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第 15章睡眠のために社会は何をすべきか?──医療と学校の誤謬、グーグルと NASAの英断

目次

睡眠不足はいくら損失を与えるか

睡眠不足の状態になると、ほぼすべての職業で、必要とされる能力が損なわれる結果になる。

それではなぜ、企業は睡眠を過小評価するような社員を過大評価するのだろうか? 午前 1時でもメールに返信し、そして翌日の朝 5時 45分にはすでにオフィスにいる。

飛行機で全国を飛びまわり、 1週間のうちに5つのタイムゾーンを行き来する──私たちの社会には、そんな働き方を賞賛するような文化があるようだ。睡眠を軽視する傲慢な態度は、企業文化に根強く残っている。

昨今の企業は、従業員の健康をとても気づかうようになってきたというのに、睡眠だけは例外のようだ。

ハーバード大学の同僚だったツァイスラー博士も指摘しているように、企業は喫煙、アルコール、ドラッグ、セクハラ、パワハラ、怪我や病気の予防などには、つねに厳しい目を光らせている。

しかし睡眠不足となると、容認されているどころか、むしろ推奨されているほどだ。この態度はなかなか消えてくれない。というのも、一昔前には、仕事をする時間が長いほど、成果も生産性も上がると信じられていたからだ。

しかし、産業革命時代の工場で行われていたような単純作業でも、この法則はあてはまらない。これはまったくの誤解であり、しかもその代償は大きい。

アメリカの4つの大企業を対象にした研究によると、睡眠不足による生産性の低下で、従業員 1人あたり年間で 2000ドルを失っているという。

さらに重度の睡眠不足になると、その額は 3500ドルになる。たいした金額ではないと思うかもしれない。しかし全社単位で考えると、損失は年間で 5400万ドルだ。

年に 5000万ドルも失うような事態を放置する取締役会など、どこの会社にも存在しないだろう。この問題を解決する方法があるとわかったら、全会一致で賛成票を投じるはずだ。

独立系シンクタンクのランド研究所が、睡眠不足が経済活動に与える影響について独自の調査を行った。企業の CEOや CFOは、この結果を見たら思わず震え上がるだろう。

平均の睡眠時間が 7時間に満たない人は、平均の睡眠時間が 8時間を超える人と比較すると、国に甚大な経済的損失をもたらす。

図 16の Aを見ればわかるように、睡眠不足によって、アメリカは 4110億ドル、日本は 1380億ドルの損失を出している。この 2ヵ国に続くのが、ドイツ、イギリス、カナダだ。

もちろん、これらの数字は国の経済規模によってもつ意味も変わってくる。そこで今度は、 GDPに対する割合で考えてみよう。すると、さらに深刻な現実が浮かび上がる(図 16の B)。

睡眠不足による経済損失は、ほぼ GDPの 2%にもなる。これは各国の軍事費と同じレベルだ。教育投資とも同じくらいの額になる。考えてみよう。

国全体の睡眠負債をなくしたら、子どもの教育に投資するお金を 2倍にできるということだ。この事実だけでも、国家レベルで睡眠不足対策にとり組む動機になるはずだ。

しかし、そもそも睡眠不足がなぜ企業や国家に損失を与えるのだろうか? 私が講義を行ったフォーチュン 500企業の多くは、 KPIsという指数に興味を持った。

これは「 Key Performance Indicators」の頭文字で、純収益、目標達成の速度、商業的成功といった重要な項目でパフォーマンスを評価する。

評価の基準は多岐にわたるが、とくに重視されるのは、創造性、知性、モチベーション、努力、効率性、グループで働くときの有効性、心の安定、社交性、誠実さなどだ。

そしてそのすべてが、睡眠不足によって著しく損なわれる。初期の研究でも、睡眠不足は基本的な作業における効率とスピードを下げるという結果が出ている。つまり、寝不足の社員は生産性が低いということだ。

また、睡眠不足は問題解決の能力も下げ、思いつく解決策の数が減り、そして正しい解決策を出すこともできない。

睡眠不足はなぜ損失を与えるのか

私たちは、睡眠不足が職場における生産性と創造性に与える影響をさらに詳しく調べるために、より実際の仕事に近いタスクを開発して実験を行ってきた。

創造性はビジネスに欠かせないものであり、すべてのイノベーションは創造性から生まれるとされている。

実験では、睡眠不足の被験者と、睡眠を十分にとっている被験者を集め、それぞれに自分のやりたいタスクを選んでもらった。

タスクの内容は、単純作業(留守番電話を聞く)から頭を使う仕事(問題解決能力と創造性が必要とされる複雑なプロジェクトの遂行)までさまざまだ。

そして、いちばん簡単な仕事を選ぶのは、きまって睡眠不足の被験者だった。彼らはつねに楽な道を選び、創造的な解決策をほとんど思いつかない。

もちろん、睡眠を軽視する人は、そもそも楽な道を選ぶ性格だという可能性もある。睡眠不足だからそうなったという証拠にはならないかもしれない。

しかし、その同じ人物に、睡眠が十分の状態で同じように仕事を選んでもらうと、今度は難しい仕事も選ぶようになる。同じ人物で条件を変えて実験を行えば、睡眠不足が与える影響を証明できるのだ。

睡眠不足の従業員は、創造的な発想であなたのビジネスを前に進める力にはならない。これはたとえるなら、社員がそろってエアロバイクを漕いでいるような状況だ。みんな脚は動かしているが、まわりの景色は一向に変わらない。

睡眠が足りないと生産性が落ち、そして生産性が落ちるために長時間働かなければならなくなる。残業が増え、家に帰るのが遅くなり、寝るのが遅くなり、でも起きる時間は変わらず、その結果さらに寝不足になる。

悪循環の完成だ。これは、強火にすればあっという間にお湯が沸くのに、あえて弱火で時間をかけているような状況だ。「仕事が忙しくて寝るひまがない」という声はよく聞く。

しかし、気を悪くしないで聞いてほしいのだが、あなたがそんなにも忙しく、時間内に仕事が終わらない理由は、そもそも寝不足で効率が落ちているからではないだろうか。

興味深いことに、先ほど紹介した実験の参加者たちは、自分が寝不足のときは簡単な仕事を選んでいることも、仕事の効率が落ちていることも自覚していなかった。すでに見たように、寝不足の人は、自分の能力を客観的に評価する能力も下がっているのだ。

