第 4章 人間の本性を見抜く極意
カネをめぐる犯罪の特徴資金繰りに困ったあげく……カネの無心を続ける弟を……仏壇に手を合わせた凶悪犯逃げ得を許さない
カネをめぐる犯罪の特徴 殺人事件では、カネが動機となるケースが実に多くあります。
お金が絡むと、人間の本性がむき出しになります。
ふだんはふつうに会社勤めをしている人、週末は家族サービスをするような優しいお父さん、ショッピングや恋人とのデートを楽しんでいるような女性も、欲に目が眩んだり、お金に関するトラブルに巻き込まれたりすると、他人の存在を消してまでも大金を手に入れたい、トラブルから逃れたいという気持ちが強くなってきます。
もちろん、ほとんどの人は、理性によって自らの欲望を抑えたり、何らかの手段でトラブルを解決するなどして、犯罪に手を染めてしまうことはありません。
しかし、そのうちの何人かは、人としての一線を越えてしまうことがあるのです。
金銭を奪う目的で行われる殺人事件の場合、通常の殺人罪よりも重い強盗殺人罪が適用されます。
殺人罪は死刑、無期懲役、 3年以上の懲役ですが、強盗殺人罪であれば、刑罰が、死刑か無期懲役になるのです。
また金銭をめぐる犯罪は、計画的に敢行されることがよくあり、殺害後に遺体の隠匿を伴うことが多いのも特徴です。
そして、遺棄の方法やアリバイ工作なども年々巧妙化しています。
行方不明者の中には、実は殺人の被害者となっている人が、かなり多く含まれているのではないかと心配しているところです。
資金繰りに困ったあげく…… 次に紹介するのはカネをめぐる典型的な殺人事件です。
私が捜査一課管理官だった頃、県境に位置する住宅街で1月下旬に起きたものでした。
【事件 12―― 85歳男性刺殺事件】 午前 10時 5分頃、木造モルタル 2階建て住宅の 1階 8畳間で、 Aさん( 85歳)が背中に包丁が刺さった状態で敷き布団の上に倒れているのを同居する息子が発見しました。
すぐに 119番通報をし、 Aさんは意識がないまま救急車で病院に搬送されましたが、 11時頃死亡が確認されました。
発見者である息子は、当日 2階の自室で目覚めた後、父親を起こそうと部屋をのぞいたところ刺されているのを発見したと言います。
Aさん宅は、 Aさんと息子 2人の 3人暮らしで、もう一人の息子は会社に出勤していました。
2人の息子から当時の状況を聴取した結果、次のことが明らかになりました。
■ 数日前の午後 6時頃帰宅したところ、父親が「 Xという加工業者の男に 30万円貸すことにしたので、 Xに郵便局の通帳と印鑑を預けた。
『金を下ろしたら返しに来る』と言われて待っていたが、 Xは現れなかった」と話していた。
■ 玄関の引き戸の鍵はふだんから掛けていなかった。
自宅を検証すると、 Aさんが身辺に置いていた預金通帳や印鑑が入った手提げバッグが見当たらないことが判明しました。
これは強盗殺人事件の疑いが濃厚です。
そこで、特捜本部が設置され、さっそく捜査が始まりました。
現場を担当する現場資料組が、 Aさんの住所録や年賀状を調べ、 Aさんの話に出てきた X( 80歳)の住所を入手しました。
Xを午後 5時頃警察署に任意同行して事情聴取をしたところ、「 Aさんとは、昭和 61( 1986)年ごろから事業組合で、私が組合長、 Aさんが副組合長として仕事をしていた。
その後、平成 6( 1994)年に私が埼玉県内に工場を開設してからは付き合いがなくなった。
だから Aさんの自宅に行ったこともないし、まして金を借りたこともない」と、事件への関与を否定しました。
取調べの際、 Xの承諾を得て協力者指紋、両手や着衣のジャケット・ズボンからの微物の採取、短靴の靴底の紋様等の採取を行いました。
