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第 4章 性淘汰と社会的比較

こんな世界を想像してみてほしい。退職後の生活のために貯蓄を望む人々は、パートナー関係を組んで共同名義口座を作ることに同意してくれる異性を見つけなければいけない。退職後、両者は利子付き口座から平等に金を引き下ろすことができる。しかし貯蓄をする段階では、男性が口座に一ドル入金するたびに、女性は一〇〇万ドル入金しなければいけない。さらに、同意してくれる異性のパートナーが見つかるかぎり、いくつでも共同名義口座を作ることができる。理不尽なルールではあるものの、もしそんな世界が存在したら、あなたはどうするだろう? この問いへの答えは、男性か女性かによっておそらく異なるにちがいない。もしあなたが男性なら、相手が健康でさえあれば、喜んで共同名義口座を作ろうとするはずだ。投資に対してこれほどの利益率を期待できるとすれば、失うものなどなにもないに等しい。相手の女性がどんなにひどい性格の持ち主だとしても、かなり割のいい取引であることに変わりはない。しかしながら、あなたが女性だとしたら、困った状況に陥ることになる。当然、一定の貯蓄をしてから退職できるように、共同口座を作る必要はあるだろう。その一方で、あなたにとって非常に不利なルールが設定されているため、共同口座の相手を選ぶときにはかなり注意深くなるはずだ。たとえば、気の短い男性はやめたほうがいい。世のなかには性格のいい男性など数多いるというのに、わざわざそんな面倒な共同口座のパートナーを選ぶ必要などあるだろうか。相手が音痴だったら? そんな痛みや苦しみに耐える価値はない。もっと歌が上手な男性(あるいは歌を歌わない男性)がきっと現われ、パートナーになってくれるにちがいない。そのような条件はどこまでも延々と続く……。 この例からも明らかなように、共同の結果に対して多くの資源を投資する側のほうが、相手を選ぶときに主導権を握ることになる。より少ない量を貢献する性は、より多くを貢献する性による投資を手にしようと争い合う。結果、投資の多い性は投資の少ない性よりはるかに選択にこだわるようになる。アメリカの進化生物学者ロバート・トリヴァースが提唱したこの「親の投資理論」は、動物界における交配戦略と配偶者争奪戦に性差があることを解き明かそうとするものだ。 生物学では、より大きな配偶子(生殖細胞や卵)を作りだす動物はメスであり、より小さな配偶子(精子)を作りだす動物はオスとなる。多くの動物は、オスとメス両方の親の活動の総和として配偶子を作りだす。たとえばメスのカエルは卵を産み、オスのカエルはそれに向かって精子を浴びせ、そのあと二匹は夕陽のなかを去っていく。残された数百 ~数千の受精卵はオタマジャクシへと孵化し、やがて大きく強い生き物へと成長するか、もしくは通りかかった魚の餌になる。このような種においては、卵を産みつけて精子を吹きかけるという行動以外には親としての努力は必要ないものの、その程度の生殖活動も大きな投資であることには変わりない。 卵を産むために必要な生体物質の量は、精子を作りだすのに必要な量よりもはるかに多い。そのためトリヴァースの理論では、オスのカエルが選ばれるために競い、メスのカエルが選択を行なうことになると示唆されている。まさに、それこそが実際に起きていることだ。たとえばカエルの多くの種では、オスが池などのまわりに集まり、できるかぎり長く大声でゲロゲロ鳴こうとする。メスはあたりをぴょんぴょん飛び跳ね、オスの鳴き声の大きさ、音の高さ、その長さを比較し、いちばんの鳴き声の主を突き止めて勝者と交尾する。 カエルは多くのハエを食べて丈夫な卵や精子を作ろうとするが、人間が子どものために捧げる親としての活動量はカエルをはるかにしのぐものだ。わたしたちが子どもに与える感情的および社会的エネルギーの量を測るのはむずかしいものの、生物学的に必要なものを計算することはできる。人間は哺乳類なので、生殖に対して求められる女性側の投資は、たんにより大きな生殖細胞を生みだすことだけでは終わらない。卵子を作りだしたのち、人間の女性は九カ月にわたって胎内に胎児をやどし、すべての栄養を供給しなければいけない。 出産を終えた先祖の女性たちは一般的に、二年にわたって赤ん坊を母乳で育てたため、そのあいだに乳児が摂取するほとんどのカロリーは母親から与えられた。食料棚に行くだけで次の食事が手に入る現代の世界では、たいした問題にはならないかもしれない(たしかに、幼い息子が人間吸引器のように大量の母乳を吸うことを、わたしの妻は喜んでいた)。