捜査員としての務め
変死体は難しい運動靴の底に違和感現場観察の心構え昼間分からなかったことが、夜に分かることもまず生活反応を見る殺しの手着衣のほころび尿失禁ホトケは雄弁ウジは語る火災班の仕事鼻腔内の煤ホトケがウソをつくことも
第 5章 遺体から真実を見抜く極意捜査員としての務め 私はこれまで多くのご遺体に接してきました。
私は遺体のことを、現場では「ご遺体」もしくは「仏さん」と呼んでいました。
「死体は語る」また「死体はメッセージを発している」と言われるとおり、警察で扱われるご遺体は、顔の表情を変えることができず、口を開くこともできないにもかかわらず、多くのことを語っています。
捜査員がその「言葉」をきちんと受け止められるか否かは、その捜査員の感知能力と、絶対に犯人を捕まえてやるという執念にかかっているのです。
そして捜査員は、死亡者の取扱いに当たっては、ひとりの人間が志半ばで死に至ってしまったという事実を真摯に受け止めなければなりません。
私も諸先輩からことあるごとにそう教えられてきました。
警察署の霊安室で、ご遺体に対面した遺族や親族の方々は、皆その瞬間、悲しみのどん底に叩き落とされます。
そんな、ご遺族の悲痛な心情に気を配りながら、適切な対応にあたることが捜査員としての務めなのです。
変死体は難しい ところで、警察が取り扱う遺体は、次の3つに分けられます。
(1)犯罪死体:なにがしかの犯罪行為によって死亡した遺体 (2)非犯罪死体:犯罪行為によるものではないことが明らかな遺体、自殺、自過失、病死等で、医師法によって医師が死亡診断書を作成できない遺体 (3)変死体:犯罪行為によって死亡した疑いのある遺体 (1)の場合は、発見と同時に捜査が開始されます。
捜査員は、被害者の無念を晴らすために、犯人を割り出し、追跡捜査によって検挙する使命を帯びています。
いや、絶対に検挙しなければならないのです。
捜査指揮官として判断が難しいのは( 3)です。
過去には、「私は殺されました」と訴えているご遺体、あるいは創傷が他殺のシグナルを送っているご遺体を前にしたことがありましたが、それをすぐにキャッチできないこともありました。
もし、そのようなシグナルを見逃し、( 2)の非犯罪死体として処理をしてしまったら、犯人はどうなるのでしょうか。
「警察を騙した」「うまくいった」とほくそ笑むに違いありません。
そんなことを容認していたなら、社会正義はお題目だけになって、正直者が馬鹿を見る世の中になることでしょう。
そんなことになっては絶対にいけません。
そのためにも、警察は死亡者の検視を綿密に行い、疑問が残るのであれば、裁判官からの令状によって司法解剖を行って、死因の解明に全力で取り組まなければならないのです。
司法解剖ではどうしてもご遺体に傷をつけることになります。
それは忍びないことですが、それによって概ね死因は判明します。
しかし、それで解決というわけにはいきません。
犯罪によって死に至らしめられたのか否かは、捜査をしなければ解明されないこともあるのです。
運動靴の底に違和感【事件 15―― 85歳男性変死事件】 私が鑑識課現場鑑識係主任だった頃のことです。
盛夏の早朝、都心の住宅街でジョギングウエアを着た男性の Aさん( 85歳)が倒れていると、通勤者から110番通報がありました。
先に現着(現場到着)したパトロールカーによると、 ■ 倒れていた場所は、高級マンション脇にある十数段の石段の最下段踊り場。
■ 男性は石段の最下段に左後頭部を乗せた格好で倒れ、鼻血が出ている。
■ 既に意識はなく尿失禁している。
■ 両足の運動靴は脱げておらず、着衣の乱れもなく、争った形跡もない模様。
■ ただ現場の 2メートル先の植え込みの枝に、本人の者であるイヤホン付きラジオが引っかかっている。
とのことでした。
私が臨場した時には、先着の警察官が、ウエアの小銭入れに入っていた名刺から Aさん宅に電話を入れたところでした。
奥さまの話では「私たち夫婦は、近くのマンションに住み、夫は朝の 5時頃、日課の散歩にラジオを持って出かけた。
ふだんは 1時間ほどで帰宅するが、今日はまだ帰らないので心配していた」とのこと。
また、病歴としては「夫は心臓がかなり悪く、ニトログリセリンを持参して通院している」ということでした。
Aさんは病院に運ばれましたが、到着時には死亡していました。
招集を受けた捜査員が、付近一帯の聞き込みを開始しました。
しかし、現場の階段を上り下りする人は少なく、ここを朝使うのは新聞配達員くらいとのことでした。
ご遺体は検視に回され、その際、左後頭部に卵大のコブのような腫れが 1か所あることが分かりました。
それ以外は、外傷がありません。
死斑が背面に現れていましたが、指で押さえると消失する状態でした。
死斑とは、血液の沈(就)下が皮膚を通して表面に浮いた痣状のものです。
これが指で押すとすぐ消えるということは、このご遺体が死後間もない(約 4 ~ 5時間以内)ことを表しています。
また、死斑が背面にあるということは、仰向けの状態で亡くなっていたということです。
