MENU

第 4章 利他の心で生きる

第 4章 利他の心で生きる

托鉢の行をして出会った人の心のあたたかさ心の持ち方ひとつで地獄は極楽にもなる「他を利する」ところにビジネスの原点がある利他に徹すれば物事を見る視野も広がる毎夜自らの心に問いかけた新規事業参入の動機世のため人のためなら、すすんで損をしてみる事業の利益は預かりもの、社会貢献に使え日本よ、「富国有徳」を国是とせよこのまっとうな「美徳」を忘れてしまっていないかいまこそ道徳に基づいた人格教育へとシフトせよ同じ歴史をくり返すな、新しい日本を築け自然の理に学ぶ「足るを知る」という生き方人類が目覚めたとき「利他」の文明が花開く

第 4章 利他の心で生きる

托鉢の行をして出会った人の心のあたたかさ 一九九七年九月、私は京都の円福寺というお寺で得度をし、「大和」という僧名をちょうだいしました。ほんとうは六月に得度を行う予定だったのですが、直前に検診で胃がんが見つかり、急遽手術を受けることになったのです。そして、術後二か月あまりを経過して、いまだ体調も万全とまではいきませんでしたが、九月七日に、俗界に身を置きながら、仏門の一員に加えていただきました。 それから二か月あまりたった十一月には、短期間ではありますが、お寺に入り修行もしました。病み上がりのこともあって、修行はかなり厳しいものでしたが、そこで私は生涯忘れることのできない体験をすることができました。 初冬の肌寒い時期、丸めた頭に網代笠を被り、紺木綿の衣、素足にわらじという姿で、家々の戸口に立ってお経を上げて、施しを請う。いわゆる托鉢の行は慣れない身にはひどくつらく、わらじからはみ出した足の指がアスファルトですり切れて血がにじみ、その痛みをこらえて半日も歩けば、体は使い古しの雑巾のようにくたびれてしまいます。 それでも先輩の修行僧といっしょに、何時間も托鉢を続けました。夕暮れどきになってようやく、疲れきった体を引きずり、重い足どりで寺へと戻る途上、とある公園にさしかかったときのことです。公園を清掃していた作業服姿の年配のご婦人が、私たち一行に気づくと、片手に箒を持ったまま小走りに私のところにやってきて、いかにも当然の行為であるかのように、そっと五百円玉を私の頭陀袋に入れてくださったのです。 その瞬間、私はそれまで感じたことのない感動に全身を貫かれ、名状しがたい至福感に満たされました。 それは、その女性がけっして豊かな暮らしをしているようには見えないにもかかわらず、一介の修行僧に五百円を喜捨することに、何のためらいも見せず、またいっぺんの驕りも感じさせなかったからです。その美しい心は、私がそれまでの六十五年間で感じたことがないくらい、新鮮で純粋なものでした。私は、その女性の自然な慈悲の行を通じて、たしかに神仏の愛にふれえたと実感できたのです。 おのれのことは脇に置いて、まず他人を思いやる、あたたかな心の発露――あのご婦人の行為はささやかなものではありましたが、それだけに人間の思いと行いのうちの最善のものを示していたように思えます。その自然の徳行が、私に「利他の心」の真髄を教えてくれたのです。「利他」の心とは、仏教でいう「他に善かれかし」という慈悲の心、キリスト教でいう愛のことです。もっとシンプルに表現するなら「世のため、人のために尽くす」ということ。人生を歩んでいくうえで、また私のような企業人であれば会社を経営していくうえで欠かすことのできないキーワードであると私は思っています。 利他というと何かたいそうな響きがあります。しかし、それは少しもだいそれたものではありません。子どもにおいしいものを食べさせてやりたい、女房の喜ぶ顔が見たい、苦労をかけた親に楽をさせてあげたい。そのように周囲の人たちを思いやる小さな心がけが、すでに利他行なのです。 家族のために働く、友人を助ける、親孝行をする……そうしたつつましく、ささやかな利他行が、やがて社会のため、国のため、世界のためといった大きな規模の利他へと地続きになっていく。その意味では、私に五百円玉を施してくれたご婦人とマザー・テレサの間に、本質的な差はありません。 人間はもともと、世のため人のために何かをしたいという善の気持ちを備えているものです。昨今でも、たとえば手弁当で災害地にかけつけるボランティアの若者が数多くいるという話などを聞くと、利他というのは、人間がもつ自然な心の働きだという思いを強くします。 人間の心がより深い、清らかな至福感に満たされるのは、けっしてエゴを満たしたときでなく、利他を満たしたときであるというのは、多くの人が同意してくれることでしょう。また賢明な人は、そのように他人のために尽くすことが、他人の利だけにとどまらず、めぐりめぐって自分も利することにも気づいているものです。心の持ち方ひとつで地獄は極楽にもなる もうかれこれ四十年あまりも昔の話ですが、京セラがまだ中小企業だったころ、私は入社式のときに、大卒の新入社員に対して次のような話をしたことがあります。 ――キミたちは、いままで両親や社会のさまざまな人たちのお世話になって生きてきた。これからは社会人になるのだから、今度は社会に対してお返しをしていく番だ。社会人になってまで、人から何かをしてもらおうという気持ちでいてはダメだ。