寝不足のときはあらゆることが面倒になり、職場にきちんとした服装で行くということさえできなくなる。それに、寝不足のときは自分の仕事が嫌いになる。

寝不足のときの気分を考えれば、それもうなずけるだろう。寝不足の社員は、生産性が下がり、モチベーションが下がり、創造性が下がり、幸福度が下がり、怠惰になる。

しかもそれだけでなく、倫理観まで下がるということがわかっている。ビジネスにおいて、信頼や評判は会社の命運を決めると言っても過言ではないだろう。寝不足の社員は倫理観が下がっているために、会社の評判を下げることを平気でするという危険がある。

私は以前、脳スキャンを使った実験で、睡眠不足の脳は理性と感情のコントロールを司る前頭葉の活動が弱くなると証明したことがある。

前頭葉の機能が落ちた人は、感情を抑えることができず、間違った判断を下しやすい。重要な意思決定が求められる職場でも、おそらくこれと同じ結果になるだろう。

実際の職場を対象にした研究によると、睡眠時間が 6時間以下の従業員は、 6時間以上寝た従業員に比べ、正しくない行動をとる傾向や、嘘をつく傾向が高くなる。

ワシントン大学フォスター・スクール・オブ・ビジネスのクリストファー・バーンズ博士が行った研究によると、睡眠時間が短くなるほど、偽のレシートをつくって返金を要求する詐欺を働いたり、ただで宝くじを手に入れるために嘘をついたりするという。

またバーンズは、睡眠不足の従業員は、自分のミスを他人のせいにしたり、他人の手柄を横どりしたりする傾向が強くなることも発見した。

こんな人間が職場にいたら、健全なチームワークなど望むべくもない。また睡眠不足は、何だかんだと言い逃れをして仕事をさぼる態度ともつながりが認められている。

そういう人は、個人が評価される仕事ではそれなりに努力するが、グループ全体の仕事が評価される仕事では、自分はなるべく楽をしようとする。

面倒なことは人にやらせて、自分は怠けるチャンスだと考える。1人でやる仕事に比べると、グループでは仕事量が減り、たとえ仕事をしても間違っているか、または質が低い。

このように、グループでの作業で自分だけ怠けようとする行為は、「社会的手抜き(ソーシャル・ローフィング)」と呼ばれる。

この行為は、グループ全体の生産性を下げるだけでなく、グループ内の関係もぎくしゃくさせる。ここで紹介した実験の多くは、被験者の睡眠時間をそこまで大きく変えずに行っている。

睡眠時間がたった 20分から 1時間少なくなるだけで、生産性、創造性、協調性、正直さなどで、ここまでの差が出たのである。

睡眠不足は、従業員だけでなく、経営陣にも同じような影響を与える。そして睡眠不足の CEOがトップにいると、その悪影響は組織のすみずみまで浸透するのだ。

たいていの人は、リーダーには「いいリーダー」と「悪いリーダー」がいて、いいリーダーはいつもいいリーダーであり、悪いリーダーはいつも悪いリーダーだと考えているが、実際はそうではない。

個人のリーダーとしての能力は、その日によって大きく変わる。個人の中での能力の開きは、別のリーダー同士を比べた能力の開きよりもはるかに大きい。

それでは、リーダーの能力が日によってここまで大きく変わる理由は何なのか。はっきりわかっている理由の1つは、前日の夜の睡眠時間だ。

リーダーシップと睡眠の関係を探る、ある研究が行われた。これは一見するとごくシンプルだが、なかなかうまい方法だ。

職場のリーダーの睡眠を数週間にわたって追跡し、それと並行して、直属の部下たちにリーダーの仕事ぶりを日毎に評価してもらう。

部下たちにリーダーの睡眠については一切知らせない。すると、前日の睡眠時間が短く、睡眠の質が悪いほど、リーダーは機嫌が悪くなり、部下に当たることが多くなる。また、別の興味深い結果もある。

リーダーが睡眠不足の日は、睡眠を十分にとった部下も、 1日を通して仕事へのやる気が下がるのだ。これは睡眠不足の連鎖反応であり、トップが睡眠不足の状態だと、その影響はウイルスのように全社に広がっていく。

その結果、せっかく十分に寝ている社員も、生産性やモチベーションが下がる。

さらに私たちの研究によると、睡眠不足の上司や CEOは、カリスマ性が低く、部下のやる気を引き出すことができないという結果になった。

そしてボスにとっては残念なニュースだが、睡眠不足の部下は、たとえボスが睡眠十分でカリスマ性とリーダーシップを発揮していても、仕事のできないボスという評価を下す。

トップから末端の社員まで、すべての従業員が睡眠を十分にとれば、生産的で、正直で、協力的な、会社にとっての真の戦力になるだろう。睡眠をほんの少し増やすだけで、見返りはかぎりなく大きい。

睡眠時間が増えると収入が増える

従業員にとっては、睡眠時間を増やすと給料も増えるという見返りがある。

エコノミストのマシュー・ギブソンとジェフリー・シュレーダーが、全米の労働者と賃金を調べたところ、平均して睡眠時間が多いほど収入も多くなるということを発見した。

彼らは同じタイムゾーンにある郡区の中で、同じような教育レベルで賃金が同程度の仕事をしている人を比較した。ただし同じタイムゾーンでも、西端と東端では昼の時間がだいぶ異なる。

西端に暮らす人は昼の時間が長く、遅い時間になるまで日が暮れない。そのため東端に人に比べると、就寝時間が平均して 1時間遅くなっていた。

しかし、どちらの労働者も起きる時間は同じだ。その結果、西端の労働者は、東端の労働者よりも睡眠時間が短いということになる。

収入に影響を与える他の条件、居住地の平均収入、住宅価格、生活コストなどを調整した後でも、 1時間多く眠る東端の人はやはり収入が多くなっていた。

だいたい 4 ~ 5%の違いだ。60分の睡眠でそれだけのリターンかと鼻で笑っているかもしれないが、この数字はバカにできない。

たとえば昇給の全米平均は、だいたい 2・ 6%だ。ほとんどの人は、その昇給のために仕事をがんばり、そして昇給がなければ心底がっかりする。

想像してみよう──働くのではなく、むしろ 1時間多く寝るだけで、そのほぼ倍の昇給が実現するのだ! 現実問題として、ほとんどの人はお金のために睡眠時間を犠牲にしている。

