8
私の経営コンサルタントとしての師匠であるタナベ経営・田辺昇一先生は「生産性とは態
度である」と喝破された。
日本的雇用形態は、働く従業員は江戸時代の藩制そのまま、 一所懸命、 一つの働き場所で
命を棒げて、その企業体に帰属し、組織を愛し、精一杯、献身的に貢献してきた。金銭的(カネ)
にも地位的(処遇)にも精神的(ココロ)にもつながる日本的雇用形態は、分母に人件費、労働
者数、分子に売上高、粗利益高がくる算式の労働生産性指数ではなく、まさにヤル気、本気、
元気の作業態度で、世界中でも稀に見る生産性のよさを実現してきた。
だが、現在、日本の企業は成熟市場(低成長)と高齢化社会に悩まされ、かつての活力が失
われている。高齢化社会に伴う職場の不足で、ポスト不足、若さと活力の不足、退職金不足
の四不足に企業はあえいでいる。日本が、これまで世界に誇ってきた労務管理体制は総崩れ
といった有り様であり、いまや、ヤル気、本気、元気の日本的作業態度、生産性だけには頼
れなくなった。もはや過去の制度には戻れなくなっている。
この際、日本の企業も活力を取り戻すために、ドライな賃金(欧米式)での経営へ切り替え
るべきである。
具体的には、海外進出、海外半製品の輸入、外注、従業員のパート化、外国人労働者の雇
用などを進めながら、いっそうの省力化、省人化、無人化を実施して、労務費を設備費に移
し替える対策を断行していかなければならない。
そして、人事管理・労務処遇制度(賃金制度、人事制度)をダイナミックに変えていくこと
が大切だ。管理職、監督職、技術職、事務職、作業職などの区別を明確にした欧米の職種給・
職能給や年俸制の導入なども真剣に検討する必要があろう。
四五歳での定昇打ち切り(年齢給・勤務給のストップ)、退職金制度の抜本的改正、役職定
年制(例えば部長は五五歳、課長は五〇歳など)による役職剥奪、部下を持たない部長や課
長職(代理や代行や心得)を廃止して資格制度を導入するなどにより、能力中心の給与体系ヘ
持っていき、資金面へのハネ返りを防止する制度に切り替えないと、企業体力は持たない。
各企業のトップが高齢化していっているだけに、トップの年齢からくる価値観が実行を邪
魔している面もある。つまり、同年代の人間を厳しく扱う非情さがないのである。このまま
では、その温情主義のツケは次代の経営者に回され、労務倒産となって、大量の血を流すこ
とにもなりかねない。
一部の企業で定年制が五五歳から六〇歳に延長されたとき、私自身が五五歳に近づいたと
はいえまだまだ第一線からリタイアするほど老いぼれていないという自信も実感もあっただ
けに、当然、多くの企業がそうした動きに追随すべきだと思った。父親が五〇歳のころには
予想もできなかったほど日本人の寿命が延び、文字どおり「四〇、五〇は″洟垂れ小僧ク」の時
代になったのだと。
ところが、定年六〇歳制度を導入したある企業に働く四九歳の女性の事務員から、私は思
いもよらないクレームをつけられた。その企業はなぜか、それまでは女子社員は五〇歳が定
年であった。クレームをつけた彼女の言い分はこうだ。
「私は五〇歳の定年を楽しみに、今日まで勤務してきました。毎日、早起きして朝九時に
は出勤し、五時半になったら急いで退勤、 一人息子を一人前にと、ただそれだけをク希望の
星クとして真剣に働いてきたのです。私は、五〇歳になったら自己都合ではなく円満退社で、
しっかりと退職金をいただき、後は近所でパートタイマーとして働きたかったのです。それ
なのに突然、自己都合でない退職金をチャンともらうにはあと一〇年も働かなくてはならな
くなったのです。とんでもありません!」
そうなのだ。ほとんどの会社員にとっての理想は、「楽しく働き、明るく辞めて、その後
も元気に暮らす」ことである。会社や政府の都合で会社を辞めるのではなく、五〇歳まで働
けば、あとはいつでも明るく辞められる制度が、これからの日本には必要ではなかろうか。
五〇歳を超えれば、何歳で退社しても自己都合による退職金減額を行なわないように配慮す
べきだろう。
世の中、人々の気持ちがそうなりつつあるのに、いま、政府はこれに逆行するかのように
定年を六〇歳から六五歳に延ばそうとしている。国民一人ひとりの個人の幸せを願ってのこ
とだろうか。どうもそうとは思いにくいぶしがある。うがった考え方かもしれないが、国の
年金の支給開始時期を引き延ばし、その分、各企業に負担させようという魂胆が大いにある
のではなかろうか。
それはさておき、今後生き残っていくためには、企業はなぜ、社員の平均年齢を下げなけ
ればならないのか。私が平均年齢の引き下げを重視している理由は、高い人件費をどのよう
にして吸収していけるのか、支払った人件費に見合っただけの売上高、粗利益率を得ること
が果たして可能であるのかどうかという懸念、疑間があるからである。
給料が高ければ生産性が高まり、給料が低ければ生産性が劣るというように、給料と生産
性は果たして正比例するものなのだろうか。
「京都の企業は元気がいい」とよく言われる。それも京都の八条から南にある企業の元気が
いい。 一方、同じ京都でも、市のど真ん中にある長い伝統を誇る企業ほど元気がない。それ
もそのはず、それらの企業はどこも社員の平均年齢が高いからである。このことはなにも京
都だけではない。歴史ある城下町と言われている都市に行ってご覧なさい。いや元気な企業
がある、というのであれば、その企業はよそからそこへ進出してきただけである。何事にも
例外というものはあるが、従来からの企業はどこも生産性が低く、収益性も悪い。
アメリカのP ・ドラッカー教授は「マーケティング=顧客創造」と「イノベーション=技術
革新」を優れた経営者・企業の必須条件としてあげていることを後述するが、この二つを実
行できるのは、三〇歳から四〇歳の働きざかりの人間であり、その集団である。収益性の低
い儲かっていない会社では、この世代の社員たちが暗く、わびしく、覇気が感じられない。
彼らが新しい創造的なことをしようと立ち上がっても「稟議書を書いてくれ」と書かせたあげ
く、「前例がない」「予算がない」「あそこはわが社の系列ではない」を回実に、古手の高齢社員
がせっかくの提案・企画を潰し、働きざかりの若い社員から新しい仕事を奪ってしまってい
る。そういう意味では、田辺昇一先生が言われる「生産性とは態度である」も真理である。古
いしきたりを破り、会社を改革することが、若い社員のヤル気、本気、元気を引き出し、会
社を活性化させ、成長、発展へと向かわせるのである。会社の活性化路線の推進はいまや待っ
たなし、明日と言わずに、今日からすぐに始めるべきである。
コメント