二〇〇七年のとある金曜日の朝、ワシントン DCの地下鉄の通勤客たちは一生に一度の大チャンスに遭遇した。その日、ワシントン・ポスト紙が行なった心理実験のなかで、世界的なバイオリン奏者のジョシュア・ベルが都心の地下鉄駅の構内でストリート・ミュージシャンに扮して演奏した。ベルはおよそ四五分近くにわたってストラディバリウスでクラシック音楽を奏で、そのあいだに一〇〇〇人を超える通勤客が彼の眼のまえを通りすぎた。ポスト紙は大騒ぎになったときに備えて綿密な計画を立てていたものの、不安は杞憂に終わった。立ち止まってベルの演奏を一分以上聴いたのは、わずか七人だけだった。 通勤者たちが知らなかったのは、ベルの演奏を聴くために世界じゅうで何千人ものファンが大金をつぎ込んでいるということだった。ファンたちは一張羅を着込み、ホール近くでなんとか駐車場を探して車を止め、舞台から遠く離れた席に坐ってベルの演奏に酔いしれた。この実験と結果については、さまざまな議論が巻き起こった。引く手あまたの世界的バイオリン奏者が、なぜ地下鉄の駅では無視されたのか? ワシントン・ポスト紙は、ベルは「額縁のない絵」だったと説明した──地下鉄の駅という状況のなかでは人々は彼の演奏を理解できず、楽しむことができなかった。たしかに、この解釈にも一理ある。たとえば、まったく同じ一枚の絵画があったとしても、それがピカソの作品だとわかったときには値段が吊り上がり、無名画家のものだとわかったときには値段が一気に下がる。しかし、この話にはより深い真実が隠されている。意図的にせよ無意識にせよ、ワシントン・ポスト紙によるこの実験は、人間の精神の奥深くに根づいたある特徴を暴くものだった。 これを理解するために、一九七〇年代はじめに行なわれた古典的な心理学実験について考えてみたい。プリンストン大学のジョン・ダーリーとダニエル・バトソンが注目したのは、新約聖書の「善きサマリア人のたとえ」だった。見知らぬ人が強盗に襲われて道で倒れていたとき、祭司とレビ人は無視して通りすぎたが、身分の低いサマリア人だけが介抱したという話だ。イエス・キリストによるこのたとえ話は、誰もが隣人であり、社会の最下層の人々も大切な役割を果たしていることを説くためのものだった(当時、サマリア人は一般大衆から忌み嫌われていた)。ダーリーとバトソンはこのたとえ話から異なる教訓を導きだし、サマリア人だけが強盗の被害者を助けたのは、彼に急ぎの用事がなかったからなのではないかと考えた。サマリア人よりも高い地位であるレビ人と祭司には何か別の用事があり、ケガ人を無視して通りすぎてしまったのではないか? そこでダーリーとバトソンは、道端で倒れている人を助けるか否かは、通りかかった人物が急いでいるかどうかで決まるという仮説を立てた。ふたりは心やさしい研究者だったが、自分たちの主張を証明するために彼らが考えだした方法は、とりわけ残酷なものだった。 実験のなかでダーリーとバトソンは、神学を専攻する学生たちを被験者として集め、善きサマリア人のたとえから学びとれる教訓について別会場で簡単な解説をするように頼んだ。学生たちには、次の三つのうちのどれかひとつの指示が与えられた。 ①解説を録音する会場に行く時間の余裕がたっぷりある。 ②時間の余裕はそれほどない。 ③予定より遅れており、急がなくてはいけない。説明を受けて部屋を出た学生たちは、会場に向かう途中、道端で倒れている人に遭遇する──。 ダーリーとバトソンはこの実験のために役者を雇い、地面に横たわってうめき声を上げるように指示した。役者は道のほぼ中央に倒れており、学生たちはその身体をほぼまたぐように進まなければさきには行けない。「困っている人を助けることが大切」というテーマの話をするために移動中の学生たちのうち、いったい何人が教えにしたがって倒れた人を助けるのか? ダーリーとバトソンが予想したとおり、時間に余裕がある場合には助ける割合が増え、予定より遅れているときは助ける割合がはるかに少なくなった。しかし、おそらくもっとも驚くべきことに、三つのうちどの条件を与えられたかにかかわらず、すべての神学生のなかで立ち止まって倒れた人に声をかけたのはわずか五三パーセントだけだった。 