人は質問が下手なのか世の中には正解はない頭のいい人は自分に質問する科学的真実は絶対ではない質問力は誰でも鍛えられる自分の頭で考える

1章質問は人生を変える 最高の結果を引き出す質問力

目次

いい質問ができる人はどういう人か

自分の人生をよりよくしていくには、どうしたらいいでしょうか。問題のない人生を送っている人は誰一人としていないはずです。

みなさんは、その「問題」にどのように向き合っていますか。具体的に解決しようとなにか試みるでしょうか。友人に不満を漏らして、憂さ晴らしをするでしょうか。それとも、見ないふりをするでしょうか。

私がおススメするのは、問題をあいまいなままにするのではなく、きちんと問題提起をして、自分が解決できる問題に書き換えることです。これができる人は、幸せな人生を送ることができます。

その方法を詳しく説明していきましょう。

1980年代に放映された、イギリスの政治を描いた傑作コメディ『YesMinister』の中に、こんな印象的な場面があります。

退任間近のある官僚が、後輩に、「自分の後任には誰がいいか」と相談している最中、こんなことを言います。

「後任者は、カギとなる質問ができる人でなければならない」その後輩は、話を「そうですねえ」と聞いています。

彼は話がなんとなく途切れたタイミングで、突然こんなことを質問します。

「ところであなたは退任した後、どんな仕事がしたいのですか?」イギリスにも、日本と同様、天下りというものがあって、後輩は、その世話をしようと言うのです。

この質問を聞いた途端、その先輩官僚は、「話は戻るけれど、やはり自分の後任には、君が一番いいと思う」と決めてしまいました。

》カギとなる質問とはなにか

「後任者は、カギとなる質問ができる人でなければならない」先輩が言った後、たとえば、候補に挙がっている人たちの噂話、それぞれの人の持つ思想信条など、後任選択に直接に関係のありそうな話題を出してもよかったはずなのに、その後輩は、相手に配慮した質問をしました。

みなさんは「政治にかかわる人事で、自分の身の安全を真っ先に考慮するなんてけしからん!」と思うかもしれません。

しかし、彼の質問は、実際に人間はどんなことで動くのかという、深い心理を見抜いた質問になっています。

だからこそ一撃で先輩官僚を動かしてしまうのです。

これはコメディですから、「自分の身の安全を提供してくれることが、『カギ』だった!」という人間風刺になっているのですが、イギリスでは、伝統的にモヤモヤした状況を一気に解決に向かって動かすような質問が出せる人が「頭がいい」と考えられ、重んじられています。

問題を提起できる人が偉い

数学の世界には、フェルマーの最終定理と呼ばれる、長い間証明されないでいた超難題がありました。

「3以上の自然数nについてX+Y=Zを満たす(X、Y、Z)は存在しないのではないか?」今この内容が分からなくても大丈夫です。

この質問を出したのは、ピエール・ド・フェルマーという17世紀のフランスの数学者ですが、1994年になってアンドリュー・ワイルズというイギリスの数学者が、この質問が正しいことを数学的に証明しました。

みなさんは、問題提起をしたフェルマーと、証明をしたワイルズのどちらのほうが偉いと思いますか?どちらもおそろしく頭がいいことは間違いないのですが……。

フェルマーは、「この問題を証明する驚くべき簡単な方法を見つけたけれども、それはこの余白に書くには狭すぎる」と紙に書き込んだだけで、証明はしていません。

ワイルズは、証明するのに、「谷山・志村予想」や、「楕円関数論」などという、ものすごく高等な数学を使っています。

残念ながら、ワイルズのそんな苦労にもかかわらず、数学史でより偉いとされているのは、フェルマーのほうです。

このように世界には、「問題を解いた人」よりも「問題提起をした人」のほうが偉いという認識が、確かにあります。日本はもしかするとその逆で、「与えられた問題をなるべく早く解ける人」が偉いと思っているところがあるのではないでしょうか。