しかし、わたしたちの祖先にとって、子どもを妊娠して育てるために必要なカロリーを確保するのはひどくやっかいなことだった。彼らは、自分たちが食べるすべての物を狩って殺し、あるいは掘り起こして家まで運ばなければいけなかったのだ。 親の投資に対して生物学的に男女に定められた差は大きく、人間の男性が子どもをもうけるために捧げるエネルギーを一とすると、人間の女性は一〇〇万以上を捧げなくてはいけないことになる* 1。ここで、さきほどの老後のための共同口座のたとえ話を思いだしてほしい。女性には、自己犠牲をともなう投資がより多く必要となる。結果として、男性は女性を求めて競い合い、女性は男性よりも相手選びに慎重になる。 男性が異性のパートナーを得るために争うときの大切な方法のひとつに、女性と子孫に食糧、住まい、安全を与える能力があることを示すというものがある。子どもを産むために必要なカロリー量について考慮したとき、女性にとって男性のこの能力は大切な問題となる。男性たちは、自分が良き扶養者である証拠を示すことによって、この問題に向き合うよう進化してきた。たとえば先祖たちは、腕のいい狩人になることによって扶養する能力を示した。現代の男性はいい大学に行っていい仕事に就いたり、富を示したりして扶養能力があることを伝えようとする。第 10章で論じるとおり、人間の夫婦はふたりだけで長期的な絆を築きながら協力して子どもを育てようとする。よって人間による配偶者の選択は、両者の合意で決まる。この理由から、これらの性差が引き起こす問題にくわえ、男性と女性双方のあいだでより望ましい相手を得るための大きな競争が生まれることになる。性淘汰 生殖は進化の通貨である。もしすべての動物の子孫が同じ数だけ生き残ったら、進化は起きない。生き残ることは大切だとしても、それは生殖に成功して次の世代に遺伝子を受け渡すために長く生きるという意味においてのみだ。多くの子孫を首尾よく育て、近親者の繁殖をうながす生物は、次の世代に自分たちの傾向を伝えることができる。それをできない生物の遺伝子は絶え、彼らのもつ傾向は遺伝子プールから消える。このようにして、繁殖の成功にかかわる特徴や行動は、繁殖と関係のない特徴や行動に比べてより〝一般的〟なものになる。 こうした淘汰のプロセスの影響によって人間は、生殖の成功を高める活動を楽しみ、低める活動を嫌うように進化した。たとえば、大人の人間のほとんどはセックスを楽しみ、ほとんどの人間は糞便を不快に感じる。当然ながら、セックスをすることによって遺伝子が次の世代に引き継がれる可能性は高まる。同じく当然ながら、糞便を食べることによってその可能性は低くなる。ただし生殖の成功に関していえば、セックスをすることと糞便を食べることは同列の活動ではない。性交は生き死ににはほとんど影響しないが、子孫を作るということには直接的に関連する。対照的に、糞便を食べると生き残る確率が下がり、よって生殖成功の確率も減る* 2。 生存に直接的に影響する要因と、生殖に直接的に影響する要因をこのように区別するのは、進化論の父であるチャールズ・ダーウィンにとって欠かせないことだった。もしわたしが一〇〇〇歳まで生きたとしても、生殖をしなければ、驚くべき長寿も進化にはまったく無関係なものになる。しかし、子どもが大人になるのを見届けるまでそこそこ長生きしたとしたら、わたしの生存は生殖の成功をうながしたことになる。より直接的に影響を与えるのは、わたしが相手を魅了して成功裏に生殖できるかどうかという点だ。それゆえ、相手を惹きつけて自分のもとにつなぎ止める能力は、進化論の核をなす要素となる。ダーウィンは、異性を惹きつける能力を高めるというプロセスをとおして起きる進化を「性淘汰」( sexual selection)と呼んだ。 性淘汰は進化において強い影響力を発揮する。異性が不快だと感じる特性があれば、(たとえ生存率を上げるものだとしても)その特性は集団のなかから消える可能性が高くなる。なぜなら、その特性の持ち主は配偶者を見つけることに苦労するからだ。たとえば、何か怖いことがあるとすぐに物陰に隠れる超臆病な性格の男性がいたとする。この特性は生き残るためには役に立つかもしれない。しかし多くの女性は、そういった男性は自分や子どもを護ることができないと考え、その特性を望ましくないものだととらえるにちがいない。いまもむかしも、超臆病な性格の男性がそれほど多く存在しないのはそのためだ。