最近コーネル大学が、数百人のアメリカの労働者を対象に、2つの選択肢のうちどちらを選ぶかという調査を行った。

(1)年収 8万ドル。残業はなく、夜は 8時間眠れる。

(2)年収 14万ドル。残業は当たり前で、夜は 6時間しか寝られない。

残念ながら、大多数の人が( 2)を選んだ。たくさん眠る人のほうが稼げるという事実があることを考えると、これはなんとも皮肉な結果だ。

長時間労働を誇りに思うような企業文化は明らかに間違っている。これまでの研究結果をどの角度から見ても、睡眠不足が成功につながらないことは明らかだ。健全な眠りが、健全なビジネスを生む。

それにもかかわらず、依然として多くの企業がアンチ睡眠の構造から脱していない。この態度を変えずにいると、イノベーションは起こらず、成長もない。琥珀に埋め込まれた虫と同じで、ただその場で停滞するだけだ。

しかし、睡眠に関する研究結果に興味を持ち、自らの態度を変えてきている企業も存在する。私のような睡眠専門家を招き、社員に向けて睡眠の大切さを教えているところもある。

たとえば P& Gやゴールドマン・サックスは、社員向けに無料の「睡眠衛生」講座を開いている。さらに、大金をかけて社内の照明を新しくし、社員の概日リズムを狂わせないような工夫もしている。

また、ナイキやグーグルのように、より自由な勤務時間を設定している企業もある。社員はみな、自分の自然な概日リズムに合わせて勤務時間を決めることができる。しかもそれだけでなく、職場で眠ることまで許可している。

ナイキとグーグルの本社には、お昼寝のための静かな部屋が完備されている。従業員はいつでもその部屋で眠ることができ、そしてすっきりして創造性の高まった頭で仕事に戻る。さらに社員の健康状態も向上し、長期にわたる病欠が減少した。

職場で居眠りをすれば上司に叱られるのは当たり前で、ヘタをすると解雇されることもある。グーグルやナイキのような企業は、そのような文化から大きな飛躍を遂げた。

しかし悲しいことに、ほとんどの企業の CEOは、依然として睡眠の価値を理解していない。社員をムダに甘やかしているだけだと考えている。

しかし、それは彼らの勘違いだ。ナイキもグーグルもしたたかな企業であり、その証拠に莫大な利益を上げている。彼らが睡眠を重視するのは、そのほうが儲かるからだ。睡眠の利点をどこよりも早く理解していた組織がある。

1990年代半ば、 NASAはいち早く睡眠の研究に乗り出した。宇宙飛行士の健康管理のためだ。

そして彼らは、 26分の短い昼寝であってもタスクのパフォーマンスは 34%上昇し、覚醒度の上昇は 50%以上になることを発見した。

この発見が、いわゆる NASAの昼寝文化に発展し、地上で働く職員もみな昼寝をするようになった。

これからは、従業員が十分な睡眠時間を確保できる環境を整え、さらには職場で昼寝もできることも、企業の価値を判断する重要な基準になるべきだろう。

睡眠を奪うのは拷問である

睡眠不足がモラルの低下につながるのは、ビジネスの世界だけではない。政府や軍のほうがさらに深刻な事態になっている。

睡眠不足が人体に与える悪影響が明らかになり、 1980年代に入ると、ついにギネス世界記録も「連続して寝ないで起きている時間」の世界記録を認めなくなった。

さらに今後真似をする人が出るのを恐れ、過去の記録からも抹消してしまったほどだ。そして科学の世界でも、同じような理由で睡眠不足のデータを集めるのが難しくなっている。

実験で被験者に徹夜をしてもらえるのは、せいぜいで 1日か 2日だ。それ以上になると被験者の負担が大きすぎる。

被験者から睡眠を奪うのは、それが人間であっても、または動物であっても、倫理的に間違った行為だと私たちは考えている。

しかし、政府機関の中にはこの倫理観を共有していないところもあるようだ。彼らは不眠を拷問の手段として使っているのである。拷問の是非という問題には、政治や倫理が複雑に絡み合っている。それを本書で扱うべきではないと感じる読者もいるかもしれない。

しかし、あえて扱うことを選んだのは、人類は睡眠の価値を再認識すべきであり、まず国のトップである政府からそれを実践するべきだと強く信じているからだ。

2007年、「痕跡を残さない:尋問技術の強化と犯罪性のリスク」と題されたレポートが公表され、現代にも残る拷問の実態が明らかになった。

レポートをまとめたのは、人権のための医師団という拷問廃止を訴える団体だ。

レポートのタイトルからもわかるように、現代の拷問の多くは、証拠となる痕跡を残さないよう巧みな方法で行われている。中でも有効なのが、睡眠を奪うという方法だ。

この本を書いている時点で、ミャンマー、イラン、イラク、アメリカ、イスラエル、エジプト、リビア、パキスタン、サウジアラビア、チュニジア、トルコで、不眠が拷問の手段として用いられている。

私は睡眠をよく知る科学者として、この拷問法の廃止を強く要求する。その根拠は2つある。1つは、純粋に拷問の効果の問題だ。尋問で情報を引き出すことが目的なら、不眠はその目的を達成するのに適していない。

睡眠を奪われると、たとえそれが短時間であっても、その人物の認知機能に大きな影響を与える。具体的には、記憶の一部喪失、論理的思考力の低下、言葉の理解力の低下などだ。

その状況で正確な情報を引き出すのはきわめて難しい。それに加えて、睡眠不足はモラルの低下につながるので、嘘をつく確率が高くなる。

睡眠を奪われた人は、信頼できる情報を提供するのにもっとも適していないと言えるだろう。

彼らより頼りにならないのは、昏睡状態にある人ぐらいだ。頭が混乱している人は、嘘の告白をする。もちろん、それが拷問の目的である場合もあるだろう。

最近行われた研究によると、普段は意志が強くて正直な人でも、たった一晩でも睡眠を奪われると、本当はやっていないことを「やった」と告白してしまう可能性が、 2倍から、ときには 4倍にもなるという。

