「絞首刑は残虐な刑罰ではない」2つの凶悪事件未成年者を毒牙にかける卑劣漢解説――久保正行氏と著書への思い 清永賢二
「絞首刑は残虐な刑罰ではない」 私が歩んできた刑事の道において、もっとも憎むべき人間は、人の生命を奪った殺人事件の犯人です。
殺人犯には、年少者(少年)もいれば高齢者もいます。
原因もささいな喧嘩を発端としたものもあれば、計画的に完全犯罪を狙ったものもあります。
私は殺人事件が起きるたびにそんな犯人たちと接してきました。
駆け出しの刑事の頃は、取調べの立会補助者として、ホシのお茶くみをしたり、神聖な場所である取調室の清掃をしました。
取調べ担当になってからは、毎日ホシとの直接対決です。
階級が上がると、今度は事件に関する書類に目を通して、書類どうしの整合性や内容をチェックするという立場で、直接的、ないしは間接的に殺人事件の捜査に当たってきたのです。
殺人とは、言うまでもなく、他人の生命を奪うこと。
つまり「死に至らしめる」ことです。
殺人事件の被害者は、加害者によって生きることを無理やり遮断されます。
残された家族も突然悪魔に襲われた後のような大きな悲しみと喪失感に見舞われます。
あるご遺族は私の前で、「我が家にサンサンと光を降り注いでいた太陽が、殺人という暗雲によって消え、暗闇に襲われた状態だ」と辛い心情を吐露しました。
このように被害者にも遺族にも甚大な打撃を与えるのが殺人という罪ですから、法律にも、人の生命を奪った犯人に死刑をもって罪を償わせる条文(刑法第 199条)が存在するのです。
戦後間もない頃、同居していた母と妹を殺害し、井戸に投げ込んだ男がいました。
尊属殺人・殺人・死体遺棄の罪に問われたその男の最高裁判決(昭和 23年)で、裁判長は死刑判決を下すにあたり、「一人の生命は、全地球よりも重い。
しかし、死刑は一般に直ちに残虐な刑罰に該当するとは考えられない」と述べました。
41年間にわたる警察官生活で、捜査員として直接担当した死刑判決事件は、五指に余ります。
ましてや、殺人事件はどれくらい担当したのか、あまりに多すぎて数えたこともありません。
いや数えたくないのが本音です。
なぜなら、1つの事件には最低一人の被害者が、時には複数の被害者が存在しています。
中には未解決事件もあります。
これらの事件を担当した捜査員なら、決して忘れることができないでしょう。
事件を解決できなかったのは、ひとえに捜査指揮官の捜査指揮や捜査能力の至らなさによるものです。
成仏できないでさまよっているだろう被害者や、悲しみに暮れているご遺族には、現職を離れた今はただ頭を垂れるばかりです。
心からお詫びいたします。
2つの凶悪事件 先ほども述べましたように、私はこれまで多くの凶悪犯に接してきました。
そのため、こういうと語弊がありますが、凶悪な殺人事件や冷血なホシにもしだいに驚かなくなってきました。
それでも、刑事人生を振り返ると、「これが人間のやることか」と驚かされた犯人は五指に余ります。
人間の恐ろしさ、人の心の闇の深さを知っていただくためにも、以下、その者たちの関わった2つの事件について述べてみることにしましょう。
【事件 21――資産家老女殺害事件】 不動産ブローカーの X( 42歳)は、ふとしたきっかけで知り合った都内の資産家A子さん( 82歳)から土地を詐取することを思いつきます。
そこで愛人の Y子( 47歳)を、A子さんが所有するアパートに入居させ、A子さんと親しくなるように仕向けました。
Xと Y子は言葉巧みにA子さんに近づき、A子さんと一緒に温泉旅行に行く仲になりました。
A子さんには B子さん( 44歳)という娘がいました。
B子さんは精神の病を患って長期入院しており、高齢のA子さんは娘の行く末を案じていました。
そのことを知った Xは、知人で保険代理店を営む Z( 38歳)を、 B子さんと結婚させることを思いつきます。
ZがA子さんの娘婿になれば、A子さんの土地を勝手に売買するにあたって、A子さんの代理人として表に立てることができます。
Xにその計画を持ちかけられた Zは、土地をだまし取って得た金の分け前と引き換えにこの話に乗ることにしました。
Xは婚姻届の妻の欄に B子さんの名前を書いて区役所に提出します。
もちろん、この婚姻の事実は、A子さんも B子さんも知りません。
こうして Xと Zは、A子さんの土地の売買契約書を偽造、土地を不動産会社に転売したのです。
数億円の利益を得た Xは、自分が借りていたマンションにA子さんを軟禁します。
その間 XはA子さんに睡眠薬入りの牛乳を飲ませて衰弱させ、ベッドで身動きができなくなったところを絞殺します。
そして Y子と一緒に遺体をトランク詰めにし、高速道路の跨道橋から投げ捨てたのです。
Xの悪行はここで終わりません。
Zの口から犯行が露見するのを防ぐため、 Zの頭を拳銃で撃ち抜いたのです。
遺体は近県の山中に首を切断した状態で遺棄し、頭は別の場所に埋めたのです。
その後、 Xと Y子はぷっつりと姿を消してしまいました。
A子さんの遺体が発見されてから 7年後、某県の県警に、 20代後半の女性から「テレクラで知り合った男から覚せい剤を打たれた」との通報がありました。
県警がその男の自宅を家宅捜索したところ、覚せい剤の他に拳銃と実弾を発見し、その場で男を逮捕。