その後司法解剖が行われ、死因は、外傷性クモ膜下出血であることが分かりました。
ただ奥さまの言うように、心臓の大動脈がかなり詰まっており、心筋梗塞でいつ亡くなってもおかしくない状態であったと言います。
解剖結果から「心筋梗塞の症状が出て転倒した病死」と判断しました。
遺族に解剖先の大学法医学教室事務所まで来ていただき、死因の説明を始めようとした矢先のこと。
妙な胸騒ぎがしたのです。
それは、被害者の運動靴とイヤホン付きラジオについてです。
そこで遺族の方にお詫びをして、所轄署に赴いて再度見分をしました。
ライトを手に運動靴の底を見ると、長さ 5センチくらいの擦過痕があります。
具合が悪くなって階段から足を踏み外したとしても、 5センチもの擦過痕はつかないはずです。
また、ここ数日は降雨もなく滑りやすい状況ではありませんでした。
そう考えると、底の傷はおかしいということになります。
こうして病死の線は消え、 Aさんの死亡は、事件と自損行為の両面で捜査が始まりました。
警察犬の出動を求め、運動靴を原臭として、 Aさんの生前の足取り捜査、正確には、足跡追及活動を始めました。
「犬の刑事」こと警察犬は、人間の数万倍の嗅覚を有するという高度な嗅覚、著しく優れた聴覚、警戒力、威嚇力、運動能力を生かして「足跡追及活動」の他に、「臭気選別活動」「物品の捜索活動」「遺体の捜索活動」「犯人の逮捕活動」「警戒活動」「行方不明者の捜索活動」において、犯罪捜査に貢献しています。
ちなみに、日本の警察が警察犬を採用したのは、 1912(大正元)年 12月 1日のことで、第 1号は英国から購入したスコッチコリーのバフレー( 1歳 1か月)、レトリーバーとイングリッシュセッターの雑種リリー( 1歳)の 2頭でした。
警察犬による足跡追及活動の結果、 Aさんが階段を下りてきたことが特定されました。
また、周辺の聞き込みによって、当日階段を上ってきた人が Aさんと階段の中程ですれ違ったこと、その人は上りきったところで、息を切らして上ってきた新聞配達員を見かけていたことが分かりました。
その時「若い新聞配達員にしては、息を切らすなんて修業が足りないな」と思っていたことから、記憶に残っていたとのことでした。
数日後、新聞配達のコースからこの新聞配達員 Xが割れたので、所轄署に任意同行を求めました。
取調べで Xは、「配達時間が遅れ、急いでいたのに、この爺さんは俺の前をノロノロ、それもラジオを聴きながらのんきに階段を下りていた。
カッとなって爺さんの耳からイヤホンを引きちぎって生け垣に投げた。
その時に押した」と供述したのです。
遺族にご遺体の死因について説明しようとした時、とっさに湧いた違和感――これを放置していたら、 Aさんのご遺体はあのまま病死として処理されていたでしょう。
それでも、植え込みの枝に引っかかっていたイヤホン付きラジオが、 Aさん以外の力によって植え込みまで移動したのかどうかということを実験などによって検証していれば、もっと早い段階に事件は解明できていたと思います。
そう考えると、現場ではご遺体のみならず、〝物〟も語っていることが改めて分かります。
現場観察の心構え 犯罪捜査は、現場が出発点。
そこは犯罪が行われたところですので、犯行の手口を示す凶器、犯人を特定できる指紋、血液や皮膚片といった DNA鑑定資料、遺留品など、有形資料の宝庫です。
同時に現場には、無形資料(人間のクセのようなもの)がたくさんあります。
犯人がどのような経路と手口で現場に侵入したのか(塀を乗り越えたのか、どの窓ガラスを割ったのか、ドライバー等どんな侵入用具を使ったのかなど)、どこを物色したのか、またどのように現場から立ち去ったのか(足跡を消したかなど)などということを調べていると、この犯人はどんな職業か、常習犯かどうかということも見えてきます。
常習犯は、犯罪を行う際、以前成功したのと同じ手法に頼るものです。
ですから、物や痕跡が移動したり、破壊されたりする前の、生の状態で現場を観察することが大事です。
しかし、捜査員に観察力が欠けていると、これらの有形・無形の資料を発見することができません。
特に変死体のある現場の場合、観察力がないと、死亡者が自殺か他殺かの判断がつきません。
観察力をつけるには、右手に顕微鏡、左手に双眼鏡を持つような心構えで、現場をさまざまなアングルから眺めることが大事です。
ここで、私がどのような心構えで現場の観察に臨んでいたか、述べてみましょう。
■ 冷静な心を保つ観察 完全犯罪を企んでいる者であっても、現場には何らかの痕跡を残します。
犯罪の現場で、犯人に関する資料がまったくないということはあり得ません。
必ずどこかに、何らかの痕跡を残しているのです。
その痕跡を見つけるには、まず観察者である捜査員自身が心を落ち着かせることです。
殺人の現場では、人が死んでいる、肉片が落ちている、血が飛び散っているといった目を覆いたくなるような凄惨な場面に直面します。
警察官は、現場の保存や報告のために、そういった現場にも入っていかねばなりません。