多くの学生が困っている人を助けなかったという驚くべき事実は、ワシントンの地下鉄の通勤客がジョシュア・ベルの前を素通りした謎を解く手がかりを与えてくれる。どちらの例でも、人々は未来に眼を向けていた。おそらく神学生の多くは、助けを必要とする人がいるという事実にはっきりと気づいてはいなかったのだろう。倒れた役者を実際にまたいだ学生もおり、その身体が視界に入っていたことはまちがいなかった。しかし彼らの頭のなかは、善きサマリア人のたとえをうまく説明することに支配されており、倒れた人にほとんど注意を払えなかった。ワシントンの地下鉄の通勤客のケースでも同じように、思考という騒音にかき消され、彼らにはジョシュア・ベルの演奏などほとんど聞こえていなかったのだろう。面倒な上司とどう接すればいいのか? 冷蔵庫からいつもランチを盗む同僚にどう向き合うべきか? 彼らの頭のなかにはそれしかなかった。 第 6章で説明したように、頭のなかで時間旅行に出かけ、将来のための複雑な計画を立てるためのこの能力は、人間に選択的な優位性をもたらした。しかしそれは代償がともなうものであり、将来のことを考えるあいだ人々の現在への注意は散漫になる。眼のまえの状況にほとんど注意を払えず、その瞬間の喜び(や必要性)を理解できないことも多い。わたし自身の例でいえば、おいしいお菓子を食べているにもかかわらず、ほぼ味わっていなかった経験が何度となくある。そんなときのわたしの頭のなかは、次の講義や家族旅行のことでいっぱいだった。あるいは、スピード違反切符をまた切られた件をどう妻に説明するかを考えあぐねていた。 未来に思考を向けて現在を無視するという人間の傾向は、一朝一夕に解決できる問題ではない。しかしながら、世界じゅうで〝マインドフルネス〟に対するさまざまな取り組みがあることは、多くの人がこの問題を解こうと試みている事実を反映するものにまちがいない。そのような瞑想法のほとんどは、人々に現在を生きることを説こうとする。立派な目標であることはたしかだとしても、達成するのは驚くほどむずかしい。なぜなら、人間の進化した技術とは相反するものだからだ。過去一〇〇万年以上にわたって、人類は未来に眼を向けることによって恩恵を受けてきた。現在の必要性や喜びがとりわけ大きく、眼のまえの出来事に無理やり注目を引き戻すほどの力がなければ、将来への思考を頭から締めだすのはきわめてむずかしい。 対照的に、わたしの飼っているイヌたちは、そのような内なる葛藤に悩まされてはいないようだ。思考を未来に送ることができないイヌは、つねに現在を生きている。家族の夕食の残りものなのか、獣医のところに連れていくための罠なのかにかかわらず、ご褒美を与えればイヌは嬉々として食い尽くす。明日のことを計画するのが苦手なイヌたちの生活はわたしに管理されており、イヌがわたしの生活を管理することはない。ほかの数多くのことと同じように、進化は一方の手で何かを与え、他方の手で何かを奪う。ここで、おそらく人間にとって最大の疑問が浮かび上がってくる……。なぜ人間はいつも幸せではないのか? 宝くじに当たり、使い切れないほどの大金を突如として手にしたらどうなるのだろう? わたしはそう妄想することがよくある。わたしはそもそも宝くじを買わないので、当たるわけがない。しかし当然ながら、ほとんどの人の宝くじの夢も実現しない。じつのところ、この事実はそれほど悪いことではない。信じがたくはあるものの、宝くじの当選者は当選前より幸せになるわけではなく、むしろずっと不幸になる人も多くいる。当選した翌日こそ大きな幸せを感じるだろうが、一年か二年たつとほとんどの人は新しい現実に慣れ、幸福感は当選前と同じ状態に戻る。以前よりも高級な車を運転しているとしても、眼のまえのひどい渋滞に悩まされるという事実に変わりはない。