このように、その場で即座に捜査対象者から微物採取を実施するか、それとも後日改めて行うかが、早期検挙に至るか否かの分かれ道になります。
素早い鑑識活動が、後日効果を発揮するのです。
金融機関担当の特命捜査組からは「 119番通報があって間もない 10時 20分頃、銀行の窓口に男が 1人で訪れ、 Aさんの預金通帳と印鑑を使って現金を引き下ろしている」旨の報告がありました。
その後、3つの金融機関から、 Aさんの預金が合計約 150万円引き出されていることも判明しました。
特命捜査組からは、さらに重要な情報がもたらされました。
それは「防犯カメラの映像に Xらしき人物が映っていた」「引き出しの際に書類に記入した筆跡が Xのものに酷似していた」というものです。
これが、 Xが重要捜査対象者になる決め手になりました。
取調べはタイミングが重要です。
相手に十分な防御態勢をとれるだけの時間を与えてしまうと、完落ち(完全なる自供)に持ち込むことができません。
ですから、ここは早期に取調べをして結着をつけるべきだと決断したのです。
発覚から 2日目に再度 Xを取調べたところ、渋々ながら犯行を自供しました(まだ「半落ち」)。
工場の資金繰りに困っていた Xは、街金などからの借金がかさみ、厳しい督促を受けていました。
Aさんからは既に 30万ほど借りてはいましたが、通帳にはまだ多額の金が残っていたので、それを奪おうとして犯行に及んだのでした。
「午前 8時頃、鍵のかかっていない Aさん宅の玄関から小声で『おはようございます』とあいさつをしたけど、何の返事もなかった。
それで中に上がり、奥の間に寝ている Aさんの枕元に近づき、そこに置いてあった手提げバッグを盗もうとした。
けれども、その時目を覚ました Aさんに気づかれてしまった。
声をあげようとする Aさんに『どうしても金がいるんだ。
貸してくれ!』と言って、自宅から持ってきた包丁で胸を刺した。
うつ伏せになった Aさんの背中や頭を何度も刺したり、切りつけたりした。
そして、手提げバッグを奪って逃げた」 Aさんは、かつて Xの経営する工場で 8年間働いていました。
つまり、 Xの会社の社員だったのです。
Xは、会社の業績が下降線を辿る前に、加工工程や販売流通の見直しなどの手を打たなくてはならなかったにもかかわらず、景気が良かった頃と同じ手法で工場経営に当たっていました。
ところが現実は甘くありません。
会社は衰退の一途を辿っていきました。
こうなったら恥も外聞もありません。
Aさんとは 7年前に袂を分かち、以来交流は途絶えていたのですが、金策に奔走する Xは、 Aさんの自宅を訪れ、借金を申し込んだのです――。
事件 4で触れた、弁当店店主刺殺事件もそうですが、金銭に窮している者は、かつての仲間や以前お世話になった人をターゲットにすることがあります。
年齢は関係ありません。
Xのように傘寿を迎え、善悪の区別を十二分に心得ている者でも、カネのためなら、苦楽をともにした仕事仲間をめった刺しするほどの鬼になるのです。
犯行のおぞましさもさることながら、カネの恐ろしさ・魔力に、ぞっとさせられる事件でした。
【一課長の目 その 18】人はカネのためなら鬼にも畜生にもなる。
カネの無心を続ける弟を…… カネの絡んだ殺人事件で、一番やりきれないのが肉親を対象としたものです。
親子、きょうだい、親戚が、カネをめぐって争い、傷つけあう……。
そんな事件は枚挙にいとまがありません。
【事件 13――ホームレス男性轢殺事件】 ある年の9月末の午前 7時すぎ、都内の繁華街の交番に、日雇いの労働者から「頭から血を流した男が道に倒れている」との届け出がありました。
警察官が現場に駆けつけたところ、黒のデニムのオープンシャツ、紺色の作業ズボン姿の中年男性が、頭や顔から血を流して、仰向けに倒れているのを発見しました。