しかし、警察官といえども人間です。
血や肉片を目の当たりにすれば心臓は高鳴るし、手足の動きはロボットのようにぎこちなくなります。
これを克服するには、数多くの現場を経験するしかありません。
不謹慎な言い方になるかもしれませんが、酷いご遺体でもたくさん接するうちに、最初は動揺しても、すぐに冷静さを取り戻し、警察官の観察眼と行動力が発揮し始めるものなのです。
習うより慣れよ。
これは、捜査においても言えることなのです。
■ 先入観を持たない観察 捜査方針を誤らせる要因の一つに、捜査員の思い込み、先入観があります。
捜査は真実の究明です。
ですから事件の筋を読むにしても、あくまで客観的証拠によって判断しなければなりません。
捜査員の中には、現場を一目見ただけで「外部からの侵入の形跡はないので、事件ではないな」「外傷はないし、着衣に乱れがないので自殺だ」などと勝手に思い込む者がいます。
そうなると、その先入観が一人歩きをして、事件に関係のない資料に目がいき、その資料の収集にばかりやっきになります。
こうして、事件の解明につながる資料に意識が向かわなかったり、見落としたりするのです。
それは、初動捜査の失敗につながるので、事件解決に時間がかかってしまうことになりかねません。
ですから有意注意の観察が不可欠なのです。
■ 手順を踏んだ観察 私は先輩たちに、屋内で起きた殺人事件の場合、外周から屋内へ、侵入口から侵入経路へ、と順序どおりに進んで調べろと教えられました。
各部屋は、右回りないし左回りで一定の方向に進み、くまなく調べるようにします。
部屋の電気がついている場合、その明るさ(ワット数)も確認します。
時計の針を確認できるだけの照度があるかなどといったことは、取調べの際に、犯人のウソを見破る上でポイントになります。
部屋の中で最後に調べるのは、下(床)と上(天井)です。
私は先輩から「天井に飛沫血痕があるのを発見すれば、凶器をどのように使ったかが分かるので、決して見逃すな」と教えられました。
天井の飛沫血痕は、犯人が刃物を振りかざして被害者を切りつけた際、刃に付着した血液が飛んでできたものです。
とくに頭部に複数の切創のあるご遺体の現場では、天井にこうした痕跡がよく見られます。
また、飛沫血痕の位置で、犯人の人台(背が高いか低いか)もだいたい分かります。
昼間分からなかったことが、夜に分かることも 現場の観察は、犯行時間と同じ時間帯にも行わなければなりません。
事件が夜間に起きたとします。
この現場を昼に観察すると、陽の光のため夜とは違って見えます。
たとえば、敷地内に梯子があったとします。
昼間に見て、なぜそこに置いてあるのか分からないという場合でも、夜間に観察すると、その梯子は侵入の手段として使用できるよう、外灯の陰で、かつ家人に発見できない位置に置かれていることがわかったりするのです。
ですから、事件が発覚した時だけ現場を観察するのではなく、必ず犯行が行われたとされる時間にも観察しなければなりません。
自殺か他殺かの認定で迷うような場合、手抜きをせずに基本を守ることが、後日公判での立証において力を発揮するのです。
変死体は検視や解剖をすることによって死因を特定します。
しかし、どんなに法医学が進んでも、事件か否かの判断や、犯行の手口についての判断は、現場で発見採証した有形無形の資料や、ご遺体や所持品によって捜査指揮官自身が行う責任があるのです。
捜査と、鑑識活動(現場観察や解剖など)は、まさに車の両輪なのです。
【一課長の目 その 21】現場の観察は、必ず犯行時間と同じ時間帯に行うこと。
まず生活反応を見る 捜査指揮官は、ご遺体を観察することによって、死因、死亡日時、凶器の特定、犯行の手段方法等の観点から事件性の有無を判断します。
特に、ご遺体の傷が生存中に加えられたものなのか否かを観察することが大切です。
亡くなった人は言葉を発することができませんが、シグナルは発しているのです。
生存中に加えられた傷の場合、「生活反応」があります。
「生活反応」があれば、他殺の可能性が髙くなります。
「生活反応」を調べる際の観察項目は、主として ①出血、 ②皮下出血、 ③創口の哆開(裂けること)、 ④発赤・腫脹(充血と腫れ)、 ⑤痂皮(かさぶた)形成、 ⑥火傷第 1度、第 2度、 ⑦細小泡沫の7つです。
それぞれ以下の通りです。
①出血:生体では外部からの力によって血管が破綻すると、そこから血液が相当量出ますが、死体では流れ出る程度。
②皮下出血:生体では、皮膚が破れなくても皮下の毛細血管が破れて組織内に出血して凝血(固まる)するが、死体では凝血しない。
③創口の哆開:生体が傷つけられると、傷口がザクロのようにぱっくりと哆開するが、死体を傷つけても一般的にそういう現象は起きない。
④発赤・腫脹:生体に損傷が加えられると、その部位が発赤(充血)、腫脹(腫れ)するが、死体に損傷を加えてもそういう現象は起きない。
⑤痂皮形成:生体では受傷後数時間以上すると表皮が剥脱した部分で痂皮が形成されるが、死体では痂皮形成がなく、革皮様化(死体の皮膚が、乾燥して硬くなって暗褐色に変化し、皮革のようになっている状態)する。
