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第5部教科書通りに人を鍛える──「未経験者歓迎」で成長できる理由

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第5部教科書通りに人を鍛える──「未経験者歓迎」で成長できる理由

星野リゾートが運営する旅館・ホテルは、北海道から四国まで全国に広がってきた。

沖縄には統合予約センターもある。

どの施設でも、教科書的なロジカルな考え方がスタッフに息づいている。

特に、総支配人ら幹部社員への浸透度は高い。

旅館で働いたことがない社員をいきなり総支配人に抜擢星野リゾートは2009年12月、星のや京都を開業した。

「星のや」のブランドを冠した旅館は、軽井沢に続く2軒目だ。

同ブランドは、圧倒的な非日常性を持つ高級旅館のみに使う。

星のや京都は、星野リゾートにとって重要な戦略的プロジェクトである。

開業を前に、星野社長は驚きの人事を発表した。

それまで旅館で働いたことがない菊池昌枝氏をいきなり星のや京都の総支配人に抜てきしたのである。

関係者はあまりの大胆な人事に驚くばかりだった。

菊池氏自身も驚いたが、本人には周囲が思うほど不安がなかった。

「顧客満足度を踏まえながら戦略を高めていくという星野リゾートの発想は、これまでと変わらないと思った。

だからあまり心配しなかった」菊池氏は大学を卒業後、花王の子会社のニベア花王に勤務し、化粧品のエリアマーケティングやブランドマーケティングを約9年間担当した。

その後、米国系の化粧品メーカーに移り、マーケティング担当となった。

順調なキャリアを歩んでいた菊池氏だったが、やがてメーカーでの商品作りに疲れ、エコロジーに関心を持つようになった。

そんなとき、ふとしたきっかけで星野リゾートのことを知った。

「サービス業の会社で、しかも軽井沢にある」。

そんな理由から菊池氏は、化粧品メーカーとは全く業種が違う星野リゾートへの転職を決めた。

星野社長は、菊池氏に前職の経験を生かしてもらおうと、ブライダル部門の広告担当に配属した。

ブライダル事業には全くの素人だったが、「対象がモノからサービスに変わっただけで、マーケティングの基本は変わらない」。

菊池氏はこう気づき、新しい環境にすぐに溶け込んだ。

メーカー勤務時代は「今さら教科書なんて」今は「教科書は役立つ」と読み返す日々忙しく働く中で、菊池氏は星野社長の考え方を少しずつ知るようになった。

ちょっとした会話の中でも「これはあの理論だ」と説明する。

菊池氏にはそれが非常に新鮮だった。

「メーカーで働いていたころは、『教科書なんて、古くさくて役に立たない』と思っていた。

ところが星野リゾートは教科書的な発想を重視していた」。

その象徴が全国の施設で働く広報・マーケティング担当者が毎年参加する研修会だった。

研修会の狙いは、過去1年間に達成できたことと達成できなかったことを仕分けし、その理由を教科書的なロジックを使いながら徹底的に検証することだ。

議論を深めるために2泊3日とたっぷり時間を取り、アドバイザーとしてマーケティングを専門とする大学教授も招いた。

星野社長は研修会にフル参加し、「なぜなんだろう」と社員に問いかけ、考え続けていた。

「振り返り」に全力を注ぐその様子に、菊池氏は衝撃を受けた。

菊池氏は星野リゾートでのキャリアを積み重ねながら、次第に「教科書は実際の経営に役立つ」と分かった。

すると縁遠かった教科書がぐっと身近になり、何か分からないことがあると、自分で教科書を取り出して、読み返すようになった。

星のや京都の開業に向けて準備が進む中、星野社長は、菊池氏を熱海の伊豆山にある旅館「蓬莱」に送り出した。

江戸時代創業の「蓬莱」は多くの文化人に愛されてきた名旅館である。

経営に行き詰まり、星野リゾート入りしたが、名旅館を育てた「名おかみ」の古谷青游氏は健在である。

菊池氏は古谷氏から教えを受けた。

高級旅館のサービスの何たるかを知った経験は、菊池氏にとってかけがえのないものになった。

マーケティングなどの理論を教科書から学び、伝統が培ってきたおもてなしを先達から学ぶ。

星野リゾートの人材育成は、その両者が溶け合う。

星のや京都の開業後、菊池氏はそれまで担当したことがない財務などで多少の苦労をしながらも、顧客満足度を高める新しいプロジェクトをいくつも立ち上げるなど、積極的に動いている。