県警が男の前歴を照会した結果、男とその妻が、 Xと Y子であることが判明したのです。
A子さんを殺害してから 9年間、 Y子を伴って国内逃亡しており、まさに逃げ得を許さないという長期にわたる捜査でした。
当時鑑識課検視官だった私は、 Xの事件の捜査指揮の責任者(取調べ、裏付け捜査等全部を担当すること)になりました。
取調べで Xは黙秘を続けていました。
「俺がしゃべらなければ、罪は全部死んだ Zにかぶせられる。
Zの死体は、頭部を別の場所に埋めているので分からない。
死因が分からない以上、自分の罪は立証されない」という筋書きを貫くことに必死だったのです。
しかし、そうした気持ちの動きは、表情や動きに現れるものです。
顔は青白くこわばって、目や口はぎこちない動きをする。
取調官の目を直視せず、手はぐっと握りしめ、足は小刻みに揺する。
声もリズム感が乏しく、こちらの質問についても、はぐらかすか、いやいや答える。
まるで子供が駄々をこねているような態度です。
このようなホシと対峙する取調官は、常に全身を目や耳にしてホシの動きを追い、自供するタイミングを嗅ぎとるのです。
黙秘を続ける Xに、取調官の K主任(警部補)はこう切り出しました。
「X、おまえの出身地は〇〇だよな。
この間、おまえの実家に行き、お母さんにあいさつをしてきたよ」 Xは目を閉じて無言のままです。
さらに後を続けました。
「お父さんのお墓は新しく建立されていて、山のなだらかな斜面にあった。
雲海から朝陽が照りつけていたよ。
お母さんは足腰が衰えているのに、十数分も山道を登って、私をお墓まで案内してくれたんだ」 墓の話を聞いた Xは腕組みをとき、戸惑った表情をみせたのです。
「お墓の前で『縁があって息子さんの捜査を担当することになり、ごあいさつに来ました。
お父さんにはご無念のお気持ち、心残りがあって他界されたことでしょう。
お父さんに成り代わって、息子さんが真人間になるよう、誠心誠意説得をしますから、どうぞ、見守ってください』と祈った。
その日は、お母さんに案内されて川や、野山を歩き、おまえという人間がどんな場所で育ったのか目に焼き付けてきた。
子供の頃に遊んだ場所は覚えているだろう。
自然に恵まれたいい環境じゃないか。
木々の間を歩くうちに、心が和んだよ」「ハッタリをかますな。
本当に実家に行ったのか」 ――それまで黙していた Xが反応したのです。
「墓に参る刑事など聞いたことがない。
作り話だ」 K主任は胸ポケットから写真を取り出し、 Xの前に置きました。
「作り話というならこの写真を見てみろ。
おまえの実家で撮影したお母さんの写真だ。
後ろにおまえが子供の頃に登ったという柿の木が写っているから、よぉ ーく見てみろ」 Xは写真を手にとりません。
「なんだ、写真を見るのが怖いのか」 Xは目を閉じて、黙りこくっています。
私も黙って腕組みをし、 Xが口を開くのをじっと待ちました。
十数分経った頃です。
Xは目を開けて、目の前の写真に目をやりました。
手に取ることはありませんでしたが、食い入るように見ています。
自分を守り育ててくれた母親に気持ちを移せば、幼少時代の素直な心を一瞬でも取り戻すことができます。
犯人の気持ちがぐらつくのはこの時です。
「お母さんから聞いたよ。
家が貧しくて、お母さんは行商をして生計を立てていたんだってな。
ずいぶん寂しい思いもしたし、辛いこともあっただろうな。
お母さんが子供たちに『臭い。
物乞いが来た』『悪魔だ。
近寄るな』など心ないことを言われて、石を投げ付けられたとも聞いた。
そんなときは、おまえが大声で悪ガキたちを追い払ったんだろ。
お母さんは私に『息子は心の優しい子だった』と話して、涙を浮かべていたよ」 Xの頭がぐらつき、明らかに動揺している様が窺えました。
「お母さんが一番心配しているのは誰だか分かるだろう。
『息子に会ったら、これ以上、他人様にご迷惑をかけないようにと、伝えてください』と話されていた。
また、お母さんが別れ際に言ったのは、『どうか、息子をよろしく頼みます』という言葉だ。
お母さんはおまえが過ちを犯したことも、逃亡していたことも知っていた。
お母さんがどんな気持ちで言ったか、想像してみろ」 K主任はそう言うと、胸ポケットから白いハンカチを取り出し、包んでいた小石を机の上に置きました。
「この小石はなんだか分かるか。
お父さんの墓石の脇にあった石だ」 Xは苔生した小石をじっと見つめていました。
相変わらず無言を貫いてはいるものの、しだいに呼吸が速くなり、目は潤んでいました。
Xが目を閉じて項垂れ、小石に向かって手を合わせました。
「X、お父さんと話をしたかい」
顔を上げた Xの目は、人を睨みつける獣の目から落ち着いた人間の目に変わっていました。
ここが、観察から落とし(自供)のタイミングなのです。
黙秘してしゃべらないホシでも、 3 ~ 4時間を区切りとしてしゃべりたくなるのです。
Xはこうして Zの殺害について自供を始めたのです。
ところが、 Xが Zをどのようにして殺害したか、その方法と、頭部の隠し場所を何とか吐かせようとしたのですが、なかなか口を割りませんでした。
Zの頭を隠したことは認めたものの、肝心の隠し場所については「 6年も前のことだから、忘れた。