⑥火傷第 1度、第 2度:生体では、火熱を受けると、火傷第 1度(紅斑形成)、火傷第 2度(水疱形成)が見られる(時間の経過や熱の勢いによって 1度から 2度に進む)。
⑦細小泡沫:溺死体や焼死体において、生体が溺れたり焼けたりした場合、鼻口腔内から細小泡沫(白く細かい粘りある泡沫)を漏出することがあるが、死体が水に浸かったり焼けたりしてもそれが認められない。
右の7つの要素を注意深く観察しながら、ご遺体の傷に生活反応があるかどうかを調べるわけです。
ただし、ご遺体の状態や環境によって異なることもあるので、検視官はもとより法医学者の意見も聞く必要があります。
【事件 16――女性絞殺事件】 ある年の晩秋の午後 11時 20分頃、都内の繁華街にあるマンションの 4階の部屋から水の流れる音がしているのを、戸締まり確認のために巡回していた管理人 Aさん( 76歳)が耳にしました。
不審に思って合い鍵を使って部屋に入ったところ、玄関口で首を吊って死亡している B子さん( 25歳)を発見、すぐに110番通報しました。
さらに臨場した捜査員が奥の寝室で、この部屋の住人で管理人 Aさんの息子の X( 23歳)が、ベッド脇で首を吊っているのを発見したのです。
部屋の出入り口はどこも施錠がされている状態でした。
B子さんは長袖シャツ、ロングスカート、靴下姿で、男性は半袖シャツ、ズボン、足は裸足でした。
こういう場合、「これは首吊りか、心中か、自殺だな」という先入観を持つ捜査員がいます。
ところが、心中にも、相手に「自分を殺してくれ」と頼む嘱託殺人もあれば、相手を殺して自分も死ぬ、いわゆる「無理心中」もあります。
これらは殺人になりますから、手を下した方は、死んでいても被疑者死亡で検察庁に送致しなければなりません。
ともに自殺をしたのか、ないしはどちらかが相手を殺した上で死んだのか。
この事件の場合、まず観察ポイントとなるのは、 B子さんの頸部に巻き付いた腰ひもです。
一周して前頸部で交差しながら、斜め上方のトイレのドアに結ばれています。
女性の場合、たいてい髪が首にかかっていますから、女性が首を吊るとき、ひもは髪の下に通すのが自然です。
最近の若者のヘアスタイルはよく分かりませんが、ひもが髪の上を通っていたら、一般的には不自然です。
人は亡くなった後も、外見を気にするものなのです。
そうしたことから、この「髪を挟んでいるか否か」が、自殺か他殺かを見分けるポイントになるわけです。
しかし、 B子さんの首に巻かれたひもは髪の上を通っています。
ですから首を吊っているからといって、自殺と断定することはできません。
そのことを踏まえた上で、次に尿失禁の位置を確認しました。
B子さんが亡くなった位置には尿失禁の跡がありません。
では、どこに尿失禁の跡があったかというと、ベッドの上にあったのです。
そのことと、ひもが首の上を通っていたことを併せて考えた結果、 Xが B子さんをベッドの上で絞殺し、 B子さんの遺体を玄関口まで運んだという疑いが濃くなりました。
つまり Xによる殺人です。
ちなみに縊死(首吊り)には、定型的縊死と非定型縊死があります。
定型的縊死とは、全体重が首にかかった結果、亡くなることを指します。
専門的な言い方をすると、索状物が前頸部から左右均等に後上方に向かい、耳の後ろを通って後頸部又は後頭部へ至り、結節をつくるかそのまま上方へ伸びて身体が懸垂された状態になって、全体重が索状物にかかることになります。
こうして全体重が首にかかるため、気道と総頸動脈の閉塞にとどまらず、骨によって防護されている椎骨動脈も圧迫され、脳への血液供給が遮断された結果、意識を失って窒息死するわけです。
非定型的縊死とは、全体重の一部が首にかかった結果、亡くなることを指します。
一部とは 15 ~ 25パーセントですが、それでも窒息死すると言われています。
椎骨動脈まで圧迫するのが少ないので、顔面は鬱血し、溢血点も発現します。
そのようなことから、非定型縊死は、絞殺、扼殺の所見と似ています。
その後の捜査で、 B子さんと Xは恋人どうしだったことが分かりました。
Xは日頃から B子さんに「外国で一緒に生活するのはどうか」「一緒に死んだらどうなるかな」などと迫り、 B子さんは友人に「 Xと別れる方法はないか」と相談していることが判明しました。
別れ話のもつれから、 Xが B子さんを殺害するにいたったのです。
現場の状況を一見すると、無理心中のようですが、女性の首吊り遺体の「ひもが髪の上にあるか下にあるか」に着目することで、他殺であることがわかったのです。
【一課長の目 その 22】女性の首吊り遺体で、ひもが髪の上にある場合は、事件性の疑いがある。
殺しの手 両手に何も持っていない人を後ろから押すと、前に手をつくようにして倒れるのがふつうです。
よほどの人でない限り、顔から先に地面にあたることはありません。
とくに柔道の心得がある方ですと「前受け身」をとるように、両方の手のひらと前腕部が地面につきます。