イノベーションを興す質問

アメリカのインターネット関連会社グーグルが、2016年現在取り組んでいるプロジェクトの一つに、「プロジェクト・ルーン」があります。

彼らが抱いている質問は、こういうものです。

「地球上のどの地点でも高速インターネットを使えるようにするには、どうしたらいいだろうか?」もしわれわれが、外出先でスマートフォン以外に、インターネットを使う必要が生じたら、無線の通っているところを探して使おうとするのではないでしょうか。

「ホテルなら使える」「スターバックスなら登録すれば使える」「あの店なら、この駅なら」と自分が移動することを考えます。

少しくらい面倒でも、昔に比べたらはるかに便利だし、「ありがたい」と満足してしまいます。

私たちはなんとなく現状に満足したら、質問することをやめてしまいます。

ところが、グーグルは満足しませんでした。

「なぜいちいち自分が移動しなくてはならないのか?」「なぜ不便を我慢しなければならないのか?」「どこでもインターネットにつながる世界をつくるためにはどうしたらいいのか?」そう質問していきました。

地球上のどんな場所でもインターネットにつながる世界がつくれたら、まったく違う世界になるはずです。

もし山の中で使えたら、遭難者を減らすことができるでしょう。

病院のないアフリカの砂漠で病気になっても、インターネットにつながっていれば、自分で原因や対処法を調べられるかもしれません。

こうした新しい世界が見えるからこそ、彼らは、現状に満足しないで具体的に「地球上のどの地点でも高速インターネットを使えるようにするにはどうしたら

今の日本人にとって、問題の提案をするのは別の頭の使い方をしなければならないので、確かに面倒くさいかもしれません。

しかし、それが自分たちを窮屈にしてきたのではないでしょうか。

他人が求めることに答えるだけで、自分にとってもっと快適な生き方があるはずなのに、それを探ってこなかったからです。

グーグルもフェデックスも、出された問題を解くのではなく、自分たちで問題をつくり質問をすることで解いています。

繰り返しますが、世界には「問題を解いた人より問題を提起した人のほうが偉い」という考え方があります。

私たちは、与えられた問題で100点を取ることを目指して一生懸命やってきましたが、今やグーグルやフェデックスのように、学校でも仕事場でも家庭でも、自ら問題をつくって、質問をして解いていっていいのです。

これからは、「与えられた質問に答える」努力をするのではなく、「そもそも質問をしないという態度を脱却する」努力が必要なのかもしれません。

自分の問題を解くために、質問をしていく必要があります。

質問とは、思考停止を脱却することです。

一般に、100点満点の状態が世界のどこかにあると思っている人は、残念ながら、質問力が低いと言えます。

》日本人が英語を話せないワケ

英語の勉強を例に取りましょう。「こうしたら、英語ができるようになる」という正解などあるのでしょうか。

日本人は、間違うのが怖くて、なかなか英語をしゃべろうとしない人が多いと言われます。

私たちは「主語が3人称のheやsheならば、動詞に三単現のsやesがついていないと間違いだ」などという文法上のこまごまとしたことを学ばないと、「英語はできるようにならない」と中学・高校で教え込まれています。

しかしながら、6年間学んでも、日本人は英語が話せるようになっていません。

それならば、この方法が「正解」ではないはずです。

そもそも「これが正解」という英語など存在しません。

ネイティブ・スピーカーの間でも、Aさんの話す英語と、Bさんの話す英語は違います。

英語のプロ中のプロ、劇作家ウィリアム・シェイクスピアになると、語彙も違えば、使い方も違う。

「誰もが同じ正しい英語をしゃべっていて、それをしゃべらなければならない」そういう考え方は間違いです。

本当は、「英語」といっても無限の種類があります。それなのに、日本では正解の決まったテストばかりして競っています。

マッキントッシュ・コンピュータ、アイ・フォーンという独創的な商品を次々に生み出してきた、アメリカ企業アップルには「Think Different(人と違うように考えろ)」という有名なスローガンがあります。

そのスローガンのもと、アップルは、アルベルト・アインシュタイン、パブロ・ピカソ、マリア・カラス、マハトマ・ガンジーといった、各界の異才たちの画像を使って、「いかれた人たちに乾杯。違った見方でものごとを見る、そういう人たちを応援しているのが私たちの会社だ」というCMをつくりました。