周囲の景色も変わっているから、だいたいの場所しか案内はできない」といい加減なことしか言わなかったのです。
そこで、 Xに殺害場所や頭部を隠匿した場所の図面を描かせて同行し、死体発見現場を中心に、隠し場所を探して山道を案内させました。
これは大きな賭けでした。
ここまでやって見つからなければ負けだ、という気持ちがあったのです。
この近くのどこかに Zの頭が埋められていると信じ、 Xがわずかでも動揺を見せる場所があれば、そこを調べようと考えたのです。
まさに全神経を集中して、 Xの一挙手一投足に注目しました。
拳銃で射殺した現場を確認した後、下草が生い茂る山道を歩くこと三十数分。
小さな空き地の前を通りかかった時です。
さほど広くないその空き地には、割れた瓦や紙袋などのゴミが散乱していました。
Xが時折右手の窪みに視線を投げかけるのを私は見逃しませんでした。
「ここだ!」 捜査員たちとその窪みを掘り起こすと、最初にクリーム色の肥料用ビニール袋が出てきました。
中には瓦片が詰まっています。
ビニール袋の下にはブロックが 1個と大振りの岩石。
それをどけてから、さらに 20センチほど掘り返すと、破れかけた黒ビニール袋が現れました。
中には、人間のものと思われる頭蓋骨。
左側頭部には直径 1センチの銃痕様の穴があいていました。
私は、 Xに、「これはおまえが北九州の自宅から持ち出したビニール袋か」と、訊ねました。
Xは「そうだ」と吐き捨てるように言うと、横を向いた後項垂れたのでした。
私は肩をなでおろしました。
これで、 Xがご遺体から頭蓋骨をもぎとり、殺害現場と同じ山林に隠したという裏付けはとれたと……。
Zのご遺族にも五体揃えて返してあげられるとも……。
ところが、 Xはやはり根っからの悪人でした。
後になって自供内容を翻して、殺害について否認を始めたのです。
母親の写真を食い入るように見つめ、父親の墓石代わりの小石に手を合わせるなど、人間らしい一面を見せていたというのに……。
娑婆に未練があるのでしょうか。
確かに裁判になれば、死刑判決は免れないでしょう。
死刑になるのは恐ろしいことにちがいありません。
でも Xにはその道しか残されていないのです。
それが被害者に詫びる最善の償いなのです。
しかし Xに限らず凶悪犯は、自供しては否認を繰り返す者が多いのです。
18歳で警視庁巡査を拝命して以来、実に数多くの凶悪事件を担当してきましたが、この事件は、犯行の手口や犯行動機の悪辣さが際立っていました。
Xは最高裁で死刑が確定、A子さんの遺体発見から 18年後に死刑が執行されました。
夫と 2人の子供を家に残して Xの元に走った Y子は、懲役 5年の刑期を終え、今もどこかで暮らしているはずです――。
【事件 22―― SMクラブオーナー殺害事件】 SMクラブの従業員である双子の兄弟 Xと Y( 26歳 Yが弟)らは、かねてから同僚らと共謀して店を乗っ取ろうと画策していました。
犯行を決意した日、 Xらは、 SMクラブの経営者 Aさん( 32歳)の頭部を、手斧やハンマーで殴りつけ、その胸部をバタフライナイフで数回突き刺すなどして殺害しました。
続いて店長の Bさん( 33歳)もバタフライナイフでメッタ刺しにし、首にひもを巻き付けるなどして死に至らしめたのです。
Xらは、殺害した 2人が所有する現金や店の営業収益金等百数十万円を奪った後、知り合いの暴力団 4名を介し、 2人の遺体をコンクリート詰めにして海に遺棄したのです。
事件が発覚したきっかけは、 Aさんの父親から出ていた捜索願でした。
そこに事件の臭いを感じ取った生活安全課相談担当者は上司を通じて D刑事課長に連絡をとり、刑事課長の命を受けた強行犯係長が Aさんのマンションに向かいました。
刑事課長は主不在の部屋に遺されていた請求書のたぐいの中から、額面が 51万 5000円の 1枚に目を留めました。
犯人や被害者の金銭面を洗い出すのは捜査の常道です。
勤務している会社やふだんの生活の実態を明らかにすることができますし、その過程で動機が浮かび上がることもあるからです。
それにしても、数多くある請求書の中から、なぜこの 1枚に目が留まったのか? それは、宛先が「パラダイス」となっていたからです。
刑事課長は Aさんの父親から「息子は不動産業に従事している」と聞いていました。
しかし「パラダイス」というのは、不動産業には似つかわしくない名前です。
違和感を抱いた刑事課長は、そこに事件の匂いを嗅ぎ取ったのです。
「パラダイス」について調べると、実態は不動産業ではなく、風俗業それも SMクラブであることが分かりました。
また取引のある銀行の話から、パラダイスが多額の利益を上げていて経営は順調であることも明らかになりました。
にもかかわらず、なぜ経営者の Aさんは失踪したのか? これは事件に巻き込まれたと考えて間違いない。
では、誰が失踪に関わっているのか? また、 Aさんが失踪する際、何か奪われたものがあるのか。
それを浮き彫りにするには、通常なら売上伝票や金銭出納帳によって金銭の流れを辿っていくのですが、業種が業種だけに、帳簿の存在すらはっきりしません。
そこで、パラダイスの従業員や風俗嬢に直接聞くことにしました。
店の備品などについて、いつ・誰が・どこで購入したかを明らかにしようとしたのです。