「してもらう」側から「してあげる」側へと、立場を一八〇度変える必要があるのだ―― このような話をするきっかけとなったのは、京セラがまだ小さく、十分な福利厚生もなかったころのこと、入社して間もない大卒の新入社員たちが「もっとましな会社かと思っていたら、福利厚生もしっかりしていないし、待遇もよくない」などと文句をいってきたからです。 それに対して、私は「たしかにいまはまだこの会社は小さく、十分な設備も制度もない。しかし、これから会社を立派にして、十分な福利厚生もある企業にしていくのは、これからのキミたちの働きいかんだ。してもらうのではなく、自分でつくり上げるのだ」と叱りつけました。 他人から「してもらう」立場でいる人間は、足りないことばかりが目につき、不平不満ばかりを口にする。しかし、社会人になったら、「してあげる」側に立って、周囲に貢献していかなくてはならない。そのためには人生観、世界観を一八〇度ひっくり返さなければならないと、諭したのです。 当時まだ、私は「利他」という言葉を知らなかったので、そのことを確固とした思想や哲学としていたわけではありません。しかしそれでも私は、少しでも他人のために何かをしていこうとする心がけの大切さを、若き社会人たちに説きつづけてきたのです。 自分よりも先に他人によかれと考える。ときに自らを犠牲にしても人のために尽くす。そのような思いやりの心の大切さを、私が得度したときにお世話になった円福寺のご老師は、次のようなたとえ話で説いておられました。

――あるお寺で若い修行僧が老師に「あの世には地獄と極楽があるそうですが、地獄とはどんなところなのですか」と尋ねました。すると老師は次のように答えます。「たしかにあの世には地獄もあれば、極楽もある。しかし、両者には想像しているほどの違いがあるわけではなく、外見上はまったく同じような場所だ。ただ一つ違っているのは、そこにいる人たちの心なのだ」 老師が語るには、地獄と極楽には同じように大きな釜があり、そこには同じようにおいしそうなうどんがぐつぐつと煮えている。ところが、そのうどんを食べるのが一苦労で、長さが一メートルほどの長い箸を使うしかないのです。 地獄に住んでいる人はみな、われ先にうどんを食べようと、争って箸を釜につっ込んでうどんをつかもうとしますが、あまりに箸が長く、うまく口まで運べません。しまいには他人がつかんだうどんを無理やり奪おうと争い、ケンカになって、うどんは飛び散り、だれ一人として目の前のうどんを口にすることはできない。おいしそうなうどんを目の前にしながら、だれもが飢えてやせ衰えている。それが地獄の光景だというのです。 それに対して極楽では、同じ条件でもまったく違う光景が繰り広げられています。だれもが自分の長い箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び、「あなたからお先にどうぞ」と食べさせてあげる。そうやってうどんを食べた人も、「ありがとう。次はあなたの番です」と、お返しにうどんを取ってあげます。ですから極楽では全員がおだやかにうどんを食べることができ、満ち足りた心になれる―― 同じような世界に住んでいても、あたたかい思いやりの心をもてるかどうかで、そこが極楽にも地獄にもなる。それが、この話がいわんとしていることなのです。 私も、この「利他の心」の必要性を幾度となく社員に対して説いてきました。よい経営を続けていくためには、心の底流に「世のため、人のため」という思いやりの気持ちがなくてはいけない――そのことを再三再四強調してきたのです。「他を利する」ところにビジネスの原点がある 弱肉強食のビジネス界で、私がしきりに利他だの愛だの思いやりだのと口にしているので、そんなおめでたいことばかりいって、あの美言の裏に何かあるのではないかという声を聞くこともあります。しかし、私は巧言を弄して何か企図する気など毛頭ない。ただ自分の信ずるところを素直に人に伝え、また自分自身がそれを本気で実践していきたいと念じているだけです。 そもそも歴史を振り返っても、資本主義はキリスト教の社会、なかでも倫理的な教えの厳しいプロテスタント社会から生まれてきたものであることがわかります。 初期の資本主義の担い手は敬虔なプロテスタントだったわけで、マックス・ウェーバーによれば、彼らはキリストが教える隣人愛を貫くために厳しい倫理規範を守り、労働を尊びながら、産業活動で得た利益は社会の発展のために活かすということを、モットーとしていたといいます。 したがって、事業活動においてはだれから見ても正しい方法で利益を追求しなくてはならず、また、その最終目的はあくまで社会のために役立てることにありました。 つまり世のため人のためという利他の精神が――私益よりも公益を図る心が――初期の資本主義の倫理規範となっていたわけです。 自らに向けては、おのれを律する厳しい倫理を、外に向けては、利他という大義を自分たちの義務としていたわけです。その結果、資本主義経済は急速に発展を遂げることができたのです。 同様のことを、わが国でも江戸中期の思想家・石田梅岩が主張しています。当時は商業資本主義の勃興期にあたりますが、身分制度の下で商はもっとも下位に置かれ、商行為そのものが何か卑しいものとされる風潮がありました。 そのなかで梅岩は「商人の売利は士の禄に同じ」と述べ、商人が利を得ることは武士が禄をはむのと同じ正当な行為であり、けっして恥ずべきことではないと、陰でさげすまれることの多かった商人を励ましています。