身なりからしてホームレスのようです。
男性は既に事切れていました。
男性の近くには、黒のショルダーバッグやレンズの割れたメガネが落ちていました。
しかし、路上に事件発生現場を特定できる血だまりやタイヤのスリップ痕などはありません。
また、男性の頭には傷がありましたが、それは致命傷になるほどの深いものではありませんでした。
そして男性からは、アルコールの臭いか体臭なのかはっきりと区別がつかない異臭が漂っていました。
周辺の聞き込みによって、まもなく男性の身元が判明しました。
Aさん( 54歳)で、住所は不定。
日雇いの仕事をしながら、暮らしているようでした。
身長は約 165センチで痩せ型です。
検視の結果によると、死因は頭蓋内損傷の疑い。
「酒に酔った死亡者が、頭をコンクリートの舗装面に強打して死亡した。
その原因は自己転倒、あるいは第三者による殴打の可能もある」ことが分かりました。
ところが翌日の司法解剖で、死因は「交通事故による外傷性ショック死」という結果が出たのです。
くわしくは、 ・胸腹部の轢過による肝挫裂創、右腎挫裂創及び多発肋骨骨折による失血 ・動揺胸郭(呼吸不全) ・第 4頸椎体、第 8・ 9推間骨折による頸椎傷など の競合と考えられる、とのことで、つまり、これらの要因が合わさって死に至ったということでした。
これらの損傷から、死亡者は車両の下部に寝ていたところ、車両が発進し死亡者の右側から乗り上げたものと思料されたのです。
当初の見立ては「酒に酔っての自己転倒か、第三者による殴打」でした。
事件の見立て違いに、私はそれこそショック死するくらいショックを受けました。
地取り捜査によって、前日の午後 10時 35分頃、運送会社の配達員から、現場にシルバー色のワンボックスカーが停まっており、中に人の気配がしたという情報を得ました。
このとき Aさんは倒れていなかったようです。
しかし同じ頃、現場近くに住む夫婦が、男のうめき声とその前後に車のエンジンの音を聞いたと言いますから、 Aさんは配達員がワンボックスカーを目撃してまもなく轢かれたものと思われます。
それからおよそ 30分後の午後 11時頃、労働センターの職員が、現場の路上で 2台の車の間に横になって倒れている男を発見したのですが、「酔っぱらい」と思って通り過ぎたことが分かりました。
また「のぞき」を趣味としている男から、明けて午前 0時 30分頃、 Aさんが頭を交差点の方向に向け、足をくの字に曲げて倒れており、頭のそばには黒っぽいバッグがあったとの情報を得ました。
このように刑事は、ホームレスや「のぞき」にも聞き込みをして、情報を得ることがあります。
彼らが、いつ捜査の協力者になるか分かりません。
ですから決して見下すことなく、言葉遣いや態度に気を配り、真心をもって接しているのです。
現場の路面を再見分した結果、轢き逃げ事件特有のスリップ痕、塗膜片などの顕著な痕跡は認められませんでしたが、 Aさんの足の向きと腰・肩・顔の向きに、「よじれ」たような不自然な様子が認められました。
つまり轢かれた後、後ろから何者かに両脇を抱えられ、倒れた場所から移動させられたということです。
被害者の体重は、約 46キログラム。
着衣(オープンシャツ)は X Lサイズですから、ぶかぶかです。
シャツの両袖は上腕付近に皺が寄り、前腕の 2分の 1付近まで引き上げられていました。
また、シャツの第 3ボタンも第 1ボタン付近まで右肩方向に引き上げられていて、全体的に不自然な感じがしました。
Aさんは結婚歴もなく、一人暮らしで住居もありませんでした。
ご遺体は、 Aさんの実兄の Xに引き取ってもらいました。
捜査の過程で、 Aさんには2つの生命保険( × ×共済組合ほか 1件)が同時期に掛けられていることが分かりました。