あるいは、少なくとも女性がまわりにいるときに、超臆病に振る舞おうとする男性はそれほど多くない。同じように、異性が魅力的に感じるなんらかの特性があるとき、たとえそれが生存の可能性を低める危険なものだとしても、より多くの生殖の機会を得ることにつながるため、集団のなかで一般的なものになるケースもある。 ここで、こんな疑問が浮かんでくる──異性はなぜ、生存を脅かすような特性を魅力的に感じるのか? その謎を解き明かすために、この地球でもっとも驚くべき鳥の一種であるクジャクのオスとメスの差について考えてみよう。メスのクジャクは落ち着いた性格の鳥で、身体のほとんどは灰褐色の羽で覆われ、実際に必要とされるよりも少し長めの尾羽をもっている。巣に隠れたメスのクジャクはまわりにうまく溶け込めるため、たとえ腹を空かせたトラでも、その存在に気づかずに巣の横を素通りしてしまう。一方、オスのクジャクの身体は大胆不敵なほど派手な羽に覆われており、動物界随一の奇抜な飾り羽をもっている。オスのクジャクの鮮やかな色合いは、眼の悪いトラの注意さえ惹いてしまい、大きく仰々しい飾り羽のせいで身を隠すことはよりむずかしくなる。 色鮮やかで仰々しいオスのクジャクの飾り羽は、生き残るためには大きな妨げになっているようにも見える。この点について、ハーバード大学の植物学者エイサ・グレイに宛てた文書のなかでダーウィンが次のように伝えたのは有名な話だ。「クジャクの飾り羽というものを見るたび、気分が悪くなりますよ!」。ダーウィンが歴史上もっとも偉大な科学者のひとりになったのは、彼が驚くべき洞察力をもっていたからだけではなく、自分の理論の弱点にきちんと向き合おうと賢明に研究を重ねたからだ。クジャクの例の場合、ダーウィンが最終的に突き止めたのは、派手な色合いと巨大な飾り羽が生存に与える危険は、繁殖率の増加によって相殺されるということだった。オスのクジャクの飾り羽が繁殖の成功率を上げる理由を解き明かすためには、一部の特性が異性になぜ魅力的に映るのかについて考える必要がある。セクシーであることの意味とは? すべての生物は必要なかぎりあらゆる手を使ってなんとか生き抜こうとするため、どの生き物も必ず「欺き行動」をとるようになる。動物が相手を騙して捕食者から逃げたり、交尾の機会を得たりすることがあれば、それを欺き行動だと考えていい。欺きをともなう交配戦略のなかでわたしが大好きな例は、鳥や魚の一部の種によるオスがメスのふりをするというものだ。それらの種では、ほかのオスと闘うには身体が小さめのオスがメスらしさを装うという戦略を進化させ、大きなオスに邪魔されることなくメスに近づき、タイミングを見計らってこっそり交尾するようになった。小柄なオスたちは、同じメスに興味をもつ大柄なオスとの真っ向勝負に勝つことはできない。しかしこの戦略をとおしてこっそりメスと交尾し、自分の遺伝子を次世代に引き継ぐことができる。 この戦略の驚くべき例のひとつに、オーストラリアのマッコーリー大学のカラム・ブラウンの研究チームが見つけたコウイカの行動がある。コウイカは自由に身体の色を変えることができるが、まわりに溶け込むための擬態をしていないとき、身体の色の模様はメスとオスでそれぞれ異なる。ある日、水槽のなかのコウイカを観察していたブラウンは、あるオスの身体の半分の模様が変わっていることに気がついた──メスたちがいる方向の身体半分はオスの柄のままで、ライバルのオスたちがいる方向の身体半分はメスの柄に変わっていた。この欺き行動によって身体をふたつの柄に変えたオスは、ほかのオスからの攻撃を防ぎつつ、同時にメスに求愛することができた。 このような欺きは、動物が自らの目標を達成するために不正直になるケースがあるという事実を意味している。これ自体はなんら驚くことはないだろう。進化とは善悪の判断にとらわれるものではなく、動物はうまく機能しそうな戦略ならなんでも使う。しかし生きることは〝共進化〟的な闘いであり、あらゆる生物はライバルの戦略に対応するためのさまざまな戦略を進化させていく。その意味では、進化とは終わりのない軍備拡張競争と同じだ。被捕食者、捕食者、寄生虫の新しい能力を見つけるたび、動物は対処するための新たな方法を築き上げなければいけない。そのバランスがどちらか一方に有利に傾きすぎると、絶滅の危機が訪れる。被捕食者が欺き行動をとるとき、捕食者はよりすぐれた探知能力を発達させる。弱いオスが自分を選んでもらうためにメスを欺く方法を進化させると、メスはそれを見抜く方法を進化させる。質の低いオスに騙されやすいメスは、次の世代に子孫を残すことがむずかしくなる。