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7章高収益高賃金経営の目標

目次

7・1目標と業績評価を結びつける

企業の成員は、企業の意図する成果をあげるために必要なのであって、成員のために企業があるのではない。成員に賃金が支払われるのは、明らかに、成員のあげた成果に対してである。

だから、賃金は企業の成果に応じ、成員の成果への貢献度に応じて支払われなければならない。

しかし、個人の成果を誤りなく測定して、これに応じた賃金や報賞を与えることなど不可能である。

そのうえ、賃金にはいろいろな要素があって、成果主義にドライに割りきることもできない。とはいえ、成果主義という基本原則は、賃金の中に生かさなければならない。

そこで、どのような評価をしたらよいかが大きな問題になるのであるが、業績評価の適切なモノサシがないので困るのである。

それでも、上級幹部はまだ比較的いい。彼らには、なんらかの具体的な評価のモノサシがある。

しかし、中下級幹部になると、だいぶめんどうになり、一般の従業員にいたっては、本当のところ、モノサシがないといってもいい。

伝統的な、もっともらしい評価法──それは人間の抽象的な能力を列挙して採点する──ほど非科学的なものはない。あのような抽象的な尺度が、企業への貢献と密接な関係があるという、客観的根拠は何もない。

あくまでも期待が根拠であり、評価は主観である。あんなことをしなくても、どうせ主観なら、「あいつはよくやる」「あれはダメだ」というような上司の勘で十分である。

人間は、あのもっともらしさに弱いらしい。

しかし、協調性と計画力と仕事の知識が同じ点数で評価されるのは、その理由はどこにあるのか、といってみても、だれも答えられない。

とすると、正しいか、誤っているかわからぬモノサシで測ってみても、その結果はやはり、正しいのか、誤っているのかわかったものではない。

論より証拠、あのような評価法でやると、おかしな結果が出るのは、やったことのある人は、だれしも経験しているはずである。

そこで、「勘で修正する」というようなことになる。最後のきめ手は、勘による比較なのだ。これが伝統的な評価法の正体であり、非科学の見本である。

評価という観点からみたら無意味なだけでなく、大きな弊害をともなう。

ただ一つの意義は、評価される人に、「勘で評価しているのではない、このような科学的な方法で評価をしているぞ」という説明とジェスチャーのためであるということである。

だから、抽象的な業績評価にたよることをやめて、もっと具体的な業績評価を考えることである。

具体的な業績評価の考え方としては、あくまでも結果を重要視し、その手段や過程、努力の度合い、抽象的な能力などは考えないことである。

もしも、それらのものがすぐれていれば、そしてそれが結果を手に入れることにうまく結びつけば、よい結果が生まれるのであるから、結果だけみればよいのだ。

よい結果を得るために、なるべく少しの努力ですませることが大切である。

「経済社会では、気持の上の一生懸命は通用しないのであって、問題は品質と値段だけである。一生懸命にやらないでも、品質がよく、値段が安ければよい。一生懸命賃というのは支払われない」(『スピードに生きる』本田宗一郎著)という精神である。

これが生産性の考え方である。

この考えに基づいて、業績評価の順位をあらわせば、

  1. ①努力せずによい結果を得たもの
  2. ②努力してよい結果を得たもの
  3. ③努力せず、結果も悪いもの
  4. ④努力しても悪い結果しか得られなかったもの

となろう。ここのところをハッキリさせないと、業績評価は混乱するばかりである。

努力を貴しとする思想は、それにつながる結果への期待であって、努力それ自体ではないことを、われわれは忘れてはならないのだ。

しかし、努力は「美徳」であることはたしかである。だから、業績評価と報賞の方針として、「よい結果を得たものにはダンゴをやる(昇進・昇給・賞与など)、努力したものには花をもたせる(表彰をする。ただし昇進・昇給などはさせない)」というのが正しい。