それどころか、なかには思いがけない大金が引き起こすさまざまなトラブルに巻き込まれる人もいる。たとえば、当選後はきまって友人や家族がぞろぞろとやってきて、幸運を分けてくれとせがんでくる。二〇〇六年にミズーリ州の宝くじで二億二四〇〇万ドルを仕事仲間一二人と獲得したサンドラ・ヘイズはこう語った。「まわりの人々の欲と要求に耐えなければなりませんでした……愛する人たちが急に吸血鬼に変わり、わたしの命を奪い取ろうとしてくるんです」 わたしたちにはみな夢がある。でもたとえ夢が叶ったとしても、以前より幸せになることなどめったにない。それが悲しい真実だ。新たな成功は必ず新たな挑戦をもたらす。ディズニー映画の決まり文句「それからみんなずっと幸せに暮らしましたとさ」より、ドイツの格言「楽しみにすることはいちばんの喜び」のほうがはるかに現実的であることは言うまでもない。 目標を達成するという夢は、生涯にわたる幸福を与えてくれる。にもかかわらず、その目標を達成したときに感情的な幸福は与えられない。進化はなぜこんな汚い手を使ってくるのだろう? なかには、原因はわたしたちの現代社会にあり、現在と過去の暮らしぶりの大きな乖離のせいだと訴える人もいる(この点についてはこのあとくわしく解説する)。しかし、問題はそれほど単純ではない。農業の出現はさまざまな大きな変化へとつながったが、その多くは幸福を邪魔するものだった。しかしじつのところ、狩猟採集民の先祖たちもまた、長続きする幸せを手にすることなどできなかったのだ。 この問題に対するより大切な答えは、繁殖さえうまく進んでいれば人間が幸せかどうかは進化には関係ないという事実に隠れている。幸福とは、遺伝子に最大の利益を与える行動をとるよう、人間を動機づけするために進化が使うツールだ。もし人間が永遠の幸せを手にすることができたら、進化はもっとも便利なツールのひとつを失うことになる。 例として、ふたりの架空の先祖サグとクラッグについて考えてみたい。いまから約一万年前まで続いた更新世の時代に生きていたふたりは、どちらも洞窟のなかに坐ってトカゲの尻尾を食べつつ、マンモスに似た巨大な哺乳類マストドンを殺すことを夢見ていた。ひどく冷たい氷河の上を歩きつづけ、危険な動物に立ち向かうのはどこまでも困難なことだ。この架空のシナリオのなかでは両者とも夢を実現させ、ひとりで獣を殺すことができた……いや、それはあまりに非現実的なので、マストドン狩りをふたりが取り仕切ったとしよう。当然ながら、サグもクラッグもこのうえない幸せを感じ、それぞれの一族のなかで人気者になった。 サグがずっと幸せを感じつづける一方で、クラッグのほうは一週間ほどで以前の精神状態に戻ったとしたら、何が起きるだろう? 頭のなかで狩りの功績にいつまでも酔いしれるサグは、もう外に出て狩りをする必要などないと考え、洞窟のなかで毎日のんびり過ごす。対照的にクラッグは新たに達成するべき目標を見つけ、再びやる気をメラメラと燃やす。野心に駆り立てられた彼は、すぐさま洞窟を出て氷河の上に戻っていく。これがさらなる成功へとつながり、クラッグは伴侶を得て、一族から尊敬される存在となる。友人たちからも感謝され、眠るときには焚き火のそばの特別な場所を与えられる。 しかし、のんきなヒッピーになったサグは生産性を失い、集団からほとんど見向きもされなくなる。マストドン狩りについての自慢話などもはや誰も聞こうとはせず、人々はむかしながらの質問を口にしはじめる──「最近、あなたはわたしのために何をしてくれたのですか?」。でも、サグはそんなことは気にしない。結局のところ、彼はいつも幸せだからだ。しかしながら、社会的・生殖的な影響を免れることはできず、次の世代を生きるサグの子孫は少なくなる。サグとクラッグのこの壮大な物語からも明らかなように、永続的に幸福を保つことができないという事実が後押しとなり、先祖たちはより大きな目標を達成しようとがんばった。結果として、それが次の世代により多くの子孫を残すことへとつながった。 幸せが人のモチベーションに長期的に与える影響を調べると、今日にも同じようなパターンがあることがわかる。心の底から幸せな人々は大きな目標を達成することはほとんどない。なぜなら、そもそもその必要がないからだ。アメリカを代表する実業家で、 CNNの創業者として知られるテッド・ターナーはかつてこう言った。「すぐれた業績を上げた人のほぼ全員の動機は、少なくとも部分的には不安感によって保たれている」。ターナーのこの言葉は実際のデータとも一致する。バージニア大学の大石繁宏の研究チームが突き止めた、過去の幸福と将来の収入の関係を見てほしい(図 13)。