そのためメスの選択は、〝質を伝える正直な信号〟を示すオスをより好むという進化によって形作られている。 質を伝える正直な信号を捏造することはほぼ不可能で、できるとしても非常にむずかしい。たとえば、自家用ヨットや豪華なスキー旅行についてわたしが自慢話をしたとしても、領収証をきちんと確かめなければ、わたしが話を盛っているのか、ただ噓をついているだけなのかはわからない。口で言うだけなら簡単だ。しかし、わたしがあなたをスイスのサンモリッツへと飛行機で招待し、マセラティに乗って一緒にドライブに出かけたとすれば、わたしが裕福(かつ寛大)であるというはるかに明確な信号になる。さらにわたしは、ハーバード大学の法科大学院を首席で卒業したことをあなたにさりげなく伝える。が、それもただ印象を良くするための噓という恐れもあるので、あなたはわたしの主張を疑ったほうがいい。一方、わたしがあなたの眼のまえでルービックキューブのすべての色をいとも簡単にそろえたとする。その場合、実際に鋭い頭脳が働いているところを目の当たりにしたあなたは、わたしが賢いことをより強く実感できるはずだ。また、一度もルービックキューブを見ずに完成させることができたとしたら、それは不利な条件でも勝てることを意味するため、よりあなたの眼には印象的に映るはずだ。 人間にとって正直な信号はきわめて重要であり、多くの人は、質を示すごくかすかな手がかりにも敏感に気づくことができる。たとえば大学時代の春のある朝、わたしはキャンパスの中庭のベンチに坐り、朝食を一緒に食べに行く約束をした友人たちを待っていた。たまたまニューヨーク・タイムズ紙とボールペンを持っていたので、待っているあいだに(ひどく苦手な)クロスワードパズルをやってみることにした。「きっと涙を誘われる」というひとつ目のヒントに当てはまる単語を頭のなかであれこれ考えているとき、年配の卒業生の男性とその家族が近くを通りかかった。男性はわたしがクロスワードパズルをしていることに気づき、隣に坐って一緒に問題を解こうとした。わたしとしては助けを借りてもよかったものの、彼が話しはじめるまえに、男性の妻がアスコットタイを引っつかんでこう忠告した。「この方は日曜日の新聞のクロスワードパズルをボールペンで解こうとしているのよ。あなたの助けなんて必要としていないの」。わたしはぜひ手伝ってほしいとすぐに言葉を継いだが、男性の妻はそれを社交辞令だととらえ、夫婦は花が満開の木を愛でながらそのまま角を曲がっていった。 数分後、わたしが「誰が涙を流したのか」「なぜ〝きっと〟なのか」をまだ考えていると、幸運なことに聡明な友人ケイトリンがやってきて隣に腰を下ろした。わたしが答えを書くのが間に合わないほどの早業で、彼女ははじめの十数問をいとも簡単に解いてしまった。ただの書記役になってしまったと感じたわたしは、自分でやりたいから黙ってくれと彼女に伝えた。その絶妙のタイミングで、さきほどの卒業生と家族がまた前を通りかかった。男性が再びベンチに坐ってクロスワードパズルを手伝おうとすると、彼の妻が戒めるように言った。「あなた、この方はわずか五分のあいだにパズルの半分近くを解いたのよ。あなたの助けなんて必要ないの」。鉛筆やシャーペンではなくボールペンを使ってクロスワードパズルを解こうとすることは、正直な信号ではない。しかし、それで実際に解くことはれっきとした信号となる* 3。だからこそ、わたしたちはそのような細かなことに注意を払うのだ。 さきほどのクジャクの例に戻ると、鮮やかな色と仰々しい飾り羽はオスの質を示す正直な信号だといっていい。飾り羽はオスをきわめて不利な立場に置くものであり、だからこそ、メスのクジャクは鮮やかな色と大きさに魅了される。大きく派手な飾り羽を持つことは、日曜日の新聞のクロスワードパズルをボールペンで解こうとすることに似ている。どんなマヌケな動物でも同じプロセスを始めることはできるが、特別な生物でなければそれを最後までやりとおすことはできない。メスのクジャクはこの事実に反応し、一・五メートルもの色鮮やかな飾り羽をもつオス──大きな障壁があるにもかかわらず、何年も生き延びることのできるオス──に心を惹かれる。 成長したクジャクは、おそらく動物界でもっとも正直な信号の持ち主にまちがいない。しかし、別の多くの鳥も同じ戦略を少しトーンダウンさせて使っており、長い飾り羽をもつ種は多い。生物学者による実験では、それらの種の尾の長さを人工的に変えると、それに合わせてメスも反応を変えることがわかっている。