こんなにカッコいいスローガンに対して、日本の英語のテストならば「『Think Differently』じゃなきゃ間違いだ」とケチをつけるところでしょう。

「Think different」は英語ネイティブのスティーブ・ジョブズが生み出した言葉ですが、文法的には間違いなのでしょう。

しかし、あえて形容詞を副詞にする「ly」をつけずにおくことで、「自分たちは違うんだ」という気持ちがより伝わるような気がします。

これは「正しさ」ではなくて、「感覚」です。言葉とは「正しさ」でなく、それぞれの「感覚」で話すものです。

「こういうふうに言ったほうがもっと伝わるのではないか?」そういう質問をして、文法にとらわれない、けれども確実に伝わる英語をつくり出す工夫をしていいのです。

世の中には正解はないあなたは、たいていの問題について、「こうしたらいい」「こうすべきだ」ということが決まっていると思ってはいないでしょうか。

まだ自分が知らないだけで、正しいことは決まっているから、誰かにそれを教えてもらえればいいと思っていませんか?実は、この世の中で、われわれが遭遇する問題のほとんどに正解はありません。

それなのに、みんな「こうすべきだ」ということがあるように感じています。

人の決めた「こうすべきだ」という考えばかりを大切にしていくと、自分でカギとなる質問を提出して工夫することを忘れてしまいます。

人生の大事なことについては、人に聞いたり、多くの人の意見に合わせたりすることがいいように思うかもしれませんが、「誰かがすべて解決してくれると考える」のは大間違いです。それは、自分で考えることを放棄していることにほかなりません。

「30歳までに結婚しなければならない」「いい企業に入るためにはいい大学に入らなければならない」「仕事ができる人に見えるためには、こんな服装をしなければならない」われわれは知らず知らずにこうしたルールを「正解」だと思い込んでいます。

しかし、絶対安泰だという結婚も企業もありません。それにいい大学とは、本当に偏差値の高い大学のことでしょうか。

私には子どものころから夢中になってきたことがあって、その能力をこそ大学受験で見てほしかったと思っています。

それは、蝶の観察で、50歳を超えた今日まで一度も興味を失ったことがありません。

私の人格形成にこれほど影響していることはないのに、たとえば蝶の種類を聞いてくる日本の大学入試は存在しませんでした。

国語、数学、英語、物理、化学、英語、世界史、日本史……。

そういうペーパーテストで測られる「偏差値」で、その後、どんな会社に入れるかまで決まる世界は「正解」ですか?そうではない世界も考えられるし、実際にアメリカには「偏差値入試」は存在しません。

日本で生きていくならば、当面この状況に従うしかないところもあるのかもしれません。

私はこの現状を変えたくて、今までツイッターなどさまざまな媒体で、「偏差値入試反対」を唱えてきたのですが、変えることができていません。

その意味では、私自身、まだこの問題についてカギとなる質問が出せていないのです。

頭のいい人は自分に質問する

思い出すのは、私の高校時代の畏友、和仁陽のことです。彼は、私が今までに会った人の中で一番賢い人です。

私の学年のセンター試験(当時の名称は「共通一次試験」)では、全国1位の成績をとっていました。その彼でさえ、日本の入試には苦しんで、ある日こんな姿を見かけました。

高校から帰る途中、駅で本を読んでいるのを見かけたので、声をかけました。

「何を読んでいるんだい?」「入試の勉強が大変で、帰りの間くらいこういう本を読まないと、精神のバランスが保てないんだ」

彼が見せてくれたのは、エリザベス1世の伝記。しかも英語の原書でした。

「し、しぶい……!」ナポレオンのような有名人ならともかく、日本では知っても知らなくても人生においてなんら影響しそうにない人物の伝記です。

私には、「センター入試1位」よりも、「エリザベス1世の伝記」を読んでいたことのほうが、よほど和仁という人物の個性を表しているように思えました。

偏差値入試は正解なんかではないけれど、なかなかそれを変えるのは大変です。

世界は変えられなくても、自分の人生を楽しくする工夫はできます。

和仁は、登下校という空き時間だけ、自分の好きな本を読むことで、自分自身を保っていたのです。

一応「正解」とされていることがあっても、「これがすべてではない」と知っていることは大事です。頭のいい人ほど、「絶対の正解はない」ことを知っていて、質問をたくさんしていきます。