「利を求むるに道あり」という言葉がありますが、利潤追求はけっして罪悪ではない。ただし、その方法は人の道に沿ったものでなくてはならない。どんなことをしても儲かればいいというのではなく、利を得るにも人間として正しい道を踏まなくてはならないと、商いにおける倫理観の大切さを説いています。「まことの商人は、先も立ち、われも立つことを思うなり」――これも梅岩の言葉ですが、要するに、相手にも自分にも利のあるようにするのが商いの極意であり、すなわちそこに「自利利他」の精神が含まれていなくてはならないと述べているわけです。利他に徹すれば物事を見る視野も広がる 利を求める心は事業や人間活動の原動力となるものです。ですから、だれしも儲けたいという「欲」はあってもいい。しかしその欲を利己の範囲にのみとどまらせてはなりません。人にもよかれという「大欲」をもって公益を図ること。その利他の精神がめぐりめぐって自分にも利をもたらし、またその利を大きく広げもするのです。 会社を経営するという行為をとってみても、すでにそれだけでおのずと世のため、人のためになる「利他行」を含んでいるものです。 いまでこそ終身雇用制は崩れつつありますが、社員を雇うということは、その社員の面倒をほぼ一生涯にわたってみなくてはならない義務が生じることを意味します。ですから、五人であれ十人であれ、社員を雇用しているというだけで、すでに「人のため」になっているのです。 これは個人でも同じです。独身のときには、自分一人の生活をよくすることを最優先してきた人が、結婚をして家庭を築き、自分だけではなく奥さんのために働き、子どもも育て守っていこうとする。このときその人の行為には、やはり無意識のうちにも利他行が含まれているのです。 ただし気をつけなくてはならないのは、利己と利他はいつも裏腹の関係にあることです。つまり小さな単位における利他も、より大きな単位から見ると利己に転じてしまう。会社のため、家族のための行為には、たしかに利他の心が含まれているが、「自分の会社さえ儲かればいい」「自分

自分の家族さえよければいい」と思ったとたんに、それはエゴへとすり替わり、また、そのレベルにとどまってしまうのです。 会社のためという「利他の行い」も、会社のことばかりだと、社会からは会社のエゴと見える。家族のためという個人レベルの利他も、家族しか目に入っていなければ、別の視点からすると家族という単位のエゴと映るかもしれない――したがって、そうした低いレベルの利他にとどまらないためには、より広い視点から物事を見る目を養い、大きな単位で自分の行いを相対化して見ることが大切になってきます。 たとえば会社だけ儲かればいいと考えるのではなく、取引先にも利益を上げてもらいたい、さらには消費者や株主、地域の利益にも貢献すべく経営を行う。また、個人よりも家族、家族より地域、地域より社会、さらには国や世界、地球や宇宙へと、利他の心を可能なかぎり広げ、高めていこうとする。 すると、おのずとより広い視野をもつことができ、周囲のさまざまな事象について目配りができるようになってくる。そうなると、客観的な正しい判断ができるようになり、失敗も回避できるようになってくるのです。毎夜自らの心に問いかけた新規事業参入の動機 利他という「徳」は、困難を打ち破り、成功を呼ぶ強い原動力になる。そのことを、私は電気通信事業へ参入したときに体験しました。 いまではいくつかの企業が競合するのが常態となっていますが、一九八〇年代半ばまでは、国営事業である電電公社が通信分野のビジネスを独占していました。そこへ「健全な競争原理」を持ち込んで、諸外国に比べてひどく割高な通信料金を引き下げるべく自由化が決定されました。 それに伴って電電公社は NTTへと民営化され、同時に電気通信事業への新規参入も可能になったのですが、それまで一手に事業を独占していた巨人に戦いをいどむわけですから、恐れをなしたのか、新規参入しようという企業がいっこうに現れません。このままでは官が民に変わったのも名ばかりで、健全な競争は起こらず、料金の値下げによって国民が恩恵を受けることはできなくなります。 それならばオレがやってやろうかという思いが、私の中に頭をもたげてきました。ベンチャー企業から身を起こしてきた京セラこそ、そのようなチャレンジにふさわしいのではないかと考えたのです。 相手が NTTでは巨象にアリの不利な戦いであり、しかも業種が違う私たちにとってはまったく未知の分野である。けれども、そのまま傍観していたのでは競争原理が働かず、料金値下げという国民にとってのメリットは絵に描いた餅に終わってしまう。ここはドン・キホーテを承知で私が手をあげるしかない。 しかし、私はすぐに名乗りを上げることはしなかった。というのも、そのとき私は、参入の動機に私心が混じっていないかを、自分に厳しく問うていたからです。参入を意図してからというもの、就寝前のひとときに毎晩欠かさず、「おまえが電気通信事業に乗り出そうとするのは、ほんとうに国民のためを思ってのことか。会社や自分の利益を図ろうとする私心がそこに混じっていないか。あるいは、世間からよく見られたいというスタンドプレーではないか。その動機は一点の曇りもない純粋なものか……」 という自問自答を私はくり返しました。