Section 1 必要のない承認欲求の解除
▼ライオンフィールドに上がるために必要なこと
実は、ねこフィールドに上がった時点で十分に幸福感を感じることができるのですが、さらにライオンフィールドに昇格すると、生きていることの幸福感をより感じられるようになります。
具体的に言うと、ねこフィールドで感じる幸福感は「毎日が楽しい」といった、やりたいことをやれているという刺激に基づいた幸せであることが多いのに対し、ライオンフィールドで感じる幸福感は「こんなに恵まれていて幸せだなあ」といった、じんわりとしたあたたかい幸せであることが多くなりますね。
本書冒頭でもお話ししたとおり、かならずしも各フィールドの特徴がすべての人に当てはまるわけではないのでケースバイケースではありますが、ステージダウンしないためにいち早くライオンフィールドに上がったほうがいいというのが、僕の見解です。
なぜなら、生きづらさを克服してステージアップしたねこフィールドの人がステージダウンしてしまう最大の理由と言ってもいいのが、自分の承認欲求をコントロールできなかったからなんですよ。
その結果、人の評価をまた気にするようになってしまい、自分のやりたいことが世間体や人の評価に基づいたものに逆戻りしてしまうわけです。
なぜ、せっかく生きづらさを抜けたのにまた世間体や人の評価に縛られてしまうのかと言うと、ステージアップした自分をもっと認めてほしい、わかってほしいという欲求からくるのですが、結局はお金や名声に目がくらんでしまったということなんですね。
前述したように、お金がほしいという欲求は人の評価に基づいたものなので、結局は承認欲求からきています。
もちろん、さらなる飛躍を遂げるべく、そのためにはお金が必要だという場合もありますが、自分の私腹を肥やしたいだけなら、根本になる欲求は自己満足でないかぎり、ただの承認欲求です。
そんな厄介な承認欲求ではありますが、この欲求をすべてなくしましょうと僕は言いたいのではなく、振り回されて自分を見失うなと言いたいんですよ。
世のため人のためになりたいと思って政治家になった人が、お金に目がくらんで道を踏み外します。
多くの人たちを救いたいと思って医者になった人が、名声に目がくらんで患者のことじゃなくて出世のことを考えます。
これらはあくまで一例ではありますが、せっかく志を高くもって就いた職業なのに、承認欲求にかられて私利私欲で行動してしまう事例が、世の中にはたくさんありますよね。
中には、志を高くもって就いた職業なのに、思っていた現実とあまりにも違うことが多いため、絶望してやる気をなくす人もいますが、厳しいようだけれども、結局こういう人たちは人の評価に振り回されてしまい、戦えなかっただけなのではないでしょうか。
僕が言っていることは「現実はそんなに甘いものじゃない」と言われるようなことですし、たしかに現実とドラマは大きく違うこともわかってはいるつもりですが、それでも、「どうせ無理だから」「誰々の二の舞になるのはごめんだ」といった感じで、戦う前から戦いを放棄していなかったか考えてみていただきたいです。
文句を言っていいのは、どんな理不尽な状況下であれ、戦い続けた人だけだと僕は思います。
言うまでもなく、ただ真正面から立ち向かうだけでは打ち負かされてしまう場面もありますから、頭を使って戦わないといけないケースも多々ありますが。
話がそれてしまいましたが、ステージダウンの原因とも言える承認欲求のコントロールをし、必要のない承認欲求を切り捨てることが、結果的にライオンフィールドへの昇格につながるんです。
まず、ねこフィールドからライオンフィールドへ上がるにあたって必要のない承認欲求は、次のようになります。
・自分はすごいんだという名誉の誇示
・こんなに頑張ってきた、自分はこれだけやっているという努力の誇示
・相手より自分のほうがすごいんだという能力の誇示
・人や社会にこれだけしているんだという貢献の誇示
・自分はこれだけ稼いでいるという収入の誇示
ようは、「見てる人はちゃんと見てくれてるから、いちいち言わなくてもいいよ」的なことは、自らアピールしなくていいということです。
苦労や葛藤を乗り越えたねこフィールドの人たちがついやってしまいがちなことなんですが、これらの承認欲求って大体が「俺(私)のこと舐めるなよ!」という牽制や威嚇が元になっていることが多い気がします。