棒グラフのいちばん左側を見ると、一九八〇年代なかばに不幸だった人々は(横軸が幸福度)、二〇〇〇年代はじめになると、より幸せだった国民よりも少ない収入しか稼いでいないことがわかる(縦軸が収入)。これは驚くべきことではない。幸せな人は、悲しい人よりも精力的で魅力的だ。当然ながら、精力的で魅力的な人はより多くの収入を得ることができる。 ここでの議論にとってより大切な点に注目しよう。横軸の中央より少し右あたりに位置する「適度に幸せな人々」は、一五年後にもっとも高い収入を得るようになった。しかし、いちばん右側の「もっとも幸せな人々」の収入は、「不幸せな人々」とほとんど変わらない。つまり、ある程度の喜びは明らかに人生の成功へとつながるが、過度の幸せは経済的な危機につながるということだ。だからこそ進化は人間が適度に幸せになるように設定した──たびたび有頂天な気分にはなるものの、すぐにそのような幸せは消え、また個々の幸福は基準値まで戻る。自己啓発の専門家たちの多くは、最大または永続的な幸せを手にすることが人間の目標だと信じさせようとする。しかし進化的な観点から見れば、そのような目標はそもそも達成できるはずもなく、望ましくもない。 幸せはきちんとした理由のもとに進化した。幸せになるために、人間はマストドンを狩りに出かけた。しかし、幸福はたんなる動機づけのためのツールではなく、精神と肉体のつながりにおいて重要な役割も果たしている。では、人を幸せにするものはズバリ何かという問いに眼を向けるまえに、意地っ張りな気むずかし屋にとってさえ幸せが大切なワケについて少し考えてみたい。幸せと健康 一〇年ほどまえのある晩、わたしの携帯電話に見知らぬ番号から着信があった。海外からの電話で音が不鮮明だったため、相手の男性の名前を聞き取ることができなかった。しかし、「ラトガース大学」という言葉が聞こえた気がした。おそらく人類学部のスタッフと思われたが、わたしはあえて訊き返さなかった。こんな時間に電話をかけてくる人などめったにおらず、相手の素性と用件はすぐにわかるだろうと考えたのだ。少し世間話を交わしたあと、相手は本題を切りだした。翌年にベルリンで研究休暇をとる招待を受けたその男性は、わたしに一緒に来ないかと誘ってきた。わたしとしては研究休暇にもベルリンにもなんの反感もないし、むしろ両方とも大好きだ。しかし個人的にやるべき用事がいくつかあったため、わたしは珍しい申し出を丁重に断わった。その時点になってやっと、電話の相手がロバート・トリヴァースであることに気がついた。 その電話の五年ほどまえ、わたしは小さな学会で彼とはじめて会う機会を得た。以降、電話で数回しか話したことはなかった。しかし、トリヴァースはかすれ気味の特徴的な声の持ち主だったため、相手の声は聞き取りづらかったものの、そのうち彼の声だと気づいたのだった。サバティカルへの招待がトリヴァースからのものだとすれば、話はすべて変わってくる。わたしは少し待ってほしいと彼に言い、携帯電話の送話口を手で押さえ、ベルリンでのサバティカルについてどう思うか妻に尋ねた。楽しそうだと彼女が答えたので、わたしはぜひ一緒に行きたいとトリヴァースに伝えた。 二〇〇八年一〇月、わたしたちはかの有名なベルリン高等研究所にやってきた。わたしの計画は、それから半年にわたってトリヴァースと一緒に研究し、(第 5章で取り上げた)自己欺瞞に関する彼の理論の構築を手伝うというものだった。トリヴァースはたぐいまれな才能をもつ学者としてだけでなく、気まぐれな性格の持ち主としても業界では伝説的な存在だった。この点については、彼の自伝『ワイルド・ライフ』( Wild Life)[未訳]を読めばすぐにわかるはずだ。ベルリンで再会した時点では、わたしはトリヴァースのことをそれほどくわしく知らなかったため、共同研究がどう進むか少し心配だった。最終的にはとても仲よくなったものの、一週目のスタートはまちがいなく前途多難なものだった。 はじめのころの話し合いのなかでトリヴァースは、人間の免疫システムは〝銀行の役割〟を果たしうると主張した(意味はまったくわからなかったが、わたしはふむふむとうなずいてみせた)。