しかし、こういう業種に従事する人たちは概して口が重いものです。
当人たちは密室で法律スレスレのこと、あるいは法に触れるようなサービスを客に提供しているわけです。
警察の質問にありのままに答えると、自分の身が危うくなるということも十分ありえます。
そこで話を聞く際には、彼らがほんとうのことを言っているのか、あるいはウソをついているのか、その判断に神経を集中させました。
時には厳しい追及をしたり、聞き流したり、同情するなどして、会話が途切れないようにしながら本心に迫るのです。
ここで理詰めに行き過ぎると、「窮鼠猫を噛む」ではありませんが、「もういい。
勝手にやれば」と投げやりな態度になったり、口を閉ざしたりするのです。
苦心して話を引き出していく中で、パラダイスの従業員である双子の兄弟が事件に深く関与している確信を得たのです。
双子は、山陰地方の県立高校を卒業するまで、非行に走って補導をされたり、いじめに遭うということもなかったようです。
2人に変化が現れたのは、高校を卒業してからでした。
兄 Xは高校を卒業すると、 2浪の末、関東地方の私立大学工学部に入学します。
この SMクラブには、大学を卒業する前年の8月、先に同店に勤めていた弟の紹介で、アルバイトとして入りました。
一方弟 Yは、現役で都内の私立大学商学部に入学しますが、まもなく退学。
渡米してニューヨークにあるデザインの専門学校に入学します。
しかし、ここで喧嘩をするなどして退学。
帰国し、 SMクラブで働き始めたのです。
この店で Yは、 Aさんたちから「給料を上げてやる」「将来店を持たせてやる」などと言われ、 1年 3か月の間、まじめに働きました。
しかし、約束が守られることはありませんでした。
Yは友人に融資を頼み、それを元手に独立しようと考えたのですが、友人に断られたことで断念。
ヤケになって兄の Xに乗っ取り話を持ちかけたのでした。
まだ大学生だった兄は、ひと足先に社会に出ていた弟に頭が上がらないところがあったのでしょう。
また、一卵性双生児とはいえ、 2人の性格は違っていました。
この事件で兄 Xは、常に弟 Yに命じられた通りに行動するのです。
犯行の際も、兄は Aさんを殺害した後で気分が悪くなり、弟から「下に行っていい」と言われ、 Bさんの殺害には加わっていませんでした。
取調べにおいても、
自らの行為を悔やんで積極的に自白をしました。
弟 Yの方はというと、改悛の情を示すこともなく、また自ら積極的に供述するようなこともありませんでした。
店の従業員から聴取した事柄や捜索によって得た資料について「これはどういうことなのか」「この内容はこうなのか」などと質問すると、答えることは答えるのですが、くわしい説明については「いいじゃないですか」「裁判で話します」とはぐらかして、まともに対応しようとはしないのです。
Yは、私がかつて数多く取調べを担当した外国人犯罪者に似ていました。
彼らは自分に都合の悪いことは一切話そうとしません。
弁護士などを通じて入手したマスコミの情報から取調官がどのような証拠を握っているのかを知り、それが自分にとって有利なのか不利なのかを判断、有利と判断してようやく話しはじめるのです。
目の前に動かしようのない証拠を突きつけられてはじめて、渋々と口を開く者もいました。
Yも同様に、自分が不利になるような供述をしないよう、頭のなかで必死に計算をしている様子が見てとれました。
「攻めに強いものは、攻められるともろい」とか、「計算高い者、数字に強い者は、論理的説明に納得する」という教えにより、捜査の流れで知ったことを説明したのです。
「ホシにはウソはつかない」「ハッタリではホシは落ちない」で接すると、自供するのです。
もちろんホシが勝手に思い込むこともあります。
Yは殺害計画について、「 Aも Bも偽名を使っていたので、この 2人を殺害して行方が分からなくなっても騒ぐ者はいないだろう」と考えていました。
そこであらかじめ、他の従業員に「 Aが売上をごまかしていることを Bが税務署にタレ込んだ。
Bは店のカネを持ってどこかへ逃げた。
Aも外国に逃亡したらしい」と吹き込んでいました。
また、店を乗っ取った後は「俺が経営全般を統括する。
兄貴はフロントなどの営業を担当すればいい」と考えていたのです。
死体の処分については、「俺は 2人を殺害の際、右手に怪我をした。
兄も精神的ショックを受けており、この状態では、自分たちで死体を運んで捨てられないので、ヤクザ者に死体処理を頼んだ」とのことでした。
Xは被害者に対して謝罪の言葉を口にしたのですが、 Yはそういうことは一度もありません。
殺害したのは、終始「俺たちに店を持たせる、と約束をしたのに守らなかったからだ。
天罰が下ったのだ。
ヤツが得たすべては、俺たちのものだ。
それを頂いて何が悪い」という調子だったのです。
この双子の兄弟の残虐な犯行で唯一救われたのは、捜査一課 N主任が双子の母親を事情聴取した後に、母親が「 2人に伝えて欲しい」と言った次の言葉でした。
「今もまだ信じられない気持ちですが、……事実は事実です。
Xちゃんも Yちゃんも……頭が破れる程、心臓が止まる程、生きている心地ではありません。
○ ○さんも事件を知ってか、とてもおとなしくじっとして悲しい顔をしております。