すなわち「動機善なりや、私心なかりしか」――ということを、何度も何度も自分の胸に問うては、その動機の真偽を自分に問いつづけたのです。 そして半年後、ようやく自分の心の中には少しも邪なものはないことを確信し、 DDI(現・ KDD I)の設立に踏み切ったのです。 フタを開けてみると、他にも二社が名乗りを上げましたが、そのなかでは、京セラを母体にした DDIがもっとも不利だという前評判でした。無理もありません。私たちには通信事業の経験や技術がなく、通信ケーブルやアンテナなどのインフラも一から構築しなければならず、さらには販売代理店網もゼロという大きなハンデを抱えていたからです。世のため人のためなら、すすんで損をしてみる しかし、そのないないづくしの逆境をものともせず、 DDIは営業開始直後から新規参入組のなかで、つねにトップの業績を上げて先頭を走りつづけることができました。その理由を当時もいまも、人から尋ねられることが少なくありません。それに対して私の答えは一つ。国民のために役に立ちたいという私心なき動機がもたらした、ということしかありません。 DDIの創業当時から私は、「国民のために長距離電話料金を安くしよう」「たった一回しかない人生を意義あるものにしよう」「いまわれわれは百年に一度あるかないかという大きなチャンスを与えられている。その機会に恵まれたことに感謝し、このチャンスを活かそう」とことあるごとに従業員に訴えつづけてきました。 そのため DDIでは、従業員全員が自分たちの利益ではなく、国民のために役立つ仕事をするという純粋な志を共有するようになり、心からこの事業の成功を願い、懸命に仕事に打ち込んでくれた。それによって代理店の方々の応援も得られ、ひいては広範なお客さまの支持を獲得することもできたのです。 DDIの創業後しばらくして、私は一般の従業員にも額面で株式を購入できる機会を与えました。 DDIが成長発展を重ね、いずれ上場を果たしたときに、キャピタルゲインをもって従業員の懸命の努力に報い、また私からの感謝の思いを表したいと考えたからです。 その一方、創業者である私自身は、もっとも多くの株式を持つことも可能であったわけですが、実際には一株も持つことはありませんでした。それは DDIの創業にあたり、いっさいの私心もはさんではならないと考えていたからです。 もし私がそのとき一株でも持っていたら、やっぱり金儲けのためかといわれても反論できなかったでしょう。また、 DDIのその後の足どりも、また違ったものになったにちがいありません。 携帯電話事業(現在の a u)を始めたときも、似たような経験をしました。 DDIの事業を始めたときから、私は携帯電話市場の将来性を確信しており、その普及が国民の生活の利便におおいに寄与するであろうと考えてきました。そこで同事業への参入も図ったのですが、ここにも大きな問題が出てきました。

DDIに続いてもう一社が参入に名乗りを上げたのです。周波数の関係から、同じ地域では NTT以外には一社しか営業できないという制約があったため、新参の二社で事業区域を二つに分けなくてはならなくなってしまいました。 事業の収益性を考えれば、どっちも人口の集中する首都圏区域が欲しいから、なかなか合意が成立しません。私は公平に抽選で決めればいいと提案しましたが、これほどの事業をクジ引きで決めるとは不謹慎だと、当時の郵政省からたしなめられてしまいました。 しかし、このままいつまでも先の見えない綱引きをしていては、らちが明かない。ここで一方が譲らなければ、移動体通信事業そのものが日本に根づかなくなってしまうかもしれない――そう考えた私は、首都圏と中部圏という、もっとも大きな市場を相手に譲って、自分たちはその残りの地域を取ることにしました。 不利な条件を自ら申し出たかたちになり、 DDIの役員会では、まんじゅうのアンコは相手にやって、こっちは皮だけ食うつもりかとあきれられましたが、私は損して得とれ、負けて勝つという言葉もある。みんなでがんばってまんじゅうの皮を黄金の皮にしようと説得して、何とか事業をスタートさせたのです。 けれども、いざ事業を開始してみれば、予想に反してわれわれの業績はどんどん伸びていきました。現在では a uとなってNTTドコモとしのぎを削っているのは、ご存じのとおりです。 DDIと a uの成功は、世のため人のために役立ちたいという考え方が天祐を招いたものであり、動機善であれば、かならずや事はなるということの証明にほかならない。私はそう考えています。事業の利益は預かりもの、社会貢献に使え 京セラの経営理念は、「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類社会の進歩発展に貢献する」というものです。企業経営の目的は、まず第一に、そこで働く人たちの生活と幸福を実現することにある。しかしそれだけなら、一私企業の利益を計るだけのエゴにとどまってしまう。企業には社会の公器として、世のため人のために尽くす責務もある。 そこで後段のくだりもでき上がったのです。これは利己の経営から利他の経営へという、経営理念の広がりを表している言葉でもあります。 創業まもないころから、私はこのような経営を心がけてきました。