今から三千年以上も前のことだが、中国では国が乱れ、諸侯が相抗争する春秋時代を迎えた。
「呉越同舟」に讐えられるように、呉と越は特に犬猿の仲だった。たびたび小競り合いを繰り返していた。
ある時、呉王の間間は、越を撃とうと出兵し、逆に越王
勾践に迎撃されて深手を負い、無念のうちに死んでしまう。臨終に当たって、聞間は息子の夫差に、「汝の敵は越王勾践なり」と耳に焼き付ける。父の恨みを抱いて夫差は呉の後を継ぐ。
すると、「夫差はまだ若く、力がないに決まっている」と、越王勾践は判断し、呉を一気に攻め滅ぼそうとした。そのきに、参謀の疱議は、「攻めてはいけない。父親が亡くなったときは気が引き締まって、 一層、強くなる。必死に頑張る」と、匂践を諌めた。諌言を無視して、勾践が軍を率いて呉に勢いよく攻めていくと、敵は最強の精鋭を結集して、これをたちまち撃破してしまった。勾践は、残兵を率いてこれを追撃して、完全に包囲してしまう。
会稽山に立て籠もる。夫差は、進退窮まった勾践は、疱量の献策に従って、和議を申し出る。 一切の財宝を夫差に献じ、夫妻ともに奴隷になることを条件に、懸命に命乞いをした訳である。夫差は、勾践を許そうとしたが、夫差の参謀・伍子膏は、「勾践を見くびってはいけない。この際、 一気に越を滅ぼして、禍根を絶つべきだ」と諌めた。この情報に接するや、勾践は決死の覚悟を決め、最後の戦いに挑もうとした。ここから、参謀同士の虚々実々の駆け引きが始まる。
茫議は、勾践を諌めて決戦を思い止まらせると同時に、呉の重臣伯素に賄賂を贈って懐柔に回った。思惑通り、貪欲な伯率はすぐに靡いた。夫差を説いて伍子膏の諌言を退けさせてしまった。こうして、和議が成立した。勾践は何もかも失ったが、消量の術数で、国に帰ることだけは許されたのである。 一命は取り留めたとはいえ、王の身分から一挙に乞食の境遇に身を簑したも同じである。これを、「会稽の恥」という。
忠臣の伍子膏は、その後も、越を討つように繰り返し夫差に進言したが、ついに聞き入れられなかった。それどころか、夫差は、伯語の議言を聞き入れて、伍子膏を自殺に追い込んでしまう。
押しも押されぬ王者になった夫差は、ある時、今でいう国際会議みたいな集まりで諸侯を語らって北上し、晋と覇を争う。この隙に乗じて、勾践は呉を侵略する。伍子膏の諌言どおり、禍根が一気に芽を吹き出した訳である。慌てて帰国した夫差と一旦は講和を結ぶが、やがて越は呉を完全に蹂躙してしまう。越王勾践は、夫差を浙江の地に移そうとしたが、夫差はこれを拒否し、自刃して果てる。文字通り、「後悔先に立たず」である。これで、呉は消滅し、越はより大きくなった。
伍子膏は、死ぬにあたって、「自分の墓に梓を植えて欲しい。大きくなったら、呉王の相桶を作るためだ」と言い残した。忠臣の無念が思われてならない。
一方、越に勝利をもたらした名参謀の消量は、やがて勾践のもとを自ら去ってしまう(その理由については、「福相の作り方」の項で後述)。滝露と共に目覚ましい活躍をしたもう一人の参謀。文種は、池義の誘いを振り切って越に留まり、ささいな事を理由に勾践に首を斬られて、これまた無念の最後を遂げる。歴史上、参謀の不遇や受難は数知れない。
参謀を良く用い、末長く功に報いることは非常に難しい。議言を退け、忠言に耳を傾ける勇気と度量を持って欲しい。国でも、会社でも、大抵、参謀や右腕を失う時に乱れ、イエスマンや俵臣に取り囲まれて亡びる。忘れてならない歴史の理である。中国の故事が日本に伝わっている。家康も、秀吉も、中国の歴史や兵法に学んで多くの手法を採り入れた。『十八史略』や『史記』を初めとする様々な古典は現代でも非常に勉強になる。
「宋襄の仁」という言葉がある。宋の襄公は楚と争って大敗を喫し、その時の傷がもとで死んでしまう。戦いに臨んで、参謀の目夷が、敵の陣容が整わないうちに攻撃するよう進言したが、襄公は、他人の困難に付け込むのは君子の道ではないと、これを退けた。仁義を重んじ、楚軍が河を渡りきるのを待って決戦を挑み、逆に大敗したことから生まれた言葉である。情けをかけるにも程があるという戒めである。競争が原理の資本主義にあって、ライバルを遇する指針として欲しい。同じ轍を踏んではだめだ。度量がいくら大きくても、穴が開いていたら何にもならない。
また、呉王夫差と越王勾践に関連して言えば、「臥薪嘗胆」という故事成句がある。
「臥薪」とは、呉王夫差が、いつの日か越王勾践を討って父聞間の無念を晴らそうと、父の辛苦を忘れないために、朝夕、薪の中に臥して(寝て)復讐を誓ったという故事に由来する。
「嘗胆」とは、勾践が呉を討って「会稽の恥」をすすごうと、常住坐臥、飲食のときも肝を嘗めて苦しさを味わいながら、報復を忘れまいとした故事に由来する。
「臥薪嘗胆」とは、呉王夫差と越王勾践の故事から出た言葉で、・仇を討つために辛苦して自ら励ますとの意味である。
このように、歴史上有名な色々な戦いの中に、さまざまな戦略があったり、人生の機微があったりしている。遠くに旗を立て、後日を期して今に励む事業家の心構えとして大いに役立つ。参考にすべきである。
コメント