月々の掛け金を支払っているのは Xです。
交通事故死の場合は 2000万円、不慮の事故死の場合は 1600万円、病死の場合は 800万円の保険金が下り、払い込まれるのは、 Xが母親名義で開設した口座でした。
日雇い労働者である弟に生命保険を掛ける。
常識的に考えて、ちょっとおかしな話です。
しかも、捜査員が Xに「 Aさんには生命保険が掛けられていますか」と聞いた際、 Xは「分からない」と答えていました。
にもかかわらず Xは Aさんが亡くなってまもなく、保険金を生命保険会社に請求していたのです。
これでは X自身が、「俺がホシだよ」と認めているようなものです。
ただ Xの請求に対して保険会社は、「調査中なので、まだお支払いできません」と返答していました。
事件から 1か月後、地元の警察に「 ○ ○警察署内共同捜査本部御中」の宛名で 1通の封書が届きました。
差出人は「 ○ ○区在住のサラリーマン市民」で、 A 4判の便箋にワープロ文字で、概ね次のようなことが書かれていました。
「深夜の私の体験と目認について。
まずもって連絡が遅くなって大変すいません。
このことについてお詫びいたします。
さる深夜の 2丁目付近での『轢き逃げ』事件について、参考になるのかな、関係があるのではないか? という思いで 1ツの情報として連絡します。
毎日見る、たて看板を見て、『轢き逃げ死亡時間』がいつなのか、私には分かりませんが、もしかしたら私の見た貨物用の運送トラックではないかなと思っての情報提供です。
役に立てば幸いです。
……以上私が体験、目認した事故現場の状況です。
轢き逃げされ、死亡された方に心から哀悼の意を表します。
」 それからまもなく、今度は「地元警察署長殿」の宛名で、再び封書が届きました。
今度は、差出人の欄は空欄になっています。
同じくワープロ文字でしたが、 1通目とは書体が違いました。
内容は以下の通りです。
「さる深夜の 2丁目内で起きた、『死亡轢き逃げ事件』の犯人は、私です。
私は、その夜 12時頃と同じ時間に、その前の週もあの場所で仮眠のため駐車して、 2時間くらいの休憩をしました。
あの場所は、左が職員寮で右側が住宅の建設中で、入り口が 10メートルぐらいあり、奥行きも数メートルあり、深夜は他の車がほとんどとまっていなく、工事の道具も置いてなくて人通りもたまに浮浪者がとおるぐらいでほとんどなく、絶好の休憩場所でした。
……この手紙が警察に届くころには、私は東京をはるか遠く離れた、誰にも発見できない場所で、自分自身を処罰します。
」 いずれも目撃者及び犯人でなければ知り得ない情報が多々認められることから、いたずらのたぐいではないと判断、手紙は 2通とも計量国語学による文書鑑定に回されました。
その結果は、同じ人物が作成したものと認められるということでした。
つまり、この手紙を作成した者が犯人の可能性が高いということです。
これは公判において、有力な証拠物件になる可能性もある――そこで捜査本部では、誰がこの手紙を作成したかということについて裏付け捜査を始めました。
最も疑いが強いのは実兄の Xです。
それを突き止めるためにも、 Xが使っているパソコンを特定し、異同識別による同一性を立証する必要がありました。
この事件の鑑捜査を担当したのが、捜査第一課の H部屋長です。
一課には巡査部長から勤務し、朴訥とした人柄ながらも、要所要所で重要事件解決のカギを探り当てている人物です。
H部屋長が、前述の 2通の封書と、 Xが Aさんの生命保険を請求するにあたって保険会社に提出した請求書類数通を、異同識別鑑定した結果、 ・書体はいずれも N社製ページプリンター搭載の明朝体フォントが使われている。
・計量国語学の観点から、同一人物が作成したものに疑いない。
ことが分かりました。