つまり、ただ睡眠を奪うだけで、相手の態度や信念を変えられるということだ。

イスラエル元首相メナヘム・ベギンの手記『白夜のユダヤ人』(新人物往来者)を読めば、その状況が手にとるように理解できるだろう。

1940年代、 1977年にイスラエル首相になるはるか以前、ベギンはソ連当局に捕らえられた。牢獄に入れられ、 KGBから拷問を受けた。その中には、長時間にわたって睡眠を奪うという拷問もあった。

ほとんどの政府が「囚人の睡眠管理」とぼかして呼んでいるその手段を経験したときのことを、彼は手記に記している。

拷問を受けた囚人は、頭の中に霧が充満してくる。精神は疲弊して死に絶え、足腰は立たず、望むことはただ1つだけ。それは眠りだ。ほんの少しでいいから眠りたい。横になりたい。眠ってすべてを忘れたい。(中略)

この欲求を体験した者なら、飢えや渇きでもこの苦しみとは比べものにならないことを知っている。(中略)

ある囚人は、署名しろと命令されたものにただ黙って署名していた。

署名すればもらえると約束したものがただ欲しかったからだ。それは自由ではない。署名すればもらえるもの──それは誰にもじゃまされない眠りだ。

そして、私が睡眠を奪う拷問に反対するもう1つの理由、そしてより重要な理由は、睡眠を奪われると、精神も肉体もとり返しのつかないダメージを受けるからだ。

しかし残念ながら、そして拷問者にとっては都合のいいことに、そのダメージを外から見ることは難しい。精神面の害から見ていこう。睡眠を長期間にわたって奪われた人は、希死念慮が強まり、自殺未遂を起こすリスクが高くなる。

このどちらも、一般の人と比べたときに拷問経験者に顕著に見られる傾向だ。また睡眠が不足すると、抑うつと不安の強い状態が続く。

そして身体面では、心臓発作や脳卒中といった心血管疾患、免疫機能の低下によるガンや炎症の発症、または生殖機能が失われるといったリスクがある。

アメリカの連邦裁判所の中にも、睡眠を奪う拷問について私と同じように考えているところが存在する。この手段は、非人間的で残虐な罰を禁じたアメリカ憲法修正第 8条と第 14条に違反するという考えだ。

「睡眠は生きるために絶対に必要なものである」という彼らの言葉に、異論を挟む余地はないだろう。

それにもかかわらず、アメリカ国防総省はこの判決を覆し、 2003年から 2004年にかけて、グアンタナモ収容所での 24時間連続の尋問を許可したのだ。今これを書いている時点で、この行為はまだ許されている。

改訂版のアメリカ陸軍フィールドマニュアルの付録 Mを見ると、囚人の睡眠時間を 24時間のうちの 4時間まで制限し、その状態を数週間にわたって続けることは許可されると明記されている。

しかし、昔からそうだったわけではない。1992年の版には、不眠は非人道的な精神的拷問であると書かれている。本人の合意と、医師による慎重な観察のない状況で睡眠を奪うのは、人間の心身に対する野蛮な攻撃である。

その長期にわたる死亡リスクは飢餓に匹敵する。もうそろそろ、こんなことは終わりにするべきだ。睡眠を奪うという行為は、きわめて残虐で非人道的である。人類の深い恥として、後世にわたって記憶されるだろう。

始業時間を遅らせたら、成績が上がった

アメリカの公立高校の 80%以上が、午前 8時 15分より前に学校が始まる。そのうちの 50%近くが、始業時間が 7時 20分より前だ。7時 20分の始業時間に間に合うようにするには、いちばん早くて 5時 45分にはスクールバスに乗らなければならない。

そのため、毎日 5時半、 5時 15分、さらにはそれよりもっと早く起きなければならない高校生もいる。この生活を、週に 5日、 4年間続けなければならない。これは狂っているとしか言えない事態だ。

そんなに早く起きて、集中して何かを学ぶことなどできるだろうか? ここで重要なのは、高校生にとっての 5時 15分は、大人にとっての 5時 15分とまったく違うということだ。

すでに見たように、 10代の子どもの概日リズムは、一気に 1時間から 3時間ほど前にずれる。つまり高校生にとっての 5時 15分は、大人にとっての 3時 15分と同じだということだ。

あなたはこんな時間に起きて、まだ何か勉強しようという気になれるだろうか? しかも、それが毎日続くのだ。職場で機嫌よくしていられるだろうか。同僚たちに愛想よくできるだろうか。

心に余裕をもち、いつもにこにこしていられるだろうか。まわりの人への敬意を忘れずにいられるだろうか。もちろんできないに決まっている。それならなぜ、自分にできないことを、子どもたちに押しつけるのだろう。

これが教育の理想の形であるわけがない。それに心身の健全な成長にとっても害になるばかりだ。学校の早い始業時間が、慢性的に睡眠不足の子どもを生みだしている。

10代は、うつ病、不安障害、統合失調症、自殺傾向といった慢性的な精神疾患の芽が出やすい時期であることを考えると、この状態は大いに憂慮されるべきである。

子どもを睡眠負債で破産状態にすると、ただでさえ危うい心身のバランスが崩れ、深刻な結果につながりかねない。私がここまで強い口調で断言するのには、もちろん確固とした科学的な根拠がある。

1960年代、まだ睡眠の機能の大部分が知られていなかった時代、若者のレム睡眠を 1週間にわたって奪うという実験が行われた。

レム睡眠を奪われるということは、夢も見ない。ノンレム睡眠をとることは許される。かわいそうな被験者たちは、実験の間ずっと頭に電極をつないだまま、実験室から一歩も出ることができなかった。

夜になると、レム睡眠に入るたびに、研究アシスタントが部屋に入ってきて起こされる。寝ぼけまなこの被験者は、そのまま 5分から 10分かけて数学の問題を解く。

レム睡眠に戻るのを防ぐためだ。しかし、再びレム睡眠が始まったら、また同じ手順がくり返される。それが夜通し続く。1週間ずっと、このくり返しだ。

精神に異常が現れるまで、 1週間も待つ必要はなかった。3日目に入ると、被験者は精神病の兆候を見せるようになった。

不安が強くなり、気分の浮き沈みが激しく、さらには幻覚や幻聴まで始まった。偏執病の症状も出た。研究者が共謀して自分を陥れようとしている、たとえば毒を盛ろうとしているなどと思い込む被験者もいた。