とはいえ、努力と貢献の誇示は言い方と使いようでもあるので、ここぞという場面で使うと相手の信用を得る切り札にもなりますね。
この切り札を使うときは、「こんな自分どやさ!」という承認ほしさや自己顕示ではなく、あくまでも「自分はこういうことをしてきて、今はこういうことをしていますよ」といった感じの、「活動報告」のように使えるといいのではないでしょうか。
とくに、 SNSを使うときなどこの活動報告は嫌味なく使えますね。
現代では、「本当のリア充はSNSをしない」と言われているほど、「こんな自分どやさ!」アピールの投稿が多いように思います。
こんな良い食事してる私どう? こんなすごい仕事してる俺どう? こんな充実した旅行をしてる私どう? こんな高い車乗ってる俺どう? といった感じで。
これが別に悪いことだと言っているわけではありませんが、芸能人ならまだしも一般の人があまりにもこういう投稿を多くするため、見ている人は正直食傷気味なんじゃないかと思います。
それも、文面から伝わる投稿者の「承認されたい」という気持ちがダイレクトに反映されているからと言ってもいいでしょう。
たとえば、食事に関する投稿でも、「超人気店の肉バルのお店、 ○ ○にやって来ました! こんなに良いお肉がたくさん食べれて幸せです! ごちそうさまでした!」という投稿と、「今話題の肉バルのお店、 ○ ○さんにようやく来ることができました。忙しい時間にお邪魔したのにもかかわらず、非常に親切にしていただき感動しました。良いお肉をリーズナブルな値段でたくさん出していただき本当にありがとうございます!」という投稿とでは、言っていることは同じでも、微妙にニュアンスが違いますよね。
前者の投稿は主に「自分」に焦点が当てられていて、後者の投稿は主に「自分以外」に焦点が当てられています。
活動報告という観点だけで見ると両者とも活動報告に該当するのですが、 SNSで活動報告する場合、自分に焦点を当てれば当てるほど、活動報告が自慢に切り替わっていきます。
しかしこういった場合、自分以外に焦点を当てると、活動報告に加えて焦点を当てられた人物やお店がメインになるので、宣伝になるんですよね。
もちろん、焦点が当てにくい場合もあるので、なにがなんでも自分以外の対象を探さないといけないということはありませんが、「今の自分を自慢したい」と「今の自分の状況を知ってもらいたい」とでは大きく心持ちも違うので、自慢したいがための活動報告はやめておいた方が無難でしょう。
ちなみに、前述した5つの誇示(承認欲求)はあくまでもねこフィールドからライオンフィールドに上がるために必要がないというだけで、気づいていないステージにいる間はこれらの誇示を通じてフィールドが昇格する部分もありますので、ケースバイケースだということを忘れないでください。
では、ねこフィールドにいる人ができるかぎり承認欲求をなくしていくためにはどうしていけばいいのか? その方法が次の4つになります。
- 調子に乗らない
- 感謝を忘れない
- とにかく与える
- やるべきことをやり続ける
それでは1つずつお話しさせていただきますね。
①調子に乗らない
これは、身の丈に合った行動をしましょうということです。
人は嬉しいことや楽しいことがあったとき、つい高揚感から我を忘れてしまいがちですが、そのまま我を忘れて調子に乗り続けると、かならず足元をすくわれてしまいます。
前述したように例外はありますが、ハリウッドで人気を博した子役や、芸が社会現象にまでなった一発屋と呼ばれる芸人さんが、現在メディアから姿を消しているのが、その最たる例と言っていいかもしれません。
いわゆる「しっぺ返し」というやつですが、高揚感が持続して嬉しさと楽しさの感情に流されたままになってしまうと、かならず周りが見えなくなり最終的には自分のことも見失います。
高揚感を感じるのは人間のメカニズム的にしょうがないのですが、高揚感が持続したときこそ注意が必要でして、そういったときこそ「いけない、いけない、浮かれすぎてしまっている」といった感じで現在の自分の状態に気づき、自分を戒める必要があるでしょう。
もちろん、「自分へのご褒美」は必要だと思いますから、ときに身の丈に合わない行動をしてもそれはかまわないと思います。