それは、自己の顔面を守ろうという防禦意識が働くからだと思います。
ご遺体を観察して、手のひらが上を向いている場合は、犯人が殺害後、ご遺体を移動させたということを告げています。
本来なら、手のひらは下を向いているはずだからです。
このように、ご遺体の手のひらが上を向いている場合、これを「殺しの手」と呼んで、「事件性がある」と判断する際の資料とします。
「殺しの手」は、故・芹沢常行第 20代鑑識課長が捜査や鑑識の講習の時によく言っていた言葉です。
ただし、 SM行為の果てに死に至ったケースでは、ご遺体の手の位置が死後移動させたことによるものか否か判断が難しいので、緊縛の結節箇所をよく調べる必要があります。
【一課長の目 その 23】ご遺体の手のひらが上を向いている場合は、事件性の疑いがある。
着衣のほころび 破れたジーパンなどをファッション感覚で穿く若い方がいます。
しかし、若い女性が好んでほころんだ下着を着用していることはまずないでしょう。
そこで、女性のご遺体の下着にほころびや破れがある場合、通常何らかの外的作用によって生じたものと考えます。
つまり、ご遺体を移動した時や、犯行を隠すために着衣を替えたような時に起きると考えるわけです。
ご遺体は、亡くなって 2 ~ 3時間後にまず顎の硬直から始まります。
硬直が全身に及んでいくとマネキンのようになりますので、犯人が擬装工作をすべく着替えさせようとしてもうまくいきません。
無理に着替えさせようとすると、着衣の縫い目がほころんだり、破れたりするのです。
こうしたことが、遺体が発するメッセージになります。
そのためにも、ご遺体の位置と体位に矛盾はないか、しっかり観察することが大切です。
【一課長の目 その 24】女性のご遺体で、下着にほころびや破れがある場合は、事件性の疑いがある。
尿失禁 人間が死を迎えようとしている死戦期(死に際)においては、しばしば痙攣が起きます。
特に、縊死、絞死(絞頸)、扼死(扼頸)による窒息死に至る過程で、この現象が現れやすいのです。
人間が窒息して死に至る過程では、呼吸筋の収縮が増大して痙攣状となり、呼気性呼吸困難が現れ、それと機を同じくして全身骨格筋の痙攣も発現し、血圧が上昇します。
これと前後して迷走神経が刺激されて、心拍数の減少、瞳孔の縮小、腸の運動亢進による脱糞、膀胱の収縮による排尿、陰茎勃起、射精等が見られるのです。
そのようなことから、尿失禁のある箇所を死亡場所と見立てるわけです。
前述のケースのように、ご遺体が発見された箇所に尿反応がなく、別の場所に尿失禁があれば、「ご遺体が移動させられている。
それはなぜなのか」と事件性を疑うことになるのです。
【事件 17――ある会社役員の縊死】 ある会社の役員 Aさんが、ホテルの和室で首を吊って死亡しているのが発見されました。
テーブルには、「自分は会社の金を使い込んだ。
返済ができないので『死』をもって償う」旨の詫び状が置いてありました。
その現場を観察したところ、役員は鴨居にかけたひもで縊死していました。
外傷もなく、着衣の乱れもありません。
そばに椅子が倒れていましたから、これを足場として使用したように見受けられます。
一見すると、自殺のようです。
ところが、おかしなことに椅子からは指紋が検出できません。
また、鴨居の上部に付着した一面のほこりの中に、数か所ひもが移動したような形跡がありました。
さらに、ご遺体からはよだれが垂れていませんし、直下に尿失禁の跡もありません。
こうしたことから、事件性があると判断。
捜査の結果、 Aさんは会社の金を横領した共犯者に絞殺され、首を吊ったように見せかけられたことが分かりました。
【一課長の目 その 25】遺体の発見場所とは別の場所に尿失禁のある場合は、事件性の疑いがある。
ホトケは雄弁 人が亡くなると、時間とともに次のような経過をたどります。
① 筋肉が緊張を失って弛緩が始まります。
支えがなくなったようにだらんとなるのです。
② 皮膚が蒼白となり、口唇、陰嚢など表皮の薄いところや、表皮が損傷している部分が乾き、革皮様化して硬く茶色がかってきます。
③ 人が亡くなると、血液の循環が停止するため、血管内の血液が重力によって低い部位に溜まりはじめます(これを「血液就下」と言います)。
そして、溜まった血液の色が皮膚の表面に表れます。
これが死斑です。
死斑は早くて、死後 30分前後に現れ出します。
死後 4 ~ 5時間までに死斑を指で押したり、ご遺体を移動すると、多くの場合、死斑は消えます。
④ 死後 1 ~ 2時間後に、ご遺体の手足や顔面に触ると、冷たさを感じます。
これは、「死」によって、身体の表面の水分が蒸発することで体熱が奪われ、体温が低下していくからです。
ただし、環境や体格、そして死因等によって差が出てくることもあります。
テレビドラマなどでは、この「体温の低下」がアリバイ工作に使用されたりします。
⑤ 死後 2 ~ 3時間経過すると、筋肉がこわばって関節が硬くなり始めます。
これを「死後硬直」と言い、 6 ~ 7時間で全身に及びます。