大人をなめないで、世の中の仕組みを甘く考えないで……自分の今までしたことを、よくよく考えて、早く、一日も早く、きちんと決着をつけてください。
家もブラインドも上げられず、息を潜めて暮らしています。
一日も早く決着をつけて…… その結果どのようなことになっても、 X、 Yは私の子供です。
今も、これから先も何年先も私の子供です。
くれぐれも、くれぐれも……昔の X君、 Y君に戻って、あのころの X君、 Y君に戻って。
皆さんに協力して欲しい。
この8月の東京での出逢い、お母さんとても楽しく、とても幸せな東京でした。
ありがとう。
」 このメモは黒のボールペンで書かれていました。
私は、このメモを捜査本部で何度も読み返しました。
悪魔のような息子たちでも、その身を案じる母親の気持ちに胸を打たれたのです。
私の母は、岐阜県揖斐地区から北海道十勝鹿追町に渡った開拓民の娘でした。
当時の開拓民はみな貧しく、母も家の手伝いや子守に追われていたと言います。
そのため学校へ行くこともままならず、自分の名前や簡単な言葉くらいしか文字を書くことができません。
だから、母から手紙をもらうことはありませんでしたが、以前母が書いてくれた「正行さんいつもありがとう」という、たどたどしい文字のメモ書きは、今も手帳に挟んで持ち歩いています。
未成年者を毒牙にかける卑劣漢 本章ではここまで卑劣な殺人犯の例を 2件挙げてきましたが、見方によっては、殺人以上に憎むべき犯罪、それが未成年者に対するわいせつ行為や強姦などの犯罪です。
【事件 23――養護学校生徒連続強姦事件】 ある年の6月の深夜、A子さん( 15歳)の家族が都内の S署を訪れ、「娘が下校途中見知らぬ人にいたずらをされたようだ」と届けました。
母親の話は次の通りです。
「A子が養護学校からの帰宅途中、別の養護学校の先生を名乗る男から『お父さんが交通事故に遭った。
ケガをしたか、死んじゃったみたいなので、ちょっとおいで』と言われて白い車に乗せられた。
車の中で自宅の住所、父親の名前とA子の友人の名前の書かれたメモを見せられ、『病院』に連れて行かれた。
そこで男に『お父さんが病院で悪い病気にかかっていることがわかった。
その病気がA子ちゃんにもうつっているかもしれない。
すぐに治療しなければ死んでしまう』と言われ、裸にされて写真を撮られた」 母親の話を受けて、A子さんを病院に連れて行ったところ、「性器に外傷は認められないが、膣内に性行為をしたような広がりがある」とのことでした。
そこで姦淫の事実を明らかにするため、膣内溶液を採取し、科捜研に鑑定を依頼しました。
当時、私は捜査第一課強盗犯係の係長でした。
当時、強盗犯係は性犯罪も担当していました(現在は性犯罪係として独立しています)。
A子さんの事件を受け、各署の強盗、性犯罪事件の認知・検挙状況について熟知している強盗資料犯担当が、養護学校の生徒や卒業生が同様の被害に遭っている事件について調べたところ、 S署の外周警察署管内だけでも 3件起きていることが分かりました。
このように養護学校に通う知的障がい児を狙った犯行は、ややもすると殺人などの事件を誘発する危険があることから、 S署に捜査本部を立ち上げ、A子さんの事件の捜査に当たることになったのです。
A子さんには、捜査員が直接訊ねることをせず、母親を通して被害の状況を聞き出すことにしました。
その結果、A子さんが男に「病院」と言って連れ込まれたホテルのある場所(ホテル街)が判明しました。
そんな矢先、A子さんが通う養護学校の担任が午後 8時前に S署の交番を訪ね、「高等部 1年生の B子さん( 15歳)が自宅に帰ってきていません。
A子さんと同じ事件では……」と訴えたのです。
それからほどなく B子さんは自宅に帰り、幸い大事には至らなかったのですが、母親を介して話を聞いたところ、A子さん同様、先生を名乗る男に「お父さんが交通事故に遭った」と言って車に乗せられ、「病院」という名のホテルに連れ込まれたことが分かりました。
年端のいかない、それも知的障がいのある少女に淫らな行為をするなど、まったく唾棄すべき犯行です。
「捜査本部を立ち上げながら、 B子さんの事件を未然に防ぐことができなかった。
捜査員はみな 1週間近くも帰宅することなく狭い捜査本部に泊まりこんで事件の早期解決を目指していたのに、なぜまた同じような事件が発生してしまったのか」――悔しい思いと犯人に対する激しい憎しみの気持ちが交錯する中、犯人を絶対検挙するんだという強い気持ちが湧いてきたのでした。
B子さんの供述から、ホテルの名前が明らかになりました。
これはA子さんの供述にあったホテル街に実在するホテルです。
そこで、このホテルの従業員から事情を聴取することにしました。
商売柄、こうしたホテルの従業員は客のことをあまり話したがらないものですが、被害者が女児であることと、殺人事件にでもなれば鑑識活動などでホテルの営業にも支障を来すことになると説明して、協力をお願いしました。
その結果、次のような供述が得られました。
「6月 4日に、若い男が中学生くらいの女の子を連れて、 501号室に 17時 44分から 20時 58分まで休憩している。
また6月 20日は 403号室に 17時 1分から 20時 22分まで休憩している。