表彰状は食えないのだ。

花しかもたせられず、ダンゴをやることができない人間については、本人はもとより、上司として、その努力や指導に誤りがないかを、よく反省してみる必要があろう。

7・2幹部の業績評価はこうして

上級幹部の業績は、企業の業績と直接またはかなり密接に関連づけて評価することができる。事業部長などは、ズバリ事業部利益それだけでよい。

営業部長ならば、売上高とか伸び率、付加価値額などで測定できる。製造部長ならば、生産高やコストなど、相当明確な絶対数字によって評価することができる。

もう一つは、それらの成果と、その成果をあげるために費された費用との比率でみればよい。つまり、生産性の考え方である。

算式にすれば、部長の業績=部のあげた成果(売上げ、生産、付加価値など)÷(部の人件費+経費)となる。

気をつけなければならないのは、人件費と経費は、あくまでもその部門の固有のものだけであって、共通的なものは算入してはならない。

これを入れると、真実の姿がわからなくなる。中下級幹部の業績評価は、下部になるほど、上級幹部と同様のモノサシによる評価がむずかしくなる。

そこをなんとか工夫して、しかもあまり費用と労力をかけずに評価することを考える必要がある。それには、「付加価値」を中心とした評価をするのが最も妥当なものに近い、というのが筆者の主張である。

付加価値こそ、企業が生み出した経済的価値であり、これが生産性の基礎概念であるかぎり、これを中心とするのが本当である。

計算式にすると、部門生産性(部門の長の業績)=部門のあげた付加価値÷(部門人件費+部門経費)という式になる。

蛇足ではあるが、部門経費というのは、固有経費のみであって、共通経費を入れてはいけない、ということを忘れないでもらいたい。

ただし、この答えをそのまま評価してはいけないのだ。傾向で評価しなければならない。

まず「生産性」でみるのは、人員の増減、昇給などの変動を消すのには比率でみなければならないし、「傾向」でみるのは、部門間の不公平をならすためである。

部門のあげる付加価値の絶対額は、製品のもっている収益性によって基本的にきまってしまう。これは部門の長の意志や努力ではどうにもならない要素である。

それを絶対額で評価したら、もともと収益性の悪い製品を割当てられている部門は不利になるからである。傾向で評価すれば、そのような不公平による間違いを防ぐことができるからである。

もう一つ、傾向評価のよい点は、生産工程が横割りになっている場合に、部門付加価値の算定を、工数割りを基準にし、部門装備の違いなどを勘案して行う場合に、その計算法の妥当性について、あまり論議をする必要がない。

妥当性が多少欠けても、これを傾向評価するときには、それらの誤りは完全に消えてしまうからである。

傾向でみる場合には、絶対値はいくつでもさしつかえないのだ。ただ、注意しなければならないのは、減価償却費である。

会計処理がどうあろうと、業績評価の場合には「定額法」にする必要がある。

「定率法」でやると、部門努力と無関係な減価償却費が年々減少するために、その分だけ生産性が上がったように計算されてしまうことになるからである。

部門生産性の測定で困るのは、間接部門の生産性である。

間接部門の生産性は、文字どおりその仕事が間接的であるだけに、その効果や業績を、数字であらわすことは非常にむずかしい。

この業績測定の困難さが、関接部門の肥大化の大きな原因となっていることも事実である。企業が成長し、あるいは近代化をする過程で、新しい管理業務や制度が導入されてゆく。

それらはほとんど例外なしに、間接部門の仕事の増大をともない、間接部門の人員が増加してゆく。それらがどのように企業全体の業績に貢献しているかは、よくわからないというのが本音であろう。

わかるのは、その活動の質的な意義と、その活動によって発生する費用である。とすると、結局は企業にとってプラスなのかマイナスなのかわからない。

ここに経営者の悩みがあるのだ。この悩みも、生産性の算式をつかって、数字でとらえることができる。間接部門といえども、それは企業の経済的価値創造のためにあることは間違いない。

とすると、その目的を果たしているかどうかを測定するには、生産性の算式の教えるところにしたがって、間接部門がサービスしている部門または製品の付加価値を、その部門の費用で割ればよい。

算式は、間接部門の生産性(間接部門の長の業績)=サービス対象の部門または製品のあげた付加価値÷(部門人件費+経費)となる。

経費はむろん、固有経費である。

各級幹部の業績測定は、企業が経済的活動であるかぎり、最終的にはこれでよいわけである。

しかし、この生産性は量的なものであって、質的なものではなく、またもう少し内容を明らかにすることも大切であろう。

そこで、そのような内容を評価するには、どうしたらよいか。それは、企業としての指導方針と、直接結びつけることであろう。

具体的な例をあげてみれば、災害減少に関する目標であるかもしれず、クレームの減少かもしれない。計数管理能力の向上でもよいし、接客態度の向上でもよい。

それらの方針と、そこに期待される結果を企業の目標として設定し、それを評価する基準をきめる。のぞむべきは点数制にして、点数の多寡によってウエイトづけをし、企業の意図を明確にすることである。