さらに、後日、 ・ Xが購入したものと同じパソコン Nノート型とプリンターが使われている。
ことも判明したのです。
また、 Xの所有する車(四輪駆動車)のマフラーが、事件発生後、修理交換された事実も突き止めました。
そこでマフラーを回収して、付着物と被害者の着衣の異同識別鑑定を行った結果、マフラーの表・裏、接続のリアパイプ表面に付着した繊維が、 Aさんのオープンシャツの生地と類似することが分かりました。
こうした鑑定結果と、捜査員が足で稼いだ当日の目撃状況、また Xが多額の借金を抱えていた事実などから、 Xへの容疑が固まりました。
この事件が保険金目的の殺人であると検察庁が納得するまでに、そう時間はかかりませんでした。
しかし、これだけの証拠をもってしても、 Xは頑として否認を続けたのです。
事件発生から 2年目を迎えようとしていた7月下旬、捜査一課の K主任が Xを警視庁に呼び出し、何度目かの取調べを行いました。
すると、その間、心境の変化があったのか、あれだけ頑なに罪を認めなかった Xが、ついに「落ちた」のです。
貧しい農家の 4人きょうだいの次男として生まれ育った Xは、地元の高校を卒業後に上京、夜間の大学を出て区役所に就職しました。
結婚もし、子宝にも恵まれました。
Aさんも地元の養護学校を卒業後、大阪で工員として働いていましたが、長続きせず Xを頼って上京します。
ラーメン店で住み込み店員として働きはじめますが、ここもすぐに辞め、土木関係の日雇い仕事でその日暮らしの生活を送るようになりました。
飯場で覚えた酒と博打に溺れ、同僚や会社から借金を繰り返していたと言いますから、生活は荒んでいたと言っていいでしょう。
事件が起きるかなり前から、 Aさんは Xに頻繁にカネの無心をしていたと言います。
家庭を持ってからも実家に仕送りを続けていた Xですから、弟の頼みも断りきれなかったのでしょう。
事件のあった日の午後 2時頃、 Xは Aさんから 4か月ぶりに「兄貴、また頼むよ」と無心の電話を受けました。
午後 5時 30分頃、 Xが待ち合わせ場所である JRの駅に車で着くと、 Aさんが車に乗り込むや「腹が減った」と言うので、ラーメン屋に入り、ラーメンライスと餃子、そしてビールをとってやったと言います。
Xの心の中に「弟はこれからも無心に来るだろう。
このままでは、自分たちの生活にも影響する。
老後の生活も不安だ」という思いが芽生えました。
折から自分の土地に隣接する土地に関して、売買の話が持ち上がっていました。
その土地を購入するのに、最低でも 2000万円かかります。
Xの心の中で悪魔が囁きました。
「弟が交通事故で死亡すれば、 2社で合計 2000万円 × 2の 4000万円が手に入る」――そう思った Xは、 Aさんを殺害することを決意したのです。
このとき Xは、精神安定剤と睡眠薬を持っていました。
これは自分で服用するために病院で処方してもらったものでした。
Xは Aさんに「これは栄養剤だ。
ビールと一緒に飲めば効くぞ」と言って、 7、 8粒手渡しました。
兄の言葉を信じ切っている Aさんは、一気に口に入れ、ビールで流し込もうとしました。
げっぷと一緒に吐き出しそうになるのを、口に手を当て、ビールでうがいをするように飲み干したと言います。
ラーメン屋を出て Aさんと一緒に車に戻った Xは、 Aさんに飲ませた薬が効いてくるのを待ち、暗く人気のない場所を探して車を走らせました。
やがて Aさんが眠りに落ちてしまうと、 Xは周囲に人のいないのを確認して、袋小路に車を停めました。
そして、 Aさんの後ろから脇の下に両手を差し込み、車から引きずり下ろして路上に横倒しにしたのです。
Xは車をバックさせながら、弟の胸のあたりを後輪で轢き、さらに前輪で轢くのです。