または、研究者はスパイであり、実験は政府の陰謀だと言い出す被験者もいた。そのとき初めて、研究者は重大な事実に気がついた。レム睡眠は、狂気と正気を分ける存在なのだ。

レム睡眠のことには触れずに、これらの症状だけを精神科医に伝えたら、うつ病、不安障害、統合失調症の診断が確実に下るだろう。

しかし被験者たちは、たった数日前までは健康な若者だったのだ。抑うつ状態にはなっていなかった。不安障害や統合失調症の兆しもなかった。

精神病の既往歴もない。本人だけでなく、家族も同様だ。レム睡眠が失われると、精神を病む。

そして、朝の早すぎる時間にむりやり起こされている 10代の子どもたちは、まさにこのレム睡眠の時間を失っているのだ。

学校の始業時間は、昔からこんなに早かったわけではない。100年前の記録を見ると、アメリカの学校は朝の 9時に始まっていた。そのため、 95%の子どもが目覚まし時計の力を借りずに起きていた。しかし現在、その割合は逆になっている。

それは学校の始業時間がどんどん早くなっているからであり、そのせいで子どもたちは、進化の過程でプログラムされた貴重な睡眠を奪われているのだ。

スタンフォード大学教授で、 I Qテストの作成に貢献したことでも知られる心理学者のルイス・ターマンは、子どもの教育の向上をライフワークにしていた。

そして 1920年代から、子どもの知的成功に貢献する要素をリストにしていった。そのような要素の1つが、十分な睡眠時間だ。

ターマンは著書の『天才の遺伝的研究( Genetic Studies of Genius)』の中で、年齢に関係なくよく眠る子どもほど知性が高くなると報告している。

彼はさらに、睡眠時間は、適切な学校の始業時間と大きな関連があるということにも気がついた。適切な始業時間とは、発達段階にある若い脳の自然なリズムを乱さない時間、つまり遅い時間ということだ。

ターマンの研究では因果関係までは証明されなかったが、さまざまなデータから睡眠が子どもの発達にとって大切であることは明らかだった。

アメリカ心理学会の会長でもあったターマンは、学校の始業時間を早くするというヨーロッパの潮流に従ってはいけないと、強い調子で警告している。

ヨーロッパのいくつかの国では、始業時間が 8時、さらには 7時と、どんどん早くなっていた。学校の始業時間を早めると、子どもの知性の成長を大きく妨げると、ターマンは確信していた。

しかし、彼の警告にもかかわらず、 100年後のアメリカでは学校の始業時間を早める方向にシフトしてしまった。そして今度はヨーロッパが、その逆の方向に進んでいる。

現代の私たちには、ターマンの慧眼を裏づける科学的証拠がある。5000人以上の児童生徒を長期にわたって追跡した日本の研究によると、睡眠時間の長い子どもほど成績がいい。

被験者はそれより少ないが、研究室のコントロールされた環境で実際に睡眠を観察した研究では、トータルの睡眠時間が長い子ほど I Qが高くなり、成績優秀な子どもは、 IQが低い子どもに比べ、平均して 40 ~ 50分長く眠っていることがわかった。

一卵性双生児を対象にした研究を見ると、睡眠の大切さがさらによく理解できる。

ルイビル・スクール・オブ・メディスンのロナルド・ウィルソン博士は、 1980年代に一卵性の双子に関する研究を始めた(ちなみにこの研究は現在も続いている)。

数百組の双子を対象に、幼少期から数十年にわたって追跡調査を行った。とくに注目したのは、双子で睡眠時間に差があるケースだ。睡眠時間の違いが発達にどのように影響するかを観察する。

10歳になると、双子で睡眠時間の長いほうは、短いほうに比べ、知性と学業成績がかなり優れているという結果になった。読解力を測る標準テストで点数が高く、語彙も豊富だ。

もちろん、このような差が出たからといって、睡眠が学業成績を上げるという因果関係の証明にはならない。とはいえ、第 6章で見た睡眠と記憶の関係と、この調査の結果を組み合わせれば、次の仮説を立てることができる。

「睡眠が学習にとって欠かせないものであるなら、学校の始業時間を遅らせて子どもの睡眠時間を増やせば、子どもの成績に大きな変化が出るのではないだろうか」。

結果は、仮説の通りだった。アメリカでは、始業時間を前倒しにする流れに逆行し、むしろ始業時間を遅らせる学校がだんだんと増えてきている。

生物学的に理にかなった時間に戻しているのだ。早い段階で方向転換に踏み切った例として、ミネソタ州イーダイナがあげられる。

かつては 7時 25分だった始業時間を、 8時 30分に遅らせたのだ。その結果、生徒たちの学業成績に劇的な変化が起こった。具体的には、 SA Tと呼ばれる標準テストの成績だ。

まだ始業時間が早かったころ、 SATのリーディングとライティングの点数は、トップクラスの生徒で平均 605点だった。これでもかなり立派な成績だ。

そしてその翌年、始業時間を 8時 30分に変えてから行った SA Tでは、同じトップクラスの生徒で平均点が 761点に上昇した。

リーディングとライティングだけでなく、数学の点数にも大きな変化があった。始業時間が早かったころの 683点から 739点まで上昇している。

このような結果を見れば、始業時間を遅らせるという投資には十分な見返りがあることがわかるだろう。

自然なバイオリズムに合った始業時間を設定し、生徒に十分な睡眠時間を与えれば、 SATの点数が 202点も上がるのだ。これだけ上がれば、進学する大学のランクも上げることができる。

その結果、その後の人生も大きく変わるかもしれない。

イーダイナの事例がどこまで一般化できるのかという疑問の声はあるが、より大規模で、条件をコントロールした組織的な研究でも、イーダイナは偶然ではないという結果が出ている。

アメリカ各州の数多くの郡で、学校の始業時間を遅らせたところ、生徒の評点平均が大幅に上昇した。成績の向上はすべての時間帯で見られたが、とくに顕著だったのが午前中のクラスだ。