これでこそ、点数制は科学的ではなくても、その意味をもってくるのだ。つまりトップの意志である。

当然のこととして、それらは目標発表時に同時に公表される。

評価はその項目と評価法を事前に発表してこそ意味があるのだ。そして、これこそ本当の意味での前向きの評価であり、正しい指導法である。業績主義も、ここまで徹底する必要があるのだ。

7・3従業員の業績評価はこうして

一般従業員になると、個人の業績評価は、まったくむずかしいものになる。

もはや個人の生産性を測定することは、測定そのものに費用がかかりすぎて引き合わなくなるし、コンベア作業などでは、完全に不可能である。

測定できないものは評価できないということになる。といって、伝統的なやり方には賛成できない。

あくまでも具体的なもので評価しなければ意味はない。

まず第一に、企業の目標として示された幹部の業績評価に使用される事項を、従業員にも適用されることが考えられる。

しかし、それらは必ずしも個人に対するものではないので、個人に対する企業の期待を目標として設定し、同時に評価の基準を明らかにする。

点数制にしてウエイトづけをし、企業の意図を明確にすることは、幹部に対してとまったく同様である。

そして、事前に公表することも。

評価事項はあくまでも具体的に、「出勤率はどうか」「始業・終業時刻を守っているか」「標準作業法を守っているか」「後始末をよくするか」「機械の手入れをよくするか」「他人の仕事をよく手伝うか」「安全規則を守っているか」「接客の心得をよく守っているか」……などいくらでも考えられる。

ただし、打ち出すのは「考えられる事柄」ではなくて、「わが社の期待する事項」を重点的にしぼることが大切である。

欲をかいて、たくさんかかげることは、かえって効果的でないのだ。これらの目標は(幹部に期待する目標も同様に)毎期変えてゆくのだ。

むろん継続してかかげてもよい。要は目標を達成したら、つぎの目標にうつればよいのだ。

こうすれば、各人はそれぞれ、会社は具体的に何を自分たちに期待し、それをどのように評価しようとしているかがわかる。

だからこそ、自分で考えることもできるし、評価の結果についても、少なくとも従来の抽象的なものよりも納得しやすいのである。

これからの業績評価は、企業の目標や指導方針と直結した具体的なものだけではなく、客観情勢の変化に対応するダイナミックなものでなくてはならない。

もはや、時代遅れになった評価法は、まったく捨て去られなければならないのである。

7・4高収益高賃金経営こそ生き残る道

企業は生き残らなければならない。それが近時、非常にむずかしくなってきた。かつては倒産といえば、不景気によるものが多かった。

しかし、この二~三年は景気に関係なく、倒産は増加の一途をたどっている。

企業をとりまく外部情勢は、ますますきびしく、変化は早くなってゆく。

一方、人件費の高騰と人手不足は、労務倒産の危機さえはらんでいる。

このような多くの圧力をはね返して、存続するための不可欠な基本的な姿勢がある。その基本的姿勢とは、「高収益高賃金主義」である。

高収益主義だけでは長続きせず、高賃金主義だけでは企業はつぶれる。それは、マネジメントの問題ではなく、経営哲学と戦略の問題である。

高収益高賃金を実現するものは、まずトップのすぐれたビジョンのもとに、企業の長期的な目標が設定されなければならない。

企業の成員は、この目標を達成するために、あくまでも前向きに、「革新と変化への対応」を基本的な態度として、異なった階層、異なった部門の活動を、一つに結集しなければならないのである。