それは「こうしなさい」という答えをもらうためではなくて、自分で問題を明確にして、行動をつくり出すためです。

和仁が導き出したのは、「常に決められた勉強だけをしなければならないのが苦しい」から、「せめて移動の時間にはほかにできることがあるのではないか?」という質問です。

こんな小さな提案が、この世界での自分の居心地を格段によくしていきます。

頭のいい人はこういう小さな工夫を繰り返しているからこそ、他人が考えた工夫もバカにしません。

誰もがのびのびと生きられるように、自分で小さな努力をしていくことが頭のよさなのだと、私は思います。

》他人の答えをもらわない

世界中にファンの多い、イギリスの小説家ダグラス・アダムスのSF小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』には、こんな話が出てきます。

「生命、宇宙、そして万物についての究極の質問の答え」を計算するためのスーパーコンピューターをある宇宙人がつくったので、このコンピューターがなんという答えを出すのか、誰もが固唾を吞んで見守っています。

自分たちを超えた存在だからこそ、その答えが気になっているわけです。

そのコンピューターが、750万年という時間をかけて計算して出した答えは、「42」。

「生命、宇宙、そして万物についての究極の質問の答え」は「42」だそうです(笑)。

「どういう意味なんだ!!」思わずずっこけてしまいそうですが、やはり誰にも意味が分かりません。

また「42」が「究極の質問の答え」であることを、ギリギリ吞み込んだとしても、「その質問自体はなんだったのか」というと、誰も知りません。

「ただ答えが42」というのは、われわれ人間の豊かな営みをまったく無視して、一方的に不条理を突きつけているという意味で、逆に本当のことが書かれているような気もしてきます。

みなさんは、「究極の質問の答えは42」について、どう受け取るでしょうか?42は極端な例かもしれませんが、他人からなにかの答えをもらったとしても、「え?なにそれ?どういうこと?」と自分が考えていくしかないことは、なにについても本当のことです。

科学的真実は絶対ではないみなさんは、科学であれば、絶対の正解を教えてくれるはずだと思ってはいませんか?私は家のベランダに植木鉢を置いています。

その植木にアゲハチョウの幼虫がいたので、さなぎになる日を楽しみにしていました。

ところが、ある日幼虫がいなくなっていて、気づくと別の植木にさなぎがついていました。

「ひょっとして、幼虫はさなぎになるときに移動するものなのだろうか?」そんな質問が湧いて、たまたま動物行動学者の故日高敏隆さんにお会いする機会があったので、尋ねてみました。

「そうです。移動します。でも、その理由は分かっていません」日高さんは、屈託なく言います。

素朴な疑問だったのですが、これは専門家にも分からない難問のようでした。

考えてみると、「さなぎになるときに移動する」という事実に気づくこと自体、意外と難しいものです。

幼虫がいなくなったのは鳥に食べられたのかもしれないし、別の植木についていたのは、別の個体だったのかもしれません。

本当に移動することを証明しようとしたら、番号かなにかを幼虫につけなければなりません。もっとも、さなぎに変わったらその番号がとれてしまう可能性もあります。

たとえ「本当に移動する」と証明できたとしても、「なぜ移動する必要があるのだろうか」と考えを進めてみると、仮説はいくつでも立てられます。

「移動することによって、さなぎになるためには不必要な体液を、外に出すことができるのだろうか?」「卵からかえった幼虫が、同じ場所で一斉にさなぎになったら、外敵に見つかりやすくなり、一網打尽になってしまうから、それぞれ別の場所に移動することになったのだろうか?」どの仮説が正しいのか。