長い尾のオスのもとにメスは群がるが、飾り羽が短く切り取られたオスには近づこうとしない。多くの鳥類が、長い尾をセクシーに感じるのにくわえ、クジャクの例で見てきたとおり、色もまた大切な要素となる。明るい色の鳥は捕食者に見つかりやすくなるため、メス鳥はオスの羽の色の明るさによって相手の質を予想することができる。強くたくましくなければ、明るい色の鳥が生き抜くことはできない。一方、くすんだ色のオスはおそらく動きも遅く不器用であり、交尾の相手としての魅力は減る。 ただし、メス鳥は考え抜いたうえでそのような行動をとっているわけではない。むしろ、色鮮やかなオスを好むメスのほうが次世代においてより多くの子孫を残すため、結果として鮮やかな色を好む傾向も引き継がれると考えたほうがいい。同じことは人間の好みにも当てはまる。砂時計のような体型の女性、逆三角形の体型の男性を魅力的に感じる理由をあれこれ考える必要などない。ほとんどの人がそのような好みをもっているのは、たんに進化の結果なのだ。 鳥は進化によって明るい色をより好むようになったが、すべての色が同じように生みだされるわけではない。動物の免疫システムが正常に機能するためには、カロテノイドと呼ばれる植物色素(ベータカロテンなど)が必要になる。動物は自らカロテノイドを作りだすことはできないため、植物の光合成を利用してこの色素を体内に摂り入れる。感染症に苦しむ動物は免疫システムにすべてのカロテンを送り込む必要があるが、健康な動物の身体には余分なカロテノイドが残っている。多くの鳥の羽に見られる赤、オレンジ、黄色は、その余分なカロテノイドによって生みだされる。つまり、強靱な免疫システムをもっていなければ、そのような色は現われない。身体の外側にある羽の鮮やかな色(とくに明るい赤、オレンジ、黄色)を生みだすには大きな代謝コストが必要になるため、その色は内側の質を示す正直な信号となる。 ほかにも、動物が自由に生みだすことのできる質を示す正直な信号がある。たとえば鳥のなかには、胸や咽喉のあたりの黒や茶色の斑点の大きさによって、自らの優位な立場をまわりに知らしめるよう進化してきた種もいる。黒い羽を生みだすことには白い羽ほどの代謝コストはかからないものの、それらの種のあいだでは、暗色の斑点が大きいほど序列のより高い位置にいることを意味する。この発見に研究者たちは戸惑った。弱いオスでも大きな斑点を簡単に作りだすことができるとすれば* 4、それらの種のメスは上っ面だけのオスにまんまと騙されてしまうのではないか? ところが研究が進むと、オスたちが暗色の斑点をじつに真剣にとらえていることがわかった。下っ端の魚が強い立場にいるかのように大きな斑点を見せびらかして泳いでいたとしても、まわりのオスはそれを受け容れようとはしない。自らの地位に見合わない大きさの斑点をもつことは、群れのほかのすべてのオスへの侮辱となる。この仮説を証明するために、生物学者が低い地位のオスの身体に人工的に大きめの斑点を描いたことがあった。それは、胸に攻撃のための的を描いているのと同じだった。群れのほかのオスたちはみな、強奪者をいっせいに攻撃して知らしめようとする──この目立ちたがり屋め、斑点を小さくしないと痛い目に遭うぞ。この例では、斑点の大きさが正直な信号となる。なぜなら、たとえ斑点を生みだすことに生物学的コストが必要ないとしても、身の丈に合わない大きな斑点をもったときの社会的な影響が大きいからだ* 5。 では、人間の男性の質を示す正直な信号とはなんだろう? 身体の大きさはわかりやすい指標となる。栄養状態が良く健康でなければ、身長が一八〇センチを超えることはほぼありえない。同じ理由から、筋肉や運動能力も良い指標となる。また当然ながら、人間は腕力だけでなく知力にも大きな関心をもっており、知性の証もまた質を示す正直な信号となる。男性のすぐれたユーモア感覚を女性がセクシーだと感じる傾向があるのはそのためだ。たんに、おもしろい人と一緒にいるのが楽しいからだけではない。すぐれたユーモア感覚を身につけるには、ほかの人がおもしろいと感じる心の結びつきを引きだす明晰な頭脳が必要になるからだ。 人間は対称的になるように進化してきたので、顔の対称性もまた質を表わす正直な指標となる(ただし、病気やケガによってその対称性が失われることもある)。対称性は健康と遺伝的な強さ(あるいは少なくとも、楽しい人生)の信号であり、女性はそれを魅力的だと感じる傾向がある。グーグルで「ブラッド・ピット」を検索して彼の顔を見たら、あなたは見事な対称性に心を打たれるにちがいない。