創業から数年後、会社の基礎も固まってきたころ、私は暮れのボーナスを社員一人ひとりに手渡したあと、その一部を社会のために寄付することも考えたらどうかと提案しました。社員全員から少しずつお金を出してもらい、それと同額のお金を会社からも提供して、それをお正月にお餅も買えないような貧しい人へ寄付しようと提案したのです。 従業員はそれに賛同してくれ、ボーナスの一部を快く寄付してくれました。これが、今日京セラが行っているさまざまな社会貢献事業のさきがけとなり、その精神はいまも変わることなく生きています。 つまり自分たちの汗の結晶を、その一部でいいから他人のためにも使って、社会のために役立ててもらおうという利他の精神の実践に、創業まもないころから努めてきたのです。 私も、個人として「世のため人のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である」という信念から、一九八五年に「京都賞」を創設しました。私が持っていた京セラの株式や現金など二百億円を拠出して稲盛財団をつくり、先端技術、基礎科学、思想・芸術の各分野ですばらしい業績を上げ、多大な貢献を果たした人たちを選んで顕彰、その功績をたたえようという趣旨で始めたもので、現在では、ノーベル賞に匹敵する国際賞として高く評価していただけるようになっています。 京セラの発展の結果、思いがけずふえた私の資産は、社会の多くの人たちの支援や尽力を得てもたらされたものなのだから、それを私物化してはいけない。社会からちょうだいした、あるいは社会から預かった資産は、社会に役立つかたちで還元するのが筋である――そう考えて設立したものです。したがって、この京都賞は社会への恩返しであると同時に、私の利他の哲学の実践でもあるわけです。 このような社会慈善事業を評価していただき、二〇〇三年には、カーネギー協会から「アンドリュー・カーネギー博愛賞」をいただきました。過去の受賞者にはビル・ゲイツやジョージ・ソロス、テッド・ターナーなど世界的な慈善家が名を連ねており、日本人では初めての受賞とのことでたいへん名誉なことでしたが、その授賞式のスピーチで、私は次のような内容のことをお話ししました。「私は仕事一辺倒で、京セラと KDDIという二つの企業をつくりましたが、幸いにも予想を上回る発展を見せ、図らずも私は大きな資産をもつに至りました。しかし、私は『個人の富は、社会の利益のために使われるべきだ』というアンドリュー・カーネギーが残した言葉に深い共感を覚えます。私自身もかねてからそのような考えをもっていただけに、天からいただいた富は、世のため人のために使っていくべきだと考え、さまざまな社会事業、慈善事業を手がけてきたのです」「利を求むるに道あり」と先に述べましたが、「財を散ずるに道あり」だとも思います。お金は儲けるより使うほうがむずかしいといいます。利他の精神で得たお金はやはり利他の精神で使うべきであり、そうやって財を「正しく」散じることでわずかながらでも社会貢献を果たしていきたいと考えています。日本よ、「富国有徳」を国是とせよ 物事というのは、善意で考えるのと悪意で考えるのとでは、おのずからたどり着くところが違ってくるものです。 たとえば人と議論するにしても、何とかやり込めてやろう、悪いのは相手のほうだから、その非を認めさせてやろうと思ってやるのと、相手も困っているだろうから、いい解決策をいっしょに考えようと思ってやるのとでは、同じ問題を扱っても結論は異なってきます。相手に対する「思いやり」のあるなしがその差を生むのです。 以前、日本市場の閉鎖性をめぐって日米関係がぎくしゃくしていたころ、私は両国間が抱えるさまざまな課題について、民間人を中心に率直に話し合う「日米 21世紀委員会」という場をつくり、少しでも日米の関係をよくしようと働きかけたことがあります。

その際、私が提案したのが、互いに相手の非をとがめ合うような敵対的な議論はやめようということでした。相手の事情や背景を考慮せず、そっちが悪い、いや、おまえこそ譲歩せよとやったのでは、まとまる話もまとまらない。損得や議論に勝つことだけを目的とした話し合いはかならず不毛に終わり、より不信感を募らせる結果になってしまう。 ですから、まず相手の立場を尊重する姿勢、おのれの意見だけに固執せず相手の考えも十分に思いやる気持ち、そうした利他の心をベースとして話し合いを進めようではないか――そう提案したのです。 また、もし必要とあらば日本が率先して譲歩すべきだ。私はそうも述べました。なぜなら戦後の日本はアメリカからの多大な恩恵――食糧や技術を惜しげもなく提供してくれたこと、あるいは日本製品に巨大なマーケットを開放してくれたことなど――によって復興、成長してきたからです。 それがアメリカの世界戦略の一環であったとしても、彼らが私たちにひどく寛容であったことは事実です。ならば今度は、こちらが相手に対して「思いやり」を見せ、譲歩すべきは譲歩する寛容さ、利他の心を身につけることが〝経済大国〟となった日本の責務ではないかと考えたのです。 この委員会では、そのような趣旨に基づいて二年間にわたり議論を続け、日米両国政府に提言書を提出しました。 これからの「この国のかたち」をデザインするうえで、大きなキーワードとなるものは、この思いやりの精神とともに、徳をベースにした国づくりでしょう。 