去年の8月以降、男は同じくらいの年頃の女の子を 5回ほど連れてきている」 そう言って、男が乗っている車の色や車種まで語ってくれたのです。
ホテルの従業員の話からは車のナンバーまでは分からなかったのですが、清掃員の話からそれが分かりました。
清掃員が停め方の悪い車のナンバーなどをメモしていた中に、従業員の話と同じ車種と色の車があったのです。
調べたところ、この車を所有している人物は運転免許を持っていないことが分かりました。
しかし、この人物の家族の中に 1人だけ、免許を持っている者がいました。
息子の大学院生 C( 27歳)です。
Cの写真を入手し、そこに 50人の別の人物を交ぜた写真台帳を作り、それをA子さんと B子さんに見せて面割を実施したところ、 2人とも何のためらいもなく Cの写真を指差し、「この人が先生、悪い人」と言いました。
これを受けて6月 22日、わいせつ目的誘拐及び準強姦罪で Cの逮捕状の請求を始めるとともに、 Cの追跡捜査を開始しました。
前日より機動捜査隊から派遣されていた捜査員が、 Cの自宅から幅 1メートルの小川を挟んだ場所に機捜車両を停めて張り込みを行い、夜半に Cが件の車で帰宅するのを確認しました。
これにより翌日逮捕状発付とともに逮捕する段取りでした。
しかし、逮捕状を持って C宅に入ったところ、 Cが姿を消していたのです。
張り込んでいることが Cに知れたのでしょう。
そして逃げ出したことを捜査員が見逃してしまったのです。
これでは何のための〝送り込み〟後の張り込みか分かりません(〝送り込み〟とは、犯人がある場所に入るのを見届けること)。
失地を挽回するため、 Cの父親を説得したり、立ち回り先の手配をするなどして、翌日の深夜に帰宅した Cをようやく逮捕したのです。
Cは身長が 170センチを少し超えるくらいのがっしりした体型でした。
自宅の捜索で、避妊具や女児を写したポラロイド写真、裸の少女が掲載された雑誌・写真集・ビデオテープなどが押収されていることを知ると、観念したのか、全面自供を始めました。
ポラロイド写真の中には、水の入っている浴槽の底に視点の定まらない目をした全裸の女児が仰向けで写っているものもありました。
知的障がいを持つ中学生から高校生の少女を狙った理由について Cは「身体は大人でも、性交のことは何だか分からないだろう」「素直に言うことを聞いてくれそうだった」と語りました。
私は一人の人間として、 Cの首を絞めたくなるほど激しい憤りを覚えました。
Cは全部で 17件の犯行を自供したのですが、ウラがとれたのはA子さんや B子さんの事件を含む 6件だけでした。
被害者が説明できないことから立件できなかったり、娘の将来を考えた保護者が泣き寝入りした結果です。
私は残念でなりませんでした。
Cはどこにでもいそうな風貌の、 20代の若者です。
とても大それた犯罪をやるようには見えません。
しかし、そんな羊の仮面の下には、醜い鬼畜の容貌が隠されていたのです。
こういう人物の本性を見抜くのは、はっきり言って、刑事といえども至難の業です。
ただ、こうした性的な罪を犯す者は、街を歩いている時や電車に乗っている時など、獲物となる女性を常に物色しているものです。
容疑者を尾行する際は、そういう動きや目線を見逃さないよう細心の注意を払います。
尾行の時以外でも、警察官は、犯罪の予兆はないか、年端のいかない子どもが毒牙にかかろうとしてはいないか、街の中、雑踏の中、電車の中で日夜目を凝らし続けています。
悪人には正義の鉄槌を、弱い人には思いやりを、それが警察官の使命なのです。
解説――久保正行氏と著書への思い元警察庁科学警察研究所犯罪予防研究室長・清永賢二 久保正行氏(以下、久保氏)は、寡黙の人である。
また恥じらいの人である。
恥じらいと自ら体現することのできぬ恥じらいの人である。
このことは、一見の人に氏を無骨あるいは無教養の人と評価さすことになる。
久保氏の秘められた恥じらいの背後には、自分は果たしてこのようなことを言えるほどの存在なのか、このような意思決定ができるほどの人間なのかという思いが絶え間なく潜んでいるとみられる。
このことは謙虚であることとは異なる。
繰り返し自分を見つめ直そうという日常の姿勢にほかならない。
そういう意味で久保氏は、年齢をいくら重ねようと未完の人である。
未完であることは、久保氏に2つの顔を創り出す。
1つは、常に何ごとかに取り組もうとする挑戦の姿勢である。
この姿勢は久保氏の行動に変わらぬ若さをもたらす。
2つは、自身の行動に対する責任を全うしたいという信念を生み出す。
これが犯人にたどり着く絶対的な判断と誰も断定できない過酷な捜査現場において、最後は自分が「決めねばならない」という重い責任を、これで間違いないかと自問しながら、その苦悩の連続を表に出さず、しかし責任を持って決めていく矛盾した信念を氏は創り出し続けてきた。
これが一方で寡黙を生む。
多くの場合、こうした責任と信念は宗教心に支えられる。
やはり厳しい判断を迫られる政治家の多くが何らかの宗教を信じている。
久保氏においては、その支えは家族であったに違いない。
久保氏だけではない。
ほとんどの警察官が家族に支えられ職を全うした、あるいはしているに違いない。
疲れた一日の終わりに酒を酌み交わす席で、「じゃあ、家でかあちゃんが待ってるから」の言葉に、若い未婚の警察官が羨ましげに浮かべる笑いがそのことを表している。