トリヴァースはさらに、歳をとるにつれて肯定的な考えをもつように人間が進化したのは、免疫機能を高めるためだと語った(ここでも、彼の言わんとしていることがよくわからなかった)。わたしがその時点で知っていたのは、高齢者は否定的なことよりも肯定的なことを多く記憶する傾向があるのに対し、若い成人はどちらも同じように記憶するという事実だった。この現象の原因として心理学において有力な説は、高齢者は限られた時間しか生きることができないと認識しているため、肯定的な感情体験を優先するというものだった(友人たちと離ればなれになる卒業間近の学生にも同じ傾向がある)。この理論に説得力があると感じていたわたしには、トリヴァースの新たな説はまったくの見当ちがいとしか思えなかった。さらに、進化は生殖後よりも生殖前の人間にはるかに強い影響を与えることを知っていたため、年齢とともにより肯定的になることに進化的な根拠があるとはとうてい考えられなかった。 かなりの議論(とかなりの説明)が重ねられたのちにやっと、これが研究に値する考えだとわたしはついに納得するようになった。本書の冒頭でも述べたとおり、近代的な医学が発展する以前の時代、祖父母は孫の生存において大切な役割を果たしていた(このあと、さらにくわしく論じる)。おじいちゃん、おばあちゃんがより長く生きるのは孫にとっても重要なことだった。たしかに、人間は高齢になってからいくつかの適応を進め、その機能を高めようとする。たとえば、高齢者にのみ影響を与える神経系の衰え(アルツハイマー病など)に抗うため、遺伝子構造が変わる。このような発見は、進化が高齢者の動機づけシステムをも形作り、なるべく長く生きるようにうながしている可能性を浮き彫りにするものだ。しかし、免疫システムを〝銀行〟だとたとえたトリヴァースは何を言わんとしていたのか? なぜ高齢者がそれを利用するのか? 幸せの大切さ、健康と幸せの関係にどのようなつながりがあるのか? ここから、その問いにひとつずつ答えていきたい。 発達と維持にかかるコストという側面から考えたとき、人間の脳がもっとも手のかかる器官であることはまちがいない。数学の問題を解いているにしろ、ドラマの再放送を見ているにしろ、脳はつねに代謝エネルギーの二〇パーセントを消費する。その消費が止まることはなく、たとえ身体のエネルギー需要が利用可能な供給量を超えたとしても、脳からエネルギーを拝借することはできない。一方で筋肉は、休んでいるときよりも活動中のほうがはるかに多くのエネルギーを使う。したがって原則として、坐ってリラックスすれば筋肉からエネルギーを借りることができる。ただし、この戦略にはある問題がある。先祖たちにとって、エネルギー消費をともなう緊急事態のほとんどは、筋肉の反応を必要とするものだった。マストドンが眼のまえに現われたときに坐ってリラックスするのは効果的な選択肢ではなかったため、緊急時に筋肉からエネルギーを借りることなどできなかった。 ここで、免疫システムの出番となる。免疫システムも大きな代謝コストを必要とするが、そのほとんどは現在ではなく将来の必要性に対するものだ。人間の身体のなかではつねに膨大な数の免疫細胞が駆けめぐっているため、代謝エネルギーの供給が逼迫したときには、免疫細胞の生成をいっとき中断することができる。つまり、身体がもっている量よりも多くのエネルギーが必要になったとき、はじめに犠牲となるもののひとつが免疫機能というわけだ。 先祖たちはどんなときに緊急のエネルギー供給を必要としたのだろう? おそらく、腹を空かせた剣歯虎から逃げたり、こん棒で敵をたたいたりしているときが代表例にちがいない。トラの熱い吐息を背中に感じつつ、いちばん近くにある木まであと数メートルのところまで命からがら逃げてきたとき、明日引くかもしれない風邪を予防しようとエネルギーをわざわざ浪費して免疫細胞を作る必要はない。この場面で必要なのは、手に入るすべてのエネルギーを脚へと送り込み、なんとか生き延びて再び咳やくしゃみが出るような状況が訪れるのを願うことだ。生き延びるために闘ったり逃げたりすることは幸せなひとときではないため、進化はその事実を利用して肉体的なシステムを心理的な状態と結びつけた。 そのような進化の末に、人間の免疫システムは幸せなときにもっとも円滑に働き、不幸せなときに動きが劇的に遅くなるようになった。これこそ、長期的な不幸による免疫抑制効果の低下があなたを文字どおり殺す恐れがあり、高齢になってからの孤独が喫煙よりもはるかに危険な理由だ。たしかに六五歳