ですが、その生活をずっと続けていると、高揚感の持続を止められなかった代償が待ち受けていることをお忘れなく。
②感謝を忘れない
お世話になった人たちだけではなく、「生かされている」ことに関しても感謝をすることです。
僕たちは自分 1人で生きているわけではありません。
コンビニでコーヒーを買うときも店員さんがいなければ買えないですし、飲食店で食事をしたくてもお店がなければ食事をすることはできません。
今住んでいる家も誰かが設計して誰かが建ててくれたわけですし、日頃、移動で使う電車も路線に電車が走るまでに名前を知らないだけで大勢の人がかかわっているわけです。
そうやって、いろいろな人たちのかかわりを感じながら感謝を忘れずに生活していると、「ありがとう思考」が身についてくるので、感謝することが当たり前になっていきます。
しかし、そうは言っても知らない人にまでなかなか感謝することができないという方もいらっしゃることでしょう。
その場合は、僕が「ありがとう乱射事件」と呼んでいる方法がおすすめです。
この方法はどういうものかと言うと、とにかく手当たり次第なんでもかんでも感謝することなんですよ。
そして、感謝したあとが大事でして、「これは一体なにに対してのありがとうなんだろう?」と考えることです。
感謝して、ありがとうの意味を考える、この連鎖をずっと繰り返していくことで、「自分 1人で生きてるわけじゃないんだな」という事実が腑に落ちていき、見ず知らずの人に対しても感謝の気持ちが生まれていくことでしょう。
③とにかく与える
現代では「ギブ・アンド・テイク」の精神から、「ギブ・アンド・ギブ」の精神が広まってきています。見返りを求めるのではなく、とにかく先にどんどん与えるということですね。
与えると言ってもさまざまなものがありますので、次の例を参考にしていただければ幸いです。
身体を使った貢献や奉仕
・ボランティア、手伝い、介護など 情報
・相手が知らないことやわからないこと、役に立つことなど
笑顔
・敵意がないという意思表示、時間を使ってくれたことに対しての喜びの表現など
金銭や物
・寄付、ランチをおごる、プレゼントなど
紹介
・橋渡し、困っている人への手助け、知人や友人に顔を売ってもらう機会など
これらはあくまでも一例になりますが、自己開示も実は「与える」に該当します。
なぜなら、「相手の心を開きたければ、自分がまずオープンになりましょう」という言葉どおり、「先にする」という行為自体が与えることになるからです。
そうやって、「とにかく与える」という行動を実践していると、だんだんと周りに人が集まってきます。
すると、集まってきた人たちが自分に対し今度は与えてくれるようになり、どんどん良い循環が生まれるというわけです。
しかし、「とにかく与える」と言っても注意点が2つありまして、次にお話しすることは気をつけてください。
1つ目は、「恩を返してくれない相手とは付き合わない」こと。
厳密に言うと、こちらが与えたものに対して恩義を感じてくれなかったり、恩を返そうという意思がない人とはしっかりと線引きすることなんです。
これは決して見返りをくれる相手と付き合いましょうと言っているわけではなく、恩義を感じてくれない人間は感謝もできないので、そういった人間を側に置いておくのは自分のためにならないからなんです。
「人におごることは別にかまわないけれど、それを当たり前だと思ってお礼が言えないヤツにまでおごりたくない」と言う人がいるように、いくら頼んでいないことであったとしても、それが見返りのない善意でしてもらったことなんだとしたら、お礼を言うのは人として当たり前のことではないでしょうか。
それぐらいのこともできない人に対して自分の身を削ってまで与えるのは、ことわざどおり猫に小判を与えているようなものです。
人間関係の断捨離を確固たるものにするためにも、恩を返してくれない相手とは必要以上に付き合わないことですね。
2つ目は、「かわいそうで人助けをしない」ことです。
こういうふうに書くとひどく冷たい印象を受けられるかもしれませんが、なぜそうしないといけないかと言うと、助けた人間によっては、こちらに依存してくるからなんですよ。
とくに、感謝ができない人間をかわいそうだからと言って助けてしまうと、その相手はしてもらったことに対しての恩義を感じることもなく、もっと助けてほしいという要求をしてくることがよくあります。