Xは車を降りると、死の淵をさまよっている Aさんを道路脇まで引きずっていき、 Aさんの口にウイスキーを注ぎ込みました。
酒に酔って路上に寝ていたところを轢き逃げされたように見せかけるためです。
Xは再び車に乗り込むと、念を押すように前輪で Aさんを轢きました。
とどめを刺したのを見届けると、その場から走り去ったのです――。
取調べで Xは、地元の警察に手紙を送ったことを認めました。
なかなか保険金がおりないことに業を煮やし、事故の目撃者や轢き逃げ犯を装って、「あれは轢き逃げ事故だった」ということを、警察を通じて保険会社に認めさせようとしたわけです。
しかし、その手紙を作成したワープロが証拠となったのですから、余計なことをして自ら墓穴を掘ったとしか言いようがありません。
その後裁判が行われ、 Xの受けた判決は無期懲役。
それが、実の弟を保険金目当てで殺害した代償でした。
Xは根っからの悪人というわけではありませんでした。
貧しいなか苦学して、公務員としてまじめに勤めていたのです。
それでもカネ欲しさに、肉親を酷いやり方で殺してしまった。
そんなふつうの人を凶悪犯罪に駆り立てる「カネ」というものの魔力を、いやでも思い知らされる事件でした。
【一課長の目 その 19】余計な細工をすると必ずボロが出る。
仏壇に手を合わせた凶悪犯【事件 14――女性 2人刺殺事件】 閑静な住宅街の一軒家で、A子さん( 91歳)と、娘の B子さん( 65歳)が血まみれになって倒れているのを、別の家に住むA子さんの長男の Cさんが発見しました。
2人は既に冷たくなっており、 Cさんが110番通報、さっそく殺人事件として捜査が始まりました。
A子さんは玄関を上がってすぐの六畳間で亡くなっていました。
上半身をこたつカバーの上に乗せた状態で、長袖ブラウスの背面には刃物痕が数か所ありました。
下半身はズボンの下におむつをし、両足に靴下を履いていました。
隣の六畳間にあった B子さんのご遺体は、両腕をくの字に折り曲げて、仰向けの状態で発見されました。
背中の中央には包丁が柄の部分まで深く突き刺さっています。
頭部や顔面には多量の血液が付着し、鼻や口からも血が流れ出て、固まっている状態でした。
着衣は白の割烹着、長袖セーターにズボンで、両足には靴下を履いています。
割烹着は裏返しになり、右袖先が右手に引っ掛かって、血痕がところどころに付着していました。
2人のご遺体の観察から、次のような判断をしました。
ホシはまず、歩行が困難なA子さんを襲い、必死に逃げようとした彼女を背後から刃物で刺したり切りつけたりして殺害。
次に、母親の世話をしていた B子さんが逃げ回るのを隣室まで追いかけ、最後は背中に包丁を突き刺し、とどめをさしたのです。
台所の流しのシンク内にタバコの灰が落ちていました。
A子さんも B子さんもタバコを吸いませんから、それは犯人のものである可能性があります。
2人を殺害した後に、気持ちを落ち着かせようとしたのでしょうか、いずれにせよ鬼畜にも劣る残虐、冷酷な犯行です。
この事件現場では、発見時に出入り口のドアは施錠されていましたが、ドアの鍵はどこにも見当たりませんでした。
犯人が持ち去ったものと思われますが、流しの犯行なら鍵を持ち去る必要はありません。
また Cさんの話では、A子さんも B子さんも用心深く、見知らぬ人が訪れたときは、インターホンのみで応対するとのことでした。
こうしたことから、犯人は 2人の顔見知りである可能性が高くなります。
捜査もそのことを踏まえて行われました。
この家に出入りする人間をリストアップしていく中で、 Xという 34歳の新聞配達員の男が浮上してきました。
近隣の新聞販売店で集金業務を任されていた Xは、事件があった翌日、「父親が危篤になった」と言って休みをとっていました。
