ドラッカーによる解説
- ・われわれにとっての成果は何か?
- ・われわれは成果をどのように定義しているか?
- ・成果をあげることに成功しているか?
- ・成果をどのように定義するか?
- ・何を強化し何を廃棄するか?
❖——短期の成果と長期の変化を見る
組織の成果は、一人ひとりの人間の生活、人生、環境、健康、期待、能力の変化という組織の外の世界に表れる。
組織がミッションを実現するには、あげるべき成果を明らかにして資源を集中しなければならない。
あるメンタルヘルス・クリニックの例である。開業一五年で大きな成果をあげるようになった。鍵は患者と家族の意志だった。
クリニックでは、グループセラピーへの参加、入退院の状況、自覚症状、自己管理能力によって、治療の成果を評価していた。
ミッションは患者の治癒であり、あげるべき評価可能な成果は、社会生活への復帰だった。
企業においては、成果の尺度としての妥当性には議論はあるものの、利益をあげなければそもそも立ち行かない。
非営利組織にはこの利益に相当するものがない。
したがって非営利組織たるものは、それぞれが、自らの顧客を定義し、顧客にとっての価値を明らかにし、成果の尺度を開発して、自らの成果を知らなければならない。
これはそれらの組織の多くにとってはまったく新しい種類の規律である。しかし、習慣化することのできる規律である。
❖——成果をはかる
二つの評価成果の実現は定性的、定量的に評価することができる。この二つの評価は、互いに密接な関係にある。
組織が自らの成果として、世の中にどれだけの変化をもたらしたかを知るには、いずれも必要である。
定性的な尺度は、変化の広がりと深さを教える。詳細な観察、パターンの認識、機微にわたる物語が定性的な評価である。それは生きた情報を与える。
一〇代の頃、たまたまその美術館で絵を見たために人生が変わり、文字通り命を助けられたという男の人がいた。
若者向けプログラムを構想中の美術館の教育部長が、その話に力づけられて構想を軌道にのせた。ある研究所では、研究開発プロジェクトの価値を定量化できないで困っていた。
しかし今では、三年ごとに、「世の中を変えるどのような成果をあげたか。明日に向けて何に焦点を合わせるか」を点検している。
定性的な変化は、癌患者の気力のように量をもって表すことは不可能である。
しかし定性的な変化は、主観的で計測が困難であっても、定量的な変化と同じように現実のものであって、同じように体系的に評価すべきものである。
これに対し、定量的な評価には客観的な尺度がある。分類と論理の世界にあって客観的な事実を提示する。定量的な評価は測定可能なデータを提供する。
定量的な尺度とは、美術の授業時間数と非行の減少の関係、生活保護家庭における義務教育修了者の就業率、医療における新たな知見の利用件数、一〇代の喫煙人口の減少、二四時間電話受付による児童虐待事案数の減少などである。
定量的な尺度は、資源は成果に向けられたか、進歩は見られたか、生活とコミュニティは改善したかを具体的に見るうえで必要である。
❖——強化すべきものと廃棄すべきものの識別
ここで重要な質問が、資源を投ずることを正当化できるだけの成果を生み出しているかである。ニーズだけでは十分でない。歴史の古さも意味はない。
ミッションと、強みと、成果をすり合わせなければならない。新約聖書のタラントの教えのように、成果の大きなところに資源を投入しなければならない。
❖——死せる者を埋葬して、初めて復活はなされる
人は、陳腐化したもの、うまくいくはずのもの、もはや生産的でなくなったものに愛着をもつ。しかも、かつて私が独善的製品と名づけたものに最も執着する(『創造する経営者』一九六四年)。
しかし、最初に行うべきものは廃棄である。廃棄を行うまでは何も行われない。何を廃棄するかの議論は苦々しいものとなりがちである。廃棄は難しい。
だが、それも一時のことである。死せる者を埋葬して、初めて復活はなされる。半年後には、「なぜすぐに止めなかったのだろう」と皆が言っている。
❖——リーダーシップとは責任である
いかなる組織といえども、やがて成果をあげていないことを認めざるをえないときがくる。どこもかしこも成果は小さく、改善する見込みもあまりない。すべてを清算して、他のことにエネルギーを振り向けるべきかもしれない。