しかし、歌手の「ライル・ラヴェット」をグーグルで検索したら、苦労の多い人生がありありと見て取れる顔に心を打たれるはずだ。 対称性、強さ、身長、ユーモア感覚は女性の質を示す正直な信号でもあるものの、男性がとりわけ注目するのはそこではない。生物学的に女性にはより高い繁殖力が求められるため、男性は女性の生殖能力を示す正直な信号により興味をもつ。とりわけ顕著な例が、男性が若さと砂時計型の女性に心を惹かれるという傾向で、このふたつはどちらも女性の子を産む能力を示す信号となる。 人間がチンパンジーのような生殖習性をもち、女性が年齢を重ねるにつれて子どもを産みやすい体質になるとすれば、まちがいなく男性はより年上の女性に強く惹かれるはずだ。しかし人間の女性は一定の年齢で閉経を迎えるように進化し、その方程式は変わった(くわしくは第 10章で取り上げる)。結果として男性は、妊娠しやすい一〇代後半から三〇代なかばの年代の女性により惹かれるようになった* 6。(社会の)相対性理論 性淘汰と配偶競争は、「相対性」の力──他者と比べた相対的な地位が大切であること──の裏にある原動力である。進化の末に女性は、やさしく、心が広く、おもしろく、キュートで、利口な男性を好むようになった。しかし、たとえどれにも当てはまらなかったとしても、もしわたしがいちばんマシな選択肢だったとしたら、女性たちはわたしを選ぶにちがいない。重要なのは、わたし本人がどれほど利口で魅力的なのかではなく、まわりの男性たちよりも利口で魅力的であるという点だ。同じように、わたしが英国人俳優ヘンリー・カヴィルのような美しい顔だったとしても、あるいはアルベルト・アインシュタインのように頭脳明晰だったとしても、集団のほかの全員がより眉目秀麗で利口だったらなんのメリットもない。そんなことが実際に起きる可能性はわずかだとしても、ここで大切なのは、どんな特性であれ絶対的な水準にはたいした意味がないということだ。より大きな意味をもつのは、集団のほかの関連するメンバーとの比較のほうだ。そのため、人々はつねに社会的比較を行なう。 わたしたちはまず、自分自身のことや社会的地位を知るために社会的比較のプロセスを始める。わたしは強いのか、弱いのか? 速いのか、遅いのか? 金持ちなのか、貧乏なのか? 意外にも、これらの問いへの絶対的な答えなどなく、すべては他者との比較によって決まる。まわりの人よりベンチプレスでもっと重量を上げられれば、わたしは強いことになる。上げられなければ、わたしは弱いことになる。また、近くにいる人ほど重要な競争相手となるため、人間はいちばんそばにいる人々と自分を比べ、これらの問いへの答えを出そうとする。 つねに近くを見ようとするこの傾向には、歪んだ世界観を生みだしやすいという危険が潜んでいる。高校卒業を控えたある日、わたしは友人たちと集まり、高校生活四年間のさまざまな思い出について振り返った。女の子の友だちのひとりは、運動で成果を出せなかったのがいちばんの後悔だと語った。しかし、彼女は少なくともふたつのスポーツ競技で州チャンピオンとなり、いくつか別の競技で学校代表チームに選抜された経験があった。彼女のスタジャンについたメダルの数を見たら、ロシア軍の将軍も尻尾を巻いて逃げだしたはずだ。わたしは友だちに尋ねた。「きみはぼくの知り合いのなかで最高のアスリートのひとりだというのに、どうしてそんなふうに感じてしまうんだい?」。すると彼女は、オリンピック代表チームに入る夢を叶えられなかったからだと答えた。多くの人には無謀な夢に聞こえるかもしれない。が、オリンピック出場経験のあるきょうだいがふたりいる彼女にとっては、それが成功の基準だった。 このような相対性はあらゆる領域に影響を及ぼすが、まわりの人々と比べることが妥当な場面も少なくない。たとえば、人の知性を倍に向上させる薬をわたしが発明し、それを一錠あなたに渡したとする。薬をのんだ直後、あなたは自分がはるかに賢くなったと感じるはずだ。それまで複雑だと思っていたあらゆる問題が、いまや子どもの遊びに変わる。素粒子物理学と微分積分学の問題を説くことは、美容院での待ち時間のあいだの楽しい暇つぶしの方法になる。でも、想像してみてほしい。わたしがほかの全員にも二錠の薬を渡していたとしたら? 美容院のまわりの席の人々は誰もが、あなたの能力をはるかに超えた概念について話し合っているにちがいない。この瞬間、それまで天才だと感じていたあなたは自分をバカだと感じるようになる。 この例では、まわりの人々がつねに一錠多くのむかぎり、あなたが何錠のんだのかは関係なくなる。