Xの住民票を調べると、前科前歴がないにもかかわらず、 4か月ほど前に住民票が職権消除されていました。
つまり、住民登録が削除されているということです。
また、数か月前から 29歳の D子さんという女性のところで暮らしていることも分かりました。
Xはまた新聞販売店に出勤してくるだろうか。
いや、ホシならもう来ないかもしれない。
そうなると、 Xの行方を追わなければ……。
そう思い悩んでいた矢先、事件から 1週間後、 Xが職場に姿を現しました。
そこで署に任意同行を求め、事情聴取をすることにしました。
事件が起きた日について Xは、「自分の部屋にいた」とアリバイを主張しました。
しかし、事情聴取の翌日、 Xは忽然と姿を消したのです。
アパートの部屋はそのままになっていましたから、 Xは着の身着のままで出ていったのでしょう。
こうした行動をとることは、 X自身「犯人は自分だ」と認めているのと同じです(後述の「事後変化」です)。
そこで Xを重要参考人として手配しました。
捜査の過程で、事件後の Xの様子が、くわしく分かってきました。
Xと同居している D子さんに話を聞くと、事件の翌日、 2人の間で次のようなやりとりがあったと言います。
X「警察から追われている。
ちょっとヤバいかもしれない」 D子さん「何のこと? なんやのそれ?」 X「くわしい内容は言えない。
取りあえず、俺は明日から 2 ~ 3日、実家に戻る。
どうするか自分ではっきり決める。
戻ってきたら事件のことを話すから、それまで待っていてくれ」 D子さん「悪いことをしたと言っても、色々あるでしょ。
人のものを黙ってもってくるとか。
そんな泥棒みたいなことをやったの?」 X「俺はそんなことはしない。
堂々とやる」 D子さん「悪いことと言っても、強盗や殺人以外のことだったら、私、そんなに驚いたり、びっくりしない」 X「想像できないくらい悪いことだ。
俺がやったことを聞くと、俺を嫌いになるし、別れようとするだろう。
何を聞いても、俺を嫌いにならないと約束できるか?」 D子さん「じゃ聞かない」 X「分かった。
俺は何も言わない。
だから、何も聞かないでくれ」 D子さんは Xに「一緒に逃げてくれ」と頼まれましたが、怖くなってやめたと言います。
このやりとりのことを聞いて、私は Xが 2人の女性を殺害したことを確信しました。
Xは D子さんから、彼女がコツコツ貯めていた預金 450万円を巻き上げていました。
また新聞配達先で知り合った 2人の女性からも「父親がガンになったので入院費用が必要だ」と言って、合わせて 1000万円近くの多額の現金をだましとっていました。
その 2人は父親を早くに亡くしていました。
「父に孝行できなかった」という気持ちにつけこんだ、実に卑劣な犯行です。
さらに Xは逃亡中、その被害者のうちの一人に電話をかけ、「父親が死んだ。
葬儀代がないので貸してほしい」と涙ながらに電話をかけてきました。
そして被害者が要求に応じないとなると今度は「どうなるか、分かってるだろうな」と脅してきたと言います。
どこまでも厚顔無恥、卑劣な男です。
しかし、いつまでも逃げきれるものではありません。
逃亡から半月後、 Xは都内のターミナル駅にいるところを発見されたのです。
取調べの結果、 3日目になって自白を始めました。
「事件の日の夕方、A子さん宅に 200万円ほど借りようと思って訪問した。
『金を貸して欲しい』と言うと、 B子さんから『年寄りがそんな大金を持ってるわけないでしょ。
バカじゃないの』『金に困って借金のある連中が新聞配達員になるのよ』と罵られてカッとなった。
首を絞めたら口から泡を吹いてぐったりした。
その後、タバコを吸って、今度はA子さんの首を絞めた。
B子さんの首を絞めているのを見られたと思ったからだ。
A子さんもまもなく動かなくなった。