⑥ 角膜が、死後 12時間程度で微濁します。
20 ~ 24時間経過すると混濁は顕著となり、それ以上経過すると瞳孔を透視できなくなります。
硬直の度合も最も高くなりますが、死後 48時間くらい経つと、硬直が緩解し始め、 3 ~ 4日で消失します。
このように、ご遺体は、時間の経過とともに変化していきます。
捜査指揮官は、この変化を、ご遺体が発する「声なき声」と受け止め、そこからさまざまなことを読みとらなければなりません。
ご遺体から発するメッセージは一律でなく、温度、湿度、ご遺体の状態等によって進行が早まったり、遅くなったりするなどの変化があるので、大局的な観察が不可欠です。
ウジは語る 右のような、ご遺体が発するメッセージから、捜査指揮官は犯行時間を特定していきます。
そこから、捜査対象者のアリバイを崩していくのですが、犯人の中には、殺害現場の状況や殺害したご遺体に細工をして、捜査指揮官が犯行時間を誤るよう誘導する者もいます。
そうして、自分のアリバイが成立するよう企むわけです。
【事件 18――女性扼殺事件】 私が高輪署の暴力犯担当主任(巡査部長)だった時のことです。
10月の中頃、高級住宅街にあるマンションの部屋に夕方、 1人の女性が訪れました。
女性は、この部屋に住むA子さん( 30歳)の会社の同僚で、A子さんが数日間無断欠勤しているため、心配になって様子を見に来たのでした。
インターホンを鳴らしても応答がなかったので、同僚の女性は管理人にカギを開けてもらって中に入りました。
すると、寝室のベッドにA子さんがネグリジェ姿で仰向けになっていました。
既に冷たくなっています。
女性はすぐに110番通報しました。
私が現場に臨場したところ、室内は暖房がつけっぱなしになっているせいか、かなり暑く感じられました。
またA子さんの右手の脇に、 1万円札が落ちていたのが目にとまりました。
A子さんのご遺体は、顔面が鬱血し、眼球結膜にも溢血斑がありました。
鼻孔部からは小さなウジが数匹見つかりましたが、腐敗による変色はまだ起きていない状態でした。
頸部には扼殺の跡のような皮膚変色が認められ、既に革皮様化が始まっています。
こうしたことから、捜査指揮官は事件性が高いと判断しました。
ご遺体を高輪署に搬送し検視を実施した結果、死因は頸部圧迫による窒息死、死後経過は 2日内外と特定されました。
こうして犯行時間が、発見日の 2日前の午後から前日の夕方までに絞られました。
被害者の交友関係や被害者のもとに出入りする人物の中で、その時間帯にアリバイのない者が、捜査対象者になるということです。
また被害者の爪から皮膚片が採取され、鑑定の結果、被害者の血液型と異なることが分かりました。
ということは、犯人のものである可能性が高いということになります。
現在なら DNA鑑定の照合となりますが、当時はまだ行われておらず、 ABO型と酵素型のみでした。
A子さんの交友関係から、捜査線上に商社マンの Xが浮上しました。
Xの血液型は O型で、これはA子さんの爪に残っていた皮膚片の血液型とも一致します。
ところが Xにはアリバイがありました。
発見日の前日の夕方まで遠方に出張していたのです。
Xは取調べで「たしかに私はA子のマンションに、時々出入りをしていました。
でも殺してなんかいません。
私はA子を愛していました」と否認します。
再び、死亡推定時間、つまり犯行時間の検討をしました。
検討材料となるのは、先に挙げた、死斑、体温低下それも直腸温・室温、角膜の混濁、下腹部の皮膚の変色(腐敗は 1日前後で、赤色から青緑色、青藍色へと変色)、それと胃の内容物です。
胃は空虚で、大腸には便が中量残っていました。
さてここで問題になるのは、ウジの存在です。
盛夏では、死後間もなく遺体の口や目などの粘膜部等にハエが卵を産み、半日くらい経過するころには、孵化して体長 2ミリほどのウジが観察できます。
その発育は季節や室温によって異なりますが、検視官講習では、概ね 1日 1ミリから 2ミリ成長し、約 1週間でサナギとなって、 3週間で脱皮してハエになると教えられました。
死後経過日数は、死体に湧いていたウジをアルコール液や熱湯で死なせ、その長さを計測し、この数値を夏だと 2ミリ、春秋だと 1ミリで割ることで割り出します。
被害者の顔面から採取したウジの長さを測定した結果、 3ミリでした。
10月の気温だと、発生から 3日ほど経つとこのくらいの大きさになるのですが、部屋には暖房機がついていたので、 1日早く見積もって、発生から 2日経っているものと思われました。
つまり、解剖結果と同じく、A子さんが亡くなったのは、発見の 2日前ということです。
その後の聞き込みによって、 Xが発見日の未明にA子さんのマンションを訪れていることが判明しました。
Xが利用したタクシーの裏もとれたのです。
この証拠をもって Xの取調べをしたところ、A子さんの殺害を認めました。
Xには妻がおり、A子さんとは不倫関係にありました。
A子さんから結婚を迫られ殺害に及んだのです。