「顧客満足度を上げることは、『ここに取り組めばいい』というほど単純ではない。

しかし、どの要素とどの要素が結びついているのか相関関係を探れば、何をすべきか分かってくる。

現場での経験を生かしながら、『今週の数字を入れれば、来週必要な顧客満足度向上の取り組みが分かる』というところまで、仕組みづくりを進めたい」と語る。

ユニクロの米国進出担当者や外資系コンサルからの出戻りも菊池氏のように、星野リゾートの幹部社員は、異業種から転職してきた人が少なくない。

前職はメーカー、総合商社、百貨店、コンサルティング会社など多岐にわたる。

それまで観光業と無縁だった人がずらりと並ぶ。

貴祥庵の植田耕司総支配人もそんな1人だ。

もともとDJになろうと考えて、四国から上京した。

その夢はかなわなかったが、機械部品などを取り扱う商社のミスミグループを経て、「ユニクロ」のファーストリテイリングに入った。

ユニクロの米国進出に当たって、植田氏は最前線で働く社員の1人として、店舗開発や人材開発などの業務をこなした。

植田氏は4年前、星野リゾートに入社した。

「星野リゾートを含めて、私が在籍した3社は、いずれも非常にロジカルな経営をしている。

社員が熱心に議論しながら試行錯誤をして、仕組みを磨いている点は共通している」。

その植田氏が星野リゾートの特徴と感じていることがある。

それは星野社長が社員に対する説明を重視している点だ。

「経営判断をするときに、星野は方針を示してから、さらにその理由を分かりやすく説明している。

だから社員は納得感を持ちながら仕事に取り組める」。

旅館運営事業全般を担当する松山知樹取締役は、大手コンサルティングのボストンコンサルティンググループと星野リゾートの間を往復してきた。

もともとボストンコンサルティングで働いていた松山氏は、「軽井沢で暮らしたい」と考えて星野リゾートに入社し、サービス効率化のプロジェクトを手がけた。

プロジェクトが終了し、「再び東京に戻ろう」と考えた松山氏は、ボストンコンサルティングに再入社した。

やがて星野社長に「戻ってこないか」と誘われ、星野リゾートに舞い戻った。

「星野リゾートは戦略的な考え方がコンサルティング会社の発想に近い。

だから何の違和感もなく仕事ができる」と松山氏は語る。

多様なバックグラウンドを持つ社員が活躍できるのは、星野社長が教科書に基づいた合理的な経営を実践している影響が大きい。

明快な戦略の下、社員に基本的な考え方を浸透させることによって、この業界の知識や経験がなかった社員でも戸惑わずに働ける。

「未経験者歓迎」でさまざまなキャリアを持つ人材を集め、持っている力を発揮してもらう──。

星野リゾートが日本各地に運営施設を広げ、業績を伸ばしている原動力は、人のパワーを生かしていることである。

ロジカルな発想を磨くため手作りの研修プログラムもちろん星野リゾートに在籍しているからといって、すべての社員が最初から教科書的な発想を身につけているわけではない。

それまでロジカルな発想と無縁だった人も入社しているし、新卒で入ってくる若い社員もたくさんいる。

新しく運営を引き受けた旅館やホテルは、原則として社員も引き継ぐので、「仕事のあり方を理屈で考えたことが一度もない」「社内で議論をした経験が全くない」という社員も加わってくる。