もっとも、これは予想通りの結果だろう。以上のような結果を総合すれば、疲れて寝不足の脳が学習に向いていないことは明白だ。

それでも早い始業時間にこだわるというのなら、子どもたちに「部分的な記憶喪失」というハンディキャップを背負わせるのと同じことだ。

若い脳にとっては、早起きは三文の徳にならない。現在の状況は、意図的に学力の低い世代をつくり出してしまっている。この問題を解決するには、ただ学校の始業時間を遅らせるだけでいい。

それが文字通り、賢い選択だ。睡眠と脳の発達の関係で注目されるのが、低所得の家庭だ。これは子どもの学業成績にも直接的な影響を与える。

低所得の家庭の子どもは、親の車ではなく、スクールバスで通学することが多い。サービス業の親が多く、親の始業時間が朝の 6時か、それよりも早くなるからだ。

スクールバスは各地を巡回する都合上、出発時間が早くなる。そのため、スクールバスで通学する子どもは、親の車で通学する子どもよりも、早く起きなければならない。

彼らは低所得の家庭というハンディを背負いながら、さらに睡眠時間が少なくなるというハンディまで背負わされる。この状況は負の連鎖となって次の世代にもつながり、これを断ち切るのはかなり難しい。

何らかの行政や制度の介入が必要であり、それも今すぐに始めなければならない。

子どもの非行を減らし、死亡率を下げる方法

また別の研究では、学校の始業時間を遅らせると、出席率が上がる、子どもの問題行動やメンタルの問題が減る、アルコールやドラッグの濫用が減るなどの効果があるという結果が出た。それに加えて、始まる時間が遅ければ、終わる時間も遅くなる。

午後 3時から 6時までの時間帯は「危険な空白時間」と呼ばれていて、学校は終わったが親はまだ帰宅していないために、子どもは誰にも監督されない状態になる。この時間帯に、犯罪、アルコールやドラッグの濫用に手を染める危険が高いことは、数々の調査で実証ずみだ。

そこで、学校が終わる時間を遅くすれば、この空白時間も短くなり、子どもが非行に走るリスクも低くなるだろう。

しかし、始業時間を遅くする効果はこれだけにとどまらない。研究者も予期していなかったような結果が出ている。それは、子どもたちの平均余命が伸びたことだ。

10代の子どもの死因でいちばん多いのは自動車事故だ。そしてすでに見たように、車の運転では、ほんの少し睡眠が奪われただけで重大な結果につながりかねない。

ミネソタ州のマトミディ学区では、学校の始業時間を 7時 30分から 8時に遅らせたところ、 16 ~ 18歳のドライバーが起こす事故が 60%減少した。

ワイオミング州ティトン郡はさらに大胆な変化を起こし、学校の始業時間を 7時 35分から、身体の自然なリズムにより適した 8時 55分に変更した。

そして、驚くべきことに、 16 ~ 18歳のドライバーが起こす事故が、じつに 70%も減少したのである。以上はすべて、一般に公開されているデータだ。

次の学校の始業時間見直しまでに、すべての学校関係者がこのデータに目を通さなければならない。

しかし、実際は、あえて目の届かないところに隠されている。米国小児科学会とアメリカ疾病予防管理センターから正式な要請があるにもかかわらず、変化の兆しはまだ見えない。

いちばん大きな関門は、スクールバスの運行スケジュールと運転手の組合だ。それに、子どもを早く学校に行かせたいという親の声もある。そうすれば親も早く仕事に行けるからだ。この親の言い分は私も理解できる。

しかしだからといって、ここまで明白なデータが出ているのに、それでも子どもの脳にダメージを与えるスケジュールを続ける理由にはならないだろう。

教育の目的が、文字通り教育することであり、子どもの命を危険にさらすことではないのなら、始業時間を早くするという現在の方針は、教育の真の目的を裏切っていることになる。

ここで変化を起こさないと、この悪循環をいつまでも断ち切ることができない。子どもから貴重な睡眠を奪い、半分昏睡状態で授業を受けさせる。当然の結果として、子どもたちの学業成績は振るわない。

睡眠不足の状態を何年も続けるために、心身の健全な発達が阻害される。

そうやって育った子どもが大人になって社会に出ると、自分の能力を効果的に発揮できず、低い社会階層に追いやられ、そして自分の子どもたちにまた同じ苦労を強いることになる。

この負のスパイラルにより、状況は悪化するばかりだ。

75万人以上の 5歳から 18歳の子どもを対象にした過去 100年の調査結果を見ると、現代の子どもは、 100年前の子どもに比べ、睡眠時間が 2時間も少なくなっていることがわかる。これはどの年代でも同じ結果だ。

子どもの睡眠不足と AD H D

子どもの睡眠不足は、増え続ける ADHDとの関連も指摘されている。ADHDと診断された子どもは、落ち着きがなく、気分の変化が大きく、気が散りやすい。学校の授業に集中するのが困難で、うつ病や希死念慮のリスクが高くなる。

この症状だけを見て、 ADHDという病名がついていなかったら、寝不足の症状とまったく同じだということに気づくだろう。

寝不足の子どもを病院へ連れていき、寝不足のことは知らせず症状だけを説明したら、医師は間違いなく ADHDと診断し、その薬を処方するはずだ。

これは皮肉な状況だ。

たいていの人は、一般的な AD H Dの薬の名前を知っている。それはアデラルとリタリンだ。しかし、その薬の働きを正確に知っている人はほとんどいない。

アデラルはアンフェタミン塩という覚醒剤からできていて、リタリンはメチルフェニデートという同じような興奮作用をもつ成分でできている。

アンフェタミンとメチルフェニデートは、現在わかっているかぎり、もっとも強力な覚醒作用のあるドラッグだ。もし AD H Dと診断された子どもが、本当は寝不足なのだとしたら、これはもっとも処方してはいけない薬だろう。