久保氏が本書を著すにあたって、最大の難所はこの家族の反対にあった。
奥様とご子息が「猛反対している」と困惑した電話をしてきた氏の声は、か細くつたない小児のような趣の声音であった。
久保氏の純さが伝わった。
出版を反対された主な理由は 2点あった。
「あなたがここまでやってこられたのは、大勢の人のおかげではないのですか。
それを(本を出すことで)自分だけ目立ってよいのですか。
私は嫌です」「もう十分。
ひっそり何もなく、(母と一緒に)年をとってください」 久保氏の困惑に対し、光文社の編集者と私清永は、強く反発した。
「もう第一稿が出ようというのに……」。
担当編集者の困惑も当然であった。
清永はこう言った。
「ご家族の仰ることも分かる。
しかし誤解だらけの警察官像が蔓延している今、正確な姿を表現することは、この職で久保さんが生きてきた(後輩への)責任ではないか。
ご家族を説得してください」 こうした私たちの間でやりとりが交わされた結果、ここに本書がようやく世の中に送り出される運びとなった。
この本を著し、世の中に出した責は、すべて私、清永にある。
久保氏がご家族の反対に揺れ動いた背景には、これまでの激務遂行のため、本当に家庭を捨て家族を相手としてやれなかったという慚愧の念がある。
それと同時に、彼を育て送り出したご母堂への熱い思いが、 50年以上経過した今でも潜んでいる。
久保氏は 1949年、北海道十勝に生を享けた。
小・中・高時代には毎日約 4キロメートルの道を歩いて通った。
その間に柔道に励み、自分の技(講道館 6段)とした。
高等学校卒業後、警視庁警察官になった。
その受験に際し、久保氏はご母堂から、何も語られず旅費として何枚かのお札を手渡された。
久保氏は、その時のご母堂への思い、手の温もりを未だに忘れない。
彼の繊細さは、この故郷とご母堂の手の温かさに始まる。
その後、久保氏は警視庁「巡査」として警察官の道を歩き始め、 2008年警視庁第七方面本部の「警視長」(本部長)を最後に勇退する。
書けば巡査から警視長と簡単である。
しかしこの社会を知るものが見れば、久保氏は、大変な階段をひたすら努力努力で、一歩ずつ登ったことが分かる。
警察社会は、階級と実力・実績の社会である。
巡査から警視長まで実に 7段階の階段(巡査、巡査部長、警部補、警部、警視、警視正、警視長)がある。
この階段の途中まで厳しいペーパーテストがあり、その後は実績と上司の推薦や面接試験を経て登っていく。
その途中途中には、いくつもの上級警察学校での勉強、専門研修や考査、日常的チェックが用意されている。
こうした上級学校や研修などの経歴を経なければ階級は上がらない。
そういう意味で警察は、生涯を通してのきつい「学歴社会」であるともいえる。
久保氏は、この階段を登っていきながら、一般大学の経済学部に通い、卒業までしている。
365日昼夜を分かたぬ刑事としての激務をこなしながらだ。
まさに尋常ならざる努力の人である。
久保氏の所属した部所や地位の主なものを掲げる。
新宿署係長、鑑識課主任、捜査第一課主任、関東管区警察学校教官、捜査第一課係長、巣鴨署刑事課長、鑑識課検視官、捜査第一課管理官、捜査第一課特殊犯罪対策官・理事官、田園調布署長、第一機動捜査隊長、捜査第一課長、渋谷署長そして第七方面本部長。
私清永は、警察庁科学警察研究所に在職中( 1970 ~ 1995)、「警視庁に久保あり」との評を多方面の部所の方々から聞いた。
実際、当時の寺尾正大捜査第一課長と並んで歩く久保氏と廊下ですれ違った経験を持つ。
その廊下には、吹くはずのない風が 2人を包んで渦巻いていたような記憶がある。
久保氏の経歴の中で特に注目せねばならないのは、警視庁刑事部第 62代捜査第一課長という肩書きである。
捜査第一課は、警察が行う犯人捜査と検挙活動の中でも、特に兇悪事件に絞って取り組む。
殺人、強盗、強姦、放火事件にむしゃぶりつき、解決を目指す刑事の群れである。
捜査第一課長は、そうした群れの「長」である。
江戸時代の火盗改め、長谷川平蔵の流れにある、と表現するとイメージしやすい。
当然、仕事は激務となる。
油断、無責任、失敗などは絶対に許されない。
一身に注がれる社会の目は極めて厳しい。
久保氏はその職の長を務め上げた。
久保氏の下には、当時、 400人近い刑事がいた。
桜田門にある警視庁本部の建物内に限定してである。
その他、東京都内には当時 101の警察署があった。
そこには最低平均 20〜 30人くらいの刑事が所属していた。
その刑事たちにも、事件に応じて捜査第一課長の指示が飛ぶ。
ということは都内 2400名以上の刑事の視線が「捜査第一課長は何をしている」と 24時間注がれ、指揮にスキ・ムラ・ムダがないかをうかがい見つめていた。
並の 2400の目ではない。
専門性に長け誇り高く、常に一家言を持ち、その多くは一匹狼として走りまわりかねない刑事である。
彼らを統括し、事件解決に向け一丸となり、犯人検挙で「やった ー」という悪く言えば充実感を得させることは、並の努力と責任感、専門知識では困難である。
これにさらに検察官の入った裁判が加わる。
司法の場では、表は検察官の仕切りでも、裏では実質警察による証拠固めがあり、犯人有罪化に責任を持たねばならない。
