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質素倹約を旨とすべきこと

事業は幾代にもわたって、人の協力を得ることについても、商品の良悪についても、お得意様での人気についても、後継者の人となりについても、厳しく考え続けなければ真の繁栄は築けない。

事業を取り巻く環境がいつでも順調で、自分の会社にとって良い時期ばかりが続くとは決まっていないからだ。むしろ、悪い方が多いと考えることが真ち当かもしれない。

売上や利益が、現業そのままで幾十年も順調に伸びることなど決してない。借金に対する金利一つ取っても、今が低金利だといっても、十年単位で考えれば、平均的には七%だという厳しい考え方で計算してもらうことにしている。

低金利が続くのは、不況という異常事態が長く続いて起こったからであり、高金利が続く事態は、好況が過熱しそうな時に採る金融政策である。

金利一つとっても、このように上下の波動が激しい。会社の売上も利益も、黙っていたら上下波動があって当たり前である。だから、一時の儲けに騎奢になってしまえば、永く繁栄を維持することは困難である。

「黄金種なし、独り勤倹の下に生ず」と言うが、いかに学識に富み、才知に長じ、万事に抜け目なく、良く金儲けを知っていても、こと質素や倹約という美徳が分からず、奢修に流れる社長が多い。特に、俄に金儲けをして使い道が分からないのではないかと思うことさえある。これでは、永く続く訳がない。

質素倹約は、致富秘訣中の大秘訣である。会社と一家を挙げて行うべき重要事として掲げておきたい。

私は、職業柄、社長の自宅へ招かれることも多い。特に、私自身が絵を描くせいもあって、家そのものも、照明器具や椅子やテーブルや装飾品や壁紙にいたるまで、色や形や素材が気になる。敏感に反応する。

家は、新しくても古くても良いものは良いし、大きくても小さくても素晴らしいものは素晴らしいという主義である。掛けてある一枚の絵を見ても、そこに住んでいる人の個性が滲んでいると思えてならない。

時々、万事に派手な社長の家へ行く。残念だが、概して、そういう家庭では子供までもが、親の影響を受けて派手好みになってしまっている。こんなことを書くと、余計なお世話だと文句を言う人もいるかもしれない。しかし、忙しすぎて家庭で子供の相手をする時間を持てない方々のために申し上げておきたい気持ちで一杯である。

子供は、注意して育てることが大事である。親が派手で、子供が地味だという例はごく稀である。長じて、親と同じようになる。質素倹約の美徳を教えることは実にむずかしい。

戦後三代日、四代目を迎え、「親苦労し、子楽をし、孫乞食する」という諺が当てはまる例も多いし、そうならないことを願う心で一杯である。家屋、衣類、食にいたるまで、騎風に化して永く続いた例はないのだ。

今日、外観ばかりを飾り、内事を顧みない、自然に、遊惰となって、時間を浪費し、職に身を入れない、儲かればたちまち乱費をする社長にも大勢出会ってきた。決して倹約の美徳を忘れてはならない。晩年を寂しく送ることがないための戒めとすべきである。

私共の協会で出版した『二宮翁夜話』の述者。二宮尊徳も、上杉鷹山も、木綿服以外は長い問用いなかったが、藩の再建を成し遂げている。

石川島播磨重工の社長から、東芝の再建社長となり、経団連の会長をやった土光敏夫氏も質素倹約を旨とし、粗食で有名であった。玄米で、おかずもメザシぐらいで、菜食が中心であった。こういうことは、洋の東西を問わない。

米沢藩の再建を行った上杉鷹山は、養子の城主であったが、周りの贅沢を戒めて、自ら倹約に励んだ。この上杉鷹山をアメリカの大統領ジョン・F 。ケネディが尊敬し、褒めていたことは有名な事実で、ケネディの口から上杉鷹山の名前が出てきた時は、外国人はおろか日本人の記者までも、その名を知らなくて慌てたと聞く。

しかし、贅沢も経験すべき大事である。贅沢は、経験しないと分からない。最初から否定すべきではないし、良さも一杯ある。多くの社長たちの子息にも会うが、概して、彼らは人見知りをしない。

幼児の昔から、親の友人や社会的地位の高い人達に囲まれて育った子も多い。さまざまな種類の人に会った長所がある。こういう体験は、なかなか得難い。

普通では考えられない地位の人とも、平気で話ができる。もちろん、持って生まれた素地もあるが、物の考え方や見方に、まるで親からの遺伝のようなものを感じることもある。これは、そういう家庭に育った後天的なものではあるが、良さがある。

幼児期に贅沢の経験があれば、たとえ戦争で父を失って貧乏のドン底に落ちても、もう一度、贅沢をしたいという旗を立てて頑張ることもできる。

坪内寿夫さんが言っていたが、長い問苦労をさせた妻に贅沢の経験をさせてやろうと思い、好きなものを買ってやると言った。奥様は、食べ物も、着物も、宝石類も、次々に買った。

おしまいには、もう買いたい物がなくなって、宝石にいたっては、「一か月前に買ったダイヤの指輪をどこかに忘れた」とか、「ネックレスはきっと台所にあるんじゃないかしら」と、粗末に扱うようになってしまい、ついには、贅沢に厭きてしまった。「贅沢は、大したことではない。止めた」と言っていた。

行くところまで行けば、良心が正常な人は、贅沢を止めて、倹約の美徳に戻るものであろヽつ。

人間は、不思議なもので、無いものをねだる心を持っている。自分を律することなどなかなかできない。だから、贅沢は美徳ではないが、やってみることだ。

私の妻は、とても人に会うのが嫌いであった。「嫌いなことを無理してやることはないよ」と、私が言ったので、好きな人にだけ会い、好きなパーティーや会合にだけ出席した。そのうち、最初は嫌いだと言っていた人とも会合でバッタリ会ったりして、誘われて、ごく稀には、嫌いな会合にも顔を出した。

それでも、嫌いな会合にはなかなか出なかった。

ある時、二人で一緒に出ることになっていたパーティーに、私だけが突然の用件ができて、遅れて出席することになってしまった。少し心配はしていたが、約束より三十分も遅れた。行ってみて驚いたことに、妻は、椅子に座って、当時、衆議院議長をしていた福田一氏と笑いこけて話し込んでいた。あの取っ付きにくい福田一氏とである。

「人間、みんな同じね」というのが、その時の妻の言葉である。それ以来、私は、様々な会合に連れて行くようになったが、自信を得たのか、どこへでも平気で出掛けるようになった。私の代役としても……である。

これは、明らかに後天的な訓練の賜物である。贅沢は、物品だけではない。人に会う贅沢ほど良いものはない。人を育てる力になる。

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