こうした社員に力を発揮してもらうために、星野リゾートでは教科書的な考え方を身につけるトレーニングを行っている。

その1つが、社員研修プログラム「麓村塾」である。

「ロジカルシンキング」や「マーケティング」といった講座が設けられている。

麓村塾は社員が講師となり、旅館・ホテルにまつわるさまざまな知識をセミナー形式で学ぶ。

すべて手作りのオリジナルプログラムで、希望する社員は、原則

として誰でも自由に参加できる。

マーケティングの講座は、星野社長が自ら講師を務める。

1泊2日のプログラムをすべて担当し、参加する社員とじっくり向き合う。

教科書的な考え方を理解してもらうために、星野社長はかつて勉強会も開いてきた。

テキストにする本を星野社長が選び、毎月1、2回のペースでその内容について議論してきた。

社員は担当するパートについて考えたことを発表し、星野社長がコメントしながら本に対する理解を深めた。

勉強会で知識をつけ、教科書的な発想を磨いた社員が、今では現場の中核を担い、星野リゾート流の仕事のやり方を現場で伝えている。

押しつけるのでなく自分で身につけてもらう裏磐梯猫魔ホテルの小林康雄総支配人は、星野社長の父の時代から星野リゾートに勤務している。

星野社長より8歳年上で、経営改革の前から星野リゾートを知る数少ない社員である。

小林氏は、星野社長が高校生だったころから知っている。

大学生のときに弟の究道専務とともにアイスホッケーに打ち込んでいる姿を今でもよく覚えている。

小林氏は星野社長の改革に賛同し、自分も力になりたいと考えた。

だが、「それまで周りにいるどの社員よりも直感的に発想していた」ため、教科書的な考え方に縁がなかった。

「自分も新しい考え方を身につける必要がある」と強く感じた小林氏は、社内の研修プログラムを受けた。

ロジカルシンキングの本を自分で探して読むなどの努力を続けた。

その小林氏の目には、かつて星野社長は、自分の思い通りに進まない状況にいら立っているように見えることがあったたという。

それでも、自分の気持ちを抑えて、社員が自分で動き始めるのを見守っていたという。

タラサ志摩ホテル&リゾートの鎌田洋総支配人は、外資系ホテルを経て星野リゾートに入った。

転職組の1人だが、星野リゾートでのキャリアは17年と長い。

鎌田氏は「星野はロジックによって社員を引っ張るが、それを押しつけたことはない。

社員に自分で考えさせながら浸透させてきた部分が大きいと思う」と語る。

星野社長は、「学生時代はアイスホッケーばかりやっていて、勉強はしていなかった」。

大学卒業後、米国留学などを経て、教科書的な発想を身につけた。

星野リゾートに入り、社長になり、教科書から学んだことを生かして経営改革に取り組み始めた。

経営改革は一筋縄では進まなかった。

それでも星野社長は自分の判断を信じ、あきらめす、あせらず、改革を続けた。

「教科書通りの経営」をやり切る姿勢が会社を強くした。

 

中沢康彦1966年生まれ。

慶応義塾大学経済学部卒業。

新聞社記者を経て日経BP社に入社。

「日経ビジネス」記者などを経て、現在、「日経トップリーダー」副編集長。

著書に『星野リゾートの教科書サービスと利益両立の法則』(日経BP社)がある。

日経トップリーダー企業経営の実践的ケーススタディーを中心とするビジネス誌(月刊)。

1984年創刊の「日経ベンチャー」が生まれ変わって2009年4月に誕生した。

「明日の一流企業を育てる経営者」の意思決定に役立つ記事が満載。

毎号の特集では、現代の名経営者の発想、高収益企業の独自のノウハウなどを徹底取材し、分かりやすく解説する。

マーケティング、人材育成、現場改善など業績向上の具体策、経営の原理原則を知るベテラン経営者の教え、失敗事例の研究などの連載も充実。

日経BP社発行。

 

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