検察官だけではない、全国の刑事警察官が注目する。
警視庁の捜査第一課は、どう動き、どう解決したかということが、常に全国警察の視線の先の関心事なのだ。
場合によっては、国際的にも注視される。
久保氏の務めた捜査第一課長とは、そうした席なのだ。
席は責である。
久保氏の日々は、長谷川平蔵以来のプライドと責任、そして家族総出の夫、父への熱い思いが支えたであろうことは間違いない。
寡黙にもなろうではないか。
その久保氏が、警察官としての長く重い業務の中で体得したすべてを記述したのが本書である。
江戸初期の剣豪であり剣を通じて自らの哲学を磨き上げた人物に宮本武蔵がいる。
武蔵は『五輪書』を書き残した。
今読むと、何ほどのこともない、一足一刀の足の捌きなどが淡々と綴られているように見える。
しかし、その淡々なことの場に我が身を実際に置いてみると、その淡々が、いかにはるか彼方に屹立したものであるかが初めて分かる。
本書を読んで、そのことを思い知る。
久保氏は、本書の「ウソの兆候」の項で、容疑者の注目すべき動作を挙げる。
特に正対している被疑者の顔や手足に目を凝らす。
ポイントは次のような兆候にあるという。
●目を逸らす。
視点が定まらずうつろ。
時に目を瞑ったりする。
●鼻をぴくぴくさせたり、鼻に汗をかいたり、鼻汁を垂らしたりする。
●唇が乾きはじめ、舌で唇を舐めはじめたり、呼吸が荒くなったりする。
中には口笛を吹く者、水を要求する者もいる。
●顔が青白くなる。
耳がややピンクに変色する。
耳を動かす者もいる。
顎をピクピクさせる。
●手の汗をハンカチやズボンで拭いたり、両手で顔を覆ったりなど、手が不自然な動きをし始める。
…… 凄い。
警察の捜査関係者は、「心理」などという見えない対象物からではなく、「見える身体」から「心」を読みとるのである。
剣豪同士の命を懸けた白刃のやりとりが「取調室」の中でなされている。
まさに宮本武蔵の現代版『五輪書』である。
それを久保氏は、極意として命題化し、その命題のポイントを指し示している。
我々がうかがい知ることもない生きた実学的ポイントである。
この書は三つの意味で宝である。
宝の一つは、当然、被疑者と対峙する(後輩の)取調官への教訓である。
取調官はこの書を熟読することによって、取調べに際して一つの判断軸を得ることができる。
全国警察官は一冊のバイブルを得た。
二つめは、民間企業、また教育現場において、対峙する相手のいかなる身体変化に注目すべきかをこれによって読みとることができる。
企業活動は、言葉を変えていうなら企業戦争である。
相手の動きをいかに素早く察知するかに勝敗が懸かっている。
久保氏の著書が勝利に有効なことはいうまでもない。
また私清永も、以前勤めていた大学において、久保氏と同様に、身体変化から心を読みとるという講義を行った。
小中学校でいじめや非行など問題行動を起こした子どもの理解促進というテーマであった。
テーマへの学生の関心は非常に高かった。
しかし絶望的に不評でもあった。
何せ限られた経験を基にした講義であったからである。
久保氏のこの著書をその時入手できていたら、あのような無様な講義にならなかった、という思いを抱く。
三つめの宝は、本書がこれまでの犯罪学になかった「犯罪者行動からの犯罪理解」という視点を、意図せず、しかし具体的に提示していることである。
詳述するにはここで紙数が尽きてきている。
簡単に言うと、これまでの犯罪学では、最初に「心の病」や「貧困」という原因があって、その結果として、犯罪がなされると説明された。
これが、久保氏の視点を詰め法則化することによって原因と結果が逆転するのではないか、という想いを産みだす。
今までにない発想である。
世界に類書はない。
その意味で、本書は、今後一つの「古典」と評されることになろう。
真に本書がご家族の大反対を抑え世に出たことは、我々にとって最大の喜びとせねばならない。
ただ最後に一つの不安を指摘する。
本書を読んだ犯罪者が知恵をつけ、巧妙に対処してくるのではないか、という不安である。
しかしその不安が先に立ってしまっていては、極めて巧妙化し悪質さの度合いを深化させている現代の犯罪者に太刀打ちできないであろう。
現実に犯罪者と向きあう警察官の努力がそういう状況を十分克服している、と書くことで十分である。
ご家族の猛反対に苦しい思いを重ねるであろうが、久保氏には、今後も自身の経験と知見を著しつづけることを覚悟してもらいたい。
久保正行(くぼまさゆき)第 62代警視庁捜査第一課長。
1949年北海道生まれ。
’ 67年、北海道十勝支庁・新得町から上京。
駒澤大学卒。
’ 71年、警視庁刑事に。
’ 74年に捜査第一課に異動、以後警視正までの全階級で捜査第一課に在籍。
鑑識課検視官、機動捜査隊長ほか、田園調布署長、渋谷署長などを経て、 2008年2月、警視庁第七方面本部長を最後に勇退。
現在、日本航空株式会社勤務。
警視庁シニア・アドバイザー、警察対策学会員、新得町観光大使。
著書に『君は一流の刑事になれ』(東京法令出版、現在は新潮文庫『現着 元捜一課長が語る捜査のすべて』)がある。
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