しかも、分野によっては、強化すべきか廃棄すべきかさえ明らかでない。そこで体系的な分析が必要となる。ここにおいて、成果が何であり、何に力を集中すべきかを明らかにしなければならない。
ミッションが責任を規定する。
リーダーたる者は、資源の浪費を防ぎ、意味ある成果を確実なものにするために、何を行うかを決定する責任をもつ。
質問4に寄せて世の中を変えることに価値がある
ジュディス・ローディン(JudithRodin)ロックフェラー財団理事長。最先端の心理学者。
前ペンシルバニア大学学長(アイビーリーグと称されるアメリカの名門大学初の女性学長)、元イェール大学教務担当副学長。
www.rockfound.org
❖——ニーズ志向から成果志向への大きな転換
ピーター・F・ドラッカーはすでに一五年近く前、五〇年に及ぶ非営利組織とのかかわりのなかで、最も感慨をおぼえる変化は、それら組織の多くが、ニーズではなく成果について話をするようになったことだと言った。
まさにそれこそ大きな進歩である。
ただしここでもドラッカーは、例のごとく、その変化をもたらした自らの役割については多くを語らない。
ドラッカーは、組織にとっての成果について、いくつか重要な質問を提起している。
- 組織にとって成功の条件は何か。
- 顧客はわれわれの仕事ぶりをどう評価しているか。
- 定量的な目標と定性的な目標は、それぞれ何か。
- 成果をどう定義するか。
- 失敗したならば、その失敗を認め、他の人たちの参考にしてもらうだけの勇気はあるか。
だが今日では、ドラッカーはさらに多くを求めていると思う。もはや問題は、評価が必要かではない。必要に決まっている。
あるいは今日では、問題は定量的な尺度で十分かではない。十分であるはずがない。失敗は許されるかでもない。
人の活動であれば、いかに誠心誠意行おうとも、失敗があって当然である。失敗を認めず失敗の経験を共有しようとしないなどということは、失敗を惨事に変えるだけである。
こうしてわれわれは、あげるべき成果を明らかにし、次の「われわれの計画は何か?」に進んでいかなければならない。
「5つの質問」は、計画が固定的であって、そこから、成果がほぼ自動的に得られるかのごとき印象を与えるかもしれない。
もちろん、計画が自動的に成果をもたらすことはない。計画とは、ミッションの実現を目指しつつ、評価可能な成果をあげさせるべきものである。ニーズでは十分でなく、意図でも十分でない。
したがって計画は、評価可能な成果をもたらすだけでなく、成果次第では中途変更も可能でなければならない。
これらの仕事は、臨床試験や科学実験のような機械的な作業ではない。目的は、組織の外の世界に実体的なインパクトを与えることにある。成果の評価は、意図した成果を得るための手段にすぎない。
すなわちわれわれは、狭い水路を帆走していかなければならない。
一方において、あまりに不明確であって評価不能な領域を回避し、他方において、定量化は容易だが意味ある成果はないという領域を回避して進まなければならない。
かくしてわれわれの水路は、定量的であって、かつ定性的たるべきものである。
❖——成果がゴールである
ドラッカーは成果が鍵であるとした。成果がゴールであり、成績である。価値あることは、どれだけ働いたかではない。
どれだけ賢かったかでもない。どれだけ愛を込めたかでさえない。もちろん、あらゆる仕事で、懸命に働くことは成功の条件である。
知的な仕事で、賢明であることは褒められるべきことである。非営利の仕事で、愛を込めることは、最高の人たちの手を借りるうえで不可欠なことである。
しかし、究極のところ、われわれが憶えられるのは、いかに世の中を変えたかによってである。彼の言葉「われわれにとっての成果は何か?」が今日われわれの心に響くのは、そのためである。
質問4を考えるための問い
- ■われわれにとっての成果をどのように定義するか?
- ■われわれのミッション、顧客、顧客にとっての価値を検討した結果、われわれが成果とすべきものは変わったか?なぜ変わったか?なぜ変わらないか?
- ■将来、われわれが成果とすべきものはどのように変わるだろうか?成果はどの程度実現しているか?
- ■成果はどの程度実現しているか?
- ■成果をあげるうえで有効な活動やプロジェクトは何か?
- ■将来、われわれは自らの成果をどのように評価測定するようになるだろうか?資源を活用しているか?