引っかき傷のついた手を洗面所で洗っていたら、呻き声が聞こえてきた。
2人とも死んではいなかったんだ。
だからハサミと包丁で 2人にとどめをさした。
金を探したけれども、どこにも見当たらなかったので、がま口の中から玄関の鍵を盗んで逃げた」 こうして事件の発覚から 25日目に強盗殺人罪で逮捕するに至ったのです。
犯行の再現を被害者宅で実施した際、最後に Xが「お願いがあります」と私に言いました。
「何か違う点があったのか」と聞くと、「いや、やったことはそのとおりです。
そこの仏壇に……」と今にも消え入りそうな声で答えました。
殺人犯がご遺体の遺棄場所に「手を合わせる」ということは何度かありました。
しかし、犯行再現を終えて仏壇に手を合わせたいという申し出をするのは極めて珍しいことです。
私は「どうぞ」と答えました。
看守の者が Xを仏壇前まで案内すると、正座をして両手を合わせ、目を閉じました。
数十秒だったか、数分だったか、かなり長い間合掌していました。
ようやく立ち上がったときには、 Xの頬を涙が伝っていました。
私は、その夜一人で行き付けの東十条の居酒屋「酒だる」に行きました。
カネのためならなんでもするような、根っからの悪人だと思っていた Xが見せた人間的な一面に、 Xを憎む気持ちが正直揺らいでしまったのです。
やりきれない気持ちを鎮めようと、私はコップのビールを一息に呷りました。
このとき、私の頭をよぎったのは、「罪を憎んで人を憎まず」という言葉でした。
――その後裁判で Xは死刑判決を言い渡され、数年前に執行されました。
合掌。
逃げ得を許さない Xのように、人は罪を犯すと、その後の行動に変化(事後変化)が現れます。
自分に嫌疑がかけられないように装うのです。
それを見破るために、私は、捜査対象者の犯行後の変化を注意深く観察します。
主に心理面における変化で、たとえば「ことさら平静を装うようになった」「文字を丁寧に書くようになった」「気分が落ち込んでいる」「人の話を上の空で聞いている」「うっかりミスが増えた」「誤字脱字が多くなった」というのが典型的な例です。
捜査対象者を観察するだけでなく、対象者に近い人物に聞き込みをすることによって、そんな変化をしっかりつかんでいくのです。
犯罪者は、「犯行はバレない、捕まることはない、黙っていれば事件が明らかになることはない」という〝悪の気持ち〟と、「罪を償おうか。
そうすると家族や周囲に迷惑がかかるが大丈夫か、誰かが居場所を連絡するのではないか」という〝善の気持ち〟との間で揺れ動くものです。
それが極まると、逃亡を図ったり、あるいは自殺に走ることもあります。
私が高校生の頃、アメリカのテレビドラマ『逃亡者』が日本でも放送され、大変な人気を呼んでいました。
妻殺しの容疑をかけられた主人公の医師が、警察の追跡をかわしながら真犯人を見つけ出していくという内容です。
私が担当した事件捜査においては、こうした冤罪やその疑いのある事件は一度たりとも起きませんでした。
それは、素晴らしい先輩や同僚、部下に恵まれ、彼らとともに必死になって事実のみを追い求めていったからだと自負しています。
私は、容疑をかけられた者が警察の捜査から逃げようとするのは、明らかに「犯人である」ことを自認しての行為、つまり事後変化によるものと捉えています。
もし犯人でないのなら、弁護士や人権団体など、しかるべき機関に相談すればいいのです。
犯人でない者が、どうして逃げなくてはならないのでしょうか。
警察は逃げ得を決して許しません。
それは、「社会の正義を守る」という使命があるからです。
【一課長の目 その 20】悪事を働いた人間には必ず事後変化がある。
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