たとえば、ギャンブルで借金を背負ってしまい、にっちもさっちもいかなくなった友人が、「このままだともう生活もできないからお金を貸してほしい」とあなたに言ってきたとしましょう。
この場合、「かわいそうだから」という理由でお金を貸すと友人のためになりません。この友人に必要なのは、お金じゃなくて地獄です。
自分のせいで借金を膨れ上がらせた友人に、「悪いけど貸せない」と言って、借金取りからの厳しい取り立てを通じて現実を直視させ、どん底を経験させることなんですよ。
優しさというのは、相手を甘やかすことではありません。優しさはときに厳しいものにもなり得るんです。
なので、ときには心を鬼にして突き放すことも必要になりますが、手助けする価値がある相手なのであれば、かわいそうで人助けをしてもかまわないと思います。
しかし、手助けする価値がある相手とはどこまでいっても、
- ちゃんと恩を返してくれる
- その相手に恩を受けてまだ返していなかった
という、どちらかに該当していることが前提なのでお忘れなく。
④やるべきことをやり続ける
ねこフィールドまで昇格した人のほとんどは、すでにやりたいことを見つけた人ばかりでしょうが、このやりたいことを、ほとんどの人間が到達できないレベルまで高めることができれば、「自分はそれだけのことをやっている」と言い切れるので、それが結果的に承認欲求がなくなることにつながります。
他者と比較して少し勝っているぐらいのレベルでは、相手がどれだけの努力をしているかわからないこともあり、しっかりと勝ちを得たいがために、前述した5つの誇示に頼ってしまうケースが多いです。
しかし、自分から見て納得できるぐらいの圧倒的なレベルまで高まっていると自覚したとき、わかってくれる人はわかってくれるはずと腑に落ちているので、いちいち自分のすごさを自ら露出することに対し、恥ずかしさを感じてしまうんですよね。
この恥ずかしさは、相手がどう思うかというより、自分が積み重ねてきたことに対しての侮辱のようなものだと考えていただいていいです。
なので、やりたいことをとにかく圧倒的なレベルになるまで積み重ねていけば、承認欲求がなくなっていくだけではなく、さらに強固なアイデンティティーにもなることでしょう。
以上 4点が、承認欲求をなくしていく方法になりまして、承認欲求がなくなればなくなるほど、いかに自分が求めなくてもいい承認を、今まで人に求めていたかがわかっていただけるのではないでしょうか。
自らの手で幸せをつかみ取り、その幸福をずっと持続させている人は例外なく謙虚です。
自分を偽ることはおろか、誇示することもありません。
なぜなら、自分で自分のことをしっかりと満たしているから、他者の承認を得なくてもすでに自己承認できているので、「自分は素晴らしい存在である」と自覚しているからです。
必要以上の承認欲求がなくなったとき、本当の意味で世間体や人の評価から解放された人生を歩めるのではないでしょうか。
Section 2 ライオンフィールドからペガサスフィールドへの昇格 ~天命を全うする ~
とうとう最後のセクションになりました。
このセクションでは、ライオンフィールドからペガサスフィールドに昇格する方法をお伝えいたします。
「え、ちょっと待って。ペガサスからお釈迦さまに昇格する方法は書かないの?」と思った方もいらっしゃるかもしれませんね。
ちょっと待ってください。あなた一体なに目指してるんですか? 読む本間違ってるし、僕の手には負えません。
と言いますのも、お釈迦さまフィールドにいる人は全人口の 1%未満なんですが、このフィールドには上がろうと思って上がれるものではないというのが僕の見解です。
ようは、お釈迦さまのように選ばれた人間が、数々の試練をくぐり抜けて到達できるポジションでもあるので、身も蓋もありませんが、生まれたときからすでにそうなることが決定しているのではないか? と思っています。
一説では、この世に存在する万物はすべて神の一部として誕生したものと言われており、そう考えると僕たち人間は全員神さまということになってしまうのですが、そうすると、飲食店などで理不尽な要求をして「客は神さまやぞ!」と声を荒げる人たちのことも神と崇めなければなりません。
言うまでもなく、こういった人たちが幸せかと言うと幸せではないですし、そもそもこの人間のレベル論は、上位フィールドに上がれば上がるほど幸福を感じやすくなるという法則です。