を過ぎたら、自宅でただひとり坐っているよりも、友だちと一緒にタバコを吸いながら暴飲暴食に明け暮れているほうがずっと健康になるはずだ。 一連の事実をもとにトリヴァースは仮説を立てた──高齢者はこの肉体と精神の関係を逆手にとって利用するという戦略を進化させ、人生のより肯定的なことに眼を向けて免疫機能を高めるようになった。この戦略が若い成人よりも高齢者に有利に働く理由はふたつ。ひとつ目は、高齢者の免疫システムは若い成人のものより弱く、腫瘍や病原体による脅威にさらされているということ。ふたつ目の理由は、高齢者は若い成人より世界について多くの知識をもっているため、まわりの出来事に対してあまり注意を払う必要がないという点だ。たとえば、態度の悪い銀行員や客室乗務員と向き合ったとき、高齢者は似たような経験から得た豊富な知識を頼りに、それほど深く考えずに状況にうまく対応することができる。結果として高齢者には、人生の不愉快な物事をうまくやり過ごす余裕が生まれる。 ベルリンからオーストラリアのクイーンズランド大学の研究室に戻ったわたしは、引きつづきトリヴァースと連携しつつ、研究室所属の学生エリース・カロケリノスに、博士号の研究材料としてこの仮説が正しいか先頭に立って確かめてみないかと話を持ちかけた。彼女は興味を示し、証明するための方法をすぐに探しはじめた。それから一年ほどのあいだにエリースは、若者と高齢者を被験者として何度か研究室に招いた。彼女は被験者に肯定的な出来事の写真(何匹もの子イヌでいっぱいのカゴなど)と否定的な出来事の写真(飛行機の墜落現場など)を見せ、記憶力の差について調べた。案の定、六五歳以上の被験者は、飛行機の墜落よりも子犬の写真をより鮮明に記憶する傾向があった。これは、彼らが肯定的な物事により注意を払っているという事実を示すものだった。一方、若い被験者は両方の写真を等しく記憶していた。 それから一年後と二年後の二回にわたり、エリースは高齢の被験者を研究室に呼び戻して採血し、彼らの免疫機能を調べた。免疫システム全体は巨大なものだが、このはじめの研究では CD 4陽性細胞と呼ばれる白血球の型に焦点を当てることにした。これらの細胞は、ほかの白血球の細胞( B細胞と呼ばれる)を活性化させて抗体を作りだすことによって免疫機能を高める。エリースは、否定的な写真よりも肯定的な写真をより鮮明に記憶するという現象は、実験から一 ~二年後の CD 4陽性細胞の数の多さと活性化率の低さに関連していることを突き止めた* 1。 一般的に、 CD 4陽性細胞の数が多いほど、病気と闘うための準備がより整っていることを意味する。反対に、 CD 4陽性細胞の活性化率が高いほど、その人物は感染との闘いに忙しく、健康状態が悪いことを意味する。言い換えれば、現在の記憶が肯定的であるほど、一 ~二年後の健康状態が向上するということになる。肯定的な記憶と CD 4陽性細胞のあいだのこの関係は、人生の肯定的な側面に焦点を合わせることによって、人が自身の免疫機能を高めている可能性を指し示すものだ。 これらの発見は、「年齢とともに前向きになるのは、残された時間が限られているという高齢者の認識によるもの」という理論にぴったりと当てはまるものではない。しかし、「幸せが健康と長寿にとって大切な役割を果たしている」ことを示すほかの研究結果には一致するものだ。たとえば、研究者が意図的に被験者を風邪のウイルスにさらすと、社会的支援が不充分な不幸な人々よりも、社会的支援を充分に受けている幸福な人のほうが風邪を引きにくいことがわかっている。さらに、科学的な研究のなかで意図的にケガをした場合でも、社会的支援を充分に受けている幸せな人のほうがケガの治りは早い。 人間の親戚である霊長類にも同じことが当てはまる。