たとえ頭のなかで微分方程式を解けたとしても、ほかの全員がより利口であれば、あなたはもっとも退屈な仕事に就くことになる。友人たちも、あなたのことを理解力の遅い人間だと感じる。そして、あらゆる場面であなたは他者より後れをとることになる。これらの例で大切になるのが相対性だ。他者との比較がそれほど大きな意味をもたない場面でも、性淘汰による大きな影響によって人は相対性の渦に巻き込まれることがある。 プリンストン大学のイリヤナ・クジエンコらによる「最下位への嫌悪」に関する研究について考えてみよう。彼女たちの研究チームは、最低賃金を引き上げることへのもっとも大きな抵抗が、それよりわずかに多くの給料をもらっている層から起きていることを突き止めた。最低賃金が上がれば、最低賃金のひとつ上の層の人々にも将来的に恩恵が及ぶ可能性がきわめて高い。にもかかわらず多くの人は、より高い最低賃金によってもたらされる将来的な利点よりも自分たちの相対的な地位についての眼のまえの懸念のほうが重要だと感じた。そのようないっときの感情による反応は、かえって自分を不利な状況に陥れているようにも見えるが、性淘汰が裏にある論理を説明してくれる。 相対的な地位への懸念という現象は、人間の親戚である霊長類のあいだにも存在する。それを証明した有名な研究例のひとつに、エモリー大学のフランス・ドゥ・ヴァールとサラ・ブロスナンがオマキザルを使って行なったものがある。研究のなかで教授らは、人間の実験者に小石を手渡すようサルに教え込んだ。うまく手渡せた場合、報酬としてキュウリのスライスを与えた。サルたちはこの取引を公正なものだと考えたらしく、キュウリの報酬を得るために何度も小石を人間に手渡した。 しかし、あるとき状況は一変した──キュウリのスライスという報酬をもらうために行なっていた同じタスクに対して、一部のサルだけにブドウ(より好きな食べ物)が与えられていることがわかったのだ。もし公平さが絶対的な価値基準であれば、同じタスクに対してほかのサルがどんな報酬を与えられたとしても問題にはならない。キュウリのスライスがさきほどまで妥当な報酬だったのであれば、現在も変わらず妥当な報酬であると考えられるべきだ。その一方で、公平さというものが相対的な判断基準だとすれば、ほかのサルにどんな報酬が与えられるのかは大きな問題となる。 基準が相対的であるという論理を証明するかのように、同じ活動に対して別のサルにブドウが与えられるようになると、キュウリしかもらえないオマキザルはタスクを行なうことをたびたび拒むようになった。「良識ある行動をとる動物たち」と題した TEDのプレゼンテーションのなかでドゥ・ヴァール教授が流した実験映像には、横のサルがブドウを受け取ったあと、腹を立てたオマキザルがキュウリのスライスを実験者に投げつける様子が映っている(この部分だけでもぜひ実際に見てみてほしい)。わたしとしては、不公平な支払いに対して(人間を含めた)霊長類がこれほど怒る姿をほかに見たことがない。 このような実験は、わたしたちに教えてくれる──生き残るための必要性がいったん満たされると、ほかのすべての事柄は相対的に判断される、と。第 3章で論じたように、都市が生まれるまえの世界では、人生はゼロ和ゲームだった。ある人の幸運は往々にして、他者の不幸の結果としてもたらされた。都市の出現とともに人生がゼロサムゲームである必要はなくなったにもかかわらず、悲しいことに、性淘汰の論理によって人生はその後もゼロサムゲームのまま保たれた。たとえば友人が大幅な昇給や宝くじの当選によって大金を手にしたら、彼の幸運によってわたしは不利な状況に陥ることになる。なぜなら、わたしが配偶者を見つけるのがよりむずかしくなるからだ。友人が見事な功績や幸運を手にするまえまで、好きになった女性がわたしを選んでくれる可能性は充分にあったはずだ。しかし友人が以前より魅力的になったいま、彼女がわたしを選ぶ可能性はより低くなる。 性淘汰によってこのような考え方が人間の精神の奥深くに刻み込まれたため、人の成功を羨む気持ちを抑え込むのは驚くほどむずかしくなった。とくに、近しい関係の人々の成功についてはその傾向が強くなる。たとえば、サム・スミスやエミネムがグラミー賞を受賞しても、わたしはそれを羨ましいなどとは考えない。彼らとは個人的に知り合いでもないし、(賢明にも)張り合おうとも思わないからだ。レオナルド・ディカプリオがアカデミー賞を獲ったときも同じ。そもそも彼のガールフレンドがわたしと交際することなど考えられない。