しかも、お釈迦さまフィールドにいる人は完全なる愛の存在であり、まさしく神の化身のような人でないといけないわけです。
それに、僕自身が完全なる愛も、神の化身っぽいことも経験したことがないのに、どうやって昇格の方法を書けばいいのかさっぱりわかりません。
というわけですから、本書ではペガサスフィールドへの昇格方法のお話をもちまして、終わりとさせていただきます。
余談ですが、自分で神とか神さまと名乗っちゃう人っていかがなものかと僕は思います。
さて、それではペガサスフィールドへの昇格方法についてですが、一言で言うなら「天命を全うする」、これに尽きると言っていいでしょう。
第 1章セクション 4で天命と使命の違いについてお話しさせていただきましたが、天命とはつまり、「自分が持っている能力や技術、知識でより多くの人を幸せにする」という天から自分に課せられた運命のことです。
こういうことを書くと、「自分にはそんな大それた運命なんかない」と言う方がいらっしゃるかもしれませんね。
残念ながらこれは間違いでして、天命を紐解いていくと次のようになるんですよ。
やりたいこと・楽しいこと・ワクワクすることをやる →仕事になる →使命になる →天命になる この図式からわかるように、スタート地点って実は「やりたいこと・楽しいこと・ワクワクすること」から始まっているんですよね。
よく、天職を見つけるためには、「やりたいこと」「できること」「人の役に立つこと」の3つが重なり合ったものを見つけるといいと言われているので、天職が自分の天命になったという人は結構多いのではないでしょうか。
もちろん、中には本当はやりたくないことだったけれど、気がついたら夢中で取り組んでいて完全に自分の一部になり、後になってそれが自分の天命なんだと気づいたというケースもあるので一概には言えませんが、「世のため人のために役に立ちたい」という強い思いのもとに実行していることが天命になると言ってもいいでしょう。
でも、ただ実行しているだけではペガサスフィールドに位置することはできません。
次のような条件をすべて満たしてこそ、ペガサスフィールドに昇格していると言えるでしょう。
- ①自分の存在が大勢の人々の勇気や希望になっている
- ②自分の技術や知識が大勢の人々の役に立っている
- ③「愛」を生き方のベースにしている
- ④人格者であること
- ⑤行動の動機が自己顕示欲ではなく、情熱、幸福、愛
②に関しては前述したとおりですが、 ①に関しては基準がわかりにくいと思いますので、一体どういう人物が該当するのか次に記載させていただきます。
・世界的な発明や発見を遂げた人・トップアスリート・一流ミュージシャン・大物俳優、大女優・自分の知慧を世に広められる人 etc.
一言で言うなら、「この人ならなんかすげえことやってくれそうだ」という人々の期待を一身に背負った人たちのことです。
次に、 ③の「愛」について。
この愛という、一般的なのに詳しく説明できない無形の存在を、わかりやすく解釈するなら次のようになります。
喜び、心の平安、正しい目標、優しさ、感謝、ワクワク、貢献、 受容、善、批判しない、許す、赦す、信頼、信仰、希望、信念、 熱意、謙虚、自分の気づきから得た真実、自制 etc. いかがでしょうか。
ひとえに愛と言っても様々な解釈がありまして、心地よさだけが愛ではないんですよね。
なので、相手のため「だけを思って」厳しいことを言うのも愛になります。
ペガサスフィールドにいる人たちは、例外なくこの「愛」に基づいた生き方をベースにしているので、それが彼らの人格を作っていると言ってもいいでしょう。
では、 ④の人格者とは一体どういう人物を指すのか。
これもわかりやすいように次にまとめてみました。
- 人望がある・尊敬、憧れ、お手本の対象になる
- 頼りになる
- いつも穏やかである
- いるだけで安心感がある
- 知識が豊かである
- 勇気がある
- 人間力(自立した人間として生きていくための総合的な力)が高い
- 人を惹きつける力がある
- 自己顕示欲がなく謙虚である
- 本当の意味で人に優しく、すすんで人のために努力する
- 誰が相手でも接し方を変えない
- ルールやモラルを遵守する
- 約束をかならず守る etc.