父に想う

一倉健二「一倉、死ね。一倉、死ね」

例により、父に厳しい指導を受けた社長が「一倉定」と紙に書いて、壁に貼り付け、拳骨をこれに突き向け、叫ぶ。

何回も、何回も……。初対面の社長に、「出て行け」と追い払う。憮然として社長は退室。

二年ほどして、その社長は再び父の前に現われて、「あの時、先生に追い払われ、腹が立ったが、よく考えてみると先生の言うとおり。これからもご指導お願いします」。

この二つの話は直接、父から聞いた。少し微笑を浮かべながら話していた。

この微笑は一万社指導の自負か、自信か、信念か……。

私が、小中学校の時、年度替わりに学校から「家族状況調書」を渡され、そこに父の勤務先記入欄があった。

父に勤務先を聞き、記入するが、毎年、勤務先が違っていた。

毎回、尋ね聞くのも面倒になり、兄に確認すると「そこは『会社員』でいいんだ。またいつ変わるかわからないからしかたないよね」。

この時期、父は一体いくつの会社に、就職、離職を繰り返したのか。社長に愛想を尽かし、辞表を叩きつけた事もあったと想像に易しい。

コンサルタントになる前にも多くの社長に触れ、その都度、何かを学び取っていたのだろう。

家では給料の遅配。経済的にきつく、家計を補うため母は保険外交員になった。

兄小6、私小3、妹小1の時だった。鍵っ子のはしりである。

母から「お父さんには、仕事を好きなようにやってもらおうと思っていたが、会社を設立することだけは反対した」。

そして、父はコンサルタントの道へ。

しかし、名も無く、ツテの無い父は、その活動法をいろいろ考え、その一つに著書を使った。

最初の著書が『あなたの会社は原価計算で損をする』。

また、講義会場を確保し、チラシを配付。

このチラシによって、父に大きな影響を及ぼすF社長と出会う事になった。

以下その経緯をF社長談も含めて。

京都で会社経営をしているが、経営不振で何をどうしたらよいか全くわからなくなった。

経営を放棄して、伊豆の旅館で不貞腐れて、畳の上で大の字に成っていた。

そんな時、一倉先生の講義のチラシを見た。

すぐに受講を決めた。

──東京の講義のチラシがどうして伊豆の旅館にあったのか?講義初日は、受講生二百人ほど。

二日目、受講生はその半分。

三日目は、更にその半分。

話し方は下手だった。

しかし、F社長は三日目の講義終了後、東京の飯田橋駅前で父を待ち受け、「是非、ご指導を」。

以後、月に一回来社。

朝十時から午後五時まで指導。

午後五時になると、F社長は書類を伏せ、「先生、ご指導はここまで。これからは私の時間です。飲みに行きましょう」。

F社長は、病により胃を全切除。

固形物はほとんど食べられず、非常に痩せていたが、その瞳は真っ黒で、どこまでも深くて、行動、言動には迫力一杯、この迫力は誰もが尻込みしていた。

酒に弱い父は、ほろ酔いの中、F社長に言った。

「私のコンサルタント業は、うだつの上がらない職業だ、この先どうなるか?」「いや先生、それは違う。先生は必ず日本一になる」父の弱気な一面を垣間見たのは、後にも先にも、このF社長談の中だけ。

「鬼倉」。これは父の自称で、誰に言われたわけでもない。

ある時、指導を依頼してきた社長にいろいろアドバイスをしたが、この社長は実践しなかった。そして倒産。ここに父の反省があった。

「もっと強く、怒鳴りつけてでも実践させていれば、この倒産はなかっただろう。これからは、鬼になる。罵倒してでも、実践させる。鬼倉になる」この鬼の実践により、罵倒される社長多々。