その中に答えがあるのか。

それを証明するのは、きわめて難しいことです。

「科学的真実」という言葉がありますが、それは絶対の真実を意味するものではありません。

「こうだと仮定して、こういう手段を使うと、こうなる」というだけで、その仮定がすべてではないし、その手段がすべてでもありません。

科学の答えすら、「絶対」ではないのです。

》専門家にも分からないことがある

なにを隠そう、私も「答えがどこかにある」と信じていた時期がありました。

「この世の大切なことは、どこかに必ず書いてある」「自分がまだそれを知らないだけだ」ずっとそう思ってきました。

そんな知らず知らずの洗脳が解けた瞬間を、私は不思議と覚えています。

大学生のとき、構内の池のほとりを歩いていたときでした。

そのくらいの年になれば、数学や物理で、未解決の問題があることは知っていましたから、「まだ誰にも分かっていない問題というのはあるけれど、答えが出ていることについては、正確なことがどこかに書いてあるのだろうな」と考えていました。

大学で自分で仮説を立てて実験をするというプロセスを繰り返して、「私のやったプロセスを踏めば、いつもこの答えは出るようだけど、ほかのやり方を考えることはいくらだってできる」という科学の経験が大分貯まっていたのでしょう。

ぼんやり池の周りを歩いていたら、「答えが出ていることについても、絶対はないのだ。世界のどこにも『正しい答え』など埋まってはいないのだ」と、ストンと腹に落ちました。

ものすごく自由になれたような、あきらめがついたような、そんな気持ちでした。あのときに、深い病を得たとも感じています(笑)。

専門家になればなるほど「こんなにも分からないことがある」と気づいていくものです。

自分が知っているよりずっと「世界は広い」と気づいて、それに感動しているから、「分からない」と恥ずかしがらずに言えるのです。

分からないからこそ「こうしたらどうだろう?」という小さな質問を出せる。

それがプロというものです。

質問力は誰でも鍛えられる

「ケニアの首都はどこですか?」「世界で一番高い山はなんですか?」こういう穴埋め問題だったら、誰もが同じ答えを返さなければなりません。

これは正解が決まった中での勝負であり、たとえてみれば、あくまでも足の届く25メートルプールで、うまく速く泳ぐ練習をするようなものです。

しかし、この本で注目したいのは、「泳げない海をなくすための質問」です。

正しい答えを出すことではなくて、「こんなことが今できない」「なにが障害になっているのだろう」「こんなふうになったらいい」「こんなふうに変えられるのではないか」と、よちよち歩きでもいいから新しい領域にときめくことが、私たちが鍛えたい質問力です。

質問力とは、ときめき力です。

「インターネットがここでは使えない」「怒っている人がいて、自分の居場所がない」「読みたいけれど、読めない本がある」「彼氏・彼女ができない」いろいろな泳げない海がある中で、こう質問する。

「自分たちが居心地よく暮らすためにはどうしたらいいか?」質問することで問題が浮き彫りになって、解決法が提案できます。

正解は誰も知らないし、やっと提案した解決法もおそらくベストではありません。

それでも、まず「問題を見つける」ことによって、少しずつ世界は変わっていきます。質問しなければならないことは、身の周りに無限に潜んでいます。

》今よりほんの少しだけでも世界を変える

質問する能力は鍛えられるものです。

みなさんは、「TED」という会議を知っていますか?1984年に技術(Technology)、娯楽(Entertainment)、デザイン(Design)の分野で優れた人を集めて議論する会議としてアメリカで始まって、今では毎年、世界中のありとあらゆる分野から、優れた人たちに「広めるに値するアイデア(IdeasWorthSpreading)」を舞台上でプレゼンテーションしてもらい、インターネットで配信されています。

TEDの一つのセッションに「MakeaWish(世界をこうしたい)」という、参加者で課題を出し合って解決法を考えるセッションがあります。

「あなたは世界をどうしたいですか?」そんな質問をされたらビックリしてしまう人もいるかもしれませんが、TEDでは、数秒もたたないうちに次々に意見が出されます。

グーグルとイギリスの自然科学雑誌『ネイチャー』が共催した『ScienceFoo』という会議があって、そこに行ったときも同じでした。

「今日のスケジュールはなにも決まっていません。問題にしたいことをポスト・イットに書いて、前のホワイトボードに貼ってください」

このとき、私は日本の会議の雰囲気を想像して「なにも決まっていない?きっと10分や20分、誰もなにも出さないで、ダラダラとした会議になるのだろうな」とイヤな気持ちになりました。