いろいろ書きましたが、ようは「あの人のこと悪く言う人って見たことないし、超いい人よね」と言われるような人のことです。
もちろん、何度か本書でもお話ししたとおり、 100人いたら 100人に嫌われるということがないように、逆に好かれることもないので、相手が人格者であれかならず否定する人はいるのですが、「できるかぎり多くの人に好かれる要素を凝縮した人」こそが人格者だと言っていいでしょう。
以上のことから、ペガサスフィールドに昇格するためには、天命を見つけ全うしつつ、人格者として人生を歩むことが必要になります。
人でありながらペガサスのように羽ばたき、人々に夢や希望を与えられる存在を目指してみるのも、一度きりの人生の楽しみ方の1つかもしれません。
その道は長く険しいかもしれないけれど、本書を読んでいる人の中で「人生を変えたい」と強く願っている方がいらっしゃるのであれば、どうせなら夢を大きく持ってみてはいかがでしょうか。
大丈夫。生死を伴うようなことをしてみましょうと言ってるわけではないので、死にはしません。生きているかぎり何度だって再チャレンジは可能です。
もちろん、「自分はねこかライオンぐらいでいいや」と思っている方も中にはいらっしゃることでしょう。誰もが主役になれるような生き方を望んでいるわけではないですし、それはそれでかまわないんです。
ただ、これだけは忘れないでください。自分の人生は自分でしか作れないので、自分という人間がこの世に存在して自分が自分をコントロールしているかぎり、どうしても自分が主役になってしまうんです。
なので、フィールドに関係なく、自分が主役である以上は悔いが残らない人生を送ることを心がけてください。人生最期のときを迎えて、「やらなかった後悔」をされないことを僕は心より願っております。
この本を読んでくださった皆さまがどうか幸せでありますように。
あとがき
この度は、「幸福のための人間のレベル論」を最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。
あなたにとって、本書が少しでも幸せになるためのお手伝いができるのであれば本望です。
本文の中で、現在の僕がいるフィールドについて触れてはいませんでしたが、お気づきのとおり、ペガサスフィールドが今の藤本シゲユキがいる場所になります。
以前、僕はブログの中で「藤本はペガサスフィールドにいる」と書いたことがあるのですが、自分で言うなよと思いつつ、そう書いたことにより完全に下手なことができなくなるので、自分への戒めとしてそう書くことを決意しました。
ペガサスフィールドにいる人間としての役割を完全にできているかと聞かれれば、それは僕のことを知る人が決めることではありますが、まだまだ日々精進中ではあるものの、今現在の僕は自分に恥じない生き方を心がけているつもりです。
過去にきつねフィールドにいた期間が長く、人に言えないような過去はたくさんあるので、いつかその報いを受けることがあるかもしれません。
決して自分の過去をなかったことにして正当化しているわけではなく、いずれ罰を受ける未来がやってくる可能性を受け入れた上で日々を送っています。
もちろん、中には「そんな過去を背負った人間が偉そうに幸福論なんか唱えるなよ」と思う方もいらっしゃることでしょう。
誤解しないでいただきたいのは、決して自分のことを棚にあげて上から目線で本書を書いたわけではありません。
ただ、生きづらさが消えない人たちが大勢いるこの日本で、今の僕が知り得るかぎりの「人間が幸せになるための真理」を、できるかぎり多くの人に知ってもらいたかっただけなんです。
闇の性格を前面に出した陰極寄りの人生と、光の性格を前面に出した陽極寄りの人生2つを経験し、その中で自ら経験したことや、数えきれない人たちとの出会いから得た気づきの数々、僕にしか書けない幸福論が本書であると本気で思っています。