モロッコの山岳地帯に棲む野生のサルを調べたところ、より強い友好関係をもつ群れのほうが、寒い気候やほかのサルからの攻撃に対する生理的ストレス反応が低かった(糞のなかのステロイド・ホルモンが少なかった)。ここで注目したいのは、サルにとっても人間にとっても、大切なのは友情と社会的支援であるという点だ。他者との満足のいく関係こそが、適切な免疫システムの機能において大切な役割を果たしているのだ。 この現象に関するわたしのお気に入りの実験に、オハイオ州立大学のジャニス・キエコルト =グレイサーの研究チームによるものがある。彼らは二度にわたって被験者の夫婦たちを研究室に招き、小さな真空吸引装置を使って前腕の内側に水ぶくれを作った。八つの水ぶくれを作ったあと、研究者たちはそれぞれのてっぺんの皮膚を剝ぎとり、その上に小さなプラスチック製の容器をかぶせた(恐ろしい実験に聞こえるものの、実際にはそれほどたいした傷ではない)。これらの容器によって人工的な水ぶくれの空洞ができあがり、研究者たちはそこから出る膿を集め、この実験に対する細胞性免疫反応を調べることができた。 一度目の実験のとき、研究者らは被験者の夫婦にそれまでのふたりの関係の歴史について話し合うように指示した。二度目の実験のときには、その時点における意見の不一致(義理の両親やお金の問題など)について話し合うように求めた。夫婦が会話するあいだ研究者たちは部屋から出ていったが、あとで分析するために会話する姿を撮影した。なかば公開の場に置かれているにもかかわらず、夫婦たちはほぼ本音で話をした。「今晩セックスしたいから、やさしくしているだけでしょ?」「どうしてわざと意地悪するんだ?」……。 この実験からいくつかの興味深い事実が明らかになった。まず、一度目の実験での肯定的な会話のあとよりも、二度目の実験での意見の不一致についての会話のあとのほうが、水ぶくれが治るのに一日多くかかった。次に、意見の不一致についての会話のあいだに互いに態度が敵対的だった夫婦は、そうでない夫婦に比べて傷が治るのに二日も多くかかった。第三に、水ぶくれのなかの細胞性免疫活性と傷の治り具合が一致することがわかった。意見の不一致についての「敵対的な話し合い」のあとには、腫れがより大きくなる傾向があった。一方、意見の不一致についての「敵対的ではない話し合い」のあとにはその傾向はみられなかった。 心臓血管疾患や糖尿病などのほかのさまざまな病気でも、同じような炎症反応が起きることがわかっている。まさにこれこそ、幸せな結婚によって寿命が延び、不幸せな結婚(と孤独)によって寿命が縮まる理由だ。これらの実験結果はさらに、ひとりで生きることを楽しんでいる人にも、人との定期的な接触、信頼できるグループ、強い友情が必要になるワケをはっきりと示してくれる。理想的な友だちの数や会う頻度は人によって異なるものの、健康と幸せを保つためには誰にとっても社会的なつながりが必要になる。 では、幸福の目的とはなんなのだろう? ここまでの議論からもわかるとおり、この問いに対する唯一の正しい答えなど存在しない。幸福は、生存と繁殖の助けとなるための行動をとるよう人間を動機づけしてくれる。しかし、幸福はそれ自体が目的ではない。進化はしばしば、ほかの目標のために幸福を犠牲にする──痛みや絶望を感じることができない人は、悪い相手、状況、考えを回避する能力も低くなる。たしかに、否定的な感情は肯定的な感情と同じくらい(あるいは、それ以上に)大切だといっていい。なぜなら計画が失敗したときの損失は、成功したときの恩恵をはるかに上まわる可能性があるからだ。 第 5章で説明したとおり、幸せは他者には一目でわかるものであり、その信号は潜在的なパートナー、協力者、または敵として相手を品定めしようとする人々にもはっきり伝わる。その意味でいえば、幸せはきわめて重要な社会的感情でもある。さらに幸福は自身の身体へのシグナルとしても役立ち、健康の回復や病気の予防にエネルギーを費やすべき最良のタイミングを教えてくれる。
*1 活性化された CD 4陽性細胞は感染と闘いつづけるが、活性化前はたんに必要なときに利用が可能になる。
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