自分で問題を考えて黄色いポスト・イットに書いて、貼りに行こうと席を立ったところ、驚いたことに、そのときにはホワイトボードが見えなくなるくらい、びっしりと貼られていました。

おそらく1分も経っていなかったのではないでしょうか。

ほぼ全員が初対面だったのにもかかわらず、「自分の意見など出していいのだろうか」と雰囲気を探り合うようなところがまるでありませんでした。

自分の頭で考える私はこういう体験をいくつか重ねたことによって、次のことだけはしっかり身についたように思います。

「『世界をこうしたい』というのは、自分が考える問題だ」TEDの人たちも、グーグルやネイチャーの会議に参加していた人たちも、おそらく最初から面白い問題提起ができる人たちだったわけではありません。

人生の中でたくさん質問を出す練習を重ねてきただけです。質問が出せるかどうかは、単なる慣れの問題です。

あなたが、「『世界をこうしたい』なんて一つも思いつかない」と不安になるとしたら、大げさに考えすぎているのかもしれません。

「自分が会社の中で活動しやくするには、これがあったほうがいいのではないか」「あの人が会議に来てくれたら多様性が出てもっと議論が深まるのではないか」と自分がいる場所をよくするちょっとした工夫でいいのです。

たくさんのアイデアがアッという間に出るからといって、本当にガラリと世界を変えてしまうような大きな質問は、それほど頻繁にはないものです。

ホワイトボードに貼られていた質問が、全部が全部いいアイデアだったわけではありません。

むしろ面白い質問はごくわずかでした。

会議に出ていた人たちは、少なくとも、他人に言われたことをやるのでなく、どんなに小さなことでもいいから、世界が変わるように自分が考えて行動しようとしていました。

提案し続けることによって、徐々にいい質問ができるようになるものです。

どんなに小さなことだろうと、今よりもほんのちょっとでもよくなる可能性のあることならば、それは十分に提案するに値する質問なのです。

》ゾンビのように生きる

自分の問題にぶち当たって、今、目の前にAとBという分岐点があるとします。Aをやってみたら、現状よりは少なくとも一歩先に進む。

根本的な解決にはならないとしても、少なくとも前に一歩進むなら、それは十分にいい解です。完璧な質問が出るのを待ち、完璧に答えなければならないとしたら、人はどこへも行けなくなります。

自分に思いつく範囲内で、自分に使える時間内で、ベストを尽くせばいいのです。

今目の前にあるこの一歩が、前より少しでもいい方向に近づくのであれば、それは十分にいい質問であり、いい答えである。

これを「ベスト・エフォート形式(=やれる努力をしっかりやる)」と私は呼びます。

すぐに素晴らしい質問をすることは、不可能です。

なにか自分でやってみた一歩が、たとえ失敗してしまったり、すぐに結果が現れなかったりしても、自分で行動したという履歴は必ず脳の中に残ります。

絶対的な正解があると思うと、人間はやさぐれていきます。自分がやれることがなくなってしまうからです。

たとえあなたがとった一歩が失敗だったとしても、それは、間違っていたのではなくて、その方法ではダメだということを学んだのだから、むしろ一歩進んだと言えます。

どんなにどん底でも、この一歩はとったほうがいいのだから、「その分だけは上がってきた」ということを支えにしましょう。

突き落とされても這い上がる。そんなゾンビのような生き方を、私は推奨します。

1章のポイント

  • カギとなる質問とは、具体的で自分が行動できる形に変えられること。
  • 世界には、「問題を解いた人」より「問題提起をした人」のほうが偉いという考え方がある。
  • とりあえず思いついたアイデアを実際に試してみることから、イノベーションは生まれる。
  • ベストな解決法ではなく、努力できる方法を見つけられるのが、いい質問。
  • 日本人は正解を早く見つけることに一生懸命になっていて、それが自分たちを窮屈にしている。
  • 質問とは、思考停止を脱却すること。
  • 科学的世界にも、絶対的な真実はない。
  • 今よりほんのちょっとでもよくなる可能性があるのなら、どんな提案でもする価値はある。
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