同僚のチャールズ・ツァイスラー博士も指摘しているように、通常であれば未成年にアンフェタミンを売るのは重罪であり、実際にそれで何十年も牢屋に入っている人もいる。

しかし、売人が大手製薬会社になると、ゴールデンタイムのコマーシャルで、アンフェタミン系のドラッグ(アデラルやリタリン)を堂々と宣伝しても許されるのだ。

私はここで、 AD H Dの診断そのものに疑問を呈しているのではない。

ADHDと診断されたすべての子どもが睡眠不足だと主張しているわけでもない。

しかし、事実として、睡眠不足、または何らかの睡眠障害でありながら、 ADHDと誤診されている子どもは数多く存在するのだ。

彼らは成長期という大事な時期に、アンフェタミンという強力なドラッグを強制的に飲まされている。

隠れた睡眠障害の1つに、小児の睡眠無呼吸症候群があげられる。大きないびきをかくことが特徴だ。

睡眠中に呼吸筋が弛緩すると、肥大したアデノイド(鼻とのどの間にあるリンパ組織)や扁桃腺が気道をふさいでしまう。ふさがれた気道は空気が通りにくくなり、無理に呼吸をするといびきをかくことになる。

脳に酸素が十分に行きわたらず、子どもは呼吸を回復するために、夜中に何度も目を覚ます。その結果、貴重な深いノンレム睡眠が阻害されるのだ。

この睡眠時無呼吸症候群による睡眠不足は毎晩起こり、それが数ヵ月、ときには数年も続くことになる。

慢性的な睡眠不足の状態が長く続くと、気性、認知力、情動、学業成績などの面で、さらに AD H Dの症状に酷似してくる。

幸運にも睡眠障害と正しく診断され、扁桃腺を切除する手術を受けた子どもは、たいてい AD H Dではなかったということが証明される。手術で睡眠が改善すると、 AD H Dの症状がすっかり消えるからだ。

最近の調査や臨床データによると、 ADHDと診断された子どもの 50%以上が、実際は睡眠障害だと推定される。しかし、そのことを把握している医師はほとんどいない。

この問題については、行政の対応が望まれる。

製薬会社の影響を受けず、政府が独自で、子どもの睡眠障害の啓発キャンペーンを行うべきだろう。

国立睡眠財団が最近行った調査によると、 70%の親が、自分の子どもは十分な睡眠をとっていると信じている。

しかし現実は、 11 ~ 18歳の子どもで十分な睡眠をとっているのは、わずか 25%以下だ。親である私たちは、子どもの睡眠について誤解している。偏見をもっているとさえ言えるかもしれない。

眠りたがる子どもをむりやり起こし、怠け者だと叱責するのだ。子どもは学校のせいで奪われた睡眠時間をとり戻すために、週末ぐらいは好きなだけ寝ようとする。しかし親である私たちは、それさえも許さない。

この考え方が変わることを、私は願っている。

睡眠を軽視するという負の遺産を、せめて子どもには受け継がせないようにしよう。睡眠を十分にとった脳は、もてる力を発揮する。睡眠不足の脳にそれはできない。

なぜ研修医は睡眠を削るようになったか

近いうちに病院を受診する予定があるなら、ぜひ医師に確認してもらいたいことがある。それは、医師の睡眠時間だ。

「昨夜は何時間寝ましたか?」という質問への答えが、あなたの生死を分けると言っても過言ではない。誰でも知っているように、医師も看護師も長時間労働の激務だ。とくに研修医の労働時間は常軌を逸している。

しかし、その理由を知る人はほとんどいない。

医師としての知識や技術を学ぶこの大切な時期を、なぜ睡眠不足の状態ですごさなければならないのか? 最初にこの問いに答えたのは、ウィリアム・スチュワート・ハルステッドだ。

彼は高名な医師であり、そして深刻なドラッグ依存症だった。

1889年、ハルステッドは、ジョンズ・ホプキンス病院で外科医の研修プログラムを設立した。当時、ハルステッドは外科部長だったので、彼の哲学は絶大な影響力をもっていた。

若い医師たちは、彼の考える「理想の医師像」に従うしか道はない。研修医を意味する「レジデント( resident)」という言葉には「居住者」という意味もある。ハルステッドはこの言葉を文字通りに解釈し、研修期間は実際に病院に住み込むべきだと考えていた。

若い研修医はまさに病院に缶詰になり、長時間労働を強いられた。

ハルステッドにとって、睡眠はただの贅沢品であり、なくても生きていける。研修や診療の妨げになるので、むしろないほうがいい。ハルステッドの哲学に異を唱える人はいなかった。

なぜなら彼自身がそういう生き方をしていたからだ。

何日も寝ていなくても、まるで平気な顔をしている。まさに超人だった。

しかし、ハルステッドには誰も知らない秘密があった。

彼の死後、それが初めて明るみに出ると、あの超人的なエネルギーの理由がついに判明した。

彼はコカイン依存症だったのだ。どうやらコカインを始めたのは意図的ではなく、偶然だったようだ。

それは、ジョンズ・ホプキンス病院に来るかなり前のことだった。

キャリアの初期、ハルステッドは神経ブロック作用のある薬の研究をしていた。

手術時の麻酔に応用するためだ。そのとき研究していた薬の1つがコカインだ。コカインは、神経を流れる電気を止める働きがある。

コカインをやったことがある人ならよくわかるだろう。

鼻から吸うと、鼻だけでなく、ときには顔全体の感覚がなくなるからだ。

まるでやけくそになった歯医者から、大量の麻酔を投与されたようになる。

ラボでコカインの研究をしていると、自分で試してみたくなるまでにそれほど時間はかからなかった。そしてハルステッドは、コカインから離れられなくなったのだ。

1885年9月 12日付けの『ニューヨーク・メディカル・ジャーナル』誌に、ハルステッドの研究レポートが掲載されている。

読んでみればわかるだろうが、支離滅裂な内容でとても理解できない。

医学史の研究者の中には、おそらくコカインでハイになっているときに書いたのだろうと言う人もいる。ジョンズ・ホプキンスに来る前から、まわりの人はハルステッドの奇妙な様子に気づいていた。

たとえば、研修医の手術で指導者として立ち会っているのに、いきなり手術室から出て行ってしまう。若い医師はすべて 1人でやるしかない。または、あまりに手が震えて手術ができないこともあった。

ハムステッドはその理由を、ニコチンが切れたからだと説明していた。ハルステッドには助けが必要だった。

リハビリ病院に入ったが、ファーストネームとミドルネームだけ登録し、名字は隠していた。周囲の人に知られるのを恐れていたからだ。

こうやって何度も依存症を断ち切ることに挑戦したが、どれも失敗に終わった。

ロードアイランド州プロビデンスのバトラー精神病院に入院したとき、ハムステッドは病院がすすめるリハビリプログラムを実行した。

プログラムには、運動、健康的な食事、新鮮な空気の他に、禁断症状をやわらげるためモルヒネも含まれていた。そしてそこを退院するとき、ハルステッドはコカインの他に、モルヒネの依存症にもなっていた。