以前、国際日本文化研究センターの川勝平太教授が、「富国有徳」ということをいわれたことがありました。 富でなく徳による立国。あるいは豊かな富の力を活かして、徳をもって他人や他国に報いるという国のあり方を提言したのです。武力や経済力でなく、徳をもって他国に「善きこと」をなし、信頼と尊敬を得る。 私もそのような徳を国是のベースに据えるべきだと思うのです。それこそが、自国の利益のみを追求することで、手痛いしっぺ返しを食らってきた日本が他国にさきがけて率先垂範すべきことなのです。 日本がめざすべきは、経済大国でも軍事大国でもなく、こうした徳に基づいた国づくりではないでしょうか。ソロバン勘定に長けた国でもなく、軍事力の誇示に忙しい国でもなく、徳という人間の崇高な精神を国家理念の土台にして世界に接していく。 そういう国家になったとき、日本は国際社会からほんとうに必要とされ、尊敬される国となるはずです。また、そういう国を侵略しようとする輩もいないでしょう。そういう意味では、最善の安全保障政策でもあるはずです。このまっとうな「美徳」を忘れてしまっていないか このことについて、中国革命の父である孫文が、一九二四年に神戸で行った有名な講演があります。その講演の中で、孫文は欧米の文化と東洋の文化を比較した「王道と覇道」という話に言及しています。 武力によって人を支配する文化は欧米に源流をもち、それを中国の古い言葉では覇道といいます。それに対し、王道は東洋に連綿と流れるもので、徳に基づいて人々を導こうとするものです。 孫文は、軍備拡張、領土拡大に傾斜する当時の日本に、「覇道」ではなく「王道」を選ぶべきだと説いたのですが、残念ながら日本は覇道を歩み、第二次世界大戦へとまっすぐに突き進んでしまった。そして終戦後は近年に至るまで、経済による覇権主義をとってきたのです。 しかし、これからは国も人も、思いやりや利他という心の「徳」に根ざした王道的な生き方を基軸にしていかなければ、日本はまたもや大きな過ちを犯しかねない。私はそう危惧しているのです。 天台宗には「忘己利他」という言葉があります。読んで字のごとし。自分のことを忘れて、人さまのために尽くすという仏の教えのことです。音で聞けば「もう懲りた」とも聞こえますから、「物欲を追求することはもう懲りた。今後は、自分のことはさておいて、人さまのために尽くしていかなくてはいけない」と理解すべきだと、かつて天台宗の座主であられた山田恵諦さんから教えていただいたことがあります。 こういうことを私が強調するのは、思いやりとか利他といった美徳が、いまの日本社会からすっかり失われてしまったという気が強くするからです。 思いやりや利他の心が忘れさられてしまえば、残るのはおのれの欲望だけです。そのような利己的欲望を容認し、放任してきた結果が、昨今の世相に表れているのではないでしょうか。 以前、十九歳の少年が一家四人を惨殺する事件を起こして、その罪の重大さから未成年でありながら死刑判決を受けたことがありました。その少年は法を勝手に自己解釈して、未成年だから何をやっても死刑にはならないだろうと踏んだ確信犯のようでした。 それについて、事件を報道したある雑誌記者は、「もし、少年が法律をもっとよく知っていたなら、この事件は起きなかったかもしれない」と書いていました。しかし少年が知っておくべきは法律の前に、人を殺してはならないという根本的な道徳律、倫理観であるはずです。人を殺してはならない、人を傷つけてはならないというのは法律論ではなく、まさに人の生き方、つまり道徳論の範疇なのですから。いまこそ道徳に基づいた人格教育へとシフトせよ なぜ、私たちはそれほど根源的な道徳規範を失ってしまったのか。人を思いやる心、利他の心を忘れてしまったのか。その答えは簡単です。要するに、大人が子どもにそれを教えてこなかったからです。戦後およそ六十年がたっていますから、いま生きている多くの日本人は道徳について何も教えられていないといっていいでしょう。私は戦前の教育を受けた人間なので、そのことがよくわかります。 自主性の尊重を放任と拡大解釈し、自由ばかり多く与えて、自由と対をなす人間として果たすべき義務については、ほとんど教えてこなかった。人間として備えるべき当たり前の道徳、社会生活を営むうえでの最低限必要なルールを身につけることを、私たちはひどくおろそかにしてき

たといえます。 昔から、そういった生きる指針となる哲学というものを人々に教えてくれていたのは、仏教やキリスト教に代表される宗教でした。これらの宗教の教えは人々が生活を営むうえでの道徳、規範となっていました。 隠れて悪いことをしても、神仏はすべてお見通しだからその報いは必ず受けなくてはならない。また人知れず善行を積んでいる人を神仏は見捨てたりはしない――こうした観念が信仰によってもたらされ、そこから、「人間として正しいこととは何か」ということを考えざるをえなかった。 しかし近代の日本では、科学文明の発達に伴い、こうした宗教はないがしろにされてしまいました。それに伴って、人間としてあるべき姿を指し示す道徳、倫理、哲学、そういったものさえも、しだいに忘れ去られてしまったのです。 哲学者の梅原猛先生が「道徳の欠如の根底には宗教の不在がある」とおっしゃっていますが、私もまったく同感です。