しかしながら、仲のいい友人がわたしを負かしたときには、他人事だと片づけるわけにはいかなくなる。さらに、わたしが重要視する領域ではなおさらその傾向が強くなる。 この現象に関する研究のなかでわたしがとくに好きなのは、ジョージア大学のアブラハム・テッサー率いるチームによる一連のすばらしい実験だ。テッサーは男子大学生を被験者として研究室に集め、ペアで単語当てゲームをさせた。一方がある単語に関連するヒントを出し、もう一方が答えとなる単語を当てるというごく一般的なゲームだ。じつは、参加者のひとりはサクラだった。サクラははじめにヒントを出す側になることを選んでゲームを不正に誘導し、相手がすぐに答えにたどり着かないように仕組んだ。この実験の肝となるのは、(不正によって)答えをなかなか導きだせなかった回答者が次にヒントを与える番になったとき、相手に何を伝えるかという点だった。ヒントは選択肢のなかから選ぶ方式になっており、なかには役立つヒントもあれば、役に立たないヒントもあった。 実験についてより具体的に理解するために、あなた自身が参加者となり、相手にヒントを出しているところを想像してみてほしい。お題の単語は「 insightful」(洞察力のある)。相手を心から応援したいと考えているなら、あなたは「 astute」(利口な)や「 shrewd」(鋭い)といったヒントを伝えるにちがいない。しかし、相手が勝つことを望んでいなければ、あえて「 perspicacious」(透徹した)という難解なヒントを選ぶかもしれない(こんなむずかしい言葉の意味を知っている人などいるのだろうか?)。あとになって相手が文句を言ってきたら、「きみにまともな語彙力があれば、簡単に解けたはずだよ」とでも指摘すればいい。 テッサー教授は実験をとおして、ペアの相手が他人ではなく友人の場合、役立つヒントを与える傾向が強くなることを突き止めた。しかしこのような結果になったのは、タスクの内容にはとくに意味がないと説明されたときのみだった。言語能力を調べる大切なタスクだと説明された場合、結果は反対になった。一巡目で答えを導きだせなかった参加者は、ヒントを出す番になると、友人ではなく他人により役立つヒントを与えるようになった。つまり、他人が優秀な成績を収めたときよりも、友人が優秀な成績を収めたときのほうがより大きな脅威を感じるということだ。重要な領域で自分が負けそうなとき、

わたしたちは友人をひそかに攻撃しようとする。これが人間についての醜い真実であり、性淘汰が作り上げたものなのだ。

*1 実際のところ、一回分の精子を作りだすことと、九カ月の妊娠期間と二年間の授乳期間に必要な代謝エネルギーを比べて計算したわけではなく、たんに大きな数を選んだだけ。思うに、ほんとうのところは一〇〇万対一よりも桁ちがいにもっと一方的な差があるにちがいない。 *2 糞便を食べることによって、デート相手を見つけられる確率もおそらく下がるだろう。 *3 この例の場合、ケイトリンの知性を示す正直な信号となる。 *4 鳥が大小どちらの斑点を作りだすかを〝決める〟ことができるという点に、違和感を覚える方もいるかもしれない。しかし、動物集団の地位はホルモン変化に関連するものであり、それが身体の変化へとつながる。これらの現象は多くの種に共通するもので、淡水魚のシクリッド(カワスズメ)が鮮やかな色に体色を変えることによって縄張りを知らしめるのもその一例。 *5 自分に見合うよりも斑点を大きくさせることは、ニューヨーク・ヤンキースの試合中に、ボストン・レッドソックスの帽子をかぶってブロンクスのスタンズ・スポーツ・バーに行くことによく似ている──安い値段で買うことはできるが、それを身につけるのには高い代償がともなう。 *6 LGBTQコミュニティーにおけるパートナー選びの傾向や性的態度についての文献は少ないものの、これまで行なわれた研究では、異性愛者を対象とした過去の研究と似たような結果が出ている。たとえば、わたしを含めた同僚の男性たちは、異性愛者、バイセクシュアル、ゲイであるかには関係なく、ひどいセックスをしてしまったことを後悔するよりも、セックスする機会を逃したことのほうをより後悔する傾向にあった。対照的に女性の場合、異性愛者、バイセクシュアル、レズビアンに関係なく、セックスする機会を逃したことよりも、ひどいセックスをしたことを後悔する傾向が強かった。

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