顔にマジックで「×印」を書かれた社長。半日以上無言の指導を受けた社長。社員の前で恥をかかされた社長。これらの話をする社長には共通点があった。

父から受けた罵倒を語る時、皆、ニコニコと、さらに自慢気に話していた。

父の指導の中に、非常に基本的なものがあった。これのない会社は「砂上の城」。それは、環境整備。

この中で多くの社長方が一番苦労するものが、清潔・掃除だった。四国、MホテルのM社長。父に視察を受けた時、環境整備は百点満点中、三十点。

落第だが、M社長曰く「三十点という事は、あと七十点の伸びしろがある」とニコニコ。

この時、ホテル増設の計画があり、現ホテルの傾斜地の上方に候補地が。父はすぐ観にいく。

草の生い茂った細い山道。革靴では歩きにくい。

二十分ほどし、父は「これは良いロケーションだ。良い増設ができるだろう」。

M社長にはよい励み、自信になった。東北Y社。食品包装容器の卸問屋。

創業当時のY社長は、事務所はお客様からの注文、確認などの電話で騒然としているものと考えていた。

果たして事務所はそうなっていたが、父の指導通りにしていくと、事務所が徐々に静かになっていく。

「今はこの通り静かなものです。売上げは確保しているのに」。

ある日の掃除終了直後、Y社長は社員に尋ねた。

「本当に綺麗になっているのか?」「ハイ、綺麗になっています」「では、確認」上着を脱ぎ白いワイシャツ姿になり、床に横たわり、体をクネクネ。

ワイシャツの汚れ具合は聞かなかったが、以後、掃除終了後は全員でクネクネ体操。

環境整備の一つとして、倉庫の収納を見直し、収納棚もその対象となり、ホームセンターから資材を購入。

新たな棚を作り、あわせて商品の受け入れ、出荷の流れも検討した。

その結果、従来の繁盛期には男性社員六人で残業して受け入れ・出荷作業をしていたが、環境整備後は同様の作業に女性社員二人とパート二人のノー残業で業務遂行。

そしてY社長は父の指導のもと、収益の低い売れ筋三品を捨てた。

綺麗にする……これは対症療法。

では予防療法は?汚れない工夫。

Y社長は、包装容器で食品業界にも関連していたので、その延長線上に独自開発の美味しい漬物を取り入れた。

その漬物は香淳皇后に「あの漬物をもう一度食べたい」と言わしめたと聞き及んでいる。

食品の扱いであるから、その厨房に工夫をした。その一つ、汚れの付きやすい床と壁の境目。ここに丸みを付け、汚れの付きにくいようにした。

社員は次々にアイデアを出し、これは仕事に受動的な社員を能動・積極性へと導いた。

しかし、このようになるには、何かキッカケがある。

以下三例。

一、S社。

ここに私が訪問することになった。S社はなかなか環境整備が進まない。

困っていたがある時、私が訪問する事になり、これを機にS社長は社員に「明日、偉い先生(父、一倉定)の息子さんが来社するので恥をかかないように綺麗にしてほしい」と力説、ハッパをかけた。

果たして、今まで以上に綺麗になった、と。S社長曰く、「やれば出来るじゃん」。

二、K焼肉店。

環境整備指導で、店舗のレジそばの金属性の汚れたゴミ箱を、父は床に投げ付け、飛び出して来た幹部社員の前でK社長を罵倒。そして幹部社員の反省。

「社長に恥をかかせてしまった。申し訳ない」

三、N社。父の指導で「週刊誌見開き分の広さを三〇分かけて綺麗にする」。

N社長はこれを指示したが、女子事務員の反発のため環境整備が進まなかった。

机の上を三〇分かけて雑巾がけで反発は当然の事。

が、ある夏の暑い日、男子社員が汗だくで、社屋の外壁を掃除していた。

その一生懸命な姿を、二階事務所の窓越しに女子社員が見ていた。

そして、その姿に女子社員の中にはうっすらと涙する光景が。

意識の変革ができた。

父はカバンの中に照度計を入れていた。

職場、売り場、作業場などの明るさを確認する為に。

社内は四〇〇ルクスを確保、との指導。経験のある方はおわかりと思うが、四〇〇ルクスの確保はかなり大変である。

天井の高い作業場ではどうするのか。

父は具体的な指導をしていた。

作業の手元から遠い天井部には水銀灯、近いところには蛍光灯と。

そして、職場を明るくすると女性が綺麗になっていった。

明るくする場所はトイレ、洗面所も例外ではない。明るくなった洗面所の鏡を見て、お化粧くずれが確認し易くなったので、即、化粧直しができる。

結果、女性が綺麗に。掃除の対象は建物の外壁も。

父は、外壁の掃除は地上二メートルまでとし、それより高いところは高所作業になり危険なので、専門の業者に依頼する事と指導。

が、高所作業を行ったK焼肉店では屋根まで掃除をした。反対側の屋根を通して、ロープを固定、このロープを腰に結び転落防止策を行っていた。掃除に対する執念。

この執念は、社員にも高揚していった。

父から環境整備の指導を受けたK社長は、環境整備の出来具合いをチェックするために、チェックチームを作り、十数店を順次チェックした。

ある時、非常に綺麗な店があった。

その店の店長は「昨日の営業終了後、徹底して掃除しようと、移動できる物をすべて道路に出し、不断は手の届かない所まで掃き、雑巾掛けをして、今朝すべてを元に戻しました」。