とくに戦後の日本社会では、戦前の国家神道を核とした思想統制の反動から、道徳や倫理がふだんの生活や教育の場から排除される傾向が強まったからです。 昨今でも、総合教育を謳いながら、道徳による人格教育をしようという動きはあまり見られません。加えて「個性教育」を重視するあまり、人間として身につけるべき最低限のルールやモラルをきちんと教えない。幼稚園でも「自由な教育」を標榜し、物心もつかない幼児たちを放任してしまう。それでは、大人になるまでに必要な最低限のルールさえ身につける機会がありません。 まだ心身ともに成長過程にある少年期にこそ、「人間としてどう生きるべきか」を学び、じっくりと考える機会を与えることが必要なのではないでしょうか。 また、学校教育では「正しい職業観」も指導すべきだと思います。 現在の日本には、学業のできる子どもと苦手な子どもを選り分けして、前者を優遇するという学歴社会ができ上がっており、そのことが若者の労働観をずいぶんゆがんだものにしています。いい成績を上げて官公庁や大企業に入ることをよしとして、手先が器用であるとか、人と接するのが得意であるといった、学業以外の特性は置きざりにされているのです。 こういう現状を正すためにも、たとえば小学生のときから、世の中にはこれだけの多くの職業があり、それぞれの分野でたくさんの人が懸命に働いている、だからこそ社会や人間の暮らしが成り立っているのだということを教えていく。そこから理髪師になりたい子どもには、どんな学校へ進んで、どのような資格をとればいいのかといった実用的な知識も授けていく。そういう職業教育も施すべきです。 宮大工の例を前章であげましたが、大工に限らず家具職人、縫製師、あるいはお百姓や漁師など、どんな職業であってもその仕事に打ち込むことが心を磨き、人格を高めることに通じます。そのような働くことの意義、つまり正しい職業観を教えてあげるのも、教育の大きな役目であるはずです。同じ歴史をくり返すな、新しい日本を築け 日本という国は近代に入って以降、約四十年の周期で大きな節目を迎えてきました。 ①一八六八年――それまでの封建社会から脱し、明治維新によって近代国家を樹立。「坂の上の雲」をめざして富国強兵の道を走りはじめる。 ②一九〇五年――日露戦争に勝利。世界の列強に仲間入りし、国際的地位を飛躍的に向上させる。以後、富国強兵、とりわけ「強兵」の方向に傾斜して、軍事大国の道をまっしぐらに突き進む。 ③一九四五年――第二次世界大戦に敗戦。焦土の中から、今度は「富国」の方向へと大きく舵を切り、奇跡的な経済成長を遂げる。 ④一九八五年――日本の莫大な貿易黒字に歯止めをかけるべく、円高誘導、輸入促進を目的にプラザ合意が結ばれる。このころ、日本は経済大国としてのピークを迎え、バブル崩壊後は、現在まで低迷期が続く。 この四十年ごとの盛衰サイクルを見てみると、私たちの国はこれまで一貫して、つねに物質的な豊かさを追い求め、他国との競争をくり返してきたことがよくわかります。ことに戦後は、経済成長至上主義のもと、企業も個人も利や富を求め、それをふやすことに熱心でした。 社会、経済の停滞が続き、ドラスティックな発想転換の必要性がいわれているいまでも、この事情はあまり変わっていません。 GDPのコンマ何パーセントかの変動に一喜一憂するような、右肩上がりの思想をほとんど唯一の「善」として、私たちの多くはいまだに上へ、先へと急ごうとしているのです。 それは、欲望という煩悩を原動力にして、優勝劣敗の競争原理のもと、物質的豊かさを最優先させる覇道の哲学といえます。いわば「利を求めて道なし」であり、そうした国のあり方、個人の生き方から、私たちはまだ抜け出せていません。 しかし、そのような価値観だけでは、もはやたちゆかなくなっていることは明白です。これまでのような経済成長の中に国のアイデンティティを見いだしていくやり方では、再びこの四十年ごとの盛衰サイクルをいたずらにくり返すばかりで、敗戦に匹敵するほどの〝次の大きなどん底〟に向けて下降線を描いていく、その速度に歯止めをかけることはむずかしくなるはずです。 国や自治体の財政赤字の増大、遅々として進まない行財政改革、少子高齢化に伴う社会活力の低下など、その兆候はすでに明らかになっています。このまま手をこまねいていては、次の四十年後の二〇二五年ごろには、希望的な将来像を描くどころか、国そのものが滅びてしまいかねない危機もはらんでいるのです。 いまこそ経済成長至上主義に代わる新しい国の理念、個人の生き方の指針を打ち立てる必要があります。それはまた一国の経済問題にとどまらない、国際社会や地球環境にもかかわってくるきわめて大きな喫緊の課題でもあります。なぜなら、人間の飽くなき欲望をベースに際限なく成長と消費を求めるやり方を改めないかぎり、有限な地球資源やエネルギーが枯渇するだけでなく、地球環境そのものが破壊されかねないからです。 つまりこのままでは、日本という国が破綻してしまうだけでなく、人間は自分たちの住処である地球そのものを自分たちの手で壊してしまうことになりかねない。それと知って、あるいはそれと気づかず、沈みゆく船の中で、なお奢侈を求め、飽食を楽しむ――私たちはその行為のむなしさ、危うさに一刻も早く気づき、新しい哲学のもとに新しい海図を描く必要があるのです。