ハルステッドの謎の行動は他にもある。

自分のシャツを洗濯するためになぜかパリまで送り、そしてパリからは、シャツだけでなく他に何かが入った小包が送り返されてきたという。

コカインで眠らない男になったハルステッドは、自分を基準にジョンズ・ホプキンス病院の研修プログラムを作成した。

若い研修医たちにも、眠らずにすべての時間を病院に捧げることを求めたのだ。そして彼の精神は、現在も全米の病院で形を変えて受け継がれている。そして犠牲になるのは、若い研修医だけではない。

その影で数え切れないほどの患者が、誤診され、医療ミスにあい、命を落としてきた。患者のために日夜尽くしている若い医師に、そんなことを言うのはひどいと思うかもしれない。しかしこれは、本当の話だ。

睡眠不足の医師と医療事故

多くのメディカルスクールは、かつて研修医の労働時間は 30時間と決めていた。意外と短いと思った人も多いだろう。

おそらくあなたは、最低でも週に 40時間は働いているのではないだろうか。しかし研修医の 30時間は、連続して働く時間の制限だ。しかも彼らは、この 30時間のシフトを週に 2回こなすこともある。

それ以外の日は、 12時間のシフトだ。この過酷な労働が研修医に与える影響については、詳しい記録が存在する。

30時間シフトの研修医は、間違った薬を処方する、手術用具を患者の体内に残すといった深刻な医療ミスを犯す確率が、 16時間かそれ以下のシフトの研修医に比べて 36%上昇する。

また、一睡もせずに 30時間のシフトをこなした後の研修医は、十分に睡眠をとったときと比べ、集中治療室での診断ミスがじつに 460%も増える。

そして研修期間を通じて、研修医の 5人に 1人が、睡眠不足が原因のミスを犯し、患者に重大な損害を与えている。そして研修医の 20人に 1人が、睡眠不足が原因のミスで患者を殺している。

現在、アメリカの病院で研修医として働いている医師は 10万人を超えている。つまり、年間に何百人もの人が、研修医が十分な睡眠をとれないために、落とさなくてもいい命を落としているのだ。

この章を書いている間にも、また新しいレポートが発表された。

それによると、医療ミスは、心臓発作、ガンに次いで、アメリカで 3番目に多い死因だという。その医療ミスの多くに、おそらく睡眠不足がかかわっているだろう。

そして、若い医師自身も死者の数に加わることもある。

30時間連続のシフトを終えた研修医は、睡眠を十分にとったときと比べ、注射針を自分に刺したり、メスで自分を切るなどのうっかりミスをする確率が 73%増えるという。

その結果、危険な感染症で命を落とすこともある。研修医の寝不足は、自動車事故とも無縁ではない。それが悲しくも皮肉な事態を招いている。

長いシフトを終えて、寝不足の研修医が車を運転している。

おそらく救急救命室で自動車事故の犠牲者の命を救うために奮闘し、そしてやっと勤務が終わって帰路についたのだろう。

彼らが事故を起こす確率は、寝不足のために 168%上昇している。その結果、彼らがさっきまで自分が働いていた救急救命室に舞い戻る確率はかなり高い。

しかし今度は、マイクロスリープが原因の自動車事故で担ぎ込まれるほうだ。ベテランの医師も、寝不足が原因で医師としての技量を危険にさらしている。

たとえば、前日に最低でも 6時間は寝ていない医師がメスを握ると、臓器に傷をつける、大量出血などの深刻なミスを犯す確率が、十分に睡眠をとっているときに比べて 170%上昇する。

近々手術を受ける予定がある人は、手術の前に執刀医の睡眠時間を確認するようにしよう。もし医師の睡眠が足りないと感じたら、手術を延期したほうがいい。

どんなに経験豊かなベテランの医師でも、睡眠不足を克服する方法は学ぶことができない。それも当然だろう。

母なる自然は、何百万年もかけて、この睡眠という生命に絶対に必要な機能を進化させてきたのだ。それを考えれば、どんなに意志の力が強くても、数十年のキャリアがあっても、進化の上を行くことはできない。すでに数々の証拠が示しているように、そのような傲慢さは死につながる。

次に病院のお世話になるときは、この本で読んだことを思い出すようにしよう。

22時間連続で起きている人は、法的に酔っているとされる人と同じくらい、さまざまな機能が下がっている。

患者の目の前でウィスキーを飲み、ろれつが回らなくなっている医師に、命を預けることなどできないはずだ。

睡眠不足の医師も、それと同じことだ。これだけの証拠が揃っているというのに、なぜアメリカの医学界は、医療関係者がもっと人間的なスケジュールで働けるようにしないのだろうか。

研修医の過酷なスケジュールがさすがに問題になり、政府から法定労働時間を病院にも適用するという圧力を受けると、 ACGME(研修医のプログラムの許認可を行う組織)もついに重い腰を上げて改革に乗り出した。

新しい決まりによると、 1年目の研修医は、

( 1)週の勤務時間を 80時間までに制限し、

( 2)連続勤務は 24時間までとし、

( 3)夜勤は 3日に一度までとする。

この改革後のスケジュールでも、脳にとっての理想的なスケジュールにはほど遠い。睡眠不足による医療ミスはこれからも続くだろう。この事態に危機感を覚え、全米科学アカデミーに属するアメリカ医学研究所が声明を発表した。

その声明は、 16時間以上連続で働くのは、医師にとっても患者にとっても非常に危険だと断言している。

先ほど ACGMEが決めた新しいルールを紹介したときに、私が「 1年目の研修医」と書いていることに気づいた人もいるかもしれない。

なぜわざわざ 1年目に限定したかというと、実際、適用されるのは 1年目の研修医だけであり、 2年目以降の研修医には適用されないからだ。

その理由は、 ACGMEによると(ちなみにこの団体は超大物医師の集まりであり、研修プログラムのすべてを決める権限を持っている)、睡眠不足の危険を指摘

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