A子さんのそばに 1万円札が落ちていたのは、 XがA子さんの死後、手に握らせたものでした。
事件を、身体を売って稼ぐ女性と客の金銭トラブルに見せかけようとしたのです。
しかし、死後硬直によって、札が手からすべり落ちてしまったわけです。
Xは推理小説マニアでした。
暖房をつけっぱなしにして、死体が腐敗するのを早め、犯行時刻をカムフラージュしたのも、推理小説で得た知恵でしょう。
実は、この捜査の過程で、2つミスを犯していました。
現場で「暑いな」と感じたのですが、室温を計るのを忘れていたのです。
また、指紋に影響がないよう、ついていた暖房を停めたのも迂闊でした。
死後どのくらい時間が経過したかを計算する際、現場の温度がご遺体の直腸温の測定数値と関連性があるという当たり前のことを失念してしまったのです。
この事件は、まもなく解決したからよかったのですが、ミスを犯したことで事件の解決が遅れたとしたら、悔やんでも悔みきれません。
現場では基本に忠実に、やるべきことは漏れなくやるべきだということを痛感させられた事件でした。
【一課長の目 その 26】部屋の温度いかんで、死体に湧くウジの成長に違いが生じる。
火災班の仕事 捜査一課には火災犯があります。
火災犯の捜査員は、消防庁や消防署の調査担当の方と一緒に火災現場に臨場して、火災の原因が何なのかを究明します。
そして、事件性があれば、犯人を検挙するために捜査を始めるのです。
当時の火災犯は、現場で出動着や鑑識の作業着を着用していましたので、「ガス屋さん、こっちにきて」とか、「消防さん……」と声をかけられることもしばしばありました。
火災犯の捜査員は、火事に遭って一夜にして全財産を焼失した方や、肉親を喪った方たちと接しなければなりません。
それは、気の重いことです。
焼失者は、長年苦楽を共にしてきた家族、あるいは汗水流して築き上げた財産や、お金では買えない大切な想い出をなくしています。
まさにすべてを失ってしまったのです。
私も火災犯だった当時、現場から逃げ出したいと思ったことは数知れません。
しかし、そんなことは言っていられません。
現場をくわしく観察して、火事に事件性があるかどうかを特定しなければならないからです。
特に焼死者がいる場合、ご遺体の観察は極めて重要なことです。
焼死とは一般的に、火災等により、火力が身体に作用してショック死したり、火災によって発生する CO(一酸化炭素)を吸い込むなどして、酸素不足になって窒息死したりすることを指します。
専門的に分類すると、火熱のために広範囲の皮膚刺激を受けたことに基づく ①神経性ショック死、 ②煤末や火焔の吸引による窒息死、 ③一酸化炭素や青酸ガスによる中毒死などです。
焼死に対して火傷死があります。
火傷による直接的熱傷害や皮膚組織などの熱変化などによって命を落とすことです。
一般的に、二次性ショックと呼ばれています。
焼死したご遺体は、生体(生きている状態)から亡くなった場合でも、あるいは、既に死体(死亡している状態)だった場合でも、筋肉が焼けて藁状に露出しており、藁人形かと錯覚するほどです。
実に哀れな状態です。
鼻腔内の煤 出火現場の観察は、通常夜間には行いません。
暗い中では火災が鎮火しているのかの確認や、柱や床が焼け落ちているか否かの確認がとれないことに加えて、そのまま実施すると二次災害が発生することもあるからです。
そこで、夜明けを待ってから観察(見分)を行います。
まず、焼失した家屋の内部にくわしい人から、戸締まりの状況、火源となる可能性のあるものの種類や位置関係、焼死者の発見場所と当時の位置等を細かく聴取します。
その上で、部屋ごとに図面に落としこんでから観察の実施に移ります。
ご遺体の観察において重要なのは、発見された場所です。
焼死者がまったく動いてない、あるいは逃げ口と反対方向に動いている場合には、「火事ぶれを聞かなかったのか」「誰かに襲われ逃げたのか」といったことを考えます。
焼死体のある場所や状態、焼失前の出入り口、窓等の開口部や家具等の配置状況を観察することで、被害者が火気に気づいて逃げたかどうかが分かります。
とくに、健康な人が寝床で死亡している時は事件ではないかと疑います。
また、ご遺体が生体であったのか否かは、次に挙げる火傷の程度によって判断します。
●第 1度火傷(紅斑形成):皮膚又は粘膜が熱による刺激で充血を起こし、その部分の皮膚に発赤・紅斑が起こります。
熱刺激の強い時は腫脹が見られます。
紅斑の形成は、火傷の最も早い時期に起こってくる変化ですが、時に死後に生じることもあります。
●第 2度火傷(水疱形成):皮膚に水疱が形成され、周囲の発赤、真皮の充血が明らかです。
死体の時にも同じような水疱ができますが、内容液が少なく、多くは空疱です。
●第 3度火傷(痂皮形成):熱の作用によって組織が熱凝固を起こすと、硬く黄褐色に変化し、皮膚が痂皮状になっています。
●第 4度火傷:皮膚が炭化していて、焼燬(焼くこと)が皮下組織、筋肉、骨にまで達し、この段階では生前、死後の判別は不可能です。
第 1度、第 2度火傷は生体ですが、第 3度、第 4度は、死体を焼燬した場合にも出ます。