自然の理に学ぶ「足るを知る」という生き方 では、新しい哲学を何に求めたらいいのでしょうか。 私は、これからの日本と日本人が生き方の根に据えるべき哲学をひと言でいうなら、「足るを知る」ということであろうと思います。また、その知足の心がもたらす、感謝と謙虚さをベースにした、他人を思いやる利他の行いであろうと思います。 この足るを知る生き方のモデルは、自然界にあります。ある植物を草食動物が食べ、その草食動物を肉食動物が食べ、肉食動物の糞や屍は土に返って植物を育てる……弱肉強食が掟の動植物の世界も、大きな視点から見ると、このように「調和的な」命の連鎖の輪の中にあるのです。 したがって人間とは異なり、動物はその輪を自ら壊すようなことをしません。草食動物が欲望のおもむくまま植物を食べ尽くせば、そこで連鎖は断ち切られ、自分たちの生存はおろか、あとに続く生物も危機にさらされてしまいます。そのため彼らには、必要以上にはむさぼらないという節度が本能的に備わっています。 ライオンも満腹のときは獲物をとりません。それは本能であり、同時に創造主が与えた「足るを知る」という生き方でもあります。その知足の生き方を身につけているからこそ、自然界は調和と安定を長く保ってきたわけです。 人間も、この自然のもつ「節度」を見習うべきではないでしょうか。もともと人間も自然界の住人であり、かつては、その自然の摂理をよく理解し、自分たちも生命の連鎖の中で生きていたはずです。それがやがて、食物連鎖のくびきから解き放たれ、人間だけが循環の法則の外へ出ることが可能になった。そして同時に、他の生物と共存を図るという謙虚さも失ってしまったのです。 自然界において、人間だけがもつ「高度な」知性は、食糧や工業製品の大量生産を可能にし、それを効率化するさまざまな技術も発展させましたが、やがてその知性は傲慢へと変わり、自然を支配したいという欲望を肥大させていきました。同時に、足るを知るという節度の壁も消えて、もっと欲しい、もっと豊かになりたいというエゴが前面に押し出され、ついには地球環境をも脅かすほどの状況に陥ってしまったわけです。人類が目覚めたとき「利他」の文明が花開く 私たちが地球という船もろともに沈んでおぼれないためには、もう一度、必要以上に求めないという自然の節度を取り戻すほかはありません。神が人間だけに与えた知性を真の叡智とすべく、自らの欲望をコントロールする術を身につけなくてはならないのです。 すなわち「足るを知る」心、その生き方の実践が必要になってきます。いまもっているもので足りる心がなかったら、さらに欲しいと思っているものを手に入れたところで、けっして満足することはできないはずです。 これ以上、経済的な富のみを追い求めるのはやめるべきです。国や個人の目標を物質的な豊かさだけに求めるのではなく、今後はどうすればみんなが心豊かに暮らしていけるかという方向を模索すべきです。 それが老子のいう、「足るを知る者は富めり」という「知足」の生き方です。欲しいものが手に入らないときは、手に入るものを欲しがれという格言もあります。「満足こそ賢者の石」。知足にこそ人間の安定があるという考え方や生き方を、私たちは実践していく必要があるのです。 つまり私欲はほどほどにし、少し不足くらいのところで満ち足りて、残りは他と共有するやさしい気持ち。あるいは他に与え、他を満たす思いやりの心。甘いといわれようが、絵空事といわれようが、私はそのような考え方が必ず日本を救い、大きくいえば地球を救うと信じています。 ただし知足の生き方とは、けっして現状に満足して、何の新しい試みもなされなかったり、停滞感や虚脱感に満ちた老成したような生き方のことではありません。 経済のあり方にたとえれば、 GDPの総額は変わらないが、その中身、つまり産業構造自体は次々と変わっていく。古い産業が滅んでも、つねに新しい産業が芽生えていくようなダイナミズムを有したあり方です。すなわち、人間の叡智により新しいものが次々に生まれ、健全な新陳代謝が間断なく行われる、活力と創造性に満ちた生き方。イメージとしてはそういうものです。 そのようなあり方が実現できたとき、私たちは成長から成熟へ、競争から共生へという、現在はやや画餅に近いスローガンを現実のものにし、調和の道を歩き出すことができるのではないでしょうか。 さらにそのとき、利他という徳を動機にした新しい文明が生まれてくるかもしれません。つまり、もっと楽をしたい、もっとおいしいものを食べたい、もっと儲けたいという人間の欲望がいまの文明を築き上げる動機になっていますが、新しい時代においては、もっと相手をよくしてあげたい、もっと他人を幸せにしてあげたいという、思いやりや「愛」をベースにした利他の文明が花開くかもしれないのです。 それがどのような形態や内容をもつものか、私は十分には知ることができませんし、それこそ絵に描いた餅で終わってしまう白昼夢の類いかもしれません。 しかし何度もいいますが、そこへ達することより、そこへ達しようと努めることが大切なのです。そうであることより、そうであろうとする日々が私たちの心を磨きます。そのようにして私たちの心が高まっていけば、知足利他の社会へ至る道程も、そう遠いものではないはずです。

 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次