掃除は店前の道路も数十メートル離れたところまでする。そのため、地域の住民にも好感を持たれていた。

ある時、本店でボヤ火災を発生させてしまった。原因は無煙ロースター。

このロースターは、煙を床下の煙道を通して外に排出する構造のため、不断の掃除では手が届かない。

この煙道に焼肉の油が溜まり、発火した。

K社長は幹部社員と共に、町内を必死にお詫びに回ったが、近隣住民からは叱られなかったという。

環境整備はさらに、意外な効果があった。

その一つ、一倉門下生の集まり。

父の講義は全国で開催、受講の社長方はお互いに初対面も多い。

受講常連の社長は、初対面の社長を誘い、十人ほどのグループで飲食をした。

その流れでスナックへ。

初対面、業種・業態の違う社長たちには共通の話題が少ない。

しかし、ここで環境整備・掃除は全員の共通話題で、皆、話に花が咲き仲間意識ができる。

仲良しになってしまう。

この集まりでは、掃除のコツも情報交換が行われた。

トイレの陶器の便器に付いた黒い汚れは、酸性洗剤でもアルカリ洗剤でも落ちないものがある。

どうしたものか?良い情報があった。耐水性の紙ヤスリを使い、削り取る。

ただ、紙ヤスリにも粗さが種々あり、どれを使うか不明。

情報は明確に粗さ八〇〇番。

これを使用すると見事に汚れが落ちる。

しかも陶器製便器に傷を付けない。

この集まりの話でとんでもない話を聞かされた。

ある社長が便器を徹底的に磨き上げ、ジッと見つめ、「便器に握りメシを置き、それを食べた」──得度状態ではないか。

環境整備の基本認識によく使われた言葉がある。

──「形より入り、心に到る」さて本書は目標管理の話である。

目標をつくる。この目標に向かい計画を立てる。

「計画通りに行かない。だから目標への計画は無意味だ」。

もっともな所見であるが、父は「計画通りに運ばないことが大切だ」と言っていた。

計画を立てるとき、それは社長の技量にかかっている。市場の情勢を見て、我が社の能力を考え、計画する。計画通りに行かないことは何を意味するのか。

それは我が社と社長の考え方と市場にズレがあるからだ。計画通りに行かないのは、このズレ。

我が社・社長の考え違いを教えてくれる。変転する市場の目盛りと我が社の目盛りの違いが分かる。

あとは我が社と市場の目盛りに合わせる努力ができる。おのずと我が社は何をしたらよいのか。

目標と我が社の現在位置。ズレはこの現在位置が違っていることを教えてくれる。

例えば、ベーカリー。

あんパン、調理パンの売上げ目標が設定され、調理パンは目標を達成しているが、あんパンは目標に届かない。

このとき、工場長の判断は調理パンは目標を達成しているから、このままでよい。

問題は目標不達成のあんパン。

「売上げ目標を達成しているからいいんだ」というところに、大変なことが隠れている。「いくら売り損なったか」。

これは最新の高速コンピューターを駆使しても絶対分からない。

そしてあんパンの売上げを何としてでも目標達成する。この間違いはどこにあるのか。何のことはない。

お客様の要求があんパンから離れ、調理パンに移行している。打つ手はあんパンの減産と調理パンの増産。

ではどこまで減産・増産とするのか。簡単な目安がある。

どちらも「三つ売れ残る」。ここが目安。

言葉を換えると、目標と実績は離すように離すように行動すること。

父の言である。

一倉定(いちくら・さだむ)1918(大正7)年、群馬県生まれ。

36年、旧制前橋中学校(現在の前橋高校)を卒業後、中島飛行機、日本能率協会などを経て、63年、経営コンサルタントとして独立。

「社長の教祖」「日本のドラッカー」と呼ばれ、多くの経営者が師事した。

指導した会社は大中小1万社近くに及ぶ。

1999年逝去

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