生体か死体かを判断するやり方には、煤を吸引しているか否かを鼻腔部や口腔部で確認する方法もあります。
鼻や口、時には、目に煤が入り込んでいるようなご遺体は、当時生体であった可能性が高いのです。
また、ご遺体の鼻腔部から、細小泡沫といって、白色又は血液混じりの大小の泡沫が漏出していることがあります(「生活反応」を調べる際の観察項目の ⑦参照)。
この場合は、生体が焼燬されたことを考えるべきです。
また、生体が焼燬された場合、熱による四肢の筋肉の収縮のため、ボクサー型姿勢になっていることが多いのですが、それだけとも限らないので要注意です。
また死体を焼燬した場合は、姿勢が一定していません。
【一課長の目 その 27】鼻や口に煤が入り込んでいる死体は、焼き殺された可能性がある。
ホトケがウソをつくことも 焼死体が男であるか女であるかは、身体全体を観察して判断します。
身体つきをはじめ、頭蓋骨の前後径の長さ、頭頂の膨隆ぐあい、前額部の角度、眉間・眉弓の隆起や発育、乳様突起の隆起、下顎角の幅、歯牙の大きさ、骨盤全体の頑強さ、骨盤腔上口がハート形か楕円形か、仙骨の長さと湾曲ぐあい、恥骨下角の角度などから推定するのです。
しかし頭部のない焼死体、それも炭化が激しい死体の場合、男女の区別を検視のみで判断するのは困難です。
その場合は、法医学による解剖に頼らざるを得ません。
ただし、法医学者は、解剖によって死因を究明することはできますが、事件性の有無までは判断できません。
それを判断するには、やはり捜査員の観察力と捜査力が必要になってくるのです。
【事件 19――頭部のない焼死体】 強盗事件担当管理官だった当時の正月明け、駐車場で頭部のない焼死体が発見されました。
陰部も激しく焼けていたので、すぐには性別が分からない状態でした。
検視の結果、女性と認定されました。
その理由は、陰茎がなく陰部に膣と思われるものが露出していたことです。
解剖の結果、膣の確認がとれたこともあり、ご遺体は疑いなく女性であることがわかったのです。
その後、この女性と同居していた男を逮捕したのですが、男の自宅を捜索した際、冷蔵庫から、この女性の陰部の一部が発見されました。
検視でも解剖でも、陰部を鋭利な刃物で切り取られていたことまでは分からなかったのです。
このご遺体は、たまたま膣の形状が残っていたので女性と認めましたが、陰部を切断して焼燬した場合には、男女の区別が容易ではありません。
この事件でも、「この仏さんは男性だ」と判断していたら、初動捜査はかなり遅れたと思います。
【事件 20――自宅前で変死体となって見つかった家人】 ある雨の日の夜、閑静な住宅街の一角にある一軒家の玄関先で、この家のご主人である Aさん( 70歳)が亡くなっているのを家族が発見しました。
Aさんはいつも午後の 9時頃には帰宅するのですが、家族によると、この日に限って帰宅が遅かったと言います。
心配した家族が 10時頃様子を見に外に出たところ、 Aさんが飛び石の上に横向きに倒れているのを発見したのです。
Aさんのご遺体は、外出の際に着ていたブレザーとズボン姿でした。
靴は両足とも脱げてはいませんでしたが、右の靴底には数条の滑ったような擦過痕がありました。
検視では、外傷として後頭部に手掌面大の皮膚変色部が認められ、頭蓋骨にも骨折があるように思われました。
そして解剖の結果、死因は頭蓋内脳挫傷であることが分かりました。
付近の聞き込みでは、怒声や悲鳴、大きな物音を耳にした人はいないということでした。
警察犬に Aさんの靴の臭いを嗅がせ、 Aさんがどういう経路で帰宅したかも調べましたが、途中で争ったりした形跡も見つかりませんでした。
そうしたことに加えて、「雨で庭石が濡れていたことで滑りやすくなっていた」「靴の底に擦過痕があった」などの点に鑑み、自分で転倒して亡くなったという説が有力と判断されたのです。
しかし 1年後、 Aさんは強盗に遭って命を落としたことが分かりました。
別の強盗罪で逮捕した男が犯行を供述したのです。
強盗は、 Aさんの後背後から上半身に両腕を回して持ち上げ、自ら後方に反り返るように倒れ込んで、 Aさんの後頭部を路面に叩きつけたのです。
プロレス技でいうところのバックドロップ(岩石落とし)です。
Aさんの後頭部に皮膚変色があったのはそのためです。
もし、強盗に襲われた場所に Aさんが倒れていたならば、外傷の状態から事件と認定できたでしょう。
しかしその後、 Aさんはふらふらになりながらも服装をきちんと整え、なんとか自宅にたどり着いたのです。
だが、我が家を見て安心したのでしょうか、そこで事切れてしまったのでした。
動物には帰巣本能がありますが、それは人間も同じです。
そのことをきちんと把握していないと、捜査がおざなりになってしまい、 Aさんの場合のように事故か事件かを見誤ることになるのです。
【一課長の目 その 28】人間にも帰巣本能がある。
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