- ■人材を活用しているか?(ボランティア、理事、有給スタッフなど)
- ■資金や資源を活用しているか?(寄付金、設備、寄付物件など)
- ■組織のブランドを活用しているか?資源を活用しているか?(非営利組織)
- ■募金活動は結果を出しているか?
- ■募金活動をどのように寄付者に報告しているか?
- ■他の組織はどのように人材、資金、資源を活用しているか?寄付者を満足させているか?理事会を活用しているか?もしそうならば、それはどのようにしてか?
- ■われわれは他の組織から何を学ぶべきか?
ミレニアル・コラム価値観が北極星となる
カーネル・バーナード・バンクス(ColonelBernardBanks)ウェストポイント陸軍士官学校行動科学・リーダーシップ学部学部長。
www.usma.eduあらゆる組織が様々な成果を生むために存在する。
したがって、組織としてあげるべき成果を正しく理解させることが、組織のリーダーとしての仕事である。
成果の評価を誤るならば、組織の知覚にゆがみが生じ、遠からずして死滅への道をたどることになる。
しかし成果の評価には、大事なフィルターがある。人としての価値観であり、組織としての価値観である。
そこでドラッカーは問う。成功をいかに定義するか。組織は成功しているか。成果はいかに定義するか。何を強化し、何を廃棄するか。
だが、考えることはこれで十分ではない。考慮に入れるべきものは、もう一つある。総体としての影響である。
組織は成否の経験によって、次の行動が左右される。
組織はなすべきことをなすことについては、十分理解している。ドラッカーは「成果は生存を左右する」と言った。
それでは、間違った方法で良い成果をあげることは可能だろうか。私の最初の答えは、「イエス」である。
正しい方法によって正しい成果をあげるここにおいて、北極星としての役割を果たすものが、価値観である。今日では、価値観の検討を一顧の価値もないとする組織は稀であろう。
しかし、自らの行動をそれらの原則や信条に照らしているという組織は、そう多くはない。
ここで思い出すのは、利益は膨大だがレイオフと事業分割が必要という、大学院でのケーススタディの話である。
組織にしてもリーダーにしても、任されているのは、人の人生である。成果は大事だが、どう成果をあげるかも同じように大事である。
私の心からの願いは、組織としての行動と成果を考えるときには、自らの信条に照らしてほしいということだ。
そうすることによって、必ずや正しい方法によって正しい成果をあげたという誇りをもてるようになるはずである。
ミレニアル・コラムゴールを移動させつづける
アダム・ブラウン(AdamBraun)教育途上国での初等教育支援に取り組む非営利組織ペンシル・オブ・プロミスの創立者。
世界中で三〇〇校の小学校を立てた。
世界経済フォーラムが任命する「グローバル・シェイパーズ」(三三歳以下のコミュニティ)の一人。
www.adambraun.com数年前、まだいくつかの学校を建てたばかりの頃である。
三〇歳までに僕らペンシル・オブ・プロミスが学校を三〇校建てられたら思い残すことはない、と日記に書いた。今日、僕らが開校したのは一五〇校を超えた。
しかし、重要なことは他にある。それだけで死んでもいいというのは、間違いだったのである。僕らは、もっと先に進みたい。やりたいことはたくさんある。
何かができるようになると、次にできることを考えるようになる。招かれてスピーチをするたびに、もっとできると自信が湧いてくる。もっといろんな国を訪れたくなる。
何度夜明けを迎えていても、次の日の出をこの目で見たくなる。
ベストなどというものはない。人生にゴールはない。ゴールは固定されるものではない。ゴールの達成と、次のゴールへの期待は、同じ速度で進んでいく。
より遠くに、より先に失敗もあるし、成功もある。同じ日に自らを敗者と思うこともあれば、勝者と思うこともある。それが繰り返される。
うまく運ぶ人たちは、ゴールに達しようとして動くのではない。常にその先に、不可能に思われるような新しいゴールを見出している。
だから、果てしなく野心的な目標を立てたい。情熱をもって追求したい。そしてゴールをはるか遠くに移動させていきたい。
成功する人たちは、ゴールに達することを目指しているのではない。自信をもって大胆に、ゴールをより遠くに移動させつづける、そのような境地を目指している。
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