時折、関西弁で口調が悪くなるときが本文でいくつかありますが、「生ぬるい言葉で人の心に引っかかりをつけることはできない」「相手のためにならないことは、嫌われてもいい覚悟で自己保身を考えずにはっきり伝えるのが愛」という僕の持論に基づいて、あえて直球で書かせていただきました。
だからこそ、キレイ事は一切抜きなんです。
なので本書は、従来の幸福論や自己啓発に関する本のように、読み終わったあと「よーし!今日から頑張るぞ ー!」みたいにモチベーションが上がるような内容ではなく、どちらかと言うと、「マジか……ここまでしないといけないのか……」といった感じで、思わずうなだれてしまうような内容かもしれませんね。
ですが、まえがきでもお話したとおり、人は痛みをともなわず楽をして幸せになることはできません。
正しい努力を通じてしんどいことをしないと、人は「真の幸福」を手に入れることはできないんです。
現代ではインターネットを通じて、長期的な「ブレない幸せ」を手にしている先人たちの生き方がお手本としてすぐそこにあるのに、「そうは言ってもどこかに都合のいい答えが隠されているんじゃないか」と思って、楽をしようとする人たちが後を絶たないのが、人間の弱さを物語っていると言ってもいいでしょう。
そういった背景が、気づいていないステージ ~人でなしステージの人口比率が 8割にもおよぶという所以でもあります。
あなたが「真の幸福」をつかみたいなら、どうか自分と徹底的に向き合ってください。世間や人がどう思うかではなく、「まず自分がどうしたいのか」を考えてください。
そして、なりたい自分になるために必要がないことはやらず、ワガママに行動してください。人は誰にでも幸せになる権利があるんです。
その権利を世間体や人の評価に縛られ、他者にゆだねたまま取り戻さないことには、本当の意味で自分の人生を歩み幸せになることはできないんです。
どうか、一人でも多くの方が幸せになる権利を取り戻し、自分の人生を歩んで幸せになることを僕は心より願っております。
それでは最後になりますが、藤本シゲユキから全身全霊の愛を込めまして。
「幸福のための人間のレベル論」を手にとってくださった皆さま。
出版に携わってくださった皆さま。クライアントやブログ読者の皆さま。実生活で僕とかかわってくれているすべての人たちへ。本当に本当に、ありがとうございます。
みんな、ええか?一生ブレない幸せを、ガッチリその両手につかむんやで!つかんだら離したらあかんよ!
著者略歴
1975年、京都府に生まれる。
17 ~ 29歳までバンドマンとして活動、 30歳を目前にホスト業界に転身する。
その後、ホストクラブオーナーを経て、女性向けの恋愛カウンセラーになるという異色の経歴の持ち主。
これまでに培ったノウハウを改良し研究を重ね、現在は悲恋改善アドバイザーとして活動中。
豊富な人生経験と鋭い感性、洞察力を基に、恋愛&生き方指南をするブログ「だまされない女のつくり方」は、月刊 100万 PVにのぼる人気ブログとなっている。
著書には『本命になる技術』( WAVE出版)、『これまで、何も起きずに終わっていたあなたへ友達をつくるように、彼氏ができる本』(大和出版)がある。
オフィシャル HP(ブログ)「だまされない女のつくり方」 http:// damasarenaiwa. com/
幸福のための人間のレベル論──「気づいた」人から幸せになれる!二〇一八年九月八日 第一刷発行二〇一九年五月二十日 電子版発行著者 藤本シゲユキ発行者 古屋信吾発行所 株式会社さくら舎 http:// www. sakurasha. com東京都千代田区富士見一–二–一一 〒一〇二–〇〇七一電話 営業 〇三–五二一一–六五三三 FAX 〇三–五二一一–六四八一編集 〇三–五二一一–六四八〇 © 2018 Shigeyuki Fujimoto本書の全部または一部の複写・複製・転訳載および磁気または光記録媒体への入力等を禁じます。
これらの許諾については小社までご照会ください。
コメント